はてなキーワード: 炭焼きとは
昨日は土用の丑の日だったじゃないってことを私は忘れずにいた暦の上では8月目前と言うところで、
ダッシュ一番!
電話は二番!
前回鰻の肝の串の美味しさに味をしめて、
それこそ今日はよし!鰻の肝の串買い占めるぞ!って勢いだったの。
でも、
でもよ、
昨日は鰻の肝の串焼きなかったの。
ぴえん!
そりゃ気持ちはカムチャッカファイアーってレヴェルかも知れないけれど、
ここは私の肝に銘じて、
大人しく引き下がることにしたの。
私の鰻の肝の串焼きは終わったわ。
前回の味が美味しすぎて忘れられなくて
また求めようとしたのに。
売ってなくって残念だわ。
来年もあるといいなぁーって
ここは海産物というか水産物変わったものを売っていることをたまに見かけるので、
品揃え油断できないのよね。
以前は鮪の尻尾の輪切りがあって、
イメージ的にはギャートルズのマンモスの輪切り!をまさに実写化したような感じで、
それの魚版!鮪版!って感じなのよ。
お鍋に一杯直径重なるぐらいの大きさで、
私はなんとか調理したんだけど、
それも美味しかったわー。
こんな部位のもの滅多に出回らないから面白いから買っちゃったら美味しかったって感じなのよ。
そのなかなか珍しい出回らないシリーズ化決定したのか分からないけれど、
その鰻の肝の串焼きもたくさん売っていて私はわーい!って両手放しで自転車に乗っていたの。
だから
昨日の寄ってあったら絶対に買っていたと思わせる
夏の青春!
期待していたのになくってなくって。
ちょっと苦味が効いていて滋味滋養が付いて夏を乗り越えるパワーになり得るはずだったのよね。
平賀源内先生は鰻の売り上げが下がる夏の時期にセールストークで鰻いかーっすかー!って
鰻の日を制定したけれど、
その肝も食べましょう!って
打ち出して串打ちして炭焼きにして食べよう!ってキャンペーンもセットにすれば、
もっと鰻の肝ももっと普通に食べられるレアアイテムにはならなかったと思うのよね。
もちろん、
焼き加減はレアじゃなくてじっくりと焼き上げた香ばしいタレをまとっているのよ。
ああ!
らーらーらーららーら~
それで手に持っているのは鰻の肝の串焼きなの。
らーらーらーららーら、
そのぐらいな美味しさ!
そんで鰻の肝の串焼きをペンライトに見立ててその小田和正さんの歌に合わせてらーらーらって振るじゃない。
ここで気を付けたいのがタレが落ちないように
そろりそろりとゆっくり振るの。
急に振っちゃったらタレが落ちるからそこは慎重にね!
私の夏はまだ始まったとは思えないけれど
終わった感じがするわ。
この8月に入った途端。
でも逆に考えるの!
来年の楽しみができたじゃん!って
鰻の肝の串焼き美味しかったから次はたくさん買おう!って思えるじゃん!
涙じゃないけれど
タレの数だけ強くなれるの!
だから貴重な焼き上がったエキスを含んだ鰻の肝の串焼きのタレはアスファルトに落としたらもったいないの!
だから
らーらーらららーらー言葉にできない。
ってときにそっと慎重に串を持って振るの。
もし美味しいタレの雫が落ちてしまったら、
あーあー、
私が一番今所望したいものよ。
これを糧にしてこの夏をのりきるしかないわよね。
鰻の肝の串焼きまた食べたいなぁー。
ああ!
私の夏の思い出の1ページが前回の丑の日に続いて鰻の肝の串にまたなっちゃったわ。
そんでさ、
私は、
そういう意味ですっ!って堂々と言えると思うのよね。
だから、
もしちびっ子が今年の夏休みの絵日記に鰻の肝の串焼きが2回登場することがあったら
鰻の日が2回あったんだなって思い出して欲しいの。
それが夏の思い出よ。
あーあ、
鰻の肝の串焼き食べたいなぁ。
うふふ。
今日は朝は曇りがちだったので
昼間はどうなるか分かんないけどー。
1ケース届いて1ケースは行方不明になっているわ。
とりあえず、
1ケース来て冷やして飲んだレモン炭酸水はシュワッとキマって絶好超よ!
もうさ、
とにかく、
水分補給はしっかりとね!
ってしか言えないわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
とある事情があって、名詞+動詞(の連用形?)で"動詞の行為者"を表す単語を探しています。ご協力をお願いします。
太鼓持ち、風呂焚き、舟漕ぎ、木こり、ピアノ弾き、恥知らず、舵取り、ケツ持ち、元締め、札差、羊飼い、年寄り、瓜売り、金持ち、金貸し、嘘つき、頭取、物好き、博打打ち、目付、後見、酒呑、弓取、物見、船乗り、髪結、女たらし、物書き、絵描き、力持ち、子持ち、鞄持ち、駕籠かき、海賊狩り、悪魔祓い、真打ち、小結、玉拾い、御垣守、身代わり、屁こき、法螺吹き、炭焼き、子連れ、バイク乗り、汗かき、ハナタレ、女狂い、手習、仲立ち、臍曲がり、魔物使い、肝煎り、気違い
ビラ配り、皿洗い、歌詠み、客引き、物乞い、神降ろし、使い走り、蕎麦打ち、靴磨き、猿回し、口寄せ、雨乞い、レジ打ち、物取り、人攫い、火消し、
妾(目掛け)、手篭め、小飼い、
この前チェンソーマン読んでたら「藤本タツキは性癖歪めの顔をしろ」って思って、この構文に当てはめられる単語ねーかな〜って思ってリストアップしてたら楽しくなってきた
https://b.hatena.ne.jp/entry/4717071050729028514/comment/petronius7
雲取山に住む炭治郎がどこまで炭を売りに行ったのか、あの描写だけだと定かではないが、麓近くの大きめの集落と考えると今は奥多摩湖に沈んだ小河内集落か三峰神社周辺じゃないかな。
炭治郎の家が雲取山のどちら側にあったのかも分からないが、あの辺りで炭焼きというと小菅が盛んだったらしいけど、あの辺は昔は馬も通れず人が荷物を担いでいた地域。
炭焼きをして妹を助けるんだ!
素晴らしい作品だった。 『ぼくらの』や『寄生獣』を読んだ時くらい後を引く読後感だった。
以下まとまってないけど雑観。
鬼滅は対比をよく使う作品だった。
善逸と獪岳、兄上と縁壱、妓夫太郎・梅ちゃんと炭治郎・禰󠄀豆子、
さまざまな場面で対比があるから、違いが強調されてひどくエモーショナルだった。
無惨のモチベーションはただただ「死にたくない」っていう一点に尽きる。
だから鬼殺隊が命を賭して挑んでくる様が理解できなくて「鬼殺隊は異常者の集まり」なんて言う。
永遠の個 vs 受け継がれる意思 っていうのは創作でめっちゃ使われてきた対立軸だと思うけど鬼滅もまたこのテーマだ。
すぐ死ぬ人間たちが繋いできた思いが、個としての永続を求める無惨を凌駕する物語だ。
無惨も最終的には「受け継がれる意思」に負けたことを悟って「俺の意思を継いでくれ!」と炭治郎に縋るんだけど
無惨はやっぱズレてて違うんだなあ…意思を受け継ぐと言うのは、一方的なものではないのだ。
炭治郎たち鬼殺隊には自分以外に大切にするものがあり、それを奪う鬼を許せなかった。
現代編では主人公たちの子孫と、子孫を残せなかったが転生した(と思しき)人々が平和を享受してる。
なんなら子孫もいなくていい。例えば炭焼きの一族が日の呼吸を伝えたように
血縁も関係なく転生もない人々がそれでも彼らの意思を繋ぐ、みたいにすればいい。
(転生で、結果ある種の永遠が得られるなら、それは個の永続を願った無惨との対比が崩れてしまう。)
炭治郎が大切にしてきた「家族」が守られ続いていることは物語の救いとして絶対に必要だった。
炭彦のセリフ「またどこかで生まれ変わって幸せに暮らしているかもって思うと
悲しいのと寂しいのが少しだけ柔らかくなって安心するね」に尽きる。
テーマとして一貫して無かろうが、この葛藤は不完全な人間のものであり、許容できる。
本誌追ってなかったんだけど本誌組はこれカットされてたってマジ?
本誌組と単行本組でそこまで読後感に差をつけて良いのか集英社?
現代編の救いの矛盾とかのモヤモヤを力付くで吹き飛ばす凄い筆力だ。
登場人物に重ねられた詩の語り手はわからないが、その一片一片がそれぞれの人物に準えられていてとてもずるい。
これは泣くわ。泣いた。
オレんちと同じくらい田舎やったんねw
ウチでは、昭和の末期ごろに家を建替えるまでは、掘りごたつが現役だったね。四辺に足を乗せる板があるけど、中央部はそのまま炭火を置く構造だから、ヘタに足を突っ込むとテキメンに火傷するw
かまども(平常時は主にプロパンガスだったが)盆正月などに大量の料理するとか、味噌仕込むのに大豆を煮るとかのときは現役だった。
裏山に炭焼き窯があって、自前で木炭も作ってたし、風呂を沸かすのも薪で火を焚いてた。
農道は、そのころ絶賛建設途上で、クルマで行けない山の上から農作物とか木材とかをふもとに運ぶのは、架線(かせん)と呼ばれるケーブルカー的なものだったが、昭和50年代後半にはほぼ使われなくなったな。