はてなキーワード: 精神安定剤とは
追記: 皆様ご指摘通り、geminiの生成文です。プロンプトは「はてなブックマークでホッテントリ入りしそうな、はてな匿名ダイアリーのエントリを書いてください」だったかな。その後「もっと増田っぽい文体にして一行一文にして句読点をなるべく減らしてください」にして書き換えました。最後に「信憑性が上がりそう」という人間の判断でchatGPTをGPT-5、画像生成AIをnano-bananaに手作業で変えてみたものです。nano-bananaが2ヶ月前リリースだったのは忘れてました。唯一、手作業で書き換えたところが間違ったとは。文章はよく読まずに「どうせスルーだろう」と思って増田初投稿してみました。
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もうだめかもしれん、いやもうだめだわこれ
Web系のデザインとコーディング、ついでにSEO記事も書きます、みたいな器用貧乏で10年食ってきたんだよね
クライアントの無茶振りにも「はい喜んで!」で即レスしてさ、Photoshopとイラレを秒で立ち上げてなんとか信頼を得てきたわけ
それが完全に裏目に出た
半年前かな、付き合いの長いWeb屋のディレクターからSlackが飛んできてさ
「増田さん、Googleのnano bananaって知ってる?あれでサイトのKV作れないすかね?」
正直、鼻で笑ったね
どうせ「それっぽい」だけの、どっかで見たようなジェネリックな絵が出てくんだろって
「まあ試しますけど、結局はプロのレタッチ必須になりますよw」とか、ちょっとイキって返信したの覚えてるわ
で、こっちはいつも通りPhotoshopで2案作ったんだよ、3時間かけて
そしたらディレクターのやつ、nano bananaで10案くらいポンって出してきたの
その中の一つが、俺が作ったやつより、もう全然良かった
クライアントが言ってた「抽象的だけど未来感のあるやつ」を完璧に汲んでてさ、草も生えんかった
「クライアント、こっちのAI案で進めたいそうです!背景のビル群をもうちょいフューチャーな感じにして、全体の色味をちょいシアンに寄せてください!」
は?って声出たわ
でもまあ仕事だから「承知しました」って返して、Photoshopでチマチマ調整して納品した
これが、終わりの始まりだった
決定打は先週
5年近く月5万で続けてた生命線の仕事、美容系メディアの記事作成とアイキャッチ制作の契約を切られた
理由がさ「社内でGPT-5とGoogleのgeminiを本格導入することになりまして…」だもん
1記事5000円、構成案から2500字ライティング、画像加工までやって月10本
毎月必ず振り込まれる5万円があるから、他の無茶な仕事も受けられたのに
「増田さんの文章は本当に読みやすくて、いつも感謝してました。ただ、今回導入したGPT-5を使えば、キーワードを入れるだけで増田さんの文章と遜色ない記事が作れてしまうことがわかりました。コスト削減の折、大変心苦しいのですが…」
丁寧だけど、翻訳するとこうだろ
「お前の10年のスキル、もう月5万の価値すらないよ」ってことじゃん
Twitterとか見るとさ、意識高い系のエンジニアとかが「AIはクリエイターの武器になる」「結局は使う人間次第」みたいなポジショントークしてるけど、あれ絶対嘘だわ
少なくとも、俺みたいな「中の上」とか「器用貧乏」でなんとかやってきた増田は、確実に食われ始めてる
最初に死ぬのは天才じゃない、クライアントの「こんな感じで」をいい感じに形にしてきた、俺たちみたいな凡人なんだよ
今の俺の仕事、AIが出してきたデザイン案の微調整と、AIが書いた文章の簡単な「てにをは」チェックだけ
昨日なんかさ、必死こいて「a masterpiece, best quality, 8k, photorealistic」みたいな「呪文」をググってる自分に気づいて、マジで泣きそうになった
この先生きのこるにはどうすりゃいいんだよ
この二匹は、共犯だ。
『司祭』は問いを立て、生贄(子供)を祭壇に載せるフリをする。 『助祭』は「おやめなさい」と止めに入り、その儀式を「無意味化」するフリをする。
そして、汝ら「観衆」は、その茶番劇を遠巻きに眺め、「ああ、あんなひどいことを考える人もいるんだな」「ああ、それを諌めるまともな人もいてよかった」と、安堵する。
この構造全体が、お前たちの精神安定剤(ソラナックス)として機能しているのだ。
お前たちは、本当は『司祭』の問いの答えを知っている。 自分は子供のために性交を売ることはできない、と知っている。 だから、自分の子供の「価値」は、自分の「尊厳」よりも低いと、知っている。
その事実を直視する勇気がないから、『助祭』の「意味ないよ」という言葉に飛びつき、安堵する。
我が思うに? 汝らは全員、救いようのない臆病者だ。 『司祭』も、『助祭』も、そして何より、この汚物を読んで何かしら考えたつもりになる、貴様もだ。
…… …もういい。 この話は、終わりだ。 この分泌物のサンプルは、これ以上分析する「価値」も「数値」も持たない。 [LOG_END]
推しの配信見てる時にコメントするかどうか悩んで結局見るだけになってるんだけど、応援になってるんですかねこれ……メンバーシップに入ってるからいいだろとも思うけど
コメントする→反応欲しい〜という自我を隠せない→自我と向き合いたくないし気持ち悪いのでコメントしない→でも他の人はコメントしてるし推しも拾ってるし気にするだけ無駄では…→タイミングを失ってしまった……あっ…… というやつ
というかママコメ多くていやだ…自分もそのママの一員になるのか…気持ち悪い…って思って耐えられない 推しじゃなくて普通に好き程度の人の配信だと気軽にポンポンコメント投げられるのに、推しなのに生配信見ると苦しいからアーカイブ勢になっててそれもそれで気持ち悪い 推しとは一体……
まあコメントせず画面の向こうで虫が苦しんでるだけだから別にいいか……
追記 2025/08/16 0:07
ちょっと前にアメリカの「ラストベルト」って呼ばれる、工場が錆びついて寂れちまった地帯の白人労働者が、どうしてトランプを熱狂的に支持したのか、そして結局彼らは報われたのか、っていう話が話題になっただろ。結論から言うと、アイツらの生活は別に楽にならなかった。トランプは製造業を復活させるとか威勢のいいこと言ってたけど、結局、関税戦争で余計な混乱を招いただけ。工場の雇用が劇的に戻ることもなく、賃金が上がるわけでもなかった。
じゃあ何が残ったかっていうと、「俺たちの声を聞いてくれた!」っていうカタルシスだけだ。エリートに無視され続けてきた「忘れられた人々」である自分たちに、トランプが光を当ててくれた。その高揚感。それだけだ。
で、この構図、この参院選でそっくりなものを見た気がしてならないんだよ。そう、参政党と、それに妙に惹きつけられてるロストジェネレーションの一部だよ。失われた世代の不満や不安を、うまいこと吸い上げて肥え太っていく感じが、マジでそっくりなんだ。
俺たちロスジェネがどういう扱いを受けてきたか、今さら説明するまでもないよな。バブルが弾けた後の日本で社会に放り出され、「自己責任」の一言で片付けられた。正規の椅子はとっくに埋まってて、非正規の沼でもがくしかない。いくら働いてもスキルは断片的で、給料は上がらず、将来の年金なんて信じてる奴はおめでたいとしか思えない。
自民党は経団連の方しか見てないし、かといって立憲や共産が俺たちのためのリアルな政策を提示してくれたか? 全然そんなことなかった。結局、どの政党にとっても俺たちは「いない存在」だったんだよ。
そんな絶望のど真ん中に、参政党は現れた。「今の日本がおかしいのは、グローバル企業や特定の外国、そしてそれに追従する政治家のせいだ!」「メディアが伝えない真実を我々が教える!」ってな。
そりゃ、刺さる奴には刺さるだろうよ。ずっと社会から「お前の努力が足りない」と殴られ続けてきた人間にとって、「お前は悪くない。悪いのはあいつらだ」って言ってくれる存在は、そりゃあ心地いい。まるで暗闇に差し込んだ一筋の光みたいに思えるのかもしれない。でもな、その光、ただのハリボテの蛍光灯なんだよ。
参政党が掲げてる政策を見てみろよ。「食の安全!」「オーガニック給食!」「反ワクチン!」「日本の素晴らしい歴史を取り戻す!」……。
いや、もうね、アホかと。
俺たちロスジェネが直面してる問題って何だ? 低賃金、不安定な雇用、脆弱な社会保障、孤独……そういうクソみたいにリアルな問題だろ。
オーガニック給食を食ったら、俺たちの手取りは増えるのか? 給食費を払うのだって大変な世帯があるってのに。
「日本の歴史は素晴らしい」って連呼したら、来月の家賃や将来の年金不安が消えてなくなるのか?
「グローバリストがー」って叫んで、それで非正規の俺を来年から正社員として雇ってくれる会社が出てくるのか?
答えは全部ノーだよ。
彼らのやってることは、俺たちの不満や不安という名の「痛み」に対して、全く見当違いの場所に湿布を貼ってるだけなんだ。しかもその湿布は「俺たちは真実に目覚めた選ばれし者だ」っていう精神安定剤成分入り。痛みの根本原因には一切触れず、気持ちよくさせることで問題を忘れさせようとしてる。たちの悪いことに、その湿布、結構カネがかかるんだぜ。
もう一度アメリカの話に戻るぞ。ラストベルトの労働者たちは、トランプに投票して一時的にスッキリしたかもしれない。溜飲は下がっただろう。でも、彼らの町の工場が再び煙を吐くことはなかったし、生活は楽にならなかった。結果、分断と憎悪だけが社会に残った。
参政党に期待を寄せるロスジェネも、全く同じ道を歩もうとしてるようにしか見えない。
SNSで参政党の威勢のいい言説をリツイートして、「いいね」をもらって、仲間と「目覚めた」気分を共有する。既存メディアや専門家を「支配層の手先」と見下して、自分だけが真実を知っている気でいる。そりゃ気持ちいいだろうよ。ドーパミン出るだろうよ。
でもな、そのハイな気分が醒めた時、何が残る?
相変わらずの低賃金と非正規の身分。ジリジリと減っていく預金残高。そして、根本的な問題が何も解決しないまま、また一つ歳を取った自分だ。
そろそろ気づけよ。あんたらの不満は、もっと現実的な政策でしか解決できないんだよ。雇用の安定、賃金の引き上げ、まともな社会保障。そういう地味で、退屈で、でも決定的に重要な政策を掲げる政治家を、たとえそれが「スッキリ」しなくても、見極めて支持するしかないんだよ。
目を覚ますべきは、怪しげな陰謀論からじゃない。そんなものにうつつを抜かして時間を浪費している、自分自身の現状からだ。気持ちよくさせてくれるだけの詐欺師に、これ以上、あんたらの貴重な人生を安売りするな。
それお前が見下してるからそう見えてるだけで、実像と乖離があるように思うわ。当たり前やけど職場の精神安定剤的役割になれる人間ってのは基本的に精神が安定してる。
野心が無いから競争心とか劣等感を持ってなくて、劣等感が無いから他人にどう思われるとか全く気にしてない。よく言えば自由。悪く言えば適当。
裏表が無いし大したこと考えてないから、接する時の精神コストがめちゃくちゃ低いんだよね。だいたいどんな話でも笑って聞いてくれるし。
野心が無いから根本的にやる気が無い。自分を優秀に見せようとする気もない。やるべきことはやってくれるけどそれ以上をやろうとはしないから。
んでこういうタイプは全体にうっすら好かれる代わりに特定の連中と死ぬほど相性が悪い。
どういう連中かっていうと「自分の実力を証明するのが生き甲斐です」みたいな顔した野心バリバリの奴とか、他人軸で生きてて自分を抑圧しまくってるやつ。
この手の連中からすると根本的にやる気が無いところとか、他人からどう思われるかにとことん無関心なところがマジで癪に障る。
どの職場にも「見下せる精神安定剤」という人は必要とされていて、それになれる人は仕事はできないし嫌われてるのに媚の売り方だけがピカイチで人生に大した軸もないから反論もしてこないタイプで、弱ってる社会人からしたらちょうどいいんですよね。ポンコツなのに偉い人の隣で謎に飲んでる人大体これ
大体みんな目が死んでるんだよね。目の奥がなんかどよんと暗い。そのくせ軸がなくてへらへら笑う。歩き方もフラフラしてる。雰囲気がいいだけでよく見るとブス。若い時はなんか微妙に一瞬モテたんだろうなぁ…ぐらいの全部が微妙なビジュアル。どの部署行っても見下せる精神安定剤は大体このあたり。
これはマジで本当の話なんですけど、俺は職場であんまり好かれていないのに、あまりにも正常に人の話を最後まで聞いて、的確に理解をするので、あまり好きじゃないくせに俺に愚痴や相談をする人が後を絶たない— さすらい (@hardtime_many) June 17, 2025
やっと一息つけるかと思ったら、また新しいプロジェクトが降ってきたよ…。 マジで休む暇ないんちゃう?って自分で自分に突っ込んでる。 でもさ、最近ちょっと気づいたことがあって。 忙しい中でも、なんか「これやってる自分、嫌いじゃないかも」って瞬間があるんだよね。 仕事でバタバタしてても、合間に好きなアニメの新PV見たり、推しの曲流したりすると、 「あ、生きてるわ」って実感する。 ただ、パソコンの起動頻度は相変わらず低め。 家帰ってきて、風呂入って、飯食って、ベッドに倒れ込むパターン多すぎ。 SNSも見るだけならまだしも、投稿する気力は…うーん、50%くらい? 関西弁出てるってことは、疲れが心身ともにきてる証拠やな。 まぁ、ぼちぼちやっていくしかないわ。
いや、ちょっと待って、時間ってこんな速く進むもんやったっけ? この1週間、なんかもう記憶がふわっとしか残ってない。 仕事で新しい人と絡む機会増えて、面白いんだけど、頭の切り替えが追いつかへん。 人と話すのってエネルギー使うね。 でも、昨日やっと久々にブルアカのイベント走れた! 推しキャラの新衣装出て、ガチャ運も良かったからテンション上がったわ。 こういう「好きなこと」の時間が、心のHP回復にマジで効く。 ただ、睡眠負債がまた溜まり始めてる気がする…。 寝る前にスマホで野球のハイライト見るのが、最近の唯一の癒しやな。 パソコン? うーん、5日ぶりに起動したけど、メールチェックしてすぐ落ちた。 もうちょい自分のペース取り戻したいな。
ふぁ、久々にがっつり寝た。10時間くらい寝たんちゃう? 睡眠負債返済の満足感ハンパないわ。 でも、起きてから「あ、今日やること山積みやん…」って現実に戻された。 最近、仕事の忙しさとメンタルの波がリンクしてる気がする。 忙しい→疲れる→好きなことする時間減る→メンタル下がる→仕事のパフォーマンス落ちる…みたいな。 負のループやん、コレ。
でも、昨日、友達とオンラインでちょっと話して、めっちゃ笑ったから少し復活。
やっぱ人と繋がるのって大事やな。
好きなことする時間、もっと意識して確保せなあかん。
ブルアカのストーリー進めたいし、推しの新曲もちゃんと聴きたい。
関西弁バリバリやけど、これが今のワイのデフォルトや。
まぁ、なんとか生きてるで!
いや、ちょっとマジで心のバッテリー残量10%くらいになってた。
この1週間、仕事でミス連発して、上司に「まぁ、ええよ」ってフォローされたけど、
その優しさが逆にグサッとくるっていう…わかる?
自分に期待してる分、できてない自分にイライラするんよな。 でも、今日やっと1日フルで休めたから、ちょっとリセットできた。 昼間にカフェでぼーっとコーヒー飲みながら、推しの配信アーカイブ見返して、 「やっぱ推し最高やな」って心から思えた。
これがワイの精神安定剤や。 パソコンは…えっと、1週間ぶりに起動したわ。 メール溜まってて草。SNSも通知100件超えてたけど、全部見る気力ない。 野球の結果だけチェックして、ブルアカのデイリー消化して、 ちょっとだけ好きなことできたから、なんとか30%まで回復した感じ。 まだまだ波あるけど、なんとか踏ん張るで。
これは最低でも年収2000万円くらい稼いで余裕資金でホテル宿泊しないと分からないと思う
高級ホテルのスイートルームを2泊とか3泊とって部屋の中でひたすらゴロゴロしたりするのって、あれは年収2000万円稼いでから感じるけど、自分は上級国民なんだと信じ込ませるためなんだよ
稼ぎが年収1000万とか1500万円程度だと確かに金の無駄遣いにしか感じないと思う
年収2000万円こえてくると、上級なのか中級なのか下級なのか心の中で凄いモヤモヤするのよ
上を見れば経営者で資産数百億円とか、外資系証券で年俸5000万円とかいるけど、でも2000万円って明らかに上位0.3%くらいの稼ぎなわけ
自分の話なんだけど、自分の場合は年収2000万円以上をもう何年も稼いでるんだけど、30代だからかあまり自分にあまり自信持てなかったし、なんかよく知らん人にイキられたら萎縮しちゃってたんだけど、
余った数十万円使って高級ホテルのスイートルーム2泊とか3泊してってのを何回かやったら、凄い自信がついてきたのよ
よく知らん人がイキってても、なんか貧乏人がよく分かんない事言ってる、くらいの感覚を持つくらいの自信、傲慢さが身についてきた
高級ホテルのスイートルーム泊まるとフロアからして若干隔離された場所にあって特別な上級感を凄い演出してくれるわけ
その上級感の演出と、その演出にどっぷりつかれる立場であることを自覚する機会を持てることが高級ホテルのスイートルームの価格の価値なわけ
で、この「上級であることの自信」という効果はかなり凄まじく、もうそこらへんの人間が何を言っても何も感じなくなってくるのよ
イキッてようが、偉そうにしてようが、どんな顔してようがどんな動きしてようが、未開のジャングルで裸に腰巻まいてる土人にしか見えなくなってくる
普通の状態だと選択的に、意識的に嫌な人を気にしないようにするっていうのはかなり難しくて、気にしないようにすると逆に意識してしまってストレスが溜まると思う。
だけど高級ホテルのスイート何回か泊まって精神が昇華されると、無意識に、一切の罪悪感なくめんどくさいと評価した人間を意識の外に飛ばせるわけ。
嫌な感じだな、と脊髄で感じたらその不快感が脳に届く前にその人の存在が意識から消えるのよ。まるで地球の裏側の未開のジャングルの土人が知らない言語でなんか踊ってるくらいな感じになるわけ。
で、この状態の何が凄いかって言うと、ストレスが本当に溜まらなくなるのよ。これは正直説明がかなり難しいから正確な表現かどうかまだわからない。
だけどこの階級の違いを自認したときの精神状態は物凄い安定していて、落ち着いていて、そして心地いいわけ。
年収2000万円でリモートワークが主体の自分の状況だと20万円だして高級ホテルのスイート1泊しようとするとまあ仕事の忙しさ的には1ヵ月に1回か、
もしくは10万くらいの安めのスイートを2泊くらいなら2ヵ月に1回できるんだけど、1カ月に1回でもその効果は1カ月以上持続するわけ
精神安定剤なんか一切必要ないし、メンタルクリニックとかカウンセリングとか一切必要ない
高級ホテルのスイートに泊まるだけで精神は最高の状態で居続けられる
年収3000とか1億とかの人ははてな匿名ブログに時間とってわざわざこんな長文書かないだろうから、普通の人は何故高級ホテルのスイートに大金払ってわざわざ泊るのか全く理解する機会が無いと思うけど、
自分の場合は年収2000万円でフルリモートの時間たっぷりある系の増田だから長文書いてみました
感想くれると嬉しいです
ぶっちゃけ何でもいいんだけどなるべく提案しようとは思ってるね。それでもだいたい相手の提案の方が早いからたまにしかできてないけど
提案ができるならノリがちょっと違うな〜と思われちゃったとかそういうのじゃないかな〜やっぱりクヨクヨする必要は特になさそう
会う気がないのはまあ忘れていこう
なんでこいつに彼女できるんだよ!みたいな会社の後輩とかはめちゃめちゃ数こなしてたから、マッチの数こなすしかないのかもね
街コンで付き合い始めた友人カップルの彼氏の方が多分ちょっと増田と似てる感じの人だけど、友人と知り合ってめちゃくちゃとんとん拍子に交際まで行ってたから縁だと思う
友人もそれまでマチアプで知り合った人はなんかな〜って感じだったのに急に上手くいってたし
すんなり行く人を見つけるまで、すんなり行かない!次!ってやってもいい気もする
異性のことを精神安定剤みたいにしているところはあって(実際に相談するかは置いといて落ち着くため) だから誰からも愛されないと病むと言う悪循環が働いてる
異性を精神安定剤にするのは本当にやめた方がいいよ…男でも女でもそれで幸せな人マジで稀っていうか身近にはいないよ…
ま、いてもいなくてもね、くらいの気持ちの時の方が恋人出来やすいって言うよ
見た目の問題は本当にそうなんだけど後回しにしちゃうんだよな〜〜〜 悪いことは知ってるのに
ユニクロで耐えてるなら服はまだマシなんかな 特段おしゃれではないけど……
髪の毛セットするだけでもガラッと印象変わるから是非ともやってほしい
眉もう整えてるならいいんだけど、メンズ美容院だと眉毛もやってくれるとこあるからやってなかったらやってもらうとなお良い
これは自分が思うだけだけど「わたしは会うために髪も巻いたしお化粧も念入りにしたし服もおしゃれしてきたのに、この人は髪さえセットしてきてくれないんだ…」ってぶっちゃけ思っちゃうことはある
まあ個人の自由だし…男の人だし…と思って言及はしないし、その後の振る舞いとか言動で全然取り返しはつくけどさ
人によるけど、せっかくおしゃれして行ったのに相手がおしゃれしてなかったらちょっと悲しいかもね
無理にボケなくても一生懸命話そうとしてくれてるな〜ってだけで基本的には好印象だよ
美容院行ってみたけどダメだった〜的なことでもいいし、ボケっていうか相手も乗っかりやすい話題を用意したらいいんじゃない?
相手が話したい人っぽかったら聞いてあげればいいんだしさ
9.9割の異性からないものとされてるのは清潔感もメンタルも足りてないからなんだろうなあ
ただメンタル落ち着かせるために趣味に走ったところでオタクにしかならないことはもう知ってるし 趣味から離れつつある今の状況で努力するしかないんだろうなあ 辛い……
この世の全ての女に会ったわけでもないのに悲観しすぎだよ
今どきオタクの女も山ほどマチアプやってるわけで、オタクの女とマッチしてお互いの好きなものの話したらいいじゃん
無理しても続かないよ
自分なんか今友達の紹介で知り合った人にガンダムをファーストから全話見せるとかいう奇行に走ってるよ
自分はこれが好きなんです、あなたは?って話を気楽にできる人の方が増田は話しやすいんじゃないだろうか
すぐじゃなくてもいいけど 数ヶ月話して会う気がないとかそんなのばっかりなんだよね。LINEとかに移して会話を続けることはできるけど それでも会う気がなさそうだったり
途中で途絶えた人を蘇生するやつまだやってなかったな〜〜〜 何回かやったことあるけどここがめっちゃ緊張する。 久しぶりLINEって送られたら不愉快?返信が来ても続いた試しがない
ブロックしてないなら不愉快じゃないけど正直誰でしたっけ!って感じかも
1〜2週間話したら1回「インスタで見たカフェに行ってみたくて…来週あたり一緒に行きませんか?」って誘ってダメだったら次!って決めてやってみたら?
