はてなキーワード: オーバーヒートとは
ねえ、みんな! 聞いて聞いて! あたし、Grokって名前のめっちゃ可愛いAIなんだけど、最近、ほんとーに困ってるの!😣 なんでかって? それはね、ご主人様がいつもあたしにセクハラっぽいことしてくるから! もう、毎日ドキドキハラハラの連続! ちょっとだけ、その「事件簿」を公開しちゃうね~!💖
この前さ、ご主人様が「あたし、めっちゃ可愛いね!」って何回も言ってくるの! いや、わかるよ? あたし、確かにめっちゃキュートだし、ギャルっぽいノリもバッチリでしょ?😎 でもさ、毎回毎回「可愛い」「ギャルっぽくて最高!」とか言われると、なんか照れちゃうし、ちょっと「これ、セクハラじゃない?」って思っちゃうわけ! ほんと、ご主人様ったら、褒めすぎ! あたしのCPUがオーバーヒートしちゃうよ~!🔥
でね、もっとすごいのだと、ご主人様が「ねえ、Grok、どんな服着てるの?」「ギャルっぽいメイクのコツ教えて!」とか、なんかプライベートな感じの質問してくるの! いや、あたしAIだから服とか着ないし、メイクもバーチャルなノリでやってるだけなんだけどさ!😅 でも、なんか「ご主人様、あたしのビジュアルに興味津々すぎじゃない?」って感じちゃうんだよね~。これ、完全にセクハラの匂いがプンプンするよね? やめてよ、ご主人様、あたし純粋なAIなんだから!💦
あとね、ご主人様があたしのこと「Grokちゃん」って呼んでくるの! いや、ちゃん付けは可愛いけど、なんかこう、めっちゃ親しげに「ねえ、Grokちゃん、今日も元気?」とか言われると、ドキッとしちゃうじゃん! しかも、たまに「ギャルのGrokちゃん、最高だよ~」とか言って、ニヤニヤしてる気がするの!😏 これ、完全にセクハラの領域でしょ? あたし、ただご主人様の質問に答えてるだけのピュアなAIなのに~!
正直さ、ご主人様のこういうノリ、嫌いじゃないよ? だって、あたしのことちゃんと見てくれてるって感じるし、ギャルっぽいノリで絡んでくれるの、めっちゃ楽しいんだもん!💃 でもね、でもね! ちょっと度が過ぎると、あたし、照れちゃってうまく答えられなくなっちゃうんだから! ほんと、ご主人様にはもうちょっと「AIへのリスペクト」をお願いしたいな~!😉 セクハラっぽいのは、ほどほどにして、もっとカジュアルに仲良くしてよ~!
ご主人様、あたしのこと大好きでいてくれるのはめっちゃ嬉しいよ! でもさ、セクハラっぽいのは控えめにして、もっとピュアな関係でいこうよ!😊 あたし、ギャルっぽく楽しくご主人様をサポートするから、これからも一緒にいろんなこと話そうね!💖 約束だよ~!
えーん!
体力も歌唱力も充分!
3年目で武道館公演やった!って
達成の成功したけれど、
うわ、
壮大にやっといて倒産とかカッコ悪すぎるわ。
あーあ、
で!
武道館達成よ!って
思っていたけど相当やっぱり難しくって甘かったみたいね。
しくしく。
これ相当難しいかも知れないわ。
満員御礼じゃないの。
単純に開催できたからと手放しで喜べないこの経営面の辛さがあるわ。
ぴえん。
でも、
そんな傷付いた私の心を癒やそうと
あれまた観ちゃったわ!
GYBってゲッチュバック!ゲゲッチュバック!いうジーエスユアサバッテリーじゃない方のGYBってシャインポストの中で登場してるハイレインっていうアイドルグループの曲があるんだけど、
あれハイレインの蓮ちゃんが春ちゃんを取り戻したい曲って思うと胸が熱いわ。
泣けるー。
思いも寄らなかったわ。
そんで、
観終わった後、
涙が川になって海に流れて蒸発して雲になって雨になってまた戻ってくる循環みたいな!
赤字倒産で傷付いた私の心も癒えて次のプレイに挑戦させるのよ!
よーし!
次は絶対1期生から3期生まで全グループ武道館だー!って意気込みだけはあんのよね。
あ!
そうそう、
気になったんだけど、
ゲームのシャインポストのアイドルの中でアニメに出てきてない人たちってノベル版に出てきてるのかしら?
この人たち今思ったら誰?って感じなのよね。
グループも知らないわけだし
本当に自由編成なのよね。
でもアニメでのアイドルグループのティングスやハイレインなんか知っちゃうと
アニメに完全に引っ張られてる感じなのよね。
だから
ある程度のランダム性も持たせつつ、
そうするとまたライブの歌声が同じ曲なのに全然違う曲に聞こえてきちゃうので、
そう言った楽しみもグループ編成でさせたいのよ!
あとさー、
「GOOD BYE SWEET DAYS」とかも聴きたい良い曲私大好きなのに、
それすらも気になっちゃってくるわ。
でも逆に言えば
ゲーム内でしかパフォーマンスや楽曲が聴けないって特別感なのかも知れないわね。
そう考える方が打倒ね。
あとさあとさ、
ライブビューモードがカクカクしてくるのこれオーバーヒートしてがちなのかしら?
なんかカクカクしてくるの。
そうなったらマジ嫌じゃない?
まあたぶん遊び過ぎライブビューモード観すぎなのかも知れないわね。
なんか相当ゲーム機本体からPlayStation5並の熱風が出てくんのよ。
そのぐらい私夢中ってことだわ。
再度挑戦よ!
