「論理の飛躍」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 論理の飛躍とは

2025-11-24

【なぜ働くと本が読めなくなるのか】一番売れた新書への違和感

「なぜ働くと本が読めなくなるのか」2024年最も話題となった書籍の一つ。友人と話していると、同書は非常に危険な本だと話になる。新書からキトーに読んでいる気付かないのだが、マトモに読むと「半身で働く」という主張に至る過程論理の飛躍があるからだ。

加えて、三宅書籍モヤモヤするのは、彼女著作問題というより、出版業界全体が抱える“退行の空気”が透けて見える。本来批評とは対象を切り離し、構造を浮かび上がらせる作業のはず。「斜陽産業」の出版業界は、読者層を広げるために知的ハードルをどんどん下げ、「本にしなくてもいい内容」を巧みな営業戦略で売りまくる世界になってしまった。

論理構造より、“共感”や“エモさ”。そうした市場環境の中で、『なぜ働くと本が読めなくなるのか』のようなお気持ちエッセイが主流になるのは必然だ。

問題は、その本が社会構造分析をしているように見せかけながら、突然「本が読めないのは社会が悪い」という感情論ジャンプする点だ。書籍の大部分を占める読書社会人の近代史パート(9章くらいまで?)

はどう読んでも「半身で働く」の根拠になり得ない。提言だとしても、提言をするだけの根拠が前文には書いていない。。こうなると、構造を論じているようでいて、じつは個人感情物語に回収されているだけで、「社会がない」と批判されるタイプの語りに近い。

さらに「半身で働く」という提案は、階級的な前提をあまり無視している。映画花束みたいな恋をした」を引用して田舎出身労働者・麦くんが本を読めなくなっていく過程記述しているが、はっきり言って世の中の麦くん化している社会人に失礼だ。

現実に半身で働けるのは、富裕層家庭出身者、ホワイト企業勤務者、配偶者扶養に入れる人(その多くは事実上女性だ)など、ごく一部に限られる。つまり映画「花恋」でいうところのヒロインちゃんだけだ(親が大企業、都会に実家定職につかなくても生きていける、好きなことだけして生きていきたい)。

一般的労働者が週5日・フルタイム構造から抜けるのはほぼ不可能で、そんな生き方が“みんなが選べる選択肢”かのように語られると、不公平と言わざる得ない。

その社会構造自体おかしいと主張したいのであれば、大部分の都市サービス享受すべきではない。インフラを維持する人々の労働あってこそ、「半身で働く」ことは可能になるからだ。

そうした現実に目を向けず、都市部の特権けが享受可能理想論大衆に説く。ここにはグロテスクしか言いようのない欠陥構造がある。

また、三宅が語る「批評文体をひらく」も、実際には論理の緩和=読者への迎合になってしまっている。例えば、同じ言葉生業にするジャーナリズムでは誤りは許されない。5W1Hや誰が何を言ったかを間違えて報道すれば即座に批判殺到する。(近年のオールドメディアに対するヘイトはその裏返し。合っていて当然のものが一部フェイク化したか批判されている。そもそもフェイクや根拠不十分なら叩かれないで済む)

批評は「論証できないけど感覚で書く」が成立する世界でいいのか。かつてのジャーナリズム批判が担っていたのは理路整然の文章大衆に届けることではないのか。論理の飛躍があっても共感(=いいねが取れる)できるなら読者層を広げるために知的ハードルをどんどん下げてもいい。売れるなら「本にしなくてもいい内容」を本にしていい。これが国民知る権利を盾に商売をする出版業界で許されていいのか。

これは批評民主化ではなく、文化が“推し活”に吸収されていくプロセスだ。文化人が読者の機嫌を損ねない戦略を取ると、批評はどんどんお気持ち表明コンテンツへ変質していく。自分の好き・推し言語化するツール批評が成り下がると、推し肯定する言説しかまれなくなる。批評とは本来対象をそれ以外のものから切り離し、特異であることを浮かび上がらせる作業のはずだ。その点において共感を求めるスポーツ音楽ライブの一体感とは真逆にある。消費者感情におもねる批評でいいのだろうか。

出版とは、知を鍛える公共財だ。だからこそ独占的な販売方法が許容されている業界だ。しかし今は、情緒共感を売りにして市場縮小を乗り切ろうとしている。「共に賢くなる」ための活字文化が、「共感」のツールに成り下がっている。

批評論理を疎かにし、読者の気持ちに寄りかかり、階級現実曖昧になる。事実上「半身で働く」ことができない人々に対して、「半身で働く」特権階級のよさを説くというのは、パンがなければケーキを食べればいいと言っているのと同じだ。

批評共感同調を求めるものではない。徹底した差別化と切り離しの営みだ。

【なぜ働くと本が読めなくなるのか】一番売れた新書への違和感

「なぜ働くと本が読めなくなるのか」2024年最も話題となった書籍の一つ。友人と話していると、同書は非常に危険な本だと話になる。新書からキトーに読んでいる気付かないのだが、マトモに読むと「半身で働く」という主張に至る過程論理の飛躍があるからだ。

加えて、三宅書籍モヤモヤするのは、彼女著作問題というより、出版業界全体が抱える“退行の空気”が透けて見える。本来批評とは対象を切り離し、構造を浮かび上がらせる作業のはず。「斜陽産業」の出版業界は、読者層を広げるために知的ハードルをどんどん下げ、「本にしなくてもいい内容」を巧みな営業戦略で売りまくる世界になってしまった。

論理構造より、“共感”や“エモさ”。そうした市場環境の中で、『なぜ働くと本が読めなくなるのか』のようなお気持ちエッセイが主流になるのは必然だ。

問題は、その本が社会構造分析をしているように見せかけながら、突然「本が読めないのは社会が悪い」という感情論ジャンプする点だ。書籍の大部分を占める読書社会人の近代史パート(9章くらいまで?)

