はてなキーワード: フーリエ変換とは
若き者よ、君に抽象の森へと案内しよう。
位相的M理論とラングランズ・プログラムの関係性を辿るには、まず両者が共有している「場の言語」を抽出しなければならない。
ここでは、物理の言語がゲージ理論を媒介とし、数学の言語が圏と層を媒介して互いに翻訳される。だからこそ、双方は互いに異なる起源を持ちながらも「双対性」という共通の振る舞いを示す。
まず、M理論の位相的変種は、物理学の側から見ると六次元 (2,0) 超対称場理論に起源を持つ。
これをコンパクト化していくと四次元のN=4 超対称ヤン=ミルズ理論に到達する。
ここで特筆すべきはS-双対性。ヤン=ミルズ理論において、結合定数 g を持つ理論は、結合定数 1/g を持つ理論と同値になる。この双対性がラングランズ対応の物理的な影となる。
一方、ラングランズ・プログラムは数論的対象や代数幾何的対象を表現する表現論の枠組みだ。
群の表現、特にループ群やアフィンリー代数の表現が中枢を成す。幾何ラングランズ対応においては、層の圏 (例えばD-加群の圏) が表層に現れる。
ここでリンクする。幾何ラングランズ対応では、層の圏と局所系の圏との間に双対性が存在する。この双対性はS-双対性と数学的に対応する。
要するに、物理的には「電荷と磁荷の入れ替え」、数学的には「表現と層の入れ替え」だ。
具体的には次のような対応が生じる。
例えば、曲線C上のG-束のモジュライ空間M_G(C) を考える。このモジュライ空間上のHitchin fibrationは物理的にはクーロン枝と呼ばれる真空の空間に対応し、シンプレクティック構造を持つ。
さらに、その上で考えるFukaya圏とB型模型の圏の間に現れるホモロジー的ミラー対称性がラングランズ双対群に関する対応を生み出す。
式で描くならば
ここで、G はあるコンパクト単純リー群であり、^G はそのラングランズ双対群、τ は結合定数。
さらに深く潜ると、S-duality は境界条件として D-brane の理論を誘導し、その圏がラングランズ対応の圏と一致する。
具体的には、M理論のcompactification が (2,0) theory から N=4 SYM を生み、その電磁双対性が幾何ラングランズの圏同値と直交する。
まとめると、両者は「双対性」の抽象的枠組みの中で統一される。
位相的M理論は物理的な場の変換として双対性を体現し、ラングランズ・プログラムは数論的対象の間の対応として双対性を記述する。どちらも根底にあるのは、対象の自己鏡映的な変換構造。
若き者よ、君はすでに入口に立っている。
次なる問いを君に投げかけよう。
「もし位相的M理論が六次元 (2,0) 理論から始まるならば、なぜ五次元ではなく四次元に還元する必要があるのか?選択肢は以下の通りだ。」
今日は「演習で学ぶ科学のための数学」という本を一通りやり終えました。薄い本ですが線形代数・微分積分の基礎からフーリエ変換まで書かれています。
これぐらい薄い本だと、計算問題を具体的に解こうとしない限りは一日で読み終えることができます。私はいつも計算問題を見ると、sage mathというツールを使えば解けるのになぁと思ったりします。
さて、最近の調子はどうかというと、インターネットの楽しみが増してきました。
「数学の複数の概念を繋げたらどうなるのか」という興味に基づいてグーグル検索するととても面白いのです。
調和解析と数論を繋げるような深淵的なものから、とりあえず繋がっただけという表面的なものまであります。
複数のドメインを繋げる際の「センス」について素人なので、どの繋がりが本質的なのかを見抜くことがまだまだできていない気はします。
atcoder的な問題解決者ではなく、コホモロジー的な理論構築の観点から深淵を覗きたいのです。
最先端のトピックが概ね英語で書かれていることが多いので、読む際に翻訳にかけなければスラスラと読めないのが少し難点です。
ところで「笑わない数学」という番組を知りました。私が最初に見たのは確率論に関するエピソードでしたが、昨日やっていたのは非ユークリッド幾何学でした。
テレビとTwitterの連動性はよく知られていますが、こういう番組に対して視聴者が持つ感想を眺めるのが面白いです。
低コストで飽きない趣味としては、数学はとても良い題材だと思います。
ファインマンさんが言うように、誰かに教えるときに学習効果が最大化されるという面もあるので、いずれブログを書いてまとめたいです。
自分もずっと仕事でプログラミングをして来ましたが、コンピューターサイエンスを学ぶべきというのは正しいと思います。
前から、フーリエ変換と、プログラミングのソート(SQLのorder by)との関連性については「何かあるのでは無いか」と思っています。
ただ、無制限にコンピューターサイエンスを勧める事が出来ない自分もいます。
プログラミングや設計やプロジェクトマネージメント(以下ソフトウェア開発という)もコンピューターサイエンスの恩恵を受けるべき
それに対し、フーリエ変換などが得意な人(以下数学が得意な人)が、ソフトウェア開発に対して、ためにならない事をやり続けているのは
ベイズ論(因果分析あり) と頻度論(因果分析なし)との長い死闘の1断面と言っていいと思います。
主に2点
1.数学が得意な人が、それと「似ている」ソフトウェア開発に対して片手間的に関与して来て、自分の資格を以て、なんの実績も無しに
ソフトウェア開発での「上級の資格」を無条件に得ようとする事です。
それを実現するために、数学と相性の良い、ソフトウェア開発が抱える問題のサブセットを切り出し、そうでない問題は、問題が悪い
2.数学が得意な人が、それと「似ている」ソフトウェア開発に対して真剣に取り組み、相当の時間をかけて「プログラミング」や「設計」
や「プロジェクトマネージメント」について、自分だけでかなり体得し、
その過程でプログラミングなどの実務はやっていない(実質的に同等の事をやっているにも関わらず)という事実をもって、
(たとえば)「プログラミングなんて不要だ、自分がその実例だ」といって信奉者を集めるのです。(それは自分が天才なだけでは)
1.ですが、原因があります。人間は「似ている仕事では手を抜く」という性質です。
一番身近な例として、プログラミングと設計があります。似ている仕事ですが、プログラマーとしての自分が現役の頃は絶対に設計は
させてもらえませんでした。逆も真でしょう。もちろんプログラミングの経験は設計に生きると思いますが、
コンバートするには前職の匂いを消し去り、手を抜かない様な心構えを持ってから出ないとダメだと思います。
数学が得意な人は現役の内は、似ている分野のソフトウェア開発では手を抜くでしょうし、逆も真だと思います。
2.ですが、そういう天才は、プログラミングと同等の事を、自分だけで体系化出来、実績も上げます。信奉した人間はたまったもの
では無いと思います。
「努力してパーティーに出席した人間には、ウェイターしか道が無かった人間の事は分からない」のも人間の性質です。