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はてなキーワード: 官憲とは

2025-11-15

anond:20251115013049

いやあんたも俺がメクラと言った時にそれは侮辱罪だとか書いてたやん

でも告訴してないよね。そゆこと。

ついでに言えば先の判例は要するに告訴意思不存在と畏怖の意図存在について真っ黒なら違法であること疑いないってことだよね。

それと同時に要するに無罪を言い渡すのに真っ白だと証明する必要はねーと言ってる。

真っ白以外全て有罪だと裁くべきだと主張する気ならこんなこと断るのはおかしいだろう。

まりグレーなら無罪妥当ってことだ。

あと判例其れ脅迫罪じゃねって言うなら告訴意思無しと認定されて有罪になった判例告訴意思ありとは認定されれないが有罪になった例を持ってくるべきだ。

そのいずれも無いのに脅迫罪だーっていうのはまさに机上の空論だろうね。

そして脅迫罪と言ってる以上これは大前提として刑事裁判なわけで民事ならとりあえずスラップ訴訟的にやられても出廷しなければ相手の主張通りになりうるって点で危ないと言えるが刑事ならまず警察がその気にならなきゃ始まらない。

結果的ストーカーから殺人につながったものでも当時警察がまともに動かず事件になったのなんてよくあるように警察いかに鈍重な側面があるかということぐらいはわかっているだろう?

ネットで訴えると言うのが危ない?何のこっちゃ。警察に泣いて駆け付けても実質的被害が出てないうちはねえとかいなされて終わりだよそうじゃないならまずストーカー被害に対してもっと積極的捜査したがるはずでしょ。

追記

恐喝罪判例もよく見ると不可解。

口止め料を要求してるから恐喝になるんだーって言ってるわけだが、おそらくこれは口止め料を払えば告訴しないと言って金をもらっておきながらさらにその言っていたことを破って告訴した場合にも以前恐喝罪範疇だろうという見解行間から読み取れるのを踏まえて考えた時、これって示談金の要求と何が違うんだって話にならない?

示談金をもらえれば告訴をしないとか取り下げるというのは当たり前のように行われている駆け引きであり、また示談金をもらったか告訴しないというのも単なる当然の帰結で、この場合における告訴しなかったという事実告訴する意思自体存在否定し得ないよね。

その当然の解釈が誤りだ言うなら世の中には特に痴漢界隈とかで女性側の恐喝罪が横行していることになるわけだが…

たとえば、被害者が、警察に対して告訴しない、被害届を提出しないということを「口止め料」と言っているケースもあります。このケースで、示談金を支払うのは全く問題ありません。どのようなことを指して「口止め料」と言っているのかを、被害者に確認してください。

https://示談弁護士.com/chapter3/jidankin1

判例の口止め料はまさにこのパターンじゃん…

捜査官憲に申告しないという口止め料)

判決文では口止め料と表現されてるけど事実痴漢被害者が加害者とそれで勘弁するとして要求する金がそう呼ばれうるように示談金や和解金と呼べるものなんじゃ…?

https://www.courts.go.jp/hanrei/53475/detail2/index.html

dorawiiより

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2025-10-27

anond:20251027102842

「気に入らない奴は非国民」のノリだったろうね

今のSNS炎上官憲が乗っかって逮捕勾留する感じ?

2025-10-14

anond:20251014165206

👽️<「で?」と書き込みまくるのも表現の自由?違うよね?投稿者官憲に射殺されるべきだよね?

2025-09-18

学生時代からの友人と連絡つかなくなった

お互いに50代の独身男。

学生時代からの知り合いで、飛行機移動の距離に住んでおり、月に数度は連絡を取っていた。

自分サラリーマン

友人は体調を崩して仕事をヤメて今は福祉のお世話になっているけど、独り暮らしして軽い外出とかは問題なく出来る。

最後に連絡付いたのは、8月中頃のLINE

その後、8月後半に一回送ったLINEには既読が付いていない。

自分仕事ピークが一段落したので、先週末にLINEを送ってみたんだが、既読が付かない。

電話を掛けようと思っても、自分スマホには電話番号の登録が無かった。

LINEログから、以前に機種変した時に送ってもらっていた番号を見つけて掛けるも、呼び出し音が鳴るだけで出ない。

1カ月近く前からLINEが未読ってこともあり、嫌な予感が頭をよぎる。

とは言え、親族でも無いし、今でも連絡を取り合うような共通の知人も居ないし、友人の実家関係の連絡先も知らない。何も出来ないのよな。

若い頃なら、オレとの付き合いが嫌になりフェードアウトされるってこともあるだろうが、もうそんな歳でもないだろう。

ちょっと体調崩して入院する羽目になったけどスマホを家に忘れてた」とか「実家の親の事情帰省していたんだけどスマホを家に(ry」みたいな笑い話で済むことを願っている。

これがお互い70代とかなら、不慮の事態念頭通報する場面なんだろう。

でも50代の独身男だと、官憲まで動かしてオオゴトになるのは嫌だよな、って感覚はある。まして友人は福祉を受けているんで、この種のことで騒ぎになっちゃうのは不利益を被る恐れが想像できる。

とりあえず、明日また友人に電話してみて、つながらなければ福祉事務所電話入れてみるかな。

2025-07-15

語録

dorawii

https://anond.hatelabo.jp/20250715193625#

「で?」と書き込みまくるのも表現の自由?違うよね?投稿者官憲に射殺されるべきだよね?

dorawii@執筆依頼募集中

「で?」と書き込みまくるのも表現の自由?違うよね?投稿者官憲に射殺されるべきだよね?

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2025-07-08

警察、意外と(失礼)頼りになる

これまで、職質とか、あとはせいぜい免許の更新ぐらいでしか警察と関わったことがなく、高圧的な人々というイメージがどうしてもあった

国家イヌ官憲がよ…とリベラル並み感を抱いていたのだけど、いざ自分被害者になって助けを求めてみると、やっぱり頼もしい存在に見えるね

親身になって話を聞いてくれたし、ああいう人たちが睨みをきかせているから、普通の人の生活が守れれるんだね

ありがとうお巡りさん

2025-05-23

dorawii

チャタレー夫人の恋人って今読むと、ノクターンノベルとして売られてたら一体どこに抜きどころがあるんだってレベル普通らしいな

逆に官憲は具体的にどの一文を猥褻だと感じたのかに知りたい。

まあ、たとえ現代のでも

――ボビュボボドポビュルボボボボボビュボビュルルルゴビュルルバババビュルウウウウウウウウウウウウウウウウウウウッッッ!!! ゴビュッ、ゴビュウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウッッッ!!!ゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボッ!ブバッブバッ、ブビュルルルルルルルルルルルルルルルル!!!!!

↑これがエロいかって言われたら無理あるけどねw

2025-01-02

理系池澤夏樹世界文学全集をほぼ全部読んだから五段階評価する⑥

【前】anond:20250102211547

3-01「わたし英国王給仕した」ボフミル・フラバ阿部賢一訳★★★

才覚でナチス共産主義の嵐を生きぬいた給仕お話経験から相手本質を見抜き、最高のサービスをする、ってのは序盤だけで、あとは東欧諸国悲惨歴史の中で話が進む……はずなんだが、文章全体にユーモアが漂っていて、ナチス政権下でも結構いい思いをしていて、「歴史をこんな風に扱っていいのか?」とその大胆さに驚かされる。当事者からいいのか? いや、そんなことはないのか? 最近は意外なことで炎上したり叩かれたりするので何もわからん(なんか、アジア人のふりをして小説を書いたらバズって、そのままアジア人のふりをする羽目になる、みたいなキャンセルカルチャーネタにしたアメリカ風刺文学があった気がするんだが、思い出せない。キーワード検索しても新しい価値観についていけないで炎上ちゃう六十代教授の出てくるアベルカンタン「エタンプの預言者」という別の文学しか出てこない。で、pretending to be an Asianでググってやっと見つけた。R. F. KuangのYellowface」。洋書だった。たぶんどっかの文芸評論家が紹介してたんだろう)。

関係ないけど、ナチスが優秀な子孫を作るための女性たちのためのキャンプヌーディスト楽園のような外見を持っていながら(いや、記憶いかも)発想がそもそも家畜改良みたいで、恐ろしすぎて「これは露悪的なSFか?」ってなる。しかし、殺戮こそしていないものの、今では人権意識の高いとされる北欧諸国でも、かつては平気で障害者異民族の断種が行われていたのだ。Whataboutismは建設議論にとっては有害だが、人間原始的感情に訴えかける強い説得力を持つ。「確かに俺も悪かったけど、お前にだけは言われたくねえよ」的なね。結局、政治感情で動く。

話を戻せば、この作品映画にもなっているらしい。というか、このエントリ全体で映像化された作品結構あるらしいのだが、全然見ていない。

3-02「黒檀」リシャルト・カプシチンスキ 工藤幸雄/阿部優子/武井摩利訳★★★

ポーランドアフリカって接点があると普段ほとんど考えないのだけれど、きわめてよいルポタージュ。こうして独立してから何十年経つのに、アフリカ諸国とひとくくりにされがちな国々の個性を伝えてくれる。

しかし、出来事基本的に救いがない。人類史の多くは悲惨連続だが、アフリカで起きたことは桁の振れ幅が一つ違う。世界経済システムとの不幸すぎる出会いから五百年余り、まだ立ち直れていない大陸という印象を持った。とはいえ、暗澹たるルポタージュと言うわけでもなく、人々が村の中心の樹々に集まって生活するところや、市場の活気などは生命力にあふれ、まるでそこで暮らす人々の顔が浮かぶようだ。破綻した国家状態は目を覆うようだが、そこから復興して何とかやっている人々の姿もある。……と、当時の日記に書いてあった。

ところで、ヘミングウェイはよくアフリカ狩猟に出掛けているけれども、それは所詮旅行者の目で、上っ面でしかないと批判しているのがこの本だった。そう思っていたのだが、日記を読み返すとそれはポールセロー「ダーク・スターサファリ」だった。著者はマラウイウガンダで教鞭をとっていただけあって、アフリカに対して遠慮が無く極めて率直だ。時として情のこもった叱責や、人々へのまっすぐな好意も出る。きれいごとのないアフリカを知りたい人にオススメ

遅延する電車、かつての豊かな文化個性を失い広大なスラムと化したそれぞれの国の首都、高い失業率飢餓地元民のやる気を削ぐ支援窃盗強盗犯人へのリンチ放置されて本が残っていない図書館。親切な人や旧友もたくさん出てくるがいささか気が滅入ってくる。……と、当時の日記に書いてあった。

今はスマホも普及していてアフリカの様子も少なくとも都市部では大分違うと思う。ただし高野秀行は今でも地方市場では窃盗が起きると犯人リンチされると書いていた。

3-03「ロードジムジョゼフ・コンラッド 柴田元幸訳★★

沈没事故で船を見捨てた船員が、延々と続く良心の呵責に苦しみもがいて生きる話だったはず。

試練に敗れ、卑怯者のレッテルを貼られた人物独白を、別の語り手を通じて聞くという不思議構成だけれど、緊迫感が良い。最後には西欧世界の手の届かないところに引っ込んでしまうんだけれど、これって著者の中で「闇の奥」をどのように発展させてここに至ったのだろう。「闇の奥」の内容をあまり覚えていないので困る。語り手が「闇の奥」と同一人物だと全然気づかなかった。やはり覚えていないのは心細い。これは、たとえ敵意ある世界から逃れても……、的な話なのだろうか。……と、日記に書いてあった。「黒檀」と違い、こちらは日記を読み返しても当時の気持ちほとんどよみがえってこなかった。

3-04「苦海浄土石牟礼道子 ❗

この全集では最重要作品かもしれないのだが、実はこの作品だけ読めていない(だからこのエントリタイトルは「理系池澤夏樹世界文学全集を全部読んだから五段階評価する」ではない)。何かで水俣病患者が苦しみながら「これを垂れ流した企業の連中にメチル水銀汚染水を飲んでもらいたい」と心の底から呪っていたというのを読み、これほどの憎悪自分の中に受け止めるだけのエネルギーが無いと感じたためだ。もしかしたら社員だけでなく、その家族にも呪詛を向けていたかもしれない。記憶にない。あるいは、これはどこにも書いていないのだが、本当はこうして水俣病にかからなかった全ての人に向いていたのかも。

こういうことを言うと結局自国中心主義なのかと言われるかもしれないが、それをはっきりと自覚したのが石黒達昌「或る一日」を読んだ時だ(伴名練が編集した短編集がある)。戦争事故かはわからないが、強烈な放射能汚染で次々に子どもが死んでいく話で、読んでいて相当しんどかったのだが、特にきつかったのは名前が「美優」とか「翔」みたいに死んでいくのが現代日本の子もの(それとも自分と同世代人間の?)名前だった点だ。おそらく「亀吉」や「トメ子」だともっと冷静に読めただろうし、「サッダーム」とか「ウルスラ」とかだったらかなり距離ができる。

僕がこうして世界文学を読めていたのも、他人の苦しみが言語文化の壁によって希釈できているからでは、という疑念を僕に抱かせるに至った。

3-05「短篇コレクション Ⅰ」コルタサル他★★★★★

今にして振り返れば錚々たる作家ばかりだし、気に入った作家の(あるいは、ドナルド・バーセルミみたいによくわからなかった作家の)短編集を借りて読んだりもした(バーセルミは結局全然からなかった)。一方で、後になって適当に手に取った本の作者だったと後で気づくこともあった。当たりはずれがあるのがアンソロジーの楽しみである

フリオコルタサル南部高速道路東日本大震災の際に、災害時にできるコミュニティに関連して話題になったが、震災を知らない世代にも刺さる普遍性があるコルタサル作品の中で一番面白いものの一つ。金達寿「朴達の裁判は前提となる知識ほとんど知らずに読んだのだが、したたかに生きる庶民の話で、吉四六ばなしとひがみ根性のない「阿Q正伝」を足して割らない印象を受けた。官憲に殴られて卑屈に笑ってみせても、決してへこたれることのない強さがある。アリステア・マクラウド「冬の犬」は悲しいけどいい。この人の作品は何を読んでもカナダ東部の寒さが伝わってくる。新潮クレスト・ブックスで出ているので是非読んでほしい。レイモンド・カーヴァーささやかだけれど、役にたつことはわざとらしいが嫌いじゃない。村上春樹訳だ。最近村上春樹は一つの権威なっちゃってとうとう早稲田名誉博士にまでなって、「俺たちの反体制村上はどこに行っちまったんだ」みたいな気持ちになるが、翻訳は好きで、いまだに村上訳の本をたまに手に取る。それに、村上春樹小説男性中心的でときどきレイモンド・チャンドラーみたいにマッチョとはいえ、「メンヘラ」という言葉が広まるはるか前にもかかわらず、メンタル病気で苦しむ人の描写解像度が、身近にたくさんいたんじゃないかってくらい極めて高い。彼の最大の美点だ。もっとも、今では精神を病んだ当事者文学が出てきたので、「じゃあ当事者が書いた作品を超えるにはどうしたらいい?」ってのが次の文学課題だ。ガーダ・アル=サンマーン「猫の首を刎ねる」は、フランス移住したアラブ系青年が、男にとって都合のいい女がどれほど魅力的かを語ってくる叔母の幻影に悩まされる話で(たとえば恋する女性がもう処女じゃないことに苦しむと、脳内の叔母が「かわいくて素直で恥じらいのある処女を紹介するよ」と延々と語る)、あまりに男の欲望むき出し、即物的で笑っちゃうところもあるんだけれど、その都合のいい幻を切って捨てることもできないあたりがリアルで生々しい。男性向け・女性向けのポルノのぞき見ると、みんな都合のいいことばっかり望んでるよね(だがそれがいい)。

余談だが、自分恋人嫉妬深いので恋愛経験はあまり多くない方が好みだが、フォークナーを勧めてくれた友人は、むしろ経験豊富なほうが面倒くさくなくていいと熱く語っていた。このあたりは好みの問題だ。

閑話休題しかしこの叔母が独身だってのがミソで、「女の幸せ結婚だ」という社会独身女性は、こうやって世話焼きおばちゃん的な立場サバイブしてきたのだ、という指摘をどこかで読んだ。

目取真俊面影と連れて」は一番面白かった。自分の中では生涯読んだ短編の中の上位十位に入っている。ウチナーグチの語りなのだけれど、ひたすらいじめられ続けて、抵抗もできずにいる女性が、皇太子暗殺事件犯人関係して不幸になって、そのまま死んでいくという虚無の話なのだけれど、心が深く動かされる。世間ではタフになれとか戦って抗えとか言うけれど、抵抗するすべを知らず、その体力も能力もなく抵抗できずにそのままの人だってたくさんいる。弱い人間が弱いまま幸せに生きて死んで行けるようになってほしい。

3-06「短篇コレクション Ⅱ」A・グリーン/G・トマージ・ディ・ランペドゥーサ他★★★

前項は南北アメリカアジアアフリカが中心だったが、こちらはヨーロッパ作品が中心。こちらの巻はやや印象が薄い。

記憶に残っているのはサルマン・ラシュディ(ルシュディ)「無料ラジオで、人口対策で断種されてラジオをもらった男の話。どうもラシュディはこの政策に反対だったらしく、「真夜中の子供たち」でも断種・不妊手術を極めて否定的舞台装置として扱っているし、実行したインディラ・ガンディーを始め、権力を持った女性に対してうっすらとした嫌悪を持っている気がする。「真夜中の子供たち」でもアパート管理人の意地悪な姉妹とか出てきたし。

あとはミシェル・ウエルベックランサローテだけれど、ウエルベックはどの作品人権意識の高まりをはじめとした社会の変化について行けない中年男性の悲哀と愚痴が基本にあって、どれを読んでも感想が大体一緒になる。前にも書いたが要約すると「俺は非モテから思春期の頃には思いっきセックスできなかったし、処女と金銭のやり取りなしでイチャラブできなかった。中年になって女を金で買えるようになったが、ちっとも楽しくない。子供も老人もみんな大っ嫌いだ、バーカ!」「こうなったのもぜーんぶヨーロッパ文明進歩に見せかけた自滅のせいだ! みんなカルトに狂って不幸になっちまえ!」「人類所詮本能には抗えないサル並みの動物なので、あらゆる不幸はポストヒューマン進化しないと解決しないんだよ! アヒヒヒヒ!」。これはひどいもっとも、こういう反動的に見える作品にも賞をあげちゃうフランス文壇の度量の広さはすごいけどね。もしかしたら「セロトニン」はそこから一歩進んだかもしれないが読むのがめんどくさいし、これまた自分にとって輝きを(こんなものを読んでわざわざ憂鬱になりたいという暗黒の吸引力を?)失った作家だ。ウェルベックは悪くない。変わってしまったのは僕だ。

カズオ・イシグロも収録されていたはずなのだ記憶にない。

ところで、最後まで読んでみて見て思うのだけれど、このシリーズって表紙に毎回鳥が銀色印刷されているんだけれど、これってすべてポーズが違うんだろうか。重複したりしていない?

以上。

あとは同じように読んだ人のブログ探して読んでみようっと。

完読総評! 池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 全冊 - ウラジーミルの微笑

池澤夏樹の世界文学全集は、何が読まれているのか? - ボヘミアの海岸線

おまけ

余談だけど日本文学全集は第10巻「能・狂言説経節曾根崎心中女殺油地獄菅原伝授手習鑑/義経千本桜仮名手本忠臣蔵」だけ読んだ。長いがめっちゃ面白い

岡田利規「能・狂言」の訳がかなり砕けていて、特に狂言だとカタカナも多用している。「荷六駄」の「おーい太郎いる?/はーい。/あ、いたのね」には笑ってしまったが(たぶん「太郎冠者、あるか」「御前に」あたりが原文だと思う)、当時の日本人にはこう聞こえていたのだろう。現代語訳したのが演劇の人なので、声に出してそのまま演じられそうなのがいい。カタカナ言葉が今の日本語の生きた要素として使われていることがよくわかる。

同時に収録されている狂言には視覚障害者おちょくるとんでもないネタもあるのだが、盲目であることが当時どのように受け止められていたかがわかる。江戸時代なんかだと視覚障害者団体も作っていたみたいだし、ただの弱者ではない。だから近江絵みたいに風刺対象ともなっているんだろうか。

おしまい

2024-11-06

anond:20241106014951

絶対にない

安倍晋三事務所火炎瓶投げ込まれたのも指定暴力団の手を借りたから起きた話

あとからゆすりたかりを受けるのと比べたら腐敗した官憲の方がまだマシだ

2024-10-22

名作といわれる昭和映画「はなれ瞽女おりん」(1977年)を観たので感想を書く

最近昭和ドラマ映画を観るようになった。解像度の高い映像で当時の作品をじっくり楽しめる環境が整ったこともあり、作品の細部にある仕掛けや意図が見えるようになり、改めて面白さを感じている。そんな中で観た「はなれ瞽女おりん」(1977年)は、篠田正浩監督の名作といわれる一本だ。

正直、この年齢になるまで篠田監督作品を観たことがなかったが、この映画は素晴らしかった。明治から大正にかけての日本の「原風景」を映し出すという監督意図は、見事に画面に現れていた。しかし、単に美しい風景を描くにとどまらず、登場人物人間性時代矛盾を深く掘り下げた内容に感銘を受けた。おそらく20代若いころにみていたら、おりんカワイソス以外の感想が残らず、忘れさられてしまっていただろう。年齢を重ねて初めてわかる名作というのがある。

映画の中心となるのは、瞽女であるおりん(岩下志麻)と脱走兵鶴川原田芳雄)の物語だ。二人とも社会から周縁化された存在だが、その中でもおりんの「はなれ瞽女」という立場は二重の周縁性を持っている。彼女瞽女共同体である高田の一座から追放された理由は、禁制の「男との関係」があったためだが、それは彼女自身選択ではなく、レイプによるものだった。

そんなおりんに寄り添い、導き手となる鶴川は、物語が進むにつれてその人物像の不整合が明らかになっていく。「天涯孤独」と語りながらも、家族存在がほのめかされ、ついには母親存在告白するシーンは映画クライマックスとなる。この告白が、おりんにさらなる絶望をもたらす。

時代背景と家制度矛盾

この物語が描かれる背景には、明治維新に始まる天皇を頂点としたイエ制度による国民統合矛盾がある。家父長制のもと、人々は家や国家という枠組みに縛られていた。おりんと鶴川共通するのは、このイエからの周縁性だ。

天皇を頂点としたイエ制度は、乱暴にいってしまえばそもそも江戸時代の「家中=藩」にならって編み出された。江戸時代においては「家中」が人を従わせ、結束させる機構だった。幕末の志士たちが思いつくことのできた次の時代国民統合の在り方は、やはりイエだったということだ。この点が王を承認する倫理的な神を持つヨーロッパ統治と異なっている点だ。国の危機を前にしても藩同士がいがみ合うならば、ということで、もっと大きな家中=イエにしてしまえばよい、という発想が明治維新だ。天皇を頂点として、家父長制に結合させ、国、地域共同体世帯すべてのレベルで上から下まで論理的整合する入れ子構造にするために、寺子から氏子へと転換する廃仏毀釈という荒業まで行った。イエの主従関係は、現代にいたるまで日本人のDNAとまでいえるほど根深い。嫁姑上司部下、先輩後輩など。どんなに言っていることがおかしくても絶対である、という点で共通倫理だ。この「家」の概念は、主君への忠誠のもと、等しく苦労するフィクションを生み出し、社会の不平等を覆い隠すことになった。

大正デモクラシーはそうした不条理解決する機運として盛り上がりを見せたが、やがて不況日本を襲い、財閥と大地主の利害を代弁した立憲政友会に幻滅し、人々の失望とともに大正デモクラシーは終焉を迎えるのだ。当時、腐敗した政治毎日新聞をにぎわせた。

脱走兵であることが官憲についにバレて拷問されたとき鶴川叫び「何が、国民皆兵だ。金持ち徴兵逃れで、俺が引き受けただけだ」というセリフは、その矛盾を端的に表している。明治維新で構築された家制度矛盾を背景に、映画鶴川叫びやおりんの境遇を通じてその時代不条理を描いている。

また、瞽女たちが社会の中で次第に居場所を失っていく様子もこの映画は巧に表現している。鉄道の普及が、農村部を含め人々の娯楽へのニーズの変化をもたらし、ひいては彼女たちの文化を衰退させたことや、彼女たちが生き残りをかけて変化を迫られた様子は、急速な近代化による価値観生活の変化を象徴している。

そうした社会状況のなか、おりんは一座から破門され、「はなれ瞽女」となってからは一人で生きてゆく覚悟を決めた女性だった。旅の途中で長岡のはなれ瞽女若いころの樹木希林)と出会うシーンでは、斜陽化する瞽女文化のなかで自立を模索する様子がうかがえた。またおりんも同じ境遇のはなれ瞽女出会いを通じて、自立して生きてゆく勇気と自信を得ていたように見えた。しかしやがて愛する男との別れを契機に、おりんは猛烈な不安に襲われる。それは周縁であるがゆえの存在論的な不安だ。

男女の非対称性

この映画特に印象的だったのは、男女の「帰る場所」の非対称性だ。

鶴川官憲連行される直前、おりんは鶴川から思わぬ告白を受ける。

鶴川の、ごめん実は家族がいるんだ、という告白に、留置所の小窓にかけたおりんの手が崩れ落ちるような衝撃を受ける。このとき岩下志麻の演技すごい。

このシーンに二重写しで思い出した映画がある。それは「駅station降旗康男監督1981年)。大晦日に一人飲み屋のおかみさんと熱燗を飲むシーンでおかみさん役の倍賞千恵子がいうセリフだ。

水商売やってる子には暮れから正月にかけて自殺する子が多いの。なぜだかわかる? 男が家庭に帰るからよ。どんな遊び人もこの時期は家庭に帰っちゃうからね。

好きな男には帰る場所別にある、迎え入れてくれるホームグラウンドがある、という、この同じ寂しさがおりんを襲う。

おりんは、そのさみしさを押し殺して、よかったじゃないかあんたにお母さんがいても不思議はないと思っていた、自分もいるんだ、と幼少期に記憶の残る唄を口ずさむ。エンタメ的には、涙腺崩壊のシーンだ。

鶴川がなぜうそをついていたのか。おりんを深く愛しながらもなぜ夫婦になるのを鶴川は拒んでいたのか。これは推測だが、おそらく母親瞽女を娶ることを認めないことを鶴川はよくわかっていたからだろう。失恋でつきつけられる差別社会現実瞽女文化の衰退、はなれ瞽女であるおりんの存在論的な不安定はここに極まってゆく。

鶴川には母親という寄る辺があり、天皇を頂点としたイエ制度の中で一定の救いが残されている。しかし、おりんにはそのような場所がない。かつての瞽女共同体も失われ、彼女はどこにも属することができない存在だ。この非対称は、映画終盤の「親不知の岬」で息絶えるという結末に象徴されている。

女はひたすらアウエイを強いられ帰る場所はない。これは同時代の歌でいうと、中島みゆきの「生きていてもいいですか」「エレーン」や山崎ハコの「望郷」と同じ世界線だ。対照的に、同時代男性歌手では、何気に上京してもふるさと愛にあふれている、という世界線の歌が多い。男には、失敗してもいざとなったらふるさとに抱かれる、というまなざしだ。「母に捧げるバラード」の海援隊松山千春の「旅立ち」が典型

この男女の人生の非対称は、先日来観ていたドラマおしん」でも同様にみることができた。

おしん物語では、農民運動に熱を入れていた浩太は官憲拷問され転向余儀なくされる。夢破れ傷ついた浩太は傷をいやしに実家の世話になる。浩太の実家父親貴族院で太かったのだ。事業に失敗したおしんの夫・竜三を救うのも佐賀実家だ。一方、おしんにはセーフティネットとしての故郷はない。振り返るという選択肢は存在せず、ただただ前を向いて歩く以外に救いはなかった。

水上勉の描く世界と非常にシンクロした世界観だと思う。



映像表現演出の巧みさ

「はなれ瞽女おりん」の映像表現は見事で、セリフに頼らず映像感情や状況を語る部分が多い。例えば、鶴川告白した後のおりんの行動や、瞽女屋敷を訪れるシーンの演出は、彼女の焦燥や絶望を鮮烈に伝えている。

男の告白ですべてを悟ったおりんは、まず瞽女屋敷に向かい自分の育った場所を確かめに行く。しかし、時がたち、すでに瞽女時代は終わりを告げていた。屋敷がもぬけの殻だとわかると、男を待つことも探すこともせず、心身ボロボロになって、一人はなれ瞽女として宿場町を回る日々。おりんの着物がボロキ状態になっていることから、はなれ瞽女としての暮らしが何年も経過していることがうかがえる。この映画終盤のテンポ絶妙だ。

また、ラストシーン親不知隧道での描写は、観る者の解釈に委ねる余韻があり、深い感動を呼び起こした。私の解釈になるが、ズームアップされるトンネルの測量機器と遠くの岬に見えるおりんの着物の切れ端の遠近感は、鉄道の普及と瞽女文化終焉を見事に演出している。さすがだわ、この演出家、そしてカメラワークに感嘆ぜざるを得なかった。映像を学ぶ人にはぜひみてもらいたい作品

おりんの物語は、単なる一人の女性悲劇ではない。社会の中で周縁化される女性たちの象徴であり、家制度という枠組みの中で矛盾を抱える日本近代のものを映し出している。家父長制のもと、妻には銀行口座を持つ権利すらない時代、周縁化された存在であるはなれ瞽女の自立と恋、その挫折を通じて、その背景に潜む不平等や抑圧を丹念に描いた篠田監督の手腕に心から感服した。

篠田正浩監督が描きたかった「日本原風景」とは、単なる美しい日本風景ではなく、矛盾や悲哀に満ちた人々の生き様のものだったのではないか。この映画を観て、初めて彼の作品に触れたが、もっと多くの作品を観てみたいと思った。そして、昭和ドラマ映画が描く時代背景の奥深さに、改めて心を動かされた。

また、ドラマおしん」と時代が重なるところでは、国民統合や周縁性に関して、もう少し思うところがあるので、またそのうち増田で。


2024-10-13

名作といわれるドラマおしんをみたので感想を書く その4

https://anond.hatelabo.jp/20241010224911から続く

おしん物語根底を流れているのが、「恩」であり「仁義であるということをこれまでの感想でも書いてきた。おしんイコール辛抱する精神というイメージが広く流布するなか、金儲けに走った息子の根性を叩き直すために、田倉家を滅ぼしてでもライバル会社に利する行動に出た、という物語ハイライトは、意外にもあまり注目されていない。私も正直なところ、全話を通してみるまで知らなかった。

今回は、物語類型としての「おしん」をみてみたい。

流浪するおしん股旅物としての評価

おしんは一代記ものとしては、タイムスケールがとても長い。おしん1901年昭和天皇と同年に生まれた設定である

そしておしんが生きた少女時代から後期高齢者の83歳になった1984年まで、それぞれの時代があまりにも違い過ぎるので、1983年の田倉家のシーンから明治回想シーン時代を一気に2世代くらい遡るときタイムトリップ感が半端ない

1983年おしんが息子・仁を裏切って、並木商店への説得どころか、積極的大手スーパーへの並木土地の売却を進めてくれとお願いした背景には、並木商店隠居の大旦那並木浩太に対する並々ならぬ恩があるからである

それは、どのような恩だったのか。おしんは息子たちには何も過去を語ってこなかったので、仁には知る由もなかった。そもそも並木浩太とは何者なのか。

おしんも誤解されるのが嫌でそれまで息子には一度も語ってこなかった。しかし、前年の1982年17号店進出を知ったおしんが息子の行動を阻止しようとしたとき、仁は、それが母の初恋の人への配慮であることを悟る。そして、仁はいう。商売ってそういうものじゃない、「母さん、みっともないよ。」と。今風にいえばいい歳してエモいことを言い出してんじゃねえよと思われたのであろう。案の上、誤解されてしまったおしんであったが、なすすべなく工事は進み、ついに開店当日を迎える。おしんはこれまでの人生の回顧の旅に出るのである

おしんと人の縁

おしんと浩太のいきさつをかいつまんでかくのも、がっつり書くのもいずれもけっこうしんどいしかし、今回のテーマの「股旅物」がわかるように、ややガッツリ目に書いておこう。股旅とは、大正時代に生み出された物語類型ひとつで、一宿一飯の義理人情に従って流浪する物語であり、多くは渡世人やくざなどが主人公である股旅物の元祖長谷川伸は、その後の日本小説戯曲、そして映画テレビドラマに至るまで多大な影響を与えた人物である。「飢餓海峡」で知られる水上勉は、長谷川伸の「夜もすがら検校」を読んで作家を志したことはよく知られている。「夜もすがら検校」を発表したのは1924年である明治が遠く過ぎさり、大衆大正デモクラシー自由への過大な期待から人々が少しずつ醒め始め、もう一度生き方を見直そうしていた時代である

おしん回想シーンだけをみると、浪花節にあふれた、まごうことな股旅であるしかし、おしん物語面白いところは、浪花節陳腐化し、古臭いものになってしまった現代1980年代)と交差している点である

キーワード加賀屋への恩】

並木浩太とおしん最初出会いは、おしん16歳、山形酒田の米問屋加賀屋奉公へ来てから7年が経った頃だ。おしんは、加賀屋の跡取りの長女・八代加代と姉妹同然に育ちながらも、大奥様・八代くにからは、肉親の孫娘・加代よりも商売イロハから茶道裁縫など良家の子女としての教養を徹底的に教え込まれていた。このときにの指導によって身に着けたものの考え方や教養が、のちのおしん人生で役に立つのである。加代はというと、将来は良家から婿をもらって加賀屋をどうせ継がさせられる自分のつまらない運命うんざりしていた。絵画が好きだった加代は、東京で別の”自由”な人生があるのではと夢をみる少女だった。そんな折、農民運動活動家・浩太と出会った。酒田訪問した際、官憲の目を逃れるためにおしんとお加代に助けを求めたのが最初出会いであるおしんとお加代は同時に、浩太に恋心をもってしまう。大正デモクラシー時代だった。インテリかぶれした加代は平塚雷鳥の本を手元におき、人形の家を著したイプセンなどに憧れを抱いていた。当時、大衆のなかで勃興していた人権運動先進的だと中身もわからず憧れていたのである農民運動、カッコいい!加代は浩太の活動ロマンを感じて恋に落ちてしまった。一方、おしんは、土地を持たない小作農民の自立を助けたい、という浩太の純粋な思いに心を打たれていた。おしん小作の娘であった。小林綾子が主演した「おしん少女編」では、おしんの母・ふじが冬の川に下半身を沈めて妊娠中絶を図ったり、小作農民の悲哀がこれでもかというくらい暗く描かれていた。そしておしんは冬の川に入った母の姿をみて、6歳で材木問屋奉公へ行く決心をしたのであるいかだに乗って、母ちゃんと叫ぶ、有名なシーンのアレである

ともあれ、加代とおしんは同時に同じ男性に恋をした。そしておおらかで情熱的な性格の加代は恋心を隠すことができず、おしんに打ち明けていた。そしてやがて加賀屋の跡取り娘でありながら、何もかも捨てて浩太へ会いに東京家出してしまう。しかし、おしんは、奉公先の跡取り娘であるお加代様の恋を大切に思い、自分の思いはそっと封印した。一方の浩太は、東京に出てきた加代の猛烈な求愛を受け止めつつ(東京で加代と同棲までした)、本心最初からおしんが好きだったのである

おしんは加代の家出理由加賀屋に伝えることが忍びなく、おしん加賀屋から暇をもらって帰郷する。帰郷したおしんを待っていたのは、おしん女郎部屋へ売り飛ばそうとする父・作造と口利きの男であった。さら実家で目にしたのは、奉公先の製紙工場の過重労働健康を害し、肺結核で放り出され、今や死を目前にした姉・はるの姿であった。いまわの際に、はるは女衒に騙されそうになっているおしんを救うべく、自分の夢が髪結いになることだったことをおしんに告げ、東京の知人の髪結い師匠長谷川たかの住所を訪ねるように、伝えて息絶えた。

一方、加代は、浩太の心がおしんしか向いていないことを悟り、浩太のいない東京を去り、加賀屋を継いで見合い結婚する。

キーワード日本髪結いのおたかへの恩】

こうして、はる姉ちゃんが叶えなかった夢を託されたおしん東京へ出た。女郎部屋を売り飛ばそうとした父のいる故郷に心を残すものはなかった。髪結い師匠たかは、江戸時代から続く髪結いの昔気質職業観を持った女性だった。一人前になるための6~7年の下積みの苦労は当然であり、弟子には甘えを許さなかった。

しかし、大正という時代は、江戸から明治まで続いてきた日本髪の伝統の衰退期であった。大正浪漫とか大正モダンと言われる時代が到来しており、洋髪が東京流行し始めていた。おしんが修業している3年間の間に大きく時代が変わりつつあったのである

大衆身分から解放され、より自由髪型を求めるようになっていた。髪型をみれば、人妻なのかそうでないのか、はたまた、その人の職業身分がわかる、という時代は終わりつつあった。弟子入りなんてせず洋髪の専門学校をでて、理髪を仕事にする時代がきていた。おしんには洋髪のセンスがあった。たかおしん独立をすすめる。たかはいう。「昔は厳しかったんですよ。6年も7年も修業してやっと一人前になったら、それからまた、お礼奉公をして。10年近くもただ働きをして覚えたもんなんですよ。そんなことは今は通んなくなっちまったけど。やっぱりご時世ってもんですかね」。これは紆余曲折を経ておしんたかの元から独立し、その後、客先で出会った男性・田倉竜三と結婚挨拶たかを訪れたとき言葉である。その時、5人いたたか弟子はついにたった一人だけになっていた。

田倉商店を竜三の妻として支えるようになったおしんであったが、商売は順風ではなかった。おしん夫婦を陰で支えていたのはたかであった。田倉の経営が傾くと、おしんたかを訪れ、髪結いをして夫を支えた。たかもまた、洋髪の時代おしんの才覚を必要としていた。客商売は人の縁、ひととのつながりを大切にすることだと心に刻んだのはこの頃である

一方、田倉商店開店休業状態に陥るほど経営悪化していたが、おしん髪結いで稼いでいたので竜三はプライドを傷つけられ、すっかりおしんが稼ぎ出した金で遊び歩くようになってしまった。師匠たか相談すると別れちまえという。「ダメな男はどこまでいったってダメなんだよ」とすっぱり切り捨てるが、おしんは亭主をダメにしたのは自分だとと気が付いた。夫の更生のために妻の自分は黙って夫についていく姿勢を示すことを決意し、長谷川洋髪をやめることをたかに申し出る。稼ぎ頭のおしんに辞められるのはたかにとってもつらいが、受け入れる。やがて蓄えもつき、明日食べるコメもないどん底におちて初めて竜三は再起を決意する。しばらくは順調に田倉商店再生が進んで、おしん洋裁の才能も手伝って、田倉は子供服店を開店することになった。しかし、その直後、関東大震災おしん夫婦の夢を完膚なきまでに打ち砕いてしまうのである工場火災で焼かれ、絶望した竜三は「佐賀ゆっくり休みたかおしん佐賀はいいとこばい。。。」といって佐賀への帰郷の心を固める。竜三は大地主の三男坊なのである。こうしておしんにとって地獄佐賀編がスタートすることになった。

さて、佐賀に三男の嫁として入ったおしんを待ち構えていたのは、姑による徹底的な虐待だった。数か月もすると、おしん佐賀地獄から脱出を心ひそかに誓い、東京師匠たかのもとに、東京に戻りたいと手紙を書くのであるたかの元にいけば助かる、自分の腕一本で生きていると信じた。必死の決意で脱出し、やっと髪結いを再開しようとするも、さらなる不幸がおしん絶望に突き落とす。佐賀で夫に振るわれた暴力が原因で、右手の神経に麻痺が残ってしまっていた。髪結いを諦めざるを得なくなった。

こうしておしん流転の人生が始まる。屋台出店からまり故郷山形酒田と流れ流れ、ついに浩太の紹介で三重伊勢の魚の行商に落ち着き先を見出すのである佐賀に残った夫といつかは一緒になれると信じて手紙を書き続けるのである

キーワード:浩太の恩】

浩太の実家貴族院議員の父を持つ、太い実家だと先に書いた。しかし、浩太にとって本当のやすらぎのふるさとは、おばの伊勢実家網元のひさの家であった。浩太は、流浪人生を送るおしんを見かねて、伊勢網元をやっているおばのところに下宿し、行商を勧めるのである。これまで米問屋での奉公に始まり、ラシャ問屋子供服洋裁、洋髪・日本髪、農家の嫁地獄酒田の飯屋をやってきたおしんめし加賀屋は加代とおしんが切り盛りし、おしんにとって加代の元気な姿をみた最後の思い出となった。その職業遍歴に今度は魚売りが加わることになった。

伊勢に来て、笑顔を取り戻したおしん。竜三もおしん魚屋をやる決意をしてくれ、おしん人生好転し始めていた。

一方、加代の人生は、暗転した。加賀屋本体が夫の先物取引の失敗で負債を抱え倒産した挙句、夫は自殺してしまう。八代家の両親は過労で衰弱、入院費を工面するために加代は借金のかたに売春宿に沈められてしまう。両親は相次いで亡くなり、生まれたばかりの希望を抱えた加代をみて、おしんは救出を誓うが、借金の額に手が出せなかった。加代は翌日酒を煽って死んでしまった。希望は田倉で引き取ることにし、加賀屋の再興を果たしたい思いから、養子にはせず、八代苗字も変えなかった。

一方、浩太は長く続けてきた農民運動に行き詰っていた。治安維持法により、弾圧が厳しくなり、ついに6年間も投獄され、苛烈拷問の末、転向を迫られた。敗北者となった浩太は、心身の傷をいやすために伊勢のおばのところに帰るのである。すっかり引きこもってしまい、おしんとも口を聞こうとしなかった。やがて、浩太は実家の縁談に応じて、並木家へ婿入りすることになって静かな人生を送るのである。やがて少しずつおしんとも再び心を開くようになるまで十数年を要した。

田倉家では、雄、次男の仁、そして希望がすくすくと育っていった。雄は戦争で亡くなるが、戦後も仁と希望兄弟のように母おしん魚屋を支えていた。大人になった仁が商才を発揮する一方で、希望商売に向いていない自分を見つめ直し、自己実現のために陶芸の道を歩みだす。

屈折10年、陶芸師匠の元で修業した希望がようやく独り立ちできる時期が来た。そのときに、希望のための釜・新居の支援をしたのは浩太である。お加代さんとの縁を思い出してのことである。浩太は、折に触れて田倉家のおしんを見守るように生きていた。おしんセルフサービスの店に挑戦するときも、銀行からの借り入れにあたって、浩太は並木の自宅を抵当にいれてくれたこともあった。

股旅物を取り込んだ現代劇~義理人情は古臭い観念かという現代人への問いか

さて、長いことおしんの半生を振り返ってきたが、一旦冒頭の仁のセリフ1983年の場面)に戻りたい。

仁が17号店の出店を並木商店の近くに計画していることを知っておしんが反対したときのことである初恋のひとに迷惑がかかる?「母さん、みっともないよ。」というのが仁の反応であった。しかし、もし仁が母おしんの半生をもう少し知っていればそんな言い方はなかっただろう。おしんは人の恩に深く支えられて生きてきたのである。田倉スーパーの出発点となったセルフサービスの店にしても浩太の支援があってこそであった。

ここには、自ら築き上げてきたスーパー廃業も辞さなおしんの思いは、長谷川伸の「夜もすがら検校」で大切な琵琶を燃やしてまで恩に報いたい思いと通じるものがある。

ドラマ構成として興味深いのは、おしんの半生を、徹底的に(一年間のドラマの大半部分を費やして)一宿一飯の義理人情で「世話物」的に(つまり当時の生活感覚として)描いておきながら、おしん戦後現代にいたる高度経済成長おしん自身義理人情を忘れてしまたことに気が付く、というメタで重層的な構成であるおしんにしても、商売は食うか食われるかだ、という厳しい姿勢戦後を突っ走り、16号店までたのくらスーパー事業拡大させてきた戦犯なのである。それが今になって17号店は昔に世話になった人に迷惑がかかるから反対、はない。突然反対し始めた母を見た1983年の仁の目からは、義理人情なんて古臭いものだという感覚であり、母の物語は「世話物」ではなく完全に「時代物」なのである。大切なものを置き忘れてしまった気がしたおしん問題17号店開店当日、失踪する。この世話物時代物が交差する、ところもドラマおしんの魅力である

2024-10-04

anond:20241003174607

人を癒したくてヒーラーになった魔女赤ちゃん堕す仕事に就く経緯を考える。

まずヒーラーということは魔法存在する社会であり、途中でヒーラーとして突然働くようになったということは、後天的な才能・技術定義できる。

ここを膨らませることでストーリーラインを作れる

教会学び舎治癒術師として教育を受けた主人公活動するにあたって正式な認可を得る必要があったが、その職権はギルドに独占されており、主人公には門戸を叩くための縁故金もなかった。

市井の闇医者として質の悪い客から安い金を貰って疲弊していく主人公は、やがて官憲に追われ流浪の身となる。

いくつかの町村を巡りながら闇医者を続け、とある町でついに官憲に捕まってしまう。

罰金などは到底払えるはずもなく、腕を切り落とされて放逐されかねないところでギルド示談金を払ってもよいと持ち掛けてきた商人がいた。

命惜しさに商人取引した主人公は、〇〇…



でとりあえず走り出せる。

〇〇にはいろんな代入が可能

かいろいろパターンは出せる。

「私がやりたいのはこんなことじゃないのに」~眠りこける龍の抱える卵に手を当てながら

「私がやりたいのはこんなことじゃないのに」~目を覚ました龍を前にして

2024-09-29

メロスは友人の命を救うために一生懸命走り、扉が閉まる前に間に合った

しかし扉は、ネクタイ保険会社役員白衣医師たちに包囲されていた

メロスは戦って、数人を倒した

しかネクタイ白衣はあとからあとから沸いてでてきた

大蔵省厚生省は、彼らの暴力を見ない振りをしている

病院は数十億円もの施設債を発行しており、不景気証券市場を潤しているからだ

それで官僚たちに診療報酬値上げを迫るわけだ

扉が閉まる時刻が迫ってきた

からエレベータまで3分、そのあいだにエレベータが止まってしまうかもしれない

  

メロスは彼らの人数に負け、病棟に入れなかった

病棟4階では、友人の手首にうっかり3倍量の抗菌薬が注射されている

そのことで友人は心不全を起こし、心因性脳梗塞を併発した

そして、副作用による出血の恐れを理由に、脳梗塞急性期の処置は一切行われなかった

友人は脳を破壊され、見殺しにされ、この世にいなくなった

   

メロスは翌日、警官弁護士出来事を話した

警官弁護士は鼻で笑った(麻薬以外の薬は管轄外なんでー)

   

走れメロスの本当の結末はこうなんですよ

太宰治官憲医を怖れて、修正していたんです

2024-09-21

anond:20240921143137

少なくとも日本国憲法施行されて以降、顔の美醜を理由官憲市民を取り締まった事例がないので、お前の説は説得力なし

2024-08-26

anond:20240825224109

スーツ黒髪の女が止められるなんてことは滅多にないし

別室送られたら留置所みたいなとこに官憲監視付きだから盗難レイプなんて起きようがないし

別室にいる間に他人が帰すこともできないぞ

2024-08-04

anond:20240804073431

サービスとしてはいいんだけど、「良い感じで関心の揃った、知的一定の訓練をうけた、生産的な人達」のブクマが見られるならとても有益なんだが

炎上祭り好き、エロ下ネタ差別無気力破壊病気デマ」「女は不利、男はクソ」「官憲の横暴許すまじ」「ブラック企業詩ね」「保育園落ちた日本史ね」「アフィアフィアフィマネタイズ」「ぬこぬこぬこ」みたいなブクマであふれてしまうのをコントロールする方法ないんかな。良い感じの人「お気に入り」に入れて組織化しろって話があるんだけど、はてブユーザー母集団自体で「お気に入り」に入れられる人が少ないんだよ。

2024-07-24

anond:20240724130610

いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。

 今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。

 なお、戦地移送された慰安婦出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島我が国統治下にあり、その募集移送管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。

 いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性名誉尊厳を深く傷つけた問題である政府は、この機会に、改めて、その出身地いかんを問わずいわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省気持ちを申し上げる。また、そのような気持ち我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣検討すべきものと考える。

 われわれはこのような歴史真実回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。

 なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間研究を含め、十分に関心を払って参りたい。

https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/kono.html



日本政府公式見解を認めないとか反日か?

2024-07-23

弥助問題ネトウヨが「外務省通報だー!」とか吠えてるけど

何で慰安婦問題では外務省公式見解尊重しないの?

 いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。

 今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。

 なお、戦地移送された慰安婦出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島我が国統治下にあり、その募集移送管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。

 いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性名誉尊厳を深く傷つけた問題である政府は、この機会に、改めて、その出身地いかんを問わずいわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省気持ちを申し上げる。また、そのような気持ち我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣検討すべきものと考える。

 われわれはこのような歴史真実回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。

 なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間研究を含め、十分に関心を払って参りたい。


これが日本政府公式見解だよ?

2024-07-04

はてブつまんねーなー

どうでもいい話ばっかブクマされてんなぁ。市議会議員が横暴だ、官憲が横暴だ、女子校生殺人容疑者性的に奔放だ、とかどうでもよすぎる。

2024-01-14

anond:20240114202525

官憲が味方するし(そこには男女平等思想は無い)、官憲のバックには某政党国会議員がついているか

2024-01-09

芸能人と寝たがるグルーピーなんて死ぬほどおるやん

ジャニーみたいに性暴力を働いてたならともかく、今までに出てる松ちゃんの落ち度って妻子がいながら外で女遊びしてたことだけでしょ?

浪花恋しぐれ」じゃないけど、芸人の女遊びなんて倫理的にも許容されてたことじゃん。

なんなら外に女作るのも男の甲斐性みたいに肯定されてたことすらあるじゃん

てか浮気不倫なんて、畢竟、当事者問題じゃん。

現時点ではただの芸能ゴシップなんだぜ?

ブクマカには「松ちゃん叩くのは官憲が動いてからにしとこ」くらいの分別は持ってほしいわ。

2023-09-05

anond:20230905175228

人口の話出てるから朝鮮統治独立運動の話しかと思ったけど、震災の方か。

まともな官憲朝鮮人を暴徒から守ってたみたいだけどね。それにしても、当時の日本人無知蒙昧さと野蛮さは、想像を絶するものではあるね。

まあ、米欧もたいがい似たようなもんだし、そういう時代だったのかもね。

2023-08-13

anond:20230813141023

べつに天皇ではないし、わざわざお気持ち表明せんでも良いよな

日本SNS炎上に対する諸アジアの反応は、何炎上してんだよ?という感じだし

日本人が炎上してもアジア枢軸国がやられたの喜んでるだろ?っていう原爆正当化が働くし、反省ないよね

もちろん日本帝国はやり過ぎたのだが、日本人的は仕方がなかった(官憲裁判所が怖かった)的な考え方は、暴動起こしても反抗する外国人には通用しそうもない

日本司法の後進性(ソ連ロシアとどっこいどっこい)とか、原爆使用の裏側とかもっと宣伝しないと、日本人の状況は理解されないのう

2023-06-25

anond:20230624212322

よくわからん

たとえばNPCをぶっ殺したとき「街を破壊した大罪人として怖れられる」のが「自由度が高い」なら、

NPCが逃げ回って誰も殺せなくなるのも、自キャラ官憲に拘束されて檻にぶち込まれるのも、「自由度が高い」ということになるのだろうか?

元増田が求めているものは、ある種のゲームの魅力ではあっても、「自由度」と呼ぶべきものではないように思える。

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