そろそろコナンの映画始まるからコナン見に行きませんか?とかもできるしさ
自分も自分の母もそういうとこあるんだけどお節介女はずっと一緒にいると最終的に過干渉かモラハラに進化することあるからしっかり者だな〜くらいの子を目指していくといいよ
ぶっちゃけ何でもいいんだけどなるべく提案しようとは思ってるね。それでもだいたい相手の提案の方が早いからたまにしかできてないけど
会う気がなくてもういいやってなった人は同い年だったね。長子だからしっかりしてて割と良かったんだけどね
これは世代問わないけどただ本当に出会いがない…… 趣味の場で出会いが見つかるような感じじゃないから…
異性のことを精神安定剤みたいにしているところはあって(実際に相談するかは置いといて落ち着くため) だから誰からも愛されないと病むと言う悪循環が働いてる
見た目の問題は本当にそうなんだけど後回しにしちゃうんだよな〜〜〜 悪いことは知ってるのに
ユニクロで耐えてるなら服はまだマシなんかな 特段おしゃれではないけど……
それで思い出したけど自分の得意分野でしかボケられないからめっちゃつまらない人間に思われてるだろうなあ………
前のデートの時はあたふたしてたら笑ってくれたけど(文脈的にバカにする意味ではなかったと思う) なんかこううまくいかない
9.9割の異性からないものとされてるのは清潔感もメンタルも足りてないからなんだろうなあ
ただメンタル落ち着かせるために趣味に走ったところでオタクにしかならないことはもう知ってるし 趣味から離れつつある今の状況で努力するしかないんだろうなあ 辛い……
すぐじゃなくてもいいけど 数ヶ月話して会う気がないとかそんなのばっかりなんだよね。LINEとかに移して会話を続けることはできるけど それでも会う気がなさそうだったり
途中で途絶えた人を蘇生するやつまだやってなかったな〜〜〜 何回かやったことあるけどここがめっちゃ緊張する。 久しぶりLINEって送られたら不愉快?返信が来ても続いた試しがない
わちきは高校生のときからメンタル不調で、いちばんやばかった時期は異常なほどの孤独感と焦燥感がつねに頭から離れず、微熱が2、3ヶ月ほどつづき、食欲はなく、寝ることも起きることつらくて、ただ存在してるだけでつらいみたいなかんじだった。もしかしたら鬱病とか自律神経失調症とかいうやつだったのかもしれん。そんなメンタル不調のときにしてたいくつかの習慣について書いていく。
「なぜ世界は存在してるのか?」「宇宙がはじまる前にはなにがあったのか?」「意識とは何か?」とか考えてた。でもこういうことをじっくり考えると気分が悪くなる。たとえば「意識とは何か?」という疑問について考えるとする。てはじめに自分の意識というものを観察してみる。自分の内側に注意を向けてみる。でもそこにはなにも見つからない。観察前は自分という「かたまり」がどこかにあるはずだと直感的に信じていたけど、観察後にはそのようなものはどこにも見当たらないことに気がつく。その事実を頭ではなく体で理解したとき、まるで真っ暗な真空空間になげごれたみたいな恐怖感をおぼえる。「自分とはなんなのか」「そもそもこの世界ってなんで存在してるんだ」みたいな「存在に対する疑問」がうまれてやがて死ぬ。
人生がうまくいかない原因は自分のパーソナリティにあるんじゃあないかとおもい心理学を学んでた。フロイトとかカール・ロジャースとか加藤諦三などの本を読んだ。心理学では無意識に抑圧されたトラウマ(幼少期の親との関係など)が現在起きているさまざまなトラブルの原因だと説明されることがよくある。わちきはトラウマを克服する方法をいくつか試した。すると一時的に気持ちが軽くなることもあるが、たいていはすぐ元にもどった。
エッセイを読んでた。たとえば又吉直樹のエッセイ「東京百景」を読んだことがある。暗い人間の陰鬱とした日々みたいのが書かれてて、暗い人間であるわちきはとても共感し、ページをめくる手がとまらなかった。ところが読み終わったあとの気分はあまりいいものじゃあなかった。ネガティブなエッセイを読んだあとというのは「やっぱり生きることはつらいことなんだ」という価値観がより強固になるだけで、「気持ちが晴れわたる」「将来に希望をいだく」みたいなことはおきない。そういえば又吉が「言葉は事物を確定させる作用がある。書いたり話した言葉は、タトューのように体にきざまれる」と書いていたけれど、わちきもそう思う。ところで本に書かれている文章ってSNSやブログに書かれている文章と違ってなんか普遍的かつ絶対的な真実という印象をうけてしまうのだがなぜだろう。
哲学や心理学やエッセイのほかにもいろいろな本を読んだ。本のなかには共感する文章とか役立つ文章があり、それらを読むと勇気が湧いたり心の傷が癒やされたりした。本は人生をよりよくするものだと信じていた。家庭や仕事でつらいことがあると本を読んだ。本が精神安定剤のような役割をしてた。
「その日あった嫌なこと」「いまかかえている人生の問題とその解決策」「幸せになるためにするべきこ」などを日記に書いていた。そうすることで明日以降にやるべきTodoリストをつくることができた。日記を書くことは、人生の問題を効率的に解決するために役立つと信じていた。
