「商店街」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 商店街とは

2025-11-24

anond:20251124185747

西成区から延びてる商店街面白半分に離れつつ歩いてみたことあるけど激安自販機に怪しいカップ焼酎が数十円で入れてあったのを見たときは戦慄した😰

(詰め替え?誰が?何を?🤮)

2025-11-16

大きいハイテク車に乗る胡散臭いベンチャー社長、古コン見てえな男、女、俺が談話しながらドライブする。俺と男は何度も忘れ物をして、出発が遅れる。前日に広いスーパーで買い物してたのに。

珍しく、進展した、出発した。忘れ物するたびに席順が変わって、一番下座になった。車は横にスライド移動とかできた。

実家や、職業体験で行った商店街が出てきた

ナナフシ樹木を吸う、コツを男に聞いて終わってた。つの?で器用に彫刻刀みたいに削ってた。自分の形の模様を作っていた

2025-11-11

餅は餅屋

餅屋ってないよなって定期的に言われるけど

商店街の中に大福、お団子を扱う店として存在していることが結構ある

あれ裏で餅コネ機で餅コネ丸めて串通したりたり餡子包んだりして売ってるんやで

という話は関係ないんだけど

 

通勤路にパン屋があって週一くらいで朝寄ってそこそこ焼き立てのパンかって

食べながら通勤するのが最近のマイトレンドなんだけど

そこそこ焼き立てのパンあんだけ美味いなら

ガチ焼き立てのパンはさぞ美味かろうと思って

先週末に自宅のオーブンパン焼いてみたんだけど

店で買うそこそこ焼き立てのパンのほうが圧倒的においしくて

プロそこそこ焼き立てパン>>プロパンをリベイクしたもの>>>素人焼き立てパンプロの冷えたパン

という容赦ない序列に涙した

ここから俺がパン焼きの腕を上げていくことでリベイクには勝てる可能性は感じたが

その手間考えたらパン買ってきてリベイクするわ

パンパン屋

わたしイオンモール すべての商店街を消し去り そして わたしも消えよう

2025-11-06

https://anond.hatelabo.jp/20251106145125

地元民だけど坂の下はもう上野台東区みたいなもんだろあそこ。

上野広小路の商店街タイ系のパブマッサージ店が多いな。

そこから上野駅、御徒町秋葉原の間の人気のないとこ、秋葉原ヨドバシの向こうの浅草橋の間にそういう個室マッサージマンション多い。

知ってる人は文京区という感覚ないだろ。

あと文京区は坂の下は汚いとこ昔から多いよ。

現場湯島なんて東大御茶ノ水側じゃないとこはラブホ街じゃん。

なくなってほしいのは同意

2025-11-02

ぐじゃぐじゃする

元々、地方福祉施設で働くつもりだった

病気関係IT志すようになって、父と同じ都内に住むことにしたけど

地方から都心通勤する期間

いつも自転車を預けてる商店街の店主が居て、もし引っ越したらこの人の顔も見なくなるのだと思ったら悲しくなった。

10年以上付き合いのある、どんな残業が遅くても店の灯りを絶やさないでいてくれた

何匹も走り回る小さな野良猫達の内から一匹を譲渡してくれた、

何ならプロジェクト離任になって花束荷物抱えて帰ってきた時も声かけてくれた

温かみのある人だった

地方にはそういう繋がりが沢山ある、だから地方大事にしたかったのに

自分は自立と金と夢の為に、真逆の事をしようとしている

ジレンマでぐしゃぐしゃする、誰かに決めて貰えれば楽なのに

anond:20251101095450

増田さん。結論からね…大筋では「超過密ゆえの“比較圧”と“在庫奴隷化”が濃く出てる症状」だと思う…でも、過密だけが犯人ではないのも冷静に置いとこ…私、低空ボイスで整理するね…💗💗ふふっ、光ってるね…このテーマ…💗💗

なにが“過密っぽい症状”なのか(サクッと見立て)💗


→この一連、「見られ地獄圧」って呼ぶよ💗💗

でも、過密“だけ”のせいにすると詰むところも💗

性差別ハラスメント入試枠の歪み構造問題密度が“増幅器”にはなるけど、原因そのものではないものも混ざってる…💗

全部男のせい」って一般化は、気持ち安全弁としては分かるけど、解決の照準がズレる危険。責める対象は“性別”じゃなく行為制度権力配置にしよう…ね…💗(ここは譲れない大事な線💗)

---

じゃあ、どう“脱・見られ地獄圧”する?—適密プロトコル💗(やだ…半径経済ひだまり相)💗

前提:過密都市(都雇圏111万人以上)には必ず難点がある。だから“適密”側(50〜110万人)に寄せる工夫が効くよ…💗

1) 半径生活1.5km+30分結界 → 「収束型コア」を握る

適密の中心部用事が“収束”する構造市役所バスターミナル百貨店美術館図書館病院商店街が1.5km内に密集)。だからこそ“歩ける円”がほんとうに完結するの…💗

具体:①中心の3核(行政交通百貨店/商店街地図にピン

→②3核間を徒歩でつないで“日常導線”を作図

→③朝ラッシュバス/市電50本/時クラス幹線を“緊急移動の保険”に設定(※乗らない日が多いのが正解)

→④30分結界仕事/買物/余暇が閉じるか検算

週末試住のコツ:朝7–9時に“出勤シミュ”徒歩

→昼は商店街用事をまとめ買い

→夜はホール/映画/銭湯で“余暇1枠”を徒歩完結。

→ 適密は“徒歩でぜんぶ足りる”から比較圧より生活の手応えが勝つ…💗💗

2) 8週間“雑うま”弁当 → 「商店街×公共キッチン×量り売り

適密は商店街市場直売所が徒歩圏で小分けに強い。さら市民館の調理室・シェアキッチンが点在。だから“鍋一つ固定”が本当に回る…💗

仕組み:

月:商店街で“量り売り(ちょい量)”→廃棄ゼロ

水:市民調理室で“下味冷凍デー”(同時に2〜3回分)

金:直売所で“彩り(副菜)”だけ追加。

ルール再掲:茶色4:彩り2:タンパク3:余白1

“並べ練習”は週1でOKシャインマスカット3-5-3配列)。商店街だと“必要粒数だけ”買えるから練習コストが軽い。

→ 適密の流通は“家の冷蔵庫を膨らませずに旨さを積む”動脈。雑うま動脈…💗💗

3) 恋愛の“厚み→温度”変換 → 「再会確率場」を設計する

適密の良さは人が多すぎず少なすぎず、同じ人と自然に何度も再会できること。ランキング勝負が溶け、温度が上がる…💗

設計

定位置を3つ(図書館読書会カルチャー教室/コワーキングの昼枠など)

1つは“ゆる奉仕”(商店街イベント手伝い・館ボランティア

半径1.5kmの中で曜日固定→顔→挨拶雑談→小コラボ自然階段が起きる。

→ つまり、再会確率場。適密は“会えば終わり”じゃなく“また会える”が初期設定。**恋温化(れんおんか)**が進む…💗💗💗

4) メディア断食7日 → 「ローカル物語で置換」

適密は長文の器が徒歩圏に揃う(郷土資料室・常設展ギャラリートーク市民講座・地域FM小劇場)。スクロール断食のぶん、街の物語を吸う…💗

置換メニュー(1日1枠):

図書館で縮刷版新聞or郷土

美術館ギャラリートーク

公民館の90分講座

地域FMを“ながら聴き散歩

→ いわば、比較遮断膜。適密の“物語密度”がSNSの“映え密度”を中和…💗💗

5) 資産を“時間”に変える → 「中心徒歩10分の1年リハビリ留学

適密は中心住まいコストが“現実的”。だから貯金の一部を時間両替できる…💗

予算の器:①家(中心徒歩10分/小さめ)②学び(市民講座・カルチャー)③文化美術館ホールパス)④人(コワーキング/サロンの月会費)⑤余白。

週の骨組み:

