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余録

毎日新聞朝刊1面の看板コラム「余録」。▲で段落を区切り、日々の出来事・ニュースを多彩に切り取ります。

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1972年7月7日の田中角栄内閣発足前後…

大規模な火災があった「輪島朝市」周辺は、今も焼けた建物や車が残ったままだ。公費解体が進む中、工事車両が多く出入りしていた=石川県輪島市河井町で2024年7月1日午後2時17分、長沼辰哉撮影 拡大
大規模な火災があった「輪島朝市」周辺は、今も焼けた建物や車が残ったままだ。公費解体が進む中、工事車両が多く出入りしていた=石川県輪島市河井町で2024年7月1日午後2時17分、長沼辰哉撮影
災害危険区域に指定され、今は住めなくなった十二平集落=新潟県小千谷市で2024年1月18日、内田帆ノ佳撮影 拡大
災害危険区域に指定され、今は住めなくなった十二平集落=新潟県小千谷市で2024年1月18日、内田帆ノ佳撮影

 1972年7月7日の田中角栄内閣発足前後、梅雨前線下の日本列島を襲った豪雨で400人以上が亡くなり「過疎の中の災害」と呼ばれた。土石流で集落が埋まった熊本・天草上島など被災地の多くが過疎地だった▲働き手が出稼ぎ中で残された高齢者や女性、子どもが犠牲になった地域もあった。田中元首相がぶち上げた「日本列島改造」ブーム以降、道路整備こそ進んだものの「過疎下の災害」はなくならなかった▲半世紀を過ぎむしろ深刻化した。少子高齢化が進み、災害のたびに孤立集落が出て救助もままならない。元日の発生から半年を過ぎた能登半島地震の被災地には、傾いた家屋やがれきがそのまま残されている▲平地が少なく、道路が限られた能登の地形も復旧の遅れにつながっている。それにしても公費解体が完了した建物が申請件数の5%未満とは……。これでは復興のビジョンも描けない▲72年豪雨を受けて導入されたのが「防災集団移転促進事業」だ。天草では500戸以上、東日本大震災では約3万7000戸が移転した。「能登の人たちもこれから集団移転の問題に必ず直面する」。20年前の新潟県中越地震後に移転した小千谷市十二平地区の長老が小紙新潟版の連載で語っている▲仮設住宅に入った住民同士で何度も話し合いを重ね、合意にこぎつけたという。「土地を守りたくても自分の力ではどうしようもない時がある。最後は若い者の意見を尊重するほうがいい」。大事なのは住民自ら選択することだろう。

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