はてなキーワード: 子供会とは
例えばまだ夏用のヒンヤリシーツで寝ている
冬用のフカフカしているシーツは飼い猫が噛んでダメにしてしまう。暖かくてフカフカしていない丁度よい塩梅のシーツを買いに行きたいのだが、気力と時間がない
例えば机に郵便物が大量に積まれている。絶対に必要な書類も紛れているはずなので片付けたいのだが、気力と時間がない
例えば炊飯器に昨日のご飯が少しだけ残っている。これをなんとかしないと明日のお弁当用のご飯が炊けないのだが、気力と時間がない
例えば部屋のいたるところに人間や猫の毛が落ちている。お菓子のゴミまで落ちている。ゴミをゴミ箱に捨てろと娘に教育をしなくてはならないが、気力と時間がない。ならば私が拾って捨てればいいのだが、気力がない。
ルンバに働かせればいいのだが、まず散らかった部屋を片付ける気力と時間がない
例えばLINEに来ていた子供会の連絡を既読スルーしている。目を通してスタンプを返すくらいでいいはずなのに、気力と時間がない。
明日からは三連休、子供の予定が1日、私の予定が1日、家族の予定が1日。結局時間は無いかもしれない。普通に考えたら1日休んで1日家事して1日出かける程度にするべきだ。だけどもうそんなことどうでもいい。とにかく休日はみんなの好きなことをしたい。
https://anond.hatelabo.jp/20240701235213
とても助けられました。
ずっと我慢してへらへらしてたけど、わたしも職場で介護カウンターを行い、「うちの子が〜〜」とか「子供会社に連れてきていいんなら良いんですけど〜笑」とか言う人と戦いはじめました。
同じように誰かの助けが必要な家族の面倒を見るという点で同じなのになんで嫌な気持ちになるんだろうって思ってたんだけど、
向こう(子持ちの若い主婦・夫)は私たち介護者を仲間だなんて思ってないんすよね。
介護カウンターする度に相手の反応見ると感じる。いちばん大変なのは自分たちだと思ってた、みたいな顔をされる。あなたも大変だろう。わたしも大変だ。どっちが上とかではない。
いつも子どもの話でほかの子持ちと盛り上がろうとするあなたが電話でいつもやりとりしている30代独身女性は、消化器系のがん手術と抗がん剤を行い、いまも病院にかよっていながら仕事を続けていて親も抗がん剤治療中だとは知らないだろう。
「子育てしたことない人にはわからないでしょうけど」みたいな一昔前のドラマかスカッとジャパンの嫌な女みたいな発言はさすがにないにせよ、「子育てしてる私たちにしかわからないこと(最近の幼稚園でのルールとか子どもたちが如何にしてネットミームを知って会話に取り入れるかとか)」を話題にして、その空気を出して盛り上がっている。
あれだ、中学時代のオタクたちみたいな感じ。自分らしかしらないネットの知識をチラチラ周りを見ながら振りまこうとしたりしてる子たちのような感じ。
そのたびに母のデイサービスでの話で空気をぶち壊してやってる。裁縫が得意すぎてデイサービスで用意されるお裁縫セット(巾着とかポーチを作れるキット)で大量生産し続け、施設の雑巾も縫ってやってる話は鉄板ネタである。最近はアクリルたわしもつくっている。
「職場に子ども連れてこれたらいいんですけど〜笑笑」って何を目的にして言ってるのか分からない。ほんとに。
関係ない立場の人からしたら「で?」でしかない。「家族の都合でその日は出勤できません」だけで良いんだよね。
同じ独身者のチームリーダーの方で「子供の病院で遅れます」とかの連絡に「え〜大変ですね〜〜」みたいなことも言わず、ただ淡々と「わかりました。出勤時間がわかったから教えてください。」という返信だけする人がいて、その人は私が母の体調不良で急遽半休をもらうときもそうだった。
私としては気楽でとてもありがたかった。
その人がいつも周囲の子育ての話にまったく興味を示さず、お休みなどの報告も淡々と受け流し続けてくれた結果、あらゆる会話を「うちの子も〜〜」と子どもの話に回収されることが減ったし隙あらば子供の話を差し込もうとする人も減った。
私は介護カウンターをしたり、私自身も持病があって定期的に病院に行くのでその話で子育てにカウンターを行い、彼ら彼女らが透明化している人の存在を示し続けているが、
その人はチームリーダーという立場で会話の中心を業務内容にするよう誘導することで雑談となるとすぐに子育ての話を差し込むことが場違いになるような空気を作っていたように思う。
最近の雑談は当たり障りない内容(近くにバーガーキングができたこと、マックのチーチーダブチを食べたこと、ミスドの食べ放題に行きたいこととか…食べ物ばっかだな)になった。
40代なんだがバーベキュー一度もしたことないって今気付いた。
林間学校はカレーや豚汁だったし子供会のキャンプもカレーや焼きそばだった。 大学の時も社会人になってもキャンプ行くアウトドア派の友人はいなくてキャンプはおろか山にすら行ってない。
何が怖いってバーベキューしたことないのにバーベキューしたと思い込んでたことだ。
皆でバーベキューの話してて、あの焦げた玉ねぎが美味いんだよなーとか片付け大変だよねーとかバーベキューあるあるを実体験のように語っていた。経験してないのに。
バーベキューってアニメや漫画やドラマで当然のように出てたしネット記事にもよくなづてたから自分も経験済みだと勘違いしてたのかもしれない。
あぁこわいこわい。
思い出のほとんどが、それに関してのみ。
約四半世紀前のことであるが、暇なのでいろいろ綴っていこうと思う。
「大人(っぽい)」 「制服」 「青春」 「怖い先輩がいる(いそう)」
「給食ではなくなる」 「定期テストがある」 「授業に英語が加わる」など。
非常に大きな、そして大切なステップのように感じていた。
私はその地域の8~9割の生徒がそうしていたように、
このS中学校へは「C小学校」と「H小学校」の2校から進学していた。
どのような経緯であったかはよく覚えていないが、私はソフトボール部に入部した。
小学生の頃に母親がママさんバレーのソフトボール版のようなことをしていたため、
他のスポーツに比べて少しだけ身近に感じていたところはあった。
別にスポーツに取り組みたかったわけではないし、他にも運動部はあったのに。
子供会の延長のような感じで、友人と、じゃあ…入る?みたいな、軽いノリだったと思う。
その友人の母親もママさんバレーのソフトボール版のようなことをしており、交流があった。
集まった同学年の女子の「C小学校出身者」と「H小学校出身者」の比率は半々くらい。
出身小学校に関わらず徐々に打ち解け、チームメイトとなっていく。
入部したのは10名くらいであったが(最終的には7名になった)、1名を除き、未経験者だったと思う。
その1名は、小学生の頃に女子でありながら地域の野球チームのようなものに加入しており、
私はグローブもバットも使ったことがなく、ルールやポジションも知らないド素人であったが、
顧問の先生や1学年上の先輩方に丁寧に指導してもらいながら基礎を身につけていった。
先輩方は当時8名であり、先輩方に同学年の経験者のチームメイトを加えた9名がレギュラーであった。
1学年上というだけでこのようにあまりにも違うのかというほど、皆、女子としても、プレイヤーとしてもかっこよかった。
5時頃:起床
6時頃:学校へ到着
6時半~8時頃:朝練
昼休み:昼連
はっきり言って現在の会社員としての就業よりも過酷な生活であった。
週末も練習や練習試合の連続であり、休日にゆっくり休んだ記憶がほとんどない。
中学生の途中で週休2日制が施行されたが、土日のどちらも遠征して練習試合だったこともある。
小学生の頃は太り気味であったが、みるみるうちに瘦せていき、生活習慣も体も運動部に馴染んでいった。
また当時は日焼けや紫外線の対策を碌にしておらず、本格的な夏が来る前には焼けていた。
元来の性格のためか、取り巻く環境が原因かは定かではないが、ものぐさであり、いつ頃からか内心嫌々取り組んでいた。
ただ時間まで何となくやり過ごす日々の繰り返しであり、自分の意志で部活を選択したのに、なんとも情けなかった。
特殊な環境かつ人数もさほど多くなかったため、チームメイト達とは距離が近く、関係性もおおむね良好であった。
数少ない余暇の時間も共に過ごし、よく愚痴をこぼしていたが、私とは違い、皆名プレーヤーだった。
皆と同じように教わっていたはずだが、基礎が身に付く以前からそもそも運動音痴でセンスがなかった。
一時期、伸びたと褒められた時期もあるにはあったが、全体的にパッとしなかった。
私は根性なしのうえスキルもない、だたのポンコツ部員だったのだ。
しかしチームメイトは除け者にせず、一部員として好意的に接してくれていたので感謝している。
顧問の先生(男性)は当時、現在の私と同じくらいの40前くらいだったと記憶している。
とにかく熱血で、良く言えば指導熱心、悪く言えばスポーツ○カのような人だった。
何代か上の世代は市だか県だかのそこそこ上位まで登り詰め、
『S中と言えばソフトボール部』などと言わわたとか言われていないとか。
指導者としてもプレイヤーとしても、その腕前はピカイチであり、
当時、抜群のプレーに皆が魅了されていた。
基本的に昼休み以外の練習に同行しており、非常に勤務時間が長かったと想像されるが、
なぜ顧問というだけで部活動にあれほど時間を割いて打ち込んでいたのか謎である。
やはり熱心だったのだろう。
しかし、そのような熱血顧問にありがち(!?)で、当時ビンタされる機会も少なくなかった。
その痛みは頬のみならず顔全体の感覚がなくなるほどであり、口の中を切ることもあった。
特段、感情的な人ではなかったと思うが、指導として叱責される機会が多く、基本的には畏怖の存在であった。
またどのようなトレーニングを積み重ねてスキルを習得したのか、
大人になった今、問うてみたい気もする。
●先輩方
先輩方のことは、女子としても、プレイヤーとしてもかっこよかったと表現したが、
部活外の時間に校舎内で顔を合わせた場合、後輩から「こんにちは」等の挨拶をするが、
ほとんどの場合にっこりと朗らかに「こんにちは」と返答されるため、こちらも非常に嬉しい気持ちになった。
同行していた別の部の友人からは「すごく優しそうな先輩だね」等と言われたものだ。
しかし部活の時間になればたいていピリピリしており、部活外の時間のような微笑みは基本的に皆無。
穏やかな時もあれば、感情的に振る舞うことも多く、鬱憤が溜まっていった。
うちの部は、私の2つ上の学年(3年生)が不在だった。
夏頃までは3年生が在籍しているのが一般的であるが、うちの部は2年生が天下。
その日の機嫌次第でぞんざいに扱われることもしばしばあった。
はっきりといじめやしごきのような、直接的に個人を攻撃することはなかったと記憶しているが、
端的に言うと「1年は使えない」と言った感じだ。
空気を読むことが苦手で気も効かない私は、適切な対応がわからず謝罪の連続であった。
表面上は敬うフリをしていたが、内心はうんざりしていた。
「先輩ってどんなことで怒るんですか?」とすっとぼけた質問をして、
「それは聞くことじゃないよ」と呆れられたこともある。
別の部の友人とコンサートに行く約束をしていたが、正直に理由を告げて練習を休みたい旨を伝えると、
先輩達は「コンサートってありえなくない?私も○○のコンサートに行きたかったのに」と陰になっていない陰口を言っていた。
(先輩は別のアーティストを指しており、私が行くコンサートに先輩が落選したためやっかんでいたというわけではない)
聞こえよがしの陰口を察した私は、「すみません…もうコンサートに行きません。練習に出ます。」と申告したが、
「いいよいいよ、行ってきなよ、楽しんできてね」とのたまった。
お言葉に甘えて(?)私は堂々とコンサートに行き全力で楽しんだ。今でもそのコンサートは思い出深い。
ポンコツでありながら無遠慮な図々しさと、聞こえよがしの文句を記憶している執念深さを持ち合わせているのだ。
中には親類の葬儀関連や帰省が理由であってもチクチク言われていたチームメイトもいる。
・先輩が荷物を持っていたら代わりに持つ
・キャッチボールは先輩のグローブを持って相手をしていただくようお願いする
・キャッチボール中に先輩がボール捕れなかったら走って捕りに行く(こちらの暴投が原因)
・先輩は体操着の袖を捲ってもよいが、後輩は不可
・各々の家を把握し、同じ方向の人と下校する
・年賀状を交換する
・部活中、校庭は歩かない
・校庭にボールが落ちていた場合(仕舞い忘れ)、ペナルティで1球につき校庭10周
・整髪剤、制汗剤の利用不可
・全校朝礼の設営準備や後片付け、撤去等を行う
・校舎内の部屋の引っ越しを手伝う
・校舎裏の泥やヘドロを取り除く
一般的な運動部として当然なルールもあったが、当時も今も「?」と感じることもある。
幼少期の他に、この部活で培った様々な経験も、人格形成に大きく影響を与えたと思う。良くも悪くも…
