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はてなキーワード: トランクとは

2025-11-21

本当に中国観光客減ってんの?

ニュースでは

中国政府日本渡航禁止令で中国人観光客激減!」

とか言うてるけど、福岡じゃ全然そんな印象ないんだよね。

博多あたりは相も変わらずでかいトランクもって中国人うろついてる。

もうちょっと減ってくれても良いんじゃねーの?

て言うか帰宅時にデカトランクもって電車乗ってこられるのうざいから減って欲しいんだがな。

 

全然へらねぇぞ?

NHK大嘘こいてないか

日本への旅行キャンセルが続発!旅行代理店はこんなに困ってるぞ!とか言うてるけど普段からその程度のキャンセルはやってんじゃねぇの?

ていうか、今日クルーズ船で大量の観光客来とるやん。その観光客の数が禁止令出てから減ったみたいな数字上のエビデン無いよね?

もしかして高市叩きたいだけなのか?

2025-10-15

ベーカー街、221B(AI創作

みなさんはおそらく、探偵マークされたことはないだろう。稀代の悪党モリアティ教授ならいざ知らず、庶民の接点といえばせいぜい、パートナー浮気調査結婚相手の身代調査くらいのはず。私は某国で貴重な経験をした。探偵博物館存在するが、その体験アトラクション提供してくれるところはない。

断っておくが、私に疾しいところがあったわけではまったくない。実は、本社のやつらがとんでもないバカをやってくれたせいで、このような目にあったのだ。もちろん、やつらは「私の意を汲んだ償い」をするものと信じている。

さて、以下の話は、世紀の名探偵シャーロックホームズに敬意を表して、「イギリス首都ロンドン」で起きたと仮定する。

私は当時、ロンドン郊外に住んでいた

物価がやたらと高く、専用シャワートイレつきの1Kを借りるとなると、当時のレートで月20万円からだった(社宅だと半額)。共用だと月15万円前後だったろうか。私がそこに決めたのは、他に選択肢がなかったこともあるが、木の茂った庭がついていたことだ。扉と塀で、外から中は見えない。前の居住者植物を植えていたらしく、雑草と共に花が咲く。ただし、蜂も山のように群がる。とうとう庭木が繁茂しすぎて屈まないと外に出られなくなったので、生まれて初めて剪定をした。これが意外と楽しく、やめられない。鋭い刃で、サクッと切れて、いい。音と手ごたえが快いし、景色も開けるのだ。

日が長い夏場は椅子にもたれ、酔眼で木を眺めて句を読む。俳句を少々嗜むのだ。ただ、携帯電波はそこ一帯のみはじめから「なぜか」つながりが悪かった。携帯会社文句を言っても、クーポンをくれただけで、一向に対応してくれない。

と言うことで、3年間何事もなく過ごしていた。

ある休日の朝、目が覚めると誰かが庭にいた

話し声がするのでしぶしぶ起きると、外に2人人がいるではないか

「お宅、人の庭に侵入して、朝から何してるんですか?」

植木屋です。家主さんからあんたの植木剪定を頼まれたんですよ」

と、のっぽとちびの二人組。残念だが庭師には見えない。どこか軍人らしい機敏さがある。家の前に、いかにも庭師ですといった風情の社名入りヴァンが止まっていた。ナンバープレートを覚えておく。

「その話は聞いてないんで今度にしてください」

とその日は追い返した。確かにこの前の日曜日、これまで一度も来たことのない家主がうちにやってきて、庭木の剪定必要だなとは言っていたが。

しばらくすると、家主が暖房動作確認をするといってきた。やって来たのは別の2人で、1人が暖房を開けてなにかしている間に(私は、あとで分解して、なにか仕込まれてないか確認した)、もう1人が家の正面写真を撮る。一介の技師にしてはあからさまに怪しいではないか。確かにGoogleマップでは道路屋根しか見えない。私道を入った所に家の入り口があるので、ストリートビュー無効なのだ。「風呂場も改装する必要がありますね」などといってきたが、そこに何か仕掛けられても困るので、嫌だといっておいた。このとき、彼らは「道具」の一つを「忘れて」帰った。

ずっとリモートワークをしていたのでよく見える

コロナワクチンの案内が何度もきた。24/7で在宅なので、私を外出させてその隙に…

私は週に1, 2回買い出しに行く。その際、合鍵か七つ道具を持った誰かが空き巣に入っても困る。知り合いの警察官に教わった方法を試すことにした。玄関のドアの上部の隙間に、小さな小石を挟んでおくのだ。来客があると、小石はそこから落ちるので、後で分かる。買い物ルートは、歩くのが面倒で最短で往復したいので、ワンパターンだ。看板を持って立つ人、立ち止まって携帯こちらを見ながら話す人、タバコを吸いますという顔でさりげなくから出て来た人、路駐の車内で外を見ている人。怪しいといえば怪しい。

この時は、帰り道に二度、私が近づくと急発進もしくはその後にUターンする車を見つけた。もちろんナンバープレートは暗記する。家に帰ると、携帯に「XXXはあなたフォローしました」とSNSの通知が入る。さすがにユーモアに手抜かりがない。これは、見せるための尾行、つまり標的に気づかせるための示威的な尾行だ。気にしなくていい。

あるとき、買い物途中の歩道で、隣人が時間潰しの顔つきで突っ立っているのを見つけた。彼が在宅だと、ドアをこじ開けるのに音が聞こえてまずいのかもしれない。

またある時は、この3年間一度もひと気のあったことのない医院の庭に、革ジャンを着て禿げた中年男が、通りに出る時必ず通る私道を見下ろしながら電話をしていた。

2回の裏、相手攻撃

リモートワークが退屈なので、車通り側、つまり自宅の裏まで出てみると、運転席側の窓を開けた黒のBMWの車内に人がいて、サイドミラーで私が近づくのを見て急発進した。彼らは金があり趣味がいいのだ。テンペスト傍受という語がある。電子機器から出る微細な電波専用機器で拾うことで、インターネット通信を盗聴できるらしいのだ。これも知人に聞いた話だが、レーザー光を窓に当てその振動で室内の音を拾うことができるので、この場合は窓の外にブラインドおろしておくのが有効だ。さて、こういう時は嫌がらせをするに限るので、早速警察に車のプレート番号を電話した。残念ながら、のちに警察署を訪ねた時知ったのだが、これらの記録、および緊急通報の記録は、署のコンピュータから「抹消」されていた。

自宅の裏、つまり表通りの路肩に駐車している車には、住人以外と思われるものもあった。たとえば、運送会社ヴァントランクを開けてずっと荷下ろしをしていたり、車の故障修理を装った人がいたり、このタイミングでやるのかと疑われる草刈りの人がいたり。また、以後は探偵の車はSUVに変わった。自宅と背を接している家(家主が同じ)はしばらく無人で、その後一度入居した家族も3日で「引越し」、おそらくそ無人の家に交代で誰か潜んでいるらしい。あるとき壁越しに、トイレだろうが水を流す音がした。また、右隣の家の人も空き家になった。

3回の裏、相手攻撃

気晴らしに飲みに行くことにした。歩いて10分。実は、iPhoneの最も左端のホーム画面の一角地図を表示しているのだが、そこに日替わりで行きつけの店が「表示」されていたので、急に「思い出した」のだ。ここは、ビールの他に料理も美味しい、グルメ砂漠のこの島では貴重な店だ。カウンターで飲んでいたのだが、背中からかに見つめられていることに気づいた。いかにもオックスブリッジ卒業生でございますという知的な顔の若い女が、真後ろのテーブルパソコンを広げていた。このような顔の人をここでみることはないし、そもそも女性客1人で、しかパソコンを開いている人なんて、設定からして嘘すぎる。帰りにはいなくなっていたか、私が泥酔していたかのどちらかだ(店内を一周して確かめたので、前者です)。

4回の裏、相手攻撃

ある夜、家の庭に、招かれない来客があった。というのも、私の庭の出入り口の木の扉は、重く、かつ傾いて接面が歪んでいたので、強く押さないと開かず、開けると地面を擦り、必ず音がする。

探偵であれば、例えば出口付近の木に対人センサーか録画機器を仕掛けたのかもしれない。

また、前面の塀(建て付けは古く甘いので隙間は簡単に作れる)に覗き穴と思われるものがあったので塞いだ。

これ以後、外出する時は、小石をドアの上、二箇所におくことにした。

5回の裏、相手攻撃

ついに、庭師がやって来た。この前とは別人で、家主が契約している古馴染みだというので、監視して仕事させることにした。見ていると、どんどん植物を引っこ抜いて、木の枝を切っていく。枝というより、幹だ。剪定というより、丸坊主だ。あまりにも極端なので、家主に電話したところ、いう通りにさせろと言われたので、仕方なくそうした。

結局、短くしますといって坊主になったも同然で、木は葉が一枚もなく、幹も短く刈り上げられたか切り株だ。家主に写真を送ると、これは聞いてないということだったが、今更遅い。これまで植木のため外が見えなかったが、これではすかすかだ。

庭師ボスというのが夕方やって来て、満足そうに眺める。庭師は、「楽しい夜を(いかにも侵入を招きそうな庭の状態を指して)」と言って帰って行った。みんなグルなのだろう。ちなみに、出入りの修繕屋もみなヘッドホンをつけていて、指令をリアルタイムで聞いていたのだろう。

前面の塀は隙間だらけなので、古いシーツを巻きつけて塞いだ。

その夜、庭でライトがチカチカ瞬いた。右側の塀に設置してある、対人センサーで反応して点くライトだ。右隣の家の庭に、裏の空き家に潜んでいた人物が入り込み、センサーを反応させているのだ。

警察泥棒電話をしたが、「この日に限って」電波が途切れてなかなかつながらない。

6回の表

裏の空き家に潜んでいる人物がいることは分かっていた。実は、私宛の郵便はいつも、なぜか裏の家のポストに届くので、家主に頼んで裏の空き家の鍵を借りている。そこで、「合鍵で裏の家に入ることにした」と呟いた。昼になると、荷物をまとめ、家を出た(会社支給パソコン冷凍庫に入れておいた)。出た途端、どこかに潜んでいた例の男(予想通り裏の家から炙り出されて来たわけだ)が現れ、走っていき、表通りに停めてあった車でどこかに消えた。無意味と思ったが、ナンバープレートは報告しておいた。

町で一番安い携帯SIMを買い(SNSで「挨拶」があった)、ロンドンに向かう。

着いた駅で、ビールを飲みに店に入る。しばらくすると、目の前のテーブルに、チューリップグラスに入ったビール(オーダーできる最小容量で、会社ケチなのだろう)を手に中年の男が座り、SNSを見始めた。探偵だ。早く出ろ、という訳で。

何日かロンドンで過ごした。お付きの者はレストランでは外で待ち、バーでは視界に入る位置腰掛けホテルでは外で待ち(一階で朝食をとりゆっくりしていたら、早く出ろと言わんばかりに、横断歩道の前から窓越しに写真を撮られた)、行く先々で車の見張りがいた。私が地図アプリで道順を調べるからだ。

問題航空券購入で、やはり当地カードでは決済が妨害され、日本カードで買った。空港駐車場でも、「送迎車」が何台も見送ってくれた。ナンバープレートは控えてある。

会社には、祖母危篤帰国と言っておいた。

まとめ

あなたは、このような暮らしをしてみたいですか?

探偵には、相手のやり方が気にいらないときは、相手の嫌がることをする。これに尽きる。ただし、正面切ってやると相手ヒートアップするので、そこはうまくやる。

このような貴重な経験費用こちら持ちでさせてくれた本社の御仁には、いつか是非お礼をしたいと思う。

2025-09-11

昔、中国で裏物を売り捌いていた。

拠点広州の白雲空港周辺、仕入れ深センの華強北、そして東莞工場地帯

扱っていたのはコピー電子部品ブランド品の模造品、正規書類では絶対に通らないものばかりだった。

夜の羅湖口岸を抜け、香港へ持ち込むルートスリルといつも隣り合わせだった。だがそれが好きだった。

ある夜、広州駅近くの安宿に泊まっていた時、部屋のドアがノックもなく開いた。

制服姿ではないが明らかに公安系の人間が二人。中国語で矢継ぎ早に問い詰められ、机にあった仕入れリスト無造作めくられた。パスポートを出せと命じられ、冷や汗をかきながら差し出すと、なぜか彼らは笑い、何も取らずに立ち去った。だが、翌日の香港フェリーターミナルでも同じ顔を見かけた。

また別の日、東莞工場から商品ピックアップした帰り道、黒いワンボックスこちらのタクシーに張り付いていた。運転手も青ざめていた。

羅湖の橋を渡る直前で突然停車させられ、トランクを開けさせられた。中身は靴下雑貨カモフラージュしていたが、下段の段ボールに仕込んだ偽造チップを見つけられかけた。係官らしき男が段ボールに手を突っ込んだ瞬間、運転手が急発進し、検問所を半ば強引に抜けた。心臓が喉から飛び出すかと思った。

