「撤去要求」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 撤去要求とは

2025-11-12

anond:20251111094330

すごく鋭い視点ですね。

実は「戦略的あいまいさをやめて、明確化(strategic clarity)した結果、むしろ安定をもたらした」例も、現代史の中には少なくありません。代表的ものをいくつか挙げます

■① 1980年代レーガン政権による「ソ連への明確な対抗姿勢

カーター時代までの「デタント(緊張緩和)」は、核抑止の一方で、ソ連に「まだ押せば譲る」と誤解させていました。

そこに登場したレーガンは、「悪の帝国」「軍拡競争」「SDI(戦略防衛構想)」と、圧倒的な明確化を行います

結果、ソ連は「アメリカの譲歩はない」と理解し、内側から経済的疲弊によって崩壊の道を歩むことになります

まり、「あいまいな抑止」ではなく「明確な決意の表示」が、逆に冷戦終結を早めたのです。

■② 1990年クウェート侵攻後の「明確な国際連合決議」

イラクフセインは、「国際社会はまた口だけだろう」と読んでいました。

しかし、国連安保理決議678号によって「武力行使容認」と明言。

多国籍軍が明確なシグナルを発したことで、他の国々はフセイン支持を引っ込め、

結果として短期間でクウェート解放が実現。

あいまい声明だけなら、侵略の既成事実化を許していた可能性があります

■③ 1962年キューバ危機での「最後通牒明確化

ケネディ政権は当初、対ソ政策を慎重にぼかしていましたが、

ミサイル危機で「海上封鎖撤去要求」を明確に宣言

その「明言」によって、フルシチョフは「アメリカは本気だ」と理解し、

最終的にミサイル撤去という形で衝突が回避されました。

まり明確化は“開戦”ではなく“引き際の理解”を促す場合もあるのです。

■④ 現代日本防衛戦略における「反撃能力明確化

長年、「専守防衛」の名のもとに日本立場不明確でした。

しかし、敵基地攻撃能力(反撃能力)を明言したことで、

潜在的侵略者に「コストが上がる」と認識させることができた。

これは、あいまいな抑止よりも、明確な抑止力を伴う「静かな安定」を生み出しています

要するに、

あいまいさが賢い」と思われがちですが、実際には、

そのあいまいさが“誤解”や“試し行動”を誘発するケースも多いのです。

国際政治では、「意志を伝えなければ、意志存在しないのと同じ」。

言い換えれば——

「黙ってバランスを取る冷静さ」よりも、

「明確に立場を示す決断力」の方が、時に平和を救うことがあるのです。

こうして並べると、どちらの立場にも筋が通って見えるのが面白いですよね。

実際の外交では、この2つのバランス明確化あいまいさの調整)が最も高度な技術になります

希望があれば、今度「両方の主張を統合して“メタ的に中立”な解説」も書けます。やってみますか?

2025-10-28

anond:20251027222819

石破も慰霊碑訪問はしてるが無風だったので、

独立像と同列にしたこと、というか

たか日本兵独立に力を貸したせいで死んだかのような

発信なのがダメだったようだ

良くも悪くも日本右派として注目されてるのもあるのかな

欧米だと日本でも極右政権誕生!みたいな注目らしい

twitterでちらっと言ってる人がいて知ったけど、

wikipediaざっと読むと、

日本占領抵抗運動があって

対応して大々的に抗日狩りをやって9万7千人の投獄と大虐殺になってたのね

村ごと100人とかたくさんwikipediaに載ってて怖い

マレーシア中華系が多くて

抵抗運動マレー人もいたけど

抵抗ゲリラ組織マラヤ人民抗日軍」は

特に華人が中心だったらしく華人が狙われた

日中戦争中だし華人反日なのも無理ない

華人以外のマレー人インド人もたくさん殺されたのは見当がつく

怖くてあんまりしっかり読めない

イスラエルハマスを狙うと言ってパレスチナ虐殺してるの連想しちゃったよ

wikipediaが全部本当かは疑わないといけないけど参考には助かるね

シンガポール華僑粛清事件

日本占領時期のマラヤ#残虐行為

日本占領時期のマラヤ#抵抗運動

マラヤ人民抗日軍

ついでに関連ブクマ

2019 慰霊碑撤去運動

旧日本軍兵士を「英雄」とたたえ怒り招く、マレーシア慰霊碑撤去要求

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.afpbb.com/articles/-/3217673

2025 今回の件

マレーシア訪問慰霊碑に頭を下げた高市早苗マレーシア人がブチギレ「日本帝国軍マレーシアで多くの人を虐殺したのを忘れない」

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/posfie.com/@unnojuza/p/66x8XDw

2025-04-16

anond:20250414112430

表現の自由好き嫌い問題ではないんだが……

から好かれたければ嫌われるようなことはしないし言わないというのは当たり前のことだし、それによって起こり得るであろう不利益を当然受け入れた上で自己責任に基づいて表現するものだと思うんだよね。

いわゆる表現の自由戦士側から「嫌うな」という要求が出てきたことなんてあるんだろうか?(「大勢の人がこの表現を嫌いというが、実際には嫌いという人は少数派だ」という反論はしばしばなされるが、それは「お前はこの表現を嫌ってはならない」という意味ではなく、「お前は多数派のつもりでいるが、実は少数派だ」という意味だろう)

いわゆる表現の自由戦士側が言ってきたのは「撤去すんな(させんな)」「差別すんな」「法規制すんな」とかでしょ? これはまさしく自由権とか平等権かいった人権問題じゃない?

私が思う「表現の自由が無い」というのは何か国に対して意見を表明しただけで急に拘束されて処刑されるみたいな独裁的な国とかの話であって、日本では発言によってある程度の不利益は受ける前提で自己責任の元で表現する自由は認められていると思うんだよ。

そんな「女性の権利侵害されてるってのはアフガニスタンとかサウジアラビアとかの話であって、日本では完全な男女平等が成し遂げられているでしょ」レベルの話をされても困るというか……

たとえば、地方政府BL漫画を「有害図書」に指定したせいで女性漫画家が作品出版流通ルートに乗せられなくなった、とか、女性アーティスト自分身体の一部を象ったアート作品作成して公開したら警察逮捕されたとか、モデルのいないエロ絵をAIに描かせてそれを売ってたら逮捕されて実名報道されたとか、漫画広告新聞に載せたら国連機関から圧力をかけられたとか、地方議員が「犯罪助長する」という理屈圧力をかけて警察女性VTuberコラボを中止させたとか、そういうのは「不快を表明された」に留まらない表現の自由への侵害でしょ? 「不快に思われた」とか「嫌われた」とかではない具体的な実害が出ているよね?

そして、たとえば国際条約において「被害者存在しないフィクション児童エロ絵・エロ小説」を禁止する規定が設けられたり、欧米の一部の国ではそれらを作成・所持してるだけで逮捕されたりすることは、まさに現在進行系で先進国において表現の自由が奪われてる・侵されてる例でしょ?(日本は強い外交努力によって「非実在は取り締まらなくてもいいよ」条項ねじ込むことに成功たから、この件については表現の自由が守られてる方だけれども)先進国から表現の自由問題存在しない、なんていうのは端的に幻想だよ。

あと、国に拠らない民間から撤去要求表現の自由への侵害とみなすか、という問題もあるけど、その理屈だとどうなるのかな? たとえば民間弁護士さんとか学者さんとかが献血ポスターイラストを強く問題視し糾弾して撤去させたり、右翼団体従軍慰安婦の展示会に文句をつけて中止させたり、宗教団体揶揄するような漫画宗教団体からの抗議を受けて発売中止になったり、エッチコンテンツを扱ってるサーヴィスがクレジットカード会社から決済を断られたせいで立ち行かなくなったり、そういった案件は「公権力のやることじゃないか表現の自由への侵害ではない」って言えるかな?

肉フェスコミックマーケットの近くでヴィーガンの人たちが屠殺写真を掲げて抗議運動したことがあった。彼らはもちろん嫌われることは覚悟しているだろうし、彼らを嫌うことには何の問題もない。でも一部の人は「こういうのって禁止できないの?」という素朴なお気持ち吐露していた。表現の自由を侵したいという素朴なお気持ちは、いつだって私たちの身近にあるのだ。だから私たちは、警戒してもしすぎることはない。「屠殺写真」が他のものに変わり、肉フェスが別の場所に変わる未来は、意外と遠くないかもしれないのだから

追記

書いた直後はぜんぜん伸びなかったのに今になって100ブクマ超えとかどういうことなの……やはりホッテントリは水物。

出版差し止め要請するのは言論弾圧ではない」という意見がよくわからない。言論に対する自殺教唆脅迫だと思うが。「まさか本当に死ぬとは思わなかった」ととぼけ立花孝志みたいな主張に見える。

まあ「他人に向かって『死ね』って言うこと自体殺人じゃないよね」って言われたら「そうですね」って話にならざるを得ないと思う(言葉それ自体殺傷能力があるわけではないから)。たとえば「あべしね」みたいなのも表現の自由に含まれるというのは当然だろうし。それで人が死ぬことを望んでないとか言われても「は?」ってなるけど。

 『非実在児童ポルノ』の取り扱いは[個別の国々の公共の福祉]との折り合いでしょ。

こ、公共の福祉……? 公共の福祉ってたとえば「凶器準備集合罪集会の自由を制約しているが、凶器を持って集まる自由が制約されるのはやむを得ない」とかそういうレベルの話なんだけど、実在人物モデルにしたわけではないエロ絵やエロ小説平和的に作成したり所持したりすることを法規制することが、公共の福祉……? 他人人権への侵害やそのおそれがどこにもないのに? エロ関連になると自由人権をかなぐり捨てるひと多すぎて怖い。

表現の自由とは、公権力から言論統制されない検閲を受けないといった自由定義している。だから、その自由があるといって何をしてもいいわけではない。行動の自由があっても人を殴ってはいけないのと同じ。

素晴らしい危害原理の要約ですね。我々には行動の自由はあるが、しかし、他人自由権利を脅かすことは認められない。逆に言えば、我々には他人自由権利を脅かさな範囲で最大限の自由がある。J. S. ミル以来正統なリベラリズム教義です。ところで殴る蹴るのような行為と異なり、文章や絵の発表は「それ自体では」誰の何の権利侵害していないことは明白ですね? つまり原則として表現はすべて自由であるべき、という結論リベラリズムからは導かれるわけです(著作権侵害とか誹謗中傷とかそういう個別具体的な権利侵害がある場合を除いて)。したがって、完全なフィクションロリペド絵を取り締まるカナダとかの欧米諸国リベラリズム原則に背いている、という結論になります

突き詰めると独裁国家の場合独裁者が、民主政場合多数派がこの表現は駄目と言ったら法律禁止されないか?例えばアッラー神の冷やかし、プーさん小学生位の裸、毀損された死体日本では性器とか。

事実としてなら、はい、そうですね、独裁者や多数派が「この表現は駄目と言ったら法律禁止され」ます。ただし、それは不正義です(他人の財布を掏り取ったり他人ナイフで刺したりすることも物理的には可能あなた増田もやろうと思えば今日にでもやれること)ですし、それを行っているひとや行ったけど罰せられていないひとも大勢いるのは事実ですが、それは不正義ですよね?)。

ゾーニングを徹底すればって条件付きで許されているものを誰でも見えるとこに出すがちょいちょい現れる 1人のオタクから言わせて貰えばそういうの本当にやめてほしい

まずもってあらゆる表現自由なのであってほんらい「許し」は必要ないんですよ、っていうところから説明しないと駄目ですか……?

 
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん