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2025-11-19

17年前に里親として迎えた猫が、先月天寿を全うした

幼いころ、猫が飼いたいとさんざん言っていた私。

10歳の9月何気なく立ち寄った場所で、偶然にも犬や猫の譲渡会が開催されており

本当は整理券必要譲渡会だったのに

「すぐ帰らなきゃいけなくなったから!」

と、知らないおばさまから整理券を握らされた。

当時、猫を迎える準備などは何もしておらず

ただ、母親12歳の誕生日に猫を買ってもらうという口約束を交わしているだけだったが

これ幸いと、幼い私は軽い気持ち譲渡会を覗いてみた。

そこで出会ったのが、後の「ミー」くん。

ミーはとても小さくて、1カ月ほどだと言われた。

本当に本当に小さくて、10歳の私の両手に収まるような小ささだった。

からかなり離れた場所での譲渡会だったが、説明担当についてくれた獣医さんが

まさかの、当時の家の隣にある動物病院獣医さんだった。

そういう偶然も重なって、とんとん拍子にミーとの生活スタート

ミーは教えても無いのにトイレ自分でこなしたり

ごはんもしっかり食べる。健康診断も毎年問題なしの優良猫だった。

ミーは本当に人間が好きな子で、初めて会う人も、最初ビビリもしていたがなでられたらすぐなついた。

病院は苦手そうだったが、暴れず騒がず、獣医さんに撫でられてとてもうれしそうだった。

そして、記憶力が良い子だった。

1~2年に一度しか会わない祖母のことをしっかり覚えていて、

たまに会っても怯える様子も一切なく、自分から近寄って行ったりしていた。

寂しがりやで、遊ぶよりごはんより、何より人が好きだった。

年を取り、もうあと数年か…と感じるようになってきた。

もともと少し太り気味だったが、13歳を過ぎたこから少しずつ体重が減っていった。

それでも4キロ近くあり、獣医さんからは「もう少し痩せても大丈夫ですよ」と。

様子が変わったのは突然だった。

10月2日、ごはんを一切食べず、ほとんど動かない状態になっていた。

夜だったがすぐに獣医さんに連絡して、時間外だったが急遽診てもらえることになった。

事前に記載しておくが

私は、生き物の延命治療については「痛みや苦しみが無いなら、取り除けるなら」行うべきだと思っているが

末期であるとか、苦しみしかない場合については

治療延命ではなく、緩和ケアを行うべきと考えている。

自分や親、家族などの人間であっても変わらない。苦しみがある人生はつらいと考えているからだ。

ミーの診断の結果は、重度の腎臓病。ステージ4以上だ。

脱水もあった。

私は2年前に実家から離れて月に1~2回しか会えていなかったので、気が付くのが遅かった。

もっと早く気づいていれば、もっとしんどさを軽減させてあげられたんじゃないか、今でも考える。

なお、この日すぐにペットカメラを購入した。

ペットカメラ絶対おすすめ

ここから実家には週に3~4回帰るようになった。

そこからは少しでも食べれそうなものをあげてみて

とにかく水分を取れるようにだけ、苦しくないようにだけを念頭に置いて過ごした。

病院へはほぼ毎日点滴のために通った。

ミーはかつお節が好きだったが、いわゆる猫缶やちゅーるなどは元々そこまで好きじゃなかったので

ドライフードにかつお節をたっぷり入れてあげるくらいしかやってあげられなかった

強制給餌はしなかった。ミーは強制的に口を開けさせられるのが嫌いだったから。

フライドチキン刺身ツナ缶ステーキごはん、色々試した。

どれも食いつかず、やっぱりかつお節がかかったドライフードが一番だった。

一時的キャットタワーに登れるほど回復したが、それも2日程度しか保てなかった。

みるみるうちに歩くのもやっとなほどになった。

ミーはえらいもので、最後までトイレミス等の粗相は一切しなかった。

最後最後まで、自分で出来ることは自分でやった。

ミーはそれから10月21日に、ほとんど歩かなくなった。

トイレは1日に1回。水もほとんど飲まなくなった。

いよいよだった。

10月22日、強い雨の降る日だった。

胸騒ぎがした。今日実家に帰る予定にしていなかったが、帰らなければ一生後悔すると感じた。

ミーはもうずっと布団にいるだけだった。

でも、この日は珍しく何度か鳴いている様子だった。

体調が悪くなってからほとんどしていなかったのに、その日は実家の母にすり寄っていた。

夜21時、仕事を終えて駆けつけた。

ミーは私を見て、3回鳴いてくれた。

こういう様子は本当に久々だった。

そして、つらいだろうに、私に顔を向けてくれた。

撫でてあげても、もう頭を強く押し付けてはくれなかったが、相変わらず嬉しそうだった。

水やおやつを口元に持って行っても

もういらないという仕草をされた。

0時、寝る前に声をかけた。

おやすみって。

まだ「きっと明日大丈夫だろう」と考えていた。

布団に入ってからもミーの様子はずっと監視していた。

1時50分ごろ、ふとペットカメラを見ると

ミーとは別の、一緒に飼っている猫がミーを心配そうに見ていた。

の子はミーとは折り合いが悪く、あまり好き同士ではない子だったので珍しかった。

そこでミーの呼吸がすこし早く、深くなっていることに気づいた。

既に死戦期呼吸が始まっているのではとよぎる。

ミーはもう虚ろな状態で、恐らくすでに意識は失っていたものと思う。

それでも、聴覚だけは最後まで生きていると聞いたことがあったので、必死に声をかけた。

撫でてあげた。

それに反応してか、ただの筋肉痙攣か、声に反応して足をうごかしていた。

家族もみんな揃って、たくさん声をかけた。



そして1023日の2時13分、ミーは家族全員に見守られながら旅立って行った。

力なく垂れるミーの体が、死を伝えていた。

ミーの体が重く感じた。あんなに軽かったのに、ミーの体はまた重くなったように感じた。

意識のある生き物が軽く感じるのは本当なんだと思った。

ミーは少しずつ冷たくなっていった。

でも、まだ動きそうだった。

また起きて来そうだった。

朝になると、ミーは硬くなっていた。

死後硬直って本当にあるんだと思った。

生き物だと思えないくらい硬くなっていた。

冷たくて、硬くて、ミーの置物みたいに思えた。

でも、ベッドに寝かせてあげると、ただ寝ているみたいに思えた。

とてもとても可愛くて、大好きなミーがいた。


火葬は早かったが、ミーの体が傷んでしまうのも怖かったので、その日の内に行った。

22日は大雨だったのに、23日は暑いくらいの晴れ。

雲一つない快晴だった。

火葬場も、23日だけは予約も一切なく、いつでも対応可能だった。

そういうところも、ミーのおかげなのかな?と思った。

きっと全部、ミーの思い通りに進行したんだと思った。

火葬の直前、最後にミーの頭を撫でた。

陽の光のおかげで、ミーはとても暖かかった。



あーでもさ、もっと早く気づいていれば。

もっと知識があれば。

通常、腎不全が進行すると、口臭がひどくなる・痩せる・水をたくさん飲む・嘔吐下痢などの症状が現れる。

ミーの場合半年ほど前からだんだん口臭がすこしだけ強くなっていたし、痩せては来ていた。

しかし元々5キロ以上あって普通に太っていたので、ようやく標準体重になったころだった。

加齢によって体重が減るとも言われていたので、そういうものかと思っていた。

でも、ここで、いやでもおかしくないか腎不全があるんじゃ?

とか考えられてたらなあ…

いま生きている猫と過ごしている人たちは、つらいだろうけど猫の病気についてしっかり学んだほうがいい。

もしくは、もしもの時の覚悟方針を、しっかりと心に刻んでおいた方がいい。

ペットカメラ絶対付けたほうがいいよ。

そして、残念ながらもうすぐ最後の日を迎えようとしている動物とすごしている人。

たくさん写真を撮るといい。

顔はもちろん。他の物と一緒に撮ると、大きさがよくわかる。

横顔や後ろ姿、いろんな角度で撮ろう。

手足は意外と撮る枚数が少ない。動物が元気なら、足形を取るのは結構ありかもしれない。

私は、ミーが永眠してからだが、その体をスマホアプリ3Dスキャンした。

スマホアプリでのクオリティは期待できないが、ざっくりと姿を残すことができる。

猫が元気な間にスキャンできる人はおすすめカメラでぐるっと撮るだけでできる。


さて、もうすぐミーの四十九日が来る。

私はあまり虹の橋天国などの概念的なことは信じていない質だが

そういう話で心が落ち着くのは今回とても理解できた。

正直なところ、ミーが亡くなってから

たまに涙が出てしまうが普通に生活できている。

四十九日が来たとて、何も変わらない。

ミーの今回のことの思いや感覚を忘れたくなかったので、文章化したまで。

しろ私は幸運だった。

覚悟する時間があった。

世の中には突然その日に失ってしまう命もある。

きっと私はまた猫を飼う。

失う怖さや辛さよりも、それを大きく上回る幸せな思い出や経験をくれる。

また里親だと思う。

生体販売ペットショップ)は出来る限り減っていくといいと思う。

野良猫はみんな去勢できるといいし、多頭飼育崩壊は許せない。

猫のトリマーさんがもっと増えたらいいなと思う。

そして何より、猫や犬の腎不全の進行を軽減できるような研究が進めばいいと思う。

なんと、令和9年春を目安に猫の腎臓病の新薬が使えるよう、色々と進んでいるらしい。

よかったね。これからの猫たち全員に幸あれ。

思ったことをつらつら書いているので、まとまりがないが

そろそろ締めようと思う。

今回分かったこ

・虫の知らせはある。

ペットカメラはあると良い。

病気の初期症状を調べておいて、すこしでも変化があったら相談すると良い。

・ChatGPTに飲水回数やトイレ回数などを伝えて表にしてもらっていた。とても便利だった。

子猫のうちから自動トイレ自動給餌器を設置して、健康状態をしっかりと管理できると最高。

以上。

2025-11-10

anond:20230718013727

彼女芸能人なって東京引っ越しからもう1年半経つけど私は相変わらず名古屋住んでて飼い猫も一匹増えてその子雌のサビ猫めっちゃ甘えん坊やけど身体小さくて食細いから毎週点滴打ってもらってて明日夕方動物病院行くんやが明日は朝から彼女帰ってきてお昼食べる約束しとるから弁当作って猫連れて公園でも行こうか思うてるけどそのこと察してかもうサビ猫と先住の長毛モフ猫はソワソワして部屋中ウロウロしとるし明日弁当用に仕込んだローストポークのニオイ嗅がせたら延々舌ペロペロしよってめっちゃ楽しみにしとるし私も造園業未だに続けとるけど土日出勤して月火休みの週のときは混雑避けて休日満喫できるようになったし最近は古いけどめっちゃ渋いクロモリロードバイク買って近所で自転車散歩もするようになって今年三十歳やけどまあまあええ暮らしとりますわ

2025-10-24

A3サイズ世界を変える、四畳半の戦い

7年前、東京。地下かどこかの喫茶店で、デザイナーのHさんと打ち合わせをした。

自分企画した仮設の公園シリーズデザイン制作物を依頼する場だった。

まだ若くてバカだった当時の自分は、「A3サイズ世界を変えよう」と笑いながら真剣に言ったのを覚えている。鼻息ストローの袋を吹き飛ばした気がする。

その後に作ったA3フライヤーは、原稿の渡し方もイメージの共有もめちゃくちゃで、散々迷惑をかけた気しかしない…。でもHさんは最高の納品物をつくってくれた。

それからあちこちでHさんのデザインを目にするたびに(先日も実家近くの本屋で見かけた)、あの狭い喫茶店で口にした言葉を思い出す。

HさんはあれからマジでA3サイズ世界を少しずつ変えてってると思う。

先週、哲学対話研修をしに来てくれたNさんに

「どうして“哲学対話”という名前を使うんですか?難しそうだとか、参加に身構える人もいるかもしれないのに」と尋ねた。

Nさんはいろいろ考えた末に、「なんか…ムカつくんすよね」と言った。

誰が哲学を遠ざけ、対話しようとする人を傷つけてきたのか。

哲学と、対話という言葉意味を新しく上書きするために、あえてこの名前を使うんだって話してくれた。

今の自分は、どうだろう。

「ムカつく」という言葉を聞いて、久しくそ感覚を忘れていたかもしれないと気付いた。

どうせ何も変わらないと思って、絶望してたんだと気付く。ぜつぼうって、Zから始まる強い響きの言葉だけど、耳がキンとするほど静かで、うっすら気付きながら置き去りにして、気付けばゆっくり死んでいるような絶望もある。

思い出すと自分も「A3世界を変えよう」と言ったあの頃、世界に対してムカついてた。

少し前、自分臨時職員だった。アート教育に関わる仕事給料は月13万円。

周りの正規職員は倍くらいの給料をもらってる。

でも求められる仕事の内容は変わらない。自分が足りないから倍以上頑張るしかないんだ。

アーティストクリエイターとつながっておくのが大事だ」と教わりつつも、飲み会に行くのが怖かった。行ってもバカにされるだけ、雑にいじられて否定されて、3000円払っていやな思いをするだけだと思ったから。

それでも「今日は違うかもしれない、大丈夫かもしれない」と信じてみる。

先にコンビニおにぎりホットスナックと缶ビールを胃に詰め込み、遅れて飲み会に顔を出す。結果「やっぱりカタパンダメだな〜」と何かのきっかけでバカにされ、ヘラヘラしながら5000円払わされ、真っ暗な帰り道で涙がつっとこぼれそうになる。今思えばもっと自己開示すべきだったのかなって思う。でもあの時の自分は、自分を守るのに必死だった。

同じ部署臨時職員同士で競わせられ、蹴落とし合う日々。毎日どんどん嫌な自分になる。

上司は定時で帰宅して、赤ちゃん風呂に入れるという。

それは素晴らしいことで、自分今日も帰れない。自分は常に欠けていて、仕事ができないかしょうがないんだ。自分子どもを育ててみたいという気持ちをこんな手取りじゃ絶対無理だとグッと押し殺し、上司に嫌な感情を向けてしまう心に嫌気がさす。

「カタパン説明は下手すぎる」「カタパンは才能がない」「カタパンは惜しいんだよな」「タレ(当時付き合っていた彼女)と結婚してさっさと仕事やめたら?」「カタパンのタレはメンヘラだよな」「それ俺が考えたことにして。そっちのほうが絶対うまくいくから」「カタパンが考えることは全て、もうすでに俺が考え終わったことだよ」「カタパンは、ソーシャル・ネットワーク映画)の、ザッカーバーグじゃない方なんだよ。自分が考えたことも上司うまいところを持っていく。そういうのってこの業界じゃ当たり前だから。」「カタパンエモいからな〜」「カタパンは伸びしろがない」「泣くのはプロじゃないよ」「カタパンもう◯歳でしょ?いい加減大人になってほしいよね」

大学1年生のころ、そのアートセンターでやっていたノイズミュージックライブを初めて聞いて衝撃を受けた。

退屈してて何もないと思っていた、都市ってつけるのがおこがましいくらいの地方都市で、爆音の圧に内臓が揺れる。初めて音に殺されるって思った。

こんなこと公共施設がやっていいんだ。そのアートセンターで働くことに憧れた。

そこには市民有償ボランティア制度サポートスタッフがあった。入りたいと思った。

でも1年生でサポートスタッフになっても、きっと自分は他の人に埋もれてしまうと思い、いろんなアルバイト経験した。

3年生になって、ようやく少し自信を持って、サポートスタッフ登録する。

“カタパン”は、サポートスタッフを始めた初日教育普及の職員に付けられたあだ名

理由は、肩パンしても大丈夫そうなキャラから。嫌なあだ名だったけど、あだ名を付けてもらえたことに喜んで、自分否定しなかった。

ようやく入った憧れの施設では、地元の人やサポートスタッフを蛮人と呼んでる人もいた。

もちろん冗談で。冗談なんだから否定するのは粋じゃない。自分は一緒に笑った。

自分も笑われているのに。

どんなに嫌なことがあってもそのアートセンターに憧れたあの時の気持ちは捨てられないし、どこかで全員尊敬できたし、すごく優しい人もいる。

周りの誰も憎めずに、自分を責め続けた。心配してくれた人の言葉を、自分大丈夫ですよとヘラヘラ聞き流した。

周りを変えることよりも自分を責めることの方が楽で、でもずるくて、いざ失敗したら周りのせいにしてた自分もいる。この文章だってそうかもしれない

自分自分のそういうところがめっちゃ嫌い。だからこの文章をここに書き残しておく。

ダサいことも、痛いことも、全部置いておく。

今は常勤職員になってしばらく経ち、生活も少し安定するようになった。チームが変わり、すごくいい仲間に恵まれて、痛みを感じることを言われることも少なくなった。安心できる場所をつくることが出来た。年下の後輩も入ってきて、それまでリーダーをやってくれてた同僚が抜けることになった。

常勤職員から、副専門職員になる試験を受けたら、普通に面接で落ちた。

付き合いの長い上司からあなた専門性はないですって諦められたみたいで悲しかった。

しか自分はまたヘラヘラして、自分の言いたいことを伝えられなかった。

伝えることを諦めてしまった。そんな自分が悔しくて、その夜電気を全部消して泣いた。

今の自分は、どうだろう。

昨日『104歳、哲代さんのひとり暮らし』という映画感想を語り合う場所を開いた。これは一昨年の暮れから、だいたい毎月4回くらいやっている。休憩がてら立ち寄った人たちとお茶ジュースミルクティーが人気)を飲みながら、映画の印象に残った場面を話すうちに、みんなそれぞれ自分過去をぽつりぽつりと思い出して語り始めたりする。昨日も15人くらい来てくれた。

コロナ禍の入院で、本当は会いたかった人を病院の窓から見送った話。

離れて暮らす娘の早産を電話で励ますことしかできず、悔しかった話。

祖母隔離病棟で亡くなる直前、看護師がつないでくれたLINEビデオで声をかけたけど、触れられなかった話。

「哲代さんは明るくてすごい。私は後悔ばかりだ」と84歳の参加者が漏らすと、別の人が「いまからでもイメチェンできる!84歳、あと20年ある!」と励まして笑い合う。

飲み物を継ぎに別のグループへ。「職員さんですか?」と聞かれたので簡単自己紹介し、「楽しく働いています」と答えると、一人の女性が「…仕事はつらいですよ。人生はつらいですよ。」と自分に言い聞かせるようにつぶやいた。

彼女は三人の子どもを育てるために、大好きだった介護仕事を諦めたそうだ。

介護仕事給料が低くて、今はレジ打ちなんかをしています。でも、本当は働きたい」そう言うと、彼女の目から涙があふれた。

彼女にとっての“働く”は介護であり、レジ打ちはやらなきゃ立ち行かなくなる”仕事”。

彼女は泣きながら、どんな場面を、人を、思い出していたんだろう。

おもわず隣の大学生がもらい泣きして、タオルで涙をぬぐう。

そのタオルがすごく大きくて「いっぱい泣けるね」とふざけて笑い合う。

自分も鼻の奥がツーンとして小さな涙を指で拭う。

この場所では、泣いても誰もバカにしない。

最後彼女は「いつか絶対介護に戻りたい」と話してくれた。

その姿は強くてまぶしくて思わずみんなで応援した。

尊敬する館長がしばらく前に亡くなった。

自分は、館長の本棚にあった「公共役割とはなにか」という本をもらった。

館長から出された宿題みたいに、その問いのことをずっと考えている。

まだ宿題の途中だけど、今館長に聞かれたら、

公共文化施設とは、みんなで人間らしさを取り戻す場所って答えたいと思う。

人生は一人で抱えるには重すぎる。いつか自分の足で立つためには、みんなで少しずつ荷を下ろし、身軽になる必要もある。何かを得るだけでなく、重くなった気持ちも置いていける場所。そういう場所が、自分はあってほしい。

それは捨てていくんじゃなくて、きっと誰かが聞いている。

形のない、透明なお墓みたいな時間場所

誰かが誰かを覚えていると信じられるから、新しい自分になっても安心して息が吸える。

小学生がうちの施設社会見学に来たら「メディアテクノロジーは人にものごとを伝えるワザ。コンピューターインターネット映像、照明、音響かいろんなものがある。そう聞くと、電源が必要とか、新しくてシュッとしてるとか、固くて冷たいもの想像するかもしれないけど、いまみんなに話しているこの言葉だってメディアテクノロジーひとつ。僕らはつい最新のテクノロジーに注目しがちだけど、僕らが生まれるずっと前は、この”言葉だって最新のテクノロジーで、思ってることを人に伝えられるのやべ〜!ってなってたはず。もし言葉が喋れなかったとしても指差しをしたり、狼煙を上げてここにマンモスがいるぞー!って伝えてた。でも当たり前に使えていると思ってるものも、使い方を間違えると怪我したりする。

このアートセンターでは、メディアテクノロジーを改めて広く捉え直して、ありたい未来可能性(こんな使い方出来たんだとか、こんなふうに伝えられるんだとか、こうなるとヤバそうとか)をみんなで考えて、みんなでつくっていくために、全員まだ答えを持ってない新しいアート作品をつくったり、紹介したり、それをみんなで見る場、話す場を開いてる」って伝えてる。ともにつくり、ともに学ぶ場なんだって

例えば映画の上映に合わせておこなうお茶会みたいなイベントは、小さな場所の小さな営みで、”オリジナル”みたいに威張れることはしていない。たまたま映画を見に来た鑑賞者同士が、なんとなく休憩しに立ち寄って、お互いの話を聞きあえる場を開いているだけ。でも、そこに来る一人ひとりは、とても大きな人生を背負っている。

日立ち寄ってくれた年配の2人組。

少し背の低い女性が「耳がほとんど聞こえなくなった主人が、この映画は見たいって言ったんです。だから字幕がなくても今日は来ました」と穏やかな声で教えてくれた。

これを見たいと思うことと、一緒に見る人がいるのめっちゃいいですねと伝える。そしたら突然その人がパートナーの耳元に向かって、自分がさっき言ったことを大きな声で復唱してくれる。(この人、こんな大きな声が出るのか)と内心びっくりする。

男性は嬉しそうに「そうなんですよ」と言って笑った。言葉があってくれて、でっかい声で伝えようとしてくれて、ここに来てくれて、聞いてくれて、ほんとによかった。

その場を見ようともしない人ほど「効率が悪い」とか「KPI」とか「来てない人を納得させないと」とか「ソーシャルインパクト大事」とか「経営的な戦略必要」とかって、ティーチ(一方的に教える)よりラーニング自分で学ぶ)が大事と言う同じ口で、一方的に教えてくれる。

いや、なんかそうなんかもしれんけど、うっせ〜〜〜。

簡単に人をモノのように扱える人ほど評価される世界絶対間違ってる。

世界を変えるって、トランプみたいに自分勝手世界を掻き回すことじゃ絶対にない。

世界を変えるって、ひとりひとりが自分の力を思い出して、取り戻すことじゃないんかい

ここに生きてる人間がいますよ。

この前ポッドキャストの収録で話したひるねちゃんは「手元をみよう 手元をみよう」と、祈るみたいに2回言った。

「人の心に反射したその光こそが作品作品が光ってるって言うより、あなたの心に反射したものが光ってるんだよ。エネルギーを飲み込まないで発散できる自分でいたいな」と言いながら、最後の語尾は震えてた。

心が諦めてしまうと簡単に、ブラックホールとかベンタブラック(99.9%の黒)みたいに、どんな光も吸収してしまう。

収録が終わってしばらく経ったある日ふと、本当に信じてることは信じてるなんて言わないのに、信じたいって思うことほど信じてるって口に出して言うのは不思議だなと思った。

言葉日光を浴びせるように外気にさらすことで、いつかほんとに信じられるものに変わるかもしれないから、僕らは信じたいことを口に出すのかもしれない。

先週も大学を訪ねたら「アート自分には縁がないもの」と学生匿名チャットで教えてくれた。おい、誰がアートをその子に縁がないものにしてしまったんだ。関係ないものなんて、本当はなに一つないはずなのに。おい、誰がそんなふうにしてしまったんだ。

でも自分アートに関わる仕事をしててそう感じさせたうちの一人でもあるかもしれないからそれはごめん!もう一度やり直したいからチャンスがほしい。そんな悲しいこと言わないでよ、寂しいじゃんって思う。

あームカつくな。ムカつくし、ムカつくという感情を思い出せたのが嬉しいな。

ムカつくの前には悲しいな、とか寂しいな、があるな。ムカつくのにも、悲しいなとか寂しいなを反射させる力が必要なんだな。

自分は小さな空間で、人が変わるまぶしい瞬間を何回も目にしてきた。

しか自分文章はまだまだ分かりづらくて、曇った鏡みたいなものかもしれないけど、本当はもっともーーーーーっとすごい。まじ伝えきれね〜〜〜〜って思う。

それでも自分も、反射できる自分でいたいと思うからこの文章を書き残しておく。

昨日の朝、映画を見る前、教育学部の授業に自分が働くアートセンターの紹介をしに行った。

朝一の貴重な40分をもらって全力でプレゼンしたあと、先生ブラインドトークワークショップに参加させてくれた。

10人が3チーム、絵を見て言葉で伝えるチームと、その説明を聞いて絵を書くチーム、そのやり取りを観察するチームに分かれる。

5分間で出来上がった絵は、答えに近い人もいれば、まあまあ遠い人もいる。

その後のフィードバック時間は、こう説明すれば良かった、こう質問すれば良かったなどの意見を交わす。

から1/3の位置に〇〇があるみたいに数字を入れて伝えるとか、全体の雰囲気テイストイラストなのか写実的なのかなど)を伝えてから具体的な描写を伝えるとか、一番大事なこと(なにを伝えたい絵なのか)に絞って伝えるとか、いろんなアイデアが出た。

どれもすごい大切だって思ったと同時に、自分はなんかもう、最強だな〜〜〜って思った。

最強って、いまめっちゃ強いとか、いまめっち説明が上手とかじゃなくて、変われるってことだと思った。伝えようとしてる人がいて、聞こうとしてる人がいる。もうそれで十分じゃん。言葉が足りなきゃ付け足したら良いし、分かんなかったら聞けば良い、言い直したらいい。

ほんとは完璧コミュニケーションなんてなくて、伝えたいとか聞きたいとか、それを諦めずに関わろうとし続ける限り、うちらもっと強くなれる。もしかしてそれを教育と呼ぶのでは?!みたいなことに気づいて驚きながら言った。

みんないい姿勢で、まっすぐ聞いてくれた。おい、まぶしいな。ありがとう

先生にお礼のメールを送る。あの子達が4年生になるのが楽しみですねって伝えた。ここには書かないけど、嬉しい返信が返ってきた。また会いたいな。学生先生も全員サポスタに登録して欲しい。

同僚のNさんとサポスタ募集の打ち合わせしたら「うちらがやってることは、誰に見せても恥ずかしくないから本当はターゲットなんてない。ターゲットは全人類、死んでるやつも、これからまれてくるやつも。ひとまず50億人全員サポスタに登録してもらおう。」って話してて爆笑しながら超グッと来た。絶対そうなった方がいいしやっぱ最高だなこの人って思った。

トランプも、ゼレンスキーも、オバマも、プーチンも、ネタニヤフも、オードリータンも、石破茂も、議員会館の地下で迷子になってる秘書も、海を渡ってきた難民も、夜勤明けでレジを打つコンビニ店員も、介護夜勤ウトウトしてる人も、野良猫を拾ったけどなかなか懐かなくてすこし懐いてくれて安心したら実は腎臓病が進行してて休日は暴れる猫を連れて動物病院に通う新入社員も、推しVtuberスパチャしすぎて家計簿が真っ赤な人も、好きな人と一緒になれなくて家で一人で泣いている遠距離恋愛カップルも、育休取りたくても言い出せない課長も、同性婚を夢見るカップルも、初めてステージに立つ前に鼓動が早くなってるドラァグクイーンも、卒論提出3時間前の大学5年生も、家の外に出る勇気が湧かないひきこもりも、声を出すと噛んじゃう吃音持ちも、白杖を持った視覚障がいランナーも、手話コントをやる芸人も、補聴器電池を切らしたおばあちゃんも、手足のないスケボー少年も、車いす山道を攻める登山家も、PTSDに苦しむ帰還兵も、大学講義室で聞いてない学生に向けて伝えることを諦めようとしてる教授も、モテることとサボることと遊ぶことと就活で頭がグチャグチャだったあの頃の自分みたいな大学3年生も、収容所自由を夢見る政治犯も、その看守も、裁判で涙を流す加害者も、被害者も、サウナで “ととのい” を追い求める会社役員も、離島保育士を探す町長も、推しジャージライブに並ぶ中学生も、バイト代を全部ガチャに突っ込んだのに天井まで SSRが来ない高校生も、フィリピンごみ山でタガログ語ラップを刻む子どもも、アマゾン流域で川と話すシャーマンも、北極で氷が割れる音を聴く魚も、火星着陸の夢を抱く在野の<

2025-10-18

ペットごはんは「餌」と言ってはいけないのか?

この間、「(獣医が、飼い主の前で)ペットご飯を餌と呼ぶのはありえない!」

っていう議論してさ

あなたのお子さんにどんな餌をあたえてますか?と言われたらムカつくでしょう?」

と言われたんだけど、ペットの「餌」ってそんなダメなの?

いくら家族と同じくらい大事でも、1人2人じゃなく一頭二頭って数えるし、養父養母じゃなく飼い主じゃん?

養育じゃなく飼育だし、給仕じゃなくて給餌、食器じゃなく餌箱だと思うんだけど。

さすがに言葉狩りだと思うんだが。

そういえば、動物病院で「お母さん」といわれて何だこいつ?って思ったことがあったけど、今って飼い主をお父さんとかお母さんっていうの?

2025-08-09

日本マンガの巻数順位(50巻以上・シリーズ作品編)

2018年6月1日更新

※元となる作品の続編,前日譚,およびそれに準ずる作品であることをシリーズ定義とする
※総巻数が50巻以上のシリーズ作品について扱い,シリーズ第1作を"作品名"とする
外伝や番外編やスピンオフ,たとえば「ボクは岬太郎」「弱虫ペダル SPARE BIKE」については扱わない。「ヤング編」と銘された作品も,前日譚というよりはスピンオフの要素が強い場合ミナミの帝王等)は含めないものとする
作画者変更によるシリーズ作品,たとえば「蒼天の拳 リジェネシス」「新クレヨンしんちゃん」は参考外とする
※巻数内訳の欄において,第1作は「無印」と表し,2作目以降の作品名は適宜略した
※扱う・扱わないの個別理由は一覧の下に記す
※完結年は連載が終わった時点を指すものとする。
超人ロック,キャプテン翼作品群については各自で調べられたい

巻数による降順

順位総巻数作品作者原作者開始年完結年巻数内訳
1203巻ドカベン水島新司 1972 無印…48,大甲子園…26,プロ野球…52,スーパースターズ…45,ドリームトーナメント…32
2131グラップラー刃牙板垣恵介 1991 無印…42,バキ…31,範馬刃牙…37,刃牙道…21
3124巻銀牙-流れ星 銀-高橋よしひろ 1983 無印…18,ウィード…60,オリオン…30,THE LAST WARS…16
4121巻ジョジョの奇妙な冒険荒木飛呂彦 1987 無印…63,ストーンオーシャン17,SBR24,ジョジョリオン17
5119巻キン肉マンゆでたまご 1979 無印…62,Ⅱ世…29,Ⅱ世究極の超人タッグ編…28
6114巻超人ロック聖悠紀 1967 鏡の檻(現行)…3,ガイアの牙(現行)…1
7111巻弐十手物語神江里見小池一夫19782012無印110,つるじろう…1
8106巻千里の道も渡辺大原一歩19892014無印…45,新…16,第三章…39,修羅の道…6
9101巻キャプテン翼高橋陽一 1981 無印…37,……,ライジングサン(現行)…8
9101巻あさりちゃん室山まゆみ 19782016無印100,5年2組…1
11100巻コボちゃん植田まさし 1982 無印…60,新…40
1294巻課長島耕作弘兼憲史 1983 課長17,部長…13,取締役…8,常務…6,専務…5,社長…16,会長…9,ヤング…4,主任…4,係長…4,学生…6,就活…2
1294巻コータローまかりとおる!蛭田達也 19822004無印…59,新…27,L…8
1491巻MAJOR満田拓也 1994 無印…78,2nd…13
1585巻スーパードクターK真船一雄 1988 無印…44,Doctor K…10,K231
1682巻浦安鉄筋家族浜岡賢次 1993 無印31,元祖28,毎度…23
1781巻高校鉄拳伝タフ猿渡哲也 19932012無印…42,TOUGH…39
1880巻優駿の門やまさき拓味 1995 無印33,GI…13,ピエタ11,チャンプ…8,グランプリ…5,2020馬術…7,番外編…3
1979巻鉄拳チンミ前川たけし 1983 無印…35,新…20,Legends24
2077巻釣りキチ三平矢口高雄 19732010無印…65,平成版…12
2176巻湘南純愛組!藤沢とおる 1990 無印31,GTO…25,14DAYS…9,パラダイス・ロスト11
2275巻生徒諸君!庄司陽子 1977 無印24,教師編…25,最終章・旅立ち…26
2275巻DEAR BOYS八神ひろき 19892016無印23,EARLY DAYS…1,ACT2…30,ACT3…21
2474巻白竜渡辺みちお天王寺大1996 無印…21,LEGEND…46,HADOU…7
2573巻カバチタレ!東風孝広田島隆1999 無印20,特上カバチ!!…34,カバチ!!!…19
2672巻味いちもんめ倉田よしみあべ善太1986 無印33,新…21,独立編…10,にっぽん食紀行…6,世界の中の和食…2
2672巻かっとび一斗門馬もとき 19852007無印…46,風飛び…26
2870巻金田一少年の事件簿さとうふみや金成陽三郎,天樹征丸1992 無印…27,Case10,2期…14,20周年…5,R…14
2870巻魁!!男塾宮下あきら 1985 無印…34,暁…25,極…8,真…3
3069巻ワイルド7望月三起也 19692014無印…48,新…14,続・新…2,飛葉…2,R…2,W7…1
3167巻工業哀歌バレーボーイズ村田ひろゆき 19892011無印…50,好色哀歌…17
3266巻あずみ小山ゆう 19942014無印…48,AZUMI…18
3266巻JINGI仁義立原あゆみ 19882017無印33,S…19,零…14
3465巻BOYS BE...玉越博幸イタバシマサヒロ1991 無印…32,2nd…20,L…6,pre…1,next…6
3465巻賭博黙示録カイジ福本伸行 1996 無印…13,破戒録…13,堕天録…13,和也10,ワンポーカー…16
3465巻テニスの王子様許斐剛 1999 無印…42,新…23
3764巻パズルゲームはいすくーる野間由紀 1983 無印…34,新…6,X…8,プレステージ…2/トレジャー…4,Pro…3,ラグジュアリー…5,サクシード…2
3764巻彼岸島松本光司 2002 無印33,47日間…16,48日後…15
3963巻怨み屋本舗栗原正尚 2000 無印20,巣来間風介…6,REBOOT…13,REVENGE…11,EVIL HEART…9,WORST…4
3963巻特命係長只野仁柳沢きみお 1998 無印…9,新…20,ファイナル…27,ルーキー…7
4162巻並木橋通りアオバ自転車店宮尾岳 1999 無印20,アオバ自転車店20,ようこそ…20,いこうよ…2
4162巻ザ・シェフ加藤唯史剣名舞19852013無印…41,新章…20,ファイナル…1
4162巻本気!立原あゆみ 19862005無印…50,Ⅱ…5,サンダーナ…7
4460巻クローズ高橋ヒロシ 19902013無印…26,その後…1,WORST33
4460巻変幻退魔夜行 カルラ舞う!永久保貴一 1986 無印…18巻,新…18,真…8,超…5,聖徳太子呪術…3,少年陰陽師…3,葛城古代神…3,湖国幻影城…2
4659巻風雲児たちみなもと太郎 1979 無印…29,幕末編…30
4659巻荒くれKNIGHT吉田聡 1995 無印28,高校暴走11,黒い残響20
4659巻Q.E.D 証明終了加藤元浩 1997 無印…50,iff…9
4659巻ダイヤのA寺嶋裕二 2006 無印…47,act2…12
5057巻湾岸MIDNIGHT楠みちはる 1990 無印…42,C112,銀灰…2,首都高SPL…2
5057巻ダーク・エンジェル風間宏子 1995 無印…22,Ⅱ…13,Ⅲ…12,Ⅳ…8,レジェンド…2
5057巻龍狼伝山原義人 1993 無印…37,中原繚乱…17,王霸立国…3
5057巻カメレオン加瀬あつし 1990 無印…47,くろアゲハ10
5057巻MF動物病院日誌たらさわみち 1994 無印…26,マイフレンド動物病院note…2,おいでよ動物病院!…15,僕とシッポと神楽坂12,しっぽ街のコオ先生…2
5556巻神の雫キモト・シュウ亜樹直2004 無印…44,マリアージュ12
5556巻センゴク宮下英樹 2004 無印…15,天正記…15,一統記…15,権兵衛…11
5556巻キンゾーの上ってなンボ!!叶精作小池一夫19872009無印…8,新…36,新々…12
5556巻空手小公子小日向海流馬場康誌 20002014無印…50,空手小公子…6
5955巻サーキットの狼池沢さとし 19751999無印…27,モデナの剣…25,21世紀…3
5955巻マンガ日本の歴史石ノ森章太郎 19891995無印…48,現代篇…7
6152巻Dr.タイフーンかざま鋭二高橋三千綱19862000無印…25,JR11,元祖…16
6152巻みどりのマキバオーつの丸 19942017無印…16,たいよう…16,W…20
6351巻王様の仕立て屋サルト・フィニート大河原遁 2003 無印…32,サルトリア・ナポリターナ…13,フィオリ・ディ・ジラソーレ…6
6351巻ドラゴンクエスト列伝ロトの紋章藤原カムイ 1991 無印…21,紋章を継ぐ者達へ…30
6351巻ドラえもん藤子・F・不二雄 19691994無印…45,プラス…6
6351巻なぜか笑介聖日出夫 19822016無印…29,だから…22
6351巻ヤンキー烈風もとはしまさひで 19861998無印28,新…23
6850巻9番目のムサシ高橋由紀 1996 無印…21,ミッションブルー…8,レッドスクランブル12,サイレントブラック…9
6850巻頭文字Dしげの秀一 1995 無印…48,MFゴースト…2
6850巻甘い生活弓月光 1990 無印…40,2nd…10
6850巻包丁無宿たがわ靖之 19822000無印…45,新…5
6850巻キリン東本昌平 19872016無印…39,The Happy Ridder Speedway…11

現在連載中の作品で次にシリーズ通算50巻に到達しそうなのは,計48巻の田中宏BADBOYS」(現在はKIPPOの10巻)。計47巻のよしだみほ馬なり1ハロン劇場」は2019年秋の到達が予想される。計45巻の佐藤タカヒロバチバチ」,岡野剛真倉翔地獄先生ぬ~べ~」,波間信子「ハッピー」,これらのシリーズも近い

判断に迷った作品

2025-07-20

Z世代新人がなんでこんな仕事しないといけねーのかとかいろいろ文句言ってるけど、人医と獣医の決定的な違いって、3K(きつい・汚い・危険)が日常的に当たり前なところなんだよ

掃除もあるし、動物に噛まれてケガすることもあるし、体力的にもかなりキツい。

人間医師ならこういう3Kとは無縁かもしれないけど、動物病院で働く獣医師を選んだなら、そこは避けて通れないんだよな。

それを分かったうえでこの道を選んだはずなのに、今さら文句言うのは違うよな?

それ言ったらパワハラされてるって報告されたが、これってパワハラなのか?なんかおかしいこと言ってる?

2025-07-11

女風行ったぞ〜

理由

経験自家発電のみだが、膣内で快感を得たことがなく、プロにやってもらいますか…と思ったため。

多分自分は男だったらアナルを開発しようとしていたと思う。

触れる内臓があってそれが上手にやると気持ちいいならやらねえ道理はねえよなあ!!?

・予約

男性に深い興味がないため、写真で決められない。

最中顔をまじまじと見たいという気持ちもないし。年齢も若い方がいいのか年取った方がいいのかわからん。女風も男性向けほどではないけどいろいろある。

経験がない女性をよく受け付けているという所を選んだ。

顔は見なかったけど肌の接触があるので、「お肌がもっちりしてきれい」とか「手がすべすべ」みたいなレビューがついている人を選ぶとよさそうだと学んだ。

・当日

ホテルで待ち合わせた。先に自分で部屋に入り、部屋番号を連絡して合流してもらう。ホテル自分で選ばないといけなくてそれが面倒だった。予約は平日昼間だったのでフリータイムというののみだったが、結果のんびりできてよかった。早めに入っておにぎり食べたり鼻毛抜いたり、終わってからごはん何食べよっかな…と検索したりできた。

おしゃべり→シャワー→抱きしめられながら手で撫で撫で→クリイキ2回→クンニしながら指入れ、15分くらい?休憩挟み再度指入れ。

やっぱプロがやっても自分で中やってたときの鈍痛はあり。指1本でも最初は入りにくい。快感っぽいものは遠い。

ただ休憩後の指入れで中を小刻みにトントンされた時、あっこれですかね??みたいな兆しあり。

開発の手掛かりは掴めたように思う。プロ、流石っすね。

おもろかった。

・終わった後

指でのクリイキ2回、終わった後痛くなっちゃうかな〜と思ったけどなんともなし。プロ、流石っすね。

あんまりご飯食べてなかったので、ホテルから出た足でうどんを食べに行ったが並ちくわしわ天が全部食べられず。普段ちゃんと食べられるのに悔しかった。気分が悪いとかじゃないんだけど。

シャワーは浴びたけど、なんとなく自分から他人匂いがするのが不快。くさい人ではなかったし、むしろいいにおい側の人だったが。動物病院のにおいがついてしまった犬猫気持ち想像できるようになった。

行為にハマる人とハマらない人がいるということ、あと気持ちが通じ合ってないと気持ちよくないですよ(心理的安全性が前提じゃないとキツイですよ)、などが腹落ちした。

決して安くない金額だが、毎月予約する人もいるらしい。ネイルサロンか。まあネイルサロンと近しいポイントもあるな…

私は再チャレンジするにしても自己開発がもう少し進んでからだなと思いました。自分内臓と向き合おう!

男性アナル気持ちいいのかなあ。おもろいな…

2025-07-01

死にそうな奴見て悲しんでる奴ってなんなの?

ウチのペットなんだけど最近ずっと具合悪くてどんどん痩せていく

動物病院連れて行ってまあただの体調不良かもしれないし、

直接は言われなかったけど老衰かもしれない

なんでもいいけどさ

まだ死んでないだろ?

親はなんか既に泣いてる 俺はそれにムカついてる

2025-06-20

犬の正解がわからねえ〜〜〜ッ

当方猫飼い

動物病院に行くと犬がいる。6月入ってワクチンフィラリア? というもの? の関係健康な犬がいっぱいいる。

健康な犬は元気なので、「ウオオ!どうも!犬です!こんちわ!!ウオォ!!!」とやってきてくれる。コミュ障ゴミうんちオタクは「あら…えへ…かわいいですね…ありがとうね…あっ…へへ…」と辛うじて言い犬さんを撫でるなどする がこれは正解なんですか?犬さん、嬉しいんですか? そして飼い主さん、嫌じゃありませんか?

あとちょっと遠めに座っていてもリードギリギリでやってきてチョンとお鼻をひざにくっつけてきてくれたりする。「あら……」なだと言っている間に飼い主さんが「コラ💢💢💢」として引っ張っていってしまう。これは多分カス人間対応失敗したんですね…すいません…すぐに嬉しそうにできなくて…嬉しいんですよ…

あと「ネコチャンいるんですね!いるんですね!見せてください!見たいです!」の犬さんもいる。ブルドッグ系の方が多かった。ごめんね…ネコチャン怖がりだからごめんね…ねこ好きなんだ…いっしょだね…あっごめんね…

犬飼いの方はとても和やかにわたくしなどに話しかけてくださる方もいて素晴らしい方が多い。あと駐車場の車を見るに社会的地位も高いのだろうと思う そんなこと考えるな

また今日も「うまくできなかったな…」と思って帰ってきた。本当に…自分は本当に…社会不適合です…

ねこちゃんは放っておけばいいだけなので接しやすいね…接してない?

早くシーズン終わらんかな…

2025-06-13

SFTSという病気について

ダニにかまれて起きる病気で、ダニからヒトだけでなく、ダニから猫や犬が感染する。

さらに、猫や犬から人も感染する。

死亡率がめっちゃ高くて、猫で60%、犬で40%くらい。

治療にあたる人にも感染する恐れがある。

ニュースになってるけど、獣医師が死んだ。

どうするんだこれ?

原っぱに殺人ウイルスを持ったダニ繁殖してるってことだ。

動物病院獣医さんやスタッフが可哀そうすぎる。

検査して診断がついたところで、有効治療法もない。

治療に入ると今度は自分に死の危険

動物病院という業界は、獣医最低賃金より少しマシくらいの賃金で、獣医以外のスタッフマジで最低賃金で働いてる。

これは本格的にヤバいんじゃないかな。

2025-05-19

偶然野良猫保護することになりたい

犬を飼っていて圧倒的に犬派ではあるんだけど、猫ももちろん大好きなので犬の散歩中に野良猫を見かけると「なぜか後ろをついて来てくれないかな…」という妄想をしてしまう。

しかも「うわっこの子ガリガリじゃん…!保護しないと!」って急いで家に連れて帰って暖かいタオルで拭いてコンビニで猫のご飯買ってあげて次の日有給使って動物病院行って「この子病気を持っていますね…それでも飼う覚悟はありますか?」「……はい!」っていうところまで妄想する。

偶然猫を保護することになりてえな〜〜〜

2025-05-02

猫を飼うのしんどい

ペットショップ月齢4ヶ月の子猫をお迎えして1ヶ月、まあまあしんどい

元々犬派だったが散歩面倒だし今は在宅勤務だけど出社になったら犬だと可哀想だなーくらいの気持ちで猫にした。

猫は1匹でも平気だって聞いてたし、成猫になれば2泊くらいなら平気だから旅行も行けると聞いていた。

家財を荒らされることは覚悟していたが持ち家だし多少いいか、それくらいの覚悟。あと犬だと噛まれるなやだなあ、くらいだった。

なので、猫でも育てやすいらしいメスを選んだ。

 

ところが猫、面倒くさい。

半日家を留守にしただけで怒るし、私が仕事部屋に籠ってると大鳴きするくせにリビング仕事すると邪魔をする。

ケージ生活もそのうち慣れると聞いてたが、うちのはいまだに慣れてくれない。今ロボット掃除機をかけてるからケージに入ってもらってるが、出せ出せと泣き喚いて暴れている。

1日5回は遊ぶ時間を作ってるがそれだけだと満足できないのか、構え!と噛む。

朝起きたらガブ、洗面所でガブ、ソファまったりしてたらガブ、とにかく噛む。無視したら痛がるまで噛む。

水をかけるなど虐待はしたくないので、無視ダメ!と言うなど試してるがあまり効果はなさそうだ。

噛むおもちゃもたくさん与えてるが、噛む時におもちゃを渡してもポイされる。

噛み癖についても調べてるが、人間我慢する以外の選択肢がない。

猫の問題行動に対してしつけはできず、基本的人間側が対処するしかない。これはかなりストレスだ。

 

あと猫はストレスに弱い。なのにすぐストレスを感じる。

家で歩いたりくつろいだり生活してるだけで無条件で噛む生き物が存在してることが人間にとっては大きなストレスなのだが、われわれが猫へ配慮をしないといけないらしい。

爪切り病院はまだわかるが、扉が開いてないことや入りたい部屋に入れない、人間食事中の時にテーブルから下ろされる、ドライヤー音程度でストレスなのか暴れたり八つ当たり噛みや毛づくろいをし出す。

理想としては人間が猫様に配慮して生活することなんだろうが、さすがにこのレベルになってくるとやってられないだろ。

 

保護団体譲渡条件が厳しいなんて言われるが猫ファーストを考えると妥当な条件だ。

猫は1匹でも平気?いや平気じゃないから単身は難しい。賃貸だと夜の猫の大運動会問題になるだろう。うちは好きに走り回らせてるが、大抵の家はここも悩みの種になる。もちろんしつけはできないので走らせないことはできない。

水を顔にかける、叱りつけるなどが効果的なのかは知らないが逆効果になる場合が多いと聞く(そもそもストレスに弱い猫に対してストレスになることをしたらどうなるかは察してほしい)

 

などなど、猫思ってるより面倒くさいなと飼って思う。

単身だけど寂しいから飼ってみたいなーなんて気持ちで飼う生き物ではない。

動物病院でケロッとしてる犬たちを見て、やっぱり犬を飼うべきだったなと少し思う。

うちのこを捨てるつもりはないし、死ぬまで一緒にいるつもりではあるけれど……。

 

なお、うちのこは血液検査エコーなどすべて検査をしているが異常はありませんでした。

病気で噛んだり暴れてるわけではありません。

2025-05-01

動物病院の待合室でのマナー

発言小町に載ってたトピックスクショして全文引用。おそらく炎上が原因で削除されたもの

(以下本文)

月に一度、動物病院に通っています。30代の会社員女性です。

待合室でのことですが、わたしが行く時には、ほかにワンちゃん猫ちゃんを連れてる飼い主の方がいます

動物を抱っこしている人もいれば、キャリーバッグに入れてる方もいます

今月のことです。もう何度目かわかりませんが、顔が一部欠けている猫を抱きかかえている飼い主の人がいました。

どんな病気かはわかりませんが、その猫は、鼻のあたりまで顔がないのです。

その人は、待合室に何人も飼い主がいるのに、顔のない猫を抱っこしています

ほかの飼い主さんとも話したことがありますわたしが「あれどう思います? キャリーバッグに入れた方がいいですよね」と聞いたら、ほかの飼い主さんも「そうですね……」とうなづいてました。

素人判断ですが、おそらくあの猫ちゃん動物病院に連れてくるのではなく、天寿を全うさせてあげるのが正しいのではないでしょうか。

もう一度みかけることがあったら、勇気を出して注意してみようと考えています

よろしければですが、あの猫ちゃんの飼い主に、どんな言い方をすればよいかご教示をいただけないでしょうか?

2025-04-19

猫を殺した。

今日、道を歩いていた時のこと。

道路の片隅で何かじたばたするものが見えた。猫だった。

道路に血が落ちていて、猫は目を見開いて苦しそうにしている。

車に轢かれたことは容易に想像できた。

とても怖かった。

助けてあげたいけど何をしたらいいのか分からない。

いや、助けたとして後から困るのは嫌だし、面倒くさいという思いもあったかもしれない。

しばらくその場に立ちすくんだ後、結局、私は逃げるようにその場を去ってしまった。

分かっている。

私が何をしても猫はもう助からなかったと。

あの傷ではかろうじて動くことは出来ても、もう先は長くなかったはずだ。

それでもやはり思う。

私が立ちすくんでいた数分間、何か出来たのではないか

すぐに動物病院に行って、獣医師に頼めばどうにかできたのではないか

いや、何かが必ずできたはずだ。

結局、私は怠慢な人間で、一つの命を見殺しにした。

私は猫を殺した。

https://note.com/lithe_gerbil1811

2025-04-14

昔飼ってた犬の話

最近自宅を購入して引越ししてきたんだけど、ちょうどそのタイミングでお義父さんが飼っていた犬を引き取ることになった。

もう15歳になる老犬で、昨日引き取って来たんだけどよろよろ歩く様を見てたら昔飼ってた犬のことを思い出したので少し振り返ってみたくなった。

前飼ってた犬は俺が小学3年生くらいの時に飼い始めたと思う。

飼い始めたとは言ったけど、当時実際に飼っていたのは俺の家ではなく父方の祖父母の家で飼い始めることになっていた。

その犬はトイプードル名前フェリスって言う。

毛色は黒に近い焦茶色をしていて、初めの頃はマグカップサイズでとても小さかったのを覚えている。

最初の2〜3年は躾をするのが大事だと父親に教わったこともあり、接し方についてはテレビで見た知識や本で学んだ知識などを元に少し厳しく、でもフェリスが嫌がらない程度の距離感で接していたと思う。

ちなみにその頃に弟はまだ小学校1、2年生だったのもあるせいか、かなり乱暴な扱いをしていて、大人になってからとことん嫌われていた(近づくだけで唸り声を上げられる、噛み付く、呼びかけても一切近寄らない)ので、今後犬を飼う予定がある人は注意したほうがいいと思う。

少し背景を説明すると、祖父母の家は京都にあって俺は関東に住んでいた。

祖父母の家には毎年、お盆年末年始春休みなどの学校が長期休暇になるタイミングで遊びに行っていた。

また、フェリスを飼い始めたきっかけは、祖父母の家で元々飼っていた犬(フェリスとは別の犬)が亡くなってしまい、祖父母が落ち込んでいたらしい。その様子を俺の父が見かねてフェリスをもらって来たことがきっかけだったと聞いた。ただ、祖父母たちからしたら当時は新しい犬を飼う気分ではないし、そもそも自分達もあと10年生きていけるかどうかと言うタイミングだったらしいので初めはあまり歓迎していなかったらしい。

飼い始めてからはよく「フェリス死ぬのが先か、ワシらが死ぬのが先か」と言っていたのを覚えている。

なぜ背景を説明たかというと、実はこの犬、超がつくほど甘やかされて育ったのだ。

と言うのも、フェリスご飯のおねだりをすると祖父母特に祖父)はなんでもあげてしまうのだ。

それこそ、朝昼夕の食事時はもちろんのことで、デザートや間食の際にも何か食べているとすぐに寄って来て食べ物をもらっていた。(大好物カスタードクリームパン

また、それとは別に犬用のご飯も追加であって、しかもそれがドックフードではなくキャベツ鶏肉クタクタに煮た物でそこら辺の犬よりもよっぽど舌が肥えていたと思う。

それに加えて散歩も大嫌いな性格をしており、家の前でおしっこうんこを済ませたら直ぐに帰ろうとするのである。一度引きずってでも遠出の散歩したことがあったのだが、本当に引きずって散歩したために肉球がズタボロになって、翌日以降に悲鳴を上げながら歩いていたので、2度と無理やり散歩をしなくなってしまった。

そんな生活を数年続ければまぁ当然肥満体質になるわけで、気づけば体重10キロ以上あるデブ犬となっていた。

とことん甘やかされた生活を送って来てはいたが、俺は前述の通り正しい躾を意識した接し方をしていたので、

家族の中でも俺と父親の言うことだけは比較的聞いてくれていた。

分家族の中で祖父の次に好かれていたと思う。

そんなフェリスに転機が訪れたのは俺が高校3年生の冬頃。

祖母くも膜下出血で倒れて緊急手術をすることになり、フェリスの面倒を見れる人がいなくなってしまった。

祖父母の家では面倒が見れないと言うことで俺の家で飼うことが決まり、急遽うちで住むことになったのだ。

うちで住み始めてから上記のような甘やかし生活ではなく、一般的ドックフードがメインとなり、間食も与えずにまともな食生活を送ることになった。

そのおかげかみるみるうちに痩せていき、1年で6キロ以上痩せることに成功した。

動物病院に連れて行った母親から「お医者さんからどうやったらこんなに痩せれるんですか!?って驚かれたわ」と言う話も聞いた。

一緒に生活してからエピソードで2つほど事件があったのでそれも紹介しておく。

エピソード① 「朝ごはん消失事件

俺が大学生になった頃の出来事。その日は午前の授業がなく、ゆっくり家を出る日だったので朝食の時間になっても直ぐに起きずにいた。すると、母親が突然「ご飯残さずにちゃんと食べろ!!」と言うお叱りで起こしに来たのだ。まだ飯を食い始めてすらいないのに何故残してる扱いされるのだ??とリビングへ向かうと、白米が入ったお茶碗の横に空となった小皿が置いてあった。そしてふと横を見ると口をもぐもぐと動かしているフェリス。そう、俺のおかずを食べられていたのだ。

その日のおかずはメンチカツで、すぐさま「お前〜〜〜〜〜!!!!」とブチギレて口元を抑えると、油まみれの口元で「え?なんですか??」と言うとボケた顔で目線を逸らすフェリスだった。

この事件以降、ご飯の準備する時にはフェリスから目を離さないようにするが鉄則になったのであった。。。

エピソード② 「チョコレート消失事件

俺が高校卒業して直ぐの頃、平日で朝からずっと自分の部屋でゴロゴロしていた時にパートから帰宅した母親からチョコレートゴミちゃんと捨てろ!!!」と言うお叱りを受けた。

チョコレートなんて食べた覚えがないが?と疑問符だった俺がリビングへ向かうと、床にはからになったチョコレートの箱とビリビリに破かれた銀紙が大量に散らばっていた。

何これ、、、とふとフェリスの方を見るといつもより若干興奮気味に尻尾を振りながらこっちを見ていた。

近づいて匂い確認すると口元からチョコレート匂い・・・

そう、この犬、勝手チョコレートを食べていたのである

すぐさま吐き出すように手を突っ込んだりもしたのだが、噛みついてくるし吐く気配がない上に食べてから結構時間が経ってしまっているようで、もう手遅れと言うような状態だった。

ちなみにそう簡単チョコレートが食べられるような場所に置いてあったのかというと、そう言うわけではない。

一般的高校生用の手提げバック(チャック付き)の中にしまってあり(弟のバック)、

さらに箱の中に銀紙で包まれ状態で入っていた。(一口サイズの小さいチョコが銀紙で包まれてるタイプ

匂いとかもバックの中にあるときはそんなに匂わないはずなのに、フェリスはバックを開けて箱を取り出し、箱の中から銀紙で包装されたチョコ剥がして食べたのだ。

その時ほどこいつこんなに賢かったのか?と困惑したことはない。

その後、1日はいつもよりも興奮気味ではあったが、他には特に異常がないところを見て、祖父母に育てられていた時には一体何を食わされていたんだろうと心配になったのであった。

※犬にチョコレート絶対に食べさせてはいけません。皆さんは犬を育てる際にはチョコレートを与えないようにしてください。

また、もし万が一誤って食べてしまった場合は最寄りの動物病院相談に行ってください。

この二つのエピソードは今でもうちの中では鉄板ネタとなっていて、事あるごとにみんなで話している。

そんなバラエティに事欠かない犬だったが、5年前の2020年4月に亡くなってしまった。

ちょうど世間コロナで騒がしくなり始めた頃だったので、よく覚えている。

亡くなる前日にあれだけ食いしん坊だったフェリスがパタリと何も食べなくなって、衰弱していくのを見て「ああもう長くないんだな」と思ったのを覚えている。それで試しに生クリームを口元に近づけたところ、食い気味にぺろぺろ舐め始めたのを見て笑ったのも印象に残っている。

とにかく食いしん坊でまんまるに太っていて、可愛らしい犬だったなぁ。。。

ちなみにフェリスが亡くなってから一月も経たないうちにうちの父親はまた新しく犬を飼い始めたのだが、それはまた別の話なので違う機会に話すとする。

そんなわけで、愛犬を失う悲しさや寂しさを知っている俺の身としては今から妻のメンタル心配になっているのだが、二人と一匹でこれからも頑張ろうと思う。

2025-04-04

岩下と関わらない生活(無理どすよ)

岩下の新生姜ミュージアムのある街に住んでいるけれど岩下と一切関わらない生活無理。

だってコンサートホール成人式ここでやる)は新生ホールになったゃったし、動物病院岩下だしスーパーには岩下の新生姜使ったおにぎりとか弁当とかあるし。住んでいると嫌でも岩下を目にするし、あちこち岩下の新生姜

とにかく岩下を叩いてる連中が新生ミュージアム周辺に住むのは無理。あと社長変態からあの(暇アノンじゃない)ピンクスーツ着てるわけじゃないんやで。私は実は結構あれ…すき

あ、フライングガーデンにも岩下の新生姜使った商品あるよ。

2025-02-22

大好きな愛犬が医療過誤により歩けなくなりました。

タイトルの通り、なぜあん病院に行ってしまったのかと毎日後悔しています。2ヶ月前にいきなり元気がなくなり、かかりつけの動物病院にいったところ軽度の椎間板ヘルニアと診断され安静を指示されたのでケージで安静にさせていたのですが、夜には足にふらつきが出た為、近所にあった椎間板ヘルニアの手術を行なったことのある病院を探しそちらに電話し翌日の診察を依頼しました。

たまたま年末でかかりつけの病院休みだった為そちらに行ってしまったのが最大の間違いでした。

翌日には後肢に麻痺が出て立てなくなっていた為、そちらの病院にて造影剤を用いたレントゲンを行い手術を行いました。

手術に関しては場所特定もわかりやすく手術は成功したと聞かされました。

その後1か月ほど、毎日リハビリを行なっていたのですが、症状がよくならず、再生医療や鍼治療検討するためにいろいろな病院相談していた所もしかしたら椎間板物質が取り切れてない可能性を指摘されMRIでの診断を提案されました。

かかりつけ医からMRI撮影できる病院を紹介頂きMRI撮影したところ、椎間板物質がまだありヘルニアの症状が現在も残っていることがわかり、治す為には再手術が必要なこともわかりました。

2回も連続しての手術、短期間での3度の全身麻酔とかなりリスクは高く、さらにグレード診断は4だった為本来であれば9割は手術により症状が改善する所が、術後の経過が長い為、(この時点で発症から2か月が経過していました。)歩ける可能性はかなり低くなっているが手術はした方が良いとの事で手術をしました。

手術は成功したのですが、やはり発症からの経過時間が長かった為、神経の状態が悪く今後歩ける可能性は低いとの結果を伝えられました。さらに、初回の手術にて開けられた穴が不必要に大きい為、背骨骨折リスクがある事も伝えられました。

初めからMRIなどがある大きい病院に行っていれば今頃歩けていたのかと思うと自分バカさ加減が悔しくて腹が立ってきます

1回目の手術をした病院にそれらの不備を訴えたところ今回の椎間板ヘルニアの手術には自信がなかったや、造影剤での手術ならこんな事もある、取り切れてなかったのは不思議だ、などと言われましたが、最終的には手術ミスを認めて手術費用は返金するとお約束頂いたのでその日は、一度検討する事にし帰宅しました。

ですが、そのお約束いただいた和解案を急に撤回されるなど、かなり納得のいかない対応をされています

本来であれば、椎間板ヘルニアはグレード4までなら手術をすれば9割が症状が改善するのでみなさんは、自分たちと違いMRIがあり手術経験豊富病院で手術してほしいです。

2025-02-14

ごんぎつね

https://www.yanabe-e.ed.jp/01nankitiMap/nankiti_siryo/gon_zenbun.htm

 ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなづきました。

 兵十は、火なわじゅうをばたりと取り落としました。青いけむりが、まだつつ口から細く出ていました。(おわり)

火縄銃を落とした後の、兵十の動きは速かった。

通りすがりの村人にAEDの手配を頼み、別の村人に救急搬送用の馬を呼んでもらい、

兵十は一目散で、動物病院ゴン搬送した。

動物病院に運ばれたゴンは、すでに心配停止の状態であったが、天才獣医Dr.マシリトの手により、

メカギツネ・ゴンとして復活したのだった。

2025-02-04

貧乏人はペットを飼うなじゃなくて!!!

いや言いたいことはわかるけど!!!

知識もないのにペット!!!

飼うな!!!!!!

何を食べるのか!?

何を食べたらダメなのか!?

毛や羽が抜けるのか!?

歯が伸び続けるのか!?

どんな時に鳴くのか!?

いつ眠るのか!?

どれくらい運動量必要なのか!?

の子達にとって快適な気温湿度!?

何をすれば喜ぶのか!?

何をすると嫌がるのか!?

罹りやす病気は何か!?

怪我やすタイミングはいつだ!?

診てくれる病院はあるのか!?

怪我病気になったらどうするのか!?

年間どれくらいお金がかるのか!?

躾が必要生物!?

必要なら躾けられるか!?

爪や牙で怪我しても耐えられるか!?

お前に懐くのか!?

お前になつかなくてもお前は許せるのか!?

そういうのを!!調べろ!!考えろ!!計算しろ!!

ネットじゃなくてちゃんと本を買え!!!

動物病院で診てもらえるか飼う前に確認しろ!!!

それをだるいとか面倒くさいとかなんとかなるとか思うな!!!!!

そういう奴はペットを買うな!!!

自分だけ飼ってろ!!!!!!!!

一目惚れなんかねぇんだよ!!!!!!

正しい知識愛情を持ったやつだけが飼える資格があると思え!!!!!

2025-01-15

anond:20250113113119

手帳持ち

すなわちとっくの昔に精神科には連れて行かれてる

けれども養育環境が酷すぎて治らない

青葉真司みたいなもので救いようがないガチャを引いた人に

精神科人生への期待を持たせるとジョーカーになる

安楽死させてあげるしかないレベルの人は存在するということを社会認識しないといけないんだよ

動物病院では大切なペットに対して苦痛を長引かせるよりは安楽死させる選択肢があるのに

2025-01-14

車の運転できた!!!

半年前くらいに運転しててミラー電柱で畳んじゃって、そこから運転できなかったんだけど、今日運転した!!!

動物病院まで!!!!でかい車がいっぱいあるし柱もいっぱいある駐車場で怖かった!!!!!でも擦ったりぶつけたりしないで帰って来れた!!!!!

おまけに猫もいい数字だった!!!体重も戻ってきてた!!!!!

お祝いにケーキ買って帰った!!!!やったー!!!!!!

2025-01-11

昨日、家の猫が虹の橋を渡った。辛い。

私はまだ、ほんの少し前までそばにいたあの子が、もうこの世界にいないという現実を受け止められずにいる。心に空いた大きな穴は、埋めようとしても容易には塞がらない。ほんの些細な物音や影を見たときに、「もしかしての子じゃないか」と思ってしま自分がいて、そのたびに「もういないんだ」と改めて知らされる瞬間が苦しく、胸の奥が強く締めつけられる。私の中では、まだあの子と過ごした日々のぬくもりや匂いが鮮明に残っており、振り向けばそこにいるような錯覚に襲われる。数えてみると、一緒に過ごした時間はけっして短くはなかったはずなのに、それでも「もっと一緒にいたかった」という想いは尽きることがない。

の子我が家にやってきたのは、ちょうど私が仕事で大きな壁にぶつかっていた時期だった。あれは偶然だったのかもしれないし、何か大きな運命の流れに導かれていたのかもしれない。知り合いの紹介で、生まれたばかりの子猫の里親募集しているという話を聞き、なんとなく心が惹かれて足を運んだ先にあの子がいた。まだ掌にすっぽりと収まるくらい小さな体で、か細い声で「にゃあ」と鳴いた瞬間、一気に胸が熱くなったのを覚えている。あの小さな命自分たちが守りたい、この子にできる限りの愛情を注いであげたいという、言葉では説明できない衝動にも似た強い感情が湧いたのだ。

それから生活はあの子中心になった。私が外から帰れば、ちょこちょこと短い足を動かして玄関まで迎えに来てくれていた。仕事で帰りが遅くなっても、しっぽをピンと立てて待っていてくれる姿にほっとしたり、疲れきった体をソファに投げ出す私の胸に丸くなってくれる瞬間に癒やされたり。そういう何気ない毎日の積み重ねは、あの子がいてこそ得られる温かな喜びであり、私にとってかけがえのない生きる活力になっていた。

私が悲しんだり落ち込んだりすると、あの子言葉をかけられなくても不思議と察してくれたのだろう。そっとそばに座り、私の顔を見上げたり、小さな肉球でちょこんと手を触れてきたりしてくれた。その存在感がどれほど大きなものであったかは、今になって改めて思い知る。猫という生き物は気まぐれで、飼い主にべったりなイメージが少ないとされることもある。しかしあの子は、人間言語を超えたコミュニケーション能力こちらの状態を感じ取ってくれていたように思う。

そんなあの子も、年齢を重ねるにつれ体調を崩すことが増えた。最初のうちはちょっとした食欲不振風邪程度だったから、「大丈夫だよ、すぐ元気になるよ」と気軽に考えていたけれど、数年前から少しずつ通院する回数が増えていったのを今でもはっきりと覚えている。医師から慢性的な疾患が進行している」と告げられたときの、あの胸がざわつくような感覚はたまらなかった。いつまでも元気で一緒にいられるはずはないと頭ではわかっていても、いざそう言葉にされると痛烈に心が軋んだ。

それでもあの子は懸命に生きてくれていた。投薬や定期的な点滴、フード選びなど、できる限りのケアをしながら一日一日を大切に過ごしていった。私たち愛情と、あの子の生きようとする力、そのどちらが欠けてもきっと難しかったのだろう。あの子にとって、私たち家族と過ごす時間は心地よかったのだろうか。私はいつも「ありがとう、まだまだ一緒にいたいよ」と話しかけていた。言葉は通じなくとも、あの子の大きな瞳を見つめると「大丈夫だよ」「一緒にいてくれてありがとう」と伝わってくるような気がした。

けれど、どんなに願っても避けられない別れのときはやってくる。ここ数週間は特に体調の波が激しくなり、食事をとる量もかなり減っていた。病院での検査結果は思わしくなく、医師からは「もう長くはないかもしれない」と言われていた。頭では理解していても、どうしようもない不安と悲しみが私の胸を覆っていた。あの子が苦しくないように、できるだけ穏やかに過ごせるようにと祈る日々が続いた。

そして昨日の朝、あの子は静かに息を引き取った。私が部屋に入ったとき、すでに瞳は薄く開いたままで、最期の呼吸をしたかしないかという、まるで眠りについたかのような姿だった。信じられなくて、何度も何度も名前を呼んだけれど、もう二度と返事は返ってこない。心のどこかで「せめて最後は苦しまずに逝ってくれたのなら」と思う気持ちもあれば、「もっと私ができることがあったのではないか」と自責の念に駆られる自分もいる。あの子限界まで頑張ったのだろう。苦しみから解放されて、今頃は虹の橋で元気に走り回っているのだと信じたい。

亡くなったあの子を見つめながら、ふと最初に会った日のことを思い出した。まだあんなに小さく頼りなく、私の両手の中ですやすやと眠っていたあの子。目が合うたびに、愛しさと不思議な縁を感じたのを思い出す。私はこの子を守りたかったし、一緒に幸せになりたかった。成長するにつれ、やんちゃになってカーテンによじ登ったり、部屋の棚をひっかいて落としたりしては、こちらが叱ってもどこ吹く風で、まっすぐな瞳で見上げてきたことを微笑ましく思い返す。そんな小さな思い出の数々が、今となっては宝物だ。

この喪失感は、私がこれまで味わったどの悲しみとも違う。あの子ペットという言葉でくくるにはあまり家族の一員であり、私の心の支えでもあった。私は今、泣きたくなるほど辛い気持ちでいっぱいだけれど、それでも後悔よりは感謝を伝えたい。あの子がいてくれたから、私はどれだけの笑顔と温もりを手にしただろう。あの子との暮らしの中で学んだことや与えてもらった癒しは、数えきれないほどに大きい。

今、部屋にはまだあの子が使っていたベッドやおもちゃ、餌皿などがそのまま残っている。片付けようと思うたびに、喉が詰まってしまうほどの寂しさが込み上げて、手が止まってしまう。もう一度でいいから、あの子のあたたかい体温や毛並みを感じたいと思ってしまう。理屈ではわかっていても、心がついていかない。きっとこの状態を乗り越えるのには、まだ時間がかかるだろう。

動物病院獣医師からペットロス」について説明を受けることがあったが、まさか自分がこんなに苦しむとは想像していなかった。もちろん最初から、いつかはお別れが来ることをわかっていたつもりだった。猫の寿命人間よりはるかに短い。だからこそ、今を大切に一緒に暮らしていたつもりでも、いざ失ってみると自分の一部がもぎ取られたような、そんな気持ちになっている。感情が予想以上に揺さぶられて、しばらくは自分生活すらままならないほどのダメージが襲ってきている。

人に話しても「気持ちはわかるけど、そんなに落ち込まなくても…」と言われることがあるかもしれない。けれど、飼い主にとってはペットという存在がどれほど特別でかけがえのないものだったかは、言葉簡単には説明できない。日々の暮らしの中で、どんなシーンにもあの子がいて、私のそばで息づいていた。生きる喜びや孤独感の紛らわし方など、あの子から教わったことは数え切れない。

私は、今あの子がいない現実を受け入れるのに精一杯だし、涙が枯れることなく溢れてくる。でも、きっとこれから少しずつ時間をかけて、この悲しみは形を変えていくのだろう。それは単に「忘れる」ということではなく、あの子がくれた思い出を大切に抱きながら、新たな日常を歩んでいくための道のりなのだと思う。私が前を向いて生きていくことこそが、あの子に対する最大の感謝と愛なのかもしれない。

虹の橋」という言葉を、あの子が亡くなってから初めて深く意識した。天国と地上の間に架かる虹の橋のたもとで、亡くなったペットたちが元気に走り回り、飼い主を待っているという話。いつか私がそちらに行くとき、あの子は大喜びで飛びついてきてくれるのだろうか。そんな想像をすると、少しだけ心が軽くなる。いつか再会できるかもしれない。その日まで、私にできることは、あの子と過ごした時間を忘れず、あの子が好きだった温もりを周囲に分け与えながら精一杯生きることだ。

でも、もう少しだけ時間がほしい。まだ昨日の今日なので、とてもじゃないけれど立ち直れない。どこを見渡してもあの子の思い出ばかりが溢れていて、うっかり笑ってしまうような楽しい思い出も、今はまだ鋭い棘のように胸を刺してくる。きっとしばらくは泣いたり笑ったりを繰り返して、感情の波が激しくなるだろう。だけど、そんな揺れ動く心のままに過ごすことが必要なのだと思う。悲しみを否定せず、泣きたいときは思い切り泣いて、思い出して笑えるときには素直に笑おう。

家族や友人からは、励ましの言葉や優しいメッセージをもらう。みんな、私がどれほどあの子を大切に思っていたかを知っているからこそ、かけてくれる言葉には温かさがある。そのたびに涙がこぼれるけれど、あの子への想いを共有できる人がいることは、本当にありがたいことだと感じる。私は一人じゃない。あの子の命が私たちに繋いでくれた縁を大事にしていきたい。

これから先、あの子との思い出をどのように受け止め、生活の糧にしていくかは私自身にかかっている。写真動画を見返すのはまだ少し辛いけれど、いつかきっとあんなこともあったね、楽しかったね」と微笑みながら思い出話ができる日が来ると信じている。あの子いたことが、私の人生を彩る大きな要素の一つであることに間違いはない。だからこそ、あの子を失った悲しみは、それだけあの子が私の心を満たしてくれていた証でもあるはずだ。

今はまだ、「昨日、家の猫が虹の橋を渡った。辛い」という事実に打ちひしがれている。寂しさや喪失感がこれほどまでに心をかき乱すものなのかと、自分自身でも驚いている。ただ、一方で不思議と安らぎにも似た気持ちがほんの少しだけある。それは、「あの子はきっと幸せだっただろう」と言い切れる何かが、私の胸の奥底に確かに存在しているからかもしれない。苦しい治療を乗り越えながらも、最後まで私と一緒に生きようと頑張ってくれたあの子の姿は、絶対に私の中から消えることはない。

の子と共に過ごした時間は、たった一度きりの人生の中で、私にとって何よりも尊い経験となった。ありがとう言葉にならないほどの感謝を伝えたい。うまく言葉にできないけれど、あの子がいてくれたからこそ私の人生は豊かになったと胸を張って言える。そして、これから先の人生で、もし新たに猫や他のペットを迎え入れることがあるとしても、あの子存在が私の根底を支えてくれるに違いない。悲しみを教えてくれたのもあの子だけれど、それ以上に愛や喜び、そして生きる力を与えてくれたのもまたあの子だったのだ。

虹の橋を渡ったあの子。今はきっと、何も痛みを感じることなく、自由に駆け回っているに違いない。私と過ごした日々をどんな風に覚えてくれているのだろうか。あの子はもう、こちらの世界の苦しみや不安とは無縁の場所にいる。それでも、私がこうして想いを馳せている限り、あの子は私の心の中で生き続ける。そう信じることで、今日を何とか乗り切る勇気を得ることができる。

そしていつの日か、私もあの子のもとへ旅立つ時がくるだろう。その時は迷わずの子を探して、思いきり抱きしめたい。そして「ありがとう」「おかえり」と、お互いを慈しみ合えたらどれほど嬉しいだろう。今はまだ遠い先のことかもしれないけれど、そう思うだけで少しだけ心が救われる気がする。目には見えない存在になってしまったけれど、私があの子を想う気持ちがある限り、私たちの繋がりは断ち切れることはない。

「昨日、家の猫が虹の橋を渡った。辛い」――その一言では言い表せないほどに、胸が痛む。けれど、この悲しみは同時に、私が確かにの子を深く愛していた証拠だと思う。きっとこの先も、ふとした瞬間に涙が零れ落ちることがあるだろう。それでも、その涙が乾いたあとには、あの子と過ごした幸せが心を温めてくれるはずだ。何より、あの子が私の人生の一部だったことは永遠に変わることがない。

からこそ、この悲しみを抱えたままでも、生き続けなければならない。あの子が私に残してくれたものは、飼い主として受け止める責任があると感じる。こんなにも愛おしい存在を失ってしまたからこそ、これから先の人生の中で、誰かの痛みや悲しみに寄り添うことができるかもしれない。あの子の代わりに私ができることを探していきたい。この涙を無駄にしたくない。

思い出は消えない。あの子との時間が私の中で生き続ける限り、私はきっと大丈夫だ。少しずつ、少しずつではあるけれど、また笑顔を取り戻せる日が来ることを信じている。そのときには、きっとあの子の姿が私の心の中で優しく微笑んでくれているだろう。あの子に恥じないような生き方をしていきたい。そして、いつか虹の橋の向こうで再会したとき、「あなたと暮らせて幸せだったよ」と思ってもらえるように、これからも前を向いて歩んでいくと誓う。

日の出来事は、私にとってまだ痛烈に生々しい傷であり、立ち直るにはきっと長い時間必要だ。それでも、あの子と過ごしたかけがえのない年月を、私の人生の宝物として大切にしていきたい。そしてこの悲しみの先に、きっとあの子が残してくれた愛が続いていると信じる。その愛は消えず、私のこれから毎日に温かい光を届けてくれるだろう。あの子のために、私のために、今日も私は生きる。虹の橋の向こう側で、また会える日を夢見ながら。

2025-01-05

多頭崩壊に陥っていた家庭から猫を三匹預かってきた話

 私がその「多頭崩壊」に関わるきっかけとなったのは、ある動物保護団体SNSで見かけた一枚の写真でした。そこには、暗い部屋の中で多数の猫たちが身を寄せ合いながら、不安げにこちらを見つめている姿が写っていました。一言に「多頭崩壊」といっても、当事者事情はさまざまです。飼い主自身も苦しみながら、増えすぎてしまった猫の世話を継続できず、助けを求める余裕すらないケースもあれば、元は保護のつもりが徐々に増えてしまい、最終的に身動きが取れなくなったパターンなど、理由は人それぞれです。けれども共通するのは、生活環境が極端に悪化し、猫たちも健康を損ないやすい状況に追い込まれしまうということ。どうしても胸が痛んでしまい、当初は「何か手伝えればいいな」という軽い気持ちでその投稿を読み進めました。

 ところが、具体的な保護の様子や猫たちの状態に関する記述を読むうちに、私は居ても立ってもいられなくなりました。そこには、劣悪な環境感染症に苦しむ猫たちの存在が綴られていたのです。何匹もの猫がいる狭い部屋には空気の流れも悪く、清掃が追いついておらず、糞尿の臭いが充満しているとのことでした。猫たちの中には極端にやせ細っている子もいれば、ストレスから脱毛している子、目やにで両目がふさがってしまっている子もいる。そんな中で、ボランティアスタッフは根気強くケアを続けているが、引き取り先が決まらないと満足な治療ができないケースも多い。とにかく人手と物資それから新しい受け入れ先が必要だ――こうした言葉を目にした瞬間、私の胸中では「何かしなくちゃ」という思いが大きく膨らんでいきました。

 私はすぐに保護団体に連絡を取り、状況を尋ねました。すると、現場には数十匹単位の猫がひしめいているらしく、飼い主である高齢女性限界を迎えているとのことでした。近隣からの苦情も多く、行政の介入も検討されているが、猫たちを全て一気に保護するのは物理的にも資金的にも厳しい状況。しかし一方で、いち早くケアしないと命にかかわる病気を患っている猫も少なくないという話でした。私はまだ猫を飼った経験は浅かったのですが、どうにか力になれないかと思い、「私にも里親としてできることはありますか」と尋ねました。保護団体担当者は少し驚いたようでしたが、心強く思ってくださったようで、「健康状態不安のある猫も多いですが、可能範囲で預かっていただけるなら本当に助かります」とおっしゃいました。

 こうして私は、最終的に三匹の猫を預かることになりました。いずれも生後1~2年ほどと見られる若い猫たちで、内訳は白黒のブチ猫、三毛猫、そして茶トラ猫。それぞれオスかメスかまだはっきりわからない状態でしたが、病院に連れて行って健康状態をチェックし、去勢避妊がまだであれば実施する必要があるとのことでした。保護団体スタッフからは、「栄養失調や目の感染症、皮膚病の疑いがあります特にブチ猫は呼吸器系が弱そうなので、なるべく早く病院に行ってあげてください」とアドバイスをもらいました。預かるにあたっての注意事項や飼育方法をたくさん聞き、不安がないといえば嘘になりますが、それ以上に命を繋いであげたいという気持ちが勝っていました。

 実際に三匹を迎えに行った日、私はその現場の一部始終を目にすることとなりました。かつては猫たちが自由に走り回っていたであろう部屋は、すでに掃除も追いつかず、床にはいくつものトイレ砂やゴミが散らばり、アンモニア臭が立ちこめています。窓は締め切られ、空気は淀んでいました。保護団体スタッフが部屋に入ると、驚いた猫たちがさっと散り散りに逃げていき、段ボールの陰や押入れの奥に身を隠します。あるスタッフが、「今度里親さんが決まった子たちはいる?」と声をかけると、「こっちにいます」とほかのスタッフが三匹をキャリーに移して連れてきました。その子たちは恐る恐るケージから顔を出し、心なしかホッとしたようにも見えましたが、環境の激変に戸惑っているのか震えていました。

 私が引き取る三匹は、一見すると命に直結する深刻な症状はなさそうですが、やせ細っていることが見て取れました。最初のブチ猫は痩せこけて体力が落ちており、くしゃみを繰り返していて呼吸も苦しそうです。続いて受け取った三毛猫は、被毛がパサパサしていて腰のあたりに脱毛箇所があります。皮膚病の疑いがあるので、早めに獣医師の診察を受ける必要がありました。そして最後にやってきた茶トラ猫は、目ヤニで片目がほとんど開かない状態でした。恐怖心からなのか、キャリーに入るとき必死抵抗していて、スタッフの腕に爪を立てていました。そんな様子を見ていると、「連れて帰ってちゃんとお世話してあげなきゃ」という気持ちさらに強くなりました。

 初めて我が家に三匹を連れて帰った夜は、私にとっても、そしてきっと猫たちにとっても長い夜でした。三匹は緊張で固まっており、最初キャリーから出てこようとしません。せめて安心して過ごせるよう、私は静かな一部屋を丸ごと「猫部屋」に整えておき、必要最低限の家具を配置していました。そこにキャリーを置き、ふかふかのタオルや、先住猫が使っていたクッションなどを用意しました。先住猫の匂いが混ざっていると不安が和らぐこともあると聞いていたからです。部屋の隅に食事と水、それから猫砂のトイレを置き、なるべく落ち着いた環境を整えたものの、彼らはそろって隅のほうでじっと様子をうかがっていました。私は部屋の中にしばらく座り込んで「大丈夫だよ」「怖くないよ」と声をかけましたが、三匹が自ら近寄ってくることはありませんでした。

 翌日、まずは一番症状が重そうだったブチ猫を動物病院へ連れて行きました。診断の結果は、呼吸器の感染症の疑いが強く、体力が落ちているため免疫力が低下しているらしいとのことでした。抗生剤免疫力を高めるサプリメントを処方してもらい、しばらくは安静に、十分な栄養補給をするようにと指示を受けました。病院から帰ってきてキャリーを開けると、ブチ猫は疲れたような表情を見せつつも、どこかほっとした様子。やはり医療の力は大きく、診察台で獣医師に静かに撫でられたのが安心できたのでしょうか。その日はゆっくり休ませ、私もできる範囲で声をかけ、必要なら毛布を替えてあげるなど細かい世話をしていました。

 三毛猫と茶トラ猫についても、翌日以降に順番に診察を受けさせました。三毛猫脱毛はやはり皮膚病の一種で、ストレス栄養不足も原因になっているそうです。抗真菌薬の塗り薬や、被毛を補修するフードなどを獣医師から勧められました。茶トラ猫は結膜炎が進んでおり、片目が塞がりかけていたのは膿が溜まっていたからだとわかりました。洗浄と点眼薬使用回復の見込みがあるとのことで、そこまで深刻ではないようでしたが、嫌がる茶トラ猫に目薬を差す作業はなかなか大変です。毎回「シャーッ」と威嚇されながらも、根気強くケアを続けるしかありません。「お世話するのは大変だけれど、ここで諦めたらこの子は一生目が開かないかもしれない」と思うと、不思議責任感が湧いてきました。

 それから数週間、私は三匹を中心とした生活を送りました。正直、先住猫も含めて家の中は猫でいっぱいなので、お互いの存在に慣れるまで気を使う場面も多かったです。先住猫は多少ストレスを感じたのか、最初は「フーッ」と威嚇していましたが、時間をかけて一緒に遊べるようになると、少しずつ打ち解けてきました。新入りの三匹は最初は警戒心が強かったものの、栄養状態改善し、薬の効果調子が上向くにつれ、目に見えて表情が変わっていったのです。最初ご飯を出しても目が合うと固まっていたのに、徐々に「ご飯はまだかな」と言わんばかりに足元にすり寄ってくるようになりました。被毛も少しずつツヤを取り戻し、ブチ猫のくしゃみも一日に何度か程度になり、茶トラ猫の目ヤニもだいぶ落ち着いてきました。

 医療的なケアが一段落すると、次は社会性の回復課題になりました。多頭崩壊現場暮らしていた猫たちは、人との関わり方を知らずに成長する場合が多いので、社会化が十分にできていないことがあります特に三匹とも体調不良で怯えていた期間が長かったため、人を怖がりやすい面が見られました。そこで私は、一緒に遊ぶ時間積極的に作るようにしました。いきなり手を伸ばすと驚かせてしまうので、最初はじゃらしやトンネル型のおもちゃなどを使い、猫たちが楽しめる距離感を保ちつつ触れ合いを試みるのです。最初は逃げ腰だった三毛猫が、じゃらしの先につられて少しずつ近づいてきたときの喜びはひとしおでした。近づいてきた瞬間を見逃さずに、「えらいね」「かわいいね」と優しく声をかけると、その声に安心してくれたのか、遊び終わった後も少しだけ私の側にいてくれるようになったのです。

 そして保護からおよそ二か月が経った頃、三匹はすっかり我が家に慣れ、ずいぶんリラックスして過ごせるようになりました。ブチ猫はもう呼吸が苦しそうな様子はなく、今ではおもちゃネズミを追いかけて部屋の中を走り回っています三毛猫脱毛部分は完全に毛が生え揃い、ときどき自分のしっぽを追いかけてはくるくる回って遊んでいます。茶トラ猫は最初のうちは人をひっかくこともありましたが、目の治療で痛みがなくなったのか、今では私が部屋に入ると先に鳴いて寄ってきてくれるようになりました。自分から頭をすり寄せてくれるときなど、あの警戒心の塊だった頃を思い出し、ついじんわりと胸が温かくなります

 今振り返ってみると、三匹を引き取ることに決めた当初は、それこそ手さぐり状態でした。医療費も含めて負担は決して小さくなく、何度も「これでよかったのだろうか」と悩む夜もありました。しかし、彼らが見せてくれる少しずつの変化や成長は私にとってかけがえのない喜びをもたらしてくれました。そして何より、一度は過酷環境の中で押しつぶされそうになった命が、こうして元気に暮らしている。その事実を見守れる幸せは、言葉で言い尽くせないほど大きいと感じています。多頭崩壊問題は決して他人事ではなく、動物を飼うということは終生責任を伴うのだと、改めて強く考えさせられました

 もちろん、三匹を迎えたからといって多頭崩壊問題根本的に解決するわけではありません。一匹でも多くの猫が適正な環境生活できるようにするには、飼い主の意識改革行政支援地域での協力体制など、取り組むべき課題は山積みです。それでも、私にできる範囲で猫たちを救うことはできました。今は三匹との日々に癒やされながらも、あの現場にはまだ引き取り先を待っている猫たちがいるのだという事実を時々思い出し、「もう少し何かできないだろうか」と考えています動物保護団体への寄付ボランティアなど、私一人の力は小さいかもしれませんが、一歩ずつ行動を積み重ねていけば、いつか大きな力になれるかもしれない。そんな希望を抱きながら、今日も三匹に声をかけるのです。「おはよう今日も元気そうだね」――私に向かって返してくれるか細い声が、いつも以上に愛おしく響きます

2025-01-03

anond:20250102072040

私の猫は突然死じゃないけど、急に発作の様な状態になり救急病院に行ったけど…結局翌日まで持たずに死んだ。1か月前には動物病院に検診して貰ってたのに。

燃やしたくない気持ちは私も理解出来るよ。でも私の猫の場合暑い時期だった。愛猫を腐敗させる方がキツイ24時間営業ペット葬儀社に早朝に来て貰ったよ。

大きなフリーザー購入して気が済むまで冷凍するのも…アリかも。本人が別れの時を決めれば良いと思う。

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