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はてなキーワード: 寂寥感とは

2025-09-23

岩手おすすめ観光地

2年前に青森おすすめを色々教えてもらった増田です

https://anond.hatelabo.jp/20231118174822

前回集まった情報が最高すぎたのでまたおすすめ教えて欲しい。今度は岩手、2泊でうち1泊は盛岡拠点にして旅行する予定

地理歴史サブカル的なの好き。魚介グルメデートスポット的なのにはあまり興味ないのは変わらず。ローカルチェーン店地元ソウルフードみたいな生活想像できるのは好き。また少しディープなところをおすすめしてくれると嬉しい

——

嗜好紹介とお礼兼ねて青森感想思い出したままに走り書きする。2年分2回行ったので盛りだくさんになった。充実したのはみんなの情報のおかげなので大感謝…!行けなかった所もルート時間の都合上なので機会作って行きたい。

2025-08-25

Lonely Rolling Star カバーこれ好き一覧

『Lonely Rolling Star』っていいものですね。塊魂の曲の中で特に好き。

■ The 8-Bit Big Band

https://www.youtube.com/watch?v=DBovvL03dKQ

わずとしれたThe 8-Bit Big Bandのカバー。VGM(Video Game Music) Jazzというジャンルにおいてこのバンド存在感は大きい。

ビングバンド特有きらびやかさとこの曲に含まれる少しの寂寥感ギャップが好きだ。映像楽しいから好き。

■ The Consouls

https://www.youtube.com/watch?v=MSNtIxMCyQ0

The Consoulsはシドニー拠点として活動しているVGM Jazzバンドだ。

心地いいソロが続いたあとに原曲メロディに戻って来る瞬間はいつも最高の気分になる。

少ない人数だからこその良さがあるね。

■ T4LBO

https://www.youtube.com/watch?v=KF8B-os4Wos

T4LBOさんによるボカロ+バンドアレンジカバー

動画内でのコード表示がおしゃれだ。バンアパ感のあるテクニカルギターがこの曲のおしゃれさを際立たせている。良い。

■ aivi & surasshu

https://www.youtube.com/watch?v=fe-u40YEYcY

ピアノ+シンセによるカバーアレンジが秀逸で、ボーカルが無いことによる物足りなさはまったくない。

しろこの曲の作曲の妙をたっぷり味わえる。ピコピコ音とピアノ完璧な融合。

■ Kenan Salazar

https://www.youtube.com/watch?v=Mo7TWSlSEdo

ハードロック全部俺カバー。曲に対する愛が感じられて好き。かっこいい

■ Lonely Rolling No More

https://www.youtube.com/watch?v=_kkojRVx-qU

最後はこれ。公式だし正確にはカバーじゃない気がするけど、締めくくり感があってよい。

みんなも好きなLonely Rolling Starがあったら教えてくれ~~~

2025-07-25

anond:20250725082423

なんで?

昨日も一日特にやることがなかったので実家の近くの公園まで足を延ばし子どもの頃参加していた「夏休みラジオ体操」に参加するという計画を思いつき実行に移した

子どもの頃の「夏休みラジオ体操」には老若男女様々な人達が参加していて自分にとっては社会というもの認識する初めての機会だったように思う

自分最後に参加したのはまだ小学生だった遥か昔のことなのでそもそもあの会場のラジオ体操がまだ続いているのかすら不明である

ネットでおそらく調べられることではあるがそれではまったく面白くないので敢えて何も調べずに当時の記憶を頼りに6時30分に到着するように会場の公園へ向かった

ラジオ体操がまだ開催されているのかわからないし開催されていたとしても突然参加して浮かないだろうかなど緊張と不安と期待が入り混じった心境のまま公園の近くまで辿りついた

路上初老女性が立っていてこちらに「おはようございます」と挨拶してきたのでこれはやっている!と確信し怪しまれないように精一杯のスマイルで「おはようございます!」と返し公園に入った

昔の記憶と比べると広場の人の密度はかなり減って半分くらいになっていてやや寂寥感はあったもの高齢者ばかりというわけではなく子どももかなりの人数がいてあくまでこの催しの主役は子どもであるという体裁は守られていて活力のある雰囲気だったのでなんとなく希望と元気をもらえた

そして後ろのほうで適当ラジオ体操をこなして無事帰宅することができた

地域の皆さんどうもありがとう

またいつか来ようと思う

2025-04-24

anond:20250423225323

からなくもない。

寂しいの感情、という表現日本語として不自然

「寂しい」の感情、とカッコ付きであれば文法的違和感は減らせるが、一般的には、名詞形にして寂しさと書くだけで伝わる。

感情という分類を強調したいなら、寂しさという感情、あるいは、寂しい感情、とすればいいところを、寂しいという形容詞に直接「の」をつなげてしまうのは意図的だろうか。

わざと型破りで幼稚な表現をしようとする若者言葉っぽさを狙っているのだろうか。

その割には寂寥感のような難しい名詞表現もしているので、キャラづけとしてもブレていて本当に不可解で不気味に感じる。

こうした文章表現が、上の増田にとっては「頭の悪さ」を感じさせる一因になっている可能性がある。

なお自分はその冒頭6文字で読むのをやめたので、それ以降のタイトルや本文にある他の「頭悪い」要因については触れられないことをお断りしておく。

2025-04-23

寂しいの感情がどこから来るか分からない

一人暮らしやひとりの行動が好きなくせに寂しがり屋な自分にとって怖いのは、喪失という概念なのかもしれない。むしろ、失うのが嫌だからひとりが好きとも言えるかもしれない。

引越し卒業も、関係性の変化も、死も怖い。

ものも捨てにくい。最近レシートや包み紙が割と捨てられるようになってきた。最悪買い直せばいいという経済力を持ったのが所以なのかもしれない。

土地風景が変わるのも嫌だ。地元で長らく親しんだ呼び方ホームセンターがまるっと変わっていた時はやはりショックだった。

なくなることが怖い。あったことを証明できるものが思い出しかないことが怖い。忘れてしまう不確かなものだけを頼りにするなんて……

変化についていけず心だけがずっと置いてけぼりになっている。

寂寥感大人になるためのイニシエーションなら大人にならなくていい。

2025-03-10

土日の日記熊本

出張熊本に来ている、もう四ヶ月経つ、いつになったら帰れるんだよ

土曜日昼、街(熊本民は新市街シヴィックセンター周りを「街」呼称する、繁華街は県下ここしか無い)に出て資さんうどんを食う。

旨い、常識的に考えて肉ごぼ天一

14時からゲータ祭りポケモンGO)である

その前にマックスバトルとレイドバトルを軽く済ませておく。

キョダイマックスバトルは最低参加20人必要だが「街」でなければこの人数は成立しない。

カメックスリザードンを軽く一捻り

レイドバトルはシャドウレジアイス

14時、ホゲータ大量発生が始まった。

現在熊本市電路面電車)はクレカタッチ乗車で300円乗り放題キャンペーン

トロ臭い市電はポケGOに最適。ポケGOはとにかく歩かなければならないのだがリアルに歩くのはダルい

そこで路面電車である

オートキャッチを放置していればポケモンゲットしまくりでポケストップしまくりでタマゴ割りまくりながら時間を潰せる

三往復してしもた。2台のスマホでホゲータ800匹捕まえた。

実に愚かな週末である

日曜日、やはり「街」に出て朝飯兼昼食、吉野家。重すき鍋肉二倍盛りご飯大盛りを食うつもりだったが牛すき鍋のシーズンは終わっていた。残念。牛鮭定食を食うた。

腹が満たされレイドバトル、昨日と同じくシャドウレジアイスをゲット。

それにしても絶好の観光日和。朝は冷えたが昼には15℃まで上がる予報で街歩きには最適の温度であり湿度であり。

ミスタードーナツで食後のドーナツを食うていたらこんな人生で良いのだろうかと疑問が湧いた。

どこかに行こう

そうだ!観光ちゃおう、テーマは海、できればウミディグダをゲットしたい。

ウミディグダ海岸近くでしかゲットできない特別なポケモン。すでにウミトリオも持っているが高個体は無い

「街」にはバスターミナルがあり、ここからどこにでも行けるのだ。

スマホ路線図を調べると小天温泉行きがあり、この路線なら途中海岸沿いを走る、途中で適当に降りよう。そうしよう

時間に一本だがジャストベストグッドなタイミング10分後の便がある。もはや天啓。乗っちゃえ、乗った。50分ほど走り聖ヶ塔バス停適当に降りた。14:50

 

どこやねんここ

 

時刻表を見ると次の戻りは16:46

時間ぶらぶらできる。ぶらぶらした。20分で飽きた。

飽きたがどうしようもない、カフェ立ち飲み屋漫喫も無い。漁村だ。寂れた漁村だ。

とにかく歩く、歩けば健康に良い、ポケGOの歩行距離も稼げる。

人気のない漁村を歩く、観光客など一人もいない、ただの漁村だ。よそ者が来る場所ではなく通報されないか不安

適当に歩き神社やらなんやら巡り、とにかく歩く。

そうだ、サンセットスポットを探そうとテーマを決める。

地理的には海に沈む夕日が見られるはずなのだがなかなか良い角度、場所が見つからない。

対岸の島原半島邪魔だったり、絶景感が無かったり、とにかく歩く、移動手段は足しかない。

歩いていると突然場違い施設が現れた。

龍栄荘、ニュースで見た記憶がある、スザンヌが買い取った旅館だ。

まぁ2年持たないだろう、予約サイトを見たら案の定ガラガラ

一人6万円払ってここに泊まる酔狂バカはいねぇだろ

取り巻きコンサルに担がれたのであろう、どう計算しても採算は取れない。無理、不可能、アホかと。

おバカキャラキャラ設定で本当はおバカじゃないもん」と云うていた記憶があるが、ただのバカであったか

まぁいい、他人ことなどどうでもよい。

この旅館そばバス停がある。

素晴らしくひなびたバス停である。寂れた漁村バス停だ。これほど絵になるバス停は無い。

龍栄荘に夫婦13万払って宿泊する価値は無いが、このバス停を見るためにカップルバス往復2800円払って来る価値はある、と断言できる。

田舎の人はこのバス停価値がわかっていない。大阪じゃこんなバス停見られませんよと、

バス停標識絶妙に傾いており、脇に置かれたベンチが潮風で腐ちており物悲しい、屋根など無い。

Googleストリートビューでも見られるのだが、小生が訪れたときには駐車車両もなく寂寥感あふれる風景だった。

私はたいがいバス停を見てきたが三本の指に入る屈指の「寂れたバス停である。これはもはや観光資源ですよ。

それでも日に6本(日曜日)は運行しているようで次に17:00発があった。現在時刻は16:10

しかもこの路線は往路と別の路線であり、「峠の茶屋」経由、山中を抜けて桜町バスターミナルまで戻るのである

ちなみにそれに乗り遅れるともう次の便は無い。

乗りたい、悩んだが、問題ウンチしたい。あと50分バスを待ってさら小一時間バスに揺られてウォシュレットのある大都会桜町バスターミナルに間に合うか微妙便意であった。寒風の潮風もヤバい

近く(徒歩10分)に寂れた漁村の小さなスーパーマケットがあり、そこまでゆけばトイレもあるだろう、その横にはバス停がある。

ただしそこから乗ると往路と同じ路線である

便意に負けてスーパーマーケットまで移動。

歩いているうちに便意消失。なんだよ

店舗前に屋台たこ焼き屋が出ており購入、6個200円。安い、だがタコは大きいのが入っていた。

夫婦でやっているようで屋台奥に3歳くらいの女の子がちょこんと座っていた。

焼き作業の具合や材料の仕込み量などから推測するに日に百船弱は売れているのではなかろうか

経費、材料差し引いても1.5万円程度の日銭は稼げる計算になる。

祭りイベントでがーーーっと稼ぐのだろうが、大儲けはできんだろう。

悪くもないが良くもない、副業だろうが、こういう人生もいいのかもなぁ、とか思ったりして。たこ焼きは美味かった。

もうちょっとカリッと焼いてくれたらなぁ、あとたこ焼き器の手入れはもうちょっと真面目に頑張ったほうがいいと思った。

帰りのバスが来たので乗る。オートキャッチ放置のポケGO確認するとウミディグダが一匹だけ取れていた。

ホテルに戻り息子(6歳)とビデオ通話

今日はね!パパね!ウミディグダ取ったよ!」

へぇ、それよりマリオジャンボリーでさぁ」

 

。。。キミがウミディグダをどーーーしても取りたいつーからわざわざ須磨海岸まで連れて行ってやったあの日々はなんだったんだ。

最近じゃポケGOアプリすら開いてねぇし、スマホはポケポケとにゃんこ大戦争タブレットは「ひみつのおるすばん」、Switchスカーレットバイオレットマリオとスプラ、っつたく、なんなんだよ。

 

ちなみに最高の夕日が見られるポイント発見したがそれはヒミツ。今度家族で来ようと思う。

 

※オートキャッチ:スマホゲームポケモンGO本来作業ポケモンをゲットしなければならないのだがこれを自動化してくれるガジェット

※資(すけ)さんうどん北九州創業うどんチェーン、とにかく旨い、讃岐的なコシは無いがそこが良い、すかいらーくに買収され現在全国展開中

2024-12-17

2024年に読んで良かった10冊の本

anond:20241214160546

便乗して5冊挙げようとしたけど絞りきれなかったので倍プッシュした。2024年は1/1から今日までのあいだに315冊読みました。ちなみに、いま読んでる途中なのは上橋菜穂子香君』(2022年)と飛浩隆鹽津城』(2024年)、それに教養系の新書数冊。

ウィリアム・シェイクスピア十二夜』(1600年)

今年はアプリリリース3周年を迎えたウマ娘に突如シーザリオ実装されるというサプライズが起きて、仮にウマ娘化されるとしたら絶対男装の麗人キャラだろうなと思っていたら本当に男装の麗人だったので全俺が歓喜したし、オフザリオの声が可愛すぎませんか……? 俺はああいう透き通ったというか透明感があるというか鈴を転がすようなというか、とにかくそんな感じの声に弱いのだ。身体きもいいしなグヘヘ。シナリオではずっとイチャイチャしてて最高すぎる。俺の嫁Tier最上位です。引けてよかった……! ちゃんと「シーザリオ英雄譚」の称号もゲットしました。チャンミは優勝できなかったけどな! ところで俺は『ハムレットしかシェイクスピア作品を読んだことがなかったので、良い機会だということでシーザリオ名前元ネタになった『十二夜』を読んでみることにした。男装の麗人、すれちがう恋心、よく似た兄妹の人違い、と来てお前女だったのかからハッピーエンドで終わる、まあテンプレ通りのラブコメだったんだけどひょっとしてこれがラブコメテンプレになったやつだったりします? 偉大すぎでは。っていうか「十二夜」って、古代ローマのサートゥルナーリア祭をもとにした公現祭エピファネイア)のことだったんだ……。ほかにも『リア王』『マクベス』『リチャード三世』『お気に召すまま』『ジュリアス・シーザー』『夏の夜の夢』を読んだんだけど、いちばん好きなのは十二夜』です、はい。「僕は僕が演じているものではありません」っていう台詞すき(小並感)。

