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はてなキーワード: 背骨とは

2025-11-22

単なる好き嫌いの話

ゾっとするほど嫌いな論者のタイプがあるのよ〜

リアリスト気取り」コレ。

地金は左翼なのになんか幼稚な理屈こねて自分リアリストだとかむしろ保守だとか言い出すやつ。

あるいはマインドマッチョ主義なのになんか良い子ぶりすぎて左翼みたいになってるやつ。

で、どっちにしろ背骨のないご都合主義者。

例えば石破とか伊勢崎とか橋下とかな。

例外なく自認“切れ者”の無能

2025-11-20

最近肩こりがひどりからか、うんこで力むと背骨ビリビリに痺れて不安になる。特に首の付け根の突起あたり。

同じ人いる?踏ん張るのが怖い。

2025-11-18

anond:20251117223522

GQuuuuuXのEDテーマノイズどころか作品背骨として機能してたと思うけどなぁ。

米津玄師、星街すいせい、竹...という座組で劇場公開前に「このアニメ現代若者向けですよ。そういう心構えで見てくださいね」とミスリードをするのに機能してた。そして劇場公開後も新旧ガンダムの『水と油感』を演出する上でも役割を果たした。

そしてマチュたちの物語に限って言えば、序盤のポップな雰囲気、中盤のシリアスな展開、終盤の疾走感を一曲エンディングテーマ接続して作品全体に一貫性を感じさせる機能果たしてる。

あのアニメは最低限作品として成立するための土台を若者向け要素で固め、その土台の上で古参ガンダムファンお祭りをやるアニメだった。米津玄師、星街すいせい、竹がお祭り運営スタッフをして、1st信者ステージの上で酒飲んで気持ちよく踊ってる構図。そういう祭りだった。

2025-11-17

anond:20251117115708

①「台湾ウクライナは同じ」という前提が雑すぎる

ウクライナほとんど全ての国が独立国家として正式に認めています

台湾:多くの国が「独立国家として公式には認めていない」という扱いを取っています(これは “国家承認” をしていないというだけで、価値判断とは別の話)

まり、「国」として扱われているかどうかがそもそも違うため、両者をそのまま同列にするのは中学生レベル比較でも雑です。

問題点比較する前提条件が全然違うのに「同じだ」と決めつけている。

②「内政問題なら侵略し放題」というのは誤解

内戦扱いすれば侵略し放題ってことになる!」と極端な主張をしています

でも実際の国際ルールでは、「内政問題です」と主張しても武力の使い方には国際法ルールがあるので、内政問題=なんでもOK ではありません。

例えば政府自国民に対して虐殺をすれば、「内政問題」でも国際社会制裁を課したりします。

問題点:「内政問題」と言っても好き放題できるわけではない、という国際法の基本を無視している。

サンフランシスコ講和条約の扱いを誤解している

文章にはこうあります:「放棄はしたけど、移譲先が決まってない!」

これは一般的に正しい前提です(台湾をどこに渡すとは書いていない)。

ただし問題はここから

この事実をもって台湾独立国家である、と断定したり、中共中国共産党)が統治権を得た、と断定したり

どちらも条文からは読み取れないのがポイント

まり、元の文章条約が“何を決めていないか”だけを利用して、都合の良い結論勝手に作っている。

問題点条約が決めていない部分を論拠に、強い結論を導いている(論理の飛躍)。

④「平和主義が聞いて呆れる」というレッテル貼り

最後に、「好戦的なのは相手の方だ!」という決めつけがあります

これは 論点から外れていて、単なる感情的攻撃

事実論理ではなく、相手好戦的だ!嘘つきだ!という罵倒で締めるのは、議論背骨がない証拠

問題点論理的な議論ではなく、感情的レッテル貼りに逃げている。

中学生向けに一言でまとめると

台湾ウクライナは条件が違うのに同じだと言い、条約の書いていないことを根拠に強い結論を出し、最後相手悪者扱いして締める」という雑な議論

2025-10-31

奨学金「やさしい顔をした金融装置」——7か月の謎と税の裏側

「貸倒引当金損金算入」なんて言葉を聞くと、だいたいの人は眠くなる。

けれど、これが実は奨学金という制度の“本音”を照らすキーワードでもある。

ざっくり言えば、「貸したお金が返ってこなさそうな分を、あらかじめ経費として認める」仕組みだ。

そして、これを税金計算に反映できるかどうかが、国の性格を決める。

 

国が“リスクを肩代わりする”ということ

たとえば、あなた会社経営していて1000万円もうけたとする。

法人税率をざっくり30%とすれば、税金は300万円。

でも、あなたが「このうち100万円は、貸したけど回収できなそう」と言って、

その100万円を経費にできる(=損金に算入できる)とどうなるか。

 

課税対象は900万円、税金は270万円。

国に払う税金が30万円減る。

まり、国が“貸倒リスクの3割”を実質的負担したということになる。

損金算入とは、国家企業の失敗の一部を税で肩代わりする制度なのだ

これを知らずに「貸倒引当金なんて難しい話」と思っている人は多い。

だがここにこそ、**「どんな失敗を国が共に背負うか」**という社会哲学がある。

 

日本では銀行けが“国の共担”を許されている

日本では原則として、実際に回収不能にならなければ損金にはできない。

でも例外がある。銀行保険会社などの金融業だ。

これらは「法定繰入率」というルールで、あらかじめ貸倒分を税務上の費用として認められている。

まり銀行融資で焦げついても、その痛みはすでに税で少し吸収されている。

リスク社会で分担する、という前提がある。

 

一方、**奨学金JASSO)**のような「教育支援する貸付」はこの枠外だ。

貸した金が返らなければ、本当に国の損失になる。

からこそ、制度は「破産させない」「逃がさない」という設計に偏る。

これが、表向き“やさしい”奨学金制度の裏にある、硬い現実だ。

 

アメリカは「リスクを値付けして流通させる」

アメリカでは考え方が違う。

学生ローンを含む貸付債権は、束ねられて**証券化(SLABS)**され、投資家の手に渡る。

まり教育ローンも最初から金融商品”だ。

返済が滞ればその分、証券価格が下がる。

貸倒は倫理問題ではなく、市場価格変動になる。

 

アメリカ政府もそれを前提にしている。

議会予算局(CBO)や教育省は、あらかじめ「将来どのくらい焦げ付くか」をモデル化し、予算に織り込む。

まり、貸倒損失は最初から想定済みの政策コスト

学生破産した=想定外の失敗」ではなく、「予定通りの割合なのだ

からこそ、延滞者に課される**回収手数料(25%上乗せ)**も、「罰」ではなく「市場の回収コスト」として処理される。

 

本題、日本の「7か月の謎」は何を意味するのか

日本学生支援機構(JASSO)の奨学金は、貸与終了から7か月後に返済が始まる。

卒業3月、返済開始10月

この不思議な“間”の意味を考えたことがあるだろうか?なぜ4月から請求しないのか?

 

表向きは「新社会人生活安定のため」。

引越し就職給与口座の整備——確かに数か月の猶予は理にかなっている。

だが、もう少し冷静に見ると、別の合理が見えてくる。絶対に借り逃げさせない強い意思

 

4月入社新卒社員は、たいてい3か月間は試用期間。

この時期に返済請求を受ければ、破産手続き裁判所から「支払不能」が認められやすい。書類上は収入ゼロ、もしくは雇用不安定人間借金の取り立てをしているのだから

ところが10月なら違う。雇用が安定し、給与が入る。

まり裁判所破産免責を認定しない。「返せるでしょ?」となる。

このタイミングで返済義務を発動させれば、制度としては極めて理想的に“逃げ道”を塞げる。

JASSOはそこまで公には言わないが、債権保全観点では非常に計算された設計だ。

(ちなみに借金があっても債権から返済の請求が無ければ裁判所自己破産手続き受理されない。返す義務が具体化していないのだから訴えの利益が無いのだ)

 

ライフハック的に「返さない」を想定した借り手

一部には「最初から返す気がない」人もいる。

卒業と同時に自己破産しても、ブラックリストは7年で消える。

20代前半の7年なんて“クレカが持てないだけ”で済む——そう考える若者ゼロとは言い切れない。

JASSOの7か月ルールは、そんな“逃げのタイミング”を制度的に潰す仕組みでもある。

まり、借り手の心理的穴を、制度時間設計で塞ぐのだ。

 

支援”の顔と、“回収装置”の背骨

こうして見えてくるのは、

日本では奨学金は「教育支援」よりも「回収可能性」に重心を置いた制度になっているということ。

なぜなら、貸倒を損金にできない限り、貸す側のリスクは全額自己責任からだ。

税制が貸し手を守らないから、制度は借り手を締める。

 

一方、アメリカリスク市場に流し、価格に織り込む。

貸倒を見越して引当を積み、投資家分散させる。

から破産しても倫理非難は少なく、「数字範囲で終わる」。

 

まり——

日本では**「道徳」が返済を支え**、アメリカでは**「市場」が返済を支える**。

どちらも支援監視バランスの上に立つが、文化真逆だ。

 

それでも“やさしく設計する”余地はある

奨学金は、「教育機会を広げたい」と「回収したい」の間で揺れている。

その揺れを見える化しないまま「返せ」と言えば、制度道徳主義的に硬直する。

もし本当に“支援”を名乗るなら、返済開始の柔軟化や所得連動の自動適用といった再設計必要だ。

「貸す側が損を想定できる国」と、「借りる側が破産を許されない国」では、若者の挑戦の角度も変わってくる。

 

教育とは未来の前借りだ。

ならば、前借りの回収はその人の立ち上がり方に合わせていいはずだ。

JASSOの7か月という小さな数字の背後には、

税と倫理と回収の三つ巴の設計思想が眠っている。

その構造を知れば、奨学金という“やさしい顔をした金融装置”が、

どれほど綿密に国家会計と結びついているかが見えてくる。

 

 

ChatGPTに書いてもらいました。10分

2025-10-30

Grokかしこすぎて怖い

これが「次に来そうな単語統計的選択する操作」で書けるもんなのか。

───────────────────

あるネット上のやりとりを次に示します。アキラの言っていることがたもつには全くわからないとのことです。たもつにわかるように解説してあげてください。

アキラ wrote; 例えば親が死んだらSNSかに「母がなくなりました…」とか書く?そんなとき通りすがりのわけわかんねえキモオタ勝手なこと言われるの最悪すぎだろ。手が届くとこにいたら普通に背骨へし折るけど、いないし。本当に重いことなんか書けない。

もつ wrote ; 一般人は出さないだろうがなんらかの活動ネットでしてるならしばらく休止するとか反応できないとかあるんだから書いてる人が多いと思うが

アキラ wrote; この文中での親の死は「本当に重いこと」の例でしかないのだが

そういう字面を見たら「ネット著名人アナウンス必要に迫られた場合はどうするか」みたいな個別具体的な(そして架空の)こと考え出しちゃうわけね。とおりすがりのわけわかんねえキモオタは。

もつ wrote ; ちょっと言ってる意味からないわ

意味不明な文章だけで理解してもらえると思ってるの?最近多い自他境界おかしい人なの?

アキラ wrote; 馬鹿に生まれて残念だったね

来世とかないけどまあ適当に折り合いつけてね

もつ wrote ; やっぱりつながりのない意味不明な文章

AIのがまともな文章書くだろ


10秒間シンキングしました】

アキラとたもつのやり取りを、たもつさんの視点でわかりやす解説しますね。基本的に、アキラさんは「SNSで本当に重いプライベートな話を書けない理由」を説明してるんだけど、たもつさんの返事がその本質をずれて捉えてしまってるせいで、アキラさんがイラついてる感じです。順番に分解して説明します。

全体の流れのポイント
  • アキラさんは「いや、親の死はただの例なのに、なんでそんな具体的な話に飛躍するの? それがまさに『通りすがりキモオタ』みたいな変な反応だよ」と指摘。
詳細な解説(各発言ごと)
1. アキラさんの最初投稿:

「例えば親が死んだらSNSかに「母がなくなりました…」とか書く? そんなとき通りすがりのわけわかんねえキモオタ勝手なこと言われるの最悪すぎだろ。... 本当に重いことなんか書けない。」 

2. たもつさんの返事:

一般人は出さないだろうがなんらかの活動ネットでしてるならしばらく休止するとか反応できないとかあるんだから書いてる人が多いと思うが」

3. アキラさんの次の返事:

「この文中での親の死は「本当に重いこと」の例でしかないのだが そういう字面を見たら「ネット著名人アナウンス必要に迫られた場合はどうするか」みたいな個別具体的な(そして架空の)こと考え出しちゃうわけね。 とおりすがりのわけわかんねえキモオタは。」

4. たもつさんの返事:

ちょっと言ってる意味からないわ 意味不明な文章だけで理解してもらえると思ってるの? 最近多い自他境界おかしい人なの?」

5. アキラさんの返事:

馬鹿に生まれて残念だったね 来世とかないけどまあ適当に折り合いつけてね」

6. たもつさんの最後の返事:

「やっぱりつながりのない意味不明な文章 AIのがまともな文章書くだろ」

https://anond.hatelabo.jp/20251030161139

  • 「また意味不明。AIの方がまとも」と返す。会話が噛み合わず、終わってる。
なぜアキラさんの話がたもつさんに「意味不明」に感じるのか


もつさんがこれを理解して、次から相手意図をしっかり捉えて返事すると、会話がスムーズになると思いますよ! もしもっと詳しい部分が知りたいなら教えてください。

2025-10-15

anond:20251014215758

まず実際に趣味コミュニティに入るかマチアプをしてみたら。本当に自分背骨になるノウハウ経験しながらじゃないと身につかないし、なによりやらないそれっぽい理由は実はいくらでも作れちゃうから行動しないと何も始まらないよ。人間関係リセットできるような少し遠いコミュニティなら恥をかいても問題いかおすすめ

2025-10-12

高市参院選中に「背骨を入れる」とか何とか言ってたけど

この人が総裁になったおかげで自民党以外も背骨が入りまくって政界全体がシャキッとした感じやな

2025-10-09

なんであれって

背骨がない男がカムチャッカ半島食う男になってんの

でっかいバッファローのがみたいんだが

2025-10-04

身体が動かない

目の奥が重い

頭がモヤモヤする

背骨が軋む

肩が強張っている

呼吸がしにくい

一週間の疲れがどっと押し寄せてきている感じ

2025-10-03

anond:20251003104638

ものを大切にできない人は人も大切にしない

これなぁ、これもグラデーションよなあ

色々考えて考えすぎてがんじがらめに生きてる人もいるっちゃいるが、だいたいはそこら辺の細菌とかが目に入ってない

背骨の有無で決めてるとかならまあ筋は通ってるが(脊椎動物で一番軽視されてるのってなんだろ。じゃことか軽いが接点少ないし。ねずみくらいか

自分が見える範囲自分勝手に決めた線でこれは大切に、これはぞんざいにと

外でやるやらないは結局基準を外部に丸投げしてるし、荒波立てないうまい生き方だけど、ラインの引き方が結局主観になる

他人依存して基準を変えない人は二人っきりでなら会えるが一緒に外歩くのは嫌だが

2025-10-01

ワイの粉瘤の場所

頭のてっぺん(2つできてて繋がってひょっこりひょうたん島みたいな形になってる)

右耳の裏(NEW!)

左耳の耳たぶ

左耳の裏

右こめかみの少し前

胸の真ん中の骨の上

右脇

背中のど真ん中(背骨の上)

鼠蹊部(ちんたまの付け根のとこ)

尻たぶの右側

把握してるだけでこれだけ

2025-09-23

丹田とは則ち仙骨から第五、第四腰椎に至るアーチ

それらを支える筋肉のこと

人の二足歩行を支える要となる箇所

ここが歪むと骨盤、脚、背骨の全てが歪み、何もせずとも疲弊する身体となる

逆に、これを鍛え自在に操ることができれば、疲れを知らぬ身体が手に入る

体力をつけるための体力が無いと嘆く増田はまず丹田に力を込めることを覚えるべし

2025-09-11

22歳の猫が死ぬ

夏ぐらいか便秘になり始め、飯が食えなくなった。飯が食えなくなると体重が落ち、背骨が浮き出るようになった。

体力も落ちたようで、ソファの上に飛び乗ることができなくなった。

肛門の側に腫瘍があり、それが大きくなったことで大便・小便がしにくくなっているらしい。

おれが14歳のころから飼っているので、もう22歳である人間の歳にすると110歳だとか。

飼い猫を看取るのは3匹目なので慣れてきているのだが、何とももの悲しい。

猫が老衰死ぬときは目の周りがまっくろになる。一度まっくろになったので、これはもうだめかなとも思ったのだが、病院抗生剤を投与してもらったら持ち直した。

抗生剤を定期的に投与することで一時的に元気になったので、「年内は生きられるかな」と思ったが、件の腫瘍のせいで小便ができないらしく、昨日カテーテルで尿を採ってもらったら容器がいっぱいになるほど溜まっていた。

尿ができなくなるといよいよもうだめらしい。ここからは、頻繁に病院で尿を採って延命するか、病院に行くのを止めて逝かせるかの選択となる。

前の猫でも同じような選択を迫られたのだが、猫が死ぬタイミングは飼い主の選択に依る。どうしたものか。どちらにしても猫はしんどいだろうな。

猫が死ぬことをみんなに知ってほしくて、「死にそう」と写真付きで送るのだが、「めったなことを言うものではない」という反応が返ってくる。

もっともだと思う反面、現実死ぬである母親も「死ぬ死ぬ」と大騒ぎしているが、同様の心境かと思う。

来週か再来週か、ミケが死ぬ。このことをみんなに知ってもらいたい。

2025-09-05

機動警察パトレイバー劇場版(1989)感想

感心したところその一

古い家屋を並べて町並みを描くのは非常にうまいやり方だと思う。

これはレイバーという近未来機械が登場する作品から有効なのではない。

現代的な建物だけでは作品世界が味気ないものになってしまうからだ。

そういう点でどんな種類の作品にも時間的空間的な背骨となる背景が必要だろう。

パトレイバーでは昭和を感じさせる建物や調度品を描いてそれをおこなっている。


感心したところその二

影をつくることで無駄な画を削減するのは秀逸だ。

いわゆる引き算の美学というものが守られている。

小説でも文章を削ぎ落として簡潔にすることが名文を書くのに必要だが、映像も同様のようだ。

きっと鑑賞者の視点を導く機能もあるのだろう。

負担のない快適な鑑賞ができる仕組みだ。


感心したところその三

余計な台詞がなく、鑑賞者がイライラしない。

登場人物の口数が多いゆえに鑑賞者の気持ちを乱す作品があるが、そのような失態がない。

その時その場の登場人物の心境を鑑賞者が考えられるように配慮してある。

制作者の手つきを隠して世界観を壊さないようにできているのは流石だと思う。


他にもあるが、大きく三つ挙げた。

冗長になるのでこれくらいに留める。

先にGHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊(1995)を先に観ていたが、押井守らしい演出はこの頃からあったのだとわかった。

月並な賛辞となってしまうがパトレイバーは非常に満足感のある映像体験だった。

長くなってしまった。

このあたりで筆を置くことにする。

2025-09-03

anond:20250903081153

😺ニンゲン背骨はそんなに軟らかく曲がりませんからビョーキですね

2025-08-31

弱者男性だし、バイクでも乗るか。燃費の良い125ccでいいよな。

弱者男性だし、バイクでも乗るか。燃費の良い125ccでいいよな。

弱者男性だけど、最近なんか移動手段が欲しいなって思ったんだよ。

車は維持費が重すぎるし、チャリだと距離限界ある。

ならバイクだろ!ってことで調べたら、燃費の良い125ccが最強って出てきた。

候補はもちろん ホンダハンターカブ(CT125)。

燃費はリッター65kmという異次元の数値。

弱者男性救世主じゃん!」ってテンション上がった。

でも実際に買うとなると、バイク本体以外にも金がかかるんだよな……。

試しにフルで見積もってみた。

バイク本体・基本装備

ハンターカブ本体:50万円(人気すぎてプレミア価格

登録費用&整備:5万円

自賠責(5年):2万円

任意保険オプション:6万円(年間換算で5年分)

ヘルメット(アライのフルフェイス):10万円

グローブジャケット:8万円

パンツ&ブーツ:7万円

ETC2.0搭載:5万円

スマホホルダー+ドラレコ:3万円

小計:96万円

維持・メンテ

高性能チェーンロック防犯カメラ:15万円

ガレージ設置費用120万円(ハンターカブ専用の聖域)

定期点検代(5年分):10万円

消耗品オイルタイヤ・チェーン等5年分):15万円

メンテ工具一式:4万円

小計:164万円

趣味カスタム・沼

カスタムマフラー:8万円

リアキャリア&サイドバッグシステム12万円

Bluetoothインカム:5万円

ナビ専用スマホ10万円

キャンプ道具一式:25万円

GoProマウント:8万円

動画編集パソコンソフト:30万円

YouTubeチャンネル開設関連費用ロゴイラスト依頼など):5万円

海外ツーリング用の輸送費&現地レンタル:50万円

小計:153万円

総合

96万円 + 164万円 + 153万円 = 413万円

総評

……いやいや、125ccの原付二種に乗るための予算新車ベンツ並みになったんだが。

弱者男性にこれは背伸びどころか背骨ポッキリだろ。

俺はバイクを諦めた。

2025-08-25

弱者男性を山奥に放置してみたwww

俺の名は増田太郎

34歳、独身年収700万で雀の涙世間じゃ「弱者男性」って呼ばれてるけど、俺には普通じゃない力がある。

下方婚相手能力を無理やり下げて戦意を奪う。
念力:物体自在に動かせる。岩でも木でも敵でも。
身体強化:瞬間的に筋力とスピードを爆上げ。
変身:戦闘フォームに切り替え、特化能力を得る。
時間遅延:周囲の時間の流れを遅くする。
不老不死:死んでも数分で蘇る。
反物質アンチマター):最終奥義。触れたものを消し飛ばすが、自分も巻き込まれリスク大。

企画静岡の山奥に俺を放置青森まで徒歩で帰るというもの

手持ちは水500ml、チョコ羊羹1本、現金1万円だけ。

1日目:静岡クマと遭遇

霧深い山道で2メートル級のツキノワグマと遭遇。

下方婚で動きを鈍らせ、身体強化と念力で岩を落とす。

しかし爪が腹を裂き、意識が途切れる。

不老不死で復活し、倒れたクマの横を通って進む。

朝飯は川原山芋を焼いて塩なしでかじった。

5日目:長野・山姥の襲撃

焚き火の夜、皺だらけの女が包丁を握り襲う。

時間遅延で回避し念力で木を倒すが、左腕を切られ死亡。

漆黒モードに変身して首筋を一撃。

夜食は山姥の小屋で見つけた干し柿。甘さにホッとする。

12日目:新潟怪獣カバロウ

林道カモシカ怪獣が突進。

時間遅延で避け、背中に飛び乗るが振り落とされ死亡。

復活後、念力で巨木を叩きつけ撃破

昼飯は山菜そば700円。

21日目:山形・雪女との戦い

吹雪山道で凍える白い女。

下方婚が効かず氷槍に貫かれるが、復活後身体強化で崖に叩き落とす。

民宿芋煮を食い、温まった。

33日目:秋田秋田市のヤマハ

禿頭の来訪神5体が金棒を振りかざし迫る。

怠け者を叱責しながら突進。

下方婚は効きづらく、時間遅延で避けつつ念力で雪を崩す。

一体に粉々にされるも復活。

変身フォームで反撃するも押される。

切り札反物質」を発動。

黒い球体が右手に現れ、雪と空気を吸い込み閃光とともに半径10kmの地形ごとヤマハ消滅

俺も爆散するがゆっくり復活。

40日目:秋田男鹿半島ナマハゲ

赤と青の鬼が雪原に現れる。

「悪い子はいねぇが!」

全体に下方婚を撒き身体強化で突撃

一体を念力で雪中に封印するも背骨を折られ死亡。

復活後、雪庇を崩し雪崩で全員を押し流す。

夕飯は漁村ハタハタの塩焼き。脂が甘い。

55日目:青森駅到着

髭は腰まで伸び、服はボロ布。

だが立っている。

雪の向こうの駅の灯りを見て、静かに呟く。

「……俺、怠け者じゃないよな?」

2025-08-20

3年前、鬱病だった時に書いた日記

朝。

うすい光がまぶたの裏を押す。

短い声。

指先にやわらかい起伏、細い骨の並び、ぬるい息。

喉の奥からころころ震える。こちらの胸も少しだけゆれる

起き上がる。

薄い膜の口を裂いて、乾いた粒を浅い丸にころがす。

さな音の雨。

足もとで、しっぽのようなものが足首にふっと触れて、すぐ離れる。

水。

銀の口から落ちる糸がひとまとめになって、冷たさが掌を抜ける。

白い泡が立っては消える。

布を集めて、丸いものの中へ。

回る。

濡れる。

打つ。

くるくる、どん、くるくる

透明が乳白に変わり、また透きとおる。回転が止まるころ、部屋の空気は少しだけ湿っている。

上のひろがりは澄んで、青い。

外へ。頬に細い風。

影がながくのびたり、短く折れたり。

二つ、三つ、と足音背中を追い越す。

笑いの破片が弾み、すぐにどこかへ跳ぶ。

手に持った紙の口をあけて、丸いふたのついた熱いものを少しだけ口に含む。苦い。舌が目を覚ます

角をまがる。

低い囲いの向こうで、ちいさなのが身を低くして、じっとこちらを見る。

目が二つ、まあるく光る。呼べば来る、という合図もいらない。

ただ近づけば、足首にふわり。持ち上げる。軽い。

あたたかさが腕に巻きつく。肩にのせると、耳のすぐそばで小さな機械みたいな振動

こちらの息がそれに合わせて整っていく。

部屋にもどる。

紙の上で、黒い列がすべっていく。意味を追うより先に、形のならびが目に入る。線と線の間に、午前の光の残り香。

音のない鐘が胸の真ん中でひとつ鳴る。窓──と呼びたくなる四角──から、やわい揺れが床に落ちている。

そこへ、丸い影がすべってきて、うずくまる。背をなでると、背骨が指先を道案内する。

熱。

浅い金の皿に油がひろがり、はじける。

細い白いものを落とすと、じゅわ、と跳ねる。

香りが部屋に広がる。

塩をつまみ、指先で雪みたいに降らせる。

粒が舌の上でほどける。

喉を通るもの身体のまんなかに火を置いていく。

さな相棒が足もとで待っていて、こちらの皿の端から、すこしだけ分ける。噛む音がやさしい。

午後。

布をひろげ、陽のすじの中に置く。

から水が空へ逃げ、色が軽くなる。

上のひろがりのむこうで白い鳥が点を描き、すぐ線になって消える。

腕の中のあたたかい塊は、時々目を細め、時々こちらを忘れるふりをして遠くを見る。

呼ばない。呼ばなくても、気が向けば戻ってくる。

そういう約束が、だれにも知られないまま、ここにある。

外。

舗装の上で、車輪が低い唸りを残す。

信号──と言われる色の切替──が変わるたび、群れの流れが組み替わる。

だれかが誰かに手をふり、すぐに見えなくなる。

耳に入ることばの切れ端は、意味になる前に風でちぎれる。

胸の中で、午前の震えと午後の熱がうまく混ざり、歩幅がほどよくのびる。

帰る。

丸いものの中で乾いていた布は、まだ少し冷たい。

指でたたんで重ねると、積み木の塔みたいにおとなしくなる。四角い光の板をひらいて、遠くの誰かから届いた列を目で追う

。目が少し疲れるころ、足もとの丸い影が「いま」と言うみたいに見上げる。

こちらも「いま」と返す。声にはならない。だけど通じる。

薄暗くなる。

四角の向こうが茜に変わり、やがて群青の布をかぶる

天井の薄い輪が光る。細い糸のような雨が一瞬だけ窓をたたき、

すぐやむ。湯をためる。肌に貼りつく温度が、今日の角ばったところを丸くする。

肩まで沈むと、耳の外の世界が遠ざかる。

近くで小さな歩み。ふちに前足──と呼びたくなるもの──をかけて覗きこむ。湯気の向こうで、二つの丸がまた光る。


夜。

布の海へ。

隣で丸い塊が丸いまま、規則正しく膨らんではしぼむ。

こちらの胸もそれに合わせて上下する。

暗さの中に、午前の短い声、ひるの苦み、午後の陽のすじ、夕方の茜、湯の温度、すべてが点になって浮かび、ゆっくり線になる。名前はない。札もいらない。

ただ、順番に通り過ぎていく。



どうしてこれを公開したのか?理由はこの日記の日付がちょうど今日だったから。

当時は処方された薬を何種類も飲んでいた。

薬漬けで日中意識朦朧とし、当時のことはよく覚えておらず、だから日記をつけていたのだと思う。

今は幸いなことに寛解したものの、このような文章は、今の私ではもう書けない。

2025-08-05

マイルドにしてみた。

言い方や口調を気にせずに万人が言いたい放題好き放題喋ったり書いたりしたものを、

AIが間に立って通訳してお互い気持ちよくコミュニケーションができるようなサービスが現れたらいいね

マナー教育に見る現代的「精神纏足」の構造

近年、子ども向けの「マナー本」や「好ましいふるまい」を指南する書籍が増えている。

特に小学生女子対象にした内容には、丁寧な言葉遣いや身だしなみ、持ち物の管理社会的に「好ましい」とされる態度が詳細に記されている。

そこには「笑顔で話しかけよう」「クッション言葉を使おう」「ハンカチティッシュヘアピンを持ち歩こう」などの教えが並ぶ。

一見すると微笑ましくも見えるが、果たしてこれを**「教育」**と呼んでよいのだろうか。

社会は、誰のために、何を教えているのか?**

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形式と実質の混同**

マナーや社交性を教えることは、社会生活を送る上で無意味ではない。

しかし、子どものうちから「立ち振る舞い」を過剰に意識させる教育は、時に**形式内面化を“人格形成”と誤解させる**危険性を孕む。

大人マナー講座や新入社員研修で学ぶ「アイメセージ」や「敬語の使い方」などは、社会的な“お化粧”に過ぎない。

それらは、人間としての誠実さや礼儀を養うというよりも、職場で摩擦を避けるための最低限の技術だ。

にもかかわらず、それを子ども人格教育混同することで、**「中身」ではなく「外見」が人格証明だという価値観がすり込まれしまう**。

これは教育ではなく、**精神の表層化**である

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ステキ女子」という規範精神纏足**

ステキ女子の必需品」とされるアイテムや振る舞いの数々は、しばしば「内面の成長」や「意識の高さ」と結びつけられる。

だが、その実態は、**文化的同調圧力性役割再生産**に他ならない。

このような価値観賞賛され、子どもたち自身がそれを「良きもの」と信じて内面化していく様は、

まさに**現代版の“精神纏足”**と言えるだろう。

かつての纏足が、「美しさ」「品位」を名目女性身体を痛めつけたのと同様に、

現代マナー本は「品のある人間」「ちゃんとした子」という価値名目に、

子ども内面に**不自由理想像**を刷り込んでいく。

そこには自律自由もない。あるのは「こうあるべき」という空気への過剰な服従だけだ。

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趣味人格混同する社会**

子どもにはさまざまな興味関心がある。

男児電車機械に惹かれるように、女児が身だしなみや社交ごっこに惹かれるのも、生得的な傾向のひとつかもしれない。

それ自体咎め必要はまったくないし、楽しむこと自体自由であるべきだ。

問題なのは、それを**「人格の優位性」や「精神成熟」の証**と誤認することだ。

そうした趣味を**道徳的価値人間性の指標として扱う風潮**は、他者へのマウンティング排除を生み出しやすい。

いわばそれは、**貴族社会コルセット**のようなものだ。

その瞬間、自由は失われる。**

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教育とは何か**

本当に子どもに教えるべきことは、「礼儀」ではなく**「徳」**である

  • 嘘をつかない
  • 約束を守る
  • 恩は忘れない、恨みは水に流す
  • 卑怯なことをしない
  • 他者に敬意を持つ

こうした**人間背骨となる価値**が育まれていれば、表層的なマナーなど、あとからいくらでも身につく。

逆に、マナーや身だしなみばかりを優先し、それを人格の証と錯覚するようになると、

中身のない「良い子」**ばかりが量産される。

その結果として、「こうあるべき」という形式に縛られ、自由で柔軟な人格は育たなくなる。

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「良い子」を作ることは、人格形成ではない**

私たちは、「ステキ女子」や「清潔感のある男子」を作ることが教育の成果だと思い込みやすい。

だが、それは単なるコードに過ぎず、むしろ本質から遠ざかる。

精神纏足」や「自発的コルセット」への自覚なしに、

表層の美徳を持ち上げ続ける社会こそが、子どもたちを縛る。**

これは男女問わず現代社会における構造的な問題である

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最後に**

教育とは、他者の目を気にさせることではない。

自分で考え、自分で選び、自分責任を持つことを教えること**だ。

表面的な作法を超えて、もっと根本的な「人としての在り方」に目を向ける教育が、今こそ求められている。

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