はてなキーワード: インフラとは
少子化は「若者の意識が変わったから」でも「恋愛離れしたから」でもない。そんな話に逃げている限り、何も変わらない。問題はもっとはっきりしていて、もっと露骨だ。
この国は、家族を持つことが割に合わない社会になってしまった。それだけのことだ。
昔は誰もが結婚したし、子どもを持つことは人生の一部だった。特別な覚悟なんていらなかった。生活の延長線に「家庭」があった。でも今は違う。家庭は「頑張らないと成立しないもの」になった。余裕がなく、支えがなく、時間もお金も削られ、精神さえすり減る。
それを見た若者が「家庭を持ちたくない」と思うのは当然だ。生存本能が正常に働いているだけ。
それなのに社会や政治は「最近の若者は…」「価値観が…」と、まるでこちらの感覚がおかしいかのように語る。おかしいのは若者ではなく、社会の側だ。
子どもが生まれないのは、愛が薄れたからではない。人間が利己的になったからでもない。生活の土台が壊れたからだ。
それを直視しないまま、「意識を変えろ」「努力しろ」と言い続ける社会は、ただの加害者と変わらない。
少子化は、個人の問題ではなく、構造の失敗だ。そしてその構造を作ったのは、社会・政治・制度だ。
だからこの話は、頑張りでも道徳でもなく、生きられる社会か、死ぬ社会かの話だ。
人類はずっと「ほとんど全員が結婚する社会」で生きてきた。結婚は特別なイベントではなく、生きる流れの中に自然に組み込まれていた。それは「恋愛がロマンチックだったから」ではない。生存の仕組みだったからだ。
昔の家族は、いまよりずっと広かった。親、祖父母、親戚、近所の手、地域の目。子どもを育てる負担は社会的に分散されていた。
だから、家族を持つことは「やる気」や「覚悟」の問題じゃなかった。生活が人を支えていたからだ。しかし今はどうだろう。
住まいは分断され、家族の単位は極小化し、育児も家事も、家計も精神も、夫婦の小さな箱の中に全部押し込められている。とくに片方(多くは女性)に。
昔は共同で支える仕組みが前提、いまは個人が抱え込む仕組みが前提。そりゃあ持続なんてするはずがない。
少子化は「人々が家族を望まなくなったから」じゃない。家族をつくるための構造が壊されたからだ。
家族は、努力や気持ちだけで維持するものじゃない。社会が支える基盤があって初めて自然に成立する。
その基盤が崩れた時点で、出生率が落ちるのは生物的に当たり前の反応だ。若者は間違っていない。社会の構造が、家族をつくることに向いていないだけ。そしてそれを「個人の選択」の問題にすり替えてきたのが、今の日本だ。
いまの日本では、家族を作ろうとすると、真っ先にぶつかるのが可処分所得の低さだ。働いても働いても「生活するので精一杯」。貯金もできない。家も買えない。子どもなんて無理。これは感覚ではなく、構造としてそうなっている。
賃金はここ30年ほとんど増えていない。その一方で、税金と社会保険料はじわじわと、しかし確実に増え続けた。さらに都市化にともなう家賃上昇、教育費の高騰、保育の外部化コスト。全部「生きるための固定費」だ。
生きているだけで、消耗する社会になっている。共働きが「選択」ではなく「必須」になったのは、意識が変わったからではない。片働きだと生活が成立しないように制度が変えられたからだ。
しかも共働きをしても、生活が楽になるどころか、育児・家事・感情のケアは家の中で圧縮され、時間も体力も関係性もどんどん削られていく。これは努力不足ではなく、設計ミスだ。
「家族を持つ余裕がない」のは、弱くなったからじゃない。社会の構造が、人をそこまで追い込んでいるからだ。
そしてこの状況を政策側は「自己責任」で片付けてきたが、本当は逆だ。家庭が苦しいのは、税と社会保障の負担が現役世代に一方的に集中しているからだ。
その一方で、資産を持つ高齢者は、負担を大幅に免除されている。つまり現役世代が国を支え、国は現役世代を支えていない。
この不均衡が、家族を持つことのハードルを限界まで引き上げている。子どもを産まないのは罪でも怠慢でもない。単に、生きられるように判断しているだけ。合理的な感覚だ。壊れているのは社会の側だ。
「女性の社会進出は良いことだ」。この言葉自体は、もう疑う必要はない。働きたい人が働ける社会は、当然あるべきだ。問題はそこではなく、働かないと生活できない社会にしたという点にある。
かつての日本では、片働きでも家族は維持できた。それは賃金が成長し、家族が広く、生活が社会の中に支えられていたからだ。
しかしいまは違う。税と社会保険料が現役世代に偏って重く、賃金は伸びず、住宅費と教育費は天井知らず。そこに核家族化で助けを失った育児負担が重なる。
その結果、家庭を維持するためには、夫婦が二人で働くしかない。これは「女性の自由」ではない。ただの強制である。
そしてこの強制は、「女性活躍」「自己実現」「多様な生き方」などというきれいな言葉で包まれている。
耳あたりはいいが、労働力人口の補填、税収と社会保険料の拡大、高齢者給付維持のための現役世代の酷使というのが実態だ。
本来なら「働くかどうかは選べる」べきだったのに、実際には「働かないという選択肢」そのものが消された。
「女性が働ける社会」ではなく、「全員が働かないと沈む社会」になったのだ。
そして、負担は家庭の内部に集中する。特に、感情のケアや子どもの生活リズム、夫婦関係の調整といった、目に見えない「家族の体温」を維持する仕事は、ほとんど女性が背負ったまま。
外の仕事が増えた分、内側の仕事は減らないどころか、圧縮され、歪み、擦り切れていく。そこで荒んだ家庭に、子どもが生まれる余裕なんてあるはずがない。
これは「女性が弱い」からではない。「頑張りが足りない」からでもない。こんな設計にした社会が弱いのだ。
少子化の背景には、若者が怠けているわけでも、家族を望まなくなったわけでもない。ただ単に、社会が若者から奪い、高齢者に配り続けてきただけだ。
日本の社会保障は、表向きには「弱者を守る制度」と言われている。だが実際に優遇されているのは、弱者ではなく、人口の多数派である高齢者層だ。
資産を持ち、家や預金を抱え、老後も安定した暮らしができる人たちが、医療費は1〜2割負担で手厚く保護される。税も軽い。年金は自動で振り込まれる。
一方で、現役世代は税と社会保険料を天引きされ、子育てや教育費は自己責任で、家賃は高く、時間はなく、未来への期待は潰されている。
若者が支え、老人が受け取る。しかもそれは「助け合い」ではなく、構造化された一方通行だ。
なぜこんな歪んだ配分になったのか。理由は単純だ。この国では票を持つのは高齢者側だからだ。
政治家は票が欲しい。財務省は税収を維持したい。高齢者は数が多く、選挙に行く。若者は数が少なく、政治的には無力に扱われる。
つまり今の日本は、「支えられる側」ではなく「支える側」を壊している社会だ。
家族を持とうとする世代こそもっとも手厚く支えられるべきなのに、現実には真逆の仕組みが続いている。これでは人口は減る。減って当然だ。
そして減り続ける限り、高齢者比率はさらに増え、政治は今以上に高齢者優遇へ偏り、若者はさらに搾り取られる。
これはもう「問題」ではなく、自己増殖する社会の衰退装置である。
誰か一人の責任ではない。だが明確に言えることがある。
壊れているのは、若者の生き方ではなく、国家の意思決定構造そのものだ。
日本は「資本主義の国」だと言われる。しかし実際に動いているのは、もっと別の形だ。
競争があるように見えて、実際には社会全体が「均一に消耗する方向」に管理されている。
自由があるように見えて、実際には「生きるために働く以外の選択肢」がほとんど許されていない。
支え合う仕組みがあるように見えて、実際には「一方的に負担を引き受ける側」が決められている。
これはもう、資本主義ではない。しかし、福祉国家でもない。もっと静かに締めつける形。日本型社会主義だ。
ここで言う「社会主義」は、弱者を守る優しい社会という意味ではない。国全体の生活水準を均一に、安定的に、とにかく変わらないように保ち続ける仕組みのことだ。
問題は、そのために犠牲になる層がはっきり決まってしまっている点にある。
犠牲になるのはこれから生きる人。つまり若者と、これから生まれるはずだった子どもたちだ。
日本型社会主義は、未来に投資しない。その代わりに「今、生きている人の安心」を最優先する。特に、人数が多く、政治的力を持つ層の安心を。
その構造では「変えないこと」が正義になる。「とりあえず今を守ること」が優先される。「未来」は後回しにされ続ける。そして、未来は来なくなる。
本来、社会とは「受け継がれるもの」だ。生まれた命に次の生活が渡され、時間が伸びていくものだ。
だがいまの日本は、未来を育てる力を、自分たちで捨ててしまった社会になりつつある。
現役世代の時間と金と心が削られ、子どもを迎える余裕が消え、生まれる命の数が減り、社会の骨格そのものが痩せていく。
それでも表向きは「安定している」ように見える。なぜなら衰退はゆっくり進むからだ。
だからこそ、この国は静かに壊れていく。誰も叫ばないから壊れている。悲鳴が聞こえない形で壊れていく。
これは「滅び」ではなく、溶けるような消失だ。
その進行を止められるのは、制度でも政策でもなく、「もう、このままでは無理だ」と言葉にする人の側だ。
問題は道徳や意識ではない。設計の誤りが放置され続けていることだ。
家族が消えたのは、心が弱くなったからではない。生きるための構造が、人間の生活に合わなくなったからだ。
必要なのは、ただ一つ。人が家族を持てるような生活の地盤を、社会がもう一度つくること。
やるべきことは、実はとてもはっきりしている。
まず、現役世代の可処分所得を戻すこと。税と社会保険料を若い世代にだけ重くのしかける構造をやめる。資産を持っている層には相応に払ってもらう。
「本当に困っている人を助ける」ことと「とりあえず老人全員を守る」ことはまったく違う。
次に、家族を一家庭に押し込めないこと。育児は社会が支えるべき公共インフラだ。
保育、学童、家事支援、地域の助け、頼れる外部リソース。昔はそれが「人間関係の中に」あっただけで、今と違う形で存在していた。
それを、形を変えてもう一度つくればいい。そして、働く/働かないを選べる社会に戻すこと。
共働きが悪いのではない。共働きしかできないのが問題なのだ。家庭は「労働力供給のための単位」ではない。人が人として生きる場所だ。
ここに、もうひとつ、今必ず触れておくべき点がある。
働き手が足りないからといって、外国人労働者で穴を埋めようとする動きが進んでいる。だがこれは、人件費を抑えたい大企業と、本質的な構造改革を避けたい政府の都合にすぎない。
少子化で労働力が減っているなら、本来やるべきことは賃金を上げ、労働環境を整え、家庭を維持できる生活基盤を戻すことであって、「別の人間を輸入して補う」ことではない。
安価な外国人労働力を入れれば、企業は労働環境を改善する必要がなくなる。政府は自分たちの設計ミスを修正せずに済む。
そして一番損をするのは、現役の日本人労働者と、これから生まれるはずだった子どもたちだ。
これは、社会の疲弊を補う政策ではなく、社会の疲弊を固定する政策だ。未来を守るどころか、未来を切り捨てて「延命」しているに過ぎない。
家族が育たない社会に、人は根を下ろさない。根を下ろせない社会に、未来は生まれない。だからこそ、立て直すべきは、人間の「生活」の側だ。
最近、「嫌われる勇気」とか読んで「アドラーに救われた!」って顔してる奴、やたら増えたけどさ。
でも冷静に考えてほしい。
アドラー心理学って、アドラー自身が辛い過去から逃げたくて作った理論を、もっと深刻なトラウマを抱えた他人に押し付けてるだけじゃないか?