最も危なかったのは、上海浦東の展示会に出たときだ。ブースを回っている最中に突然、腕を強くつかまれ、裏口の通路に連れ込まれた。

スーツ姿の三人がいて、中国語と英語を交ぜながらどこの国に流すつもりかを問い詰めてきた。答えを濁すと、壁に押し付けられ、息が詰まるほどの圧力をかけられた。財布と携帯を調べられ、USBを一つ抜き取られたが、それ以上は何もせず解放された。

展示会場に戻ると、周囲の視線がやけに冷たく、自分が完全にいわゆる「マーク済み」であることを悟った。

あの頃は本当に生きた心地がしなかった。華強北の雑踏、羅湖の橋、浦東の展示場、どこにいても見張られている感覚がまとわりつき、背筋は常に冷たかった。

今となっては笑い話にできる部分もあるが、夜道で背後から足音が近づくと、あの黒いワンボックスを思い出し、無意識に振り返ってしま

2025-09-04

anond:20250903225732

やっぱり私物をどんどん処分して小さいトランクに詰め込める量にする事じゃないか

2025-09-02

欧州では仕事9-17時、春1w(イースター)、夏2w、冬2wの海外旅行をして、貯金も貯まる。

ある年の冬、オフシーズンギリシャに行った。空港から地下鉄ストライキをしていて、駅員に聞いて乗り換えた。アテネ建物は古く、中心部はあまりれいではない。

とはいえ地区によっては瀟洒アパートきれいなブティックもある。当時、ギリシャ経済は最悪だったが、丘の上から夜景を眺めると、確かに明かりはG7の国の首都に比べれば控えめだが、それほどでもない。

博物館収蔵品は見応えがある。

アテネでは観光客らしくパルテノン神殿ホテル屋上からも見える。夜はライトアップされる)やそこらに点在する遺跡プラ地区の店やカフェを冷やかして周ったあと、車で時計回り国土の南三分の二を一周することにした。

コリントス地峡を渡って(シーサイドの道中、橋の夜景が絵になる)水かきのついた手の形をしたペロポネソス半島に着くと、酒屋で赤ワインを買って宿でバッカス乾杯した。なお、近所にバーはない。ギリシャ北部で作られる、クシノマヴロという葡萄品種の酒は、中重口で優美でおいしく、瓶熟成も期待できそうな、輸出できる味だが、伊仏のそれと比べて安い。

朝は煮出した濃厚なギリシャコーヒーで目を覚まし、近くの透き通った海で英気を養う。

この半島は、内陸部はオリーブしか生えないような岩と乾燥土の荒れ地で、岩山のてっぺんに砦があったりする。寝坊したので、古代遺跡に着いたらすでに入り口は閉まっていたが、柵を乗り越え中に入って古代競技場の観客席に腰掛けたりはしない。

半島の先端に行ってみたが、住人のいない迷路のような道の村に羊が歩いていた。

スパルタの町は、道路信号がなく、交差点では左右の車を阿吽の呼吸ですり抜けた。外国人でも通じるらしい。博物館彫像は、ことごとく首なしか鼻欠けだった。征服に来た古代マケドニア人仕業らしい。

いくつか小さな町に立ち寄ったが、海に近いのでシーフードがおいしい。

オリンピア遺跡を見た。

国道は片側一車線だが、路肩を使って二車線になっている。

夜、給油すると、係が、20%の消費税をぼやいていた。「政府が俺らを殺しているんですよ、メリークリスマス

風が強かったが、フェリーに車を乗せてザキントス島に着いた。イオニア海きれいな緑色をしている。ここは、夏場は欧州一円から来たパリピ若者が夜通し遊ぶところだが、冬はクラブも閉まって静かだ。何もないので、カフェバービールゆっくり飲む。

翌日、浜辺に難破船のあるシップレックビーチまで、道を間違えつつ辿り着き、崖の上から眺めた。鮭の切り身のような形の岩壁が突き出し、ここだけ色がひと際鮮やかなエメラルドブルーの海を区切っていて、有名な写真スポットだ。晴天だが風が強く、帰りのフェリー欠航まちがいない。島を一周して宿に戻る道すがら、レストランで久しぶりに鯛を食べた。

半島に戻ると、橋を渡って、本土西側イオニア地方の丘の上の遺跡を歩いた。この辺りの国道はなにもない丘と低木の生えた乾燥地を抜けていて、車は時速100km以上ですっ飛ばして行く。

実はギリシャ本土は北に行くほど山がちで、スキーリゾートがある。これを知らず、車はノーマルタイヤだった。なにしろ比喩的心筋梗塞に襲われ、旅行の前日に思い立って航空券を買ったのだ。

メテオラという、ビルほどの巨大な奇岩が連なっている天辺修道院が乗っている所に来た。修道院には、ロープウェイ物資を運んでいるらしい。

その後、オリンポス山を見に行ったのだが、雪に煙って見えなかった。バーに入って酒をたのんで話をしたあと、覚えていない。

ギリシャトイレ水道管は断面が狭いらしいので、トイレットペーパーは流さないでかごに捨てることになっているところが多い。

朝食では、濃厚なギリシャヨーグルトに特産蜂蜜をかけて食べた。いろいろギリシャ料理があったが、名前は忘れた。

一方通行路地の片側にはびっしり駐車してあり、しかも一台分の割り当てが短い。慣れずに苦戦していると、「きみ、出るのか入るのか、どっち?」

この日、神殿を見にデルフォイまで行くつもりだったが、途中、雪が散らつき車を飛ばせず、峠に向かうと夜になり、固く引き締まった雪道に空は吹雪いていた。実は、車屋の親父が調子のいいやつで、タイヤチェーンをトランクに入れてくれたのだが、サイズが合わない。峠で唯一のホテルの前で、明かりを頼りに苦戦していると、主が出てきて、中でコーヒーを飲ませてくれた。結局、諦めてアテネに戻ることにした。途中の高速道路新雪と融雪が斑なシャーベットになっていて、一台だけ時速60kmで進んだ。アテネに近づくと、辺りは雪の気配さえない。真夜中、アパートホテル場所を探すのに、手間がかかった。

結論として、今度ギリシャに行く機会があるとすれば、北部都市テッサロニキを見てみたいが、気温40度になる夏、あるいはたくさんあるうちの島のいくつかのビーチで寝そべって過ごしたいかといえば、よく分からない。もしかすると、クレタ島もいいかもしれない。