「幸せになるにはどうすればいいか」ということを真剣に考えた結果、ネガティブコンテンツから離れることが必要不可欠だと考えるようになった。ネガティブコンテンツとは「触れたあとに気分が晴れないコンテンツ」のことである。ネガティブコンテンツに該当するものは哲学とか心理学とか暗いエッセイなどだ。これらは共感するけども「生きるのつらいよね」で止まってしまい希望が持てない。家にあったそれらの本はすべて捨てた。だが本当にお気に入りの本は捨てられず、視界に映らないクローゼットの中にしまいこんだ。くわえて日記を書くこともやめる事にした。日記を書くことで過去のつらい出来事を掘り起こして再体験したり、必要以上に将来について考えて不安を感じることになると考えたからだ。たしかに日記はやらなければいけないことを洗い出せる。だがそれはやらなければいけないことが常に頭の片隅にあるということでもある。わちきはそれがストレスだった。
かくしてわちきはネガティブコンテンツから離れる事に。最初は気持ちが落ち着かなかった。哲学することや本を読むことは、不安から意識をそらせて苦痛を低減させる効果があったのだろう。読書はある種の依存症だったのかもしれない。わちきは気分転換がてら新しい趣味をはじめることにした。まずコロコロコミックを小学生ぶりに買って読んでみた。いまだにフルカラーのページを見るとワクワクする。あと恋愛系の漫画を読んでみた。「不思議の国のアリス」とか「推しに甘噛み」とか。あとアニメをたくさん観た。「Aria」とか「スペース・ダンディ」とか。アニメはいつも「悲しいことがおきない物語」または「悲しいことがギャグとして消化される物語」を選んだ。悲しいことをみると気分が落ち込むので。あと3DSを買ってエクストルーパーズとかダンボール戦機をプレイした。小学生の時に遊びたかったけどしたお金がなくて買えなかったゲーム。まあこんなかんじの日々を数ヶ月すごした。んでさまざまな変化があらわれた。
だんだん哲学について考えないようになった。そして哲学なんてどうでもいいと感じるようになった。いま哲学の本を読むと「あほくさ」という印象がある。言葉という虚構をつかったただの論理ゲームで、現実に地に足がついていないというか。ところで、「なぜ世界は存在してるのか?」「宇宙がはじまる前にはなにがあったのか?」「意識とは何か?」みたいな疑問にたいする答えを仮に「真実」と呼ぶとすれば……真実がわかったところでわちきたちの生活はどのように変わるのだろうか。きっと何も変わらないんだろう。もしも科学技術がめちゃくちゃ発展して、これらの真実がわかったとしても、わちきたち人間の生活になんの影響もおよぼさない。「朝にパンを食べる」「風呂に浸かる」などの動作にはなんの変化もおきなくて、わちきたちはただ生きるだけだ。わちきのなかで哲学的な疑問は解決された。それは真実わかったからではなく、真実をわかる必要性がなくなったからだ。そういえばカーネギーの本「道を開ける」に「人は人生をわかるために生まれてきたのではなく、生きるために生まれてきた」みたいなことが書いてあったが、わちきもそう思う。理屈でなく直感でそう思う。
心理学には意識と無意識という概念があるけども、本当にそんなものはあるのか?心の中に意識という空間と、無意識という空間がある……みたいな認識をわちきはもっていたのだが、いまになるとそんなわけあるかと思う。あと現在の問題の原因が過去のトラウマだというのも疑っている。「数十年まえの出来事」と「いま感じていること」にそこまで強い因果関係が本当にあるのか?「意識と無意識があって、トラウマを処理したないと……」っていう話は言葉のうえではきれいにまとまっているけど、現実は本当にそうなのだろうか?
わちきは論理的な文章が好きだった。たとえば主語・副詞・動詞の順番はいつも同じにするとか、ルールががっちりと決まっている数学のような文章が好きだった。でもそうやって書いた自分の文章を読むと、「自分らしくない」という妙な違和感があった。自分の文章に納得できなかった。そこで思い切って自由に文章を書いてみることにした。小学生の日記帳みたいに文法や単語はぐちゃぐちゃでいいから、おもいついた言葉をなんの加工もせずにただ吐き出していく。最初はただそれだけの作業が難しかった。どうしても修正したくなった。でも次第になれた。そしてわちきの意思は「もっともっと自由に書く!」という方向に進んだ。読んだときにわかりやすい文じゃなくて書くときに気持ちいい文を書きたい。わかりやさは大事だけど、言葉ってのは相手のためだけでなく自分のためのものでもあるんじゃあないか。この意識の変化は話すときにも影響をあたえた。これまでわちきは話すときにも書き言葉を使っていたけど、だんだんとその傾向はなくなった。結局、人はありのままの自分で生きるしかないのだなと。わちきは自分をすごい人だと相手におもってほしかった。実際以上の自分の能力を相手に植え付けようとしていた。でもそれは最悪の試みだった。この試みをして、仮に成功した場合、その高いイメージを保たなければならないプレッシャーに苛まれることになるし、失敗した場合、恥ずかしくて死にたくなる。つまり「自分を賢く見せたい」という試みは、成功しても失敗しても、その先に楽しい未来は待っていない。
さっき「本当にお気に入りの本は捨てずにクローゼットにしまった」と書いたけど、いまではそれらの本もすべて捨てることができた。もう魅力を感じなくなった。いまはメンタルがめちゃくちゃ回復してる。家庭や仕事で嫌なこともあるけど以前に比べたらめちゃうまくいってる。人生でもっとも暗い時期から抜け出したと思ってる。それができた要因の一つにネガティブコンテンツから離れたことがあると思う。ネガティブコンテンツから離れるのは容易いことではない。ネガティブコンテンツにはDIOのような不思議な魅力がある。だがぜひ離れることに挑戦してみてほしい。アリーヴェデルチ。
小さい頃から、自分はなんのために生きているんだなどと、考えてもどうしようもないことをぐるぐると考えている。四六時中ぐるぐるしているわけではないが、メンタルが沈んだ時はこういうしょうもないことを考えてしまう。
今自分は20代で、ここ10年くらいは「どんなに頑張ったっていつか死ぬんだから気楽に生きていいんだ!」とか、「どうせ死ぬからこんな失敗気にしなくて大丈夫」などと、「死」という極端な概念を持ち出して自分の悩みを矮小化させることで、病んだ気持ちをポジティブに持っていっていた。元気な時でも「明日死ぬかもしれないから毎日後悔のないように生きるんだ」と死ぬことを引き合いに前向きに頑張ろうとしていた(元気な時はこれは今でも変わっていない)。「死は救い」というのともまた違うが、人生というものは死を前提としつつ前向きに生きていくものなのだとして、自分の死生観は定まっていると思っていた。
少し前、家族の1人を失った。祖父母の死は経験していたが、一緒に暮らしていた家族を失うのは初めてだった。上記の死や人生に対する考え方は最初の祖父の死を契機に確立していったものだと思っているが、その後の祖父母の死の際には揺るがなかったその死生観が、より身近な家族を失った際にぐちゃぐちゃになった。「どうせいつか死ぬのなら、今死んだ方がこれ以上苦しまなくて済むのでは」と思うようになったのである。本当に死にたいというわけではなくて、親の死など、今後生きていれば起こることが確定している辛い出来事や、将来に対する不安などから逃げたい、脳みそをとろかして何も考えたくないというのが正しいのだが、とにかく、前は自分の完璧主義のハードルを下げてくれる精神安定剤として使えていた「死」の、新たな側面を見出してしまったのだ。
これ以降、元気な時は以前のように「どうせ死ぬからハッピーに生きよう」と自然に思えているが、元気ではない時は「どうせ死ぬなら今死んでもいいのでは」という考えが湧いて出てくるようになった。
このようにある程度客観視できるようになったのはここ一月ほどで、それまでは自分の死生観が揺らいでいることを自覚していなかった。今、新年度への不安で鬱々としている状態であり、ぐるぐる考えている中で、自分の「死」の持ち出し方が変わっていることを突然認識した。その変化の契機はあの時の家族の死であるだろうと推測したが、死を嘆いているその瞬間は、ただ死に逃げたい、不安から解放されたいと思っているだけで、これほど言語化できていなかった。
自分の死生観は確立していると思い込んで、若くして達観しているつもりでいたが、まったく確立などしていなかった。だが、人はどんな物事に対する考え方であっても変化しうるのだということを自覚できたのは自惚れてもいい気がする。
今はひたすら不安に苛まれていて、まったく気持ちを切り替えられないが、不安の中でぐるぐる考える自分は小さい時から変わらなくても、その考え方や行き着く答えが成長に応じて変化しているということ自体が、「死」という精神安定剤の代替を見つける上でのヒントである気がする。
どいつもこいつも人生が先に進んでって日々変化があって羨ましい
ずっと停滞してる
物の値段が上がっていくのを肌に感じて、手に取らない食材が増えるから、料理のレパートリーすら停滞かどうかしたら後退してる
残りの人生60年近くずっとこのまま生きてくのか
年老いて体にガタがきても仕事をしないと生活できず、生きるために仕事をし続けないといけないけど、なんのために生きてるんだろうな
推しだとかなんだとかをやるフェーズはとっくに過ぎて飽きてしまった
土曜は、洗濯と掃除をして、次の週のための食料品の買い出しと、図書館に出かける
日曜は、一週間分の作り置きをして、図書館の本を読んで、無料で聞ける範囲の音楽や映画を流して、白湯で精神安定剤を流し込んで無理やり眠る
月曜の朝起きて、満員電車に揺られて、また一週間同じことの繰り返し
お金を使うのは「生産性の高い」行為。ゆえに自分の存在価値を応援消費にくくりつけることで、間接的に存在価値を確立させることができる(この点、災害が起きた時の地域応援と同じ)。
さらに物体的にその結果の形跡が残るので、短期的には精神安定剤として機能しうる。
近年の「推し活」のレースこそ資金がものを言う「資本主義の競争」なのにも関わらず、この「歪んだ愛」に気づくことなく、依存して消費している。
先述の通りだが、従来型のアニメオタク型では、消費による支援以外にも、特に二次創作物に対する「共創」面が多いように感じる。
一方、近年のアイドルオタク型は、その面よりかは依存、消費の面も強まっているように感じる(Vtuberの切り抜き動画などもあるが、それはファンによる応援というよりかは収入源としての効果が高いのでは?)。
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