はてなキーワード: 掃除とは
吐き出し。
スペックで見れば彼女の方が少し上だけど、生活レベルは似たようなもんだった。
彼女は自立した女性で、「結婚しても仕事は続ける」「家事は完全分担で」というスタンス。俺もそれに賛成だった。専業主婦を養えるほどの甲斐性はないし、互いに支え合うのが現代のカップルだと思ってたから。
でも、違和感はずっとあった。
付き合い始めの頃、「私は稼いでるから対等でいたい」と言っていた彼女だが、会計の段になると財布を出す素振りだけで、結局俺が7割〜全額出すことが多かった。
「次は私が払うね」と言うが、次の店の単価はガクッと下がる(俺が寿司を奢り、彼女がカフェでコーヒーを出す、みたいな)。
それでも「男が多めに出すのはマナー」という旧来の価値観が俺の中にもあったから、そこは飲み込んでいた。
決定打になったのは、同棲を始めてからの家事分担と生活費の折半。
家賃も光熱費も食費も、きっちり「完全折半」になった。ここまではいい。
家事も「完全分担」。俺は料理が好きだから自炊担当、彼女は掃除洗濯担当。これも合意の上だ。
ただ、彼女の仕事が忙しくなると、掃除も洗濯も滞るようになる。
俺だって残業はあるが、料理を作らないと飯がないから作る。ついでに溜まった洗濯物も回す。
ある日、俺が残業続きでヘトヘトになりながら帰宅し、スーパーの惣菜を買って帰ったら、彼女に言われた。
「えー、これだけ? バランス悪くない? 私、肌荒れ気にしてるんだけど」
プツンと何かが切れた。
俺は言った。
「家賃も生活費も完全折半だよね。でも家事は俺が7割やってる。デート代も俺が多く出してる。君が言う『対等』って何?」
彼女はキョトンとして、そのあと猛烈に怒り出した。
「器が小さい」
「私は子供を産む性なんだから、身体的な負担へのケアとして金銭的・労力的なサポートをするのは男性の義務でしょ?」
その瞬間、全てが冷めた。
「子供を産む性」という最強のカードを切られたら、もう何も言えない。
彼女が求めているのは「男女平等の権利」と「旧来の家父長制的な庇護」のいいとこ取りなんだと気づいてしまった。
「稼ぎは対等(以上)だけど、守ってもらいたいし、家事も多めにやってほしい。でも口出しはされたくない」
そういう「現代的なワガママ」を許容できるほど、俺はハイスペックじゃなかったし、お人好しでもなかった。
別れを切り出したら泣かれたけど、もう無理だ。
自立した女性が好きだったはずなのに、結局俺が求めていたのは、俺の負担を理解してくれる「普通のパートナー」だったんだと思う。
→家事育児いつも通りおねがいね、むしろずっと家にいるならいつもより掃除できるね、あと、あれとこれとあれもよろしくね、(あと別に早く帰ってくる気もないよ)
→元気がなくて家事育児全部できません、子どもが家にいても僕は部屋で引きこもります、仕事は休みですが子供の送迎もやりません、妻は時短勤務していつも通りワンオペしてください、私は「休み」なのでいないものとして扱ってください
45 :可愛い奥様 : 2024/07/05(金) 14:09:26.24 ID:kpP8fdMq0.net
事務系なんだけど、ゴミ捨てとか掃除とか雑用ばかりさせられてるパートさんがいるんだけど、
これってパワハラでは??
清掃員じゃないのに…
パートさんご本人は、ラクでちょうどいい、こんなんでお金もらえて1日が終わるなら楽勝、
とか言ってて、たくましいのか、、強がりなのか、
このやり方は一般的には【過小な要求】とかでパワハラ(または職場いじめか)に該当する。議論の余地は無いと思う。
本来の業務がどの程度圧迫されているかどうかなども考慮されるとは思うが。
今回の例では雑用で一日が終わるということなので、「必要な業務を合理的に割り当てただけ」という言い訳にはならないだろう。
雑用専門の業務で雇用されているわけではないのならその業務は皆で分担すべき。
まあ訴訟にまでなるような追い出し部屋とかが性に合っている人も中にはいるので、
気にしないという人も個人差なんだろうな。稀な例だとは思うが。
だがそれは「サービス残業は気にならない」「育休が取れなくても構わない」「ブラック企業でも良い」と言っているようなものであり、
それと、その人は清掃の職種を選ぶべきだったのでは。
その人は今の状態で良くても人事異動で他の部署に行ったり退職したら、後任者がどうなるかは気になる。
後任者が同じように雑用ばかり押し付けられたら・・・次こそはパワハラ問題が出てくる可能性は高いと思う。
職場のハラスメント対策やコンプラ意識が変わらないと根本的には解決しない。
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「雑用ばかりさせるのはパワハラ」 裁判所の“意外”な判断、その理由とはhttps://www.itmedia.co.jp/business/articles/2205/31/news038.html
名もなき雑用ばかりの仕事で退屈。もっと活躍して評価されるには? |女性の転職・求人情報 ウーマン・キャリア https://doda.jp/woman/guide/100moya/067.html
例えば、「女性は結婚や妊娠で辞めてしまうことが多いから、という理由で雑用ばかり命じられる」「明らかに自分だけが、長期にわたって雑用を押し付けられている」という場合は、ジェンダーハラスメントやパワーハラスメントに該当すると考えられます。
https://www.fdma.go.jp/singi_kento/kento/items/kento185_08_shiryo5-2.pdf
https://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r9852000002qx6t-att/2r9852000002qx9f.pdf
タイトルの通りなんだけど、夫婦カウンセリングに行ったら夫が訳の分からないことを言い出した。
些細なすれ違いが続いたので相談しに行ったはずなのに、終わった頃には、私が今まで何と結婚していたのか分からなくなった。
まず、カウンセラーさんが夫に、妻に対して何を期待しているかを聞いた。
すると夫は、配偶者は生活面のサポートと精神安定のための存在で、個人で完結できないタスクを代わりに処理してくれるチームメイト、と言い出した。
そして、僕は結婚を人生の定額サブスクだと思っている、という謎?理論。
月額を払ってるんだからサービスを受けるのは当然、らしい。ちなみに月額の意味は不明。家賃や光熱費を払ってくれてるのなら分かるが、折半だから意味が通らない。
家事分担の認識について聞かれると、夫は自慢げに、僕は十分やってますよと言った。
やっている内容を聞くと、妻の食べるカップ麺の蓋が途中で開いてくるのを閉じてあげる、それを家事参加とカウントしている、という主張。
さらに、掃除もせず、床に落としたゴミすら拾わず放置していることについては、自然淘汰の一環だから触らない方が家に優しいとのこと。実際はそんなことはなく、私が掃除しているだけなのに。
夫は冷静に、妻という存在は生活におけるバフ係で、日常のステータスを底上げしてもらうために必要だ、と言った。
といっても僕は妻に対して愛情はある、ただしログインボーナス方式の愛情なので、毎日少しずつ与えるのが普通だと思っている、という意味不明な理論。
ちなみにログインボーナスは、洗濯物を畳む、お茶を入れる、靴を並べるなどのお手伝いだそうだ。あれはログインボーナスだったのか。
カウンセラーさんが夫に、妻が悲しんでいるのをどう受け止めているかを確認してくれた。
すると夫は迷いなく、感情面は僕の得意分野じゃないので、基本的にはスルーしてもらえると助かる、と回答。
この時点で私は泣く気力もなく、ただただ呆れていた。カウンセラーさんが、スルーせず対話できませんかと聞くと、無料ガチャということですか?との答え。もしかして、面白いと思って言っているのだろうか。
帰り道、夫は満足そうに、カウンセリングで僕の価値観が整理できて良かったね、と言っていた。
その横で、私はとりあえず別居することを決めた。
一度実験してみ。
風呂に入り隅々まで洗う。
たぶんね、気絶する
世界ってのは汚れてるの、ポテトを手で食うくらいどうってことない、空気吸うのと大差ない。
たまにアレだけど、そんなもん清潔に気をつける程度ではどうにもならん。
大腸菌やら、おおよその抗原、バイキンは理想環境だと20分で1ターンの増殖をする
1匹の黄色ブドウ球菌がいたとしよう、20分後に2匹、40分後に4匹
8,16,32,64,128,256,512,1024
7時間寝たとして、就寝前に徹底除菌したとして1匹取り逃がしたとして、朝には何匹になってるか。計算してみ。
朝、寝起き一発でつい鼻くそをほじったとして。。。
無理なの。
で、だ、とはいえ清潔にすればするほど良い、リスクは下がる。議論の余地はない
と思ってるでしょ?
先進国の過剰な清潔がむしろ悪影響が出ているって研究もあるの。
例えば、小児白血病、世界規模の長期コホート研究があるんだけど、先進国の富裕層ほど発症率が高い。
これが長年謎だったんだけど。原因は「清潔のやり過ぎ」ってわかってきた。
乳幼児期に過剰に清潔にしすぎて病原体との接触機会が少なすぎて適切な免疫が育たない。
コロナも不衛生極まりない世界各地の難民キャンプではなぜか被害が出なかった。
なんでだろね?