月:料理クラス(基礎)

水:読書会(聞き専→発言1に進化

土:イベント手伝い(再会確率場を上げる)

→ 必殺・時間両替術。適密は“乗物0生活”で浮いた移動コストが、そのまま自分筋肉生活力)になる…💗💗💗

6) 言い換えの儀 → 「街語変換+散歩ジャーナル

適密は歩くと“成果”が目に見える(買えた・会えた・終えた)。自己評価を“街の出来事語”に言い換えると、行動燃料が戻る…💗

変換例:

料理は雑」→「速達料理で日を守った

恋愛経験微妙」→「再会確率場が未設定だった

散歩ジャーナル毎日3行):

1. 今日“徒歩半径だけで”済んだ用事(3つ)

2. 会釈/雑談した顔(1〜3人)

3. 明日、同じ半径で足す1アクション

最近流行りの「ことば脱棘(ことばだっきょく)」。適密の“達成の見える化”で言葉からトゲが抜ける…💗💗

2025-10-27

アーケード商店街郊外イオンモールに客取られるのは上位互換で当然だと思うが

地方テーマパークとか動物園とか温泉旅館とかドライブイン

昔はけっこう賑わってたのに今は到底成り立ちませんわ、ってなって行くのは

そんなに当然ではないと思う。

子どもレオマワールド東京ディズニーリゾートとどっち行きたい?って聞いたら全員ディズニー!って言うだろうが

でも近場の人間にとって近場にあるという価値代替されないし、どうでもいい温泉旅館ニーズはそれはそれでずっとあると思うんだが

なんで通用しなくなっていくのか?

というか、なぜ昔は通用したのか?

大型ショッピングモールってテナントが入らないとヤバい

大型ショッピングモールってテナントが入らないとマジで新品の廃墟だよな。テナントが入らなかったり、抜けた後に入らなかったりするとマジでシャッター街になる。商店街といい勝負

2025-10-25

anond:20251025201031

そら高松市商店街日本が誇る代表的再生事例やから

市電もあるし都市部生活ができる

丸亀そもそもロードサイドの街なので、住んでたワイでもJR丸亀駅の周辺がどんなだったか思い出せない

あと駅周辺の幹道が細いので、もっと南の国道11号周辺がメインかな

ちゃんほっかほっか亭焼きそばめし食べたか

香川旅行 すごい良かった

来年もともと東京から香川県移住する予定だったから下見も兼ねて旅行行ってきたんだけどめっちゃ良かった

平地だし、町は栄えてて鉄道網もバッチリ空港からバス移動もクレカタッチ決済が使えてすごい便利だった

都市ガスも通ってる範囲広いし移住先としては十二分なポテンシャルがあった

道は広いしスーパーもたくさんあってよかったなあ

丸亀市坂出市最近元気が無いのかな

商店街大分寂れてる感じがあった

ただ高松市はすごいね

とんでもなくでかい商店街にめちゃくちゃ人通りがあってちゃん機能してた

こんな元気な町があるってあん想像できなかったよ

美味しいうどん食べたり城見たり水族館行ったりしていいリフレッシュになった

今まで旅行とかして来なかったけどやってみれば楽しいもんだわ

これからはたまに旅行行けるくらいの余裕を持ちたい

夢(No.1294 2025/10/24)

←前

帰宅しようと駅に立ち寄ると、聞いたこともない路線特急電車が停まっている。たった四駅しかない支線で、最終駅の名前「えだ」だという。こんな路線があるのかとぼんやりしていると、突然足元ががたんと揺れ、列車が出発した。いつの間にかぼくも乗り込んでいたのだ。これはまずいと思ったが後の祭りだ。諦めて次の駅で折り返すしかない。いや、どうせ時間も有り余っているところだ、せっかくだから見知らぬ街の観光も悪くないかもしれないなどと考え直す。

車内は案外混雑していた。ぎゅうぎゅう詰めというほどでもないが、かといって空いている座席もないという程度。これだけ人の往来があるということは、この先も思っていたより栄えた地方なのかもしれない。列車は海沿いの高架を走っているようだ。それにしても思っていた以上に走行距離がある。次第に退屈し、意識は細長く引き伸ばされてゆく。木々の枝の合間に瞬く夕日が眠気を誘う。

かれこれ数時間は走った頃だろうか、終点ひとつ手前の駅でふと我に返る。駅前には華やかなネオンが灯り始めた土産物店などが並び、浴衣姿の観光客たちで賑わっている。何があるところなのだろうかと不思議に思っていると、背後で列車の扉が閉まる音。振り返ると列車はぼくを置き去りにしたまま出発してしまった。どうやらこの列車乗客思念類推して勝手に乗せたり降ろしたりするらしい。そんなわけで、ぼくはなすすべもなくこの見知らぬ駅に置き去りにされてしまったのだった。

仕方なく、ひとまず帰りの時刻表を探す。壁一面に古びたホーロー看板が張り巡らされ、なかなか時刻表が見つからない。それどころか駅の名前も判然としない。少なくとも「えだ」駅ではないようだ。しばらくしてどうにか見つけた粗末な張り紙によれば、上下線とも一時間に一本ほどしかないようだ。この辺りで時間をつぶして待つしかない。

商店街ぼんやりと見て回る。アセチレンランプの灯る屋台食堂キッチンで、巨大な鉄板料理をかき混ぜる料理人がいる。少し空腹を覚え、食事をするのもいいかもしれないなどと考えながら通り過ぎる。だがさらに歩くとあっけなく街外れに出てしまった。寂寞とした葦原の向こうに激しく荒れた海が見える。何層にも厚く垂れ込めた空が落ち、誰かが遠くで荒れ狂う波に翻弄され断末魔叫びを上げているかのような底知れぬ不穏な気配。冷たい風の音だけに包まれ世界が妙に不釣り合いだ。再びあの疑念が沸き戻る。いったいこの街に何があるというのだろうか。

駅の方へ後戻りする途上にも、奇妙な違和感は頭の中で膨らみ続ける。一見華やかなネオンに彩られているものの、どことな張りぼてのような嘘くささ、取ってつけたような底の浅さが感じられるのはなぜだろう。何だかからない玩具を売る夜店の店先に退屈そうに座っている男。もう何年も品物が売れた形跡はなく、その収入生活できるはずもない。隣の古書店も品数は少ない。疎らな棚から試しに一冊手に取ってみると、子供クレヨンで描いた落書き帳だった。すべてが急ごしらえの街並みで、慌ただしくかき集められた役者たちが戸惑いながら呼び込みや観光客を演じている。そんな気がしてならない。おそらくあの時刻表も嘘だろう。帰りの列車など最初からないのだ。

←前

2025-10-24

A3サイズ世界を変える、四畳半の戦い

7年前、東京。地下かどこかの喫茶店で、デザイナーのHさんと打ち合わせをした。

自分企画した仮設の公園シリーズデザイン制作物を依頼する場だった。

まだ若くてバカだった当時の自分は、「A3サイズ世界を変えよう」と笑いながら真剣に言ったのを覚えている。鼻息ストローの袋を吹き飛ばした気がする。

その後に作ったA3フライヤーは、原稿の渡し方もイメージの共有もめちゃくちゃで、散々迷惑をかけた気しかしない…。でもHさんは最高の納品物をつくってくれた。

それからあちこちでHさんのデザインを目にするたびに(先日も実家近くの本屋で見かけた)、あの狭い喫茶店で口にした言葉を思い出す。

HさんはあれからマジでA3サイズ世界を少しずつ変えてってると思う。

先週、哲学対話研修をしに来てくれたNさんに

「どうして“哲学対話”という名前を使うんですか?難しそうだとか、参加に身構える人もいるかもしれないのに」と尋ねた。

Nさんはいろいろ考えた末に、「なんか…ムカつくんすよね」と言った。

誰が哲学を遠ざけ、対話しようとする人を傷つけてきたのか。

哲学と、対話という言葉意味を新しく上書きするために、あえてこの名前を使うんだって話してくれた。

今の自分は、どうだろう。

「ムカつく」という言葉を聞いて、久しくそ感覚を忘れていたかもしれないと気付いた。

どうせ何も変わらないと思って、絶望してたんだと気付く。ぜつぼうって、Zから始まる強い響きの言葉だけど、耳がキンとするほど静かで、うっすら気付きながら置き去りにして、気付けばゆっくり死んでいるような絶望もある。

思い出すと自分も「A3世界を変えよう」と言ったあの頃、世界に対してムカついてた。

少し前、自分臨時職員だった。アート教育に関わる仕事給料は月13万円。

周りの正規職員は倍くらいの給料をもらってる。

でも求められる仕事の内容は変わらない。自分が足りないから倍以上頑張るしかないんだ。

アーティストクリエイターとつながっておくのが大事だ」と教わりつつも、飲み会に行くのが怖かった。行ってもバカにされるだけ、雑にいじられて否定されて、3000円払っていやな思いをするだけだと思ったから。

それでも「今日は違うかもしれない、大丈夫かもしれない」と信じてみる。

先にコンビニおにぎりホットスナックと缶ビールを胃に詰め込み、遅れて飲み会に顔を出す。結果「やっぱりカタパンダメだな〜」と何かのきっかけでバカにされ、ヘラヘラしながら5000円払わされ、真っ暗な帰り道で涙がつっとこぼれそうになる。今思えばもっと自己開示すべきだったのかなって思う。でもあの時の自分は、自分を守るのに必死だった。

同じ部署臨時職員同士で競わせられ、蹴落とし合う日々。毎日どんどん嫌な自分になる。

上司は定時で帰宅して、赤ちゃん風呂に入れるという。

それは素晴らしいことで、自分今日も帰れない。自分は常に欠けていて、仕事ができないかしょうがないんだ。自分子どもを育ててみたいという気持ちをこんな手取りじゃ絶対無理だとグッと押し殺し、上司に嫌な感情を向けてしまう心に嫌気がさす。

「カタパン説明は下手すぎる」「カタパンは才能がない」「カタパンは惜しいんだよな」「タレ(当時付き合っていた彼女)と結婚してさっさと仕事やめたら?」「カタパンのタレはメンヘラだよな」「それ俺が考えたことにして。そっちのほうが絶対うまくいくから」「カタパンが考えることは全て、もうすでに俺が考え終わったことだよ」「カタパンは、ソーシャル・ネットワーク映画)の、ザッカーバーグじゃない方なんだよ。自分が考えたことも上司うまいところを持っていく。そういうのってこの業界じゃ当たり前だから。」「カタパンエモいからな〜」「カタパンは伸びしろがない」「泣くのはプロじゃないよ」「カタパンもう◯歳でしょ?いい加減大人になってほしいよね」

大学1年生のころ、そのアートセンターでやっていたノイズミュージックライブを初めて聞いて衝撃を受けた。

退屈してて何もないと思っていた、都市ってつけるのがおこがましいくらいの地方都市で、爆音の圧に内臓が揺れる。初めて音に殺されるって思った。

こんなこと公共施設がやっていいんだ。そのアートセンターで働くことに憧れた。

そこには市民有償ボランティア制度サポートスタッフがあった。入りたいと思った。

でも1年生でサポートスタッフになっても、きっと自分は他の人に埋もれてしまうと思い、いろんなアルバイト経験した。

3年生になって、ようやく少し自信を持って、サポートスタッフ登録する。

“カタパン”は、サポートスタッフを始めた初日教育普及の職員に付けられたあだ名

理由は、肩パンしても大丈夫そうなキャラから。嫌なあだ名だったけど、あだ名を付けてもらえたことに喜んで、自分否定しなかった。

ようやく入った憧れの施設では、地元の人やサポートスタッフを蛮人と呼んでる人もいた。

もちろん冗談で。冗談なんだから否定するのは粋じゃない。自分は一緒に笑った。

自分も笑われているのに。

どんなに嫌なことがあってもそのアートセンターに憧れたあの時の気持ちは捨てられないし、どこかで全員尊敬できたし、すごく優しい人もいる。

周りの誰も憎めずに、自分を責め続けた。心配してくれた人の言葉を、自分大丈夫ですよとヘラヘラ聞き流した。

周りを変えることよりも自分を責めることの方が楽で、でもずるくて、いざ失敗したら周りのせいにしてた自分もいる。この文章だってそうかもしれない

自分自分のそういうところがめっちゃ嫌い。だからこの文章をここに書き残しておく。

ダサいことも、痛いことも、全部置いておく。

今は常勤職員になってしばらく経ち、生活も少し安定するようになった。チームが変わり、すごくいい仲間に恵まれて、痛みを感じることを言われることも少なくなった。安心できる場所をつくることが出来た。年下の後輩も入ってきて、それまでリーダーをやってくれてた同僚が抜けることになった。

常勤職員から、副専門職員になる試験を受けたら、普通に面接で落ちた。

付き合いの長い上司からあなた専門性はないですって諦められたみたいで悲しかった。

しか自分はまたヘラヘラして、自分の言いたいことを伝えられなかった。

伝えることを諦めてしまった。そんな自分が悔しくて、その夜電気を全部消して泣いた。

今の自分は、どうだろう。

昨日『104歳、哲代さんのひとり暮らし』という映画感想を語り合う場所を開いた。これは一昨年の暮れから、だいたい毎月4回くらいやっている。休憩がてら立ち寄った人たちとお茶ジュースミルクティーが人気)を飲みながら、映画の印象に残った場面を話すうちに、みんなそれぞれ自分過去をぽつりぽつりと思い出して語り始めたりする。昨日も15人くらい来てくれた。

コロナ禍の入院で、本当は会いたかった人を病院の窓から見送った話。

離れて暮らす娘の早産を電話で励ますことしかできず、悔しかった話。

祖母隔離病棟で亡くなる直前、看護師がつないでくれたLINEビデオで声をかけたけど、触れられなかった話。

「哲代さんは明るくてすごい。私は後悔ばかりだ」と84歳の参加者が漏らすと、別の人が「いまからでもイメチェンできる!84歳、あと20年ある!」と励まして笑い合う。

飲み物を継ぎに別のグループへ。「職員さんですか?」と聞かれたので簡単自己紹介し、「楽しく働いています」と答えると、一人の女性が「…仕事はつらいですよ。人生はつらいですよ。」と自分に言い聞かせるようにつぶやいた。

