はてなキーワード: キュロットとは
うちのばーちゃんの自慢。
ばーちゃん95歳(多分)
「結婚まだか」「ひ孫の顔が見れんと死に切れん」がここ数年の口癖。
ばーちゃんはなんかすごい器用で、実家の玄関に置く干支飾りとか季節のフラワーアレンジメントとか作ってもらったり、私の幼少期の服やら巾着小物類やら結構色々作ってもらっていた。
保育園児のとき作ってもらったチェック柄のベストとキュロットは、すごくお気に入りでいまだに覚えている。毎日これ着る!って言って親をかなり困らせていたらしいらしいが、そっちは言われるまで忘れてた。
そんな器用なばーちゃんは私が小学生〜中学生くらいのころ、成人式の髪飾りと、結婚式で使うブーケを早々に作ってしまった。ちょっと気が早すぎるのでは。
どんだけ早くても成人式も結婚式も10年くらいは先。嬉しかったが、若干気が重かった。
時は流れて私二十歳、成人式で髪飾りはしっかり使った。私に似合う色を選んでくれていたみたいで、振袖と相性はばっちりだった。すごいなばーちゃん。ついでに大学の卒業式でも使った(袴履いた)。髪飾りはここで役目を一通り果たしたと言える。
残る問題のブーケ。私にあまり結婚の意欲がなかったため、二十年くらい放置された。
日目を見たのはつい最近。私にようやく結婚相手ができ、ウェディングフォトを撮ることになったから。
遮光用の袋に入っていたが、袋は経年劣化してボロボロになって持ち運びもできなかったし、箱とブーケは防虫剤ぽいかおりがしっとりとついていた。
でも、ちゃんと暗所で保管されていたブーケは作った当時のままの色と形で、沢山の白い花と緑の葉がとてもとてもきれいだった。ブーケとメイクの効果で私が2割増でよく見える気がした。夫(予定)にも、撮影スタッフさんにも、友人にもブーケを褒められた。そうなんだよ、ばーちゃんすごいんだよ。うちの自慢のばーちゃん作なんだよ。へへへ。
というわけでブーケはようやく役目を果たした。長〜い間待たせてご〜めん〜♪
実はこの(ウェディングフォト)の話、まだばーちゃんにしていない。ごめん。写真できるまでもうちょっと待ってて。ついでにそのまま元気で100歳も迎えてほしい。
めちゃくちゃ久々に地元に帰った。
中学卒業から10年近く経つし、親が別の地方に転勤した結果上京したきり顔を出していなかったので、再会は難しかろうと思われた。
が、声をかけたところ美術品部員たちは意外と集まった。やさしい。
みんな就職して綺麗になってるんだろうなー、仕事で頼もしくなってるのかな、結婚出産してる子いるかも?とワクワクで向かう。
自分の中学の場合、このときけっこう忘れてたが美術部員は大人しく真面目で学業もしっかり収めるか、やたら本とか漫画読むけど成績は悪くコミュニケーション能力も低いかの2タイプがボリューム層であった。
そこで余計な同窓会を企画し、これらの層を一同に集めるとどうなるか。
綺麗で垢抜けた上品アッパーミドルお姉さん数名が、年齢不詳お姉さんのワールドイズマインに合いの手を入れる。
可愛くて良い子友達の手前。絶対に笑ってはいけない、細かすぎて伝わらない首を絞められた演歌歌手のモノマネ風ボカロ曲3分間。
そおゆ〜〜うあつかい、ここ、ろ、え〜、て〜〜〜(苦しそう)
ここはまだ大丈夫だった。
トイレに駆け込んだ。
なんでなんだよ。なんでお前だけ銀魂ハマって染まり、薄桜鬼に出会って大人向けの作品読んでる自分♡から話の内容も歌い方も時計の針進んでないんだよ。タイムカプセルとかシーラカンスの仲間だろ。
ちゃんと他の子はめっちゃ可愛かった。婚約とか結婚してた。優秀さを武器にスピード昇進を決めてる子もいた。なんだかんだみんなひっそりオタクやってるから、3人とは今度の観劇とかイベのあとディナー行く予定立てた。
なんなんだろうこの感情。
あーあ。
男性もスカートを履いていいんです!ってなったところで「男性のファッションに馴染むスカート」はしばらく広まらないだろう
でもオシャレに敏感な人がカーテンか?って位ダボダボのスカートをまとい始め、やがてYouTuberや俳優の衣装にチラホラとズボンっぽいスカートが浸透し始める。きっとデニム地のロングキュロットみたいなやつ
そしてある夏のロケで芸人が「スカートデビューです!めっちゃ涼しいですわ〜これ〜!」とか言いながらスカートの中をうちわで扇ぐ姿が放映され、おっさん層の部屋着などにジンワリと浸透していく
気がつけばスーパーの衣類コーナーに男性用スカートの一角ができている。スカートではなく楽ちんステテコとか、既存の男性服の用語を交えたワードで売り出されるだろう
そうなるともう「男性がスカートでも変じゃないんじゃない?」という合意が形成され始め、逆にスカートを恥じらうのは昭和感覚、平成感覚と揶揄されはじめる
男子大学生や男子高校生がスカートを履き始め、同級生の男子に「パンチラ見せたろか?」と言いながら捲るという陳列罪スレスレのイタズラが流行ったりする
でも小学生にはしばらく浸透しない。スカート履いてると女の子みたいという固定観念がしばらく付きまとう。中学校高学年くらいから徐々に「男のスカートを恥ずかしいって言うやつが恥ずかしくない?」みたいな雰囲気になり、高校に上がる頃にはすっかりそっいが多数派になっている。子どもの感性は時に不可解だ。都会の小学校だと男子スカートによるイジメは起きない、先進的なので
学校の制服にも男性スカートが取り入れられ、選択可能になる。過渡期は男子生徒はパンチラに抵抗がないものの、浸透するに従いパンチラが苦手という男子生徒も現れ始め、「男性がパンチラを避ける心理を社会は許容すべきか否か」という話題が昼の情報番組で取り上げられる
やがてスカート世代は新社会人の年齢になり、社会へ参入する。この様子もまたニュースになる。おっさんがスカートを許容していた場合、ビジネススタイルにスカートが取り入れられているが、そうでない場合は新社会人が文化のギャップに悩んでいる様子が特集される。しかし夏のクールビズにいいですよ、みたいなところから結局普及する
これに伴い、男性の股開きもマナー違反だと扱われ、今以上に股を締める座り方を厳しく指導されるようになり、電車のマナーが改善する
※注:年齢表記は推測
行政がやってるってのが胡散臭いわね、で、敬遠してたんだけど、やっぱやべーわ
まずエロい
入り口にはセキュリティが居るし身分証提示してカード作らないと入れない
お陰でがっつり無防備なJSがキュロット生足でツイスターやってんの
俺の2m先で
親とかいねぇし
3歳0歳を連れた父親は0歳をマットにうつ伏せに寝かせて放置してんの
ご丁寧に頭までジャケットかけて、暗くしてやろうって気遣いかしらんが
(シルエットで中に子供が寝てるのはわかる)
つかスマホ見てるし
別の所では疲労限界なんだろう、5歳を遊ばせて0歳を抱っこしたまま壁で寝てるママがいる
三つ編みの先を脱色させてる子3人連れた元ヤン風茶髪ママもいるし
閉めるやついねぇ
ほとんど複数人で来てるから先頭が開けて最後尾は閉めないってのが繰り返される
その度に閉めに行くママ
キッズなんちゃらとか有料商業施設に行くこともあるが、そういうところとは空気感がぜんぜん違うのよ
雨で客が多かったせいもあるんだろうけどカオス過ぎて笑った
ぜったいキュロットが良いと思うんだよね。
とか考えていたとき、ふと思い出した。
私が小さい頃に遭遇した変質者たちはまだこの町にいるのかな?
