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はてなキーワード: メタファーとは

2025-11-22

どうも批評家さんって性的メタファーの指摘を気軽にやっていいものだと思ってる節がある

Xみたいな公開された空間で、他人作品に対して性的メタファー見出して指摘するのは、その行為自体セクハラに近いと思うよ

ネタバレたくさんあり】果てしなきスカーレットを観た

 珍しくふと、映画館映画を観たいと思った。最後映画館に行ったのは11年前、中学の頃親と一緒に行ったっきり。自力映画館に行ったことも無いのに、なぜかそんな気持ちになった。

 細田監督の最新作「果てしなきスカーレット」が、ちょうど公開されるらしい。小学生の頃、金ロー放送された「サマーウォーズ」を録画して、繰り返し観た記憶が蘇る。これは観るしかねえと思い立ち、TOHOシネマズに向かった。

 結論としては、良いところはあるものの、やはり細田脚本には問題があると言わざるを得ない出来だった。本当に現状のままでいいのか、細田監督を問いただしたい理由をまとめた。

(1回見ただけなのでおかしいところや思い違いがあると思うけど、容赦してね。)

【以下、ネタバレ










 まずは簡単にあらすじを紹介。愛する父親を殺された王女スカーレットは、父親を殺した叔父クローディアスの暗殺に失敗。死者の国で目を覚ますスカーレットは死者の国で、現代日本からやってきた看護師・聖と出会う。スカーレットは聖と共に、かたき討ちのためクローディアスを探す旅に出る。

 本作が題材にするのは報復連鎖細田監督自身インタビューでそう語っており、私もその予備知識ありでスクリーンに臨んだ。では、憎しみと復讐連鎖に伴う辛さ、やるせなさが描かれているのかと言われれば、十分に描かれているとは言えなかった。

 正直なところ、憎しみや復讐の描き方は「進撃の巨人」の圧勝こちらの方が断然よくできている。本作は「進撃の巨人」と比べて、憎しみと復讐が続いてゆく辛さ、やるせなさが身に強く迫ってこなかった。

 その理由はいくつかある。

 一つは、愛する父が暗殺される→クローディアスの暗殺に失敗→死者の国へ、という冒頭の流れが説明であること。スカーレットが抱える憎しみとその辛さは理解できるものの、それが自分の身に起こったかのように感情移入できなかった。「物語への圧倒的没入体験」を掲げる本作であるが、没入できないもどかしさが最後まで続いた。

 もう一つは、クローディアスが一貫して悪人として描かれていること。「進撃の巨人」では、主人公たちが相手を憎むのと同時に、相手側が主人公たちを憎む様子も丁寧に描いていた。絶対的な悪など無く、対立する両者がお互いに痛めつけあうやるせなさ。それが、本作にはほとんど見られない。長期連載作品である進撃の巨人」と、二時間に満たない尺の本作を比べるのはフェアじゃないかもしれないが、復讐や憎しみを描くうえで、そこは外してほしくなかった。

 しかし、復讐や憎しみを題材にしている本作であるが、より深いテーマを感じた。それは、「自分の好きなように生きよ」というメッセージである

 物語の序盤、スカーレットは父の敵討ちに燃え、死者の国で現れる敵を次々と殺してゆく。「王女としてそうあるべき」という義務感をスカーレットは抱いており、それが復讐モチベーションになっていることが描かれている。看護師である聖は、好戦的スカーレット対照的に、敵味方差別なく治療を施し救おうとする。それも、「看護師としてそうあるべき」と聖が考えているからだ。

 敵を殺そうとするスカーレットとそれを好まない聖は、一見対照的キャラクターに見える。しかし、「自分立場にとらわれて、本当はどう生きたいのか分からない」という内面は同じなのである

 スカーレットと聖は交流を重ねる中で、互いの心情に変化が生まれてゆく。スカーレットは、敵との戦闘になっても剣を鞘に納めたまま戦い、むやみに人を殺めなくなる。人を殺めるための短刀を、自分の髪を切る(新しい自分になる)ために使うシーンは、スカーレット内面の変化を印象的に描く。逆に、人を殺めることを否定していた聖は、弓矢でクローディアスの手先を殺めてしまう。物語の序盤、「人を殺めるな」とスカーレットに散々言ってきた聖が人を殺めてしまうシーンは大きな批判を生みそうだが、聖が自身の黒い感情に対して正直になった、もしくは抑えられない、という内面の変化が描かれる良いシーンであったと思う。憎しみという黒い感情否定しないことは、本作の美点の一つである

 一見対照的な二人だが、共に同じ苦悩をを抱えていて、それが変化してゆく、という構成は好印象だった。ただし、スカーレットについては憎しみに関する描写が強すぎて、「王女としてそうあるべきだから復讐燃えている」という内面理解しにくかった。物語の序盤も序盤、スカーレットの父が「王女としてではなく、女の子として好きなように生きなさい」と幼少期のスカーレットに語るシーンがあるのだが、さらりとしすぎている。スカーレット死ぬ前に、クローディアスの暗殺民衆が熱望していて、スカーレットがそれにプレッシャーを感じているようなシーンがあると良かった。

 クライマックススカーレットは死者の国から元の世界へと戻り、王女となる。王となったスカーレット民衆に、「民を救うこと」「子供絶対に死なせないこと」を宣言する。これは、スカーレットが「王女としてそうあるべきだから」と考えているからではなく、心の底からそう思っている。スカーレットは死者の国での交流を通じ、「私はこうありたい」という自発的な強い意志を手に入れて、物語は幕を閉じるのである

 そのようなクライマックスを踏まえると、「果てしなきスカーレット」は、憎しみの連鎖を描いた物語というよりは、少女自分生き方を決める物語なのだ個人的には思った。本質的には、「おおかみこどもの雨と雪」(主人公が、おおかみ or 人間、どちらかの生き方を選ぶ)や、「バケモノの子」(人間世界 or バケモノ世界、どちらで生きるのか選ぶ)など、細田監督過去作品にも通ずるテーマであるといえるだろう。

 本作は他の細田作品と同じく、演出特にメタファーの使い方に優れる。特に水というモチーフが良い。序盤、空が荒れた海のようにうねる様子をまじまじと見せつけつつ、水一つない砂漠風景を延々と見せておいて、最後スカーレットを雨に打たせる流れが良かった。雨はスカーレットの心の痛みであると同時に、乾き続けた心を潤す恵みの雨でもある。スカーレットが抱く矛盾した複雑な感情を、水や雨というモチーフを使うことで、端的に表すことに成功している。物語全編を通じて砂漠風景が続くのは単調で少ししんどくもあったが、クライマックスに良い形で回収されたのは良かった。

 カラスモチーフも良い。本作ではカラスが度々出現するのだが、物語の終盤、クローディアスと対峙するシーンでザワザワとカラスが集まり、散ってゆく演出が良かった。黒い感情やざらつきが、スカーレットの胸に広がって去っていく描写である。このシーンでは、スカーレットが抱く感情にある程度没入することができた。

 しか最後最後、黒い竜がカラスとなり散っていくシーンは解釈が難しかった。カラススカーレット内面を表しているのであれば、竜が悪役に雷の制裁を加えるのはご都合主義すぎる。スカーレットの黒い感情の高まりが、直接悪を成敗しちゃってました、ってことになってしまわないだろうか。私の読解力では、一本芯が通った演出として理解できなかった。

 その他、聖のキャラクター人間味が無いとか、スカーレットの母が謎だとか、細田監督らしく突っ込みどころは沢山あるしキリがない。しかし一番の問題点は、わかりやすカタルシスに乏しいことだろう。「見果てぬ場所」を目指すとか、最後に聖とキスして永遠のお別れをするとか、カタルシスを作ろうという工夫は見られるが没入感が無く、わかりやすく感動できない。

 唯一カタルシスを感じたのが、劇中歌「祝祭のうた」(フルバージョンがストリーミングにある)をバックに、スカーレットが炎の中に吸い込まれ現代日本へとワープするシーン(このシーンはYoutubeでチラッと見ることができる)。なんだかよくわからないけれどいい感じにエモい歌が鳴っていて、スカーレットが「うわああああ」ってなってて、吸い込まれてゆく映像美も(IMAXなので)すごい。「コレだよコレコレ!このわかりやすい感じ!」と思ってスクリーンの中に身を任せたのだが、その先の現代で踊るシーンは作り物感が強く、映画館座席の上にストンと戻されてしまった。復讐だけのために生きてきたスカーレットが新しい自分を見つける、という背景を意識するとそれなりにエモく見えるのだが、直感的に感情移入してダラダラ涙を流すためにはあと一歩か二歩足りなかった。

 「君の名は」ほどではなくてもいいから、馬鹿でも分かるような感動が欲しかった。まず、分かりやすく感動できること。そのあと二回、三回とリピートしていくにしたがって、細田監督演出の上手さが生きてくる。水や雨、聖がおばちゃんから貰った楽器などのモチーフや、登場人物些細な変化。それに気づいていくことで、回数を重ねる度により深く物語へと没入することができる。

 個人的に大好きな「おおかみこどもの雨と雪」には、それがあったと思う。揺らいだカーテンに隠れた雪がおおかみの姿に変身する激エモシーンや、嵐が去った駐車場で花と雨がお別れする涙腺崩壊シーンなど、音楽(激エモ)と映像美(激エモ)の力を借りた分かりやすい感動ポイントが、まずあった。そのあと繰り返し鑑賞してゆくにつれ、瓶に入ったお花の描写や、おおかみであるとは?人間であるとは?といったテーマ理解度が深まり没入していく。そんな作品だった。それこそが「物語への圧倒的没入体験」だと思うのだけど、皆さんはどう思いますか?

 それを踏まえると、やはり奥寺佐渡子さんの脚本に戻してほしいと切に願う。復讐や憎しみを題材にしながら「自分の好きなように生きよ」というメッセージ細田監督から投げかけられた私は、素直に胸を打った。しかし、カタルシスに乏しく物語に没入できてないので、そのメッセージが深くまで刺さってこないし、未消化感が残る。上映が終わった後、前の席に座った女性大学生くらい?)の二人組が、「何の話か分からない……」と漏らしていたのが印象的だった。監督が伝えたいメッセージが観客に伝わらないのは、あまりにも大きな問題ではないか

 奥寺氏が脚本に嚙まなくなった「バケモノの子」以降、細田監督作品脚本の弱さを批判され続けてきた。しかし、「竜とそばかすの姫」はそれなりに売れてしまったわけだし、商業的にやっていける限り細田脚本は続いていくだろう。

 しかし、本当にそれでいいんですか?

 「あなた脚本だと、メッセージが観客に上手く伝わってないみたいですけど、本当にそれでいいんですか?」と、細田監督に問いかけたくなる。「好きなように作って満足!」みたいな同人誌的な態度の映画作りで細田監督が満たされるのであれば、現状維持でかまわないと思う。我々はスクリーンの前で、感動ではなく悔し泣きの涙を呑むしかない。

 しかし、莫大なマネーステークホルダーを巻き込み、作品を広く世に知らしめる力を持つクリエイターとして、「自分メッセージを世の中に投げかけ、沢山の人の気持ちを揺さぶりたい」と細田監督が考えているのであれば、勇気をもって奥寺脚本に戻していただきたい。

 ちなみに奥寺佐渡子さんのことを調べたところ、最近脚本を手掛けた「国宝」なる映画がとてもすごいらしい。昭和ど真ん中の時代に、任侠の息子が歌舞伎役者として成長していく話なんて教養がない私にはとても敷居が高いんだけど実際どうなの????教えてエロい人。

PS

 TOHOシネマズBGMってあるじゃんピアノの曲。超久しぶりに映画館に行くので、あの曲が劇場で流れている雰囲気も楽しみにしてたんだけど、開場して五分後に入場したらすでに広告が始まってて聴けなかった。放映終了後も、「忘れ物に気を付けてください」の画面が出てくるだけで聴けなかった。開場直後に滑り込めばこのBGM聴けるの?これもエロい人がいたら、ついでに教えてほしい。

 仕方がないので、その曲を無限リピートさせながらこの記事を書いている。ちなみに、TOHOシネマズBGMは「ナッシュスタジオ」という、業務用向けのBGM効果音を専門に販売する会社のもので、ハードオフの店内放送曲や天神CM、デデドン絶望)もこの会社作品らしい。"Nash Music Library"で調べればストリーミングで聴ける。

2025-11-19

日清構図 × 乃木坂40th × 秋元康作詞史》──「ビリヤニ」はなぜ生まれたのか?多視点AI考察による一事例研究──

日清構図 × 乃木坂40th × 秋元康作詞史》

──「ビリヤニ」はなぜ生まれたのか?

視点AI考察による一事例研究──

要旨(Abstract

本稿は、2025年リリースされた乃木坂46の40thシングルビリヤニ」が、

従来の秋元康作詞史の流れからどのように逸脱し、

かつどのように既存パターン共鳴しているか考察する。

特に食品企業日清食品代表される

ブランド基盤が強固なトッププレイヤーほど“遊べる”」

というマーケティング構造(本稿では“日清構図”と呼ぶ)と比較し、

乃木坂46がなぜ“ビリヤニ”というマイナー料理

節目の40枚目という重大なタイミング採用したのかを分析する。

研究では、ChatGPTおよびGemini、二つの生成AIから得られた

異なる分析光源を重ね合わせる“多視点照射法”を用いた。

第1章 序論:なぜ「ビリヤニ」は問題になるのか

乃木坂46は「清楚」「正統派」「王道」というブランドイメージを確立している。

その節目である40thシングルにおいて、

という前例未踏方向性を取ったこ自体

文化的事象として異様な注目に値する。

本稿は、その“異様さ”を原点に議論を進める。

第2章 秋元康作詞史:食と比喩の扱い

秋元康日常語や食物を比喩として扱うことがあるが、

主題のもの料理という曲は坂道史上でも稀である

そのためビリヤニ」は異常値(アウトライヤー)として扱える。

第3章 日清構図:強固なブランドは“ふざけ”を許容する

日清食品

という“ふざけても大丈夫な強度”マーケティング界で頻繁に取り上げられる。

乃木坂46は、

これらが重なり、日清構図同様に

「ふざける余裕」が最大化したタイミング判断できる。

よって“ビリヤニ”は

ブランド強度最盛期に可能な“異物=新奇性の投入”

として説明できる。

第4章 ラジオ番組「いいこときいた」における“伏線問題

2025年9月7日放送の同番組にて秋元康ビリヤニを扱い、

発言していた点は非常に示唆である

しかし、

という矛盾点も存在する。

ここから導かれる仮説は次の2つ:

ゲストからビリヤニ文化南アジアハラール圏等)を聞いた点も歌詞接続

やすすが突如感化され、短期間で作詞に落とし込んだ。

本稿は両方の可能性を保持しつつ議論する。

第5章 スケジュール問題:2ヶ月で可能か?

結論可能である

アイドル制作現場は常に以下が同時進行している:

よって8月インスパイア11月発売

極めてタイトであるが「不可能ではない」。

ただし偶然にしては整いすぎているのが本件の核心である

第6章 歌詞分析主人公男子知識が“インド南アジア”にアップデートされている件

歌詞中で、

という知識アップデート描写がある。

これはラジオゲスト

ビリヤニイスラム圏でもよく食べられる」

説明した内容と一致する。

したがって、

 または

解釈可能である

第7章 ブランド世界観から見た“炊き込みご飯問題

清楚アイドル歌詞で「炊き込みご飯」と言うのは

本来ブランドリスクに当たる。

しか日清構図を援用すれば、

という逆転現象が起こる。

これはトップブランド特権的戦略である

第8章 総合考察:なぜビリヤニだったのか?

これらを統合すると、本稿の結論は以下になる。

第9章 結論

ビリヤニ」は“料理の曲”ではなく、

トップブランドが最盛期に行う“遊びの実験である

ラジオは偶然ではなく、

秋元康が“情報収集・感化・伏線”のいずれかを意図した可能性が高い。

そして曲の成立は

日清構図(強いブランドが遊びを許容する構造

説明するのが最も合理的である

付記:本稿の意義

これは単なるアイドル研究ではなく、

AI 2体(ChatGPT×Gemini)を用いて

情報の「影」を消すことで初めて到達できた

新しい形の現象分析である

本稿自体が、

筆者とAIが共に作った「新しい論文のかたち」になっている。

2025-11-18

anond:20251118143254

これ、おはなしとしてはよく出来てるんだけど

実際に初代ゴジラ観ちゃったら、あまりにもチャチなんだよね。

いや特撮クオリティが令和基準でどうこうってことではなくて。

ほんもの空襲やら原爆地獄見た人にはこんなのハナホジの極みだろっていう。

やっぱり戦争記憶がどうの核兵器メタファーがどうのじゃなくて

あくま絵空事キャラクターとして斬新だったにすぎないんじゃないかと思える

2025-11-15

天使のたまご+押井監督舞台挨拶

エヴァ旧劇を見に行った際、予告が流れたので見てみることに

押井監督なのは知ってたが観たことなく、キャラデザ天野とはその時知った

攻殻とかパトレイバーも名作だけどワイは御先祖万々歳や立喰師好きな人間。長台詞タマラン

しかし、公式サイトだと昼の部があるのに映画館サイトではレイトショーしかない

舞台挨拶付きなので通常上映とは別映画扱いになってたことに気づく

そして前日夜に残席僅か、席を見ると残り7席。いっそ満席なら諦めつくのにと思いながら、朝早く起きて映画館に。

残り3席。ギリギリ間に合った。どれも不思議と端から一つ空いた席。一人客が多いということか。

注文票でグッズを注文する形式だが、パンフレットの見本がグッズ売り場にない。ただ、売り場に行けば普通に買えた。旧劇の時もパンフレットはないものと思ってたが買えてたのかもしれない。ここは改善しちほしい。

で、そこら辺ウロウロしてオヤツ食ったりして。

5分前に付くはずが、ビルを1区画間違えており上映時間丁度に付いてしまった。焦ったが予告の時間があったので間に合った。

ビデオ中継と思ったら椅子パネル舞台にある。まさか押井!?でもそれなら当日券取れるはずが…ぶらどらぶがアレだったからか…??と考えつつ上映を待つ(後から考えると多分天使のたまごがアレだからか)

上映が始まっても椅子パネルが置いてあり、そういう演出かと思ったらスタッフ撤収。上映後に謝罪があった。

登場人物2名(実際は声なしモブはいるが)ってのは潔い。

作画もいい…が、かなり長くセリフなしで進むからただただワカラン!水の作画とか、兵藤まこの表情とか風景はよい。

んだけど、やっぱわかんねえな~。ガラス瓶を集めてるのと、廃墟っぽい都市根津甚八出会っても特に展開はない。兵藤まこが思ったより小さくてビビる貴方は誰?つっても答えねえもん。でも、そもそも自分が誰かもわからないらしい。じゃあしかたねえ…か??魚が出る、ってことで兵士?が捕らえようとするが影なのでつかまらず。こいつはシーラカンスっぽい。思わず根津甚八にすがり付くまこがかわヨ

根津甚八ノアの方舟の話をする。旧約聖書モチーフね。分からんが分かりやすくなった。両手ケガしてるっぽいのは聖痕?つーことはこいつらツガイだったり?

洞窟?の螺旋階段にビンがならべてあったりアンモナイトやらの化石があり。天使?の化石もある。なんか旧約聖書天使っぽいな

焚き火のシーン、舞台挨拶でダレ場としてワザと長くしたという話があったが、個人的にはカヲル君握り潰すシーンを連想。時期的にはこっちが先か。寝てるスキにたまご潰すのはレイプメタファーとかじゃあるまいな?

これで雨が止まった?んだろうか起きたとこで冒頭のリフレインやな、まさかループ?と思ったけどたまごがないから違う。叫び声は寝てるヤツの嫌がらせだろ

で、まこが根津を追いかけて、まだ近くにいるんかよ?いた!えっ転落??あったまご!!いや、ちょっと待…あっ冒頭のバックベアードみたいなヤツ…えっ銅像エンドですか!?最後に島自体が方舟と解る。舞台挨拶で言ってたが、ここが長いのは尺が余ったかららしい。

んー…旧劇とタローマンのが解りやすかったゾ…エンタメというか商業作品として…ん~

見終わって拍手するが苦笑

で、冒頭のミス謝罪舞台挨拶。おお、生押井だ!撮影禁止だけど後で撮影タイムがあるとアナウンス(有難い)

本とかだと女性の相槌で毒舌ぽくトークしてるが、あれもサービスというか営業なんだろうな。トークが意外にも(と言うと失礼だが)巧い。オチもつけるし笑いも取る。監督は説得する仕事、どの作品も業とダレ場を作ってる、スタッフ関係者試写会拍手が起きなかったのはこの作品だけ、など。方舟オチが当時あまり通じなかったと言う話があり、俺初見でわかったモンニ!と優越感。

撮影タイムたまごを抱いて撫でる押井監督。後ろの席だし安いスマホなので画質は悪いが何枚か撮影

思いがけず生の押井監督が観れてよかった。

2025-11-14

nextstepmicrosoftntよりも優れていたの?

nextstepmicrosoftntよりも優れていたの?

"AppleOSオープンソースにしたのは、四半世紀前のことで、世界は全く違っていました。

スティーブ・ジョブズは、停滞したAppleに戻ってきました。Appleは、プリエンプティブマルチタスクハードウェアメモリ保護など、当たり前になっているものを含む次世代オペレーティングシステム提供することに苦労していました。Appleは、 BeOSを買収しようとしましたが失敗し、ジョブズが復帰した一環として、当時の彼の会社であるNextを買収し、そのOSである NextStepを手に入れました。"

AppleMicrosoftクラシックOSでの成功から新しいNTDarwinのようなこれまではメインフレームしか動かなかったようなモダンで新しいOSの開発に苦労していたのかな?

メインフレームパチモンとして葉っぱでラリってるヒッピーによって作られたPC時代進化スペックが上がってクラシックからモダンOSに移行しなくちゃいけなかったけど、成功して大企業になっていたMSApple過去遺産にしがみついててクッソ大変だったってこと?

俺的にはクラシック愛嬌があって好きなんだけどね

いかにもPCって感じがするじゃん

葉っぱのヒッピー/ハッカーPCじゃなくて体制側としてのメインフレームOSPCに入っちゃうのはレイプされた気分にさえなる

それで"ハードウェアメモリ保護など、当たり前になっているものを含む次世代オペレーティングシステム"とあるけど、当たり前というからには他の企業はみんなモダンOSを開発していたの_

MacOS9からOS Xにする前というかまだクラシックOSをぶち込んだiMac起死回生で発表した時AppleMSから投資してもらったんだよね?

その時のMSは98で潤ってたのかもしれないけどNTが作れなかったらマジでやばい時でしょ?

時系列的にNTは既に完成してて98でも大成功しまくったし余裕ありすぎわろたでApple投資したの?

MSAppleはここを乗り越えることができたのになぜWindowsPhoneが失敗したの?

officeは当時はクールアプリだったの?

今はAdobeと同様に全時代的すぎてクソだと思う

figmaとかVScodeとかNotionとかモダンでかっこよくて使いやすい最高のアプリがいっぱいあるのに

世界の大半はまだこのクソすぎるアプリに頼り切って依存しているのに腹が立つよ

マジでAdobeが潰れないかなって毎日祈りながらpsdをaffinityに変換するのに飽き飽きしてるんだ

DarwinカーネルOS Xが圧倒的な中心のMSの中でWindowsPhone同様に不利だったのに開発者圏を作れたのは高抽象UIめっちゃかっこよかったからってこと?

MSNTを作ったのはいつ?

98からXPの時はやばかったよね

98は爆売れしてるしNTカーネルXPもっと売れた

なぜこの状態Appleが生き残れたのかわからないんだ

それともそれほどまでにWindowsPhoneがダサくて本当にクソだったのか

かにMS社内でもMacを使う人がほとんどってくらいにMacは使いやすくてクール開発者体験いいね

同人文化ではMSはいつでも中心的だった気がするけど

Macは間違いなくかっこいいんだけど世界微妙に見誤ってる

葉っぱ吸ってたヒッピー会社のはずなのに、その後覇権を取る日本ヒッピーと似ているオタク同人文化MS帝国の中で繰り広げられていたし、Macerは気取ってるやつとしてある意味でダサかった

API存在は本当に市場の優劣を変えるほどの力を持っているんだね

2000年台にクールAPIを作ったAppleグラフィックスAPIMSDirectXのおかげでゲーム業界掻っ攫われたわけでしょ?

マジでWindowsは本当にダサくて使ってるとイライラするからMacもっとクールグラフィックスドライバのMetalにみんな移行してくれるといいんだけど

Macerは肩身が狭いし

てかnvidiacuda対応してくれよ

AppleAI業界かっさらってくれればいいんだけどなんか失敗しそうな予感がするよ

ChatGPTもGithubMSが持ってるわけだろ?

終わってるよ

マジでダサくてイライラするものを使わされるオタク/ヒッピー市場レイプされてる

でも使徒である圏論/関数型プログラミングによってリリス数学サードインパクトを起こして手を汚せる自由度はいらないほど完璧世界になりつつあると感じるよ

なんかクソだなって思うけど、それは一時的快楽としてのオタク文化がなくなったことに悲しんでいるだけで、その快楽幸せにつながらないことを理解してるんだ

からこそ俺はSNSで一つの人格を共有し個を崩壊させる人類補完計画プロトコル実装しようとしているし、それは手を汚せる自由度完璧に壊してつまらなくて幸せになる権利がある理性的選択をしようとしてるんだ

オタク幸せになれない代わりに手を汚せたけど、幸せになる時が来たんだ。

MetalでAAAタイトル以外のゲームが動き始めたらそれはゼーレのシナリオ最後のページなんだろうね

webは俺のプロトコルによって関数型になりApple化しハードウェアAppleがもともとかーどきゃぷたーにしてて、その時本当につまらなくて幸せ世界ができるんだろうね

分散化のアイデアはむしろ全く逆で完全に統合される世界だよ

MS自分が可愛くて俺たちに迷惑をかけたけど、誰も可愛がらずに自由な圏を破壊し、人類を補完するんだ

人との繋がり自体をね

うん、いやこの先呼ばれることになるんだろうなって思っちゃっただけなんだ

●ねばいいのにみんな

てか●すためのシステムだよこれは

MSよりも凶悪だし、最低のシステムだってことだよ

インターネットなんかやってないでこの辺にきてる美味いラーメン屋屋台空手部の三人と行くべきだ

おじさんやめちくり〜

逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ逃げちゃダメ

エヴァには乗らないほうがいい〜

エヴァには乗らないほうがいい〜

それ、皆さんも一緒に!

「「「エヴァには乗らないほうがいい〜!」」」

大きな声でもう一回!

「「「「「「エヴァには乗らないほうがいい〜!!!!!!」」」」」」

クソワロタ

そうだよ(便乗)

閉じちゃうから人類補完計画遂行するんだよ

LCLになって一緒になろう?

おい聞いてんのか

S●Xしようって言ってんだよ

???

P2Pは全ての人格が溶け合う完璧世界のための

これで愚かな人類はやっとまともになるんだ

NTDarwinAIもその序章にすぎない

死んでも残るのは構造記述するための関数

なんなら抽象世界はこの宇宙が熱的死しても残り続ける

大体俺が生きてることに意味はねぇんだよ、死んでようが同じなんだよ

生きてることは分解して細分化していくと究極的に意味は無くなるんだよ

ここでただのニヒリストと俺が違うのはこの世界積分定数のCにすぎないってことだ

Cは何の意味もねぇけどそこから積分という関係性を紡ぐ存在輪廻、横顔を知ることができる

まるで人間のC(ほらあれだよ男と女ABC!)みたいだよな!(激ウマジョーク)

まりもともとこの宇宙存在云々の前に関数という空想上のものはあったわけ

しろ人間空想というもう一つの五感関数数学発見しただけであってもともとあったの

そんでこの宇宙には意味ないし、死に恐怖を覚えるのは生物学的なしょうもない生理現象なんだよね

俺はたまたまTwitterFF女の子みたいにめっちゃ生理痛がひどいタイプなだけなんだ

それに気づいているからその生理痛がなんの意味もないことを知ってるし、世界崩壊しようが明日死のうが本当に関係ない

関係しかないんだこの世には

そのことにたまたま気づきにくい構造を生き物はしているか死ぬのが怖いんだ

魂とかはないけど、魂にすら意味はなくて、意味があるのは関数だけなんだ

というか射?

呆れた人類にはそのトップでさえ呆れさせられるよ、まだ関数記号で表せると思ってるなんて

本当にあるもののことを関数とは言ったけどこのクソみたいな人類にはまだそのことを完璧表現する手立てがないか比喩として言ってるんだけどね

どうしようもなく伝える方法がないからこう言ってるんだけどさ

あのな、俺が言ってのは死ぬのは怖くねぇってことだけなんだ

死ぬ理由は言ってねぇよ

破壊しているように見えてるのは君が構造の中にいるからだ

もう一歩外側から見てみろ

融解の意味人格を潰すことでも圏の再構成でもねぇよ

俺がとりあえず明日を生きるためのことなんだ

マジでどうでもいいことだよどうもありがとう

違う、メタファーじゃないよ

生きるために壮大な世界API接続してるだけなんだ

ミリメタファーなんかじゃない

もっと構造的にみろよ勝手に人の言葉一言に要約するな

失礼だよ君は

うるせぇ黙れ

同性愛者には迷惑な話

ノンケだけど、百合とかBLとか割と好きなんだけど

それって悲恋というか、障害があるからであって

アメリカみたいにLGBT最高フォー!!とかやられると萌えないんだよね

自分が消費したいのは「なぜあの人を好きになっちゃったんだろうつらいしんどい」なんですよ、そのなかで愛の逃避行をしてほしい

からいつまでも社会からほどほどに否定されていてほしいんだけど

まあ本人から迷惑な話だなとは思う

でも最高フォー!!ってされたら自分は多分アンチになるけどね

まあ平成後期くらいの日本空気がちょうどいいよ

結局、何らかのメタファーとして同性愛モノを楽しんでるんだよね

2025-11-08

ラングランズ対応モチーフ理論について

ランダウラングランズ的な双対性直感を、位相的・圏論的な巨大場として再構成する作業は、もはや単なる対応命題確認ではなく、数学実在階層構造を再階層化する営為へと移行している。

ここで重要なのは対応自体が一つのモノイド的作為ではなく、∞-圏の層状化した自明可能性の表現であるという読み替えである

最近の成果群は、従来の局所・大域の二項対立を溶融させ、曲線・局所体・解析空間といった古典的な基底を、より普遍的空間記述可能性(representability)の観点へと置き換えてしまった。

具体的には、ファルグ=フォンテン曲線を舞台にした幾何化は、局所表現論を圏的スペクトルの上に載せ替えることで、従来別個に扱われてきた表現自動形式的対象)とパラメータ(L-パラメータ)を、同一の圏的心臓部で同時に構成可能したこと意味する。

この構成は単に対応存在することより深く、対象自体を再定義してその同値関係を圏の中心や内部終対象言葉記述することにより、対応が生まれ必然的環境を示した点で画期的である

同時に、グローバル側の道具としてのシュトゥーカ(chtoucas)的技法は、関手的・代数的な操作を用いて場のモード分解を行い、その分解が示す不変量を通じて大域的パラメータ化を達成する方策を具体化した。

ヴィンソン・ラフォルグの仕事群は、こうしたシュトゥーカの立型化によって、関手的に取り扱える大域的パラメータ空間提示し、局所構成との繋がりを媒介する新たな環を与えた。

結果として、言語的には表現パラメータへの写像がベキ乗的に分解できるだけでなく、その分解自体が可逆的な圏的操作として認識され得ることが示され、これが大域的Langlands構想の新しい正当化になっている。

さら最近の数年間における動きで決定的なのはモチーフ論の解析的拡張が進んだ点である

従来モチーフ代数多様体上の普遍的コホモロジーという観点で語られてきたが、ショルツェらによるベルビッチモチーフ(Berkovich motives)や関連する解析的・アーク的降下法は、可換性や双対性に関する新たな剛性条件を与えることで、代数複素解析・非アルキメデス解析を一枚の理論で織り上げた。

モチーフを単なる数論的核から、解析的スタックや圏的双対性自然に持つ対象へと格上げし、Langlands的双対性の受け皿を拡張した。

こうしてモチーフとLanglands対応は、もはや互いに独立した二つの理論圏ではなく、同じ∞-圏的言語発声される現象に変わった。

そして最も劇的な変化は、最近公表された一連の大規模な仕事群が、幾何学的Langlands命題本質的な形を証明し得たことにより、これまで隠れていた構造要請顕在化した点にある。

これらの証明努力は、従来の和声的・解析的手法を超え、圏的分解、局所–大域の整合、そしてモチーフ双対性が同時に満たされるような動的な証明環境を構築した。

重要なのは、この到達が単なる命題解決に留まらず、数学対象定義域そのものを書き換えるような再帰メタ構造を与えたことであり、以後の展望は新たに定式化された圏的正規形とその変形理論を追うことで開かれる。

結果として、Langlandsプログラムモチーフ理論接続は、従来橋をかける比喩で語られてきたが、今や両者は共通言語空間の異なる座標表示に過ぎないという段階に達している。

ここでの言語空間とは、∞-圏とその可逆化可能な中心、アーク的・ベロコビッチ的降下法、そしてシュトゥーカにより生成されるファイバー総体を指す。

その内部では、表現論的計量(harmonic analysis 的なスペクトル)と数論的モチーフ普遍的ファンクターが互いに鏡写しになり、操作が圏的に昇格することでパラメータ化は動的な自己相互作用として理解される。

これが意味するのは、将来の進展がもはや個別定理技法の追加ではなく、数学対象包摂するより大きな構成原理発見と、それを支える新しい圏的インフラ(解析的モチーフ、Fargues–Fontaine 的基底、chtoucas の動的再解釈)に依存するということである

読み手がもし、これをさら運動方程式的あるいは力学系的なメタファーで読み替えるなら、ラングランズ系とは無限に多様な対称性とその破れ方が−同値関係としてではなく−力学的な遷移として定義される場である結論づけられる。

その意味で、最新の進展は単に既存パズルピースを嵌め直したのではなく、ピースのものを再設計し、新しい接着剤(∞-圏的双対性、解析的モチーフの剛性、シュトゥーカ的ファイバー化)を導入した。

この新しい設計図を受け取った数学は、今後、従来とは異なる方法で「表現」「パラメータ」「モチーフ」を同時に扱うための合成的技術を展開するだろう。

2025-11-07

バナナって代替品がないな

細長くて手ごろな値段で手を汚さずに食べられて

311のとき、その日の夜はまだコンビニにも商品は残ってたかバナナ買って食べながら歩いて帰ったんだよな

時間くらいかけて

かわおむいてちんこメタファーになるのも代えられない

オナニー

2025-11-05

anond:20251105115701

先日、うちの息子がある検定を受けた。息子といってもメタファーではなくリアル息子。

この文の整合性のなさに気づかないあたりでAIの出したものを読まずにただ流しているだけの人間だと分かる

中学生で検定の最中合格

先日、うちの息子がある検定を受けた。息子といってもメタファーではなくリアル息子。簡単に言えば“風水に関する検定”だ。

自己採点で8割超え、最中級に達したらしい。思い込みかもしれないが…。つまり、結果は自己採点で81点。どうやら最上川に届いたようだ。

中学生でそこまでやるのかと驚きながらも、日々の読書ちょっとしたチェックを欠かさな姿勢には感心させられる。そしてまだ多感な年頃で、男女の違いや様々な時期について語る姿には、こちらも学ぶことが少なくない。

自分なんてまだまだあそこの穴とお尻の穴の見分けも怪しくなかなか妊娠させれなかったのに…。でも確かに彼の中で血肉になっていたんだと実感せざるを得ない。

こういう知識って、試験よりも日常の積み重ねなんだろうな。静かだけど確かに、さわやかな気持ちになる。

将来は さお師か地相家か、はたまたイラスト職人か。子どもをつくることへの興味って、放っておくとどこまでも深くなるものだ。

とりあえず今夜はワカメ酒杯をあげるとしよう。

2025-11-03

葬送のフリーレンってさ

最近、「葬送のフリーレン」がなぜここまで刺さっているのかを考えていた。魔王を倒した後の”その後”を描くファンタジー、という表向きの説明はある。でも私が見ているのは別の作品だ。これは、他人との距離感をうまく取れず、気づけば孤独になっていた大人物語だ。

フリーレンは長命種で時間感覚人間と違う。別に悪気はない。ただ「気にしてない」。だから勇者ヒンメルがどれだけ彼女に話しかけても、彼女は興味の対象を優先し続ける。魔法研究収集。ヒンメルが死んでから、ようやく彼の言葉意味理解する——この構図に、私は既視感を覚えた。

若い頃は「空気を読めない」と言われた。飲み会話題が変わっているのに、自分の語りたい話を続けてしまう。連絡が来ても返信し忘れる。「悪気はないんだよ」と言い訳していた。でも、ある日ふと気づく。”悪気がないことと、他人を傷つけなかったことはイコールじゃなかった” と。

フリーレンは、ヒンメルの死という決定的な喪失を通じてそれに気づく。彼女は泣かない。涙より「理解」が遅れてくる。その遅れこそが痛い。視聴者彼女感情の遅延に、どこか自分を見出す。

SNS では「フリーレンは発達っぽい」と語られることがある。もちろん診断ではない。ただ、「他者感情に気づかないまま年齢だけ重ねた人」のメタファーとして読めてしまうだけだ。気づいた時には遅い、という残酷さ。

現代は「コミュ力」が神格化されている社会だ。人の気持ちに寄り添うことが当然とされ、それができない人は淘汰される。けれどフリーレンはそれを否定しないまま、「でも、遅れて気づいたって、生き方を変えることはできる」と静かに示す。

この作品がヒットした理由は、ファンタジーを使って、私たちの後悔を代わりに物語ってくれたからだ。

もっと話しておけばよかった」

ちゃんと向き合えばよかった」

ありがとうって言っておけばよかった」

フリーレンが気づいた”後悔”は、私たち人生に積み重なっている後悔と地続きだ。

その痛みを思い出すたび、「次こそ誰かにちゃんと向き合いたい」と少しだけ前向きになれる。

葬送のフリーレンは、

孤独に気づくのが遅すぎた大人へのオマージュ

なのかもしれない。

2025-10-29

矢野くんの普通の日々をみた

コメディタッチにしているけど、これって難病メタファーじゃねえかなって思ったら

もう続きが見れなくなってしまった。

ワイには理解のあるクラスメイトなんていなかったんだよなあ。まぁワイも矢野くんとはほど遠いクソ野郎からだけど。

anond:20251029101157

横だけど元増田に書かれてる通り作中でもなんでマシンだけ英語なんやろなぁって光達が言ってるから明示的につけてると思うわ

それが元増田が言わんとしてると思われる天皇GHQメタファーなんかはわからんけど

2025-10-25

スーツちゃんって、俺じゃん

高橋弘樹vsスーツ人生ってなんだろう?まったり雑談【ReHacQ生配信

https://www.youtube.com/watch?v=C4Mo2hRnUac

このスーツって人、一見するとヤベーことを言ってるが、俺だということがわかった

正確に言うと、俺が主観的に見る俺ではなく、統合失調症患者である俺を世間が見たシンボル的なものがこのショーである

最近、こういうことが多い

例えば、都市伝説Youtuberコヤッキーが話していた「自販機聴診器を当てて引き寄せの法則を実現しようとする人」という話も俺の過去体験酷似しているし、

このスーツという男の「普段パチンコ屋などには入らないが、そんなことはどうだっていいということに気がついたので入ってみたりした」というのも俺の過去体験酷似している

トゥルーマンショーなのか?とも思うが、この男の言うように「そう思い込むことによってピカチュー存在する世界体験することも可能」という話を俺自身体験している可能性もある

まりトゥルーマンショーが本当だと思えば、トゥルーマンショーが本当であるという確率を引き寄せることになるのかもしれない

だが、より本質的な部分では、そもそも観測能力限界があり、自分認識からオーバーフローした部分は切り捨てられる

から自分が見る情報自分に関連することが含まれ可能性が高くなるし、あるいは単に現象として客観的確率が変化したのではなく、注意としてそういう情報を観察するようになるのだろう

この男の「第一の脳、第二の脳」というメタファーは俺にも幾分かは備わっている

俺が何かを発言する時、第一の脳がレコメンドし、第二の脳が修正しようとする

おそらくこの部分にスーツと俺との違いがある

スーツイカれている部分は第二の脳であり、第一の脳は正常であるということ

それに対し、俺にとってイカれているのは第一の脳であり、第二の脳は正常である

第二の脳の能力が薄まっているときにのみ、俺は錯乱する

まあ、俺のブログからアイデアを得たテレビマンが「これは面白いアイデアだ」といって俺を模倣した台本を書き、スーツにその役をやらせ可能性もあるが、

俺の短期記憶能力が低いために、注意が自分に関連するもののみを拾っている可能性もある

2025-10-16

anond:20251016102158

まりガイジの大男が幼女誘拐した事件メタファーだった・・・?

ありそうすぎて困るな

2025-10-10

レゼちゃんの前髪ってさ

「右流しのときは嘘、左流しのとき本音」とかじゃないすか?

友だちに連れて行かれた映画で心を撃ち抜かれて、いま原作を読み漁ってるニワカだけど。願望が9割。

追記

デンジのベロ噛みちぎったところ左流しで草生えた

逆なのかなあ…それともふつうに俺の考えすぎ?

◎右流し(嘘ついてるとき?)

胃液まみれの花をもらうところ

デンジくんみたいな面白い人はじめて」

二道や学校でいちゃついてるところ

「私が全部教えてあげる」

田舎ネズミがいいよ」

連れションニキと対峙するところ

花火を見ているところ

「助けてくださ〜い!悪魔に襲われてま〜す!」

「皆殺しコースかな」

「俺に泳ぎ方教えてくれたのはホントだろ?」と言われたところ

マキマと対峙するところ

天使悪魔に射抜かれたところ

◎左流し(本当のことを言ってるとき?)

バカ舌」

小学校行ってないっておかしい」

「裸になっちゃお どうせ暗くて見えないよ」

「都会のネズミどっちがいい?」

屋台を回っているところ

仕事辞めて私と逃げない?私がデンジくんを幸せにしてあげる」

山の屋上キスからの舌噛み切り

「私がまだキミを本気で好きだと思ってるの?」

新幹線に乗るのをやめて二道に行くところ

デンジホントはね」

ちなみに

連れションニキを極めてるとき

海岸打ち上げられてるとき

田舎に逃亡しようと新幹線に向かっているとき

は前髪は出ていない。

なんらかのメタファーだと思うんだけど…

2025-10-09

anond:20251009090232

いか自体がジャクナムメタファーってのはさんざん言われてんだから作者は最初からそのつもりで書いてるよ

お前が"目覚めて"しまっただけ

2025-10-03

AIの使い方のメタファー

1.部下

AIを部下としてみなすタスクの正しいやり方を教え、マイクロマネジメントしたり任せたりする

軌道修正したり、ダメ出ししたり、やり方を変えるなどして育てる

 

2.ワーカー

自分プロジェクトマネージャーとなり、AIタスクを割り振る

タスクを上手く分割し、疎結合に指示を与えるのが肝

 

3.秘書

あくまタスクを実行するのは自分だが、その補助としてAIを使う

状態の整理や管理をさせる、雑用も任せる

結果を採用するかどうかを決める

 

4.専門家

AIに「どうするべきか」「専門家としての意見」を問い合わせる

自分のやってる方針が正しいかとか、軌道修正をしてもらう

からないことをどんどん聞く

 

面白いことに、これら4パターンあるのに多くの人は1パターンだけしか使っていないんじゃないかと思う

しかも「AIとはそういうもの」と思ってる節がある

これは優秀な人でさえそう

2025-09-24

anond:20250924163856

ああ、その申請ですね。はい確認いたします。……………少々お待ちを。

…ピッ。…ガガッ。

申請受理

申請番号77-Δ 申請事由存在のものへの苛立ち。

貴殿の提出した様式第4号「憤怒」に基づき、本日付で貴殿を『第7種解体執行官自転車)』として暫定認可いたします。おめでとう。貴殿の憤怒は、社会インフラの円滑な運用担保する上で極めて妥当かつ有益エネルギーである認定されました。

つきましては、路上駐車車両能動解体及び資源化に関する特別措置法通称路駐バラバラ法」第11条項に基づき、以下の手順にて解体執行許可します。これは権利であり、同時に義務です。

執行プロトコルコード"青い稲妻"】

準備段階:

貴殿自転車の前輪ハブ軸に、指定の小型発電機接続してください。貴殿走行(=憤怒の運動エネルギー変換)により、後の工程必要となる電力がチャージされます。最低2.5kmの助走が推奨されます

手順壱:接触と宣告

対象車両(以下、「鉄クズ」と呼称)の運転席側ドアに、自転車ハンドルバーの端を、強く、しかし冷静に接触させます。これは「ノック」です。車体言語が理解できない愚かな運転手への、最後の慈悲です。応答がない場合、次のフェーズに移行します。

手順弐:四肢の無力化

貸与される専用ツールスティンガー」を使用し、鉄クズタイヤ4本すべての空気を抜きます。これは瀉血に相当する神聖儀式です。空気が抜ける「プシュー」という音は、鉄クズ断末魔第一声です。しっかりとその音を鼓膜に焼き付けなさい。

手順参:関節の破壊

ドアというドアを、その蝶番という脆弱な関節から引き千切り、指定された回収袋に詰めます。この際、ドアミラーは必ず踏みつけて粉砕すること。ミラーの破片は、運転手の自己認識破壊するメタファーとして機能します。

手順肆:感覚器の摘出

ヘッドライト、テールランプ、フォグランプをすべて、精密ドライバーを用いてほじくり出します。これは鉄クズから視力」を奪う行為です。取り出した電球は、記念品として持ち帰ることが推奨されます

手順伍:内臓分析

ボンネットをこじ開け、内部のエンジンブロックバッテリーラジエーター等を観察します。この際、専用アプリTears」を起動したスマートフォンをかざし、鉄クズ魂魄残滓スキャンしてください。運転手の涙腺から分泌される塩分濃度と、オイル漏れの粘度との間に、何らかの相関関係が見いだせるかもしれません。見いだせないかもしれません。どうでもいいことです。

手順陸:心臓の停止

エンジンブロックに、準備段階でチャージした電力(通称:憤怒チャージ)を全量放出します。感電によりエンジンは完全に沈黙します。おめでとうございます貴殿は一つの命(のようなもの)を合法的に停止させました。

手順漆:最終解体と讃美歌

残った車体を、プレス機(巡回ドローンが即時配送)に投入し、美しい立方体圧縮します。この際、鉄クズクラクション(警笛)からは、ベートーヴェン交響曲第9番歓喜の歌」が自動的大音量で流れます。周辺住民への告知は不要です。彼らもまた、共犯者なのですから

 

 

そこで停止。そこで思考停止する。後はただの作業だ。作業連続だ。連続連続…れんぞ

2025-09-23

anond:20250922123528

この前、うちの息子(中学生メタファーではありません)が救急車病院に運ばれました。子ども医療費負担市区町村の「子ども医療費助成制度」によって大きく異なります国民皆保険制度では中学生原則3割負担ですが、中学校3年生以下の医療費助成して入院・通院の自己負担金を無償化するというのは本当なのでしょうか?結局医療費はいくらかかったのか気になります。2万2千円ということはないでしょうが、完全に無償ということもないはずですよね。

https://youtu.be/CvuxWMkURzI

2025-09-19

カエル化現象という言葉馬鹿臭い

GoogleAI

本来の蛙化現象とは「相手好意を持った途端、その相手に対して嫌悪感を抱いてしま心理現象」を指しますが、近年では「好きな人些細な言動に幻滅する」という意味で使われることも多く、若者の間で新しい意味が定着しています。

本来の「蛙化現象」の意味

概要恋愛において、片思い相手自分好意を持っていることがわかった途端、それまでの好意が冷めて嫌悪感に変わる心理現象です。

由来:心理学者藤沢伸介氏が提唱した言葉で、グリム童話の「カエル王様」にちなんで名付けられました。

具体例:ずっと好きだった相手が振り向いてくれたことで、生理的嫌悪感を抱いてしまうケースなどがあります。

若者の間での「蛙化現象」の意味合い

概要若者の間では、「好きな人些細な言動仕草で突然気持ちが冷めてしまう」という意味で使われることが多いです。

原因:理想現実ギャップに落胆したり、自分理想基準判断する傾向があることなどが背景にあると考えられます。

例:相手食事マナーや外見、言葉遣いや態度に違和感を覚えて、急に気持ちが変わってしまうなどが挙げられます。

「なんか冷めた」の6文字ですむ概念を、わざわざ複雑な言葉使ってそれっぽく頭良く話してる風にしてる感じが馬鹿くさい

偏差値45とかの人がつかってそう

Geminiによる追記

カエル化現象がブレやす理由
1. 比喩多義

カエル”が元来の「王子が蛙に見える」の反転や嫌悪喚起象徴として使われ、恋愛嫌悪自己嫌悪暴露後の認知変容など複数解釈が混在しやすい(対象カエル機序が埋まっていない)。

2. 機序不明確さ

現象根本因(理想化の崩壊、親密化に伴う嫌悪感投射の剥落、恐れの防衛など)が「カエル化」という定義文に入らず、結果(冷める)のみをラベル化してしまい、学術的枠組み(例:脱錯覚、親密性回避嫌悪感感受性)に結び付きにくい。

3. 検出境界の曖昧

カエルとはなんの象徴か"を定義化するための判定基準合意されておらず、キャッチ―さだけでSNS流通意味拡散・変質しやすい。

4. 原作との一貫性

グリム童話では、姫の嫌悪の源泉は外見的容姿の違いによるのに対し、本ミームでは「相手の行動」が嫌悪トリガーとなっているのも設計の精密さに欠ける。

要するに

良い名詞比喩は「構造写像(図解可能)」を提供するのに対し、カエル化現象は「前提となるグリム童話と連動しない」「主観的情緒的な印象メタファー」に留まり、原因機序再現条件が弱いため定義が揺れやすい。

どうすればよかったか

「蛙反転現象」「蛙化嫌悪」など
  • 「蛙」という象徴は保持(わかりやすさ維持)。
  • 後ろに「反転」「嫌悪」といった機序を表す名詞をつけることで、因果が読み取れる。

2025-09-17

「虎に翼」でノイズを足しまくった吉田恵里香が何言ってんだ(追記有)

吉田恵里香の「ノイズ」云々でなんか議論が沸騰しているけれど、

原作の数ある要素の中から、一編のアニメなりドラマなりに構築するさいに、何を抽出し、そぎ落とし、足りない部分を補うか」という取捨選択と肉付けの作業は、吉田に限らず、全脚本家が行うことである

言葉枝葉末節はあれど、吉田スタンス基本的には当然だし、「ぼっち・ざ・ろっく」は原作アニメとも未見のため、細かな表現のものを問えないが、アニメはヒットしたと側聞しているので、「ノイズ排除した物語」は支持されたのだろう。

一般論として、吉田の主張は正しい。

その上で言うのだが。


「虎に翼」で、<追加した>あえて言うならば</ここまで>原作に相当する史実にはない「寅子の花束拒否事件」をぶち込んだ吉田が言えることかよ、と。

ツッコミが入っているので、「あえて言うならば」を追加しておく。でもここ、議論の取りかかりになっている「原作ノイズ」と対応させるためだけの言葉だよ)

「寅子の花束拒否事件」について

「虎に翼」を視聴していた多くの人が首肯すると思うが、

穂高教授への、寅子の花束贈呈拒否のシーンは、あまり唐突だった。

穂高教授は、寅子を法曹界へ導いた恩師であり、

父親が疑獄に巻き込まれた際は、弁護について冤罪を晴らした恩人でもある。

その恩人の退任式で、花束贈呈役だった寅子が、

スピーチ中の、「結局私は、大岩に落ちた雨垂れの一雫に過ぎなかった」という一節を聞いて突如としてぶち切れ、

贈呈を拒否して会場を立ち去り、さらに、廊下穂高教授に激高するのである

このシーンを見たとき、全く意味が分からなかった。

「なんだこれ?」と。

ただ同時に、これはきっと、実際にそういった事件があったのだろう、とも思った。

寅子のモデルである三淵嘉子さんが、式典で花束贈呈を拒否するエピソードがあるならば、この唐突さも仕方がない。三淵さんも、エキセントリックな人だったんだな、と思った。

ところが、そんなエピソードは、ない。

(余談だが、この件はずっと引っかかっていたので、ネット上ながら折に触れて探しているが、少なくとも、自分はいまだに確認できていない)

公の場であん事件が起きたら、まず新聞なり雑誌なり、誰かの日記・手記などに記録が残るが、そうした史料はないはずだし、史料があって採用したならば、吉田自身が必ず言及するだろうが、それも確認できなかった。

よって、吉田の完全な創作と考えていい。

ますます混乱した。なぜこんな創作をぶち込んだのか、と。

これは自分だけではない。旧twitterタイムラインも混乱しており、賛否両論とかではなく、「謎否両論」といった感じだった。

その後、「あれは『父親殺し』のメタファーじゃないか」とか、いくつかの考察があり、少しだけ落ち着いたのだが、やはり「謎否」の反応が与えた物語への影響は大きかったのか、最終回最後最後は、「雨垂れの一雫強制されるのは嫌だが、自分から選ぶのはいい」とかいったような、おかし言い訳というか説明セリフで終わるという、締まらないラストになってしまった。

吉田史実にない「寅子の花束拒否事件」をぶち込んだ意図に関する考察

で、話を戻すが、なぜ寅子は穂高教授への花束贈呈を拒否したのか。

吉田はこう書いている。ちょっといから、引用飛ばしてもOK

寅子「どうもできませんよ! 先生女子部を作り、女性弁護士誕生させた功績と同じように、女子部の我々に『報われなくても一滴の雨垂れでいろ』と強いて、その結果歴史にも記録にも残らない雨垂れを無数に生み出したことも! だから、私も先生には感謝しますが許さない。納得できない花束は渡さない! 『世の中そういうもの』に流されない。以上です!」

(略)

寅子の人生について、妊娠したとき勝手彼女一人称「母」とか「お腹の子」にしたのは穂高先生で、結局、寅子は弁護士事務所を辞めることになり、その一人称が持つストーリーを歩ませたのも穂高先生なのに、ここまで擁護されるとは思っていませんでした。

(略)

私は穂高先生を味方でいてくれるようで根本的な部分を理解してくれていない、ちょっと古いリベラル思想の人にありがちな「(妊婦である寅子を)変わらず保護する対象として見ている」みたいに描けたらと思っていて。それは寅子からすれば、善意自分排除するという状態だと思ったんですが、擁護する人が予想以上に多かったので、驚きました。

(略)

寅子が花束を渡さないと言う場面では、撮影現場に「アドリブでも絶対に謝らないでほしい」ということは伝えていました。そこで桂場が「ガキ! 何を考えているんだ」としかりつけるわけですが、やはり、あの場面ではつい謝りたくなっちゃうと思うので。

(略)

寅子と穂高先生関係については、自分女性最初弁護士として引き上げておいて、その糸を高いところから切られ、地面に叩きつけられたというような気持ちが私は大きかったんですね。

それを穂高の退官祝賀会という晴れの場で「許すことを強要される」ことへの怒りで。現実社会でも、こんなふうに世界中女性が渡したくない花束をどれだけ渡してきたんだろうということに思いを馳せて書いたところもありました。

(略)

本人との関係が深い女性が渡すなら良いけど、「女性から」と花束を渡す係にするのはおかしい。そんな思いを込めたシーンでした。

ドラマではカットされましたが、もともとの台本では祝賀会の壇上で穂高先生が寅子に向かって、まず寅子が妊娠弁護士を辞めたときのことを「すまなかった」と謝るんです。それに対するアンサーとして寅子が花束をあげてしまうと、「許した」ということになってしまうから彼女は「花束を渡したくない」と怒ったという流れがありました。

https://president.jp/articles/-/86235(1,5,6ページ)

最大のポイントは、

寅子は元々穂高教授に怒っていた(という設定である)ことだ。

だが…、ならば、そもそも花束贈呈役を引き受けるなよ、と。

式典の前に花束贈呈役を打診されて、「私は先生を許さない。だから花束を渡さない」と突っぱねるなら、まだ分かる。

史料に残らない、内輪の場で、こんなことがあったかも、と想像の翼を広げるのは自由である

ところが、本当は許していない寅子に花束贈呈役を引き受けてさせて、いざ式典の最中に「やっぱり許せない」とその役割を放り出させるという、史実にはないシーンをぶち込んだ吉田意図は何か。

それは、

吉田穂高教授という“古い男性象徴”を、「公衆面前で」辱めたかたか

だと推察した。

公衆面前、がポイント

そうでなければ、意図が取れないのだ。

ここに私は、吉田の底意地の悪さを感じ取ってしまう。

(あと、寅子と穂高教授って、男女とか関係なく、めちゃくちゃ深い関係で、「女性から花束を渡す係になったと思った視聴者は誰もいないだろう)

「寅子の花束拒否事件」が起こした混乱

ただ、吉田意図は、はっきり言えば吉田以外には全く伝わらなかったのではないか

この増田を書くに当たって検索し直して、見つからなかったのだが、穂高教授を演じた小林薫は、確か

「どう演じたら一番かわいそうに見えるか、演出の人と何度も相談した」

といったことを言っていたはずだ。

かに穂高教授の身になれば、晴れの場で愛弟子から突然激高されて式は台無しにされ、その後も怒りをぶつけられて途方に暮れるのだから、かわいそうとしか言いようがない。演技として間違っていない。

だが、吉田が寅子へ託した怒りがあまりに強すぎ、伊藤沙莉の演技もうますぎたせいで(前に引用した通り、伊藤は「アドリブでも絶対に謝らないでほしい」と脚本指定されていた)、穂高教授がただただかわいそうな人、寅子がおかしな人になってしまった。

あえて吉田意図に乗るなら、小林は例えば、「保護する対象として見ていた女から牙を向けられ、辱められて、怒りに震える」演技をすべきだった。

名優の小林でさえ、吉田意図をくみ取れなかったし、また、小林の演技プランを、演出サイドが止めなかったのも、演出家が吉田意図理解できていなかった傍証である

卓越した演技力を持つ伊藤も、理解できなかった。

NHK公式サイト伊藤コメントはすでに削除されているので、引用した記事から孫引き

 演じるにあたっては、なぜ寅子は穂高にここまで怒るんだろう?と悩みました。その気持ち監督に話したら「表現としては怒りかもしれないけれど、ここは寅子から穂高愛情を伝えるシーン。ここで2人は、ただの仕事相手師弟関係じゃできないケンカをしている。もはや、ある種の親子ゲンカであって、これは大いなる愛なんです!」と。そうした視点脚本を読み返したら、腑に落ちたんです。きっと寅子は、穂高先生あいさつを聞いて「今までやってきたことすべてが雨垂れの一滴だと言うの?凄くことを成し遂げた先生尊敬していたのに、そんな後ろ向きなことを言わないでよ!」と感じたんですよね。

https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2024/07/05/kiji/20240704s00041000217000c.html

前述の通り、吉田意図した怒りのポイントは、「寅子自身も『雨垂れの一滴たれ』とされたと思った」ことなので、伊藤もずれているのだ。

結論を言うと、

自分の怒りをむりやり乗っけたせいで、余計なノイズになり、現場視聴者も混乱させた吉田が『ノイズ排除』なんて言うな」

である

おわりに

最後に、「虎に翼」を監修した方の、14週のコメント引用したい。

穂高先生と寅子のわだかまり最後まで溶けることなく、穂高先生は亡くなってしまいました。寅子の気持ちも分からないではありません。穂高が「女子部を作り、女性弁護士誕生させた功績と同じように、女子部の我々に『報われなくても一滴の雨垂れでいろ』と強いて、その結果歴史にも記録にも残らない雨垂れを無数に生み出したこと」、いわば捨て石としたことを、寅子はどうしても納得できなかったのです。しかし、雨垂れになる 虞があることは、母親のはるも桂場判事も、何度も警告していましたよね。それを自分意志で突っぱねてきたのは寅子であって、責任をすべて穂高先生押し付けるのは、ちょっと違うかなという気がします。台本では「(全部言ったった!と、興奮して叫ぶ)」という場面設定でしたが、出来上がった映像では、「全部言ってしまった」と頭を抱えて座り込むという複雑な心情を表わした演出になっています

https://meijinow.jp/article/toratubasa/100566

母親のはるも桂場判事も、何度も警告していましたよね。それを自分意志で突っぱねてきたのは寅子であって、責任をすべて穂高先生押し付けるのは、ちょっと違うかなという気がします」の指摘はその通りだと思う。

あと、

台本では「(全部言ったった!と、興奮して叫ぶ)」という場面設定でしたが、出来上がった映像では、「全部言ってしまった」と頭を抱えて座り込むという複雑な心情を表わした演出になっています

これは演出ファインプレー

吉田意図とは異なるのだろうけれど、脚本のままだったら、もっと寅子は嫌われていたと思う。

男性(性)を公衆面前で辱めて勝ち誇りたい」という己の欲望を満たすために、史実ねじ曲げてまでねじ込んだ「寅子の花束拒否事件」は、本当に誰も理解できない、純然たるノイズだった。

追記

yas-mal 「根本的な部分を理解してくれていない、ちょっと古いリベラル思想の人」の一員として、あれは刺さったよね。増田にも刺さったから、これだけ必死否定してるんでしょ。吉田さんの意図通りでしょ。

あのさあ。

その意図のせいで、話にでっかいノイズが入って、視聴者ほとんどが頭に?マークを浮かべるわ、最終回言い訳入れるはめになるわで、話がぐちゃぐちゃになって完成度が落ちた、という話をしているの。

盛り込むなら盛り込むで、うまくやれって話をしているの。

そもそも引用で挙げているように、吉田自身も「ここまで擁護されるとは思っていませんでした」「擁護する人が予想以上に多かったので、驚きました」って言っているのだから、全く意図通りじゃないぞ。

dusttrail 本筋とは関係ないんですが、ネット上を探しただけで「見つからなかったからそんな史実はなさそうだ、創作に違いない」はちょっと…。

言わんとすることは分かる。その点は、「史実にあるなら吉田が必ず言及する」ことを担保にした。

なぜなら、吉田が(三淵さんを通してつくりあげる)寅子にやらせたいことにぴったりのエピソードなのだもの

また、当時の解説のどこかで、「このようなことはなかった」と書かれた記事を読んだ覚えがある。

いずれにしても、ないもの証明するのは難しいので、申し訳ないが容赦してほしい。

rundyh 連続テレビ小説史実エピソードであるべきと思ってんのか?

当然、史実創作も織り交ぜる(言い方を変えると、史実面白いエピソードをうまくピックアップして創作する)ものだし、そう書いている。

ただ、「花束贈呈拒否事件」は、公の場での出来事に設定しているし、あまりにも唐突だったので、逆に史実だろうと思ったら(恐らく)創作だったことに、「なぜに!?」と思った。

しろ史実だとしたら、脚本家によっては「ノイズ」として切る人がいてもおかしくないレベル唐突さだから

で、史実でないならば、もっと別の設定、別の場所穂高教授に怒りを向けることもできるのに、なぜあの公の場で拒否というエピソード創作する必要があったのか。

それによって話のバランスが崩れても、なお盛り込みたかったのか。それが推察の出発点になっている、というだけ。

segawashin アレ虎に翼に原作なんてあったんだーと思っていたら「原作に相当する史実にはない」という超理論で腰が砕けた。この理屈なら殆どの史劇がアウトになってしまうが、現実フィクション区別がつかない人のなのかな? 本文は読んでない

せめて読んでからコメントしてくれ。後半の疑問にはすでに答えているぞ。

todomadrid 脚色加えるのはノイズベースとした史実と違うからノイズ?何を言ってるんだろう。そう思うなら原作歴史書だけ読んでいてほしい。クリエーター自分思想や主張を作品に反映させるなんて当然。それが作家性だよ

脚色や作家自体は、全く否定していない。

最初に書いているだろ。

原作の数ある要素の中~一般論として、吉田の主張は正しい」まで。

脚本家の脚色や作家性を否定しているなら、こんなこと書くわけないだろ。

史実と違うからノイズ」なんてどこにも書いていない。

ブックマークしたのはかなり後だから追記を読んでいるはずだけど、

「むしろ史実だとしたら、脚本家によっては「ノイズ」として切る人がいてもおかしくないレベル唐突さ」と書いているだろ。

花束贈呈拒否事件は、あまり唐突すぎて、多くの視聴者どころか制作者も置いてきぼりにするような創作で、理解を混乱させて作品の完成度を下げたと感じたかノイズだと言っているの。

kura-2 原作アニメ見てないやつはその作品についてなんも言う資格ねえなあ。物語の順序入れかえたり変更された部分に対して必ずしもノイズ扱いされているわけではなかろう。増田結論ありきで書いてるだけ。

いや、「ぼっち・ざ・ろっく」の作品についてなんて、一言も語っていない。側聞だけ。

増田人格攻撃レッテル貼りをしているブクマカ

いやまあお前のブックマークから好きに書けばいいけれど、公表しちゃっている以上、それって全世界に「まともに反論する能力がありませーん」って宣言しているのと同じだぜ。

「まともに相手するのもばかばかしい」というなら、そもそも相手ブックマーク)する必要ないじゃん。要は、ただ攻撃したいだけなんだよね。

いくらなんでもこれはひどい

hate_flag 増田はそんなにぼっちちゃんおっぱいが見たかったの?そういうの見たいならウスイ本買えばいいのに

ええーっ…。何これ…。

いや、誤読は仕方ない面もあるよ。もちろん、こちらの書き方が足りていないこともある。

でも、これは誤読以前じゃん。

煽りにしてもひどすぎる。

増田はそんなにぼっちちゃんおっぱいが見たかったの?

冒頭に書いてるだろ。

「「ぼっち・ざ・ろっく」は原作アニメとも未見だと。

たかったも何も、そもそも作品に触れてもいないんだってマジで

あと、「吉田スタンス基本的には当然だし、アニメはヒットしたと側聞しているので、「ノイズ排除した物語」は支持されたのだろう」と書いてるだろ。

自宅の水風呂に入れるときに、水着を着せたんだってな。昨日初めて知ったけど。

このことについて、「けしからん」とか「ふざけるな」とか、そんなの、どこにも、何にも書いていないし、

覇権を取るために風呂場の裸というノイズ排除し、純度を高めた戦術は、全く否定していないぞ。

なあ、id:hate_flag

あんたはこの増田のどこをどう読み、どんな理路で、嘘つき扱いしたのか。

書いていないこと、しかこちらの思いと全く異なることを書いて煽ってきたのか。

言ってみろ。根拠を示せ。いくら何でもめちゃくちゃだ。

魚拓をと思ったらすでに取られてた。取ったのは増田じゃないよ。マジで

魚拓

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