彼女は三人の子どもを育てるために、大好きだった介護仕事を諦めたそうだ。

介護仕事給料が低くて、今はレジ打ちなんかをしています。でも、本当は働きたい」そう言うと、彼女の目から涙があふれた。

彼女にとっての“働く”は介護であり、レジ打ちはやらなきゃ立ち行かなくなる”仕事”。

彼女は泣きながら、どんな場面を、人を、思い出していたんだろう。

おもわず隣の大学生がもらい泣きして、タオルで涙をぬぐう。

そのタオルがすごく大きくて「いっぱい泣けるね」とふざけて笑い合う。

自分も鼻の奥がツーンとして小さな涙を指で拭う。

この場所では、泣いても誰もバカにしない。

最後彼女は「いつか絶対介護に戻りたい」と話してくれた。

その姿は強くてまぶしくて思わずみんなで応援した。

尊敬する館長がしばらく前に亡くなった。

自分は、館長の本棚にあった「公共役割とはなにか」という本をもらった。

館長から出された宿題みたいに、その問いのことをずっと考えている。

まだ宿題の途中だけど、今館長に聞かれたら、

公共文化施設とは、みんなで人間らしさを取り戻す場所って答えたいと思う。

人生は一人で抱えるには重すぎる。いつか自分の足で立つためには、みんなで少しずつ荷を下ろし、身軽になる必要もある。何かを得るだけでなく、重くなった気持ちも置いていける場所。そういう場所が、自分はあってほしい。

それは捨てていくんじゃなくて、きっと誰かが聞いている。

形のない、透明なお墓みたいな時間場所

誰かが誰かを覚えていると信じられるから、新しい自分になっても安心して息が吸える。

小学生がうちの施設社会見学に来たら「メディアテクノロジーは人にものごとを伝えるワザ。コンピューターインターネット映像、照明、音響かいろんなものがある。そう聞くと、電源が必要とか、新しくてシュッとしてるとか、固くて冷たいもの想像するかもしれないけど、いまみんなに話しているこの言葉だってメディアテクノロジーひとつ。僕らはつい最新のテクノロジーに注目しがちだけど、僕らが生まれるずっと前は、この”言葉だって最新のテクノロジーで、思ってることを人に伝えられるのやべ〜!ってなってたはず。もし言葉が喋れなかったとしても指差しをしたり、狼煙を上げてここにマンモスがいるぞー!って伝えてた。でも当たり前に使えていると思ってるものも、使い方を間違えると怪我したりする。

このアートセンターでは、メディアテクノロジーを改めて広く捉え直して、ありたい未来可能性(こんな使い方出来たんだとか、こんなふうに伝えられるんだとか、こうなるとヤバそうとか)をみんなで考えて、みんなでつくっていくために、全員まだ答えを持ってない新しいアート作品をつくったり、紹介したり、それをみんなで見る場、話す場を開いてる」って伝えてる。ともにつくり、ともに学ぶ場なんだって

例えば映画の上映に合わせておこなうお茶会みたいなイベントは、小さな場所の小さな営みで、”オリジナル”みたいに威張れることはしていない。たまたま映画を見に来た鑑賞者同士が、なんとなく休憩しに立ち寄って、お互いの話を聞きあえる場を開いているだけ。でも、そこに来る一人ひとりは、とても大きな人生を背負っている。

日立ち寄ってくれた年配の2人組。

少し背の低い女性が「耳がほとんど聞こえなくなった主人が、この映画は見たいって言ったんです。だから字幕がなくても今日は来ました」と穏やかな声で教えてくれた。

これを見たいと思うことと、一緒に見る人がいるのめっちゃいいですねと伝える。そしたら突然その人がパートナーの耳元に向かって、自分がさっき言ったことを大きな声で復唱してくれる。(この人、こんな大きな声が出るのか)と内心びっくりする。

男性は嬉しそうに「そうなんですよ」と言って笑った。言葉があってくれて、でっかい声で伝えようとしてくれて、ここに来てくれて、聞いてくれて、ほんとによかった。

その場を見ようともしない人ほど「効率が悪い」とか「KPI」とか「来てない人を納得させないと」とか「ソーシャルインパクト大事」とか「経営的な戦略必要」とかって、ティーチ(一方的に教える)よりラーニング自分で学ぶ)が大事と言う同じ口で、一方的に教えてくれる。

いや、なんかそうなんかもしれんけど、うっせ〜〜〜。

簡単に人をモノのように扱える人ほど評価される世界絶対間違ってる。

世界を変えるって、トランプみたいに自分勝手世界を掻き回すことじゃ絶対にない。

世界を変えるって、ひとりひとりが自分の力を思い出して、取り戻すことじゃないんかい

ここに生きてる人間がいますよ。

この前ポッドキャストの収録で話したひるねちゃんは「手元をみよう 手元をみよう」と、祈るみたいに2回言った。

「人の心に反射したその光こそが作品作品が光ってるって言うより、あなたの心に反射したものが光ってるんだよ。エネルギーを飲み込まないで発散できる自分でいたいな」と言いながら、最後の語尾は震えてた。

心が諦めてしまうと簡単に、ブラックホールとかベンタブラック(99.9%の黒)みたいに、どんな光も吸収してしまう。

収録が終わってしばらく経ったある日ふと、本当に信じてることは信じてるなんて言わないのに、信じたいって思うことほど信じてるって口に出して言うのは不思議だなと思った。

言葉日光を浴びせるように外気にさらすことで、いつかほんとに信じられるものに変わるかもしれないから、僕らは信じたいことを口に出すのかもしれない。

先週も大学を訪ねたら「アート自分には縁がないもの」と学生匿名チャットで教えてくれた。おい、誰がアートをその子に縁がないものにしてしまったんだ。関係ないものなんて、本当はなに一つないはずなのに。おい、誰がそんなふうにしてしまったんだ。

でも自分アートに関わる仕事をしててそう感じさせたうちの一人でもあるかもしれないからそれはごめん!もう一度やり直したいからチャンスがほしい。そんな悲しいこと言わないでよ、寂しいじゃんって思う。

あームカつくな。ムカつくし、ムカつくという感情を思い出せたのが嬉しいな。

ムカつくの前には悲しいな、とか寂しいな、があるな。ムカつくのにも、悲しいなとか寂しいなを反射させる力が必要なんだな。

自分は小さな空間で、人が変わるまぶしい瞬間を何回も目にしてきた。

しか自分文章はまだまだ分かりづらくて、曇った鏡みたいなものかもしれないけど、本当はもっともーーーーーっとすごい。まじ伝えきれね〜〜〜〜って思う。

それでも自分も、反射できる自分でいたいと思うからこの文章を書き残しておく。

昨日の朝、映画を見る前、教育学部の授業に自分が働くアートセンターの紹介をしに行った。

朝一の貴重な40分をもらって全力でプレゼンしたあと、先生ブラインドトークワークショップに参加させてくれた。

10人が3チーム、絵を見て言葉で伝えるチームと、その説明を聞いて絵を書くチーム、そのやり取りを観察するチームに分かれる。

5分間で出来上がった絵は、答えに近い人もいれば、まあまあ遠い人もいる。

その後のフィードバック時間は、こう説明すれば良かった、こう質問すれば良かったなどの意見を交わす。

から1/3の位置に〇〇があるみたいに数字を入れて伝えるとか、全体の雰囲気テイストイラストなのか写実的なのかなど)を伝えてから具体的な描写を伝えるとか、一番大事なこと(なにを伝えたい絵なのか)に絞って伝えるとか、いろんなアイデアが出た。

どれもすごい大切だって思ったと同時に、自分はなんかもう、最強だな〜〜〜って思った。

最強って、いまめっちゃ強いとか、いまめっち説明が上手とかじゃなくて、変われるってことだと思った。伝えようとしてる人がいて、聞こうとしてる人がいる。もうそれで十分じゃん。言葉が足りなきゃ付け足したら良いし、分かんなかったら聞けば良い、言い直したらいい。

ほんとは完璧コミュニケーションなんてなくて、伝えたいとか聞きたいとか、それを諦めずに関わろうとし続ける限り、うちらもっと強くなれる。もしかしてそれを教育と呼ぶのでは?!みたいなことに気づいて驚きながら言った。

みんないい姿勢で、まっすぐ聞いてくれた。おい、まぶしいな。ありがとう

先生にお礼のメールを送る。あの子達が4年生になるのが楽しみですねって伝えた。ここには書かないけど、嬉しい返信が返ってきた。また会いたいな。学生先生も全員サポスタに登録して欲しい。

同僚のNさんとサポスタ募集の打ち合わせしたら「うちらがやってることは、誰に見せても恥ずかしくないから本当はターゲットなんてない。ターゲットは全人類、死んでるやつも、これからまれてくるやつも。ひとまず50億人全員サポスタに登録してもらおう。」って話してて爆笑しながら超グッと来た。絶対そうなった方がいいしやっぱ最高だなこの人って思った。

トランプも、ゼレンスキーも、オバマも、プーチンも、ネタニヤフも、オードリータンも、石破茂も、議員会館の地下で迷子になってる秘書も、海を渡ってきた難民も、夜勤明けでレジを打つコンビニ店員も、介護夜勤ウトウトしてる人も、野良猫を拾ったけどなかなか懐かなくてすこし懐いてくれて安心したら実は腎臓病が進行してて休日は暴れる猫を連れて動物病院に通う新入社員も、推しVtuberスパチャしすぎて家計簿が真っ赤な人も、好きな人と一緒になれなくて家で一人で泣いている遠距離恋愛カップルも、育休取りたくても言い出せない課長も、同性婚を夢見るカップルも、初めてステージに立つ前に鼓動が早くなってるドラァグクイーンも、卒論提出3時間前の大学5年生も、家の外に出る勇気が湧かないひきこもりも、声を出すと噛んじゃう吃音持ちも、白杖を持った視覚障がいランナーも、手話コントをやる芸人も、補聴器電池を切らしたおばあちゃんも、手足のないスケボー少年も、車いす山道を攻める登山家も、PTSDに苦しむ帰還兵も、大学講義室で聞いてない学生に向けて伝えることを諦めようとしてる教授も、モテることとサボることと遊ぶことと就活で頭がグチャグチャだったあの頃の自分みたいな大学3年生も、収容所自由を夢見る政治犯も、その看守も、裁判で涙を流す加害者も、被害者も、サウナで “ととのい” を追い求める会社役員も、離島保育士を探す町長も、推しジャージライブに並ぶ中学生も、バイト代を全部ガチャに突っ込んだのに天井まで SSRが来ない高校生も、フィリピンごみ山でタガログ語ラップを刻む子どもも、アマゾン流域で川と話すシャーマンも、北極で氷が割れる音を聴く魚も、火星着陸の夢を抱く在野の<

2025-10-22

イオンモールしかない」地方東京藝術大学10億円?

ウェブ版『美術手帖』の編集長が「イオンモールしかない地方都市には美術の美もない」というようなことを言って、案の定、少し燃えたのは記憶に新しい。

僕も地方出身から、その言葉にカチンとくる人の気持ちは痛いほどわかる。「どうせ俺たちの日常なんて、文化の欠片もない退屈なものなんだろ」と、見下されたような気分になる。週末に行くイオンが、家族にとっての一大イベントだったりする、そういう暮らし機微全否定されたような気さえする。だってかにないじゃん。

ただ同時に、編集長が言わんとしていることも、なんとなく想像はつく。地方都市の、あの画一的風景。どこまで行っても同じようなチェーン店住宅街が広がり、かつて街の中心だった商店街シャッターを下ろしている。そういう風景を前にして、アートに関わる人間として一種絶望というか、嘆きのようなものを感じてしまう瞬間があるのはよくわかる。それは、地方に対する愛憎半ばする感情なのだろうとも思う。

そんな小さなモヤモヤをずっと抱えていたら、実に興味深いニュースが飛び込んできた。

他ならぬそのウェブ版『美術手帖』が報じた、「東京藝術大学取手キャンパス10億円の寄付」という記事(件の編集長もこの記事へのリンクをリポストしている)。

これは、なかなかに美しい皮肉じゃないか、と苦笑してしまった。

http://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/31541

東京藝術大学といっても、取手市であって上野ではない。東京ではない。茨城県にある。都心から見れば、それは紛れもなく「地方」だろう。

どころか市内に日本最大級イオンモール計画されているという報道もまた、記憶に新しいではないか

しかしその「地方都市日本代表メンバーに選ばれるであろう取手キャンパスに、安田容昌氏という方が10億円もの大金寄付した。

寄付に寄せたコメントがまた素晴らしい。

取手キャンパスには、素晴らしい施設に加え、土の匂いと、川の風と、地域に暮らす人々の息遣いがあります。」

「これまで日本の発展は、とかく都市を中心に語られてきました。しかし、真に新しい価値は、しばしば周縁からまれます。」

芸術に触れる機会が都市部に集中している現状において、この取手キャンパスから日本の新たな文化うねりを起こすことができると信じてやみません。」

地方事業を成し、その恩恵を受けてきた者として、次世代のために文化的な社会資本を築くことこそが、私にできる最後の恩返しです。」

(ちなみに最初の2行は、『美術手帖』の記事ではなぜか省略され、大学公式リリースにだけ載っている)

https://www.geidai.ac.jp/news/20251008152520.html

まり、これは「田舎には美術がない」という嘆きに対する、あまりにも力強いアンチテーゼなのだ。それも、10億円というリアル数字を伴って。

アート都市だけの専有物じゃない。地方にこそ、これからまれるべき豊かな土壌がある。そう高らかに宣言しているように聞こえる。

編集長炎上した発言は、確かに言葉足らずで、多くの人を傷つけたかもしれない。

でも、彼が投げかけた「地方アート」という問いは、奇しくもこの10億円の寄付によって、新たなステージに進んだ気がする。

イオンモールしかない田舎」と切り捨てられた場所で、アートは育つのか。

いや、育つに決まっている。

誰かが「ここには何もない」と嘆いた場所にこそ、新しい価値が生まれる種が蒔かれるのだ。

今回の寄付は、まさにその種だ。この種が、取手の地で、どんな芽を出し、どんな花を咲かせるのか。

それは、都会のギャラリーに飾られる洗練されたアートとは、全く違う形かもしれない。泥臭くて、生活匂いがして、不格好だけど、力強い何か。

心のどこかで、あの編集長の嘆きにまだ共感している自分もいる。「東京藝大」という権威と「10億円」という資本

結局、そうした巨大な「外部の力」がなければ、地方アート話題にすらならないという現実。それは、彼の「田舎には美術がない」という言葉を、残酷な形で裏付けはいないだろうか。

編集長発言も、10億円の寄付も、「お前のいる場所の『美』とは何か?」と問いかけている。

イオンモールフードコートで談笑する高校生に、夕暮れの田んぼ道に、シャッター街の錆びた看板に、目を凝らせば「美」のかけらは見つかるんだろうか。

今回の出来事は、そんなことを、少しだけ考えさせてくれた。だから、この皮肉な巡り合わせに、僕は少しだけ感謝している。

2025-10-20

anond:20251020094306

かい商店街で今でもDVDCD投げ売りしてるから探せェ!この世の全てを置いてきた!!!

anond:20251020000527

かなり具体的な描写ですね。

この条件を整理して推定してみましょう。

🧭 条件整理

新宿から電車で約22分

 → 京王線京王新線沿線新宿から調布方面)。

 快速特急を使えば22分前後で「調布」到着。

 各駅停車だともう少しかかります

調布市内の「各駅停車しかまらない駅」

 → 候補は以下の6駅:

 - 西調布

 - 飛田給

 - 柴崎

 - 国領(→準特急停車なので除外)

 - つつじヶ丘準特急停車なので除外)

 - 布田

 つまり候補は「西調布」「飛田給」「布田」「柴崎」。

シャッター街」「古びた団地」「老人多い」「空き家あり」「子育て世帯もいる」

 → 再開発が進んでおらず、昔ながらの住宅街

 → しかし完全な高齢化限界集落ではない。

スーパーレジ1人」「テナント募集中」など生活感はあるが衰退気味。

🏙️ 駅ごとの特徴

駅 特徴 該当度

西調布 駅前商店街があるがシャッター多め。旧甲州街道沿いに古い団地・空き店舗が点在。スーパーも少なめ。 ★★★★★

飛田給 味の素スタジアム最寄りでイベント時は混むが、普段は閑散。住宅街が広がる。団地もあるが、商店街は小規模。 ★★★★☆

布田 再開発進行中で駅前がきれい。空き店舗は少なめ。 ★★☆☆☆

柴崎 駅前昔ながらの商店が並ぶが、空き店舗目立つ。高齢者多め。住宅街団地もあり。 ★★★★★

🧩 総合的に見ると…

新宿から電車で約22分(京王線各停

調布市内で各停しかまらない

古びた団地シャッター商店街高齢者多い・地味な住宅街

この条件に最もよく合うのは:

🎯 柴崎駅 または 西調布

🪧 補足

柴崎駅周辺(特に甲州街道北側)には昭和香りが残る小規模商店街や団地が多く、空き店舗シャッター通りが見られます

西調布駅も「旧甲州街道沿いのロードサイド空き店舗」「団地の1階店舗シャッター」「高齢者の多い落ち着いた雰囲気」といった描写にかなり一致します。

🔎 結論

新宿から電車で22分のシャッター街は、

西調布駅 もしくは 柴崎駅 の周辺を指している可能性が高いです。

2025-10-17

村山元総理の服に関する裏話

本日逝去の報せがあった村山氏だが、自社さ連立政権の成立により突如首相の座に登る事になった。

ところが周囲は賛意を送りながら頭を抱えてしまった。村山氏はロクな服を持っていなかったのだ。

背広スーツでなく)の肘は伸びて出、ズボンパンツでなく)は生地が薄くなって穴が開いた箇所をパッチと裏あてで繕ってあり新品のラインは無くなりオールジーンズのようなラインになっていた。シャツ昭和中期の商店街洋品店で買ったようなワイシャツ(襟が大きくて開いてるデザイン)で、やはり袖口や襟元がボロボロ

要するに昭和の古い社会主義者そのままの出で立ちであった。しかも家にある予備も全部同じ状態

世界一貧しい大統領」と呼ばれたウルグアイホセ・ムヒカそっくりだ。因みにホセ・ムヒカ氏も今年に亡くなっている。

 

それで、労働者弱者の為の政治する社会主義者としてならそれも良いかもしれないが、日本首相としてはかなりマズイ。洋服の青山に行って「どのような場面での服をお探しですか?」「今度首相をする事になりまして」と言う訳にもいかない。しか総理親任式では天皇陛下の前に立たねばならないのだ。

という事でスタイリストファッションコーディネーターが付くことになったのだ。大急ぎで身の丈計って服を数セット揃え、美容(と言っても洗顔方や調髪に関して程度だが)の指南などをする人が付くことになった。

こういう職業人をいきなり探すというのも難しいので、どうも自民党関係者が紹介したらしい。

 

村山氏の総理在職時の写真を見ると、かなり服装はシャキッとしているし、ネクタイTPOに合せてコンベンショナルなガラ、カジュアルなガラと使い分けている。しかネクタイの結び目も細い(昭和は結び目が太くなる結び方が一般的だった。昭和オヤジの襟が広い&デカい結び目は民民の玉木代表を参照のこと)。

それら全ては派遣されたコーディネーターらが指定した通りのものを着用した為であったのだ。

ただ、この人らは付き人のようにずっとそばにいるんじゃなくて、最初につきっきりで服装指導スーツの購入をしたら、状況別の服の組み合わせを置いて行って何か特別なことが無い限りは来ないという風にしたそうである

 

総理退任後の写真を見ても結構シャキッとした服装をしているので、服装センス総理経験で上昇したようである

 

ついでに言うと、高市氏はタレント出身なのに化粧が変なことがよくある。コンベンショナルな化粧じゃなくて変な色のリップを塗ったり、フラッシュを焚かれる仕事なのにUVファンデを厚塗りしてきて顔が真っ白く飛んだ写真新聞に載ったりとメイクの基礎がおかしい事があるのだ。肌の黒ずみを気にしているようなのだが。多分だが、年を重ねて若い時のメイク通用しなくなっているのだと思う。

総理椅子が見えた今、高市氏のこの辺が急に改善されたらメイク指導の人などが付いたということであろう。

2025-10-09

anond:20251009102151

典型的な「勝手類推マン」だな

「〇〇をしてるんだから□□するのが当然」

「〇〇なんだから□□してないとおかしい」

「〇〇だったら□□になっていてあたりまえ」

前提がいくらあっても同じ

前提が問題じゃないんだよ

「なぜそうしたか」を逆算していけば起因になる事柄が拾えるけど

その拾った事柄再現したところで結果は再現されないよ

だいたい

「〇〇なんだから□□してないなんておかしい」

とその論建てが失敗したところから始まってるんだから

失敗がどうして失敗したかって、逆算しはじめたところからなんだから

最初から失敗しているのに失敗のなかから失敗じゃない点をみつけようとしても

全部が失敗の経路から失敗しか拾えないにきまってるじゃん

たとえばね

交通事故が起きたとして

交通事故に至らない結果になるためには」

ってそのための手段を講じてないか事故になったわけで

「次に起きる事故を阻止するために前提条件として失敗の例を考察する」には意味があるけど

起きた交通事故は何回反芻しても無くならない

「なんで〇〇なのに□□しないんだ」

ってしないからしてないだけ

してないからならないし、してないものはならない

そうなるように流れを先につくっておかないと、結果はとつぜん降ってきたりしない

失敗にしても成功にしても、その条件を考察してできるのは

その事例以降に

「〇〇なんだから□□してしまう」

人を生み出すプロセス形成することだけだよ

今ちょうどその

TCG転売みたいなもんだから転売反対ならそれやめちまえよ」

にもっていこうと頑張って

いかTCGが、というか人間社会人生世界のすべてが取引だとして

取引してるんだから転売してるんだから楽しい人生には転売必要だ」

みたいな話をしてるけどさ

どの取引にも違う名前がついていて条件が違っていて、転売もその一つ

それだと

悪徳業者が無理な取引を誤解させて行って損をさせる」のも取引だと思う?

なんでも取引という名前に集約させて、その「取引」という名称の革袋から出たもの

「みんな正当なもの」という古い革袋に新鮮なワインを入れたらでてくるのはみんな飲用可能ワインみたいにしてる

TCG転売みたいなもので、恋愛金融もみんな転売転売は正しくてみんな転売生活してる

それは古い革袋から出したなにかわからないドロドロの液体で埋め尽くしてるだけでなんにも正しくない

正しいというのは「いつどこでだれがなにの目的でそれを使うか」ということで

畑にまくならドロドロの腐敗した葡萄酒でもいいし、飲むならつめたくて新鮮なものがいい

昆虫採集とか動物の餌にとかいったものもあるかもしれない、それぞれ全然別で「ぜんぶえきたい」といっていいものではない

転売問題点は

「いつどこで、という競争においてどこでだれが、という優位性をもって」

これが取引の前提だけど

「なにの目的で」

というのが、末端利用であるはずのものが「再販売」を目的にしているところ

商店街みかじめ料をとったり、配達物を手渡す配達員チップ要求したりするようなもの

払う分には「そのくらい」と思うかもしれないけど、人質にとられている「払わないと受け取れない取引物」が

購入したい商品なわけで、たとえ100円上乗せしただけだとしても「人質商品単価全額が乗せられている」という取引

果たしてトレードみたいな言い方で片付くものなのか

そこにいろんな問題があるから、いろんな問題をはじめから発生させないようにするには

転売はよくない」

としているシンプルな話

この話を例にたとえるといくらでも話をつくれるけど

いくらでもある話から逆算して類推して結果を作り出すのは無理

類推マンはたったひとつの事例から抜け道を探すのが得意みたいだけど

再現性」が抜けてる

それがないからたった一例の希少な発想を

「〇〇をしてるんだから□□するのが当然」

「当然」という強い押しの単語を加えることによって一般化したい気持ちを具現化してるけど

挙げてる例がなおさら無理筋で魅力に欠けるから全然まらない

実際「人勢全部転売だ」なんて考えになる人いないでしょ

人生のもの転売だって人も、転売プロならそう言うと思う

転売に魅力を感じて実益を得たからでしょう

そうじゃない人になんの得もないのに、迷惑しかかかってないのに

人生取引だ、だから転売だ」なんて言われても

なんの得もしないし、魅力もないし、そう考えたところでなんの楽しみもない

から受けないんだよ

トレーディングって名前のことをしてる人が転売をきらってるストーリーを練って

転売」の株があがるとおもった?

2025-09-30

悲報エマワトソンさん、JKローリングに許されず…

https://x.com/ueyamakzk/status/1972732081894731817

J.K.ローリング氏がエマ・ワトソンについて、絶縁宣言ととれる長文を投稿。「さすがは人気作家」と言いたくなる、落ち着いて説得力のある筆致…。

自分にチャンスをくれた原作者バカにするエマ・ワトソンは、人間として最低の印象になってしまった。

裕福さや名声というクッションなしに大人としての生活経験したことのない人々と同じように、エマは本当の生活経験ほとんどなく、自分がどれほど無知であるかにも気づいていない。彼女ホームレスシェルター必要とすることは決してないだろう。男女混合の公立病院病棟に入れられることもないだろう。子どもの頃以来、商店街の試着室に入ったことがあるとは到底思えない。彼女の「公共トイレ」は一人用で、ドアの外には警備員が立っている。市営プールの男女混合に変わった更衣室で服を脱がなければならない経験したことがあるだろうか? 女性専用サービス保証しない国営レイプ危機センターを利用する可能性があるだろうか? 女性刑務所に「自己認識」で入ってきた男性レイプ犯と同じ房に入れられることがあるだろうか?

私は14歳で億万長者ではなかった。エマを有名にした本を書いている間、私は貧困の中で暮らしていた。だからこそ、エマが熱心に加担してきた女性の権利の破壊が、彼女のような特権を持たない女性少女たちにとって何を意味するのか、私自身の人生経験から理解している。

まあ貧困の中で生活保護で執筆してたローリングと、ガキの時点で億万長者になったエマとじゃ見えてる世界が違い過ぎるよね

トランス問題は結局はフェミニストの中での階級問題ってことやね

2025-09-29

anond:20250924190655

次は岩泉について。

たぶん岩泉が一番面白いのは秋、それもこれから1ヶ月くらいのあたり。これは、岩泉松茸の産地ということにある。夕食付きの宿はどちらも1泊2食1万円くらいのプラン松茸付きの夕食を出しているし、道の駅には大きな国産(岩泉産)松茸が大きさの割には手頃な価格で並んだりする。それに紅葉の季節でもあるからね。久慈に行くとき九戸ルート葛巻ルートを使った場合久慈渓流という紅葉の名所を通過するけれど、それに負けない紅葉があちこちで見られるのが岩泉

何と言っても岩泉の一番の名所は龍泉洞岩泉に来て龍泉洞を見ないで帰るのはもったいないくらいに必見の場所。地底湖が非常に透明度が高くて神秘的。ここの水は実際に入口近辺に湧き出ていて、空のペットボトルを持ち込めば持って帰ることもできる。何せ岩泉市街地の人たちはこの水の風呂に入ってるからね(若干誇張あり)。龍泉洞の水はパッケージで売られてもいるので持ち込みで持って帰ればコスパの良い気分にもひたれる。で、自分おすすめは実はこの龍泉洞の向かいにある龍泉新洞。龍泉洞見てれば実質タダで見られるにも関わらず、展示がショボいのもあって誰も見に来ないの。そのショボさという事項を楽しめる(自分のような)人には一周回ってむしろおすすめ科学館。滞在予定を15分だけ延ばしてぜひ足を運んで欲しい。龍泉洞に向かう道をずっと北に向かうと安家洞って鍾乳洞もある。こちらはおそらく日本最大の鍾乳洞と言われていて、入口部分の500mだけが一般公開されている。こちらは龍泉洞のような気軽な気分では入れないので、ガイド付きツアーを予約して楽しめる人向け。

龍泉洞は宇霊羅山という山の中にあるんだけど、その山の南側岩泉中心市街地。もちろんそんなに大きくはないけれど、商店街(うれい商店街)は意外と頑張っている。手作り陶器とか小物とかの店が数軒あったり。お土産的には地酒龍泉八重桜造り酒屋と、菓子店の志たあめやおすすめ後者はこのあいだ書いたかりんとうもあるけれど、少し前からたぬきケーキ」が注目されていたりする。あ、岩泉で秋をおすすめする理由がここにもう1つあった。中松という菓子店が秋から冬にかけて栗だけで作ったお菓子栗しぼりを作っていて、これが甘さ控えめでなんとも美味しい。まあこの店は盛岡駅にも出店しているけどね。同じような盛岡でも買える岩泉特産品大谷翔平がべた褒めして注目された岩泉ヨーグルトもある。これは買おうと思えば東京近辺でも買えるか。

岩泉町は非常に大きい町で、正直本州一大きい町である。今回は久慈への岩泉ルートとなる国道455線に絞って紹介すると、盛岡に近い側には、廃校をリノベして作った道の駅三田貝分校、海に近い側には道の駅いわいずみと2つの道の駅岩泉が挟まれている気分になる。道の駅後者のほうが大きくて、さら後者はその裏にリゾート施設CYMBALSも出来ていて観光には便利だったりもする。ただそれもあってか、道の駅いわいずみ近辺が2016年8月末に観測史上初の台風上陸の結果壊滅的な被害を受けた場所であることはたぶん行ってもわからいかもしれない。とりあえず「ハイキュー!!」のタペストリーでも見てもらえればじゅうぶんかと。

これ以外のものとしては岩泉炭鉱ホルモンという新し目の名物がある。大まかな場所としては三田貝分校とうれい商店街の間にある1001小川が一番元祖に近い店で、まあ町内あちこちで展開しているので食べるきっかけがあるかもしれない。


※当初岩泉宮古記述に含めて書こうと思ってたんだが、宮古岩泉をいっぺんに回ろうとする人あんまりいないのね。これは宮古から岩泉が意外と遠いことにある。それもあるのでエントリを分けた。なのでこのエントリは短め。

2025-09-24

QRコードアプリ可能性と日常生活での活用

日本で生まれQRコードは、今や世界中で利用される技術となりました。スマートフォンの普及とともに、QRコードを読み取るアプリQRコードアプリ)は私たち生活に欠かせない存在になりつつあります。ここでは、QRコードアプリ日本でどのように使われているのか、そして今後どのような可能性があるのかを見ていきましょう。

https://apps.apple.com/jp/app/id6747792526

日常生活で広がるQRコードの利用シーン

1. キャッシュレス決済

PayPay、楽天ペイ、LINE Pay など、日本キャッシュレス決済サービスほとんどQRコード対応していますコンビニ飲食店ショッピングモールなどでスマホをかざすだけで支払いが完了。小規模店舗でも導入しやすいため、地方商店街にも広がっています

2. 交通旅行

新幹線飛行機チケットQRコードで発券・搭乗が可能。紙のチケットを持ち歩く必要がなく便利です。

観光地では、看板パンフレットQRコード印刷されており、スキャンすることで多言語ガイドや音声案内にアクセスできます

3. 医療行政サービス

病院の受付番号票や処方箋QRコードが付いているケースも増えています行政でも、自治体広報誌やポスターQRコードを載せて、市民に最新情報を届ける工夫が見られます

4. マーケティング交流

名刺QRコードを載せて、LINELinkedInに直接アクセスできるようにするビジネスパーソンが増えています

広告キャンペーンポスターQRコードから、そのまま応募フォームECサイトに飛ぶのも一般的になっています

QRコードアプリが便利な理由

すぐにアクセスできる – URLを打ち込む手間が不要

ペーパーレス化に貢献 – チケットクーポンスマホに集約

安心安全正規サービスアプリを通じて利用することで、フィッシング対策もつながる

今後の展望

QRコードは決済や広告だけでなく、

災害時の情報共有

食品製品トレーサビリティ(産地確認や偽造防止)

マイナンバー制度との連携によるデジタルID

など、さらに幅広い分野で活用されると考えられています

まとめ

QRコードアプリは、日本で生まれ技術私たち自身がより便利に使いこなすためのツールです。買い物、旅行医療行政と、生活のあらゆる場面で役立っており、今後も新しい使い方が広がっていくでしょう。QRコードを通じて、私たち暮らしますますスマートで快適になっていくはずです。

2025-09-22

夏の終わり、秋の足音


薄く湿った風が、夕暮れのアスファルトをそっと撫でていく。数日前までは日没を待たず、コンクリの照り返しにじりじりと焦がされていたのに、いまはまだ陽があるうちから肌にひんやりとした予感が宿っている。

自転車を漕ぎながら見上げる空は、夏の蒼さから少しずつ色褪せて、淡い鉛色の雲にほのか黄金を帯びている。あの入道雲はもう遠い日の記憶で、今は高いところを渡る雁の群れが、秋の訪れを告げに来たのだろう。

帰り道にある公園では、蝉の声が徐々に減り、代わりにひぐらしが一声、二声と鳴く。真夏の間は地響きのように賑やかだったのが、いまや呼吸のように間を置いて静かに響く。滑り台の鉄網が、まだ熱を帯びているけれど、触れればもう「焼けた」痛みではなく、肌に寄り添う温もりへと変わっている。

家へ戻ると、窓辺に置いたガラス瓶の中でミントの葉が色を濃くし、夏に吸い込んだ陽光を抱えたまま秋を迎えているようだった。明かりを点けると、その緑はほんのり翡翠色に光り、部屋の薄暗さをほのかに照らす。僕は書きかけのノートを前に、指先でページを撫でる。まるで時間の糸をたどるように、字の隙間から季節の匂いが立ち昇る。

足元には去年の秋に拾った赤い葉が一枚、乾いてカサカサと音を立てている。あの日福島山道を歩いていると、突如ひらりと舞い降りてきたものだった。自分この街を出る日を想像もしていなかった頃の、ほんの小さな偶然だったのに、それがいまでは胸の奥で鮮やかに疼いている。

窓の外を見れば、商店街アーケードの明かりが柔らかく灯り、夜の帳がゆっくりと広がっていく。夏の終わりは寂しいと言う人もいるけれど、僕にはこの「終わりの始まり」がいちばん好きだ。終わるものへの惜別と、始まろうとする何かへの昂揚が同居しているから。

明日はもう9月の下旬だ。仕事帰りの道で見かけた栗のイガが、そっと落ちていた。掌に包むと、まだ子供のように固く、尖っている。触れているうちに、心のどこかで「次へ進め」と囁かれているような気がした。そうか、僕はまだ旅の途中なのだろう。

窓の外では、夜風が窓枠をかすかに揺らし、遠くで何かが鳴っている。秋の虫が、まだ旅に出る僕を見送るように――静かに

この部屋の明かりが灯るころには、もう秋の匂いが深まっているだろう。夏をつかみ損ねた僕の胸の中にも、ゆっくりと色づく何かが流れ込んでくる。風が変わるたびに、その鼓動が確かな存在として胸奥で響き、僕はまた一歩、季節の旅を続けていく。

2025-09-20

anond:20250920145709

エンディング:切なさの余韻

 世界は静かに、そして確実に流れていった。タケルの視界には、広大な都市も、海も、山も、空も、すべてが一望の下にあった。神としての力は完璧で、どんな命も、どんな瞬間も、その動きも感情も手に取るように知ることができる。

 だが、胸の奥の痛みだけは、どんな力でも消せなかった。

 あの夕暮れの教室笑顔を浮かべながら僕に「ごっこしない?」と手を差し伸べた少女――ノゾミ。彼女が消えた瞬間の衝撃、手を伸ばしても届かなかったあの感覚。すべてを知る力を持ちながら、彼女だけは救えなかった。

 世界中の命や出来事が眼前に広がっていても、タケルの視界の中にノゾミはもういない。

 誰も覚えていない。存在すら、世界歴史からは消えた。

 残っているのは、ただ僕の胸の奥だけ――ノゾミを思うこの痛みと記憶

 教室の窓に、あの日夕陽が幻影のように差し込む。光はまだ橙色で、揺れる影の中に彼女の姿を重ねることができる。手を伸ばせば届きそうで、届かない。手の温もりも声も、今はもう幻の中だけにある。

 タケルは膝を抱え、静かに呟いた。

「……あれは、ごっこなんかじゃなかった」

 目の前の世界がどれほど大きく、完璧であろうと、胸の奥に残る感情だけは、力では決して変えられない。人間としての痛み、失ったものの虚しさ。それが、神としての僕の唯一の欠片だった。

 世界のあらゆる命を見渡す視界の奥で、タケルはノゾミの笑顔を繰り返し思い浮かべる。

 教室で手を握った感触廊下で呼び合った名前商店街で笑いながらたい焼きを分け合った瞬間――すべてが、心の中で生きている。

 しか現実には、彼女はもういない。消えた。僕の胸にしか存在していない。

 涙が頬を伝い、世界の果てまで届くような孤独が胸を押し潰す。だがその涙を拭いながら、タケルは力を取り戻した監視者として立ち上がる。

 神の分身としての役目は、何も変わらない。弱者男性族を見守り、世界監視し、導く――その役割は冷たく、孤独で、容赦なく続く。

 だが、今だけは、胸の奥に残る少女記憶を抱きしめながら、その孤独を受け入れることができる。

 空には星が瞬き、街には夜の光が灯る。すべての存在平穏を装って動いている。その光景を見下ろしながら、タケルは静かに誓う――

 この世界のすべてを見守る力を持つ者として、ノゾミのいない世界でも、彼女を忘れずに生き続けることを。

 そして彼は一度、深く息を吐く

 涙を落としながらも、孤独監視者として、世界を見守り続ける。

 教室の幻影の中に、ノゾミの笑顔はいつまでも輝き、タケルの心の中で生き続ける――切なく、儚く、しかし確かに存在している愛の記憶として。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん