はてなキーワード: 書店とは
小学校中学年から高学年くらいのころ、ブックオフをうろうろしてたら「知らないONE PIECEやNARUTOや銀魂のマンガ」を見つけて、手に取ったらゾロサンやサスナルのBL二次創作が掲載された商業アンソロジーであった…
みたいなエピソードが結構幅広い世代にとって当たり前にあるらしく、幼心に衝撃を受けたとか気持ち悪かったとか、かなり強烈にネガティブな印象を抱いている人がいるんだよね。
BL二次創作の商業アンソロジー、特定の年代に刊行されて、今は出版社が潰れたことにより刊行が減っている(あるいは消滅している?)ようだけど、中古書店には結構な数出回ったままになっている。
新刊書店からは消えたあとも中古書店には、人気の少年漫画のキャラ同士が行為しているようなのも、隔離されずに立ち読み可能な状態で置かれていたりする。
あとは中学の頃に女友達が腐女子でBLアンソロを見せてきたというエピソードがある人もいるようで驚く。女子同士のBL布教活動は存在を知っていたけど、男子にもやっていた奴がいるんかい…と絶句した。でもそれほど珍しくもないみたい。
腐女子が他の表現を叩いて「お前が言うな」と炎上するのがXで頻発しているけど、男性が結構この手の見たくないBL二次創作を被弾した経験があって、恨みに思いながらも黙ってやってんのにお前何様?という形で噴出しているのではないかと思ってる。
腐女子自身が他の表現に対してセンシティブな人が多いグループというか、嫌いな表現を「地雷」呼ばわりして批判する人が目立つ、というのもあるのかもしれないけど。
はてな民にとってはどうだろうか。はてなにいるような眼鏡の男の中学時代というと、女友達がオタクだったとか腐女子だったなんてことも多そうだけど。げんしけん読んだことある人多そう。
あと小学生の頃に少年野球チームで死ぬほど動いてたみたいなタイプよりは、ブックオフうろうろして立ち読みしてたタイプのほうが多そうだなと思うし。
つか普通にゾーニング不行き届きであったり腐女子から男子に対するセクハラであり、BL二次創作被弾エピソードだいたい男性が被害者である。もっと怒っていいのに。
コミックシーモアの少女漫画部門1位だとかで書店の店頭に陳列されているのを見たけれど
中身も飾ってあったけれど、鉄血のオルフェンズのオルガみたいなビジュアルの勇者に迫られる主人公の村娘の名前がフリージアかあ…
こんなのが今の少女漫画の売れ線とは世も末だわ
90年代の「サブカル優勢」から「オタク文化の圧勝」への転換は、ざっくり言うと以下の力学が重なった結果だと思う。
作品より“キャラクター”の継続消費(推し活)が拡散・可視化しやすい。MAD/二次創作→SNS→公式展開の循環が強かった。
[2] 反復消費モデルの強さ(シリーズ化・ソシャゲ・グッズ)
ガチャ・ライブ・2.5次元舞台・イベント・コラボカフェ…同一IPで何度も課金/参加できる仕組みが整備。収益の再投資でIPがさらに巨大化。
ファン字幕→公式配信→世界同時上映へ。国内ニッチが海外需要で“メジャー並み”の規模に。
強いエンゲージメントを生むジャンルがレコメンドに乗る。コアファンの熱量がそのまま可視化・拡散力になる。
90年代サブカルは雑誌・セレクトショップ的な編集=ゲートキーパー依存。雑誌衰退とともに拠点を失い、オタクはコミケ/同人即売会/SNS/配信で自前の分配網を持った。
同人・二次創作・コスプレ・ファンイベントなど、作り手と受け手が往復する設計。参加コストが下がり、定着率が上がった。
深夜アニメの一般化、秋葉・池袋の観光資源化、「クールジャパン」文脈等で社会的許容が拡大。羞恥コストが低下。
原作(漫画/ラノベ)→アニメ→ゲーム→舞台→実写→海外、の水平展開が定式化。投資判断がしやすく、外部資本が入りやすい。
[9] 景気・労働環境の変化と“内向き娯楽”
長時間/低予算でも深く楽しめる継続型エンタメが求められ、可処分時間の細切れ化にも合致(スマホゲーム・配信視聴)。
90年代的サブカル(音楽・アート・ストリート・批評)は“場”を媒介にした横断が強みだったが、場(雑誌/クラブ/独立系書店)の弱体化でネット上に散り、まとまった産業スケールを作りにくかった。
要するに、オタク文化は「キャラ×反復課金×参加コミュニティ×国際同時流通」を握り、プラットフォーム時代のKPI(熱量・継続・可視化)に合致した。一方で90年代サブカルは“編集=場”依存で、デジタル転換後の収益装置を持ちにくかった——この非対称性が“圧勝”の正体だと思う。
あの、そもそも会場分+初動分をこえた分は余剰在庫だってことはわかってます
捨てればいいものを半年までおいておいてくれることだけでもありがたいのが委託書店、
存在意義はよーくわかってる
でもやっぱり遅れてきた読者さんにやさしくしたいじゃないですか
で今月既刊2冊だけ買ってくれた人がいてうれしいじゃないですか
買った人は1000円はらってるけど委託手数料が35%として650円ね
まあ印刷代とんとんくらいのお値段が売上でもどってくるかとおもうじゃないですか
でも先々月の返本の送料500円差し引いて(先月売上がゼロだったから、差し引けなかった)
売上が200円になるじゃないですか
そこから振り込みテスウリョウさしひいて「56円」振り込みましたって……
虚無じゃん
虚無虚無🍮じゃん
買ってくれた読者は1000円払ってるのにうまい棒5本じゃん
自分は振り込みテスウリョウを銀行に払うために本を委託したかったわけじゃないんだよ
なんかこう~~~すごくショックだったよ
そうか~「売上1000円以下なら次の委託売上がでるまで貯めときますね☆」
ってやってくれないんだ。
次の本はメロン
https://x.com/iototaku/status/1982452974652973064
「親が左翼」か「高学歴ワーキングプア」以外のルートで現代の若者が左派になるルート存在しない。
あと、ポリタスとかみててもまじでその2種類のタイプの人たちだけがどうすれば幸せになれるか?という話(=脱経済成長の大きな政府)しかしていない。
うわぁ。俺がリベラルに対して思っていたこととほとんど同じ。あんまりこういう意見聞いたことないから「やっぱ間違ってんのかな?」と思ってたけど少なくとも一人はいて安心した。
温泉むすめとかにキレてたオタクを自認する男とかまさに↓のとおりだった。
・子供の頃からアニメやゲームに興味なくて電子工作やプログラミングとかしてた
・高校生の頃から個人書店で立ち読みして時間潰すのが趣味だった(書いてないけど本人の口ぶりからして人気漫画や雑誌の立ち読みじゃなさそう…)
・ほしい物リストが政治、経済、歴史の分厚いハードカバー本でいっぱい
まさに「すごい頭は良いけど、それを仕事に活かせていない人間。または仕事にするには難しい知識ばっかり知ってる人間」のオンパレード。
脱経済成長の大きな政府って要するに「資本主義とか金稼ぐとか反対。俺たちの好きな学問研究させろ。あ、でも衣食住は国が担保しろよな」ってことでしょ。
大概の人間にとって勉強というのは「役に立たなくてあくまでもいい大学に入るための知識ぶち込みゲーム」でしかないからな…
代ゼミの有名講師も「大人になってからは学歴学力よりお前の人間性が大切。もっというと本当は学生時代の時も人間性が大切なんだけどな。」的なことを言っているし。
育児を親が不幸と解釈するか幸せと解釈するかで人生観変わってくるよな
育児終わってから、「育児つまんなかった」「子供作るんじゃなかった」って思う親にはなりたくねえ
子供からしたら「てめぇが勝手に始めた物語(子育て)だろ。勝手に始めておいて勝手にガッカリして絶望してんじゃねえクソ親が。健康に生まれて子育て体験させてやっただけでも感謝しろよ」って話なんだよな
育児するんじゃなかったと後悔してる親にはなりたくねえけど育児という趣味は苦痛があまりにも大きい
100均でじっくり時間かけて6歳の子供のオヤツ選んで買ってそれをベビーカーの上で(6歳だけど色々問題山積みでベビーカー乗ってる)食べさせて、その後本屋に寄ったんだけど
私が売り場の本をじーっと見て物色してたら
子供が「ねぇ、なんで本ずっと見てんの?退屈退屈」と言い出し、早々に本屋を去ることにした。お菓子食べさせてるけど退屈って言われちゃうんだなって思った。まぁ、今月本買いすぎたからさすがにもう本は買えないなって状況だったから
でも、本屋にどういう本があるのかチェックしときたかったんだけど
家の近所には品揃えの悪い駅ナカの書店しかなくて、本格的な本屋にはなかなか行けない
子供って自分が興味ないもんに付き合ってくれないんだよ。無理やり付き合わせるのも子供に悪いし
曼珠沙華さん、あなたの反論を拝見しました。Grokか私のどちらかが嘘をついているといいつつ、藤木先生の議論にも反している私が嘘つきとの論陣を張っておられますね。ところでお聞きしたいのですが、あなたはAIの回答が正しいと思って、ぶつけてこられたということでよろしいですね?では、私から疑問を提示させていただきます。AIが論拠とする事項についての疑問を提起します。
①黒田基樹『戦国期の貨幣と経済』(吉川弘文館、2007年)なる著作は実在しません。
②永原慶二『近世武家経済史の研究』(有精堂、1969年)なる著作は実在しません。
③『甲陽軍鑑』(天文・永禄期)家臣の禄高を石単位(俸禄)で記すが、下級者には「扶持若干石」と明記とあるが、そのような記述は存在しない。『甲陽軍鑑』には貫高で禄高を記すのが原則。いったい何巻に記述されているのかさっぱりわからない。見つからない。
④藤木久志『戦国社会史論』(東京大学出版会、1975年)に「扶持を「俸禄の現物化初期形態」とし、土地喪失時の代替として用いられたと指摘。総俸禄の10-20%が扶持形式だったと推定される」との記述は存在しない。この課題に最も近い「大名領国の経済構造」「知行制の形成と守護職」にもこうした論述は見当たらない。念のため、この著書は1974年刊行である。いったい1975年刊とはどういうことか。曼珠沙華におたずねしたい。
⑤佐藤信淵の研究(『戦国大名の軍事と経済』、吉川弘文館、1995年)とあるが、そのような著作は存在しない。そもそも佐藤信淵は江戸時代後期の学者なのだが、なぜ1995年に著書が刊行されているのかさっぱり理解できない。ちなみに同姓同名の戦国期の研究者がいるとは聞き及んでいない。
⑥平井上総の『戦国期領主層の研究』(高山寺書店、1980年)だが、このような著作は存在しない。そもそも私の知る平井上総氏は1980年生まれのはず。生まれたばかりの新生児がこのような著書を書いたとはノーベル賞どころの話じゃないね。曼珠沙華さん、この問題にどう回答するの?
⑦五味文彦(1947年生まれ、東京大学教授・名誉教授)は、戦国期の民衆史・武士社会を専門とし、『もう一つの戦国史』(岩波新書、2000年)や『戦国合戦の社会学』(中公新書、2015年)とあるけど、ぜんぶ実在しませんよ。このような著作があれば、私が知らないわけない。念のため、五味先生は1946年生まれですけど、別人なのですね?曼珠沙華さん、返答してくださいね。
⑧「現代の日本史学における定説と受容状況」に記述されているデータは、すべて根拠がないか、実在しませんよ。曼珠沙華さん、あるというのなら、しっかりとその出典を明記して提示してください。
以上です。曼珠沙華さん、あなたはこんないい加減なものを鵜呑みにして、私をこきおろそうとしていたわけです。AIを丸投げして、私が間違っていると言った以上、この記述を信頼できると考えた根拠をすべて掲げ、私に提示してください。私はすべて提示しましたよ。あなたは自信満々で、誠実な人間なのでしょ?さぁ、私にしっかりと回答してもらいましょう。逃げるなよ。 https://t.co/XDgKWKIIEP— K・HIRAYAMA (@HIRAYAMAYUUKAIN) October 19, 2025
世の中を眺めていて、最も愚劣で矮小な自己欺瞞の一つは「本をインテリア扱いする行為」だ。
背表紙を並べ、知性の代替物として空間を飾り立てる。それは知性の獲得ではなく、知性の模倣にすぎない。
模倣は習得と似ても似つかぬ。そこにあるのは、読書体験を経ずに「自分は知的である」という虚飾を貼り付けたいという、安っぽいナルシシズムの自己放尿だ。
本を読まない者が本棚を埋めるのは、トイレで自己放尿を誇示するのと同じだ。
排泄は生理現象であり、それ自体に価値はない。だが、わざわざ自慢げに見せつけるとしたら、それは精神の腐臭である。
読まれぬ書籍は知識ではなく、ただの木材加工品にすぎない。机や椅子と等価であり、そこに思想はない。思想なき紙束を飾り付けて悦に入るのは、脳の機能不全の自己放尿の証左だ。
知識を持つことと、知識を持っているように見せかけることは、全く別の次元に属する。
本当の知識は行動、論理、そして判断ににじみ出る。だが、見せかけの知識は、他者の目に触れた瞬間にしか機能しない。
つまり「人に見せるためにしか存在できない知識もどき」は、そもそも知識ですらない。カビ臭い書棚は、そうした亡霊の墓標である。
人間が「読む」という行為を通じて得るのは、情報処理能力の更新だ。読めば思考のアルゴリズムが強化され、判断の枝葉が増える。だから読む。
読むからこそ、生き方が変わり、選択が変わり、未来が変わる。インテリアとしての本には、その作用がない。つまりそれは「本」という名の殻を借りた自己放尿にすぎない。
本を積み上げ、背表紙を誇示し、他者に「私は知的でございます」と言いたがる連中は、結局「知識の奴隷」であって主体ではない。
読む者は本を支配し、読まぬ者は本に支配される。インテリア扱いして悦に入る人間は、後者の中でも特に惨めな存在だ。
本は家具ではない。本は思想の武器庫であり、現実を斬る刃である。それを理解できぬなら、書店に近づくべきではない。
君の部屋の美観を飾るためではなく、君の脳をえぐり、砕き、再構築するために、本は存在する。本を読め。本を飾るな。自己放尿はやめろ。
自分も「作品を読まれるためのコミュニケーションなんてやってられるか」タイプだけど、最低限は互助会システムに乗った方がラクだと気づいた。
生息するのはnoteだしフォロワー数も全然だけど、試していることを書いていく。カクヨムのシステムは知らないから応用できなかったらごめん。
1. 自分とジャンル・フォロワー数が近い人を片っ端からフォローする
自分のフォロワー数<フォロー数になるまで、文体や内容が好きだと思ったらとりあえずフォローする。1日1、2人ペースとかでいい。ジャンル違いだったり、あまりにも天の上の存在はフォロバしてくれないので対象外にする。
2. フォローした人の新着は「読まなくていい」のでスキ(いいね)する
noteは新着一覧からスキできるので読まずにスキする。そうすると向こうもスキしてくれる。これが狙い。
互いに読んでいないかもしれないけど、これは作品のスキ数を増やして第三者にも「この記事は面白いのでは?」「読んでみよう」と思ってもらうための工夫。なので、スキ数が増えればそれでいいと割り切る。
3. SNSをやろう
フォロワー数、記事のPVを増やすため。嫌だったらやらなくてもいい。
でもnoteのPVやフォロワーを増やしたいなら、note以外での出会いがあったほうがいいと考えた。それに作品だけでなく「自分」のファンになってもらった方がイベントや記事の拡散でも圧倒的に有利だ。ストレスにならない程度にSNSをやって、どーでもいい日常(ポジティブなものに限る)を投稿して、「いいね」程度でいいので絡んでおこう。
4. 誰かを褒めよう
SNSでもnoteでもいい。自分が見た・読んだ・体験したものの感想を書いて、誰かを褒めよう。「褒め」ってすごくポジティブだ。みんなポジティブな文章を読み、いい読後感を得たいと思っている。
辛辣レビューや悪口のバズもあるけれど、あれは高等技術なので自分は手を出さない。読まれても「スキ」されない可能性も高い(noteは誰が「スキ」したか分かる。自分が悪口に乗った証拠を残したくない人もいるだろう)
数ヶ月前、ある買い物に感動したので、普段の文章とは完全にジャンル違いだがnoteでレビュー記事を書いた。そしたらなんと1000スキ近くまで伸びて、フォロワーも一気に100増えた。普段の記事のスキも10近く増えている。文章のスキルは変わらないのに。
結局フォロワー数が多ければスキも増えるのだ。誰かを褒めて、その誰かのファンやジャンルのファンの目に触れよう。あわよくばフォローしてもらおう。自分の他の記事も読んでもらおう。ポジティブに、知らない誰かの前に出てみよう。
何を書けばいいのかわからないなら本の感想を書こう。カクヨムやnoteにいる人はみんな本が好きなので。
5. コンテストに出そう
noteはコンテストが多いので、ちょっとでもテーマにかすっていると思ったら出そう(過去記事でのエントリ可も多い)。
入賞を本気で狙わなくてもいい。コンテスト用のタグをつけると明らかにPV数やスキが増えるので、そこからフォロワーが増えればいいなくらいの狙いだ。スキの多い記事がプロフィールにあれば、第三者は「おっ」と感じる。とにかく「人気がある作家」「伸びてる作家」と思われることが大事だ。
もちろん入賞すれば箔がつくし、「テーマと指定文字数に従って書く」のはいい訓練になので、本気でやる方がいいとは思う。
ちなみに、「互助会システム」「駄サイクル」嫌いとしてやらないことも書いていく。
1. 付き合いでの同人誌購入
イベントに出ると、相互フォロワーでいつも自分の新刊を買ってくれる人が数名いる。でも自分は買わない。SNSでの付き合い程度ならいいけれど、この人の文章に○○円出せないな......と思っているので。
自分はいつも1人参加なので「ブースから離れられなくて、買ってもらうばかりですみません」とペコペコしている。これでなんとかなってる。
いいねまでしかしない。なぜならコメントでのコミュニケーションは面倒だから。もちろんコメントし合ってる人同士の親密度には負けるが、フォローを外されなければイベント告知や新着記事は見てもらえるのでOKとする。
3. オフラインでの絡み
読書会とか個人書店のイベントに積極的に参加する人もいるが自分はやらない。その時間があったら読みたいし、書きたいから。家族との都合もあるし。
個人書店のイベントに何度も参加して人脈を作り、その書店でトークイベントすることになりました!という人を見たときは素直に凄いと思ったし羨ましかったが、それでも自分はやりたくないなと思った。だったらコンテストで賞を取ったり、じわじわでも部数を上げて、実力で呼ばれる立場になりたい。
ちなみに書店とは営業・納品など最低限のお付き合いはある。本の売り上げに直結しないコミュニケーションはしないという意味で、オフラインでの絡みは多分今後もやらない。
一応データ屋の端くれとして、ちょっと調べてみたことがあるんだけど、結論としては「日本の書店数、市場規模に対して大杉。しばらくは減るのは仕方が無い」というところでした。
で、フランスやアメリカは実際言うほど書店数そもそも多くないので、逆に早期に保護が必要で底を打つのも早かった、と言う言い方が正しいと思っている。
得にフランスは早く保護しなきゃ消滅しかねないので公で手が入った。その結果、実用的なお店というより文化施設というカテゴリになった。社会文化施設の一種扱い。
一方で日本の場合はまだそこまで到達してないと言えるかと。まだまだ書店は実用的なお店扱いなんだよね。スーパーやコンビニと同じ商業施設のまま。
どこかで市場が均衡して維持されるフェーズになるか、本当に落ち続けてどこかで産業保護が必要になるフェーズになるかまでは縮小傾向が続くと思う。
で、増田の仮説に対して言うなら
どうよ?
以下データ編。
国際比較してみると以下の事が言える。
いずれも10万人あたり
購買力平価のドル換算で、為替の影響を取り除いています。電子も含む。
日本は多い方でもなく平均的。しかし、実はフランスの金額は少ない。これは再販制度の影響もあるかも。フランスと日本は再販制度のおかげで本が安いのだ。
日本とフランスが多い。金額ベースで見ると本の価格が安い事がわかると思う。
ただし自費出版や電子書籍など含む含まないなど、色々な基準があて統計の品質には差がある。
でも、高校生になる頃には「最近のアニメおもんないなぁ…」が始まり、自然と見なくなった。
それからしばらく、アニメからは完全に離れ、YouTubeで動画見たり、漫画の世界にいった。読んでる漫画がアニメ化しても興味がなく、逆にアニメ化した漫画を買って読んでた。
だが、今度は「漫画おもんねぇな…」が始まった(主な原因は更新の遅さだが)。でも、オタク心というか、創作を読みたいエネルギーが止まらず、今度はソシャゲに手を出した。
ややRPG味のあるゲーム性と、いつでもストーリーを読めるのが快適で、とにかく次々にインストールして、シナリオを楽しんだ。でも、それだけだと足りなくなった(ストーリーの更新遅すぎる)。
そこで、俺は昔好きだったアニメたちを思い出した。「小説は楽しめない」という思い込みでハードルが高く、ラノベに手を出してことはなかったことを思い出しつつ、書店で一番好きだったアニメの原作を購入。
長いオタク活動で培われた想像力のおかげなのか、文字だけのはずなのに情景が思い浮かぶ。アニメと同じように楽しめた。それから、面白いと思ったアニメや、アニメのその先が気になっていた作品のラノベを買いまくった。
次は何に手を出そうかと悩み中。
気になってるのはゲーム。
ポケモンとモンハン、マリオ、マイクラはシリーズずっと触れてきたが、最近出たメタルギアとか、有名どころでFF、バイオとかも全く触れたことない。
インディーゲームは、配信者の影響でチェックして触れることはある。
参政党の人がトランスジェンダーを「伝染する」とか「治療が必要」とか言って差別的な発言として炎上しているらしいが、この見解は以前に炎上した「トランスジェンダーになりたい少女たち」という本で語られているものそのもの(社会的感染説)。あのときも当事者達は危険で差別的な内容を含むと批判していたが、保守系や冷笑系のインフルエンサー中心に「差別ではない」「表現の自由」「読む自由」などの擁護が出て、批判的な当事者へのバッシングも多く、当初の角川からではないが産経から出版され、反トランス勢力に絶賛されつつ今でも書店に並んでいる。
要するにあの見解は単に参政党らしい根拠不足の主張というのに留まらず、あのときあの本を擁護した人々が結果的に広めるのに貢献したものであって、そこからきちんと反省すべきだろう。
「上位体験を用意できないから」と、「すぐに読めてしまうから」。
「利権」はほぼほぼないというか、別に金になるならなんでもいい。書店とか取次とか出版社からしたら知ったことではない。
ピッコマだろうがKindleだろうが金になるならなんでもいい。
本題に入る。
映画やアニメというものは金の回収手段が映画館での上映、グッズや関連ゲームを売るなどの回収が図れるので。
実質Tシャツ売りになってる人とかね。
だからサブスクができる。漫画はグッズまで売れるのはごく一部なのと、商品相性があるので。
そういう意味でいうと、アクスタがやたらと売れるきらら漫画…などというような、高単価収益回収モデルが作れるならサブスクは可能。
「エロはクッソ割られるので、じゃあサブスクにした方がマシ」という理念の元行われた。
ちなみに、配信閲覧に応じて作家さんたちに金が入るとか俺が知る限りはない。
その分一律で原稿料上がってたな、当時は。今は知らん。もしかしたらシステムできたかもね。
「過去作を広告費運営で配信すりゃいいのに」みたいなのは赤松先生のマンガ図書館Zがやっている。だが、まあ連チャンパパ以外はあまり儲かってるという話は聞かない。
そもそも過去作の著作権管理は意外とめんどくさい。(自動更新できるとはいえ1年で切れるのが普通)
大体そういう事情があり、サブスクはやらないというかできていない。
例えばアニメ業界は割と繋がりがあるが、制作時に独占配信権だけで製作費回収できる、という話も大分聞く。
要はサブスク会社がそのくらいの金を出すのであれば漫画サブスクは可能なのだが。
が、滞在時間が映像コンテンツに比べ短くなりがちなので、広告など含めてもあまり収益はでない。
よって製作費を回収できない。
映画は一作90分〜アニメでも1話25分〜滞在時間を作れるので、漫画はそういう意味でも不利。
もちろん、ウシジマくんや絶望先生とドラゴンボール、バキみたいな作品で読む時間は違うことは前提の上で。それでもまあ短いね漫画の滞在時間は。
Amazonは以前より漫画サブスクを始めようとしているし、現在進行系でしている。
だが、未だにその滞在時間と収益モデルの構造を解決できていないようだ。