2025-08-31

anond:20250831190954

ぶっちゃけそれが一番現実的だな

椅子がないなら観光客トランクも載せやすいし

ついでにいえば、ベビーカー車椅子も載せやすいだろうから、案外悪くないか

2025-08-13

いつかはクラウン

ってなわけでクラウンセダン試乗した

FCEVめっちゃ静かでいいなってなったけど、最寄りの水素ステーションまで30分かかるのがネック

かといってHEVはFCEVと比べるとうるさいし振動気になるしでなんだかなぁ・・・という感じ

後席やトランクの広さを考えると子持ちは素直に残クレアルファードでイキっとくのが幸せなのかなぁ

2025-08-09

車輪のついてるカバンは全部、機内持ち込み禁止にしたらいいのに

最近ANAを利用すると搭乗日前日に「手荷物お預けご協力のお願い」なるメールが来る

要するに予約の多い便では、手荷物はなるべく機内持ち込みではなく預け荷物にしてくれという趣旨メール

で、今日搭乗手続きをしていると、夏休みに入ったせいか家族連れが多く見られた

そしてその多くが、機内にギリギリ持ち込める大きさのトランクを持ち込み荷物にしていた

でもさあ、トランクって本当に持ち込みギリギリの大きさなんだよな

カチカチの素材だからガッツリ場所取るし

それで機内持ち込みの客ばっかりになると、最後の方に乗り込む客の荷物収納するスペースが無くなって、とんでもなく遠い引き出しに入れられたりしてしまうわけだ

からさあ、車輪がついてるようなカバンは全部機内持ち込み禁止にしたらいいのにと思うわけね

下手に機内持ち込み可能荷物の大きさを決めて、それ以外の規制はしてないからハックされちゃうわけじゃん

一括でトランク禁止!ってした方が運用的に楽だと思うんだけどなぁ

もちろん預け荷物にすると出てくるまで待つのが大変なのは分かる

でもそんなのは許容してもらうしかないよね

2025-08-03

断捨離中。おっさんになるとなんつーか手持ちの荷物を把握しきれないんですよね。昔トランク1つだけで〜みたいな曲あったよね。古米クラブトランク持ってないんやけど。捨てたり手放すのは冷蔵庫とか洗濯機とか家電系は無理だけどテレビはいいか。馬もネットか現地で見ればええやろ。

2025-06-30

外国人窃盗の増加

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE035IQ0T00C25A4000000/

警察庁が3日に公表したまとめによると、2024年に全国の警察摘発した来日外国人永住者らを除く)による犯罪は前年比20.5%増の2万1794件で、摘発人数は前年比5.5%増の1万2170人だった。いずれも2年連続の増加だった。

https://www.asahi.com/articles/AST234GLST23UTIL015M.html

外国人グループによる万引き被害は高額になる傾向がある。21~23年の摘発件数を容疑者国籍別に見ると、日本人が計1万9423件、外国人が計3938件。1件あたりの被害額は、日本人が1万774円だったのに対し、外国人は7万8936円だった。旅行などで来日した外国人は8万8531円とさらに多かった。

これまでに外国人グループ摘発した事件では、盗み役や店員の気を引く役などに役割分担していたり、母国に大量に盗品を送ったりしているケースがあるといい、警察庁組織的万引きをしている可能性があるとみている。

https://www.ben54.jp/news/1968

同じ万引きながら両者に金額ベースで8倍もの差がでてしまう背景にはなにがあるのか。

理由シンプルです。日本人貧困から日用品等を常習的に万引きしているのが主流なのに対し、外国人は多くが換金目的、つまり、‟仕事”として万引きをしているからです。ハッキリいえば、彼らは窃盗団とみるべきです」

こう解説するのは、現役の万引きGメンとして現場に立ち続けながら、各地で啓もう活動などを行う伊東ゆう氏だ。それにしても、外国人による万引き被害はいまに始まったことではない。にもかかわらず、なぜ、みすみす窃盗を許し続けているのか…。

「もちろん店舗側も万引きに警戒はしています。ただ、挙動などから明らかに怪しい人(万引きするであろう人)でも声をかけるのを躊躇したり、もし間違っていたらというリスクを考えたりして、見逃してしまうわけです。対象外国人になると言葉の壁もあります万引き被害よりも、万引き犯とのトラブルによる“二次被害”を恐れている節があることは否定できませんね」(伊東氏)

良くも悪くも事なかれ主義ともいわれる日本悪人がそうした“善意”を都合よく解釈すれば、いくらでも万引きができてしまうわけだ。

大量窃盗も当たり前の大胆手口

被害額が高額になる理由として見逃せないのは大胆な手口だ。

「彼らは下見をして、店内の死角をみつけ、そこに大量に盗品を詰め込んだバッグを置き、受け取り役が運び出し、さらに店の外で運び役が待機してアジトへ持ち運びます。大きなトランクボストンバッグなどを持ち込み、まるでそれが当たり前のように堂々と商品を詰めていく者まで散見されます。店側はそこまでされても声掛けしないことがありますし、仮に声掛けしても彼らは暴れるし、逃走するのが常套手段必死にあがき、騒いでなんとかその場を逃れようとします」(伊東氏)

2025-06-19

anond:20250619214721

なんかヤ◯ザがトランクに人詰めてる時みたいな状況だね

2025-06-16

anond:20250616143913

クロストレックトランクじゃベビーカー1つで埋まるだろ

それでも3人なら助手席なり後席なりに荷物置けるだろうからなんとかはなるだろうけど、もし二人目とか考えてたら破綻するし、

絶対的な積載量が違いすぎてアルファードレヴォーグで悩んでるやつにすすめる車じゃない

anond:20250616133029

普通の5ドアハッチバックだったけど、スライドドアじゃなくてもトランク突っ込めば良いだけだぞ

スライドドアは、頑張ってるとはいえ衝突安全性が下がるし

2025-06-14

CX-30借りた

愛車のCX-5の修理で代車がCX-30だった。

CX-5買うとき候補だったから乗り回した。

いいところ

小さくて運転やす

HDMIがついてる

荷室ドアにロック付のクローズボタンがある

コンソールボックススライド出来て便利

残念なところ

ハンドルの手触りが悪い。ステッチが指に食い込んで痛い。

リヤゲートにハンズフリー機能がない

後部座席USBがない

家族4人の旅行だとトランクが狭そう。

運転席のエアコン吹き出し口の融通性が少ない。

峠と街乗りで50キロぐらい乗って燃費10.9。ハイブリッドにしては残念。

修理が終わったCX5に乗るとやっぱりCX5がいいと思った。

2025-05-28

派遣おっさんが娘にノンアルコールハイを飲ませててドン引きした…

この前俺とお姉さん先輩(49)と派遣おっさん派遣おっさんの娘の2.5人で

橋本市チューリップを見に行ったんだが、


和歌山のあたりで派遣おっさんの娘が喉乾いたって言い出した


すると派遣おっさんトランクからノンアルコールハイオールフリーのビタオレ)を取り出して娘に飲ませようとしててドン引きした…

結局知恵と勇気を振り絞って道の駅に寄ってジュースを買ったが…

なんで派遣って常識がないんだろうか?