ところでシェイクスピアといえば、古河絶水『かくて謀反の冬は去り』(2023年)というラノベシェイクスピアパロディなのね。『リチャード三世』をパロった1巻を読んだときにはまったく気づいてなくて、あとがきを読んで「これシェイクスピアだったんだ」となり、元ネタを読んだらめっちゃからさまだったし、今年出た2巻はもう露骨に『マクベスオマージュで、さら二・二六事件三島由紀夫割腹自殺などのネタも盛り込まれていて非常に楽しく読めた。古代日本風ファンタジィ(e.g. 沢村凜黄金の王 白銀の王』)とか、近代日本モチーフミリタリもの(e.g. 佐藤大輔皇国の守護者』)とかはよく見かけるけど、人名とか文化とかが古代日本風なのにテクノロジが近代風な政治劇というのはなかなかなかったように思うので新鮮というか、「その手があったか!」という感じだ。笑いとシリアスバランスが良く、裏の裏をかくサスペンスが繰り広げられて、続きが非常に楽しみな作品なのですごくすごいオススメです(語彙力トプロ)。そういえば春先にはちょうど前年に文庫落ちしたホルヘ・ルイス・ボルヘスの『シェイクスピア記憶』(1980年)も読んだんだった。俺の中で今年はシェイクスピア元年ということで。

ジョン・ステュアート・ミル自由論』(1859年)

自分ではリベラル派のつもりなんだけど、実はちゃん原典を読んだことがなかったので読んでみた。日本でいうと幕末に書かれた本なのに「そうだよ~~~それだよ~~~!!!1!」と同意するところが非常に多かったので、自分は根っから自由主義者なんだと再確認。みんなも(本来意味での)リベラリストになろうぜ。リベラリズム関連だと、ほかに井上達夫リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください』(2015年)を読んだ。ラディカルだが筋が通っている。ところで著者がアメリカ留学してたときに「なんで日本人がリベラリズム研究を?」って言われたというエピソードがちっともリベラルではなくてドン引きしたというか、あいつらひょっとして自由主義人類普遍原理ではなく西洋文化かなにかだとでも思ってんの? 人類普遍原理じゃないならなんでヨソの文化圏に押し付けてもいいと思えるんだ。非西洋自由主義者としては不愉快

ノーラエレングロース『みんなが手話で話した島』(1985年

もんのすごい面白い。話には聞いていたマーサズ・ヴィンヤード島の手話についての本。この島ではかつては高確率で聾の子供が生まれたため、島のほぼ全員が手話を身に着けていて、ときには聴者どうしが手話で話すこともあった。したがって耳の聞こえない人たちも完全に社会統合されていて、社会的な不利益を受けることはなかった。この島では聾であることはただの様々な個人の特徴のうちのひとつであって、それが重大な意味を持っているとはみなされていなかった。たとえば以下の会話のように。

「アイゼイアとデイヴィッドについて、何か共通することを覚えていますか」

「もちろん、覚えていますとも。二人とも腕っこきの漁師でした。本当に腕のいい漁師でした」

「ひょっとして、お二人とも聾だったのではありませんか」

「そうそう、いわれてみればその通りでした。二人とも聾だったのです。何ということでしょう。すっかり忘れてしまうなんて」

島の出身者にとって、彼らはまずもって漁師であり、聾であることは、そういえば耳が聞こえなかったね、という程度のものしかなかったということだ。この本を読むと、なるほど障害社会モデルは正しいのだなぁと納得してしまう。手話共通語として存在した共同体のあり方をインタヴューと文献調査によって復元していく社会史的な面白さに加えて、途中では島民の聾の起源近世イングランドにまで遡って明らかにしていくという謎解きの面白さも味わえる。まさか手話の本読んでてジョージダウニングダウニング街の由来)とかサミュエル・ピープス日記を遺したことで有名)とかの名前が出てくるとは思わないじゃん。そしてこの「手話楽園」が徐々に崩壊し、終焉へと向かう過程寂寥感にあふれている。今年読んだノンフィクションでは一番ですわ。超オススメ

綾辻行人十角館の殺人』(1987年

まだ読んでませんでしたテヘペロ最初読んだときは「衝撃の一文」の意味がわからず、ああ、あれって襲名制でこいつは先代なんだ、って一瞬勘違いしちゃったんだけど、独白が始まるにつれて鳥肌立った。お、お前~~~~~~!!!1!! 小説としての出来は正直言って荒削りで、お世辞にも上手いとは言いがたいのだけれど、謎解きとしての衝撃は絶大ですわ。なるほどこれが新本格の先駆けか……。そういうことでちょぼちょぼと館シリーズを読み始めてます。いま人形館の途中。

うそう、本作がきっかけで○○○○○○の『○○殺人事件』(1929年)も読みました。タイトルだけ読んで中世ヨーロッパ舞台にした歴史ミステリなのかと思ってたら全然違ったわ。あなたの「○○」はどこから? 僕は、『電脳山荘殺人事件から! っていうか本作を読んで学生時代に読んだ米澤穂信インシテミル』(2007年)のなかで意味がよくわからなかった一節の意味をようやく理解した(岩井読書マウント取るシーン)。『○○殺人事件』のあとがきとか「読者への挑戦」とかそういうコーナーで作者が自己紹介する文があるものだとばかり思ってたけど、本作を指してたのかよ!

サイモン・ホロビンスペリング英語史』(2013年

英語への解像度が上がった1冊。英語スペリングに悩まされ、「俺は日本から出ないか英語は要らない!」と高校時代放言しておきながらいまは英語をそれなりに使う仕事をしている者からすると、かつて味わった理不尽の謎解きという意味ですごく面白かったし、何というか、あの理不尽の背後にはこんな歴史があったのか……と知ることで、英語への愛情のようなものが増した気がする。「世界共通語」とか呼ばれて出羽守から持て囃される帝国主義的な覇権言語としての英語は相変わらず好きになれそうもないが、しかし、ヨーロッパの片隅にある島で数奇な歴史を辿ってきた言語としての英語のことは割と好きになれる、そんな本だった。

菅浩江放課後のプレアデス みなとの星宙』(2015年

アニメを見た直後に読んでおけばよかったシリーズ。名作ジュヴナイルSFアニメ放課後のプレアデス』のノベライズなんだけど、キャラクタの掘り下げが完璧すぎる。みなとという謎めいた存在に丁寧に肉付けして、彼がプレアデス星人出会って闇堕ちしすばるに救われるまでの過程説得力をもって再構成していてすごくすごい(語彙力)。主題歌引用タイミング完璧すぎるだろ(「Stella-rium」は名曲からみんな聴こうな)。そして、あおい、ひかる、いつき、ななこといったキャラクタの名前漢字が当てられていくところは本当にゾクゾクした。これオリジナル設定ってマ? 佐伯昭志リリカルアニメを『永遠の森』『そばかすフィギュア』の菅浩江ノベライズするなら、そんなのもう心が洗われるような名作にしかならんわけで。読み終えたあとにまたアニメを見たくなる、そんな素敵なノベライズだった。大好き。

ジェリー・Z・ミュラー『測りすぎ』(2018年

数値の測定は大事なことだが、それが濫用された結果どうなるのかという事例が色々と挙げられていて、この本末転倒感は日本でよくあるやつだ……! と思ったらだいたいアメリカの事例なので人類を滅ぼすしかない。この問題で難しいのは適度な測定には意味や意義があることで(たとえば、論文の本数が重視されるようになった結果薄っぺら論文が量産されるようになるのはよくないが、ちっとも論文を書いていないひとに多額の研究費が配分されるのはおかしい、というお気持ち)、測定なんて意味がないとは言い切れないことだが、本書の著者は最後に「測定のまっとうな使い方」のための指針を提示していて、この増田で挙げた本のなかでは一番実用性が高い。「測定は判断の代わりにはならない。測定は、判断要するものだ」という金言政策決定にあたるひとたちには噛み締めてほしいなと。

白鳥士郎りゅうおうのおしごと!18』(2023年

こっちはJ. S. ミルじゃなくてJS見る。5巻くらいで読むのやめてたシリーズなんだけど読むの再開したらすごく面白くてハマってしまった。人工知能によって将棋が終わってしまったという夜叉神天衣と九頭竜八一の抱く絶望と諦念を、雛鶴あいと神鍋歩夢というそれぞれのライバルねじ伏せていく、めっちゃ骨太将棋小説じゃん……。ただのロリ小説と思わせておいて、いや実際にロリ小説でもあるんだけど(ロリホームって何だよ)、AIという最新のテーマに向き合って「解」を提示してみせる胸熱将棋小説でもあるというギャップが俺を狂わせる。すげー面白いっすわ。

ところで、さんざ褒めておきながら将棋の定跡とか全然わからんのは秘密だ。ひ、『ヒカルの碁』も盤面わかんなくても読めてたし……(震え声)

米澤穂信『冬期限定ボンボンショコラ事件』(2024年

小市民シリーズの完結編。ずっと追いかけてきたシリーズの終わりが見れて感無量すぎる。読み始めたの高校の頃とかだからマジで20年越しなんだよな。『春期限定いちごタルト事件』の序盤で示唆された、小鳩くんが出しゃばって不興を買ってしまった過去事件が描かれていて、20年越しの伏線回収が嬉しすぎる。

「なあ。おまえ、鬱陶しいよ」

これってこういう文脈でのことだったのか~~~~~とか、互恵関係! 互恵関係きた! これで勝つる! とか、〈小市民シリーズ過去が明かされていく展開を味わって読んでいたらそれが小鳩くんの遭った事故と徐々に繋がっていく過程は流石のよねぽだった。本作で〈小市民シリーズは綺麗に完結したわけだけど、これ短編集もう1冊くらいいけるんじゃないですか? という気持ちになってしまう。読みたいよ~~~~小鳩くんと小佐内さんの物語もっと読みたいよ~~~~~~~~!!!1!!

かまど&みくのしん『本を読んだことがない32歳がはじめて本を読む』(2024年

オモコロ話題になってたみくのしんの読書録。一文一文を噛みしめるように丁寧に読んでいてすごい。国語の授業が苦手だったみたいなこと言ってるけど、マジで正統的な国語の授業みたいな読み方してるのすごすぎるでしょ。そしてこの本を読んで「一文一文を噛みしめることなくただ数だけを積み上げてきた俺の読書とは空虚ものではないのか……」という敗北感に囚われていたところに次の文がすっと差しまれてくるのです。

本が読めないと尻込みしていた男を「正しい読み方なんてないから」と、訳知り顔で励ましておいて、いざ自分のこととなると、ちっぽけ呼ばわりなんて本末転倒じゃないか

本書はみくのしんの読書追体験であると同時に、本好きへのエールでもあると感じた。本には色んな読み方の可能性があって、すごく自由ものなんだということ。それを思い出させてくれる、とても良い本だった。ありがとう

2024-11-13

anond:20241113130457

人間は歳をとると「かまちょ」になる

その表れ方は人それぞれだが他人攻撃コミュニケーションを取るのもそうだし

やたらと汚い音を無駄に立てるのもそう

そうして孤独感や寂寥感を強めていくからより極端な論に感化されやすくなり、攻撃性が雪だるま式に増えていく

2024-10-06

ただいま

っていってうちに帰りたい。

UNEXTで昔のドラマ岸辺のアルバム)をみていたら

ふっと昔懐かしいキリンビール黄色いケースと醤油一斗缶ラーメン屋裏口の場面で映り込んだ。

キリンビール」とカタカナで書かれているレトロビール箱。

あの頃の空気記憶に蘇ってたまらなくなった。

両親は生前町中華を営んでいた。

子供の頃は、朝の市場仕入れにいく父についていくのが一番楽しかったな。

ビール箱を運んではお店の冷蔵庫にいれたあの頃。

餃子のたねづくりをする母の横に座って、お店においてある少年マガジンを読んでいた。

今でも忘れない立ち上る刻んだ野菜匂いラーメンスープの湯気、エプロンに染み付いた両親の仕事

壁や柱に醤油匂いが染みついている、店内。

18になって東京大学にいくために家を出た。

実家餃子の味が恋しく、帰省すると自分でも焼いて食べた。

学費を出すために月に2日しか休まず働いていたことは口には出さなかったけれど、うすうす気が付いていた。

あの頃の仕送りのありがたみを本当の意味理解したのは、勤め始めた会社リーマンショック煽りをうけて2年連続赤字を出したときだった。

浮き沈みは商売も同じだ。いっとき近所にはやりのラーメン屋オープンしたとき、客足ががくっと落ちたことがあった。うちのお店からラーメン屋行列がよく見えるよ、と母は笑っていたが、うちの店は閑散としていた。その気持ちは、今となってはわかる。数は少ないけれど、お店の常連さんが売り上げの支えになっていた。

そんな苦労も乗り越えて両親が店をたたんだのは、勤めている会社で現法立上げのためにシンガポール単身赴任していたときだった。こちらは仕事忙殺される毎日だった。

お疲れ様だねと電話越しで伝えた。でも両親が40年働いた店舗を閉めるその場に居合わせたかったな。

両親からすれば子供たちが誰も店を継がなかったのはどう思っていたのだろう。今となってはわからない。

継ぐほどのたいそうな店じゃないよ、といったかもしれない。

でも、時折テレビで、息子夫婦が先代を支えながら家族ほっこり経営している町中華グルメ番組が目に留まったりすると、両親のことが思い出される。こんなふうになってほしかったのかな。


今は年に2回の墓参りだけに実家に立ち寄るだけだ。

建物老朽化して、そろそろ取り壊そうと思っている。維持費もバカにならないし、空き家では地震保険も入れない。

南海トラフ地震が来たら、倒壊して近所にご迷惑をかけてしまう。

忙しいのを言い訳にしているが、実際のところはふんぎりがつかない。

それは紛れもなく両親が生きた証でもある場所だし、子供たちに残した場所から

ただいまっていって戻っていた場所がなくなる寂寥感が勝ってしまうのだ。

いっそ「岸辺のアルバム」のように、川に流されてなくなってしまえばいいのに。

キリンビールの箱が懐しい。もう一度あの空気を吸いたい。

2024-07-13

Daisy Chain

なんと表現したらいいのだろう、寂寥感?違う

ChatGPTに聞いてみた。

昔憧れていたアーティスト、輝かしい功績があるがその後暫く世間から消えていたが久しぶりにその姿を見た時に当時の輝きが消え醜態晒しているのを見たとき気持ち一言表現するとなに?

失望

 

だそうだ、あぁそれそれ、年を取るとこんな簡単単語も出てこない。

いやでもちょっと違う。俺の聞き方が悪い。

正確には失望を予想していたのに案の定失望したとき気持ち表現するとなんだ?

面倒なのでChatGPTには聞かない。どうでもいい

 

REBECCA新曲を出した。

REBECCAは俺の青春原風景

失恋社会への鬱積、楽しかった日々もすべてREBECCA記憶アイコン

今でも当時の曲を聞けば複雑な青臭い感情が湧き上がる。

 

だけど新曲駄作であることは予想していた、だからリリースされてもすぐには聞かなかった。

落胆を受け入れられる精神状態の時に聞こうと、そして先程聞いた。

案の定だった。

俺は今ではもうキーボードを触りながらでなければコードは取れない。

(触りながらでも手探り試行錯誤で取れる程度)

REBECCA進行というものは無いが(ある?)土橋定番コード進行だろう。

端的に言えば古臭い

そもそもフルコーラス聞くに耐えなかった。半分過ぎたところでそっ閉じした

歌も歌詞も声も曲もアレンジミキシングも全部が、ヤメテクレだ

 

老化、衰え

 

これを叩きつけられただけだ、なんなんだ

俺は今後(すでにだが)目に見える衰えが次々と露見し始めるだろう。

チンコは既に役立たずだ。

時折、前頭葉劣化だろうか、感情制御できない時がある。

そんな衰えに日々恐怖しているのに、

 

お前もこーなるんだよってか。なんなんだよ。

 

更新曲なんか出すなよ

出すなら若い連中を唸らせるような傑作を出せよ。

作れないなら出すな、出さないでくれ、お願いします。

 

彼らは新曲ライブツアーをやるらしい。行かねぇけど

一発ヒットの演歌歌手ディナーショーじゃねぇんだから

 

金無いのかな?

あれだけヒット曲を出して?

一生美味いメシが食えるほどの資産も残らなかったの?

それも夢のない話だ

 

あーもうヤダヤダヤダ

 

って気持ち一言で表すとなんだ?

もうどうでもいいけどね。

2024-04-25

地方都市は2km~3kmに渡って延々と住宅地が広がっていて宇宙空間を歩いているかのような寂寥感だった

2023-10-17

21トリソミーの我が子を諦めた

顕微受精を繰り返してようやく授かった、待望の第一子だった。

心拍確認の日はまだ嬉しさより驚きが勝ったが、着実に育つ姿を毎週エコーで見せてもらううちにじわじわと母になった実感が湧いてきた。

自分ではない小さな命24時間片時も離れずそばにいてくれることがとにかく幸せで、自己肯定感の低さや寂寥感が一気にほどけていくような、かけがえのない、優しい数週間だった。

なのに、NIPTで陽性、羊水検査も陽性。

その可能性が無いわけではないと理解していたからこそ、それなりの覚悟をもって検査を受けたはずなのに、いざ陽性と言われてみると全く結論に辿り着けない。

数分おきに正反対のことを考えては、どちらの選択も罪深く感じられて、またゼロから考え直すのを延々と繰り返す。

泣くことに疲れ果て、考えることにも疲れ果て、かと言って熟睡もできず、次の日も朝から疲れた脳で堂々巡りを繰り返す。

簡単に諦められたわけがない、大切な大切な我が子の命に関わる決断だ。

でも、あんなふうにして出した結論が本当に正解だったのか、今でもずっと悩んでいる。

今更悩んだところであの子が戻ってくるわけではないと分かっていても。

親の私たちもっと楽観的な性分だったら、もっと人の優しさを信じられる性格だったら、もっとこの国の将来を信じることができていたら、今頃あの子はここで息をしていたかもしれない。

だけどそうなれなかったから、この先死ぬまで何十年もずっと毎日の子のことを思って寂しさに耐えながら生きていくしかない。

2023-08-01

他に選択肢がないからしゃーなしにつるんでいたという寂寥感

仕事を始めて小銭を持つようになると学校の頃のつきあい消滅していって、金と自由が手に入ったのはいいけどそういうことだったんだなあって寂しく思うおじさんであった。

2023-06-06

anond:20230604131352

『贅沢を言えば、常に恋人がいたらいい。恋をしてる時は楽しいしな。』

氷河期世代って40とか50でしょ?

全体的に寂寥感を感じるし、あまりに幼いなと思った。

2023-06-04

anond:20230604122310

俺は元増田の言うライスシャワーアンチだったけども、死を喜ぶなんて不謹慎なことはしなかった。寂寥感はあった。

もっとも、競馬自体不謹慎な遊びなのだが。

2023-01-14

anond:20230114155905

主成分は嫉妬

それに加えて

自分感性否定された敗北感

自分の支持を失うかもしれない恐怖感

本当は自分も仲良くなりたい寂寥感

そんなもんでできているよ。

2023-01-11

30歳独身

1人で夕飯を食べていたら高校の友人から彼女への婚約指輪を買ったと報告された。

相手も知っている人なので「おめでとう」を投げかける。祝う気持ちと、寂寞の思いが入り交じりながら。

当方先日三十路突入したが独身極めりである

というか会社に入ってから付き合っていない。お陰で人を好きになるって……?みたいなレベルから始めないといけないかもしれない。

如何せんそこそこ充実はしている。ウマ娘だったり旅行だったり。今の生活彼女が入ったらどうなる?この自由生活が無くなってしまうのでは?とも思う。

不意に危機感に苛まれマッチングアプリを始めては見るものの、いいねなど来るはずもなくたまにマッチングしても会うに至ることもない。

そんなわけで独身独身でいいかと言い聞かせながら30歳に突入したのだが、正月休み高校友達グループと集まった。

かなり仲が良く毎年旅行に行ったり遊んだりしていたのだが、ここ数年は家庭を持つ奴が増えて年々集まる機会が減ってしまっていた。

遊ぶにしても彼女奥さん連れてきていい?みんなで集まろうよ!ってなったりもする。

いやもう気を遣わないお前らと遊びたいんであって、彼女とか奥さんかいたら変な気を遣うだろ!

お前らは変わっちまったなぁ〜!と言葉を投げかけはするが、実際のところ変わっていることが正常なのかもしれない。自分高校の頃から変わっていないことに対する強がりなのだろう。

社会人になると学生の時の友達と連絡取らないよ!という人もいる中で遊んでくれるだけ良いと考えるべきなのだろうか。

ただ、結婚式が、子供が、家が、と幸せそうな家庭を築き上げる友人達と集まる度に、高校時代に取り残されたままの自分はどうしようも無い寂寥感に襲われる。

付き合った報告や結婚報告で最後に心から祝えたのはいつだろう。

自分幸せじゃなきゃ、他人幸せを心からは祝えない。

こういうところがダメなんだろうな。

2022-07-21

ここ10年で「滅茶苦茶面白いな!」って自分が感じたコンテンツを思い出してみる。1【追記したよ】

最近ドクターストーンというアニメの録画を見て年甲斐も無く「滅茶苦茶面白いなこれ!」って思って感動した。

人生って嫌な事も多くて、正直先も真っ暗で最終的に悲惨な結末を迎えるかもしれないな…って暗い想像をする事もよくあるんだけど

そういう時ベタだけど「うわめっちゃおもしれえなこれ!」ってコンテンツ出会えたらそれが一瞬でも生き甲斐になれる事がある気がする

なのでここ10年という最近に「これに触れる事が俺の生き甲斐なんだ!」ってくらいハマった物を少しずつ思い出して一度書き出してみたくなった

思い出せない物も沢山あるだろうけど、それでもその時その一瞬でも楽しめたのならきっと幸せな事だったんだと思う。ハマった年も覚えているなら書く事にする。

クロスアンジュ 天使と竜の輪舞2014年

まれて初めて最後まで追った深夜アニメ。このアニメを録画するためにブルーレイレコーダーを購入した。

機動戦士ガンダムSEED監督福田己津央氏が製作に携わっているという事で怖い物見たさで見始めたのだけど、見ている内に見事にハマってしまった。

OPに出てくるキラっぽいキャラが出るまではとにかく見ようかな…と思ってたんだけど、まさにそのキラっぽいキャラが出てくる4~5話で完璧にハマってしまった。本当に大好きだった。

次回が公開される一週間後を待ちきれず、放送日が来るまで何回も何回も録画した回を見返して待っていた覚えがある。今の自分からは考えられないくらいハマっていた。放送後に発売されたゲーム版スパロボも買っていない。

マジック・ザ・ギャザリング2012~2013年

イニスラード~ラヴニカへの回帰がスタンダートだった頃のMTG。当時友人達と一緒に遠くのカードショップまでカードを買いに行くほどハマっていた。

少年時代コロコロコミックで連載していたMTG時代デュエルマスターズが好きだったんだけど、地元MTGを取り扱っているショップが無かったので実際遊べるようになるのにその漫画を読んでいた頃から10年以上かかった。

基本的に安いカードしか買わないようにしていたんだけど、それでも結構な額を使ったような覚えがある。今ではその友人達との縁は切れたけれど、MTGだけは今でもMTGアリーナで遊んでいる。

当時ニコニコ動画MTG架空デュエル動画が大いに盛り上がっていて、そのシリーズが好きだった。所謂例のアレジャンルなので今となっては不謹慎かな、と思う。

空の境界TYPE-MOON作品2012年2013年

当時菊地秀行氏や夢枕獏氏の作品の影響で所謂伝奇バイオレンス小説にハマっていて、何でも良いか面白い伝奇小説は無いか!?と思っていた時期に古本屋出会ったのが講談社ノベルス空の境界だった。

一冊100円という事でとりあえず上下巻買って読んだんだけど、とにかく読みづらくて「Fateとか月姫好きな人間はこんな読みづらい文章作品にハマったのか…?」と読み始めた頃は思っていた。

読みづらい、とにかく読みづらい…と思いながら読んでいたけど上巻の終盤に始まる第五章・矛盾螺旋あたりから「あれ?この本読みづらいけど結構面白いのでは…?」と思い始め、下巻を読破する頃には完全にハマっていた。

正直今でもこの本の内容を理解しきれているとは言えないけど、主人公両儀式とその親友黒桐幹也恋愛物語にもうのめり込んでしまった。しばらく後にこの作品アニメ化している事を知りすぐにレンタルで全巻借りて見た。

アニメの出来もとても素晴らしくもう空の境界熱は止まる所を知らなかった。生まれて初めてアニメDVD、それも初回限定盤を買ってしまったし書店アンソロジーコミックスも買った。寝ても覚めても両儀式の事ばかり考えていた。

この自分の「好きだ!」「こういうのが見たい!」という熱量が、自分SSを書かせる行動力も与えてくれた。とあるコミュニティ空の境界SSを投下していたのもこの時期だったと思う。出来はあれだったけど、熱量はあった。

空の境界と同じ世界の話という事でメルティブラッドにも手を出してプレイしたし、メルティブラッドと同じ世界という事でついにCSFateにも手を出してしまった。クリアするのに60時間以上かかったけど、あれも凄いノベルゲームだった。

ここまで来るともう空の境界面白い、というだけでは収まらなかった。Fateの前日譚という事でFate/Zeroの小説通販で全巻買って読んだ。滅茶苦茶面白かった。その後はネットの各所でFateSSを読み耽りまくっていた。

空の境界アニメを見たんだから他の型月作品アニメも見るか!という事で、真月譚月姫DEENFate/stay nightのTV版と劇場版Fate/Zeroのアニメセールの時に全巻借りて三日で全話見てしまった。

正直今の自分には信じられないくらいの熱量がこの頃の自分にはあったと思う。倍速でアニメを見るのもしんどい今の自分が、TVアニメを計5クール分と劇場版アニメ一本を立て続けに見るとか、完全にハマっていた。

その後空の境界の続編小説が発売されている事を知りそれも読み、未来福音劇場版も楽しみだったけれど劇場には見に行けなかったのでレンタルで旧作扱いになる一年後に100円で借りて見た。これも中々面白かった。

この型月熱はずっと続くかと思っていたけど、ハマってから数年経つとやっぱり少しずつ冷めてしまった。色んな要因が重なった物だと思う。

型月ファン同士の嫌になるような叩き合いを見たとか、とある型月ファンサイトで作品叩きやらキャラ叩きやら嫌な思いをしたとか、自分の中で神聖視していた式のエッチな絵を見て衝撃を受けたとか、色々重なった。

結局2014年頃に放送されたUBWアニメ版は「劇場版の中で出来た自分イメージと違うと嫌だから」という理由で見なかった。2017年にやっていたアポクリファアニメは見たけど、こっちは先入観無く最後まで楽しめた。

多分今でも作品に触れたらそれなりに楽しめるんだろうなって思う。3/16事件とかDDDとか型月熱が冷めた後に触れてもそれなりに楽しかたから。それにしても、空の境界熱狂してた頃は本当に楽しかった。

修羅の門海皇紀川原正敏作品2013~2016年頃)

ある時月刊少年マガジン立ち読みした時に「陸奥VS呂布」という謎の煽りを見て何だこの漫画は…?と思ったのがこの漫画に対する第一印象だったのは覚えている。実際に読んだのはそれから大分経ってからだった気がする。

刃牙烈海王ボクシング編が「烈の門」と言われたり、夢枕獏餓狼伝をパクった作品だと夢枕獏本人に名指しで批判された事で、タイトルだけは読む前から知っていた。知っていたけど、中々手に取る気が起きなかった

それでもまあ有名だからきっと面白いんだろうな…と思って読み始めた所、最初の方は絵がお世辞にも上手いとは言えなかったり背景も正直手抜きだと思っていたけれど、いつしか…いつの間にか読む内にこの漫画にハマっていた。

第二部の決勝戦の頃には完全にハマっていたから、恐らくその前の片山右京戦・飛田高明戦あたりでハマっていたのかもしれない。第一部初期はあー夢枕獏作品パクリと言われたのも分かる…と思いながら読んでいたから。

