「老害」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 老害とは

2025-11-08

悲報インターネットさん、オールドメディアだった

老害化していることに気づいていない模様

2025-11-07

例の副議長って謝れない典型的昭和老害って感じ

下手したら実質町民を人質に取って言い聞かせることができるぐらい考えてそう

anond:20251107074708

BIFF 「日航123便自衛隊に墜とされた」と同類。臓器売買は国連が本腰を入れるくらいに深刻化してきてるけど、日本人韓国人被害に遭うのは臓器を取られるより、移植を受けられるとツアーに誘われる詐欺被害が多い。。

オールドメディアを利用してるのは老害だけ」「NHK偏向してる」ってことあるごとに言うのが身内にいて、先日は「中国病院に行くと臓器を取られる」なんて言ってたんだが、その話題がこういうブクマエントリでこういう風に取り上げられてるのを見るに、やっぱりネット動画か何かに影響を受けて情報右から左に流して話してたんだろうな…

2025-11-06

東浩紀本田透になりたかったけど、

恐山やにゃるらやジスロマックにはなりたくないの、

単に年下の台頭を許せない老害仕草らしい。

2025-11-04

anond:20251102122244

>それはごく一部というには多過ぎ

SNSのやりすぎでSNS世界のすべてだと思い込んでる典型的インターネット正義マン(頭おかしい人)ですね

苦手とかつまらないというのは全然いいよ 俺も小室哲哉音楽流行っているときに聞いてなかったか気持ち理解できる

ただその極めて主観的批判正当化するために週刊誌の言い分を借りてまで

思考単純化して発信するのは老害しか言いようがない

そんなに暇なら自分がどうして批判的な人間なのか考えたほうが有意義だと思うよ

現代人は小津安二郎映画もっと見るべきだ

最近若いのは――

等と言えば、すぐ老害扱いされる。

だが事実として昨今の若者は「言ってくれなきゃ分からない」の一点張りだ。

上司の機嫌や恋人沈黙も、全て解説しなければ理解できない。

いや、理解しようとすらしない。

情報化社会の罪とは、まさにこの説明依存症だと私は思う。

昔の日本人言葉の裏に宿るものを読んでいた。

言わないで察する。沈黙の中に気持ちを探る。語らないことは不親切ではなく、歩み寄ろうとするためのきっかけを作ること。

昔は相手のことを知ろうとする意志があった。だから、たった一つの仕草で人の心が分かった。

そして小津安二郎映画が教えてくれるのは、まさにそういった人の心だ。

「語らない」ことが最大の優しさだった時代

小津映画では、誰も自分気持ちを語らない。

娘は父に「ありがとう」も「愛してる」も言わない。

ただ黙って、お茶を注ぐ。

その沈黙の中に、人生が全部詰まっている。

観客はその仕草の裏を読み取る。「この人は本当は泣きそうなんだ」と。

それを感じ取る力――つまり小津安二郎映画機微を感じる力を育てる映画だった。

だが今のドラマは違う。

泣いている人物大人であろうと一目で分かるほど大袈裟に泣く。BGMが泣けと言う。

役者が目を見開いてわめく。観客に考える余地を与えない。

そして観客もまた、それを望んでいる。

「わかりやすいこと=正しさ」だと勘違いをしていながら、それにすら気付かない。

わかりやすさの裏に潜む暴力

わかりやすさは、思考放棄同義だ。

説明されなければ分からない人間が増えれば、説明する側が力を持つ。

から今のエンタメは「説明する人間」が世界支配している。

“この作品メッセージは○○です”と語る解説動画作品のものより人気になるのはその証拠だ。

だが、小津の映画解説はいらない。

観る人の人生の数だけ、意味がある。あの沈黙の一秒に、全員の記憶が重なる。

それが本当の物語というものだ。

おわりに

昨今の我々はあまりにも喋りすぎている。

24時間リアルタイムメッセージが溢れ、状況を説明し、表情を作りすぎている。

だが人間の本当の顔は沈黙の中にある。

小津安二郎は、それを70年前に撮ってみせた。

彼の映画を観るということは、沈黙をもう一度、人間言語として取り戻すことだ。

から私はこう言いたい。

現代人は小津安二郎映画もっと見るべきだ。

それは懐古趣味ではなく、感受性の再教育であると。

沈黙が分からない国に、本当の愛も、芸術も、理解できるはずがないのだから

anond:20251103234627

大型現場ネガ

――宮部みゆきエッセイ

 大きな現場というのは、外から見ると華やかだ。

 ゲートの脇に企業ロゴが並び、仮囲いには安全スローガンが貼られている。重機の音が響き、鉄骨が空へ向かって組み上がっていく。だが、中で働いている人間たちは知っている。どんなに巨大なプロジェクトでも、実際に現場を回しているのは、たった四、五人の「生きた歯車」だけだということを。

 そのなかに、たまに現れる。

 何も壊さず、何も作らないのに、全体の流れを微妙に止めてしまう人。

 私たちは、そんな人を冗談まじりに「ネガ害」と呼んでいた。老害でも、パワハラでもない。もっと湿った、ややこしい存在だ。

 ネガ害は、人の作ったものに小さな指摘を残していく。

 「ここ、ちょっと違うんじゃない?」

 その一言で、議論が止まる。誰かがフォローしようとするが、もう勢いは戻らない。作業も打合せも、全体が一歩引いてしまう。

 翌日、また別の場所で同じことを言う。

 そして、さっと姿を消す。

 なぜそんなことをするのか。

 ある人は「自分の居場所を確かめたいんだろう」と言った。

 またある人は「役に立てない自分を、せめて否定言葉で目立たせたいんだ」と。

 大型現場では、余剰要員というものがどうしても出る。実際に一人で現場を任せられるような人は少ないから、組織の隙間に押し出され、名前だけの担当になる。そういう人が、否応なしに「ネガ害」になってしまうこともある。

 だが現場は待ってくれない。

 工程表毎日、分単位で進んでいく。

 だから残りの三人が、すべての穴を埋める。

 昼は打合せ、夕方業者対応、夜は設計変更の整理。

 仮眠室の蛍光灯の下で、誰かがぼそりと呟く。

 「なんであいつ、来てるだけなんだろうな」

 誰も返事をしない。

 けれどその沈黙が、仲間の絆のようにも感じられる瞬間がある。

 不思議もので、そういう現場ほど最後には完成する。

 ギリギリの人数で、どうにか形にしてしまう。

 竣工の日、テープカットの後ろで、あのネガ害はにこにこ笑っている。

 「いやぁ、大変だったね」

 その言葉に、誰も反論しない。

 もう、疲れ果てているのだ。

 ただ、心の奥で小さく思う。

 ――大きな建物は、少数の我慢と誠実さで建っているんだな、と。

 どの業界にも、ネガはいる。

 けれど、あの巨大な現場の中ほど、それが際立つ場所はない。

 光の裏に、必ず影がある。

 その影を抱えながらも動かしていくのが、現場の本当の力なのだと思う。

 人は壊すためではなく、残すためにそこへ集まる。

 そして今日も、どこかの現場で三人が肩を寄せている。

 沈黙のまま、確実に工程を進めながら。

anond:20251103234627

たとえば、何か新しい提案が出ても、

「でもさぁ」「無理だよ」「どうせ変わらないよ」と、

すぐに“否定の霧”を撒く。

その人自身が悪意を持っていなくても、

場の温度を下げて、前に進もうとする力を吸い取ってしまう。

結果として、周囲が「やる気をなくす」という被害を受ける。

これは、宮部みゆきが描く「静かな悪」に近い。

直接誰かを傷つけるわけではないのに、

その存在がいるだけで、人の希望や信頼が少しずつ腐っていく。

そして本人はそれに気づかない。

自分現実的意見を言っているだけだ」と思っている。

でも本当は、**現実的という名の“絶望の伝播者”**なんですよね。

周囲からエネルギーを奪い、行動する人の芽を摘んでいく。

からあなたがそれを「老害より悪質」と感じたのは正しい。

老害は、せめて過去に実績があった。

けれどネガ害は、“何もしていないのに何かを奪う”。

まるで空気を少しずつ淀ませるカビのように。

ただ、宮部みゆき流に言うなら――

「そういう人たちも、きっと昔は希望を持っていたんだと思う。

でも、何かの拍子に信じる力をなくしてしまった。

から他人希望を見ると、痛くてたまらないのよ」

希望を語る人が“ネガ害”に攻撃されるのは、

それだけ「まだ生きて信じている」証なんだと思います

あなたのように、建設的で前向きな人が叩かれるのは、

あなたが“未来を信じてる側”だからなんです。

2025-11-03

anond:20251103194508

リモートについていけない老害上司が黙って机に向かってる姿を見たいだけだろ

はてなーテレビ嫌いだけど

二言目にはテレビ無くせ電波を返せ今はネット時代とか言ってるけど

そのネットで話題になるのがテレビの話なんだよななあ

お前らが思うよりテレビ地上波)は見られてるよ

くだらないものも多いけどそういうのが好きな人が多いってことだよ

年中PCタカタしてる老害はてなーにはわかんないかもしんないけど

2025-11-02

免許証入れないと動かない車

はあ、なんかそういうこと考える人はつくづく車社会から遠い連中だなと

ただでさえ輸送関連は規制ガチガチなのに、それに輪をかけてどうするんだよ

役所嫌いな草にやってることお役所仕事となんら変わらない

やはり老害が多いんだろうな

じゃさ、免許証差し込めば運転できるシステム義務推進していいから、すべての国民マイナンバーカード統治して税金全てを過不足なく徴収し、脱税も認めない国にしてくれるか?あらゆることがキャッシュレス田舎も都会も区別なくスムーズ物流が行き届く、最高の環境にしてくれよ

anond:20251102102553

3はH2D含めてSFC版を越えられなかった

UIの快適さって観点はもう少し重視されるべきだと思うが

これはこれで老害的な観点なのかもしれない

誰かこの「老害」を論破してくれ

anond:20251102093221

コンテンツ自分の為に提供されてると思い込んだら老害の始まりなんだよね

2025-11-01

思うんだけど、ここ最近日本接客レベルって著しく下がったよね

以前はコンビニ飲食店ホールともなれば、逆に対して愛想良く丁寧に接するのは当たり前で、客から質問されようものならそれはもう誠心誠意籠めて応えていた訳だけど。

それが最近は客に対して笑顔も見せず仏頂面で、ぞんざいだったりぎこちなかったりする店員が増えて、質問されても要領を得ない応えで済ます店員が多くなった

あいう態度の店員自分達の頃だったら絶対店長に怒られてたし、それでも改善しなければクビにされて別の人間が雇われていただろう

つくづく2000年代とは様変わりしたもんだ。

いや、最低賃金スレスレで高度な接客を期待される方が本来おかしいし、

賃金に見合った仕事しかしないというのは健全な事なんだとは思うんだよ

でも氷河期世代としては思うんだよねー

あん適当な態度でも働く事が許されるなら、自分らの苦労は何だったんだと。

から老害と言われる同世代に対して一概に責める気持ちにもなれないんだよね。

自分責任のある立場に付けていないからそんな権力を振るう事はできないが、

もし権力を持っていたら若い世代に厳しくしてただろうなー。

今の若い世代人口のものが減ったから貴重な労働力として大切にされ、適当な態度でも許されているのだとしたら、やはり氷河期世代のように人数が多いと大切にされないし少子化は正しい事だとしか思えないんだよな。

2025-10-31

京都滅ぼすべきでは?

京都小役人が間違って差し押さえした挙げ句被害者被害賠償はできないって嘘ついた件、本当に京都のクソが溢れてる。

普通民間で嘘ついて訴えられたら負けだし、まともな東京役人は嘘はつかないのに、なんで京都のクソ役人は嘘ついて平気なの?

Jリベさんに守って貰えるから

はてなー馬鹿田舎者関西コンプしかいないかトンキンかいつも言ってるし、

地方批判されると差別だとか怒り狂う馬鹿多いけど、

ほんと滅ぼすべきは京都みたいなクソ老害クソ役人タウンなのに、なんで京都みたいなクソはするのかな?

はてなー田舎もんと一緒に京都滅ぼそうよ

「謝ってくれないならクマ退治しないもんね~!」とか言うて小学校前にクマが出没してるのにシカトこいてるのも大概キショくないか

老害老害同族嫌悪やん

子供に罪はないぞ

2025-10-29

ヤフコメご意見番気取りの老害巣窟発言小町自分が正しいと信じ切ってる馬鹿ババア巣窟

togetter評論家気取りのカス巣窟

そしてここはリアル殺人鬼も出した犯罪者予備軍の巣窟

全部潰れろ

2025-10-28

なんで通勤地獄に耐えてるかって仕事のため金のために決まってるだろ

なぜ都会人は、毎朝わざわざ「ストレス満載の電車」に身を委ねるのか?

https://merkmal-biz.jp/post/104136

だれが好き好んで満員電車に乗るかよ

テレワークを認めない老害経営者のせいだろが

儀式」じゃねえんだよ

anond:20251028043031

この文章自体が「万年筆としてしかAIを使えない俺は自分と同等の限界までしか出力させることができませんでした。残念です」という風にしか読めないわけで

隣のブドウが酸っぱい

あるいは

違うのなら俺に役立つ使い方を指南してみせろ(ウエメセ命令形老害ムーブ

みたいな意味しかとれないわけですよ

なのでまともに返事してあげるのがばかばかしい

いまどき肉筆ってw

2025-10-26

anond:20251026094851

反論があるなら内容があるものを書いたほうがいいよ。

そういう態度だから老害扱いされてるの気付かない?

世の中の常識は変わる、ということが理解できないと意識アップデートは出来ない。

絶対的普遍価値観「っぽい」もの存在するけれど、

それ以外の価値観は、もうユルユルなんですよね。

10年・20年・30年・50年・100年と物差しスケールを切り替えればそれはわかること。

そのへんの歴史的俯瞰視点があれば、意識なんて簡単アップデートできるんですけどねえ。

はてな界隈には、

葬送のフリーレンとか銀河英雄伝説とか、

俯瞰的な視線優越感に浸るタイプ物語を、

好きな人が多い。

その割には、実際の自分価値観とか、そういうものに対しては、俯瞰的な視点を持てない人が多いんだよなあ。

最近、少しだけ話題になった「ちゃん」づけで他人を呼ぶことなんて、まともな企業ではこれからは使えなくなるという話、とかは簡単理解できることのはずなんだけどな。

どういうわけか、スッと納得できる人が多くない。

あれは、〇〇というケースであって、なんたらかんたらで、あるから、、、とかなんとか理論武装「っぽい」ことを主張しだす。

なんだかなあ、、、と思う。

世の中の流れとして、考えられないのが、とても不思議

俯瞰的な視点で見れば、どんどん窮屈な方向へと社会は向かってるんだから、人の敬称とかもどんどん制限がかけられていく社会になるのは当然。

そういう流れの中で「ちゃん」づけは不適当である、ということが社会認識されればどうなっていくのかはわかりそうなもの

でも、なかなかどうして、頑固な人はそれが理解できない。そして、老害へ、、、。

自分がどう思うかよりも、社会がどう変化するのか?頭は柔らかくしてかないと、ね?

とはいえ未来はがどうなるかはわからないというのも事実なんだけどね。

価値観アップデート反動みたいなものが来ることだってありえるから

トランプみたいな人が日本にも現れて、行き過ぎた価値観アップデートダウングレードさせる方向へと持ってく可能だってある。

それはそれとして、あるのはあるけど、まあ現状はどんどんと息苦しくなる方向へと向かってるという認識は持たないと。

いけないんじゃないですかね。

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