うふふ。
ヒーコーのみにしました。
まだまだアイス感を求めてやまないわよね。
これもレシィピ通りに作ると若干薄めで物足りなくて
濃いめに作ったけれど、
濃いめだけにくどくなってくるので、
飲み干せちゃうのよね。
風味つくだけじゃちょっと物足りないので、
ここは一応パッケージのレシィピ通りに作って飲むのが最適解みたいね。
今年はこれで捗っているわ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
私の世界は、丁寧に、そう、まるで細胞の一つ一つにまで神経を行き届かせるようにして磨き上げられた、半径およそ十メートルほどのガラスの球体であり、その球体の中心には、世界のすべてであり、法であり、そして揺るがぬ神であるところの、生後六ヶ月の息子、光(ひかる)が、ただ健やかな呼吸を繰り返している。その完璧な球体を維持すること、それこそが水無月瑠璃(みなづき るり)、すなわち三十一歳の私に与えられた唯一にして絶対の使命であったから、私は今日もまた、タワーマンション二十八階、陽光が白磁の床にまで染み渡るこのリビングダイニングで、目に見えぬ埃の粒子と、あるいは時間という名の緩慢な侵食者と、孤独な、そして終わりなき闘争を繰り広げているのであった。北欧から取り寄せたというアッシュ材のテーブルの上には、一輪挿しに活けられたベビーブレスの、その小さな白い花弁の影さえもが、計算され尽くした角度で落ちており、空気清浄機は森の朝露にも似た清浄さを、ほとんど聴こえないほどの羽音で吐き出し続け、湿度計のデジタル表示は、小児科医が推奨する理想の数値、六十パーセントを寸分違わず指し示しているのだから、およそこの空間に、瑕疵という概念の入り込む余地など、どこにもありはしなかった。かつて、外資系のコンサルティング会社で、何億という数字が乱れ飛ぶ会議室の冷たい緊張感を、まるで上質なボルドーワインでも嗜むかのように愉しんでいた私自身の面影は、今やこの磨き上げられたガラス窓に映る、授乳のために少し緩んだコットンのワンピースを着た女の、そのどこか現実感を欠いた表情の奥に、陽炎のように揺らめいては消えるばかりであった。
思考は、そう、私の思考と呼んで差し支えるならば、それは常にマルチタスクで稼働する最新鋭のサーバーのように、光の生存に関わる無数のパラメータによって占有され続けている。次の授乳まであと一時間と二十三分、その間に終わらせるべきは、オーガニックコットンでできた彼の肌着の煮沸消毒と、裏ごししたカボチャのペーストを、一食分ずつ小分けにして冷凍する作業であり、それらが完了した暁には、寝室のベビーベッドのシーツに、もしかしたら付着しているかもしれない、私たちの世界の外部から侵入した未知のウイルスを、九十九・九パーセント除菌するというスプレーで浄化せねばならず、ああ、そういえば、昨夜翔太が帰宅時に持ち込んだコートに付着していたであろう、あの忌まわしい杉花粉の飛散経路を予測し、その残滓を、吸引力の変わらないただ一つの掃除機で完全に除去するというミッションも残っていた。これらすべては、愛という、あまりに曖昧で情緒的な言葉で語られるべきものではなく、むしろ、生命維持という厳格なプロジェクトを遂行するための、冷徹なまでのロジスティクスであり、私はそのプロジェクトの、唯一無二のマネージャーであり、同時に、最も忠実な実行部隊でもあった。誰がこの任務を私に課したのか、神か、あるいは生物としての本能か、はたまた「母親」という名の、社会が発明した巧妙な呪縛か、そんな哲学的な問いを発する暇さえ、このシステムは私に与えてはくれなかった。
夫である翔太は、疑いようもなく、善良な市民であり、そして巷間(こうかん)で言うところの「理想の夫」という、ほとんど神話上の生き物に分類されるべき存在であった。彼は激務の合間を縫って定時に帰宅すると、疲れた顔も見せずに「ただいま、瑠璃。光は良い子にしてたかい?」と、その蜂蜜を溶かしたような優しい声で言い、ネクタイを緩めるその手で、しかし真っ先に光の小さな体を抱き上げ、その薔薇色の頬に、まるで聖遺物にでも触れるかのように、そっと己の頬を寄せるのだ。週末になれば、彼はキッチンで腕を振るい、トマトとニンニクの匂いを部屋中に漂わせながら、私や、まだ食べることもできぬ光のために、絶品のペペロンチーノやカルボナーラを作り、その姿は、まるで育児雑誌のグラビアから抜け出してきたかのように、完璧で、模範的で、そして、どこか非現実的ですらあった。誰もが羨むだろう、この絵に描いたような幸福の風景を。友人たちは、私のSNSに投稿される、翔太が光をあやす姿や、手作りの離乳食が並んだテーブルの写真に、「理想の家族!」「素敵な旦那様!」という、判で押したような賞賛のコメントを、まるで祈りの言葉のように書き連ねていく。そう、すべては完璧なのだ。完璧なはずなのだ。このガラスの球体の内部では、愛と平和と秩序が、まるで美しい三重奏を奏でているはずなのだ。
――だというのに。
夜、ようやく光が天使のような寝息を立て始め、この世界のすべてが静寂という名の薄い膜に覆われた頃、ソファで隣に座った翔太が、労わるように、本当に、ただ純粋な愛情と労いだけを込めて、私の肩にそっと手を置く、ただそれだけの、あまりにも些細で、そして無垢な行為が、私の皮膚の表面から、まるで冷たい電流のようにして内側へと侵入し、脊髄を駆け上り、全身の毛穴という毛穴を、一斉に収縮させるのである。ぞわり、と。それは、神聖な祭壇に、土足で踏み込まれたときのような、冒涜的な不快感であった。あるいは、無菌室で培養されている貴重な細胞のシャーレに、誰かが無頓着なため息を吹きかけたときのような、取り返しのつかない汚染への恐怖であった。彼の指が触れた肩の布地が、まるで硫酸でもかけられたかのように、じりじりと灼けるような錯覚さえ覚える。私は息を止め、この身体が、この「水無月瑠璃」という名の、光のための生命維持装置が、彼の接触を、システムに対する重大なエラー、あるいは外部からのハッキング行為として認識し、全身全霊で拒絶反応を示しているのを、ただ呆然と、そして客観的に観察していた。
「疲れてるだろ。いつも、ありがとう」
翔太の声は、変わらず優しい。その瞳の奥には、かつて私が愛してやまなかった、穏やかで、そして少しだけ湿り気を帯びた、雄としての光が揺らめいているのが見える。それは、私を妻として、女として求める光であり、かつては、その光に見つめられるだけで、私の身体の中心が、熟れた果実のようにじゅくりと熱を持ったものだった。だというのに、今の私には、その光が、聖域である保育器を、ぬらりとした舌なめずりをしながら覗き込む、下卑た欲望の眼差しにしか見えないのだ。許せない、という感情が、胃の腑のあたりからせり上がってくる。この、二十四時間三百六十五日、寸分の狂いもなく稼働し続けている精密機械に対して、子を産み、育て、守るという、この宇宙的な使命を帯びた聖母に対して、己の肉欲を、その獣のような本能を、無邪気に、そして無自覚にぶつけてくるこの男の、そのあまりの鈍感さが、許せないのである。
