はてなキーワード: 医学会とは
病気じゃなくて病名の話。
私の学生時代の記憶では、「糖尿病」と言う漢字の病名の起源は、明治期日本でドイツ語「Zuckerharnruhr」を翻訳してできた、と言うもの。医療系の人はわかるように、Zuckerツッカー=糖、harnハルン=尿。ruhrは基本は赤痢という意味で、ここでは「流れ出る」的な意味だとか(今調べた)。明治期日本の医学教育が、原則としてドイツ医学を模範として構成されたことは、いうまでもない事実だと思う。つい最近まで医療の現場では、ツッカー、ハルンに限らず、バッサー、エッセン、kot、ステルベンなどとよく使っていた。体温をKTと書いたり。「カルテ」は今でもカルテだし。ちなみに「メス」はオランダ語。
つまり、「糖尿病」が、ギリシャ語由来の英名「Diabetes mellitus」の直訳っぽくない理由は、ドイツ語からの翻訳だったから、というわけである。納得のいく説明だ。
日本糖尿病学会などを中心に、この古き由来のある病名を変更しようという動きがあった。「ダイアベティス」にしようとのこと。国際病名に合わせようとのことだ。
そういえば、「統合失調症」に完全に呼称変更に成功した旧「精神分裂病」だって、ドイツ語schizophreniaの翻訳だ。schizoが「分裂する」、pheniaが「精神」だとのこと。ドイツ語なんてもういらん、ってとこがあるのかな。とは言えこちらは国際病名がschizophreniaなんだけど。
実際のところ、現代ではドイツでもzuckerharnruhrなんて言わず、diabetes mellitusの方が普通に使うらしい。
https://diab.cma.org.cn/cn/index.aspx
「ダイアベティス」に呼称変更すると、中国とは同じ病名で会話(筆談)できなくなる。まあどうせ国際会議は英語だからいいのかもしれん。
昔は中国では同じ病気を、消耗性口渇を表す「消渇」と言っていたらしい。20世紀から中国の医学文献でこの病名「糖尿病」になったようだから、おそらく孫文などが活躍していた頃、日本留学組が本国に持ち込んだのだろう、と推察する(根拠はない)。
で、ここから本題。問題は、英語版Wikipedia(https://en.wikipedia.org/wiki/History_of_diabetes)には、「糖尿病という言葉はインドのmadhumeha (蜂蜜尿)という言葉を翻訳したもので、今は韓国や日本もこの言葉を借用している」って感じで書いてある。
The more modern term, táng niǎo bìng (糖尿病), means "sugar urine disease", and is equivalent to diabetes mellitus.[13] It has been suggested that the modern term is derived from exchanges with Ayurvedic practitioners who called the condition madhumeha ("honey urine").[14] Within the Sinosphere (regions of East and Southeast Asia historically influenced by the linguistic and literary traditions of the Chinese empire),[a] this etymology has also been borrowed into Korean (tang nyo byeong [당뇨병]) and Japanese (tou nyou byou [とうにょうびょう]).[9][14]
さらにさらに、その根拠となる引用文献14は、韓国語のwebsite(http://www.docdocdoc.co.kr/news/articleView.html?idxno=132745)である。
‘단 오줌(sweet urine)’을 뜻하는 인도말인 ‘맏후메하(Madhumeha)’는 중국, 우리나라, 일본의 의학에 그대로 영향을 미쳐 지금도 糖尿病이라 쓰고 잇다. 하지만 중국어로는 [tang niao bing], 우리말로는 [당뇨병], 일본말로는 とうにょうびょう[tounyoubyou ]라고 쓰고, 발음한다.
「甘い尿(sweet urine)」を意味するインド語の「マドゥメハ(Madhumeha)」は中国、韓国、日本の医学にそのまま影響を与え、今も糖尿病と書いている。しかし中国語では[tang niao bing]、韓国語では[당뇨병]、日本語ではとうにょうびょう[tounyoubyou]と書き、発音する。
どういう根拠で書いてるんだ
婦人科医は病名は言わなかったんだ?
ただ硬いだけなら特に病名ないのかな?
