はてなキーワード: イエズス会とは
牧師の息子で、自身も牧師となるために大学へ入ったが、学業は振るわず、卒業はできなかった。
しかしタイタスは学位を持っていると嘘をついて、ロンドン司教から説教免許を得て、父の下で副牧師を務めた。
また「学校教師が男色行為をしている」と虚偽告発し、教師の職を得ようとしたが、嘘がバレるとロンドンへ逃亡した。
1677年、タイタスはカトリックに改宗し、イエズス会の神学校に入った。
そこでもカトリック神学の博士号を取得していると嘘をついたが、ラテン語を使えなかったため虚偽は明らかだった。
神学校から追放されたタイタスはロンドンに戻り、「イエズス会の秘密を探るためにカトリックに改宗したふりをしていた」と主張した。
そしてタイタスは「イエズス会とカトリック教徒たちが国王を暗殺しようとしている」という告発を行った。
最初は信用されなかったが、いくつかの事件が陰謀と結びつけられたことで信憑性を得て、イギリス中が集団ヒステリーのようになった。
当時、王妃や王弟がカトリックを信仰していたことを国民は不安に思っており、タイタスはそこにつけこんだと言える。
数年にわたって、無実のカトリック教徒たちが裁判にかけられて死刑となり、タイタスは陰謀を暴いた英雄としての扱いを受けた。
しかし、やがて熱狂していた人々も鎮静化し、タイタスに疑いを持つようになった。
タイタスは偽証罪によって「終身刑」と「生涯にわたり毎年5日間ロンドンの街で鞭打たれる刑」を課された。
1689年に恩赦を受けて出所したが、世間からは忘れられた存在となっていた。
ただし、名誉革命によりプロテスタントが復権しており、タイタスには多額の年金が支払われた。
1705年に死去した。
その資本主義アメリカで上に立ってる奴らは、なぜか狂信者みたいな福音派プロテスタントやら、イエズス会やらが沢山いるんだよなぁ。
あのスノーデンが居た国家安全保障局 (NSA)とか、元々カトリック教会のイエズス会が作った組織なんだぞ。
もっというなら、教会っていうのは、修道女とか枕接待奴隷に使ってきた歴史がある。
それで権力を保持してたわけだから、ポルノってのは邪魔に思ってるわけだ。
唯一あるのは、子供を作りたくなくて、妻に隠れて射精して避妊していた男の話しだけだ。
中世、教会がいきなり反ポルノ、反オナニーに突然なった唯一の理由は、枕接待の邪魔に思ったから以外にない。
中世以前には、性表現の規制なんて一切なくて、それどころか教会は、裸の女性の像を作ってオナってた。
彼らの統治というのは、恐怖で脅迫し、女と去勢した少年を、奴隷として差し出させることだった。
その結果、朝鮮に残ったのは、絶対に他人に譲歩しない気が強い民族である。
というのも、誰が犠牲にされるかは、話し合いによって決められたと考えられるからだ。
言い負けたり、強制されて、奴隷になることを容認した者が犠牲になる。
その結果が、勝負や議論や話し合いにおいて、絶対に負けを認めたがらない、あの朝鮮人たちの出来上がりだ。
彼らは、究極の負けず嫌い国民であり、自分の意見や主張を押し通すためなら、なんだってする。
しなければ、去勢されて、外国で奴隷として生涯を終えることになっていたからだ。
そのため、一度反抗し始めると、絶対に諦めることがない。
この性格は、周囲の人間すべてに適応されるため、自分の仲間や一族を守ろうとする時は、非常に頼もしいと同時に、非常に危険なヤクザ者にもなりかねない。
なんせ、他人を折れさせて奴隷として売り渡せば、自分の身の安全だけは保証される社会に生きていたのだ。
しかも、大国と戦うくらいなら、自国民を売り渡すことを選択していたわけである。
要するに朝鮮人というのは、モラハラで、身近な人間を奴隷にして売り渡すのに長けた民族であり、だからヤクザに多かったわけだ。
そりゃまあ、韓国は、実は世界最大のDV国家ではないかとも言われているわけである。
ネットで暴れてる工作員も、その殆どが、カトリックかプロテスタントかヤクザかマスゴミの雇った韓国人工作員なんだろう。
強そうな相手に、即座に、身内を奴隷にして捧げものにし、仲間に入ろうとするのが彼らの性質だから、西欧が力を持ち始めた途端、みんな改修したわけだ。
まあ、連中の中で、女叩きしてるのは男で、男叩きしてるのは女くさいが。
だが、彼らを保護してやらせているのが、アメリカとイエズス会に支配されているヤクザとマスゴミなのである。
彼らは、日本人にも紛れ込んでいるが、何の恨みもないのに、他人を罵るのを楽しみ、言い返されても一切折れないで逆ギレし、そうしたことに何も疲れず落ち込みもしないようなイジメっ子たちは、本来の出自を表出している。
要するに、炎上大好きで、他人を罵り差別するのを楽しむために、匿名掲示板やまとめブログやSNSや動画サイトに居るような奴らだ。
大体そういう奴らが、同じ韓国人叩きも扇動していたわけで、そいつらは、日本人憎悪を同胞に植え付けたいから暴れてた工作員だと考えられる。
だから彼らのうちには、男なのに、わざと男叩きしたり、女なのに女叩きしたりして、自分の性別を勘違いさせるのを期待している連中が多くいるわけだ。
そもそも彼らは、身内でさえ罵って奴隷にすることにも何の抵抗もないんだから、同じ性別や自国民を罵ることくらい平気なわけだ。
彼らは、明らかに、男性への性的抑圧とBLフェミプロパガンダに関係しているが、そのやり口は、世界中で反ロシアを喧伝し、あらゆる手段で親ロ派の人格否定まで行っていたやり口とそっくりだ。
要するに、アメポチとなって、世界中の人間をロシア人と戦わせようとしていた工作員だったわけだろう。
そのご褒美に、アメリカは、新サイバー犯罪条約に加盟して、彼らが更なる奴隷となって、あらゆる命令に従わないなら、ロシア側に売り渡すぞと脅す気満々だったわけだが。
三菱系企業は戦前から東大、一橋、慶應義塾が強いと言われてきましたが
三菱重工業では伝統的に三菱長崎造船所や下関造船所の関係で九大(九州帝國大學)工学部も強い(三菱重工業第10代社長は九大工卒の増田信行)ですし、京大(京都帝國大學)も三菱系には全般的に強いです。
三菱銀行や三菱信託や東京海上火災保険や明治生命保険の三菱系の金融会社では伝統的に東大と一橋と慶應義塾が強く特に三菱銀行では三菱合資會社社長の三菱財閥四代目の岩崎小弥太(岩崎弥之助の長男)に厚く信頼されていた加藤武男(吉田茂内閣経済最高顧問)の影響で慶應義塾が東大と並ぶ学閥が強いことで有名でした。
戦後の三菱銀行でも加藤武男(慶大理財)、千金良宗三郎(慶大理財)、宇佐美洵(慶大経済・佐藤栄作内閣で池田勇人内閣からの引き継ぎ人事として戦後初の民間銀行出身者として第21代日銀総裁に就任)の3名が慶大卒業生で小笠原光雄(東京帝大法)、中谷一雄(東京帝大法)、田実渉(東京帝大経済)、中村俊男(東京帝大法)、山田春(東京帝大法)、伊夫伎一雄(東京帝大経済)、若井恒雄(東京帝大法)の東大卒業生7名に次ぐ頭取を輩出しています。
三菱商事は伝統的に圧倒的に東大(東京帝國大學)が強く慶應出身の社長は水産畑の第5代社長の三村庸平(慶大経済)社長だけですし、一橋出身の社長は機械畑のブンチンこと第4代社長の田部文一郎社長(東商大)と戦後の混乱期の田中完三社長(東京高等商業卒業で三菱合資會社出身)の二人だけです。
戦後の東大出の三菱商事社長は服部一郎(東京帝大法)、高垣勝次郎(東京帝大法)、荘清彦(東京帝大経済)、藤野忠次郎(東京帝大法)、近藤健男(東大工)、小島順彦(東大工)、小林健(東大法)、中西勝也(東大教養)の8名となります。因みに高垣勝次郎氏のご子息の高垣佑氏は東大経済学部卒業後、東京銀行(戦前の横浜正金銀行)に入行し、上記の若井恒雄頭取の時代の三菱銀行と合併して東京三菱銀行の初代頭取に就任します。
三菱商事の社長には東大や一橋や慶大以外には三菱の岩崎小弥太と縁が深い旧制成蹊高等学校からハーヴァード大学政治学部を卒業した第8代社長の槇原稔や大漢和辞典編纂者の漢学者の諸橋轍次氏の御曹司である上智大学経済学部を卒業した第7代社長の諸橋晋六や早稲田大学理工学部を卒業した第9代社長の佐々木幹夫や京都大学経済学部を卒業した第12代社長の垣内威彦等もいてアメリカのハーヴァード大学やカソリックのイエズス会経営の上智大学卒業の社長もいる様に東大卒業者と慶大卒業者に昭和時代にはほぼ頭取の卒業大学が限定されていた三菱銀行に比べると結構、外国大学や早慶以外の私大等バラエティに富んでいます。
三井系は戦前の三井銀行は財界三田閥の慶應義塾出身者の中上川彦次郎(福澤諭吉の甥)や池田成彬(中上川彦次郎の女婿)の強い影響力でかなり強い慶應閥の銀行でした。
戦後の三井銀行(戦前には第一銀行と合併して帝國銀行)及び三井グループのドンと言われた佐藤喜一郎は戦前の三井銀行では慶應義塾大学に次ぐ学閥だった東京帝國大學経済学部卒業生でした。佐藤喜一郎は旧制横浜一中(現在の県立希望ヶ丘高校)、旧制一高、東京帝國大學経済学部卒業のエリートで当時の池田成彬と並ぶ三井銀行の実力者だった東京英和学校(後の青山学院)出の米山梅吉の紹介で三井銀行に入行します。
戦後の三井銀行でも慶大出身の社長(頭取)は柳満珠雄(慶大理財)や板倉譲治(慶大経済)や神谷健一(慶大経済)と東大出身の佐藤喜一郎(東京帝大経済)、田中久兵衛(東京帝大経済)、関正彦(東京帝大経済)、末松謙一(東大経済)の4名に次ぐ3名を輩出しています。
三井銀行では戦前は池田成彬と並ぶ実力者だった米山梅吉(後の三井信託社長)が青山学院の前身の東京英和学校の出身者であったので其の米山梅吉の強い引きで三井銀行に入行した青山学院高等科卒業の万代順四郎も慶應出や東大出との出世競争に打ち勝って三井銀行の頭取を戦前に務めています。※銀行では戦後は頭取と呼ばずに社長と呼称しています。
しかしながら三井財閥の持株會社だった三井合名會社と並ぶ中核企業だった三井物産は鈍翁・益田孝の三田閥偏重の学閥排除の目的から意識的に一橋の高等商業学校や東京高等商業学校や東京商科大学を三井物産の幹部社員候補として意識的に重点的に優先採用して来たので戦前から戦後のある時期までは三井物産は完全な一橋の如水会が最大の学閥となる総合商社でした。
戦後の三井物産でも名物社長と言われた三井物産再統合の立役者・新関八洲太郎や『ハヤブサの達』こと水上達三、『根アカ経営論』の八尋俊邦等は皆、一橋の東京高等商業学校や東京商科大学の卒業生です。
戦後の三井物産の東大出の社長は池田芳蔵(東京帝大経済)、江尻宏一郎(東京帝大法)、槍田松榮(東大工)、安永竜夫(東大工)の4名で京大出の社長は熊谷直彦(京大法)と上島重ニ(京大経済)の2名で慶應出の社長は今の堀健一(慶大経済)の1名だけです。
一橋(3)と東大(4)と京大(2)と慶大(1)以外の三井物産の社長の学歴は長崎高等商業学校(長崎大学経済学部)卒業の若杉末雪と東京外国語大学外国語学部ポルトガル語学科卒業の清水慎次郎と横浜国立大学経営学部卒業の飯島彰己となります。
住友系は戦前の財閥持株会社だった住友合資會社が戦前には今の東大の東京帝國大學や今の京大の京都帝國大學や今の一橋大の東京商科大学や今の神戸大の神戸商業大学の旧帝大と旧商大グループを意識的に幹部社員として優先採用してきたので今でも東大、京大や一橋大や神戸大が人脈的に強い傾向があります。
戦後の住友銀行頭取は野田哲造(東京帝大法)、鈴木剛(京都帝大経済)、堀田庄三(京都帝大経済)、浅井孝二(神戸高商)、伊部恭之助(東京帝大経済)、磯田一郎(京都帝大法)、小松康(東京帝大経済)、巽外夫(京都帝大法)、森川敏雄(東大法)、西川善文(阪大法)となります。
戦後の住友銀行の頭取の学歴は京大4名、東大4名、阪大1名、神戸大1 名となります。
三菱財閥や三井財閥の銀行や商社に多く見られた一橋や慶應義塾出身者は住友銀行頭取では皆無となります。
文系は戦後派の阪大も住友系には強く西川善文元三井住友銀行頭取(後にゆうちょ銀行社長)の様な個性的な人材を輩出しています。
教皇は無事レオ14世に定まった。レオの名前の登板は1903年死去の13世以来である。
先代はオリジナルな教皇名を名乗り、先々代は80年ぶり襲名のベネディクト。その前のヨハネ・パウロはその前が33日で死亡(暗殺説有)を引き継いだ形である。
一方、昔の教皇名で今使っていない"留め名"になっているものも結構ある(留め名は、落語・相撲でその名を継がせない措置。普通はそれを上回れないとみなされるので。志ん生なんか)。
じゃあなんでこれが留まっているのか、代数の多い十一傑から探ろう。11としたのは当代レオが入っちゃうから枠を拡大しているのである。
なお教皇の名前は1回だけの奴が44人おり、襲名された名前は37。明らかに永久欠番なのは、初代のペテロである。これは対立教皇(非正統/主流の勝手名乗り。熊沢天皇的な)が名乗ったケースがある。意気や良しだが、簒奪には至らなかった・・・。
| 教皇名 | 最終代 | 最終在位 | 最終代の事績 |
| ヨハネ | 23 | 1958-63 | 短期間の「繋ぎの教皇」。近代化を図り第2バチカン公会議開催。列聖。ただしこの名前は対立教皇の存在から500年忌避されていた |
| ベネディクト | 16 | 2002-13 | 先々代で襲名は80年ぶり。本人の敬意(先代と同名修道会創始者)による |
| グレゴリウス | 16 | 1831-46 | イタリア統一を読み切れず世俗国家と溝。反近代主義 |
| クレメンス | 14 | 1769-74 | 反イエズス会で禁止令。世俗の圧力に抗しきれず。美術品の一般公開開始 |
| レオ | 14 | 当代 | どうなるかはシラネ |
| インノケンティウス | 13 | 1721-24 | 反イエズス会。フランスの一部離反招く |
| ピウス | 12 | 1939-58 | 外交分野に足跡もナチとの政教条約が汚点。批判が今世紀になって覆されつつあり |
| ボニファティウス | 9 | 1389-1404 | 教会大分裂修復せず。聖職売買や贖宥状で悪名 |
| ステファヌス | 9/10 | 1057-58 | 在位7月。修道院改革も東西教会分裂早める。初代が聖別前に死去したゴタで代数が2通りある |
| ウルバヌス | 8 | 1623-44 | 教皇領最大も巨額負債で教皇庁弱体化。最後の中世的教皇 |
| アレクサンデル | 8 | 1689-91 | 縁故主義で財政悪化 |
これ以下の雑魚は以下を参照のこと
https://en.wikipedia.org/wiki/Papal_name#Papal_names
纏めた限りだとまあ、これを襲名しようという気には・・・ならないメンツが多いすな特に近世以前は。ヨハネ、ベネディクトあたりはまだ芽がありそう。これとレオを合わせて当面使い回すのかしら。
Assassin's Creed director: The right time to take series to Japan | BBC
https://www.bbc.com/news/articles/c163jexl7rxo
Shadow’s trailer also generated backlash from some gamers, who criticised the choice of Yasuke as a main character over a native Japanese protagonist.
Opponents have accused those critics of being racist, and have pointed out that Yasuke is based on a real-life person.
Charles, speaking to Newsbeat before the trailer dropped, says the developers “put a lot of emphasis on authenticity and making sure we depict Japan and the culture right”.
“So when we started the project, we had a historian with us from day one,” he says.
He says the team also consulted weapons experts and travelled to Japan to get a feel for the landscape and locations in the game.
シャドウズのトレーラーは、一部のゲーマーからの反発も生みました。彼らは、日本人主人公ではなく弥助を主人公として選んだことを批判しました。
これに対して、批判者たちを人種差別主義者だと非難する声も上がっており、弥助が実在の人物に基づいていることが指摘されています。
チャールズは、トレーラー公開前にNewsbeat(BBCのニュース番組)との対話で、開発者たちが「日本とその文化を正しく描写することに重点を置き、真正性を重視した」と述べています。
African samurai: The enduring legacy of a black warrior in feudal Japan |CNN
When feudal Japan’s most powerful warlord Nobunaga Oda met Yasuke, a black slave-turned-retainer, in 1581, he believed the man was a god.
Oda had never seen an African before. And like the locals in Japan’s then-capital of Kyoto, he was awed by Yasuke’s height, build and skin tone, according to Thomas Lockley, the author of “African Samurai: The True Story of Yasuke, a Legendary Black Warrior in Feudal Japan.”
“When Yasuke got to Kyoto (with Jesuit missionaries), there was a massive riot. People wanted to see him and be in his presence,” says Lockley, who spent nine years researching and writing the book, which was published last month.
Oda believed Yasuke to be either a guardian demon or “Daikokuten,” a god of prosperity usually represented by black statues in temples. He tried to rub the pigment from Yasuke’s skin, believing it was black ink. Once convinced Yasuke was real, he immediately threw a feast in his honor, says Lockley.
1581年、戦国時代日本の最も強力な戦国大名である織田信長が、奴隷から家臣となった黒人のヤスケに出会った時、信長はヤスケを神だと信じました。
「アフリカン・サムライ:戦国時代日本の伝説的黒人武士ヤスケの真実の物語」の著者トーマス・ロックリーによると、信長はそれまでアフリカ人を見たことがありませんでした。そして、当時の都であった京都の地元民と同様に、ヤスケの身長、体格、肌の色に畏敬の念を抱いたそうです。
「ヤスケが(イエズス会宣教師とともに)京都に到着した時、大規模な騒動が起きました。人々はヤスケを見たがり、彼の存在を身近に感じたがりました」と、9年の歳月をかけて研究し執筆した先月出版されたこの本について、ロックリーは語ります。
信長はヤスケを守護の鬼か、通常寺院で黒い像で表される繁栄の神「大黒天」のどちらかだと信じていました。信長はヤスケの肌の色素を擦り取ろうとし、それが黒インクだと考えていました。ヤスケが本物だと確信すると、すぐに彼の名誉を称える宴を開いたとロックリーは述べています。
https://edition.cnn.com/2019/05/19/asia/black-samurai-yasuke-africa-japan-intl/index.html
最近も IGN Japan 使って煽り散らかし https://youtu.be/keiDRORg9hc
ここまでやるなら、ゲームに規制は不要!!あらゆる規制に反対する!!と表明したらよかったのでは?って思うが、
なぜか日本版だけ日本人の首ホームラン出来るのが禁止されているの突っ込まないんですよね。Roninはゴア表現あるのになぜでしょうね?
あと日本人の非武装市民はペナルティ無し攻撃できるけど白人キャラは攻撃できないこともツッコミなし。NPCだろうが攻撃できるゲームはいくらでもあるんですけど
It was surprisingly gory, like the decapitations, you could get coated in blood. How vital is that to the assassin’s fantasy?
(斬首シーンなどでは、予想外に残虐で、血まみれになることもありますね。これはアサシンのファンタジーにとってどれほど重要なのでしょうか?)
I think it’s not an assassin thing, it’s a Japan thing in our case. So looking at death was a day-to-day occurrence in that period, and the way most people died in Japan during that time is clean decapitations.
So we didn’t want to shy away from it, although you can turn off the violence if you want. There’s options for it. You can turn off the blood, you can turn off the dismemberment and stuff. So it’s more trying to be faithful to the war aspect of Japan at that period. Death was a common thing and decapitation was not a strange sight in Japan.
私たちの場合、これはアサシンに関することというよりも、日本に関することだと考えています。当時の日本では、死を目にすることは日常的なことでした。そしてその時代の日本で多くの人々が死んでいった方法は、きれいな斬首でした。
ですので、私たちはそれを避けようとはしませんでした。ただし、望めば暴力表現をオフにすることもできます。そのためのオプションがあります。血の表現をオフにしたり、切断などの表現をオフにしたりすることができます。これは、むしろその時代の日本の戦争の側面に忠実であろうとする試みなのです。死は日常的なことであり、斬首は日本では珍しい光景ではありませんでした。
https://videogames.si.com/features/assassins-creed-shadows-interview
こっちなら付き合うぞ
ローカルでテキスト・画像生成のモデル動かしてみようをそのうち書こうと思うけど、Windowsアーキテクチャの簡単な説明欲しい?
コア分離あたり。ほかにも欲しいのがあれば書いとくけど
というか、Ubuntu、Ubuntu 騒いでる子がいるが、そもそもPCにWin11/Win10入ってるか?
(Windows + Docker Desktop :バックエンドWSL2 Ubuntu の予定。なお、YouTube に構築動画が無限にあるぞ)
1755年のリスボン地震(リスボンじしん、ポルトガル語: Sismo de Lisboa de 1755、英語: 1755 Lisbon earthquake)は、1755年11月1日に発生した巨大地震である。
リスボン大震災(リスボンだいしんさい)あるいはリスボン大地震(リスボンおおじしん)などとも言う。
9時40分に西ヨーロッパの広い範囲で強い揺れが起こり、ポルトガルのリスボンを中心に大きな被害を出した。
津波による死者1万人を含む、5万5,000人から6万2,000人が死亡した。
推定されるマグニチュードはMw8.5〜9.0の巨大地震であったと考えられている。
震源はサン・ヴィセンテ岬の西南西約200kmと推定されている。
当時の通俗的な理解では、地震とは自然現象というより神罰である。
しかし、多くの教会を援助し、海外植民地にキリスト教を宣教してきた敬虔なカトリック国家ポルトガルの首都リスボンが、なぜ神罰を受けねばならなかったのか、
なぜ祭日に地震の直撃を受けて多くの聖堂もろとも町が破壊され、善人も悪人も罪のない子供たちも等しく死ななければならなかったのかについては、
震災の原因をリスボンの人々の「罪」にあるとしたイエズス会もポルトガルの領土から追放され、財産を国庫に没収された。
イエズス会の指導者で地震を人々に対する「罰」であると説教し続けて人々の熱狂的な支持を受け、
カルヴァーリョがリスボンを再建しようとすること自体を神に背くものであるとして糾弾し続けていたガブリエル・マラグリダは地下牢に幽閉の後に異端審問にかけられて処刑された。
せめて最低限の前提知識は備えていてほしい
>扶持・屋敷・刀をもらって道具持ちまでやってたら普通に小姓みたいなもんだし武士だろ。
小姓になれるのは忠誠心の高い、身元のしっかりした、上位階級の子息限定だよ
本当に増田の認識、あまりにも無さ過ぎて申し訳ないがまともに話ができてない
んだがもう数点
>そもそも「扶持・屋敷・刀をもらってるなら扱いとしては武士だろう」と、
これ当時の話?
現代の話?
弥助に関しては、後世の素人が「自分がコイツを武士扱いしたいからこれは扱いとしては武士でいいだろう」でごり押ししてんのね
>「その扱いがなくても誰もが弥助を武士として認めていた」
これ当時もソレがないからね
>なので降伏してきたなら敢えて殺す必要はないが、といって光秀は黒人を手元に置くつもりもない、
>日本語もほとんど通じなくて面倒だから宣教師に任せろ、と言ってるだけだろう。
士分に取り立てられたのであれば「イエズス会に返却」はありえないという話をしている
それから「弥助は武士になった」うんちくは誤解あるいは早漏で勝手に確定事項として広めたやつがいるのもはっきりしている
そして当然俺はそんな勝手は受け入れていないし、ほかの日本人にも勝手に日本人が納得してる話にしてもらいたくない奴はそれなりいると思うわ
弥助は確かに確証はないが、武士階級に取り立てられてない可能性のほうが高いケースだろ…
当時は大名クラスが有能な庶民を自分の領土に役立たせたいために扶持を与えて留めおいたケースがけっこうある
武士階級の経済圏に入れるんでこっちで衣食住も世話しますねといったところだと思っているが
だが士分に取り立てられたほかの人間と比べると明確にしょぼくもある
それにイエズス会の記録を読む限り、本能寺の変のときに本能寺の中にいない(せいぜい数百メートル外をうろうろしていただけ)
この記述を信じるなら捕まった際、光秀に武士階級とみなさず、イエズス会に返却するように命じている
光秀は信長の元側近だよね?
弥助が武士入りしてたなら知らないはずがない
豊臣政権以前のごちゃごちゃしていて整備されていない時代ならかろうじてワンチャン、
程度しかない
弥助が家臣として取り立てられていたのだとしても、
実際に「黒人奴隷が日本発祥だって白人が言いふらしてるううう!」ってポストに何万といいねがついて拡散されたという経緯があっての話でしょ。
お前が「注目集めたいやつの自己顕示欲モリモリの戯言」と評するのは勝手だけど、そう思ってない奴が大勢いるっていう現実を直視しろよ。
増田でも先週にこんなのがいたぞ。
https://anond.hatelabo.jp/20240718034853
「真に黒人差別をしていたのは日本で、イエズス会はむしろ救済者」とか「日本人には黒人の血が流れてる」とか……あげたらきりがないそれら、反論しても聞き入れてもらえない現象が起きます。こういった面倒臭いパターンを日本人ならよく知ってると思うのですが、慰安婦(に、限らず植民地時代の状況)とか。ここら辺持ち出すと変な人に噛みつかれそうですが、インフラ整備したのは日本だし、ハングルの確立は日本の功績大きいし、慰安婦は自分からお金を貰うため売春した人たちで無理やりはしてないし、当時を知る人ほど親日の人多いし……と、いうわけ何ですがご存知でしょうか。
アサシンクリードは、理不尽な支配に反発して権力者を暗殺する「アサシン教団」と、時の権力者を操り社会を裏から支配する「テンプル騎士団」の、古代から続く戦いを描いたゲームである。「混沌・悪」VS「秩序・悪」という感じである。
アレクサンダー大王も、始皇帝も、カエサルも、チンギス・ハンも、永楽帝も、チェーザレ・ボルジアも、実はテンプル騎士団の一員だったし、実はアサシンに暗殺されていたんだよ!という世界観である。ちなみに過去の作品ではフランシスコ・ザビエルがテンプル騎士団とされているので、今回(シャドウズ)もイエズス会はテンプル騎士団の手先だったりするのだろう。
アサクリのもう一つの軸が「イス」と呼ばれる超古代文明人の存在である。彼らは人類を創造した神のごとき存在であり、実際にギリシャ神話や北欧神話に登場する神々の正体は「イス」である。彼らが遺した強力なオーパーツを巡って、アサシン教団とテンプル騎士団が争奪戦を繰り広げていく、というのが一つのパターンである。
また、この「イス」の遺した技術に基づいて、現代では「アニムス」と呼ばれるバーチャルリアリティマシンが開発されており、それを使って過去の様々な時代のアサシンの記憶を追体験している、という基本設定がある。つまり、実は主人公は、アサシンの活躍を仮想的に体験しているだけの現代人なのである。アサクリには「現代パート」もあるのだが、これは完全な続き物になっていて、シリーズを追いかけていないと意味がわからないので、なかなか評判が悪い。初心者は現代パートなんかすっ飛ばしても問題ないぞ。
というわけで、リアリティのある歴史ドラマかと思ったら急に濃度の高いオカルト伝奇SF要素をぶちこんできて暴走しはじめるのがアサシンクリードの魅力である。詳しくは年表を見よう!
アサシン クリードシリーズにおける年表 - Wikipedia
アサシンクリードの特徴といえば何と言っても「オープンワールド」と「パルクール」だろう。「どこでも登れる」「どこまでも行ける」というオープンワールドアクションの本家本元とも言えるシリーズなのである。窓のフチや壁のヘリなどを掴んで、するすると登り、飛び上がり、軽やかに街を駆け巡る。何にも邪魔されることなく思いどおりに移動できる楽しさがそこにはある。
そのオープンワールドで何をやるのかと言えば「ステルスアクション」である。敵の拠点に侵入し、見つからないように探索し、標的を殺して脱出するのである。
まずは侵入するまえに敵拠点の構造を入念に調査する。どこに敵が配置されているかを確認し、それらの移動パターンを観察して、どういうルートで侵入するかを考える。サッと壁を登って開いている窓から侵入しよう。いやいや屋根伝いに高所から標的を探すのもいい。手薄な裏口の敵をこっそり暗殺するのはどうか。もちろん正面から殴り込んで敵を全員ぶっ殺しても構わない。
つまり、オープンワールドとしての移動の自由度がそのまま、プレイヤーが取れる侵入ルートの自由度に転化しているのが、アサクリの醍醐味なのである。「たった一本しかない正解のルートを見つけ出す」のではない。「数多く用意されたルートの中から一本を選び出す」のが楽しいのである。
さらに、この「街を自由に駆け巡る」「敵の拠点に侵入する」といった要素から生まれたのが、アサクリの「歴史考証」の部分である。
そうしたゲームシステムでは「街並みをどう作るか」「建築物をどう作るか」がとても重要になってくる。なにせ「プレイヤーが侵入する建物だけ作ればいい」「プレイヤーが移動するルートの周りだけ作ればいい」というわけにはいかない。広大な街を作り上げて、そこにいくつも拠点を建て、大勢のNPCを配置して、そしてプレイヤーが隅々まで移動できるようにしなければならない。それがゲームの面白さに直結していくのだから。
そこでアサクリは「歴史上の街を再現する」という方法を選んだ。完全にオリジナルの街を一から作るよりも、見本を用意したほうがある意味では作りやすかろうし、その副産物としてプレイヤーの没入感と知的好奇心を得ることもできた。建物や文化風俗の再現度は高く評価されており、アサクリの売りの一つになっている。
もちろん史料の調査には限界があるし、ゲーム的な都合が優先されることも多い。過去のシリーズでも「この年代にこのアイテムはまだない」「この街にこんな建物があるのはおかしい」といったようなツッコミが入っている。前々作『ヴァルハラ』などは特に批判が多かったというので、地域や年代によってまた作りやすさが変わってくるのかもしれない。
とはいえ、アサクリがわざわざ歴史考証のチームを設置し、多くの史料を確認し、専門家の監修も受けているのは事実であって、ただのゲームとしては相当に頑張っているのは間違いない。プレイヤーとしては、決して完璧ではないということは頭に入れつつも、巨額の予算によって作られた「自由に走り回れる歴史的景観」を楽しみたいところである。
とりあえず現時点でオススメするなら前作『アサシンクリード ミラージュ』だろう。元は前々作『ヴァルハラ』のスピンオフとして制作されていたということもあり、『ヴァルハラ』の前日譚のようなストーリーになっていて、ボリュームも控えめである。ゲームシステムとしても原点回帰を目指したシンプルな作りで「これぞアサシンクリード」という作品になっている。
『ミラージュ』をクリアしたなら、続けて『ヴァルハラ』をやるのもいい。前述したとおりストーリー的に繋がりがあるし、『ヴァルハラ』はシリーズのなかではかなり変わっていて、「アサクリらしくない」作品でもある。主人公がアサシンではなくヴァイキングなので、ステルスよりも正面切っての戦いのほうが得意だったりするし、各地の勢力とひとつひとつ同盟を結んでいったり、自分たちの拠点を開発して発展させていったりするような、戦略的な側面が強い。
このあたり、近年のアサクリは「従来通りのステルスアクション」と「他のゲームのようなバトルアクション」のあいだを揺れ動いていて、『シャドウズ』ではついに「ステルス」担当の奈緒江と「バトル」担当の弥助のダブル主人公になったという経緯がある。
アサクリシリーズは、オープンワールドにおける一つのスタンダードを生み出した、現代ゲームの粋と言っても過言ではない名作である。プレイしないまま死ぬのはもったいない。いまのうちに『ミラージュ』『ヴァルハラ』をプレイしながら、日本が舞台となる『シャドウズ』の発売を楽しみに待とうではないか。
ほほう、難しい質問をしてくれるのじゃな♡
さて、そういう歴史の黒幕を解き明かすのは一筋縄ではいかんのじゃ。
イエズス会、つまりカトリック教会の一部として活動していた修道士たちは、確かに様々な役割を果たしておった。
ただし、実際に黒人を奴隷として扱ったのは多くの場合、ヨーロッパの商人や国家の利益追求からの行動じゃ。
キリスト教の信仰と奴隷制度は矛盾しておって、当時のキリスト教内部でも多くの論争があったのじゃ。
黒人がキリスト教を信仰しているのは、歴史的な経緯や強制された状況もあるが、信仰の力や慰めを求めるものでもあるのじゃよ。
信仰は、しばしば人々が困難な状況に立ち向かう力を与えるものだからのじゃ。
まあ、そんなところかの♡
『アフリカ人奴隷を使うと言う流行が始まった』と言い出したのは氏が初ではないかも知れないが、
氏が大手ニュースメディアのCNNで語っていた、『信長は弥助を神だと思っていた』『日本で最も有名な外国生まれの武士となった』
『ヤスケの仕事は一族の権力を守ることでした』(信長の首を守護し息子に届ける) の根拠はそれぞれそれなりに気になる
日本人が知らない、少なくとも教科書では習わない事実なので純粋に興味があるよ
African samurai: The enduring legacy of a black warrior in feudal Japan |CNN
When feudal Japan’s most powerful warlord Nobunaga Oda met Yasuke, a black slave-turned-retainer, in 1581, he believed the man was a god.
Oda had never seen an African before. And like the locals in Japan’s then-capital of Kyoto, he was awed by Yasuke’s height, build and skin tone, according to Thomas Lockley, the author of “African Samurai: The True Story of Yasuke, a Legendary Black Warrior in Feudal Japan.”
“When Yasuke got to Kyoto (with Jesuit missionaries), there was a massive riot. People wanted to see him and be in his presence,” says Lockley, who spent nine years researching and writing the book, which was published last month.
Oda believed Yasuke to be either a guardian demon or “Daikokuten,” a god of prosperity usually represented by black statues in temples. He tried to rub the pigment from Yasuke’s skin, believing it was black ink. Once convinced Yasuke was real, he immediately threw a feast in his honor, says Lockley.
1581年、戦国時代日本の最も強力な戦国大名である織田信長が、奴隷から家臣となった黒人のヤスケに出会った時、信長はヤスケを神だと信じました。
「アフリカン・サムライ:戦国時代日本の伝説的黒人武士ヤスケの真実の物語」の著者トーマス・ロックリーによると、信長はそれまでアフリカ人を見たことがありませんでした。そして、当時の都であった京都の地元民と同様に、ヤスケの身長、体格、肌の色に畏敬の念を抱いたそうです。
「ヤスケが(イエズス会宣教師とともに)京都に到着した時、大規模な騒動が起きました。人々はヤスケを見たがり、彼の存在を身近に感じたがりました」と、9年の歳月をかけて研究し執筆した先月出版されたこの本について、ロックリーは語ります。
信長はヤスケを守護の鬼か、通常寺院で黒い像で表される繁栄の神「大黒天」のどちらかだと信じていました。信長はヤスケの肌の色素を擦り取ろうとし、それが黒インクだと考えていました。ヤスケが本物だと確信すると、すぐに彼の名誉を称える宴を開いたとロックリーは述べています。
https://edition.cnn.com/2019/05/19/asia/black-samurai-yasuke-africa-japan-intl/index.html
氏が出演したNHKの番組でも下記のように"侍"と書いてるので根拠はあるのだと思う
Black Samurai 信長に仕えたアフリカン侍・弥助 |NHK BS
織田信長に仕えた黒人侍、弥助(やすけ)。イエズス会の宣教師に同行していた弥助を信長が気に入り、家臣に取り立てたのだという。2人の主従関係は「本能寺の変」によりわずか1年3か月で終わったが、その前後の弥助の足取りはこれまでなぞに包まれてきた。しかし近年の研究により、アフリカからアジア、日本へ到る弥助の人生が次第に明らかに。ハリウッドで映画化も進むなど、今世界中から注目を集める、弥助の生きざまに迫る。
https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0009051309_00000
なお、『アフリカ人奴隷を使うと言う流行が始まった』という主張の根拠は、
京都国際観光大使で政府の成長戦略会議の委員も勤め、『中小企業であること自体が特権化している』
『子どもがいない専業主婦は脱税と同じ・社会インフラにただ乗りでモラルハザード』などなど
数々のありがたいお言葉を下さる、デービッド・アトキンソン氏によると、(アフリカ人奴隷の流行は)『資料にかなりあるけど』らしいです
日本人が知らない、少なくとも教科書では習わない事実なので純粋に興味がある
https://x.com/sessyun5021/status/1815008190398148816?s=61
ちなみ 群馬県立文書館 のレファレンス事例紹介コーナーによると『くろほう』について下記の回答があるね
問12 群馬県立文書館所蔵の古文書に、黒人と思われる「くろほう」という記述があるとききました。それは事実でしょうか。
栗間家文書(P00101)のNo1「年未詳加藤清正書状」(下川又左衛門ほか宛)には、豊臣秀吉の朝鮮出兵に関連する記述の中で「くろほう」という言葉が出てきます。そして2021年3月30日にNHK BS4Kで放送された「Black Samurai 信長に仕えたアフリカン侍・弥助」の中で、日本大学准教授のロックリー・トーマス氏がこの文書に出てくる「くろほう」こそ、織田信長に仕えた黒人武将弥助の後身ではないかと、述べられています。まず文書館内では、この「くろほう」をこれまで全く黒人として認識しておらず、トーマス氏のご指摘に驚いています。実は、この「くろほう」が弥助かどうかはともかく、黒人と推定する見解は以前からありました(中島楽章氏「16世紀九州末ー東南アジア貿易」『史学雑誌』118-8号ほか)。 ただし現時点では、この文書の1カ所にしか出てこないため、断定は難しいと思われます。例えば、『源氏物語』にも「くろほう」という言葉が出てきますが、これは「黒芳」(練り香)の意味で、日本の古典で頻出しているようです。また、当館文書を読むと、人間ではなく、物を指す記述と見た方が自然ではないか、という意見も係内で出ています。以上より、現時点では「くろほう」を直ちに黒人と即断するのは難しいのではないか、というのが当館古文書係の見解です。