2025-05-05

anond:20250504190805

地元ひとつふたつ上の先輩が、免許取り立ての18くらいの頃に、ふざけて軽自動車に5人過積載したまま走って、塀にぶつかって、トランクに乗ってた1人が死んだ。

生き残った4人は、遺族にブン殴られたらしい。その後は、側から見てるぶんには普通に生活してるように見える。俺の上のきょうだいと仲良かったそいつらの仲間の1人は偶然その日つるんでなくて、「行ってなくてよかったわ」って言ってたらしい。

 

あとは地元ひとつ後輩が、同じく免許とりたて20前後くらいの頃に、歩行中の老人をはねて殺した。そいつとは碌な繋がりがないのでその後どうしてるかもしらない。ただSNSはまるで更新されなくなったな。

 

こういう人らって、永久にメンダツになったりするのかな。

anond:20250504190805

地元ひとつふたつ上の先輩が、免許取り立ての18くらいの頃に、ふざけて軽自動車に5人過積載したまま走って、塀にぶつかって、トランクに乗ってた1人が死んだ。

生き残った4人は、遺族にブン殴られたらしい。その後は、側から見てるぶんには普通に生活してるように見える。俺の上のきょうだいと仲良かったそいつらの仲間の1人は偶然その日つるんでなくて、「行ってなくてよかったわ」って言ってたらしい。

 

あとは地元ひとつ後輩が、同じく免許とりたて20前後くらいの頃に、歩行中の老人をはねて殺した。そいつとは碌な繋がりがないのでその後どうしてるかもしらない。ただSNSはまるで更新されなくなったな。

 

こういう人らって、永久にメンダツになったりするのかな。

2025-05-01

自分で買ったパンツの話

初めてのバイト代で買ったのがパンツだった。

あれは高校生の頃だったかな、周りの奴らがみんなやたらとかっこいいトランク穿いててたさ、俺も母親の選んだのじゃ恥ずかしいかなって。でも自分サイズなんか把握してなかったからさ

「この書いてある謎のアルファベットなに?」って思いながらこれぐらいかなって素材がやたらつるつるしたのを買った。で、引き出しにしまっといてお風呂上がりにこっそり履いてみたらめっちゃピッタリでさ、いや、ピッタリなのは良いけど

本当に隙間が全くないぐらい身体にピッタリ。

から鏡で見てみたらさ、股間の形がはっきり

しすぎててさ、なんか恥ずかしくなって

それからはけてない。1年ぐらい経って履いてみようかと思ったんだけど、サイズが変わってしまってさ、履けなかったんだよ。うん

どうしてか唐突にこんな話を思い出してしまうんだよな

2025-02-27

『203号の隣人は鍵束一つ残して消えた』は性犯罪漫画ではあるが性犯罪肯定漫画ではないよ

最終的に主人公死ぬ

タイトル通りに鍵束しか見つからないまま消息不明になって、トランクケースに詰め込まれ主人公が運ばれ死体の処理をにおわせて話が終わる

エッチな目にあった主人公がなんだかんだでイケメンを許してラブラブ♡という女性向けエロ漫画が多い中で、性犯罪醜悪さを書き切り救いのない終わり方をしたのが問題作として一躍有名になった

ジャンルとしてはコンクリ詰め事件を取り上げた『17歳。』に近いものがある

いや普通にエロいテンプレ漫画求めてたんですけど・・・という批判もある

2025-02-18

anond:20250218101706

これが女に見えるのか…?

どう見ても男だろ、女に思える要素皆無だぞ

22

@jnsts22

そもそも警察が信用できないから、女にAEDを使うことがリスクになってるんだよね。

https://x.com/jnsts22/status/1891118176269742225


22

@jnsts22

ぶつかりおばさんは避けようともしないからな。寿命だろ。

引用

Yahoo!ニュース

@YahooNewsTopics

ひき逃げ事件 女性がはねられ死亡】

https://news.yahoo.co.jp/pickup/6529329

https://x.com/jnsts22/status/1890649702883864792

22

@jnsts22

社会が女を甘やかしてきた結果だな。ただでさえ使えないのにサボり癖までついた。

引用

ライブドアニュース

@livedoornews

【発覚】嘘の診断書自作し欠勤繰り返したか20代女性職員停職6カ月の処分 名古屋市

https://x.com/jnsts22/status/1890648305438257268

22

@jnsts22

なんで赤の他人の女が犯した殺人責任男性が取らなくちゃいけないんだよ。アホか。

引用

Abakane

@Yayayyyyayay

私はどっちかというとDNA鑑定で父だと判明した男に女と全く同じの刑罰が科されるべきだと思う。男が妊娠出産責任から逃れる事ができるから、こういう事件が起こる

https://x.com/jnsts22/status/1890329131671278000


22

@jnsts22

相変わらず女は社会お荷物体現してるな。

引用

ライブドアニュース

@livedoornews

【ケガなし】バス貨物トランクに客を閉じ込めたまま走行 長崎

https://x.com/jnsts22/status/1889984412303208459

2025-01-28

日帰り北海道旅行

各地に散らばった友達とどうせ集まるなら、と北海道集合の遊びを企画してるんだけど、0泊なので新千歳周辺をだべるだけのどちらかといえば新千歳空港旅行みたいになってる

身軽な方がいいけどお土産買う量によったらトランク持ってった方がいいか

どうしようかな

2025-01-20

金木犀香り

金木犀香り

幼かった僕が弟と宇都宮引越し来た頃。僕の親父の家が建つ前。僕の親父の家が建つ土地のには、キンモクセイが一杯咲いていて。良い匂いを発した。

親父は「だからな種買ってやるから我慢しろって」

「ううう・・」じいちゃんが言った。何でもお袋が嫌がってじいちゃんの家と離れて家を建てた。通路を作って、行き来できるようにしそこに権利書を置いといたらじいちゃんが持ってっちゃった。親父はカンカンになり

「返せ権利書」って言ったら

「返すもんか」

「何だよやっぱりじいちゃんがもってっちゃったのかよ」って親父は言っていた。親父の家を建てるのに、キンモクセイの木が邪魔になった。じいちゃんの家は土地が広いと言っても庭になっていたからそこに親父の家を建てた。元はと言えば、じいちゃんが「寂しい」ってんで、日光から宇都宮引越しになった。僕と弟は嫌がったがしょうがなかった。小学校中学校でも虐めみたいのに遭った。「ギザギザは猿だ猿があだ名だ」「俺は猿か?」虐めなんか田舎では、無いから虐められている感覚は無くも

