「慰問」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 慰問とは

2025-10-12

anond:20251012011952

天皇責任ではないけど

天皇機関説で機関から降ろされ、戦争遂行の旗印にされ、(GHQ命令とはいえ)戦後地域慰問して回った天皇になにもないのは少し残念だなと思った

2025-10-02

死海文書かと思ったら鹿慰問所だったらどうする?

2025-09-04

近江一郎氏についての記述

1931年植民』より、「帆船南洋慰問の旅」という記事

五十噸の補助機関つき帆船海峡植民地から東インド約二ヶ年の予定で一周しようといふ企てがある――計画者は神戸市元町三丁目近江一郎氏でボルネオインドに久しく滞留、仏教研究して最近帰朝した岡本春岳師ほか二名の同志の力を得、海外在留民を慰問し、病没者の展墓弔霊燈台守の慰問をなし、併せてわづか五十噸の小舟で南洋を一周すること自体によって海事思想の普及に資し、寄港地では新聞以外に故国事情を知りたいと希望している人々のためには最近東京風景や観艦式などの活動写真を見せるとともに故国の発展ぶりや近情を講演し、商品見本やカタログなどを配って行き、簡単商品見本市を開き希望者には連絡の労もとり、各地にある日本人会の連絡をつけようといふのである。首唱者近江氏の厳父は日露戦役直後東京朝日新聞者がチャーターして満鮮巡遊団を企てた時のロセッタ丸の船長で、今年はその七周忌に当るので、亡父への供養の一端であると大した意気込みで、目下拓務省に補助の支出交渉であるが、それが纏まり次第四五月ごろには壮途につきたいと、近江氏は語る。

『明中教育十年』より、「明石中學校十年史」の1932年2月1日の項。

南洋調査団(鎖国丸)長拓務省嘱託近江一郎氏一行十名ノ為ニ市公会堂ニテ送別会開催ニツキ山内校長出席

直木由太郎編『家信 みとせのはるあき 上』より、1932年の「五月十六日 神戸より」。

近江一郎氏の鎮国丸は最近琉球沖で難破し、船員一名死にました。詳細不明

1934年宗教文化誌 法華』より、音馬実蔵「看雲雑記」。

主義者近江一郎君はまだ知らぬ人だが、其著「小舟を住家に南洋へ」は近来非常におもしろく感ふかく読んだ書物の一であるので一筆書いておく。

第一此書は君が鎮国丸という小船に乗じて南洋に向ふ途中、琉球近くの与論島に於て、船が暗礁に乗り上げ大破、九死に一生を得たこの死線突破体験を本として、其遭難顛末と共に南洋開拓に就て、かねて諸方面に就き自ら準備のために取調べた生きた心得の数々を教へ示さんとするもので、世に机上の空論は多くてもこの書の如く命をかけて出来た書物まこと稀有と云ふべきで、この点に心ひかれるものがあるのである

『楚人冠全集』より、1937年杉村楚人冠バルサ」という記事

逓信省船舶試験場で、近頃絶対に沈まない救命艇とかを作った。(中略)沈まない船といふのは、バルサを用材にして作ったとの事だから、何も今に始まった新案でも何でもない、現に私の友人がこれで救命艇を作って、特許を願ひ出た次第は、一昨年の十一月の「グラフ」に私が書いている。彼は特許が許されないので、気前よくその船を私に呉れて行ったので、私はこれを手賀沼に浮べて、時々漕いで出るのを楽しんで居る次第も、その時に書いた。この贈主の名を近江一郎といふ。朝日新聞社明治三十九年の夏満韓巡遊の船を仕立てて、日本で初めて新聞主催団体旅行を企てた時、その乗艦ロセッタ丸の船長だった林橘治君が、即ちこの近江君の実父であった。

1940年『斜めに見たる神戸一中』。

近江一郎の著書で、第一神戸中学校のおそらく1935〜1939年頃の同窓会報に掲載されたコラムを集めたものである。内容としては、神戸一中の卒業生がこんなにすごいことをやった、こういう面白いことをやった、といったもので、上記の「中村文夫(日本板硝子社長)」や「川西実三(埼玉長崎京都東京知事歴任)」なども登場する。卒業生には海軍関係者が多かったようで、特に奥田喜久司とは親しそうな書き方がされている。内容としては、笑いあり涙ありの平和ものだが、支那事変日中戦争)が始まったことや、誰それが戦死したというようなことが書かれていたりもする。近江一郎自身のことはあまり触れられていないが、母親名前が「朝子」ということ、娘がいて神戸野田高等女学校入学させたこと、第一次大戦の青島の戦いに従軍していたこと、などが書かれている。

1959年『新民』より、寺岡謹平「祖国の礎 特攻観音縁起について」という記事

昭和二十一から神戸の人近江一郎という老人がおりまして、南洋貿易をしておったのでありますが、戦争たけなわになりますと、日本航空隊では油がだんだんなくなる。潤滑油をなんとかして作ろうということで満州にわたって白樺から潤滑油を作る研究に目鼻がついた、ということを軍令部に進言致しました。そのときには戦争が終ってしまったので、戦争に敗けたのはわれわれ国民の協力が足りないため、ということを考えまして、なんとかして戦死した御霊をなぐさめたいということで、まず特攻隊の遺族を弔問しよう。御霊に参拝しようという念願を立て、二十一年二月から、全国、北は北海道、南は九州のはてから、ずっと単独で廻って歩いた。

(中略)

はじめのうちは簑笠にカーキ色の服を着た坊さんが現れると、これは押売りか物貰いだろうと思って、虐待された。いろいろ考えた末、各県の世話課に頼んで遺族の住所を調べ、予め紹介してもらって参りました。そこで今度は順序よく運んだ。行くと、先ず以て仏様の前にいってお経を読んで焼香をする。そして般若心経を半紙に書いたものを一枚奉納する。

これは神戸の友人で美田禾山翁という書家がおりまして、その人の仏心で般若心経を沢山書いてもらった。海軍特攻隊の遺族は、二五二五名おりますから、美田先生も老齢ではあるし、耐えられなくなった。そこで誰かに書いてくれということで、私も何百枚か依頼されましたが、電報で何枚どこそこに送れと、こういうふうにくる。

(中略)

そういうものお土産にもって廻って、六年間というもの休みなく廻りました。とうとうしまいには病気になりまして、二十七年一月二十一日に亡くなられた。その間に約一、九〇〇名の遺族を弔問しております。残ったのは東京東海北陸の一部で、東京都を最後に残したのは、終ったところでお上特攻隊の遺族の状況を奏上する、というのが狙いでございました。

吉川英治対話集』より、1959年の対談での吉川英治発言

近江一郎という無名の人がいるのです。軍に徴集されて、なにかのことで満州塾長をしたのです。開拓民の塾長じゃないかと思うのですが、終戦になってこっちに帰ってきて、さる人の紹介で、私が吉野村に疎開していたときに、杖をついて帰還者の服を着たままでやってきましたよ。そのころ、もう年齢は六十近かったでしょうか。

「いったい君はなにして歩いているんだ?」

「私は帰ってきて、たくさんの死んだ兵隊たちの家を一軒一軒歩いて、そうしてそこに年寄がいたら、年寄を慰め、仏壇があったらお線香の一本ずつもあげさせていただくのを生涯の念願にしている」「収入というものはどうしているんだ?」「収入はありません」「じゃ、どうして食べている?」「子どもが一人あって、女房神戸区役所人夫をしている」女人夫ですね。「子ども小学校に行っている。お父さんは好きなことをしていいと言うから、私はそれをやる」それから復員局で住所を調べましてね、全国を歩いていました。ほんとうに驚くべきものですよ。あるときその男と話をしまして、こういうふうに戦死者の家を歩いていると、ずいぶんひどいことを言われることがあるでしょうといったら、はじめてその男が炉辺でボロボロ涙を流しまして、このごろは復員局で言ってもらえるのでわかってきたけれども、いちばん最初九州、あのへんの山間を歩くんですね。なにしにきたとどなられる、弟を死なせたという兄貴がヤケ酒を飲んでいるところにぶつかって、「戦死したものの供養にきたと、それで死んだものが生きてかえるか」と上りかかったところを蹴落とされた。そんな目にも会いました。そういうふうにけとばされたり、つばをされたり、なぐられたりするたびに、「これは陛下の罪滅しになると思って私はしのんできました」というのです。

『あすへの話題』より、1965年中村文夫のコラム

近江一郎というのは私の中学時代のなつかしい同級の剣友であるが、五年の時、神戸一中を去って大阪天王寺中学に転校し、偶然にも、草鹿さん(註:草鹿龍之介)と同級となり、いずれ劣らぬ剣友同士の間柄だったのである

近江君と私は一年の時からの同級で、しかふたりは一時、剣道部の両雄として互いにしのぎを削った間柄で剣友として忘れられない一人だが、まことに気骨のたくましい一風変わった偉丈夫であった。それかあらぬか、一時は満州国に行って馬賊になったとまでうわさされたのであったが、敗戦となるや、彼は決然起って、あの戦争末期の花形として雄々しく散っていった海軍特攻隊の遺族を尋ねて全国行脚の壮挙を思い立ったのである

しかし何分にも当時世をあげて戦後の虚脱状態にあり、特別関係者以外はだれ一人としてこれを支援しようとする者はなかったが、彼は毅然として、すげがさ、負いずる姿のいでたちで、全く乞食坊主そのままの行脚を続け、全国にわたる戦没英霊実家を歴訪してその冥福と遺族の慰問精魂を打ち込んだのであった。

戦後の軍当局と連絡をとったものらしく、一地区ごとに行脚を終わると必ず大阪に私をたずねて来訪し、つぶさにその難行苦行の実情を物語ってその感想録と写真を見せてくれたものだが、ほんとうに涙なくしては聞くことも読むこともできなかった。当時在阪の草鹿さんともいっしょに、時々は三人で食事を共にして、近江君の労をねぎらい、かつ旅情を慰めたものであった。

1974年川西実三の『感銘録』より。

私の中学校の後輩で近江一郎という男がいて、父親船長だった関係もあり、南方の島の資源開発を思いたった。ここが素人の私にはわからないことだが、それには沈まない船をつくらなければならないというので、あちこち設計を頼んだり資金相談にきたりした。

この話を川西さん(註:川西清兵衛)が聞いて、近江君を助けてやろうということになったらしい。そして近江君の希望どおり不沈船が竣工して南方へ出発したと聞いた。ところが、どうしたわけか帰りがけに台湾沖で沈んでしまったという。なんともロマンチックな話だ。

2025-08-01

anond:20250731221616

これネタっぽい話だけど、ウクライナにはきちんとした宣伝部隊があって国外ポーランド駐屯してる

テレビマン映画製作者だけじゃなくYouTuber、TikTokerまで揃っていてあらゆる喧伝活動を行ってる

別にこれだけでウクライナを批難するわけじゃないけど、戦地への著名人慰問映像や、外国人兵士撮影ポーランドでやってたりすることもあったから、やってんなあと思ってる。

戦時中の今は黙ってみてるけど、戦後やってきたことの総括は避けて通れない

2024-04-05

anond:20240405170523

その頃コロッケ一行は美川憲一らと共に慰問の旅を続けていたのであった「ロボ美川憲一~♪ウィンウィン」「本物となりに居るわよ!!」

2024-01-08

天皇被災地慰問されたら

迷惑から来るなつって追い返そうぜw

2023-07-23

子供の時に父親の知らないところで母親から往復ビンタを喰らいすぎていると

母親病気慰問に行こうなどと思えない

そういう「サマリア人」を許す方法があるなら、知りたいがね

2023-06-08

昭和の?スター的なアイコンはおおむね翻案というか…CIAかな

ヒッピーアイドル  米)ボブ・ディラン         日)吉田拓郎

叫ぶ左翼アイドル 米)ジャニス・ジョプリンアラニス・モリセット 日)椎名林檎

マイノリティアイドル 米)ローリン・ヒル         日)UA

はっちゃけ     米)ストレイ・キャッツ        日)よこはまぎんばえ

ロックバンド     米)ローリング・ストーンズエクストリーム 日)RCサクセション

防衛官僚アイドル 米)慰問コンサート係のシェリル・クロウ 日)早稲田広末涼子

女性向けアイドル  米)ジェームス・ディーン       日)ジャニーズ       

テクノ       独)クラフトワーク         日)YMO電気グルーヴ

2023-05-03

anond:20230503223210

だーいぶ前のコロッケ氏のツカミで「老人ホーム慰問に行って、その日の予定に『本日コロッケ登場!』て大書きしてあったが、本人が出番になって登場したらお腹をすかせていた観客がみんなガッカリしてた」ていうのを話してたの思い出した

2023-03-28

anond:20230328092719

重工業時代は、プロ野球統制会や棋道統制会が戦地慰問仕事をしていたし、弁護士会NHK軍用教育機関だったよ

要は軍や重工業を元手に暮らす芸者稼業だよ

ある種の業界は未だに軍が好きなので、一般人向けサービスはしたくないんじゃないんじゃないか

造船・製鉄が花形産業の「重工業」の世界観ですよね?

2023-03-15

チャンス大城

老人ホーム慰問営業にて、そこの利用者さんから『髪の長い女の幽霊あなたに憑いている』と言われた話」

は割と聞くけど

その後日談

三浦マイルド結婚式の話」

は初めて聞いた

30m級て笑

でーだらぼっちの霊かよ笑

どういう状態だよ

人の霊じゃないだろソレ

2022-08-09

悲報はてなー「弔問外交」が読めない

尋問外交って言っとけば参謀ぶれるし、誰一人その効果検証できなくてマウント取れるし、でいいですよね。費用対効果を言うんなら、内閣・党合同葬国葬場合とで外交効果に差が出るのか知りたいんですけど。

慰問外交とか言ってる奴らは本当に頭が悪いな。たかが弱小日本元首相のために大物来るわけないだろ。そんな暇じゃねぇよ。マザームーンは来るかもね

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/2cd29c5f2efb9a7b435436a4d863c8548c27e046

2022-07-10

自民党は大嫌いだけど、安倍国葬しろ

自民党には1度も投票したことないぐらい嫌い

安倍も支持してないけど、国葬にはするべきだと思う

あそこまで諸外国トップから慰問や弔意、更に諸外国大使館前に献花される首相がいただろうか?

外交の為にも安倍国葬にするべきだ

このご時世だからこそ国葬をし外交を展開していくべき

最後まで政治家として、人生を全うして欲しい

2022-06-09

anond:20220608164549

BTSは7人もいる。期間も1年ちょっとの期間とかに優遇して、年齢もわりとバラけてるから1~2人徴兵し、残りのメンバー活動してスライドさせていくのが最善である

米国での演習時とかの慰問とかで、融通を利かせればいいんではと思う。

ビルボードを飾ったBTSといはいえど、任務しなきゃネチズンが黙っていない。

2022-05-23

anond:20220523210803

つーかマジレスっぽくなるけど、

大統領ラーメン食べて帰ってたら

かなり親しみ持つよなあ。

リアル日本文化に触れてるって感じで。

寿司とか高級なやつはもういいじゃん。

軍隊慰問かに言ったらハンバーガーとかピザとか兵隊の前でわざとらしく食べるみたいな感じでラーメン食べて帰ってよ。

そしてラーメンを気に入ったなら、ゆっくりしてってよ。

2022-05-01

女性囚人あるあるとして「男性が来ると木村拓哉に見える」「どんな人が来てもイケメンに見える。みんな欲求不満だし、懲罰覚悟で脱ぎだしてしまう」と説明。「全裸になって踊ったりとか」と告白した。収容所慰問に行ったことがあるというドランクドラゴン鈴木拓も「全然おもしろくないネタでも超ウケる」と同意していた。

2022-04-27

anond:20220427105418

https://times.abema.tv/articles/-/10021109

男性女子刑務所慰問に来たら「みんなキムタクに見える」

とのことなので、女の見る目もメディア刷り込み次第ということですね。

女は自分の目に見えるものが当然自分に与えられてしかるべきだと勘違いしている。

2022-02-13

anond:20220213110241

金ある男でもジャンクフード好きな奴と各慰問に興味ない奴はいくやろ

ワイは金がなくても行く気にならんけどな

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん