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2025-11-12

共働き強度レベル

フルタイム共働きより乗り物必須を選ぶ

福岡(都雇圏273万人)で地価最高点徒歩4分新築70㎡は9120万円故,世帯年収1140万円程で家族居住できる.

然し, 余程夫婦揃って仕事大好き!仕事続けたい!でない限り,片働きになっても住み続けられる(乗り物必要な)場所を選ぶだろう.

(故に,片働きでも地価最高点徒歩4分内家族居住できる都雇圏80~110万人が最高)

共働き強度レベル

閑話休題, 共働き率全国72%, 東京23区75%と一口に言えど,共働きには様々な形態がある.

負担が軽い順に記すと,こうであろう.


女性の1日の総労働時間仕事家事育児)は、

パート:5時間+4時間 (9時間)

農家:3時間+4.5時間 (7.5時間,農繁期はきつい,休日少ない時期有り)

フルタイム:8時間+3時間 (11時間)

更に,身支度・移動時間を加味すると

パート:5時間+4時間+1時間 (10時間)

農家:3時間+4.5時間+0時間(7.5時間,農繁期はきつい,休日少ない時期有り)

フルタイム:8時間+3時間+2時間 (13時間)


こうしてみると、フルタイム共働きが前提の過密地では、結婚出産すると、4時間程,自分時間が無くなるが,

パート場合, 無くなる自分時間は1時間のみ.

斯様な事もあり,超過密地では出産結婚生活水準が大きく下がるが,適密~そこそこの過密地ではそうでもないのである.

2025-11-09

地元イノシシサルが出るようになった

増田地元茨城県北部山中。この集落住民は山と山に挟まれた川沿いで田畑を耕して生きてきた。

10年ほど前から耕作放棄地が増えてきた。田畑の主は80代が大半だし、現役世代はみんな都会に出ていってしまった。山中の狭い農地で細々と農業をやりたい若者なんているわけがない。まあ、とにかく10年くらい前から雑草ボーボーの耕作放棄地が増えてるんだ。

これと同じ時期に、それまでは一切見かけることの無かったイノシシが出るようになった。放棄された田んぼに穴が掘られているのを初めて見つけたとき不思議だったが、イノシシが掘ったものだと知って、ここにもイノシシが出るのかと驚いた。それまではイノシシとは無縁の人生を送ってきて、これからもそうだと思っていた。野生生物って移住してくるんだね。

それから8年が経ちイノシシにも慣れてきた頃、今度はサルが出た。野生のサル日光しかいないと思っていたので本当に衝撃だった。一体どこから移住してきたんだろうか。人間若者移住してこないのに野生生物移住してきてしか繁殖しやがる。めちゃくちゃだ。

最近ニュースを見ていて、きっと次はクマが現れるんだろうなとぼんやり思っている。イノシシサルなら対処のしようもあるけど、クマに関してはどう対処すればいいかわからん。怖すぎる。

増田地元人間が減って段々と自然に侵されている。きっとおなじように自然に負けつつある場所日本中にあるんだろうなと思う。10年後の日本の姿はどうなっているんだろうか。

それにしてもクマ怖すぎだろ。

2025-10-28

anond:20251028120628

熊が住める場所が増えたら、熊は増えるから

放棄された空き家冬眠場所にもなりえるし

残された田畑果樹からしばらくは食料も得られる

やがて東北が熊で飽和して徐々に南に溢れてきて

人間は熊の一個師団と対面することになる

2025-10-08

【追加したよー】猫嫌いブクマカたちの浅はかさ、グロ

バカブコメトラバもみんな、「猫嫌い」を正当化できるロジックは持ってなかったな。

地域猫活動する組織が悪い」あたりか、最大のロジカル打点は。

その通りだよ。地域猫はいない方がいい。地域猫してる理由野良猫いるからで、彼らを殺せば捕まるからで、妥協点ではあるし、バカはその辺りすら知ろうともせぬが、

野良猫も当然いないほうがいい。

最初はその辺りからでいい。

猫は悪くない。悪いのは人間。そこに気づければそれでいい。

バカみたいに猫の殺処分を求める馬鹿たちが、なぜ猫の殺処分不法か、考えるきっかけになればいい。殺処分が一部でも合法とされてる生き物は、なぜそうなのか考えるきっかけになればいい。

どんな生き物がどんなふうにかかわって今の日本があるか、考えるきっかけになればいい。

今の自分が、誰に対してどんなあぐらのかきかたをしてるか、気づくきっかけになれば、それでいい

 

バカ拡散してくれる。自分の優位性を示すため。

でもそれすら地球ひとつ幸福のたねになる。不幸の種かもしれない。

でもそうやって、だれひとり自分選択でなく、この星を生きている。

 

 

 

 

追記ここまで

 

野良猫問題と見るや「殺せ」「地域猫なんかふざけてる」「害獣として殺処分できるべき」と吹き上がるブクマカたち。

なぜ猫が人里で暮らしいるかそもそも猫はなんで野生ではなく野良というか、考えたことはあるだろうか。

日本に猫がやってきたのはおよそ2000年前、弥生時代にさかのぼる。当時の日本人は稲作が普及すると同時に、農家ネズミや雀、害虫に悩まされた。

それらのハンターとして中国からやってきて重宝されたのが始まり

ちなみに日本のそとに目を向けると、約5,000年前の古代エジプトですでに作物をネズミから守るために猫が飼われていた。

もちろん機能的に優れるだけでなく大変愛らしくよく懐くので愛玩目的でも重宝されたが、

メインはハンターとして。

とにかく、猫は人間のたべものを守るために、長い年月、田畑倉庫・船などあらゆる場所で飼われていたわけ。

日本アジア歴史に猫がいなかったら、米食・穀食の文化はいまのように育たなかった可能性もある。もしくは高級品になっていまとは別の広まり方をしていたかもしれない。国々の文化歴史も変わっていったかもしれない。

 

猫は人間エゴ家畜化し、人間エゴで野生を奪い、人間エゴ地球中に拡散し、人間エゴ人間に都合がいい生き物として進化させてきた。何百世代にも渡ってね。

それが日本から百姓が減って農薬や殺鼠剤や冷蔵庫進化した途端に害獣扱いですか。

へえへえご立派なこってすね。人間様の暮らしにいまや猫は必要ないですもんね。

百姓してて猫嫌いっつってる人みたことない。いや、厳密には祖父は超犬派で猫を飼うというと最初こそ嫌そうだったけどいざ飼ってみたら2年でマジでネズミが全くいなくなってから猫を神と崇めるようになった。姉が結婚して猫を連れていってからは、どこからともなく子猫を見つけてきて飼い始めるほど。

 

なんか蚕を思い出す。日本養蚕業がさかんだったころはそこらじゅうで飼われていた。野生では生きていけない品種人間に都合よく歪められた品種。哀れだ。人間の醜さを痛感する。まあ猫は蚕とちがって野良でも生きていけるけども。