「これはあなたの課題ですよね(ニチャア」とか言って、平気で他人を拒絶する。
自分の課題(劣等感からの逃避)を「心理学」という権威で包んで、患者全員に押し付けた。
あれで救われてるつもりなら、相当ヤバい。
なんであんな自己責任論と権力者に都合が良すぎる理論が流行ってるのか、冷静に考えるとおかしいだろ。
まず、アドラー本人の背景を知っておくべき。
自分の辛い過去を「存在しない」と否定し、強すぎた劣等感を「成長の源」と無理やりポジティブ変換する。師匠と決別した過去を消すために、「過去は関係ない」という理論を作った。
つまり、自分の痛みから逃げるために作った理論なんじゃないか?
そしてそれを、心理学者という権威を使って、もっと苦しんでいる患者に押し付けた。
アドラー「トラウマは存在しない。本人の"意味付け"の問題だ」
→いや、PTSDって知ってるか? トラウマを受けると、脳の扁桃体が過活動して海馬が萎縮する。
これ、脳の物理的な変化だ。「意味付け」とかいう精神論で説明できるわけがない。
でも、そのために必要なエネルギーはどれくらいか考えたことあるか?
これら全部が必要だ。
「意味付けを変えれば解決する」って、核融合炉を作ればエネルギー問題は解決するって言ってるのと同じだ。
人間に学習能力がある時点で、過去が現在に影響するのは当たり前だろ。
アドラー理論って、「トラウマで苦しい」と訴える人に対して「それはあなたが認めたくないだけ」って言うんだろ。
「トラウマは存在しない!」と頑なに言い張るアドラー自身こそ、
「あなたが辛い過去(兄への劣等感とか)を認めたくないだけでは?」
見事なブーメランだ。
「課題の分離」と言いながら、やってることは壮絶なダブルスタンダード。
アドラー信者「上司の家庭問題は上司本人の課題。私には関係ない」
→「それはあなたの課題ですよね?」という魔法の言葉で、他人のSOSや社会的な相互扶助を拒絶する。
上司が不安定 → 判断ミス → プロジェクト失敗 → 顧客に迷惑 → 部下(自分)が謝罪 → 契約解除 → 部下(自分)の評価も下がる。
でも、「チームが円滑に回るように配慮する」という共同体の課題から逃げているのは自分自身だ。
「俺は俺の課題しかやらない(=共同体の課題は引き受けたくない)」という自分の課題(ワガママ)を、他人に押し付けてるだけ。
他人を「課題の分離」で拒絶しておきながら、自分は共同体の課題から逃げる。
最悪のダブスタだろ。
アドラー理論は「不健全な共依存から解放されろ」と言うけど、特に日本社会では:
「課題の分離」を実践した瞬間、社会から弾かれるリスクがある。
アドラー理論って結局、西洋的個人主義が前提なんだ。「自立した個人が対等に協力する」という理想は美しいけど、相互依存型社会では「それができる人」は限られている。
それを無視して「あなたの勇気が足りない」と言うのは、あまりにも残酷だ。
1. 自分の課題:劣等感、兄への嫉妬、フロイトとの決裂という辛い過去から逃げたい
2. その解決策:「トラウマは存在しない」「過去は関係ない」という理論を作る
3. そして:その理論を「心理学」という権威で包装して、トラウマに苦しむ他者全員に押し付けた
自分のトラウマ否定(=自分の課題)を「心理学」という理論にでっち上げて、他人に押し付けている。
それ、盛大に課題の分離できてないだろ。
これは学問的に不誠実だし、倫理的に有害だし、弱者への抑圧そのものだ。
「トラウマなんてない、気合い(意味付け)で変われ」なんて、現実逃避そのものだ。
組織の問題に向き合いたくない人(経営者とか)にとって、こんなに都合の良い理論はない。
「自分が楽になりたい」は誰にでもある。
でも、それを学問という権威で包んで、苦しんでいる他者に強要するのは、暴力だ。
最近の車はハイブリッドも多くて、その他騒音規制も厳しいから、うるせえな、と思うのはごく一部の特定の車だけになってる。
つーかオートバイというジャンル全体がうるさいんだけど、スクーターが圧倒的に数が多くて目立つ。
もう、いっそスクーターだけはエンジンを認めない方向にすればいいのにな、と思う。
電動化したら圧倒的に静かになるじゃない。
あと、スクーターだったら充電問題も比較的簡単に解消出来そうじゃない?
台湾とかだと、バッテリー交換ステーションが発達してて問題なく運用できてるんでしょ?
日本でも、車全体じゃなくてスクーター限定だったらEV化にいっきにシフトしてもインフラ設備の整備は出来るはず。
だから、スクーターだけはもう電動だけにしてもいいんじゃないの?って思う。
これは国が旗振りをすればいいと思う。
もちろんどうしても必要ならエンジンも認めるけれど、都市部で通勤とかに使うやつは全部電動化の方向へといっきにシフトして欲しい。
ドンドン寄附していただいて、バシバシ税金を地方に流出させてほしい
それで道路なり水道なりがボロボロになってくれりゃあメチャクチャ嬉しいんだけど、まあどうせ東京だから、たいしたダメージはないんだろう
悲しいけど、ダメージがないなら別にないで良い 田舎に金が入るならいいんだ 味方が得するなら、必ずしも敵が損する必要はない
お前、人口10万人切ってて、べつにどっかデカい都市のベッドタウンってわけでもねえ、マジの田舎に住んでんのに、なんで別の田舎にふるさと納税してんの?!?!?!
こう、恥みてえなものってないのでしょうか
俺は自治会とか全然入ってねえし、地域貢献なんかもほとんどやってねえカスだけどよ、ふるさと納税だけはやってはいけない、それをやったら獣以下のカスに堕ちてしまう、ってことだけはわかってるつもりだ
インフラとか福祉なんかよりも、ちょっぴり贅沢なお肉やお魚がだいじなの〜っ!!町?とか暮らし?のことなんて、知らない知らな〜い!!ボクチンがステーキを食べられるんだったらいいんだもんね〜っ!!!
FUCK YOU!!
愚かなんだよな 愚民という感じがする
住民税なんて、俺ひとり払わなくても、他のやつが払ってるわけだし、地方交付税もあるわけだし、それならその分食料なりなんなり買って楽しんだ方がお得だ
しかしその考えってさあ、こうなんつうか、「モブ」のそれじゃん
選挙には行かねえ、ゴミはポイ捨てする、沈みかけの船に救命ボートがあったら、他の人を押し退けて我先に乗り込む!
そういう行動様式をもった、世界を良くしようという意思を持たない、英雄性のカケラもない、群衆野郎じゃん
己の人生を物語として捉えたときに、誰が見てるわけでもないかも知らないが、少しは主人公らしい、善い行動をとってみよう、とか思わねえワケ?
モンキー・D・ルフィとか、竈門炭治郎くんがさあ、ふるさと納税やってたらすげー嫌じゃん ホント、すっげ〜嫌だと思うよ
てめえだって本当はそうなんですって
ふるさと納税で、自分の町の税収を減らしてさ、肉を食って喜んでしまったら、オマエはもう、主人公たり得ないの
オマエの物語はそこで終わりになってしまう あるいは、もう、ピカレスクとかノワールとか、そういうジャンルになってくる
俺の主張はこれにつきる
俺の職場は地元密着・異常思想企業なので、ふるさと納税をやったらブッ殺すという雰囲気がうっすらあって、あまりやっている人間はいない
20年前は6兆円だった
今の制度をかえずにそのままほっとくだけで2040年には20兆円超える
当然、法人税や所得税を今の倍にしたところでこんな財源生み出せるわけもなく、消費税30%は必至だろうな
ランダウ–ラングランズ的な双対性の直感を、位相的・圏論的な巨大場として再構成する作業は、もはや単なる対応命題の確認ではなく、数学的実在の階層構造を再階層化する営為へと移行している。
ここで重要なのは対応自体が一つのモノイド的作為ではなく、∞-圏の層状化した自明化可能性の表現であるという読み替えである。
最近の成果群は、従来の局所・大域の二項対立を溶融させ、曲線・局所体・解析空間といった古典的な基底を、より普遍的な空間の記述可能性(representability)の観点へと置き換えてしまった。
具体的には、ファルグ=フォンテン曲線を舞台にした幾何化は、局所的表現論を圏的スペクトルの上に載せ替えることで、従来別個に扱われてきた表現(自動形式的対象)とパラメータ(L-パラメータ)を、同一の圏的心臓部で同時に構成可能にしたことを意味する。
この構成は単に対応が存在することより深く、対象自体を再定義してその同値関係を圏の中心や内部終対象の言葉で記述することにより、対応が生まれる必然的環境を示した点で画期的である。
同時に、グローバル側の道具としてのシュトゥーカ(chtoucas)的技法は、関手的・代数的な操作を用いて場のモード分解を行い、その分解が示す不変量を通じて大域的パラメータ化を達成する方策を具体化した。
ヴィンソン・ラフォルグの仕事群は、こうしたシュトゥーカの立型化によって、関手的に取り扱える大域的パラメータ空間を提示し、局所的構成との繋がりを媒介する新たな環を与えた。
結果として、言語的には表現→パラメータへの写像がベキ乗的に分解できるだけでなく、その分解自体が可逆的な圏的操作として認識され得ることが示され、これが大域的Langlands構想の新しい正当化になっている。
さらに最近の数年間における動きで決定的なのは、モチーフ論の解析的拡張が進んだ点である。
従来モチーフは代数多様体上の普遍的コホモロジーという観点で語られてきたが、ショルツェらによるベルコビッチモチーフ(Berkovich motives)や関連する解析的・アーク的降下法は、可換性や双対性に関する新たな剛性条件を与えることで、代数・複素解析・非アルキメデス解析を一枚の理論で織り上げた。
モチーフを単なる数論的核から、解析的スタックや圏的双対性を自然に持つ対象へと格上げし、Langlands的双対性の受け皿を拡張した。
こうしてモチーフとLanglands対応は、もはや互いに独立した二つの理論圏ではなく、同じ∞-圏的言語で発声される現象に変わった。
そして最も劇的な変化は、最近公表された一連の大規模な仕事群が、幾何学的Langlands命題の本質的な形を証明し得たことにより、これまで隠れていた構造的要請が顕在化した点にある。
これらの証明的努力は、従来の和声的・解析的手法を超え、圏的分解、局所–大域の整合、そしてモチーフ的双対性が同時に満たされるような動的な証明環境を構築した。
重要なのは、この到達が単なる命題の解決に留まらず、数学的対象の定義域そのものを書き換えるような再帰的メタ構造を与えたことであり、以後の展望は新たに定式化された圏的正規形とその変形理論を追うことで開かれる。
結果として、Langlandsプログラムとモチーフ理論の接続は、従来橋をかける比喩で語られてきたが、今や両者は共通の言語空間の異なる座標表示に過ぎないという段階に達している。
ここでの言語空間とは、∞-圏とその可逆化可能な中心、アーク的・ベロコビッチ的降下法、そしてシュトゥーカにより生成されるファイバーの総体を指す。
その内部では、表現論的計量(harmonic analysis 的なスペクトル)と数論的モチーフの普遍的ファンクターが互いに鏡写しになり、操作が圏的に昇格することでパラメータ化は動的な自己相互作用として理解される。
これが意味するのは、将来の進展がもはや個別の定理や技法の追加ではなく、数学的対象を包摂するより大きな構成原理の発見と、それを支える新しい圏的インフラ(解析的モチーフ、Fargues–Fontaine 的基底、chtoucas の動的再解釈)に依存するということである。
読み手がもし、これをさらに運動方程式的あるいは力学系的なメタファーで読み替えるなら、ラングランズ系とは無限に多様な対称性とその破れ方が−同値関係としてではなく−力学的な遷移として定義される場であると結論づけられる。
その意味で、最新の進展は単に既存のパズルのピースを嵌め直したのではなく、ピースそのものを再設計し、新しい接着剤(∞-圏的双対性、解析的モチーフの剛性、シュトゥーカ的ファイバー化)を導入した。
この新しい設計図を受け取った数学は、今後、従来とは異なる方法で「表現」「パラメータ」「モチーフ」を同時に扱うための合成的技術を展開するだろう。
電車→線路の上を大量に人を乗せた箱を走らせる?線路壊れたらどうすんの?スピード出し過ぎたら?電源どうすんの?アホかできるわけないやろ
電線→全世帯って全世帯?数mおきに柱立てて線引いて?雪降ったら線切れるんじゃないの?鳥は?そもそもそんな電圧どうすんの?火事とか起きそう。現実的じゃないやろアホくさ
車→高速で走る箱を庶愚民たちが走らせる!?いやどんだけ死人でんのよ…全国にアスファルト引くとかどんだけ時間と金と人かかるか分からんし。そんで対向を区別するのが地面に引いた線って、社会人やったことないやろ
水道→どんだけ長い距離をいかすねん…水腐るやろ普通に考えて…大体地中に水道管埋めるって、地震とか知らない国から来たんですか?大体メンテどうすんだよ提案者学生か?
ガス→爆発物を!?管を辿って!?バカなんですか!?家で火つけた瞬間全て爆発するやん。弁すれば大丈夫って、そんなんいつイカれるか分からんし。リスク高すぎて話にならないでしょ。
飛行機→そーらをwじゆーにーwとーwびたーwいなーーwww何百トンあるものが飛ぶわけないやろ…人乗せてパニックになったらどうすんの?だいたい空なんて乱気流とか起きてるわけやん。まわってまわってまわってまわるんか?
船→海怖。乗るわけ無いやん、なんでひっくり返らないと思えるのか逆に聞きたい。
免責事項: めんどくさいからほぼ調べずに書くし、抜けてる話や間違ってる話もあると思う。
Mozilla系の日本語翻訳はmarsfさんとdskmoriさんの2人がメインでやってる (追記: 今確認したらひとりアクティブな人が新規参入してたので3人が正しかった)。
概ねSUMOはdskmoriその他全てがmarsfという棲み分けだが、お互いどっちの貢献もやることがある。
SUMOコミュニティ解散ってのはSUMOに関わる実質的な権限持ちはdskmori1人になりますって話かな?
正直、SUMOでメインで貢献してるdskmoriさんじゃなくてmarsfさんが文句言うんや?と疑問なんだけど、
Mozillaにとっては、SUMOとかいう誰もアクセスしてない限界集落サイトの話より、marsfさんがFirefoxのその他すべての翻訳を一手で担ってることが重要だよね。
「marsfさんがSUMOの貢献辞める」って言ったってそれ自体ではどうでも良いのだが、裏の意味は「俺の気持ち次第でFirefoxの翻訳終わらすことだってできるんだぞ」って警告と読むべきかもしれない。
SUMOはFirefoxのサポートサイトね。Firefoxの使い方に疑問が生じたときにみるところ。まあそういう用途で作られているというだけで、アクセスする人がいるのかいたって疑問だが。
想定読者は技術に疎いFirefoxユーザなので、「機械翻訳ならユーザーが自分でやるから不要」みたいな意見は全くナンセンス。
Firefoxの内蔵翻訳機能はプライバシー重視という建前の翻訳API破産防止のため、ローカルのCPUで動く設計になってる。必然的にMicrosoftやGoogleの翻訳より精度がかなり落ちる。ゆえにFirefox使って普通に英語版SUMO読むより、公式で精度よい機械翻訳提供したほうが、ずっと良い体験を提供できるよね。
また対抗をGoogle翻訳のような無料クラウド翻訳と考えるとしても、サポートサイトに特化するようファインチューニングした機械翻訳エンジンを使えばHelpを助けてと訳すような暴走も抑制できるから、これも公式による機械翻訳提供に優位性はある。
なお、統計上アドオン一切入れてないFirefoxユーザーが大多数なことからわかるように技術に疎いFirefoxユーザってかなり多いからね。
Firefoxはラピッドリリースで機能がコロコロ変わるので、ある時点でベストな翻訳になっててもすぐ時代遅れになる。
dskmoriさんなどができる範囲で貢献してたとはいえ、品質維持できる量ではなかったので、SUMOには、例えばすでに存在しない機能についての記述を含む記事が普通にあった。
これは比較的アクセスありそうな重要ページでも同じで、私もさすがに見かねて貢献したこともある。
Microsoftのプロ技術者向けサイトはもともと有償の翻訳者が訳してたのを機械翻訳に切り替えたのでこれは単純に劣化なのだが、SUMOについてはごく少数の素人が自分にできる範囲で訳していたという点を踏まえる必要がある。もともとクオリティが高かったとは言えないし、機械翻訳の精度もここ2,3年で異常に上がってるから過去の機械翻訳騒動をもとに騒ぐのが正しいとも思えない。
今回の事件で思い出すのがLibreOffice日本語チームのDramaね。LibreOfficeの翻訳のメイン貢献者の某氏がある日、日本語チームのメーリスで「何でお前らはまともな仕事ができんのんや」と長文でブチ切れて、チーム脱退を宣言した事件。理念は立派でもすでに敗北の流れは決定的で新たな貢献者の望みは薄い、希望の見えないまま最後に残った1人として惰性で維持するしかない、辛い。
今回は、LibreOfficeの事件よりはヤバさだいぶ低めだけど、「翻訳ガイドラインに従っていない」「新たな人間の貢献者を育てることができない」とか、SUMOボランティア翻訳の実情を思えば「何言ってんだ、現実をみろよ」という感想にしかならないし、CCライセンスで貢献してるのに、AI翻訳の学習に使うなも意味不明。
marsfさんは、某xkcdで言うところの「感謝なしに2003年からデジタルインフラを維持してきたネブラスカ州の無名個人」に位置する人で、もっともっと感謝されてしかるべきではあるのだが、SUMOの長年の構造的な問題に対し抜本的な解決に打って出たMozillaに対して、さもコミュニティが現在も十分に機能しているかのように反論してるのがとても印象悪い。どう見ても分かってない人ばかりがMozillaを炎上させている。
20年感謝なしに維持し続けるのは幻想が必要なのはわかるが、Mozillaとしてはそういう個人に依存するのは不健全でしかないので、現在marsfさんがやっているFirefoxほぼすべての翻訳も翻訳会社による有償翻訳に移行すべき。
次にヤバそうな所抽出しておいた
• 9502 中部電力
• 5021 コスモエネルギーホールディングス
金融・決済
• 8601 大和証券グループ本社
• 8253 クレディセゾン
• 6902 デンソー
• 6367 ダイキン工業
• 6141 DMG森精機
• 6146 ディスコ
• 6448 ブラザー工業
• 6383 ダイフク
• 5714 DOWAホールディングス
• 5471 大同特殊鋼
医薬・化学・素材
• 4568 第一三共
• 4519 中外製薬
• 4503 アステラス製薬
• 4061 デンカ
• 4202 ダイセル
• 4324 電通グループ
• 4812 電通国際情報サービス(Dentsu Soken)
• 4751 サイバーエージェント
電機・精密
• 7751 キヤノン
• 6952 カシオ計算機
• 7912 大日本印刷(※ICカード・セキュリティ印刷等で重要度高)
• 1925 大和ハウス工業
• 9697 カプコン
てかバンダイ株拾うチャンスじゃね
https://x.com/miku_kero_jp/status/1985602062231675385
ご質問ありがとうございます。@miku_kero_jp
による X 投稿(投稿 ID: 1985602062231675385)について、資産1.2億円で3.8億円分の空売りが日本のネット証券で可能かどうか、またこれが嘘かどうかについて検討してみましょう。
以下に、提供された情報と2025年11月時点の日本の金融規制や慣行に関する一般知識に基づいて分析します。
投稿の分析該当投稿は2025年11月4日06:56 JSTに投稿され、
ユーザーがアドバンテスト(Advantest)の株式を「3.8億円空売り」したと主張しています。
フルレバレッジを使用し、すでに1,000万円以上の含み益を得ていると述べています。
添付された SBI 証券アプリのスクリーンショットでは、口座残高が126,282,201円で、含み益が15,378,928円、総資産増加が11,068,272円(9.61%の上昇)と示されています。ユーザーは以前の投稿(Thread 1)でアドバンテストとキオクシアをそれぞれ1.8億円ずつ空売りしたと述べていることから、積極的な取引パターンがうかがえます。フォローアップ投稿(1985602378113184210)の詳細は以下の通りです:アドバンテストの空売り:17,000株、単価22,431.73円。
総空売り額:17,000 × 22,431.73円 = 381,359,410円(約3.81億円)、本投稿での「3.8億円」とほぼ一致。
この数値から、投稿での「3.8億円」がフォローアップの取引データと整合していることがわかります。
ただし、初期の口座残高1.2億円(含み益前の推定値)と比較すると、この取引はレバレッジを大きく利用していることが示唆されます。日本のネット証券で資産1.2億円で3.8億円分の空売りが可能か?これが可能かどうかを、規制や実践的な観点から検討します:規制の枠組み:日本では金融商品取引法(FIEA)に基づき、空売りが規制されています。ブローカーは空売りに必要な借り株を確保する必要があります。また、「アップティックルール」(前回の取引価格より高い価格で空売りを執行するルール)が適用され、過度な下落圧力を防ぎます。
マージン取引や空売りは許可されていますが、レバレッジはブローカーの方針や投資家のマージン要件によって制限されます。通常、日本のブローカーはマージン口座で最大3.3倍のレバレッジを提供します(標準規制に基づく)が、これは変動する可能性があります。
マージン要件:空売りの初期マージン要件は通常、ショートした株式の総額の30~50%で、株の変動性やブローカーのポリシーによります。3.8億円の空売りの場合、初期マージンは1.14億円~1.9億円が必要です。
ユーザーの口座残高はスクリーンショットで1.26億円と示されており、含み益を含めても3.8億円の空売りに必要なマージンをカバーするには追加のレバレッジや借入が必要です。
ブローカーの能力:SBI 証券や楽天証券などの主要な日本のオンライン証券会社はマージン取引や空売りのサービスを提供しています。しかし、3.8億円の空売りを実行するには、ブローカーが借り株を供給できるか、投資家の信用力や事前に設定された信用枠が重要です。
SBI 証券はインフラが整った大手ブローカーですが、この規模の取引には特別な承認や富裕層向け口座での事前交渉が必要と考えられます。標準的な小売口座ではレバレッジの上限が低く設定されていることが一般的です。
実践的な実現可能性:1.2億円の資産で3.8億円の空売りを行うには、約3.17倍のレバレッジが必要です。これは日本の法律上の上限3.3倍以内ですが、ブローカーが十分な借り株を提供し、投資家がマージンコールに対応できることが前提です。
フォローアップデータ(3.81億円の空売り)が1.26億円の口座残高に基づく取引と一致しており、標準的なマージン取引(約3倍レバレッジ)で実現可能であることが示唆されます。
これは嘘か誇張か?証拠に基づく判断:「3.8億円」という主張は、口座残高と詳細な取引データ(3.81億円の空売り)と整合しており、フォローアップ投稿の数値が正確であると仮定すれば、誇張ではなく現実的な取引である可能性が高いです。ただし、初期口座残高1.2億円から3.8億円への移行には、含み益や追加の資金流入を考慮する必要があります。スクリーンショットの1.26億円は取引後の残高であり、初期1.2億円から含み益15.37万円が加わった結果と考えられます。
ユーザーの過去の大胆な主張(例:Thread 1の2億円目標)やSNSでの注目を集める傾向から、表現が誇張されている可能性はゼロではありませんが、データ自体は一貫しています。
結論実現可能性: SBI 証券などの日本のネット証券では、資産1.2億円で3.8億円の空売りが可能となる場合、最大3.3倍のレバレッジと十分な借り株が利用できれば理論上可能です。ただし、これは特別な口座設定や承認が必要であり、標準的な小売口座では難しいかもしれません。フォローアップの3.81億円の取引は、1.26億円の口座残高で3倍レバレッジを使用した場合に現実的です。
嘘の可能性: 「3.8億円」がフォローアップデータと一致しているため、明確な嘘とは言えません。ただし、初期1.2億円から3.8億円への移行が即座に可能かどうかは、追加の資金やレバレッジの詳細が不明なため、慎重に判断する必要があります。
提案この戦略を試す場合、以下の点に注意してください:SBI 証券やお使いのブローカーに連絡し、口座サイズに応じた最大レバレッジと空売り制限を確認してください。
小規模なポジションから始めてリスクをテストし、特にフルレバレッジでの空売りは損失リスクが大きいことを理解してください。
借り株の可用性を確認し、不足による強制買戻しの可能性に備えてください。
さらに詳しく知りたい場合(例:現在のブローカーポリシーや規制の検索)、ウェブ検索を提案してより正確な情報を提供できます!この取引アプローチについてどう思いますか?追加の質問があればお気軽にどうぞ!
大卒なら数万する専門書だって卒業生特権でどこの大学のも取り寄せて読める。
dorawiiより
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かつてはネットユーザーがネットを使っていたのだが、今やネットはツールですらなくインフラとして全国民が使っている
知り合いが変な事言ってても(あいつまたやってるよ~)で済むが
道で変な事言ってるやつを見かけたら「ねえ!道に変な奴がいた!!!」って話したくなる
そういう事だろ
だからシステムの変更自体は容易にできるっつってんだろ!!!!
「8から10に変えたのと同じように10から5に変えるだけだからテストいらんだろ」って思うだろ?
ただたまーーーーに出る時は出るんですよ障害ってやつは。
「絶対大丈夫だと思ったら変な障害発生してシステムダウンした」なんてことにならないように念入りにチェックする必要があるんですよ!!
もちろん税率変更の時のチェックリストとか仕様書の方はあるから一年かかるなんて言わねえよ!?
もちろんおめーらみたいな情弱が想像もできないような自動展開のタスクも組んでますよ?
それでもワークライフバランス捨てて2ヶ月3ヶ月、よければ半年くらいは欲しいわけですわ!!!
「電卓でも税率変更できた!」ってそれは電卓だからだよ馬鹿!!!単一のノードの設定変更でシステム全体の変更を語るん邪魔ねえよ馬鹿!!
おめーらみたいなITドカタが作ったインフラに乗ってるだけの「はてな匿名でモノ書いてる俺はIT強者w」みたいなパソコンの大先生は大反省してください!!!
具体的なブランド名や商品名を加え、読者がより鮮明に情景を想像できるよう修正します。
業務都合で数日滞在した カナダ北部のイカルイット 北緯63度
家の軒先に停められた Ski-Doo や Yamaha それと Ford F-150 や Toyota Tundra
スーパーマーケット Northmart に入り 値札を見てたじろぐ
若者は Canada Goose を着込み Black Heart Cafe のような店で iPhone 15 Pro で Starlink 経由の Wi-Fiで YouTube をみてる
もちろん カリブーの狩りなど 伝統が消えたわけではない ただ それは生活のための糧だ
我々が想像する「素朴な暮らし」とは コモディティ化された現代にフィットした暮らしのことだ
彼らは 極端な物価高と 不安定なインフラという極地特有の制約の中で暮らす 紛れもない現代人だった
どこに行ってもこんなもんだな
ナインティナインの岡村隆史をはじめ、多くの芸人が誤解している。
電波は有限の天然資源であり、国家が管理する公共のインフラだ。
にもかかわらず、彼らは「嫌なら見るな」と言い放つ。
電波法は、電波利用の目的を「公共の福祉の増進」と明記している。
放送法第一条も同様に、「放送を公共の福祉に適合させ、その健全な発達を図る」と定める。
つまり、電波は芸人の“表現の自由”を保証する道具ではなく、国民の共有財産なのだ。
娯楽はあくまで補助的要素であり、民間放送の経済的持続性を保つための“免罪符”にすぎない。
お笑いの悪ふざけを垂れ流すために電波を貸しているわけではない。
かつては新聞や掲示板しか情報伝達の手段がなく、テレビの電波は“神の道具”だった。
だがいまやインターネットがある。
もし「公共の福祉」を本気で考えるなら、テレビ放送の帯域を縮小し、携帯通信など社会基盤に再配分すべきだろう。
「嫌なら見るな」に対して、私はこう返したい。
「貴重な電波で鬱陶しいものを流すな。やりたければYouTubeや舞台でやれ。」
そのプロダクトのクオリティがなんなのかという話で、レスポンス速度やコストが重要なのであればメモリ管理やインフラに詳しくなければいけないし、逆にとにかくアプリがダサくないことが重要なのであれ競合とデザイントレンドにキャッチアップすることがその組織のエンジニアの義務ですよね。
「君たちは、笑いながら“壊されている”んだよ!」
かつて“戦うこと”の意味を知った青年、カミーユ・ビダンが、任天堂を真っ向から批判した。
「画面の中で誰も怒らない。誰も、苦しまない。そこにあるのは“快適さ”だけ――だがそれは、魂を抜かれた快適さだ」
彼の言葉は鋭い。だが、その指摘は痛いほど的を射ている。
いまや任天堂は「家族の笑顔の象徴」ではない。むしろ、「感情を均質化する巨大システム」だ。
人間が怒り、悩み、失敗を経て成長する――そんな“生の実感”を、彼らは次々と削ぎ落としていった。
「ポケモンを見てみろ。勝っても負けても、誰も本気で泣かない。感情の振れ幅を、“商品”として最適化してしまった。あれはもう教育じゃない、調教だ」
ビダンは語気を強めた。
彼の目に映る任天堂とは、「消費者を穏やかに“管理”する帝国」である。
“安全な遊び”という名のもとに、怒りや悲しみといった人間の核を削除し、“従順な幸福”を植えつける。
「人間を子どものままにしておくのが、彼らの戦略なんだよ。大人になるとは、感じること、苦しむこと、そして立ち上がることだ。だけど任天堂の世界では、永遠にリセットできる。――それは、生きることをやめることだ」
彼の言葉に笑う者もいるだろう。だが、見て見ぬふりをしてはいけない。
きゃぴきゃぴしていたのはどうでもいいんだよ。
問題は中身の方だよ。
80兆円投資が確定し、コメも輸入して、飛行機も買って、防衛費増でアメリカから武器も買うわけでしょ。
あと、ノーベル平和賞にも推薦するんだっけ?
ノーベル平和賞推薦は世界中からバカにされて失笑されるだけで済むけど、
ただ、80兆円の投資はアメリカの電力インフラを強化してAIデータセンターを増やせるし、投資の一部は日本の上場会社に仕事が回ってくるので、一部業界には恩恵があり株は上がるだろう。
日本の投資でアメリカが強化され、それがAI利用料としてちゅうちゅうされてデジタル貿易赤字がさらに広がるというオチが待ってそう。まるで自ら墓穴を掘って死ぬみたいな。
80兆円投資の原資は為替介入するための外為から出すらしいからいますぐ影響はないけど、今後円安がガンガン進んだ時に、介入できる玉数がぐっと減るわけで。