はてなキーワード: 書道家とは
27歳のときに付き合った人と結婚したので活動期間は実質5年くらいかも。
23~26歳の間には何人かと付き合ったりした。
辛かったのは「周りはみんな結婚しているのに自分だけできない」という点だけで、長引いた割にまあまあ楽しく婚活できた。
自分は女性、正社員、子なし希望なので相手の年収や身長はどうでもよかった
以下、結婚するまでに付き合った人
プロフィールにYouTuberと書いてはいなかったけど、よく見ると銀の盾が写真に写り込んでいたのでいいねした。
同性のファンばかりで彼女いない歴=年齢だったのでマッチングアプリをしたとのこと
・小説家
高学歴で国家資格も持っているけど親の莫大な遺産で生活している小説家。
顔と喋り方がSKY-HIに似ている
顔がかっこよかったのでいいねした。
自作のボードゲームが売れて、小説よりそっちの収入の方がデカくなったらしい
親に学費を払わせすぎ。
ケモナーで、Xで獣のエロい絵を描いてアカウントが凍結したので行政書士に頼んで解除してもらおうとしていた。
・書道家
彼が大量の墨汁(4kg)を作って全身が黒ずんだ状態で会ったことがある。
藤井風に似ていて、書道教室のおばさま方からめちゃくちゃモテているらしい。
顔がかなりかっこよかったのでいいねした。
この人と結婚した。
英語と韓国語を少し勉強してわかったがそもそも日本語のコミュニケーションも苦手だ。コミュニケーションというものそれ自体が苦手なんだ。旅先で路上のハトをみるたび「このハトはどの国のハトとも通じ合えるんだな」と感慨深くなる。なぜなら言語を持たないから。いや、ほんとうにそうか?A地域のハトは「ポッポー」があいさつでB地域のハトは「ポポッ」があいさつかもしれない。あいさつのある地域とない地域があるかもしれない。言葉とは鳴き声のパターンだと最近つくづく思う。共鳴することそのものが快と感じるように生き物はできている気がする。わかる。わかるんだけど私は上手くハモれない。「休みの日とかなにしてるのー?」なんて雑談もハモりやすいように投げかけてくれているだけなのにそこに意味を見出してしまい歌詞の意味を考えているうちに乗り遅れて合唱は終わっている。誰かとうまく歌えるようになりたい。雑談を振られるとどうしても何かジャッジされると思い込んでしまうので人と話す前は「鳴き声鳴き声鳴き声共鳴共鳴共鳴」と唱えてから挑む。そして雑談が終わった後は「失敗した…」と内容を振り返って落ち込んでしまう前に「ちょっと歌がズレただけ」と意識をシャットアウトする。会話が鳴き声の共鳴だと気づくまでに随分と長い時間がかかってしまった。ずっと誰とも会話できている気がしないなと思っていた。そもそも「共鳴は快である」という前提を知ったのが最近だから、OKOKと思っている。だけどもさ、と独唱で転調してみるのですが、私は合唱でうまく馴染むことができず教室を抜け出して人知れず鼻歌うたって帰ってるような人のことが大好きなんですよね。こんなに私はこの世界のことを少しでも理解してせっかくだから順応しようとしているのに、自分が死んだら世界も死ぬし意味ないじゃんと思う。そういえば、年齢的に子を持つこと・持たないことを検討するようになり、自分が生まれたこと、いま意識があり思考があることとかまで考えを巡らすようになった。そう思うと、いま意識があること、ひいては世が存在するということは親の気分みたいなところに左右されており、この世はなんて心許ないんだと愕然とした。もっと壮大で強烈なものに裏付けらていると思っていた。この世、この生、儚ね〜、大事にしよ。もうこの歳になると学歴とか会社とか、この世が幻想だなあと自分の世界の捉え方がふわりとしてくる。世のジジババが孫に対して甘々なのってそういうことなのかなあと思う。幻想とわかった上で幻想を楽しめる歳なのだろう。ところが不思議なことに、私のジジババは最後までずっと幻想を信じていたな。祖母は当時もう80とかなのに、私の進路についてあれこれと口を出してきていた。幼い頃から〇〇ちゃんはこの大学かこの大学に行くのよと言われ勉強を教えられていた。浪人して芸大に行きたいと言った時は、どうか普通の〇〇ちゃんに戻って、浪人するなら縁を切る、この敷居を跨ぐなと言われた。芸術系浪人なんか全保護者を不安にさせる進路を選ぶ自分にも完全に非があるのだが、当時はこの老人とはこんなにも意志が通じないのかとに驚くばかりだった。私は80近くになってもこの幻想にそこまで執着できるとは到底思えない。バイオレンス婆は、文字通り普通に虐待をする。長い物差しで人の頭を執拗に叩く。孫の私にはさすがにしたことがなく、母はよく「おばあちゃん丸くなったわ」と言っていた。そんなバイオレンス婆に育てられた母は運良く反骨精神の持ち主で、祖母と繰り広げたバトルをコミカルに私によく話してくれた。中学生の時自分の部屋に仲間を集めて祖母にバレないようにシンナーを吸っていたのが楽しかったとか、万引きのスリルとか、夜な夜な窓から飛び降りて遊びに出かけていたとか、無免許でバイク事故して病院に行けず祖母にもバレないように必死に隠し、今も腕にぶっとい傷跡が残っているとか。わかりやすいヤンキーに仕上がったようだ。口酸っぱく祖母に「先生と呼ばれる仕事に就きなさい」と言われていて、女子短大を卒業し祖母のコネで幼稚園の先生になった。快活で子供にすぐ懐かれる母には向いていたと思うのだけど、母は幼い頃から絵を描くのが好きで、デザイナーになることを諦められなかったらしい。頭から血が出て何針か縫うくらいの祖母バトルを経たのち、昼は幼稚園で働きながら夜はデザインスクールに通い、なんとかデザイナーになった。といっても版下とか、テレクラのPOPのデザインみたいな仕事だったけど、それでも母はデザイナー時代のことをいつも楽しそうに話していた。そんな母はまた、自分がいくら願っても叶わなかった幸せな家庭という幻想を見ていた。祖母のように、子を縛ることなく、どんなヤンチャをしても一緒に面白がり、あんたはほんまアホやな〜っていつでもふざけ合える家庭。きっとそういうものを夢見ていた。本当に申し訳なくなる。母は仕事を辞め結婚して専業主婦になった。私と母は本当に、本当に性格が合わなかった。こればかりは、いくら血縁関係でもこういうこともあるんだなと思ってきた。それでも努力して近づこうとしていたとは思う。一度もまともに通じた会話ができたことがない。母は幸せな家庭という幻想を夢見て、とにかく真面目で無害そうな父と結婚した。殴ったりしなければOKという認識だったんだと思う。父と母が会話で盛り上がっているところなど見たことがない。価値観も趣味も性格も真逆で、側から見てもお互い苦手なタイプでしかないと思う。子供ながら、お互い家庭という幻想のために結婚したんだなあとなんとなくわかっていた。私は父に似てしまった。とにかく物心ついた頃から、母は私のことが気に食わなかった。気に食わなかったんだなと思うことでしか、説明がつかないことが多すぎて、そう思うようにしている。なんだかずっと怒られていたというより、ずっと罵られていた。母は私の自虐でしか話を聞いてくれなかった。何を話しても否定から入られるので、家で何も話せなくなった。実家にいた時はずっと、教室に一人は必ずいるガキ大将と暮らしているような気持ちだった。母は夢見ていたはずの家庭がこんな惨状になってしまったことのすべてが気に食わず、ずっと機嫌が悪かった。もともとも性質かそのような家庭環境なのかわからないが、私は人とうまく会話するのが下手で、一人で没頭できる勉強や読書が好きな子供だった。そういうのがさらに母は気に食わなかった。どんな親だよとは思うけど、極端に言えばもっと万引きとかして欲しかったんだと思う。現代の陰湿なほうじゃなくて仲間とカラッとやるような万引き。そんで警察によばれて頭をスパーンと一発叩いて「アホ!!!帰るで!!」ってやりたかったんだと思う。ぱっちりと目が大きく美人で筋力がある母に似つかず、全て父に似て地味な顔で運動ができない太った根暗になった。母の幻想である娘を私は上手く演じることができなかった。一方祖母は、教育という幻想を再び見てしまったのだと思う。そこまでしんどい思いをせず勉強ができてしまう私に勝手に期待をした。母は、祖母の幻想を叶えられる存在としての私に対しては、まんざらでもない様子なときもあった。ところで、祖父や父はこういうとき何をしていたのかというと、何もしていない。何も言わない。記憶にない。ずるいよね。母はきっと心から安らぐ幸せみたいなものを感じたことがないのかもしれないと勝手に不安になる。けど母は自分の家庭を持つという幻想を成し遂げた、殴ったりしてないしOKOK、それが満足だと思っているはず、と言い聞かせる。ところで不思議なことに、私はかつての母と全く同じグラフィックデザイナーとしていま働いている。何も気が合わないのに特技だけは遺伝した。人との会話が何十年も成り立たない中で、視覚的な共通言語でものが通じることが自分の救いになったのがデザイナーになったきっかけで、決して何かを教えてもらったこととかは本当に一度もない。そもそも母も私も絵が描けるのは、祖母が書道家兼芸術家だったことが遺伝情報としては大きくて、(だとしたらなぜそんな教育幻想と暴力に囚われてしまったのかは本当に私が教えて欲しい)、わたしたちは相互に歪み合いながら螺旋を描いている。祖母も母も、芸術センスみたいなものは遥かに私より良くて、そういった面でふたりのことは尊敬しているし、破天荒な人間性も面白くて好きだ。けど、もう最小限でしか関わりたくないし、こういうのは距離があった方がいい関係が築ける。私含め3人とも地球規模で見れば息は長くないのだし、それぞれができるだけ幸せであればいいと願っている。東京にいると、そういうタコピーみたいなふわふわことが思えてしまうのだから怖いなと思う。たまに地元に帰るとあまりにも地に足がついてずぶりと沈みそうになる。地元とは幸せみたいな言葉が嘲笑される地域のことを言う。その地域にはその地域が共有している鳴き声のパターンがある、それだけの話。
私は神社仏閣の御朱印を集めるのが趣味であるが、その中で知った御朱印の種類について書こうと思う。
・直書き
通常は筆やペンで文字を書き、印を押して貰う形となるが文字もゴム印で押して日付けのみ手書き、若しくは無かったり自身で書き入れる形となることがある。
・書き置き
あらかじめ用紙に御朱印を書き入れたものであり、通常の御朱印の他にカラーデザインや切り絵等のものもある。
一枚一枚手書きで書いたものもあればコピーで印のみ手押し、若しくはすべてコピーという所もある。
住職等、御朱印が書ける人が不在でもどなたかいればいただけたり、境内の中に置いておいてお代は賽銭箱にという形を取っている所もある。
また住職がいても御朱印を1から書いていると時間がかかるのでという理由で書き置きのみの所もあれば、書き置きでは味気ないと直書きしか行っていない所もある。
また大きさも様々であるが私は小さめの御朱印帳を使用しているため、書き置きの御朱印が大きくて貼れない場合は小さめのクリアファイルにて保存している。
・書き手
基本的に住職が書き入れる事が多いが住職が不在だったり多忙だったりすると副住職や弟子、前住職や寺庭(住職の奥様)が書き入れる所もある。
またお寺限定で書道教室を行っている書道家の方もおり、その方が住職に変わり書き置きの御朱印を書いたり、お寺のイベントで御朱印帳に直接書き入れを行なう事もある。
また書家の金澤翔子氏が縁のある寺院で御朱印を書いたり、書道展を行っている。
小さな神社仏閣では御朱印がない所もあるので事前に聞いて有無を確認した方が良いと思う。
住職が普段いらっしゃる寺院で兼務されているお寺の御朱印もいただける事がある。
御朱印に力を入れている所ではLINEで御朱印をいただける日時を予約出来るが、一般的には事前に電話で都合の良い日時を聞いてお願いした方が無駄足にもならず効率が良い。
小さな寺院では人手も少なく特に土日に法事が多く、その合間にいただく事もあるがあくまで寺院の都合に合わせる形となるので自身のスケジュールに余裕がある時でないと難しい。
・金額について
基本的に300円で良いという所が多いが最初から金額が提示されていて500円やカラーや切り絵のものでは1000円前後のものもある。
その昔、まだ読み書きの出来る人が限られていた頃。その中でもとくに、きれいな字を書ける人は神のように尊敬されたのかもしれません。その内容にかかわらず、字がきれいというだけで正しいと認められて特権を享受していた時代もあったのでしょう。
やがてグーテンベルクという人が活字を発明して、書き文字の美醜に関わらず誰もがその思想を表現できる途を開いた。もちろん、きれいな字を書ける人の中でも選りすぐりの人たちは、書道という造形芸術の高みとして尊敬され続けた。
書道という運動能力と美的感覚を兼ね備えた人のみに許された場所へは行けなかったけど、美的感覚のみの人たちがそれをテンプレ化してフォントを作った。
誰もが思想・感情を表現できる手段として活字が出来たし、その中で美的感覚を選ぶ手段としてフォントが出来た。
絵はどうなるのだろうね。選りすぐりの絵描きたちは書道のようにその技で魅せることが出来るし、センスの優れた人たちはフォントへと列聖して持たぬ者たちに施す。そして誰もが造形手段でも思想・感情を伝えられるようになるのである。
当然ですけど。書道家になりたい人もフォントとして列聖したい人も、他人から盗んだ物でそれをやってはダメですね。それはやった人に帰する成果だから。そのどちらにも権利というものは存在するべきだと考えますので。
書き順に限らず、習った知識を一生使わないでも生きられるのは間違いない
適切なタイミングで覚え直せたら極論覚える必要も教える必要もないことが多い
自己流でもなんとでもなる人もいる
小学校なんて幼稚園の延長みたいなので、こどもの「なんで?」に対応してくだけのほうがよい人材が育つぐらいはあると思ってる
まあ、基礎的な教養なかったら、いざというとき(ワクチンのあれとか、水素の水のあれとか)痛い結果を招くから、ある程度満遍なくおしえる必要が生じてしまうのだろうけど。(大人がおかしなことを言ったり広めたり強制しなければよいのだけど無理だから)
書道家とかになると、書き順どおりに書かないと多分上手くいかない
書道段持ちだけど全然実感ないけど、もっと上級になればわかるだろう。筆記体なんか特に
あと書き順は理に適ってることもおおい。書き順通りに書いた方が美しい字になる傾向がある
それで、後から強制しにくいぐらい字は書くので、出来るだけ早期に教え込んだほうが良さそう
だった。昔は。ここ20年、書類とかで名前とか住所とか以外ほとんど字を書いてない