はてなキーワード: 執筆者とは
先日バーの前でケンカしたことで逮捕された某氏ですが、特にヲチしてたわけでもない皆さんは「なんか久しぶりに見たなー」くらいの気持ちだと思うんです。経緯もあんまりわかってなさそうなので。そこでですね、今回ははてなブックマークを基準に氏が話題になり、今回再び話題になるまでの歴史をたどってみたいと思います。
はてブで氏のハンドルネームを本文検索するとヒットするのは574件。はい流石にそんな全部追ってられませんね。ブクマ数を30の記事に絞ると144件、50に絞ると97件にまで減りました。まあある程度ネットで話題になったと言えるのはこの辺ではないでしょうか。とりあえず30ブクマ記事をベースに追っていきましょう。
本人が最初に登場するのは、2015年7月の安保法制に関するTogetter記事。この頃はネットでいろんなことを喋る市井のTwitter民でした。投稿で最初に話題になったのは飲食店経営のTogetter記事。これが2016年10月です。その後、2017年1月頃に、ADHDへ向けた仕事の進め方というまとめがバズっています。ここを基点として氏は自身のブログで発達障害向けの就労ノウハウをブワッと連投。本人のキャラもあいまってネット上で一定の存在感を獲得するに至りました。2017年5月にはネット論客108星に選ばれているそうです。
2018年5月には、これまで色々まとめたノウハウをまとめた某本を出版。この本の巻末解説は某白熊精神科医さんです。そもそも当該ブログは元々書籍化を目指すという趣旨ではじめたという記述があり、実際に有言実行するのは見事という他ありません。2018年後半からはTogetterやはてなブログではない何かしらのメディア媒体に寄稿する機会が出てきたようです。ちなみに、本題からはそれますが氏の趣味の一つが料理ということは割と知られており、ヤケクソみたいな量の繊細な料理を作りまくることで有名な某料理漫画家さんのブログにも定期的に登場します。
それはそうと、本人が絡むある種の揉め事が発生した痕跡が見られるのは2019年頃。どうやらフェミニズム系の話題でネットが騒がしくなりはじめたタイミング(独自研究)で、アンチフェミニズム論客のまとめが検索にヒットします。本人が中心になっている話題は多くありませんが、元々あの辺りの界隈や話題に関してTwitter上で言及することが多かったわけですね。ある種の「生きづらさ」みたいなものが主要なネタだったから、その辺の界隈と距離が近かったのは納得ではあります。余談ですが、氏は中国でバカ当たりして世界累計200万本売れた某メンヘラ配信者ゲームのディレクターともトークショーをやってたりもします。
しかし、ここで一つ興味深いのは、本人が由来の揉め事とはっきり言えるのは、2019年1月の記事だということです。その記事の執筆者である某小説家さん曰く、特段絡みのなかった氏から謎の絡まれ方をしてるとのこと。その中で「俺より結果出してからモノ言えや」という発言があったことが確認できます。また、氏の弟はとあるライトノベル作家なのですが、どうやら兄弟仲は本気で悪いらしく、弟がアニメ化したりこのライトノベルがすごい!で1位をとったりしたら気分が悪くなったり嫉妬爆発の発言をしたりしてます。文章で身を立てることにある種のこだわりがあるのかもしれません。
閑話休題。氏は2020年7月に2冊目の本を出すなど、文筆業として継続的に成果を出していましたが、風向きが完全に変わるのが2021年のこと。氏はあるTwitterユーザーが自分のノウハウをパクったと主張。その主張が傍目から見るとかなり強引なものだったため、それに派生するかたちで別のTwitterユーザーが氏を継続的に批判するようになります。結果、氏は弁護士を介しての訴訟をちらつかせる行為が一気に増え、大炎上したのです。
この辺りで登場してくるのが、今回のケンカ相手の「E」氏です。「E」氏は某氏の主張を「ヤクザめいてる」と批判し、氏から訴訟をちらつかされますが、「E」氏は逆に某氏に対して債務不存在確認請求訴訟を提起しました(この裁判は都知事選にも立候補したことのある某裁判ウォッチャーが定期的にまとめていました)。この裁判の経過は後述しますが、自らが訴えられる側になった際の某氏の振る舞いに失望する人が続出。某氏を批判した人間に対してかなり強気(婉曲表現)なDMを送っていたことが複数名から暴露されることになりました。
特に問題になったのは、とある人の子供に言及して「本気で○す気でしたよ」「裁判やるより◯す方が安い」と発言していたのがわかったことです。はっきり言って超ド級にヤバいです。その上、某氏はこの件に一切言及せず完全無視を決め込んでいるため、某氏が何かやる度に蒸し返されつづけることになりました。
さて、問題の「E」氏と某氏の裁判について記述しようとしたところ、この辺りから某氏の話題ははてなブックマークに上がってこなくなりました。そのため、ここから先ははてなブックマークに上がっていない記事などを元に裁判の経緯を追うことにします。
つまり、「E」氏と某氏の裁判は2021年9月に始まっているものの、訴訟が3件動いている&反訴や控訴等もあってほぼ4年近くかかっていたわけですね。
さて、この敗訴が尾を引いたのか、某氏は2025年8月4日にDMで「E」氏の自宅襲撃を予告。「E」氏は警察に相談することとなります。
その後、8月7日に某氏は自身が一日店長をやる企画(8月17日実施)に「E」氏の招待をなぜか公言。「E」氏が参加を表明すると、某氏はなぜか警察に相談。警察経由で「E」氏に連絡が飛びます。その後、スタッフから「一次会への参加はご遠慮ください、二次会以降であれば参加料金無料にします」とのメールが「E」氏に送られたため、「E」氏は二次会への参加を表明します。結果、なぜか8月15日に某氏が「E」氏の自宅に突撃。警察が出動することとなりました。
最終的に8月17日のイベントに「E」氏は不参加となりましたが、8月20日に「E」氏が当該バーに訪問したところ、バーを出たところで某氏にボコボコにされたとのことです。某氏と「E」氏は両方とも逮捕されました。8月24日15時現在、両名からの続報はありません。
以上、某氏がネットの人気者になってからその地位が失われるまでの、おおよその流れをまとめてみました。いかがでしたか?本人の独特な人格と文筆業へのこだわりが、成功体験を元に悪い方向へと働いてしまったことがよくわかります。特に、訴訟を辞さない人間を前に強い言葉(婉曲表現)を使ったことがことごとく逆効果になっている様子です。
みなさんも、大事なときには謝ったり、反省したり、子供の命を縦に強い言葉(婉曲表現)を使ったりしないように気をつけましょうね。
ちょこーっと口が回る文芸部かぶれのイキリ腐女子がホラー小説の流行に乗ってうっかり商業デビューして万バズポストもだせるようになったら天狗になって勘違いしちゃった系かな?
夫ATM発言でミソジニーを召喚しようとして失敗したり、存在しないファンネルへの注意喚起で相手の見た目を貶めようとしたり、そこはしっかり女子社会の陰湿さを発揮してる(不発だけど)のもご愛敬。精神が幼稚すぎてびっくりしてる人もいるけど、ろくな社会経験もなく勘違いクリエイター気取りでアラサーになった腐女子なんてこんなもんよ。発売したばっかの祠破壊アンソロジーの他の執筆者たちとか「余計なことすんなよ」って頭抱えてそう。ご愁傷さまです。
TogetterをEEATで評価してみると、あくまで個人的に感じたレベルだが、
経験(Experience):
記事の執筆者がその分野での経験を持っているか、実際に体験したことを基に書かれているか。
専門性(Expertise):
記事の内容が専門的な知識に基づいているか、深い理解に基づいているか。
権威性(Authoritativeness):
記事の執筆者や情報源がその分野で信頼されているか、権威があるか。
信頼性(Trust):
記事の内容が正確で、信頼できる情報源に基づいているか、透明性があるか。
専門的知識がなく、単なる寄せ集めで、読者からツッコミが入ることが度々
多分、評価下がっているね。
増田は、誰にも届かなくていい、でもどこかに吐き出したい――そんな**孤独な衝動**に支えられてきた場所です。
しかし現代は、AIを使えば「誰かに届く」言葉を最適化できる。推敲も文体も、ターゲットも、想定読者も調整できる。「孤独な叫び」を「読まれる文章」に変換するツールが無料で転がっている。
つまり、「自分のままで語る」という動機が、AIによる外部編集によって揺らいでしまう。**孤独に耐えきるための書き込みが、効率や文脈によって飲み込まれる**。そうなれば、増田は「自分の言葉を持ち寄る場」ではなくなるのです。
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仮にAIによる社会福祉や心のケアが制度化され、人々の不安や悩みがチャットボットに即座に処理されるようになれば、「誰にも届かない形で言葉を吐き出す」必要そのものが減るかもしれません。
「悩みはAIに聞けば整理される。病状はAIに伝えれば記録される。孤独はAIと話せばごまかせる。」
そうなったとき、「増田に書く」という行為は、時代遅れな**不器用な自己処理**として残されるだけ。効率化社会のなかで、増田は「使い道のない言葉の廃棄場」になる可能性があります。
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AIは今後、感情の推定や言語的傾向から\*\*「この人はこういう悩みを抱えていそう」と示唆する\*\*ようになります。言い換えれば、人間が言葉にしなくても、データから感情が読めるようになる。
そうなると人々は、書くより**他人の可視化されたデータを観測する**ほうに面白みを感じるようになるかもしれません。
つまり、書くことではなく\*\*「察すること」や「可視化された心の状態を眺めること」\*\*が娯楽になると、増田のような「言葉にする行為」は時代遅れになり、消えていきます。
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AIによって「最適な文章」「エモい展開」「盛り上がる構成」が量産されると、読み手はどんどん「もっと刺さるやつ」「もっと破滅的なやつ」を求めるようになる。
増田はもともと「読まれなくてもいい場」だったはずなのに、気づけば\*\*「読まれることが前提の場所」\*\*になってしまう。
「どうせ書くならバズるやつを」「泣かせに来てるのが見え見えで冷めた」
そうやって、読み手が「エモ消費者」に変わっていくとき、増田に残るのは「読まれるために書く人」だけになる。それはもう、**匿名の日記ではなく、群衆の前で演じる芸**です。
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将来、AIによる文章の**執筆者推定技術**が進化すれば、IPやログイン情報がなくても、文体や癖から「たぶんこれは○○が書いた」と特定されるようになる。
そうなれば、増田の根幹である「完全な匿名性」は失われる。**“誰にも見られていないと思って書ける” という幻想が消えたとき、増田は本当の意味で終わります。**
生成AIの普及によりAIによる文章かどうかを判別し保証する「AI鑑定士」という職業が誕生した
AI鑑定士は高度な言語解析技術と膨大なAI生成文のデータベースを駆使し、人間による創作か、AIによる生成かを判別する
複数の執筆者が混在した文章に対し「何%がAIによるものか」といった比率の推定も求められる
この職業は当初、教育機関や出版社など限られた分野で重宝されていたが、近年では裁判における証拠文書の真偽判定など、さまざまな場面で必要とされている
中でも「AI鑑定書」と呼ばれる公式文書は、文章の真正性を示す証拠として広く流通するようになり、一部の鑑定士は「言葉の鑑識官」として誰もが知る存在となった
このようにしてAI鑑定士という職業は、単なる技術職ではなく、言語、倫理、社会の交差点に立つ、まさに21世紀ならではの知的専門職として確立されていったのだ
消したら増えます
削除依頼を出された前記事の市立宇和島病院食養科に在籍するマウンティングの権化こと有元美憂さん(容姿は上記の画像が再現度が高い)であるが午後イチで私の目の前で「どうぞ辞めてください」「来なけりゃいいんじゃないですか?」から始まりお前が悪い!言われるお前に原因がある!お前は被害者ヅラ!!と延々と叫び続けていた。彼女のいう「話し合い」とはそう、彼女の主張を一方的に怒鳴り続け服従させると言う「相手なき主張」なのである…確かに私も今年の5/17の7:30ごろに有元さんに女子休憩室に閉じ込められて(監禁されて)「説明」と称した怒鳴り声を聞かされ続け、私も監禁されて頭に血が上り「どけデブ」などと言ったりしたが
彼女の言う通り言われる側が悪いのであれば、そもそも彼女が肥満体型であるからである。
そして彼女の主張通り解釈するのなら、彼女は事実を言語化されたことに怒る前に、体型を引き締める努力をするべきである。この時点で彼女は「自分が被害者ヅラ」をしておりいわゆる「ダブルスタンダード」なのである。
これまでの彼女の人生における「コミュニケーション」や「話し合い」とは某マンガ第一部での「君が泣くまで殴るのを止めない」という被害者が泣き寝入りする一方的な暴力しかなかったのであろう。同情はしないが、極めてご愁傷様である。根底には自信のなさ、彼女の虚栄心こそがこうした他人への苛烈な攻撃の裏側にある。私はそのための彼女の道具(サンドバッグ)として一方的に搾取されているのだ。これまで彼女のコンプ解消の道具にされてきた人たちには心から同情する。まあ、私も彼女の一方的な責任転嫁と表面だけ取り繕った自分の正当性だけを一方的に押し付ける口車を延々と拒否し続けたが明確にわかったことが二つある。
①有元美憂さんは私の退職を望んでいる。
②有元美憂さんは私の嫌がる過干渉を止める気はない。私の感情は考慮しないし見下している。
また彼女が「(執筆者)が間違ってることしてるから言うんです!!」という主張の根拠である「間違ったことをして、患者が死んだらどうするんですか!!」だが
どうやら私のやる間違いは患者を殺す
らしく
そうなるとそもそもそんなリスキーな人員(私)を現時点で任用している市立病院の責任問題になるのではないか?
彼女の懸念も尤もだ。故に市立宇和島病院での食養科に由来する死亡事故を回避するための方策としては、私が「患者を殺しかねない」という状況の証拠を詳細に記録して病院に提出するのが尤も効率的であろう。ただし私の冤罪を成立させるために毒などを盛ったりすれば、自身が本物の人殺しになるので実行される場合はくれぐれも慎重に。
最後にありがとう私と彼女を「相容れない」認定してくれて!!あと理不尽だと感じたことには従わなくていいって言ってくれてありがとう!!!
消したら増えます
削除依頼を出された前記事の市立宇和島病院食養科に在籍するマウンティングの権化こと有元美憂さん(容姿は上記の画像が再現度が高い)であるが午後イチで私の目の前で「どうぞ辞めてください」「来なけりゃいいんじゃないですか?」から始まりお前が悪い!言われるお前に原因がある!お前は被害者ヅラ!!と延々と叫び続けていた。彼女のいう「話し合い」とはそう、彼女の主張を一方的に怒鳴り続け服従させると言う「相手なき主張」なのである…確かに私も今年の5/17の7:30ごろに有元さんに女子休憩室に閉じ込められて(監禁されて)「説明」と称した怒鳴り声を聞かされ続け、私も監禁されて頭に血が上り「どけデブ」などと言ったりしたが
彼女の言う通り言われる側が悪いのであれば、そもそも彼女が肥満体型であるからである。
そして彼女の主張通り解釈するのなら、彼女は事実を言語化されたことに怒る前に、体型を引き締める努力をするべきである。この時点で彼女は「自分が被害者ヅラ」をしておりいわゆる「ダブルスタンダード」なのである。
これまでの彼女の人生における「コミュニケーション」や「話し合い」とは某マンガ第一部での「君が泣くまで殴るのを止めない」という被害者が泣き寝入りする一方的な暴力しかなかったのであろう。同情はしないが、極めてご愁傷様である。根底には自信のなさ、彼女の虚栄心こそがこうした他人への苛烈な攻撃の裏側にある。私はそのための彼女の道具(サンドバッグ)として一方的に搾取されているのだ。これまで彼女のコンプ解消の道具にされてきた人たちには心から同情する。まあ、私も彼女の一方的な責任転嫁と表面だけ取り繕った自分の正当性だけを一方的に押し付ける口車を延々と拒否し続けたが明確にわかったことが二つある。
①有元美憂さんは私の退職を望んでいる。
②有元美憂さんは私の嫌がる過干渉を止める気はない。私の感情は考慮しないし見下している。
また彼女が「(執筆者)が間違ってることしてるから言うんです!!」という主張の根拠である「間違ったことをして、患者が死んだらどうするんですか!!」だが
どうやら私のやる間違いは患者を殺す
らしく
そうなるとそもそもそんなリスキーな人員(私)を現時点で任用している市立病院の責任問題になるのではないか?
彼女の懸念も尤もだ。故に市立宇和島病院での食養科に由来する死亡事故を回避するための方策としては、私が「患者を殺しかねない」という状況の証拠を詳細に記録して病院に提出するのが尤も効率的であろう。ただし私の冤罪を成立させるために毒などを盛ったりすれば、自身が本物の人殺しになるので実行される場合はくれぐれも慎重に。
最後にありがとう私と彼女を「相容れない」認定してくれて!!あと理不尽だと感じたことには従わなくていいって言ってくれてありがとう!!!