はどう読んでも「半身で働く」の根拠になり得ない。提言だとしても、提言をするだけの根拠が前文には書いていない。。こうなると、構造を論じているようでいて、じつは個人感情物語に回収されているだけで、「社会がない」と批判されるタイプの語りに近い。

さらに「半身で働く」という提案は、階級的な前提をあまり無視している。映画花束みたいな恋をした」を引用して田舎出身労働者・麦くんが本を読めなくなっていく過程記述しているが、はっきり言って世の中の麦くん化している社会人に失礼だ。

現実に半身で働けるのは、富裕層家庭出身者、ホワイト企業勤務者、配偶者扶養に入れる人(その多くは事実上女性だ)など、ごく一部に限られる。つまり映画「花恋」でいうところのヒロインちゃんだけだ(親が大企業、都会に実家定職につかなくても生きていける、好きなことだけして生きていきたい)。

一般的労働者が週5日・フルタイム構造から抜けるのはほぼ不可能で、そんな生き方が“みんなが選べる選択肢”かのように語られると、不公平と言わざる得ない。

その社会構造自体おかしいと主張したいのであれば、大部分の都市サービス享受すべきではない。インフラを維持する人々の労働あってこそ、「半身で働く」ことは可能になるからだ。

そうした現実に目を向けず、都市部の特権けが享受可能理想論大衆に説く。ここにはグロテスクしか言いようのない欠陥構造がある。

また、三宅が語る「批評文体をひらく」も、実際には論理の緩和=読者への迎合になってしまっている。例えば、同じ言葉生業にするジャーナリズムでは誤りは許されない。5W1Hや誰が何を言ったかを間違えて報道すれば即座に批判殺到する。(近年のオールドメディアに対するヘイトはその裏返し。合っていて当然のものが一部フェイク化したか批判されている。そもそもフェイクや根拠不十分なら叩かれないで済む)

批評は「論証できないけど感覚で書く」が成立する世界でいいのか。かつてのジャーナリズム批判が担っていたのは理路整然の文章大衆に届けることではないのか。論理の飛躍があっても共感(=いいねが取れる)できるなら読者層を広げるために知的ハードルをどんどん下げてもいい。売れるなら「本にしなくてもいい内容」を本にしていい。これが国民知る権利を盾に商売をする出版業界で許されていいのか。

これは批評民主化ではなく、文化が“推し活”に吸収されていくプロセスだ。文化人が読者の機嫌を損ねない戦略を取ると、批評はどんどんお気持ち表明コンテンツへ変質していく。自分の好き・推し言語化するツール批評が成り下がると、推し肯定する言説しかまれなくなる。批評とは本来対象をそれ以外のものから切り離し、特異であることを浮かび上がらせる作業のはずだ。その点において共感を求めるスポーツ音楽ライブの一体感とは真逆にある。消費者感情におもねる批評でいいのだろうか。

出版とは、知を鍛える公共財だ。だからこそ独占的な販売方法が許容されている業界だ。しかし今は、情緒共感を売りにして市場縮小を乗り切ろうとしている。「共に賢くなる」ための活字文化が、「共感」のツールに成り下がっている。

批評論理を疎かにし、読者の気持ちに寄りかかり、階級現実曖昧になる。事実上「半身で働く」ことができない人々に対して、「半身で働く」特権階級のよさを説くというのは、パンがなければケーキを食べればいいと言っているのと同じだ。

批評共感同調を求めるものではない。徹底した差別化と切り離しの営みだ。

2025-11-17

anond:20251117115708

①「台湾ウクライナは同じ」という前提が雑すぎる

ウクライナほとんど全ての国が独立国家として正式に認めています

台湾:多くの国が「独立国家として公式には認めていない」という扱いを取っています(これは “国家承認” をしていないというだけで、価値判断とは別の話)

まり、「国」として扱われているかどうかがそもそも違うため、両者をそのまま同列にするのは中学生レベル比較でも雑です。

問題点比較する前提条件が全然違うのに「同じだ」と決めつけている。

②「内政問題なら侵略し放題」というのは誤解

内戦扱いすれば侵略し放題ってことになる!」と極端な主張をしています

でも実際の国際ルールでは、「内政問題です」と主張しても武力の使い方には国際法ルールがあるので、内政問題=なんでもOK ではありません。

例えば政府自国民に対して虐殺をすれば、「内政問題」でも国際社会制裁を課したりします。

問題点:「内政問題」と言っても好き放題できるわけではない、という国際法の基本を無視している。

サンフランシスコ講和条約の扱いを誤解している

文章にはこうあります:「放棄はしたけど、移譲先が決まってない!」

これは一般的に正しい前提です(台湾をどこに渡すとは書いていない)。

ただし問題はここから

この事実をもって台湾独立国家である、と断定したり、中共中国共産党)が統治権を得た、と断定したり

どちらも条文からは読み取れないのがポイント

まり、元の文章条約が“何を決めていないか”だけを利用して、都合の良い結論勝手に作っている。

問題点条約が決めていない部分を論拠に、強い結論を導いている(論理の飛躍)。

④「平和主義が聞いて呆れる」というレッテル貼り

最後に、「好戦的なのは相手の方だ!」という決めつけがあります

これは 論点から外れていて、単なる感情的攻撃

事実論理ではなく、相手好戦的だ!嘘つきだ!という罵倒で締めるのは、議論背骨がない証拠

問題点論理的な議論ではなく、感情的レッテル貼りに逃げている。

中学生向けに一言でまとめると

台湾ウクライナは条件が違うのに同じだと言い、条約の書いていないことを根拠に強い結論を出し、最後相手悪者扱いして締める」という雑な議論

2025-11-15

anond:20251115210849

立憲はあいまい希望なんすね?

じゃあ質問したのは売国行為っすね。

この理屈は成立しません

何故なら過去総理野党から同様の質問を受けた際の答弁で有事について曖昧政府立場を保っていました

高市総理も同様の行動をする選択肢は当然持っており、それを行わなかったのは高市総理自身判断によるものです

寧ろこの理屈では、過去日本政府曖昧立場自身で覆した高市総理の行動こそが最も「売国行為」に該当すると言えます

こうなるのわかってて、政権けが欲しくて

国のことなんかなーんにも考えずに「失言しろ失言しろ!」とだけ思って質問したわけだ。

論理の飛躍個人的主観による妄想が多分に含まれています

まず、高市総理がどの様な発言をするかは彼女発言するまで誰にも分かりません

また、立憲の議員が指摘されている様な考えで質問をしたという証拠は無く

あくまでも総理就任前の高市氏の発言総理になった現在との整合性立場確認としての質問と考えるのが自然です

2025-10-29

anond:20251029092017

ちがうぞ。論理の飛躍現実市場混同してやがる。

冷徹に言わせてもらえば、その反論は「国債の信用不安」という古いフレーム固執している。

今の市場円安引き起こしている本質は、もっと通貨価値」に直結した問題だ。

まず 「国内だけで回ってるなら関係ない」が間違い。

国内だけで回ってるなら株買おうが売ろうが関係ない」? 笑わせるな。

投資家は常に「円建て資産全体のリスク」を見ている。株に資金流れるのは、円という通貨のものインフレ価値を失うことへの防衛策(インフレヘッジ)だ。

現象としては、円の価値が下がる(円安インフレ)ということ。

投資家の行動は、、 円建ての安全資産(低金利の円預金日本国債)を捨て、円建ての変動資産日本株)や外貨建て資産へ逃避する。

結果的に、国内投資家が円預金を売って株を買うだけでも、円という通貨全体への信認は低下し、それを海外投資家が見れば「この通貨危険だ」と判断し、円売りを加速させる。国内海外の動きは密接に連動しているんだよ。

本質は「財政拡張マネー増加予想」だよ。

積極財政国債発行増 → 日銀買い支えざるを得ない → マネーサプライ増加(通貨希釈化)

この「通貨増刷が続く」という確信こそが、投資家が円を売り、インフレヘッジとしての株や外貨へ逃避する根本原因だ。

まり円安は「日本借金が多すぎるから」ではなく、「借金マネー増刷解決しようとしているから」起きているんだ。論点すり替えるな。

2025-10-27

定期的に荒れる飼い犬の狂犬病予防接種について

狂犬病が恐ろしいはわかる。

でも、ヒトの致死率100%だろうとだから飼い犬に予防接種というのは論理の飛躍じゃないか

例えば、

電車脱線事故があったら危険だ。

バス事故ったら危険だ。

から電車バスは着座シートベルトを徹底すべきだ!チャイルドシートも完備せよ!

とはならないと思う。

事故が起きる頻度と起きた時の損害、それと対策費用を秤にかけて、安全犠牲にしないといけないことは多々ある。

それをさあ、狂犬病発症したら治療方がないとか、犬以外にもかかるからとか、色々すっ飛ばしすぎでしょ?

ここ10年で日本に何頭くらい狂犬病の犬が持ち込まれたのか?犬以外でもいいが何頭だ?

そして、対策として、飼い犬へのワクチンがはたして最適なのか?

犬以外の動物にもかかるってなら、犬以外の動物に打たないとと思うし、最終的な目的がヒトを狂犬病から守るというなら、ヒトに狂犬病ワクチンをうったほう

いいんじゃないか?

もともとは、予算は有限だから、犬が1番リスクファクターから犬に予防接種ってのがはじまりだったんだろ?

で、犬にワクチンを打つことによって、野犬の駆除を進めることによって、日本から狂犬病を根絶できた。

当時、犬がリスクファクターだったのは理解できる。

野犬が多かったし、飼い犬だって100%外飼いだったからさ。アングラだけど闘犬も多かったし。

一頭でも狂犬病が入れば、野犬の群れの中に、飼い犬に、そして野生動物に広まる。

功を奏して、清浄国になった。

でもさ、今もやっぱり犬がリスクファクターなのかって言われると、微妙でしょ?

2025-10-22

anond:20251022223920

それは論理の飛躍が過ぎるな

いやまぁ面倒臭くなったんだよな?わかるよ

ただ、お店屋さんもちゃんと、人間が回してて

その人らも生活するためにお店屋さんしてるってことは考えてみて欲しい

2025-10-10

anond:20251010153003

論理の飛躍がないかという観点でもう一回推敲して

アドバイスとしては、自己実現とか言ってる奴のパーソナリティの深堀りが浅いか自己実現→お調子者という流れがいまいち繋がらない

深堀りよろしく

頑張って、応援してる

2025-10-06

anond:20251006193837

人に問題点を聞いておいて、説明されたら「論理の飛躍」なんて言い訳して逃げてたら

そりゃパートナー激怒されるのも無理ないわ

おまえ最初から解決する気ないやんけ

自分ミスしているのに相手を言いくるめることしか考えてないやつが他人と住むべきではない

anond:20251006193005

それは論理の飛躍しか言いようがない。

まず、電気を消し忘れるタイプ人間から言わせてもらうと、

根本の原因は「電気を消し忘れたところで何ら問題はない」と思っていること

そこに、「妻がうるさいから」という外的要因が電気を消す動機付けとなっているが、

それでも内心「妻の方がおかしい」と思っているから消し忘れにつながる。

極端な話、「電気を消し忘れると妻が死ぬ」というルールのデスゲームに参加させられていたら、

二重、三重のチェックをルーティン化させて消し忘れは0にできると断言できる。

一方で、電気と違ってコンロなどの火の始末は重大事故につながることを自らの知識経験により認識しているので、

電気の消し忘れとは全く行動原理思考回路も別の取り扱いになる。

割れ窓理論などは見当違いも甚だしい。

2025-09-28

anond:20250928145550

はいはい、口座の話ね。

だがその言い分、冷静に分解するとただの自己放尿だ。

NISAにおける条件は二種類しか存在しない。

これらは「誰かを意図的に除外するためのフィルタ」ではなく、制度運営上の重複防止と実務上の整合性のために課されている。

まり「条件」とは、不公平な壁ではなく事務的ルール

お前の主張、

「非課税になるには口座条件がある → よって『少額投資支援』という目的の話は間違い」

だが、この推論は完全に壊れている。

なぜなら 口座条件が存在することと制度政策目的は別次元の話だからだ。

NISAの口座条件は「非課税枠の二重利用を防ぐ」という実務的制約にすぎず、制度目的は「少額資産形成の非課税優遇」。

目的解釈を条件にすり替えるのは、自己放尿レベル論理ミスだ。

お前が繰り返す「まず条件を列挙しろ」「金額じゃねえんだわ」という要求自体が、論点のすり替えだ。

なぜなら最初の争点は「NISA特定条件を満たさないと非課税じゃない」という発言

これに対し俺が「いや、その条件は実質非課税枠内で運用するという制度設計のものを指しているだけ」と指摘したのだ。

お前の返答は、「いや条件は金額じゃなくて口座だ!」と細部を入れ替えて、論点を移動させているだけ。これは議論ではなく、自分が負けを認めないための自己放尿。

お前の言う「条件」は単なる 口座の運用ルール にすぎない。

それをもって制度目的や非課税実態否定するのは論理の飛躍であり、議論の軸がズレている。

制度本質は「少額の資産形成に対して非課税枠を与えること」。

口座条件はその実務的な容器でしかない。

容器の存在を指差して「中身の意味は変わる!」と言い張るのは、自己放尿をドヤ顔解説しているのと同じだ。

40歳独身男性が狂うのってさぁ

何かしらの精神疾患じゃないの?

わけのわからん論理の飛躍勝手無関係な人を恨んだり、癇癪起こしてガアガア騒ぎ出したりって、どう見てもそういうのの症状だろ。

人生が上手くいってなくて少しずつストレスが蓄積されていけばそうなるのも無理ないだろうし。

とにかくちょっとでも変だなと思ったら試しに病院に行ってくれよ。

2025-09-27

AIが書いた記事」は、なぜバレるのか。

最近AIが書いたと思しき記事ネットでよく見かけるようになった。

一見すると、流暢な日本語で、文法的な誤りもない。しかし、読み進めていくうちに、どうにも違和感が拭えない。なんだろう、この「味気なさ」は。人間が書いた文章には、その人の個性や癖、感情の揺れがにじみ出るものだ。それは、論理の飛躍だったり、あえての誤用だったり、意外な比喩表現だったりする。

AIが書く「模範解答」の罠

AIは、膨大なデータ学習して、最も「正しい」とされる文章を生成する。その結果、論理的破綻がなく、誰が読んでも理解できる「模範解答」のような文章生まれる。

しかし、それが逆に欠点となる。

例えば、新しいスマホレビュー記事があったとしよう。人間が書けば、「このカメラの画質は素晴らしいけど、バッテリーの持ちがいまいちで、一日持たせるには工夫が必要だ」といった、使う人の生の声が感じられる。

一方、AIが書けば、「高画質なカメラを搭載しており、美しい写真撮影できます。一方で、バッテリー容量が限られているため、長時間使用には適しません」といった、当たり障りのない事実を羅列するにとどまる。

AI臭」の正体

この「AI臭」の正体は、感情経験の欠落だ。AIは、物事体験したことがない。ただのデータ集合体から、感動も、失望も、戸惑いもない。だからこそ、人間特有の「熱量」が文章から消えてしまう。

もちろん、AI技術日進月歩だ。いつか、人間感情を完全に模倣した文章が書けるようになるかもしれない。しかし、それでもなお、本物の人間が書いた文章しかない「何か」は、決して失われることはないだろう。

2025-09-17

anond:20250917142551

わたしは5児の母だって最初に言うあたりがめちゃくちゃ嘘くさい

これを冒頭に持ってくるって事はこれが幸せ象徴になり得るという認識なんだろうけど、

5児の母を羨ましいと思う女はマイノリティなんだよな

す、すげぇ・・・とはなるけど、羨ましいとはならない

5人産むって一般的にはめちゃくちゃ大変だから

煩悩なら子煩悩故に諦めるレベルの人数

あとフェミかぶれた女が仕事忙殺された結果「早く結婚したい」になるの面白い

結婚するより適切な労働条件職場探して転職した方が仕事は楽になるんだよ

10年前と違って人手不足から最近転職やすいんだよな

共働きが当たり前、かつ産休後復帰が当たり前な昨今、結婚とき仕事を辞める選択肢があると思ってる女、フェミの何にかぶれてたのかわからない

仕事しんどいから結婚したいって2025年では最早論理の飛躍から

ああ、でも地方なら違うのかな。東京ならの話

結婚出産に関する解像度が低すぎる所がおっさんと言われる所以じゃないか

でもおっさんの割には仕事解像度も低いんだよな

この自称が本当だとしたら多分最適解の人生を送ってると思うのでそのまま生きる事を全力でおすすめする

今のルート以外だと多分社会で生きていけないか

あと別にフェミバリキャリ育成思想じゃないのでフェミかぶれながら専業主婦で5人子どもを産むことは普通にできるし、

反出生主義でもないのでバリキャリとして働きながら自由に使えるお金を得つつ夫に愛されつつ子どもを生んでる女だって存在する

フェミ問題視する女らしさは押し付けられる抑圧としての女らしさなので、女らしさ全開で生きるフェミだって当たり前に存在する

自発的主体的な女らしさは何も悪い事じゃない

バリキャリ必須で反出生主義で女らしさ憎悪フェミだと思ってるならネットのやりすぎでは

フォロワー変えてTLの構築をやり直す事をお勧めするね

2025-09-09

anond:20250908180829

すごい。私の主張のために、こんなに丁寧に時間をかけて反論してくださったんですね。ありがとうございます論点をまとめてみました。

1. 結婚出産義務自由

あなたは「教育・勤労・納税」に準じて出産義務だとしています

ただ、憲法法律上出産結婚義務ではありません。国家的に人口を維持する必要があるのは事実ですが、それを個人に「道徳的義務」として背負わせるのは乱暴です。

一方で、社会全体が少子化で苦しむ中、子を産み育てる人々が社会を支えているのも事実です。だから感謝支援必要」という議論は成り立ちますが、それを「産まない人=寄生虫」とまで言うのは論理の飛躍です。

2. 生き方多様性承認

私の主張は「自分人生の目的を持つことで、他人選択に振り回されない」という点に重きを置いています。これは個人尊厳を守る考え方から来ています

あなたはそれを「幻想」「逃避」と切り捨てていますが、それは「社会的貢献の形は一つ=結婚出産労働」という狭い価値観から来ています

実際には、社会への貢献は 教育芸術医療ボランティア納税地域活動 など多様な形があります出産育児はその中の大きな一つではあるけれど、唯一の正解ではありません。

3. 「免罪符」という発想の危うさ

免罪符」という言葉は、そもそも「産まないのは罪」という前提があるからこそ出てきています。でも、産むか産まないか本来罪と罰」の話ではなく、価値観や条件による選択の話です。

「産まない=社会寄生虫」というのは、社会を「再生産のための装置」としか見ていない発想です。人間存在をあまり機能的に見すぎている。

「産まない代わりに社会にどう責任を果たすか」を考える姿勢の方が、はるか成熟したスタンスだと私は感じます

まとめ

出産社会にとって大切な営みだが、個人義務ではない。

社会的貢献の形は多様で、出産育児はその一つ。

免罪符必要」という発想自体が不健全で、むしろ自分はどう社会に関わるか」を主体的に考える方が建設的。

寄生虫」的な断罪は、社会の持続性への不安の裏返しだが、個人尊厳自由を軽視しており危うい。

いかがでしたか

まあ、1分でAIにまとめてもらったんですけどね。

これ以上はお互いの価値観をぶつけ合うだけで、おそらく何を言っても対話にはならないと思います

お互い自分の信じるものを胸に生きていきましょうね。

2025-09-03

dorawii@執筆依頼募集中

意味不明論理の飛躍数学基礎論でもやっとけ。

-----BEGIN PGP SIGNED MESSAGE-----
Hash: SHA512

https://anond.hatelabo.jp/20250903192030# 
-----BEGIN PGP SIGNATURE-----

iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaLgWbgAKCRBwMdsubs4+
SJ+8AQDjA9rHOl/0QbnrRJJXfRZpkWWt4W70ax4qTKMYKl/1zAEA9rIg9N7uWC3I
8Bdby0+U+FKfGygGtzKx5H5qkYL8fQ4=
=9S+E
-----END PGP SIGNATURE-----

2025-08-25

AI効率的仕事術

ってドヤ顔すんの、構わんのだけど、おいらの経験からすると、成果物一見もっともらしいし、発表者の発表も、なんとなく辻褄がっているように聞こえる。

けど、そこのデータが間違いのないものか、いちいち確認しなきゃならんってのはありえない。

いやいや、AI使わなくても、適当データでっち上げるかもしれないでしょ。

って反論があるかもしれないけど、「それっぽい適当データでっち上げるには、相応の知識なり思考力が必要」なので、AI使って誤魔化してくるレベル人間には不可能なんですわ。

別にさ、クソコンサルのクソ仕事なら、AI使おうが、クソコンサルからから脳みそ使おうが、成果はうんこの如しなもんで、50歩100歩、目くそ鼻くそから構わん。絵師なら指が6本であろうがどうせ雰囲気しか問題にならんのだから構わん。

のだが、システムで使うの、二、三日使えればいいというプログラムでもない限り、その上にさらに構築していくわけだからマジでやめとけ。

で、「AIスピード仕事術」ってやってるところ、発表者も本質理解してないし、関係者も輪をかけて本質理解してないから、真っ当なものが出てくるわけがない。

順方向に進めばそれっぽくても、逆方向から検証に耐えられるもんじゃない。

猿にタイプライターを叩かせて、ヘミングウェイ作品を出力させる並に困難ってもんだ。

時間がかかろうが、「せめて」自分の頭で考え直して、再構成しないと、ポチョムキン村の拡張工事以外の何物にもならんということは理解しろよ。

自分の頭で考え直して再構成すれば、足りないところとか矛盾するところはわかるし、それがわかるようになるのが社会人としての修行だよ。

そこをAIアウトソーシングしてますって、猿がウニ思考力を外注してどうすんだよ、と。

猿は自分を磨いて、人間進化しろよと。

クソコンサルだって、世の中の仕組みとかを捉え直し、再構成して重層的な現実把握能力思考力を養わねぇと、「AI駆逐されるのは、AIを使わない人間じゃなく、AIに使わされてる人間だ」ってのに気づいた時には手遅れだからな w

で、おかしいところを指摘すれば、逆ギレしてくる。

いや、客観的おかしいところはおかしいんだよ。

論理の飛躍とか、引用間違いとか。

勘違いした解説記事が多いところはその勘違いの内容をそのまま踏襲してるしな。

それでうまくいくわけがないし、やっぱりうまく行ってないんだよ。

スケジュールはどんどん遅延していくし。

挙げ句の果てに「××って案外使えねぇな」って、使えないのはお前のプアな脳みそだ。

東大出身

からなんだよ。

チンパンジーのアイだって計算くらいできるんだぜ。

2025-07-27

anond:20250727153759

Gemini2.5 Proいわく。

BさんとCさんの会話について、それぞれの発言妥当性を評価します。

### 発言の要点

まず、議論の前提となっているAさんの問題提起と、Bさん・Cさんの主張を整理します。

**Aさん**: 「一票の価値は低いので、合理的に考えると投票に行く理由を見つけるのは難しい。多くの人は『自分の票が重要だ』と思い込むことで投票しているが、それは非合理的。本当に投票に行くには、普段からの熱心な政治活動必要だ。」

**Bさん**: 「普段熱心な活動をしていないからこそ、最低限の義務として投票に行く。将来世代に『なぜあの時、ダメ政党放置したのか』と責められないようにするためでもある。」

**Cさん**: 「Bの動機矛盾している。将来世代が望むのは『最低限の投票』ではなく『もっと熱心な政治参加』であり、投票だけでは批判対象になる。また、どの政党にも反対勢力がいるため『ろくでもない』と批判されない政党存在せず、Bの目的絶対に達成できない。」

---

### Bさんの発言妥当評価

Bさんの発言は、**多くの有権者が抱くであろう現実的投票動機として、高い妥当性があります。**

1. **市民義務感(最低限の道義)**:

普段デモ政治集会に参加するなどの積極的政治活動はしていなくても、「選挙権を持つ市民として、投票は最低限果たすべき責任だ」と考えるのは、社会の一員としての倫理観として非常に一般的で、十分に正当な動機です。これはAさんが言う「思い込み」とは異なり、「社会構成する一員としての自覚」に基づくものです。

2. **将来世代への責任消極的選択**:

「将来世代から批判されないように」という動機は、倫理的責任感の表れです。Bさんの最後反論にあるように、これは「完璧政党を選ぶ」ことではなく、「欠点があることを承知の上で、複数選択肢の中から**少しでもマシなものを選ぶ**」という行為を指しています。これは、複雑な現実の中で最善ではなくとも**次善の策**を選ぶという、議会制民主主義における投票本質を的確に捉えた、極めて合理的な行動原理です。

結論として、Bさんの主張は現実的かつ倫理的であり、多くの人が共感しうる妥当ものと言えます。**

---

### Cさんの発言妥当評価

Cさんの発言は、**政治の厳しい現実を鋭く指摘している点では妥当ですが、それを根拠にBさんの動機全否定するのは論理の飛躍があり、妥当性はBさんに比べて低いと言えます。**

1. **「どの政党批判される」という指摘の妥当性**:

「常に政治敵対勢力で石投げあってるわけで、お前が投票してる政党絶対にろくでもない政党だと言われてる」という指摘は、現代党派性の強い政治状況を的確に捉えています。どの政策、どの政党にも必ず反対意見があり、批判は避けられません。この**事実認識妥当**です。

2. **論理の飛躍問題点**:

しかし、Cさんはこの事実から、Bさんの動機を「果たされない」「変だ」と断じてます。ここには論理的な飛躍があります

* **動機解釈違い**: Cさんは、Bさんの動機を「誰からも一切批判されない、完璧選択をしたい」というものだと狭く解釈していますしかしBさんの意図は、むしろ批判される可能性を理解した上で、それでも自分なりに責任を果たし、将来世代に対して『私はこう考えて、こちらを選んだ』と弁明できる状態にしておきたい」というものである可能性が高いです。

* **オール・オア・ナッシング思考**: Cさんの論理は、「完璧政治参加でなければ意味がない」「少しでも批判されるなら、動機として成立しない」という、ゼロか百かで判断するような極端な思考に陥っています。これは、Bさんが言うような「少しでもマシな方を選ぶ」という現実的な態度を否定するもので、非建設的です。

* **議論すり替え**: Cさんは「具体的に話してみろ」と迫りますが、これはCさん自身の「どんな説明をしても批判は避けられない」という主張を証明するためのレトリック(罠)になっています。Bさんがどの政党を挙げても、Cさんはその「ろくでもない」点を攻撃するでしょう。これは対等な議論ではなく、相手論破すること自体目的化しています

結論として、Cさんの指摘は政治現実の一側面を捉えていますが、それを根拠個人倫理的投票動機を「無意味だ」と断じるのは行き過ぎた解釈であり、議論生産的でない方向に導いています。**

---

### 総合評価

BさんとCさんの会話は、**「不完全な民主主義の中で、個人はどう行動すべきか」**という問いに対する二つの異なる立場を示しています

**Bさん**: 不完全さを認めつつも、その中で市民として最低限の責任を果たそうとする**「現実的実践的な倫理」**の立場

**Cさん**: 理想もっと熱心な政治参加)と現実(どうせ批判される)のギャップを突き、個人動機矛盾を指摘する**「理想主義的・冷笑的な論理」**の立場

最終的に、**より妥当性が高いのはBさんの主張**です。Cさんのような批評的な視点は、思考を深める上で重要ですが、それ自体が行動の指針にはなりにくいでしょう。一方で、Bさんのように、システムの不完全さや選択の難しさを理解した上で、それでもなお「次善の策」を選び取ろうとすることは、民主主義社会に生きる市民として、より建設的で責任ある態度だと言えます



質問内容は以下の通り。

以下、Aに対してBが言及しました。そのBの発言にCが言及してBとCが会話しました。

BとCの発言妥当性を評価して。

A:**■投票に行く理由探すの実は難しい**

選挙終わったから言うけどさ

実際問題として、投票行く理由探すの難しいよな

結果に対する一票の効力はめちゃくちゃ低い

民主主義機能させる為には投票率が重要から行くにしても当然一票では変わらない

から投票に行く理由ってマジで難しいんだよな

簡単なのは勘違いすること

自分の一票が重要だと思い込んだり、投票行かないと日本終わると思い込む

けど、こういう思い込みって結構馬鹿じゃないと無理じゃん

から、逆説的だけど積極的投票する為にはかえって個人普段から政治活動に熱心になるしかないんだよな

普段やってる活動からしたら投票なんて微々たるもんだってなるようにしないと、投票にたどり着かないやつこれからもいっぱいでてくる

B:そうか?

普段表立ってこれといった政治運動などはしてないか投票くらいは行こう。

・せめて将来世代に「お前らがろくでもない政党投票したせいで」とそしられないようにしよう。

こういうのが私の投票の主な動機

C:なんか変なこと言ってない?

もし将来世代過去批判するなら当時の人たちもっと政治に熱心になれって思うんであって、最低限の投票しかしてないやつは思いっき批判対象だろ

しかも、ろくでもない政党と言われないような政党存在してないからな

常に政治敵対勢力で石投げあってるわけで、お前が投票してる政党絶対にろくでもない政党だと言われてる

お前の動機議会制民主主義である以上果たされないこと確定してるよ

B:政治活動に熱心でないにせよ、最低限の道義は果たしたいか投票には行くって話がそんなに難しいかね?

"ろくでもない政党と言われないような政党存在してないからな

常に政治敵対勢力で石投げあってるわけで、お前が投票してる政党絶対にろくでもない政党だと言われてる"

こんなの屁理屈しかない。欠点のない政党ライバルのない政党なんてないが、だからといって即すべての政党が「ろくでもない」と断言できるレベルで悪いわけでもない。

毎度毎度、こっちの政党はここはマシ、ここはダメ。あっちの政党はここはマシ、ここがダメと取捨選択して、少しでもマシな政党、少しでもろくでもなくない政党を選ぼうとするのが投票行為だろ。

C:お前の前提で、最低限の道義批判を免れようとしてるの変だよねって話でしかない

しかも実際具体的に話せてない時点でお前は逃げてることに気付くべき

つい最近選挙あったんだからその話をしてみ?

間違いなくろくでもないと言われるから

投票行けって言う芸能人はいても、この政党投票してくれ理由はこうだって言えるやつがいないの見たら分かるだろ

どんな説明しても批判は避けられないか

相対的敵対勢力は悪なんだから

2025-07-13

dorawii

(非アカデミックという程度の広い意味で)日常的な会話や議論では背理法は使われない。

我々はわざと支離滅裂に言おうとでも思わないかぎり、ある程度筋の通ったと周りが思うような思考言動をする。

意図的に筋が通った考え方をしてやろうというよりは、無自覚にそうなってしまうのではないかと思う。

それはそれが人間にとって教えられずとも内的に発現していく自然思考の枠組みだからだと思う。

たとえば内と外の区別人間プリセット思考の枠組みの一つだと思われる。

唯一の物が入れ物の外にあることを発見したら、入れ物の中を見なくてもその内にはないと即座に直観できるような枠組みだ。

背理法はどうかといえば、これは到底自然人間に発芽される枠組みには思われない。

一部の天才発見したその論法天下りに与えられて、ほとんどの人が無理数証明ができるかの試験のために公式として受け入れるにとどまるものに過ぎない。

その無理数証明だが、たとえばルート2が無理数かの証明を示されたらその論法をまるごと「公式」と捉えることでルート3が無理数かを証明しろと言われても、証明はできるが、

実は自分で何を言っているのかよくわからないっていうのが正直な感想ではないか

数学論理学議論ではない場で背理法的な話し方をされたら、むしろ素朴な実感として、論理の飛躍支離滅裂と感じられるように感じる人が多いと思う。

きっと背理法自身正当性背理法以外の人間がもともと持っている論理的手順のなかで示し得るものだと思うのだが、そうはいっても自然思考の一つではないと思われる。

もし背理法背理法自身正当化されるのならば、それは循環論法という論理(学)的に誤った論理になるわけだが、循環論法は間違いであるというのも人間がもともと持っている思考の枠組みには思われない。

素朴な実感として勉強するまでは循環論法的な話に何も違和感を感じなかったことも少なからずあると思われる。

世間的には背理法支離滅裂だし自然ではないということで普通の会話や脊髄反射的なレスバでこれを用いる道理などない。

なぜ背理法を今ここまでこき下ろしているかというと、どうしても理解できない背理法の使い方を見かけたからだ。

特定の条件を満たす距離空間コンパクトならば点列コンパクトであるという証明だがそうしたテーマはここでは本質ではないのでこれ以上立ち入らない。

要点はその証明構造

Aでないと仮定して、そのなかでBでないと仮定して、するとAでないという仮定矛盾するのでBが真であるということになり、このBが真であるということを、Aでないという仮定では矛盾することを示す根拠に使っているという構造をとっていることだ。

え、おかしくないですか?

Bが真であるというところからAでない、ではないということを導いたですよ。ということはAが真なのです。

でもだったらBは結局真偽どっちになるんですかね?Aでないという仮定から、Bでない、ではないと、導いたのに、実際はAであったと言う。

Bでない、ではないという推論のよってたつところが崩壊していないか

それなのにその崩壊してそうに見えることを根拠にAだと言っている。

けがわからん。これが支離滅裂じゃなくてなんという?

言ってみれば背理法の主張には確からしさを感じ取れる「手触り」がないわけだな。

中学レベルピタゴラスの定理の、直角三角形を4で囲んで正方形を作るみたいな証明には、この種の手触りの無さが無い。全く誰にとっても納得できそうな証明だ。

数学が嫌いになるのも、こういうどう見ても支離滅裂に「見える」主張を、秀才天才けが納得できる正当性でもって押し付けられるか場面に出会ってくるからだと思う。

その主犯の一人は背理法だと思われる。上記のような多重の背理法で何かを考えたり主張したりするということを数学論理学系の学問を学ぶ人以外が自発的に行うことは全く人間として自然ではなくまずあり得ないと思われる。

-----BEGIN PGP SIGNED MESSAGE-----
Hash: SHA512

https://anond.hatelabo.jp/20250713180211# 
-----BEGIN PGP SIGNATURE-----

iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaHSnBQAKCRBwMdsubs4+
SOTbAQDSPcYoTVUwLm/Pgp0/wAxi2SgdLBtz35RDqPPvX24zSAD+LYZeJ8+gXQcR
J1Xj/ZET2DmBbbHAZm93P/n3CKCFLgI=
=gVqU
-----END PGP SIGNATURE-----

2025-07-10

dorawii

ニューモ育毛剤ひよこがふさふさだから卵の成分入れたって言ってるけど、明らかに論理の飛躍があるよね。

こんなの買っちゃう人は陰謀論にもひっかかるんだろう。

-----BEGIN PGP SIGNED MESSAGE-----
Hash: SHA512

https://anond.hatelabo.jp/20250710140840# 
-----BEGIN PGP SIGNATURE-----

iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaG9K2QAKCRBwMdsubs4+
SOgYAQC60jQeLifNkXffXJZl/ueocSPc5mna3nO2dV9i2LRwawEA4vsMbBsapj1X
HHP4obshZlpfaQcBpY4f9wPusl//Gg8=
=OWVn
-----END PGP SIGNATURE-----

2025-07-05

anond:20250705213727

なるほど、ご指摘の趣旨理解できます。ただ、その論理構造はいくつか疑問が残ります

まず、「煽ればマウントを取れると思っている=会話より勝敗しか興味がない」という前提ですが、これは論理の飛躍があります

煽りが必ずしも勝敗目的でなされるとは限らず、例えば議論の中で相手矛盾を強調する表現として使われる場合もありますよね。

次に、「最初から劣勢って自覚ある人の立ち回り」と断じてますが、これは根拠が示されていません。

劣勢かどうかは、そもそもどのような評価軸によるのか。議題の論点立場知識量、感情の余裕——いずれの観点から評価なのか明らかでないままに断定されています

したがって、そのご主張は論理性よりも印象操作的な性質が強く、建設的な議論の妨げになっている可能性があります

2025-06-27

anond:20250627014237

覚醒剤でもきめてるの? 論理の飛躍が激しすぎて、誰にも通じないだろそれw

anond:20250627013802

論理の飛躍が激しすぎて、誰にも通じないだろそれw」

anond:20250627012920

覚醒剤でもきめてるの?

論理の飛躍が激しすぎて、誰にも通じないだろそれw

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん