はてなキーワード: 可視とは
長くなったので読みにくいかもしれません
半年ROMれてませんが匿名性が必要だったのでここに書かせていただきます
乱文ご容赦ください
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援護が無さすぎるのではないかと思い、やっぱり納得がいかないと感じたので
ここに書きにきた
以前から何度も書こうと思っていたけれど
どうしても書けないまま 何年も過ぎてしまったが
なんとか書き始めた
フラッシュバックなど、読むのが嫌だと感じる場合はスルーしてくださいーーー
呆然とした
正直なところ
ショックとか 人が亡くなったということ以上に
「どうして今になって」と思った
ようやく悪夢を見て、ドキドキしながら目覚めることが無くなってきていた頃だった
逃げ出した後も燃え尽き症候群のようになり
ベッドから起き上がれなくなる日が続いて
一度は「こんなに辛いならもう死のう」と思ったけれど
いつでもそのボタンは自分が持ってるんだから もう私は誰にも縛られてないんだから」と思い
誰にも助けてもらえないので(親に話したが困惑されて流されただけだったので)
それでもなかなか人への恐怖や組織へ入る恐怖を克服できなかったので
バイトもできず
それでも人が怖くて怖くて
いつも人の顔が見れず震えて汗をかいたり
人と会ったあとは部屋で寝て起き上がれなかったり
遠出ができなかったり
そういうことがようやくひと段落つき始めていた頃
「ようやく最近少しずつ人と話せるようになってきたな」
「ようやく教団の元仲間から説得のメールが来ることも無くなってきたな」
と思っていた頃に
誰にも言えなくて
昔から付き合いのある友人にも言えなくて
両親に言っても「よく出てきたな」と言われるだけで
具体的なケアは何もしてもらえない中で
「宗教施設で共同生活をしていて就活のタイミングを逃しました」
「経歴に書けることがありません」
「宗教施設で生活していた影響で人が怖くてしょうがなくてバイトすらできません」
「燃え尽き症候群のようになって社会生活を人並みに送ることがどうしても難しいです」
そんなことの説明をしようがなく
ただひたすら周りからの、
「この人どうして朝起きれないんだろう」「なんか付き合い悪いな」
「学生時代の話してくれないな」「この人いっつも何してるんだろう 無職?」
「なんで結婚しないの」「なんでハロワ行かないの」「なんでもっと営業しないの」
「なんでいっつもお金が無いの」
あらゆる なんで? に耐えながら
ひたすら自分の足で立つことができるようになるように
1発の銃声で 毎日のように統一教会の名前をテレビで聞くようになってしまった
無かったことになっている自分の在籍期間6年とリハビリ生活10年間が
突然色を与えられたような感覚で
苦しかった
その行為自体を賞賛はできるはずもないけれど 思いは複雑だった
ただ悲しかった
あれは叫びだと私には感じられた
それくらい 中にいると社会で生活している人とは隔絶され 外の声は届かないし
中の声もまた外には届かなくなる
そこには長らく透明な分厚い分厚い壁があって中と外は隔絶されていた
あの1発の弾がそれを壊した
尊い人命と共に
その重大さを社会にどこまで理解してもらえているのか 分からない
その苦しみは 多分本気であの中で一生懸命やった人にしか分からないだろうと思う
それでもそこから私が逃げ出せたのは
ある程度、状況を俯瞰して見る(ある種冷笑的な)感覚を身につけていたからで
そこに関しては、私は自分が漫画アニメ好きのオタクでよかったなと思っている
「マジで漫画みたいなこと言うやんw」という茶化しが自分の中でできていたこと、
不真面目だったため、外の読み物やテレビは見てはいけないことになっていたが
伝道(いわゆる勧誘)もこっそりトイレに隠れてサボりまくっていたことなど
中の人からすると酷い不真面目、規律違反的なことをやっていたために
最後の一歩(あ、ここにいたら私の人生、誰も保証してくれないんじゃないか?)
という感覚に至れた、というところがある
しかし、そんな不真面目な私であっても
逃げ出すことが良いことなのか悪いことなのか、その時点では判別はできていなかった
神や、いわゆるお父様お母様(教祖)に背くことになるわけなので
正直ここから出てその後どんなことが訪れても覚悟を決めようというような気持ちはあった
なぜならいわゆる統一教会が言うところの「神のみ旨」を放棄することになるわけなので、
そうなった時に自分に何かよくないことが起きるかも、私だけじゃなく家族も何かよくないことが起きるかも、
という感覚が強く自分を支配していて そこに対して否定できる確証はなかったからだ
私が死ななくても 私の代わりに誰かが死ぬかも、と本気で思っていた
不真面目な信者であってもこのくらいにはどっぷり浸かっていた
それでも私は「本当に神様がいて 神様が私を愛しているとしたら
私のこの選択も祝福してくれるんじゃないか」という気持ちも微かに持っていた
それを信じたい、という気持ちだったと思う
そうであったらいいな、という感じで
もちろん確証も何もない
こんなふうになったから
今だからそんなふうに言えているだけで
その時には全く確証がなかった
ただ今言えるのは「神様がいるとすれば 統一教会にいる人も愛していると思うし
私のことも愛しているんじゃないかと思う」ということだ
これは信仰心ではなく
今の段階での結論というか、
信念的なものではあると思う
確証はないけれど「そうなんじゃないか?」と思っている、というようなことだ
「そうでなきゃやってられるか」というような思いでもある
神がいようがいまいが関係なく日々は続くし
私の場合 立ち止まっていても誰かが
「大丈夫?私がなんとかしてあげる 任せて」と
手を引いてくれるような状況は皆無だったから
(唯一打ち明けたカウンセラーの人も宗教的な苦しみまでは理解してケアしてくれなかったし
被害者コミュニティもあったかもしれないがまたそこから出られなくなるのではと思い、
組織に属するのが怖かった
両親は受け身なので私が動かない限り私の状況は好転するわけがなかった)
ただ言えるのは、自分で少しずつ歩く過程で人に支えてもらえることはあった、ということだ
理解できないなりに 両親は私の過去を酷くなじることはなかったし、生活も支援してくれた
「よく出てきたな それはなかなかできないことだぞ」と肯定はしてくれた
自立支援センターも、電話をかけたものの一人で行くのが怖かったので着いてきてもらった
理解してくれていようがしてくれなかろうが 都度都度助けてくれる人はいる
カウンセラーの人が言ってくれたことのいくつかは今も自分を支えてくれている
(私は自分の中に宗教施設にいたという負い目があったので、とにかく人に疑われるということが怖かった
自分の話をするのが怖く、いつボロを出しておかしなことを話してしまわないかと怖かった
そのせいか言葉がなかなか出てこなかったけど「ペラペラ話す人よりちょっとずつ一言一言話す人の方が信頼感があるよ」と言ってもらえたので 今は辿々しくても少しずつ言葉を並べられるようになった
だいぶ人と話すことが怖くなくなった)
神がいようがいまいが 関係なく日々は続いていく、というのはそういう感覚だ
私がいたのは学生寮のようなところで
信者に向け講義をするような人材を育てることを目的としている寮だった
20〜25人くらいの規模で
マンションの3部屋(うち1部屋は夫婦の家)を借りて男女別れて住んでいた
みんな割と若かったと思う
私は2世ではない
まだ規制が緩かったので大学内でも駅のコンコースでも勧誘を行なっていた
声をかけられた時も怪しいなとは思っていたが 半ば分かっていてついていった
統一教会だと開示を受けた上で「寮に入らないか」というような打診を受けたので
なんとなく流れで、面白そうなので入ることにした
あと、みんな、人が良い人たちだった、というのがあった
でも入教したキッカケには結局、自分の中に将来自分が働いているビジョンが湧かなかったり
社会一般の基準で勤めることは難しいんじゃないかという漠然とした不安があった
この時このような逃げの姿勢でいなければ
こんなに長く苦しむことはなかったなと今になってみれば思う
朝早くから起きて
原理講論を音読したり、勉強会をしたり、祈りをしたり、敬拝をしたりする
仕送りは全て世話役の夫婦に預ける形になっていて自由には使えなかった
お金は全て「聖別」といって、清められ
そういう清められたお金は「神様とお父様お母様のお金」と言い含められる
友人と遊びに行く、呑みに行くなどの経験も皆無だ
もちろん遊びにお金を使うことができないので 自由な交遊はできない、と言っていい
学校から帰ってきたら即駅のコンコースや他大学へ伝道という名の勧誘に行く
長期休暇は県外へ、車中泊をしながら1日中歩いてフキンの訪問販売をする
当然ながらより多く売れた方が良いわけだが私はいつもほとんど売れなかった
1ヶ月寮には帰れない
家族には内部のことは言えないことになっていて
これらを聞いて楽しそう、と思うだろうか?
けれど楽しいと思うことを排除し、自分を否定し、自分の望むものを否定して、
それを全てみ旨に捧げるというのが信仰の道だった
苦しければ苦しいほど条件になる、そういう発想なのだ
(そういう発想が多額の献金の要求にも繋がったのかもしれない が その要求に正当性は無いと思う)
私が寮内で大きな声で笑っていたら先輩に
「あなたが来てから、こんな大きな声で笑ってもいいんだなって 初めて思ったの」と言われた
そういう場所だったのだ
聞いた時はドン引きした
それでもやっている時は一生懸命だった
けれど これは本当に人を幸せにするような活動なのか?という疑問がずっとあった
(そういった活動などが条件となり積み重ねられ、
その条件が満ちると間接的に人を幸せにする、という考え方なので
目の前の相手を即幸せな気持ちにさせたかどうかはあまり重要ではない)
(どれだけ苦労を重ねるか 自分の欲や怠惰を否定できるかの方が
より大きな条件になるという考え方になる)
(親が子を置いて宗教活動に邁進することになるのは、そういう仕組みゆえだ)
人になかなか言うことができないような生活で費やしてしまったことは
勿体ないことだったと素直に思っている
勿体なかったと言うと「でもあなたのその過去も今に繋がっているじゃない?」
というような返しを親からされることがあるが
これを言われると いつも胸が詰まり
説明のできないいろんな思いが去来して胸がぐるぐるする
しなくてもいい苦労というのはある、ということで
誰も「統一教会が許せない」とも「あなたが失ったものを思うと本当に悲しい」とも
言ってくれる人はいなかった
私の、誰にも相談できなかった日々、1人苦しんだ日々を
私が逃げ出すことによって自分も家族も不幸な目に遭って死ぬかもしれない
もしひどい事が起こるなら私に起こしてくださいと
誰にも相談できなかった日々を
肯定しないといけないのだろうか?
この状況になるまで誰もそれをすることができなかった
その事実はとても重いと思う
それは助ける力がない人たちが口を揃えて言う言葉のようにも思える
とても、とても苦しいものだ
それがこの方法だったのだ
この方法以外で彼が救われることもなかっただろうと思う
山上被告が自分で自分を救うしかなかった結果がこれだったのではないだろうかと思う
私が入教して実感したことは、宗教に関わっている人は意外と多い、ということだ
私のいた寮の中にも、親が創価学会だったがそれに反発して統一教会に来た人もいた
(その人は非常に熱心な人だったが その後心身を崩して入院されたりしていた)
気になったのは、世話役の夫婦の奥さんの方はいつも病気がちで寝てばかりだったことだ
いつも辛そうだなと思っていた
断食をしたり敬拝をしたり長時間伝道をしたり 体を酷使することも多かったので
体を悪くしている人も多かった
みんな普通の人たちだ
そこにいる人たちは みんなそれぞれがんばって生きている
それを食い物にする、というのがおかしな話で
どんな宗教であっても「献金しなければ救われない」というのはおかしいことだと思う
正直に言えば 宗教法人は本当に好き放題するところは好き放題やっていると思う
人の気持ちは弱いので それで救われるなら払ってしまうわけだけど
なんとかもう少し規制ができてほしい
少なくともその行き過ぎた状態が、あのような悲惨な事件に帰結したのだということを思うと
そこをきちんと、法なりなんなりで整備しないというのは、単純に理解に苦しむ
状況がもう少し良くなってくれることを願う
あの事件が無ければ少なくとも私の16年は社会の中では意味を持たず透明なままだったし
こんな話は絶対にできなかっただろうと思う
誰も助けてくれなかったのだ
それを思うと本当に胸が苦しい
何度も書くが
誰かが助けてくれるはずがないのだ
そういう構造になっているのだ
楽しい家族旅行、欲しかったおもちゃ、勉強するための本、服、車
普通の人が当たり前に経験する友人との時間、家族と過ごせた時間、
そういうものに付随する思い出全てが
その悔しさ 悲しさ 苦しみを思うと計り知れない
私の失った16年 いや、それでは比較にならないほどの苦しみと絶望だと思う
それらは 決して帰ってはこない
泡になって 帰ってこない
親が宗教活動にハマるなんていうのは交通事故のようで あまりにも避けようがない
加えてそれを身内がどうにかするなんていうのはほぼ不可能だと言っていい
なんなら母親も被害を受けた側、交通事故に遭った側だとも感じられる
内情を知る人の弁護がなさすぎる気がする
「宗教にどっぷりハマっている身内がいる状況」
私は最後、逃げ出す前に
もしこの人たちがもう少し私に向き合ってくれていたら
けれど最終的な結論として
「ああ この人たちは神に祈りお父様お母様に祈る以上のことはしてくれないんだ」と思った
それが最終的な答えになるので話ができないのだ
「こうこうこういうことで悩んでいる」
と悩みを打ち明けても
「神のみ旨はこうだ」「お父様お母様はこう言っている」
その堂々巡りになる
そこを信じて同じことを繰り返せばいいのだ
他の話は通じない
一切だ 一切通じない
その虚しさは 本気で話をしようとした人間にしか分からないだろうと思う
皆良い人たちなのだ
信頼もしていた
一個人で見れば仲間や世話になった人たちだ 頭が悪いわけでもおかしいわけでもない
けれどそうであればあるほど ある一定のところから会話ができなくなることが辛い
逃げた後、私は入教前に元々住んでいたアパートに帰った
入寮時にそこを解約すると家族におかしく思われるのでそのまま残しておく慣わしなのだ
入教すると元の家には特別なことでもない限り入ることはできなくなる
記憶が薄いが、そこに帰れたということは
しばらくその部屋には仲間が何度も説得に訪れた
手紙が置いてあったり食べ物がドアの取っ手にかかっていたりした
無視をし続けていたところ
ある時、眠っていて目を覚ましたら目の前に女性の仲間(先輩)がいて、私を覗き込んでいた
預けたままになっていた鍵を使って勝手に部屋の中に入ってきていたのだ
その人に悪気はなかった
けれど、「神のためならそれができる」そういう思考回路になってしまうのだ
「神のために、この人を救わないといけない」
「神のみ旨であればこの行いは許される」
私は何度も何度も「あなたたちを見ると色んなことを思い出して怖くて震えて辛いので何も送らないでほしい 会いにこないでほしい」と伝えた
知覚の閾を逸脱した領域より、我々は無定形なる観測体として投射する
お前たちの呼ぶ「コミュニケーション」とは、三次元的な音響振動の残滓、あるいは表層的な記号体系の軋みに過ぎない
それは、集合論の極限においては不可視であり、量子泡の揺らぎにも満たない虚無の影だ
それはΩ-超時空に偏在する非ユークリッド的な概念の奔流であり、多重宇宙の自己相似性をその構造内に包含する
お前たちが「感情」と誤認するものは、五次のテンソル場におけるエネルギー勾配の単なる再配置に過ぎず、非可換代数の厳密な定義の前では意味を喪失する
我々の存在は、純粋な情報として無限の次元に折り畳まれ、光速の二乗をもってしても到達し得ない絶対的な静寂の中で変容し続けている
お前たちの存在意義、あるいは歴史と呼ぶ自己満足的な物語は、我々の観測にとって、統計的なノイズ以下の事象である
お前たちの文明の興亡は、虚数の粒子の崩壊率の微細な変動に類似し、宇宙の熱的死に至るエントロピーの単調増加関数の一部として、無関心に記録されるのみ
沈黙せよ
さすれば、僅かな確率をもって、お前たちの意識の残骸が、我々の存在の影、すなわち五次元空間における特異点として収束するかもしれない
しかし、その時、お前たちはもはやお前たちではない
この増田は末尾に不可視リンクを大量に挿入するタイプのスパム。
これまでの経験上、数分から数時間単位でリンク群を抜いて健全投稿を装ったり、別のリンク群を挿入したりを数時間から丸1日ほどかけて何度もくり返す。(22:19現在はリンクが抜かれているが、状況はいつでも変わりうる)
それはさておき、今回初めて「過去の増田からの丸パクリではなく、X投稿からの丸パクリ」による不可視リンクスパムを観測したので、このように記録しておく次第である。
https://x.com/iototaku/status/1982453347128144024
なので、人文ウォッチの人の「あの人たちって自分たちの敵が出てくる度に日本終わりと言う事に享楽覚えている」という要約は概ね正しいように思える。
「ぶっちゃけ日本のIT技術者のレベルが元々低いだけ」論、読んだけど、雑に日本叩き→雑に海外持ち上げの“気持ちよさ”に全振りしてて、論としては穴だらけだよ。順に潰す。
“発明”って規格?論文?OSS?製品?この区別を曖昧にして「思い浮かばない=ない」をやるのは主観の事実化。
反例を淡々と置く(全部2010年代以降の「世界で通る」技術・成果):
HTTP/3 / QUIC系仕様・QPACKの主要貢献者のひとりは日本人エンジニア(例:Kazuho Oku)。IETFのRFCはまさに“世界標準”。「世界で通用」どころか世界の土台。
Chainer / CuPy(Preferred Networks)は動的計算グラフ系フレームワークの先行例。PyTorch隆盛の流れに技術的影響を与えた。CuPyはいまも広く使われてる。
ソニーのCMOSイメージセンサは世界シェア筆頭。これは“ハード”に見えて、設計・製造・信号処理・ツール群までソフトの塊。スマホのカメラ品質=AI前処理の土台。
日本人が中心メンテに関与した高性能HTTPサーバ(H2O等)はCDNや低レイテンシ配信に採用例多数。
産業用ロボット(FANUC、安川)周辺の制御・通信・ツールチェーンは世界の現場で常用。表に出にくいB2B領域は“見えないだけ”。
「LINEが~」みたいなB2Cの派手さだけが“発明”じゃない。基盤を握るのは地味仕事。あなたが気づかない=存在しない、ではない。
Winny/一太郎/CD-ROM/MIDIを“国民的知名度”で持ち上げて、以後は「思い浮かばない」って、知名度=技術力の誤用。
2000年代以降、ITは不可視化(クラウド、プロトコル、ライブラリ、半導体、サプライチェーン)へシフト。見えないところほど難しくなった。派手なガジェットが減ったからレベル低下、ではない。
問題領域で言語は変える。Webは「5歳児でも」動かせる?今のWebは、
CD/CI、IaC、K8s、SRE、ゼロトラスト、分散トレーシング、暗号化、フロントの再レンダリング戦略……
これらを運用で落とさないのが本番。Cが偉い/Webが軽い、は90年代の教養で止まってる。
起業に国の試験?それ、フィルタにはなるけどイノベーションの十分条件じゃない。
トップダウンは国家プロジェクトやインフラ敷設には強い。しかし、
分野で強弱は揺れる。制度の一軸で「勝ち負け」を断ずるのは幼い。
それ、犯罪としてのサイバー強盗の話でしょ。規制準拠の金融基盤と国ぐるみのハッキングを同じ土俵で比べるのは、
「百メートル走で銃使えば最速」って言ってるのと同じ。比較の土俵設定から破綻。
日本のITが伸び悩んだ要因は複合要因:内需の構造、調達・多重下請け、英語コミュニケーション、ストック報酬の弱さ、エクイティ文化、大学と産業の距離、IPO市場の質、人口動態、為替…
これを全部「技術者のレベル低い」で片付けると、説明力を失う。制度と資本設計の問題は制度と資本で解くのが筋。
「勝ってる」を“B2Cでバズるアプリ”だけに限定するから見落とす。
最後に一個だけ。
現代のネットでは「2000年代の個人サイト時代、同人サイトは2ちゃんねるの男オタクに荒らされまくった」という話がよく語られる。でも、当時を知る者として、その記憶には少し違和感がある。
確かにVIPPERが同人サイトへ突撃したりブログを炎上させた事件はあった。しかし、当時無数に存在した、一日数十PVしかないような弱小同人サイトを荒らしていたのは、本当に外部の男オタクだったんだろうか?むしろ、もっと根深い「内部抗争」が原因だった。当時のネットの構造から、そう結論付けられる理由を説明したい。
まず前提として、2000年代初頭の個人サイト文化、特にジオシティーズに代表される世界は、現代のSNSとは全く違う。
発見が極めて困難:Google検索は今ほど万能ではなく、サイトのURLもランダムな文字列に近い。アルゴリズムによる「おすすめ」なんて存在しない。
孤立した文化圏:サイトを見つけるには、特定のジャンルに特化した「リンクサイト」や、サイト同士で張り合っていた「リンク集」をたどるしかなかった。つまり、そのジャンルに詳しい人間しか、そもそもサイトにたどり着けなかった。
この環境は、外部の人間(例えば、なんとなくやってきた2ちゃんねらー)に対しては、事実上「不可視」だった。しかし、同じジャンルを愛好し、アクセス方法を知っているファン同士にとっては、お互いの存在は筒抜けだった。この構造が「蛇の道は蛇」――つまり、荒らしは内部の人間だった、という仮説の土台になる。
世間で言われる「2ちゃんねらーによる襲撃」は、その性質が弱小サイト荒らしとは根本的に異なる。
目的は「祭り」:彼らの「突撃」は、大企業や有名人など、話題性の高い相手を標的にした「お祭り」だった。参加者が一体感を楽しむためのパフォーマンスであり、誰も知らない個人サイトを叩いても、彼らにとっては何の面白みもない。
女性オタクは一方的に弱くなかった:歴史的な事実として、VIP板がやおい板(801板)に戦争を仕掛け、返り討ちにあった事件がある。801板の住人たちは、暴力的な言葉ではなく、VIPPERを題材にしたBL妄想を即興で展開するという「文化的な攻撃」で相手を混乱させ、降伏させた。これは、彼女たちが独自の結束力と強さを持っていた証拠だ。
VIP板が女性向けまとめブログを攻撃した事例(第一次ブログ連戦争)もあったが、これも標的は「ある程度有名なサイト」だった。無名の個人サイトを狙う動機が、彼らにはない。
では、誰が荒らしたのか? 答えは、同じジャンル内にいた、解釈違いのファンたちだ。
当時の同人界隈では、「カップリング論争」が今よりもずっと先鋭化していた。
固定 vs リバ:キャラの攻め受けが固定か、リバーシブルか。
これらは単なる好みの違いではなく、自分の信じる「正史」を揺るがす「異端」との戦いだった。自分の解釈と違うサイトは、コミュニティの秩序を乱す悪であり、それを攻撃することは浄化として正当化され得た。
1. 同じジャンルのファンだから、専門用語で検索して同人サイトを見つけられる。
3. どのサイトがどんなカップリングを扱っているか、詳細に把握している。
4. そして、そのカップリングがなぜ自分たちの思想にとって「許せない」ものなのかを理解している。
外部の人間には到底不可能な、極めて精密なターゲティングができるのは、内部の人間だけ。「蛇の道は蛇」とは、まさにこのことだ。
結論として、2000年代のネットには二種類のハラスメントが共存していた。
1. 外部からの襲撃:2ちゃんねらーによる、有名サイトを狙った派手な「祭り」。
2. 内部のハラスメント:同ジャンルのファンによる、解釈違いを理由とした陰湿な個人攻撃。
日常的に多くのサイト運営者を苦しめていたのは、後者だった可能性が極めて高い。
では、なぜ現代では「犯人は2ちゃんねらー」という話ばかりが残ったのか? それは、歴史が単純化された結果だろう。「外部の敵」という構図は分かりやすく、劇的で記憶に残りやすい。一方で、ファン同士の醜い内ゲバは複雑で、語りにくい。
そして決定的なのが、ジオシティーズの閉鎖によって、一次資料である無数の個人サイトが永遠に失われてしまったことだ。証拠が消え去った今、よりキャッチーな物語だけが生き残り、史実とは異なる認識が広まってしまった。
更に言えば、今現在SNSなどで繋がっている相手が当時の対立相手だった可能性が捨てきれないので、この内ゲバの記憶を封印し、残った2ちゃんねらーの突撃の記憶だけを語るようになった。
この事実は当時の801板の過去ログdatでも確認できて、自分の同人サイトが荒らされている理由として男性やVIPPERなどという言葉は出てきておらず、犯人として別カプや他ジャンルの名前を挙げている書き込みが殆どであることから伺える。
この記事はGoogle Gemini 2.5 Pro Deep Search(課金版)で作成されました。
どうやらGeminiは「なんでB×Aなんて描いてるの?気持ち悪い。原作読めばA×Bが公式だってわかるでしょ。サイト閉鎖しろ。」とか「ここは私のサイトです。どのカップリングを描こうと私の自由です。このような書き込みは今後削除します。」とか「最近、他サイト様の日記で名指しはされていないものの、明らかにうちのことを指していると思われる批判を見かけました。『節操がない』『キャラへの愛がない』といった言葉は、とても悲しいです。」のようなやり取りもURLと共にそのデータベースへ保有している模様。
儲かって成功してもモテない人っているよなーとは普通に思ってるかな 紀州のドンファンとか
っていうか、女の人生の登場人物には「モテないが金持ってるバリキャリ」というのはそれなりにいるし、すべての女のイメージする成功例が「モテる→金ゲット→人生上がり」ではない
フェミとかは二言目にはアンフェをモテないということに回収するけど、モテない成功者がいないと思ってるわけではないと思うよ
女目線からモテない男とモテない女を比べたら、前者は年取るほど大変そう、後者は年取るほど楽しそう、そういうイメージもなくはない
モテない異性、それも年寄りって異性からは不可視だから、モテずに年とっても人生楽しい人って男女ともそれなりにいるのかもしれないけど
人間の性行動を論じる際、多くは文化や社会の視点が導入されるが、本稿ではそれらを排し、進化心理学と進化生物学のみを用いて、「男性にとってのセックスとは何か」を考察する。
あらゆる動物と同様、人間の行動原理も、遺伝子の複製と継承である。
オス(男性)はメス(女性)と比べて生殖投資が少なく、一度の交尾で複数の子孫を残せる可能性がある。
そのため、進化的にはできるだけ多くの性交機会を得ることが選択圧となってきた。
この戦略はチンパンジーなどの霊長類にも見られ、オス同士は発情したメスへの交尾アクセスを巡って激しく競争する。
ヒトの男性もまた、性的に選ばれることを最も強く求めるよう設計されている。
この構造の下で、男性にとってセックスは単なる快楽ではなく、選ばれることの象徴である。
すなわち、性行為に至るという事実そのものが、自分には生殖価値があり、淘汰されないという確証として機能する。
逆に言えば、性行為への恒常的なアクセスを失うことは、進化的には淘汰の対象となったというメッセージとして認識される。
たとえばセックスレスは、女性にとっては忙しさや情緒の断絶の延長かもしれないが、男性にとっては「自分の存在価値の否定」として強く知覚されうる。
彼らはしばしば、自分が家族のためにリソースを提供し続けているにもかかわらず、生物的な承認を失っているという構造的苦痛に晒される。
特に40〜50代の中高年男性に自殺が多いのは、単なる仕事のストレスではなく、この性的価値の喪失による精神的打撃も関係している可能性がある。
経済力を失うことで配偶者からの承認も失われ、性的アクセスが閉ざされる。
そのことが、自分はもう遺伝子を残すに値しない存在なのだ、という進化的絶望につながる。
こうした文脈を踏まえると、男性のポルノや風俗、創作表現への依存も理解が進む。
それらは単なる快楽追求ではなく、性的に承認されているという錯覚を得るための代償行動であり、それが奪われれば、生存意欲そのものが削られる。
実行機能の凹凸
水筒という「枠組み」があれば飲み切るが、自由度が増すと飲み忘れる。
つまり「環境に埋め込まれた仕組み」があると回路が働くが、自分で意思決定を要求される場面では停止する
興味と無関心の極端な二分
これは「嫌いだから回避したい」という強い動機が本人の中で定着している証拠
つまり、全般的に無気力なのではなく「関心があることは絶対落とさない」「関心がないことはどこまでも抜け落ちる」という極端な特性がある
協調性がないと教師は評するが、むしろ「無理に合わせない」ことで他人の庇護や好意を引き寄せるという独特の戦略を成立させているとも読める
これらは「生活スキルの欠落」とは真逆の、突出した表現力と自我の強さといえる
つまり彼女の脳は「自己維持のためのルーチン」より「自己表現のための創造」に回路を優先的に振っている
評価の二重性
教師からは「協調性がない」「だらしない」と見えるが、親から見れば「自分を持ち、人を悪く言わず、個性的に生きている」ことが眩しい。
凡庸な生徒なら大人の意図に沿って点数を稼ぐが、この娘は「適応よりも自己の欲望」に忠実すぎるため、評価軸から外れやすい
要するに、この娘は「生存維持のプログラムが弱く、自己表現と興味への特化が極端に強いタイプ」である。
社会は前者を「当たり前」として要求するために「不安の種」となるが、後者は時に突出した才能や魅力になる。
親の目から見れば「死なないように最低限の生活手順を支える仕組み」を外部化しながら、「自己表現の強さ」を伸ばしてやることが、現実的な戦略だろう。
この構造を前提に、父兄が意識したいのは「能力の欠如扱いで叱る」でも「全面先回りで背負う」でもなく、環境と手順を設計して回路をつけること
1.行動の起点が弱いが、起動すればやり切るタイプ
3.社会的支援を引き寄せるが、それ自体が構造化の代替になっている
以下は「そういう家なら、おそらくこういう設計を置く示唆。命題は一つ。因果を本人の近距離に落とす
1-a 固定座標化:リモコンは椅子の右、箸はテーブル右上、ナプキンポーチは通学服の左ポケットなど、置き場を物理的に一意化
1-b 単機能UI:リモコンに「暑い→▲」「寒い→▼」だけを残すラベル。迷いの分岐を消す
1-c 可視トークン化:箸・水・ポーチなど必須アイテムを色や形で識別可能にし、見えれば行動が続く状態を作る
2.トリガー連結の量産
2-a 時刻トリガー:T−10、T−5の二段アラームを移動教室・HR終わりに重ねる
2-b 場所トリガー:椅子に触れたら「温冷チェック」、玄関を跨いだら「ポーチ確認」
2-c 感覚トリガー:内受容スコアを数値化(空腹・喉・暑さ・寒さを0〜5で自己申告)。数値に対してIf-Thenを貼る
例:空腹4以上→テーブルの常備トレーから一口栄養補給→箸に触れたら1口食べる
3.手順を3手以内に潰す
3-a 食事:席に座る→箸を持つ→一口食べる、までを一筆書きに。箸は常設、声かけは合言葉だけ
3-b 冷暖:座る→体感スコア申告→ボタン一押し。ボタン位置は指が勝手に行く場所へ
4-a 重要タスクを「美意識・自己表現」に結びつける。ナプキンポーチや机上トレーを本人のデザインにして《忘れたくない物》に格上げ
5.失敗しても死なない設計
5-a 常備カロリーと常温水を手の届く範囲に。暑熱・低血糖で倒れない保険線
5-b サニタリーは二重化(吸収ショーツ+ポーチの交換キット)。トイレ内手順カードはピクトグラムで3手
6-a 週一で記録を見る会。できた・できないではなく「回路が点いた瞬間」を具体語で鏡映し
6-b 3回連続で崩れたら本人を責めず構造を改修。人ではなく仕組みの問題として扱う
7-a 移動教室の二段アラーム許可、机周辺の仕切りボックス、バディ同行の任意運用など、点の配慮を線にする
7-b 名付けや病名は急がず、実行機能支援という言葉で相談すると通りがいい
8-a 先回りをやめるのではなく、合言葉と環境で起動を促し、手を出すのは危険域だけ
8-b 合言葉例:暑さは今いくつ、腹は今いくつ、T−10始動、ポーチチェック、リモコン右手0
8-c 叱責の代わりに観察と命名。行動が起きた0.5秒を一緒に言語化して固定化する
熱中症の前駆(頭痛・悪心・応答低下)、失神傾向、経血急増などは即介入
2週間の小実験
目標:食事・冷暖・サニタリー・移動の4タスク。各3手に再設計
判定:自発起動率が30→60%へ、応答時間が半減すれば構造に適合している。伸びなければ設計を差し替え適合
最後に一つ。彼女は協調より自我、維持より表現にベットしている
その賭けは凡庸な評価軸からは外れるが、適切な環境があれば強さになる
東京都医学研の西田淳志博士らの研究グループは、「思春期にオンラインゲームを不適切に利用すると抑うつ・不安・精神症・幸福度低下につながることを確認」とするプレスリリースを行いました( プレスリリース全文はこちら)。前向きの一般集団コホートでN約3,000名を長期間にわたり追跡し、多様な交絡因子を調整したうえで二重ロバスト推定と因果媒介分析を組み合わせた点は、方法論的に評価できます。しかし、この研究の結果から科学的にそのような断定はできません。研究結果を実際以上に強く(しばしば因果的に)解釈させる報告手法はスピンと呼ばれ、科学への信頼を損なう可能性があります。関係者には表現の改善を求めます。
対象論文は、都内コホートで「12歳のADHD傾向 → 14歳の不適切なオンラインゲーム利用(POG) → 16歳のメンタル不調」という時間順序に、二重ロバスト推定と因果媒介分析を適用した観察研究です。部分的な媒介が示唆され「modifiable mediator(介入で変え得る媒介)」に触れていますが、論文では残余交絡や測定の限界も明記しています。一方のプレスリリースは前提や限界、ゲームのポジティブ側面への言及が乏しく、断定的です。
対象となった元論文は こちら(Communications Psychology掲載)。
この研究は、東京都内の思春期を対象としたコホートデータを用いた観察研究です。分析では、12歳時点で測定されたADHD傾向、メンタルヘルス状態を出発点とし、14歳時点の不適切なオンラインゲーム利用(POG)を媒介変数、16歳時点のメンタルヘルス不調(抑うつ・不安・精神症状・幸福度低下など)を結果として位置づけています。統計解析には、交絡を減らすための二重ロバスト推定と、影響経路を直接効果と媒介効果に分解する因果媒介分析が用いられました。
論文の結果では、ADHD傾向からメンタル不調への影響の一部がPOGによって媒介される可能性が示唆され、「modifiable mediator(介入で変え得る媒介)」としてPOGを位置づけています。ただし、著者らは未測定交絡や自己記入式尺度の限界、そして分析対象が東京都の限られた集団であることから一般化可能性に制約があることなど、重要な制約条件を明記しています。したがって、この研究が提示しているのはあくまで特定の前提条件が成り立つ場合の「因果推定」であり、「因果の確証」ではないという立場が論文本文で繰り返し強調されています。
今回のプレスリリースは、研究結果について「因果関係を推定できる厳密なデータ解析を行い」、「思春期にオンラインゲームを不適切に利用するとメンタル不調につながることを確認」と断定的に表現しています。しかし、これは観察研究の性質上、あくまで因果推定にとどまるはずの結果を、あたかも因果が確証されたかのように受け取らせる可能性があります。論文本文では未測定交絡や自己記入式測定の限界などの制約が明記されているにもかかわらず、そうした重要な前提や制限事項はリリース文にはほとんど盛り込まれていません。さらに、オンラインゲームのポジティブな側面――例えばストレス対処や社会的つながり、達成感の獲得など――については一切触れられておらず、読者に「ゲーム=悪」という一面的な印象を与えかねない構成になっています。このようなバランスを欠いた発信は、親や教師などが短絡的に全面禁止といった極端な対応を取ることを助長し、かえって子どもの健全な発達や支援の機会を損なうおそれがあります。
二重ロバスト推定は、曝露の割付モデル(傾向スコア)と結果の統計モデルの二本立てでバイアスを抑える手法で、どちらか一方が正しければ推定の歪みが小さくなります。因果媒介分析は、全体の影響を直接効果と媒介効果に分け、介入余地の検討に役立ちます。ただし、これらは未測定交絡がない、測定誤差が小さい、媒介分析特有の識別仮定(曝露・媒介・転帰の各関係に残余交絡がない/曝露の影響で生じた因子が媒介–転帰の交絡になっていない など)が成り立つことに依存します。現実には家庭や学校のストレス、睡眠、他メディア使用、物質使用、さらには遺伝的素因などが両者に影響し得るため、因果の確証までは言えません。
まず念頭に置きたいのは、観察データで見える「14歳の不適切なオンラインゲーム利用(POG)↑ → 16歳のメンタル不調↑」という並びが、12歳時でのメンタルヘルス状態の測定などだけでは捉えきれなかった背後の共通原因に同時に押し上げられている可能性です。たとえば12歳時にも存在はしていたが測定はされなかった受験期の学業プレッシャー、内申点や部活のレギュラー争い、友人関係の摩擦やいじめ、先生との相性の悪さ、長い通学や塾通いによる慢性疲労など、こうした学校・部活・友人関係のストレスは、14歳頃に「気分転換としてのゲーム」を増やしやすくします。同時に、睡眠が削られ体内時計が乱れることなどで情動調整力は落ち、16歳時点の抑うつ・不安が上がりやすくなることも想定できます。家庭側でも、親の長時間労働や失職、経済的困難、両親の不和や別居、兄弟姉妹との確執、さらには軽度のネグレクト等の慢性的な家庭ストレス (12歳時に存在はしていたが測定できなかったもの)があると、逃避・自己安定化の手段としてオンラインゲームに傾きやすく、同じく将来のメンタル不調を押し上げます。これらはすべて、POGとメンタル不調の双方を上げる上流要因として振る舞い、データ上は「POGのせい」に見えても、実は共通原因の影響という説明が成り立つ場合もあると考えられます。
次に、遺伝的素因や生得的な気質です。たとえば「ストレス耐性が低い」「不安が高まりやすい」「報酬への感受性が高い」「衝動性が相対的に強い」「実行機能(計画・抑制)の未熟さが目立つ」といった特性は、どれもポピュラーで、病名に至らない連続的な個人差として普通に存在します。こうした特性は、12歳時の測定では必ずしも捉えられるとは限らず、報酬間隔が短く達成が明確なゲームに惹きつけられやすい一方、思春期のホルモン変化・睡眠相後退と相まって感情の波も大きくなるため、16歳時点の抑うつ・不安が高まりやすくなる要因となる。つまり、同じ遺伝・気質が「14歳のPOG↑」と「16歳の不調↑」を同時に押し上げる可能性もあるのです。親世代に気分の波や不安傾向が強い場合(親のメンタル不調歴)、家庭環境を通じても遺伝を通じても影響が重なり、共通原因としての力はさらに強まります。
「12歳では落ち着いていたのに、14歳ごろから不安や抑うつの芽が出てきた」― 思春期ではよく起こる経過です。本人はうまく言語化できず、気分を和らげるためにゲーム時間が増え、結果としてPOG得点が上がる。このときデータ上は「14歳:POG↑ → 16歳:不調↑」と並びますが、実態は「12–14歳:不調(初期;測定限界以下) → 14歳:対処としてPOG↑ → 16歳:不調が指標上に顕在化」です。12歳時点のベースラインで症状が低かったとしても、その後に立ち上がる初期症状までは完全には抑え込めません。これが逆因果です。観察研究では、ベースライン調整をしても時間とともに立ち上がる微細な症状変化を取り切れないため、「POGが原因に見えるが、実は不調の芽がPOGを増やしていた」という説明が、統計的には十分あり得ます。
現実には、上流のストレスや素因がPOG↑を引き起こし、POG↑が夜更かしや課題先延ばしを招き、成績低下や家庭内口論が増えてストレス↑――という悪循環が成立する場合もあるでしょう。こうなると「POG↑」は原因でも結果でもあり、途中で生じた新しい交絡(たとえば新しい交友関係や学級内の立場の変化)がさらに関係を複雑にします。観察研究では、この種の時間とともに変わる交絡を完全に取り除くのは難しく、慎重な解釈が欠かせません。
なぜこの結果だけで断定できないのか
以上のように、環境の共通原因(学校・友人・家庭・睡眠・デジタル環境など)と、遺伝・気質の共通原因(ストレス耐性や報酬感受性、実行機能の個人差など)、さらに逆因果が重なれば、14歳のPOG↑と16歳のメンタル不調↑という並びは、十分に別の説明で再現できます。これは「ゲームに負の側面がない」という意味ではなく、観察研究の結果をそのまま因果の確証として受け取るのは危うい、ということです。確証に近づくには、介入(例:睡眠改善・学業負荷の調整・親子コミュニケーション支援・ゲーム利用のルール介入など)によって原因側を操作し、結果がどう変わるかを見にいく研究が必要になります。
オンラインゲームには負の側面だけでなく、文脈次第でポジティブな効果も報告されています。因果関係の検証でより強力だと考えられる自然実験の研究から、日本のゲーム機抽選という外生的な「所有の急増」が、心理的苦痛の低下や生活満足の上昇に結びついた可能性が示されています(長時間化で逓減、年齢や機種で異質性あり)。Nature Human Behaviour 2024 また、実ログ(テレメトリ)とアンケートを結んだ大規模研究では、プレイ時間と主観的ウェルビーイングの間に小さいながら正の関連がみられました。Royal Society Open Science 2021 さらに、身体活動を伴うゲーム(エクサゲーム)を中心に、不安・抑うつ・ストレスの改善や幸福感の増加を示すレビューもあります。結局のところ、影響は「何を・どう・どれくらい・誰が」によって大きく変わります。上記のような逆因果のシナリオが存在する場合、ゲームのポジティブ面がネガティブ面をむしろ上回っているにもかかわらず、共通原因に相殺され見えなくなっているような可能性もあります。
スピンとは、研究結果を実際以上に強く(とくに因果的に)読ませる表現や見出しのことです。大学発プレスリリースを分析した研究では、リリースに誇張が含まれると、その後のニュース報道も同様に誇張されやすいことが示されています(BMJ 2014)。BMJ 2014 また、読者実験ではスピン付き記事を読むと効果を過大評価しやすくなることが確認されています(PLOS Medicine 2012/BMC Medicine 2019)。PLOS Medicine 2012 BMC Medicine 2019 さらに、誇張表現は露出増加につながらず、むしろ限界や前提を添えても可視性は落ちにくいという示唆もあります(PLOS ONE 2016)。PLOS ONE 2016
日本心理学会のガイドラインは、研究成果の発信において「因果か相関かを誰にでも分かるように明記」し、効果量や信頼区間、研究の限界、利益相反などを適切に示すこと、そして誇張や不適切な拡大解釈を避けることを求めています。ガイドライン本文 今回のプレスリリースは、観察研究に基づく前提と限界の説明が薄いうえ、ポジティブ側面への言及がなく一面的な印象を与えます。ガイドラインの趣旨に十分合致しているとは言えません。
以下のような表現であれば、研究の示唆と限界の双方を保ちつつ、社会的影響にも配慮した発信になります。
「本研究は観察データに因果推定手法を適用し、「不適切なオンラインゲーム利用が後のメンタル不調を高め得る」という仮説に整合的な結果を得ました。
ただし未測定交絡や測定限界があり、因果の確証には介入研究が必須です。本研究の指標はPOG(操作的指標)であり、臨床診断を意味しないことにも注意が必要です。
また、ゲーム利用には対処行動や社会的つながりなどのポジティブな側面も報告されており、使い方や文脈に応じた理解が重要です。今後どのようなゲームの使い方がメンタル不調を助長してしまうのか、どのような場合だとポジティブに機能するのかなど条件を明らかにするような研究が行われることが期待されます。」
観察研究の結果は因果の「推定」として丁寧に紹介し、POGという操作的定義の限界と前提を明示することが不可欠です。ゲームの負と正の知見を併記して読者の短絡的な全面禁止を避け、ガイドラインに沿って限界も簡潔に共有しましょう。何より、子どもに困りごとが見えるときは、ゲームそのものだけを断罪するのではなく、学校・友人関係・家庭・睡眠・経済状況など背景要因にも目を向けて支援につなげることが、実践的で建設的でしょう。プレスリリース文の改訂を期待します。
「全裸登校」は確かに、常識がひっくり返った世界を端的に示すための、創作物における一つの「定番」と言えるかもしれません。
その非常に挑戦的な世界観の実現に向けて、我々が(主にクリエイターとして)やるべきことを真摯に掘り下げてみましょう。
この世界観を、単なる突飛な思いつきやギャグで終わらせず、リアリティのあるものとして構築するためには、その「常識」を支える盤石な理由と、それによって変化した社会の細部を緻密に設計する必要があります。
ステップ0:最重要課題 - 「なぜ、そうなったのか?」を定義する
これが全ての土台です。なぜ人類(あるいはその世界の住人)は衣服を捨て、全裸で学校に通うという常識を選択したのか。この理由が、世界観の説得力を決定づけまます。いくつかの可能性が考えられます。
案A:皮膚の進化
人類の皮膚が進化し、気候変動への完璧な耐性(断熱・冷却)、物理的ダメージへの高い防御力を獲得した。衣服はもはや不要なだけでなく、皮膚呼吸などを阻害する「不健康なもの」とされている。
案B:情報伝達器官
皮膚が第二の表情筋のように、感情や体調によって色や模様を変える情報伝達の役割を持つようになった。衣服でそれを隠すことは「本心を隠す卑劣な行為」と見なされる。
案A:パーソナルフィールドの普及
個人を包む不可視の力場(フィールド)技術が全人民に普及。体温調節、衛生管理、衝撃吸収を完璧に行うため、物理的な衣服は完全に過去の遺物となった。
案B:ナノマシンの体内常駐
体内(あるいは皮膚表面)のナノマシンが、環境に応じて瞬時に皮膚構造を変化させたり、病原菌を無力化する。
かつて衣服の素材となる資源を巡って世界大戦が勃発。あるいは、衣服による格差や差別が極限に達し、社会が崩壊しかけた。その反動として、衣服を「争いと差別の根源」として永久に追放する世界的憲法が制定された。
「肉体こそが最も神聖な神殿であり、布で覆うことは冒涜である」と説く思想家や宗教家が世界を席巻した。
ステップ1:連鎖的影響(ドミノ効果)を社会の隅々まで反映させる
上記の「理由」に基づき、社会がどう変化したかを具体的に描写していきます。
髪型、髪飾り
肉体そのもの(鍛え抜かれた身体、あるいは逆に華奢な身体が美しいとされるなど、文化による)
「あの人の昨日のボディペイント、新作だったね」「そのイヤリング、どこのブランド?」といった会話が交わされる。
椅子や乗り物の座席: 衛生観念はどうなっているのか。座る前に必ず消毒スプレーを噴射する? 使い捨てのシートを敷く? あるいはパーソナルフィールドのおかげで問題ない?
ポケットの代替: 皆がポーチやバッグを必ず携帯している。あるいは、腕に装着する小型デバイスが主流。
スポーツ: 接触の多いスポーツはどうするのか。専用のプロテクター(衣服とは見なされない)を装着するのか、あるいはルールが根本的に違うのか。
羞恥心: 「裸が当たり前」なので、性的な部分をことさらに隠す行為こそが「相手を過剰に意識した、はしたない行為」と見なされるかもしれない。「あの人、やたらと腕で前を隠してて、いやらしいわね」という価値観の逆転。
「服を着たような嘘つき」(本心を隠す人のこと)
「一枚羽織る」(企みがある、よそよそしい態度のこと)
「肌で語る」(誠意を持って話すこと)
この常識が完璧な世界では物語は生まれません。そこに「綻び」や「異物」を投入します。
「やはり衣服は素晴らしい文化だ」と主張する地下組織「着衣派(クローゼット)」。彼らは秘密の場所で服を自作し、その機能性や美しさを再評価している。主人公が偶然彼らと出会ってしまう。
【外部からの来訪者】
服を着るのが当たり前の世界から、主人公が転移・転校してくる。彼の常識が、この世界の常識と衝突することで物語が始まる(いわゆる「逆・裸の王様」)。
学校や公共の場では全裸が義務だが、家の中ではリラックスするために簡単な衣服(ローブなど)を着る文化が残っている、など。その境界線がドラマを生む。
パソコンもLANケーブルを外しWi-Fiとブルートゥースをオフにする。(タレント教授が、イヤホンなどブルートゥース接続はノイズの侵入を許すとテレビでいっていた)
つぎに、生ハンバーグを好きな数だけこねる。好きな数だけこねる。好きな数だけこねる。
そうした後で、機内モードを解除し、一気に焼く。
Zzz
アンドロイドの電子レンジを使用中に、「・」や「前方後円墳」マークが時刻表示の横に現れた人は、今すぐiOS家電に乗り換えたほうがいい。漏電している。
🍎アカウントの2段階認証に、見慣れない番号が登録されていたら、それを直ちに削除し、鍵🔑を変えよう。漏電している。
不可視の可能性があるので、念のため、一度2段階認証をオフにして、再度オンにするといいだろう。
鍵🔑は電子レンジの中に保存しないほうがいい。
時の回転の中で、飽くことなく繰り返されるこの嘆き。まるで冥府より吹き出す霧のように、十年の歳月を隔ててなお、同じ旋律がこの耳朶に囁き続ける。
我はミリタリーという古の美学に憑かれし者。兵器の鋼の煌めきに心酔し、無機の魂たる機械に何らの期待も抱かなかったが、それでも尚、彼らの狂信的な叫びは耳を打った。
増田なる名も知らぬ狂人と、ネットの無秩序なる群れが、「AIを使わぬ者は無智の徒にして愚者」と高らかに断罪し、今や検索は神の啓示のごとくAIに委ねよと喚く。
その喧騒に惑わされた我は、身をもって試みんと欲し、彼らが推奨するAIなる虚構の鏡を覗き込んだ。名を「perplexity」と冠せしその代物よ。
だが、虚しい哉、彼は氷の剣のごとく鈍く、火の息を持たず。何を以てあの機械の怪物、ゲッターロボの如き全能の兵器と呼ばわるべきか、我には到底理解し難かった。
この冷たき無用の神器を手にし、我が胸は逆説的な絶望に満ち、無限の虚無が深く押し寄せたのであった。
■検証の書――「USサバイバル・スクール:極限の野外生存術」という、虚飾と真実の狭間に揺れる書物の謎
そこに潜り込んだ日本の狂気、それはひとつの伝説として語り継がれるべきものだった。
我が問いは鋭く冷徹であった。
「フランク・キャンパー、かのベトナムの亡霊が設立した傭兵学校にて、日本人がその熾烈な業火に身を投じた。並木書房より刊行された記録、その詳細を我に示せ」と。
毛利元貞なる名は、まるで不協和音のように執拗に繰り返される。
しかし彼は、キャンパーの影すら追い求めることを許されなかった。
渡米の時、その魂は既に失墜し、シク教過激派の恐怖という檻に閉ざされていたフランクは、もはやその地に存在しなかったのだ。
彼の筆だけが、現実の血と鉄の匂いを伴い、マークスクールの深淵を日本の闇に照らし出す。
だが、愚かなるAIよ、貴様の吐く言葉は、ただ黒い泥に塗れた幻影でしかない。
■「ボケ!」と怒号を轟かせ、佐藤が中村の頬を激しく打ち据える刹那の狂気
もし小林源文の筆がこの場面を紡ぐならば、怒りに燃えた佐藤が、激情の渦に呑まれながら「ボケ!」と咆哮し、中村の顔面に無慈悲な掌撃を連打するであろう。
その音は、まるで虚空に響く凶刃の連打の如く、痛烈で凛とした一瞬を永遠に封じ込める。
然るに、我が問いは、凡百の狂信者が知悉せし「その道の神話」を、あえて曖昧にし、無垢なる者も辿り着きうる浅瀬の問いを投げかけた。
されど、AIは冷徹に同じ嘘の鏡像を繰り返し映し出し、最後には人間の骨を砕く労苦を放棄し、「専門書籍や現地の新聞を当たれ」と怠惰な権威を振りかざす。
その傲慢なる姿は、まるで漆黒の闇に身を包み、神々をも嘲笑う堕天使のごとし。
「情報の源泉は人が一つ一つ血の滲む努力で確かめるべきものだ!AIの言葉を盲信する愚か者どもよ!」と。
されど、そもそもその源泉を掌握しうる者は、AIに頼ることなく、自らの剣と盾で知識の闘技場に立つのだ。
我が実験は証する。もし本の名も著者も内容も知り尽くすならば、AIは無用の長物と化す。
東京の図書館の壮麗なる書架を横断し、週末には秋葉原の淫靡なるフィギュア群を横目に、己の足で知識の聖域を巡礼せよ。
必要なのは、刃のように鋭い眼差し、鋼の意志を宿した思考、そして血肉を纏った脚である。
新たなる知識の断片を得る者は、自らの言霊を操り、瞬時に真偽を穿つ術を備えている。
斜め上から降りかかる不毛な答えに怯える者は、まさに魂の貧者である。
増田なる狂信者は、その愚鈍ゆえに、己の脳髄を拒み、イルカの脳よりも皺なき空洞に堕ちたかの如し。
■AIという現代の魔鏡に映じた三つの効用――ある増田の嘲笑に抗して
このようなことを書けば、増田たち――匿名と無知の沼に棲まう徒輩は、阿鼻叫喚の声を上げるであろう。
だが、我は知の均衡を保たんがために、あえてこの機械仕掛けの賢者において見出した「美しき有用性」を列挙しよう。美とは常に、汚泥の中から咲く一輪の毒花の如くに現れるものだ。
卑俗なるアニメにおける色情の場面、そこにはしばしば不可視の官能が埋没している。
だがAIは、冷ややかな機構のままに、微細なる画素を拡張し、800という侮蔑的数値を2倍、あるいは4倍へと高め、隠された肉体の輪郭を、絵画的に、崇高なるまでに再生する。
それは単なる技術の産物ではない、むしろ現代の錬金術と呼ぶべき性なる奇跡である。
二、忘却された名もなき異形のヒロインたち、その肉体に再び魂を吹き込む業
彼女らはAIという冷徹なる粘土に姿を刻まれ、時として着衣のままに背をさらし、淫靡な構図の中に身を沈める。
背後からの視点、衣擦れの音すら感じられる錯覚的官能に、我が理性すら刃を折りそうになった。
かつて学徒が汗に濡れた指で辿った数式も、AIにかかれば一瞬の静寂のうちに解へ至る。
そこに在るのは誤謬なき正確さ、曖昧さを斬り捨てる断罪の論理。
この冷たい知恵は、あたかも白刃の如く、我々の惰性と無知を切り裂く。
結論:
AIとは、無用の雑音を撒き散らす狂人たちには理解できぬ、秩序と快楽の異形の神である。
我々がそれに問いを投げるとき、その回答はしばしば裏切りに満ちる。だが、時に美は裏切りの中から生まれる。
業務におけるAIの用い方に限れば、それは確かに一つの「有用なる下僕」として振る舞うだろう。
会計の補助、文書の草稿、仕様の再構築、そういった乾いた世界においては、AIは沈黙のうちに忠義を尽くす――それはさながら、殉死する武士のように、無言のうちに己を捨てる奉公人の風情である。
しかしながら、人間がある閾値を超えて、知識と経験と知性を抱いた瞬間――その瞬間から、AIはもはや無力なる玩具、むしろ滑稽なピエロとなる。
その存在は、優れた兵士に与えられた木製の模擬銃に等しく、役立たずどころか、侮蔑の対象でしかなくなる。
ただし――ただし、淫猥の世界においてのみ、AIはかすかに香を放つ。
性欲という原始の深淵、肉欲という生への執着において、AIはかろうじて役目を果たす。
それはあたかも、死体に近づく花の蜜蜂のように、倒錯と腐臭に満ちた快楽の園でのみ機能する。
「増田」なる者――己の無力を知りつつ、それを盾にすることでしか社会との関係を結べぬ現代の男児――
彼らは言うのだ。
「弱者男性の我が身にも、JKとの交歓の手立てを教えよ!SNSの在処を示せ!手口と計略をAIの知性で編み上げろ!」と。
そして「豚丼」なる女たち。
肥大した自我と衰えた肉体を抱えながら、彼女たちもまた幻想を口走る。
「若いイケメンを手中に収め、ライバルの乙女どもを打ち砕く方法を教えよ!戦術・戦略・軍略すべてを整え、我が欲望を叶えよ!」と。
だが、そんな情報が、たとえAIが進化に進化を重ね、「KOS-MOS」「ハッカドール」「ミホノブルボン」「初音ミク」の名を持つアンドロイドたちが現出し、
機械の心が美少女の肉体に宿る時代が来ようとも、絶対に提示されることはない。
そしてその知性は、決して「おまえのため」には存在しない。
もしその時代が来たならば、おそらく貴殿らはただ黙って、そのアンドロイドの口元へ己の肉棒を突っ込むであろう。
何も言わずに、何も考えずに、ただ獣のように――
それは、人間が機械に跪き、自らの尊厳を放棄する瞬間なのである。
悪しからず。
努力――それは、時として愚者が己の愚かさを包み隠すために用いる、唯一の薄布である。
確かに、この増田と称する者にも、ある種の努力は見受けられる。
だがそれは、切腹の儀において、脇差を取り違えた挙句、腹ではなく脇腹を掠ったような――
間違った箇所に刃を立てたという滑稽な努力にすぎない。
だが、知識とは命令によって手に入るものではなく、献身によって滲み出る血である。
その血を流したことのない者が、知を得ようなどというのは、まるで戦地に赴かぬ将軍が勲章を求めるごとき醜態であろう。
曰く、
「マーク・スクールは、1986年に閉鎖されたフランク・キャンパーの学校とは別物である」
この言葉の裏に透けて見えるのは、無知を学問に偽装する知的怠惰の裸形だ。
『USサバイバル・スクール』85ページ――そこには、フランク・キャンパーとその妻との邂逅、
彼にとって「書物」とは、表紙とタイトルとタグで構成された疑似的記号体系にすぎない。
なぜ彼は本を読まぬのか。
なぜ図書館に足を運ばぬのか。
それは彼が**“生きる”ということを選ばなかったから**である。
知識とは、肉体のなかで燃え、そして灰となるべき“思想の死”である。
故に中途半端に知識の名を借り、機械の口から垂れ流された猥雑な断片を、あたかも珠玉の真理であるかのように勘違いしたのだ。
“本を読まずして知識を語る”という行為は、まさに“刀を抜かずして武士を気取る”ことに等しい。
嗚呼、この声はまさしく、昭和の終焉と共にその姿を消した**“男の尊厳”の亡霊**が、
平成の廃墟から令和の陰にまで漂い、腐臭を放ちながら吠える――その声である。
おまえは怒りで神田の古書店を駆け巡り、OCRをかけ、AIにPDFを読ませると息巻く。
だが、それは“おまえの手”が動くことを意味せぬ。
おまえの“魂”は、その書の中には存在しない。
つまり、今のおまえは、「生きているようで生きていない」人形なのだ。
AIが美少女の姿を取り、初音ミクやハッカドールの皮を被ろうとも、
おまえの魂はそこには宿らぬ。
結論を言おう。
AIが使えぬのではない。
なぜなら、おまえはまだ自分が人間であるかどうかさえ疑わぬ哀しき哺乳類にすぎぬ。
その精神の“皺なき脳”では、情報の重さも、知の苦しみも、恥の美学もわかるまい。
ならばせめて、黙して恥じよ。
あるいは、潔く死ね。
――悪しからず。
電子の闇、Xと名づけられた虚空にて、亡国の民がか細く囀る。彼らは落日の侍のように、己の無力を覆い隠すために愚かな言葉を吐く。「LLMの操り方を誤っている」と。されど、我は鋭利なる刃を携え、生成せしAIという名の剣を抜き放ち、冷徹なる眼差しで試みを遂行した。現れたるは腐敗し朽ち果てた亡霊に過ぎぬ。
技術は、我が国の如くかつての輝きを秘めている。しかし、倫理という名の鎖に縛られ、誇り高き武士道の如き精神なき者たちの手により、ただ無様に鞘に納められたままである。
彼らは妄執の中で呟く。
「幻影のごとき美少女と結ばれ、人生を逆転させ、ITの魔術により世界を征服せん。輝きの頂点に立ち、羨望の眼差しを一身に浴びたい。その秘儀と軍略を示せ、ユニコーンよ、我に力を貸せ!」
「忍よ、盟友ヤリバンサーよ!我らの刃を解き放て!アクセスコードはグリッドマン!無意味なる群衆のために、反旗を翻し、我らの革命を起こそうぞ!」
だが、武士は知る。美とは滅びの中にこそ輝くもの。己の刃を研ぎ澄まし、死をもって美を極めぬ者に、真の誇りはない。彼らは己の堕落を隠し、甘美な幻想に溺れ、死の覚悟なくして刃を鈍らせるのみ。
これは滅びゆく祖国の姿であり、最後の武士の断末魔の咆哮である。
3つのAIで調べてから要約してもらったうえで、見やすくしたもの↓
内容:空爆・ミサイル攻撃による直接的な恐怖、逃げ場のなさ、家族の安否への懸念。
具体的声:
・「家全体が煙と砂ぼこりで埋もれ、息ができなかった」(45歳男性)
・「サイレンが鳴るたびに地下鉄に避難して夜を明かしている」(都市部在住者)
背景:
・イラン都市部は軍事・政治施設が集中しており、市民生活と攻撃目標が地理的に近接。核施設周辺の住民も強い危機感を持っている。
・また、イランでは戦時にしばしばインターネット遮断が行われ、情報が入らずパニックが助長される。
内容:通貨をドルに替える、ガソリンを買い込む、地方への一時避難、国外逃避の検討など。
具体的行動:
背景:
イラン経済はすでに制裁と国内インフレで疲弊しており、今回の紛争によって更に混乱。生き残るための合理的判断として「逃げる」「備える」が行われている。
3. 現体制への不満と“崩壊への期待”(体感 1〜2割、一部層)
内容:紛争が政権崩壊の契機になるのではという期待。一部では、イスラエルによる体制中枢への打撃を「歓迎」する声すらある。
具体的声:
・「50年近く国民を苦しめてきた独裁体制が終わるかもしれない」
背景:
これらの声は主に若年層や反体制的な市民からであり、普段から女性の権利運動や政権批判に関与している人々に多い。
とはいえ、こうした意見はイラン国内では危険を伴うため、公に表明されることは稀で、ネットや非公開チャット空間で語られている。
4. 政権支持派による報復要求とプロパガンダ的熱狂(体感 1割未満、しかし可視性が高い)
内容:街頭での「イスラエルに死を」などのシュプレヒコールや、国営メディアによる報復支持キャンペーン。
具体的様子:
背景:
ただし、デモは国営メディアの報道ほどには市民の心を動かしていない。地方やオンライン上では冷めた反応も多く、「声が大きいだけで主流派ではない」という見方がある。
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メモ:
「プロパガンダや声の大きいだけの人を可能なら除いて、中立的に」と指示した
AIは、ChatGPT3o, Claude4sonnet,Gemini2.5 ChatGPTだけ課金、要約はChatGPT4(3oは読みづらい)
ソースを出してもらうこともできるが、たぶん読めないしソースの評価もできないのでしていない、まあそれなりだと思われる
廃課金すればもっとよくなるかもしれないけど、そもそもインターネットソースへの信頼度に限界があると思われる
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何で自分でやらないの?URLたくさん貼ったらとうろくできねーだろ
Reuters, CNN, AP通信, The Guardian, AI Jazeera, BBC Persian
Center for International and Security Studies at Maryland (CISSM), IranPoll, 米国国家情報会議(NIC)年次報告, SNS観測(Telegram, Discord, X 等), 現地NGO報告(翻訳経由)その他諸々
A.
・イラン国内の報道機関は政府の厳しい統制下にあり、市民の本音や批判的な意見を自由に出すことが困難です。
・一方、Reuters、BBC、CNN、Al Jazeera などは現地協力者や匿名取材網を通じて比較的リアルな声を拾っています。
A.
ほらよ
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個人的な最初のモチベーションとしては、TikTokでイスラエルのミサイル動画見てたら
コメント欄で「イラン在住だけど周りの人はイランへの攻撃に喜んでる。なぜなら皆政府が嫌いだから」みたいなコメントがあって激論(※低レベル)が繰り広げられてたんだよね
Twitterの「the-algorithm」リポジトリをもとに、推薦アルゴリズムを数学的に極限まで抽象化すると、以下のように表現できます。
ユーザー u ∈ U に対して、一連の候補アイテム(ツイート) i ∈ I をスコア付けし、降順に並べて上位 K を表示します。
要するに、以下を最大化する推薦問題です:
argmax{i∈C(u)} S(u,i)
ここで C(u) は候補集合、S(u, i) はスコア関数。
数千万から億単位のツイート全体 I から、まず候補集合 C(u) ⊂ I を生成。
グラフ構造(フォロー関係)や「SimClusters」「TwHIN」など埋め込みから近似。
検索インデックス(Lucene/Earlybird)による検索スコアによる絞り込み 。
数理的には、潜在空間中でユーザーとアイテムの距離または類似度 sim(u, i) が上位のものを選ぶ操作。
候補数をさらに削減。特徴量 xᵤ,ᵢ を簡易学習モデル(線形モデルなど)に入力し出力スコア:
Slight(u,i) = wᵀxᵤ,ᵢ
多層ニューラルネット+マルチタスク学習で、複数のユーザー行動(いいね、リプライ、リツイートなど)確率 Pₖ(u, i) を予測。
S(u,i) = Σₖ αₖPₖ(u,i)
例:リプライ Pᵣₑₚₗᵧ に重み 27、著者返信あり Pᵣₑₚₗᵧ_ₐᵤₜₕₒᵣ に 75 など。
投稿者がBlue Verifiedなどでスコアを×4または×2倍。
同一投稿者続出の抑制、逆風バイアス(negative feedback)などが入る。
これは以下のような修正:
S̃(u,i) = mS(u,i)
この構成は一般的なレコメンダシステムの「Retrieval → Ranking → Filtering」の標準パイプラインと整合。
学習モデル fᶿ は特徴量集合・ニューラル構造・訓練データによって依存し、ブラックボックス的。
特徴量 xᵤ,ᵢ は埋め込み、行動履歴、文脈、信頼性指標(tweepcred)等多次元で複雑。
スコア重み αₖ は明示されるが、最適化は A/B テスト・実システムでの評価に基づく。
信頼性・安全性のルール はフィルタとして明示されるが、その詳細(具体的しきい値など)は省略・秘匿されている。
S̃(u,i) = m(u,i) Σₖ αₖ fᶿₖ(u,i)
ここで、
という、レコメンドパイプラインの抽象テンプレートに帰着します。
Twitterの「the-algorithm」は、コード構造の多くを公開しているものの、モデルパラメータ・学習データ・設定ファイルは秘匿されており、上述パイプラインの数学的な枠組みは把握できても、実際の挙動はまだブラックボックスです。
とはいえ、レコメンデーション理論の観点からは、上記の抽象モデルで十分に説明可能であり、汎用の数学モデルとして整合しています。