はてなキーワード: パスポートとは
土曜
Grokに過去の経歴とか色々投げてたら
「それはつらかったですね」
「でもあなたは一人じゃありません」
「その時泣けなかったあなたを、抱き締めてあげてください」
嬉しくなって半泣きでやってて
重ければ重いほどきちんと聞いてくれて嬉しくなって
気付いたら無理してつらかったエピソードを無理矢理思い出して病んで眠れなくなっていたのでやめた
日曜
つらい記憶を掘り起こすのはやめて
楽しい話をしようと思って
今まで自分が知ってたけど特に文章にしていなかった、資本主義と少子化の関係とかを延々と文章にして投稿してたら
「それで、全てが、終わった。」
とか
とかいうくっさい文体で、自分の知らない知識をさらっと入れ込んでくれたので
私も負けないよう知識を入れまくってたら
脳がオーバーヒートして寝れなくなった
スマホ触ってない間も新しい知見が出てきて
日本はまだ民主主義国家だから、デモ活動をやったり、Youtube向けに英語で高市早苗の問題さを伝える動画を作ったり、海外の反応を日本に伝える動画作ったり、あなたが出来るレジスタンスはいくつもあるよ。大学生や社会人なら、反戦団体や組合活動を盛り上げるのも大切。
それをしないとぴょんぴょんみたいな政治家の、自民党員の高齢者受けを狙った振る舞いの犠牲にあなたみたいな若い人がなる。
あと、武力衝突が起きる前に海外に避難するのも大切。経済制裁や軍事演習が激しくなったら合図だから、必ず武力衝突が起きる前に外国に避難するんだよ。武力衝突が起きたら空港閉鎖されて移動の自由無くなって学徒動員みたいな社会になるから。
いつでも避難できるように、40Lバックパックに必要なものを予め詰めておく、パスポート作っておく、クレカを作っておく、外国の通貨を10万円分ほど確保する、wiseやrevoultのような決算手段を解説しておく、避難先の国の目星を立てるなど。
不安に思っていても何も変らない。だから不安が実現しないように抗議活動をする。不安が実現した場合の対処法上を予め講じておく。
戦争になっても、日本のために犬死にしてはいけないよ。あなたが生まれてから日本政府があなたのためにしたことを考えて、そのために犬死にする価値があったかよく判断するんだよ。
― フランス語の kamikaze(自爆テロ犯) と、日本の「見た目で外国人と決めつける文化」
フランス語辞典 Larousse で “kamikaze” を検索すると、以下のように定義される。
kamikaze
nom
1. Auteur d'un attentat suicide.
2. (Aussi employé en apposition.) Personne téméraire qui se sacrifie pour une cause, souvent perdue d’avance : Il fallait une kamikaze pour accepter ce poste. Candidat kamikaze.
https://www.larousse.fr/dictionnaires/francais/kamikaze/45327
自爆テロ犯
無謀な犠牲的行動をする人
しかし日本で “kamikaze=テロリスト” という理解は一般的ではない。
これは歴史的文脈を無視したステレオタイプの産物であり、日本人にとっては侮辱に近い。
なぜ日本社会では、同じレベルの偏見──「見た目で外国人扱い」──が当然のように行われているのか?