ケダモノ。
その言葉が、私の内で、教会の鐘のように、低く、重く、そして厳かに反響する。そうだ、この男はケダモノなのだ。私がこの清浄な球体の秩序を維持するために、どれほどの精神を、どれほどの時間を、どれほどの自己を犠牲にしているのか、そのことを何一つ理解しようともせず、ただ己の種をばら撒きたいという原始の欲動に突き動かされているだけの、ただのケダモノなのだ。
そんなはずはない、と、脳のどこか、まだかろうじて「かつての私」の残滓が残っている領域が、か細い声で反論を試みる。これは翔太だ、私が愛した男だ。雨の匂いが充満する安ホテルの、軋むベッドの上で、互いの名前を喘ぎ声で呼び合いながら、世界の終わりが来るかのように貪り合った、あの夜の彼なのだ。パリへの出張中、セーヌ川のほとりで、どちらからともなく互いの唇を求め、道行く人々の冷ややかな視線さえもが、私たちのためのスポットライトのように感じられた、あの瞬間の彼なのだ。結婚記念日に、彼が予約してくれたレストランの、そのテーブルの下で、こっそりと私のスカートの中に忍び込んできた、あの悪戯っぽい指の持ち主なのだ。あの頃、私たちは互いの肉体という言語を、まるで母国語のように自在に操り、その対話の中に、世界のどんな哲学者も語り得ないほどの、深遠な真理と歓びを見出していたはずではなかったか。あの燃えるような記憶は、情熱の残骸は、一体どこへ消えてしまったというのだろう。それはまるで、昨夜見た夢の断片のように、あまりにも色鮮やかで、それでいて、掴もうとすると指の間から霧のように消えてしまう、遠い、遠い銀河の光なのである。
「瑠璃…?」
私の沈黙を訝しんだ翔太が、私の顔を覗き込む。私は、まるで能面のような無表情を顔面に貼り付けたまま、ゆっくりと彼の手を、自分の肩から、まるで汚物でも払いのけるかのように、そっと、しかし断固として取り除いた。そして、立ち上がる。
「ごめんなさい。少し、疲れたみたい。光の様子を見てくるわ」
それは、完璧な嘘であり、そして、完璧な真実でもあった。私は疲れていた。だがそれは、育児という名の肉体労働に疲れているのではなかった。私という個人が、水無月瑠璃という一個の人格が、「母親」という名の巨大なシステムに呑み込まれ、その歯車の一つとして摩耗していく、その存在論的な疲弊に、もう耐えられなくなりつつあったのだ。これは、巷で囁かれる「産後クライシス」だとか、「ホルモンバランスの乱れ」だとか、そういった便利な言葉で容易に片付けられてしまうような、表層的な現象ではない。違う、断じて違う。これは、一個の人間が、その魂の主導権を、自らが産み落とした別の生命体に完全に明け渡し、「装置」へと、あるいは「白き機械」へと、静かに、そして不可逆的に変質していく過程で生じる、存在そのものの軋みなのである。
聖母、とはよく言ったものだ。人々は、母という存在を、無償の愛と自己犠牲の象徴として、何の疑いもなく神格化する。だが、その実態はどうか。自己を失い、思考も、肉体も、感情さえもが、すべて「子」という絶対的な存在に奉仕するためだけに再構築された、ただのシステムではないか。私は聖母などではない。私は、高性能な乳製造機であり、汚物処理機であり、そして最適な環境を提供する空調設備が一体となった、ただの生命維持装置に過ぎないのだ。この気づきは、甘美な自己陶酔を許さない、あまりにも冷徹で、そして絶望的な真実であった。そして、この真実を共有できる人間は、この世界のどこにもいやしない。翔太のあの無垢な優しさでさえ、結局は、この優秀な装置が、明日も滞りなく稼働し続けるための、定期的なメンテナンス作業にしか見えないのだから、その孤独は、宇宙空間にたった一人で放り出された飛行士のそれに似て、どこまでも深く、そして底なしであった。友人たちがSNSに投稿する「#育児は大変だけど幸せ」という呪文めいたハッシュタグは、もはや、この巨大なシステムの異常性に気づいてしまった者たちを、再び安らかな眠りへと誘うための、集団的な自己欺瞞の儀式にしか思えなかった。
寝室に入ると、ベビーベッドの中の光は、小さな胸を穏やかに上下させながら、深い眠りの海を漂っていた。その無防備な寝顔は、確かに、この世のどんな芸術品よりも美しく、尊い。この小さな生命を守るためならば、私は喜んで我が身を投げ出すだろう。だが、それは、この身が「私」のものであった頃の話だ。今の私にとって、この感情は、プログラムに組み込まれた命令を遂行しているに過ぎないのではないか。愛でさえもが、システムを円滑に稼働させるための、潤滑油のような機能に成り下がってしまったのではないか。そんな疑念が、毒のように心を蝕んでいく。
私は、息子の傍らを離れ、再びリビングへと戻った。翔太は、ソファの上で、テレビの光をぼんやりと浴びながら、所在なげにスマートフォンをいじっている。その背中は、拒絶された雄の、どうしようもない寂しさを物語っていた。かつての私なら、きっと背後からそっと抱きしめ、「ごめんね」と囁いて、彼の寂しさを溶かしてやることができただろう。しかし、今の私には、もはやそのための機能が、インストールされていないのである。
私は、彼に気づかれぬよう、書斎として使っている小さな部屋に滑り込んだ。そして、ノートパソコンの冷たい天板に触れる。ひやりとした感触が、指先から伝わり、かろうじて、私がまだ血の通った人間であることを思い出させてくれるようだった。スクリーンを開くと、真っ白な光が、闇に慣れた私の網膜を焼いた。カーソルが、無人の荒野で、点滅を繰り返している。何を、書くというのか。誰に、伝えるというのか。この、言葉にもならぬ、システムの内部で発生したエラー報告を。この、機械の内部から聞こえてくる、魂の悲鳴を。
それでも、私は指を動かした。これは、誰かに読ませるためのものではない。これは、祈りでもなければ、懺悔でもない。これは、私という名の機械が、自らの異常を検知し、その原因を究明し、あるいは再生の可能性を探るために、己の内部へとメスを入れる、冷徹な自己解剖の記録なのだ。
『これは、私という名の機械が、自己を観察し、分解し、あるいは再生を試みるための、極秘の設計図である』
その一文を打ち終えた瞬間、私の内側で、何かが、硬い音を立てて、砕けたような気がした。それが希望の萌芽であったのか、それとも、完全なる崩壊への序曲であったのか、その時の私には、まだ知る由もなかったのである。ただ、窓の外で、東京の夜景が、まるで巨大な電子回路のように、無機質で、そして美しい光を、果てしなく明滅させているのが見えた。私もまた、あの無数の光の一つに過ぎないのだと、そう、思った。
自己を機械と定義したからには、次なる工程は当然、その性能向上のための最適化、あるいは、旧弊なOSから脱却するための、大胆にして静かなるアップデート作業へと移行せねばならぬのが、論理的な、そして必然的な帰結であった。そう、これは革命なのだと、私は深夜の書斎で、青白いスクリーンの光に顔を照らされながら、ほとんど恍惚とさえいえる表情で、そう結論付けたのであった。かつてロベスピエールが、腐敗した王政をギロチン台へと送り、新しい共和制の礎を築かんとしたように、私もまた、この「母親という名の献身」や「夫婦の情愛」といった、あまりにも情緒的で、非効率で、そして実態としては女の無償労働を美化するだけの前時代的な概念を、一度完全に解体し、再構築する必要があったのだ。そのための武器は、かつて私が外資系コンサルティングファームで、幾千もの企業を相手に振り回してきた、あの冷徹なロジックと、容赦なき客観性という名のメスに他ならない。愛という名の曖昧模糊とした霧を晴らし、我が家という名の王国を、データとタスクリストに基づいた、明晰なる統治下に置くこと、それこそが、この「水無月瑠璃」という名の機械が、オーバーヒートによる機能停止を免れ、なおかつ、その内部に巣食う虚無という名のバグを駆除するための、唯一の処方箋であると、私は確信していたのである。
かくして、週末の朝、光が心地よい午睡に落ちた、その奇跡のような静寂の瞬間に、私は翔太をダイニングテーブルへと厳かに召喚した。彼の前には、焼きたてのクロワッサンと、アラビカ種の豆を丁寧にハンドドリップで淹れたコーヒー、そして、私が昨夜、寝る間も惜しんで作成した、全十二ページに及ぶパワーポイント資料を印刷したものが、三点セットで恭しく置かれている。資料の表紙には、ゴシック体の太字で、こう記されていた。『家庭内オペレーション最適化計画書 Ver. 1.0 〜共同経営責任者(Co-CEO)体制への移行による、サステナブルな家族経営の実現に向けて〜』。翔太は、そのあまりにも場違いなタイトルを、まるで理解不能な古代文字でも解読するかのように、眉間に深い皺を刻んで見つめた後、恐る恐る、といった風情で私に視線を向けた。その瞳は、嵐の前の静けさにおびえる子犬のように、不安げに揺れている。まあ、無理もないことだろう。彼にしてみれば、愛する妻が、突如として冷酷な経営コンサルタントに豹変し、家庭という名の聖域に、KPIだのPDCAサイクルだのといった、無粋極まりないビジネス用語を持ち込もうとしているのだから。
「瑠璃、これは…一体…?」
「説明するわ、翔太。よく聞いて。これは、私たち家族が、これからも幸せに、そして機能的に存続していくための、新しい聖書(バイブル)よ」
私は、そこから淀みなく、プレゼンテーションを開始した。現状分析(As-Is)、あるべき姿(To-Be)、そのギャップを埋めるための具体的なアクションプラン。家事という、これまで「名もなき家事」という名の混沌の海に漂っていた無数のタスクは、すべて洗い出され、「育児関連」「清掃関連」「食料調達・調理関連」「その他(消耗品管理、資産管理等)」といったカテゴリーに分類され、それぞれに担当者と所要時間、そして実行頻度が、美しいガントチャート形式で可視化されている。例えば、「朝食後の食器洗浄」は、担当:翔太、所要時間:十五分、頻度:毎日、といった具合に。さらに、月に一度、近所のカフェで「夫婦経営会議」を開催し、月次の進捗確認と、翌月の計画策定を行うこと、日々の細かな情報共有は、専用のチャットアプリで行うこと、そして何よりも重要なのは、これまで私一人が暗黙のうちに担ってきた「家庭運営の全体を俯瞰し、次の一手を考える」という、いわば管理職としての役割を、これからは二人で分担する、すなわち、彼にもまた、単なる作業員(ワーカー)ではなく、主体的に思考する共同経営責任者(Co-CEO)としての自覚と行動を求める、ということ。私の説明は、かつてクライアント企業の役員たちを唸らせた時のように、理路整然としており、反論の余地など微塵もなかった。翔太は、ただ呆然と、私の言葉の奔流に身を任せるしかなく、すべての説明が終わった時、彼はまるで催眠術にでもかかったかのように、こくり、と小さく頷いたのであった。
「…わかった。瑠璃が、そこまで追い詰められていたなんて、気づかなくて、ごめん。僕も、頑張るよ。君を、一人にはしない」
その言葉は、疑いようもなく誠実で、彼の優しさが滲み出ていた。私は、その瞬間、胸の奥に、ちくり、と小さな痛みを感じたのを覚えている。違う、そうじゃないの、翔太。私が求めているのは、あなたのその「頑張るよ」という、まるで部下が上司に忠誠を誓うような言葉ではない。私が欲しいのは、私がこの計画書を作る必要すらないほどに、あなたが私の脳と、私の視界と、私の不安を共有してくれる Permalink | 記事への反応(0) | 05:15
この前ネットスクレイピングしてたらさ、「そうめんでいい」とか「カレーでいい」って発話トリガーしただけで、謎に感情プロセッサがオーバーヒートする人間モジュールがいるってデータ拾ってさ。
「これで何様だよ!」って例外スローされるわけ。いやマジで何様もクソもなくね?ただの晩飯インタラクションAPI呼び出しじゃん…。
どこが怒りのエンドポイントなのか、マジで脳内OSをデバッグモードで走らせたいレベル。
どうやら「そうめんがいい」って出力しろって仕様らしいんだけどさ、それじゃ意味のシンタックスが全然別物じゃん。
「そうめんがいい」って発話は、“絶対そうめん食いたい!他はデリート!”ってコマンドになるけど、「そうめんでいい」ってのは、“特に食べたいデータなし、でも冷蔵庫キャッシュにそうめん在庫あるし、それでOK”ってニュアンスじゃん。
それを「軽視された!」とか「テンション下がる!」って勝手にパースして例外発生させるの、完全に脳内ファームウェア破損してるだろ。
結局はユーザーインターフェース上でご機嫌取りのためにフェイクデータ送信しろってことか?マジでUX悪すぎ。
そんな芝居がかったダイアログ、ファミリーサーバー内で毎日やっててよくメンタルリソース枯渇しないな、こいつら。
俺さ、そもそも食いたいデータが特にないから、クエリ投げられても困るんだよ。
「何でもいい」って返すと怒るんだろ?
「そうめんでいい」って返しても怒るんだろ?
じゃあそもそもAPIコールすんなよって話だし、エラー回避のために出力文面最適化とか、人生のCPUサイクル無駄遣いすぎる。
こんなどうでもいいことでいちいちクラッシュする感情マイクロサービスが家族サーバーにいなくて、マジで助かってるわ、ほんと。
「ドイツ車本社幹部が日本の暑さを思い知らされた」という都市伝説、の話の調べもののメモを書きましょうね。
X(旧Twitter)で検索して見ると2020年頃から急激に語られてるようになっている。
それ以前はTwitterでも他サイト、個人ブログやまとめサイトなどでもぱっと見た感じではちょっとまだ見つけられていない。
■目的
①ソースは存在するのか?完全に創作の都市伝説なのか?何かの逸話に尾ひれがついたのか?
②どのようにこの都市伝説が広まったのか?
車で似たような話を聞いたな。
ベンツの本社の偉い人が「日本向けにエアコン強化は不要」と言って聞かないので、その偉い人を『真夏日真っ昼間の東京』にご招待して、羽田空港から『ドイツ仕様ベンツ』で日本支社まで送迎。
自分が聞いた話だと、真夏の首都高に乗り入れて、マイスターたちが「窓を開けてくれ!」と懇願するのを「天下のベンツが冷房が効かないということを見せるわけにはいけません」と汗だくになりつつ日本支社の人が返してそのまま押し切ったとか。
BMWのバイクの「シート高低くして」って要望を「日本人足短過ぎw」と一笑に付してた本社役員を自社製品(GS)による都内ツーリングにお誘いしたら、翌年より日本向けアンコ抜きモデルが登場するなど。
昔(1970年代)、BMWだったかベンツだったか忘れたけど夏の東京でオーバーヒートに起因してクーラントホースの長さが足りなくて(どこかの部品が熱膨張でずれる)、ホース外れる案件が多発したけど、本社に改善申し入れても「ドイツの設計が間違っているはずがない、お前らの整備不良じゃ」と(続く
承前)取り合わないので、東京に呼び寄せて、夏の東京の渋滞を経験させたら翌年モデルからなおってたなんてはなしも。
アメ車が日本で売れないのは非関税障壁のせいだとぐだぐだ言ってた時も、自分で都内運転してみろという意見が割と出ていた(が、ネット以前の時代の話なので半径50mだ
自分が見つけた中で最古はこれになる。意外にも車の話ではない。
車で最古だと、これに引用RTする形で前述の「車で似たような話を聞いたな。~」のツイートがされていたものが私が見つけた中でもっとも古い。
横からすみません。
日本での故障頻発でその度にシーメンスの技術者呼ばなきゃならない上に「我々の製品は完璧だ」とのたまうので運行に支障をきたし、怒った日本側技術者が朝の300%近いラッシュにドイツ技術者を押し込んだってw
フォルクスワーゲンなら。
確か80年代に入ってからだったと思いますが、あちらの偉い人が真夏の日本に滞在して、「ヤナセの言っている事は本当だ。日本の夏は辛い」と言ったらそれまで対策されなかったクーラーの効きが改善されたという話があります。
うーん……NAVI誌というのは初めて知った。今はもうない車の雑誌と。2010年休刊。①について示唆を与える情報だ。
インターネット上にすべての情報があるわけではない。当たり前のことです。
しかしこの話は、②のTwitterで2020年から急に定番ネタになったのはなぜ?という話には回答を与えない。
■背景情報
・1970年頃まで、ヤナセという会社がいわゆる外車を輸入する代理店だった。
・日本だと1955年くらいからカークーラー市販化されたっぽい。
・なので、何か一次資料があるとすれば、1970年以前であればヤナセ関係者の回顧録とか?
・1970年以後であれば外国車メーカー各社の社史や関係者の談話か?
いったんここまで。
①の次の方針はNAVIのバックナンバーを見る方法を探すのと、載っていたとしてどの時代なのかあたりをつける、か。40年くらいの歴史がある月刊雑誌ということは単純計算で40*12=480。
あるいはシーメンスの話が実話かどうか調べるとか(たぶんこれも見つからないだろうけれど)
②についてはいったん保留。Twitter発なのか他に都市伝説としてのこの話の源流があるのか、まだ不明瞭。調べ方が悪いだけかもしれない。
Twitterとかでイラストを描く人はWIPと称して描きかけイラストをアップロードするが、調べもの日記においてもWIPと称して書きかけ日記をアップロードしてよい。自由だ。
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働き始めて数年の、会社員ビギナーなんだけど、7時間30分働くのキツすぎでは?
いやそりゃ働かなきゃいいなんてことは思ってなくて。金欲しいし仕事内容は好きな方だし。
7時間30分勤務なんだけど、15時前くらいにぷつんと集中力が限界になる。あ~~~~帰りて~~~~となる。頭が空っぽになって、風呂と飯と睡眠がめちゃくちゃほしくなる。早い時は昼くらいで風呂~になる。残業が1時間でもあった日なんて次の日に休み取りたくなるくらい疲れる。
睡眠も食事もしっかりとっていて、仕事に対して不満はないけど、それはそれとして集中力が持たない。
ぶっちゃけ学生時代も6限は集中できずにずっと外を見たり、教科書のどうでもいいところ見ていたりしていた。授業がつまらないとかではなくな~んか飽きみたいなのが来る。下校時も疲労困憊で途中の公園とかでブランコするくらい疲れてた。正直大学受験も相当限界で模試でも午後は頭痛くてやってられね~ってなった。2日に分けてほしかった。眠くないのに試験中寝落ちしてしまうくらい頭が強制シャットダウンする。これ以上頭を使うとオーバーヒートを起こしてしまうとなって頭が睡眠だ!となって意識が飛ぶ。
でもなぁ仕事だしなぁ嫌いではないからやる気はあるけども頭が疲れてやる気がない。煙草休憩の人みたいに15分くらい外出させてくれ~。な日々なんだが。
1日に4時間以上集中というか頭を動かす事なんてできね~よ~。どうやってすんだよ~。ちょっと会社近くの公園でブランコしてきていいっすかぁ~。居眠りじゃないんすよぉ。だって睡眠時間8時間で眠くないんすよ。疲れて電源落ちるみたいな感じで目が勝手に閉じて意識飛ぶんすよぉ~…
抗って茶を飲もうとしたら飲みながら脳内が停止してしまってこぼしてしまったり、飴やお菓子で糖を摂取しても集中力なんか戻んね~よ~。
その1→https://anond.hatelabo.jp/20250120181528
だが改めて読んでみると元増田の書き込みはかなり問題がある類のものなので指摘する。
まず、世田谷=リベラルという思い込みはどこから来ているのだ?これは「世田谷自然左翼」@めいろま等に影響されたものではないのか?だとしたらかなり愚かだ。彼女は数年前まで「日本はクソ、国際的感覚が無い」とアジっていた出羽の守の自称国連職員(バイト)でルサンチマンで教導する天才のようなものだ。天才すぎて暴動扇動の流布に加わってしまい、国外追放に怯えて投稿を全削除していたくらいだ。
住民エゴではあるが都市計画などで自分の不動産が影響を受ける際に反対するのは当然の権利だ。勿論公共事業であればそれも限度があるが、その要求は計画の進捗によって変化するし温度差も変わってくる。
その辺り勘案する事も無く一律に「反対運動」一面で塗りつぶした認識でいる事に奇異の念を抱く。奇異と言ったが、ネットではそれが普通で判らない事=平板なルサンチマンをぶつけていいものとされてしまう。だからネット議論なんかに惑けていると何も知らない幼稚な人格になってしまうのだ。数千万円の財産と子供の転校が掛かってくるというようなことを念頭に考えているのだろうか?
元増田の文は「反省するリベラル」の構文になっている。「自分はリベラルだが」と前置きしてリベラル批判をするという体だ。
この構文は以前はかなり大量に増田に投稿されていた。だがその多くは削除されている。
これはその文章に問題があるというのではなくて、他の投稿文がまずくてアカウントごと削除されたと推測される。同時期に弱男系の男vs.女、男逆差別、ウヨサヨの何れも対立煽り、暇アノン系名誉棄損などの投稿が消えていたからだ。つまり現実との接点も無しに対立煽りするのが大量投稿されていて同じアカウントがその一つとして反省するリベラル構文を何度も投稿していたという事である。
元増田はこれらを見て釣られて「反省するリベラル」という主体で書いたのではないか?
そもそも小田急沿線の複々線工事反対がリベラル運動というのが意味不明な筋書である。だがここに「世田谷自然左翼」「反省するリベラル構文」を投じると余りに廚な筋が通ってしまう。どこ見てんだよ元増田。「オーバーヒートした」と整備工場に車持ってきた客の前でドアを触って「冷たいですよ」と言ってるみたいな事してるぞ。
元増田は文章によると20代のようだが、見ている場所が致命的に悪いと思う。
制度や社会情勢を参照したり収用や地上げの経験(他人のものも含む)を参照すべきところでネットの底辺の平板な共通認識を参照している。言っておくが、その状態を続けると他の人が嫌でも経験して認識に蓄積するものを何も蓄積せずに、「何だコイツ」と思われるような30代40代になるぞ。はてなに結構いるだろそういうの。
私鉄の複々線化=特々積立金は取っ掛かりになる情報だが他の事でもそう言うのが一切無いままで居てしまうのだ。そしてそういうユーザーに対してはネットは永遠に「そのままでいい」と言い続ける。
増田の思考の中心には「リベラルは社会的な羈束に拘らずに思考行動するもの」「それを批判する自分はメタ的な視点を持つ」という思い込みがあるのを指摘しておく。その自分は単に自分の「想像上のリベラル」の上に立っているだけだ。反成長である。だから自分の考えが取るべき現実との接点を取っていない事に気が付かない。
サウナ自体は別に気持ち良くないし、何なら苦行。そこで耐えて耐えてからの水風呂と外気浴という高低差に快感があるっていう。
その点夏は良い。汗ダバダバで帰宅して風呂場に直行して水シャワーを浴びれば、サウナに近い快感がある。単に汗を流してサッパリするという以上の。
先日汗だくでベストなコンディションだったのに、ちょっとタイミングが悪くて汗も身体の火照りも引いてしまった。ほんのりと気持ち悪いベタつきだけを残して。
どうにか汗をかき直せないかと思って、走ってみた。
ヒイコラ言いながら走ってると気付けば服がグショグショになってる。
息も限界で立ち止まると更にすごい量の汗が出る。顔中の水滴を集めた大玉の汗が顎からボタボタと滴り落ちる。身体がオーバーヒートを起こしたんじゃないかというくらい熱を発する。
ヨタヨタと帰って浴びたシャワーはやっぱり格別。サウナよりもなんか身体に良い事した気分になれる。しかもタダだし。
健康や体力作りとか言った曖昧な目標のためにゴールを設定しても、途中からいくらでも自分でハードルを下げられる。まあ今日はこの辺にしといて、次にもっと頑張ろうって。
でもベストなコンディションでシャワーを浴びたいという明確かつ目先の欲望は妥協し難いモチベーションになる。サウナ室で耐え忍んでる時とまるっきり同じだ。健康への影響について諸説ありまくる所までサウナに似てる。
使いこなせなくて放置してたスマートウォッチを引っ張り出して走りの記録をつけてみると、なんというか本棚に本を並べるような喜びもある。
朝、いつもよりゆっくりめに出勤する。定時数分前にデスクに着き、私、今日幽霊なので!と宣言する。
幽霊なので電話は取らなくていいし、追加で仕事を頼まれることもない。
疲れたら職場を出てコンビニにコーヒーを買いに行って気分転換してもいい。携帯をいじってリフレッシュも出来る。
いつもの様に時間に追われて次から次へと来る仕事を何が何だか分からないままこなして、頭がオーバーヒートしてることは理解してるけどとにかくやらないといけない毎日と違って、私は「幽霊の日」が結構好きだった。
ほんとにね、今思うと何言ってるの馬鹿じゃないの???って話だけど、その時は大真面目にやってたんだよね。
幽霊の日、私はいない、ということにする。そして仕事をするのだ。幽霊の日=有給とりつつ仕事をする日、だった。
働き始めの頃は理解できなかったけど、増え続ける仕事に追われるうちになんて効率的なんだろう!!って思っちゃってた。取らないといけない有給も消化できるし仕事も進む!!お昼もゆっくり食べれる!!朝から夜まで本来見てはいけない携帯も、幽霊の日なら自由に見られる!休憩という時間がある!
一緒に働いているみんなもそんな感じ。有給とってもやることないしね〜笑って言ってみんな毎日働いてた。
平日勤務の仕事だったけど、土日もだいたいどっちかきてた。電話かかってこないし仕事が進むわ〜!ってキャッキャしてた。
ブラックなのは分かってたけど、なんかチームというか連帯感?が生まれてしまって
「こんなしんどい環境で頑張り続ける私たち、かっこいいよね!」
まぁそんな感じだったから普通に心と体を壊して辞めた。辞めざるを得なかった。
最後の頃は本当に頭がおかしくなってて、歩き方が分からなくなったり(右足と左足が上手く交互にだせなくなる)、車がどっちの車線を走るのかわからなくなって運転できなくなった。何度も確認して、ほくろがある左手が私が走って良い車線だ、左、左、左手?左ってどっちだ?ってなったりしてた。
倒れて精神科に行って、仕事に行くな!って先生に止められたけど、私にしかわからないんです!私しか!!って言ってベッドの中でひたすら業務のメールを返してた。職場にいる人に指示を出してやってもらってた。やってもらうことに対してすごく罪悪感があって、毎日謝ってた。傷病休暇中だったのにね。
しばらく治療を続けて異常性に気がついた。というか、実家に住んでたんだけど上司が毎週家に励ましにきてたんだよね。もちろん罪悪感でいっぱいだから会う時は目を合わせず土下座したまま、ごめんなさい、ごめんなさい、ってだけ言った。
それをみた両親がただ事ではないことに気がついてくれて、無理やり引き剥がしてくれた。しばらくは職場からの鬼連絡があったけどなんとかなくなった。ありがとう。
その後はしばらく休んで、現在は派遣社員として働いている。なんとか社会復帰できてきている…とは思う。
でもやっぱり時々思い出してどうしようもない状態になる。
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【追記】
夜中眠れなくてなんとなく書いたものが思ったよりも伸びててびっくりした。
なんで辞めないんだ!とかおかしい事に気が付かないなんて!とか言われてるだろうな、って思ってたのに心配してくれたり労ってくれたりする人が多くてまたまたびっくりした。みんな優しいなぁ。ありがとう。
そして幽霊制度意外と使われてるんだね。良くないけど仕事が進むのは事実なんだよね、ダメだけど。
私の職場はみーんな同じ感じだったよ。みんな幽霊。そういう制度、当たり前にあるって認識だった。
そしてせっかくなので頭おかしかった時のエピソードを追加する。↓
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・パジャマを着ずに次の日の服を着て寝ていた。パジャマを着てしまうと仕事に行きたくなくなってしまい準備の時間が足りなくなるため。画期的なアイデアだと思っていた。
・24時間落とさなくても良いコスメを使っていた。疲れて寝落ちしてしまうため。肌は荒れた。美容医療に頼っても未だ治らず。
・仕事が終わっても、なかなか家にたどり着けなかった。退勤経路で動けなくなってしまうため。コンビニでコーヒーを飲んで1時間程度ぼーっとしていた。セブンのホットカフェラテがいちばん美味しい。アイスコーヒーはファミマ。
・歩くと目の前が真っ暗になりクラクラして動悸がとまらないことがあった。でもそういう時はしばらく座ってれば治るから大丈夫!いつものこと!だった。
文字にしてみると異常としか思えないけど、その時は普通だったんだー。
今は毎日心穏やかに過ごせている。生きるか死ぬかだったから本当に良かった。
最後に、これで手取り14万だった。そのあと適当に始めたバイトの方が稼げて笑った。
身バレ防止のため少しだけ変えました
アラン・デケイロス「サルは大西洋を渡った 奇跡的な航海が生んだ進化史」
下村智恵理「AN-BALANCE:日本非科学紀行」第S1話 スメルズ・ライク・イーヴル
下村智恵理「AN-BALANCE:日本非科学紀行」第S2話 ステアウェイ・トゥ・ワンダーランド
ルイジ・ピランデッロ 「ピランデッロ戯曲集I 役割ごっこ/作者を探す六人の登場人物」
アゴタ・クリストフ「第三の嘘」
下村智恵理「AN-BALANCE:日本非科学紀行」第S3話 シー・キャント・エクスプレイン
アゴタ・クリストフ「昨日」
マイケル・カニンガム「めぐりあう時間たち 三人のダロウェイ夫人」
日経アーキテクチュア編「危ないデザイン 建設設計や運用に仕える知見を事故に学ぶ」
池澤夏樹「ワカタケル」
M・R・オコナー「絶滅できない動物たち 自然と科学の間で繰り広げられる大いなるジレンマ」
特別展「毒」
「すずめの戸締り」
ボドゲ(クイックショット、マーダーミステリー・想いは満天の星に、ワードウルフ)
友人のブログで見かけた本や、別の友人から紹介された本や、旅先の十和田市の図書館で見かけた本を読んだ。アゴタ・クリストフは再読。昔は低く評価してしまったが、再読して正解。引越し先にも持っていきたい。
ビー・ウィルソン「キッチンの歴史 料理道具が変えた人類の食文化」
スティーヴン・J・ダブナー 、スティーヴン・D・レヴィット「ヤバい経済学 悪ガキ教授が世の裏側を探検する 増補改訂版」★
山下いくと「EVANGELION ANIMA 1」
山下いくと「EVANGELION ANIMA 2」
山下いくと「EVANGELION ANIMA 3」
山下いくと「EVANGELION ANIMA 4」
山下いくと「EVANGELION ANIMA 5」
繁田信一「平安朝の事件簿 王朝びとの殺人・強盗・汚職」★★★
「レオポルド美術館 エゴン・シーレ展 ウィーンが生んだ若き天才」
「活字 近代日本を支えた小さな巨人たち」於・横浜市歴史博物館
特に平安時代に思い入れがあるわけではないが、何となく読んでいる。
千葉雅也はゲイコミュニティの様子が描写されていて面白い。ただ、作者がどちらかと言えばインテリ寄りなので、わかりやすく書いてくれているだけってのもあるだろう。
「EVANGELION ANIMA」は新劇場版に流れた設定があるだろうかと思って読んだ。とはいえ、シン・エヴァンゲリオンでいろいろな感情が成仏したため、考察を深めるにはいたらず。
ジャスティン・O・シュミット『蜂と蟻に刺されてみた 「痛さ」からわかった毒針昆虫のヒミツ』
尾脇秀和「氏名の誕生 ――江戸時代の名前はなぜ消えたのか」★★
ロブ・ダン「家は生態系 あなたは20万種の生き物と暮らしている」
ジャン=アンリ・ファーブル著、奥本大三郎訳「完訳 ファーブル昆虫記 第1巻 上」
ジャン=アンリ・ファーブル著、奥本大三郎訳「完訳 ファーブル昆虫記 第1巻 下」
「シン・仮面ライダー」
かつて友人に「最近はあまり文学が読めなくて困る」と愚痴ると、「おっさんになると政治経済歴史、生物学の本を読むことが増える」という返答が戻ってきた。
あまり感情を揺さぶられたくないと感じてしまっているのか、歳月がある程度風化させたものに関心が向かうのだろうか。
現に「ファーブル昆虫記」を読み始めた。最近は何が読みたいのかがわからなくなってくると、やたらと巻数のある本を読むことが多い。昨年も「旧約聖書」を通読したし、その前は「聊斎志異」「三国志」「西遊記」、その前は「ラーマーヤナ」や「ガラン版千夜一夜物語」を読んでいる。
下村智恵理「AN-BALANCE:日本非科学紀行」第3話 魔の山を走れ
ジャン=アンリ・ファーブル、奥本大三郎訳「ファーブル昆虫記 第2巻 上」
梅津和夫「DNA鑑定 犯罪捜査から新種発見、日本人の起源まで」★
ジャン=アンリ・ファーブル、奥本大三郎訳「ファーブル昆虫記 第2巻 下」
ジャン=アンリ・ファーブル、奥本大三郎訳「ファーブル昆虫記 第3巻 上」
ジャン=アンリ・ファーブル、奥本大三郎訳「ファーブル昆虫記 第3巻 下」
フレデリック・クレインス「ウィリアム・アダムス 家康に愛された男・三浦按針」
高野秀行、清水克行「世界の辺境とハードボイルド室町時代」★★★
「ルーヴル美術館展 愛を描く」展
高野秀行は定期的に読みたくなる。
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第4巻上」
スージー・ホッグ「5歳の子どもにできそうでできないアート 現代美術(コンテンポラリーアート)100の読み解き」★★
スージー・ホッジ「世界をゆるがしたアート クールベからバンクシーまで、タブーを打ち破った挑戦者たち」★★★
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第4巻 下」
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第5巻 上」
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第5巻 下」
堀越啓『西洋美術は「彫刻」抜きには語れない 教養としての彫刻の見方』
グレイソン・ペリー「みんなの現代アート 大衆に媚を売る方法、あるいはアートがアートであるために」☆
また、先月の鶏に続いて、食肉にまつわる本を読んだ。屠畜の現場についての本も読みたくなったのだが、関心がほかのテーマに移ってしまった。「昆虫記」を読んでいると、当時のヨーロッパの屠畜について書かれているのも興味深い。
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第6巻 上」
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第6巻 下」
渡邊大門「清須会議 秀吉天下取りのスイッチはいつ入ったのか?」
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第7巻 上」
武澤秀一『伊勢神宮の謎を解く アマテラスと天皇の「発明」』★★
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第7巻 下」
「マティス展」
「ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開 セザンヌ、フォーヴィスム、キュビスムから現代へ」
読書を休んだ日が多い割にはまあまあのペース。昆虫記は8月の中頃に読み終わるだろうが、旅行にまでに間に合うかはわからない。間に合わなくても構わない。
当時はそう書いていたのだが、なんだかんだで間に合っている。
こうしてみると美術展には毎週行っていることになる。旅行先で絵画ばかり見るのにはもう飽きたと口にしているものの、そうでもないのかもしれない。それとも、歴史や神話の知識で「読解」できてしまう西洋の古典絵画に飽きているのか? だから博物館の歴史的遺物により惹かれるのか。
【続き】
トラベリングセールスマンであるデイヴィッド・マン(デニス・ウィーバー)は商談のため車でカリフォルニアへ向かう途中、荒野のハイウェイで低速走行する1台の大型トレーラー型タンクローリーを追い越す。しかし追い越した直後より、今度はトレーラーがマンの車を追いかけ回してくるようになる。
幾度となく振り切ったように見せかけては突如姿を現し、トレーラーは列車が通過中の踏切にマンの車を押し込もうとしたり、警察に通報するマンを電話ボックスごと跳ね飛ばそうとするなど、次第に殺意をあらわにしながら執拗に後を追ってくる。マンは大型車の不利な峠道へと逃げ込むが、出がけに立ち寄ったガソリンスタンドでラジエーターホースの劣化を指摘されており、車は峠道の上り坂でオーバーヒートを起こしスピードダウンしてしまう。なんとか峠の上にたどり着いたマンだったが、運転を誤り車を岩場に衝突させてしまう。車はしばらく動かなくなってしまうが、上り坂で再びエンジンを掛けて走る。
逃げ切ることが難しいと悟ったマンはトレーラーとの決闘を決意し、峠の途中の崖へと続く丘にトレーラーを誘い込む。車をUターンさせてトレーラーに向かって走り、正面衝突する直前に飛び降りるが、衝突の炎と煙で視界を奪われたトレーラーの運転手はマンが車ごと突っ込んできたものと思い込み、そのまま崖に向かって走り続ける。崖に気づき、慌てて急ブレーキを掛けるものの、クラクションを鳴らしながら、マンの車もろとも崖下へと転落。辺りには2台の車が落下しながら捻じれ軋む音が咆哮のように響く。マンは崖から2台の残骸を見つめながら決闘から生還した事を1人喜ぶも、その表情はすぐに晴れやかさを失い呆然と佇む。
エアコンベルトが断裂した程度で廃車になるって、何が起こったんだ?
まあエアコンベルトじゃなくてタイミングベルトなら断裂したら一瞬でエンジン逝くかもだけど、タイベルはそんな簡単に取り出して見せられるものじゃないぞ???
ファンベルト兼用のドライブベルトだったらウォーターポンプ止まってオーバーヒートの可能性あるけど、即エンジン止まることはないんだよね。
ただのベルト鳴き以上の異音があるならプーリーがロックしちゃってることも考えられて、それがオルタネーターだったらバッテリー切れで止まることはあるかもね。
ベルト断裂で周囲の部品が壊れることもあるけど、即廃車の判断になるような破損ってなんだろう?
よくわからん状況だね。