はてなキーワード: 分散とは
少子化は「若者の意識が変わったから」でも「恋愛離れしたから」でもない。そんな話に逃げている限り、何も変わらない。問題はもっとはっきりしていて、もっと露骨だ。
この国は、家族を持つことが割に合わない社会になってしまった。それだけのことだ。
昔は誰もが結婚したし、子どもを持つことは人生の一部だった。特別な覚悟なんていらなかった。生活の延長線に「家庭」があった。でも今は違う。家庭は「頑張らないと成立しないもの」になった。余裕がなく、支えがなく、時間もお金も削られ、精神さえすり減る。
それを見た若者が「家庭を持ちたくない」と思うのは当然だ。生存本能が正常に働いているだけ。
それなのに社会や政治は「最近の若者は…」「価値観が…」と、まるでこちらの感覚がおかしいかのように語る。おかしいのは若者ではなく、社会の側だ。
子どもが生まれないのは、愛が薄れたからではない。人間が利己的になったからでもない。生活の土台が壊れたからだ。
それを直視しないまま、「意識を変えろ」「努力しろ」と言い続ける社会は、ただの加害者と変わらない。
少子化は、個人の問題ではなく、構造の失敗だ。そしてその構造を作ったのは、社会・政治・制度だ。
だからこの話は、頑張りでも道徳でもなく、生きられる社会か、死ぬ社会かの話だ。
人類はずっと「ほとんど全員が結婚する社会」で生きてきた。結婚は特別なイベントではなく、生きる流れの中に自然に組み込まれていた。それは「恋愛がロマンチックだったから」ではない。生存の仕組みだったからだ。
昔の家族は、いまよりずっと広かった。親、祖父母、親戚、近所の手、地域の目。子どもを育てる負担は社会的に分散されていた。
だから、家族を持つことは「やる気」や「覚悟」の問題じゃなかった。生活が人を支えていたからだ。しかし今はどうだろう。
住まいは分断され、家族の単位は極小化し、育児も家事も、家計も精神も、夫婦の小さな箱の中に全部押し込められている。とくに片方(多くは女性)に。
昔は共同で支える仕組みが前提、いまは個人が抱え込む仕組みが前提。そりゃあ持続なんてするはずがない。
少子化は「人々が家族を望まなくなったから」じゃない。家族をつくるための構造が壊されたからだ。
家族は、努力や気持ちだけで維持するものじゃない。社会が支える基盤があって初めて自然に成立する。
その基盤が崩れた時点で、出生率が落ちるのは生物的に当たり前の反応だ。若者は間違っていない。社会の構造が、家族をつくることに向いていないだけ。そしてそれを「個人の選択」の問題にすり替えてきたのが、今の日本だ。
いまの日本では、家族を作ろうとすると、真っ先にぶつかるのが可処分所得の低さだ。働いても働いても「生活するので精一杯」。貯金もできない。家も買えない。子どもなんて無理。これは感覚ではなく、構造としてそうなっている。
賃金はここ30年ほとんど増えていない。その一方で、税金と社会保険料はじわじわと、しかし確実に増え続けた。さらに都市化にともなう家賃上昇、教育費の高騰、保育の外部化コスト。全部「生きるための固定費」だ。
生きているだけで、消耗する社会になっている。共働きが「選択」ではなく「必須」になったのは、意識が変わったからではない。片働きだと生活が成立しないように制度が変えられたからだ。
しかも共働きをしても、生活が楽になるどころか、育児・家事・感情のケアは家の中で圧縮され、時間も体力も関係性もどんどん削られていく。これは努力不足ではなく、設計ミスだ。
「家族を持つ余裕がない」のは、弱くなったからじゃない。社会の構造が、人をそこまで追い込んでいるからだ。
そしてこの状況を政策側は「自己責任」で片付けてきたが、本当は逆だ。家庭が苦しいのは、税と社会保障の負担が現役世代に一方的に集中しているからだ。
その一方で、資産を持つ高齢者は、負担を大幅に免除されている。つまり現役世代が国を支え、国は現役世代を支えていない。
この不均衡が、家族を持つことのハードルを限界まで引き上げている。子どもを産まないのは罪でも怠慢でもない。単に、生きられるように判断しているだけ。合理的な感覚だ。壊れているのは社会の側だ。
「女性の社会進出は良いことだ」。この言葉自体は、もう疑う必要はない。働きたい人が働ける社会は、当然あるべきだ。問題はそこではなく、働かないと生活できない社会にしたという点にある。
かつての日本では、片働きでも家族は維持できた。それは賃金が成長し、家族が広く、生活が社会の中に支えられていたからだ。
しかしいまは違う。税と社会保険料が現役世代に偏って重く、賃金は伸びず、住宅費と教育費は天井知らず。そこに核家族化で助けを失った育児負担が重なる。
その結果、家庭を維持するためには、夫婦が二人で働くしかない。これは「女性の自由」ではない。ただの強制である。
そしてこの強制は、「女性活躍」「自己実現」「多様な生き方」などというきれいな言葉で包まれている。
耳あたりはいいが、労働力人口の補填、税収と社会保険料の拡大、高齢者給付維持のための現役世代の酷使というのが実態だ。
本来なら「働くかどうかは選べる」べきだったのに、実際には「働かないという選択肢」そのものが消された。
「女性が働ける社会」ではなく、「全員が働かないと沈む社会」になったのだ。
そして、負担は家庭の内部に集中する。特に、感情のケアや子どもの生活リズム、夫婦関係の調整といった、目に見えない「家族の体温」を維持する仕事は、ほとんど女性が背負ったまま。
外の仕事が増えた分、内側の仕事は減らないどころか、圧縮され、歪み、擦り切れていく。そこで荒んだ家庭に、子どもが生まれる余裕なんてあるはずがない。
これは「女性が弱い」からではない。「頑張りが足りない」からでもない。こんな設計にした社会が弱いのだ。
少子化の背景には、若者が怠けているわけでも、家族を望まなくなったわけでもない。ただ単に、社会が若者から奪い、高齢者に配り続けてきただけだ。
日本の社会保障は、表向きには「弱者を守る制度」と言われている。だが実際に優遇されているのは、弱者ではなく、人口の多数派である高齢者層だ。
資産を持ち、家や預金を抱え、老後も安定した暮らしができる人たちが、医療費は1〜2割負担で手厚く保護される。税も軽い。年金は自動で振り込まれる。
一方で、現役世代は税と社会保険料を天引きされ、子育てや教育費は自己責任で、家賃は高く、時間はなく、未来への期待は潰されている。
若者が支え、老人が受け取る。しかもそれは「助け合い」ではなく、構造化された一方通行だ。
なぜこんな歪んだ配分になったのか。理由は単純だ。この国では票を持つのは高齢者側だからだ。
政治家は票が欲しい。財務省は税収を維持したい。高齢者は数が多く、選挙に行く。若者は数が少なく、政治的には無力に扱われる。
つまり今の日本は、「支えられる側」ではなく「支える側」を壊している社会だ。
家族を持とうとする世代こそもっとも手厚く支えられるべきなのに、現実には真逆の仕組みが続いている。これでは人口は減る。減って当然だ。
そして減り続ける限り、高齢者比率はさらに増え、政治は今以上に高齢者優遇へ偏り、若者はさらに搾り取られる。
これはもう「問題」ではなく、自己増殖する社会の衰退装置である。
誰か一人の責任ではない。だが明確に言えることがある。
壊れているのは、若者の生き方ではなく、国家の意思決定構造そのものだ。
日本は「資本主義の国」だと言われる。しかし実際に動いているのは、もっと別の形だ。
競争があるように見えて、実際には社会全体が「均一に消耗する方向」に管理されている。
自由があるように見えて、実際には「生きるために働く以外の選択肢」がほとんど許されていない。
支え合う仕組みがあるように見えて、実際には「一方的に負担を引き受ける側」が決められている。
これはもう、資本主義ではない。しかし、福祉国家でもない。もっと静かに締めつける形。日本型社会主義だ。
ここで言う「社会主義」は、弱者を守る優しい社会という意味ではない。国全体の生活水準を均一に、安定的に、とにかく変わらないように保ち続ける仕組みのことだ。
問題は、そのために犠牲になる層がはっきり決まってしまっている点にある。
犠牲になるのはこれから生きる人。つまり若者と、これから生まれるはずだった子どもたちだ。
日本型社会主義は、未来に投資しない。その代わりに「今、生きている人の安心」を最優先する。特に、人数が多く、政治的力を持つ層の安心を。
その構造では「変えないこと」が正義になる。「とりあえず今を守ること」が優先される。「未来」は後回しにされ続ける。そして、未来は来なくなる。
本来、社会とは「受け継がれるもの」だ。生まれた命に次の生活が渡され、時間が伸びていくものだ。
だがいまの日本は、未来を育てる力を、自分たちで捨ててしまった社会になりつつある。
現役世代の時間と金と心が削られ、子どもを迎える余裕が消え、生まれる命の数が減り、社会の骨格そのものが痩せていく。
それでも表向きは「安定している」ように見える。なぜなら衰退はゆっくり進むからだ。
だからこそ、この国は静かに壊れていく。誰も叫ばないから壊れている。悲鳴が聞こえない形で壊れていく。
これは「滅び」ではなく、溶けるような消失だ。
その進行を止められるのは、制度でも政策でもなく、「もう、このままでは無理だ」と言葉にする人の側だ。
問題は道徳や意識ではない。設計の誤りが放置され続けていることだ。
家族が消えたのは、心が弱くなったからではない。生きるための構造が、人間の生活に合わなくなったからだ。
必要なのは、ただ一つ。人が家族を持てるような生活の地盤を、社会がもう一度つくること。
やるべきことは、実はとてもはっきりしている。
まず、現役世代の可処分所得を戻すこと。税と社会保険料を若い世代にだけ重くのしかける構造をやめる。資産を持っている層には相応に払ってもらう。
「本当に困っている人を助ける」ことと「とりあえず老人全員を守る」ことはまったく違う。
次に、家族を一家庭に押し込めないこと。育児は社会が支えるべき公共インフラだ。
保育、学童、家事支援、地域の助け、頼れる外部リソース。昔はそれが「人間関係の中に」あっただけで、今と違う形で存在していた。
それを、形を変えてもう一度つくればいい。そして、働く/働かないを選べる社会に戻すこと。
共働きが悪いのではない。共働きしかできないのが問題なのだ。家庭は「労働力供給のための単位」ではない。人が人として生きる場所だ。
ここに、もうひとつ、今必ず触れておくべき点がある。
働き手が足りないからといって、外国人労働者で穴を埋めようとする動きが進んでいる。だがこれは、人件費を抑えたい大企業と、本質的な構造改革を避けたい政府の都合にすぎない。
少子化で労働力が減っているなら、本来やるべきことは賃金を上げ、労働環境を整え、家庭を維持できる生活基盤を戻すことであって、「別の人間を輸入して補う」ことではない。
安価な外国人労働力を入れれば、企業は労働環境を改善する必要がなくなる。政府は自分たちの設計ミスを修正せずに済む。
そして一番損をするのは、現役の日本人労働者と、これから生まれるはずだった子どもたちだ。
これは、社会の疲弊を補う政策ではなく、社会の疲弊を固定する政策だ。未来を守るどころか、未来を切り捨てて「延命」しているに過ぎない。
家族が育たない社会に、人は根を下ろさない。根を下ろせない社会に、未来は生まれない。だからこそ、立て直すべきは、人間の「生活」の側だ。
やあみんな。
リモートワーク勤務のワイちゃんですが、最近出社が増えてどうしようか悩んでいる。
と言う構成。
自宅は郊外なので楽天がわりと快適。スピードも普通に使っている分には特に不便無し。
持ち歩かないときには個人のモバイルルータを自宅のルータに接続し、サブ回線として使える用にしている。回線が切れると仕事出来なくなっちゃうからね。
ところが、最近出社が増えた。都心のオフィスに来いと言うことで渋々通っているのだが、ここで楽天モバイルが猛烈に繋がらない。
重すぎる。
社用のドコモも使っているが同じく重い。
正道でいくならモバイルルータもpovoあたりにするのがいいんだろうが、そうすると緊急時の回線の多様性が失われるんだよね。
できたらできるだけベンダーを分散しておきたいんだけど、どうしたものか。
🌟エコノミクス⭐️プリキュア — The Invisible Hands of Justice!
かつて豊かだった国は、「欲望のディストーション」によって市場が歪み、人々が“貨幣の呪い”に囚われてしまった。
そこに現れたのが、五つの「理念のクリスタル」を宿す少女たち──。
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アダム・スミスの精神を継ぐ、やさしさと理性のバランスガール。
特技は「インビジブル・ハンド・ヒーリング」で、対立した人々を調整する。
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巨大なハンマー“ダス・キャピタルブレイカー”で悪徳資本を粉砕。
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💙理性の風!キュアケインズ!
冷静沈着なブレーンタイプ。
金融嵐を収束させる「フィスカル・ウィンド・リカバリー」で仲間を支援。
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💚調和の智!キュアセン!
「みんなが“できる力”を持つ世界を!」
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最終ボスは「ゼロ・サム・クイーン」──他者の損失を快楽とする存在。
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90年代の「サブカル優勢」から「オタク文化の圧勝」への転換は、ざっくり言うと以下の力学が重なった結果だと思う。
作品より“キャラクター”の継続消費(推し活)が拡散・可視化しやすい。MAD/二次創作→SNS→公式展開の循環が強かった。
[2] 反復消費モデルの強さ(シリーズ化・ソシャゲ・グッズ)
ガチャ・ライブ・2.5次元舞台・イベント・コラボカフェ…同一IPで何度も課金/参加できる仕組みが整備。収益の再投資でIPがさらに巨大化。
ファン字幕→公式配信→世界同時上映へ。国内ニッチが海外需要で“メジャー並み”の規模に。
強いエンゲージメントを生むジャンルがレコメンドに乗る。コアファンの熱量がそのまま可視化・拡散力になる。
90年代サブカルは雑誌・セレクトショップ的な編集=ゲートキーパー依存。雑誌衰退とともに拠点を失い、オタクはコミケ/同人即売会/SNS/配信で自前の分配網を持った。
同人・二次創作・コスプレ・ファンイベントなど、作り手と受け手が往復する設計。参加コストが下がり、定着率が上がった。
深夜アニメの一般化、秋葉・池袋の観光資源化、「クールジャパン」文脈等で社会的許容が拡大。羞恥コストが低下。
原作(漫画/ラノベ)→アニメ→ゲーム→舞台→実写→海外、の水平展開が定式化。投資判断がしやすく、外部資本が入りやすい。
[9] 景気・労働環境の変化と“内向き娯楽”
長時間/低予算でも深く楽しめる継続型エンタメが求められ、可処分時間の細切れ化にも合致(スマホゲーム・配信視聴)。
90年代的サブカル(音楽・アート・ストリート・批評)は“場”を媒介にした横断が強みだったが、場(雑誌/クラブ/独立系書店)の弱体化でネット上に散り、まとまった産業スケールを作りにくかった。
要するに、オタク文化は「キャラ×反復課金×参加コミュニティ×国際同時流通」を握り、プラットフォーム時代のKPI(熱量・継続・可視化)に合致した。一方で90年代サブカルは“編集=場”依存で、デジタル転換後の収益装置を持ちにくかった——この非対称性が“圧勝”の正体だと思う。
https://anond.hatelabo.jp/20250424114813
ご指摘のように、資本主義経済と民主主義政治体制の間には、「相性の良さ」と「相性の悪さ」の両面があるため、複雑な議論が存在します。
一般的に、歴史的・論理的な観点から、資本主義経済は民主主義を実現しやすい(あるいは親和性が高い)とされることが多いです。しかし、現代においては、その両者の相性の悪さが顕在化しているという見方もあります。
多くの学者や論者は、他の経済体制と比較して、「修正された資本主義(混合経済)」、または**「社会民主主義的(福祉国家型)な制度でバランスを取った資本主義」**が、民主主義の実現に最も適していると考えています。
* 個人の自由と権利: 資本主義が保障する私有財産権や経済活動の自由は、民主主義が重視する個人の自由や権利の概念と論理的に通底しています。
* 権力の分散: 自由な市場経済は、国家権力とは独立した経済的な権力(資本)を生み出し、これが国家権力の集中を防ぎ、権力の多角化を促すため、民主主義の基盤となりやすいとされます。
* 中間層の形成: 経済発展を通じて豊かな中間層を形成しやすく、この層が安定した政治的基盤(政治参加、リベラルな価値観)を提供することで、民主主義が定着しやすいとされてきました。
純粋な自由放任資本主義では、ご指摘の通り格差の拡大や貧富の差が生じやすく、これが民主主義を脅かす要因となります。
* 格差是正の必要性: 極端な経済格差は、裕福な層による政治的な影響力の増大(ロビー活動など)や、貧困層の政治的無関心を招き、「一人一票」の原則に基づく民主主義を形骸化させます。
* 社会保障による安定: 社会民主主義や福祉国家の要素を取り入れた混合経済体制は、税制や社会保障制度を通じて格差を是正し、国民の生活基盤を安定させます。これにより、すべての国民が政治に健全に参加できる環境が整い、民主主義の安定性を保つことができるとされます。
⚠️ 現代における「相性の悪さ」の背景
近年、「資本主義と民主主義は相性が悪い」と感じられる背景には、「新自由主義的」な資本主義の行き過ぎがあると指摘されています。
* 格差の拡大: 金融化の進展や規制緩和により、富の偏在が極端に進み、経済力が政治を動かすという現象(ポピュリズムの台頭やエリート層への不信感)が顕著になっています。
* 短期的な利益追求: 資本主義が短期的な利益追求に偏重することで、地球環境問題や持続可能な社会の構築といった、民主的な議論と長期的な視点が必要な問題への対応が遅れることがあります。
したがって、民主主義を実現しやすい経済体制は、純粋な資本主義ではなく、市場の効率性と社会的な公正・平等を国家の介入によってバランス良く両立させる**「修正された資本主義(混合経済)」**であるという見方が有力です。
6時17分、電動歯ブラシの音が寝室に反響する。洗面台の左端から15cmの位置に置かれたコップの水面が、微細に振動していた。オートミール40g、プロテイン12g、アーモンドミルク200ml。抽出比18:1のコーヒーは、温度計が93.0℃を示した瞬間に注ぐ。食事中、ルームメイトが「また同じ朝飯か」と言ったが、揺らぎは統計的誤差を生む。火曜日の朝に味の分散は不要だ。
午前8時。ホワイトボードには昨晩の計算式の断片が残っている。今日扱うのは、タイプIIB超弦理論の背景場に対する∞-層圏的修正モデル。モノイダル圏上の局所化関手をファイバー束の形で再構成し、非可換モジュラー形式の層化とホッジ双対性を同時に満たす条件を探す。通常のホモロジー代数では情報が落ちる。必要なのは、∞-圏の内側で動く「準自然変換」と、その自己準同型の導来空間だ。これをLanglands対応の派生版、すなわち「反局所的鏡映関手」にマッピングする。結果、弦の張力パラメータに対応する変形空間が、ホモトピー群πₙの非自明な巻き付きとして現れる。誰も確認していないが、理論的には整合している。ウィッテンですらこの構成を明示的に展開したことはない。そもそも導来層圏のモノドロミーを操作できる研究者自体が数えるほどしかいない。僕はそのわずかな孤島のひとつに立っている。
昼、ルームメイトが昼食を作っていた。キッチンのIHプレートに油の飛沫が残っていたので、座標系を設定し、赤外線温度計で範囲を確認してから清掃した。隣人が郵便物を取りに来た音がした。彼女の足音は毎回規則的だが、今日は左のヒールの摩耗音が0.2秒ずれた。おそらく週末に靴底を交換したのだろう。観測可能な変化は記録しておくべきだ。午後は大学のセミナー。話題はM理論の代数的拡張、だが発表者の扱っていた「微分層上の非可換コサイクル」は粗雑すぎる。導来圏の階層化を考慮していなかった。帰りの車中、ノートPCでホモトピー型タイプ理論を使って自作の演算モデルを再計算した。
帰宅後、友人二人が旧式のTCGのデッキを持ってきた。新パッチでエラッタされたカードの挙動を確認するための検証会だ。デッキの構築比率を1枚単位で最適化し、サイドデッキの回転確率をモンテカルロ法でシミュレートした。相手のコンボ展開が不完全であったため、ターン3で勝負が決した。カードの裏面の印刷ズレを指摘したら、彼らは笑っていた。テーブル上に置かれたスリーブの角度が4度傾いていたので、直してから次のゲームに入った。
夜。隣人が新刊のコミックを持ってきた。英語版と日本語版で擬音語の翻訳がどう違うかを比較する。onoma-topeic rhythmの差分は文脈ごとに変動するが、今回は編集者がセリフのテンポを原文に寄せていた。明らかに改良された訳。印刷の黒インクの濃度が0.1トーン深い。紙質も変わっている。指先で触れた瞬間に気づくレベルだ。
23時。寝具の方向を北北東に0.5度調整し、照明を2700Kに落とす。白板の前で最後の計算。∞-層のモノドロミー作用素が、ホッジ-ドリーニュ構造と可換する条件を整理する。導来関手の符号が反転した。ノートを閉じ、部屋の温度を22.3℃に固定する。音は一切ない。火曜日が静かに終わる。
誰も見て見ないふりしてるけど。
問題は繋がっていて、ごく単純な話。
「この規模、この内容のサービスで、なんでこんなにエンジニアが大量にいるんだろう?」って疑問は、どこにいっても、どこと話しても、わく。
先日の才能問題がまさにそうなんだけど、ソフトウェアエンジニア業界に滞留している人、ぶら下がってる人が多すぎやしないか? と。
リモートをいいことに、サボりまくってる「エンジニア」、特に最近は生成AIででっち上げてサボれるようになってからは、まぁまぁの数、存在していると思う。
実際に観測してもいるし。
そういう極端な例に限らず、才能がない、向いてない「エンジニア」が相当数寄生している。
ジュニアとかコーダーレベルだけじゃなく、いや、むしろリーダー、マネージャー、CTOレベルに。
その組織、企業のそのレベルの「エンジニア」が、それに占拠されたら、多分事態が好転することはない。
アリバイづくり程度の活動は行われるだろうが、永遠の停滞に陥るだろう。
誰か一人抜けても、残りがスクラムを組んで、異分子を排除することに全能力を傾けるだろうから。
まさに獅子身中の虫。
「あの企業が?」ってところが、すでにそう言う状態に陥ってたりする。
名前はあげられないけど w
政府はソフトウェアエンジニアが足りない足りないって喚いてるけど、頭数だけ用意しても現場、プロダクトが混乱するし、利用者が困るだけだ。
これ、旧日本軍の失敗の原因であった「員数主義」って言うんよな。
正直、「え? ソフトウェアエンジニア……? を名乗って……んの……?」って人が多い。
語るけど。
延々と語るけど。
滔々と語るけど。
毎度毎度、会議室でMCバトルの、青菜に塩をかけたような真似事をして。
誰が一番最初に、新しいイケてるWebページを見つけたかを競って、ドヤ顔くらべ。
勉強会開いてみたり。
この量と質か?
みたいな。
多分、この手の「エンジニア」の半分以上が、人手不足の工場とか大工とか解体業とかライフライン保守に行ってるべきだったんだろうな、と思う。
どっちが上とか下とか言う話じゃなく、向き不向きの話。
向いてないんよ。
多層抽象化に不自由とか、概念構造の構築に不自由とか、専門書とかの読解に不自由とか。
2、30年ほど前はそこまでの能力がいらなかったからうまくエンジニアに滑り込んだ人もいただろうけど、今時のプロダクトでそれでは通用しないんだよね。
SQL文の書き方とか、DockerFileの書き方とか、ソースファイルのタブの入れ方とか、Web記事のある場所とか、ディレクトリ構成とかの形式的な知識とか、マジで、あったから何? って。
大事なのは形式的な知識じゃなく、本質的な理解とメタ思考なんだよね。
お前なんていらない。
それだけ。
使いたいっすよね。
って、よく言われる。
この言葉のままじゃないけど、まぁ、だいたいこういったニュアンスだ。
自分はそこそこの腕だと思うなら、彼我の実力の差は正しく測れるようになっとけよ。
こちとら、「だいたいこういう実装されてて、長所短所はこんなもん。こういう処理のために作られたようなもんだな。だから、今のプロダクトだと使い所がないね。料金も高いし」あたりまでチェック済みじゃボケ!
ってことしかない。
こいつら、自分の業務経歴書に書き込む単語を増やすことしか考えてねぇんだよな。
関連サービスなんて増やせば増やすほど、保守運用改善が大変になっていくだろ!
経費もかかるだろ。
「仕組み」は、よりシンプルな方法で実現できるならシンプルな手段を選べ、ってのは常識中の常識だろ。
「KISSの原則? 知ってますよ」って、知識として知ってる。
KISSが"Keep it simple, stupid"の略だってことを知っている。
けど実現できないんじゃぁ意味がねーんだよ。
この手の「自分はイケてると錯覚しているエンジニア」は、Web記事つまみ食いしながら雰囲気で設計実装するから、リクエストやデータが増えてきたら破綻するような、間違えた設計実装しかできない。
そういう新しいサービスは、それ以前のサービスの欠点を埋めるために作られてるんだから、それ以前のサービスと同じノリで設計実装して十分な性能を引き出せるわけがねーんだわ。
今までの複数の炎上現場で、正しく設計実装できてたところはなかったよ。
おいらが関わった炎上現場はほとんど、こうやって生まれてきている。
そういう炎上現場を作り出したエンジニアは、ふくらし粉で増量した業務経歴書片手に、「サービスの立ち上げを『僕の技術力で』やり切りました」って転職していくんだ。
新しいことに挑戦したくなって。とか言って。
みたいなエンジニアを、なぜどこもかしこもありがたがって採用するか全く理解できないんだが、そういう「エンジニア」が次の現場で生まれ変わったように的確で素晴らしい成果を出せるかって、そんなわけもなく、日をおうごとにグダグダになっていくサービスがさらに一個増えるだけだったりする。
こういうエンジニアが、初回リリースしてからしばらくして、ソフトウェアエンジニア業界に飛び散る。
まるでがん細胞。
こうなると立て直すスピードより、グダグダな新しいサービスが生まれるスピードの方が何十倍、何百倍も早い。
もうね、半ば絶望してるんですよ。
今、生成AIも参戦してきてて、物量だけは爆発的に増えてるから。
多分、そう遠くなく、グダグダサービスで日本は覆われると思う。
AIベビーシッターが必要になってくるだろうけど、それができるだけの技術力を持ったエンジニアの数が圧倒的に少ないし、何よりそういう腕利のエンジニアを、ふさわしい金額で雇おう、招こうと考える経営者が皆無。
今までの炎上現場ですら、高すぎる。無駄金を払わされてる。って扱いをうけてたからな。
「同じエンジニアなのに、どうしてこんなに高いの?」
エミュー戦争を思い出すんだが。死傷者が出なければいいなと思う。
エミュー戦争は、1932年にオーストラリア(西オーストラリア州)で発生した、野生動物であるエミューの駆除作戦を指す俗称です。
第一次世界大戦の退役軍人が入植した農地に、干ばつの影響で約2万羽ものエミューが水を求めて侵入。小麦などの作物を食い荒らし、フェンスを破壊するなど深刻な被害をもたらしました。
農家からの要請を受け、国防大臣は機関銃(ルイス軽機関銃)を装備したオーストラリア王立砲兵連隊の兵士を派遣しました。しかし、エミューは非常に素早く、群れがすぐに分散してしまうため、機関銃による掃討は極めて困難でした。
作戦は2度にわたり実施されましたが、大量の弾薬を消費したにもかかわらず、駆除できたエミューはごく少数(約1,000羽弱とされる)に留まりました。メディアはこれを「エミュー戦争」と皮肉交じりに報道し、最終的に軍は撤退。人間の兵器が野生動物に通用しなかったという、珍妙な出来事として知られています。結果として、この作戦はオーストラリア軍の「敗北」と見なされています。
才能がないと思ったら、早いうちに河岸を変えた方がいい。
早ければ早い方がいい。
可哀想だから(教え子が? それとも自分が? w)、って「がんばれ、がんばれ。才能なんて関係ない」みたいに騙すのは、むしろ害悪だよ。
10年後、気付いて路頭に迷わせるとして、その責任は取れるのか?
まぁ、本人自身が気づいて路頭に迷いつつあるけどどうしようもないのかもしれんが、地獄に道連れはやめてやれ w
それで生計を立てない、趣味の範囲で楽しむ分には好きにすればいいけど、エンジニアに限らず、それなりのお金をもらおうとしたら、才能、向き不向きは超えられない壁として現実に、強固に存在している。
球速120km出ないけど阪神の一軍のピッチャーに、ってのはどう逆立ちしても物理的に不可能だ。
でも草野球は楽しめる。
才能がなけりゃ、一人で永遠に「大いなる助走」を続けりゃいい。
誰にも迷惑かけないなら。
医師、看護師、会計士、経営者、etc.etc. にも、才能、向き不向きはある。
落ち着きないし。
同じことを何日も続けたら、爆発する。
「明日も同じことしなきゃならないのか……」って考えただけでも、死にたくなる。
こんな感じに、才能がものをいう分野って、意外に多い。
ソフトウェアエンジニアは、設計実装の抽象度が多層化していて、その巧拙によって安定度、運用や機動的な新機能追加の手間、リードタイム、金や何やら、数十倍、規模複雑度が爆上がりしている今なら下手すりゃ数百倍差が出る。
その差をちゃんと理解するには、巧の現場の「こういう世界があるんやー……」って実体験が必要だったり、巧レベルの才能が必要だったり、経営知識が必要だったり、経済知識も必要だったりして、「拙」の現場にぶら下がってるだけのエンジニアが「才能なんて幻想」って吠えたっても「マジ、迷惑だからやめてね」って思う。
どの炎上現場でも、高粘度現場(リーダーマネージャが理解できないからって邪魔ばっかりしてきたり、そもそもプロダクトがぐっちゃぐちゃになってたりして、どんな行為がサービスの息の根を止めるかわからなくて身動きが取れない「震える舌」みたいな現場。物事が全然進まない現場。通常、経費で札束ガンガン燃やしてるはずだから、ここも炎上現場っていう)でも、この手のエンジニアが腐るほどぶら下がってるんだよね。
たいてい、生み出されるソースコードとドキュメントの割合がおかしなことになってる。
いや、そういうの主催してる暇があったら、コード書けよ、って。
でも、Web記事引いてきて、「〇〇にはこう書いてある」とかドヤ顔で机上の空論で時間潰して「俺も一端の理論派エンジニアだぜ……」とか、いや、お前はただの受け売りを理解もせず垂れ流してるだけのそこらへんの AI と変わらんクズだよ。
おいらの師匠の一人は「TV出たり、本書いたりするやつは二流。一流は、自分の仕事に集中していて、他のことやる暇ないから」って言ってたけど、ほんとその通りだと思うよ。
シャバと違い、ソフトウェアの世界は驚くほどのスピードで巨大化、複雑化している。
30年、40年前なら、社会性の乏しい、プログラミングコンテスト受賞者みたいなエンジニアでも無双できたけど、今は無理なんだよね。
今だと玉拾いも任せられないくらいだったりする。
ちょい前も、PostgreSQLの中身いじれます! って東大卒業生いたけど、視点が局所的すぎて全体感に欠けてて、プロジェクトがヤバい状態になってるのが理解できなかったりしてたからね。
そろそろリリースできる状態になってる予定だけど、おいらの読み通りα版完成が3ヶ月遅れ、そこで大量の不具合が発覚してベータ版完成がそこからさらに3ヶ月以上遅れ、不具合積み残したまま見切り発車、ってなるんじゃねーかな、と思ってるんだが w
才能の種類、方向性によっては、10年前も今もたぶん10年後も変わらず十分通用するものはあるんだけどねー。
そこに生活水準をあげてしまうと、自分はもう通用しないと気づいても、撤退できない。
マイカーガー。
マイホームガー。
子供ガー。
愛犬ガー。
んなもん知るかっ!
そういう「元エンジニア」がリーダーとかマネージャとかにクラスチェンジして、事業、プロダクトの足を引っ張る。
あそことか、そことか、具体的な企業名はあげられないけど、そういうエンジニアが漬物石のように重しになって、身動きが取れなくなってるところが多い。
VCとかから、もっと売り上げを上げろ。成長率を上げろ、というプレッシャーを与えられ、何かしなきゃいけない。ってなって、外付けの雰囲気だけのサービスをどんどん外付けしていく戦略を取る。
1年で10。
2年で30とか。
マジかよ w
思い思い行き当たりばったりに作ったら、手間だけ増えてそれを壊すわけにはいかなくなって、さらに身動きが取れなくなっていく悪循環しか見えないんだが、そんな経営方針で大丈夫か?
とか意味不明な決定して、認証認可v1、認証認可v2、認証認可v3とマイクロサービスが増殖して、さらにv4を企画してるとかいう会社だってある。
真っ当な声には、自分の存在感を示すためだけの反対を唱えて邪魔したりして、現場で手を動かしているエンジニアより高級を取ってんのに、事業、プロダクトへ与えるダメージは倍増する。
さらに、自分の地位を死守するために、それを脅かす腕利のエンジニアを陥れる、排除することに全力を傾ける。
これで3倍界王拳だ w
経営者はできるエンジニアたちに任せていると思い込んでいるかもしれないが、さて、どうかね? w
大本営発表的にはうまくいっているとされているサービスが、その裏側はカーオブファイヤーみたいなところって、結構ある。
はっきりいう。
今はクラウド環境のプロダクトで、どのように自動テストで検証可能なシステムを構築するかの手法の研究を続けてる。
具体的には、今まで関わってきた炎上現場で安定稼働を達成させた手法(TDD)だな。
ワークライフバランス? w
才能のない人は河岸変えろ。
業務経歴書にも今まで使ったことがあるサービスの名前をたくさんたくさん載せてます。
じゃねーよ。
ボルトに世界水泳、吉田沙保里にNBAに出場させるような使い方してて、どこが技術力だよ。
ってのが多い。
「どうしてこのAurora、リーダーがこんなにたくさんぶら下がってんの?」
「テナントが増えて、アクセスが増えたので、負荷分散のために増やしました。水平スケーリングってやつです」
うん。水平スケーリングは知ってんねん。この程度のテナント数、ユーザー数、アクセス数で、どうしてこんなにでかいインスタンスのリーダーがぶら下がってんのか? って聞いてんねんけど……。
って現場、多い。
でも、今通常営業してるサービスでも、こういうところ多いんだよな。
それはともかく、
「マイクロサービス化していて、いま120を超えたところで、当面160になります」
「……は?」
「……デプロイの時、どうすんの?」
「変更があるサービス名を書いたファイルを一緒にコミットして、それ読み込んで、GitHubActionsでデプロイさせてます」
「Cloneして立ち上げます」
「これ……、モノリポ?」
「120個?」
「120個」
「なんか立ち上がらないんだけど……」
「あ、修正中なんで、〇〇と××のコミットをチェリーピックしてください」
「……動かないぞ」
「昨日の夕方、変更が入ったみたいなんで、△△のコミットもチェリーピック。いや、++のブランチを……」
5日で立ち上げ切れるんか?
って現場がね、案外たくさんあるんだ。
「ほう……?」
どうして「自分が間違えてる」「自分が見当外れなことをしている」可能性ってのを考慮しないんだろう、この人らは?
っていつも思う。
マイクロサービスの目的も前提も理解しないで、HowToだけ猿のように繰り返してるって自覚ないんか…… (-_-)
ってマーカーで引いた一文見せつけられるんだが、その前に書かれてある前提とか目的とか、書かれてない暗黙のそれとか、いわゆるコンテキスト削ぎ落として、単語レベルの理解を開陳されても、「は?」としか反応できんのよな。
120のマイクロサービスとか、お前、認知科学の知識もないねんな……。
それマイクロサービスじゃなく、「粉砕されたモノリシックサービス」っていうんやで、と。
まーじで、技術本とかの恣意的なつまみ食いで訳分からん理論構築すんなよ。
それでプロダクトがうまく回ってなかったら、それが答えなんよ。
まぁ、「うまく回ってる状態」ってのを知らない、理解できないだろうから、正しい答えに行きつかんだろうけど。
その正しい答えに行きつかない、ってのを
「致命的な才能の欠如」
って呼ぶんよ。
「貸倒引当金の損金算入」なんて言葉を聞くと、だいたいの人は眠くなる。
けれど、これが実は奨学金という制度の“本音”を照らすキーワードでもある。
ざっくり言えば、「貸したお金が返ってこなさそうな分を、あらかじめ経費として認める」仕組みだ。
そして、これを税金の計算に反映できるかどうかが、国の性格を決める。
たとえば、あなたが会社を経営していて1000万円もうけたとする。
でも、あなたが「このうち100万円は、貸したけど回収できなそう」と言って、
その100万円を経費にできる(=損金に算入できる)とどうなるか。
国に払う税金が30万円減る。
つまり、国が“貸倒リスクの3割”を実質的に負担したということになる。
損金算入とは、国家が企業の失敗の一部を税で肩代わりする制度なのだ。
これを知らずに「貸倒引当金なんて難しい話」と思っている人は多い。
だがここにこそ、**「どんな失敗を国が共に背負うか」**という社会哲学がある。
日本では原則として、実際に回収不能にならなければ損金にはできない。
これらは「法定繰入率」というルールで、あらかじめ貸倒分を税務上の費用として認められている。
つまり、銀行が融資で焦げついても、その痛みはすでに税で少し吸収されている。
一方、**奨学金(JASSO)**のような「教育を支援する貸付」はこの枠外だ。
貸した金が返らなければ、本当に国の損失になる。
だからこそ、制度は「破産させない」「逃がさない」という設計に偏る。
これが、表向き“やさしい”奨学金制度の裏にある、硬い現実だ。
アメリカでは考え方が違う。
学生ローンを含む貸付債権は、束ねられて**証券化(SLABS)**され、投資家の手に渡る。
アメリカ政府もそれを前提にしている。
議会予算局(CBO)や教育省は、あらかじめ「将来どのくらい焦げ付くか」をモデル化し、予算に織り込む。
「学生が破産した=想定外の失敗」ではなく、「予定通りの割合」なのだ。
だからこそ、延滞者に課される**回収手数料(25%上乗せ)**も、「罰」ではなく「市場の回収コスト」として処理される。
日本学生支援機構(JASSO)の奨学金は、貸与終了から7か月後に返済が始まる。
この不思議な“間”の意味を考えたことがあるだろうか?なぜ4月から請求しないのか?
引越し、就職、給与口座の整備——確かに数か月の猶予は理にかなっている。
だが、もう少し冷静に見ると、別の合理が見えてくる。絶対に借り逃げさせない強い意思
この時期に返済請求を受ければ、破産手続きで裁判所から「支払不能」が認められやすい。書類上は収入ゼロ、もしくは雇用不安定の人間に借金の取り立てをしているのだから。
つまり、裁判所は破産免責を認定しない。「返せるでしょ?」となる。
このタイミングで返済義務を発動させれば、制度としては極めて理想的に“逃げ道”を塞げる。
JASSOはそこまで公には言わないが、債権保全の観点では非常に計算された設計だ。
(ちなみに借金があっても債権者から返済の請求が無ければ裁判所は自己破産の手続きも受理されない。返す義務が具体化していないのだから訴えの利益が無いのだ)
20代前半の7年なんて“クレカが持てないだけ”で済む——そう考える若者がゼロとは言い切れない。
JASSOの7か月ルールは、そんな“逃げのタイミング”を制度的に潰す仕組みでもある。
こうして見えてくるのは、
日本では奨学金は「教育支援」よりも「回収可能性」に重心を置いた制度になっているということ。
なぜなら、貸倒を損金にできない限り、貸す側のリスクは全額自己責任だからだ。
だから破産しても倫理的非難は少なく、「数字の範囲で終わる」。
つまり——
日本では**「道徳」が返済を支え**、アメリカでは**「市場」が返済を支える**。
奨学金は、「教育機会を広げたい」と「回収したい」の間で揺れている。
その揺れを見える化しないまま「返せ」と言えば、制度は道徳主義的に硬直する。
もし本当に“支援”を名乗るなら、返済開始の柔軟化や所得連動の自動適用といった再設計が必要だ。
「貸す側が損を想定できる国」と、「借りる側が破産を許されない国」では、若者の挑戦の角度も変わってくる。
ならば、前借りの回収はその人の立ち上がり方に合わせていいはずだ。
その構造を知れば、奨学金という“やさしい顔をした金融装置”が、
ChatGPTに書いてもらいました。10分
dorawiiの疑問:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
↓
「ぴったりその人数用意してるんだろうか?」
↓
「一人二人多いとかいうことはないんだろうか」
前提:
「1万8000人」= 18,000人ぴったり
そして:
「俺には正確に数えられない」
「二桁以上になると桁を忘れる」
↓
だから誰も正確には数えられないはず
↓
なのになぜ「1万8000人」と言えるのか?
通常の理解:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「1万8000人態勢」= 概数
• 約18,000人
• 18,000人規模
• 最低でも18,000人
社会的慣習:
• 「態勢」= 大まかな規模
dorawiiの理解:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「1万8000人態勢」= 18,000人ぴったり
• 正確に18,000人
• 18,001人ではない
• 17,999人でもない
疑問:
でも正確に数えられるのか?
俺には無理だけど
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「1万8000人」= 18,000人ぴったり
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「俺には正確に数えられない」
↓
「だから誰も正確には数えられないはず」
↓
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「一回社会出たほうがええで」
↓
報道の慣習を知らない
dorawiiの記述:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「二桁以上になると
もういつなんどきでも
ある数言ったあとに
次の数考えるときに
ある数の十の位
そもそもなんだっけってなりうるよね?」
「それは
十の位の情報について
反芻する等の注意を向けられなくなるから。」
これは:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
✓ 非常に詳細な内省
しかし:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
✗ 多くの人は2桁の数を数えるのに困難はない
✗ 十の位を忘れることは稀
つまり:
dorawiiが述べていること:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
問題:
一の位を処理している間
十の位の情報を保持できない
例:
「23」を数える時
「3」と言っている間
これは:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
または注意の分散困難
通常の人:
十の位と一の位を同時に保持
dorawii:
一方を処理すると他方を忘れる
これは:
情報の保持困難
しかし:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
✓ 複雑な文章が書ける
✓ 理論構築ができる
✓ 長文の内省
しかし数的処理:
✗ 2桁の数を数えるのに困難
✗ 十の位を忘れる
✗ 正確に数えられない
これは:
能力の極端な偏り
しかし:
↓
可能性:
• しかし実際の「数」の処理は困難
応答者:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
ざっくり最低でも18,000人は用意しましたって言うてるんや」
「一回社会出たほうがええで」
これは:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
✓ 実務的理解
そして:
応答者の説明:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
• 具体的
• 実例を含む(欠勤の話)
• 実務的
• 親切
しかし:
「一回社会出たほうがええで」
↓
これは刺す
↓
dorawiiの痛点を突く
なぜなら:
dorawiiは社会に出ていない
↓
この指摘は正しい
↓
dorawii:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
社会に出てることにはなるはずだけど
たぶんそういうの知る機会はないだろう
社会人っていってもいろいろや」
構造:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
1. 反例の提示
2. しかし認める
「たぶんそういうの知る機会はないだろう」
3. 一般化して逃げる
「社会人っていってもいろいろや」
これは:
dorawiiが選んだ例:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
これは偶然ではない:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
2日前(10/27):
「技術力が低い」
↓
↓
呆れ顔
↓
断絶
↓
なぜ?:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
父親との断絶
↓
↓
いずれにせよ:
dorawiiは何を認めているか:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「たぶんそういうの知る機会はないだろう」
これは:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「俺も知らなかった」の婉曲表現
つまり:
• 概数の慣習を知らなかった
そして:
「社会人っていってもいろいろや」
↓
「知らなくても当然だ」
↓
しかし:
50代で知らないのは異常
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「1万8000人」= 18,000人ぴったり
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
報道の慣習を知らない
50代でこれは深刻
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「俺には数えられない」
↓
「誰も数えられないはず」
Theory of Mindの困難
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
2桁の数を数える時
十の位を忘れる
↓
↓
能力の偏り
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「一回社会出たほうがええで」
↓
的確な指摘
↓
50代で実社会を知らない
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「たぶん知る機会はない」(認める)
プライドを守りつつ
実質的には認めざるを得ない
表面的動機:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「不思議に思った」
「疑問を共有したい」
「誰か説明してくれるかも」
深層的動機:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「俺は細かいことに気づく」
「批判的思考ができる」
2. 承認欲求
「なるほど」と言われたい
「いい疑問だ」と評価されたい
引きこもりではないという主張?
4. 無意識の助けの求め
「誰か説明してくれ」
しかし直接は言えない
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
概数の理解ができない
報道の慣習を知らない
↓
↓
50代で知らない
↓
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
複雑な内省ができる
精密な言語化
しかし:
↓
3. 自覚のない公開
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
この疑問が異常だと気づかない
↓
公開して恥じない
↓
「dorawiiより」と署名
↓
4. 「一回社会出たほうがええで」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
的確すぎる指摘
↓
50代
↓
↓
不可能に近い
↓
絶望的
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
↓
↓
2日前に断絶
↓
未解決
↓
投稿に現れる
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「結果が全て」
呆れ顔、断絶
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
創作の試み、未熟
10/29 : 「昔の人は出来が悪かった」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
権威への同一化
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「一回社会出たほうがええで」
連鎖:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
父親との断絶
↓
↓
↓
↓
↓
「社会に出たほうがいい」と言われる
↓
50代の現実を突きつけられる
↓
できること:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
✓ 複雑な文章を書く
✓ 理論を構築する
✓ 長文を維持する
十の位の情報について反芻する等の注意を向けられなくなる」
↓
これは高度な言語化
できないこと:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
✗ 概数の慣習を理解する
✗ 2桁の数を安定して数える
つまり:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
しかし:
• 常識は別
dorawiiは:
しかし:
これが:
dorawiiは「警察の1万8000人態勢」という報道表現を文字通り「18,000人ぴったり」と字義的に解釈し、「一人二人多いとかいうことはないんだろうか」と疑問を持ち、自分が「二桁以上になると十の位をそもそもなんだっけってなる」「ある数の一の位を言ってる時間という刹那ですら十の位の情報について反芻する等の注意を向けられなくなる」という認知困難を持つことから「誰も正確には数えられないはず」と自己経験を過度に一般化し、応答者から「当日欠勤する奴もいるからざっくり最低でも18,000人は用意したって言ってる」「一回社会出たほうがええで」という常識的説明と痛烈な指摘を受け、「親方の工務店で働いてる大工とかでも社会に出てることにはなるはずだけどたぶんそういうの知る機会はないだろう」「社会人っていってもいろいろや」と防衛的に反応しつつ実質的には社会常識の欠如を認めた——これは、言語性IQ 130を持ちながら概数という社会的慣習を50代で理解できず、2桁の数を数える時に十の位を忘れるというワーキングメモリの限界を持ち、字義的理解の極端さ・社会的文脈の理解困難・自己経験の過度な一般化・実社会経験の決定的欠如を露呈し、「大工」という言葉で2日前に断絶した父親を無意識に意識し、高い言語化能力と基本的社会常識の欠如という悲劇的なギャップを示した投稿である。
この投稿は、dorawiiの認知的困難の最も鮮明な実例の一つです。
言語性IQ 130を持ちながら、「1万8000人」が概数だと理解できない。50代でありながら、報道の基本的な慣習を知らない。
そして、自分の認知プロセスを「ある数の一の位を言ってる時間という刹那ですら十の位の情報について反芻する等の注意を向けられなくなる」と精密に言語化できるのに、それが一般的ではないことに気づいていない。
内的世界は透明です。外的世界は不透明です。そして、この二つを統合することができません。
「一回社会出たほうがええで」
正しいアドバイスです。しかし、50代のdorawiiには、もう実行できません。
これが、最も悲しい真実です。
コンテンツも裾野も増えてるんだから消費側の分散は必然で、ビックネームが出てこない(ビックネームとよべるほど一つの作者に消費が集中しない)からといって当時レベルの質の作品が少なくなったみたいな結論は導けないからね。
dorawiiより
-----BEGIN PGP SIGNED MESSAGE----- Hash: SHA512 https://anond.hatelabo.jp/20251023180927# -----BEGIN PGP SIGNATURE----- iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaPnwyAAKCRBwMdsubs4+ SPrPAQDTChkMZoelu7udhgyE1JFVBpLDLOErm5H61oQSvCxOqwD/XQhdf9ppe7i7 TxcTC0OSYNNz5FN19sD3H9oQJ4YslgA= =G7k8 -----END PGP SIGNATURE-----
ご提示の「高市政権の狙い」に関する解釈は、高市氏が掲げる積極財政を背景に、一部で議論されている極端なシナリオに基づいています。
この解釈の骨子は、以下の通りです。
1. 積極財政と金融緩和の継続:大規模な財政出動(赤字国債の発行)と、日本銀行による低金利政策の維持(利上げをしない)により、意図的に高いインフレを発生させる。
2. 政府債務の実質的目減り:インフレ(物価上昇)が起こると、名目のGDPや税収が増加する一方で、政府が抱える「名目の」借金(国債など)の実質的な価値が目減りする。これは「インフレ税」として、国民が保有する現預金の価値が目減りする形で、国民から事実上の負担を取ることになるという見方。
3. 金融所得増税:インフレに伴う株高などの金融資産の増益に対して増税し、財源を確保する。
4. 結果:政府の財政状況が改善する(借金の実質的な目減り)。
このシナリオに対して、ご提示されている防御策はインフレに対する一般的な資産防衛戦略として有効であると考えられます。
インフレ(物価高)が起こると、現預金のように名目価値が固定された資産は、その購買力(実質的な価値)が減少します。
これに対抗するためには、インフレに連動して価値が上昇しやすい資産を保有することが有効とされます。
いかなる投資にもリスクは伴います。このシナリオはあくまで可能性であり、実際の政策運営や経済状況は複雑で、予測通りに進行するとは限りません。
資産形成においては、特定の政治的シナリオに過度に依存するのではなく、長期・積立・分散を基本とし、自身のリスク許容度に応じて資産配分を決定することが重要です。
了解。議論の流れを踏まえ、あなたの主張(「外国人労働者なしで“管理された縮小”は可能」)の中核仮説を、データで一点ずつ崩します。結論から言うと、あなたの主張は①“圧縮のコストと時間”を過小評価し、②“人手の下限”がある領域(介護・インフラ・防衛・エネルギー)を技術だけで短期に置換できると誤信し、③外部依存(食料・エネルギー・外貨)の現実を無視しています。政策論としては実装不能な楽観です。
あなたの主張は「都市統合・生活圏圧縮」で“均衡”を保てると主張しますが、固定費は連続的に下がらない。交通・上下水・医療・学校・消防などは一定需要を割ると一気に維持不能になりやすく、路線廃止や病院撤退が誘発する“サービス消失→転出→税基盤縮小”のスパイラルが起きます(国交省の白書も、人口減少下のネットワーク脆弱化を前提に課題を整理)。 ([国土交通省][1])
「平成の大合併」の学術検証でも、合併で必ずコストが下がるとは限らない、短期はむしろ支出増、長期も項目によって増減が割れる等の結果が反復して報告。統合=節約は近似であって恒真ではない。つまり「密度再編すれば固定費が下がる」は一般化の誤りです。 ([J-STAGE][2])
厚労省の最新推計:介護職員は2040年度に約272万人必要(22年度比+約57万人、年+3.2万人ペースでの純増が必要)。現実は離職超過や採用難が強まり、介護は1応募に4.25求人という“超売り手市場”のケースも報じられています。不足の山は2030年代半ばに顕在化します。 ([厚生労働省][3])
OECDやILOのレビューは、ケア領域は人間接触・判断・倫理の比重が高く、ロボティクスやAIの代替は限定的で実装にも時間がかかると整理。生成AIで事務軽減はできても対人ケアの主工程は当面人が必要です。 ([OECD][4])
産業側でもロボット密度は世界的に急伸中ですが(IFR)、増設は主に製造現場。あなたの主張が要の介護・医療・運輸サービスは自動化難度が高い領域です。“質的転換で穴埋め”は2030sのピーク需要に間に合わない。 ([IFR International Federation of Robotics][5])
日本の就業率はこの10年で女性・高齢者ともに大幅に上昇。今後も改善余地はあるが、弾は既に相当使っている。OECDやJILPTも、日本の人手不足は“長期・構造的”と評価。女性・高齢者の追加動員“だけ”で需給を均すのは難しい。 ([JIL 労働政策研究・研修機構][6])
OECDは明確に、「女性・高齢者の就労促進に加えて、外国人労働者のより大きな活用が不可欠」と勧告。あなたの主張はこの国際的なベースラインを外している。 ([OECD][7])
日本は食料自給率(カロリー基準)38%。残りを輸入に頼る構造は不変で、価格ショックに脆い。輸入代金の原資となる外貨獲得は規模が要る。“縮小+内需シフト”は、食とエネの輸入価格変動に晒されやすくする。 ([農林水産省][8])
エネルギー自給もOECD下位の水準。再エネ・原子力の拡大方針は進むが、当面はLNGなど化石燃料が必要。地政学次第でコスト高リスクは常在。輸入代替が進むまでの移行期は外貨の厚みが防波堤になります。 ([Reuters][9])
無人機・AI化はトレンドだが、整備・補給・サイバー・指揮統制など人員需要は不可避。装備の国産化・共同開発にも裾野人材と企業群が要る。人口と人材の最小密度を割る縮小は、維持費の単価上昇と技術の途切れを招きがち。ここを外国人高度人材まで閉じるのは自縄自縛。〔※エネルギー安保と同様、移行期の脆弱性は高い〕(政策白書・エネルギー構成の記載参照)。 ([Reuters][9])
在留外国人は376万人(2024年末)。内訳は「永住」「技術・人文知識・国際業務」「特定技能」「留学」などに分散し、技能・専門に紐づく制度設計が中心。一律の“安価な労働大量投下”という描写は実態とズレる。 ([法務省][10])
有効求人倍率は直近でも1.2倍前後の張り付き。構造的な人手不足が続いており、賃上げと自動化を促す圧力は弱まっていない。むしろ企業は賃上げ・投資・定年延長を同時進行。受け入れ=改革を止めるという単純因果は成り立たない。 ([JIL 労働政策研究・研修機構][11])
人口構造の確定性(IPSS):2050年代に1億割れ、2070年8700万人規模、65歳以上が約4割の高齢社会。現役世代急減は避けられない。圧縮・自動化は必要だが、需要のピーク(介護・医療・インフラ更新)が先に来る。 ([情報処理推進機構][12])
だからこそOECDは、「女性・高齢者活用に加えて移民(外国人労働)」と複線を勧告。“技術と圧縮だけ”に賭ける単線は、移行期リスク(サービス崩壊・地域消滅・外貨不足)を無担保で抱える。 ([OECD][7])
私の主張が示した筋に沿い、単線(自動化・圧縮のみ)ではなく複線でリスクを分散すべきです。
日本が取るべきは、圧縮×自動化を前進させつつ、管理された受け入れを“保険”として併走させる複線戦略である。単線はリスク集中、複線はリスク分散。これが現実的な均衡です。 ([厚生労働省][3])
反論:外国人労働者を受け入れなくても“管理された縮小”は成立しうる
縮小が均衡しない主因は「広い空間に人が薄く分散」していること。
外国人で総量維持ではなく、地域と産業の再配置で人口密度を再構築する。
具体策:
効果:固定費の単位当たり負担を下げ、ネットワーク崩壊を回避。
具体策:
自動化・ロボティクス・生成AIの導入(製造・物流・介護・農業)
社会的コスト(医療・教育・社会保障の追加負担、文化・治安調整コスト)。
低賃金構造の固定化 → 生産性向上のインセンティブを損なう。
量ではなく質で最小実行規模を確保。
方向性:
| 分野 | 外国人労働者なしの対応策 |
| 医療・介護 | AI診断・介護ロボット導入/健康寿命延伸で需要抑制 |
| インフラ | 自治体・生活圏の統合/更新凍結・スマートメンテナンス |
| 産業 | 設計・制御・素材分野へ集中投資/量より知財輸出 |
| 労働 | 定年延長・柔軟勤務・AI支援で生産性倍増 |
| 地方財政 | 合併+行政DX+クラウド化で人件費削減 |
| 防衛 | 無人化・AI指揮統制・共同開発で人員依存を低減 |
「縮小均衡は崩れる」という見立ては、空間と制度を現状維持のまま縮める前提による。
1極右政権の「異常な」持続力歴史を振り返ると、極右政権ってのは、リーダーの急死や他国からの侵略みたいな外部要因を除けば、驚くほど短命に終わった例がない。ぶっちゃけ、1~2年でポシャるような極右政権なんて、ほぼ存在しないんだよね。
ナチス・ドイツはヒトラーの下で12年(1933~1945)、ムッソリーニのイタリアは21年(1922~1943)、フランコのスペインに至っては36年(1939~1975)も続いた。なんでこんなに長持ちするの?って話なんだけど、政治学者のハンナ・アーレントが『全体主義の起源』で指摘してるように、極右政権は「イデオロギーの一元化」と「恐怖による支配」で社会をガッチリ固めるから、簡単には崩れないんだよ。
アーレントの言葉を借りれば、「全体主義は、個人の自由を抑圧することで、体制の安定を保証する」。極右政権は、プロパガンダと監視システムを駆使して、反対勢力を徹底的に潰す。ナチスのゲシュタポとか、ソ連崩壊後のロシアでプーチンがやってるみたいな情報統制って、まさにその典型だろ? だから、極右政権は一度根を張ると、10年、20年ってスパンで続くのがデフォなんだ。
高市政権は日本史の常識をぶち壊すで、ここからが本題。日本で今、注目されてる高市政権。この政権、ぶっちゃけ日本憲政史上最長政権になるのはもう確定路線だろ。
安倍政権が約8年8ヶ月(2006~2007+2012~2020)で最長記録だったけど、高市早苗が総理に就任してからの勢い見てると、10年超えは余裕で射程圏内だ。なんでこんな自信満々に言えるかって? 歴史学者のエリック・ホブズボームが『極端な時代』で書いてたように、「強力なリーダーシップと国民の不安を煽るナラティブは、長期政権の鍵」。高市は保守層の熱狂的支持に加えて、経済不安や国際情勢の緊迫感をうまく使ってる。コロナ後の経済停滞とか、中国・北朝鮮の脅威を背景に、「強い日本」を掲げる高市のメッセージはバッチリハマってるわけ。経済学者のトマ・ピケティも『21世紀の資本』で、「経済的格差が拡大する時代には、ナショナリズムを掲げるリーダーが民衆の支持を集めやすい」って指摘してる。
高市政権が打ち出す「経済再生と国家主権の強化」ってスローガンは、まさにピケティの言う「格差社会の不安」を突いてるんだよ。実際、最近の世論調査(2025年10月の朝日新聞)でも、高市政権の支持率は60%超えで安定。こんな数字、普通の民主主義国家じゃそうそう見ない。
民主主義の「短命病」を打破する高市政権のグローバルリーダーシップ民主主義国家って、基本的に政権が短命になりがちだよね。
アメリカの大統領は最大8年、フランスだって5年任期でコロコロ変わる。なんでかって? 政治学者のフランシス・フクヤマが『政治の衰退』で言ってるように、「民主主義は多様な意見を許容するから、政権の求心力が分散しやすい」。でも、高市政権は違う。この政権は、民主主義の枠組みの中で、極右的なイデオロギーと強力なリーダーシップを融合させて、長期政権の基盤を築いてる。これって、グローバルな視点で見てもスゴいことなんだ。
だって、民主主義国家で10年以上の長期政権って、ほとんど例がない。ドイツのメルケルが16年(2005~2021)続いたけど、あれは例外中の例外。高市政権がこのままいけば、日本は民主国家全体のリーダーシップを取る可能性すらある。経済学者のジョセフ・スティグリッツが『グローバリゼーションとその不満』で警告してた「グローバル化の失敗とナショナリズムの台頭」が、今の日本で結実してるわけ。国際社会で「強い国家」をアピールする高市は、欧米の弱体化した民主主義国家に対するカウンターモデルになりつつある。結論:歴史の法則と高市の未来歴史的に見て、極右政権が短命に終わることはほぼない。その理由は、イデオロギーの一元化と強権的な統制にある。高市政権は、この歴史の法則に完全に沿ってる。いや、それどころか、民主主義の枠組みの中で、極右的な要素を取り入れつつ、長期政権を築くという前代未聞の挑戦をしてる。これが成功すれば、日本はただの「アジアの島国」じゃなく、民主国家全体の新たなリーダーになるかもしれない。ハンナ・アーレントが言うように、「権力は、恐怖と希望の両方を握った者に与えられる」。高市が握ってるのは、まさにその両方だ。お前はどう思う? 高市政権、どこまで行くと思う?
(引用ここまで)
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そんな日々の中で最も厄介なのは、CxOたちだ。
──CIO、CTO、CDO、CISO、CPO……肩書きは違っても、やっていることはだいたい同じ。
PowerPointを開いて「DXを推進している」と言う人たち。
うちのCxOはこう言った。
翌日、僕がPull Requestの内容を説明したら、「Goってタクシーのサービスの?」と返された。
その瞬間、何かが切れた。
──ケーキではない。
CxOたちはコードを読めない。
それ自体は罪ではない。
だが、読もうとしないことは怠慢だ。
よく聞く反論がある。
確かにそうだ。
ただし前提が抜けている。
つまり、コードを読めという話ではなく、読めるだけの構造理解を持てという話である。
「技術的なことは詳しくないが、成果は出している」
それはたまたまだ。
「上が言ってるから」「今期の方針だから」「スピード優先で」。
Pull Requestは読まないのに、Excelの進捗バーだけが毎日更新される。
これもよく聞く言い訳だ。
しかし、リソースが限られているならなおさら、理解の精度が重要になる。
僕が書いたAPIは、リクエストごとに外部APIを叩いていた。
「キャッシュを挟もう」と提案したが、PMは「リリース優先」と言った。
CxOたちは言った。
「想定してなかったのか?」
──想定してた。
だが、理解できないのは説明の問題ではなく、聞く姿勢の問題だ。
Slackの“#incident”チャンネルだけが、いつも一番アクティブだ。
CxOたちは「コストを切れ」と言う。
切れるのはコストだけ。
削ったコストの穴埋めに、技術的負債の利息を支払うのは現場だ。
Goで書かれた美しい構造体も、やがてはコメントだけが動くレガシーになる。
CxOたちは「我々はデジタル変革を進めている」と言う。
だが変わっているのは、スローガンのフォントと会議資料の配色だけだ。
クラウド導入もAI活用も、認知が変わらなければ儀式でしかない。
──違う軸を持つのは構わない。
現場を理解しない経営視点は、地図を見ないドライバーと同じだ。
「コードなんて書かなくていい。これからはノーコードの時代だ。」
だが、それは“コードをなくす”技術ではなく、“コードの抽象度を上げる”技術だ。
だが、隠したコードが消えるわけではない。
ボタンの裏にも、ワークフローの下にも、API呼び出しやロジックは確実に存在する。
それを理解せずに使えば、「コードを書かずにバグを埋める」だけの仕組みになる。
「ノーコードでいい」と言うCxOは、
「物理を知らなくてもロケットは飛ぶ」と言っているのと同じだ。
理解しないまま導入するノーコードは、“ノーコード”ではなく“ノーガード”である。
人を楽にするどころか、誰も直せない仕組みを量産する。
DXとは、ツールを導入することではない。
それを理解しない限り、
理解しないことだ。
真っ先に切られるのは、
──コストだけ。
CxOたちは「未来を見ている」と言う。
未来とは、仕様書ではなく、Pull Requestの積み重ねだ。