ま、ご自愛下さいませ。
丸山眞男の『日本の思想』(1961年、岩波新書)所収の有名な「ササラとタコツボ」の比喩は、主に第3章「『である』ことと『する』こと」の後半(特に「日本における思想のあり方」部分)に出てきます。これは日本思想史の構造的特徴を一刀両断に言い当てた、戦後日本で最も引用され続けた一節です。以下が該当箇所のほぼ全文(現代語訳ではなく原文のまま)です:日本では、思想や学問が、個々の学者や思想家の頭の中で、あるいは特定の学派・門派の内部で、極度に細分化され、孤立化してしまっている。
それはまるで笹ら(竹の皮を細く裂いて作った掃除道具)のように、一本一本は細く、しかも先がバラバラに裂けていて、全体としてまとまりがない。
それでいて、それぞれの細い竹の皮の先は、まるで蛸が壺の中に入って足を全部壺の壁に張りつけてしまうように、その狭い領域の中で完全に閉じこもって、外へ出ようとしない。
したがって、思想や学問の諸領域の間には、ほとんど交流がなく、相互批判もなければ、総合も行なわれない。
その結果、日本における思想は、全体として見た場合、無構造であり、無基底であり、無底渓の状態にあると言わざるを得ない。
(『日本の思想』岩波新書、p.87-88あたり。版によってページは多少ずれます)この比喩がなぜ衝撃的だったか「笹ら(ササラ)」= 竹の皮を裂いた日本の伝統的な掃除道具(今でいう「竹のブラシ」)。一本一本は細く、先がバラバラに裂けていて、全体としてまとまりがない。
「蛸壺(タコツボ)」= 蛸が壺に入ると足を全部壁に吸盤で張りつけて動かなくなるように、各学派・各学者が自分の狭い専門領域に閉じこもり、外に出ない。
つまり、**日本思想の特徴=「超分離・超閉鎖・超孤立」**という極端な診断です。丸山はこの状態を「無構造(strukturlos)」と呼び、西欧思想が「基底(Grund)」や「原理(Prinzip)」をめぐって激しく対立しながらも、その対立自体が全体構造を生んでいるのに対し、日本ではそういう基底的な対立軸すら存在しない、と断じました。よく引用される超短縮バージョン多くの人が覚えているのは次の数行だけです:「笹の葉のように先がバラバラに裂け、しかもそれぞれの先が蛸壺のように閉じこもっている」
これだけで「ああ、あの話か!」と通じるくらい、戦後思想史・学界批評の定型句になりました。ちなみに丸山はこの後、こういう「蛸壺的学問」体質が、戦前の「超国家主義」への無抵抗・無批判な順応を生んだ一因でもある、と厳しく批判しています。この一節は今読んでも、大学や学会の「セクショナリズム」を突く痛烈さがありますね。1961年の文章とは到底思えない鮮烈さです。
近頃、とにかく死にたい。
毎年10月から11月はこういう感じになるので、季節のせいであることは分かっている。12月になる頃にはだいたいなんかなんとかなってるから大丈夫。
でも年々ひどくなっている気もする。それに、毎年ウワーッとはなるにせよ、そもそもなんでこういう死にたい感情に襲われるかがよく分からなかったので、何か直接的な原因がないものか、人生についてちょっと考えてみた。
元々社会福祉とか一次産業とかインフラとか配送業とかに憧れがあった。誰かの生活を支える、縁の下の力持ちってかっこいい。でも増田は危機管理能力がない。忘れ物は多いし、ケアレスミスも死ぬほどするし、どんなに我慢しようとしたって余計な改善をしようとして結局改悪してしまう。保守運転とか一番苦手な分野だ。トラックどころか自分の体一つだって乗りこなせない。事故を起こさないため、誰かを殺さないため、そういう職業にはつかないほうがいいと思って生きている。
だから人から金を搾取することだけを考えているカスみたいなサービスの下請けで、自分一人を養えるだけの端金をもらって、犯罪を起こしてないからそれでいいのだと必死に言い聞かせている。上手く出来なくてもカスの弊社が困るだけだから、いくらミスしても罪悪感はない。
だがこれは直接死にたい原因ではない。やっとることはカスのサービス形態ではあるが、ある程度転職にも使えそうな汎用的な職能の成長は出来るし、上司や同僚は増田の手助けや活躍を褒めてくれるし、そういった点でやりがい的なものがないわけでもない。業務自体はそこそこ向いてると思えるし、人間関係は良好と言って良いだろう。金額面も、自分一人を養えるくらいの金額は稼げているし、それによって欲しいものを我慢したり、望んだ生活を手放さなければならないほどではない。元々欲は薄い方だ。少ないながら貯金もしているし、いざとなれば親や友人を頼れば金がなくても多少の間はなんとかなる。労働自体は憎むほど忌み嫌ってるわけではないから、生涯現役でも全然構わない。
