はてなキーワード: 直積とは
ただし以下では、ヒルベルト空間を物理空間と見なす素朴な解釈を禁止し、より高次の数学的構造として扱う。
この時点で、量子系は 単なる線形代数ではなく、圏としての性質が主役になる。
これが後に分離できない系(エンタングルメント)の直接的原因になる。
つまり状態とは作用素代数の構造を部分的に保持しつつ、全情報は保持できない制約付き汎関数であり、これが測定前の状態という概念の数学的本体になる。
観測は波束収縮ではなく、全体の作用素代数から可換部分代数への冪等射(自己合成しても変わらない射)として定義される。
これは「観測値が一意に定まらない」ことを全代数を可換部分代数に強制射影すると情報が失われるという構造的事実として表現しただけである。
量子干渉とは、状態に対して複数の可換部分代数が存在する。それぞれの部分代数に制限したときの汎関数が整合的でない。この整合性の欠如が「干渉」と呼ばれる現象になる
つまり干渉は可換部分代数の選び方が複数あり、それらが同時に満たす一つのグローバル汎関数が存在しないという前層(presheaf)の非可約性の問題である。
系 A と B の複合系が与えられるとき、通常はテンソル積によって分離できるはずだが、量子系では一般に失敗する。
その理由は状態汎関数がテンソル積空間上で積状に分解する自然変換を持たない、単純な部分空間の直積から構成される位相構造が存在しない、分離関手が圏の構造を保存しないから。
したがってエンタングルメントとはテンソル積空間の構造が、2つの部分系の圏論的生成子に分解できないことに過ぎない。
抽象化すると、時間発展は全作用素代数の自己同型の族、ただし逆が常に存在するとは限らないため、一般には半群。観測が入ると逆方向の自己同型が消滅する。これが「不可逆性」の正体である。
つまり時間とは、自己同型の完全群構造が壊れ、半群に退化した結果発生するパラメータにすぎない。
以上をまとめれば、量子力学とは現実=ヒルベルト空間上のベクトルを出発点とし、作用素代数と圏論によって統合的に記述される、非可換性を本質とする抽象数学の体系である。
物理的に測定可能な操作は代数の元に対応。代数は積、随伴(複素共役に対応する操作)などの構造を持つ代数的オブジェクト。
物理的な期待値は代数に対する線型汎関数として定式化。これが確率/期待を与える。
ある観測者が見られる演算子群は、全体代数の部分代数として表される。重力のとき、この部分代数は空間分割に即して単純に分かれるとは限らない(非可換性や相互依存が残る)。
代数と状態からヒルベルト空間表現を作る手続きがあり、これが観測可能な量を実際に作用させる空間を与える。重要なのは、この構成は一意とは限らず、代数側の性質が表現の性質(分解可能性・因子のタイプ)を決めること。
対象:各物理状況に対応する代数(C*-代数やフォン・ノイマン代数のようなもの)。
射(モルフィズム):代数間の構造保存写像(例えば*-準同型)。これらは物理的な包含や部分系の埋め込みに対応する。
状態は自然変換的な役割を持ちうる:ある意味で代数群の圏から値を取る圏(確率的/確定的データが置かれる圏)への射(志向性のある写像)と見なせる。
GNSは圏論的なファンクタ:代数と状態のペアからヒルベルト空間と表現への写像は、圏の間の(部分的な)関手として振る舞うと考えられる。これは代数データ→幾何(表現空間)を与える操作として抽象化。
エンタングルメント=幾何的連結という直感は、圏論的には二つの代数が分解できない形で結びつくことに対応。
具体的には、二つの部分代数の合成が単純な直和や直積に分かれず、むしろ共通のサブ構造(共有される中心や共通の因子)を持つ場合、圏的には共核/プルバックや引戻しを使ってその結びつきを表せる。
逆に、もし二つの部分代数が完全に独立(圏的には直和的分解)なら、その間に空間的な連結が生じにくい、と解釈できる。
代数が属する型の違い(古典的には I/II/III の区別)は、圏的には対象の内部構造の差異(中心の有無、トレースの存在可否など)として表現される。
物理的にはこの差が「純粋状態の存在」「系の分解可能性」「エントロピーの定義可能性」を左右。従ってどの圏の部分圏にいるかが物理的位相や重力的性質に相当する。
ポケモンは6つの能力の優劣の掛け合わせ。DQMは単にスキル等を選んで継承等不確定要素少なめ。
もう少し複雑な掛け合わせ要素を考える。本人の持つ遺伝子を表で数値として持つ。それを相手と組み合わせて新しい表を作る。これが能力に反映される。ここまでで表は、何回かフィルターをかけられて変わっている。
1回目は相手との掛け合わせ方。交叉なのか、あるいはまさかの直積か、別の関数か(交叉も一般化すれば関数ではあるが)。
2回目は新しい表を新しい持ち主の能力として反映させる部分。表は、多様な性質を表現できるだけ大きいが、処理等の負担にならないように次元圧縮されただけの数値の塊だ。これに何らかの関数を噛ませて、長さ6の「能力」にしたりする。
その他にも、こういうのでは定番の「突然変異」を起こしてみたり、良い結果を出す表の一部を発見してユーザに提示し、再現できるようにする機能をつけてみたり。
しかし、こんな複雑な要素をわざわざ手間暇かけて攻略するインセンティブがユーザ側には無い。
なんらかの受動的にドーパミン中毒ケア施策をしなければならない。他ゲーの育成配合要素は裏側を知ったらプレイヤーが工夫できる程度には簡単なので、その代わり1回の試行に手間をかけさせる。本システムならその逆で、1回ボタン押したら10パターンくらい作ってしまうくらいやらんといかん。
なお、リソースはポケモンは2から3、DQMは2から1(ただし、配合前と同じ量の経験値を得た際のメリットは増加する傾向にある。スキルポイントがカンストした時点で止まる?)。このへんは大作でもない限り緩くするべきで、クッキークリッカー並みに自動で増えてくぐらいしよう。
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ウマ娘とかは、これのもっとすごい版をやってるのかもしれん。なんならダビスタとかも?2025年にわざわざこういう複雑なゲームをさせるには、かぶせるガワに魅力が無いと駄目だろうと思う。あるいは圧倒的な手軽さ。
この構造はすべて、(集合と関数の)圏論的構造を持ちうるデータ空間です。
これらの直積圏 C = Cᵤ × Cᵢ 上で、fⱼ:C → ℝ を射とする関手列が定義されているとみなせます。
推薦問題の核心は、スコアや意味的な関係を 定量的または論理的に評価することにあります。これを抽象的に捉えるには、エンリッチド圏の理論が適しています。
推薦システムにおいて:
ユーザー u ∈ U、アイテム i ∈ I に対して、評価: v(u, i) ≔ g(f₁(u, i), ..., fₙ(u, i)) ∈ ℝ
これは、ユーザーとアイテムのペア空間 U × I を対象とする ℝ-エンリッチド圏と見なせる。
トポスとは、直感的には「集合のような性質を持つ圏」です。ただしそれは集合よりはるかに柔軟で、論理と空間の一般化的枠組みです。
本問題では、推薦空間自体を内部論理と意味を持つトポスと見なします。
| 圏 C | ユーザー×アイテムの意味空間 |
| 関手 F | 複数のスコアリング関数(f₁,…,fₙ) |
| 汎関数 g | 統合関数(線形でも非線形でも) |
| エンリッチ圏 V-Cat | スコアを評価距離や信頼値として扱う枠組み |
| トポス Sh(C, J) | 推薦を含む部分集合構造を持つ論理空間 |
| 内部論理 | 「どのアイテムを推薦すべきか」の命題定義 |
| 推薦関数 Rᵤ | トポス内の部分対象選択関数(述語による定義) |
かけ算の順序史上最も重要なエントリ10選の続編として、学術文献・出版物を選んでみました。
主な対象は、小学校5年の「小数のかけ算」です。ただし「乗数、被乗数の順」が、参考文献で言及されています。アレイや直積、アメリカと日本との違いも、見ることができます。参考文献に書かれた「乗数を operator としてみる」は、最近の教科書にも「×10」といった形で取り入れられています。
読み手の評価は「こんな教え方ではよくない」「児童の特性に配慮した指導事例だ」に分かれているように思います。「学習支援教室」は「特別支援教育」ではない点にも注意が必要です。
1つの調査問題(4つの式にそれぞれ○か×を付ける)に、「たし算の順序」と「かけ算の順序」が入っています。
平成20年告示の学習指導要領に基づく内容ですが、小学校2年のかけ算の単元で、何を重視しているか、教科書ではどのように出題して学びを促すかについては、現行(平成29年告示)の学習指導要領や、令和2年度・令和6年度使用の教科書においても、大きな変化は見られませんので、現在においても参考にしてよいものと考え、取り上げました。
82ページの「第2学年や第3学年では,読み取った数を,「1つ分の数×いくつ分=全体の数」と表現できることが重要であり,逆に,この立式ができているかで,数の読み取りができているかを判断できる。」が真髄と言っていいでしょう。2011年の初版や、異なる著者による2018年の書籍にも、同じ趣旨の文が含まれています。
提言の中に「乗数や除数が整数から小数や分数になったとき、演算の意味が拡張し統合されることをより一層強調すべきである。」という文があり、翌年(平成29年告示)の小学校学習指導要領の算数に、「乗法及び除法の意味に着目し、乗数や除数が小数である場合まで数の範囲を広げて乗法及び除法の意味を捉え直すとともに、それらの計算の仕方を考えたり、それらを日常生活に生かしたりすること。」として反映されています。
学術会議で「かけ算には順序がない」を提言すれば、後の学習指導要領改訂の際にも反映される可能性がある、と考えることもできます。
高校までで学習する数の演算は、「環」や「体」で考えることもできますが、この文献では「Z-加群」を使用しています。担任教師とのやりとりに、Z-加群のほか、「私の子供は帰国子女だからごく自然に3×2と考えたのだと思う」が含まれています。
海外の乗法・除法研究(「かけ算の順序」に関する研究ではなく)を手早く知るのにおすすめです。
「かけ算の順序論争」における古典と言っていいでしょう。
2010年からのネットにおける「かけ算の順序」について、ひと区切りを付ける形になったものです。2017年6月に、同年告示された学習指導要領に基づく「小学校学習指導要領解説算数編」のPDFファイルが文部科学省サイトでダウンロードできるようになるまで、ネットの論争は下火となった(とはいえ、2015年には「足し算の順序論争」が発生したのですが)ように感じます。
「かけ算の順序史上最も重要な論文10選」にはしませんでした。査読付論文だけでなく、書籍やその一部、査読を経ていない文書からも選びました。
「かけ算の順序史上最も重要なエントリ10選」でリンクした「かけ算には順序があるのか」「日常生活の中で計算が活用できる子供の育成を目指した学習指導の一試み」、それと海外文献は、今回、対象外としています。
よく引用されていることや、入手が容易であることは、選定の際に考慮しましたが必須の要素ではありません。「かけ算の順序」について直接主張していない文献も、取り入れています。
SQLは他のプログラミング言語と違って覚えやすくて需要もあるコスパ良い言語なんやで。
select * from a
と書いたら、aテーブルの全カラムを取得するって意味は理解できるか?
ちなみにテーブルってのはエクセルの表みたいな行列で表されるデータの集まりや。
上記が理解できたら、次の直積のSQLを理解したらもう準備は万端や。
select * from a, b
コレは直積って呼ばれてて、aとbテーブルの全組み合わせを教えてって事や。
例えばaテーブルのカラムαに1,2,3、bテーブルのカラムαには2,3,4ってデータが入ってたとすると、1,2 1,3 1,4 2,2 2,3 2,4 3,2 3,3 3,4
って言う二つのテーブルの全組み合わせを作るって事を意味するんやで。
select * from a, b where a.α = b.α
コレは、aテーブルとbテーブルの全組み合わせのうち、αカラムが同じデータを取得してねって事や。
ちなみにコレは下記のようにも書ける。
select * from a inner join b on a.α = b.α
とあるカラム同じ組み合わせって書くのは良くやるので、専用の書き方が用意されてるだけで意味は一緒や。
上記を理解できたら、後は階層構造で積み重ねていくだけなんやで。
、、、まだ難し?
キャリアプランとして、どうやって成長できるかを考えたい。
英語は出来たほうがいいんだろうけど、そのために時間を使うのもなんかなぁっと。
数学は、普段、仮説検定や推定は使ってるので、出題範囲を見る限り、統計検定2級は全て知ってる単語なので、少し頑張ればとれそうな気がする。
準一級は知ってる単語が7割くらい、単語として知ってるだけで使ったことがないものがほとんど無理そうだ。
統計や機械学習でPythonとRは使ったから、PythonやRをつかって資格でもとったら、少しは転職に役立つ?
今でも、Excelで描けないグラフやExcelじゃ難しい仮説検定はPythonやRでやってるし。
アプリ作ったりは出来ないけど。
Python3エンジニア認定データ分析試験は取れるんじゃないかなぁと。
データベース使わないんだけど、書いてあることを読むくらいはできる。
内部結合外部結合、直積やら射影やら、ちゃんとリレーショナル代数を勉強したわけじゃないけれど、Pandasを使ってたら代表的な演算くらいは出来るようになった。
会社も金出してくれそうだし。
3シグマとかQC7つ道具とかいまさら言われてもだが、取るだけなら簡単そうだし。
お前はなにを目指してるんだ?と言われそうだけど、知ってたほうが便利そうだし。
会社が出してくれるならばだけど無理。
無理だし。
これも無理。修士以前に
でも、いくつか科目履修させてもらって(現実的には放送大学くらいか)単位取得するだけでも、なんか箔がつかないか?たぶんつかないんだろうけど。
放送大学だと45分の授業15回で1万円、社会人向けのセミナーって、一日4~5万くらいあたりまえだから、コスパすごい。
今の業務内容とわずかにかぶるが近くもない、という感じでいくつか単位を取り、自分の見識を広げつつ、業務にも役立てるように、くらいの感じがまあ現実的。
それと、コンピュータ系やプログラミングの資格を取る前に、大学の授業の形態で、アルゴリズムの知識や、データベースの基本設計などなど、実務より先に基礎知識を叩き込まれたら、資格試験の勉強もはかどりそうだし。
今、配信中にファビョるを発言したVtuberが炎上してるけど、本人は単にめちゃくちゃ怒ってるって意味だと思ってたと発言しているし、私も全く同じ認識だったので驚いてしまったのよね
で、上の件に限らず、スラング関連の炎上見ると擁護も叩きも別のまずいスラング使っているのを良く見るのでなんだかなと思うのですが
でも正直なところ元の意味がやばいのに広く使われているスラングってあるじゃないですか
人権はこの間のプロゲーマーの発言で話題にはなりましたけど、脳死とか戦犯とかモク奴隷とか地雷とか乞食とか未だに使ってる方多いですし
沼だって池沼(知障)からきてるって知らない人いっぱいいるんじゃないかな…公式アカウントでも使っているの見るしそもそもスラングって認識してないかも
まあガイジやチー牛みたいなあからさまに侮辱のスラングも一般的に使われ過ぎてライトに捉えられてそうではある
自分もスラング使わないように気を付けているし気付いたときに調べているけど、やっぱわからんかった知らんかったというのも多いので、有識者良ければ教えてほしいです
以下追記
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沼についてですが、ジャンルにのめり込むの意味で使われる場合においては明確に語源が違うと思うのですが、ゲームでの沼(沼プレイとか)は意味不明な動きをするというニュアンスが混じりあってるんじゃないかなと思いますので、正直積極的に使うのはちょっと…と思うことはあります。
https://wikiwiki.jp/unkochan/%E6%B2%BC
それとガイジが障害児由来って知らない人多いんですか…!?やっぱりいたコミュニティの時期などで語源を知ってる知らないがあって怖いですね。
沼について詳しい増田をご紹介いただきありがとうございます。これ踏まえると沼プレイとかゲームの動作関係だと使わない方がいい、位のニュアンスで捉えていたらセーフかもですね
⚪脳死も医療での脳死状態を指すのではなく、脳が回ってない状態という意味で使ってるのと同じで、広く誤解されているスラングじゃないかなと。
確かに文章が不足しており、誤解されてもおかしくない表現でした。申し訳ございません。正しくは「医療での脳死状態が語源だけど、脳が死んでいる(回ってない)の文章の略と捉えて普通に使っている方が多い」ですね(医療用語での脳死って言葉は常識だと思っているんですがもしかしたらそこから曖昧な方も多いのかなと…)。
正直この増田書いたのもこのスラングきっかけでして、件の炎上の話をしている方があまりにもこの言葉を使っているので、問題認識はしてるけど案外ちゃんとわかっているものって少ないのかも…と思った次第です。
DQNも良く見かけている割には意味も語源もふわふわした理解でした、勉強になります。
学歴系もわりとスラングが日常的になっている面があるので気を付けないといけないですね。
→⚪ちょっとスラッと読んでしまっていたのですが、DQNって明確に高卒を指すわけではなく、結構抽象的な概念ですよね
⚪学歴系スラングで思い出したのですが、学歴ロンダリングもわりとよく見かけるスラングの一方で、マネーロンダリングという犯罪行為のもじりなので、スラングの指す内容は犯罪じゃないのに結構酷いよなと。
確かにクソは悪い言葉だなと思わず笑ってしまったのですが、よくクソを英訳するとFuck youになるじゃないですか。あれ日本語にちゃんと訳すとぶち犯すぞになっちゃうのでちょっとよりまずい感じになりますよね。
英語圏はfワード多すぎて正直ボーダーが日本以上にわかりません。
本当にそういう方もいらっしゃるのだとは思うのですが、私は恥ずかしながらできていません。申し訳ないです。
⚪そいえばJKも一般的には頭文字を抜いただけと言われますが、元々援交で使われてた背景も大きいですよね。
たくさんのスラングのご提供ありがとうございます、いや、なんか誤解を生む言い方ですねこれ…。
個人的に糖質は知っていましたが、シュガーと書かれるとお花畑的な甘い考えを持ってるってことかな?って思ってしまうので使ってしまいそうで…。
それとしょうがないにゃあ…の語源にビックリしてしまったんですが、うわ、こんなのどうやって把握したらいいんでしょうね…。
FPSの芋るって芋虫からなんですね。私も田舎者でもじもじしてる、ダサい的な方の芋からきてると思っていました。
→→⚪ブコメで芋虫って言ってももっとまずいスラングやでってコメント見たのですが、↓ですかね、もっと別の由来があるんでしょうか。
https://dic.nicovideo.jp/a/%E8%8A%8B%E8%99%AB%E3%82%B9%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%91%E3%83%BC
淫夢全然見てないから確かにわからないんですよねと言おうとしたら微レ存やマ?ってそこ由来なんですね!?普通に2ch用語かと…。淫夢語録は使うのどうかな…って風潮はあるものの、114514ほどの有名どころでないとさすがに把握してない人も多いのかもですね…。
→⚪まともに語録見てきて頭抱えました。避けられないじゃんこんなの…
https://dic.nicovideo.jp/a/%E6%B7%AB%E5%A4%A2%E8%AA%9E%E9%8C%B2%28coat%29
キチガイがそもそも大分前からアウトなので時代の流れで許されただけで、今新しくできる作品にいれるタイトルだとアウトになるかな…と思ったのですが邦キチがありましたね。基準がわからん…わからんぞ…。
ワンチャンの語源が麻雀にあるって思われているところも知りませんでした、んん~確かに性的な場面で見かけることは多いですが。
→⚪やっぱりOne Chanceの略で元は麻雀用語の理解でいい気がします…が、お持ち帰りワンチャンのイメージが強くて良い印象がないのは否めないかもしれません。
お気持ち表明、これ確かに天皇への失礼と捉えられても仕方ないというか、時と場合と使う人によっては結構怖いかもしれないですね…。
Karenはたしかに聞いたことあります。あんまり個人名をスラングとして認識したくはないですが、犯人はヤスみたいなのも場合によって煽りになりますもんね。
リア狂は人狼の方の意味でしか知りませんでした、界隈で色々意味は変わっていきますね…。
というかやっぱゲーム界隈でナマポ(生活保護)がナチュラルに使われているのまずいですよね。
マンセーは崇拝的な意味で使われているのは知っていましたが、これも朝鮮語とは知らなかったです。れっきとした単語とはいえ、日本人がバンバン言ってたら煽りになっちゃいますね。また、ニダは知っていましたが、ホルホル、~しるは初めて聞きました。
件のファビョるもですが、界隈から別の界隈へ一部の意味だけ輸入して使われることもあり、こうなかなか、見極めが難しいですね…。
⚪飯テロ、原作レイプ、○○難民とかもよく見るけど字面まずいよね、とふと思いました。
あとSRPGでの地雷戦法とかだと許されなくなりそう…と思う一方で、地雷系はファッション用語として公式も使っているのを見るので許される部類なんでしょうかね…両方とも人を地雷扱いしていることに変わりはないのですが
⚪ブコメでいくつか航空機事故由来のスラング(はいじゃないが、機長、やめてください等)が言及されていますが、なんか昔は大分不謹慎が許容されていたんだなと思います。
私は「大事故当時何が起こったか」みたいな動画を見てた時期があったので、幸い語源まで知っていましたが、若い世代は語源知らなくてもおかしくないし使ってしまっていると思います。
⭐ブコメもちょこちょこ見ております、皆様スラングのご提供(?)ありがとうございます。
言葉って変遷していくもの、明確な定義がないものなので、ある程度許したい許されたいがあるのですが、この増田の返信で「ガイジの由来を知らない人が増えてる」って情報がなかったら私もガイジって聞いた瞬間怒っていたと思うので(いやだからといって燃やしはしませんが)、私も想像力が足りないなと思う次第です…。
やはり気を付けるには越したことないんだろうし、一方で相手の発言の意図を汲み取る努力はし続けたいなと思います。
⭐ブコメまではあまり反応できていないのですが、増田コンプラ研修担当か?にはさすがに笑っちゃいました。十代からゲーム界隈をROMしてた程度の好奇心旺盛無関係一般人です。
ただYoutuber、Vtuber、プロゲーマー辺りの配信系業界全体がどこまでをラインとして認識していくんだろうというのは今後とても気になるところです。
たとえば点対称のグラフになるもの以外の三次関数の定義域と値域はともに実数全体だ
それどころかこの関数の背景にあるX×Yという直積において集合Xも集合Yも同一の演算法則を満たすことが想定されている
それでもそれぞれ定義域と値域という役割を果たしている点で区別「も」される
望月の考える宇宙とはこのXとかYと同じようなものじゃないのか?
だいたい、AとBの両者が同じものだからこそA→B:y=f(x)=x^2において
常にy1y2=√{(x1^2)(x2^2)}かつy1+y2≠√(x1^2+x2^2)という関係になるんじゃないのか?
AとBが同じであるという想定を外せば足し算の方が常に成り立ってしまったり逆にかけ算が成り立たないことがあったりする場合も考えられてしまうのではないか
・
だから素粒子は勉強してないんだよ。まじで知らないんだけど、例えば電磁場みたいなベクトル場の一般化として、空間の各点に多様体(ファイバー)がくっついてるようなもん(ゲージ場)を考えてるんだろ?そんでそのファイバーに作用する変換群がU(1)とかSU(2)とかいろいろあって、その群の既約表現に一つ一つ「素粒子」を対応させることができるような量子化が存在するとかそういうことなんだろうなと思ってる。
超対称性はファイバーか構造群かしらんけどその双対空間みたいなのを考えてるのか??と思ったけどどうも空間をでかくしてるっぽいな。元空間と双対空間の直積を考えるとかか?という気もするけどよく分からん。まじでわからん。https://www.math.kyoto-u.ac.jp/~fukaya/stringdual.pdf
全ての勉強をニューラルネットに絡めてやった人、って感じのする意見なんだよな。最近の若い人はそういう人すごく多いけど。
アテンションがどうとか言ってるけど、そもそもモデルのパラメータを画像座標と図形形状の直積に取れば位置の情報は当然入る。単にそれだけの話なのに、わざわざ「アテンション」とか言ってしまうところが、ニューラルネット、もっと言えば並進対称性をあからさまに入れた畳み込み演算が暗黙の前提になりすぎているといえる。
GANがどうと言ってる人も同一人物だろうなと思うけど、そもそも単なる教師あり学習とhuman in the loopのアクティブラーニングは全然話が違うだろう。
タイトル通り。Vの囲いが怖すぎてどこにも言えないのでここに流すことにした。
(※V界隈には全く詳しくないので実際と認識が違うかもしれない)
まず自分について、
どこにでもいるオタク(20↑)。学生時代ボカロしか聞いてなかった。今でも聞いてるし追っている。
先日、ついったのトレンドに自分の推しPの大好きな曲があがっていたり、TLのフォロワーたちが話題にしていたりする場面に遭遇した。
ずっと推し続けていたので嬉しくて嬉しくて、なんで盛り上がっているんだ?と開いたら、
そして、誰もが「Vの歌った楽曲」で騒ぎ、解釈をし、絵を投稿していた。
心に重く刺さった。
それは、私の推しPの曲で、
ずっと聞き続けてきていた、大好きな曲だったのに、
こいつらはなんで盛り上がっているんだ、と。
歌い手は好きだ。趣味で歌い、その曲が好きな人に歌ってシェアし、自分の歌も好きになってもらう。
だが、今回の件は。
原曲をアレンジし、原曲そっくりの動画をつくり、キャラ独自の解釈をし、囲いたちが騒ぐ。
それに自分の推しの大好きな曲が使われていることが、苦痛でたまらなかった。
大好きな曲を、大好きなのに、自衛のために、泣きながらミュートした。
某ラスボスが千本桜を自分の歌のように歌っているのをしばしば見る。
これは今回の状況に少し似ているのでは?と友人に言われたが、
ラスボスにはニコニコへの、原曲へのリスペクトが明らかに存在しているから、応援するし、聞くし、推したいと思える。
しかし、今回のには、そのリスペクトが存在していなかった(ように自分には見えた)。
囲われるための道具にしか見えなかった。
再生数稼ぎに使われていることが、ビジネスライクに使われていることが苦痛だった。
まあ、これは自分がVに対する理解や意識がなさすぎることによる偏見なのかもしれない。
今ではだいぶよくなったけど、最初はVがMMDのキャラのなりきり、のようにしか見えなかった。
実際は違うと思う。複数人で、Vというコンテンツを作り上げているのだと思う。
けれど、第一印象がそんな感じで最悪だったのだ。
Vが曲提供をしてもらったり、自分のオリジナルを歌ったりするのは、全然いいと思う。
歌い手系(?)みたいなのもいるんじゃないの。知らんけど。
でも、その上でも、
推しPの好きな曲が使われ、Vの誰かが歌うたびに話題に上がるのが、マジでキツい。
自衛してもフォロワーが無言で投げる絵は避けられないし、今のアカウントは8年くらい使っているので、付き合いが長い人も多く、
アカウントを変えることはどうしてもできない。
そのフォロワーと仲が悪いわけでもない。むしろ付き合いが長く、浸っている界隈が違うだけだから会話もする。
正直積んでる。
Vの歌みたがつらすぎる。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/jp.quora.com/hotondo-no-puroguramingu-gengo-de-kansuu-no-return-ga-1-tsu-shika-deki-nai-no-ha-naze-desu-ka を呼んだんだけど、回答・ブコメともにとんでもないことを書いている人がたくさんいてびっくりした。本質的に多値返しは直積型の返しと同じで、これはタプル・構造体と本質的に同じ、というのは多くの人が指摘している通りではあるのだが…。
動的型付け言語に慣れてらっしゃる方が多いのかもしれないけれど、配列というのは「同じ型をまとめた型」であるべき。動的型でいろいろ突っ込める配列は本質的には「直和型の配列」と思った方がいいよね。多値返しという意味では(記憶領域の面で)余分なコストがかかりうる直和型を選択する意味はないですよね?回答でもなんか配列返しに言及している某有名人がいたが、あれれ?という感じ。
もっとも、immutableな配列をtupleと呼ぶPythonという言語があるせいで引っ張られている感は否めないけども、配列とは本質的に異なる型が存在しているのは明らかですよね?配列と構造体って違うよね…?(言葉の定義の問題と言われそうだけれど、型システムの分野での言葉の定義は存在しているわけで、反論になっているとは思えない。『俺は明日からこのわんわんなく動物をネコと呼ぶから』と言っているようなもんでは。)
確かにナイーブにはレジスタに入れて返すのが素直だというのは同意するけど、でもそれ構造体と一緒だよね?昔のCではこれはできなかったというのは知らなかったので勉強にはなりました(未検証だけど)。
あと構造体返しの関数がどう機械語で実装されているのか知らなさそうな人がいるのにはちょっとびっくり。それでなんでレジスタがどうとか言えちゃうのかしら。構造体の値を返す関数ならばポインタは返さないですよ。そのポインタはどこを指してるんですか。実装しづらいとか何とか言ってる人たち、ちゃんとアセンブラ読んだことあるんですか…?本質的に何の困難もないです(ちなみに少なくともlinux amd64ではスタックに領域を確保してそのポインタを関数の引数の一部として渡します。まあヒープに置く場合でも余計なmoveが出ないようにしたいとかあるかもだけど、そんなでかいデータは普通無名構造体では扱わないでしょう)。
確かに、返り値の型が(A, A)のような場合はドキュメント読まないとわからなくなってしまうので可読性が下がるし構造体を使うべしというのは(ほぼすべての場合において)同意(多値は使いづらいというのは構造体は使いづらいという意味ではないですよね?)。でもさ、某有名人もgoで挙げているけれど多値って普通(A, B)みたいに違う型の値を返したくなることの方が多くないですか。この場合どっちがどっちかは自明だよね?ただの無名構造体だよ。多値返しは設計が甘いとかわけわからんことを言っている人もいたけれど、なんかこちらが不安になってきた。
…本当に意味不明で驚いた。id:megumin1氏が言っているように、tupleのパック・アンパックに余分なコストをかける必要はない(まあアドレス渡しになるから複数本のレジスタで返すのと比べたら余分なmovが入りうるという話はあるけど、この人が多値返しというので何を想定しているかわからないので何とも。)。何遍呼んでも多値返しとtuple返しの違いが判らなかった。おそらく前述のようにimmutableなlistのことをtupleと思っているのかな?と予想はするが…。
はてな界隈ってエンジニア的な印象があったんだけど、ここら辺の話ってそんななじみないのかな…?てか某有名人氏も型システムとかあんまりご存じないのかな…?むしろこれは増田が無知なんだろうか…?
エンターテイメントがしぬかもしれないはなしの続き。
前回は2000年〜2010年あたりのアイドル、ジャニーズ、お笑いのジャンルでなにが起こっていたのかということをさらっと(わたしの十代の記憶と共に)振り返った
では現在虫の息である若手俳優の世界でなにが起こっていたのかということも一応書き記しておく
まさに2.5次元ミュージカルの王様(なぜ若手俳優の舞台はつまらなく、客席が埋まらないのかおたくが真剣に考えてみたブログ参照)であるテニミュが初めて上演されたのは2003年のことである
当時の話はパイセンたちからのお話でしか聞いたことがないけれど、はじめは客席が埋まらないのでキメ様のライブをおわりにやったりして、キメ様のおたくとかでがんばって埋めていたらしい
ちなみにみんな大好き氷帝学園、いまをときめく斎藤工が出演していた氷帝公演が行われたのは、2005年の話であるから、テニミュ(若手俳優)の世界も前述の通り、やっぱり2010年に向かって右肩あがりの時代だったんだと思う
それでは今度こそ2010年以降、おたくの世界になにが起こってきたのかをふんわり考えてみようと思う
現状として、大きくふたつの問題がエンタメおたく界の中に発生している
ひとつは、村社会としてのおたく世界におけるおたく高齢化社会、ふたつめは、生産的おたくの少数化である
変な話だと思うかもしれない。今日本は国として、ずっと偏見を持たれて消極的に虐げられてきた「おたく」という異常な世界をひとつの国民性としてピックアップしていって、それを日本の特色としてビジネスにしようとしている
そして、おたくではない人たちがおたくの世界に土足で踏み込んできて、自分たちが興味を持った部分のみを取り上げて「これがおたくなんです!」とテレビや雑誌なんかで言っちゃってる
元々こういうサブカル推しの政策になるまでにおたくになっている人たち(わたし含め)は昔の閉鎖的なおたくの世界の中での「みんな違ってみんなとりあえずよし」というのに慣れているからあんまり気にしてないかもしれないけれど、
新規参入してきたおたくの人たちはひょっとしたら、マスコミたちが取り上げた「おたくの世界のひとつの側面」を見て、自分でなにか実体験として掴み取ることもせずにこれがおたくなんだとぼんやりと捉えているだけなんじゃないかとわたしは危惧している
村のコミュニティーの中に入れていようが、村八分されていようが、そこに存在する限り、とりあえず全員村民である
例外ももちろんあると思う。
例えばワンピースが好きだったとして、毎週ジャンプを買い、単行本を買い集め、アニメを視聴し、自分なりに設定についての考察を行う
これをネットなどに発表することなく、誰に見せることもなくひたすらノートに書き綴っていたら、自己完結しているので、他者から村民として認知されることはないと思う
けれど、この人が例えばホームページを立ち上げて自分なりの考察を世界に発表したら、例え誰かと交流を持たなくても、わたしは村民として世界に存在していることになると考えている
他のワンピースのおたくは誰かしらそれを読むだろうし、感想をメールする人もいるかもしれないし、リンクフリーと書いてあったら、リンクページやブログにその考察サイトのURLを貼るかもしれない
かたや、HPを立ち上げたもののアクセスがなかったら、自らサーチに登録するかもしれない
こうして、村の中へと入っていくのである
村の中には色んな人がいる。
一流企業で働いているエリートもいれば、ニートに近いフリーターもいるし、学生もいれば、子持ち主婦もいる
けれど、暗黙の村の掟というものがおそらくどのジャンルのおたくの世界にも存在して、もちろん可視化されたものではないので、最初はわからないのだけれど、どの村にも、RPGゲームで話しかけてくる村民みたいなやつがいて、
これはこうすればいいんだよ、これがどうなんだよ、とふんわりと村の掟を教えてくれていた
物事というものは、完全にゼロから創造されることはない
そこになにかが存在して、そして、基礎とされるルールが存在して、初めてそこからなにかが生み出される
ことにおたくという生き物は、おたくという側面においてイチからなにかを創造する生き物ではないと考える
何かが存在して、それになにかアレンジを加えて、別のなにかに変化させるのがおたくだと思う
おたくというのは、創造されたなにかを完成させる上で不可欠な存在ではあるが、まずはじめは受け手だ
受け手として、その世界に存在するにあたって、どんな世界にもルールがある
けれど、情報化社会の中で、おたく世界の中の村という概念が何年も前から崩れている
これは、若い子に限ったことではない。
マスコミが取り上げたおたくの世界を見て、おもしろそう!と新規参入してきた年配おたくも同様である
そうすると、どういうことが起こるのかというと、新規参入おたくたちはSNSなどのツールばっかりは立派に持っているのだけれど、RPGゲームで話しかけてくれるおたくがいないものだから、
レベル上げの方法を知らずにずっとマサラタウンの横の草むらでコラッタやキャタピーや同じようにそこに留まって地図を持たないおたく同士で、これがおたくなんだー!たのしー!となっている(もちろん例外もいる)(自ら見つけていけるんだから、わたしと違ってまじ天才的だと思っている)
村民おたくとマサラタウンおたくとのおたくの分離化が進む中で、旧型のおたくの高齢化が止まらない
⚫︎「生産的おたくの少数化」とは
どのジャンルにもいると思うのだけれど、ツイッターに常駐していて、キチガイを名乗っている若い自称おたくの子たちがわりと一定数いる
これは本当にかわいそうだ。
なぜならなんの生産性もないツイッターに常駐して時間を無駄に浪費しているということはおたくでもキチガイでもなんでもなくて、生産性の低いただのかまってちゃんだからだ
けれど、それでも時間が潰せるものだから、若い子たちはきっと常駐してしまうんだと思う
ツイッターがリアの頃に普及していなかった世代からすると、完全に異常なので、正直積極的にリプを飛ばして関わり合いになろうとは思わない(自分のことを棚に上げてこんなことを言っているがわたしも相当別のベクトルでやばいヤツなので、関わり合いにならない方がいいと思う)
わたしが若い頃は、ツイッターがなかったので、ひまだったらもっぱらブログを更新するか、様々な匿名掲示板を眺めるか、仲間内でチャットやメールをするか、などしか暇つぶしツールがなかったのだけれど、完全に村社会だったので、
なぜかそんなわたしを見ておもしろそうと思ってくれた色んなお姉さんが色んなことを教えてくれて、暇つぶしの中でも生産性のある暇つぶしツールを与えてくれたというか、
ジャンルやおたくの先輩として、例えばこのライブはどのアーティストのどのライブの影響を受けているから、そっちも見ていた方がいいだとか、
この作品を見て、こういう感想を持つなら、きっとこの作家のこういった本が好きだろうから、読んでみたら?だとか様々なアドバイスをもらった結果、
10年以上かけて、こんな神の視点からブログを書くような高尚おたくに育ったのである
(十代の頃から3歳から10歳以上年上の友達とばかり遊んでいたので、地方の女子高生の身分で東京の女子大の講義にこっそり潜りこんだりしているような変な女子高生だった)
はっきり言って、おたくはおたくとして存在している時点で9割は凡である
だから、自分でなにかを創造することはできないと思った方がいいし、レベル上げの最も簡単な近道は先人に教えを乞うことである
素晴らしいことなのか、残念なことなのか、若い子たちはどう捉えるかわからないが、テニミュというコンテンツが好きでファーストから通っているおたくはたくさんいる
DVDで当時の公演を振り返ることは不可能ではないが、ネルケは財布をしめていくことを決して許さないので、きっと過去の公演のDVDまで買いあさるなんてなかなかできることではない(それに残念ながら逮捕者がでている公演のDVDは発禁になっている)
ひとりそういうババアおたくと仲良くなって、そういう話を教えてもらって、自分の中にインプットして、そこに自分なりの仮説と解釈を加えるだけで、高尚おたくになれるのに、
ツイッターを眺めていると結局同世代同士でつるんでいるのが多い気がする
その点において、タレコミとかで叩かれているような痛いおたくの子たちの方が結局現場で昔からいるババアたちと顔を合わせて、情報戦で勝てないババアたちといかにうまくやっていくかという課題と直面しているので、
よっぽど要領がいいというか、低姿勢で吸収力があるなあと個人的には思う(ババア側の人間)
ここまで読んで、どうして生産性の低いおたくだとだめなんだ、ツイッターで同世代で楽しくつるんでなにがだめなんだ、痛いワタシみたいな高尚おたくになる必要性がどこにあるんだ、と思った人が多数だと思う
なぜダメなのか、
まずひとつめは、マサラタウンの草むらには何年もいられないということ
ふたつめは、マサラタウンの草むらにいただけではポケモンをプレイしたとは言えない
ので、布教ができないということである
例え話だとぴんとこないかもしれないので、それぞれについて解説していく
まず、ファンではなくおたくとして存在する以上、ただ消費するのではなく、消化(昇華)できるおたくにならないと、自分でなにがおもしろくて今コレに時間とお金を費やしているのか、わからなくなるときが絶対くる
おたくを自称するくらい、何かが好きなのだから、どうして自分はそれが好きなのか、それにはどんな魅力があるのか、その魅力は他のものと比べてどう秀でているのか、せめてこれくらいは言語化できた方がいい
というか、これをきちんと言語化できる人は、ロジックツリーなんかに頼らなくてもたいていのことは物事の本質と原因を分析できる人になるから、生きていく上でもたぶん役に立つから便利だと思う
何年もおたくをやっているババアは絶対たいていは厄介なので、積極的に関わり合いになれとは言わない
けれど、ロム専だとしても(もはやロム専という言葉は死語かもしれない)(黙って眺めてヲチっているという意味だと思ってください)自分でなにか発信している人は見ていた方がいい
そこには自分と異なる考えがあるので、自分の考えと比較対照することができ、自分の考えがどういったものなのか、再検討することができ、より強固なものにすることができる
なんでそんな難しく考えなきゃいけないんだろう、ただの趣味なのにと思う人もいるんだろうなあと思う
けれど、よっぽどの天才ではない限り、エンタメを作る側もいきなり完璧なものを作り出すことはできない
特に制作側の人間はおたくが少数派なので、おたくの「これがこうだったらもっと好きになれるのに」ということをことごとく外すことにおいて、才能に溢れている
自分が何かを楽しみ続けるとなったとき、舞台だったらアンケートを書くなり、アイドルだったらツイッターで運営のエゴサにひっかかるようにあーだこーだ言うなり、直接現場で制作に話しかけるなりしないと、
自分の中で、あれ?と思ったもやもやは解消されない
そういうことをしないとエンタメ側もレベルアップしないんだと思う
だいたい、大きくなりすぎたエンタメが衰退する理由として、ひとつはエンタメがおもしろくなっていくということに関して現状のツールでは絶対に限界がくるときがあるということ、
そして、大きくなりすぎたエンタメは、ビジネス化されすぎていて、「こうなったらいいのにな」というおたくの考えの届かないことろへいってしまっていることがあげられるんじゃないかとわたしは思っている
おもしろいエンタメがあると、どうしてもそこにお金が集まってしまうので、ビジネス化されてしまうのは、仕方のないことなんだと思う
けれど、今の日本においてそれが悲惨なのは、たまたま様々なエンタメのジャンルが同じようなタイミングでピークを迎えてしまい、エンタメ世界が、大爆撃でもあったのかという惨状になってしまっていることだ
しかもその間におたく側も情報化社会の中で変形していって、おもしろいエンタメを育てていく体力のあるおたくが少数派になってしまった
アイドルの世界は戦国時代が終わって、きっとこれからあの2009年〜2010年のドラマに溢れたAKBのような盛り上がりを見せてくれるアイドルはもうしばらく現れない
仕事や現実に疲れたアイドルおたくを癒すために様々なハコやショッピングモールで特典券を武器に細々と生きていくアイドルたちとおたくの世界になってしまう
モーニング娘。がミスタームーンライト愛のビッグバンド以降ハロプロの世界に帰ってしまったように、元々アイドルおたくだったひとたちのためのエンタメとしてきっとこれからは存在していく
お笑いも今、バラエテイこそあるものの、若手が芸を披露する場がほとんどない
バラエテイでの面白さなんてその場にはまれば誰でもおもしろいので、お笑い芸人である必要性などなにもない
芸人はなんでもやって当たり前なんだから、それと比べて木村佳乃がなんでもやった方
がおもしろいに決まっている
お笑いのジャンルは今、現場難民(芸人側の) に溢れている結果、おもしろい漫才どころではないんじゃないかという印象だ
ジャニーズも、嵐の人気はおそらく今よりでることはないだろう
そんな中で、わたしたちの青春だった若手三組がそれこそ大爆撃を受けたみたいにメンバーが半分くらいに減っている中で、じゃあその下にくる平成ジャンプが元気なのかというと、最近伊野尾がようやくその美少年さを世間に認識され始めたが(といっても伊野尾はわたしと同い年なのでもう少年ではない)
セクゾもメンバーが増えたり減ったりするので、正直ジャニヲタあがったババアはついていけない。デビューしたユニットでそんなことありえます?よくわからない
じゃあウェストはというと、今の関ジャニくらいになれたらいいねーくらいの認識でしかない、わたしの中では
ファンのひとは怒るかもしれないけれど、こう見えて一応彼らがジュニア時代に松竹や梅芸でお仕事していたときにそれなりに見ていたので、ブチギレするのは超古参のお姉さんたちだけで勘弁してほしい
関西ジャニーズの抱える問題と可能性と闇については触れ出すと話が終わらなくなるので割愛
けれど、上記ジャニーズたちが決して売れないと言っているのではなく、現状の悲惨なエンタメ界を今すぐ引っ張っていく力があるかと考えたときに今すぐは無理だという話なので本当に怒らないでください
若手俳優の世界はおそらく痛みを伴う革命でも起きない限り、もう無理である
アミューズがドリフェスとかやり始めちゃった時点で、あー事務所もそう思ってんのかなーとわたしはおもったぜ
大したビジネスでもなかったのに、いろんな大人がよってたかってダメにした感がある
たぶんこれからたくさんの失業者が発生するというか、まあ引退する子たちがどんどん増えていくと思う
まあ若手俳優はあんまり稼げるお仕事ではないので、その点においては大丈夫かなあと思っているけれど、元ジャニヲタとしてはジュニアが引退したのちに逮捕される流れにはうんざりなので、ちゃんとそれぞれに生きていく道があればいいなと思う
それがエンタメの世界だったらどんなにいいことかとは思うけれど、今若手俳優の世界にはそんなに飯のタネがないので、なにも言えない
結局、若手俳優のあとに台頭してきた読モジャンルも、KPOPも若手俳優よりも早くマイナーの世界へ帰っていってしまったので、
今どこでなにが元気で盛り上がっているのか、わたしの目には見つけられない
それがおそろしくて色んなおたくにこの話をして、今なにが盛り上がっているんだろうと聞いても、みんな首をかしげる。
広告で働いている男の子にもこの話をしてみたけれど、スポーツなんじゃない?と言われてしまった。
残念ながらわたしはスポーツには一切興味がない。あとオリンピックに向けてスポーツが盛り上がるというのは、長らく当たり前のことなので、それはこれまでのエンタメに取って代わるものではないし、
そもそもエンタメではないんじゃないかという疑念が拭いきれない
だいたい女ヲタの世界において、あの人どこにいったの?という話をすると、二次元だと聞くことが最近は多い
けれど、二次元も絶対すぐ今の異常な熱は終わるんじゃないかと思っている
なぜなら今の二次元の盛り上がり方はグッズ収集だが、グッズの収集という盛り上がり方は、これ以上の発展があるんだろうかとハタから見ていて思うからだ
わたしは本当に理解できない、これだけお金をかけるくらいこのキャラが好きなんです!みたいな競争をするくらいだったらホストじゃだめなんだろうか、きっと何回か寝れる
若手俳優のおたくをやっていて同じことを何十回も言われるので、もちろんそれじゃだめなことはわたしもよくわかっているが、俳優と違って二次元のキャラは特別扱いしてくれないし、そもそも概念でしかないので、非常に難しい盛り上がり方だと思っている
しかし、その一方でわたしみたいな変なタイプじゃない女子の欲求を満たしていることも理解している
みんなでこのアニメならこのキャラが好き!みたいに推しを分けてみんなで朝から池袋やらスカイツリーやらTSUTAYAやらに並ぶのが楽しいんだろうなというのは知識としては知っている
団体行動好きの女子にはたまらない「みんなで一緒になにかをしている!」感なんだろうなと思う
だからかなり前の記事になるが日経MJとかはグッズ収集女子を特集する際にもっとそのへんに重きを置いて取材をするべきだったと思ったよ
そもそものそういった子たちの行動心理ってたぶんそこなんだから。
現地で交換したりとか、そういうのが楽しいんだと思うよ。
表面上はキャラへの愛でこんなことになっちゃうくらいこのキャラが好きなわたし!ということになっているが、実際半分くらいはグッズ収集に付随する様々なことを楽しむタイプの女子が大多数のはずだ、女の子は自分を思い込ませるのがうまい
でもそれはもはやアウトドア的な楽しみ方であって、エンターテイメントではない
水道橋に行けばいつでも誰かしら友達がいる!みたいなテニミュなどのアウトドア的側面がピックアップされた趣味だと思う
このままエンターテイメントはなにも新しいものが生まれることなく、これから冬の時代を迎えて、大勢がなにかに熱狂することがない時代になるのだろうか
わたしはそういった大盛り上がりジャンルに身を置いているタイプではなかったけれど、このままなんの盛り上がりもない状況というのはとても不安になる
そして、なによりエンタメを作ってきた側のひとたちが、この危機的状況に気づいているのかしらと非常に不安になる
わたしはエンターテイメントがなかったらこの年まで生きてこれなかったかもしれない。
本当にどこかで尽きて死んでいたんじゃないかと思う
今の若い子達にわたしがエンターテイメントに救われたようになにか別の救いがあるんだったらいいのかもしれないけれど
ストレス社会と呼ばれて久しい日本で、現実逃避ツールの代表格であるエンタメがしにそうだ
そして、みんな違ってみんないいという考えを浸透させたせいなのか、国民が多様化すると見せかけて、思考停止した人たちを量産しているだけな気がする
若い子たちと働いていて本当に思うのだけれど、「どうしてこうなんだろう」ということを考える力に欠けている子達が多すぎる
このままだと日本のエンタメどころか、日本自体がいつか沈没するんだろうなと思う
このままだと日本は確実にヤベエ
デカルト閉圏というものがある。これは型付きλ計算や直観主義論理のモデルとなる圏だけども、その特徴は
である。これらをプログラムに対応させると次のようになるだろう。
| 終対象 | unit |
| 直積 | 直積型 |
| 冪 | 関数の型 |
| - | 双対概念 | プログラムへの対応 |
| 終対象 | 始対象 | 終了しない計算(例外) |
| 直積 | 直和 | 判別共用体 |
| 冪 | 余冪 | ??? |
余冪に対応するものがよく分からん。余冪の定義からいうと余冪を X**Y と表現することにすれば
Hom(X**Y, Z)≅Hom(X, Y⊕Z)
が成立すればよい。だから、
IntOrString = IntValue of int | StringValue of string let f(x:int) : IntOrString = if x >= 2 then IntValue(1) else StringValue("1")
let f'(xy:X**Y) : string = "1"
のように書き換えることができればそれは余冪と言えると思えるのだが、そのような書き換えは可能なのか?
とりあえずこの場合に限れば、
exception Y of int
type XToYCopower(x:int) =
let x' = if x >= 2 then raise(Y(1)) else x
let f'(xy:XToYCopower) = "1"
みたいにして、呼び出すときは、
let mutable z: IntOrString = IntValue(0) try z <- StringValue(f'(XToYCopower(0))) with | Y(y) -> z <- IntValue(y)
とすると、書き換えができているような気もするし、やはり何か違う気もする。
よく分からんなぁ…。
ふえぇ・・・これの話ですよぅ
「変数に型がないということの利点について考える」
http://d.hatena.ne.jp/perlcodesample/20130227/1361928810
この記事の内容についてはですね、多くのなーどの皆さんが、「何言ってんだこいつ」の気持ちを抑えきれずにいたんですけどね。
特に話題が「型」なものですから、関数型もひかんの皆さんが我慢できずに、「ひゃっはー汚物は消毒だー」とばかりに集まって大騒ぎする事になってしまったわけです。(ほとんどTwitterから来たんじゃないですかね・・・)
そりゃぁ、ガタイのいいお兄様達が火炎放射器構えながら、端正込めて書いた記事を炎上させれば、主様の頭に血が登るのも当たり前の話ですか。
わざわざ、こんなブログを定期的に更新する主様の事ですから、きっとプログラムが好きなのでしょう。でもきっと、「プログラム」が好きという点については、もひかんさん達負けてません。負ける気がしません。だからもひかんさん達も、自分達の足りない脳みそ使って、勉強してるんです。
『「静的型付け言語」と「動的型付け言語」ではどっちのほうが良いんだろう。そもそも「静的型付け」「動的型付け」ってどういう事なんだろう、っていうか第一「型」って一体何ものなんだろう・・・?』
答えを求めて、勉強してるんです。
僕もそんなもひかんさんの一人です。低い知能で出せるだけのぱわーを出して、それなりの勉強をしてきてます。だから言うんですよ。
「お願いだから、間違った事を間違ったまま広めないで」って。
これはね、別に「間違っている」事を責めているのでは無いのです。そんなもの、記事の冒頭に「僕が間違ってましたふひひさーせんw」って一言付け加えたなら、皆納得するんです。
そうじゃなくて、明らかに間違った事を間違っていると指摘しているのに、「いや、僕は間違っていない」と言い続けている事に問題があるのです。
そうです、件の記事の内容は、残念ながら・・・誠に残念ながら、その多くが間違っているんです。
具体的な間違いの内容は、コメント欄や多のブログ記事で散々指摘されいるので、僕が今更蒸し返すのは野暮でしょう・・・ただ、困ったことに主様はそれが「実感」として得られないので、何が間違っているか解らないのでしょう。
解らない事は恥ずかしいことではありません。ツーステップ以上登った先にある事を実感するのはとっても労力がいるものです。僕だって今、圏論とHaskellのモナドの関係についての厳密な説明を求められたら、泣いて謝るしか無いのです。
では、主様が今、件の記事の指摘の内容を実感するためには、どうすれば良いのでしょう?僕からは、ふたつ、提案する事ができます。
ひとつは・・・僕が散々言っているように、「お勉強」しましょう。僕はHaskell大好きなので、型を学びたいのであれば迷わずこの言語を学ぶことをお勧めします。多分、実用に耐えうる言語の中では最も型がしっかりした言語じゃないかなって、思うんです。
そしてね、お伝えしておきたいのはこの言語、ParlやRuby使いさんがビックリするくらい柔軟で簡潔なんですよ。静的型付け言語は無駄が多いなんて、とんでもない事です。
うーん、僕は、OCaml良くわからないですが、Scalaは直積型を再現するのが面倒な印象ありますです・・・
もう一つは・・・言語は何でも良いです、何か静的型付け言語を使って、それなりに大規模なものを・・・できれば二人以上で実装してみてください。それが終わったら、もし動的型付け言語で同じ事をしたらどうなっていたか、想像して見てください。きっと主様は、件の記事を上げたことを、後悔する事でしょう。
「型」ナメんなヴォケが(# ゚Д゚)
って事なんです。
プログラミングの型は、プログラマが間違いを犯さないために、プログラミング言語がわざわざ用意してくれているものです。そしてその基礎になっている理論は、コンピュータが真空管だった時代から、今にかけて、ずーっと研究され続けているテーマなんです。だから安易に「型がないことによって、たくさんの面倒から解放されるからです。」なんて、すっとぼけた話が通用するほど簡単な世界じゃないのです。
型は、主様が考えているよりも、もっと強力で、もっと柔軟で、僕や、主様や、なんとなくこの日記を除いた誰かさんのプログラミングを大いに手助けしてくれる凄いものなんです。それが動的型付けの言語だって、型の考え方は実装の指針を示してくれます。どうです?もっと型の事を知りたくなって来ませんか?
最後に、「本物のプログラマはHaskellを使う」から、いくつか引用して終わります。ばーいばい。
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20080108/290605/?ST=develop&P=1
型がテスト自動化の道具であるという概念は、最初は理解しにくいかもしれません。しかし、Haskellのような強い静的型付けの言語に慣れるにつれて、こうした考え方を自然なものととらえられるようになります。
型のわずらわしさを克服し、型での静的なテストに慣れて型検査のメリットを実感するにつれて、「型を考えること自体がプログラミングである」と理解し、「型によってバグを防ぐためのテスト・コード」を当たり前のように書けるようになります。こうした感覚を身に付ければ、一人前のHaskellerになったと言えるでしょう。