ギザギザはつかいっぱだぞ」僕は困っていた。泣いていた。ライオンの子が虐められるがごとく締め付けられた。

調子に乗るなよ」何が、調子に乗るなだよ。天下のギザギザ様だぞ今では言ってやりたい、ぶん殴ってやりたい。やり返したい。ぶっ潰してやる。中学校牛乳のパックをぶん投げて遊んでいたら先生がこれもまた先生ではないがせんこうだが

「誰だ?やったの?」僕は黙っていた。帰り道ガツンと後頭部を殴られ

「いってー」

「てめーがやったんだろ」威張っているやな奴ら。下駄箱置きに連れられて汚い数人掛かり右目をガツンと殴られた。痛かった。眼科にも行ったがあんなのは暴力事件学校側はもみ消した。教育委員会ももみ消しに出てきた。先生も一緒になって虐めたと僕が言ったから、実際そうだった。僕をぶん殴った生徒は名誉だとお褒めの言葉でも貰ったのであろう、満足気な顔をしていた。後でそのせんこうはつるんでいた。やな奴と手ごわそうな奴らなんで、僕なんかを誰が何やったのかを黙ってったって言って50発も、僕を殴った。殴ったって言うか叩いた。

嘘吐きは大嫌いだ」一緒に虐めてやれみたいなせんこうだった。

後に、「やってません」と嘘がバレて、どっちが嘘吐きだよ思った僕は、せんこうはお陰で親父は小学校先生をやっていたが、定年間際に校長になれなかった。全てはそのせい。僕が悪いんだ。僕が全て黙ってれば事は無いのであったが、僕は統合失調病みかけていた。そのせんこうは僕を商業高校に入れたがっていた。親には大学進学をしなさいと言われ僕も一時期悩んだが、親の言う事を聞いた。これが正解だったのかは?未だ分からない。

キンモクセイ香りは随分昔の事だ。でも今でも思い出す。僕は後にその家から出て単身大宮に向かった。予備校だった。統合失調を患い掛けていたが、まだ健常者の身分だった僕は、予備校時代大分無茶した。って言うか、無茶苦茶だった。ゲームセンターに行ったり。犯罪に近い事もした。パチンコで大損し僕はギャンブルに狂っていた。賭場のやな空気を吸った。それは大学まで続き被害妄想やら幻聴やらで、学校に行けなくなった。本当に仲の良い友達同士で、麻雀やらパチンコも行ったが統合失調ピークに達し、引っ越しマンション隣の女の子の声が聞こえ始めた

「助けて下さい自殺しそうです」

「どうすれば?」

「窓をかち割って入ってきて下さい」幻聴だとは正に気が付かないから拳骨で窓をかち割った。中に入ると、誰もいない。ギターが有るだけ。何だこれは?僕は訳が分からなくなった。昼間の出来事

小さい子供

「あれ割っているよ」と言った。お母さんらしき人が

「見ないの」って言っていた。

幻聴は今度は

警察に行きなさい」と「行きなさいよ」2人になっていた。僕は、坂の下に交番が有るのを思い出し、行ったが誰も居なかったので電話を掛けた。

もしもし、人の家に入っちゃったんだけど」

「分かったそこで待ってなさい」警察パトカーで来た。

僕は、親父お袋が心配するだろうと思いつつも、幻聴だとは知らなかった。これでいんだ。警官に両脇を抑えられ

トランクトランク」って幻聴の奴が言うから

トランクに誰か乗っているのか?」と真面目に質問した。警官不思議そうに

「ないない」とだけ言った。取調室みたいな所で幻聴は盛んに話し掛けてきた

。「ミラーの後ろ」

ライターの下」

ライターの下」次第に増えていく幻聴の数に、怯えはしなかったが、戸惑った。色んなアクションをした。鏡に向って手を振ったり、後ろから見える鏡だ、と思っていたらしい親は呼ばれて8時間後来たが

「どうしたんだ?」と言った。

「助けてくれって言うから・・」

「何訳の分からない事言っているの?」上野の駅で電車が無くなり泊まった。ホテル親父はカップ麺を買って来てくれた。寒い夜だった。次第に病状が出た。複数の声

「帰ってきて」

「帰ってきなさいよ」町田から宇都宮往復した。

最後は親父が

「俺はギザギザに殺されても良い」とお袋に言って僕を捕まえに来た。マンションの一室で僕は幻聴に拝んでいた。

御免なさい」言った。

「帰ろう」親父は言った。

幻聴ピークのピークになり僕は押入れの中に入ってみたり、念仏を唱えだしたぞと後から聞かされた。決してここで言いたいのは、僕は薬物汚染でこうなってしまったので無く、全く天然性の病気持ちだった。チック症みたいのは元々有って髪の毛を散々に弄くったり耳を触ったり、高等学校時代も1年生の時オール10が、2年、3年で、オール学校に行けなくなってしまった。小さい頃からの病状で臭いに執着した。みたいのは自覚していた。統合失調の他に症状で、鬱の何時間でも眠るとか言う奴で、夜中の4時頃起きて2時間単語帳を読みまた寝るを繰り返していた。親には

「虐めが有って行けない」と言った。実際、高等学校での、虐めは無くたまに学校行って「こいつが馬鹿馬鹿言うんだ」とか訳の分からない事を泣きながら言うから学校先生も手に付かず。先生専門家でないので、それでも家に

「お宅のお子さんおかしいですよ」と何遍も電話してくれた。結局散々苦労して入った大学中退登録抹消の憂き目に遭ってしまうのであった。入院。僕は精神科先生をぶん殴り看護士に両脇から羽交い絞めにされ牢屋保護室)に入れられた。薬を打たれた。寒い便器けが有って、一般病棟に移る頃僕は薬でフラフラになった。涎を垂らしつつも、何だこれはと思った。

「汚いなあっち行けよ」言われた同じ入院患者に。20年30年がゴロゴロ居る社会入院じゃないか?僕はもがいた。夜叫び声を上げた。

或る人が「友達になりましょうね」と言ってくれた。1年3ヵ月後退院し、したが金が無い学生年金無給者の辛さを知った。大学を辞めるのにもお金が無い僕は何も言わなかった。何も買えなかった。500円だけ1日ポーンと渡されてゴールデンバット当時110円を吸っていた。神奈川県川崎市引っ越した僕はアルバイトをしようとしていた。警備の仕事。ジリジリした太陽が照り付ける中頑張ったが仕事をくれないので辞めた。暫く後そこの会社倒産した。後ガソリンスタンドアルバイト「何で?4時間しか働かないんだ?」4ヵ月後解雇。その後行った別のガソリンスタンドがまたガラ悪く僕は仕事メガネが曲がっちゃったかな?って、思っていたら休憩室に連れてかれ店長だか何だか知らんが禿げたおっさん

「てめー」って胸倉掴むから

「こんにゃろ」左フックを浴びせた。僕は成人のライオンに成長していた。やられる一方の自分でないが、無茶苦茶になった。警察に行くと、警官

民事裁判でどうのこうの言っているぞ」と言った。

「関わんない方が良いかも」言われたか

「ああそうですか」と引き返してきた。パチンコ屋で仕事もしたが

「何だお前?なっちゃない」とおっさんと当時35位の男にいびられた。只働き、給料取りに行けば良かった。僕は親を恨んだりしてない。親も可哀想だった。神奈川県マンションを買って5000万。借金地獄で僕の小遣い所では無い。じいちゃんも、今では死んでしまったが当時株で大損し「寂しい」言い出して日光に有る大部分の土地をうっぱらってしまった。それこそ名の有る家庭だったが今ではバラバラに成りつつも弟は結婚し家を出僕はと言うと、或る病院デイケアを紹介され、精神保健法32条なんてのも障害年金の事などそこで知らされた。マンションに親と暮らしていたが、親といざこざが有って、川崎市の援護寮「もみの木」(仮称)に行く事になった。そこから病院に通いデイケアにそしてそこを無事に卒業し、生活保護を貰って、一人アパート暮らしている。僕の今の状態になった。僕は静かに地域人達と一緒に生活している。誰も何も恨んでない。ぶっ潰すと言ったが無しにしてやるよ。全部。キンモクセイ香りは良い匂いだと思う。宇都宮の家は何でもじいちゃん土地の売買で又何かやらかして亡くなったせいか上の家は親父のなんだが下の土地がどうこうって、ややこしい話だ。一番悲しかったのは親父。にっくき、じいちゃんとは言え親父の親父だから、死に目にも会えなかったって笑って見せる。キンモクセイ匂いが漂う頃。大分切ってしまった僕んちのキンモクセイが懐かしい。僕は僕の弟も親父お袋が大好きだ。このペンネームも僕と弟が小さい頃お祭りの時、腰が痛いと言いつつも連れてってくれたお祭りで、「ギザギザ仮面」良く売っている奴を2人とも買ってくれとは言えなかった。貧乏だった家は、そこから来ている。単に「ギザギザ仮面」を名乗っている訳でない。キンモクセイは懐かしい香り品が高い香り親父とお袋の悲しさの香り

END

2006年7月17日(月)

2025年1月21日(火)訂正

ギザギザ仮面

金木犀香り

金木犀香り

幼かった僕が弟と宇都宮引越し来た頃。僕の親父の家が建つ前。僕の親父の家が建つ土地のには、キンモクセイが一杯咲いていて。良い匂いを発した。

親父は「だからな種買ってやるから我慢しろって」

「ううう・・」じいちゃんが言った。何でもお袋が嫌がってじいちゃんの家と離れて家を建てた。通路を作って、行き来できるようにしそこに権利書を置いといたらじいちゃんが持ってっちゃった。親父はカンカンになり

「返せ権利書」って言ったら

「返すもんか」

「何だよやっぱりじいちゃんがもってっちゃったのかよ」って親父は言っていた。親父の家を建てるのに、キンモクセイの木が邪魔になった。じいちゃんの家は土地が広いと言っても庭になっていたからそこに親父の家を建てた。元はと言えば、じいちゃんが「寂しい」ってんで、日光から宇都宮引越しになった。僕と弟は嫌がったがしょうがなかった。小学校中学校でも虐めみたいのに遭った。「ギザギザは猿だ猿があだ名だ」「俺は猿か?」虐めなんか田舎では、無いから虐められている感覚は無くも

ギザギザはつかいっぱだぞ」僕は困っていた。泣いていた。ライオンの子が虐められるがごとく締め付けられた。

調子に乗るなよ」何が、調子に乗るなだよ。天下のギザギザ様だぞ今では言ってやりたい、ぶん殴ってやりたい。やり返したい。ぶっ潰してやる。中学校牛乳のパックをぶん投げて遊んでいたら先生がこれもまた先生ではないがせんこうだが

「誰だ?やったの?」僕は黙っていた。帰り道ガツンと後頭部を殴られ

「いってー」

「てめーがやったんだろ」威張っているやな奴ら。下駄箱置きに連れられて汚い数人掛かり右目をガツンと殴られた。痛かった。眼科にも行ったがあんなのは暴力事件学校側はもみ消した。教育委員会ももみ消しに出てきた。先生も一緒になって虐めたと僕が言ったから、実際そうだった。僕をぶん殴った生徒は名誉だとお褒めの言葉でも貰ったのであろう、満足気な顔をしていた。後でそのせんこうはつるんでいた。やな奴と手ごわそうな奴らなんで、僕なんかを誰が何やったのかを黙ってったって言って50発も、僕を殴った。殴ったって言うか叩いた。

嘘吐きは大嫌いだ」一緒に虐めてやれみたいなせんこうだった。

後に、「やってません」と嘘がバレて、どっちが嘘吐きだよ思った僕は、せんこうはお陰で親父は小学校先生をやっていたが、定年間際に校長になれなかった。全てはそのせい。僕が悪いんだ。僕が全て黙ってれば事は無いのであったが、僕は統合失調病みかけていた。そのせんこうは僕を商業高校に入れたがっていた。親には大学進学をしなさいと言われ僕も一時期悩んだが、親の言う事を聞いた。これが正解だったのかは?未だ分からない。

キンモクセイ香りは随分昔の事だ。でも今でも思い出す。僕は後にその家から出て単身大宮に向かった。予備校だった。統合失調を患い掛けていたが、まだ健常者の身分だった僕は、予備校時代大分無茶した。って言うか、無茶苦茶だった。ゲームセンターに行ったり。犯罪に近い事もした。パチンコで大損し僕はギャンブルに狂っていた。賭場のやな空気を吸った。それは大学まで続き被害妄想やら幻聴やらで、学校に行けなくなった。本当に仲の良い友達同士で、麻雀やらパチンコも行ったが統合失調ピークに達し、引っ越しマンション隣の女の子の声が聞こえ始めた

「助けて下さい自殺しそうです」

「どうすれば?」

「窓をかち割って入ってきて下さい」幻聴だとは正に気が付かないから拳骨で窓をかち割った。中に入ると、誰もいない。ギターが有るだけ。何だこれは?僕は訳が分からなくなった。昼間の出来事

小さい子供

「あれ割っているよ」と言った。お母さんらしき人が

「見ないの」って言っていた。

幻聴は今度は

警察に行きなさい」と「行きなさいよ」2人になっていた。僕は、坂の下に交番が有るのを思い出し、行ったが誰も居なかったので電話を掛けた。

もしもし、人の家に入っちゃったんだけど」

「分かったそこで待ってなさい」警察パトカーで来た。

僕は、親父お袋が心配するだろうと思いつつも、幻聴だとは知らなかった。これでいんだ。警官に両脇を抑えられ

トランクトランク」って幻聴の奴が言うから

トランクに誰か乗っているのか?」と真面目に質問した。警官不思議そうに

「ないない」とだけ言った。取調室みたいな所で幻聴は盛んに話し掛けてきた

。「ミラーの後ろ」

ライターの下」

ライターの下」次第に増えていく幻聴の数に、怯えはしなかったが、戸惑った。色んなアクションをした。鏡に向って手を振ったり、後ろから見える鏡だ、と思っていたらしい親は呼ばれて8時間後来たが

「どうしたんだ?」と言った。

「助けてくれって言うから・・」

「何訳の分からない事言っているの?」上野の駅で電車が無くなり泊まった。ホテル親父はカップ麺を買って来てくれた。寒い夜だった。次第に病状が出た。複数の声

「帰ってきて」

「帰ってきなさいよ」町田から宇都宮往復した。

最後は親父が

「俺はギザギザに殺されても良い」とお袋に言って僕を捕まえに来た。マンションの一室で僕は幻聴に拝んでいた。

御免なさい」言った。

「帰ろう」親父は言った。

幻聴ピークのピークになり僕は押入れの中に入ってみたり、念仏を唱えだしたぞと後から聞かされた。決してここで言いたいのは、僕は薬物汚染でこうなってしまったので無く、全く天然性の病気持ちだった。チック症みたいのは元々有って髪の毛を散々に弄くったり耳を触ったり、高等学校時代も1年生の時オール10が、2年、3年で、オール学校に行けなくなってしまった。小さい頃からの病状で臭いに執着した。みたいのは自覚していた。統合失調の他に症状で、鬱の何時間でも眠るとか言う奴で、夜中の4時頃起きて2時間単語帳を読みまた寝るを繰り返していた。親には

「虐めが有って行けない」と言った。実際、高等学校での、虐めは無くたまに学校行って「こいつが馬鹿馬鹿言うんだ」とか訳の分からない事を泣きながら言うから学校先生も手に付かず。先生専門家でないので、それでも家に

「お宅のお子さんおかしいですよ」と何遍も電話してくれた。結局散々苦労して入った大学中退登録抹消の憂き目に遭ってしまうのであった。入院。僕は精神科先生をぶん殴り看護士に両脇から羽交い絞めにされ牢屋保護室)に入れられた。薬を打たれた。寒い便器けが有って、一般病棟に移る頃僕は薬でフラフラになった。涎を垂らしつつも、何だこれはと思った。

「汚いなあっち行けよ」言われた同じ入院患者に。20年30年がゴロゴロ居る社会入院じゃないか?僕はもがいた。夜叫び声を上げた。

或る人が「友達になりましょうね」と言ってくれた。1年3ヵ月後退院し、したが金が無い学生年金無給者の辛さを知った。大学を辞めるのにもお金が無い僕は何も言わなかった。何も買えなかった。500円だけ1日ポーンと渡されてゴールデンバット当時110円を吸っていた。神奈川県川崎市引っ越した僕はアルバイトをしようとしていた。警備の仕事。ジリジリした太陽が照り付ける中頑張ったが仕事をくれないので辞めた。暫く後そこの会社倒産した。後ガソリンスタンドアルバイト「何で?4時間しか働かないんだ?」4ヵ月後解雇。その後行った別のガソリンスタンドがまたガラ悪く僕は仕事メガネが曲がっちゃったかな?って、思っていたら休憩室に連れてかれ店長だか何だか知らんが禿げたおっさん

「てめー」って胸倉掴むから

「こんにゃろ」左フックを浴びせた。僕は成人のライオンに成長していた。やられる一方の自分でないが、無茶苦茶になった。警察に行くと、警官

民事裁判でどうのこうの言っているぞ」と言った。

「関わんない方が良いかも」言われたか

「ああそうですか」と引き返してきた。パチンコ屋で仕事もしたが

「何だお前?なっちゃない」とおっさんと当時35位の男にいびられた。只働き、給料取りに行けば良かった。僕は親を恨んだりしてない。親も可哀想だった。神奈川県マンションを買って5000万。借金地獄で僕の小遣い所では無い。じいちゃんも、今では死んでしまったが当時株で大損し「寂しい」言い出して日光に有る大部分の土地をうっぱらってしまった。それこそ名の有る家庭だったが今ではバラバラに成りつつも弟は結婚し家を出僕はと言うと、或る病院デイケアを紹介され、精神保健法32条なんてのも障害年金の事などそこで知らされた。マンションに親と暮らしていたが、親といざこざが有って、川崎市の援護寮「もみの木」(仮称)に行く事になった。そこから病院に通いデイケアにそしてそこを無事に卒業し、生活保護を貰って、一人アパート暮らしている。僕の今の状態になった。僕は静かに地域人達と一緒に生活している。誰も何も恨んでない。ぶっ潰すと言ったが無しにしてやるよ。全部。キンモクセイ香りは良い匂いだと思う。宇都宮の家は何でもじいちゃん土地の売買で又何かやらかして亡くなったせいか上の家は親父のなんだが下の土地がどうこうって、ややこしい話だ。一番悲しかったのは親父。にっくき、じいちゃんとは言え親父の親父だから、死に目にも会えなかったって笑って見せる。キンモクセイ匂いが漂う頃。大分切ってしまった僕んちのキンモクセイが懐かしい。僕は僕の弟も親父お袋が大好きだ。このペンネームも僕と弟が小さい頃お祭りの時、腰が痛いと言いつつも連れてってくれたお祭りで、「ギザギザ仮面」良く売っている奴を2人とも買ってくれとは言えなかった。貧乏だった家は、そこから来ている。単に「ギザギザ仮面」を名乗っている訳でない。キンモクセイは懐かしい香り品が高い香り親父とお袋の悲しさの香り

END

2006年7月17日(月)

2025年1月21日(火)訂正

ギザギザ仮面

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