しかたないんだろうけど
そこはかとなく土人みを感じると思ったら35年前か
医療関係者によると、「カリフォルニアから来た娘」は高齢患者の生活やケアから遠ざかっていたため、患者の悪化の程度にしばしば驚かされ、医学的に可能なことについて非現実的な期待を持ってしまうことにある。 また不在であったことに罪悪感を感じ、再び介護者としての役割を果たそうとする心理もある[2]。
2015年に出版された『ザ・カンバセーション』(原題:The Conversation)では、アメリカの医師アンジェロ・ヴォランデスは、これを「罪悪感と否定」であり、「必ずしも患者にとって最善であるとは限らない」としている[3]。
この言葉は、1991年に米国老年医学会誌に発表されたウィリアム・モ−ロイ博士と同僚たち老年医学者の集団による「無能な高齢者の意思決定:『カリフォルニアの娘』症候群」と題する症例報告で、初めて注目された。ウィリアム・モ−ロイ博士と同僚たちは、精神的無能力(意思疎通困難状態)な患者の気難しい家族に、医療スタッフがどのように対処するかの方策をこの論文内で提示した[4]。
新型コロナ禍におけるこの薬は、科学・メディア・政治・世論・陰謀論・希望的観測が複雑に絡み合った「20世紀的パラダイムの崩壊」と「21世紀的情報戦の象徴」でした。
一言でいえば、それは**「パンデミックにおける“知のカオス”」を凝縮した鏡**です。
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「イベルメクチンが試験管内でSARS-CoV-2の増殖を99%阻害する」との**in vitro研究(試験管内の細胞実験)**が発表。
→ この結果が瞬く間に拡散され、「特効薬が見つかった」と期待が爆発。
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| 期待 | 現実 |
| 安全・安価な既存薬でコロナを治せる! | 有効な血中濃度に達するには人間にとって危険な高用量が必要 |
| ノーベル賞受賞者の薬だ、効かないはずがない | 動物実験や観察研究での相関関係は、因果関係を保証しない |
| 治験の中には「効果あり」と言っているものもある! | 多くの研究は質が低く、バイアスや偽造も存在(後述) |
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「高価な新薬(レムデシビル、モルヌピラビル)ばかり推されるのは製薬利権のせいだ。イベルメクチンは安すぎて儲からないから無視されている」
SNS・YouTubeでは「医者が真実を暴露」「WHOは嘘をついている」などのヒーロー物語の構造が流行。
→ 「正義の薬 vs 権力に支配された医学」という二項対立型の陰謀言説に。
• 結果、「効果がある」と断言する医師(多くは動画やSNSで活動)にすがる構図に。
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→ 米国の一部医師グループ。「政府は効果を隠している」と主張。
→ 例:長尾和宏医師、尾身茂氏への疑義、厚労省への嘆願書など。
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→ 中等症コロナ患者に対するイベルメクチンの効果はプラセボと有意差なし
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それは、「希望」「怒り」「不信」「過去の栄光」「ポスト真実」「情報戦争」が交錯する“社会的現象”である。
社会的には「人々の不安と信念がいかに現実を形作るか」を見せつけた象徴である。
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| 心理 | 内容 |
| 支配されている感覚への抵抗 | 「ワクチンを打て」「新薬を買え」という指示に反発したい |
| 知識エリートに対する嫌悪 | 医学会、大学、メディア=上級国民への疑い |
| 人間の“簡単な答え”への渇望 | 「安価な既存薬で治る」は分かりやすく希望に満ちている |
| 成功体験の再利用 | イベルメクチンは過去に人類を救った薬 → だから今回も、という神話 |
https://x.com/asoutoru/status/1871452287874555971
様々な方々から、大学の先生を含め、黒田医師を解雇するように助言がございました。
確かに不適切な投稿はございましたが、黒田医師は東京美容外科の方針に従って、より患者さんに対して安全な治療を学ぶためにグアム解剖に参加されました。
昨今の美容外科では、顎下脂肪吸引など、死亡事故が頻発し、私共も解剖の必要性を痛感し、このような機会を設けました。
黒田先生は、学生時代のホルマリン固定標本とは異なる、精度の高いfresh cadaverを初めて目にした感動をなんとか伝えようと、あのような投稿になってしまいました。ピースサインをして撮っていた事は当然不適切であると考えます。
もちろん一般の方々とはかけ離れた行動で、日本では、常軌を逸しているとお思いの方が大多数であることは良くわかります。
一般の方々からのご批判は、当然受け止め、反省は致しますが、同業医師でありながら不勉強でfresh cadaverという言葉すら知らない医師に批判されたまま、炎上でトカゲの尻尾切りのように解雇する事はできないと判断しました。
もし自分が手術を受けるなら、医師になってからも更に研鑽を詰み、解剖を熟知した医師に施術して貰いたいと考えます。
現に私は自分のフェイスリフトは私が何度か開催した解剖セミナーで講師をしてくださった解剖を熟知したドクターにお任せしました。
このような不祥事で我々が患者様から選ばれる事は、もうないかもしれませんが、解剖セミナーを実施した事やこれから勉強しようとしている先生達を守る事がより良い未来に繋がると考えています。
この騒動で我々のクリニックを去る専門医の先生もいらっしゃいますし、それは考え方の違いであるし、仕方の無い事だと理解しています。
あの投稿のせいで献体を躊躇ったりやめる人がいるとのご指摘ですが、お金儲けの美容医療のために献体はしたくないという人達が大多数であるという事もわかります。
今回の事で、国内の施設で我々が、解剖する事は今後絶望的となってしまいましたし、
ですが、死者への尊厳ももちろん大切ですが、今生きている人の命や安全も大切なんじゃないでしょうか?それが解剖セミナーの趣旨ですし、どんな言い訳や神妙な態度をとったところでご遺体を損壊する事実に変わりありません。
故人に感謝しながらも、その知見を今後の患者さんに活かしたいと思います。
海外のfresh cadaverのセミナーでは割とフランクに記念撮影もしますし、セミナーの様子もネット上に出てきます。
日本と海外のルールの違いはあるかと思いますが、日本の医療の進歩を妨げているのはどちらの方なのか今一度考えて頂きたく思います。
が謝罪文を書いた。
これにたいし、AIが死者への敬意がないとか正当化に終始してるといってるけど、AIはいまいち踏み込みが足りないなあ…
一言でいうとな。
死者は我々の国では王様だ。
王様に対し敬意を払わないことは死罪に値する。
そして、死罪に当たる行為をしたのにその行いが正しいことだということは馬車引きの刑に当たる。
ただ、この死者に敬わなくてもいいラベルがついたら話は別だ。
パラリンピック競技の一つであるボッチャ。他の競技と異なり、脳性まひという特定の疾患を有する人が参加する。
脳性まひの詳細な症状は各自調べてもらいたいが、脳性まひの主たる原因はなんだと思うだろうか。
「胎児期または乳幼児期の医療ミス」と、「乳幼児の虐待」の2つである。
厚労省や医療コミュニティによる調査では直接的な原因しか調べられていないが、真因を調べるとだいたいこの2つである。
「脳性麻痺リハビリテーションガイドライン」というものに、「脳性麻痺の真の理由は追求してはならない」というとんでもない一文がある。
真因を追求されて困る人がたくさんいる証拠だ。
また、東京パラリンピックでは、他の競技に対しては医学会がスルーしたのに、ボッチャだけ名指しで中止勧告をしていた。
医療側の人達にとって、脳性麻痺にスポットライトが当たるのは困るし、そのきっかけとなるボッチャにスポットライトが当たられるのも困るということだ。
それを頭の片隅に置きながらボッチャを見てみると、また違った側面が見えてくる。ボッチャは、医療職についている人達の踏み絵なのだ。
https://x.com/tarafuku10/status/1828207094962573666
性同一性障害の症例は過去10年間で5000%増加した。現在の治療法は「医学史上最大の倫理的スキャンダル」になるかもしれないとあるフランスの報告書は指摘する。
ローザに初めてボーイフレンドができたとき、彼女は利発で幸せな14歳だった。「一生の愛を見つけた」と彼女は周りに言って回った。彼が突然別れを告げるまでは。ローザは打ちのめされた。Covidのロックダウンが事態を悪化させた。一日中、部屋に籠ってスマートフォンの画面を見つめるようになった。
ロックダウンが長引くにつれ、ローザは不機嫌で怒りっぽくなり、さらに引き籠りがちになった。 タンクトップはオーバーサイズのパーカーに変わり、ショートパンツはだぶだぶのスウェットパンツに変わった。ある日、ローザは髪を丸刈りにした。自分は少年なのだと宣言し、男性ホルモン剤を要求した。
私が医学生だったころ、現在は性同一性障害と呼ばれるようになったローザのような症状は非常にまれだったので、人生でこのような症例に実際に出会うことになるとは思いもしなかった。しかし、この10年間で、性同一性障害の症例は5000%増加した。何が変わったのか?
ローザはなぜ自分が間違った体に生まれたと信じているのか? なぜ薬と手術がなければ幸せになれないと信じているのか? 米国小児科学会や米国児童青年精神医学会など多くの医師会が、なぜローザの妄想を正常だと主張するのか? 彼らはなぜ不妊のリスクをおかして健康な体を傷つける治療を推奨するのか?
これに答える前に、まず何が変わっていないかについて話そう。性別は受胎時に決まる。性別は永続する。ローザの体を変えることはできるが、少年にはけっしてなれない。けっしてだ。しかし、私の職業は、男性と女性という概念そのものを断固として消し去ろうとする政治的十字軍に乗っ取られてしまった。
医師会は、以下のようなジェンダー狂信者の急進的な理論の代弁者となった。「個人のリアリティを構築するのはその個人自身である。ローザが少年だと感じれば、彼女は少年である」「性同一性障害を解決するのはホルモン治療と外科手術のみである。ローザが髭を伸ばし、乳房を切除したいなら、それは彼女の基本的権利である」
ジェンダー肯定ケアの支持者は、このアプローチはエビデンスに基づいていると主張する。しかし、その根拠はよく言ってもぜい弱だ。それは、オランダで30年前に行われた小規模な研究に基づいている。その研究の被験者はたった55人だった。
被験者になるための主要な要件は、小さい頃から深刻な性別の違和感に悩んでいることだった。被験者には思春期ブロッカー(二次性徴抑制剤)と性ホルモンが投与され、手術が行われることもあった。18か月後、被験者の一部にいくばくかの改善が報告された。この研究にはt対照群は存在せず、再現もされなかった。他にもさまざまな理由があって、この研究には重大な不備が存在し、信頼できないものと見なされている。この「ダッチ・プロトコル」は、自分の性別に苦痛を感じるすべての個人を助けるための基礎となることを意図したものではけっしてなかったのだ。
しかし、現実にはそうなってしまった。この欠陥のある小規模な研究が、世界のジェンダー医療の基礎となってしまった。これは、多くの人の暮らしを破壊した医療のスキャンダルであり、人間が引き起こした大惨事である。若い人々だけでなく、彼らを愛する人々の暮らしも台無しにした。
ローザのような傷つきやすい子供を守るべき私の同業者たちが、この残虐行為に加担したのだ。ある者は処方箋を書き、ある者は外科用メスを使った。しかし、多くの者がこの邪悪を目の当たりにしながらだんまりを決め込んだのだ。
しかし、最近のことだが、イギリスの国営医療サービス事業である国民保健サービスが、ジェンダー肯定ケアに関してこれまでに例のないほど包括的なレビューを行うことに決めた。
レビューを任されたイギリスの王立小児科大学の元総長であるヒラリー・キャス医師は、イングランドのタヴィストック・ジェンダー・クリニックのデータを分析した。タヴィストックは2004年に閉鎖されるまで世界最大のジェンダー・クリニックだった。
彼女の報告書は、同クリニックの医療行為を厳しく批判している。性別に苦しむ若者が医療的な介入により恩恵を得るエビデンスはないということを彼女は示した。子供たちが必要としているのはカウンセリングであるとキャス医師は結論付けた。
イギリス、ノルウェー、フィンランド、スウェーデン、デンマークでは、100%健康な体を持つティーンエイジャーへの治療を基本的にストップし、彼らの心に焦点を合わせることにした。
オランダ、フランス、ベルギーも後を追っている。2024年3月、フランスのある報告書は、未成年者の性別の再割り当ては「医学史上最大の倫理的スキャンダルの1つ」になりうると指摘している。
私は医師として、同業者たちの責任を問う。自分で調べてほしい。あなたたちは反対意見を聞こうともしないではないか。キャス・レビューを読んでほしい。あなたたちの属する医学会は道に迷ってしまっている。これが思いやりの話でも権利の話でもないことを理解しよう。これは残虐行為の話なのだ。
これまで手伝わなかった親族が、高齢者の介護方針に口を出す状況を表す言葉。
これまで疎遠だった親族が、
近辺の親族と医療関係者の間で時間をかけて培われた合意に反して、
医療チームに患者の延命のための積極的な手段を追求するよう主張したりする状況を表す言葉である。
しばしば怒りっぽく、自己評価が高く、明晰と自認し、情報通を自称する[1]。
安らかな終末を阻害するとされる。
医療関係者によると、「カリフォルニアから来た娘」は高齢患者の生活やケアから遠ざかっていたため、患者の悪化の程度にしばしば驚かされ、医学的に可能なことについて非現実的な期待を持ってしまうことにある。 また不在であったことに罪悪感を感じ、再び介護者としての役割を果たそうとする心理もある[2]。
2015年に出版された『ザ・カンバセーション』(原題:The Conversation)では、アメリカの医師アンジェロ・ヴォランデスは、これを「罪悪感と否定」であり、「必ずしも患者にとって最善であるとは限らない」としている[3]。
この言葉は、1991年に米国老年医学会誌に発表された、ウィリアム・モ−ロイ博士と同僚たち老年医学者の集団によって「無能な高齢者の意思決定:『カリフォルニアの娘』症候群」と題する症例報告で、初めて注目された。ウィリアム・モ−ロイ博士と同僚たちは、精神的無能力(意思疎通困難状態)な患者の気難しい家族に、医療スタッフがどのように対処するかの方策をこの論文内で提示した[4]。
医療スタッフは、患者の意思決定に関する情報を家族に提供することが重要である。
家族と医療スタッフは、患者の意思決定に関する合意を形成するために協力する必要がある。
家族は、患者の意思決定を尊重し、患者が自分自身のケアに関する決定を下すことを支援する必要がある。
いずれも遠方で介護に参加しなかった親族が来訪し、介護や終末の計画を感情的に変更しようとする表現となっている。
当のカリフォルニアでは「ニューヨークから来た娘」又は「シカゴから来た娘」と呼ばれている[5]。
カリフォルニアから来た娘症候群はカナダでは、「オンタリオから来た娘」と呼ばれる[4]。
日本の医療や介護現場では「ぽっと出症候群」という言葉が知られている[6][7]。健康保険組合連合会「離れて暮らす親のケア vol.42」におけるNPO法人パオッコの資料では「遠くに暮らす子どもは、年に1、2度突然やってきて、治療法がどうだとか、こうだとか言うんだよね。普段の状況を何も理解しないまま」という医師談が紹介されている[6]。
台湾では「The Daughter From California Syndrome」が紹介された際、特定地名の意味合いを消して「天邊孝子症候群」(空の向こうの孝行息子症候群)として組み込まれた。
https://note.com/ideal_hyssop8446/n/n1d1d3640ab8a ”「化学物質過敏症」の伝え方 自治体掲載の「厚労省研究班のパンフレット」は厚労省の見解とは全然違う ”
で、厚生省研究班のパンフレットの内容を厚労省が承知していないということなので調べてみた。
パンフレットに厚生省、あるいは厚生労働省のロゴが乗ってない。そして出版社は新企画出版というところらしい。
http://www.cssc.jp/cs_shiryo_p.pdf
出版社が書かれているのに、厚生省のロゴがないのはお役所仕事としては違和感がある。
会社違いの可能性があるけど検索でヒットしたところは国の仕事を請け負うようなところには見えない。(天下りの可能性は知らない)
経歴については「北里大学医学部長」「厚生省長期慢性疾患総合研究事業アレルギー総合研究班」には偽りがないと思う。
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002682452
過去形なのはもう鬼籍に入られているからです。北里大学のお知らせにもありました。
http://jsce-ac.umin.jp/200725/files_jjce/31-1/jjce31-1_04.pdf
https://www.env.go.jp/chemi/anzen/mcs/mcs.html
https://www.env.go.jp/chemi/report/h17-06/03.pdf
https://www.env.go.jp/content/900406393.pdf
現時点では
「環境中の微量な化学物質のばく露によって多様な症状の誘発や増悪を訴える本態性多種
化学物質過敏状態(以下、「いわゆる化学物質過敏症」と言う。)については、実際に健康影
響を訴える集団が存在しているにもかかわらず、病態や発症メカニズム等未解明な部分も
多く、その科学的知見を基盤とした実態はよく分かっていない。」
ということらしいです。
北里大学の坂部貢という方は、石川哲氏が立ち上げた日本臨床環境医学会の現会長であります。
http://jsce-ac.umin.jp/200725/jsce04.html
終わりに
赤い靴を履いて~作家 有吉佐和子の問いかけ~ - ETV特集 - NHK
https://www.nhk.jp/p/etv21c/ts/M2ZWLQ6RQP/episode/te/R3X3G7V24G/
認知症介護の実態を描く1972年出版の小説『恍惚の人』に対する社会の反響を示すナレーションで、
みたいに言ってたが、おかしいだろ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%8D%E7%9F%A5%E7%97%87#%E5%90%8D%E7%A7%B0%E5%A4%89%E6%9B%B4
“日本老年医学会において、2004年3月に柴山漠人が「『痴呆』という言葉が差別的である」と問題提起したのを受け~2004年12月24日付で、法令用語を変更すべきだとの報告書(「痴呆」に替わる用語に関する検討会報告書)がまとめられ~「認知症」を使用する旨の協力依頼の通知を出した”
「ボケ老人」や「痴呆」は今じゃ放送コードに引っ掛かって使えないの?
だったら言い回しを工夫しないと。
医療はチームとシステムで対応しているので末端の医師の質って多くの場合問題にならないんだよ。
医学会などで十分に研究されて決められた集合知「標準治療」というものがあって、それが治療の本質。
医師が臨床を行う時には、医師の五感や質問、検査結果などを確認した上で、標準治療から当てはめて適切な処置を選択するのが仕事。
実際に患者を診ている時間は僅かだが、その背後にはあらかじめ研究されて設定された標準医療が存在するという事をお忘れ無く。
もちろん、患者のことを知っているのは医師以上に本人や家族だから、その情報が正しく医師に伝わって無くて、あやまった選択をしていることもありうる。そこには医師個人の能力もあるだろう。
しかし、あなたはワクチン接種をそこに混ぜているように、システムとしての医療とそこを混同して話をしている。
超のつく大天才であっても、集合知に勝つことはできないよ。何故なら時間は平等だから。
その上で自分の方が正しいんだと行ってしまうのは、無知の知ができてない。端的に言うと愚か者。
近親婚が認められにくい理由をざっくり言うと、理論的な要因と、社会的な要因があると思う。
理論的な要因としては
1.家族内で発生する恋愛及び性的な関係は、他の場所で発生するものより力関係が持ち込まれやすいと同時に社会的に閉ざされやすく、また現在でも防ぎ切れていない未成年者への搾取を助長する可能性がある(そしてこの危惧は、エビデンスを持って否定あるいは証明し難しいが、そのための研究自体がしっかりできていない)
2.既に法的な家族であるため、婚姻という法的保護の必要性が低い
というものがある。
同時に、社会的な要因もある。
残念ながら社会制度は、変革に十分な力を持った運動が繰り広げられないと変化しない。
理論だけで社会が変革されないことは、同性婚の事例自体が示している。
理論だけで言うなら、WHOが同性愛は精神異常ではないとはっきり認めた1992年か、日本精神神経医学会がそれを追認した1995年に、同性婚を禁止する合理的根拠はなくなっていたが、今日現在でも同性婚は禁じられたままだ。
つまり、社会(特に法律を決める立場の人間)に承認させる力が足りないのだ。
だから
という点で近親婚は圧倒的に力不足で、他にも山ほどある未解決の理不尽が優先されているのが現状だろう。
要するに「もっと解決の必要性が高くて解決に近いものが沢山あるから、そっちからやっていかないと社会のキャパ的に無理」といったところ。