他の部の友人たちは、うちの部ほど過酷ではなかったと想像する。実際は不明だが、おそらく。
先輩と談笑したり遊びに行ってプリクラを撮ったりしている様子は信じらない、うちの部ではありえないと当時思っていた。
部活という特殊な環境で、人間関係を築く上で大切なことを学んだ。
他人に決して心を許してはならない、油断してはならない。
今でもたまに当時の部活の夢を見る。
冷凍したマンモスがあるとニュースで見て、クラスのみんなで行きてえな〜〜〜とぐだぐだしていた。図書室にあったマンモスの秘密みたいな本とか読んでたな。
そんな中、子供会だか何だか忘れたが奇跡的に行けることになった。引率の大人たちとバスに揺られて愛知万博会場に降りた。
案の定人でごった返していた。もし騒いだり横入りしようもんなら追い出されて、マンモスは見られなくなるかもしれない。
皆静かに、お行儀良く並んだ。
時計も持っていなかったので、どれくらい待ったかは覚えてない。
とにかくずっとマンモスの話をしていたのは覚えている。
いよいよ我々の番が来た。
「今のお肉なに?」
と誰かが言っていた。
この先に、カチカチに冷凍されたマンモスがいるんだ!とわくわくしているとありがとうございました〜と出口に誘導された。
え?
マンモスは??
目を白黒させていると、さっきのお肉がマンモスだと教えられた。
ショックだった。
もっと長い毛がふさふさ生えてて、四つ足で大地を踏み締めた状態のマンモスがいると思っていた。さっきの切り分けられる前の肉みたいなのがマンモスだったのかよ。
その後どうしたか覚えてない。
どこの国だったか忘れたが、中東っぽい顔つきのお兄さんからかっこいいブレスレットを2000円で買った(家に帰ったら壊れていた)のと、友人が「北朝鮮館を探そうぜぇ〜!金正日がいるかもしれねぇ!!」と言って水筒片手にどっか行ったのは覚えてる。いるわけねぇだろ。
祖父母含む3世代同居で、高齢化の進んだ地域で育った。別に僻地というわけでない。自分の幼少期は子供会が成立するくらい、同世代の子供はいた。けど当時から現役世代のいない家も多く、全体で見れば60代〜70代が多数派。町内会の繋がりは強く、その中に小学生の自分たちも混ざってお祭りに参加したり、一緒にゲートボールをしたり、近所そろって小旅行に出かけたりする。そんな環境で育った。
時は過ぎ、自分が成人する頃には、当然70代後半〜80代がほとんどになり、行事は縮小。たまに地域清掃だけを粛々とやるようになっていた。大学生のうちは、どこか放っておけない気持ちから、暇な時期だけでも手伝いに行き、感謝の言葉をかけられてたのを思い出す。
就職で実家を離れた。単に通勤には遠いというだけの理由。時折そんな地域の知らせを聞きつつも、関わりは薄れていた。
30を過ぎて結婚、子供も生まれ、妻の希望もあり、実家から離れた地域で家を買うことになった。ちょうど空き家だった場所が取り壊されたうえでの新築。自分たちにとって良い住環境を、運命の出会いのように手に入れた。
程なくして、町内会への加入と、新参者が翌年の班長となる慣習を告げられた。前述の環境で育った身だ、面倒さは感じつつもさほど違和感なく受け入れた。
翌年、班長として会合に出て知ったのは、この地域の高齢化率の高さだ。70代後半〜80代が多数。地域行事も縮小を重ね、清掃活動を粛々とやる。十数年前に、実家地域で見た光景そのものだ。断っておくが僻地ではない。駅近で利便性も比較的良い。空けば買い手がついて世代交代するが、全体からすれば少数派という印象だ。
かつてとは違う場所で、違う立場で、様々な問題が浮き彫りになる。町内会長どころか班長になるのも高齢でつらい人が多い。かといって町内会ありきで地域社会が設計されていて、安易に解散もできない。そんな議論を繰り返しつつ、正社員共働きで子育てする家庭の自分とて、できる範囲で班長の仕事を淡々とこなすしかない、解決策を見いだせない無力さを感じながら1年が過ぎた。
ちなみに実家地域では、町内会役員のなり手だけはちょうどよくいたらしく、彼らがうまく回してて、案外問題になってないらしい。そこにヒントはないようだが、一方でほっとした自分もいる。
次の班長へと引き継いだ今、何の義務もない。清掃活動に可能なら参加してと声をかけられる程度だ。
けど、このまま地域の問題点と向き合う術のないことに、違和感があってたまらない。
妻も幼い我が子も、この家を気に入っている。なら住みよい町にするために、持続できるために。
高齢のかろうじて活動している町内会役員の皆さんに、何か自分にできないか、声をかけてみよう。
もちろんすぐに町内会長や役員なんてなれない。まだこの地域をよく知らないし、仕事と両立できる自信もないし、そこまでの責任はとれない。けど何もできないままでいたくない。
今どき、珍しい考えなのかもしれない。けど、高齢化地域で育った自分には、どうもその感覚が染み付いている気がする。どこか放っておけない。
駅の向こう側はマンションやら新興住宅地で、少子化が嘘のような地域らしい。けど、自分には世代が入り乱れたこっち側で、問題と向き合いながら生きるほうが、どこか性に合ってる気がする。
私は車で10分ほど走らなければコンビニもスーパーもないようなど田舎で生まれ育った。
以前は近所に数軒家もあったが、住んでいたご老人たちも皆亡くなり今はすっかり寂しくなった。
「何もないのがいいところ」と田舎を褒めたりする人もいるが、ずっと暮らしていると普通にしんどい。あれは嘘松。
お店はおろか人も歩いていない。増えるのはソーラーパネルと空き家ばかり。
そんな田舎に嫌気がさして20代後半で上京し、30代前半になった今でも何だかんだ楽しくやっている。
半年に一度くらいは帰省しているのだが、その度に親が小さく見えるのは気のせいだろうか。まるでカントリーマアム。
60代だしまだパートとして働いていて病気もなく元気ではあるが、どこか弱々しく見える時がある。
駅まで迎えにきてくれた親の車に乗りながら、いつか訪れるであろう免許返納のことをいつも見て見ぬふりをしてしまう。
電車もなくバスもとうの昔に廃線になったこの山奥のど田舎で、車が無くなってしまっては生きていけない。買い物にも病院にも行けない。
ワケあってもう1人の兄弟には頼れない。私がどうにかするしかないのだ。
でもこんなど田舎には戻りたくない。
地元の小学校はいつ閉校してもおかしくないくらい子供が減ったらしい。
私が通っていた頃はあんなに賑わっていた運動会も今はきっと規模が縮小されたものになっているに違いない。
子供会もどうなっているんだろう。カルタ大会はまだあるのかな。
楽しい思い出もたくさんあるし家族のことも大好きだ。感謝している。
生まれ育った県がたまにテレビで取り上げられたりネット記事で見かけるとやっぱり嬉しさはある。
幸いなことにパソコンさえあればどこでも出来る仕事だが、それでも「犠牲になりたくない」と思ってしまう自分が嫌だ。
自分でお金を貯めて転職先を見つけて移り住んだ都会での生活に不満はない(家賃は高いけど)
休みの日には近所を散歩したり友達と遊んだり楽しく過ごしている。まだまだいろんなお店を開拓できる。
あのど田舎ではそれができない。山の裾なので基本的に上りだし平らな道も少ない。歩いたら人ではなく熊や猪に会う。
似た状況の人はどうしているのか、将来的にどうする予定なのか知りたい。
こういう時こそ「老老介護」「ミニマリスト」「推し活」みたいなわかりやすい名称が欲しい。何かコミュニティが欲しい。
地元で結婚して近所に家を建てて孫を見せるのがやはり「正解」に近かったのだろうか。
そんなことをここに書く暇があるなら親孝行の一つでもしろよとか思いつつ、
今日も中央線に揺られてはすっかり過疎化してしまった地元から目を背けている。
賑やかな商店街の灯りが愛おしい。人もたくさんいる。
もうめんどくさいし、帰りは近所のほっともっとに寄ろう。
小学生のころ、知らないおばさんに家の中に引き摺り込まれて胸ぐらを掴まれた。子供会の廃品回収の声がうるさかったんだって。それ以来、おばさんが苦手。
で、40歳になった今でも30代から50代までの女性が苦手なまま!自分がおばさんになったら克服できるかと思ったらそうでもないもんなんだな。
困ったことに異動先の職場にその頃の年代の女性が多い。こちらの心持ちの問題だから、当たり障りのない雑談だけして、(接触を減らすべく)仕事に打ち込んでたら、熱意がうざいだってさー。
熱が出そうな子供を保育園に預ける方法とか、夫の悪口とか、週末のママ友とのランチとか、そーいうのを話せばいいんすかね、就業時間中に!
上司や同僚の悪口を聞こえないように小声で言えばいいんすかね?社歴が長いので敬えばいいんすかね?人にはキツイ物言いをするけど、自分はセンシティブってなんなんすか?
おばさんズ(同僚)とのコミュニケーションが取れていないよね。いいところもあるけど、改善点もあるから上期の評価マイナスで!
と言われて、そうですよねー!がんばりまーすって、ヘラヘラしたのが12時間前でした。
今になって腹が立ってきた。
根に持ってるし、金属バットは振り抜くし、何もかも消し去りたいよね。
ああ、同じ属性でいたくない。
おじさんになりたい。おばあさんになりたい。
おじいさんになりたい。
熟カレー
こくまろカレー
とろけるカレー
箱単価はバーモントがやや高いが、パッケージサイズが大きいのでグラム単価では安い。
熟、こくまろ、とろけるの3つはコンセプトが同じなんだと思う。一晩寝かせたカレーが何ちゃらが流行った頃に発売されてる。とにかく無難。
こいつらは原材料の種類が多い。原材料の種類が多いほど複雑で美味しくなるわけじゃなく、ボケてマイルドな味になるということなんだなと。
熟カレーはプレミアム熟カレーと名前が変わって、パッケージに高級感が出て特売の頻度は減った。イメージ戦略なのだろうか。味は変わらないし、特売してないだけで価格も最下層枠のまま。
バーモントはパッと見では出来上がりがとにかく黄色い。かといってターメリックが効いてるというわけじゃない。フルーティで甘味が強い。
小学校や子供会のイベントがやたらバーモントだったせいで、不味いイメージだったけど、意外といける。バターを多めに使って華やかに仕上げてやるといい。せっかくフルーティで甘味が強いって個性があるのに、安いこま切れ豚肉とジャガイモだらけのカレーにしちゃうからダメなんだと思う。ルーじゃなくて貧乏を憎むべき。
絶品カレー
人は、松竹梅の3ランクを選ばせると竹を選びたがるらしいが、まさにその竹ランク。
安物を使ってない!
高いって言っても8皿分つくって50円や100円なんて誤差だけど。
ゴールデンは王道。これが家庭のカレーのスタンダードという印象。でも、意外だったけど記憶の中のゴールデンよりも辛味は強い。
辛さの種類が、唐辛子系のとは違った、胡椒系の尖った辛さがある。挽きたてという感じで、熟やこくまろのマイルドさの対極。
絶品カレーは、味の方向は、一つ上のランクのディナーカレーとザ・カリーを意識してるけど、ペースト別入れとかのアイツらの味に届くわけもなく。そもそもカレーって素材からエキスがでるんだから、材料ケチらなければ、肉の旨みも野菜の旨みもでるんで。
ディナーカレー
ザ・カリー
はじめに言っておくと、俺はザ・カリー中辛が1番好きだ。とりあえずこれを使ってとにかくレシピどおり作って欲しい。もしアレンジするなら、肉は牛肉を使い、肉と玉ねぎの分量をレシピより増やしてつくると至高の味。
まあ、豚でも鳥でも野菜が何でも、ルーの力でねじ伏せる旨さがあるんだけども。自分で作ると分量が難しい、しかもちょっと高いスパイスのカルダモンの量がちょうどいい。
ザ・カリーが好きすぎてディナーカレーを忘れてた。ディナーカレーはバターの香りが強い。ファンドボーを売りにするが俺はバターの香りのほうが印象が強い。そして、ザ・カリーとは方向が違うけど、やっぱりスパイスの香りも華やか。香りはディナーカレー、コクはザ・カリー。
問題は、この2つはパッケージあたり5皿分とかで、グラム単価は安売り枠の倍。俺がスーパーでザ・カリーを買おうとすると、妻は嫌な顔をする。高いっていってもだ、こんくらい贅沢していいんじゃないかと思うけど。
妻への文句もあるから匿名で吐き出しただけのクソ記事にブックマークがついてビビる。
トラバやブックマークを拝聴し、いろいろ思うところあったのでいくつか補足する。
本文でもパッケージサイズが大きいのでグラム単価では安いと書いたが、バーモントの大箱は12人用で、熟こくまろとろけるは8人用。
素直に使ったことがない。
味噌ラーメンが好きだからっていって、塩ラーメンに味噌足しても思ったとおりの味になるわけじゃないし。
ケチャップとかウスターソースとか粉チーズとか味噌とか醤油で複雑な味にしたい人は、熟こくまろとろけるを使えばいいし。
コンソメキューブとかローリエとかハーブ系が好きならザ・カリーかディナーカレー。牛スジ煮込んだ時とかは、ハーブ系が効いた欧風のルーが合う気がする。
スパイス系を足すくらいなら、好きな方向の製品を買えばいい。我が家はスパイス系が食べたい時はジャワカレーか、「印度の味」って瓶のやつ使ってる。
安い商品のほうが、万人に好かれる味を狙った商品でハズレはない。高価格帯になるほど、ニッチな需要を狙ってきてる。シャンプーとかと同じ。
実家はハウスのカレー粉を常備してたのだけど、廃盤になってた。GABANを子会社にしたからGABANのカレー粉が同じものなのかどうか知らない。赤缶、まだあんまり馴染めない。
私の実家は細い。
父は戦争で父(私の爺さん)を亡くし、中卒で新聞配達をしながら育ったらしい。
母も戦争で父(私の爺さん)がPTSDになり早世。同じく高卒で働いて育った。
親もそんな家庭環境で育ったため、叔父叔母も貧乏であり、学も無ければ、家に本も無く、父は飲みにケーションの営業マン、母はスーパーのパート職員をしていた。
職業からお察しの通り当然収入も少ない。にも関わらず子供を6人も産んだ。そうなると支出も増える。
クラスでみんながポケモンの話をしていてもゲームを買ってもらえない、ドラクエの話も分からない、スマブラも練習できないので弱い。そして小遣いも一切ない。
私の世代で子供の頃にゲームの話ができないというのは、友達との交流でかなり困難を極めた。
習い事も2つだけ。
地域の爺さんが趣味で教えている「そろばん」と、地域の爺さんが趣味で見守っていた「サッカー」だけだった。
サッカーは習い事ではないか。ちなみにどちらもタダだったようだ。
幸い、勉強はできる方だった。
塾や家で勉強せずとも、学校の授業だけでクラスで5位くらいには入っていた。
どうやら母方の爺さんは名家の医者だったらしく遺伝的には良いものを貰っていたようだ。
まぁ爺さんはPTSDになって一族の恥さらし扱いとなり、その名家との関係は切れてしまっていたが。
そんな私は、高校生頃まで、学校は正しい、政府は正しい、テレビは正しい、新聞は正しい、創価学会最高、共産党は悪だと、周りの大人に言われるがままに信じて育った。
外界から隔絶された田舎で、外界から情報を得る本を読む習慣も無かった私は、ずいぶんと思想面が偏ってしまっていた。
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学校では、放課後や休み時間にパソコンを貸してもらえるようになった。
最初はパソコンでゲームができるということに感動した。ソリティアの達人であった。
そして、パソコンにのめりこみ、出会ったのが「2ちゃんねる」である。
「創価学会をバカにしないでください。池田先生はとても良いことを言っています」
叩かれた。
「高校を卒業したら働こうと思っています。何の仕事が良いですか?」
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2ちゃんねるの影響で、別の面で思想が偏った私は、奨学金をギリギリまで借り、地方国立大学の工学部に進学した。
大学を卒業したとき、高校・大学合わせて奨学金の借金額は600万円まで膨らんでいた。
国立大学の工学部卒だったので、とある大企業にも就職でき、奨学金は5年ほどで全額返済できたのだ。
子供に小遣いも与えられるようになった。
私はこの現状をとても幸せに感じている。
地頭が良かっただけだろうと言う人もいると思う。確かにその面はある。
しかし、私と同じような成績だった兄弟姉妹は、それほど裕福な暮らしはできていない。
実家の太さが大事だと人は言う。地頭の良さが大事だと人は言う。
一番大事なことは、適切な進路に向かえるよう手助けする「情報」ではないかと。
あの頃、インターネットに出会わなかったらどうなっていただろうか。
2ちゃんねるで学歴厨にバカにされなかったらどうなっていただろうか。
情報が少ない地方であっても、貧富に関係なく、平等であり、忌憚のない意見が貰える、
インターネットは偉大だ。
母方の爺さんは病んではいたそうですが、戦後も生きていたので母は戦後世代です。
母の何歳頃に亡くなったのかは知らないのですが、思春期だったと聞いているので中学か高校頃までは生きていたのだと思います。
両親が学会員だったってこと?
ちなみに、自治会のリーダー格は別の宗教で、子供会と称してタダで旅行に連れて行ってくれました。天理教の総本山まで。
タダより高い物はない。
むかし公民館で花火大会の運営をしてた。毎年、地方の花火大会を無料でやっていたから知っているのだけど、本当にしんどい。なので、それを書き込んでみる。
とまあ、花火大会を無料でするというのは、今の時代は無理ですよ。かつては、花火大会をすることで公民館のメンバーが潤ったけど、もはや利益受給者がないのだからやろうと思えない。というわけで、夏の風物詩を欲すならば金を払ってくれ。貧乏人うんぬんではなく、花火大会には金と体力と気力が必要なのだ。金が無いと花火大会は実施できない。花火大会を無料で観覧させろというのは、「パンとサーカス」よろしく事業継続性に乏しいのである。
働く女性が最多の3035万人だそうで。男女の雇用機会均等がまた一つ進んでいますね。
もっと進んでいけば、いずれ専業主夫、主婦の男女比も同等になってくるでしょう。
それで専業主夫、主婦への風当たりはどうなるか?間違いなく強くなります。特に主夫への風当たりは相当強くなるでしょう。働かない男に価値はない、男の作る料理なんて仕事の後に食べたくない、男の育児は手落ちだらけ。男のジェンダーを絡めた攻撃が過激化していきます、匿名のネットの舞台で、職場で。職場にいる男も騎士団として参加することでしょう。この世の地獄です。
それでもそれらは正当化されます。正当化の根拠は単純です。「専業主婦が虐げられ続けたから」。これは現状の風当たりの強さの追認に他なりません。
専業主婦は主に同性により追認された攻撃に耐えられず、専業主夫を強く攻撃するようになります。「ヒモ」と呼ぶこともあるでしょう。クズ的な行動をする専業主夫がことさら強調され、どんどん専業主夫はもともとない立つ瀬がさらになくなっていきます。子供会やPTAでは力仕事を押し付けられ役職を押し付けられ、労働力搾取をされます。ベルマークは一緒です。力仕事をしたからと免除されません。
親になって、ラジオ体操もプールも子供会も大人の無償の奉仕の上に成り立っているって知ったよ。
ラジオ体操はPTAの町会班で係の割り当てがある。係になったら6時くらいには会場入りしてるんだよね。当然起きる時間はずっと前。
プールは教員か保護者かが見張っておくのが基本で、特に水の事故は危ないので複数で見ておかないといけない。
でも、地球温暖化の影響で暑すぎるのでプールを以前みたいにやるのは無理だろうなと思う。
小学校の学年当たりの児童数が過去最多を更新し続けている状況と町会のイベント運営者の高齢化を見るに、若い人が入らなくなったのが原因だろうな。
今の大人はかつての大人ほど体力もないし時間もないんだろうなとなんとなく思う。
まず、親の年齢も我々が子供のころから5-10歳くらいあがったよね。
それでもって、共働き世帯が増えて主婦に無償労働させられなくなってきた。
あとはかつての大人よりも与えられて当然みたいな考えの人が増えたのかもしれない。
欲しいなら、仲間を集めて旗を振ってやればいいことのような気がするが、誰かがやってくれて当然みたいな人が多数いるようになると、誰もそんな貧乏くじは引きたがらない。