気付いた時にはグラップラー刃牙夢枕獏作品より修羅の門には好きになっていた自分に驚いた。特に四部バーリ・トゥード編は未だに全格闘漫画で一番面白いパートなのでは?と思っているほどお気に入りだったりする。

修羅の門を読み終えた後には「とにかく修羅関係作品が読みたい!」と最初歴史物だからという理由で全く興味が無かったスピンオフ修羅の刻も読んでいてそちらにもハマっていた。幕末編と西部編、とにかく面白いんですよ。

その修羅の刻も読み終えると「もう修羅でなくても良い…川原先生作品なら何でも良い!」と、あの大長編海皇紀にも手を出していた。とにかく長くて表紙で何巻か見分けが付かない漫画、といえば知る人も居るかもしれない。

これもとにかく長かったんだけど…読み終える頃には「これもしかして修羅の門より面白くね!?」というくらいハマっていた。修羅の門を描いたご褒美なのか、とにかく川原先生の当時描きたい物を描いた漫画、だったのかもしれない。

この長い海皇紀もコツコツ集めて読み終えた頃には、他に読める川原先生作品といえばパラダイス学園やあした青空エンジェルHEROなどの短期連載作品か…それとも当時月マガで連載していた修羅の門の続編か、だった。

修羅の門とは全然雰囲気が違うなあと思いながらも川原先生の初期の作品も読んだし、修羅の門第弐門も九十九VS姜子牙戦あたりから毎月リアルタイム月マガ立ち読みして追っていた。とにかく夢中になっていた。

九十九VS子牙戦の間に挟まれ九十九VSケンシン・マエダ戦は「もしかしてこれ本当に九十九は負けたのでは…」と読んでいてハラハラしたし、その後のラスボス・海堂さんと九十九の戦いは最後までどちらが勝つか読めなかった。

この修羅の門第弐門のエピローグ、或いはプロローグにあたる修羅の刻・昭和編がその後月マガで連載されたのだけど、こちらも最後まで面白かった。あまり面白さに単行本も珍しく新刊で買いました。これまた面白かった。

その修羅の刻・昭和編を読んで自分の中で一旦何かが満足したのか…川原先生の新作・龍帥の翼自然と読まなくなった。これも海皇紀と同じで長くなりそうだ、と思ったのかもしれない。実際読んでみたら面白いんだろうけど。

フルメタル・パニック2018年以前)

これもいつ頃ハマったのかは覚えてないけど、少なくともアニメの四期が始まる以前だったような覚えがある。揺れるイントゥ・ザ・ブルー、が面白かった事がこの作品にハマった切っ掛けだったような気がするけどあまり覚えていない。

フルメタ最初の一巻か二巻かを読んだ後にその後長年放置していた覚えがあるんだけど、何かがきっかけで積読を崩してからはもう夢中になってフルメタを読み耽っていた。恐らく当時ロボアニメにハマっていたんだと思う。

短編はあまり好みじゃなかったけど、長編と中編が面白いのなんの。途中で積読が何巻か抜けていた時は自転車で即書店に走ってその抜けを埋めて読むくらい、それほどこの小説にハマっていた。夢中になって読んでいた。

途中で作者の後書きに反感を持ったり、正直最後の方の駆け足展開ご都合展開は好みじゃないと思ったけど、それでも面白くて時間を忘れて読んだ小説だった。スピンオフにあたるアナザーは未だ読んでいない。

アルスラーン戦記田中芳樹作品2015年~)

2015年荒川弘氏のコミカライズ版がTVアニメ化した作品アニメの一話を見て面白いな!と思い、二話までにそれまで積んでいた角川文庫アルスラーン戦記を全て読み終えた。滅茶苦茶面白かった。

アニメアルスラーン戦記主題歌が良く荒川弘先生キャラデザが魅力的という事で中々楽しく見ていた。割と初期に原作漫画を追い越してしまった影響か最後の方はアニオリ展開になってしまったのは残念だった。

とにかくこのアルスラーン戦記読破した事で「やっぱり田中芳樹作品面白い!」と思い、マヴァール年代記タイタニア夏の魔術や灼熱の竜騎兵等々それまで買っただけで積んでいた田中芳樹作品を貪るように読んでいた。

その中でも銀河英雄伝説は「数年かけてOVA外伝まで完全に制覇したのに、何で大まかな話を知ってる話をもう一度活字で読まなければいけないんだ?」と思っていた。実際読んだら、凄い面白かった。

当たり前だけどアニメ小説媒体が違うという一番の特徴があって、どれだけ声優さんナレーターの人の語りを入れてもアニメでは原作小説で描かれていた部分をそのまま全て作品に出来る訳ではないのだな、と思った。

OVA版が長いのもあって丁度内容を忘れ始めていた事もあってか、それとも純粋にこの小説が名作だからか、この場面や台詞は先にアニメで見て知っているなと思いながらもワクワクしながら読んでいた。

本編10外伝4巻の計14巻を読破した後は満足感と寂寥感の両方があったかもしれない。長い小説だけど、2018年2020年リメイク版が地上波放送された時はまた熱が蘇り読み返した。本当に良い作家さんだと思う。

とらドラ!竹宮ゆゆこ作品2016年

自分の中で小説ライトノベルを読むのが何より楽しみだった時期に読み耽っていた作品。これも一巻だけ読んだ後は長い事積んでいたけど、ふと他人とらドラ!読後の感想を見かけてこれは面白そうだと思い積読を崩し始めた。

どんな作品にも言えるけど、ある時期話題になった作品というのはやっぱり話題になるだけの面白さはある物だと思う。一度読み始めると「この先は一体どうなるんだ!?」と気になって気になって仕方なくなった。

この作品を読んでいて特徴的だと思ったのは、ヒロイン達が男にとって都合の良い一種アイドルではなく醜い所・駄目な所・嫌な所もある人間臭い存在として描かれている所だった。逆に男子達には理想が入っていた気がする。

積読を読み終えると続き読みたさに書店へ走り、それも読み終えると今度は「竹宮ゆゆこ先生作品なら何でも良い!」とわたしたちの田村くんゴールデンタイムも買って読み始めた。こちらも同じく最後まで楽しませてもらった。

特にゴールデンタイムは途中まではもしかしてこれはとらドラ!匹敵する名作なのではないだろうか?と思っていた。とらドラより巻数が少なかったためか終盤は駆け足気味に話が終わらせたのが残念だった。

ゴールデンタイム以降竹宮ゆゆこ先生作品には触れていないけれど、彼女電撃文庫で発表した二十数巻の小説はある時期の自分を本当に楽しませてくれた素晴らしい作品だった。本当にありがたい事だと思う。

野球漫画全般2015年以降?)

いつだったか自分の中で野球漫画ブームが起きていた時期があった覚えがある。現実野球が大好きという訳ではないけど、漫画というフィクションの中で描かれる野球という競技には本当にワクワクさせられた。

ドカベンなどの水島新司作品書店で片っ端から買い漁ったし、他にもあだち充作品ラストイニングおおきく振りかぶって名門!第三野球部ペナントレースやまだたいちの奇蹟などとにかく野球漫画を読みまくった。面白かった。

登場する女の子の可愛さは最強!都立あおい坂高校野球部が抜群だった気がする。中でも一番読んでいて夢中になれた作品ラストイニングだけど、結局何とか甲子園に出場した所以降はまだ読んでいない。いつか読みたい。

あだち充作品2015年以降)

野球漫画を片っ端から読んでいく内に、それまでタイトルと絵だけは知っていたけど読んだ事が無かったあだち充作品にも触れる事になった。最初に読んだ作品H2だったと思うけどこれがもう面白いのなんの。

野球恋愛をセットの物として描くからこっちは今野球が読みたいだけなのに!と思っている時はその恋愛要素が鬱陶しく感じる事もあったけど、それ込みで野球というスポーツを描く作品として本当に面白かった。

H2の後はタッチクロスゲームなどの野球物は勿論の事、ラフ虹色とうがらしいつも美空みゆきなど野球要素が無いあだち充作品明後日は読み耽っていた。読んでいて一番自分に合ってるな、と思ったのはクロスゲームだった。

コータローまかりとおる!2016年以降)

古本屋で全巻セットがお得なお値段で売られていた事から出会った作品タイトルだけは知っていたけどあまりに長すぎて自分が読む事は無いだろうな、と思っていたから意外な出会いだった。

82年連載開始の漫画という事で、最初は絵も内容も古いな…と思いながら読んでいたけど、絵が読みやすくなったりキャラクターに愛着を感じ始める頃には流石長期連載される漫画だけあって面白い!と思いハマっていた。

主人公コータローがとにかく作中で色んな事に手を出すのでこういう漫画である、と一言では言えないんだけれど…格闘・バトル・学園物の漫画というのが近い気がする。もっと言うなら何でも有り漫画なのかもしれない。

全59巻という長さにも拘らず最初から最後まで面白いストーリー漫画というのは本当に衝撃的だった。これは続編も面白いに違いない!と早速柔道編も買って読んだけど期待は裏切られる事無くやはりそちらも名作だった。

この名作少年漫画原作者の蛭田達也先生病気療養が理由2004年から連載が休止している事は知っているけど、実際に単行本最終巻を読むともうここから先は読めないんだな…と寂しく思ってしまった。

コータローまかりとおる!の連載が休止して再来年20年、この名作の続きが世に出る事があればこんなにめでたい事も無いのに…と思う。昔の漫画だけど本当に面白くて90巻以上退屈せずに読めるって凄い事だと思う。

anond:20220721070237anond:20220722013251に続く

2022-05-21

少年漫画ジェンダー観の刷り込みより少女漫画ジェンダー観の刷り込みのほうがやばかった。

https://note.com/tiikawa1216/n/ne14b9644bf7f

当時有名だった少女漫画を読んだ。フルムーンを探して、ママレードボーイ、グッドモーニングキス…  

内容は定かではないものの、すべてとても面白く、良い物語だったと思う。

しかし、いくつかの物語を読むにつれて、私に「空虚さ」や「違和感」が蓄積していくのを感じた。

私が少女漫画から学んだ内容は、「女の子って、好きな男の子と付き合ったり結婚できたらその先の人生は”その他”みたいなものなのかなあ…」であった。

最終的に結ばれる側の男性には仕事の話や大学進学の話など、たくさんの「未来に続く道」が暗示されていた。それにも関わらず、主人公である女性男性と付き合い、結ばれるところまでで精一杯であり、それ以外にやりたいことやどのような将来に向かっていくのか見えないのである男性に一直線に向かって打ちあがる一輪の花火のようなものだ。その花火が咲いた瞬間がマンガクライマックスであり、そのあとにはチリ寂寥感しか残らない。それがなんとも刹那的であり、同じ人間として数十年を生きるという寿命的設定と噛み合わず空虚を感じる。

もちろん現在では、昔に比べて少女漫画多様化が目覚ましい。愛の在り方に関する表現イケメンとのイチャラブに集約されるような一様なものでなくなってきているという事実は、たくさんの精神的自由女性に与えているのではなかろうか。

他者への愛は比べられるものでもなく、好きな人は好きなのである

少女漫画はかつてのジェンダー再生産的役割から個人自由意志や決定をフォローしてくれる役割シフトしてきていると思われる。

2022-05-19

他者攻撃することに悦を感じてる系増田って

結局は「寂しい、人に関わりたい」って気持ちが歪んで、他人攻撃してでも誰かに関わりたいだけだから

「どんなに口が立とうが最後発言した奴が負け」なんだよね。目的は達せられず、寂寥感を残して終わるから

ただそういう増田って自分本心に蓋をして気づけていないから、執拗粘着して、相手が帰るまで攻撃し続ける

結果、毎回「最後発言」し続けることになる。

リアルでも負けてるのに増田でも負けてるって哀れよなぁ。

anond:20220519141644

地元というほどではないけど、地元からいか中野ブロードウェイがなくなっていくのは悲しいな。

アキバも「アキバ!!」って感じじゃなくなってきたな、だんだん神保町はあまり行かないから知らね。

まぁそれを言ったらガチ地元駅前とか大きく変わったし、「ここ、何があったっけ?」とか全く思い出せないし。

なんというか、子供時代とか青春時代を過ごしたノスタルジーを感じる風景がなくなることに寂寥感を覚えるだけで

別に、豊かとかそういうことを気にするわけじゃない。便利になることはまぁ、良い事だ。

マニアしか行かないようなニッチなお店がなくなることが、マニアにとって便利かは置いといて。俺マニアじゃないし。

2022-05-12

自分の子どもがうらやましい。

我々両親がきちんと家におり、平日土日問わず毎日それなりに相手をしてくれる。たまにおばあちゃんが面倒見てくれる。多分、子ども側で親が不要にならない限り、これからも我々は構い続けるだろう。むしろ子離れの方を気を付けなければいけない。

翻って、自分の子時代昭和末期。父親基本的に家にいない。平日は仕事で土日はパチンコ。夜だけいる感じ。食事は一緒に取らない。核家族で他に頼れる相手もいなかったため、母親ヒステリーは日ごと激しくなり、小学校に上がってからの両親は週次で激しく罵りあっていたように思う。恐ろしいことに自分の周辺ではこれが逸脱した家庭環境というわけではなかった。友人の父親ほとんど思い出せないし、たまに友人宅の夫婦喧嘩に遭遇することもあった。

父親中学に上がってから単身赴任になり、ますます存在が薄くなった。母は兄と私をほぼ一人で育てていた。兄は母とは早々に距離を取り、結果私は、母の溺愛とヒステリーを一身に受ける羽目になった。けれど、今自分子育てをしていて思うのは、そりゃこんなのワンオペしてたら気も狂う。正直母言動の数々は今でも許し難いものがあるが、時代を考えると、あれでも母は私を愛していたのだろうと確信できる。何なら父の家庭での有りようも、昭和においては特段珍しいものではなかったのだ。営業職として身を粉にして働き、金だけ家に入れて、土日は燃えカスになっていた。自分が同じ生活をしたら、まあ燃えカスになるだろう。その姿を見ていたからこそ私はいま、ラクチンな仕事を選んでいる。父も、あれはあれで多分家庭への愛情があったのだ。なのに、私の記憶には父が一切残っていない。特に同情もしないが、一抹の寂寥感というか、井上陽水人生が二度あれば」が頭に流れる。残念ながら両親は既に離婚しており、老いた二人がこたつ若いころを話すこともない。

2022-04-24

ネオン灯の味わいがなくなった

まだアメリカ台湾などアジアにいくとネオンはあると思うけど、

日本はほぼなくなった

仮にあったとしても寂寥感しかない

沖縄かにいけばまだ空気が違うかもしれない

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