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はてなキーワード: 社会構築主義とは

2025-10-18

anond:20251018230008

おいおい、この世の物理法則に「古い」もなにもねーぞ?頭大丈夫か?社会構築主義で脳が腐ってんじゃねーか?

2025-10-06

anond:20251006031948

無知人間ほど相対主義社会構築主義を信じて「人それぞれ」と言う

もっと賢い人は数学を学び、客観存在を学ぶ

2025-06-24

anond:20250624095648

信者問題ではなくトピック問題だぞ

プログラミングは手元で検証可能からAIが発信しても内容が同じなら価値は同じ

政治AIには検証できない

お前がするべきことは、「AIが発信しても問題がないトピックのみを信用すること」だ

それ以外のトピックは、社会構築主義産物なので無視OK

2025-06-23

anond:20250623031213

まあバランス必要だよね

例えばグーグルページランクアルゴリズムリンク荷重を使ったマルコフ連鎖価値更新してるわけだが、これは客観を偽った主観で、実際にはインパクトファクターみたいなもん(つまり社会構築主義)でしかない

何が言いたいかというと、世の中には主観で作られたアルゴリズムがたくさんあるので、数学主観を分けるものがなんであるかというメタ知識必要になる

その入口に要るという意味では「10進数を選んでいるか客観的ではない」というのは一歩踏み出しているんじゃないかな (進数10の選び方は主観自然数のもの客観)

まあ進法が変わっても偶奇も素数も変わらんけど、それは単に計算ができないというレベルの話であり、抽象とは少し違うのでは

実際、そいつモジュローのことを言ってそうだし

2025-06-11

圏論人間分析に使うと社会構築主義っぽくて普遍性を感じなくなる

個人社会的ネットワークをその個人性質とするのは完全に社会構築主義のそれなんよね、つまり科学ではない

科学とは、自然存在する客観性質を抽出するもの

社会構築主義は「社会が真理を決定する」という前提があるので、科学のそれとは異なる

関係性を抽出するという行いには、どうも普遍性とは異なる様相があるように思える

「光の速度」「重力定数」「プランク定数」などが客観的だと思えるのは、それが関係ではなくて独立しているように見えるからでは

まあこれらの定数も、次元解析をすれば関係性ということになるのか

2025-04-23

暇空・雁琳・トランプ2

森脇透青は、《たとえば千田有紀立場ひとつとっても塩野谷恭輔の立場と異なるし、さら小谷野敦笙野頼子ともまったく違うはずである(たとえば「生物学的」のような言葉留保なしで使うかどうか、「陰謀論」的な語調を使用するかどうか、また構築主義理解の深度において)》(「不良債権としての『情況』、あるいは回覧板について」)と述べ、トランスジェンダー特集執筆者たちには「構築主義理解の深度」において違いがあると言っている。「構築主義理解」が足りないのは、この中では、小谷野敦であろう。事実小谷野は、《私はバトラー批判なんかしてないんだよ。ポモを批判していて、バトラーは読んでも何を言ってるのか分からない、と書いているではないか。》とツイートしている(2024年11月11日)。しかし、オフパコギャルママ🦖1y@takamatsu4_13によると、《批判者は佐藤悟志をこすっているけど、本当に読まれたくないのは小谷野敦とかだったりするんだろうね。さすがに「小谷野のは読まないでくれ!」とは言えないから、佐藤悟志をこすっているだけだという。》(2024年9月21日)。小谷野は「ポストモダントランスジェンダー」を寄稿しているが、これは何があったのかを小谷野節で綴ったものである。これを読むと、ノーディベートと称して議論すら行われないまま、明らかに異論のありうる理論によって現実が書き換えられようとしていたことが分かるであろう。千田有紀の「構築主義理解」は足りていないどころではなく、上野千鶴子編「構築主義とは何か」(2001年)に序章「構築主義系譜学」を書いているくらいであるが、「学問危機と『キャンセル』の方法論」(pp.116-135)は、小谷野と同じく、何があったのかの記録であるが、キャンセルされた当事者であるだけに、迫力があるものとなっている。さらに、「LGBT異論」(紙の爆弾2024年10月号増刊)に「フェミニズム再生を求めて」(pp.62-76)を寄せており、そこでは小宮友根との確執が延々と書かれている。

「『情況』に関する声明」には森脇も加わっているが、森脇は雁琳と同じ研究室出身である京大宗教学)。研究室批判されたことに対して、森脇はこう反論している。《ある人格問題からといって、その人の所属とかその人の研究分野まで誹謗中傷されていて、いい迷惑です。「放置した」かどうかなんて知らないでしょ。そして彼の素行思想内容というより、ほんとうに「素行」)は研究室内でも、先生からも先輩後輩(ぼく含め)からも、直接・間接に注意されてました》(2022年1月23日)。研究室での雁琳の素行は悪かったようであるが、これは想像できるところかもしれない。そして、オープンレター勢とのたたかいでも「うんこ学者」のような言辞を用いていて、素行は悪かったのであるが、オープンレターからかい批判する内容なので、お行儀よくやってしまうとオープンレターパフォーマティヴに従ってしまうことになり、雁琳としては、あえて粗野な態度を取ったということらしい。育ちのいい人が不良のような振る舞いをしても、どうにも似合わない。批評は口汚い言葉で罵るというのが伝統であるが、近ごろの若者は育ちが良すぎて、罵倒しても様にならない。北村紗衣をからかってみるという芸当は、普段から素行が悪い雁琳だからこそできた荒業であろう。しかし、江原由美子の「からかい政治学」を内面化したリベラルにとっては、このような粗野な態度こそ「サタン」のように見えてしまうようである

雁琳によるキャンセルカルチャー批判論文は、キャンセルカルチャー批判としては本邦で右に出るものはない論文であろうが、男女論に関しては断片的なツイートしか存在しないのが現状である。それらを活字としてまとめなければ、行動の根底にある思想が分からないので、一冊の本として著し、世に問うべきであろう。「情況2025年冬号の論文クリプトに関するものであるが、男女論をまとめてからでもいいのではあるまいか

3 トランプ

リベラルによると暇空や雁琳は「誹謗中傷ビジネス」をやっているらしいが、カンパを募ることは、ビジネスというよりは、味方がいるということを示す意味合いがあるのであろう。暇空は6億あるので、カンパなどいらないであろうし、雁琳に至っては、非常勤講師の職を失っており、トータルで見れば明らかに持ち出しであろう。馬場靖雄はこう言っている。《仮にある人が「万人に対する戦い」を望んだとしても、実際にそれを貫徹することは不可能である。手始めにある方向を攻撃すると、本人が望むと否とにかかわらず、たちまち「味方」が登場してしまうからだ。かくして、いつのまにか前線が、すなわち秩序ある戦争状態形成されるのである》(「ルーマン社会理論」、81頁)。ここでの前線フェミとアンフェによって形成されているが、ネットでの争いの大半はここで戦われており、ゲンロンの若手がやっている「論壇ウオッチ」でも、毎週のようにフェミとアンフェのたたかいが取り上げられている。フェミにしてみれば、フェミ賛同しないものは「差別主義者」であり、味方など現れてはいけないはずであるが、味方は登場してしまう。SNSキャンセルカルチャーを展開させるのにもいい環境であろうが、その敵にとっても味方を集めやす環境なので、前線が現れるのも当然であろう。

前線があって、たたかいが繰り広げられているだけであれば、さほど問題ではないのであろうが、問題なのはフェミとアンフェのたたかいは、和解不可能ものであることであろう。茶会太郎ツイートによると、《構成主義とか構築主義かいうの、当たり前と思われていることが実はこのような過程で成り立っている、ということを示すまでは大変勉強になるのだが、「だから断罪」となった瞬間に和解不可能な敵味方分断ツールに早変わりする》(2020年6月11日)。

和解不可能なたたかいの例として、解同日共のたたかいが思い起こされる。トランプ大統領になり独裁的な政権運営をしている状況は、例えれば、解同候補日共候補大統領候補としてたたかい、解同候補だけは困るということで、日共候補大統領に選ばれたところ、日共大統領は、公約を守り、株式時価総額上位百社を国有化してしまったようなものであろう。リベラルとしては、どうして日共候補を支持しなかったのかと問うところであろうが、その問いに対しては、それでは解同候補投票すればよかったのかと問い返されるであろう。日共大統領抵抗しようとも、和解不可能なたたかいの中で生まれている以上、共闘不可能である

フェミとアンフェの対立において、アンフェ側の立場や考え方が何を意図しているのか、理解しづらい部分がある。茶会太郎ツイートによると、《純粋ジェンダーの軸で反フェミニズムをやっている人間は相当少なくて、ツイッターリベラルの主流は「男性被雇用者を基本単位とする家族主義保守主義レジーム福祉国家擁護論者」なのだという確信を深めている》(2023年1月3日)。産業社会へのノスタルジアとでも呼べるものかもしれない。しかし、ポスト産業社会においては、伝統的な家族福祉国家を維持することは難しいであろう。だからこそ、ノスタルジアは止むことがないであろう。

暇空は「社会構築主義社会正義」とのたたかいにおいて、表現規制派のスキャンダル暴露し、雁琳は同思想を「解釈権の独占」という概念理論的に解明した。ポストモダン思想特にフーコー)が単純化され、社会適用されるプロセスは、ヘレン・ブラックローズジェームズリンゼイの「Cynical Theories」(2020年邦題「「社会正義はいつも正しい」)が思想史的に明らかにしている。しかし、雁琳はこの現象を「解釈権の独占」として集約し、鮮やかに整理した。オープンレターの内容は、次のように一行で要約される。「その内容は、彼らインテリリベラル左翼が、何が差別かを決め、該当する差別者に好きに仕打ちを与える、というものだ」(「フェミニズムが振りかざされ司法から進む女尊男卑社会」、「実話BUNKAタブー2025年6月号)。こうしてポストモダン思想は、朝田理論へと収束した。解同候補日共候補大統領候補として対決するという例えを、やや突飛に持ち出したのは、理由がないことではない。

リベラルは「何が差別か」を一方的定義する。リベラル理論批判することすら差別とみなされ、言論の自由の枠内では対抗が難しい。雁琳はあくま理論的な批判に徹したが、暇空は対象への攻撃を行い、トランプに至っては人文系への予算削減という「人文系焼き畑」とも呼べる強硬手段に出ている。朝田理論のような思想に対抗するには、こうした物騒な手段に頼らざるを得ないのだろうか。笠井潔はこう言っている。《もしも差別被害当事者やその支援者差別者を勝手処罰していいとすれば、それは定義からして私刑リンチ肯定になりますね。その線を超えてしまうと、仕事、業績の否定から存在否定まで行きかねない。存在否定まで行くとなると、その意味するところは戦争状態に入るということです。小山田を敵と認定して戦争状態に入る。カール・シュミット流に言うと「例外状態」に入る。社会運動の文脈では、そういうこともあり得ますしか小山田存在自体のキャンセル要求する者が、物理抹殺を含め敵を打倒するしかない戦争状態に入るという認識と、内戦状態から自分もいつ殺されるか分からないという覚悟があって、そうしているのかどうか。そうとは思えませんね。(中略)微温的に、常に正義の側に身を置いていたいと思って、そのことを疑おうともしない安直精神の連中こそ、ゴツンとやって分からせた方がいいんじゃない(笑)》(笠井潔キャンセルカルチャーをめぐって」、「情況2022年春号)。トランプは人文系を「ゴツンとやって分からせた」と言えるだろう。朝田理論内戦状態を引き起こす。この状況に出口はあるのだろうか。

2025-04-06

暇空・雁琳・トランプ

ネットニュースが伝える きみの武勇伝相対性理論たまたまニュータウン」)

1 暇空

2025年3月27日、暇空茜が起訴されたという報告と、北村紗衣が雁琳を訴えていた裁判最高裁が上告を棄却し、雁琳に220万円の支払いを命じる判決が確定したという知らせが同時に届いた。暇空の起訴3月26日付、雁琳の敗訴に関する最高裁の決定は3月21日付であり、これらが同じ日に伝えられたのは偶然かもしれないが、何らかの意図が働いているようにも感じられる。

思い出されるのは、2024年2月16日アニメイトが暇空の著書「ネトゲ戦記」(KADOKAWA)の取り扱いを停止すると発表した時のことであろう。暇空によると、アニメイト脅迫されており、放火されたくなければ2月16日に取り扱いの停止を発表するように要求されていたという。そして、2月16日TBSが暇空の書類送検スクープとして報道した日でもあり、犯人アニメイト書籍の取り扱い中止を同じ日に発表させることで、何らかの効果意図していたのではないかと推測される。書籍の取り扱い停止を求めるだけならよくある話だが、その発表を特定の日時に行うよう要求するのは異例で、これまで聞いたことがない。TBS報道日時を知らなければこうした要求はできないため、犯人範囲はある程度絞られてくるだろう。もっとも、こうした脅迫があったと主張しているのは暇空だけであり、作り話ではないかという見方もある。その可能性が全くないとまで断じるつもりはないが、2024年1月刊行予定だったアビゲイルシュライアー「あの子トランスジェンダーになった SNSで伝染する性転換ブーム悲劇」(KADOKAWA)も脅迫によって発売が中止され、産経新聞社からタイトルを変えて出るといったこともあり、リベラル脅迫も辞さないことは事実である

ただ、雁琳訴訟原告代理人である神原元は、「被告は、上告棄却となった後の令和7年3月26日時点でも、「(原告に)220万円も請求されたことは明らかにおかしい」と投稿し、被告に220万円の支払いを命じる判決最高裁で維持されたことにも触れず、カンパ募集する投稿を固定ツイートとしたままである。」(「対雁琳訴訟、勝訴確定についての弁護団声明」)と言っており、3月26日時点で判決が雁琳に伝わっていたことが窺え、雁琳側から判決について発表していれば、暇空起訴と重ならなかったわけで、これらが同日に判明したことリベラル意思によるものではないと思われる。

暇空を語るのは容易なことではない。あまりにも多くの出来事が次々と起こっており、そのすべてを追いきれないかである西葛西出版社長である中村慎太郎@_Shintaro_は2024年5月13日に、こうツイートしている。《暇空さん+赤木レイアで1年くらい過ごしたので、それ以外の事象あんまりしらないんだよね。なんという複雑怪奇現象なのだ》。一年前というと、2023年5月である2023年3月3日には住民監査請求再調査の結果が出ており、Colaboの会計問題住民訴訟舞台を移し、歩みをほとんど止めてしまったのであるが、代わりに追及の対象となったのが自称学生の堀口英利である。暇空がウクライナ戦争についての所見を述べたところ、堀口が噛みついたのがきっかであるが、暇空は激怒し、堀口の過去を掘り返していった。堀口はKCL(King's College London)の学生である自称していたが、これについても疑義が投げかけられた。堀口も、自らが誹謗中傷とみなす投稿を行った人々に対して、大量の開示請求を行うなど、決して譲らない態度を示した。堀口は時事系ユーチューバーにとって訴訟リスクを伴う存在である一方で、恵みの雨とも言え、その中で最も稼いだのは赤木レイアである。当初は3分くらいの動画で取り上げていたのであるが、2023年7月7日に15分53秒の「堀口英利、とんでもない書面を出して爆笑されてしまうww【暇空茜】」を出してからというもの、長尺の堀口動画毎日のように投稿していた。普通に生活していると、ニュースに割ける時間は限られている。暇空・堀口を追うのに時間を割くとすれば、他のニュースに目を向けるのは難しくなる。

中村慎太郎2024年8月24日に次のようにツイートしている。《最新の暇空ライブバカ面白いね。彼は妄想しているとも言えるが、ヒントほぼゼロから無限推理を繰り広げる天才ともいえる。あってるかどうか?怪談に正解などないのだ》。この頃に語られていたのが、「高崎物語である好き嫌い.comに、7月28日から、妹が堀口の同級生であると主張する人物が書いたものであり、「高崎市に帰郷した堀口がかつての同級生だった女性に性暴行したり、自らの肛門アルフォートを入れたり、それらの件で親族会議が行われたり逮捕勾留されたりというのを高崎市民たちが証言する内容」(「暇空茜と側近の灰豚、喧嘩別れ。大量総括へ」)であるが、好き嫌い.comに書かれたものであり、十中八九作り話であろうが、暇空は事実であると考え、これをもとに推理していた。もしこれが事実であれば堀口は拘束されていることになるが、灰豚が堀口と8月20日午前1時ころに会ったと言いだす。このあたりから、訳が分からなくなっていく。暇空は灰豚を「対話罪」の対象としたが、この頃から味方であるアカウントをどんどん切っていった。赤木レイアも暇空との関係悪化し、9月7日最後更新していない。

暇空は2024年12月から真如苑が裏で糸を引いていると言い出すようになった。堀口のnoteに、彼の母親真如苑信者であると書かれているのは事実である(「断ち切りたい「毒親の血」――「両親が開業医の一人息子であること」は必ずしも幸せ意味しませんでした。」)が、真如苑特に問題を起こしていないようであり、荒唐無稽と言わざるを得ないであろう。堀口死亡説を唱えたりもしている。2024年11月1日神奈川県相模原市緑区千木良底沢橋下で、15歳から30歳程度とみられる身元不明遺体発見されたが、この遺体が堀口だというのであるしかし、堀口は2025年3月19日テレビインタビューに答えており、生きていると言わざるを得ない(「北海道じゃらんハッキング被害 関係ない人物名前悪用 悪用された本人に取材ネット上で誹謗中傷の的」」、HTB北海道ニュース)。妄想に近い推理を連発しているうちに、支持が減って閑散とし、求心力に陰りが見られるようになり、その結果、起訴やすくなってしまったのかもしれない。

以上は簡略なスケッチであるが、このようなものは求められていないのかもしれない。リベラルからすれば、暇空は「誹謗中傷ビジネス」をしているとレッテルを貼っておけばいいので、推移には関心がなさそうであるし、暇空の観客も、事態リアルタイムで動いていて予測不能な展開が見られることに楽しみがあるので、後から振り返りたいとは思っていないかもしれない。

暇空が現れるまでの青識亜論をはじめとする「表現の自由戦士」は、原理主義的にあらゆる性的表現を無条件に擁護しているだけであった。しかし、リベラルSNSで「声を上げる」ことにより企業に対して表現撤回させるように圧力かけており、これは効果を持っていた。青識のような活動ではこれを止めることはできていなかった。暇空は発想を転換し、シュナムルやColaboといった表現規制派のスキャンダル暴露する戦略を実行したのであるが、それなりに奏功した。「赤いきつね」は無傷で済んだのである

山口三尊は《暇空氏、あれで起訴は少し気の毒だが、堀口英利さんや、灰豚に対する誹謗中傷は。起訴されてもやむを得ないレベルだと思う。》(2025年3月30日)と述べており、不起訴あるいは略式起訴もあり得たようである裁判所はリベラル化しているようである。Ogura.H@dli_coipchirtの《暇空さん対伊東弁護士訴訟担当した吉岡地裁判長って、名古屋地裁時代労働者側の請求棄却する判決をたくさん出している裁判官なんですね。》(2024年2月10日)というツイートに対して、国際企業法務弁護士🤡GAREW@big_lawfirmは《現代型のリベラルって感じですね。マイノリティには寄り添いつつ労働者階級には厳しい、アメリカ沿岸部価値観ですね。経歴は最高裁事務総局系なので、今の最高裁スタンスがそうなのでしょう。》(同前)とコメントを寄せているが、当のアメリカでは、最高裁は反リベラルによって占拠されているのに対して、本邦ではアメリカ沿岸部価値観最高裁にまで及んでいるのである

2 雁琳

2021年キャンセルカルチャーが吹き荒れた年であった。呉座勇一のツイッターでの発言に端を発して、オープンレター女性差別的な文化を脱するために」が4月4日に出され、小山田圭吾東京オリンピック開会式音楽担当を辞任に追い込まれたりした。しかし、オープンレターに対しては当初から批判があり、雁琳はその先頭に立っていたと言っていい。暇空がColaboの会計問題に取り組み始めたのは2022年10月であるが、2022年キャンセルカルチャーに対してたたかいが挑まれた年であり、暇空はその真打のようなものとして現れたのである

雁琳は暇空のように全方位に喧嘩を売っているわけではない。ほぼオープンレターに限られるであろう。しかし、オープンレターネットからは消されてしまっていて、今は見られない。ウィキペディアでは「女性差別的な文化を脱するために」は立項されているものの、他ではその痕跡が消されてしまっている。ウィキペディアの呉座勇一のページから不祥事についての記述がなくなっている(2025年4月2日閲覧)。履歴をたどってみると、2024年7月20日に削除されたようである。呉座のキャンセル成功していれば、歴史的意義のある文書としてネットに残されていたと思われる。しかし、キャンセルカルチャー第一号としてモデルケースになるはずだったものが、杜撰にやってしまったために、オープンレターからもなかったことにされてしまったのであろう。

雁琳は「正論2021年6月号に「ポリコレ派への共感 強制する社会の歪み」を発表しており、雑誌でのオープンレターへの批判はこれが最初であるオープンレターが出たのが4月4日であり、「正論6月号は5月1日発売なので、一月も経たないうちに反論が出たことになる。ネット上の反論は埋もれてしまいがちだが、雑誌は繰り返し参照されるため、雁琳が狙い撃ちにされたのではないかと指摘されることがある。

雁琳は2022年複数雑誌で発表を行った。例えば、「国体文化」(1177号、2022年6月)には「新たなる共産主義運動は『目覚めた当事者』の顔をして現れる」を、「実話BUNKAタブー」には「弱者男性を救うのは方法論的ミソジニーである」(2022年5月号)と「女子高生AV賛成論」(2022年6月号)を寄稿している。また、「情況2022年春号のキャンセルカルチャー特集では、「キャンセルカルチャーとは何か――その現象本質」を発表した。しかし、その後は雑誌に招かれる機会がほとんどなくなった。約3年ぶりの登場となったのは、「情況2025年冬号に掲載された「DON'T BE USED. BE THE UNCOUNTED.――ネオ幕府アキノリ党のクリプト革命運動についての簡潔な報告」(荒牧隆史との共著)である本来なら「正論「WiLL」「HANADA」といった右翼雑誌に登場してもおかしくないが、そこには見られていない。それだけに、「情況」の姿勢は際立っている。

情況」は1968年に創刊されたが、廣松渉が当時の金額で100万円を援助したことでも知られている。1970年6月に結成された「情況派」というセクト存在するが、これは「情況」の創刊者である古賀暹が所属していたため、叛旗派から蔑称として「情況派」と呼ばれ、その名が定着したらしい(正式名称共産主義者同盟(再建準備委員会である)(有坂賢吾「新左翼過激派全書」)。したがって、「情況派」の機関誌というわけではないようだが、新左翼雑誌としてスタートしたことは確かであるしかし、第六期(2023年2月から)の編集長に塩野谷恭輔が就任すると、ネットの雑多な声を取り上げ、反リベラル立場であっても登用する路線へと転換したらしい(2022年春号のキャンセルカルチャー特集は第五期に属するが、この頃からその兆しが見えていたのだろう)。ページをめくると、まるでインターネット闇鍋のような印象を受ける。ここでしか出会えない著者たちの論考が並んでいる。

2024年夏号のトランスジェンダー特集がその路線の到達点であろう。文芸誌を含め、ほとんどの雑誌リベラル化してしまい、ターフが排除されてしまった。そうなってくると、反リベラルを登用する「情況」のような雑誌しかターフは書けないということになり、ターフが結集したような誌面になった。これに対して「読者・寄稿者有志」は反発し、2024年9月20日、「『情況』に関する声明」を出した。署名しているのは、京大人文研や叛乱研の関係者、さら編集者のようである絓秀実がこれに加わったことに唖然とした人もいたようであるが、マルクス主義の持つものと持たざるものという区別を、マジョリティマイノリティという区別に置き換えたのが、「社会構築主義政治主義」と雁琳が呼ぶものであり、新左翼マルクス主義者ではあるのだから、これに乗ろうと思えば乗れるのは当然のことではあろう。

森脇透青は、《たとえば千田有紀立場ひとつとっても塩野谷恭輔の立場と異なるし、さら小谷野敦笙野頼子ともまったく違うはずである(たとえば「生物学的」のような言葉留保なしで使うかどうか、「陰謀論」的な語調を使用するかどうか、また構築主義理解の深度において)》(「不良債権としての『情況』、あるいは回覧板について」)と述べ、トランスジェンダー特集執筆者たちには「構築主義理解の深度」において違いがあると言っている。「構築主義理解」が足りないのは、この中では、小谷野敦であろう。事実小谷野は、《私はバトラー批判なんかしてないんだよ。ポモを批判していて、バトラーは読んでも何を言ってるのか分からない、と書いているではないか。》とツイートしている(2024年11月11日)。しかし、オフパコギャルママ🦖1y@takamatsu4_13によると、《批判者は佐藤悟志をこすっているけど、本当に読まれたくないのは小谷野敦とかだったりするんだろうね。さすがに「小谷野のは読まないでくれ!」とは言えないから、佐藤悟志をこすっているだけだという。》(2024年9月21日)。小谷野は「ポストモダントランスジェンダー」を寄稿しているが、これは何があったのかを小谷野節で綴ったものである。これを読むと、ノーディベートと称して議論すら行われないまま、明らかに異論のありうる理論によって現実が書き換えられようとしていたことが分かるであろう。千田有紀の「構築主義理解」は足りていないどころではなく、上野千鶴子編「構築主義とは何か」(2001年)に序章「構築主義系譜学」を書いているくらいであるが、「学問危機と『キャンセル』の方法論」(pp.116-135)は、小谷野と同じく、何があったのかの記録であるが、 Permalink | 記事への反応(0) | 09:34

2025-04-04

anond:20250404231329

性別, 人種: DNA物理的なもの

要するに社会無関係

そういえばソーカル事件ときも、無知人間ほど「相対主義」「社会構築主義」「ポストモダニズム」等を信奉してたことが露呈したよな

2025-03-01

anond:20250301133634

今までは実証不可能だったから、解釈解釈を重ねる形で理論構築しても許されてきたけど、最近では社会現象分析技術が向上したせいで社会構築主義解釈実証的に成り立たないことが結構明らかになりだして、それこそ社会構築主義理論根拠にしていてもはや心中するしかない界隈以外は距離を取り出したり、他の理論とのすり合わせを試みたりとアプローチを変えてきてるのにな。

anond:20250301131817

今時周回遅れの社会構築主義解釈など持ち出されましても。

まぁ教科書しか読んでないなら一昔前の理論しか知らなくても仕方ないか

2024-09-14

にんげんのかんがえかたっていっぱいあってたのしいね

1. 古代哲学宗教
2. 中世近代哲学
3. 近代現代哲学思想
4. 科学技術の発展
5. 心理学自己啓発
6. 芸術文化
7. 人類学コミュニティ
8. 倫理学道徳哲学
9. 政治哲学社会思想
10. 科学哲学認識論

2024-07-28

ジジェクドーキンスソーカルトランス批判されてパニクるアライ

大物のトランス批判が次々出てきて、トランスアライがパニクってるね

これじゃトランス批判宗教右派かいトンデモ陰謀論が使えなくなっちゃうからな~

 

ジジェク

https://www.compactmag.com/article/wokeness-is-here-to-stay/

思春期ブロッカーに対する懐疑的見方を、トランスの人々が性的アイデンティティを実現することを妨害する保守的差別と主張するトランスロビーによって、臨床医圧力を受けている。加えて金銭的な問題である。例えば、タヴィストック収入の半分以上は、若者性的トラブル治療によるものである。要するに、ここにあるのは、政治的いじめと金銭的利益残酷計算という最悪の組み合わせなのだ

 

ドーキンスソーカル

https://note.com/wypcg332/n/n2fd87efc404f

赤ちゃん名前は出生時に割り当てられます。これは誰も疑いません。しかし、赤ちゃん性別sex)は「割り当て」られるのではなく、受胎時に決定され、その後出生時に観察されます。まず外性器検査によって、そしてもし疑わしい場合染色体分析によって観察されます。もちろん、どんな観察にも誤りがある可能性があり、まれ出生証明書記載された性別不正確で、後に修正必要になることがありますしかし、観察の誤りやすさ(誤りがあり得るという性質)は、観察されるもの——人間性別——が、「割り当て」られるものではなく、血液型指紋パターンと同じように客観的生物学現実であるという事実を変えません。医療団体の表明する見解は、社会構築主義暴走した結果です。

『出生時に割り当てられた性別』という用語問題があり、非科学

by リチャード・ドーキンスアラン・ソーカル 4/8米紙掲載和訳

https://note.com/wypcg332/n/n2fd87efc404f

ほぼすべての動物、および多くの植物有性生殖を行います有性生殖を行うすべての種において、これは大きな配偶子卵子または卵と呼ばれる)と小さな配偶子精子と呼ばれる)を組み合わせることで行われます。一部の雌雄同体の植物動物卵子精子の両方を生産しますが、両方を生産する哺乳類の種は存在しません。哺乳類では、各個体一種類の配偶子のみを生産します。(比較的少数の)卵子生産する個体は雌(female)と呼ばれ、(大量の)精子生産する個体は雄(male)と呼ばれます哺乳類の胚が雄または雌に発達するかは、性染色体ペアによって決定されます

雌(female)はXX、雄(male)はXYです。

 

簡潔に言えば、すべての動物における性別sex)は配偶子の大きさによって定義され、すべての哺乳類における性別sex)は性染色体によって決定され、そして性別sex)は2つであり、ただ2つしかありません:

まり、雄(male)と雌(female)です。

 

もちろん、これは全く新しい情報ではありません。これらは1世紀以上前から知られており、一応まともな高校生物学の授業で扱う基本的な内容です。確かに突然変異や出生前の発達の特異性により、一部の個体生存可能配偶子を全く生成できない場合がありますしかし、Y染色体を持つ不妊個体は依然として雄であり、それはちょうど片足の人間が私達の二足歩行種の完全なメンバーであり続けるのと同じです。

 

XXとXY以外の染色体パターンを持って生まれ人間がごくわずかにいるという事実が、しばしば誤ってもっともらしく強調されます

最も一般的クラインフェルター症候群(XXY染色体)は、出生の約0.1%程度で発生します。これらの個体解剖学的に男性ですが、しばしば不妊です。ドラ・シャペル(De la Chapelle)症候群(0.003%)や、スワイヤー症候群(0.0005%)などの非常にまれ状態は、おそらく標準的な男(male)/女(female)の分類から外れてしまうでしょう。それでもなお、性別sex)の相違は、生物学において見られる他のどの区別と比べても、極めて明確に二元的バイナリ)です。

ではここから考えると、「出生時に割り当てられた性別("sex assigned at birth")」に関する医療団体の主張はどうなるでしょうか?

 

赤ちゃん名前は出生時に割り当てられます。これは誰も疑いません。しかし、赤ちゃん性別sex)は「割り当て」られるのではなく、受胎時に決定され、その後出生時に観察されます。まず外性器検査によって、そしてもし疑わしい場合染色体分析によって観察されます。もちろん、どんな観察にも誤りがある可能性があり、まれ出生証明書記載された性別不正確で、後に修正必要になることがありますしかし、観察の誤りやすさ(誤りがあり得るという性質)は、観察されるもの——人間性別——が、「割り当て」られるものではなく、血液型指紋パターンと同じように客観的生物学現実であるという事実を変えません。医療団体の表明する見解は、社会構築主義暴走した結果です。

 

性別sex)は人類という種の根源的な特徴です。心理学社会学公共政策における重要変数です。世界中で、殺人の大多数は男性によるものです。女性男性よりもはるかシングルペアレントになる可能性が高いです。これらの区別絶対的ではなく統計的ものですが、とても重要です。

性別sex)について率直に話し、書くことができなければ、私たち公共議論は貧弱になり、歪められます。そして、この損失が最も明確なのは医療の分野です。

 

何十年もの間、フェミニストたちは医学的診断と治療における性別という変数無視、そして女性身体男性身体と同じように反応・作用するという暗黙の前提に抗議してきました。2年前、権威ある医学誌『ランセット』がついにこの批判を認めましたが、しか編集者たちは明らかに女性」という言葉を使うことができませんでした。その代わりに、雑誌の表紙には「歴史的に見て、膣を持つ身体解剖学生理学無視されてきた」と説明されました。しかし今や、この両刃とも見える譲歩さえも失われる可能性があります生物学性別(biological sex)の否定が将来の医師たちの訓練を弱体化させる恐れがあるからです。

 

医療機関が生物学現実について正直に語ることをこのような新しい現象として躊躇しているのは、おそらくトランスジェンダーの人々の人権を守りたいという称賛に値する願望から来ているのでしょう。しかし、目標賞賛に値するものの、選択された方法は誤っていますトランスジェンダーの人々を差別ハラスメントから守るために、性別sex)がただ単に「割り当てられた」ものだと装う必要はありません。

 

社会的または政治的大義のために事実を歪めることは、それがどんなに正しい目的のものであっても、決して正当化はされません。もし大義が本当に正当なものであれば、現実世界についての事実を完全に受け入れた上でそれを擁護することができるはずです。

 

そして、科学自称する組織社会的大義のために科学事実を歪めるとき、その組織自身信頼性だけでなく、科学全般信頼性も損なわれます。もし医療機関が性別sex)のような単純なことについて、このように明らかにからさまに事実を誤って述べるのを見るときワクチンのような他の論争的な問題 ——医学コンセンサスが実際に正しい問題—— についての医療機関の声明を、一般公衆の人々がどうして信頼できるでしょうか?

2024-05-01

苦手なタイプ

2024-04-27

anond:20240427121214

君の意見に大賛成だよ

共同体主義というか、社会構築主義相対主義で場を濁すやつが自分も苦手だ

「真の正しさ」というものはおそらくあるが、もし「社会が正しさを定義する」ならクソフルエンサーが幅を利かせて鬱陶しいからね

anond:20240427104646

理系はその辺わかってるんだよね、自然界がどうなってるかってのは反証可能から

文系社会構築主義社会が真理を決めるという主義)なので、やたら社会関係を強調したがる

2024-03-21

相対主義悟りぶっているけど、無知開陳している

相対主義は「人それぞれが真理を持つ」という考えのこと。

プラグマティズムも、物事実用的側面を見つければそれが真理であると言っており、実用的側面をどう見つけるかは人それぞれなので相対主義に属する。

一見すると聞こえはいいだろう。「人それぞれ」という言葉から多様性存在すると一見思ってしまう。

ところが相対主義は実のところ「他者理解する行為放棄する」ことに等しい。

他人は別なんだから理解することはできない」といって、別の考えを持つ人を区別するようになる。

これは多様性の逆を行っている。

絶対的道徳はない」という人に「殺人が良いと言える道徳観が存在するか」と聞くとNOという。NOとはっきり言えるなら、絶対存在するということだ。

「人それぞれで、絶対的な真理なんかないんだから、そんなもの目指さなくてもいい」となって、真理の追求を馬鹿げているとみなしてしまう。思考停止のことである

政治でも経済でも道徳でも「正しさ」の追求を無視はできない。「国民幸福であるためにこうすべき」「犯罪をこう定義すべき」等。

相対主義によって堕落してしまうと「絶対なんてないんだし、適当でいいんじゃなーい?」と無知開陳し、考えることを放棄するのである

特に民主主義国家場合には致命的である

民主主義では投票が重視されるわけだが、これが働くためには、事前に人それぞれの正しさをぶつけあって議論し尽くしている必要がある。

相対主義形態社会構築主義蔓延すれば「説得力だけの扇動政治家」だけが支持される。

まり相対主義社会構築主義下での民主主義は、その場のノリで物事が決まる衆愚政治へと成り下がる。

そもそも相対主義者は「人それぞれ」を絶対としているのである。「絶対なんてないと言っていて、相対主義絶対と言うのはおかしい」と指摘されても、相対主義者は言い返せないだろう。

2024-03-08

anond:20240308234548

まず平然と嘘をつくのを止めるところからスタートだね、君は

AI分野を見てみても、完全に論理的空想とも思える議論国内外学者によって行われている

AIリスクやAGIは実現可能かという話をとってみても、一見すると非現実的とも思える論理開陳をする連中がたくさんいる

から現代特別事実」を重視しているというわけではないことは幼児にもわかるはずだ

それどころか、現代は「社会構築主義」に突き動かされる連中が多い

社会が真と認めれば真、そういう発想の連中だ

アメリカでは学術助成金獲得のための戦略を駆使している点が、まさに「社会構築主義」そのものと言える

anond:20240308231820

君が社会構築主義を信奉していることは認めるが、自然界がどうなっているかという話は単なる「投票」ではない

実験され、反証される

実験の時の精度によって確かさがわかる

実のところ、誰が言うかということも関係はなく、理論存在すれば実証方法を探すだけだろう

宝くじは買わなければ当たらない」とカミオカンデの開発で述べた者がいるが、それが他の分野にも当てはまる

2024-02-25

anond:20240225234005

君もようやく社会構築主義害悪に気がつき始めたようだね

「数の力」はまさしく社会構築主義のそれなのだ

そして「社会が真と認めれば正しい」の論理で動くので、その様相モンスター化する

才能をもてはやす風潮にゲロを吐く

プレバトという番組がある、芸能人のさまざまな才能を比較し、格付けする番組

私の知人はその番組お気に入りで、俳句特に好きだそうで、彼は俳句先生の元で学び、俳句を発表したりしている

私はこの番組が本当に嫌いなのだ

アートというものは、相対主義本質であり、つまり絶対的審美眼というもの存在しない

その作品を「良い」とする観点に立つことができれば、すべての作品を「良い」と言える観点存在することがわかる

バンクシーがいい例だ、多くの人はバンクシー作品が粗末で雑なものだと知っている

バンクシーが高く評価されるのは、マーケティングが上手いからだ

まり作品の質は相対主義によって決定されるし、番組作成者はそんなことは知っているだろう

「格付け」を行うというのは、アートには絶対的観点存在するという傲慢さを開陳しているに等しい

社会構築主義者たちが「社会専門家が高評価すれば、それが良さなのだ」と言っているように見える

アート相対主義であれば、格付けはアートの逆をいく行為だと気がつかなければならない

多くの人が「上手い!」と言えばそれが高価値意味するのか

かに、そのアートを作るために要される技術力というもの比較可能場合がある

しかしそれはアートの「格」ではない、あくまで「観点である

そして番組は「こんなに上手いものを作れるなんて、彼らはとても才能がありますね」と言いたげのようだ

あるいは逆に「こいつはこんなに陳腐作品を作って、恥ずかしいですね」とも

こういう競争の態度を私は「軍拡競争」と呼ぶ

時間と金をかければかけるほど競争上のトップに君臨できる方式のことだ

有吉の「フォーナイト」の番組を見たが、この番組も優劣の勝負のためにゲームプレイ時間を自慢していた、馬鹿げている

話は外れるが、この番組視聴者プレイヤーに「底辺Youtuber」という人が参加して、底辺というものを嫌うような言い方を芸人がしていたが、そういう態度も大嫌いだ

Youtube軍拡競争であり、時間と金をたくさんかけた人々が「自分には才能がある」と言いふらすために努力していないフリをする

極め付けは銀行CMだ:「卒業したらやりたいことがあります。挑戦したいの。夢見た場所に立ってみたいの」

ふざけるなよ?お前の夢の軍拡競争のために親が命をどれだけ削ればいいんだ

高卒で十分だろボケナスが、大卒肩書がないと社会でやっていけないと思っているクズどもは、結局物事を「ハック」するだけの知恵がないんだよ

そう、本当に賢い人は軍拡競争ではなく「ハッカー」の精神を持っている

軍拡競争バカは、自分努力否定したくないという理由で、「才能のない奴はダメだ」とか見下したことを言って圧力をかける

こいつらがどれだけ金と時間を費やしてその地位を手に入れたかと思うと、「才能」なんて言葉はむしろ似合わないだろう

ハッカーとはどんな人間

ハッカーとは、コンピュータ犯罪者のことではない、それはクラッカーという

ハッカーとは、物事を楽しんで習熟する人々のことだ、ITには限定されない

そしてハッカーはくだらないルールには縛られない

卒業したらやりたいことがあります」といって金の力に頼るような奴は、ハッカーではなく、自称インテリである

自称インテリは、自分知識の正しい使い道をしらず、ひたすら時間をかけて暗記型知識を獲得し、その後学歴を得ることで自己満足に浸っているゴミのことである

こいつらはハッカーの逆方向にいるので、軍拡競争に苦しみを感じないマゾヒストである

そう、つまりハッカーとは、軍拡競争に苦しみを持つ一般庶民ことなのだ

この点を理解すると、いかに「才能」を無視して生きるかが、精神時間・金を浪費しないために重要であるかがわかる

子供教育投資して、将来軍拡競争成功者になりました!と発狂する人間が増えるほど、社会は窮屈になる

こいつらは努力サンクコストを捨てるつもりがないので、感謝もせず、傲慢に「私は才能があります」と言いふらす

 

悪いことはいわない

ハッカーになれ、それが楽に生きる方法

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