はてなキーワード: カラカラとは
人がぎゅうぎゅうに詰まっていればあきらめもつくのだが、ひとりきりで乗ると、あの箱の中は、ちょっとした自分専用のスタジオになる。
わたしのローファーがそっと床をたたく。コトン。ドン。――あの低い響きがいい。まるでバスドラム。
自然と手が動く。指先で軽くリズムを刻む。床の下は空洞なので、やけに低音がよく響くのだ。これが妙に気持ちいい。次に手でリズムをとる。パパパン、パパパン、パン。自然とお気に入りのサンバのリズムになる。あとはもう止まらない。
途中でふと思う。もし監視カメラの映像を見ている人がいたらどう思うだろうか。
「またやってる、あのローファーの人」
なんてあだ名がついているかもしれない。だが、そんなことはどうでもいい。あの数秒間の“無重力の時間”を、ただ上品にじっと立って過ごすなんてもったいない。わたしにとってエレベーターは、心のメトロノームを整える大切な装置なのだ。
演奏もノッてきて、いまにも踊りだしたい気分のなか、ピン、という到着音が鳴る。
ドアが開く。演奏は終わる。
ドラムス、わたし。観客、ゼロ。拍手もゼロ。だが、なぜか心はちょっとだけ晴れやかだ。
何事もなかったように髪を直し、まっすぐ前を向く。
外の世界に出ていくわたしの足元では、ローファーがまだ、ほんの少しだけ跳ねている。
ときどき、こういう文章をAIにつくってもらうのが最近のちょっとした気晴らし。
たかが十数秒の移動時間に、上下関係も礼儀作法も、そして日本独特の「気づかい文化」も、すべて詰まっている。
欧米では、女性と乗り合わせた男性は奥に立ってはいけないという。
女性の背後に男性が立つと不安を与える――そういう理屈らしい。だから女性はドアのそば、男性は奥へ。それでバランスがとれる。
ここでは、奥が“上座”である。上司や来客を奥へ通し、目下の者が手前で「開」ボタンを押す。つまり、最後まで残ってボタンを押す者こそが、いちばんの下座なのだ。
エレベーターが動き出すと、自然に手前の位置に収まり、指を「開」ボタンに添える。
――目下の女性は、番人のようにドアの手前に立つ。
最後の瞬間まで(開)を押し続け、すべての人が安全に降りるのを見届ける。
そして、最後に自分が降りるその刹那、体をよじらせてまで(閉)ボタンを押す。
去りゆく背中に向けて、残された人たちが少しでも快適であるように。
ピン、と到着音。
最後に指先をひねるようにして(閉)を押すと、ドアはすっと静かに閉まった。
――誰も気づかないほんの一秒の所作。
けれど、その一秒のために、日本のエレベーターは今日も穏やかに上下しているのだ。
ときどき、こういう文章をAIにつくってもらうのが最近のちょっとした気晴らし。
まだ頭のエンジンがかかりきっていない時間帯に、人と人とが沈黙のまま、数平方メートルの箱の中で呼吸を合わせる。
そんな朝に限って、なぜか私は両手いっぱいにごみ袋を持っている。しかも三袋。
いつもはこまめに出しているのに、今朝に限って溜まっていた。
昭和のころなら「燃える」「燃えない」くらいで済んだが、いまは「プラ」「紙」「ペットボトル」と分別がややこしい。
そして、よりによって――
「一階まで直通で行きたい」と願う日に限って、乗ってくる、乗ってくる。
二階でひとり、三階でまたひとり。
そのたびに私は、ごみ袋を抱えたまま少しずつ後退し、ついには奥の壁の隅へと追い詰められる。
ごみ袋が前の人に触れないように、腕の角度を微調整。
ペットボトルの袋がカサッと鳴るたびに、全身の神経がピクリと反応する。
――これが朝の神経戦である。
やっとのことで一階に到着。
ドアが開くと同時に、三袋を引き連れて外へ出る。空き缶がカラカラ鳴ってまるで子ヤギの鈴だ。
ごみを置いて手が空いた瞬間、エレベーターの中のあの沈黙が少し懐かしく思える。
ほんの数十秒の乗車時間――だが、そこには社会の圧縮ファイルのように、気づかいと緊張と分別の哲学が詰まっているのだ。
ときどき、こういう文章をAIにつくってもらうのが最近のちょっとした気晴らし。
駅から近いくせに、人通りは少なく、どこか路地裏のにおいがする。
飲食店と事務所と、なぜか整体院が混在している、昭和の名残のようなビルだ。
朝のエレベーターはたいてい俺ひとり。
無音の箱がゆっくり上昇していく短い時間が、ちょっとした気持ちの切り替えになる。
その日も、いつものように慣れた指先で「ピッ」とボタンを押した。
七階に着くはず――だった。
ところが。
薄暗い照明の奥へ、赤い鳥居がずらりと連なっている。
遠近感が狂いそうなほど、ずうーーっと続いている・・・ようにみえたが、錯覚だった。
だがボタンを見ると、「8」が光っている。
