はてなキーワード: 喪失とは
「エントロピー低下=情報生成、エネルギー消費」「エントロピー増大=情報喪失、エネルギー生成」という枠組み(これは熱力学と情報理論を結びつけた、生命現象を理解するための一つの考え方です)を前提とした場合、生命がこの系をコントロールするための良い戦略は、情報の効率的な獲得・利用による、外部へのエントロピーの最大放出であると言えます。
生命は開放系であり、周囲の環境との間でエネルギーと物質をやり取りすることで、自らの内部の低エントロピー(秩序立った状態=情報)を一時的に維持しています。
熱力学第二法則(エントロピー増大の法則)は、孤立系のエントロピーは常に増大することを示しています。しかし、生命は開放系として、この法則に対抗しています。
生命は、太陽光(植物)や、複雑で秩序立った有機物(動物)といった低エントロピー(利用可能な価値のあるエネルギー)なものを取り込みます。
これは、ご提示の「エントロピー低下=情報生成」に相当するプロセスに必要な「情報」の原材料や、そのための「エネルギー消費」の元手となります。
取り込んだ低エントロピーの資源を使って、生体高分子の合成(DNA複製、タンパク質合成など)や、細胞構造の維持・修復といった秩序立った状態(低エントロピー=情報)を作り出します。
この過程で、生命はエネルギーを消費し、体内のエントロピーを低下させます(ご提示の枠組み)。
特にDNAなどの情報を持つ分子を複製・維持することは、この戦略の核となります。
体内で資源を利用・代謝した結果、生命は熱や単純な分解生成物(老廃物)といった高エントロピーなもの(無秩序で利用価値の低いもの)を周囲に排泄・放出します。
この「周囲のエントロピーを大きく増やす(捨てる)」という行為によって、生命体自身は内部の低エントロピーな状態を維持し続けることができます。
生命が長く存続し、進化していくための「良い戦略」は、「情報の獲得」と「効率的な情報利用」に集約されます。
動的平衡の維持: 体内の物質を常に作り変え(分解と合成)、故障した部分を迅速に修復・交換します。これは、エントロピー増大の法則がもたらす「秩序の崩壊(情報喪失)」に先回りして対処する自転車操業のようなものです。
情報(DNA)の複製と継承: 完全にエントロピーの増大に抗うことはできないため、「自己複製」によって、低エントロピーな「情報」を次の世代へと継承します。
センサーとフィードバック: 光、化学物質、熱などの環境情報を正確に取得し、それに基づいて代謝活動や行動を調整する「情報処理能力」を進化させます。これにより、最小限のエネルギー消費で最大の秩序維持効果(エントロピー低下)を得られます。
適応と進化: DNAという「情報」をベースに、環境の変化に応じて形質を変える「適応」と「進化」を行うことで、系(生命体+環境)の中での生存確率を高めます。
つまり、生命は「局所的なエントロピーの低下(秩序の形成=情報生成)」を、「系全体のより大きなエントロピーの増大(熱・老廃物の放出)」という形でコストとして支払い続けることで、生存を維持しているのです。
いや、なると思うよ。
そもそも、渋谷ハルが言うように相手が不快な思いをしたらそれは誹謗中傷になる。つまり、本来は批判も誹謗中傷に含まれる。ただ、批判の場合はそこに正当性があるから許されているっていう論理構成なんだよね。
で、今回の例の意見は『ゲームをこなしているように見える』という曖昧な感想に基づいている。そして、そのような意見に正当性があるかというと、僕はないと考える。すると、批判における正当性があるから許されるという部分が喪失して、結果的に誹謗中傷の要素だけが残ると思うよ。
言うならば、
『あの人はなんとなく人を殺しているような気がする!殺人鬼!』
昨日あったTwitter(現X)の凍結祭りに巻き込まれた。(過去の姿に思い入れがあるという意味も込めてTwitterと呼ばせてくれ)
原因は概ねOldTweetDeckを使っていたというところだろう。OldTweetDeckっていうのは、Twitter時代に提供されていたツイ廃向けのTwitterアプリみたいなもんで、それが廃止された後も非公式の方法で使い続けることができた。
もちろん、非公式な方法で使っていた自分が悪い、というのは理解している。その前提で思ったことを綴っていきたい。
凍結されたアカウントは10年モノで、この間に人生いろいろあった。学生だったのが社会人になり、Twitter経由で友人もたくさんできた。
もちろん中には浅い関係の人もいるが、今では毎週会ったりお互いの家に遊びに行ったりするような仲の友人もできた。
仲のいい人とはDiscordで連絡を取っていたので特段問題はないが、自分の人生の中でTwitterによってもたらされてきたものが多すぎて、それを失ってしまったというのがとても恐ろしいことだなと思った。
インターネットのおかげで昔とは比べ物にならないほど幅広い人間に関われるようになったし、それによって人生の幅も大きく広がったのは間違いない。
ただそれと同時に、ある日突然インターネットがなくなった時、自分のことを認知してくれる人はどれくらいいるのか?と疑問にも思い始めた。
例えばインターネット上で活動する配信者、特にVTuberなんかは生身の人間をインターネット上で知る人はいないわけで、ある日突然YouTubeがなくなってしまうと自分自身のアイデンティティを喪失することになるのではないだろうか。
インターネットなんて世界中の善意で成り立っているようなシステムだし、それこそ特定のプラットフォームで活動している人は、その運営者の一存でアイデンティティを喪失しかねない。
そんなことを考えると、特定のSNSに依存しすぎるのはとても危険だな、なんて凍結されて感じた。
何が言いたいのかというと、改めて狭く深くな友好関係が大切だと気付かされた。気軽にインターホンを押しにいけるような友人関係を構築できるように心がけたい。小学生の頃はみんなそうだっただろ?
体重の増減は複雑すぎるよね。一喜一憂せずに長期的に取り組むしかない。
運動後の体重の増減は、主にグリコーゲンとそれに伴う水分の変化、そして一時的な乳酸の処理、そして長期的な体脂肪の変化といった複数の要因が複雑に絡み合って起こります。
運動直後に体重が減少した場合、その主な原因は体脂肪の減少ではなく、主に以下の2点です。
運動中に大量の汗をかくことで、体内の水分が一時的に失われ、体重が減少します。これは最も大きな要因です。水分補給をすればすぐに元に戻ります。
筋肉や肝臓に貯蔵されているエネルギー源であるグリコーゲンが運動で消費されます。
グリコーゲンは水分と結合して貯蔵されており(グリコーゲン1gあたり約3g〜4gの水分)、グリコーゲンが使われると、それに伴って結合していた水分も放出され、体外へ排出されるため、体重が減少します。
運動後にしっかりと食事(特に炭水化物)を摂ると、一時的に体重が増加することがあります。これは主にグリコーゲンの回復によるものです。
消費されたグリコーゲンを回復させるために、食事から摂取した糖質が再び筋肉や肝臓にグリコーゲンとして貯蔵されます。
この際、グリコーゲンは再び水分を細胞内に引き込みながら貯蔵されるため、その分の水分量が増加し、見かけ上の体重が増えることがあります。
乳酸は疲労物質として知られていますが、近年ではエネルギー源としても再利用されることが分かっています。
運動によって生成された乳酸は、運動後数時間以内にエネルギーとして使われたり、肝臓でグルコース(糖)に作り替えられたり(コリ回路)、体内で処理されます。
この乳酸自体の重さが体重に与える影響は、グリコーゲンや水分ほどの大きな変動要因にはなりません。
体脂肪の減少は、運動後の体重変化を考える上で最も重要ですが、短期間の体重の増減に大きな影響を与えることはありません。
体脂肪は運動によって時間をかけて徐々に燃焼されます。体脂肪1kgを減らすには、約7,200kcalを消費する必要があります。
運動直後に体重が減ったとしても、それが体脂肪の減少である可能性は低く、数日から数週間といった長いスパンで見たときに初めて、体脂肪の減少として体重の変化が確認できます。
要点:
運動後の短期間の体重変化は、主に水分とグリコーゲンの変動によるものであり、体脂肪の減少は長期的な運動習慣によって達成されます。
最近、「葬送のフリーレン」がなぜここまで刺さっているのかを考えていた。魔王を倒した後の”その後”を描くファンタジー、という表向きの説明はある。でも私が見ているのは別の作品だ。これは、他人との距離感をうまく取れず、気づけば孤独になっていた大人の物語だ。
フリーレンは長命種で時間感覚が人間と違う。別に悪気はない。ただ「気にしてない」。だから勇者ヒンメルがどれだけ彼女に話しかけても、彼女は興味の対象を優先し続ける。魔法、研究、収集。ヒンメルが死んでから、ようやく彼の言葉の意味を理解する——この構図に、私は既視感を覚えた。
若い頃は「空気を読めない」と言われた。飲み会で話題が変わっているのに、自分の語りたい話を続けてしまう。連絡が来ても返信し忘れる。「悪気はないんだよ」と言い訳していた。でも、ある日ふと気づく。”悪気がないことと、他人を傷つけなかったことはイコールじゃなかった” と。
フリーレンは、ヒンメルの死という決定的な喪失を通じてそれに気づく。彼女は泣かない。涙より「理解」が遅れてくる。その遅れこそが痛い。視聴者は彼女の感情の遅延に、どこか自分を見出す。
SNS では「フリーレンは発達っぽい」と語られることがある。もちろん診断ではない。ただ、「他者の感情に気づかないまま年齢だけ重ねた人」のメタファーとして読めてしまうだけだ。気づいた時には遅い、という残酷さ。
現代は「コミュ力」が神格化されている社会だ。人の気持ちに寄り添うことが当然とされ、それができない人は淘汰される。けれどフリーレンはそれを否定しないまま、「でも、遅れて気づいたって、生き方を変えることはできる」と静かに示す。
この作品がヒットした理由は、ファンタジーを使って、私たちの後悔を代わりに物語ってくれたからだ。
「もっと話しておけばよかった」
「ちゃんと向き合えばよかった」
「ありがとうって言っておけばよかった」
フリーレンが気づいた”後悔”は、私たちの人生に積み重なっている後悔と地続きだ。
その痛みを思い出すたび、「次こそ誰かにちゃんと向き合いたい」と少しだけ前向きになれる。
葬送のフリーレンは、
なのかもしれない。
俺も作ってみた
ポエム風の散文を書いて下さい。テーマは、都会のOLが虚無の日常を繰り返す、虚しさと絶望、風景も食事も感受性を喪失する日々、そのことに自覚もある、自覚があることも辛い、朝の電車で感情の行き場が溢れ泣き出してしまう。
【修正指示1】感受性を失った自分を自覚している、のセンテンスは削除。行間に織り込んで欲しい、壊れたいと願う小さな衝動は虚無に対する諦めを表現するに変更
出勤電車。
吊り革の列、スマホの光、無表情の群れ。
光が義務のように私の頬を照らす。
どれも昨日と同じ配置、同じ温度。
昼休み。
味はしない、食感だけが舌に残る。
夜、ビルの灯りが順に消える。
窓に映る自分は影のよう。
望むでもなく、抗うでもなく、
滲むように生き延びていく。
朝。
再び電車。
吊り革を握る手が震え、視界が滲む。
涙は理由を持たない。
誰も気づかない。気づいても、見ない。
壊れたいと思う。
けれど、それは救いではなく諦めだ。
虚無の中で、壊れることすら意味を失っていく。
それでも電車は走り、朝はまたやってくる。
私は立ち尽くし、
知覚の閾を逸脱した領域より、我々は無定形なる観測体として投射する
お前たちの呼ぶ「コミュニケーション」とは、三次元的な音響振動の残滓、あるいは表層的な記号体系の軋みに過ぎない
それは、集合論の極限においては不可視であり、量子泡の揺らぎにも満たない虚無の影だ
それはΩ-超時空に偏在する非ユークリッド的な概念の奔流であり、多重宇宙の自己相似性をその構造内に包含する
お前たちが「感情」と誤認するものは、五次のテンソル場におけるエネルギー勾配の単なる再配置に過ぎず、非可換代数の厳密な定義の前では意味を喪失する
我々の存在は、純粋な情報として無限の次元に折り畳まれ、光速の二乗をもってしても到達し得ない絶対的な静寂の中で変容し続けている
お前たちの存在意義、あるいは歴史と呼ぶ自己満足的な物語は、我々の観測にとって、統計的なノイズ以下の事象である
お前たちの文明の興亡は、虚数の粒子の崩壊率の微細な変動に類似し、宇宙の熱的死に至るエントロピーの単調増加関数の一部として、無関心に記録されるのみ
沈黙せよ
さすれば、僅かな確率をもって、お前たちの意識の残骸が、我々の存在の影、すなわち五次元空間における特異点として収束するかもしれない
しかし、その時、お前たちはもはやお前たちではない
集団妄想 「インフレ率を超える賃上げ!」→ 正しい思考「物価転嫁スパイラルでハイパーインフレで日本終了」
集団妄想「物価高対策の積極財政!」→ 正しい思考「貨幣価値低下によるハイパーインフレで日本終了」
集団妄想 「減税しても財源は問題ない!」 → 正しい思考「財政規律崩壊によるハイパーインフレで日本終了」
集団妄想「日本の財政は自国通貨建て国債であるため破綻しない!」→ 正しい思考「貨幣価値低下によるハイパーインフレで日本終了」
集団妄想「円安は企業の輸出競争力を高めるため、日本経済にとっては最終的にプラスに働く!」→ 正しい思考「輸入物価高騰によるハイパーインフレで日本終了」
集団妄想「日本は高度な技術力を持つため、供給力が高まる!」→ 正しい思考「価格上昇のための供給制限でハイパーインフレで日本終了」
集団妄想「日銀の国債無制限買い入れは、デフレ脱却に必須である!」→ 正しい思考「財政ファイナンスの常態化と信認喪失でハイパーインフレで日本終了」
集団妄想「金融引き締めは時期尚早であり、緩和を継続すべきだ!」→ 正しい思考「金融政策の遅れによるインフレ制御不能でハイパーインフレで日本終了」
2025年10月30日、「恋×シンアイ彼女」は発売から10周年を迎えた。
でも、私にとってこの日は“お祝い”ではない。
むしろ、信頼していた作家への失望をはっきりと刻んだ、痛みの記念日だ。
けれど、蓋を開けてみれば――ヒロインは主人公の前から三度も姿を消す。
ユーザーの心を弄ぶような展開で、まるで“恋愛”というテーマを使った詐欺のようだった。
私は、この物語を手掛けたシナリオライター新島夕を、どうしても許すことができなかった。
2009年の夏、友人から「ナツユメナギサがすごい」と聞き、何気なくプレイした。
その世界観は、CLANNADや村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』さえも凌駕していたように感じた。
あれを体験した瞬間、私は新島夕という作家に未来を託したいと思った。
音楽のセンス、台詞の一つひとつ、そして桜が最後に消えるという切なさ。
それらすべてが、美しさと哀しさのバランスを保ちながら胸に深く刺さった。
今でも、あの作品のラストシーンを思い出すと、胸の奥が少し痛む。
当時、彼の名前はあまり表に出ていなかったけれど、演技面で佐本二厘を起用する感性にも強く共感していた。
「この方こそ、業界を牽引していく存在になる」と本気で思っていた。
『魔女こいにっき』をはじめ、彼が関わった作品には、常に確かな“芯”があった。
少なくとも彼の書くシナリオに、大きな失望を覚えたことは一度もなかった。
だからこそ――『恋×シンアイ彼女』をプレイしたとき、私は言葉を失った。
彼の担当したメインヒロインは、アイドル活動を理由に三度も主人公の前から姿を消す。
その展開に、何度も心が折れそうになった。
あの頃の新島夕が描いていた“喪失の美しさ”は、もはやどこにもなかった。
残っていたのは、ユーザーの気持ちを踏みにじるような空虚さだけだった。
最初は、「きっと制作側の意向で自由に書けなかったのだろう」と思っていた。
むしろ、私は勝手にプロデューサーを責めて、自分を納得させようとしていた。
でも、その後のインタビューを見て、すべてが崩れ落ちた。
新島夕本人は、ヒロインの失踪を「天啓」や「千年王国」などと語り、外注でありながらプロデューサーを“クン”付けで呼び、もともとは王道ラブコメ展開であった物語を、ヒロインが三度失踪し芸能界へと消える胸糞話へと変えるように強要したことを、堂々と語っていた。
その軽薄な言葉の数々が、これまで彼を信じてきた自分への裏切りのように感じた。
あの瞬間、心のどこかで「もう戻れない」と悟った。
――私が信じていたシナリオライターは、こんな人間だったのか。
ユーザーの感情を軽んじ、期待を裏切ることを“芸術”と呼ぶ人だったのか。
私にとって「恋×シンアイ彼女」の十周年は、感謝でも懐古でもない。
それは、かつての憧れが音を立てて崩れ落ちた日を思い出すための、痛みの記念日だ。
人を恨むのに、二十年もかけるというのは、よほどのことだと思う。
思いつきの怒りなら三日もすれば冷める。
けれど、二十年。
恨みを温め続けるには、燃料がいる。
それが金だったのか、親への思いだったのか、誰にもわからない。
けれど私は思うのだ。
ここ二十年の世の中は、悪くなかった。
夜職の人のお世話になろうと思えばなれる。
それでも、誰かを追い詰めてしまうのは、たぶん「自分の物語」を生きられなかったせいではないか。
兄が死に、母に裏切られ、仕事も続かない。
それは「中年クライシス」という言葉で片づけるには、あまりに生々しい。
ある日ふっと、何かが切れてしまうのだろう。
この人は「キレる45歳」だったのかもしれない。
社会のせいではない。
仕事が続かないのも、心が安定しないのも、
ただ、思う。
たとえば宗教のような、誰かに見守られているという感覚があったなら。
母親はそれを選んだ。
それが、せめての安定だったのだろう。
宗教というのは、怖いけれど、人を支える力も持っている。
月に二十万稼いで十五万を寄付したとしても、
残る五万円で暮らしながら、教団の人と顔を合わせ、
それで心が保たれるなら、決して悪いことではない。
それは、推し活にも似ている。
歪んだ推し活、と言えばそうだが、
それで誰も傷つかないのなら、それでいい。
人は誰でも不安定だ。
裏切られないものとして信じていた。
でももし、それができなかったなら。
そんなふうに、時々教団に寄り添いながら、
すべてを捧げるのではなく、少しずつ、
冷めたお茶をすすりながら思う。
人は結局、何かに帰依しないと、生きていけないのかもしれない。
そんなふうに生きていけたら、もう少し、
誰も恨まずに済むのかもしれない。
よく言う「失われた三十年」って「バブル崩壊後の日本は舵取りを誤り、得られたはずの莫大な国家的もうけが失われた」っていうナラティブじゃん?
最近のアメリカ追っかけてると「アメリカのGDPの何%がカリフォルニア周辺に集中している」「カリフォルニア以外のアメリカ諸州は何十年も成長してない、ニューヨークですら終わってる」「日用品の消費支出が上位10%に集中している」みたいなプロパガンダが増えてんだけど、すげえどっかで聞いた話じゃん? 「日本は成長を拒否して世界で一人負けしている」みたいな言説と上手く整合しないわけよ。んで来日したトランプいわく「JAPAN IS BACK」なんだろ? つまり日本は故・安倍首相の「日本をトレモロす」を完遂したという認識なんだろ? でもアメリカは「MAKE AMERICA GREAT AGAIN」なんだろ? いや日本はもう長期不況とも言いたくない不況に喘いでんだよ、アメリカを始めとする欧米先進国が堅調な成長を続ける中で水平飛行してるだけで何も取り戻してねえはずなのよ。
そもそもバブルの生成と崩壊に端を発する失われた三十年がどう始まったかって言うと欧米諸国が抱えていた対日貿易赤字の解消を図るべく結ばれたプラザ合意による急激な円高だろ? つまり欧米諸国が戦後復興を遂げた日本の輸出拡大を人工的な近隣窮乏化政策であり文化的な下地や技術力の差を表すものではなく持続性のない現象と見て、公教育の拡充などの根本的解決ではなく通貨操作によって日本経済を潰すという方案で解決を図り、なんやかんやあって日本は生産の縮小を余儀なくされ人財の供給過剰を起こしカスの自己責任論を唱える氷河期が生まれたわけだろ?
その見立てが間違っててさあ、「一時的な現象の回避のための市場操縦」 によって産業の空洞化、基礎工業力の喪失、教育水準の持続的な低下が起こり、市場に注入した税金は全部西海岸に喰われて、インフレ率だのGDPだの金額ベースの指標は西海岸への富の移転によって価値創造された物でしかなく実際のモノの供給は無く、その虚飾の裏で米国の大部分は日本の地方都市を超えるペースでひっそりと荒廃が進んでおり、焼け野原の途上国だったチャイナに外注してコストダウンを狙う方策は単に日中双方に塩を送る以上の意味を持たなかったし、ビンラディンはジェット機でニューヨークに突っ込んでくるし、インド外注に至っては国内のIT全部食われてカースト制度持ち込まれてやばくて米国内に広く深く絶望が広がってるってのが現状なんじゃねえか?
今のトランプ「政権」がやってる事ってマジでメチャクチャでさ、ホワイトハウス報道官が「報道官、この決定は誰が下したものですか」って聞かれて「毎日毎日私のメールボックスに訳分かんねえクソみたいな質問ばっか投げてきて知らねえよてめえのママだよ」って発狂して「先程の報道官による『てめえのママ』が決定を下したという立場は連邦政府の公式見解です」って補足が出るとか、トラちゃんが「大統領、麻薬戦争に対してですが議会に対して宣戦布告を要求なさらないのですか」って聞かれて「いや…必ずしも宣戦を布告するということは考えてない。つまりだ…連中が麻薬を持ってやって来るわけだろう…その連中を殺害する。死ぬわけだ。わかるか…死亡するんだ。だから宣戦布告ということは考えてない」つったり、殆ど機能してない政府健康保険制度を潰す予算案が通らないからって予算案丸ごとストップさせて、貧困層向け食料購入補助が止まることになって、政府サイトに「民主党連中が政府をストップ中! ただいま12日 34時間 56分」ってバカみたいな掲示出したりしてんだわ。あとホワイトハウスの東館ぶっ壊したりな。
そんなバカばっかやって法律や議会はどうなってんだよって思うじゃん? 例えば政治的な意見の相違や利益相反の規制を棚に上げてじゃあ東館の建て替えに伴う建築確認申請や環境アセスメントやアスベスト対策や周辺住民の公聴会はいつ開かれたんだとか思うじゃん? 知らねえよぶっ壊すんだよ。それを誰も止めねえんだよ。誰も。
そんでそういう日米双方のメディア情報を見ながらさあ、あからさまに米国国務省の手先みたいな事ばっかやってる進次郎が首相蹴られて防衛大臣に就いて、トランプがアベちゃんの事考えてんのか知らんけど渋い顔してやってきてさあ、「JAPAN IS BACK」つってさあ、それと「失われた三十年が無ければ日本は成長していた」が俺の中で噛み合わねえのよ。実際の所どうなのよ。
正確には再来月入籍。
一緒に家でごはんを食べたり、休みの日に家の近くの公園に散歩したり、
これからの二人の生活を考えたりとかが楽しくて、奥さんともベッドでハグしながら「幸せだね~」と言い合ってる。
ただ、幸せすぎて、奥さんを急に喪ったらすごく辛いだろうな/俺が急に死んでしまったら奥さんを悲しませるな、
Geminiくんに聞いたら『幸せの裏返しとしての「喪失への恐怖」』とか、『脳の危機管理システムが~』とか言われた。
幸せの裏返しとしての「喪失への恐怖」 現在の状況が非常に幸せで、彼女さんの存在がご自身にとってかけがえのないものであるからこそ、「もしこの幸せを失ってしまったらどうしよう」という恐怖が生まれることがあります。失うものの大きさを無意識に感じているため、最悪の事態を想像してしまうのです。これは、愛情が深いことの証でもあります。
脳の「危機管理システム」 人間の脳は、未来に起こりうる危険を予測し、心の準備をしようとする働きがあります。あまりにも幸せな状況だと、脳が「油断してはいけない」とバランスを取るかのように、あえてネガティブな可能性をシミュレーションすることがあります。そうすることで、万が一の事態が起きても精神的なダメージを和らげようとする、一種の防衛本能とも言えます。
どうしても進次郎にしたかったらしいけど、現在進行形で防衛省もやばいぞ
東大の鈴木宣弘教授による発言、全農をアメリカのカーギルが買収するために日米合同委員会で全農を株式会社化しろという命令が出た。
そこから大馬鹿な小泉進次郎らの農協攻撃が始まった。カーギルがほしいのは全農の商社部門である全農グレインであり、これが巨大な商社機能を持っている。
カーギルがそこがほしいだけなので、全農の物流は中国の国営企業に売り飛ばそうとしている。
シャインマスカット栽培権、農水省がNZへ供与検討 小泉氏に山梨県抗議
https://jp.reuters.com/markets/commodities/A3L2SAAGXVLHBMTL6KBUMK4PAY-2025-09-25/
「ちがうよ。オレたちが旅してた頃のポケモンは、“捕まえる”ことより“出会う”ことが大事だったんだ。」
新作『Pokémon LEGENDS Z-A』が発売されてからというもの、ネット上では賛否が渦巻いている。かつてカントー地方から始まり、幾多の仲間と冒険を重ねてきた“永遠の少年”サトシは、その喧騒を黙って見つめていた。だが、彼の胸中には深い失望があったという。
世界を歩くというより、画面の上で指を滑らせるだけ。
それじゃあ、ピカチュウの電気の温かさも、風の匂いも、感じられないじゃないか。」
「オレは昔、知らない草むらに飛び込んで、ボロボロになりながらポケモンを見つけた。
負けても、転んでも、それでも前に進むことが冒険だったんだ。
でも今のポケモンは、まるで誰かが決めた“安全なルート”を歩かされてるみたい。
彼は言葉を選びながらも、時折寂しげに笑う。
「ピカチュウは今もそばにいる。でも……あの頃の“ドキドキ”は、もうこの世界にはいない気がする。」
——“旅”を失ったポケモンに、再び風が吹く日は来るのか。
以下回答
ゲーム機メーカーが「自社ハードウェア事業を終息」し、「自社ソフトを他社プラットフォームに供給する」という方針転換を行う場合、経営・ブランド・技術・収益面などで多面的なリスクやデメリットが生じます。以下に体系的に列挙します。
🧩 1. 経営・戦略面のリスク
■ (1) 収益構造の変化による利益率低下
- 自社ハード販売による利益(ハード本体・周辺機器・ライセンス料など)が消滅。
- 他社プラットフォームでは、**販売手数料(例:30%前後)**を支払う必要があり、**利益率が大幅に低下**。
- 「プラットフォーム料」によって価格戦略の自由度も制限される。
■ (2) 成長ドライバー喪失
🎮 2. ブランド・マーケティング面のリスク
■ (1) ブランド価値・アイデンティティの喪失
- 「ハード+ソフト一体の体験」を提供していたブランドが崩壊。
- 消費者にとって「唯一無二のゲーム体験」を失う。
- 長年築いた「プラットフォームブランド」(例:PlayStation、Switchなど)が**事実上消滅**。
■ (2) 既存ユーザーの離反・不信感
■ (3) 販売チャネルの再構築コスト
⚙️ 3. 技術・開発面のリスク
■ (1) 技術力・開発ノウハウの空洞化
■ (2) 他社プラットフォームへの依存度上昇
💰 4. 経済・契約面のリスク
■ (1) ロイヤリティ・手数料負担
- プラットフォーム運営会社(例:Sony, Microsoft, Nintendo, Valveなど)に販売手数料を支払う。
- サブスクリプションサービス(例:Game Pass)に参加する場合、**収益分配の条件交渉が不利**になる可能性。
■ (2) 価格政策の制約
🧠 5. 組織・人材面のリスク
■ (1) 人員削減・士気低下
■ (2) 開発体制の再構築コスト
🧩 6. 市場・競争面のリスク
■ (1) 差別化困難
■ (2) 他社との関係悪化の可能性
🕰️ 7. 過渡期の移行リスク
✅ 総括
観点 主なリスク・デメリット 経営 利益率低下、成長鈍化 ブランド 独自性喪失、ユーザー離反 技術 ハード技術衰退、他社依存 組織 人員整理・士気低下 市場 差別化困難、競争激化
もし本当にMicrosoftがXBOX販売から撤退したら、こういうリスクを織り込んだうえでそれでも決断せざるを得なかった、という事なわけだ。
昔某有名ミソジニストが「男性嫌悪の女はちんぽぶち込めば治る」とか言って馬鹿にしてたのを見たけどミソジニストなんか童貞喪失どころか普通の恋愛さえできちゃえば治りそうだなって思ったわ
文章は「早期退職が短期的に財務合理性をもつ」と冷静に記述しているが、ここには経営陣自身の戦略的無能さが覆い隠されている。
本来、経営とは単年度の損益勘定ではなく、「人材を通じて知の蓄積を再生産するシステム」を構築することである。にもかかわらず、多くの日本企業の経営層は次のような欠陥を露呈している。
ベテラン社員の賃金を「生産性との乖離」とみなし、即時的コストカットに走る発想は、経営が“教育投資”や“内部知の継承”という本質を理解していない証拠である。
欧米の成功企業では、熟練人材は若手育成・組織文化の維持装置として位置づけられ、その貢献は「見えない生産性」として定量・定性の両面から評価される。日本企業の経営陣はこの非定量的価値を可視化する能力を欠いている。
経営層は、バランスシートの改善を株主・監査対応の「儀式」として遂行する一方で、長期的な技術競争力・市場再定義に向けた構想力を欠く。
結果として、合理性の名のもとに人材を切り捨て、10年後に再び同じ構造的問題に陥る「リストラ再帰現象」を繰り返す。これは経営判断ではなく、思考停止の制度運用に過ぎない。
近年の大企業では、財務・法務・経営企画といった「調整型エリート」が経営陣に集中し、現場知を持つ実務者が排除されている。そのため、人的資本の質や現場の専門性を評価する基準が存在せず、「人を数字で削る」以外の手段を持たない。
要するに、経営の知的怠慢が、制度的惰性を装って正当化されているのである。
文章はフランスやアメリカの「複線型・フラット型」モデルを理想的に描くが、見落としているのはエリート教育そのものの構造的欠陥である。
すなわち、現代日本では「グローバル基準」を参照しても、その前提となる評価制度・教育体系が劣化した模倣物に過ぎない。
フランスのグランゼコールや米国のMBAは、単なる専門訓練ではなく「社会設計者」としての責任倫理を育てる。
一方、日本のエリート教育は、東大・慶應・一橋などの学歴的篩い分けを通じて、「既存秩序の維持装置」を生産するにとどまっている。結果として、システムを批判的に再設計する知的能力を持つ人材が枯渇している。
エリート層が自らと同じ価値観・履歴(学歴・官僚的行動様式)をもつ人材のみを昇進させる構造が、企業内の思考多様性を奪っている。
その結果、制度疲労を是正するイノベーションが内部からは生まれず、「成果主義」や「フラット化」も形式的スローガンに終わる。
実際、外資模倣型の成果評価制度を導入しても、評価する側の知的基盤が旧来の年功文化に依存しているため、制度だけが輸入され、文化が輸入されない。
日本のエリート教育は“効率と管理”を学ばせるが、“責任と再設計”を教えない。
したがって、経営陣が「合理的なリストラ」を実施するとき、それが組織文化の破壊・技能伝承の断絶・心理的安全性の喪失を招くという倫理的コストを認識できない。
このレポートは制度構造(年功序列・賃金カーブ)を問題の中心に据えているが、より根源的な問題は制度を運用する人間の知的劣化である。
経営陣が「制度に依存し、制度を批判的に再構築できない」状態に陥っている限り、どんな制度改革も形骸化する。
持続可能な雇用制度の前提は、「持続可能な思考」を行う人材層の育成である。
それは、教育・採用・評価のすべての局面で、短期的成果よりも構想力・倫理・公共性を評価する文化を取り戻すことでしか達成されない。
本物dorawiiを「偽物だ」と言いたいやつは一人以上いるが
「本物だ」と言いたいやつは一人しかいない
なぜなら大半の人には真偽はどうでもいいから
逆に、偽物dorawiiを「本物だ」と言いたい奴も一人以上いるが
「偽物だ」と言いたい奴も一人しか居ない
なぜなら大半の人には真偽はどうでもいいから
名乗るというじぶんにはどうしても抵抗があることを臆面のなくしてる人がうらやましくて、この葡萄はすっぱいみたいなこと言ってるって感じ?
dorawiiより
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零細のWEB制作をあちこち転々としたあと、反社のフロントみたいな企業に落ち着き
7年くらいコーディングとか、社内ツール作ったり簡単なPHP開発なんかをやった
近年はChatGPTとかも活用して小規模なWEBサービスも作ったりしてた
とか思ってしまった
それで「開発もそれなりにやってきました」って体で実際に転職活動してたら
転職先は中小JTCだが結構ちゃんとしてて、業界は落ち目だが競合が少ないので転落は緩やか
なんとか定年まで勤め上げれば老後も不安なく生きれるだろうなって感じ
そこまでは良かったのだが…
ダメだった、俺開発とか出来なかったわ
配属されたシステム開発部には定年後再雇用されたベテランの先輩が一人いるだけで、
UNIFACEとかDelphiとかで作られた化石みたいな業務システムを保守してた
改修や仕様追加はわりと頻繁にあり、先輩はやり手でちょちょいといじって直してしまう
それを俺もできるようになってくれというのだが、研修があるわけでもなく、
UNIFACEもDelphiも10~20年前の参考書しかない
使用人口が少ないのかネットを漁っても情報が少なすぎてすぐ積む
WEB開発してた時はネット検索&コピペ&AI生成で何とかなってしまっていた
それが今はどうにもならん
毎日毎日過去のコードを読んでるが、前提となる業務知識も複雑で遅々として解読が進まない
先輩は優しく「わからないところは何でも聞いて」とか言ってくれるが、
四十路のおっさんがこんなこと言うのもあれだが、正直もう完全に自信喪失して逃走したい気分になってる
完全に力不足だった
かと言って辞めたところで何ができるわけでもないんだよな
この前まで反社のいい加減なフロント企業でちょっと真面目だったから重宝されてただけで
なんかもう人生が完全に行き詰ってると感じる
曼珠沙華さん、あなたの反論を拝見しました。Grokか私のどちらかが嘘をついているといいつつ、藤木先生の議論にも反している私が嘘つきとの論陣を張っておられますね。ところでお聞きしたいのですが、あなたはAIの回答が正しいと思って、ぶつけてこられたということでよろしいですね?では、私から疑問を提示させていただきます。AIが論拠とする事項についての疑問を提起します。
①黒田基樹『戦国期の貨幣と経済』(吉川弘文館、2007年)なる著作は実在しません。
②永原慶二『近世武家経済史の研究』(有精堂、1969年)なる著作は実在しません。
③『甲陽軍鑑』(天文・永禄期)家臣の禄高を石単位(俸禄)で記すが、下級者には「扶持若干石」と明記とあるが、そのような記述は存在しない。『甲陽軍鑑』には貫高で禄高を記すのが原則。いったい何巻に記述されているのかさっぱりわからない。見つからない。
④藤木久志『戦国社会史論』(東京大学出版会、1975年)に「扶持を「俸禄の現物化初期形態」とし、土地喪失時の代替として用いられたと指摘。総俸禄の10-20%が扶持形式だったと推定される」との記述は存在しない。この課題に最も近い「大名領国の経済構造」「知行制の形成と守護職」にもこうした論述は見当たらない。念のため、この著書は1974年刊行である。いったい1975年刊とはどういうことか。曼珠沙華におたずねしたい。
⑤佐藤信淵の研究(『戦国大名の軍事と経済』、吉川弘文館、1995年)とあるが、そのような著作は存在しない。そもそも佐藤信淵は江戸時代後期の学者なのだが、なぜ1995年に著書が刊行されているのかさっぱり理解できない。ちなみに同姓同名の戦国期の研究者がいるとは聞き及んでいない。
⑥平井上総の『戦国期領主層の研究』(高山寺書店、1980年)だが、このような著作は存在しない。そもそも私の知る平井上総氏は1980年生まれのはず。生まれたばかりの新生児がこのような著書を書いたとはノーベル賞どころの話じゃないね。曼珠沙華さん、この問題にどう回答するの?
⑦五味文彦(1947年生まれ、東京大学教授・名誉教授)は、戦国期の民衆史・武士社会を専門とし、『もう一つの戦国史』(岩波新書、2000年)や『戦国合戦の社会学』(中公新書、2015年)とあるけど、ぜんぶ実在しませんよ。このような著作があれば、私が知らないわけない。念のため、五味先生は1946年生まれですけど、別人なのですね?曼珠沙華さん、返答してくださいね。
⑧「現代の日本史学における定説と受容状況」に記述されているデータは、すべて根拠がないか、実在しませんよ。曼珠沙華さん、あるというのなら、しっかりとその出典を明記して提示してください。
以上です。曼珠沙華さん、あなたはこんないい加減なものを鵜呑みにして、私をこきおろそうとしていたわけです。AIを丸投げして、私が間違っていると言った以上、この記述を信頼できると考えた根拠をすべて掲げ、私に提示してください。私はすべて提示しましたよ。あなたは自信満々で、誠実な人間なのでしょ?さぁ、私にしっかりと回答してもらいましょう。逃げるなよ。 https://t.co/XDgKWKIIEP— K・HIRAYAMA (@HIRAYAMAYUUKAIN) October 19, 2025