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はてなキーワード: 北陸とは

2025-11-12

静岡県

東北6県 … 青森岩手秋田宮城山形福島

関東1都6県 … 東京神奈川千葉埼玉茨城栃木群馬

甲信越3県 … 山梨長野新潟

北陸3県 … 富山石川福井

東海3県 … 愛知岐阜三重

近畿2府4県 … 大阪府京都府兵庫滋賀奈良和歌山

中国5県 … 鳥取島根岡山広島山口

四国4県 … 徳島香川愛媛高知

九州7県 … 福岡佐賀長崎熊本大分宮崎鹿児島

沖縄ちょっと離れてるし九州沖縄8県 とかも言われるし、

北海道はさすがにでかくて物理的にも離れてるしで1道だし

と考えると…

2025-10-18

anond:20251018210018

参院はそれでも一票の格差あるし定数を大幅に増やさないなら

中国地方四国北陸東北とかは地域丸ごと一つの選挙区にして人口に応じて定数配分する方がいいように思う

2025-10-01

秋冬も元気な人が羨ましい

よくある話だが、進学先が北陸で、在学中のある年に冬季鬱(季節性情動障害)になった。それに関しては治療というか、医者方針睡眠リズムだけ整えながら自然治癒をした。要するに春を待った。

それからは秋めいて来たら朝は決まった時間日光を浴び、サプリでもビタミンDを摂るように注意するなどしておそらく回避しているが、毎年お盆を過ぎた頃に空気が秋めくとゾッとする。バナナナッツなどセロトニンが作られ易いとされる物をなるべく食べている。アボカドは高い。

明確に冬季鬱になる以前も、自分は秋冬が苦手だった。それは寒さが苦痛なせいだと思い込んでいたけど、何もうまくいかず全体的に行き詰まっていくような感覚があり鬱屈としていた。小学生の頃にはそれを言葉にして友人や家族に話していた覚えがある。

一度冬季鬱になってからは余計、涼しさや寒さを直接寂しさとして感じるようになった気がする。

頭の上にガツンと絶望感のようなのムードが乗っかっていて、世界が閉塞していく予感がする。切なさで情緒がぐちゃぐちゃっと乱れそうになる。

子供の頃も寒い季節が好きだと言って元気になる友達を見て、確かに夏より体は楽だが、こんなに暗くて悲しいのにどうして明るくいられるんだろうと思っていた。

人よりビタミンDセロトニンが生成されにくい体質などがあるのだろうか。日本人の6割はセロトニントランスポーターのs型とか聞くし

関係あるかわからないけど子供の頃はほとんどをスタジオ撮影してるっぽい番組を見るのも苦手だった。照明で明るい場所になっているけど本来暗い室内なんだろうな…というのを見ていると何故か落ち込んでしまってダメだった。天てれとか。それはさすがに徐々に気にならなくなったけど。

2025-09-18

anond:20250918162127

埼玉の現状よく知らんけど、私立に限った話だろ?

20年前の北陸だと内申点よければ、試験受験して名前だけ書けば合格とかざらにあったけどね

私立入学商売してるんだし、経済活動として当たり前じゃねえの

2025-09-04

近江一郎氏についての記述

1931年植民』より、「帆船南洋慰問の旅」という記事

五十噸の補助機関つき帆船海峡植民地から東インド約二ヶ年の予定で一周しようといふ企てがある――計画者は神戸市元町三丁目近江一郎氏でボルネオインドに久しく滞留、仏教研究して最近帰朝した岡本春岳師ほか二名の同志の力を得、海外在留民を慰問し、病没者の展墓弔霊燈台守の慰問をなし、併せてわづか五十噸の小舟で南洋を一周すること自体によって海事思想の普及に資し、寄港地では新聞以外に故国事情を知りたいと希望している人々のためには最近東京風景や観艦式などの活動写真を見せるとともに故国の発展ぶりや近情を講演し、商品見本やカタログなどを配って行き、簡単商品見本市を開き希望者には連絡の労もとり、各地にある日本人会の連絡をつけようといふのである。首唱者近江氏の厳父は日露戦役直後東京朝日新聞者がチャーターして満鮮巡遊団を企てた時のロセッタ丸の船長で、今年はその七周忌に当るので、亡父への供養の一端であると大した意気込みで、目下拓務省に補助の支出交渉であるが、それが纏まり次第四五月ごろには壮途につきたいと、近江氏は語る。

『明中教育十年』より、「明石中學校十年史」の1932年2月1日の項。

南洋調査団(鎖国丸)長拓務省嘱託近江一郎氏一行十名ノ為ニ市公会堂ニテ送別会開催ニツキ山内校長出席

直木由太郎編『家信 みとせのはるあき 上』より、1932年の「五月十六日 神戸より」。

近江一郎氏の鎮国丸は最近琉球沖で難破し、船員一名死にました。詳細不明

1934年宗教文化誌 法華』より、音馬実蔵「看雲雑記」。

主義者近江一郎君はまだ知らぬ人だが、其著「小舟を住家に南洋へ」は近来非常におもしろく感ふかく読んだ書物の一であるので一筆書いておく。

第一此書は君が鎮国丸という小船に乗じて南洋に向ふ途中、琉球近くの与論島に於て、船が暗礁に乗り上げ大破、九死に一生を得たこの死線突破体験を本として、其遭難顛末と共に南洋開拓に就て、かねて諸方面に就き自ら準備のために取調べた生きた心得の数々を教へ示さんとするもので、世に机上の空論は多くてもこの書の如く命をかけて出来た書物まこと稀有と云ふべきで、この点に心ひかれるものがあるのである

『楚人冠全集』より、1937年杉村楚人冠バルサ」という記事

逓信省船舶試験場で、近頃絶対に沈まない救命艇とかを作った。(中略)沈まない船といふのは、バルサを用材にして作ったとの事だから、何も今に始まった新案でも何でもない、現に私の友人がこれで救命艇を作って、特許を願ひ出た次第は、一昨年の十一月の「グラフ」に私が書いている。彼は特許が許されないので、気前よくその船を私に呉れて行ったので、私はこれを手賀沼に浮べて、時々漕いで出るのを楽しんで居る次第も、その時に書いた。この贈主の名を近江一郎といふ。朝日新聞社明治三十九年の夏満韓巡遊の船を仕立てて、日本で初めて新聞主催団体旅行を企てた時、その乗艦ロセッタ丸の船長だった林橘治君が、即ちこの近江君の実父であった。

1940年『斜めに見たる神戸一中』。

近江一郎の著書で、第一神戸中学校のおそらく1935〜1939年頃の同窓会報に掲載されたコラムを集めたものである。内容としては、神戸一中の卒業生がこんなにすごいことをやった、こういう面白いことをやった、といったもので、上記の「中村文夫(日本板硝子社長)」や「川西実三(埼玉長崎京都東京知事歴任)」なども登場する。卒業生には海軍関係者が多かったようで、特に奥田喜久司とは親しそうな書き方がされている。内容としては、笑いあり涙ありの平和ものだが、支那事変日中戦争)が始まったことや、誰それが戦死したというようなことが書かれていたりもする。近江一郎自身のことはあまり触れられていないが、母親名前が「朝子」ということ、娘がいて神戸野田高等女学校入学させたこと、第一次大戦の青島の戦いに従軍していたこと、などが書かれている。

1959年『新民』より、寺岡謹平「祖国の礎 特攻観音縁起について」という記事

昭和二十一から神戸の人近江一郎という老人がおりまして、南洋貿易をしておったのでありますが、戦争たけなわになりますと、日本航空隊では油がだんだんなくなる。潤滑油をなんとかして作ろうということで満州にわたって白樺から潤滑油を作る研究に目鼻がついた、ということを軍令部に進言致しました。そのときには戦争が終ってしまったので、戦争に敗けたのはわれわれ国民の協力が足りないため、ということを考えまして、なんとかして戦死した御霊をなぐさめたいということで、まず特攻隊の遺族を弔問しよう。御霊に参拝しようという念願を立て、二十一年二月から、全国、北は北海道、南は九州のはてから、ずっと単独で廻って歩いた。

(中略)

はじめのうちは簑笠にカーキ色の服を着た坊さんが現れると、これは押売りか物貰いだろうと思って、虐待された。いろいろ考えた末、各県の世話課に頼んで遺族の住所を調べ、予め紹介してもらって参りました。そこで今度は順序よく運んだ。行くと、先ず以て仏様の前にいってお経を読んで焼香をする。そして般若心経を半紙に書いたものを一枚奉納する。

これは神戸の友人で美田禾山翁という書家がおりまして、その人の仏心で般若心経を沢山書いてもらった。海軍特攻隊の遺族は、二五二五名おりますから、美田先生も老齢ではあるし、耐えられなくなった。そこで誰かに書いてくれということで、私も何百枚か依頼されましたが、電報で何枚どこそこに送れと、こういうふうにくる。

(中略)

そういうものお土産にもって廻って、六年間というもの休みなく廻りました。とうとうしまいには病気になりまして、二十七年一月二十一日に亡くなられた。その間に約一、九〇〇名の遺族を弔問しております。残ったのは東京東海北陸の一部で、東京都を最後に残したのは、終ったところでお上特攻隊の遺族の状況を奏上する、というのが狙いでございました。

吉川英治対話集』より、1959年の対談での吉川英治発言

近江一郎という無名の人がいるのです。軍に徴集されて、なにかのことで満州塾長をしたのです。開拓民の塾長じゃないかと思うのですが、終戦になってこっちに帰ってきて、さる人の紹介で、私が吉野村に疎開していたときに、杖をついて帰還者の服を着たままでやってきましたよ。そのころ、もう年齢は六十近かったでしょうか。

「いったい君はなにして歩いているんだ?」

「私は帰ってきて、たくさんの死んだ兵隊たちの家を一軒一軒歩いて、そうしてそこに年寄がいたら、年寄を慰め、仏壇があったらお線香の一本ずつもあげさせていただくのを生涯の念願にしている」「収入というものはどうしているんだ?」「収入はありません」「じゃ、どうして食べている?」「子どもが一人あって、女房神戸区役所人夫をしている」女人夫ですね。「子ども小学校に行っている。お父さんは好きなことをしていいと言うから、私はそれをやる」それから復員局で住所を調べましてね、全国を歩いていました。ほんとうに驚くべきものですよ。あるときその男と話をしまして、こういうふうに戦死者の家を歩いていると、ずいぶんひどいことを言われることがあるでしょうといったら、はじめてその男が炉辺でボロボロ涙を流しまして、このごろは復員局で言ってもらえるのでわかってきたけれども、いちばん最初九州、あのへんの山間を歩くんですね。なにしにきたとどなられる、弟を死なせたという兄貴がヤケ酒を飲んでいるところにぶつかって、「戦死したものの供養にきたと、それで死んだものが生きてかえるか」と上りかかったところを蹴落とされた。そんな目にも会いました。そういうふうにけとばされたり、つばをされたり、なぐられたりするたびに、「これは陛下の罪滅しになると思って私はしのんできました」というのです。

『あすへの話題』より、1965年中村文夫のコラム

近江一郎というのは私の中学時代のなつかしい同級の剣友であるが、五年の時、神戸一中を去って大阪天王寺中学に転校し、偶然にも、草鹿さん(註:草鹿龍之介)と同級となり、いずれ劣らぬ剣友同士の間柄だったのである

近江君と私は一年の時からの同級で、しかふたりは一時、剣道部の両雄として互いにしのぎを削った間柄で剣友として忘れられない一人だが、まことに気骨のたくましい一風変わった偉丈夫であった。それかあらぬか、一時は満州国に行って馬賊になったとまでうわさされたのであったが、敗戦となるや、彼は決然起って、あの戦争末期の花形として雄々しく散っていった海軍特攻隊の遺族を尋ねて全国行脚の壮挙を思い立ったのである

しかし何分にも当時世をあげて戦後の虚脱状態にあり、特別関係者以外はだれ一人としてこれを支援しようとする者はなかったが、彼は毅然として、すげがさ、負いずる姿のいでたちで、全く乞食坊主そのままの行脚を続け、全国にわたる戦没英霊実家を歴訪してその冥福と遺族の慰問精魂を打ち込んだのであった。

戦後の軍当局と連絡をとったものらしく、一地区ごとに行脚を終わると必ず大阪に私をたずねて来訪し、つぶさにその難行苦行の実情を物語ってその感想録と写真を見せてくれたものだが、ほんとうに涙なくしては聞くことも読むこともできなかった。当時在阪の草鹿さんともいっしょに、時々は三人で食事を共にして、近江君の労をねぎらい、かつ旅情を慰めたものであった。

1974年川西実三の『感銘録』より。

私の中学校の後輩で近江一郎という男がいて、父親船長だった関係もあり、南方の島の資源開発を思いたった。ここが素人の私にはわからないことだが、それには沈まない船をつくらなければならないというので、あちこち設計を頼んだり資金相談にきたりした。

この話を川西さん(註:川西清兵衛)が聞いて、近江君を助けてやろうということになったらしい。そして近江君の希望どおり不沈船が竣工して南方へ出発したと聞いた。ところが、どうしたわけか帰りがけに台湾沖で沈んでしまったという。なんともロマンチックな話だ。

2025-08-24

anond:20250824205952

もりもり寿司テルメ推し主やが、金沢市内育ちワイ的には、値段と味のバランス結構取れてると思うで

特にランチがいい、ランチにあと北陸海鮮系の寿司足したら満足

2025-08-02

anond:20250802130010

愛知には多いんだわ

北陸出身のうちの婆ちゃん名古屋に嫁いできたら鬼頭とかいう怖そうな苗字の人がいてびっくりしたって言ってたわ

2025-07-27

都道府県別の物価ランキング

物価の話をするとき都市地方といった大枠の話になり、地域毎の特性考慮されにくいので紹介。

一番下に参考にしたデータへのリンクを貼るので網羅的なグラフが見たい人はそちらを参照。2023年データらしい。

グラフから読み取った世帯あたりの物価指数と費目別寄与度の上位と下位を示す。

物価総合

消費者物価地域指数世帯が購入する各種の財及びサービス価格総合した物価水準の地域間の差を指数値で表したもの

全国平均=100.0  100より高いと全国平均より物価が高く、低いと全国平均よりも物価が低い。

1位 104.5 東京 ・・・光熱・水道以外はどれも全国平均より物価が高い。特に住居費が飛びぬけて高い。

2位 103.1 神奈川 ・・・全ての費目において全国平均よりも高い。

3位 101.8 北海道 ・・・住居、教育以外は全国平均よりも物価が高い。特に光熱・水道が飛びぬけて高い。

4位 101.7 千葉 ・・・被服、通信交通教育以外は全国平均よりも物価高。

5位 101.4 山形 ・・・全国平均より高いのは、住居、食料、交通教育費、光熱・水道費。特に光熱・水道費は全国3番目の高さ。

6位 100.9 京都 ・・・全国平均より高いのは、食料、通信交通教育教養娯楽。教育が全国4番目の高さ。住居が全国平均ほど。

7位 100.4 埼玉 ・・・全国平均より低いのが、食料、光熱・水道教育。住居が全国4番目の高さ。

8位 100.1 島根 ・・・食費と光熱・水道が全国平均より高い。食費が全国4番目、光熱・水道が全国5番目の高さ。

9位 100.0 高知 ・・・全国より低いのは住居、教育教養娯楽。それら以外は全国平均より高め。

1位 95.9 鹿児島 ・・・保険医療以外の費目が全国平均よりも低い。特に被服が全国で最も低い。教養娯楽費が2番目の低さ。

2位 96.1 宮崎 ・・・全ての費目において全国平均よりも低い。特に教養娯楽費が全国で最も低い。食費が2番目の低さ。

3位 96.3 群馬 ・・・光熱・水道以外の費目が全国平均よりも低い。特に教育が全国で最も低い。

4位 97.0 大分 ・・・家具家事用品、教育以外の費目が全国平均よりも低い。

5位 97.1 福岡 ・・・保険医療以外の費目が全国平均よりも低い。

6位 97.1 奈良 ・・・被服以外の費目が全国平均よりも低い。

住居 地域差が激しい。上位5つ以外の地域では平均物価以下。

上位(5): 1位 東京、2位 千葉、3位 神奈川、4位 埼玉、5位 山形

下位(5): 1位 鳥取、2位 香川、3位 石川、4位 岐阜、5位 大分

食費 地域差が激しい。高い地域と低い地域で2分されている。

上位(5): 1位 沖縄、2位 鳥取、3位 東京、4位 島根、5位 北海道 ※沖縄が突出しているが子どもの多さだと想定される

下位(5): 1位 長野、2位 宮崎、3位 群馬、4位 佐賀、5位 奈良

光熱・水道 地域差が激しい。南関東を除く東日本中国地方で高く、特に近畿では低い。

上位(5): 1位 北海道、2位 岩手、3位 山形、4位 青森、5位 島根

下位(5): 1位 大阪、2位 兵庫、3位 和歌山、4位 滋賀、5位 鹿児島

家具家事用品 地域差は小さい。

上位(5): 1位 香川、2位 滋賀、3位 兵庫、4位 福井、5位 愛媛

下位(5): 1位 沖縄、2位 茨城、3位 新潟、4位 鹿児島、5位 広島

被服及び履物 地域差は小さい。

上位(5): 1位 石川、2位 北海道、3位 高知、4位 栃木、5位 新潟

下位(5): 1位 鹿児島、2位 香川、3位 福岡、4位 島根、5位 大分

保険医療

全国的にほぼ差異がないので割愛

交通通信 公共交通機関の利用率が高い地域で高め。

上位(5): 1位 東京、2位 京都、3位 山形、4位 神奈川、5位 長野

下位(5): 1位 沖縄、2位 茨城、3位 岡山、4位 愛知、5位 福岡

教育 地域差が激しく、近畿全体で高い傾向がある。

上位(5): 1位 大阪、2位 和歌山、3位 滋賀、4位 京都、5位 東京

下位(5): 1位 群馬、2位 富山、3位 静岡、4位 山口、5位 秋田

教養娯楽 地域差が激しい。上位5つ以外の地域では平均物価以下。

上位(5): 1位 東京、2位 神奈川、3位 埼玉、4位 京都、5位 大阪

下位(5): 1位 宮崎、2位 鹿児島、3位 佐賀、4位 富山、5位 福井

諸雑費

上位(5): 1位 神奈川、2位 滋賀、3位 京都、4位 北海道、5位 香川

下位(5): 1位 沖縄、2位 青森、3位 大分、4位 長崎、5位 宮崎

まとめ


  • 出典

男女共同参画白書 令和7年版 全体版(PDF版) 印刷用一括データより。

https://www.gender.go.jp/about_danjo/whitepaper/r07/zentai/pdfban.html

PDF 48枚目のグラフから読んだ。

https://www.gender.go.jp/about_danjo/whitepaper/r07/zentai/pdf/r07_10.pdf

2025-07-22

2025年7月、初夏の信州上田

からここ4ヶ月ほど、仕事が山場を迎えてしまい、月金はほぼ24前後帰宅という状況だった。

で、まだまだあるものの、一山超えて休暇が取れそうだったので、この3連休に1つ足して4連休として、そのうちの3日を二泊三日の旅行に充てることにした。

自分JREバンクに口座を持っており、どこかにビューーーン!の割引優待があるので、行き先はJR東日本に決めてもらう。

どこかにビューーーン!は自分で選んだ4候補の中から最終的にJR任せになるのだけど、東北秋田山形上越北陸のうち、上越北陸候補に当たりやすい配分になっているらしく、今まで2回して新潟長野だった。

なので、今回も新青森秋田盛岡上田候補で応募したとき上田になるかもと思っていたが、果たしてそうだった。

まあでもこの候補も「どれが当たっても観光できそうだ」というところだったので、割引率とかは深く考えずに上田を楽しむことにした。


とはいえ上田に関しては真田幸村別所温泉くらいで自分的に刺さる「コレ」といった目標がなかなか出てこない。

長野の人は真面目だそうだが、新潟の「バスセンターカレー」とか長岡の「松田ペットの謎看板」みたいな、ちょっと変な名所を面白がっていくようなところはあっても良いように思う。

まあともかく、1日目は上田城と柳町見学、2日目は別所温泉、3日目は街ぶらしながらお土産選びでもしようとなった。


東京駅から新幹線に乗り、12時頃に上田駅に到着、7月上田は低温サウナのような蒸し暑さだった。

現地の温度計を見ると36℃。

まり動き回りたくもなくなるようなとんでもない暑さだけど、昼食は上田でとるつもりで駅弁も食べてなったので、当地名物であるあんかけ焼きそばをたべに日昌亭に向かう。

さすが上田山間の街である、遠景には緑の山が聳え立っている。

14:30ランチタイム終了の日昌亭に13:30に到着したのだが、住宅街の中にあるのに、店内は待合が5〜6組ほどいて、「暑すぎで街では人見かけなかったのに、みんなこんなに焼きそば食うために外に出てきたんか」という光景であった。

しばらくして席に着くと、あんかけ焼きそばが出てくる。

柔らかさを残しながら揚げ焼きにしたような麺に、野菜チャーシューが乗った餡がオン。

味は一口食べて「めちゃくちゃうまい!!」という感じではないが、毎日食べても飽きそうにない優しい味であった。

ご当地焼きそばというのは結構面白いので、あったら食べるようにしている。


腹ごしらえもすんで上田城へ。

上田の駅に降りてから至る所で六文銭を見かけるので、上田の人たちにとって真田氏は大きな存在なのだなあと感じる。

まり戦国マニアではないので、楽しみ方がわからなかったのだが、だいたい土足厳禁なことが多いやぐらに靴のまま気軽に上がれるのは良かった。

上田城は戦国時代、城の東に川が流れており、攻撃しずらい立地であるようだった。

上田城内は今は真田神社となっていたので参拝。別に勝負事をしているわけではないが、もしもの時、日本一武士のご加護があるやもしれない。


上田城を見た後は城下町である柳町へ。

日本家屋が並ぶ風流でこぢんまりとした通りなのだが、ここには日本酒ランキングサイトSAKE TIMEで3位に輝く信州亀齢の酒蔵がある。

まり全国に流通しないそうで、安定して買うならここなのだそうだ。

お土産カップ酒でもあれば買いたいところだったのだけど、カップ酒はやめてしまったそう。

自分で瓶を買うほど飲むタイプでもないので、ここは見学だけして帰ることにした。


お土産や兼観光センターのようなところで休んでいたら、見たことあるキャラクターの木彫りが。

そういえばという感じなのだが、上田映画サマーウォーズ舞台となったところらしい。

映画で描かれている日本の夏の原風景のような田舎町ってこの辺りなんだな。


一旦、ホテルルートイン上田グランデにチェックインして、夕食は上田名物の美味だれ焼き鳥にすることにした。

にんにく野菜醤油ベースのタレにドボンと漬けて焼き鳥を食すもので、ネットで調べたら、うまい店は上田駅構内にあるとのこと。

ホテルも近いし良いじゃないかということで素直に上田電鉄脇の焼き鳥屋に。

五本串を頼んだのだが、美味だれという振りかぶったネーミング、駅ナカという立地でありながら、ちゃんうまい

上田の暑さで汗をかいたので、塩味がしっかり効いている鶏肉が舌に嬉しい。

さらにここでは地酒が飲めるので、先ほど見送った亀齢を飲むことに。

甘さがあってしっかりした味わいだけど、不思議と飲み飽きることがなく、優しくバランスの取れた味わいだった。

上田に行ったら是非飲んでみるべきだと思う。

日本酒ずきは買ってもいい。


2日目は上田電鉄に乗り別所温泉へ。

この上田電鉄ホームサマーウォーズバッチリ描かれがれている。

ローカル線の車窓から見える青と緑の光景は「イメージの中の日本田舎」という感じで、これが見れるなら上田に来るなら夏の方が面白いのかもしれない。

本当に暑いが。

別所温泉では北向観音を参拝し、公衆浴場大師湯に浸かる。

昔ながらの温泉という感じでしっかりあつい。

多分43℃以上は確実にある。

あつい中で熱い温泉に浸かって結構タフだったので、日の出食堂馬肉うどんを食べることに。

馬肉の味もしっかりしているし、卓上の七味唐辛子ともよく合う。

この別所温泉では外湯3つを制覇するつもりだったので、日の出食堂すぐ向かいの石湯に直行

ここも熱い。すごくトラディショナル温度設定である

軽く山を登ってゆき安楽寺常楽寺を参拝。

別所温泉をでて温泉町の方を歩いていくと、遠景の山の中に日本家屋の壁が1枚だけ起立しているような不思議構造物が見えるのだが、これは常楽寺隣にある別所神社神楽殿であり、ここから別所温泉の街を一望できる。

都会暮らしではなかなか見ない立派な藁葺き屋根常楽寺を見た後は下山して、最後の外湯である大湯へ。

つの外湯の中では最も大きく、内風呂と露天の2つの湯船があるのだが、果たしてここもしっかり熱湯なのだった。

炎天下で歩き回った上に熱湯に3連続で浸かるのは、かなりの荒業だったようで、筋トレしすぎた時みたく膝の力が抜けたような感じになってきた。

エネルギーの枯渇を感じたので、上田駅に戻ってガッツリしたものを食べて栄養補給をすべく、駅前上田から揚げセンターへ。

ここでもやはり美味だれがバッチリかかった唐揚げ定食をいただいた。

駅前駅ナカ飲食店がしっかり美味いのは助かる。


最終日の3日目は特にやることがないが、お土産探しと、地元スーパーなどを見学すべく街ブラ。

地元スーパーのツルヤはフロアがだだっ広く、キノコの種類が豊富

自然豊かな信州の山の幸とという感じ。

お土産はというと、駅前大正ロマン溢れる門構えのみすず飴本舗でみすずあられと、自分用にジャムをいくつか。

前回、長野に来たときみすず飴は一度買ってきていたので、もう一品気の利いたものがないかと調べると、エトワールという洋菓子店のものが良いらしく、向かってみる。

店内に入ってリーフパイなどを物色していると、マダムアロンディールというくるみアーモンド焼き菓子激推ししてくる。

ちょっと圧倒されながら、そこまでいうならと購入。

マダム曰く「宣伝に余計なお金を使ってないのよ」ということらしく、なので知る人ぞ知るという感じなのかもしれない。

その後、地元銭湯に入ってみたく、街を歩いていると、坂道チャリの脇におっちゃんが警察に囲まれており、「転けたんかな」と思いながらそばを通りすぎるとおっちゃんが警察に囲まれながら「何みてんだメガネ、◯すぞ!」といきなり音を出すなど、不思議アクシデントがあってちょっとびっくりした。

空が少し曇って暑さが和らぐ中、地元銭湯で熱めの湯に浸かり、最後にあまりの美味さに駅ナカの美味だれ焼き鳥リピートして新幹線に乗った。


出発前はどう楽しんだものかと思ったり、暑さにやられたりしたが、目に沁みるような夏の自然と、食べ物の旨さ、上田はなかなか良い街であった。

皆さんも機会があったら夏の日本原風景を見に、ぜひ上田を訪れてみてはいかがでしょう。

以上となります

2025-07-07

7月1週LINEオープンチャットはてなブックマーカー」1週間のまとめ

これは何?

LINEオープンチャットはてなブックマーカー」の1週間分の要約を、さらAI使用し、試験的にまとめまています

要約内容

🏛️ 政治政策政党

💼 雇用労働年金

🛍️ 消費・ブランド・小売

🤖 技術ITロボット

🩺 健康・体調・サウナ

🌏 災害気候環境

📚 文化書籍ゲーム音楽

🚗 旅行地域グルメ祭り

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https://anond.hatelabo.jp/20240722084249

オープンチャットの参加URL

LINEオープンチャットはてなブックマーカー」の参加はこちから

https://line.me/ti/g2/MFSXhTJoO_pLfrfds1LpyJ0OlBgcPJSqHoRbBg?utm_source=invitation&utm_medium=link_copy&utm_campaign=default

2025-06-25

anond:20250625104010

米原

東海道新幹線北陸延長で交通は充分

関西東海北陸狭間関西感が薄い

水源確保が容易

土地が安くて開発余地が大きい

ギリギリ雪が少ない

2025-06-05

anond:20250604163757

北陸というか日本海側や雪国では複数の語を集めてしりとりの返しとすることが認められていることが多い。そもそもしりとりは、農閑期、つまり寒くてやる事ない時期に意識を保つための呪文として使われたのが始まりらしい。だから終わらせないためにいくらでも長くできる必要があった。それで、複数の語からなる句や節、もっと言うと落語の一節なんかでも認められる場合があるらしい。それから、一度、「ん」で終わってしまっても、「んなし」と言って「し」からまた始める地域もあるという。

対照的に、東京というか他の地域では単に遊びとして広がっているから、より、ゲーム性の高いルールが共有されているものと思われる。

そういう作り話を考えた。

anond:20250604163757

胃がムカムカして苦しい

胃がムカムカして嫌だ

胃がムカムカして辛い

胃がムカムカする日が3日続く

胃がムカムカする日が2日続く

・・・とかも北陸なら許されるのか?

anond:20250604163757

ひょっとして北陸は全体的に頭悪いって話?

anond:20250605123754

腹が立つ

名詞と言ってもいいぐらいに北陸では日常で使われる言葉なんだよ

知らんけど

anond:20250604163757

北陸のしりとりで「は」が回ってきたときに「腹立つ海苔」と答えたらどうなります

anond:20250604164132

自分普通に考えればこうなるだろうと思っていたが、この結論に至らない人がいるってのがビックリ北陸から問題じゃない。

2025-06-04

anond:20250604163757

北陸という広い地域で「腹が立つ」はOKなん?

そんなはずはないと思うんだが

 

概念からダメなんじゃなくて、文章からでしょ

「腹」の一語ならOKだったはず(2文字単語が禁じられていない限り)

 

本日本全国で概念でもOKだよ、

ただし「普通名詞」であればね

しりとりは基本、普通名詞を用いる、

から概念でも「嗅覚」「リスク」とかOK

変化がある動詞とか文章ルール

 

そして「腹が立つ」は名詞助詞動詞からルール

地元ではOKだったのは、慣用句で一単語という独自ローカルルールがあったからじゃない?

でも隣の学校にはないとか、親世代にはなかったルールだとか、かなり狭い範囲だと思うよ

東京で驚いたこ

私は北陸出身

東京の友人としりとりをした時、「は」が回って来た。

そのとき「腹が立つ」と答えたんだ。

そうしたらそれは駄目だって言われて驚いた。

地元ではOKだったので何で駄目なのか聞くと、それは概念から駄目だという。

でも国とかだって概念じゃない?なのに国名OKだよね?と聞くと、それはOKなんだという。

なんだか境界線がよく分からないけど、腹が立つが駄目なのが衝撃的だった。

東京しりとりルールちょっと違うのかもしれない。

2025-06-02

anond:20250602131237

なんて糞なところなんだ北陸

マジで旅程組みなおして名古屋に行ってやるぁ

さんきゅー

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