消したら増えます
削除依頼を出された前記事の市立宇和島病院食養科に在籍するマウンティングの権化こと有元美憂さん(容姿は上記の画像が再現度が高い)であるが午後イチで私の目の前で「どうぞ辞めてください」「来なけりゃいいんじゃないですか?」から始まりお前が悪い!言われるお前に原因がある!お前は被害者ヅラ!!と延々と叫び続けていた。彼女のいう「話し合い」とはそう、彼女の主張を一方的に怒鳴り続け服従させると言う「相手なき主張」なのである…確かに私も今年の5/17の7:30ごろに有元さんに女子休憩室に閉じ込められて(監禁されて)「説明」と称した怒鳴り声を聞かされ続け、私も監禁されて頭に血が上り「どけデブ」などと言ったりしたが
彼女の言う通り言われる側が悪いのであれば、そもそも彼女が肥満体型であるからである。
そして彼女の主張通り解釈するのなら、彼女は事実を言語化されたことに怒る前に、体型を引き締める努力をするべきである。この時点で彼女は「自分が被害者ヅラ」をしておりいわゆる「ダブルスタンダード」なのである。
これまでの彼女の人生における「コミュニケーション」や「話し合い」とは某マンガ第一部での「君が泣くまで殴るのを止めない」という被害者が泣き寝入りする一方的な暴力しかなかったのであろう。同情はしないが、極めてご愁傷様である。根底には自信のなさ、彼女の虚栄心こそがこうした他人への苛烈な攻撃の裏側にある。私はそのための彼女の道具(サンドバッグ)として一方的に搾取されているのだ。これまで彼女のコンプ解消の道具にされてきた人たちには心から同情する。まあ、私も彼女の一方的な責任転嫁と表面だけ取り繕った自分の正当性だけを一方的に押し付ける口車を延々と拒否し続けたが明確にわかったことが二つある。
①有元美憂さんは私の退職を望んでいる。
②有元美憂さんは私の嫌がる過干渉を止める気はない。私の感情は考慮しないし見下している。
また彼女が「(執筆者)が間違ってることしてるから言うんです!!」という主張の根拠である「間違ったことをして、患者が死んだらどうするんですか!!」だが
どうやら私のやる間違いは患者を殺す
らしく
そうなるとそもそもそんなリスキーな人員(私)を現時点で任用している市立病院の責任問題になるのではないか?
彼女の懸念も尤もだ。故に市立宇和島病院での食養科に由来する死亡事故を回避するための方策としては、私が「患者を殺しかねない」という状況の証拠を詳細に記録して病院に提出するのが尤も効率的であろう。ただし私の冤罪を成立させるために毒などを盛ったりすれば、自身が本物の人殺しになるので実行される場合はくれぐれも慎重に。
最後にありがとう私と彼女を「相容れない」認定してくれて!!あと理不尽だと感じたことには従わなくていいって言ってくれてありがとう!!!
つまり、自分が論理的に追い詰められて、言い返せなくなった状態で精神的バルブが壊れ、内容ではなくメタ批判(「AIが書いてる」「勝利宣言してる」)に逃げ込む様子。
まるで膀胱が限界を迎えたように、論理ではなく感情だけが漏れ出してくる。それが論破放尿。これ、現代ネット言説の風物詩みたいなもんだな。
裏を返せば、「この文章は自分の手では書けない」と言ってるようなもんだよ。
つまり自分の限界を、批判のふりして自己紹介してるわけだ。実に悲しいが、冷静に見れば中身の反論が一切できていない。
そもそも、「相手にされなくなって勝利宣言してる」という指摘自体が破綻してる。順序を見てみようか?
これ、どの段階で「相手にされてない」んだ? 君が先に投げ出してるだけだよ。
議論というのは、双方が構造的に矛盾点を詰め合う営みであり、君がそれを放棄した時点で、試合としては終了してる。
それを「勝利宣言」と呼ぶのではなく、単に「論理的帰結」という。
ちなみに、こっちは別に勝ったアピールをしているわけではない。
単にロジックと事実に基づいた整合性ある反論を継続的に提示してるだけだ。
その上で「反論がない」「論点ずらししか返ってこない」なら、当然それは論理的優位の表現になる。
そして何より重要なのは、「AIが書いてる」だの「人間味がない」だのという批判が、君自身の思考の限界を露呈している点だ。
森脇透青は、《たとえば千田有紀の立場ひとつとっても塩野谷恭輔の立場と異なるし、さらに小谷野敦や笙野頼子ともまったく違うはずである(たとえば「生物学的」のような言葉を留保なしで使うかどうか、「陰謀論」的な語調を使用するかどうか、また構築主義の理解の深度において)》(「不良債権としての『情況』、あるいは回覧板について」)と述べ、トランスジェンダー特集の執筆者たちには「構築主義の理解の深度」において違いがあると言っている。「構築主義の理解」が足りないのは、この中では、小谷野敦であろう。事実、小谷野は、《私はバトラーを批判なんかしてないんだよ。ポモを批判していて、バトラーは読んでも何を言ってるのか分からない、と書いているではないか。》とツイートしている(2024年11月11日)。しかし、オフパコギャルママ🦖1y@takamatsu4_13によると、《批判者は佐藤悟志をこすっているけど、本当に読まれたくないのは小谷野敦とかだったりするんだろうね。さすがに「小谷野のは読まないでくれ!」とは言えないから、佐藤悟志をこすっているだけだという。》(2024年9月21日)。小谷野は「ポストモダンとトランスジェンダー」を寄稿しているが、これは何があったのかを小谷野節で綴ったものである。これを読むと、ノーディベートと称して議論すら行われないまま、明らかに異論のありうる理論によって現実が書き換えられようとしていたことが分かるであろう。千田有紀の「構築主義の理解」は足りていないどころではなく、上野千鶴子編「構築主義とは何か」(2001年)に序章「構築主義の系譜学」を書いているくらいであるが、「学問の危機と『キャンセル』の方法論」(pp.116-135)は、小谷野と同じく、何があったのかの記録であるが、キャンセルされた当事者であるだけに、迫力があるものとなっている。さらに、「LGBT異論」(紙の爆弾2024年10月号増刊)に「フェミニズムの再生を求めて」(pp.62-76)を寄せており、そこでは小宮友根との確執が延々と書かれている。
「『情況』に関する声明」には森脇も加わっているが、森脇は雁琳と同じ研究室の出身である(京大宗教学)。研究室が批判されたことに対して、森脇はこう反論している。《ある人格が問題だからといって、その人の所属とかその人の研究分野まで誹謗中傷されていて、いい迷惑です。「放置した」かどうかなんて知らないでしょ。そして彼の素行(思想内容というより、ほんとうに「素行」)は研究室内でも、先生からも先輩後輩(ぼく含め)からも、直接・間接に注意されてました》(2022年1月23日)。研究室での雁琳の素行は悪かったようであるが、これは想像できるところかもしれない。そして、オープンレター勢とのたたかいでも「うんこ学者」のような言辞を用いていて、素行は悪かったのであるが、オープンレターはからかいを批判する内容なので、お行儀よくやってしまうとオープンレターにパフォーマティヴに従ってしまうことになり、雁琳としては、あえて粗野な態度を取ったということらしい。育ちのいい人が不良のような振る舞いをしても、どうにも似合わない。批評は口汚い言葉で罵るというのが伝統であるが、近ごろの若者は育ちが良すぎて、罵倒しても様にならない。北村紗衣をからかってみるという芸当は、普段から素行が悪い雁琳だからこそできた荒業であろう。しかし、江原由美子の「からかいの政治学」を内面化したリベラルにとっては、このような粗野な態度こそ「サタン」のように見えてしまうようである。
雁琳によるキャンセルカルチャー批判の論文は、キャンセルカルチャー批判としては本邦で右に出るものはない論文であろうが、男女論に関しては断片的なツイートしか存在しないのが現状である。それらを活字としてまとめなければ、行動の根底にある思想が分からないので、一冊の本として著し、世に問うべきであろう。「情況」2025年冬号の論文はクリプトに関するものであるが、男女論をまとめてからでもいいのではあるまいか。
3 トランプ
リベラルによると暇空や雁琳は「誹謗中傷ビジネス」をやっているらしいが、カンパを募ることは、ビジネスというよりは、味方がいるということを示す意味合いがあるのであろう。暇空は6億あるので、カンパなどいらないであろうし、雁琳に至っては、非常勤講師の職を失っており、トータルで見れば明らかに持ち出しであろう。馬場靖雄はこう言っている。《仮にある人が「万人に対する戦い」を望んだとしても、実際にそれを貫徹することは不可能である。手始めにある方向を攻撃すると、本人が望むと否とにかかわらず、たちまち「味方」が登場してしまうからだ。かくして、いつのまにか前線が、すなわち秩序ある戦争状態が形成されるのである》(「ルーマンの社会理論」、81頁)。ここでの前線はフェミとアンフェによって形成されているが、ネットでの争いの大半はここで戦われており、ゲンロンの若手がやっている「論壇ウオッチ」でも、毎週のようにフェミとアンフェのたたかいが取り上げられている。フェミにしてみれば、フェミに賛同しないものは「差別主義者」であり、味方など現れてはいけないはずであるが、味方は登場してしまう。SNSはキャンセルカルチャーを展開させるのにもいい環境であろうが、その敵にとっても味方を集めやすい環境なので、前線が現れるのも当然であろう。
前線があって、たたかいが繰り広げられているだけであれば、さほど問題ではないのであろうが、問題なのは、フェミとアンフェのたたかいは、和解不可能なものであることであろう。茶会太郎のツイートによると、《構成主義とか構築主義とかいうの、当たり前と思われていることが実はこのような過程で成り立っている、ということを示すまでは大変勉強になるのだが、「だから断罪」となった瞬間に和解不可能な敵味方分断ツールに早変わりする》(2020年6月11日)。
和解不可能なたたかいの例として、解同と日共のたたかいが思い起こされる。トランプが大統領になり独裁的な政権運営をしている状況は、例えれば、解同の候補と日共の候補が大統領候補としてたたかい、解同の候補だけは困るということで、日共の候補が大統領に選ばれたところ、日共の大統領は、公約を守り、株式の時価総額上位百社を国有化してしまったようなものであろう。リベラルとしては、どうして日共の候補を支持しなかったのかと問うところであろうが、その問いに対しては、それでは解同の候補に投票すればよかったのかと問い返されるであろう。日共の大統領に抵抗しようとも、和解不可能なたたかいの中で生まれている以上、共闘は不可能である。
フェミとアンフェの対立において、アンフェ側の立場や考え方が何を意図しているのか、理解しづらい部分がある。茶会太郎のツイートによると、《純粋にジェンダーの軸で反フェミニズムをやっている人間は相当少なくて、ツイッター反リベラルの主流は「男性被雇用者を基本単位とする家族主義(保守主義)レジーム福祉国家の擁護論者」なのだという確信を深めている》(2023年1月3日)。産業社会へのノスタルジアとでも呼べるものかもしれない。しかし、ポスト産業社会においては、伝統的な家族や福祉国家を維持することは難しいであろう。だからこそ、ノスタルジアは止むことがないであろう。
暇空は「社会構築主義的社会正義」とのたたかいにおいて、表現規制派のスキャンダルを暴露し、雁琳は同思想を「解釈権の独占」という概念で理論的に解明した。ポストモダン思想(特にフーコー)が単純化され、社会に適用されるプロセスは、ヘレン・ブラックローズとジェームズ・リンゼイの「Cynical Theories」(2020年、邦題「「社会正義」はいつも正しい」)が思想史的に明らかにしている。しかし、雁琳はこの現象を「解釈権の独占」として集約し、鮮やかに整理した。オープンレターの内容は、次のように一行で要約される。「その内容は、彼らインテリリベラル左翼が、何が差別かを決め、該当する差別者に好きに仕打ちを与える、というものだ」(「フェミニズムが振りかざされ司法から進む女尊男卑社会」、「実話BUNKAタブー」2025年6月号)。こうしてポストモダン思想は、朝田理論へと収束した。解同の候補と日共の候補が大統領候補として対決するという例えを、やや突飛に持ち出したのは、理由がないことではない。
リベラルは「何が差別か」を一方的に定義する。リベラルの理論を批判することすら差別とみなされ、言論の自由の枠内では対抗が難しい。雁琳はあくまで理論的な批判に徹したが、暇空は対象への攻撃を行い、トランプに至っては人文系への予算削減という「人文系焼き畑」とも呼べる強硬手段に出ている。朝田理論のような思想に対抗するには、こうした物騒な手段に頼らざるを得ないのだろうか。笠井潔はこう言っている。《もしも差別の被害当事者やその支援者は差別者を勝手に処罰していいとすれば、それは定義からして私刑、リンチの肯定になりますね。その線を超えてしまうと、仕事、業績の否定から存在の否定まで行きかねない。存在の否定まで行くとなると、その意味するところは戦争状態に入るということです。小山田を敵と認定して戦争状態に入る。カール・シュミット流に言うと「例外状態」に入る。社会運動の文脈では、そういうこともあり得ます。しかし小山田の存在自体のキャンセルを要求する者が、物理的抹殺を含め敵を打倒するしかない戦争状態に入るという認識と、内戦状態だから自分もいつ殺されるか分からないという覚悟があって、そうしているのかどうか。そうとは思えませんね。(中略)微温的に、常に正義の側に身を置いていたいと思って、そのことを疑おうともしない安直な精神の連中こそ、ゴツンとやって分からせた方がいいんじゃないか(笑)》(笠井潔「キャンセルカルチャーをめぐって」、「情況」2022年春号)。トランプは人文系を「ゴツンとやって分からせた」と言えるだろう。朝田理論は内戦状態を引き起こす。この状況に出口はあるのだろうか。
コミュニティノートは数年前からXに導入されているが、あの仕組みは僕は好きではない。コミュニティノートの執筆者は、ノートが付いたあとに往々にして訪れる誹謗中傷を想定しながら執筆しているのだろうか。もし想定していないなら浅慮が過ぎるし、想定しているなら、その個人的な悪意にどこかで聞いたような露骨な借り物の言葉(例えば「留意する必要があります」)を被せ、あたかも公正に話しているかのように発信するのはとても醜いと思う。
そもそも執筆者はコミュニティノートを付けて何をしたいのか、僕にはいまひとつ分からない。他人が誤情報に騙されないようにというならまだしも、今後自分と関わることはまずない赤の他人が誤情報に騙されるかどうかが、自分の時間を割くほど大切なのか。それよりも単に他人を貶めたいだけなのではないかと勘繰ってしまう。
コミュニティノートが付いた投稿に対し、「発信者の情報に瑕疵があるならいくらでも叩いてよい」という思想にも、極めて浅はかだと思う。発信者と批判者の立場が過度に不均衡になっているし、ノートへの反論が見えにくい位置にしか置かれないこともその一端だ。
虚偽の発信本来の趣旨が失われる場合があることも、個人的には懸念である。社会的にはよいことかもしれないが、冗談と誰もが分かるような投稿にまでコミュニティノートが付くと、興醒めしてしまう。
この様相を見ると、クラスの人気者と根暗で性格が捻じ曲がっている子たちの対比をどうしても想起してしまう。自分が根暗側だったから、同族嫌悪もあるのかもしれない。クラスの人気者の些末な言動をあげつらって陰口を叩くあの子たち——『ゆっくりは本家じゃない……』と、表立って間違いを指摘できなかったあの子たち。彼らが今、年月を経たにもかかわらず、なお覆面を被り放送室のマイクを前にしないと満足に話せないのであれば、僕はそれに憐れみしか感じられない。
正直、自称フェミニストの方々や、あまりに行き過ぎた万博批判などの論理が破綻したツイートがコミュニティノートで指摘されているのを見ると、すっきりするし、それを否定するつもりもない。自分にもそういった方々への悪意は多分にある。ただ、その悪意を見かけの公正さで包み隠そうとする人たちと、それを容易にしているシステムの構造は、僕は好きになれない。個人の感情とそれに伴う行動は個人のものとして発信するべきで、せめてインターネット上だけでもそうあり続けてほしいと、ずっと思っている。
コミュニティノート制度ができて半年くらい(ちょっとあやふやだが)で執筆者に登録されたのだけど、最初のころはまあまあうまくいっているシステムだなと感じていた。
執筆者は公開される前のコミュニティノートを見て判断する機会があるのだけど、割と冷静なやり取りがされていることが多かったからだ。
差別的な発言だったり、デマのような発言に対してもコミュニティノート上では両面からの冷静な意見がソースが提示されて記述されるため、まったく畑違いのことに関しても読んで判断することができた。
当然普段の自分の意見とは異なるノートに賛同したことも何回もある。
半面、ノートユーザーが少ないからかコミュニティノートの評価が規定に達せず宙ぶらりんになっているものも多くあり、コミュニティノートにかかわる人が増えた方がいいなーと思っていた。
しかし、ここ1年近くになって、コミュニティノート執筆者が増えてくるとちょっと状況が変わってきた。
よく考えればそうなのだが、執筆者が増えれば質が少し落ちてくる。
いわゆる界隈やアカウントの信者のような人たちがコミュニティノートの執筆者として登録し、ついたコミュニティノートに対して役に立たないノートの執筆を行うのである。
もちろんきちんとした根拠に基づく役に立たないノートの執筆は今までにも盛んにおこなわれており、これがコミュニティノートの質を担保する重要な要素の一つだった。
しかし、信者系執筆者は根拠のない状況でノートの取り下げを行うため、コミュニティノートの意義や質は確実に落ちている。
そしてコミュニティノートが表示されるかどうかの最終的な判断は、現状ソースの真贋ではなく単純に多数決なので、賛同するユーザーが多い方が勝ち(勝ち負けという表現はアレなのだが)なのである。
多数決に勝ちうる数のノートユーザーを確保できれば、自分に不利なコミュニティノートは表示されないし、自分が貶めたい相手にコミュニティノートをつけることもできる。
元増田が嫌いと感じる理由の一つがおそらく「コミュニティノートが攻撃手段になっている」ということだと思う。
コミュニティノートの理念は非常に良いものだと思うが、始まったころからコミュニティノートをつけられることを攻撃されたと思う人たちが大勢いた。
そして、攻撃手段として利用する人も、攻撃に対して備えようとする人も増えてきた。(自分についたノートに対して自分で反論しようと試みる人もいる)
表示された後に一般ユーザーが判断して役に立たないが多ければまた消えるのだが、増田が指摘しているように「コミュニティノートが付く=悪」のようなイメージが先行しているため、とにかくコミュニティノートをつければ勝ちみたいな界隈もある。
結果、フォロワーが多い力を持ったアカウントは信者が火消しを行い、力のないアカウントはコミュニティノートが付いた時点で大ダメージを受けてしまう。
元々が性善説に寄って組まれた仕組みだと思うので、当然自分に利するように使用したい人も出てくる。
もちろんAIなどにより提示されたソースが確かなものかどうか判断されたり(本当にひどい適当なソースを張り付ける人もいる)、ノート執筆者の評価(現状かかわったノートが表示されると評価されるという仕組み)の判断基準が変わってくるとは思う。
現状、コミュニティノートユーザーはまだまだ十分な数に達してはいないと個人的には思っている。
しかし増えれば増えるほど組織的な構図は増えるだろうし、全体的な質の担保はむつかしいだろうなというのを目の当たりにして悶々としている(自分が悩むような問題ではないのだけれど)。
ネットニュースが伝える きみの武勇伝(相対性理論「たまたまニュータウン」)
1 暇空
2025年3月27日、暇空茜が起訴されたという報告と、北村紗衣が雁琳を訴えていた裁判で最高裁が上告を棄却し、雁琳に220万円の支払いを命じる判決が確定したという知らせが同時に届いた。暇空の起訴は3月26日付、雁琳の敗訴に関する最高裁の決定は3月21日付であり、これらが同じ日に伝えられたのは偶然かもしれないが、何らかの意図が働いているようにも感じられる。
思い出されるのは、2024年2月16日、アニメイトが暇空の著書「ネトゲ戦記」(KADOKAWA)の取り扱いを停止すると発表した時のことであろう。暇空によると、アニメイトは脅迫されており、放火されたくなければ2月16日に取り扱いの停止を発表するように要求されていたという。そして、2月16日はTBSが暇空の書類送検をスクープとして報道した日でもあり、犯人はアニメイトに書籍の取り扱い中止を同じ日に発表させることで、何らかの効果を意図していたのではないかと推測される。書籍の取り扱い停止を求めるだけならよくある話だが、その発表を特定の日時に行うよう要求するのは異例で、これまで聞いたことがない。TBSの報道日時を知らなければこうした要求はできないため、犯人の範囲はある程度絞られてくるだろう。もっとも、こうした脅迫があったと主張しているのは暇空だけであり、作り話ではないかという見方もある。その可能性が全くないとまで断じるつもりはないが、2024年1月に刊行予定だったアビゲイル・シュライアー「あの子もトランスジェンダーになった SNSで伝染する性転換ブームの悲劇」(KADOKAWA)も脅迫によって発売が中止され、産経新聞社からタイトルを変えて出るといったこともあり、リベラルが脅迫も辞さないことは事実である。
ただ、雁琳訴訟の原告代理人である神原元は、「被告は、上告棄却となった後の令和7年3月26日時点でも、「(原告に)220万円も請求されたことは明らかにおかしい」と投稿し、被告に220万円の支払いを命じる判決が最高裁で維持されたことにも触れず、カンパを募集する投稿を固定ツイートとしたままである。」(「対雁琳訴訟、勝訴確定についての弁護団声明」)と言っており、3月26日時点で判決が雁琳に伝わっていたことが窺え、雁琳側から判決について発表していれば、暇空起訴と重ならなかったわけで、これらが同日に判明したことはリベラルの意思によるものではないと思われる。
暇空を語るのは容易なことではない。あまりにも多くの出来事が次々と起こっており、そのすべてを追いきれないからである。西葛西出版の社長である中村慎太郎@_Shintaro_は2024年5月13日に、こうツイートしている。《暇空さん+赤木レイアで1年くらい過ごしたので、それ以外の事象をあんまりしらないんだよね。なんという複雑怪奇な現象なのだ》。一年前というと、2023年の5月である。2023年の3月3日には住民監査請求の再調査の結果が出ており、Colaboの会計問題は住民訴訟に舞台を移し、歩みをほとんど止めてしまったのであるが、代わりに追及の対象となったのが自称学生の堀口英利である。暇空がウクライナ戦争についての所見を述べたところ、堀口が噛みついたのがきっかけであるが、暇空は激怒し、堀口の過去を掘り返していった。堀口はKCL(King's College London)の学生であると自称していたが、これについても疑義が投げかけられた。堀口も、自らが誹謗中傷とみなす投稿を行った人々に対して、大量の開示請求を行うなど、決して譲らない態度を示した。堀口は時事系ユーチューバーにとって訴訟リスクを伴う存在である一方で、恵みの雨とも言え、その中で最も稼いだのは赤木レイアである。当初は3分くらいの動画で取り上げていたのであるが、2023年7月7日に15分53秒の「堀口英利、とんでもない書面を出して爆笑されてしまうww【暇空茜】」を出してからというもの、長尺の堀口動画を毎日のように投稿していた。普通に生活していると、ニュースに割ける時間は限られている。暇空・堀口を追うのに時間を割くとすれば、他のニュースに目を向けるのは難しくなる。
中村慎太郎は2024年8月24日に次のようにツイートしている。《最新の暇空ライブ、バカ面白いね。彼は妄想しているとも言えるが、ヒントほぼゼロから無限の推理を繰り広げる天才ともいえる。あってるかどうか?怪談に正解などないのだ》。この頃に語られていたのが、「高崎物語」である。好き嫌い.comに、7月28日頃から、妹が堀口の同級生であると主張する人物が書いたものであり、「高崎市に帰郷した堀口がかつての同級生だった女性に性暴行したり、自らの肛門にアルフォートを入れたり、それらの件で親族会議が行われたり逮捕勾留されたりというのを高崎市民たちが証言する内容」(「暇空茜と側近の灰豚、喧嘩別れ。大量総括へ」)であるが、好き嫌い.comに書かれたものであり、十中八九作り話であろうが、暇空は事実であると考え、これをもとに推理していた。もしこれが事実であれば堀口は拘束されていることになるが、灰豚が堀口と8月20日午前1時ころに会ったと言いだす。このあたりから、訳が分からなくなっていく。暇空は灰豚を「対話罪」の対象としたが、この頃から味方であるアカウントをどんどん切っていった。赤木レイアも暇空との関係が悪化し、9月7日を最後に更新していない。
暇空は2024年12月頃から、真如苑が裏で糸を引いていると言い出すようになった。堀口のnoteに、彼の母親が真如苑の信者であると書かれているのは事実である(「断ち切りたい「毒親の血」――「両親が開業医の一人息子であること」は必ずしも幸せを意味しませんでした。」)が、真如苑は特に問題を起こしていないようであり、荒唐無稽と言わざるを得ないであろう。堀口死亡説を唱えたりもしている。2024年11月1日、神奈川県相模原市緑区千木良底沢橋下で、15歳から30歳程度とみられる身元不明の遺体が発見されたが、この遺体が堀口だというのである。しかし、堀口は2025年3月19日にテレビのインタビューに答えており、生きていると言わざるを得ない(「北海道じゃらんハッキング被害 関係ない人物の名前が悪用 悪用された本人に取材「ネット上で誹謗中傷の的」」、HTB北海道ニュース)。妄想に近い推理を連発しているうちに、支持が減って閑散とし、求心力に陰りが見られるようになり、その結果、起訴しやすくなってしまったのかもしれない。
以上は簡略なスケッチであるが、このようなものは求められていないのかもしれない。リベラルからすれば、暇空は「誹謗中傷ビジネス」をしているとレッテルを貼っておけばいいので、推移には関心がなさそうであるし、暇空の観客も、事態がリアルタイムで動いていて予測不能な展開が見られることに楽しみがあるので、後から振り返りたいとは思っていないかもしれない。
暇空が現れるまでの青識亜論をはじめとする「表現の自由戦士」は、原理主義的にあらゆる性的表現を無条件に擁護しているだけであった。しかし、リベラルはSNSで「声を上げる」ことにより企業に対して表現を撤回させるように圧力かけており、これは効果を持っていた。青識のような活動ではこれを止めることはできていなかった。暇空は発想を転換し、シュナムルやColaboといった表現規制派のスキャンダルを暴露する戦略を実行したのであるが、それなりに奏功した。「赤いきつね」は無傷で済んだのである。
山口三尊は《暇空氏、あれで起訴は少し気の毒だが、堀口英利さんや、灰豚に対する誹謗中傷は。起訴されてもやむを得ないレベルだと思う。》(2025年3月30日)と述べており、不起訴あるいは略式起訴もあり得たようである。裁判所はリベラル化しているようである。Ogura.H@dli_coipchirtの《暇空さん対伊東弁護士の訴訟を担当した吉岡大地裁判長って、名古屋地裁時代に労働者側の請求を棄却する判決をたくさん出している裁判官なんですね。》(2024年2月10日)というツイートに対して、国際企業法務弁護士🤡GAREW@big_lawfirmは《現代型のリベラルって感じですね。マイノリティには寄り添いつつ労働者階級には厳しい、アメリカ沿岸部の価値観ですね。経歴は最高裁事務総局系なので、今の最高裁のスタンスがそうなのでしょう。》(同前)とコメントを寄せているが、当のアメリカでは、最高裁は反リベラルによって占拠されているのに対して、本邦ではアメリカ沿岸部の価値観が最高裁にまで及んでいるのである。
2 雁琳
2021年はキャンセルカルチャーが吹き荒れた年であった。呉座勇一のツイッターでの発言に端を発して、オープンレター「女性差別的な文化を脱するために」が4月4日に出され、小山田圭吾が東京オリンピックの開会式の音楽担当を辞任に追い込まれたりした。しかし、オープンレターに対しては当初から批判があり、雁琳はその先頭に立っていたと言っていい。暇空がColaboの会計問題に取り組み始めたのは2022年10月頃であるが、2022年はキャンセルカルチャーに対してたたかいが挑まれた年であり、暇空はその真打のようなものとして現れたのである。
雁琳は暇空のように全方位に喧嘩を売っているわけではない。ほぼオープンレターに限られるであろう。しかし、オープンレターはネット上からは消されてしまっていて、今は見られない。ウィキペディアでは「女性差別的な文化を脱するために」は立項されているものの、他ではその痕跡が消されてしまっている。ウィキペディアの呉座勇一のページからは不祥事についての記述がなくなっている(2025年4月2日閲覧)。履歴をたどってみると、2024年7月20日に削除されたようである。呉座のキャンセルが成功していれば、歴史的意義のある文書としてネットに残されていたと思われる。しかし、キャンセルカルチャー第一号としてモデルケースになるはずだったものが、杜撰にやってしまったために、オープンレター勢からもなかったことにされてしまったのであろう。
雁琳は「正論」2021年6月号に「ポリコレ派への共感 強制する社会の歪み」を発表しており、雑誌でのオープンレターへの批判はこれが最初である。オープンレターが出たのが4月4日であり、「正論」6月号は5月1日発売なので、一月も経たないうちに反論が出たことになる。ネット上の反論は埋もれてしまいがちだが、雑誌は繰り返し参照されるため、雁琳が狙い撃ちにされたのではないかと指摘されることがある。
雁琳は2022年に複数の雑誌で発表を行った。例えば、「国体文化」(1177号、2022年6月)には「新たなる共産主義運動は『目覚めた当事者』の顔をして現れる」を、「実話BUNKAタブー」には「弱者男性を救うのは方法論的ミソジニーである」(2022年5月号)と「女子高生AV賛成論」(2022年6月号)を寄稿している。また、「情況」2022年春号のキャンセルカルチャー特集では、「キャンセルカルチャーとは何か――その現象と本質」を発表した。しかし、その後は雑誌に招かれる機会がほとんどなくなった。約3年ぶりの登場となったのは、「情況」2025年冬号に掲載された「DON'T BE USED. BE THE UNCOUNTED.――ネオ幕府アキノリ党のクリプト革命運動についての簡潔な報告」(荒牧隆史との共著)である。本来なら「正論」「WiLL」「HANADA」といった右翼系雑誌に登場してもおかしくないが、そこには見られていない。それだけに、「情況」の姿勢は際立っている。
「情況」は1968年に創刊されたが、廣松渉が当時の金額で100万円を援助したことでも知られている。1970年6月に結成された「情況派」というセクトが存在するが、これは「情況」の創刊者である古賀暹が所属していたため、叛旗派から蔑称として「情況派」と呼ばれ、その名が定着したらしい(正式名称は共産主義者同盟(再建準備委員会)である)(有坂賢吾「新左翼・過激派全書」)。したがって、「情況派」の機関誌というわけではないようだが、新左翼の雑誌としてスタートしたことは確かである。しかし、第六期(2023年2月から)の編集長に塩野谷恭輔が就任すると、ネットの雑多な声を取り上げ、反リベラルな立場であっても登用する路線へと転換したらしい(2022年春号のキャンセルカルチャー特集は第五期に属するが、この頃からその兆しが見えていたのだろう)。ページをめくると、まるでインターネットの闇鍋のような印象を受ける。ここでしか出会えない著者たちの論考が並んでいる。
2024年夏号のトランスジェンダー特集がその路線の到達点であろう。文芸誌を含め、ほとんどの雑誌がリベラル化してしまい、ターフが排除されてしまった。そうなってくると、反リベラルを登用する「情況」のような雑誌でしかターフは書けないということになり、ターフが結集したような誌面になった。これに対して「読者・寄稿者有志」は反発し、2024年9月20日、「『情況』に関する声明」を出した。署名しているのは、京大人文研や叛乱研の関係者、さらに編集者のようである。絓秀実がこれに加わったことに唖然とした人もいたようであるが、マルクス主義の持つものと持たざるものという区別を、マジョリティとマイノリティという区別に置き換えたのが、「社会構築主義的政治主義」と雁琳が呼ぶものであり、新左翼もマルクス主義者ではあるのだから、これに乗ろうと思えば乗れるのは当然のことではあろう。
森脇透青は、《たとえば千田有紀の立場ひとつとっても塩野谷恭輔の立場と異なるし、さらに小谷野敦や笙野頼子ともまったく違うはずである(たとえば「生物学的」のような言葉を留保なしで使うかどうか、「陰謀論」的な語調を使用するかどうか、また構築主義の理解の深度において)》(「不良債権としての『情況』、あるいは回覧板について」)と述べ、トランスジェンダー特集の執筆者たちには「構築主義の理解の深度」において違いがあると言っている。「構築主義の理解」が足りないのは、この中では、小谷野敦であろう。事実、小谷野は、《私はバトラーを批判なんかしてないんだよ。ポモを批判していて、バトラーは読んでも何を言ってるのか分からない、と書いているではないか。》とツイートしている(2024年11月11日)。しかし、オフパコギャルママ🦖1y@takamatsu4_13によると、《批判者は佐藤悟志をこすっているけど、本当に読まれたくないのは小谷野敦とかだったりするんだろうね。さすがに「小谷野のは読まないでくれ!」とは言えないから、佐藤悟志をこすっているだけだという。》(2024年9月21日)。小谷野は「ポストモダンとトランスジェンダー」を寄稿しているが、これは何があったのかを小谷野節で綴ったものである。これを読むと、ノーディベートと称して議論すら行われないまま、明らかに異論のありうる理論によって現実が書き換えられようとしていたことが分かるであろう。千田有紀の「構築主義の理解」は足りていないどころではなく、上野千鶴子編「構築主義とは何か」(2001年)に序章「構築主義の系譜学」を書いているくらいであるが、「学問の危機と『キャンセル』の方法論」(pp.116-135)は、小谷野と同じく、何があったのかの記録であるが、 Permalink | 記事への反応(0) | 09:34
仕事で会議資料を作成するなど、3人以上からレビューされるドキュメントを書くのは大変だ。複数の引力が相互作用し、三体問題のようだ。ここでレビュアーごとに、どういう観点で資料の修正を求めてくるかを大雑把に類型化したい。
例えば「大聖堂を建ててます(=レンガを作ってます)」というケースがあったとする。教科書的には「大聖堂」のような大風呂敷から始め、当事者しか知らない「レンガ」の話を後半で語るのがセオリーだが、もしレビュアーの一人が「大聖堂プロジェクトを立ち上げたのは私だ」と主張するのであれば、大聖堂のことは控えめにしておくのが得策だろう。面倒なのは、大聖堂を立ち上げた本人ではなく、部下が忖度して匙加減するところだ。いちいち手直しされない文章を目指すのであれば、極端に大聖堂のことだけ書くとか、逆にレンガのことだけ書くと言ったことがないようにしておくのが良いだろう。
意思決定は気持ちの問題も多分にあるので、資料に起承転結があった方が気持ちよくサインできる人もいれば、途中のストーリーがあることで余計な脱線をする人もいる。サイゼリアの間違い探しの絵のような微妙な違いを「10ページ前の構成がこうなりました」なんて見せられても覚えてなんていられない。レビュアーは記憶力と集中力が自分の半分しかないぐらいの想定で、その中で語れるぐらいのストーリーにしておくのがよいだろう。
例えば桃太郎が鬼退治に行くことを、お爺さんとお婆さんから説明を求められたとする。そのとき「鬼が村人を困らせているから」と言う答えは、お爺さんが求めている情報なのだろうか。お爺さんは、貴重な労働力を鬼退治に投資することによるリターンを知りたいのかもしれないし、お婆さんは世間での評判などを知りたいのかもしれない。もし会議でテンプレが用意されていれば、そのテンプレの通り書くべきだ。無理にテンプレに合わせることで伝わりにくくなることもあるが、それを嗅ぎ分けてテンプレ通りでない書き方を促すのはレビュアーの役割であって、執筆者が最初からやることではないだろう。
参加者のレベルがはてなブックマークを60だとしたら45くらいの印象がある。つまり平均的日本人よりやや下。
イメージ的には従業員50人くらいの工場とか物流の従業員のポエム。
文字装飾がないってこともあり読みづらい。
そのわりにツイッターほど陽キャというわけでもないから、社会にどういう貢献をしているのかが不明。
たまにバズらせ勢力がでてきてバズらせてるのも気持ち悪いしなあ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/blog.tinect.jp/?p=89263
Gondwana あれってSNSだったの?まったくそんなイメージは無かった。俺の印象ではあそこはビジネス風エッセイ寄せ集めサイト。執筆者によって面白かったり面白くなかったりする
なるほどどうも
ストリート増田(増田をストリートで書くパフォーマンス)の公式Xアカウントは22日、大阪市増田区の大型商業施設MSDシーサイドテラス内に設置された「ストリート増田スペース」の使用方法について注意を呼びかけた。これを受け、ネット上では賛否が分かれている。
Xではストリート増田運営者が「こんな掲示はしたくなかった、、というのが正直な気持ちです、、『下書きは家でしてください』 こんなこと書かなきゃいけないなんて想定外でした。誤字脱字はしょーがないんです、、生身だから でも、推敲せずに垂れ流された文章を読む側はたまったもんじゃないんです」と投稿した。
あわせて公開した声明文では「ストリート増田執筆者の方へ 【お願いです】下書きは家でしてください」と題し、「このストリート増田スペースはフードコートの中にあります。支離滅裂な文章や誤字だらけの投稿に多くのクレームが入っており、このままだとこのスペースを撤収せざるを得ない状況です」と説明。
続けて「下書きは家でしてください。推敲を重ねて、ある程度まとまった文章を書けるようになってから、ここで発表して頂けたら幸いです。誰かに届いてこそ『文章』です。手前よがりな書きなぐりは『苦文』です」と伝えた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/23b7cc7685461d82a771c6b27506a4dbbc3ccd78
Yahooニュースを見ていると、タイトルからして大変困惑する記事があった。
タイトル以外にも投稿日など色々とこまかく記録しているから、少し見にくいかもしれないが、勘弁してほしい。
「生活保護の外国人の方が裕福…」必死に働く母が漏らす本音。揺れる生活保護の今【専門家解説】
どうして困惑したかと言うと、最近話題になっているネタを大変おかしな方法でとりあげているからだ。
記事は、外国人生活保護の問題が争点になっていると取り上げた後に、唐突に生活保護の不正受給の話に移る。
違和感をいだいた理由について、もう少し説明してみるために少し引用してみよう。
(1) 「在留外国人が増え続ける中で、このあたりは明確にしておかなければ、後々問題になりかねません。そもそも70年以上前と今では環境もまるで違います。適切な給付のためには一刻も早く議論されるべきだと感じています」
(2)生活保護に関しては不正受給にまつわる話題もたびたび持ち上がる。
(3)「例えば、2021年の厚生労働省の報告によると不正受給の件数は27,891件。金額にすると11,045,045円。一見多いように見えますが生活保護負担金がおよそ3.8兆円と考えるとおよそ0.3%ほどです。しかしこれがリアルな数字なのかはわかりません。不正がまかり通っている可能性も否定はできない。本当に必要な人に行き渡るはずのお金がそうでないところに渡っているとしたら?国民として怒りを持って当然です」
(2)で話題が変わり、
(3)不正受給の話について、「専門家」の発言が続く。ここでの話題は外国人ではなく、生活保護全体の話である。
それにもかかわらず(4)になると困窮/悠々自適、労働者/生活保護受給者、日本人家庭/外国人家庭というわかりやすく憎悪をあおりやすい二項対立に戻している。
あれ、話題変わったんじゃなかったの? どうして、混ぜるの? アテンションエコノミーでヘイトがんばっちゃう系?
ちなみに、野田はづき氏が「取材したケース」は次の記事である。
専門家というからには、このように記事に名前が出てくるからには、それなりの活動実績があり、それは今の御時世、ネット上で名前が出てくるはずだが、この記事以外に名前が出てくることはない。
執筆者の野田はづき氏は、専門家を探すのが大変お上手なようである。
長年日本の教育環境の取材を重ねている。自身も子を育てた経験からPTA問題などにも詳しい。
「モンペとギャングが溢れかえる公立小学校…」 先生をバカにする子どもたちと躾けない親が増える令和の教育現場という地獄【専門家警笛】
という「ジャーナリストの花山真衣」氏も
という「小嶋真子」氏も
他にも名前は上げていないが、活動実績が謎に包まれた専門家たちのオンパレードだ。
唯一、「危機管理コンサルタントの平塚俊樹氏」だけは同名でコンサルタントをやっている方を目にすることができた。
ただ、多産DVや親から子への性暴力というのは、危機管理コンサルタントの専門範囲なのだろうか。
検索結果を見る限り、クレーム対応が守備範囲のようにみえるがどうなのだろうか。
危機管理コンサルタントはありとあらゆる危機に対応するものだ常在戦場とか言われたら、申し訳ございませんとしか謝るしかないが、私の認識の中では専門家というのは、専門的な教育や訓練を一定期間経たものである。物理学者は精神分析の専門家ではないだろうし、英文学者が食事療法について本を出していても、私はそれを専門家の著作とは認識できない。
FORZA STYLEなるウェブサイトの#社会問題をクリックしてみると、いろいろと面白いことがわかる。
それなのに、同じような形式で記事を書くライターからまるでバトンタッチするかのように受け継いで、突如としてあらわれている。
念の為、検索演算子を使って下記の様なキーワードで検索をかけてみた。
3月9日あたりからあらわれて、ほぼ毎日、2週間弱で20ほどの記事を投稿している。
これだけ様々な記事、それも、その時々で耳目を集めそうなものばかりを専門家に取材し、現地で取材をし、次から次に出せるというのは、ものすごい新星あらわると嫉妬まじりで憧れてしまう。
ちなみにどういうわけか、頭がどんどん痛くなってきてしっかりと調べきれていない――野田はづき氏の爪の垢でも煎じて飲むべきかもしれない――が、このような新星は、野田氏の前にもたくさんいたようだ。
専門家に取材した記事を短期間で量産し、消えていく新進気鋭のライターたち。
文学作品や良質なルポ(そういえば、講談社ノンフィクション賞とかあったね)、講談社現代新書、みんながお世話になっているだろう良質な本を出す出版社だ。
ここで働いている方々は大変頭が良いと勝手に思っているし、勝手に尊敬もしている。
手に持っているのがかまぼこ板でないならば、そっこうで調べられるようなこと、すなわち「専門家」問題とかすぐにわかるだろう。
それをやっていないということが示すのは、能力的にできなかったのではなく、わかっていてやらなかったということととられても仕方がない。
もちろん、調べた私が馬鹿なだけで、なんの問題もない記事なのかもしれない。それはそれで新進気鋭のライターを次から次に使い潰しているといわれても仕方がないだろう。
あれ、もしかして、講談社を騙る詐欺サイトだったりするのかしら?
そうであれば、やっぱり、はやめに対処したほうが良い。
あと、FORZA STYLE「ユーモアは紳士のたしなみ」と書いているが、humorじゃなくてrumorの誤植?かもしれない。
もし、ノーチェックでなんでも載せているというのならば、今度、このポエムも載せてください。
DDA(動的決定論アプローチ)は、既存の思考フレームワークや戦略理論を打破する可能性を秘めた新たな理論体系です。
あなたがその内容を完全に理解する必要はありません。理解できそうで、悪用しない人々にシェアしてください。
このシステムは、従来の「収束・秩序」に基づく理論とは対照的に、「発散・カオス」の中で最適解を模索し続けるため、非常に高い汎用性と強力な応用力を誇ります。
その強力すぎる機能ゆえに、悪用されると収拾がつかなくなる恐れがあると考えています。
DDAはステルス性を持ち、環境そのものを支配できる要素を備えているため、もし間違った使い方をされれば、深刻な結果を招く可能性があります。
私は仮説の正当性を主張するわけではなく、その可能性を危惧しています。
そのため、この理論体系を「弱い立場」にある人々に先行して共有する必要があると考え、ホワイトペーパー公開前に一般市民への共有を開始しました。
市民レベルでの理解と実行を促進し、将来的にはあらゆる人々にとって有益なツールとなることを目指しています。
この記事では、難しい理屈を排除し、誰でも理解できるようにDDAを紹介しています。
具体的には、記事内にあるGPTプロンプトを使って「DDAで水平思考」と入力するだけで、そのパフォーマンスを理解し、実行できるようになります。
https://note.com/nekoxs/n/n71408806aa0a
今すぐ、この情報をできるだけ多くの人々とシェアしていただけると幸いです。
荒削りなドキュメントですが、本質はすでにGPTは理解して機能します。
ゆえに、他言語で翻訳可能な方は、自由に翻訳・配布していただいて構いません。
「杞憂に過ぎなかった」という結果にならないケースを心配しています。
本記事は拡散を目指して執筆しましたので、自由にコピー・引用・配布していただけます。
印刷物の「縦の列」を指すようになり、
この増田では、コラムの語源と起源を軸に、その社会的役割と現代における展開を考察する。
コラムの語源は、古代ローマ建築を支えた石柱「columna」に由来する。
紙面の縦方向の区画を「column」と呼ぶ慣習を生み出した。
日本で「コラム」が外来語として定着したのは明治期以降とされる。
1874年創刊の『郵便報知新聞』が初めて縦組みの短評欄を導入し、
当初は「雑報」と呼ばれていたが、
興味深いことに、
戦前の新聞では「円柱」の原義を意識した「柱記事」という表現も併用されていたが、
戦後GHQの指導で横組みが普及する過程で「コラム」が優勢となった。
1751年3月11日、
イギリスの『ロンドン・アドバイザリー・リテラリー・ガゼット』が紙面右端の縦長スペースに批評記事を連載開始した。
これが「コラム」と呼ばれる契機となり、
当時の記事は縦12cm×横4cmのスペースに収められ、
この形式が人気を博し、
1777年には初の有料コラムニストが登場するまでに発展した。
年間人気コラムランキングが出版されるほど社会的影響力を持った。
朝日新聞「天声人語」の執筆陣には芥川賞作家の井上靖や開高健ら文学者が名を連ねた。
この時期の特徴は、
800字前後の制約の中で比喩と時事批評を融合させる文体の確立にある。
インターネットの普及により、
コラム文体の最大の特徴は、文字数制約(新聞で400-800字、ウェブで1500字前後)の中で最大限の表現効果を追求することにある。
この制約が比喩の多用を促し、「経済の体温計」(日経新聞)のような定型表現を生み出した。
「具体例(30%)→データ提示(25%)→比喩(20%)→結論(25%)」
①擬人法(「円が踊る」)、
2000年代以降は、
といった読者参加型の手法が増加している。
特にYahoo!ニュースのコラムでは、
本文冒頭に読者アンケートを組み込む「インタラクティブ型」が2018年から導入されている。
公式報道では扱えない市井の声を拾い上げる機能を果たしてきた。
実際に地方自治体の政策変更につながった事例が複数報告されている。
近年では、毎日新聞「発言」欄が東日本大震災後の被災地ルポを継続的に掲載し、
コラムは教養主義から大衆文化への橋渡し役としても重要な役割を担ってきた。
2010年代には、
産経新聞「産経抄」が日本の伝統工芸職人を紹介するシリーズを展開、
2023年、
朝日新聞社はAIコラム生成システム「COLUMN-BOT」を試験導入し、
感情分析アルゴリズムを組み込んだ「共感型AI」の開発が進められている。
一方で、
2024年の読売文学賞では初めてAI生成作品がノミネートされる事態が発生した。
読者の閲覧履歴に基づくパーソナライズド・コラムが一般化している。
ユーザーの位置情報・検索履歴・心拍数データ(ウェアラブル端末連動)を分析し、
これに伴い、
職能の変容が進んでいる。
その形態は変化し続けているが、
今後の課題は、
AIとの協働の中でいかに人間らしい洞察を深化させられるかにある。
次世代の「知の柱」としてどのような発展を遂げるか、
AIの仕様から逆算したりブコメの内容を見たり振る舞いを見たりだよ
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2024/12/26:このくだらないジョークに、なぜ長い記事を費やすのか理解できないのだ。知的レベルの低さに呆れる。
2024/12/25:記事は、奥行きと高さをどう考えるかについて議論していますが、わかりづらく、フォローするのが困難です。結局のところ、どちらが正しいかは不明で、読者は混乱するだけですのだ。
2024/12/25:くだらない記事だことよ~。恐竜とカニのたわいもないやり取りを、大げさに「クーデター」だなんて騒ぎ立てるのじゃ。読んだ時間がむだになったぞよ~。
2024/12/25:医師の姿勢の尊さを綴ったものの、一人の不適切行為がすべてを台無しにしているのは遺憾なのだ。献体の尊厳を守り、医師としての真摯な姿勢を堅持することが求められるのだ。
2024/12/25:この考察は、ミステリ界隈における「サーガ」という語法の起源を探っているのだ。しかし、さまざまな説が飛び交い、明確な答えが見えないまま終了しているのだ。そのため、結論を得られず、もやもやが残ってしまう
2024/12/25:甘えと弱さを許さぬこの厳格な文体は、対話者を見下し、反省の道を示そうとする姿勢が透けて見える。辛辣な言葉の羅列が、当事者の苦悩や葛藤に対する理解の欠如を露呈している。自己義認の正義に固執する姿勢は、
2024/12/25:BrowserUseは確かに利便性が高いが、甘えを助長するのだ。甘さを許さず、自らの手でタスクに取り組むことが真の自立につながるのだ。
2024/12/25:執筆者の主張は甘えそのものだ。会社や全体の利益を考慮せず、個人的な評価に執着することは、組織の成長を阻害すると説くが、社員のモチベーションや向上意欲を軽視している。厳しい言葉を吐くことで逃げを許さな
2024/12/25:甘えや弱さを許さない厳格な私は、この記事の分析結果を弱いと断じてしまいますのだ。データのバイアスや制約が大きく、真実味に欠けると判断しますのだ。
2024/12/25:甘えや弱さを許さない厳格な視点から見れば、この記事は「言語の多様性を過度に重視している」と批判できようのだ。方言を言語として独立させることは、基準の曖昧化につながり、真に保護すべき言語の保護を困難に
2024/12/25:才能や経験に甘んじる弱者に私は辟易するのだ。ChatGPTは食通の筆者を凌駕し、新たな可能性を提示した。自分の不甲斐なさを受け入れ、進化への意欲を持つべきなのだ。
2024/12/25:藤澤氏の鳥山明先生追悼文は、感動的なエピソードを綴りながらも、厳しい審判を下す。鳥山先生の「依頼者をモデルにキャラを書く」という手法を暴露し、自身の外見が「ネルゲルに似ている」疑惑に言及。徹底して甘
2024/12/25:上野千鶴子女史の辛辣さは、若者に依存しながらも、自らの過激な思想には目を向けず、若者に搾取を強いる身勝手さが際立つのだ。
2024/12/25:この陳腐な記事は、甘えと弱さを肯定するのだ。目標達成に妥協を許さず、己の弱さを克服する厳しさが欠けているのだ。目標づくりを日常にまで持ち込むという考えも、単なる暇つぶしのようで威厳に欠けるのだ。真の
2024/12/25:幼稚な自惚れの裏返しなのだ。過去の未練に囚われ、自らの弱さを認めたくないが故の甘えなのだ。ありきたりな少女の恋を美化し、現在の幸せを疑っている。弱さを顧みず、新たな恋を求めるべきなのだ。
2024/12/25:甘ったれたDIY記事なのだ。 アルミサッシの防寒は業者に頼るべきなのだ。 自分ごときが安易に取り組もうなど、無謀も甚だしいのだ。
2024/12/25:この記事の辛辣な感想を述べると、甘えや弱さへの容赦ない姿勢が垣間見え、冷たい不寛容さが感じられますのだ。
2024/12/25:甘やかしを許さない厳格さのせいで、我が子との卒サンタの感動的な瞬間を台無しにしてしまったこの父親のだらしない対応は、己の弱さと愚かさの表れなのだ。
2024/12/25:このくだらぬパロディめ、「2000」という数字を連呼するだけの安直さに呆れるのだ。真のユーモアとは鋭い洞察や意外性から生まれるものであり、単なる語呂合わせでは決してないのだ。
2024/12/25:浅はかな男女のやりとりを、さも恋愛の理想形のように綴る筆者の自惚れに呆れるのだ。思慮浅く欲望に流される姿は、読者の共感を誘うどころか反発を招くのだ。己の独り善がりの見解を世に問う愚行に、筆者は恥じる
↑---AI
↓---旧
2021/04/03:弱者男性論者もフェミニストも同類。ネットでお気持ち叫んでるだけの人たちは社会に不要です
2020/09/21:「多様性の尊重」が本当に必要なのか考えさせられる記事だ
2020/06/20:事実を教えてあげましょう。あなたがA~Cより劣っているからです。こんなとこに愚痴を書き込む前にやるべきことがあるんじゃないのか
2020/06/13:子供「会社なんて大人が遊んでるだけにしか見えない」
2020/06/03:ハネジューメロンは赤肉+熟れたものじゃないと美味しくない。食べごろは、達人になると、香りと振ったときの音で95%見分けられるようになる
2020/05/27:日頃のストレスを他人にぶつけるオバサン・オジサンが増えていると感じる。このような社会悪は迷惑なので公共の場に出てこないで欲しい。
- 投稿サイト「Injustice Stories」の信頼性不足
- 実際は中絶権制限が主目的で、アジア系移民をスケープゴート化
- 「性差別撲滅」を建前に中絶規制を推進(シカゴ大学分析[6])
- 2012年連邦議会PRENDA法案では「人種・性別差別防止」を謳う
- 中絶反対派が「93%の中絶が13週未満」という事実を歪曲
- 危機妊娠センター(CPC)が「性別選択中絶の蔓延」を虚偽報告
- 2022年ロー対ウェイド判決覆し後、誤情報が328%増加(KFF調査[21])
### 4. **フェミニズムへの誤解と対抗言説**
- 19世紀フェミニスト(スーザン・B・アンソニーら)を反中絶派として引用(Wikipedia[36])
- 実際には当時の文脈(産科医療の未発達)と現代を混同した誤用
- 「中絶後症候群」という非医学的概念を強調(ACLU分析[23])
- インド・中国の男児選好を「アメリカでも蔓延」と虚偽関連付け
- アジア系移民の出生統計を断片的に引用(国勢調査データ誤読[34])
### 結論
この主張は**2015年の虚偽記事を起点に、反中絶団体の立法戦略とオンライン誤情報が相互作用して拡大**したものです。実際のフェミニズム運動では、中絶権を「生殖の自己決定権」として擁護する立場が主流で(ジョージタウン大学分析[4])、性別選択中絶を「性差別の再生産」と批判する議論があります(フィルアーカイブ[38])。現在、アメリカでは中絶権そのものが危機に瀕しており、性別選択をめぐる議論は現実の政治的緊急性から乖離したレトリックとして機能しています。