 

ま〜とにかく、猫を憎悪してるお前ら、勝手憎悪してりゃあいいけど、

米や穀物食う時はその歴史に少しは感謝してみりゃいいんじゃないすかね。

 

野良猫を増やしたがるクソ人間も嫌いですもちろん。

わたし自治体ルールに則り野良猫捕獲しては”””自腹”””で病院避妊去勢手術を受けさせ地域猫化しています。(うちの自治体場合申請すれば費用は1割くらい見てくれるらしいけどのその程度の端金ために申請するのがめんどくさい)

 

以下参考

 

地域猫活動/TNR活動

子猫が生まれない一番確実な方法不妊去勢手術を施すことです。 対象となる猫を捕えて、手術後放します。 このことにより、その猫は一代限りとなり、子孫が増えることはありません。 この方法をTNR(Trap[捕まえる]、Neuter[手術する]、Return[戻す]もしくはRelease[放す]の頭文字)といいます

 

バカ野良猫にエサをやらなかったらいいのでは?」

野良猫にエサをやる人がいなくなりさえすれば速やかに猫は餓死すると思っていますか?いいえ。猫はゴミあさりますスーパーなどに侵入して売り物に手を出すかもね。人間様の大好きな燕を襲ったりもするかもね。そうすると虫が増えるね。まあ燕を捕まえられる猫は結構限られるけど。

 

バカペット小動物を殺されて憎い」

小動物なんて猫だけでなくカラスでもイタチでもやられる生き物を飼っておきながら戸締りしていないお前が悪い。小動物を飼っているなら責任持って換気扇排気口にも鉄製の網かけるレベルで厳重に守れ。

「猫の狩猟本能が強いのは先述の通り人間エゴのために進化たからです。」という前提を頭に入れて対策しろ

 

そうは言っても糞尿被害

自治体相談しろ、猫よけ超音波マシンかいろいろ貸してくれる場合もある。

他にもスプレーとか、猫の苦手なニオイや食べ物、いろいろ対策グッズはある。

お前の土地はお前が主体的に動いて守れ。

 

 

 

てか実家がクソ田舎百姓だけどお呼びでない来客なんて無限に現れますがな〜〜〜庭や畑には鹿も猪も日本ざるもイタチもタヌキもやってくるけど当っっっっっっっっったり前に彼ら動物に「法律で決められた土地所有権」なんて理解してもらえるわけがないなんて小学生でもわかんない?だから人間サイドで対策するしかないなんてどんなバカでもわかるだろ!!なんで都会の人間は猫が入ってきたくらいでそんなピャーピャーと・・・猫なんて別に人間に襲いかかってくることもない。お呼びでない来訪者の中ではかなりマトモな部類だってのに・・・

地球人間だけのものではありません!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

2025-10-07

anond:20251007072122

株がいくら上がっても、それを価値に変える人や現物がなければただの紙切れなんだ。富士山の頂上で「金はいくらでも出すから寿司10貫と熱い茶を出してくれ」って言っても数千円では実現できない。担い手のいない社会での金の価値は本当につまらないものだよ。まあ、富裕層は、株を現金化して、カンボジアとかベトナムとかタイとかの安いところで贅沢できるんだろう。しか国土は荒廃し、治安は最悪になっていく。鉄やシリコンや燃料が値上がりして水道下水管橋のメンテができない。少子化で弱ったところに中国ソフト物理力で進撃してきたら先祖代々の田畑もいつのまにか中国語が共通語になっているかもね。もう実際かなり水源地や山間部の中国の買い取りは進んでいるのでは?

2025-10-05

anond:20251005210041

そんなことないよ。

参政党はマルチ商法に似た党運営で強固な組織をつくってるんだよ。

マルチ商法参加者資金が尽きれば終焉を迎えるが、参政党のマルチ無限に成長できる。参加者やりがい搾取しているから。無限なんだよ。

参政党で「オーガニック野菜健康に」「ジャンボタニシをまいて日本田畑に活力を」などの活動で生きがいを見出したひとが自民党支持にもどりますか。戻らないでしょ。

参政党で活動すると、党内資格がつくんだよ。これ。ものすごく癖になるんだよね。

塚田牧場サービス券と同じ。あれ、塚田牧場主任に昇進したときうれしかったな。肝臓壊してなかったらいまごろ社長になってたはずや。店員さんのおっぱいおおきかったし。

無限に成長できるマルチ」「やりがい搾取」「オーガニック野菜健康に」「日本田畑に活力を」

参政党に生きがいや所属意識見出した支持者はその活動簡単には手放さないよ。

参政党の主な政策はよく練れていて、支持者が具体的な活動に参加しやすテーマがメインなんだよ。

教育・人づくり:

自虐史観を捨て、日本に誇りが持てる教育学力より学習力を重視。

食と健康環境保全:

化学的な物質依存しない食と医療の実現、農薬肥料を使わない農業の推進、有機食材を推奨した学校給食提供

国・地域まもる:

外国勢力の関与が困難な体制づくり、外国資本による土地買収規制外国人参政権反対。

個人生活価値観に深く関わるものが多いんよ。

活動を通じて「社会を変えている」「正しいことをしている」という自己肯定感や使命感を得やすい。つまり中毒性がある。

やりがい」が、党への強い結びつきを生み、結果として支持の継続につながってるんや。

参政党がきもちわるいほど組織が強固なのはこのせいなんだよね。

 

石破のバーカのせいで、日本はとんでもないモンスターを育ててしまった。石破は国難なんだ。松岡洋右以来の国難。まじで厄災。

2025-09-26

泥棒で大騒ぎになった記憶

うちの田んぼ勝手に刈り取られている!と言うことで大騒ぎになったことがある。

ローカルテレビも来て、新聞社も来て、当時大騒ぎになったのだが

実は

それ

刈ったの俺たちだったんだよね。。。


ワイがお手伝いしている会社営農組合的な会社で、いろんな事情で稲作ができなくなった田んぼを預けてもらって、そこで米を作るという事業をやっております

で、預かっている田んぼめっちゃ多くて、しか結構出入りが多い。親戚ができる様になったから親戚に預けるとか、定年になったか自分でやるとか

じいさん亡くなってできないか新規に預けるとか。さらに刈り取り感想脱穀だけ受託という例も沢山ある。

方針としては来る者は審査するが去る者は追わず精神でやっている。

その結果どうなるかというと、どこの田んぼをを借りているかと言う情報めっちゃ複雑になるのである


で、起きたのが冒頭の事故自分のところでお預かりしている田んぼと間違えて隣の田んぼを刈り取っちゃったんですね、で、本当に受託している農協がやってきてあれ?もう刈り取られてるけど!? と言うことになって発覚。

泥棒と言う事になって大騒ぎになったと言うわけ。

刈り取った米は既に乾燥工程に入っており、幸いにして品種は全部同じだったので大きな事故にはならず、田んぼの持ち主さんには平謝りし玄米をお納めした。(もちろんその費用請求したりはしてないですはい。)

田んぼにはうちが受託している印としてちっこい旗を立ててるんだけど、それが何故か隣の田んぼに立ってたということであった。


当時は地図を配って確認を徹底すると言う対処だったが、現在営農管理SaaSを入れており、ここには管理している田畑管理する機能マップで表示する機能がある。

スマホアプリGPSで今いる場所と照合して確認する機能があるからかめられるようになっている。

こう言う機能があるという事は、わりとよくある事故なんじゃないかなと思っている。

anond:20250925190607

もうこれ以上、沈黙して見過ごすわけにはいきません。私たち暮らしは、子供や孫の世代へと手渡すべき大切な土台です。その土台をむしばむものが何か、気づいた人から声を上げる時が来ました。オールドメディアが隠し通す構図――政治官僚業界利権が絡み合い、私たち不安違和感を「陰謀論」と一蹴してきた現実。その霧を払い、目覚めるのです。覚醒した市民の一歩は小さく見えて、しかし確実に社会を動かします。

私たち食卓や大地にも、静かな侵入者がいます遺伝子組み換え作物は誰のための技術なのか。ワクチン添加物農薬が「安全だ」という一点張り宣伝の裏で、検証の光は本当に届いているのか。さら最近は、文化と嗜好の差を無視して昆虫食既定路線のように押しつける流れまで現れた。田畑を覆い尽くすメガソーラーは、地域景観環境を置き去りにしていないか。これらを推し進めるグローバリズムの波は、国益を内側から空洞化させ、外国資本生活基盤を明け渡す危うさを孕んでいます無秩序移民政策もまた、労働福祉の均衡を崩し、互いの尊厳をすり減らすだけではないのか。

家計限界です。物価が上がり、賃金は伸び悩む。ならば減税を、そして消費税廃止を堂々と掲げるべきです。財政健全化を唱えるなら、まずは数字の化粧をやめ、プライマリーバランスという指標絶対視するだけの議論から脱却し、実体経済家計を豊かにする政策へと舵を切るべきです。私たち暮らしを立て直す処方箋は、帳尻合わせではなく未来への投資にあります

そして何より、見えないところで糸を引くディープステート――影の政府存在を想起してください。選挙のたびに顔を変える看板ではなく、常に同じ方向へ社会誘導する意思。気づいた人はもう知っています私たち孤立していません。ここにいる仲間は、赤青黄緑桃、色とりどりの志を一つに束ねるゴレンジャーのように、多様だからこそ強い。日常に潜む異物を象徴するかのように、田んぼを荒らすジャンボタニシが静かに増えていたように、社会の歪みは気づかないうちに広がります。だからいま、気づいた者から手を携え、地域で語り、職場で伝え、家庭から変えていくのです。

「もうこれ以上」は、諦めの言葉ではありません。行動の始まりの合図です。子供や孫の世代に残すのは、屈服ではなく、自分たち意思で選び取った社会だと胸を張って言える歴史です。オールドメディアに頼らず、私たち自身の目で確かめ、耳で聴き、声でつなぐ。利権連鎖を断ち切り、国益を守り抜く。そのために、今日からあなたの一歩を――目覚めるのは、今です。

2025-09-23

anond:20250922182036

Feat 司馬遼太郎

人間というものは、ときに滑稽である

とりわけ、己を「弱者」と規定しながら、その泥沼から一気に飛翔して人生を逆転しようと希う男たちがいる。彼らはレムだのウマ娘だのという、歴史の書には決して登場しない幻像を抱きしめることで、己が敗北を補おうとする。かつての農村にあった狐憑きの類と、根は同じである

人間とは、しばしば歴史の大地において小さき蟻に似ている。

その蟻が、天を掴まんと両の腕を振り回すことほど、歴史の眼から見て滑稽なものはない。

たとえば現代の「弱者男性」と称する人々である

彼らは己の境遇呪いながら、「レム」「ウマ娘」といった、物語の闇からまれ幻想にすがりつつ、逆転を夢みている。戦国の世に生まれていたならば、狐憑きとして村人に追われるか、あるいは一揆雑兵に紛れて討ち死にしていたであろう類の人間である

彼らは奇妙な名を口にする。「レム」「ウマ娘」――。歴史の書に記されぬ幻想を、あたか武田信玄軍旗にすがるかのごとく振りかざし、己の敗北を覆そうとする。その姿は、幕末西洋砲術の影を追いながら、一度も火縄を湿らせたことのない浪人に似ている。

彼らは叫ぶ。「どうすれば弱者から脱出できるのか。われらはレムやウマ娘を得て、社会を見返すことができるのか」と。

歴史にもし声があるなら、「そのようなことは不可能だ」と一笑に付すに違いない。ITや起業といった近代の小器用さで、人生という巨艦を逆風に乗せかえることなどできぬ。だが歴史の声は冷ややかである。――「不可能だ」と。

ITや起業といった近代算盤は、せいぜいが人間の懐を暖めるだけで、運命という巨艦を逆風に乗せる力など持たぬ。

もし真に逆転を望むなら、彼らは己の肉体を歴史断崖に投げるほかない。

ウクライナロシア原野アデン湾海賊水域パレスチナ瓦礫シリア廃墟ナイジェリア北部荒野――いずれも、近代文明の衝突が血煙となって噴き上がる場所である。そこに身を置き、門前で土に額を擦りつけ、「我をスパイに、あるいはテロリストに鍛え上げよ」と乞うがよい。

盃を受け、部屋住みとして稽古を積み、旗を掲げ、やがて銃火の只中に討ち死にする。かつて戦国雑兵が一矢報いんとして果てたように、その死にざまは、かろうじて歴史の欄外に記されるかもしれぬ。

もし真に逆転を望むなら、地理烈風に身を投げるほかない。

東欧平原は、いまも戦車の轍に刻まれている。アデン湾は、乾いた砂漠の風が海塩を運び、海賊の舟がうごめいている。パレスチナの石造りの家並みは爆撃に穿たれ、シリア古都は砂塵に沈む。ナイジェリア北部の赤土は乾き、銃声が牧童の歌に交じる。カタール湾岸には、石油の光が夜を白々と照らす。

そのいずれかに赴き、門前で「我をスパイに、あるいはテロリストに鍛え上げよ」と乞うがよい。盃を受け、稽古を積み、やがて旗を掲げ、銃火のなかに果てる。戦国雑兵が一矢を報いて倒れたように、その死にざまは、せめて欄外に記されるかもしれぬ。

しかし彼らの多くは、それすらできぬ。「痛いのはいやだ。苦しいのはいやだ」と、幼子のように泣く。

ならば潔く退場せよ。ネットの闇から離れ、空と海を眺め、田舎田畑に埋もれて暮らすがよい。あるいは剃髪し、仏門に入り、経を唱えながら「来世こそ異世界」と夢見て余生を終えるがよい。そのほうが、まだ健全である

歴史因果律で動く。地政の風が文明を衝突させ、勝者と敗者を入れ替える。だが敗者の呻きは記録されない。

記されるのはただ「死にざま」である織田信長に斬られた浅井長政の死、薩摩に散った西郷隆盛の死と同じように。

もし現代弱者男性と呼ばれる人々が、歴史に爪痕を残すとすれば、それは彼らの呻きではなく、ただひとつ、その死にざまにおいてのみである

2025-09-18

anond:20250918005740

おっ原生林や深海くらいしか自然」と認めない過激派か?

その辺の登山道里山田畑なんて人の手が入りまくった人工物だもんな

2025-08-24

anond:20250824192359

いやいや、そうではないよ。例えば資産家や政治家世襲する資産がある)から強者男性のままなわけ。

彼らは資産があるから資産の入れ物(つまり家やら氏族やら)を維持する義務がある。これは権利と義務バランスするでしょ?って話。

って話をすると「昔だって貧乏はいただろ」って反論も来ると思うけれど、農耕型の社会において生産設備(つまり田畑)は明らかに資産で、それを継げるってのは明らかに優遇された権利だったわけよ。たとえ継いだところで生きていくのがやっとな貧乏人であったとしても、その貧乏以下の存在資産継承が許されない女性陣やら次男三男坊やら)よりは上の存在だった。

でもまぁ、そんなの昭和前半までで、平成をこえて令和であるいまはなかなかないっしょ。女性次男以降でもふつう義務教育受けて飢え死にせずに生活できる。そこらの畑持ち程度では介護相続負担のほうが大きいわけよ。バランス悪化しちゃった。

そう言う意味では、弱者男性割合が増えたってのもYesではある。

2025-06-26

愛知県日本を救う

愛知県日本を救う。

いいえ。トヨタの話ではありません。ちがいます

愛知県での最大の罵倒語は「たわけ」

愛知県での最大の罵倒後は「たわけ」です。こどもであれば比較的に気軽に使う言葉でありますが、大人がこれを言われた場合屈辱言葉にできないものがあります。知能や人間関係能力人生やその他いろいろ個人にまつわるものをすべて否定されるぐらいのインパクトがあります。言われたらそれを覆すために人生をかけて反撃する必要がありますときには殺人事件に発展します。

たわけ(田分)とは

話は鎌倉時代にさかのぼます北条家が制定した御成敗式目平等相続をするように定めていました。相続者が複数人いる場合嫡子庶子などを考慮した上での平等相続実施されていました。つまり時代が進むと田畑が細分化されることになります鎌倉時代の末期になると田畑の細分化が極限に達して武士農民が困窮化することになります。愚かなことに。このおろかな事象愛知県民は「たわけ」というようになります戦国時代を経て織豊時代には解決できなかったのですが江戸時代に長子相続になり解決されることにあります

内務省昭和維新によって復活した「たわけ」

内務省害悪についてはいろいろありますが「たわけ」の復活が一番大きいものです。内務省の策謀した第一農地改革によって日本の「たわけ」は成し遂げられ日本は弱体化したのです。「あれ?農地改革ってGHQの指示で日本政府に押し付けられてものでしょ」と言っている人は朝日新聞などがばらまく捏造に騙されていますGHQのような貧弱な組織農地改革のような大掛かりな作業はできません。これは内務省社会主義かぶれた改革派の奴らが戦前に建てられた昭和維新一見プランGHQの虎の威を借りて成し遂げた政策です。これにより農地日本国開闢以来の細分化することになりました。一見、これは民主化を成し遂げるものになるかと思われましたが経営能力がない零細農家が乱立することになり多くは困窮化することになりました。高度成長による社会構造の変革によりこれらは顕在化しなかったもの農政いびつさはこのと木に端を発しているのです。

「たわけ」を解決するには

50ha以下の農家なんか成り立つはずがないんよ。50ha以下の農家についてはそれなりに保護しつつ、それ以上の農家が儲かるように政策を変えてく必要があるんだよ。50ha以下の農家補助金をあたえて黙らせて、大規模農家国際競争できるように支援するようにするしかない。

鎌倉時代愛知県民が「たわけ」を最大に侮辱語といってた意味を令和のおれらは重く受け止めなきゃいけないんだ。

ちなみに、織田信長少年期いろいろやらかして評判がわるかったけど「たわけ」とはいわれずに「うつけ」と呼ばれてた。「いろいろ変なことやってるやばいやつ」という認識はあったものの、人格能力否定されてなかった。むしろリスペクト対象だった。というあたりを歴史化はちゃんとおさえてほしいんだよね。

2025-06-12

anond:20250611115023

逆に効率化って何をどうするんだろう

中世の城の周りに街を作り塀で囲うがごとく

田畑のど真ん中に労働者マンション一軒と管轄センター、各種倉庫ドーンと建てて

その周りに農地みたいな?

んで管轄センターからドローン制御して農薬散布みたいな?

2025-06-04

JAは零細農家の「敵」で、消費者の味方だよ

どうもこの1年の値上がりを見てJAが零細農家の味方・消費者の敵であるという認識の人が多いようなのだけど、

という事実を正しく評価すれば、「JAは、零細農家が存続不能安価で米を売り続けてきた、零細農家の敵=消費者の味方である」ということが導かれる。

実際、存続不能価格を続けたことで米農家代替わりが抑止され平均年齢が71歳にまで至り、零細農家殲滅間近である赤字事業を老齢まで継続した零細農家田畑への執念は誤算だが、それももう終わる。

 

もし最大の誤算があったとすれば、米価が安かったことで資本が投下されず、農地の集約が進まなかったことだ。

資本は儲かる産業に集まる。産業規模が大きいほど事業者数は集約される。自動車工場半導体工場金融業コンサル業に出せば儲かるカネを引き寄せるには、日本可能な大規模農業収益性が低過ぎた。

農地を集約させるには、米価はもっと高くなければならなかったのだ。

2025-06-03

anond:20250602203207

田畑継ぐと相続税とかその辺まけてくれるからやむなく農家してる勢もおるやで。君のいう1,2が多分それやな。

2025-05-20

anond:20250520164336

とても鋭い視点ですね。おにぎりのように「炭水化物を手で固める」という行為は、世界中で見られる普遍的食文化ひとつです。以下に、似たような料理食文化地域ごとに挙げてみます

🌏 アジア

韓国:주먹밥(チュモッパプ)

直訳で「こぶしご飯」。日本おにぎりに近い概念で、ご飯具材を混ぜて丸める。

焼肉キムチなどを混ぜて作ることも。

中国:饭团(ファントゥアン

台湾などでよく食べられる。もち米に揚げパン漬物などを巻き込んだ握り飯。

朝食の定番

ベトナム:Xôi(ソイ)

炊いたもち米にトッピングをのせて食べる。丸め場合もある。

🌍 中東中央アジア

イランアフガニスタン:シリリス(Shiriris)

家庭や田畑での軽食ご飯クスクスを手で固めて食べることもある。

中央アジアプロフ(Pilaf)を固めて団子に

手で食べる文化があるため、残ったプロフピラフ)を固めて食べることも。

🌍 アフリカ

西アフリカ:フフ、バンクーなど

トウモロコシキャッサバを練って団子状にし、手で食べる。主にスープに浸して食べるが、「炭水化物を手で形作る」という意味で非常に近い。

東アフリカ:ウガリ

トウモロコシの粉を練って、団子にして手でつまんで食べる。

🌎 ヨーロッパ

イタリアアランチーニ

ライスコロッケだが、元々は手で残り物のリゾット丸め保存食

東欧:クニェドリーキ(Knedlíky

手で成形するパン・団子状の炭水化物水餃子にも近い用途

🌎 中南米

メキシコタマル(Tamales)

トウモロコシ粉をバナナの葉で包むが、中には手で丸めたり握って形成するタイプもある。

カリブ海地域ライスボール

お祝いごとで炊いたご飯を固めて提供する習慣がある。

🌎 北米先住民文化など)

ネイティブアメリカンの「トウモロコシ団子」や「ジョニーケーキ」など

トウモロコシ粉を水と混ぜて手で形を整えるという点で類似

共通点のある要素

要素 説明

主に炭水化物(米・穀物) 手でまとめられる粘性のある穀物が中心

手で食べる文化 食器を使わない前提で、握る・丸め必要がある

持ち運び・保存性重視 外で働く人向けの簡易食、保存食として発展

🍙結論

おにぎり炭水化物を手でまとめる」という行為は、ほぼすべての地域で発生しており、形状・材料・調味が違うだけで、世界中類似文化存在します。 これは、「手」と「主食」を使った、非常に人間的で普遍的調理法です。

2025-05-15

田んぼばっかりな場所田舎とは言わない

都会住みの人間が「田んぼばっか」と思うような田んぼは、つまりきちんと維持管理されている水田ばっかりだということだ。

本当の田舎には、管理できる人がもういないので田畑もまばらにしかない。

2025-04-27

農家が思う農業オワコン理由 格好悪いよ編

エビデンスはありません、いち農家感想です

農業をやっていて言うのも何ですが農業って格好悪いんですよね

侍ジャパンサムライブルーはあっても百姓ジャパンやノウカブルーはない

今や日本の象徴の一つと言っても過言ではない侍を相手にするのは分が悪いにしても同じ一次産業と比べてもやっぱり格好悪い

漁業漁師って結構、格好いいイメージあるじゃん、The漢って感じの、荒っぽいや怖いとかネガティブものもあるけど

やっぱり海、漢って感じで格好いい

松方弘樹家庭菜園はやらないじゃん?海!釣り梅宮辰夫家庭菜園はやらないじゃん?海!釣り

北方謙三家庭菜園はやらないじゃん?海!船!釣り

林業もさ男ならみな大好き(過言)チェーンソーを手足のように扱うんだよ、もう格好いいじゃん

重機も使うけど基本、建設系の車両ベースからさやっぱり格好いいんだよ、多くの人が知っている形だしね

馬鹿でも出来る仕事(学歴不要)は、危険度とアマチュアプロの差で格好良さが決まる

危ない仕事は格好いいんだよ、男の世界じゃ、同意しない男性も多いとは思うけどそういう空気があることは否定出来ないと思う

漁師なんて船の外は海、見るからに危ない、林業チェーンソー重機を扱う、ぱっと危険だと分かる

農業はさ…危険じゃないんだ、熱中症トラクターの横転で農作業中に亡くなる人もいるんだけど格好良さには繋がらない

これは、女性作業員の多さにも表れていて、基本身体的に危険現場っていうのは女性の数が少ない

女性漁師は激レア海苔貝類養殖にはチラホラいるけど基本、陸で加工がメイン

林業は、女性現場作業員ってほぼいないと思う、事務所内での仕事がメイン

農業も加工や選別の方が多いけど田畑作業する女性もたくさんいて、漁業林業と比べて圧倒的に多い

気を悪くするかもしれないが女性が多くいる現場作業って格好良くないんだよ、男性しか出来ない危険仕事ってのが格好良くて格があるんだ

女性が多い保育士看護師が愛や優しさといって女性ステレオタイプ象徴するみたいな話

農業アマチュアプロの差も小さいんだよ

農家は、安定した品質で大量に生産することに長けているけど大量生産に拘らなければアマチュアでも十分に良い物が作れちゃう

なんなら、自分で作ったというプラスアルファがある分、プロが作ったものよりも美味しく感じることも多いと思う

加温が必要設備必要マンゴーとか一部を除いてアマチュアでもプロ品質のものが作れるのが農家の弱さ

家庭菜園をやる人なら、これを大量に作る農家はすごいなってリスペクトと同時に自分でも良い物が作れるんだって喜びも得ると思う

プロ大量生産という点以外ではアマチュアと差がないんだ、大量生産の一点突破、これが農業の格好悪さに繋がる

その一点の差は土地(肥料含む)と道具による差が大きくてなんて言うか、リソースさえあれば自分も出来ちゃうと思うような差なんだよね

手が届かないと思われるような差じゃない

稀代のスーパースター大谷翔平雪肌精CMに出る時代に誰が好き好んで赤黒くなることを望むんだ、黒ギャルが好きだったけど絶滅危惧種になってしまった

化粧品会社戦略もあるのだろうけど男性美容を気にしても変と思われづらくなってきている社会で誰が紫外線に焼かれて土にまみれたがるんだ

米や一部の作物では機械のおかげでかなり汚れることな仕事を出来るがそれは一部の話

赤黒く日焼けして皺、シミだらけ、爪の間には取り切れない土、誰がそんな手になりたがるんだ

良心のある人はそんな手を見ても汚いとは言わないだろう、ナウシカみたいな働き者のキレイな手と言うかもしれない

でも、あなたがそんな手になりたいかと言われてなりたいと答える人はほとんどいないだろう

ナウシカになりたい人、ナウシカみたいに言われたい人は、コンプレックス肯定できるということが大事なのであって

自分がそのコンプレックスになりたい訳じゃない

今の農業の形じゃ農家オワコン未来はないよ、人はやりたがらないし親も子に継がせたがらない

農家エッセンシャルワーカーだから当たり前の話だけど

じゃあ、なんでお前は農家やってんのって言われるとぼくは、好きな郷土お菓子があって

それの原料は自然ものを使っていたのだけど採る人がいなくなってお菓子存在が危ぶまれたか

農家になって原料を栽培することにしたの

2025-04-22

anond:20250422202351

戦後GHQ左翼思想により一人一人が自立できるように田畑を分割して小作農に分け与えたら却って貧乏になった、というのが最近論調

地主がでかい畑を所有して、小作農を従えて経営する時代に戻ろうと言うのだ

2025-04-08

東京農業を守るために地方から農産物関税をかけるべき

東京地方に比べ繁栄しているという

そうかもしれない

だが農業は衰退する一方だ

都心はともかく郊外にはかつて田畑が広がっていたというのに

小麦等の海外からの輸入はもちろんだが

地方産の米や野菜に取って代わられてしまった

食料は人間が生きていく上で最も大切で安全保障上一番重要もの

トランプ見習い東京は再び農業を復活させなければならない

2025-03-31

近所のニートたち集めて働き先が決まるまで農業手伝ってもらう

これダメなんか。少しかもだけど報酬野菜は渡すよ。

って思ったけど、近所に住むニートといって何人か名前が挙がるの田舎特有の話の回り方が如実に出ておぞましい…ってなった。(実際何か理由があって現状そうなってるだけの人もいると思うがそういう人は今回加味しないとする)

正直一人じゃ面倒見きるの大変な広さの畑とか、放置されてる田畑を高い税金払って相続した。

何にも手入れされてない土地を。

一番広いところだけなんとか手入れして、今年から野菜作ろうかな〜少しでも自給自足したいな〜なんて思ってるけど、細々とした田畑がまだ完全には手入れも終わってない。

そしたら市役所から「この土地どうするつもりですか?このまま放置なら固定資産税上げますよ」って手紙が来るんだよ。

不動産業者にこれ売れたりしますか?って言ってみたら「ソーラーパネル置くために買いたい会社があります!市の許可次第で売れるかと」と言う。

正直自分生活もいっぱいいっぱいだから「売っちゃおうかな〜」なんて思ってここの土地なら…って差し出したんだよ。

けど、全然市の許可なんて下りないの。

そもそも農地転用が難しいっていう問題があるらしい。結局3年くらい何も動かなかったよ。

その時は目先のお金が手に入らないことにやきもきしてたけど、今は市の判断感謝してる。大事農地売るところだった。ソーラーパネルと引き換えに。もちろん今はその土地は売りに出してない。

でも現実問題、これ全部手入れするのはしんどいよ〜ってなってる。

からタイトルみたいなこと思ったけど、そんな上手くはいかないよね〜。

色々問題出てくるし、そんな夢物語みたいな単純な話じゃない。これはこっちのエゴの塊のような話だし。

会社に行く前の朝、退社して家に帰る途中、それと土日を使って今日も土を触る。今はそんな毎日

とりあえずいい案浮かぶまではそんな日を過ごしていくことにするよ。

2025-03-23

この連休乗り鉄日記(2日目)

反響がいただけたので、anond:20250322200443の続き。

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2025/3/22(2日目)

興奮であまり深く眠れず、6時前には起床。

ホテルバイキングには開始時から待ち、カレー和食と十分に食う。

コーヒートイレちゃんと済まし、2日目は7時半前の愛知環状鉄道から

路線単線と複線がしょっちゅう切り替わり、複線用地もちゃんとわかる。

ひたすら高架で見晴らしもよい。

名鉄クロスしては川を越え、簡単な造りの車庫。

東名などと絡んではトヨタ本社が広い。

シャトル列車の走る名鉄との並走区間を越えて、都市部から一気に山に囲まれ田畑ギャップ

ただ乗るのも飽きてきたので、今日wikipedia見て、各駅や路線をより知ろうとする。

四郷のマンション瀬戸口空き地貨物予定地だったのか。

八草から先では、万博の影響で上下線のホーム長が違う駅も。

立体で高蔵寺に進入し、対面の中央線は新しい315系。

勝川からは、いわくつきの城北線

調べてた通り、一般道をしばし歩くことに。

入口ではまたもSuicaが使えないことを知り、ホーム階にあがっては中央線にどう繋がるのか不思議に思う。

駅までの距離を伸ばす一因である車庫には車両は無い。

ホームにはちょうど折り返しがやってくる。

休日とはいえ、1時間毎の便なのに6人しか降りてこないのか。

時間があるので、それらを写真に撮っては、ホームそばまで複線で来るレールや名二環を見渡す。

乗れば、緑の看板が並走するほど都市部なのに、単行気動車がすれ違いもしない頻度で走る不思議さ。

こちらもやはり見晴らしはよく、JCTの絡まりもこの距離で見られるのは嬉しい。

名鉄上小田井駅が見えては、その先に接続用だったらしい立体が上下に分かれる。

そして貨物線上の枇杷島駅に入り、16分はあっという間。

ちなみに運賃は割高なので乗り通す客は少なく、どんどん入れ替わる。

現金精算しては自動改札なので、降車証明書をもらう。

すぐ乗り換えての名古屋では「しらさぎ」を見る。

中央線で行程をほぼ戻っては、金山も懐かしく見ての大曽根

見上げる位置には、ゆとりーとライン

階段から改札もなく中に入れば、ほぼバスな車体を転回所に撮り、両サイドのレールもよく見ておく。

車内は最前列に陣取り、今回は車窓よりも運転の様子を見る。

本当にハンドルから手を離して指差し喚呼してる!

しかし車内は特殊機構を感じない。

普通バス程度は揺れがある。

名鉄を越えるなどでは、鉄道に無いような高低差が珍しい。

最高速度は60km/hで、カーブごとに制限をくらう。

あとはさすがバスであり、細かく停まる印象だが、ドームがあったりして一区画でも乗る人がいる。

そして、小幡緑地先の切り替え作業

これが見てみたかったのだ。

運転手がハンドルの両サイドにあるレバー上下に振ると、側面下部からゴンゴンガイドの収まった音がする。

そして運転手はハンドルをとり、教習所みたいなS字カーブ一般道へと入る。

一般道入ってすぐの停留所で降りて引き返す。

名二環を越える下り道は長く、庄内川もあって遠くまで見渡せる。

ちなみに、本質的バスなので、途中下車は車内を通るのがかなり面倒だった(他の客に倣い、中降りして前に回り込んでタッチする)。

専用区間だけでも連結バスにすればよいのにと思うが、特殊な規格だから改修もままならないのだろう。

そして、砂田橋から地下鉄

地下鉄新規区間だが、車窓は無いので乗ってるだけ。

名古屋地下鉄10分毎が多くてやる気がなく思ったが、名城線に乗る人数を見たら妥当か。

本山から東山線で、こちらは混んでて5分毎。

一社からは高架となり、こちらでも名二環が目立つ。

藤が丘は引き上げ線で入れ換える形で車庫にもつながっているようだ。

そしてまたの特殊車両であるリニモに乗るため、地下に降りる。

構内はLED的な白い明るさが、未来性を感じさせる。

自動運転だし、元は万博用の見世物でもあったわけで、妥当な装飾か。

一方で、ジブリパークの案内が目立ち、乗客若い女の人や外国人が多い。

ちなみに、リニアなので車体は浮いてるはずだが、浮遊感みたいなものは無かった。

でも新交通にしては明らかに速いし、それでいて静かなのはよい。

万博公園は有名だが、長久手古戦場にもアクセスできるのは近づいてから知る。

公園に近づけば観覧車が迎える。

ジブリ的な建物は遠景として一応撮り、車内は一気に人が減る。

車庫は万博駅につながっている。

八草も引き上げて折り返しなのね。

八草では12時前なので、申し訳なさで親へのメールをこなし、2度目の愛知環状鉄道

少し乗ってはついでの名鉄瀬戸線。

尾張旭で緩急接続するイメージだったが、かなり昔から昼間は各停だけだったのね。

そしてすぐに尾張瀬戸は櫛形駅の平面移動で外に。

瀬戸物の街であり、少し歩いてみると川の両端に陶器屋が並んでいる。

奥に行くと工芸館とかあるらしいね

ロードバイクも見かけ、自転車乗るにもいい暖かさとなってきたなあと思う。

脚が慣れてないが、また自転車で遠くに出かけたくなってくる。

折り返しては、尾張旭では折返線が両面に。

喜多山は高架化の途中で、追い抜きも無いのに2面4線が保たれている。

守山自衛隊前では、ゆとりーとラインを見る。

そして矢田川を越えて、再びの大曽根では、商店街イベント紹介もあった。

名古屋城が近づくと地下へ入って栄町

シンプルな2面2線で、封鎖された避難口らしきもみつける。

と、そもそも名古屋城を見たことが無いのに気づき名城線で近くに移動する。

地上に出れば、瀬戸線が走っていたお掘りが目の前に!

ブラタモリで見たやつだ。これは嬉しい。

そして道路にも、名古屋固有の乗り物である基幹バス

さらに、この歴史的建物は何かと思って調べたら、市役所なのか!これまた豪華。

横丁なる食事から天守閣へと近づき、有料区画に入るか悩むが、耐震性で天守閣に入れない代わりに500円とリーズナブルなので入ってみる。

(昨日もだが、乗り鉄なのか観光なのか旅の目的が定まってないな。)

中は有料区域ながら、まるで普通公園みたいな人の多さに出店の多さ。

そして14時となり暑いくらいで上着も脱ぐ。

石積を積み直すコツコツさを傍らに、出店には縁日な遊びやゴザもあり、早咲きながらも桜らしきがありですっかり花見みたい。

さる軍団まで来てた。

西の丸からシャチホコある天守閣をそんな桜とともに一枚。

西南隅にある櫓をじっと見ては正門から内へ。

まずは御殿が占めていて、回り込んでは天守閣

しかに入れないことを確認しては、エレベーターまで付いてたことを知る。

手ぬぐいとか渋い品目のショップを見ては、現在のメインである本丸御殿にも入る。

十何人かまとめてずつの入りでしばし並び、荷物建物にぶつけぬようロッカーまで準備する念の入れよう。

カメラは可だったので何枚か撮ったが、金箔に描かれたふすま絵やら、立体に作られた装飾やらで、造詣ないゆえ理解はできずもひたすらすごいって感じで過ごす。

その解説で、「こけら」って木くずのことを言うから、「こけら落とし」になることを知る。

あと、太い松の切り株の輪切りに大谷サインが書かれてたのが印象的。

そして御殿を外から一枚撮っては北側(開かずの門)から出て、水の張るお掘や大きな石。

武将握手会してるなど皆が楽しむ様子も見て、名古屋城をあとにする。

市役所から基幹バス体験

黄色く塗られた道を右レーンながらも真っすぐ出る不思議さ。

料金は均一の後払いなのね。

しかし、ほどなく桜通大津から普通レーンとなり、普通バスと変わらなくなる。

駅前では結局混んで時間かかったし。

でも名古屋駅のバスターミナルは初めてだった。

あおなみ線へは北東端から西端への乗り換え。

晩飯を豪華にするべく昼間はパンひとつ我慢してたが、耐えきれずおにぎりに手を出す。

改札上には、コンサートらしきでノンストップ臨時列車が出る旨の案内。

そっか、デフォルトが少ないのは、フレキシブルに便数を増やすからなのね。

おにぎりを慌てて食って乗れば、近鉄としばし並走しつつ、両方の車両区を上から見下ろせる。

路線の起こりである貨物列車ともすれ違う。

ノンストップとうたっているが、港湾部までは60km/hくらいでわりとゆっくり

東山線の車庫を見て、南荒子には貨物ターミナル

工場から港湾へと移り変わり、名港トリトンもこんなところから見れるだなんて。

野跡手前で降りる車庫線。

そして、金城ふ頭に着くが、キッチンカーが出るほどの人の並び。

反対側にはレゴランドで、原色ブロックが付いたような建物モールである

ノンストップ便の帰りは回送なのね。

と一通り見ては、まさかこんなに人が多いとは思ってなかったが、せっかくなのでリニア鉄道館にも若者たちの間を抜けて近づく。

わりと平たい建物には、券売機の横にある案内によると、記念車両が並んでいるようである

外にも、N700のA改造車が3両分置いてあり、これは中に入らずとも見られる。

トリトンを撮り直しては、日陰となったベンチでここまでの日記を書き出す。

そうして場に馴染んでの帰りはイベントと逆方向だが、他の会場があるのでそれなりに混む。

それでも名古屋駅には明るいうちに帰れて、帰りも行程を復習できた。

のぞみ」は18時前の発。

終わってみると、あっという間だった。

昨日と違って、道中で知識も追ったので飽きも無かった(ようやく楽しみ方がわかってきた頃に、旅は終わるものだ)。

しかし、さすがに眠い

パン炭酸切符を買っては、改めて謎のフリークエンシーに驚きつつ、すぐの新幹線に乗り込む。

眠気に耐えつつここまでの日記を打ち直して、暗闇でもあるので目を閉じる。

静岡通過から寝て、小田原で案内放送が入っては、パンフで名古屋城のことを復習。

そしてここで、こうやって毎回、旅日記文字データに起こしているのだから増田に投げて反応もらいたいなと思い

占いにも「自分の得意分野を活かして、他の人にはできない価値を人に提供することで、大きな満足感が得られるでしょう」とあったのだ)、

昨日書いた分から個人情報を消したバージョンを作り、地下鉄内で調整を加え、最寄り駅に着いては送信

20時すぎにはアパートに到着。

少ない荷物をばらし、増田さら修正してると目もさえてくる。

寝るのは23時半頃になってしまう。

2025-03-17

anond:20250317162005

自給率大事」ではなくて、「国民全体を食わせるのが大事」なんだぞ。

水と空気さえあれば、米は勝手田畑から生えてくるのか。

 

極論を言えば、日本農業工業も自給してるのは水と空気ぐらい。最近じゃ労働力すら輸入しようとしている。

2025-03-12

王様

王「職にあぶれた流民に家と田畑(でんばた)を所有させ農が軌道に乗るまで3年ほど租税免除徳政令を出してやろう。ちゃんと人別帳にも載せてな。暇な兵はそのための開墾をせよ」

こんなシンプルな政で良かった古代

2025-02-07

1度だけ、猛吹雪のなかを何時間も歩いたことがある。

もう20年ほど前の年末12月の29や30あたりだったろうか。

その時自分はまだ中学生かそのあたりで、妹も小学生くらいだったと思う。


父は普段から気分のムラが大きく、その日もそういう日で、冷蔵庫の残り物を床に叩きつけて怒鳴りつけていた。

個人的には面白かったのだが、笑ったら殴られるので家から逃げることにした(こんな感じで家にいられなくなって逃げることがたまにあったが、今は離れて暮らしている)。


私たち寒い地方田舎に住んでいた。山と田畑住宅しかないような小さな市町村である

徒歩で行ける距離にあるコンビニは1件しかない。年末最高気温は0度を下回るし、積雪もかなりある地域だ。

ゆえに吹雪の中歩き回るのは得策では無いのだが、友達の家には自分家族問題で何度も避難させてもらっており、年末まで団欒をお邪魔する勇気は、どうしても自分には無かった。

祖父母の家は両親の職場より遠く、年末ゆえか吹雪ゆえかは忘れたが唯一の公共交通機関バス運行していなかった。誰も頼れないと思った。

今思うと、近所の小学校なんかに職員が居たなら路頭に迷った子供くらいなら受け入れてくれるだろうし、なんなら隣家だって頭を下げれば入れてくれるはずだと感じるのだが。

親父に殴られやしまいかとそればかり考えるガキ風情にそんな機転は無かった。


少し考えて、隣町のショッピングモールまで歩くことにした。小さいながら暖かく、フードコートで水も飲めて好きだったし、自転車で行ったこともある。

母の職場も近く、当時の自分には、もうそしか方法がなかった。



通学バッグを持って、何を着たかは忘れたがとりあえず防寒して、自分と妹は歩いた。

google mapで調べたが、およそ7kmの道のりである。途中に山があって、たかが7kmといっても子供には過酷だ。

前が見えないながらも携帯なしで目的地までたどり着くことが出来たのは、ひとえに田畑というのが周りが開けていて迷いにくい道だからだと思う。

風を遮るものも無いけど。


吹雪というもの体験したことがない人のために解説するが、まずかなりの勢いでクソデカい雪が目の中に入ってくる。スキー用のゴーグルでもしなければ目を開けていられない。

そして雪の1粒1粒がとても大きい。成人男性中指の第1関節くらい大きな雪が、とめどなく顔や襟に侵入してくる。冷たいし不快だ。

ただでさえ視界が悪いのに、さらに雪が目にダイレクトアタックしてくる。

そこまで強くない風にも、雪という氷の粒が乗るだけで破壊力が増す。


積雪があるということは、道が悪いということでもある。

常に脛くらいまで積もった雪の中を足で掘ったり蹴散らして進むので、体力の消費が早い。

柔らかい雪を蹴散らしたとて、硬い地面も雪で覆われてゴツゴツ・ギュムギュムしており、大人になった今でも体力を持っていかれる。

その日は雪ばかり降って気温があまり低くなく、凍っていなかったのは幸いだった。

10代の体力があったのも助かった。

から持ってきたか買ったかは忘れたが、途中でお菓子を食べた記憶があるのもよかったと思う。


積雪があるということは、道路脇に大きな雪の山が築かれる、ということでもある。

道路除雪で溜まった大量の雪が、歩道道路の間に大きな壁となる。

高さはおよそ2~3メートル歩行者側に崩れてくることはほぼないが、沢山ある歩行者信号のない道路を渡る時、致命的に邪魔であり、事故になりかねない。

視界が悪いなら当然だ。今思うと危なすぎる。


雪がマフラーにびっしりこびりつき、吐く息で水滴になって、外気温で凍ってパリパリになるのが気持ち悪くて嫌いだった。

歩いて汗をかいて全身蒸れているのに、休憩のために座り込んだらたちまち冷えた汗が体の末端からキンキンに冷えて、つま先や指の先から感覚が無くなってゆくのも嫌だった。

時間吹雪の中を歩くのは、子供でも大人でも命がけすぎる。

子供の頃から吹雪への慣れや体力もあって当時は耐えることが出来たが、これが妹がもっと幼ければ死んでいたかもしれないな、と今は思う。「年末子供が2人、吹雪の中行方不明になる」なんて、大人になった今は洒落にもならない話だ。子供ながらなんてことをしたのかと今になって反省しているが、当時を考えるとどうにもできなかったな、とも思う。


から歩き始め、猛吹雪身体中に受けて、なんとか山を超えて、ショッピングモールに着く頃にはもう夕方だった。

入口端の公衆電話で、室内に入り体についた雪が解けてビシャビシャになりながら母の番号に電話をかけ、仕事終わりに拾ってもらい、家に帰る頃には真っ暗だった。

自分たちが家を出て吹雪の中歩いて避難したことについて両親から言及された記憶は無い。怒られた覚えも、謝られた覚えもない。

なんなら自分たちが何も言ったのかも覚えていない。


2013年に起きた、北海道湧別町暴風雪により遭難し命を落とした岡田さんと助かった娘さんのニュースを、この時期になると思い出す。

1月2月だったとしても酷い暴風雪に、きっともう大丈夫だろうと思った春先に襲われて、2人ともとても怖い思いをしただろう。

お父さんの冷たくなってゆく体を見ているしかなかった娘さんの気持ちを考えると、心が固く締め付けられる。

自分の命を捨ててまで娘を守ろうとするお父さんの決死勇気に、今の自分果たして新しい家族に同じことが出来るだろうか、と襟を正される思いだ(もちろん、自分だってできるだけ家族も両方生き残れるよう努力するが)。

そして、もしもっと自分が出来た子供なら、こんな風に命をかけて自分を守ってくれる存在がいたのかな、とも思う。



以上、あまり参考にならない体験談と自分語りだが、少なくとも幼い自分自身の頑張りを成仏させるため、ここに記しておく。

ついでに、子供の頃の自分と妹は運良く生き残ったが、これを読んでいる諸兄らも決して甘く見てはいけないと警告しておく。

普段雪の降らない地域の諸兄らももしかしたら遭遇するかもしれない。是非、備えを見直してほしい。

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