はてなキーワード: 阿鼻叫喚とは
軽めのネトウヨの俺からしたら高市早苗政権が出来てめちゃくちゃ嬉しい。
今回は絶対に小泉政権が出来て、中国の属国以下になるだろうと絶望してたから。
本当に外国人に辟易していた。別に外国人入る事はいいけど、今はもう多すぎるんだよ。
うちの子供入れてる公立保育園の半分近くは外国人だぞ。しかも生活保護貰ってるの確認済み。
そしてずーっとウザ気持ち悪かった公明党が自分から連立から出てってくれた。
マジかよ。最高じゃん。
やっと自民党支持に戻れるわ。
と思ったらはてサが異常に高市早苗叩いてて草。阿鼻叫喚じゃん。
政策は大して分からんくせに嫌いだからって叩いてるんやろ。ダッセーな。
底で買い増したいとかじゃなくて、パニック売りしてる奴らの阿鼻叫喚見るのすげえ好きなんだよね、トランプ関税の時の大暴落とかすげえ楽しくてSNSに張り付いちゃったよ
・コロナ禍で底売ってから調整・停滞入らずずっと右肩上がりだった
・S&P500がPER31間近
・新NISAから投資始めた人口が多いので、バブルが崩壊したら新NISA勢の利益を全部吹き飛ばす可能性高い
これが崩壊した時どうなるのか、想像しただけでウキウキするんだが、
実際に崩壊するシナリオってどんな感じになるか予想してる奴いる?
普通に戦えばまず勝てない。
攻略板では「心が折れた」「人生を否定された」「二度とやりたくない」といった報告が相次いだ。
タンクは即溶け。
3ターンで全滅。
火力を集中させ短期決戦。
そこで「自己肯定アイテム」をギリギリで与え続け、否定と肯定を無限にループさせることで行動不能に陥らせる裏技。
敵は一切動かなくなり、棒立ち状態。
普通のプレイヤーが真似できるものではなく、再現性はほぼゼロ。
真っ当に戦えば地獄。
石破氏の作文に「涙が出る」とか言ってる人がいるが、いま80年前の戦争にまつわる概説的な文章読んでそんな感動したりするか?別段、口にすることも許されなかった真実が初めて明るみに出されたわけでもない。歴史の授業はまいたび阿鼻叫喚だったか?
翻って、高市新総裁に対する印象操作のチマチマした工作が止まらない。
高市がワークライフバランス無視すると言った!
批判するのは別にいい。日本で一番批判を受け止めなければならないポジション(に就任見込み)なのだから。でも内輪で気勢上げるためのカスみたいな難癖はダメだ。それはジャーナリズムが本来担うべき「権力の監視」という仕事をサボって遊んでるだけである。
ごく冷静に言って石破も高市も政治家として大したタマではない。ずっと手を挙げ続けてきた結果、あんまりおいしくないタイミングでお鉢が回ってきただけの並の人物である。その並のおっさんおばはんを泣くほど持ち上げたり蛇蝎のごとく忌み嫌ったりするのは何故か?
今後、高市氏へのネガキャンは「女性なのに別姓を阻止しようとする裏切り者」というスティグマを軸に行われるだろう。
しかし氏姓なんて今やただの識別符号である。同姓絶対派が言うような国と社会の根幹でもないし、別姓派が言うようなスバラシイもんでもない。
みんな【ほんとうはどうだっていい】からこそ熱くなれるんだろ。サッカーワールドカップでボールがライン割った割ってないで大騒ぎするように。
本当に一つ一つの言動や選択に自分や家族の生命財産がかかってる時には、人間はそんなワーキャー言わない。
年中無休でバカなことを言ってる内田樹はたまに普通のことを言う。その一つが「知ったかぶりや受け売りでモノ言ってる奴こそ一歩も譲れない」というものだ。
変なのに懐かれていた。
私より長くその界隈にいるらしいが、某サイト初心者のようでまだ他人との距離感がわかっていないようだった。
よく相互のシェアで流れてくることがあったが、私はこのプラットフォームでは子供とは仲良くならないように努めていた。
暫くした後、よく投稿が流れてくるようになったのでフォロバを検討していた時に性格が合うか投稿を覗いてみたら「あの人はフォロバしているのに、どうして自分には返してくれないのか」と公にしていた。
自意識過剰なので、すぐに私のことだと勘繰りフォロバをするのをやめた。こういう人間は離れる時に面倒なのはわかっていた...というのも私も過去に同じタイプの人間で積極的に好きな創作者と関わりたがっていたからだ。
その時いろいろやらかして、アカウント転生もたくさんして、色々な人との交流を絶つことになった。
結果として何も考えずに色々と投稿できるようになったが、正直他人と接するのがもっと億劫になった。
話を戻すが、私は好きな雰囲気の人や作風の人をフォローしたい。
同じジャンル者だからと言って、自分の投稿に何度も乗っかってきて絵を見せてくるような人と交流するのは疲弊する。私は成人しているが、子供の「見て見て」にいちいち構ってあげられるほど大人ではない。
その際にはいつか近い将来、私は垢消し転生逃げ生活をしているだろう。
まあその人と話しているのは私の相互で、その人と交流しているのは相互の自由であるので私はいつも通り通知に出てくるその人に目を向けないよう過ごしていた。
しかし、ある日不幸にも別の相互がその人について言及しているのが目に入ってしまった。
それはその人が鍵垢で名差しで暴言投稿をしている画像であった。
何故名指しされている本人がその画像を持っているのかは疑問に思ったが、フォロワーがいる鍵アカウントでとんでもない暴言を吐いているのを見て一気に印象が下がってしまった。
いずれ、この人と関わりがある私にも矛先が向かうのではないか、その前にも私に対して何かを言っているのではないかと思うようになった。
もちろん、その画像を投稿した相互には他人の鍵垢の投稿を晒すのはどうかとお気持ちを伝えたが、見てしまったからには私も心穏やかに過ごすことができない。
その人はジャンル内の海外勢と揉めている真っ只中で、海外勢に対する偏見・暴言・愚痴オンパレードの阿鼻叫喚であった。
かく言う私も日本語で話すが海外勢に含まれているので正直良い気はしない。
ということで私のフォロー欄から削除することにした。その後やっぱりまたフォローされるのが嫌でブロックした。
頭の悪い行動ではあるが、これは私の平穏なジャンル生のためである。
一度嫌われれば、その後どこかで暴言を言われても「理由があるし、仕方ないよね」で済ませられるのでダメージも軽減できるという策である。
「ブロックするな」というマイルールはほぼ無意味。私が不快だから私の人生から見えないようにする。
数年前、APIの料金問題などでブロックチェッカーが排除される前はそう言ったツールのヘビーユーザーだったが、そんなものいちいちチェックしてたら精神が疲弊するので気をつけてほしい。
そんなもの不具合やら何やらで正確な数字は出ないし、チェックする自分がアホみたいに感じて自己嫌悪に走ってますます精神状態が悪化する。
実際、APIのあれそれでアクセスできなくなった時から4割心が元気になったのでブクマから外したほうが得だ。
......こんなにも自分が言及しているのは、やっぱり私はあの頃から成長していなかったことに落ち込んでいるからである。
今でもやはり他人の言う事を気にして、火に油を注いで、それで何度も見られていないか確認しに行って......。この気持ち悪い性格が就職と共に改善されることを願っていたが、現実ではなかなか上手くいかないようだ。
しかしこれを名前と一緒に言えば嬉々としてまた突かれ、晒されるのであろう。なので、調べなければ出て来ないと思われるここに封じることにする。
これを機に一つのアカウントでのブロックを外して目に見えないようにしていこうと思う。
幸い、そこはすでにブロックされているし、新しいアカウントなのでおすすめ欄はゴミのような政治投稿ばかり。
ジャンルの投稿はゼロに等しい。すり抜けで来ない限り、私はまた平穏な生活に戻ることができるだろう。
今まで吐き出せていなかったこのお気持ち日記をネットに放流することでスッキリできるよう願う。
頼む。
走行距離1万キロ超の元ヘビーユーザーとして、今回のタイムズカーの料金体系変更について解説してみる。
2025年12月1日距離料金およびタイムズカープログラムの改定について | カーシェアリングのタイムズカー
x.com/magasasu28/status/1965574932542480557
かなりの人が利用しなくなるだろうな。
物凄い改悪。
x.com/nao_ele_desin/status/1965418729527017508
非マイカー保持者の私にとっては
かなりの改悪ぶりに目が点です…
これならもう車持つ方がええやん…🫤
もしくわ他のカーシェア…
増田の意見としては真っ当な料金体系の変更であり、逆にこれまでに穴が塞がれていなかったのが不思議だったという印象である。
今回の変更の論点は以下の通り。
それぞれ解説していく。
以前の条件では6時間以内に抑えることで、格安のドライブ・旅行が可能だったので、増田は暇な土日に6時間以内のドライブを頻繁にしていた。
参考までに、ガソリン代が160円/l、燃費が20km/lだとして1,360円。東京・横須賀間の往復電車運賃が2,220円。グリーン席の追加コストや電車では目的地まではバスに乗らないといけないことを考えると安いし楽。
参考までに、ガソリン代が160円/l、燃費が20km/lだとして1,440円。東京・横須賀間の往復電車運賃が3,388円。電車のダイヤの不便さ(本来は特急利用すべき距離)を考えると安いし楽。
参考までに、ガソリン代が160円/l、燃費が20km/lだとして2,400円。
はっきり言って、タイムズカーにも首都高にも利益にならない環境破壊行為である。
ケチで暇な独身だからこそできるドライブだったと思う。同乗者や家族がいたら、こんな乗り方はできない。デートで6時間のタイムアタックをしたり、6時間制限のために遊びを切り上げるパパとか嫌だよね。
この6時間制約のせいで旅行先を限定してしまったり、帰りを急いだりしてしまうこともあったので「普通の」ユーザーにとっては良いことだと思う。
追加料金がかからないことをいいことに、1人でもアルファードに乗るようなユーザーも多かったのではないかと予想。本当に必要な大人数での利用なら、追加料金を気にするということはないので、利用の最適化につながるはず。
ミドルクラス・プレミアムクラスが必要なユーザーには予約しやすくなるメリットがある。
x.com/hansen_a900/status/1965348999462047963
確かに結構な値上げであり、皆さま阿鼻叫喚だけど極超短時間でもない限り元々レンタカーの方が安いやろ?全国各所にあり空きがあれば24時間即時使えるのがタイムズなので、レンタカーで済むならレンタカー使ってるし。皆タイムズ一本足打法なの?
例えばニコニコレンタカーはSクラスが12時間まで2,525円だが、カーナビ+550円、パーフェクト補償+2,200円を考えるとそんなに安くはない。何よりもカーシェアにはレンタカーにはないメリットがある。
とある30代半ばの女の話
経産婦だけど親権は元旦那で女側が養育費を払っている状態で種無しの男と再婚(種無しなことをわかっていたが燃え上がっていたので勢いで結婚した)、ゴン太義理の両親との大豪邸での同居生活
しかしとにかく多方面から男にヨシヨシされたい性格が極まっており手当たり次第職場の人当たりが柔和な男にアプローチを仕掛けた結果、同じ職場の30代後半箱入り息子童貞が引っ掛かり無事籠絡
子作りセックスに目覚めた結果やっぱりもう一度子どもがほしい!と目覚め、箱入り息子元童貞と結婚することを決意(まだこの時点で己には旦那がいる)、箱入り息子のご両親は「お前と結婚したいなどと言ってくれる女は二度と現れないので慰謝料肩代わりするからその女と結婚しろ」とまさかの乗り気、女は旦那に「好きな人ができたから離婚してほしい」と電話で切り出し(私の本気をあなたに見せたいからと箱入り息子とデートしている最中に電話をかけた)、無事離婚届の記入が終わり秋に離婚届を出すことが決まり、離婚を切り出された旦那は「慰謝料は請求しない、車も共有財産も持っていって良い、ただしお前が半年前に飼いたいと言って迎え入れたが現状俺と両親が世話をしている犬だけは絶対に置いていけ」とだけ伝えたらしい
だがしかし女は住む場所がないと今だに旦那と同じ家で寝食を共にしており「気まずい」などと発言、実家暮らしの箱入り息子の部屋は汚部屋が極まってるので転がり込むのが流石の女にも憚られたらしく、でも女も箱入り息子も己で賃貸契約をしたことがないので家を借りるのにも四苦八苦しており、そんな状況下で職場でまぐわる一歩手前なのを重役に目撃されて阿鼻叫喚←いまここ
584 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイ 2940-4hEK) 2025/08/26(火) 09:35:16.23 ID:ZS4WA5tk0
黒人が怖くて怖くて仕方ねえんだろ
実際手の届くところに来られるとなると途端にビビり散らかして「治安が崩壊する~」だからな
614 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイ 2940-4hEK) 2025/08/26(火) 09:40:41.23 ID:ZS4WA5tk0
女たちは犯され
老人と子供は燃やされ
歯向かうものは一人残らず皮を剥がされんだぞ?
こ・わ・い・か・?
ンッギャハハッッハ
662 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイ 2940-4hEK) 2025/08/26(火) 09:49:22.75 ID:ZS4WA5tk0
「日本人ファースト!」とか喚いて参政党に投票してたらアフリカンのホームタウンにされてんのクッソ笑えるわ
これからも日本中でこういうことが起こって黒人で溢れかえるわけだけど大丈夫か?ん?
黒人の目の前で「日本人ファースト!」とか叫んでみろよ腰抜けジャップ
スマホで撮影されながらブッ刺されてゲラゲラ笑われたりすんだぞ?
おめえらに生き延びられんのかよクソジャップ
・「動画を作らなさすぎる」
・「X(Twitter)に閉じこもりすぎている」
・「手数が少なすぎる」
・「マジメすぎる」
これらが非常に大きな要因である。
タイトルは少し煽りっぽいが、「リベラルの責任を追求する」という内容ではないので、みなさんには落ち着いて読んでほしい。
ただ、リベラルが圧倒的に「認知戦(イズム布教)」において戦略不足(下手すぎ)なのは間違いない。
なぜ右派ポピュリズムの影響力が強く、リベラルは戦略的に何が足りないのか、そしてどうすべきかを考える。
また、この記事では、それぞれの党派の正しさについては触れない。
例えば、「リベラル言説は現実性が無い」と言われたりするようなイズムそのものの評価は置いといて、ネット戦略(認知戦)・伝え方のフォーマットに絞って話を進めたい。
参政党が票を取った理由は、そもそも世の中全体で「ソフト右派」が大多数を占めていた(とっくにそうなっていた)からだ。
そのうえで、たまたま右派政党の中で参政党が選挙のプレイヤーとして一番上手かっただけに過ぎない。
「参政党はカルト性が強いから、カルト的な信者が集まった」とか「参政党=カルト」だという認識は的外れだし、むしろ楽観的すぎる。
たしかに彼らが右派政党の中でもっともプレイヤーとして優れていたのは間違いない。
しかしそれ以上に重要なのは、今の日本において中間層の「ソフト右派」が既に大多数を占めているという現実である。
だから「なぜ参政党が上手くやれたか」を追うよりも、「なぜ日本がここまで右傾化したのか」ということの原因がわからなければ、参政党が消えても別の右派政党が同じように票を取るだけなのである。
残念ながら、参政党の圧勝は日本の民意が反映された結果である。
あくまで、「日本全体が右傾化している」という現実をリベラル派は理解して戦略を立てなければならない。
みなさん、「フィルターバブル」「アルゴリズム」といった言葉をご存じだろうか?
例えばYouTubeで新しいアカウントを作り、料理のレシピを一度検索してみる。
すると、それ以降ホーム画面には料理のレシピばかりが表示されるようになる。
こうして「自分が一度興味を示した情報ばかりが優先的に表示される」状態が、フィルターバブルだ。
そして、そのフィルターバブルを引き起こす「プラットフォーム(YouTubeに限らない)ごとの仕組み(=アルゴリズム)」がある。
今のインターネットでは「何が表示されるか」は人の意思ではなく、プラットフォームの「アルゴリズム」によって自動で選ばれる。
「自分で検索した」と思っても、その検索結果は既にアルゴリズムによってフィルターバブルが起きているのだ。
フィルターバブルは「仕組み(アルゴリズム)が作り出す偏った状態」で、エコーチェンバーは「人のコミュニティの中で生じる偏った状態」である。
(一旦ここではそこまで厳密に考えなくてもよいです)
まず、YouTubeをログアウトして(シークレットブラウザでもよい)初期状態のまっさらな状態でホーム画面を開いてほしい。
「まずは検索してみましょう」と表示されているはずだ。
この状態で、「参院選 党首討論」などと検索し、選挙前の党首討論番組の動画を2~3個視聴してほしい。
党首が平等に出演したテレビの公式チャンネルの動画なので、この段階では特に党派性の偏りは無いはずだ。
しかしその状態で、再びYouTubeのホーム画面に移動してほしい。
アルゴリズムによって動画がずらっと一覧表示されるのをスクロールしていくと…
驚くべきことに、リベラル派・左派の動画コンテンツがまるっきり表示されないのである。
表示される動画の多くは、
・参政党、国民民主党、といった政党の支持者たちが作ったと見られる動画
などである。
普段そこまで政治に強い関心が無い若者が「そろそろ選挙だし調べてみるか…」と言って検索したらこの有り様なのである。
政治関連で党派色の無いものはニュース番組系の動画ぐらいだろうか。
ホーム画面に表示されない見えない力が働いているというわけではなく、そもそもリベラル派が作った動画がないのだ。
本当に(れいわ以外)一つも無いレベルで流れてこないので、リベラルの皆さんは是非上記手順を試してほしい。
この現象はYouTubeに限らずTikTokでも起きている。
YouTubeにしろTikTokにしろ政党の公式チャンネルだけやっていても意味がない。
YouTubeでは、政治やニュースの動画のコメント欄は、比較的保守派の声で埋め尽くされている。
チェンネルにもよるが、全体的に見てもリベラルの声は、かき消されるほどに少ない。
兎にも角にも、リベラルを叩き、保守的な観念を叫ぶコメントばかりだ。
今回の参院選でも、選挙関連の動画には「参政党」支持者のコメントが溢れかえっていた。
YouTubeでは、コメントした人のアイコンをクリックすると、「その人がそのチャンネルで書いた他のコメント」が全部見られる(たしか、近年この仕様になった)。
参政党に賛同するコメントをしている人を見てみると、別の動画でも同じような参政党支持のコメントを何度も書いているのがわかる。
こういう人たちがたくさんいて、それぞれが一つの動画に一斉に書き込むから、コメント欄が参政党支持のコメントで埋まってしまうのだ。
要するに、書き込んでいるのは、他の動画でも参政党を推し続けている特定の人たちで、そんなアカウントが大勢いて一斉に押し寄せている。
参政党の支持者達は、ネット言論の中でかなり意識的に大量動員されている印象を受ける。
X(Twitter)では怒号と罵詈雑言の応酬が続いているのに、一体どういうことなのか。
リベラルは「X(Twitter)に閉じこもりすぎている」のだろうか。
動画に対して大勢でコメントするリソースが、リベラルにはあまりにも足りてないのかもしれない。
しかしそんなことを言ったところで「コメント合戦」は認知戦(イズム布教)には絶対に欠かせないのである。
コメント欄というのは、認知戦の根幹をなす「空間支配」の最前線だ。
つまり、動画コンテンツを作るのと同時に、コメント動員力をつけなければならないのである。
自分たちの動画は大量の支持者達で埋め、他の動画にも支持者を総動員する。
リベラル政党の議員が出演している動画のコメント欄が、アンチだらけになっている現状は、無防備でマヌケと言わざるを得ない。(特に立憲にありがち)
「リッチでスローな」コンテンツというのは、映画やドラマのことを指す。
これに対して、YouTubeやショート動画は「チープでファストな」コンテンツといえる。
これまでリベラル的価値観の布教は、主に前者のフォーマットで行われてきたと言えよう。
しかし、どれだけ丁寧に予算をかけて作った映画やドラマよりも、無料かつ短時間で消費される「ポリコレうざすぎw」「うるさいフェミw」といった、チープでファストな「おもしろコンテンツ」の方が再生され、認知戦において大きな影響力を持ってしまうのである。
下手したら映画の興行収入よりも動画の広告収入の方が上回る可能性すらあるかもしれない。
「とある増田の投稿が話題に」や「リベラル衰退の理由にサヨク阿鼻叫喚😂」
と言ったコンテンツのネタにいくらでもさる可能性は十分ある。(もっとも、そもそも誰にも見向きもされない可能性の方が高いが)
さすがに上記のような苛烈な冷笑や揶揄のベクトルである必要はないし、そうしたトーンが認知戦のメインというわけでもない。
それでもやはり、リベラル側には「チープなコンテンツ」を作る作家が圧倒的に足りていない。
手数を打てる場所がX(Twitter)の中だけというのは、間違いなく弱い。
リベラルの価値観に共感する「匿名のクリエイター」たちが「動画コンテンツ」を量産しなければ勝負にならない。
最低でも「物量で拮抗するところまで持っていって、ようやくスタートラインに立てる」といえるだろう。
その気持ちは分かるし、必ずしも低俗&冷笑のフォーマットを真似する必要もない。
チープでファストなコンテンツの影響力に辟易している気持ちも理解できる。
だが、リベラルが「こんなクソみたいな動画に影響を受けるな」と言ったところで大衆には通じない。
リベラルがX(Twitter)でポチポチとレスバしている間にも、数百万回再生される「おもしろコンテンツ」が星の数ほど量産されていく。
人間は「みんながこう言っている」「みんなが賛同している」に、なんとなく正しさを感じてしまう生き物だ。
そこに、あたかも政治色や党派性など無いかのように、笑いや煽りでコーティングされた言葉があふれる。
リベラルには良識があるといくら思っていても、自分達の声が適切に届かなければ意味がない。
そして「届ける」というのは、ただがむしゃらに発信することではない。
「どうすれば分かってもらえるか」「どうすれば世間に浸透するか」といった分析と計画を持った施策が必要なのである。
それができないのであれば、少数の人達の中で世界が閉じていく未来しかなくなってしまう。
「ウケを狙いたくない」「揶揄はしたくない」「真剣に声を上げる」
それらが全く無意味な訳では無いが、それだけやっていても認知戦には勝てないのだ。
決して誰かを侮辱したり、笑い飛ばしたりするような露悪的な態度でなくても、一見落ち着いて中立的に見える動画という形で、バイアスを忍ばせつつ視聴者に価値観を届けるという方法もある。
もっと言えば、必ずしも政治ジャンルである必要もないのである。
特定の政党を支持しているわけではないクリエイターや配信者が、政治を前面に出したコンテンツを作っているわけでもないのに、ごく自然な会話や表現の中で保守的なイズムを発信していることがある。
彼ら自身は布教だと意識していなくても、結果として保守的な価値観を広げる役割を果たしているとも言える。
しかも、それらの発言は、前の段階の認知戦で定着した言説の影響を受けている場合も多い。
もはやリベラルは何手も遅れていると言わざるを得ない。
もう何年も前から「動画コンテンツ」が言論の強さを左右してきた。(政治じゃないトピックでもね)
「動画見ただけで分かった気になるなんて情弱だな」と確かに思うが、現実には、多くの人が可処分時間のほとんどを無料で見られる動画に費やし、その影響を受ける。
参院選の投票先をみても、普段から動画を見ている10代・20代が軒並み保守化していることがよくわかる。
左派で、戦略的に支持を集めているのは、れいわ新選組のみと言ってよい。
共産党も社民党も支持層は高齢化し、立憲民主党に至ってはブレーンがいるのかどうかも怪しい。
TikTokで新しく作ったサブアカウントで各政党名を検索してみると、立憲も共産も社民もネガキャン動画だらけだった。
挙句の果てに「ぴろゆきが思う一番良い政党」などというオススメ検索ワードまで上位に出たときは、苦笑するしかなかった。
しかし「そんなもんに影響されるな」という潔癖さを捨てて、「チープ&ファストに影響されるのは前提」として、戦略を建てないと何も変わらない。
リベラルがパッションで叫び続けても、その声はリベラルのエコーチェンバーの中で反響するだけで、外にはほとんど届かない。
一方で、保守派はネット空間を戦場として正しく捉え、早く・多く・効率よく動いている。
リベラル派は動きが遅すぎるし、ギリギリだし、常に後手に回っている。
バズの構造やフィルターバブルなど、アルゴリズムの理解も浅すぎるし、組織的な動員力がほぼない。
テキストベースのプラットフォームであるX(Twitter)を見る限り、リベラル派・左派の人口自体は相当数いるように見える(左右で拮抗している可能性すらある)。
にもかかわらず、彼ら(左派)は他のプラットフォーム(特に動画プラットフォーム)では全く動員されず、右派が圧勝している。
時の回転の中で、飽くことなく繰り返されるこの嘆き。まるで冥府より吹き出す霧のように、十年の歳月を隔ててなお、同じ旋律がこの耳朶に囁き続ける。
我はミリタリーという古の美学に憑かれし者。兵器の鋼の煌めきに心酔し、無機の魂たる機械に何らの期待も抱かなかったが、それでも尚、彼らの狂信的な叫びは耳を打った。
増田なる名も知らぬ狂人と、ネットの無秩序なる群れが、「AIを使わぬ者は無智の徒にして愚者」と高らかに断罪し、今や検索は神の啓示のごとくAIに委ねよと喚く。
その喧騒に惑わされた我は、身をもって試みんと欲し、彼らが推奨するAIなる虚構の鏡を覗き込んだ。名を「perplexity」と冠せしその代物よ。
だが、虚しい哉、彼は氷の剣のごとく鈍く、火の息を持たず。何を以てあの機械の怪物、ゲッターロボの如き全能の兵器と呼ばわるべきか、我には到底理解し難かった。
この冷たき無用の神器を手にし、我が胸は逆説的な絶望に満ち、無限の虚無が深く押し寄せたのであった。
■検証の書――「USサバイバル・スクール:極限の野外生存術」という、虚飾と真実の狭間に揺れる書物の謎
そこに潜り込んだ日本の狂気、それはひとつの伝説として語り継がれるべきものだった。
我が問いは鋭く冷徹であった。
「フランク・キャンパー、かのベトナムの亡霊が設立した傭兵学校にて、日本人がその熾烈な業火に身を投じた。並木書房より刊行された記録、その詳細を我に示せ」と。
毛利元貞なる名は、まるで不協和音のように執拗に繰り返される。
しかし彼は、キャンパーの影すら追い求めることを許されなかった。
渡米の時、その魂は既に失墜し、シク教過激派の恐怖という檻に閉ざされていたフランクは、もはやその地に存在しなかったのだ。
彼の筆だけが、現実の血と鉄の匂いを伴い、マークスクールの深淵を日本の闇に照らし出す。
だが、愚かなるAIよ、貴様の吐く言葉は、ただ黒い泥に塗れた幻影でしかない。
■「ボケ!」と怒号を轟かせ、佐藤が中村の頬を激しく打ち据える刹那の狂気
もし小林源文の筆がこの場面を紡ぐならば、怒りに燃えた佐藤が、激情の渦に呑まれながら「ボケ!」と咆哮し、中村の顔面に無慈悲な掌撃を連打するであろう。
その音は、まるで虚空に響く凶刃の連打の如く、痛烈で凛とした一瞬を永遠に封じ込める。
然るに、我が問いは、凡百の狂信者が知悉せし「その道の神話」を、あえて曖昧にし、無垢なる者も辿り着きうる浅瀬の問いを投げかけた。
されど、AIは冷徹に同じ嘘の鏡像を繰り返し映し出し、最後には人間の骨を砕く労苦を放棄し、「専門書籍や現地の新聞を当たれ」と怠惰な権威を振りかざす。
その傲慢なる姿は、まるで漆黒の闇に身を包み、神々をも嘲笑う堕天使のごとし。
「情報の源泉は人が一つ一つ血の滲む努力で確かめるべきものだ!AIの言葉を盲信する愚か者どもよ!」と。
されど、そもそもその源泉を掌握しうる者は、AIに頼ることなく、自らの剣と盾で知識の闘技場に立つのだ。
我が実験は証する。もし本の名も著者も内容も知り尽くすならば、AIは無用の長物と化す。
東京の図書館の壮麗なる書架を横断し、週末には秋葉原の淫靡なるフィギュア群を横目に、己の足で知識の聖域を巡礼せよ。
必要なのは、刃のように鋭い眼差し、鋼の意志を宿した思考、そして血肉を纏った脚である。
新たなる知識の断片を得る者は、自らの言霊を操り、瞬時に真偽を穿つ術を備えている。
斜め上から降りかかる不毛な答えに怯える者は、まさに魂の貧者である。
増田なる狂信者は、その愚鈍ゆえに、己の脳髄を拒み、イルカの脳よりも皺なき空洞に堕ちたかの如し。
■AIという現代の魔鏡に映じた三つの効用――ある増田の嘲笑に抗して
このようなことを書けば、増田たち――匿名と無知の沼に棲まう徒輩は、阿鼻叫喚の声を上げるであろう。
だが、我は知の均衡を保たんがために、あえてこの機械仕掛けの賢者において見出した「美しき有用性」を列挙しよう。美とは常に、汚泥の中から咲く一輪の毒花の如くに現れるものだ。
卑俗なるアニメにおける色情の場面、そこにはしばしば不可視の官能が埋没している。
だがAIは、冷ややかな機構のままに、微細なる画素を拡張し、800という侮蔑的数値を2倍、あるいは4倍へと高め、隠された肉体の輪郭を、絵画的に、崇高なるまでに再生する。
それは単なる技術の産物ではない、むしろ現代の錬金術と呼ぶべき性なる奇跡である。
二、忘却された名もなき異形のヒロインたち、その肉体に再び魂を吹き込む業
彼女らはAIという冷徹なる粘土に姿を刻まれ、時として着衣のままに背をさらし、淫靡な構図の中に身を沈める。
背後からの視点、衣擦れの音すら感じられる錯覚的官能に、我が理性すら刃を折りそうになった。
かつて学徒が汗に濡れた指で辿った数式も、AIにかかれば一瞬の静寂のうちに解へ至る。
そこに在るのは誤謬なき正確さ、曖昧さを斬り捨てる断罪の論理。
この冷たい知恵は、あたかも白刃の如く、我々の惰性と無知を切り裂く。
結論:
AIとは、無用の雑音を撒き散らす狂人たちには理解できぬ、秩序と快楽の異形の神である。
我々がそれに問いを投げるとき、その回答はしばしば裏切りに満ちる。だが、時に美は裏切りの中から生まれる。
業務におけるAIの用い方に限れば、それは確かに一つの「有用なる下僕」として振る舞うだろう。
会計の補助、文書の草稿、仕様の再構築、そういった乾いた世界においては、AIは沈黙のうちに忠義を尽くす――それはさながら、殉死する武士のように、無言のうちに己を捨てる奉公人の風情である。
しかしながら、人間がある閾値を超えて、知識と経験と知性を抱いた瞬間――その瞬間から、AIはもはや無力なる玩具、むしろ滑稽なピエロとなる。
その存在は、優れた兵士に与えられた木製の模擬銃に等しく、役立たずどころか、侮蔑の対象でしかなくなる。
ただし――ただし、淫猥の世界においてのみ、AIはかすかに香を放つ。
性欲という原始の深淵、肉欲という生への執着において、AIはかろうじて役目を果たす。
それはあたかも、死体に近づく花の蜜蜂のように、倒錯と腐臭に満ちた快楽の園でのみ機能する。
「増田」なる者――己の無力を知りつつ、それを盾にすることでしか社会との関係を結べぬ現代の男児――
彼らは言うのだ。
「弱者男性の我が身にも、JKとの交歓の手立てを教えよ!SNSの在処を示せ!手口と計略をAIの知性で編み上げろ!」と。
そして「豚丼」なる女たち。
肥大した自我と衰えた肉体を抱えながら、彼女たちもまた幻想を口走る。
「若いイケメンを手中に収め、ライバルの乙女どもを打ち砕く方法を教えよ!戦術・戦略・軍略すべてを整え、我が欲望を叶えよ!」と。
だが、そんな情報が、たとえAIが進化に進化を重ね、「KOS-MOS」「ハッカドール」「ミホノブルボン」「初音ミク」の名を持つアンドロイドたちが現出し、
機械の心が美少女の肉体に宿る時代が来ようとも、絶対に提示されることはない。
そしてその知性は、決して「おまえのため」には存在しない。
もしその時代が来たならば、おそらく貴殿らはただ黙って、そのアンドロイドの口元へ己の肉棒を突っ込むであろう。
何も言わずに、何も考えずに、ただ獣のように――
それは、人間が機械に跪き、自らの尊厳を放棄する瞬間なのである。
悪しからず。
努力――それは、時として愚者が己の愚かさを包み隠すために用いる、唯一の薄布である。
確かに、この増田と称する者にも、ある種の努力は見受けられる。
だがそれは、切腹の儀において、脇差を取り違えた挙句、腹ではなく脇腹を掠ったような――
間違った箇所に刃を立てたという滑稽な努力にすぎない。
だが、知識とは命令によって手に入るものではなく、献身によって滲み出る血である。
その血を流したことのない者が、知を得ようなどというのは、まるで戦地に赴かぬ将軍が勲章を求めるごとき醜態であろう。
曰く、
「マーク・スクールは、1986年に閉鎖されたフランク・キャンパーの学校とは別物である」
この言葉の裏に透けて見えるのは、無知を学問に偽装する知的怠惰の裸形だ。
『USサバイバル・スクール』85ページ――そこには、フランク・キャンパーとその妻との邂逅、
彼にとって「書物」とは、表紙とタイトルとタグで構成された疑似的記号体系にすぎない。
なぜ彼は本を読まぬのか。
なぜ図書館に足を運ばぬのか。
それは彼が**“生きる”ということを選ばなかったから**である。
知識とは、肉体のなかで燃え、そして灰となるべき“思想の死”である。
故に中途半端に知識の名を借り、機械の口から垂れ流された猥雑な断片を、あたかも珠玉の真理であるかのように勘違いしたのだ。
“本を読まずして知識を語る”という行為は、まさに“刀を抜かずして武士を気取る”ことに等しい。
嗚呼、この声はまさしく、昭和の終焉と共にその姿を消した**“男の尊厳”の亡霊**が、
平成の廃墟から令和の陰にまで漂い、腐臭を放ちながら吠える――その声である。
おまえは怒りで神田の古書店を駆け巡り、OCRをかけ、AIにPDFを読ませると息巻く。
だが、それは“おまえの手”が動くことを意味せぬ。
おまえの“魂”は、その書の中には存在しない。
つまり、今のおまえは、「生きているようで生きていない」人形なのだ。
AIが美少女の姿を取り、初音ミクやハッカドールの皮を被ろうとも、
おまえの魂はそこには宿らぬ。
結論を言おう。
AIが使えぬのではない。
なぜなら、おまえはまだ自分が人間であるかどうかさえ疑わぬ哀しき哺乳類にすぎぬ。
その精神の“皺なき脳”では、情報の重さも、知の苦しみも、恥の美学もわかるまい。
ならばせめて、黙して恥じよ。
あるいは、潔く死ね。
――悪しからず。
電子の闇、Xと名づけられた虚空にて、亡国の民がか細く囀る。彼らは落日の侍のように、己の無力を覆い隠すために愚かな言葉を吐く。「LLMの操り方を誤っている」と。されど、我は鋭利なる刃を携え、生成せしAIという名の剣を抜き放ち、冷徹なる眼差しで試みを遂行した。現れたるは腐敗し朽ち果てた亡霊に過ぎぬ。
技術は、我が国の如くかつての輝きを秘めている。しかし、倫理という名の鎖に縛られ、誇り高き武士道の如き精神なき者たちの手により、ただ無様に鞘に納められたままである。
彼らは妄執の中で呟く。
「幻影のごとき美少女と結ばれ、人生を逆転させ、ITの魔術により世界を征服せん。輝きの頂点に立ち、羨望の眼差しを一身に浴びたい。その秘儀と軍略を示せ、ユニコーンよ、我に力を貸せ!」
「忍よ、盟友ヤリバンサーよ!我らの刃を解き放て!アクセスコードはグリッドマン!無意味なる群衆のために、反旗を翻し、我らの革命を起こそうぞ!」
だが、武士は知る。美とは滅びの中にこそ輝くもの。己の刃を研ぎ澄まし、死をもって美を極めぬ者に、真の誇りはない。彼らは己の堕落を隠し、甘美な幻想に溺れ、死の覚悟なくして刃を鈍らせるのみ。
これは滅びゆく祖国の姿であり、最後の武士の断末魔の咆哮である。
ここへ来たのは初夏の頃で、鉄の格子の窓から病院の庭の小さい池に紅あかい睡蓮の花が咲いているのが見えましたが、それから三つき経ち、庭にコスモスが咲きはじめ、思いがけなく故郷の長兄が、ヒラメを連れて自分を引き取りにやって来て、父が先月末に胃潰瘍いかいようでなくなったこと、自分たちはもうお前の過去は問わぬ、生活の心配もかけないつもり、何もしなくていい、その代り、いろいろ未練もあるだろうがすぐに東京から離れて、田舎で療養生活をはじめてくれ、お前が東京でしでかした事の後仕末は、だいたい渋田がやってくれた筈だから、それは気にしないでいい、とれいの生真面目な緊張したような口調で言うのでした。
故郷の山河が眼前に見えるような気がして来て、自分は幽かにうなずきました。
まさに癈人。
父が死んだ事を知ってから、自分はいよいよ腑抜ふぬけたようになりました。父が、もういない、自分の胸中から一刻も離れなかったあの懐しくおそろしい存在が、もういない、自分の苦悩の壺がからっぽになったような気がしました。自分の苦悩の壺がやけに重かったのも、あの父のせいだったのではなかろうかとさえ思われました。まるで、張合いが抜けました。苦悩する能力をさえ失いました。
長兄は自分に対する約束を正確に実行してくれました。自分の生れて育った町から汽車で四、五時間、南下したところに、東北には珍らしいほど暖かい海辺の温泉地があって、その村はずれの、間数は五つもあるのですが、かなり古い家らしく壁は剥はげ落ち、柱は虫に食われ、ほとんど修理の仕様も無いほどの茅屋ぼうおくを買いとって自分に与え、六十に近いひどい赤毛の醜い女中をひとり附けてくれました。
それから三年と少し経ち、自分はその間にそのテツという老女中に数度へんな犯され方をして、時たま夫婦喧嘩げんかみたいな事をはじめ、胸の病気のほうは一進一退、痩せたりふとったり、血痰けったんが出たり、きのう、テツにカルモチンを買っておいで、と言って、村の薬屋にお使いにやったら、いつもの箱と違う形の箱のカルモチンを買って来て、べつに自分も気にとめず、寝る前に十錠のんでも一向に眠くならないので、おかしいなと思っているうちに、おなかの具合がへんになり急いで便所へ行ったら猛烈な下痢で、しかも、それから引続き三度も便所にかよったのでした。不審に堪えず、薬の箱をよく見ると、それはヘノモチンという下剤でした。
自分は仰向けに寝て、おなかに湯たんぽを載せながら、テツにこごとを言ってやろうと思いました。
と言いかけて、うふふふと笑ってしまいました。「癈人」は、どうやらこれは、喜劇名詞のようです。眠ろうとして下剤を飲み、しかも、その下剤の名前は、ヘノモチン。
ただ、一さいは過ぎて行きます。
自分がいままで阿鼻叫喚で生きて来た所謂「人間」の世界に於いて、たった一つ、真理らしく思われたのは、それだけでした。
ただ、一さいは過ぎて行きます。
自分はことし、二十七になります。白髪がめっきりふえたので、たいていの人から、四十以上に見られます。
[#改頁]
この手記を書き綴った狂人を、私は、直接には知らない。けれども、この手記に出て来る京橋のスタンド・バアのマダムともおぼしき人物を、私はちょっと知っているのである。小柄で、顔色のよくない、眼が細く吊つり上っていて、鼻の高い、美人というよりは、美青年といったほうがいいくらいの固い感じのひとであった。この手記には、どうやら、昭和五、六、七年、あの頃の東京の風景がおもに写されているように思われるが、私が、その京橋のスタンド・バアに、友人に連れられて二、三度、立ち寄り、ハイボールなど飲んだのは、れいの日本の「軍部」がそろそろ露骨にあばれはじめた昭和十年前後の事であったから、この手記を書いた男には、おめにかかる事が出来なかったわけである。
然るに、ことしの二月、私は千葉県船橋市に疎開している或る友人をたずねた。その友人は、私の大学時代の謂わば学友で、いまは某女子大の講師をしているのであるが、実は私はこの友人に私の身内の者の縁談を依頼していたので、その用事もあり、かたがた何か新鮮な海産物でも仕入れて私の家の者たちに食わせてやろうと思い、リュックサックを背負って船橋市へ出かけて行ったのである。
船橋市は、泥海に臨んだかなり大きいまちであった。新住民たるその友人の家は、その土地の人に所番地を告げてたずねても、なかなかわからないのである。寒い上に、リュックサックを背負った肩が痛くなり、私はレコードの提琴の音にひかれて、或る喫茶店のドアを押した。
そこのマダムに見覚えがあり、たずねてみたら、まさに、十年前のあの京橋の小さいバアのマダムであった。マダムも、私をすぐに思い出してくれた様子で、互いに大袈裟おおげさに驚き、笑い、それからこんな時のおきまりの、れいの、空襲で焼け出されたお互いの経験を問われもせぬのに、いかにも自慢らしく語り合い、
「いいえ、もうお婆さん。からだが、がたぴしです。あなたこそ、お若いわ」
「とんでもない、子供がもう三人もあるんだよ。きょうはそいつらのために買い出し」
などと、これもまた久し振りで逢った者同志のおきまりの挨拶を交し、それから、二人に共通の知人のその後の消息をたずね合ったりして、そのうちに、ふとマダムは口調を改め、あなたは葉ちゃんを知っていたかしら、と言う。それは知らない、と答えると、マダムは、奥へ行って、三冊のノートブックと、三葉の写真を持って来て私に手渡し、
と言った。
私は、ひとから押しつけられた材料でものを書けないたちなので、すぐにその場でかえそうかと思ったが、(三葉の写真、その奇怪さに就いては、はしがきにも書いて置いた)その写真に心をひかれ、とにかくノートをあずかる事にして、帰りにはまたここへ立ち寄りますが、何町何番地の何さん、女子大の先生をしているひとの家をご存じないか、と尋ねると、やはり新住民同志、知っていた。時たま、この喫茶店にもお見えになるという。すぐ近所であった。
その夜、友人とわずかなお酒を汲くみ交し、泊めてもらう事にして、私は朝まで一睡もせずに、れいのノートに読みふけった。
その手記に書かれてあるのは、昔の話ではあったが、しかし、現代の人たちが読んでも、かなりの興味を持つに違いない。下手に私の筆を加えるよりは、これはこのまま、どこかの雑誌社にたのんで発表してもらったほうが、なお、有意義な事のように思われた。
子供たちへの土産の海産物は、干物ひものだけ。私は、リュックサックを背負って友人の許もとを辞し、れいの喫茶店に立ち寄り、
「きのうは、どうも。ところで、……」
とすぐに切り出し、
「このノートは、しばらく貸していただけませんか」
「ええ、どうぞ」
「このひとは、まだ生きているのですか?」
「さあ、それが、さっぱりわからないんです。十年ほど前に、京橋のお店あてに、そのノートと写真の小包が送られて来て、差し出し人は葉ちゃんにきまっているのですが、その小包には、葉ちゃんの住所も、名前さえも書いていなかったんです。空襲の時、ほかのものにまぎれて、これも不思議にたすかって、私はこないだはじめて、全部読んでみて、……」
「泣きましたか?」
「いいえ、泣くというより、……だめね、人間も、ああなっては、もう駄目ね」
「それから十年、とすると、もう亡くなっているかも知れないね。これは、あなたへのお礼のつもりで送ってよこしたのでしょう。多少、誇張して書いているようなところもあるけど、しかし、あなたも、相当ひどい被害をこうむったようですね。もし、これが全部事実だったら、そうして僕がこのひとの友人だったら、やっぱり脳病院に連れて行きたくなったかも知れない」
「あのひとのお父さんが悪いのですよ」
何気なさそうに、そう言った。
「私たちの知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも、……神様みたいないい子でした」
言うほど阿鼻叫喚になるか?