……押し間違えたらしい。
そうか、と胸の奥で何かがコトンと鳴る。
前の会社は八階だった。
意識しなくても、指が“丸八”を覚えていたのだ。
「八幡神社の丸八」みたいだな、とふと思う。
そっと「閉」ボタンを押す。
赤い鳥居と“丸八”の光が、じわりと胸の奥に残っていた。
七階の扉が開く。
でも時々思う。
そのせいで、ふと別の世界のドアが開くのかもしれない――と。
ときどき、こういう文章をAIにつくってもらうのが最近のちょっとした気晴らし。
――マンションのエレベーターというのは、ちょっとした“自治社会の掲示板”である。
あの狭い壁面には、住民の息づかいと管理組合の苦労と、そしてときどき発生する謎の個人制作チラシが、ぎゅうっと貼り並んでいる。
消防設備点検のお知らせ、粗大ごみ出しのルール徹底、管理組合理事会の案内。
そして、上下階の騒音問題――おそらく管理人にクレームがいったであろう案件も、「○階の皆さまへ」などと、やんわりと、しかしじわじわ刺す文体で貼られている。
中には「〇階付近」と、ギリギリ個人特定にならない程度に範囲を狭めてくる注意書きもあり、これがまた絶妙にいやらしい。
管理組合名義とはいえ、実質“言いたいことを管理人に外注”している感がにじみ出ている。
通常、掲示物は管理人が貼るのだが、ごくまれに、明らかに住民が勝手に作って貼ったものを見かける。
文章は微妙に感情的、フォントは謎に凝っており、そして貼り方が妙に強い。
よほど業を煮やしたのだろう。
ある朝、エレベーターの鏡に直接貼られた紙を見て、思わず声を失った。
「鏡を手あぶらで汚すな!!」
……おいおい、それを剥がすとき、鏡が汚れるだろう。
いや、鏡が傷つく可能性すらあるぞ。
注意のために鏡をむしろ“犠牲”にするとは、なんという本末転倒。
いや、あなたのほうがよっぽど鏡の美観を損ねてますよ、と心の中で突っ込んだ。
たぶん、あれは隠居爺だ。
日々やることがなくて、イライラが溜まっているに違いない。
エレベーターが小さな舞台なら、あの爺さんは毎朝そこで、独自の幕間劇を上演しているのだろう。
エレベーターが一階に着く。
ドアが開くと同時に、外の空気が少し冷たく感じる。
振り返ると、鏡に貼られた勝手チラシがどことなく誇らしげに揺れていた。
yumegocochiLABOの商品レビューが、何度投稿しても消されてしまうので、ここに書く。
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いびき解消を目的に購入しましたが、結論から言えば、使って後悔しています。そもそも鼻呼吸ができないから仕方なく口呼吸をしているわけで、根本的な原因を無視して口をテープで塞げば解決する、という発想自体が乱暴すぎます。案の定、この商品を使い始めてから睡眠の質は著しく低下し、翌朝は喉がカラカラに乾き、疲労感が抜けなくなりました。免疫力も落ちたのか、風邪のような症状が続き、最終的には使用を断念しました。
そもそも「口呼吸は万病のもと」といった恐怖を煽るのは、商売っ気の強い歯科医や企業ばかりです。本来、口呼吸の原因は鼻詰まりやアレルギー、鼻中隔湾曲といった医学的な問題であり、口を塞ぐだけで解決するほど単純ではありません。にもかかわらず、この手の商品は根本的な改善ではなく、症状を力技で押さえ込むことを推奨し、利用者の健康リスクは二の次という姿勢が透けて見えます。
さらに疑問なのは、商品ページにある「睡眠のプロ監修・福光佳奈子先生」という文言です。一見、専門家による信頼性が担保されているように見えますが、よく調べると医師ではないようです。「先生」という肩書きだけで権威を演出し、あたかも医療的な裏付けがあるかのように装っているのは悪質と言わざるを得ません。睡眠の質や健康に関わるデリケートな問題を、安易な商品で解決しようとする前に、まずは専門の医療機関で根本的な原因を探るべきです。
結局のところ、この商品は一時的な対症療法にもならず、かえって健康を損なうリスクがあると実感しました。真剣にいびきを解消したい方には、決しておすすめできません。
昨日店を出てその日のうちに思いを吐き出したくて書きました。二十代前半の彼女できたことない大学生が初めて風俗に行った日記です。
時間ができたので風俗に行こうと突然思い立つ。これまでもいつか行こうと思っていたが、なぜかこの日決心がつく。
まずどこに行くかだ。YouTubeで風俗レビュー系の動画はよく見るのでオナクラが安いという知識はあった。金もないし、緊張でイけるかどうか、勃つかどうかすら不安だったので、安いとこがいいなと思ったからだ。
事前に体を洗ってレッツゴー!
とりあえず店の周辺に来た店の通りに入ることなくウロウロ。店の前はおろか、人通りの多い道からほんの一歩進むとそういう店がずらっと並んでいるのに圧倒され、普段はウキウキで通るのにいざ行くと決心すると、途端に敷居が高く、とても大きくみえてくる。
コンビニでお茶を買いカラカラの喉を潤し、いざ一つ中の道に入る。キャッチいっぱいだ!怖い。独特の空気に圧倒され心臓バクバク汗ダラダラのままとりあえず一通り見てキャッチをガン無視して大通りに出る。無理かも。
ちょっと通りから離れたところでスマホイジイジ。その店の様子を伺う。こんなにビビってて本当にちんこは勃つのかと不安になりながらしかしこのままノコノコ帰るのモヤモヤが残るので、ウダウダ。しかし決心がつかず。
5分くらいして、店に出入りがある。
(誰か出てきた! 仲間だ!誰か入った仲間だ!よし!行こう!!)
店「予約されてますか?」
自「してません」
店「こちらでお待ちください」
12番の番号札をもらう。(まあまあ使用感があるな。ファミレスのメニュー表の倍汚い感じ)
待機所へ入る。四人いる。待つ。三人くる。みんな普通の人だな。えらいが椅子ギコギコ鳴るな。
店員に呼ばれる。
店「初めてですか?」
自「初めてです。」
店「人気コースはこれです。」
自「じゃあそれで」
(待合室ではこれにしようと決めてたけど、一番人気のコースだから選びましたみたいな感じになってホッとする。自分の性癖を見ず知らずの人に開陳するのは恥ずかしいから。)
自「こういうとこ初めてなんで人気の子がいいと思うけどどうですかね?」
店「当店全ての女の子が人気なのでどの子を選んでもどうちゃらこうちゃら」
(壁に貼ってた人気そうな子と他の子の違いなんて写真だけじゃ分からんかったし、ランキングはあるけど、そんなに突出して差があるわけでもないのかな。よくわからんがフリーでまあええか)
自「じゃフリーで」
待機所で先に呼ばれてた人と一緒に階段を登る。
トイレは大丈夫かと聞かれるが念の為に行けばいいものを何故か断る。階段を登った後「やっぱ行きます」と言う、店員がもう女の子呼んでますよと言われ感じがして結局行かず。
(こうやって何度も微妙な尿意をほっておいて夜にトイレにベットから起きることから何も学ばない。ただでさえ緊張してるのに何故か少しでも万全の体制で挑もうとしない、準備という言葉を知らないカス。)
部屋に入る。広い。明るい。風呂場が半分のスペースを占める部屋に驚く。
ここでするんだもう逃げられないぞと思うと更に緊張してきた。
スマホで時間を潰す。エロ動画を見ても一向に勃つ気配がなく、リラックスするために適当にTwitterを見るも、何も入ってこない。全て目が滑る。尿意を気にしながら無意味な時間を過ごす。
コンコン。扉が開く
来た!!全然ブスじゃない。可愛い。よかった。フリーでも良かったんだ。あれでもなんか化粧が好みでないような。いや、化粧のケの字もわからないけど。だが、さっき道でもっと可愛い子いたなとか、ケバい感じがしてこの店でもっといい子いたんだろうなという思いもあった。
女「よろしく。〇〇です。」
自「初めてで緊張する」
女「えーそうなんだ」
女「シャワー浴びた?」
自「事前にシャワー浴びてきたから、浴びてないです。浴びた方が良かった?」
自「そうなんだ」
女「服脱いでー」
自「はい」
この時は本当にそうなんだとしか思ってなかったが、普通に考えれば汗かいた男は余程の物好きでもない限り避けたいのだが店に来る前には洗うのに直前で洗わないと言う、真逆のことをしてる。バカ。緊張の中、この熱い日に歩き回って汗かいているのに。
風俗で家で洗ってきたから大丈夫とシャワーが必ず必要なのに入りたがらないヤバ客みたいな話は知っていた。だが自分は店から入れと言われなければ入らない。少し考えたらわかることをしない指示待ち人間のカス
脱ぎ終わると初めて生で見る女の上裸に興奮した。しかし胸は大きいとは言えず、おっぱいよりお腹の方が大きい。デブではないがお世辞にもスタイルがいいと言えずがっかり。
ローション大丈夫な人?と聞かれ、はいと答える。(あっ、こんなにすぐにプレイに入るんだ。もうちょっと会話するもんだと思ってたけど、なんで話しかければいいかわかんないしありがたいな。と呑気なことを思う。)
緊張し、皮の余りまくったシナシナのチンコをローションまみれの手で触られるとあら不思議。緊張のキの字もなく一瞬で勃ち上がる。緊張で血流が良くなったのかなと思うほど少し余裕すら感じた。
そして、おっぱいを触っていいか聞き、触れる。揉む。あまり大きくないので揉むと言うより、手で覆うと言う感じだった。
(おお!おぉーー。すごいぞ!へぇーー。おお?うーん。なるほどねぇ。そっかぁ。そうなのか。そうかそうか、つまりそういうことなんだね。おっぱいって、)
約10年の付き合いの右手恋人がセックスという言葉も知らない頃から憧れた「おっぱいを触る」と言う偉業を成し遂げているにも関わらず、求めてた幸せを掴んでるはずなのに、なぜか右手は自分のチンコを求めていた。
思ったより、手コキが気持ちよくなかったのだ。ボッキした時の興奮は初めて触られたことによる興奮で気持ちいいからではなかったからなのかもしれない。
気持ちよかった手コキが、ただ勃起を維持するための手コキへと変わる。イけるのかという不安を感じる。こうなるとどんどん雑念が出てくる。
(無言気まずいな。部屋明るいな。いつもはこんな明るい中シコってないよ。あと何分あるのかな。爪がすごい長いな。違うよ、気持ちいとこはそこじゃないよ。あれ思ったよりおっぱいっていいもんじゃないぞ。)
最後のこれが一番ショックだった。
なんかおっぱいなら特別な感触があるかと思ってたけど、ただの脂肪だった。
太った男の乳を揉むのと変わらないんだろうなと思うくらい楽しくない。おっぱいを揉んでいるという情報を食って心を慰めてるだけだった。
本当に悲しい。こんなことなら眺めてるだけでよかったのに。上下に振動してる胸部を見て、その中には夢と希望に満ち溢れているだろうなと妄想してたままでいた方が良かった。おっぱいではなくただの脂肪だった。
ああ、デンジくんやっとわかったよ。
一生わかりたくなかったけど。
君もこんな気持ちだったんだね。
でも君はこの絶望ををマキマさんが振り払ってくれてたね。
僕のマキマさんはどこにいますか?
あれ、そういえば結局マキマさんのおっぱい揉めたんだっけ?
きみはおっぱいに変わる目標をマキマさんから教えてもらったけど結局それはなんだったの?ねえ、僕のマキマさんはどこにいますか?
なんていう店で働いてますか?
三万あれば足りるんでしょうか?
きもいね
それとも、まだ本当にいいおっぱいに出会ってないだけなんでしょうか。
「このおっぱいに比べたらあの時のおっぱいはカスや」と言えるような日は来るのでしょうか。
そんなこんなでこれまでにないほど意識をチンコに集中させながら、体勢を変え、電気を暗くし、足を絡めてもらったが、一向に良くなる気配はない。足は綺麗だった。この辺りでで機械のように一定のペースで上下運動を繰り返すだけの女に(こいつに俺のチンコは任せられない)と心が折れ、チンコも折れた。
自分でシコりますと言い目を閉じ申し訳程度におっぱいを触りながら。終了のタイマーが鳴る。
射精できずに終了した。
ローションをシャワーで落とし、拭いて無言の時間。「何歳?」と聞かれ、答える。「何歳?」と聞き返し、答えてもらう。「そう」とだけいうと、そんなに変わらなくない?とどこか非難のこもった返答が返ってくる。俺の反応が何かその年齢に対して不満であるように伝わっていたのだろうか。わからない。コミュニケーションは三択で示されるゲームしな習ってないから。もう何も分からない。いや、初めから何もわかってない。違う、いやそうなんだけど、イけなかったショックと悲しさと金が無駄になった後悔で不機嫌が滲み出てたんだだろう。ただでさえ愛想がないのに。
「部屋暗くすると眠くなるね」と当たり前のことを言われ。そら退屈で苦痛で時間が過ぎるのを待ち遠しく思って眠たくもなるだろう。いやだよなこんな客は。
女の子がドアを開け一緒に出る。階段のとこまで一緒に行く。ありがとうバイバイと手を振ってくれたので自分もありがとうと返し、手を振った。手を振るなんてしばらくやってないし、階段を降りながらでさよならも上手く言えなかったと思うと何から何まで上手く行かないなと思った。廊下のライトが逆光で顔が見れなかったのが唯一の救いだった。申し訳なかったから。
店の外にでた。風俗に行ったという興奮と、風俗がこんなもんだったという無念が打ち消しあい、次こそは!という熱い気持ちと少しのモヤモヤが残った。
こうして昨日のことを思い返すと反省点は下記のようになるのかなと思う。
・前日にシコったこと。
その日行くぞと思ってからじゃ遅い。行く前から風俗は始まってるんだ。前日にシコってもどんな体調でも自慰行為はするので、まあいいかと思ってた。なるべくリラックスできるよう万全の体調で挑むべき。貯めるのは大事なんだろうな。
・よく調べずに勢いだけで行ったこと。
直前にシャワーを浴びなかったこともそうだが、二人でいいプレイを作るということも分からず受け身でお客様気分でいたこと。もっとこたらからいい空気にしようとしなかった。気まずい空気の中射精できるほど肝が座ってないのに。
・初めてで、できれば上手い人がいいなと思っていたにも関わらず、新人に当たることも考慮せず千円ケチってフリーにしたこと。
・どんなオナニーをしているかという自己分析が足りなかったこと。
普段から乳首を触らないとイけないのにオプションでつけなかったのか。(これに関してはシャワーを浴びずに挑んだので逆につけなくて良かったと言える。申し訳ないからね)
女の子には申し訳ない気持ちがあったが欲を言うならもう少し、緩急をつけて触って欲しかった。爪が長いのも怖かった。
店員も初めてと言ったのに新人の子をつけるなんてと思ったが、そう言うのは自分で指名してやるもんだよな。八つ当たりだよな。
相手の女の子には本当申し訳ない気持ちでいっぱいだったし、ほとんど自分が悪いので次は万全の状態で挑みたい。
反省点が間違ってたり、他にもマナーや、やるべきことがあったら教えて欲しい。あとどんな店に行けばいいのかも。やっぱりソープなの?セックスには興味ないと言えば嘘になるかど、自分のやりたいこととしては、おっぱい触って射精したい。普段の自慰行為も結構強く握ってるんだと方だと思うんだけど少しの刺激でいけるようにすべきなのかな。
タケルは、もはや教室にいる自分を認識していなかった。あるいは、教室という概念そのものが、彼にとって意味をなさなくなっていた。広大な宇宙、無数の情報が光の粒となって飛び交う中、彼は自らの意志で一つの場所を選び取る。そこは、東京の片隅にある小さな定食屋だった。
カラカラと、古びた引き戸が音を立てる。店内はカウンター席が七つほどしかなく、カウンターの中では小柄な老婦人が一人、忙しなく手を動かしていた。テーブルには赤や黄色のビニール製の調味料入れが並び、壁には色褪せたメニューの短冊が貼られている。タケルは一番奥の席に静かに腰を下ろした。
「いらっしゃい。今日は暑いから、冷たいお茶でも飲んでいきな」
老婦人はそう言って、温かいほうじ茶の入った湯呑みをタケルの前に差し出した。その温もりが、冷え切ったタケルの指先をじんわりと温める。
タケルは自分の状況を理解しようと試みた。彼は今、神の分身として、世界に存在するあらゆる情報を一瞬で読み取ることができる。この店の歴史、老婦人の人生、客の足音の数、壁の染みの意味。すべてが彼の脳裏に流れ込んでくる。しかし、それらの情報の中に、彼の心を満たすものは何もなかった。ただ虚しいデータの羅列があるだけだ。
「何にするかい?」
老婦人の声が、タケルを現実に引き戻す。タケルはメニューに目をやった。生姜焼き定食、アジフライ定食、鶏の唐揚げ定食……。どれもこれも、彼が人間だった頃に見ていたものと何ら変わらない。
彼はそう呟いた。なぜこのメニューを選んだのか、自分でも分からなかった。ただ、ノゾミと初めて二人で食事をした時に、彼女が「生姜焼きが一番好き」と笑っていたことを、ふと思い出したからかもしれない。
老婦人は「あいよ」と元気な返事をすると、手際よく豚肉を炒め始める。ジュウジュウと肉が焼ける音、甘辛いタレの香りが店内に広がる。その音と匂いが、タケルの心を震わせた。それは、膨大な情報の中には存在しない、生きた「感覚」だった。
やがて、定食がタケルの前に置かれた。こんがりと焼けた豚肉、千切りキャベツ、マヨネーズ。白いご飯と、ワカメと豆腐の味噌汁。どれもこれも、特別なものではない。
タケルは箸を手に取り、一口食べる。
――美味い。
それは、単なる味覚の情報だけではなかった。豚肉の柔らかさ、タレの濃厚な甘み、そして、老婦人が心を込めて作ったという事実。
彼が神の分身として得た力は、この定食が「豚肉とタレと野菜で構成された料理」であるという情報を瞬時に解析する。しかし、この一口が、彼の心に直接語りかけてくるような温かさを持つことは説明できない。それは、人間だけが感じられる「温もり」だった。
「いい顔になったねぇ」
老婦人はにこやかにタケルに話しかけた。タケルは驚いて彼女の顔を見る。彼女は、タケルが人間であるか神であるかなど、知る由もない。ただ、目の前の客が、心から食事を楽しんでいることを感じ取ったのだ。
その時、タケルは確信した。ノゾミが彼に与えたかったものは、この「温もり」だったのだと。膨大な知識や力ではなく、ただ一皿の料理を美味しいと感じる心。愛する人と共に生きる喜び。それこそが、彼女が彼に教えようとした、人間としての唯一の真実だった。
タケルは、温かい味噌汁を一口飲む。その味が、胸の奥に残ったノゾミの温かい光を、再び灯したような気がした。
彼は孤独に世界を見守り続けるかもしれない。しかし、その胸には、ただ愛しい少女が彼に残してくれた、一皿の温かさが残っている。
ノゾミが仕組んだ「恋人ごっこ」は、彼が神としてではなく、人として生きるための、最後の温かいレシピだったのかもしれない。
そして、その温かさこそが、彼のこれからの世界を照らす、唯一の光となるだろう。
(第四幕・了)
ダイエットしたい人は全食自炊(インスタントや出来合いのもの禁止)するといいぞ
食事というのは労力のかかるものだということを体に理解させることで最小限の食事で満足しておこうという感覚が生じる
もちろん皿も綺麗に手洗いして水気を完全に取ってカラカラに乾燥させて食器棚にしまいシンクを清潔に保ち一息ついたところで歯磨き・フロスまでするところまでが毎食のルーティンだ
毎日1回は生ゴミを捨ててコンロの油ハネなどを毎食綺麗に掃除することもマスト
できることなら調理だけではなく、食材を採ったり狩ったり育てたりするところから始めるといい
コスパやタイパだけではない重要な感覚がそこにはあり、健全な人間として生きていくためにはそれこそが必要だということが分かるだろう
でも一度好きになるとヤバくなります。
ストーカーって何か?
っていったら相手の都合とか考えない人ってことですよね。
自分の好きばかりに意識を乗っ取られて相手のことを考えられない。
一日中対象のことしか考えてないのに相手の気持ちとかは考えられない。多分なんかの病気の一種ですよね。
だから全員病院に入れるか逮捕したほうがいいのしれない。だってヤバいじゃないですか。
私の場合はすぐに対象の住んでるところをウロウロしてしまうんですよね。
流石に家にまで押しかけることはしないんです。
ピンポンとか押すようなことはしない。
でもそんなところ縁もゆかりもないのに近所のコンビニとかスーパーをウロウロしちゃうんです。
ひょっとしたら偶然会えるんじゃない?
とか考えると胸がトキメキでいっぱいになる。
これヤバいですよね。
だから奥さんと仲良く歩いてるところとか見かけたらショック受けちゃうかもと思いつつ、嫉妬の暗い炎が心の中をカラカラに乾かしてしまうんです。
ホントに悔しいんですよ。
私よりただ先に会ったから、私より年齢が近いから、とかそういう偶然の要素だけで私がいるべき場所にその人がいたりするのが許せなくなるんです。
好きになるともう止まらなくなる。
なかなか好きにはならないんですよ。
基本同年代とか嫌いだし。
年上、それもかなり年上とかに突然ハマっちゃたりする。
偉そうだし、臭いし、すぐ命令してくるし、油断してるとすぐ親身に心配とかしてきて、その気もないくせして私の心を持ってっちゃうから嫌なんです。
もう結婚してるくせに女の子とかに優しくするとかダメじゃないですか?
だから私はそんなに悪くないと思うんですよ。
なのに私がなんか好きになるのが悪いみたいになるでしょ?そういう心の屈折がストーカーみたいなことをしちゃう原因になってると思うんですよ。
休みの日とかどうしてるか、気になるじゃないですか?
好きだから当たり前ですよね。
でも意外と会えないんですよね。
6時間もいたのに。
家の中で奥さんと何やってんだろ?
ほんといい加減にしてほしい。
一緒に暮らす動物は大抵がそうであるけど、自分にとっては得難い友達だった。数年前に年の瀬の公園で目の前に飛び出してきて意気投合し、そのまま連れ帰り、転職して東京に引っ越し、下町のワンルームで暮らすという、20代におけるダイジェストシーンを象徴するような存在だった。唐突に大きな病気が見つかり、明確な診断もつけられないうちに、1ヶ月の闘病を経て死んでしまった。4歳になったばかりだった。
映画のような出会い方をしただけに、真反対のドラスティックな悲しみ、また、部屋中に猫の柔らかな気配と、薬やらスポイトやら検査結果やらの病気の強すぎるコントラストが漂っていることに耐えられなかった。自宅を離れる口実の旅行計画として、なんとなく関心のあった恐山を思い出した。祈りの場に赴く機会としては、しばらくはこれ以上ないだろう(と思いたい)ということで、会社が夏季休暇に入ったその日に新青森に向かった。
家族や(人間の)友人には恐山に行くことは伝えなかった。自分が沈み込んでいた姿を見られており、このタイミングで山間部に入ることは、或いは自死する計画を持っていると疑われている空気があった。実際いろいろと控えめに気晴らしの提案を受け、断ったり随分先延ばしにしたりしていた。どういったアプローチであれ、死にまつわるものへの接触に惹かれていたのは否定できない。
近隣市に宿泊したのち2日目の始発電車で下北半島に向かい、私鉄やバスを乗り継いで午前中に恐山の霊場に入った。(途中まで路線バス然としているが、山道に入ったところで唐突に少々不気味な恐山解説アナウンスと、子どもが可哀想な目に遭う賽の河原の歌が流れた。)
到着すると、想像していたよりも境内は開放的で、硫黄の香りが強く、空が近かった。入山のバスには何人か観光客がいたが、平日の早めの時間だったこともあり、門を潜ってしばらくしたら、今生きている人間はもしや自分だけなのではないかという錯覚をする程度には静かになってしまった。プラスチックの風車の回るカラカラという音に混じって、微かに鐘の音もする。抜けるような青空だが時折天気雨が降り、遠雷が聞こえる。カラスが飛び交い、足元では白い砂にガスが湧いている。30年弱生きてきて、最も「異境」を感じた地だった。
恐山は特に東北において、死者のゆく「お山」として歴史的に信仰されてきたと聞く。3時間ほどゆっくり散策した感想として、「他者が死ぬことを前にした無力さ」を見に受けた。荒涼として、自分は何の役にも立てず、ただ圧倒されるだけ。大事な猫に何もしてやれなかった、助けられなかった後悔の影響もあるだろうが、死がひのたびこちらを捉えたら、抵抗虚しく受け入れるしかないのではと思ってしまった。
同時に、医療や化学がこれほどまで発達するまでの、少し前の時代の死生観を垣間見たかもしれない。「ああしていれば」の迷いを砕くような、生き物には生老病死の苦しみが大前提で存在し、いつでもこちらを見ていると思わせる光景だった。
うって変わって、岩場を抜けると青く澄んだ宇曽利湖が待っていた。先ほど聞こえていた鐘は湖畔に据付けられていて、誰かが鳴らしていたとわかった。
(実態は一部のウグイしか住めない酸の水だけど)海より速いペースで打ち寄せる透明の波に山の緑、足跡だらけの白い浜と相まって、こちらは別のベクトルの異境だった。「苦しみが終わった世界」を自分が描くなら、今日からはこのイメージになるかもしれない。猫ももう苦痛は無いのだと思うと泣けた。穏やかでありながら寂しい光景で、まだ生きている自分は、ずっとここに居てはいけないとも感じた。
死ぬことの寂寞と諦念のち、死者の安寧を思う。この地で祈ってきたたくさんの人たちが同じ心の動きだったかはわからない。ただ、個人としては「何をしてもいずれ終わりは来るのだから、街に帰って生活を続けよう」と思えた。非現実的な静かさが退屈そうに見えたので。そもそも猫の死後の世界がどういったものかも知らないが、ねぶた祭りの日の青森市街と同程度に楽しみに満ち、そしてできるなら人間の彼岸と同じレイヤーに在って欲しいと願う。人間の見守りエリアも欲しい。
直前まで知らなかったのだが、ちょうどねぶた祭の最中のスケジュールだった。これもルーツは死者の供養だという説がある。自分はこちらのほうが色に満ちていて好きだった。
なお恐山境内には「熊注意」の掲示が散見され、メメントモリにどれほど浸っていても、即座にリアルの恐怖を思い出した。
猫よ、仏前の備えは絶やさないので、できれば熊からも守ってください。
【翌日の追記】
匿名で長文を書きたいという衝動から、プラットフォームの性格もろくに理解せず投稿してしまったので、リアクションがあることにたじろいでいます。増田というスラングも初めて知りました。
確かに、死+恐山という単語がタイトルに並べば、イタコの口寄せのために向かったのだと想像される方が相当数いて当然で、自分が単独行に徹したあまり他者視点に欠け、思い至りませんでした。東北よりはるか南方で生まれ、東京で生活し、ネットでは写真優位のSNSと観光プロモーションに浸かりきった自分にとって、「恐山」は「イタコのいる霊場」より「ある程度の然るべき配慮を持っていくべき、明るい友達との旅行には向かない、公共交通では難易度・中の観光名所」でした。
当日は「動物も降霊の対象になるのか?」と疑問を持ちはしましたが、仮にできたとしても、たかだか1ヶ月弱の離別では話すこともあまりないだろうし、あったとしても「ちゃんと食え」「掃除もしろ」「若くして死ぬのはやめておけ」の言い換えで尺が終わるんだろうなとの投げやりな気持ちから、寺院の方に尋ねもしませんでした。期待された増田の皆様には申し訳ありません。
実際にやるとしたら、何十年後かに自分の人生のBパートに入った頃、猫の命日からその日までの中間リザルトの発表しがいが出てきてからにします。(どれだけ高いところに登ったか、何匹分のまぐろを食べたか、見つけた一番大きい虫のサイズなど、話題に尽きない)
どなたかにコメントいただいた通り、恐山は「あの世テーマパーク」だという感想に共感します。喪失したての人間には誰かの辿るかもしれない旅路を思わせ、そうでない人間には手軽な非日常感と到達感を与えてくれる場所でした。生きている人間のための施設であり、何より敷地内に温泉とお食事どころまであるのがそれらしさを補強しています。東西に散見される冥界のスタンダードに準じれば、ラーメンを食べ、膝下まで硫黄泉に入った自分は帰ってこれなくてもおかしくないのですが、今のところ無事にキーボードを叩けています。
思いつくだけでも女のトイレはわりと細かい工程が多いから時間かかるのは仕方ない
ただ、1箇所だけここ短縮できるんじゃないかと思う点として
「用を足しながらトイレットペーパーを畳んで用意しておく」とかできないもんかなと思ったりはする
個室前で待ってる時に音姫の音するじゃん、それが止むじゃん、そこからトイペカラカラって音がすると「用足しながらだしとけよ!」ってそこだけは思う
だいたい個室には行列できてるが、洗面台とかメイクスペースは余裕あるし。
「電車の中でメイクするやついるだろ」というが、あれは、わざわざトイレにいってメイクする時間がないから電車でやってるだけだったからだけ
トイレ行く時間あるなら暗い狭い個室で化粧品広げるようなめんどくさいことはせず洗面台かメイクスペースに行く
なお「メイクスペース潰して個室にしろ」という意見もあるが、これはすでに手洗い場の渋滞がメイクスペースのおかげで緩和されてるから、元にもどしてどうすんのって話である
うわぁ…。
なんかぁ、こっちは、さっきの人とはまた違って、すごく、こう…生々しいというか…。読んでて、胸が苦しくなりますねぇ、これは。
残業100時間…えぇ…?手取りが雀の涙…。スゥゥゥ…。いやぁ、ちょっと、これは…凹みますねぇ、読むと。本当に。
「ちくしょう、本当に悔しい」って…。そりゃあ、そうですよねぇ…。悔しいと思いますよぉ、これは。
いやぁ、でもねぇ、分かりますよぉ。その、心も体も、もう限界だっていう気持ち。
僕もねぇ、一回だけ、あのぉ、チャリティー企画で12時間ぶっ通しの生配信に挑戦したことがあるんですよぉ。
もうねぇ、後半、喉はカラカラだしぃ、ずーっと同じ椅子に座ってるから腰は痛いしぃ…。なんかぁ、視聴者さんのコメントはすごい勢いで流れていくんですけどぉ、もう、なんていうか、頭が働かなくて、うまく返せなくなっちゃうんですよ。スゥゥゥ…。
ほんで〜、一番辛かったのがぁ、途中でぇ、いつも配信中に飲んでる、一本500円くらいする高級なエナジードリンクが、冷蔵庫のストック切れちゃった時ですねぇ。
もう一個下のランクの、200円くらいのやつしかなくて。味が、全然違うんですよ、味が。
あの時は、もう配信やめようかなって、本気で思いましたもん。はい。
だから、この方の「明日にでも会社辞めるかもしれない」って気持ち、なんかぁ、ちょっとだけ分かるかなぁ…なんて。うん。状況は、まぁ、全然違いますけどもぉ。
まぁ、でも!でも、この方も、ここでこうやって文章にできてるわけじゃないですかぁ。
スゥゥゥ…それは、まだ、戦う気力があるってことだと思うんですよ!たぶん!そうに違いない!
だから、辞めちゃうのも、まぁ、一つの手ですけどもぉ…なんか、別の道を探すとかね?
思い切って、僕みたいに、ユーチューバーになっちゃうとか!どうですかねぇ?えへへ。
いやぁ、なんか、今日は日本のITについて、すごく考えさせられましたねぇ…。僕も、もっと面白い動画作って、みんなが少しでも元気になれるように頑張らないとですねぇ!うん!
ある夏の猛暑日に初めて熱中症になったとき、これはヤバいと思って駆け込んだスタバで頼んだのが、マンゴーフラペチーノだった。
普段マンゴーフラペチーノは絶対に頼まないメニューだが、あの熱中症の体に染み込んだマンゴーフラペチーノは格別の美味しさだった。
最近、絶食をしたのが、あの夏以来の喉の渇きを覚えた。どうしても飲みたくなったのが、柑橘飲料だった。オレンジジュースでもマンゴーフラペチーノでも何でもいい。とにかく柑橘味のものが飲みたくなった。
裏を返せば、大して喉も乾いていないのに飲み物を飲んでいるということか。柑橘飲料を欲して初めて、喉が乾いたと言える。
こうなると、水分を我慢して、柑橘飲料を欲するくらい喉を乾かしたくなる。喉が乾いた合図は柑橘飲料を欲した時だ。その境地に達するには、最低2日は水を絶たなくてはならない。でもその価値はある。