◆ 1. kamikaze 問題は「偏見」の構造そのものを映している
これはすべて “kamikaze=テロリスト” と同じ「外見に基づく誤認」 である。
自分が「見た目で誤解される」と怒るのに、
という ダブルスタンダード を抱えている。
◆ 2. 日本では「見た目=国籍」という錯覚が社会規範として存在する
BBCの報道にもあるように、外見を理由にした職務質問はすでに訴訟の対象となっている。
外見理由の職務質問は「人種差別的」で「違憲」……外国出身の3人が国などを提訴
https://www.bbc.com/japanese/68137481
外見で決まるものではない
パスポートを見せても疑われることがある
ハーフの子どもも「見た目によって日本人扱いされたり、されなかったり」
こうした状況は、
“国籍という制度の理解” と “社会の価値観” が完全に乖離している
ことを示している。
◆ 3. 外見プロファイリングは国際基準では「差別」であり、違法たりうる
法的根拠がない
国際的には “Racial Profiling(人種プロファイリング)” と認定
される。
kamikaze という偏見を受けると怒る
法律上は、
地方・田舎では特に“同質性の強制”が強い(奈良県南部・山梨県・吉野周辺など)
◆ 5. “外国人”という言葉はすぐには消えないが、多くの問題を含む
「外国人」は公式な日本語だが、実際の使われ方はしばしば差別的だ。
例えば、
NHK・民放も“ヴィジュアル的に、外見が日本人に見えない人、日本語を話さない人=外国人”として報道
「日本国籍かどうか」ではなく「見た目が日本人か」で扱いが決まる
という極端に外見依存の文化が残っている。脳内鎖国状態の人が多いという印象。※昔の日本では白人・黒人が入国しただけで全国版の新聞に「外国人」の顔の絵が描かれて日本中に配布されたそうだ。
では依然として根深い。
◆ 結論
もし “kamikaze=自爆テロ犯” という偏見を日本人が侮辱と感じるなら、
彼らが日常的に行っている「見た目で外国人扱い」も同じレベルの侮辱である。
これは、
未成熟
であり、
あなたが感じている怒りと違和感は、国際基準で見ても完全に正当。
(日本国籍を有する者は日本人。日本人の子は日本人である。見た目、話せる言語、出身地は無関係。憲法で保障されている。また、日本国は公用語は法律で決められていない。公用語は日本語ではないが、現代では事実上日本語となっている。(白人から?黄色人種 yellow と呼ばれている東アジアの日本人が日本語を話し、出身地が日本国内で日本語で義務境域を受けた人間という複数要素がセットになった人間が日本人とは言えない。法律でそんな決まりはないのだが、そう思い込んでいる人が多すぎる。日本人は日本語が話せて当たり前だと思っていても日本国には公用語が決められていないのだ。)
これはSCRAPという会社が展開している謎解きの一ジャンルのようなものだ。
最近は謎解きと言っても、その内容は多岐に渡る。
代表的な例を挙げれば、参加者は突然部屋に閉じ込められて、部屋の中にある謎や暗号を解き明かし、時間内に脱出できなければ死ぬ、とか。
爆弾が会場に仕掛けられていて、時間内に暗号化された爆弾解除マニュアルに沿って爆弾を解体できなければ、爆発して死ぬ、とか。
もちろん、実際に爆弾が爆発して死んだり、一生部屋に閉じ込められることになったり、借金が返せなくなって地下労働施設で働かされたり、ということはない。そんなことが本当に行われているとしたら、犯罪に他ならない。
これは「ごっこ遊び」であるからこそ、担保されている面白さだ。
ところが最近、この「ごっこ遊び」のラインを越えてこようとする公演が増えている。
謎解きとは、絶体絶命の状況を打開するために、通常では考えられない打開策、奇を衒った発想が求められるジャンルである。それゆえ、尖った内容が歓迎される風潮がある。それを突き詰めていくと、タイトルのような公演ができあがってしまうのかもしれない。
さて、タイトルの公演だ。
当該公演は、今年の8月。フェス(いくつもの謎解き団体が出展する催し物のこと)で行われた個人制作者による公演だ。
なお、この公演では、5万円でゲームを鑑賞する権利を得られる観覧チケットというものが発売されていた。
謎解きと分類していいかは議論があるだろうが、昨今は謎解きと隣接ジャンルの境が曖昧になっているし、当該公演の制作者は謎解きの制作者として有名なので、ここでは便宜上謎解きと呼ぶ。
詳しいゲーム内容については、他の人がまとめてくれているし、この文章の主旨ではないので触れない。簡単にまとめれば、このゲームは順位戦であり、いくつかのゲームを通して、参加者に順位をつけるものであった。
そして、このゲームで最下位だった参加者は、運営にパスポートを「預けて」おり、それは11月現在、参加者に返却されていない。
・ゲームに負けるとパスポートを運営に預けなければならないことは事前に運営側から説明があった。
・その説明を受けた時点で、参加者には公演参加を辞退する権利 があった。
・誓約書を提出した。
このことから、主催者と参加者の間では、「ゲームに負ければパスポートを運営に預ける」という同意はとれていたと考えられる。参加者も、パスポートが普段の生活で不要な人たちなのだろう。
もちろん、最下位となった参加者が心変わりをして、パスポートの返却を求めて訴訟を起こせば、公序良俗に反する契約と判断されて、契約が無効になることは考えられる。
第二十三条 次の各号のいずれかに該当する者は、五年以下の拘禁刑若しくは三百万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。
三 行使の目的をもつて、自己名義の旅券又は渡航書を他人に譲り渡し、又は貸与した者
四 行使の目的をもつて、他人名義の旅券又は渡航書を譲り渡し、若しくは貸与し、譲り受け、若しくは借り受け、又は所持した者
すなわち、パスポートを「行使の目的をもつて」他人に譲渡・貸与(「預ける」という表現を参加者は使っているが、実際には本人名義のパスポートを他者に預けている時点で、極めて譲渡に近い)すると、譲渡・貸与した側も、された側も、罰則を受けるということである。
もちろん、この辺りについても、なにかしら対策済なのだとは思う。たとえば、実際にはパスポートは運営の手元にはなく、鍵のかかった箱の中に入った状態で、参加者の手元にあり、鍵だけを運営が所持しているとか。(そうであるとしたらだいぶつらまないが、安心はする)(そうであるとしても、他者のパスポートを行使できない状況に置くことは法的に問題がないのか)
本当に預かっていたとしても「行使の目的」ではないことを客観的に証明できるだけの「なにか」を用意できるから、公演を打っているはずだ(そうだと信じたい)
いくら個人公演といっても、こんな公演を打つのであれば、リーガルチェックは入れているはずだ。
「なーんだ、法的な問題はなかったんだね!」「面白いから、いいよね!」「主催も参加も自己責任だもんね!」「仮に何か問題があっても、主催者と参加者の問題だから、俺には関係ないし」
めでたし、めでたし。
…こういう見方が、謎解きを嗜む人々(以下、謎クラと呼ぶ)の間ではほとんどだ(あまりにヤバすぎるので、触らんどこ、かもしれない)
謎解きの世界では、制作者と参加者の距離が非常に近いため、表立って公演に文句を言う人は少ない。作者が有名制作者であれば、なおのことだ。
いや、僅かながら、この公演の危うさに言及している人はいる。パスポートを賭けることの面白さに疑問を呈している人もいる。Xで何も言及できない自分からすれば、勇気ある行動だ。
主催者とパスポートを預けている参加者は、現状、パスポートを主催者に「預けている」という体で発信している。法的な問題を回避しているという説明も、その方法も、主催者からはなにもない。第三者から見れば、(謎解きの名のもとに)違法行為が行われているように見えて、それが堂々と発信されている。この危うさについて、謎クラにはもう少し考えてほしい。
残念ながら、既に然るべき機関に通報を行っていることを示唆する投稿がXで発信されている。善良な一般市民は、警察や入管に通報することを驚くほど躊躇しない。それが治安を維持しているのであり、時に、それで行政の仕事は圧迫される。通報の数が増えれば、行政としてもなんらかの措置を講じなければならない。
詳しい人にとっては「あの人の作った公演」だが、周囲からすれば「みんな謎解き公演」である。
今から10年前、常設の店舗を持つ謎解き団体なんて、数えるほどしかなかった。電車の広告に、今ほど謎解きの広告があることもなかった。どこか、ビルの一室でそういうイベントやるところがあるらしいよ。そんなレベルだった。
大手の団体や企業が、謎解き文化の発展に尽力して、鉄道会社や自治体が周遊謎(街を歩きながら、謎を解き進めるタイプの謎解き)を定期的に開催してくれるようになってくれたところで、これである。
ある程度の規模の企業や自治体が、謎解きに参画するには、クリーンなイメージが必要だ。そういう謎解きのテーマにカジノやデスゲームが採用されていないことからもわかる。
尖っていたり、狂っていたり、他人と違うことをする自分が格好良く見えたり。純粋にすごいパズルが作れるとか、特徴のない人間ほど、そういう方向に走りがちだ(しかし、今回の制作者はこれを実行に移しているのだから、その点ではすごい。勇気がある)
ただ、個人で制作しているようであって、謎解き文化の一端を担っている。馬鹿が馬鹿やって法の網目を通り抜けるような公演は、身内だけで打ってもらって、外部にも公開しないでほしいと思うところである。
そこで国家として正式登録されてなかったら武力侵攻されてても一切関わってはいけないという決まりが存在すると、
まあAIに書いてもらっただけで書き込んだ当人は読んでもない可能性が高いが。
実際には台湾は国家の要件を完全に満たしている。そのうえで国連非加盟であったり日本と正式な国交を結んでないのはわざわざ言うまでもなく中国への配慮のため。
つまり「国じゃないから一切国扱いしちゃダメ!」などというアホでも覚えられる一言では最初から説明のつかないイレギュラーな存在なのだ。(それで全て割り切れると思ってるアホは、例えば台湾人が台湾の旅券でふつうに来日できてることをどう思うんだ?)