始まりはもう30年近く前だけど
人生の中で、この町で、5回変質者に会っている。
参考になるか分からないけど一応手口とか書いてみるね。
①道に迷ったお兄さん
初遭遇にして一番悪質だった。
口頭で伝えても分からないって言われて
当時小1で人を疑うことを知らない女子だったので
友達と共に素直に目をつぶったら
②陰部を落としたお兄さん
写っているのがおちん○ん。
『あれおち○ちんだったよね?』って言われた。
③唾液の研究をしているお兄さん
しかもこの人はすでに男子数人のをゲットしていた。(男子もその場にいた)
中1の部活帰りの暗い夜道で、
今までの人は若めだったけどこれはおじさんだった。
すでに変質者慣れしていたのでスルー。
⑤自転車往復お兄さん
向かいからチ○コだして自転車に乗った人(服は着ててズボンから出してる感じ)が
携帯見て、気にしてないふりしてたけど、
早足で人通りのある道に向かったけど4回すれ違った。
(ちなみにこの人イ○パルスの堤○に激似すぎて、申し訳ないけど今でも○下嫌い)
帰宅中に後をつけられてるな〜とかはあった。
性犯罪って身近だよね?
って感じだった気がする。
n=1だからなんの参考にもならんけど
下校中の低学年が狙われやすいのか。。。
①とか③とか、そんなん引っかかる?って思うけど
現在50代〜60代になっているとして
まだ変質者やってるのかな?
捕まったり性欲が衰えたりでもうやってないといいのだけど。
我が子が小学生になった今、
この人たちがまだこの町にいるかもと思ったら
なんだか怖くなってしまって。
『死ぬまで現役です!』とか言われたら落ち込んじゃうな。
『30年も前の話でしょ?時代が違いますよ』って言われるかな。
私もそうであって欲しい。
まあ一番は、全員死んでてほしいわ。
***思い出し追記***
そんな奴もいたなと思い出してしまった
多分高1、高校まで徒歩通学してたんだけど
すれ違いざまに下ろしてる方の手と軽く当たってしまい。
とっさに『すいません!』て言って
ぶつかった箇所を見たら白いアワアワが。。。
ああ、、、臭いが唾液、、、おえっ
ちょうどいい女子とすれ違うのを狙っていたのか、、、
他にもどんどん埋もれた性被害出てきそうな気がしてる
当時の俺は高校生だった。普通の生徒はバスで通う距離だったが、実家が貧しかったので、バス代を節約するために、自転車通学を選んでいた。
加えて言えば、小5以来自転車を買ってもらってなかったので、中学時代も、なんか後部車輪の横にかご付けるタイプの、ハンドルからサドルまでまっすぐ伸びたフレームの途中に前後に動く6段変速のやつがついてるやつに乗ってて、新しい自転車が欲しかったのも理由。
普通のママチャリのちょっといいやつを買ってもらい、朝が弱いので毎日の通学でいつも遅刻ギリギリで、かなりの脚力が鍛えられた。
ママチャリ最速を誇っていた。
が、ある風の強い日。俺に並びかけてくるチャリがあった。明らかにチャリだ。バイクでもない、勿論車でもない。最速を誇る俺はペダルを踏みこむ速度を速めた。
今は時間に追われているわけではなかった、俺の本気はまだまだ出していない、俺が最速だ。
どう見ても女子高生、どうみてもママチャリ。その女子が立ち漕ぎで颯爽と俺との距離を離していった。
その時、風にあおられてマントのようにたなびくスカートの中で輝いていた、真っ白な、なぜかパンティー自体も風をはらんで、カボチャパンツみたいになってたあのふわふわもこもこのやつ。
自宅のシングルベッドならぬ、普通の敷布団で夢とかSさんとか抱いた後、Sさんが寝てしまった。
仕方がないので一緒に寝た。起きて、やばい、早く帰らなきゃと焦るSさん。
が、シャワーを浴びて、まず身に着けるべきパンティーが見当たらない。掛け布団をひっくり返したり、その辺のゴミとかなんだかんだまさぐっても一向に出てこない。
最終的に、やはり布団周辺を重点的に調べようということになり、まさかと思いながら敷布団を持ち上げた時に、ぺちゃんこになったパンティーが申し訳なさそうに顔を出した。
二人で「コーヒー飲む時間なくなっちゃったね」と笑い合った。パンティーの皺を伸ばしながら。
その日はえらくミニだった。S2ちゃんが着ていたのは、ワンピースというかニットで上からスポっとかぶって長袖で、裾丈が短めのスカートみたいになってるやつ。
スカートみたいにはなってるが、スカートとしての機能には少し足りてないやつ(伝われ
ちょうど寒くなってきた時期で、寒いけど生足だね、大丈夫? って聞いた流れで、下は何履いてるの? って聞いた。
レギンスとか、ショートパンツも好きだ。そういうのを期待してた。
「えーっとね、ズボン履いてる(短いキュロットみたいなやつ)」とスカートがめくられると、そこには生パン(ティー)があった。
「それパンツじゃない?」「あ、履き忘れた! てへ」
数か月前だろうか。急におんなのこのひになってパンツが汚れてしまった。休憩でホテルに入っていたが、Rちゃんは洗って乾かすといって洗面台に消えた。
出てきた後もずっとブオーってドライヤーの音が聞こえており、どうしてんの? って聞いたら、こうすれば多分帰る前には乾くと。
後で、洗面台利用する時に見た、パンティーを被るドライヤー。それに踊らされるパンティー。
より正確にいうと、Tバック込みでの尻かもしれない。
そのこのケツはスレンダー貧乳なのに、妙にエロく、ここ数年のエロ尻ランキング1位だった。が、俺はオッパイ聖人。
尻は社交辞令程度にしか撫でない、舐めない、諦める。すぐに裏がえしておっぱいに意識が向かってしまう。
だが、紫だしエロい下着だから見て、と言われたので、さすがに短時間でスルーしてしまうのは気が引けた。
加えて言えば、セットだったブラジャーが、刺繍とかレースとかあるタイプじゃなくってツルっとしているタイプだったので、それはそれでまあ悪くはないのだが。(ぶっちゃけそんなに良いとは思わない)
元々知っていたエロい尻に、一本の紐が付与されることによって、より深みのあるエロい尻になるということを知った。
その勢いでバックに挑戦してみたが、中折れした。あ、パンティーの話でしたね……。
俺は、スカートめくりは基本的にやらず、付き合いでやっていたぐらいだった。何故か仲がよかったというかなんだかんだちょっかいかけてきた、クラスメイトのM子ちゃんが家に遊びに来た時に、家の裏庭で、「スカートめくっていいよ」って言ってきて、その時に見たパンティー。もうどんなパンツだったか覚えてない。白のグンゼ系だったのが朧気に記憶にあるぐらい。赤かオレンジの丸っぽい動物様プリントがあったという記憶が後年定着してきた。生まれて初めてパンティーをパンティーだと認識した日。ただし、そこからパンティーに興味を覚えるまでには数年かかった。
https://anond.hatelabo.jp/20170510162932
以前卵巣嚢腫を取った者だけど、その節は読んでくれた人ありがとう。あれからしばらくして尻にカメラ入れたから色々書く。これ読んで検査迷ってる人の心的ハードルが下がったら嬉しいな。
今回もあくまで個人の体験・感想なので、そんなパターンもあるんだへぇーくらいに受け取ってほしい。クリニックによって、結構違うみたいだし。話が話なので色々汚いかも、許して。
元々お腹がゆるい方で、事あるごとに腹を下してきた。
繊細なティーンだった中学生の頃は、数日あるテスト期間のどこかで1度はテストを途中で切り上げてトイレに行ったし、スポーツの試合前には正露丸が欠かせなかった。今でも生理前・生理中は大体下痢してる。あと、油物食べた時とか。
そんな私でも流石に2カ月も下痢が続くことはなかったから、受診を思い立った。
ちなみに、腹痛はそうでもなくて出せば落ち着くタイプだった。
2.初受診
悲しいことに自宅周辺にある内科はヤブ多目だったが、ギリギリ歩いて行ける距離に過去に消化器系の研究をしていた開業医を見つけて事なきを得た。検査用の設備もあった。
先生によるとあなたの場合は典型的な過敏性腸症候群だと思われますとのこと。ストレスが原因なことが多いそう。
「今のところ重篤な様子はないけど、同じような症状の別の病気が潜んでいることもあるから」と、腸に問題ないことを確認するために内視鏡検査をすることになった。
毎週この曜日しかやってないんだけど都合どうです?再来週?空いてますよ、今コロナでみんな病院控えてるでしょ?暇なんですよね(東京都内で緊急事態宣言中だった)。なんて具合にアッサリ日程が決まった。ちなみに、後日健康診断専門のクリニックにも興味本位で聞いたら、そこでは今は逆に予約取りづらいらしい。ここも検査出来る曜日や人数が決まってるそうだ。機関によりけりだから気になる人は問い合わせてね。
その日は血液検査用の採血をして、検査前日から当日の注意事項を聞いて、検査当日に使う下剤をもらって終わった。下痢止めや整腸剤なんかも処方されたけれど、あまり効かなかった。
過敏性腸症候群について、詳しくは専門家のHPを見てね。心当たりのある人は医者にかかってね。
https://www.jsge.or.jp/guideline/disease/ibs.html
3.検査前日
事前に調べたところ、各クリニックによって食べて良いもの悪いもの・食事制限の開始のタイミングが違い、ところによっては専用の食事セットが支給されることもあるらしい。
私が受診した医院では、肉・野菜・果物・きのこ類・海藻類なんかがNGだった。繊維質は敵。うちで普段使う食材の9割がダメだった。逆に食べていい物を指定してもらった方が楽だったかもしれない。白米と食パンをモソモソ食べて過ごした。量も控えめにしなければならないのが地味に悲しい。
4.検査当日の準備
私が処方された下剤は、検査の数時間前(私は大体5時間前だった)から原液を水で薄めて合計2リットルにしたものを2時間かけて飲むものだった。適切な濃度で作ると体内で吸収されることなくそのまま出てくる仕様らしい。
先生曰く「お酒をチビチビ飲むくらいのペースです。計測用のカップが付いてるけど1杯ずつ計るの面倒だから、空の2リットルのペットボトルに原液入れて、水で薄めたものをトイレに持ち込んで飲むと楽ですよ。」とのこと。先生自身胃腸が弱く、何度か内視鏡を経験している様子だった。こういう経験に則したアドバイスは最高にありがたい。
コロナ蔓延に伴って仕事にセーブがかかり、すっかり朝寝坊になっていた私は少し早起きをして下剤を準備した。
どんな味かな、飲んだら即出てくるのかな、お腹は痛くならないだろうか、病院に向かう途中で催したらどうしよう……等、期待と不安でドキドキしながら下剤を口にする。
ちょっとスポーツドリンクと似ている塩味がする。飲めないほどでもないかな?と思ったのは最初の500ccまでだった。
甘味と酸味と香りが無いおかげで、だんだん苦痛になってくる。マズい。
今まで多少マズくてもなんでも食べ切って飲み切ってこれまで生きてきたけれど、その自信が揺らぐ。一気に飲んでしまいたいけれど、少しずつ飲まなければならないのが辛い。
「お薬飲めてますか?……そうですか、少し遅れ気味なのでペース上げて下さい。ところで、増田さんの前の予約がなくなったので、よかったら予定の1時間前に受診しませんか?出来ればでいいので……お通じどんな感じですか?……はい、それならもっとペース上げてもらって大丈夫です。それでは急で申し訳ないのですが、○○時にお待ちしています」
そこからは残り数百ccをジョッキでビール飲むくらいのスピードで飲んだ。真似しないでね。
お通じは飲み始めて5〜10分頃に第一陣が、その後少しずつ間隔が狭まりながら二陣三陣と続いていった。回を増す毎に具が減って、さっき飲んだ下剤にちょっと色がついただけの液体が出てくるようになった。強烈な便意はあるものの、腹痛はなかった。
トータル何回トイレに入ったか覚えていないけれど、下剤飲み始めて大体3時間くらいで粗方出切ったと思う。
5.検査
出発する頃にはお腹の具合も落ち着いて、途中でトイレ休憩を入れることなく無事に病院に着いた。
到着後、まず不織布製の検査着に着替えた。布製もあったけど、万が一汚したら嫌だ。
上はブラトップに検査着を羽織る。普通のブラは取るように言われたけど、ブラトップはセーフだった。下着の詳細な説明を事前に聞いておけばよかったと思った。
下はノーパンにキュロット型の検査着を履く。キュロットの尻部分に開いたスリットに、ここからカメラを入れるんだなぁ……と想像せずにはいられない。履いてみると思ったより尻は出てこないしチラリもしなかった。
ベッドに案内されて、看護師さんに「下剤飲むの大変でしたよね、飲みきれない人も居るんですよ。どうしても味が受け付けないとか、体力的に厳しいとか、中高年の方に多いんです。頑張りましたね。」なんて労いの言葉をもらいつつ血圧を計ったり点滴を入れてもらったりしたんだけど、麻酔(注射だった)したあたりからあまり覚えていない。
肝心の大腸内視鏡検査中のことも、どんなものだったのかよく覚えていない。フェイスシールドにガウンを着た重装備の先生と看護師さんと一緒に、横向きに寝てる私の尻から入れたカメラの映像をへぇへぇ言いながら見ていたはず。意識はあるけど、少しボーッとする感じだったと思う。その時はしっかりしてるつもりだけど、後から振り返ると確かに色々鈍っていたと思う。痛い・不快といった感覚はなかった。これも麻酔の効きやすさ次第で個人差あると思う。
検査後に着替えて結果聞いて歩いて帰宅する間は、少しフラフラしてた。
余談だけど、実は以前に痔の治療で肛門科で軽い内視鏡は体験済みだし、私としてはいちばん他人に見られなくない便は全部出してきたし、産婦人科でも何度となく内診を経験しているので、医師相手に下半身を見せる恥ずかしさというものはもうどっか行った。無。無です。下の毛も特別処理することなくいつも通り。
6.結果
その日のうちに教えてもらえた。何も問題なかった。
今後の治療については参考にならないだろうから割愛するけど、しばらくは下痢と付き合っていかなきゃならないそうだ。ドンマイ、重病じゃなかっただけラッキーと思おう。
お会計は2万5000円に少し欠けるくらい。保険はきかない。もし検査中にポリープが見つかっていたら、その場で取ってもらう関係でもう少し値段が上がってたらしい。
麻酔もしたことだし、検査後は乗り物の運転は控えて、大人しく過ごした。食事は普段通りの物を普段通りの量食べて問題なかった。
7.印象的だったこと
生理前・生理中も腹を下す旨を医師に話したところ、「生理ってすごいストレスかかるから、下痢や便秘になる人多いんですよ」と言われた。今まで女性ホルモンがどうたらこうたらってやつだけが原因だと思ってたから、目から鱗だった。両方あり得るんだって。
そりゃそうだよね、突然自己肯定感ガッツリなくなって数日間落ち込んでたら生理が来て「原因お前か!!!!」ってブチ切れた回数山の如しだし、最中は不快だし不安も多いし、ストレスの影響ない方がおかしいくらいだ。
PMSや女性ホルモンに振り回されるのが辛い人は婦人科に相談しようね。
8.その後
麻酔もしたから検査後は気をつけて様子見してたけど、特に体調の変化もなく、下痢が続く以外はいつも通りの生活にすぐ戻れた。
ちなみに下痢は、長らく登園自粛していた子どもをまた保育園に預けるようになったら劇的に改善した。
育児によるストレスが、今度は保育士さんに降りかかるのかもしれないと思うと悩ましいけれど、本当に助かった。保育士さんには頭が上がらない。
以上です。
正直、下剤がいちばん大変だった。そこさえ越えたら後の工程はなんてことないと思う。飲み切る自信がない人は、事前に先生に相談してみた方がいいかも。