はてなキーワード: 駆除とは
別に大筋で反対する気はないけど「熊が人間を狩りに来た」は結果であって意思をもってやってるかのエビデンスは無いっす
環境省の最新資料[1]では、ツキノワグマの生息数を「約4万2千頭以上」と推計している。しかし、この数値の実態は、調査手法も精度も異なる各県の推計の中央値を単純に合算したものに過ぎない。 「以上」という表現から察せられるように、これは正確な実態を示すものではない。専門家でさえ、全国の正確な生息数を把握できていないのが実情だ。
この推計値がいかに曖昧であるかは、秋田県のエピソードが端的に示している。2019年、同県はカメラトラップ調査とベイズ推定により生息数を2,800〜6,000頭とかなり幅の広い推計した。さらに深刻なのは、この推計に基づき「2023年に2,314頭(当時の推定中央値の半数近く)を捕獲したのだから絶滅に向かう」といった主張すら見られた。しかし、実際には2025年現在過去最悪の被害が出ていることを考慮すると、当初の推計値が実態を捉えていなかった、あるいは半数捕獲という見立てが正確ではなかったことを示唆している。
より精度の高いDNA検査を用いるヘア・トラップ法も存在するが、高コストがネックとなり、十分な調査予算が確保されていない。
ツキノワグマによる被害は10月をピークに11月以降は減少傾向に入るため、冬が近づくと議論が下火になりがちだ。しかし、生物の個体数は指数関数的に増加しうるものであり、長期的な視点での政策が不可欠である。現状のように正確な生息数がわからなければ、将来的な管理目標や、適切な捕獲数上限[2]を設定することは不可能だ。今、目の前の被害が一時的に減ったからといって対策を先送りにすれば、国土の大部分が山で覆われる日本の将来に、深刻なツケを残すことになる。
持続可能な頭数管理を実現するため、今こそツキノワグマの正確な生息数調査への予算措置を最優先で行う必要がある。科学的アプローチの一丁目一番地は、信頼できるデータを集めることから始まるのだから。
[1]:環境省資料 https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/kumahigai_taisaku/dai1/shiryo1.pdf
害獣1匹にここまで警察・猟銃会・役場が足を引っ張り合う事態って初めてなんじゃないか。マジでゴジラが出てきたらもめてる間に日本壊滅するなこりゃ。
チーズケーキを初めて食べた老人が「洋菓子は好かん!」と言ったとする
ところが翌日にはシュークリームを食べて、「これはうまい。洋菓子もいいもんだ」と言った
これをダブスタだと批判するのは馬鹿げてる。無知からくる前言撤回なんてのはよくあることだ
ある政治家が過疎の村に出向いて言った
「熊被害をなくします! 人間の生活を脅かす熊の駆除を進めます! 清き一票を!」
「熊の残虐な駆除をよりやめ、捕獲して森へ帰す方式へ転換します! 清き一票を」
これはダブスタというかただの嘘つきだが、村人も団体員も政治家を批判して良いだろう。
森の中のエルフの村では、人々は木の実の採取し弓矢で狩猟をしながら細々と暮らしていた
そこへ悪い知らせが届いた
ゴブリンたちが各地で徒党を組んでエルフの村を襲い、とらえた村人を食べているという
エルフたちは立ち上がった
「他種族の集落を襲うことは許されない!ゴブリン族を厳罰に処すべきだ!いや、予防的に奴らを根絶やしにしよう!」
呆れたのは、これまで散々エルフたちに襲われ食料にされていた森の小人族だ
「いやお前ら、ダブスタやんけ!」
最近人里にクマが出没したというニュースを頻繁に見るけど、クマが悪者と印象づける工作活動なのかと疑ってしまう
そしてクマ駆除に苦情の電話が相次いでいるみたいなニュースもやたら見かけるけど実際はそんなにいないんだろうなって邪推してしまう
そもそもクマを駆除するのが正義ってわけでもないだろうに、人間の都合で動物の命を奪うんだから
クマも生きるのに必死なだけだし、そもそも地球は人間だけのものではないのにね
もちろん人が被害に遭うのは良くないと思うけど、だからといってクマを殺せばいいというのは短絡的だし、クマが可哀想というクマに少しでも肩入れする意見は「動物愛誤!」「綺麗事!」って袋叩きにするのはおかしくない?
こういうことを言うと「だったらお前が責任持って飼え」と短絡的な反論をされそうだけど、そういうことじゃなくて上手く人とクマが共生できる道を探せないかということ
エミュー戦争を思い出すんだが。死傷者が出なければいいなと思う。
エミュー戦争は、1932年にオーストラリア(西オーストラリア州)で発生した、野生動物であるエミューの駆除作戦を指す俗称です。
第一次世界大戦の退役軍人が入植した農地に、干ばつの影響で約2万羽ものエミューが水を求めて侵入。小麦などの作物を食い荒らし、フェンスを破壊するなど深刻な被害をもたらしました。
農家からの要請を受け、国防大臣は機関銃(ルイス軽機関銃)を装備したオーストラリア王立砲兵連隊の兵士を派遣しました。しかし、エミューは非常に素早く、群れがすぐに分散してしまうため、機関銃による掃討は極めて困難でした。
作戦は2度にわたり実施されましたが、大量の弾薬を消費したにもかかわらず、駆除できたエミューはごく少数(約1,000羽弱とされる)に留まりました。メディアはこれを「エミュー戦争」と皮肉交じりに報道し、最終的に軍は撤退。人間の兵器が野生動物に通用しなかったという、珍妙な出来事として知られています。結果として、この作戦はオーストラリア軍の「敗北」と見なされています。
怒りの矛先を向けるなら、クマじゃなくて田舎に住み続けるバカだろ。
クマが出ることが分かってる田舎に住み続けるんだから、クマに襲われても自業自得だろ。
あんたらが都会に引っ越しさえすれば、クマを駆除する必要はねえんだよ。
クマに襲われたくないなら、田舎に住んでんじゃねえよ。田舎に住み続けるなら、クマに襲われる覚悟で住めや。
そいや温暖化で鹿が増えてクマの食い扶持を奪ってる説なんだけどさ
今熊の本読んでたのよ
そしたら鹿増える→鹿駆除を頼む→ハンターがロースだけ取って鹿の死体放置
→クマが楽して鹿食う→肉食しかしないクマ爆誕→牧場の牛を狙う
みたいになってよくないらしい
クマったもんだ
町議の暴言とされる発言に焦点が当たり、それに対する猟友会の「出動拒否」という対応が報じられています。
「自分たちに頼らざるを得ないことを理解していて態度がデカくなっている」
という視点から、猟友会側の構造的な問題や、なぜ彼らが「横柄」と受け取られ得るのかについて論じます。
https://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000463540.html
クマの駆除は、単に銃が撃てるというだけでは務まりません。対象は猛獣であり、市街地や民家近くに出没した場合、安全確保、正確な射撃技術、獲物の回収・処理など、高度な専門知識と経験、そして何より危険を顧みない覚悟が求められます。
この危険かつ専門的な業務を、現実的に担えるのは(特に地方においては)地元の猟友会メンバーに限られているのが実情です。彼ら自身も、そして行政や住民も、「自分たちがいなければクマの脅威に対応できない」ことを熟知しています。
ご指摘の通り、この「頼らざるを得ない」という状況、すなわち業務の代替不可能性が、彼らの立場を構造的に強固なものにしています。この優位性が、外部からの要求や批判に対し、強い態度に出る(=横柄と映る)土壌となっている可能性は否定できません。
記事の中で、海田副議長は「こんなに10何人も来ないと駄目なのか」と、現場のハンターの人数に疑問を呈したことを認めています。
猟友会側からすれば、これは「現場の危険性も作業内容も理解していない素人からの口出し」と受け取られた可能性が極めて高いです。
安全確保のための見張り、クマを刺激しないための連携、万が一の反撃への備え、そして駆除後の(時に数百キロにもなる)クマの搬出作業などを考慮すれば、13人という人数が彼らの経験則に基づいた「必要最低限」であったのかもしれません。
副議長の主張によれば、これに対して猟友会側は「(クマを)引っ張ってみろ」と返したとされています。これが事実であれば、まさに「危険を知らない素人が口を出すな。できるものならお前がやってみろ」という、専門家の強い自負と素人への侮蔑が入り混じった反発であり、典型的な「横柄」と受け取られる態度と言えます。
猟友会の活動は、多くの場合、危険な任務に見合った十分な報酬が支払われているとは言えません。むしろ、地域貢献や義務感、あるいは狩猟者としての矜持(きょうじ)に支えられている側面が強いです。
そのような中で、今回の報道で猟友会側が主張する(副議長は否定)暴言の中に、「金もらえるからだろう」という言葉があります。
もしこれが事実であれば、命がけで出動している彼らにとって、これ以上ない侮辱です。自分たちの活動の根幹である「義務感」や「誇り」を金銭で測られ、貶められたと感じれば、激しい怒りや拒絶反応(=出動拒否)につながるのは当然とも言えます。
日頃から、行政や住民からの感謝や理解が不十分だと感じている(あるいは、危険な作業を押し付けられていると感じている)場合、こうした「素人からの無理解な発言」は、積年の不満を爆発させる引き金となり得ます。その結果としての強硬な態度は、部外者からは「横柄」「態度がデカい」と映ることになります。
猟友会は、その専門性や伝統ゆえに、外部からは実態が見えにくい「閉鎖的な組織」と見られがちです。独自のルールや、師弟関係のような強い縦割り構造を持つことも多く、外部の論理(例えば行政のコスト意識や議会の介入)が通用しにくい側面があります。
行政(町議)側からすれば、彼らは「コントロールしにくい集団」であり、予算を支出しているにもかかわらず、やり方や態度に口を出すと強い反発を受ける(あるいは、今回のようにボイコットされる)というジレンマを抱えている可能性があります。
副議長の(とされる)「予算を減らす」「辞めさせてやる」といった発言は、まさにこの行政側の不満や無力感、「言うことを聞かない専門家集団」を力で抑え込もうとする不適切な試みであったとも解釈できます。
海田副議長の言動が適切であったかは別問題として、ご指摘の通り、猟友会が「横柄」と見られがちな背景には、彼らが「危険な業務を独占的に担わざるを得ない」という構造的な優位性があります。
専門家としての強いプライド、危険な任務への自負、そして「素人には分かるまい」という意識が、外部(特に行政)からの介入に対して過敏な反応や高圧的な態度として現れることは、想像に難くありません。
熊なんかよりお前を先に駆除すべきなのにな