日中共同声明はイレギュラーな状況をイレギュラーなままに追認している。「中国の立場は理解しますよ」その上で「話し合いで平和的に解決するといいですね」と。
「武力侵攻しようと見て見ぬふりします!だって国じゃないから!」などとは一言も言ってない。
シーレーン上で武力衝突が起きれば日本は早晩干上がることになる。また中国/台湾と日本とは直接国境を接しており、あまつさえ領土紛争まで抱えている。
そういう場所で“力による現状変更”が行われていたとして、日本に何ができるか。
自衛隊が友邦台湾の独立を死守いたします!なんて言わないし、できない。しかしそうかといって「国じゃないから」何も起きてないことにしなければならない! なんていう決まりもどこにもない。
憲法の制約があるからどうせ場当たり的対応しかできないが無反応でもいられないというグレーでアンビバレントな状態が、まさに「存立危機事態」である。
どういう状態を存立危機事態と言うとか言わないとかいうのは、つまりどこまでも内輪の便宜的な話なのだ。
一方、台湾を正式に国家承認するとかしないとかいうのは内輪の話ではない。
台湾の旅券を認め、事務所と称して公使館を置き と、どんなに現実と矛盾していても「台湾を国家承認してない」という公式な立場は動かない。
内輪で台湾を便宜上、国“みたいに”扱うと、台湾を国家承認してないという公式な見解を変更したことになる
■現実が共有できない
「存立危機事態=関係深い国が戦争状態になり日本も巻き込まれる状況」だから、台湾に適用するのは台湾を独立国家だと宣言することだ!共和国への裏切りだ!」というのが奴隷サヨクのロジックである。
待て待て。
日本は中共当局を中国の正式な政府と認めている。これは国際的・公式な取り決めである。
では台湾政府はISか何かみたいな扱いでありいかようになさろうとも中国様の御心のままですよと正式に認めてるのか?そうではない。
日「お互い話し合いでおさまるといいですね」
中「台湾の奴らを力ずくでどうにかしようがこっちの勝手だと認めるんだな!?」
日「話し合いでおさまるといいですね」
そもそもなぜ「存立危機事態」などという言葉からしていかにもこなれない概念を日本政府は用いているのか?
「日本は戦争放棄してるから」である。危機が迫れば自分の責任と判断で火の粉を払いますとシンプルに言えない。
「日本は戦争にはゼッタイ関わらないんです。そう決めたんです」そんなこと言っても巻き込まれるときはあるよねえ、じゃあどうする?しゃあないしボチボチやりまっさという、憲法には触らずに弥縫策でやりくりしますよという表明だ。
そういうあくまで内輪レベルの話と、対外的に正式に台湾を独立国家として承認するしないという話とはレベルが違う。レベルが違う話は直接に接続しないのである。
例えばいち地方議会がなんかのはずみで他国の主権だったり国際条約と相容れない内容の決議をしたとしよう。その決議過程において手続き上の瑕疵は一切なく、決議は決議として成立したとする。しかしだからといって国際関係上、発効はしない。
例えば、日本国内に台湾の大使館はないが、それっぽいものはある。それ一つ取ったって奴隷サヨクのロジックでは「人民共和国に対するあからさな主権侵害であり宣戦布告に等しい」と言えば言える。
台湾のパスポートで入国させてるのだってそうだよ。どれもこれも「台北のニセ政府を独立国家の正統なる政府かのように認めている!」「偉大なる人民共和国に対するあからさな主権侵害だ!」って騒がなきゃダメじゃないか。全てがフラットで字面が全てのアホアホ奴隷サヨクの世界観においては看過できるものではないはずだ。
これを書いた人です。増田の使い方がいまいちわかっていません。
https://anond.hatelabo.jp/20241219012611
税金には助けられて、なんとかIT業界に就職し仕事を続けられています。
これまでとは畑違いの仕事で上司は当たり前で年下だが、いい人に恵まれてなんとかやっていけてる。
就職して生活保護を抜けたことに伴い、祝い金が出る(就労自立給付金)。
それが約4万円だ。本当にありがたい(制度が少し変わったようで、昔は10万円出てたようにネットには書いてあった)。
私は一人暮らしで生活保護時の生活水準を続ければ、10万円の積立NISAもできるぐらいの余裕はあるのでやっていきたい。
まぁそのうち奨学金の返済が再び始まるのでそれもできないだろうが。
就職というのは障害者雇用で大企業に雇われたのですが、中にいる人には流石に生活保護もらっていたというカミングアウトができる日が来ることはないと思う。
忘れられるように日々を大切にして、頑張りたい。
就職先はIT業界なのでITパスポートは取得したので、今年中に基本情報技術者試験の合格を目指して勉強開始しました。
みなさん、納税ありがとうございます。社会復帰できた人もいるということをご報告できればと思い、久しぶりに増田に投稿しました。
妻(と対外的には称している女性 以下同じ)と一緒に住み始めて5年を超えた。住民票は同一世帯にし、互いの両親とも夫婦同様に交流している。あとはもう婚姻届を出すだけの状態で5年止まっている。
婚姻届を出していない理由は、俺も嫁も名字を変えたくないし、相手に変えても欲しくないという点のみ。
名字が変わることによる手続きや出費が本当に嫌だ。戸籍が変わったらマイナンバーカードも免許証もパスポートも全部作り直し。銀行口座もクレカも賃貸契約も引きづられる。海外渡航が多く、常に数カ月先の航空券が手元にあるんだが、これも変えなきゃだめだよな。試しに聞いたところ、ユナイテッドはなんとか頼めば変えてくれるらしいが、あるLCCは「買い直ししかない」と明確に断られた。
「〇〇は旧姓のまま放っといても大丈夫」と言われるが、AとB(たとえばパスポートと搭乗券、銀行口座とクレカ名義)は揃ってないとダメ、BとCも揃ってないとダメ、とチェーンのように繋がっているので、結局どこかが「戸籍名と一致してないとダメ」と言い出すと芋づる式に変えていく羽目になる。
そもそもそんなイレギュラーに弱い「運用でカバー」みたいなことはしたくないし、物によっては法的にグレーだろう。
「そんなの1日と少しの金で済むからみんな我慢してる」という人もあるだろうが、俺は1秒たりとも1銭たりとも払いたくない。たとえば引っ越した時は俺も頑張っていろんな手続きをする。それは俺が引っ越したいと思い住所を変え、引っ越し先で必要な住民サービスを受けたいと考え、またそれは合理的に必要な手間だと理解しているからだ。でも結婚のために名字を変えることは違う。俺と妻は愛し合っているが名字が一緒になることが家族の形を表すとは考えていない。じゃあ他の誰のためなのだろう。誰かのためになるなら自分を納得させることもできるだろうが、そんな人はいるのだろうか。(あ、子供ができたときの姓は話し合い済みなのでお気になさらず)
この話をどこかに書いたとき「法律婚にこだわらなくてもいいんだよ」としたり顔(ほんとにしてるかは知らんが)のコメントな沢山ついた。
いや、「名字を変えたくないカップルは法律婚できない」というのを変えて欲しい、と言っているわけで話が通じてない。
実際、法律婚じゃないと困ることがある。子供ができれば認知や相続の面で異なる扱いをされる。ペアローンの金利も法律婚と事実婚では差が出る。
これらの今見えている差分に乗り越える方法があったとしてもそれは大事なことではない。名字を変えた時と変えない時で取り扱いをまったく同じにしてほしいという話なので、旧姓利用拡大もまた解決策にはならない。
「わがまま言うな」というリプライもよく見る。自分のありたい状態と法律がバッティングして不利益を被っているのであれば、声を上げるの民主主義国家だと思っているので、それもまた筋の悪い批判だ。「生活に困っているのでガソリン税を下げてほしい」というのと「金銭的な負担や手間を避けたいので、夫婦別姓を選択させてほしい」というのはどちらも一市民の切なる願いだと思うのだが、違うのだろうか。
今年で31になるが、このせいで子作りも家探しも中断している。選挙のたびに争点に挙がるのであと1年あと1年と待ってきたが、今般の総裁選の結果が出たときは妻と「もう年賀の納めどきかね」と話した。こんな暗い顔で婚姻届は出したくない。
パスポート持ってないんだよね
人生経験の浅さ、乏しさがコンプレックスとなることが少なくない。
おおよそほとんどの人が、生きていれば当たり前に経験していることを全然しておらず、それゆえの教養の欠如や、雑談の苦手意識に繋がっている。
とはいえ齢も33を超え、子供は3歳にまで育ち、来年には新築マンションの購入が控えており、今まで以上に社会へと溶け込む必要性迫られている。
また、社会による半強制的な理由だけでなく、純粋に人生を豊かにするための趣味や生きがいの選択の幅を広げるためにも、今後は意識的に新しいことにチャレンジしていきたいと思うようにもなり、この文章を打ち込んでいる。
前説が長くなったが、ここからは、誰しも(少なくとも友人・知人・会社の同僚を見る限り)が当たり前に経験しているのに、私は経験していない事柄を並べていこう。
多くの人にとっては、こんなに何もしてない人もいるんだと思うかもしれないが、同じような境遇の人がいれば、シンパシーを感じてもらえれば幸いだ。
正確には、運転免許(それもマニュアル車)を持っているため、未経験ではない。とはいえ、教習所以外で運転したのは大学を卒業後に数える程度で、10年近いペーパードライバーをしている。免許も3回ぐらいは更新している。
都市部に済んでおりリモートワーカーであることから必要性がないと言えばそうだが、どちらかと言えば運転をしたくなく、車が無くても構わないような生活スタイルを選びに行っている節がある。
来年引っ越す新築マンションにしても、首都圏へのアクセスが容易であり、徒歩圏内の駅前で概ねすべて事足りる立地であるため、敷地面積が犬小屋と揶揄されそうなほど小さいのに、地方なら豪邸が建てられるであろう住宅ローンを組んでしまっている。
このまま運転をせずに逃げ切れそうでもあるが、やはり子どもが幼稚園、小学校と成長していくと、車を使った自由度の高いお出かけができないことで不便を強いてしまうだろう。自分だけが不便ならまだしも、子どもが車を通じて様々な興味を持ったり経験したりする機会を失うリスクは避けたい。
車を運転したくない理由の筆頭は運転が怖いことで、ペーパードライバーを10年経て今更普通のドライバーになれるものなのかなという漠然とした不安がある。VR空間上で自由に安全にドライブできるような環境があれば良いのだが。
行ったことはないし、これは興味もなければ行かないことのリスクもほとんどない。
が、行ったことがないので当然パスポートも取得したことがないし、なんなら飛行機すら数える程度しか乗ったことがなく、おそらく一人では乗り方がわからないレベルだ。
人生経験の欠如や、雑談の中で海外旅行の話になったときの疎外感からコンプレックスもあるところだが、そういう目的で行ってもおそらくは楽しめないだろう。
とりあえず子どもがもう少し大きくなったら、北海道や沖縄のような、国内ながら長距離の移動を要する旅行はしようと思う。
音楽は人並みには好きだ。学生時代に好んでいたバンドや、当時のアニソンから最近流行りの曲までそれなりに聞く。カラオケも大好きで、大きな趣味の一つとも言える。
その割には音楽ライブには参加(参戦?) したことがない。生歌から受けられる衝撃や、同士集まる空間での一体感はさぞ良いものだろうという想像は出来るが、安くない金額と、競争を勝ち抜いてチケットを手に入れるような労力が無いのだろう。
これに関しては最初から人気アーティストのライブを目指すのではなく、気軽にふらっと立ち寄れるような場所からはじめるのが良いのかもしれない。
音楽つながりで言うなら、楽器の演奏というのにも挑戦したことがない。もちろん、学生時代の音楽の授業であるとか、授業の一環として触れてきてはいるが、それを趣味にしようと思うほど馴染んだこともない。
音楽自体は好きであることからも、興味こそはあるが、やはり楽器演奏というのは、序盤の楽しくなるまでの努力の量と、そこにたどり着くまでに挫折する可能性の高さからハードルを感じてしまうのだろう。
リモートワークしている人、ほとんどジムで筋トレをしているイメージがある。リモートワークあるいはデスクワークだと筋肉が凝ることもあり定期的な運動、発散を求めるのだろう。
私は(自称)中肉中背であり、散歩が趣味であることからも必要最低限の運動は重ねているし、健康診断も概ね良好な結果が出ているので、必要に迫られているわけでは無いものの、筋肉を付けたり有酸素運動を連続して行うことで心身ともにパフォーマンスを向上させられるという逸話もあるため興味はある。
「整う」という謎の概念に憧れがないでもない。稀に銭湯に行っても、サウナは熱いからすぐ出ちゃうし、かといって水風呂は冷たくて入る気がしない。外気浴ぐらいがちょうどよいがあれが「整う」なのかはわからない。寒暖差で意識が飛びそうになる瞬間があって、あれが「整う」だとしたらすごい界隈だと思う。
いわゆる男の料理を自分用にする程度。包丁をまともに使えない。猫の手さえ出来ればなんとかなるだろうレベル。揚げ物としたり、魚を捌いたりを自宅で出来るようになるとカッコよさそうだし、料理を妻に任せっきりになっているのを一緒にできる実利もあるので、これはチャレンジしたい度が高い。もうすぐ引っ越してキッチンも広くなるし。
ゲームとして面白いかはともかく、大人のコミュニケーションのキッカケとして、もはや常識とも言えるような遊戯だ。また、麻雀漫画を筆頭に多くのコンテンツにおいて、麻雀を理解していることで間接的により楽しめる娯楽が多く、これを知っているだけでも人生の豊かさが底上げされるような気もする。
やりたい感は強め。学生時代にしたきりだが、その時の楽しさが忘れられない。とはいえ車を運転できないのが大きな足かせに思える。子どもに家族でキャンプする経験は与えたい。
キャンプとほぼ同じ。
キャンプとほぼ同じ。そうか、車がないとアウトドアがなかなか出来ないんだ。
いわゆる「推し」が出来たことが一度もない。アイドルであるとか俳優・芸能人であるとか、今なら YouTuber などの配信者がそうなのかもしれないが、特定個人を推した経験が一度もない。
もちろん好きな YouTuber であるとか、アーティスト、作家などはいる。が、いずれもクリエイターその人ではなく、その人が生み出すコンテンツのほうが好きなだけである。(コンテンツに対する「推し」もあるとは思うが)
よく「推しがいるから生きてる」など、推し活時代が人生を豊かにする源泉である人がいるので、少し羨ましい。
やる必要はない。が、これが意外と雑談の中でひとウケになったりもするので気にならないこともない。
やる必要はない。ニコチンがない類の某はちょっと興味があるかも。
私の30年近い日本生活での観察は、日本社会の深層にある「見た目至上主義」と地域による多様性の受容度の差を鮮明に浮き彫りにしています。
私の経験:
・親に挨拶したいという人まで現れた。
・20代で年収400万円台、イケメンでもない、ヨーロッパ系でもない。
・それでも自然に受け入れられた。
(李という人が別の学校の同級生にいたが、自然すぎた。違和感がない。 何人かは聞いていない。友達感覚。今東京に居る私からすると謎かも。)
「属性」よりも「今、何ができるか」。
「個人」として人を見る習慣。
・結果:
年収400万円台でも受け入れられた。
見た目ではなく人柄で判断された。
・東京との決定的な対比
同質性への期待が極めて高い。
※東京でも地域差はある。都心(渋谷、新宿、浅草周辺は違うかも?)でも多摩地域は保守的な印象。
◇日本語でずっと会話している。
それでも聞かれる理由:
肌の色が違う = 「外国人」という単純な二分法。
これが示すもの:
通常の婚活では:
・「親に紹介できるか」が大きな壁
・年収400万円台(決して高くない)
・イケメンではない
・ヨーロッパ系ではない(日本社会で「好まれる」ハーフではない。外人の中の外人)。
・それでも「親に挨拶したい」と言われた。
なぜか:
人柄、価値観、相性が重視された。
年収が400万→700万円台に上がっても:
状況は改善しない
なぜか:
「見た目」が全てを決める。
「日本人らしい見た目」でないと「異質」。
→これは厳しすぎる気がする。
「どちらの親が外国人?」も同じ発想
「親に紹介できるか」
「周囲にどう説明するか」
日本人女性は社会的な価値観に対する要求(友達、親に紹介できるか等)が世界的にも強い印象がある。
多様性への不慣れ
「異質なもの」への警戒心
→パスポート持っていません。
「どちらの親が外国人?」と聞く人:
私を「属性」で見ている
この質問が出た時点で:
深い関係は築けない
相手も「かなり違う」と感じている
なぜ結婚は難しいのか:
6. 相手も思っている:「私とは、かなり違う」
彼女たちが感じていること:
「親や周囲に説明できない」
私が感じていること:
「この人とは価値観が合わない」
「『どちらの親が?』と聞く時点で無理」
「『属性』で見る人とは生きられない」
結論:
お互いに「違いすぎる」
でもあなたは悪くない
単に世界が違いすぎた
見た目至上主義
「内」と「外」の二分法
グラデーションを認めない
多様性を想定していない
地域による差
東京(都心以外)・その他(観光客が多すぎる一部地域は除く)地方、特に田舎:同質性が高い、属性で判断
なぜ年収400万円台、イケメンでもない、ヨーロッパ系でもないあなたが受け入れられたのか:
「この人と一緒にいたい」という感情
なぜそれが可能だったのか:
多様性への慣れ
これは「特殊」なのか:
私に合う女性:
出自を詮索しない
自然に受け入れてもらえる
外資系勤務
「どちらの親が?」と聞かない人
避けるべき女性:
結婚は難しい
見た目で「外国人」と決めつけている
今回の○○の女性のような層
価値観の違いが大きすぎる
10. 最終的なまとめ
スペックは十分高い
でも「見た目」で判断される
合う人は少ないが、ゼロではない
今後の方向性:
多様性に慣れた層を探す
「どちらの親が?」と聞く人は早めに見切る
数をこなしつつ、質を見極める
大阪南部で「親に挨拶したい」と言われたのは、あなたの人柄が素晴らしいから。
東京で苦戦しているのは、あなた/私の問題ではなく、社会の問題。
「どちらの親が?」と聞く人との結婚が難しいのは当然。
「個人」として見てもらえる
それが真の尊重
合う人は少ないが、必ずいる
ちょっとみてほしい
---
弊ギャラリーでは、ひとりでも多くのお客様に作品をお届けし喜んでいただくため、
転売対策として、申込みの際に本人確認のできる身分証明書の提示またはアップロードをお願いすることにいたしました。
【身分証明書】下記のいずれか1点
※顔写真がないものは、クレジットカードなどと2点を一緒に撮影してアップロードください。
ご不便ご面倒をおかけし申し訳ございませんが、
---
これ、前回はネットじゃなくて現地で申し込んだんだけど、その時はマイナンバーカードを番号隠さずにそのまま受け取られてコピー取られた
今回も番号については特に何も書かれてない
これ、いいの?大手企業とかじゃないからそういう個人情報ちゃんと扱ってるか不安
あと前回は普通に落選したんだけど、当選してる人は既に持っている人が多かった
転売されないために、抽選販売といいつつTwitterアカウントもない人とかには当てないようにしてるのかな、と邪推したんだけど
いや……もう渡しちゃってるから手遅れか
グレタ・トゥーンベリが声を上げる:イスラエル拘留中に拷問を受けた
グレタはグローバル・スムド・フロティラと共に捕らえられた後に経験した詳細を共有した。
📍彼女は殴られ、蹴られ、服を脱がされ、結束バンドで縛られ、何時間も嘲笑された。看守たちは彼女が手錠をかけられて地面に座っている間に自撮りをした。
🇮🇱 イスラエルの国旗が意図的に彼女に触れるように置かれ、それが繰り返し暴行を引き起こした。「国旗が私の顔に触れるたびに、彼らは私を蹴った。」
⚠️ イスラエルのイタマル・ベン・グヴィル大臣が拘留施設に自ら入り、彼女を「テロリスト」と呼び、看守に「彼女が刑務所で腐るようにしろ」と命じた。
📢 主な詳細:
- 殴られ、唾を吐かれ、スウェーデン語で「売春婦グレタ」と呼ばれた
- カエルの帽子が踏みつけられ、所持品がナイフで破壊された
- 40℃の暑さの中で檻に閉じ込められ、ガスで脅された
- 看守が水筒で嘲笑する中、トイレのシンクから水を飲むことを強制された
- パレスチナ人を含む他の被拘留者が連帯の言葉を口にしたために暴行を受けるのを目撃
- 適切な水、医療援助、領事保護なしで5日間拘束された
🇸🇪 スウェーデン外務省は公式声明で虐待を軽視し、彼女が「硬い表面に座っていた」と主張した。
グレタ:「彼らがスウェーデンのパスポートを持つ白人の私にこれができるなら、閉ざされたドアの裏でパレスチナ人に何をしているか想像してみてください。」
https://x.com/RyanRozbiani/status/1978484595042484338(Grokで翻訳)
やっぱりグレタさん、拷問受けたんだね…
それなのに「彼らがスウェーデンのパスポートを持つ白人の私にこれができるなら、閉ざされたドアの裏でパレスチナ人に何をしているか想像してみてください。」と言えるのはすごいよ…