金銭や将来の不安、職場の人間関係の悪化などがあって死にたいわけではない。
友人関係も悪いわけではない。
確かにたびたび「人間じゃない」とか「常識的な気遣いが足りない」とか「普通考えれば分かることがどうして出来ないのか」とか言われたりもするが、それでも根気強く付き合いを続けてくれる友人ばかりだ。何も言わずに去られるより全然マシなので、そういう耳に痛い言葉も言ってくれるだけでありがたい。一度も傷つけたことのない、あるいは傷つけられたことのない友人は確かにいないのだが、それでもみんな大事な友人だ。
そういう大事な友人にご迷惑をおかけすることで罪悪感で潰れそうになることはあるが、例えば無茶な振り回し方をしてきたり、金銭を貸せとやたらたかって返さなかったり、そういうガチのトラブルに発展するような友人諸兄ではないし、増田もそういうことをしないよう、礼節を忘れないように重々気をつけている。それでもたまにうっかり日々の会話で地雷を踏んで怒らせることはあるものの、友人同士が「それは言い過ぎ」とか「お互い様」とか仲裁してくれるので、増田自身の尊厳も守ってもらえていると思う。友人とボロカスの喧嘩をして死にたい夜もないことはないが、それは大抵一時的なものだし、直近はそういう感じで険悪になってる相手はいない。
父も母も理屈で話せば分かる人であるし、親戚一同もなんだかんだ元気に暮らしている。不謹慎なニュースを見て爆笑する叔父や、身の回りの世話を全部してあげないと心配で夜も眠れない叔母、とにかくプライドが高く他人を見下したり注目を集めたりしないと気がすまない従兄弟、信仰の押し付けはないものの新興宗教にどっぷり献金している祖父母など、アクが強くはあるが、こちらに実害はないので可愛い範囲で収まるものだ。肉親に怒鳴ったり、暴力を振るったり、金銭トラブルを持ち込んだり、結婚を強要したりする人はいない。
まあ、両親に恨みがないと言えば嘘になる。幼稚園の頃に甘えようとすり寄ったら「は?鬱陶しい、ひっつくな」と引き剥がされたり、小学生の頃いじめられていた時に増田の言い分を一切聞かず「あなたにも悪いところがなかったかよく考えてみよう?」と3時間近く諭してきたり、愛着の面では問題があったのは確かだ。しかしそれは増田に対して愛情がなかったというよりは、それが彼らの愛着の限界なのだ。飼っているウサギすら、部屋の中で凍死しかけていることに気づかなかった両親である。それを思えば、衣食住を保障してくれたのは事実だし、危険なことは叱ってくれた。大学まで学費も出してくれたし、両親の行きたいところにではあるが旅行にもそこそこ連れて行ってもらっていた。彼らにしてはだいぶ努力していたのだろうと今なら分かる。
だから半年に一度程度は顔を見せに帰省しているし、それがめちゃくちゃ苦痛というわけでもない。全ては過去のことであり、無、凪、平熱、そういった単語がふさわしい関係性だ。これもまた、直接の原因ではない。
増田はXジェンダー、リスロマンティック、アセクシャルと三拍子揃った人間だ。その上、それでもどうしても起こる性欲の発散方法は「対象年齢・性別を問わないリョナ創作」と来た。絶対に世に出してはいけない、リアルの人間に向けるなんて以ての外という嗜好をしている。
幸いなことに、告白されたことも、したいと思うほど惹かれた人も人生にいない。誰かを傷つけてしまうくらいならそれでいいと思っている。「恋愛を理解できないのは正常ではない」と思って恋愛小説や恋愛漫画を読んでは、イーッ!分からん!と一人で暴れていたこともあるが、それは「普通の人生を送ること」に固執していたからであって、もう普通じゃなくていいやと開き直った今は、一人で生きていく覚悟がとっくに出来ている。
だから恋愛ができなくて人生つまんなくて死にたいというわけでもない。
趣味はある。
増田は創作が好きだ。物語を書くのが好きだ。随筆も、批判も、絵も、彫刻も、歌も、踊りも、とにかく何かを表現することが好きだ。それは自分の中にある感情や思考を(作品に限らずこういった文章などでも)表し、発散することで一時的な沈静が見込めるからだ。だから誰かのために書いてるわけじゃなく、褒められるために書いているわけでもなく、ただひたすら自分の衝動を、犯罪ではない範囲で発散できることに喜びを感じている。
また、他人のそういう一面を見るのも好きだ。孤独ではない、と、他のどんな娯楽よりも、どんな脳内物質の分泌よりも、最も確かに感じられるし、癒されるからだ。みんな苦しくて孤独なのだと実感できるからだ。そしてそれらを十全に納得のいくまで突き詰めようと、他人の創作物をしゃぶりつくしたり、自分の表現を究めたりしようと思うと、百年に満たない短い人生を食いつぶすには、十分すぎるくらい時間がかかる。
これも死にたい原因ではない。むしろ趣味のことを考えれば、死んでいる場合ではないのだ。
これと言ったトラウマもない。
いや、ないことはない。小学校の頃は確かに治安が悪かったし、その中で最も低いカースト層にいたのは確かだ。靴箱に砂を詰め込まれたこともあったし、掃除の時はちりとりに集めたゴミを引き出しにそのまま流し込まれたこともあった。濡れた雑巾を頭に投げつけられたこともあった。ドッジボールで執拗にボールをぶつけられることもあった。体育の二人一組ではいつもハブられていたし、仕方なしに増田を組まざるを得なかったやつは、増田の触れたところを校庭の土でこすって払った。まるで土のほうが汚くないとでも言いたげに。
クラスメイト全員敵だからいるわけがないのに、脅迫的に好きな人を聞き出され、最もいじめてきた回数が少ない人の名前をあげたら、翌日からそいつがいじめられ始めて、他人を好いてはいけないと思い知ったこともあった。給食着やテーブルクロスを、本当は持ち回り当番なのに毎週持ち帰らされて、親に「じゃんけんで負けた」「牛乳こぼした責任で」と嘘をついた。もちろんああいう感じの親なので「あんたはどうしてそうなんだろうね」と気づかれもしなかった。
「視界に入るな」「半径2メートルに近づくな」「菌が伝染るから(学級文庫・机・プリント・日誌・配膳皿などに)触るな」あるいはもっと直球に「死ね」も全部日常的に言われていた。学級崩壊でまともに授業が受けられなくて教育機会を損失して、その頃に本来学ぶべきだった分野は今でもちょっと苦手意識がある。毎年劇をやるはずの発表会では制御不能と判断されて、ペットボトルでお米を育ててみましたといううっすい内容を、誰がどこを喋るかまで一言一句ガッチガチに固められて発表させられた。自主性なんて言葉は死んでいた。若い新卒の教師は毎日授業で泣いていて、その頃にはとっくに泣き疲れて感情に蓋をしていた増田は、その涙を「煽るだけなのに」と冷ややかな目で見ていた。
カースト中の下だった傍観者クラスメイトと大学で再会して、一緒に「小学校の思い出」とかいうクソみたいなグループワークの授業を受けざるを得なかった時、給食の班机で菌が伝染るからとやられていたみたいに1cmあけて机を組まれた瞬間、増田の心にヒビが入り、割れ目が出来て人格が四つに分かれしまい、今も元に戻らなかったりしている。そういう意味では、たしかにトラウマと呼んでもいいのかもしれない。
それでも直接的な殴る蹴るという暴力は振るわれなかったからマシな方だったと信じている。記憶があり、はっきりと思い出せて、これだけの内容を泣かずに書けるようになっただけかなり寛解してきている。それに、当時の自分だって箒で殴り返すなどそこそこやり返したり、いじめっ子と同質になって増田よりもっとカーストの低い支援学級の子に対して、自分にされたことをそのままやり返すみたいにしていじめたりだってしていた。当時飼っていたハムスターも憂さ晴らしに虐待していた。弱いものがさらに弱いものを叩き、ブルースは加速していた。そういう感じでなんだかんだ適応して元気にやっていた。
それらへの後悔に苦しみながら、同時にその延長で今も友人にライン超えの発言をしたり、逆に踏み越えてはいけないラインを踏み越えられてもその場では分からなかったり、自覚がないままキレ返してしまい制御不能に陥ったり、暴力や脅迫や支配を伴わない合意の上での性行為では興奮できなかったり、記憶は共有しているものの人格が割れてしまい解離性同一性障害まで秒読み状態だったりと、後遺症は色濃く残っている。
けれど、でも犯罪をしないで済むくらいの範囲で誤魔化しきれているし、それ以上を望んだりもしない。だからこれもまた、今の増田をむしばんでいる死にたさの原因ではない。その時期はとっくに乗り越えてあり、過去は過去、今は今として整理がついていて、そういう自分のあり方を受け入れている。
人生を構成するだいたい全部に、人並みの不満や後悔はあれど、満足していないわけでもない。人間関係にも金銭にも将来にも不安はない。上を見ればきりはないが、下を見てもきりがない。自分の人生は自分のものであり、それ以上でもそれ以下でもない。
私は私だ。
なのに何故こんなにも死にたいのか。
胸を打つこの衝動は何か。
線路に飛び込め、七階から落ちろ、溺れて死ね、とにかく死ね、そう囁き続ける声が内側に蔓延るのか。
思春期という言葉を藁のように握りしめて、この衝動的な嵐が、年齢を経れば終わってくれると、ただ若さ故なのだと、そう信じてしがみついてきたのに、どうしてアラサーになってもまだ衰える気配がないのか。
この衝動こそが死にたさの原因であり、結果だ。
この自己こそが死にたさの真の原因ではないのか。
本当はやりたい仕事を諦めて現状に甘んじている?
友人と上手く付き合うことが出来ない?
両親の愛着が足りなかった?
趣味が実質逃避になっている?
過去に嫌なことがあって未だに引きずっている?
全ては結果に過ぎない。
最初に存在しているこの「自己」こそが引き起こした、必然の結果に過ぎない。
死にたいのは、嫌なことがあったのが原因じゃない。
嫌なことを引き起こすような自分に全ての原因があるということから、いよいよ目を逸らせなくなってしまったからだ。
増田はずっと、衝動、癇癪、叫びのような化け物を心に飼って、共に生きてきた。
こいつを野放しにしたら、とてもじゃないが人間社会では生きていけない、というかまず肉体が耐えきれなくて崩壊するような、触れるもの全てを敵と認識する、爆発的なエネルギーだけがひたすら渦巻いている、自壊を厭わない衝動の化け物。
その化け物を飼い慣らすことだけが、増田の今の全てを形作っている。
仕事や友人の選び方、楽しめる趣味、思考、行動、言葉、その全部全部が、この化け物を静かに眠らせておくことだけに全力を注ぐように構成されている。
そしてそれが漏れ出てしまった瞬間、必ずトラブルが起こる。嫌なことは全てそうやって起きている。
そう、気がついてしまった。
両親、友人、そして過去の思い出は、一般的な社会に溶け込める人間たちが、その化け物を目の前にした時の、ごくありふれた正常な反応に過ぎない。
全ては結果なのだ。
思えば最初から、物心ついた時にはもう、そいつと一緒に生きていた。
その場の思いつきで突拍子もないことをして、危険を危険だと分かっていながら飛び込まずにはいられない、じっとしてはいられないという性質を、持て余していた。
両親が増田のことを「あんたのことはよく分からない」と困惑して言った日のことをよく覚えている。
友人が「増田は人間じゃなくて増田という生き物なんだね」としみじみ言った日のことも。
増田をいじめて泣かせたクラスメイトが「だってあの子が最初に嫌なことをしてきたんだもん」と言ったことも。
先生が「どうしてそんなことしたの?」と泣いている増田を問い詰めたことも。
「泣いていたら分かんないよ。先生悪くないよね?なんで先生のこと怒るの?」と寄り添いのかけらもない態度をとったことも。
そして増田はただ、嫌がらせをしようとすら思ってもいなくて、そうすることしか出来なかった、それ以外のやりようがあるなんて考えつきもしなかっただけなのだと、説明出来なかったことも。
よく覚えている。
それらは全部、増田がおかしかっただけで、みんなはただ、当たり前に困っていただけだ。
ただ、それだけだった。
よく分からないものは愛せない、未知は排斥する、ああ、そうだろうとも。それにしたって、みんなの方にだってもう少し上手くやりようがあるようにも感じるけれど、でも、人間は完璧じゃない。上手く出来ないことだってあるし、それを責めたってどうにもならなくて、仕方がない。
だからみんな、距離を取る。うん、まったくもって正しい。あなたが自分を守るために、増田に人生を破壊されないために、必要な距離だろうとも。
でも、増田だって、こんなのと一緒に生きていくのはもううんざりなんだ。
私は私と一緒に生きていくのが疲れた。
みんなみたいに、そっと距離を取ることができない。
ずっと近くにいる。
ずっと隣にいる。
剥がしようもなく側にいる。
趣味だって、ただそうすれば抱えた癇癪がマシになるからやっているに過ぎない。こいつから逃れられないから、仕方なく好きにさせてやってもいい場所を作っているに過ぎない。
本当は絵や文章なんか書かなくても気分が晴れるならそれが一番楽なはずだ。誰も傷つけずに、安心して一人で好きなだけ打ち込めるというだけの、苦しみから逃れるために必要なだけの、ただの麻酔だ。
「文章を書いたり、絵を描いたりで努力できるのはすごいね」と褒めてもらえることもあるけれど、違うんだよ。それをやらないとあなたに危害を加えてしまいそうだから仕方なくやっているだけなんだ。全然立派でも何ともない。犯罪者予備軍が犯罪をしないためにギャンブルや酒に溺れているのと一緒なんだ、これは。
厄介な人をあしらう術に長けた者たちだけが、周りに残っているのがその証左だ。
衝動性を逃がす以外のモチベーションはないから、創作で食っていこうとしてもクオリティにムラがあって仕事にならないのがその証左だ。
自分は化け物だ。
人間じゃない。
人間になんかなれっこない。
必死に身につけた人間性の全てが、衝動の化け物が眠る上に構築してあるというただ一点を理由に、崩れていく。
その眠る化け物が少し身じろぎするだけで、目覚めるまでもなく、増田の積み上げた全てを崩壊させる。
増田は自らの意思で人生を選択したのではなく、選択できる範囲の中で選ばされるしか出来なかった。
好きなもの一つ、「自分」の意志では決められない。化け物を起こさないようにごくごく慎重に、刺激しないものだけを選んでいる。
全部全部こいつのせいなんだよ。
化け物を一番殺したいのは増田なんだよ。
私の人生を全部めちゃくちゃにしてきて我慢ばっかりさせるような化け物を、一番憎んでいるのは私自身なんだよ。
両親を困らせたくなかった。
いじめられたくなかった。
恋愛が怖いと思いたくなかった。
友達を傷つけるようなことなんて、今だって一個も言いたくない。
なのに全部できない。
全部全部、壊すのは増田だ。
私なんだよ。
死にたい。
もう、こいつと一緒に生きていくことに疲れてしまった。
何もかも破壊して、めちゃくちゃにして終わらせたいという衝動が、朝も昼も夜もずっとずっと苛む。
増田にできるのは、この化け物を思い通りにさせず、誰をも傷つけることなく、自らの死以外の罪をこの肉体に起こさせないことだけなのではないか、という気分になってくる。
それよりも、慰めてくれた誰かに牙を剥きたくない。
恩を仇で返したくない。
そんな気持ちのほうが、ずっとずっと大きく膨らんでいってしまう。
それは誰かを不幸にするから。
愛されないまま死んで忘れられることだけが、増田にできる唯一の社会貢献だ。
せめてそれだけはさせてほしい。
許してほしい。
ごめんなさい。
生まれてごめんなさい。
本当は飼いたくなかった
だけど親戚のハムスターが子供を産んでしまって、(オスメス別々で飼っていたハムスターが掃除時に同時に脱走→その1日で交尾し出産)引き取り手が見つからない…って嘆いていたからつい引き取ってしまった
7匹も買うのは大変だと思ったから
だからこそつらい
すごくつらい
働き盛りの独身女性に外で仕事させずに手伝ってもらわないとまわらないほどに家事が大変なご事情があるのか聞いてみてはどうでしょうか
たとえば、ものすごい大家族で毎日10人以上分の食事を用意し洗濯し、大量の部屋と複数の風呂トイレの掃除が必要とか、2-3人要介護の老人がいるとか、それなら手伝わないと回らないかもしれないから家事手伝いは必要
まあ、それまで家事やってた母親が病気とか要介護とかで、娘がメインで家事やってるけど「主婦」とは書けないから「家事手伝い」って書いてる線もあるか
風俗には行ったことないけれど、彼女いない歴=年齢だった頃は彼女がいないことにもそういう行為をしたことがないことにもものすごい劣等感を覚えていたのは確かだな。
当時読んでいた「試みの地平線」では、「風俗行け!」がよく言われる台詞だったけれど、そういうことに劣等感を覚えるよりはってことだったんだろうな。
当時の自分の屈曲具合を考えると、あの時代にIS (aka "イスラム国")があったら結婚して女性と関係を持たせてくれるという理由だけで行ってしまったかもしれないとも思うんだよな。
...とさらに考えてみたら、リラクゼーションマッサージとか耳掃除とかで女性に触ってもらう機会というのはあったけれど、それを性的な欲望と結びつける人がいて問題になってたな。
やはり男性側から能動的に触るということを許容してもらうには元増田が行っていたような場所に行くというのは不可避なんだろうな。
ダミー は 後ろ固くする スロアーが好ましい
キョスケは 端に2 後ろ5 ファルチェプランに移行
コーチングは シニンを利用
2位を狙うために 星2にとめるべきだ
スロアー4弱い説 前強くしたほうがいい スロアー2にして キョスケ盾あり
ベビドラつよいとおもったけど 短期決戦なら弱い
やはりクラン2つくったほうが強い
クラン4も強くない
ペッカよわい
リスト作る
生きる上で大事
不変 やっぱこっちーは疲れる 利益の最大化に反する
寝るときは ツベ聞いたほうがいい
考え事しても なにも覚えてない
脳は忘れる まあ忘れたほうがいいこともある トラウマとか
姉の家の猫が子どもを産んだ。
三匹あんたのところで引き取ってくれない?独身であんな広いマンションなんだからいいでしょ?
と半ば強引に渡された子猫三匹。
猫は嫌いじゃないが得意でもない。それに実際はミャーミャー五月蠅い。
でも今日。日曜だから朝はゆっくり寝ていて、ふと目を覚ますと子猫三匹が並んで俺を見つめていた。
本当にこんな感じで並んでいて無言でじっと俺の寝顔を見つめていたようで、そのとき不意に笑ってしまった。
愛おしくて思わず微笑むなんて、何年ぶりだろうと思ってしまった。
会社の後輩に子猫のことを少し話したら「今度見に行っても良いですか?」と言われたので今日は一日出かけず掃除やら溜まった洗濯をこなしていればあっという間にこの時間だ。
今日もごみ出しをして、切れてたパンを買って帰ってきたところなんだけど、こういう日常の流れってこのままでいいのか?ってまた考えてしまった。
夫婦の役割分担は、別に完全に半々じゃなくてもいいと思ってる。
収入や体力、得手不得手、育った環境や生活リズムが違うのは当たり前だし。
ただ、ある程度はバランスが取れててもいいんじゃないかって思う。
時間に余裕があるほうや収入が少ないほうが家事を多めにやるのは自然だと思ってる。
家賃や光熱費は収入比率で割り、通信費や新聞、食費は自分が全部負担。
だから朝のごみ出し、ルンバや洗濯乾燥機のごみ取り、排水ネット掃除はほぼ自分。
換気扇や空気清浄機のフィルター掃除、床拭き、水回りの掃除もだいたい自分が先に気づく。
トイレ掃除も夫がやることはあるけど、自分のほうが頻度は多い。
改善のために「夜のうちにごみ出してくれない?」って提案したこともある。
たまにやってくれるけど習慣にはならない。タスク表を作って分担しようとしたら同意はしてくれたけど、実行はしない。
結局こっちが日程を決めて貼り出すところまでやらないと動かない気がする。
一度、あまりにモヤモヤが消えなくて、カウンセリングにも行った。
そこで言われたのは「まずは相手の立場で話を聞くことから始めてみては」ということ。
どういう考えでそうしているのかを、そのまま聞くのが大事らしい。
でも正直、それをやったとして本当に状況が変わるのかはわからない。
こっちはそれなりにやってるつもりだし、提案もしてきた。
それって家庭内でマネージャー役やるみたいなもんじゃないのか?って思うことがある。
時々、いっそ家事やめたほうがいいのか、そもそも自分が「こまめにやるべき」って勝手に決めつけてるだけなのか、そこまで考えることもある。
要約
花鰹で出汁を取ると手間ほぼ0の割にすごく丁寧に見られる!!
・ぬか漬けを作ったことが何回もある(正直、糠は取り寄せた(が、取り寄せたとて糠漬けを作るのは丁寧な暮らしと判定される))
・珈琲を豆から挽く、デロンギとE-angle(ツインバードのOEM、そのくせ豆粒が飛び散らないなど改良されている)
・脱サラした人がアップしてる蕎麦の作り方をみて、混合節と昆布、一ヶ月寝かした返しで年越しそばを作った
ここまで文章を読むことができる時点でだいぶ偉いしだいぶ暇
解説本番
このパフォーマンスは僕にとってのパフォーマンス、幸福度なども含めたもの
そして、だしパックあるやん?あれうまいよ?
でも、ラーメン用のザルに花鰹入れて取れば手間変わらん。
手間の差の割に味の差が歴然
なので出汁は花鰹で取るのだ
そして、勿体ないと思うくらい使え!!!
でももったいなくないよよく考えてみ君外食するでしょ?その出汁、一回の飲み会で30回は出汁取れるから。普通に贅沢して入れてもだよ!
だから、花鰹から出汁を取ってるだけで丁寧な暮らしだと勘違いさせられる
Panasonicが一番楽だ
アイスコーヒー用のコーヒー豆なら普通に入れて珈琲入れるだけでうまく作れるぞ
今時の全自動、すごく楽なのに自分で入れているというだけで、人の話をよく聞かない大衆どもは丁寧な暮らしをしていると勘違いするぞ
わかる、デロンギのほうが楽だ
俺も持っていた
日本仕様でカフェジャポーネっていうモード会って、うまいっちゃうまいけど、コンビニコーヒーを家で飲めるロマンを追求するならPanasonicである