はてなキーワード: 器用貧乏とは
とにかく使えない。アスペの癖に低IQのコミュ障で、高校時代から個人開発をしつつココナラとかクラウドワークスでフリーランス活動に取り組んでたらしいのだが、それがどちらも7年も取り組んでおいて鳴かず飛ばずで法人すら立ってない事実を棚に上げてポートフォリオに書いてきやがった。
まずその時点で不安だったが、実際に使ってみれば一般的なサーバー管理、バックエンド、フロントエンド、ハードウェア、統計や計算機科学などどれもこれも一見できるように見えて理解が浅い。よく言えば広く浅い知識を持っていると言えるが、要は器用貧乏でまともに経験値がないということだ。AWSの資格すら取っちゃいない。
そんでもって学生時代にめぼしい経験がない。数学を幼少期から極めていたらしく(数IIIを小6でコンプしたというのは素直に驚いた)新しいアルゴリズムを論文に書いて某学会に通したことがあるらしいが、実績と呼べるのはそれくらいで数オリや競プロの優勝歴などもない。本当に何の実績もない。大学生は大人なんだからIT目指すなら一つくらい偉業をなして当然だろ、何のために大学行ったのか
自分の力と頭で修羅場を乗り越えて何かを為した経験もないのでとにかく子供じみていて扱いに困る。一見口調や語彙は大人びているように見えて忍耐力もコミュ力も何もないから始末に負えない。今どきZ世代は大人びてるんだからIT目指す新卒にもなれば普通少年ジャンプの主役くらいのスペックあって当然なのに。
そんでもって全能感にまみれていて、まるで相手が子供じみているかのように演出する能力だけは超一流。人様に物事を都合よく勘違いさせる能力は使い所を間違えなければ役に立つんだか立たないんだか。
マジで人様の前に立つカリスマ性も人様を率いる胆力も人様に率いられる根性も図太さもアイデア力も実績も実力も精神力も頭も心も体も顔も何もない無能中の無能中の無能なのでこんな奴を寄越した人事を末代まで呪うつもりだ。
とにかく使えない。アスペの癖に低IQのコミュ障で、高校時代から個人開発をしつつココナラとかクラウドワークスでフリーランスとして稼いでたらしいのだが、それがどちらも7年も取り組んでおいて鳴かず飛ばずで法人すら立ってない事実を棚に上げてポートフォリオに書いてきやがった。
まずその時点で不安だったが、実際に使ってみれば一般的なサーバー管理、バックエンド、フロントエンド、ハードウェア、統計や計算機科学などどれもこれも一見できるように見えて理解が浅い。よく言えば広く浅い知識を持っていると言えるが、要は器用貧乏でまともに経験値がないということだ。AWSの資格すら取っちゃいない。
そんでもって学生時代にめぼしい経験がない。数学を幼少期から極めていたらしく(数IIIを小6でコンプしたというのは素直に驚いた)新しいアルゴリズムを論文に書いて某学会に通したことがあるらしいが、実績と呼べるのはそれくらいで数オリや競プロの優勝歴などもない。本当に何の実績もない。大学生は大人なんだからIT目指すなら一つくらい偉業をなして当然だろ、何のために大学行ったのか
自分の力と頭で修羅場を乗り越えて何かを為した経験もないのでとにかく子供じみていて扱いに困る。一見口調や語彙は大人びているように見えて忍耐力もコミュ力も何もないから始末に負えない。今どきZ世代は大人びてるんだから新卒にもなれば普通少年ジャンプの最終回を終えた主役くらいのスペックあって当然なのに。
そんでもって全能感にまみれていて、まるで相手が子供じみているかのように演出する能力だけは超一流。人様に物事を都合よく勘違いさせる能力は使い所を間違えなければ役に立つんだか立たないんだか。
マジで人様の前に立つカリスマ性も人様を率いる胆力も人様に率いられる根性も図太さもアイデア力も実績も実力も精神力も頭も心も体も顔も何もない無能中の無能中の無能なのでこんな奴を寄越した人事を末代まで呪うつもりだ。
とにかく使えない。アスペの癖に低IQのコミュ障で、高校時代から個人開発をしつつココナラとかクラウドワークスでフリーランス活動に取り組んでたらしいのだが、それがどちらも7年も取り組んでおいて鳴かず飛ばずで法人すら立ってない事実を棚に上げてポートフォリオに書いてきやがった。
まずその時点で不安だったが、実際に使ってみれば一般的なサーバー管理、バックエンド、フロントエンド、ハードウェア、統計や計算機科学などどれもこれも一見できるように見えて理解が浅い。よく言えば広く浅い知識を持っていると言えるが、要は器用貧乏でまともに経験値がないということだ。AWSの資格すら取っちゃいない。
そんでもって学生時代にめぼしい経験がない。数学を幼少期から極めていたらしく(数IIIを小6でコンプしたというのは素直に驚いた)新しいアルゴリズムを論文に書いて某学会に通したことがあるらしいが、実績と呼べるのはそれくらいで数オリや競プロの優勝歴などもない。本当に何の実績もない。大学生は大人なんだからIT目指すなら一つくらい偉業をなして当然だろ、何のために大学行ったのか
自分の力と頭で修羅場を乗り越えて何かを為した経験もないのでとにかく子供じみていて扱いに困る。一見口調や語彙は大人びているように見えて忍耐力もコミュ力も何もないから始末に負えない。今どきZ世代は大人びてるんだから新卒にもなれば普通少年ジャンプの主役くらいのスペックあって当然なのに。
そんでもって全能感にまみれていて、まるで相手が子供じみているかのように演出する能力だけは超一流。人様に物事を都合よく勘違いさせる能力は使い所を間違えなければ役に立つんだか立たないんだか。
マジで人様の前に立つカリスマ性も人様を率いる胆力も人様に率いられる根性も図太さもアイデア力も実績も実力も精神力も頭も心も体も顔も何もない無能中の無能中の無能なのでこんな奴を寄越した人事を末代まで呪うつもりだ。
都神樹さんのライトノベルが原作のテレビアニメ「勇者パーティを追い出された器用貧乏」が、2026年1月から放送されることが分かった。
人気VTuberグループ「ホロライブ」所属の常闇トワが、オープニングテーマ(OP)「シルベ」を担当することも発表された。
https://anond.hatelabo.jp/20251029191331
もうだめかもしれん、いや、もうだめだわこれ。
料理・洗濯・掃除・買い出し・家計簿、ついでに献立まで――みたいな“家事万能”で10年食ってきたんだよね。
家族からの「はい、お願い!」に即レスして、冷蔵庫の中を見て、予算立てて、なんとか信頼を得てきたわけ。
それが、完全に裏目に出た。
半年前かな、夫が「ChatGPTすごいよ」って言ってきてさ。
「冷蔵庫の残り物で夕飯考えてって言ったら、ちゃんとレシピ出してくれるんだよ」って。
正直、鼻で笑ったね。
どうせ「それっぽい」だけで、どっかで見たようなレシピの寄せ集めだろって。
「まあ試してみてもいいけど、結局は私の手直しが必要だよw」とか、ちょっとイキって言ったの覚えてるわ。
そしたら夫がChatGPTで10案くらいポンって出してきたの。
「“体に優しくて、見た目も華やかな夕飯”」を完璧に汲んでてさ、草も生えんかった。
「ChatGPT案でいこう!味噌汁の具材をもうちょい春っぽくして、全体の色味をちょい明るくして!」
は?って声出たわ。
私の“家事スキル”、ChatGPT様が出力したレシピの色味調整だけかよ、と。
でもまあ家族のためだし、「了解!」って返して、買い物して、作って、出して、褒められた。
これが、終わりの始まりだった。
決定打は先週。
10年近く毎週やってた“まとめ買いと作り置き”のルーティンを、ChatGPTに取られた。
ChatGPTが季節の食材も入れて、1週間分の完璧なリストを出してきたのよ。
しかもGoogleカレンダーと連携して、
「木曜はお風呂掃除の日です」「洗剤の残量が少ないようです」って通知まで来る。
“自分が考えて、家族が喜ぶ”っていう循環があったから、毎日頑張れたのに。
それを、AIが一瞬で奪っていった。
Twitterとか見るとさ、「ChatGPTは主婦の味方」「上手く使えば時短できる」とか言ってるけど、あれ絶対嘘だわ。
少なくとも、私みたいな“中の上”とか“器用貧乏”でなんとかやってきた主婦は、確実に食われ始めてる。
家族の「こんな感じで」を“いい感じ”に形にしてきた、私たちみたいな凡人なんだよ。
今の私の“家事”、ChatGPTが出してきたスケジュールの微調整と、AIが書いた買い物リストの“てにをは”チェックだけ。
昨日なんかさ、「時短で栄養バランスの良い夕飯」ってChatGPTに打ち込んで、
出てきたレシピの写真を見ながら買い物してる自分に気づいて、マジで泣きそうになった。
この先生きのこるにはどうすりゃいいんだよ。
器用貧乏じゃなくて、素人に毛の生えたようなスキルしかないまま生きながらえてしまっただけでは?
フリーランスだけどスキル無い人、技術職じゃ無くて非正規店舗スタッフくらいのスキルのまま、ただ作業のように仕事して生きながらえようとするのなんなの?
追記: 皆様ご指摘通り、geminiの生成文です。プロンプトは「はてなブックマークでホッテントリ入りしそうな、はてな匿名ダイアリーのエントリを書いてください」だったかな。その後「もっと増田っぽい文体にして一行一文にして句読点をなるべく減らしてください」にして書き換えました。最後に「信憑性が上がりそう」という人間の判断でchatGPTをGPT-5、画像生成AIをnano-bananaに手作業で変えてみたものです。nano-bananaが2ヶ月前リリースだったのは忘れてました。唯一、手作業で書き換えたところが間違ったとは。文章はよく読まずに「どうせスルーだろう」と思って増田初投稿してみました。
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もうだめかもしれん、いやもうだめだわこれ
Web系のデザインとコーディング、ついでにSEO記事も書きます、みたいな器用貧乏で10年食ってきたんだよね
クライアントの無茶振りにも「はい喜んで!」で即レスしてさ、Photoshopとイラレを秒で立ち上げてなんとか信頼を得てきたわけ
それが完全に裏目に出た
半年前かな、付き合いの長いWeb屋のディレクターからSlackが飛んできてさ
「増田さん、Googleのnano bananaって知ってる?あれでサイトのKV作れないすかね?」
正直、鼻で笑ったね
どうせ「それっぽい」だけの、どっかで見たようなジェネリックな絵が出てくんだろって
「まあ試しますけど、結局はプロのレタッチ必須になりますよw」とか、ちょっとイキって返信したの覚えてるわ
で、こっちはいつも通りPhotoshopで2案作ったんだよ、3時間かけて
そしたらディレクターのやつ、nano bananaで10案くらいポンって出してきたの
その中の一つが、俺が作ったやつより、もう全然良かった
クライアントが言ってた「抽象的だけど未来感のあるやつ」を完璧に汲んでてさ、草も生えんかった
「クライアント、こっちのAI案で進めたいそうです!背景のビル群をもうちょいフューチャーな感じにして、全体の色味をちょいシアンに寄せてください!」
は?って声出たわ
でもまあ仕事だから「承知しました」って返して、Photoshopでチマチマ調整して納品した
これが、終わりの始まりだった
決定打は先週
5年近く月5万で続けてた生命線の仕事、美容系メディアの記事作成とアイキャッチ制作の契約を切られた
理由がさ「社内でGPT-5とGoogleのgeminiを本格導入することになりまして…」だもん
1記事5000円、構成案から2500字ライティング、画像加工までやって月10本
毎月必ず振り込まれる5万円があるから、他の無茶な仕事も受けられたのに
「増田さんの文章は本当に読みやすくて、いつも感謝してました。ただ、今回導入したGPT-5を使えば、キーワードを入れるだけで増田さんの文章と遜色ない記事が作れてしまうことがわかりました。コスト削減の折、大変心苦しいのですが…」
丁寧だけど、翻訳するとこうだろ
「お前の10年のスキル、もう月5万の価値すらないよ」ってことじゃん
Twitterとか見るとさ、意識高い系のエンジニアとかが「AIはクリエイターの武器になる」「結局は使う人間次第」みたいなポジショントークしてるけど、あれ絶対嘘だわ
少なくとも、俺みたいな「中の上」とか「器用貧乏」でなんとかやってきた増田は、確実に食われ始めてる
最初に死ぬのは天才じゃない、クライアントの「こんな感じで」をいい感じに形にしてきた、俺たちみたいな凡人なんだよ
今の俺の仕事、AIが出してきたデザイン案の微調整と、AIが書いた文章の簡単な「てにをは」チェックだけ
昨日なんかさ、必死こいて「a masterpiece, best quality, 8k, photorealistic」みたいな「呪文」をググってる自分に気づいて、マジで泣きそうになった
この先生きのこるにはどうすりゃいいんだよ
とにかく使えない。低IQの癖にコミュ障のアスペで、高校時代から個人開発をしつつココナラとかクラウドワークスでフリーランス活動に取り組んでたらしいのだが、それがどちらも7年も取り組んでおいて鳴かず飛ばずである事実を棚に上げてポートフォリオに書いてきやがった。
まずその時点で不安だったが、実際に使ってみれば一般的なサーバー管理、バックエンド、フロントエンド、ハードウェア、統計や計算機科学などどれもこれも一見できるように見えて理解が浅い。よく言えば広く浅い知識を持っていると言えるが、要は器用貧乏でまともに経験値がないということだ。AWSの資格すら取っちゃいない。
そんでもって学生時代にめぼしい経験がない。数学を幼少期から極めていたらしく(数IIIを小6でコンプしたというのは素直に驚いた)新しいアルゴリズムを論文に書いて某学会に通したことがあるらしいが、実績と呼べるのはそれくらいで数オリや競プロの優勝歴などもない。本当に何の実績もない。何のために大学行ったのか
自分の力と頭で修羅場を乗り越えて何かを為した経験もないのでとにかく子供じみていて扱いに困る。一見口調や語彙は大人びているように見えて忍耐力もコミュ力も何もないから始末に負えない。
そんでもって全能感にまみれていて、まるで相手が子供じみているかのように演出する能力だけは超一流。人様に物事を都合よく勘違いさせる能力は使い所を間違えなければ役に立つんだか立たないんだか。
マジで人様の前に立つカリスマ性も人様を率いる胆力も人様に率いられる根性も図太さもアイデア力も実績も実力も精神力も頭も心も体も顔も何もない無能中の無能中の無能なのでこんな奴を寄越した人事を末代まで呪うつもりだ。
とにかく使えない。低IQの癖にコミュ障のアスペで、高校時代から個人開発をしつつココナラとかクラウドワークスでフリーランス活動に取り組んでたらしいのだが、それがどちらも7年も取り組んでおいて鳴かず飛ばずである事実を棚に上げてポートフォリオに書いてきやがった。
まずその時点で不安だったが、実際に使ってみれば一般的なサーバー管理、バックエンド、フロントエンド、ハードウェア、統計や計算機科学などどれもこれも一見できるように見えて理解が浅い。よく言えば広く浅い知識を持っていると言えるが、要は器用貧乏でまともに経験値がないということだ。AWSの資格すら取っちゃいない。
そんでもって学生時代にめぼしい経験がない。数学を幼少期から極めていたらしく(数IIIを小6でコンプしたというのは素直に驚いた)新しいアルゴリズムを論文に書いて某学会に通したことがあるらしいが、実績と呼べるのはそれくらいで数オリや競プロの優勝歴などもない。本当に何の実績もない。何のために大学行ったのか
自分の力と頭で修羅場を乗り越えて何かを為した経験もないのでとにかく子供じみていて扱いに困る。一見口調や語彙は大人びているように見えて忍耐力もコミュ力も何もないから始末に負えない。
そんでもって全能感にまみれていて、まるで相手が子供じみているかのように演出する能力だけは超一流。人様に物事を都合よく勘違いさせる能力は使い所を間違えなければ役に立つんだか立たないんだか。
マジで人様の前に立つカリスマ性も人様を率いる胆力も人様に率いられる根性も図太さもアイデア力も実績も実力も精神力も頭も心も体も顔も何もない無能中の無能中の無能なのでこんな奴を寄越した人事を末代まで呪うつもりだ。
全般。
難易度。
ジョブ。
ジョブ所感。
昔のRPGってハードの進歩に合わせて技術だけでも感動要素多かったし、
作業やらストーリとかも、それに特化したゲームも少なかったから、楽しんでやれたけど
今はストーリならアドベンチャーとか育成作業とかはもっと脳汁出るものがあったりで
増田の10個上だけど、アクションやパズル等、他ジャンルの要素が強いやつとかだと楽しめたりするのもそこそこあるので
RPGってとこにこだわらないほうがよいのかもしれないと思いました
あと、期待して外れ引くのも嫌だけど、発売前からニュースとかで馴染んどいて、プレイ時もSNSでの盛り上がりとかでブーストかけるとかじゃないと、ゲーム以外でもなんかハマらんというのはほんと多くなってきた
ぼーっとに生きてきた私ですが、ついに社会人になりました。会社はすごくいいところです。上司も先輩もいい感じにゆるく、話しかけやすいですし怒られることなんてありません。仕事に飽きたり行き詰まったら隣の同期とくっちゃべっています。これ以上の環境はないと本気で思えるくらいいい場所です。
さて、社会人になり、人生の大きなレールに上手く乗ってちょっと人生の先の見通しがよくなった私ですが、どうすれば幸せになれるのかがわかりません。ああ、この人生素晴らしいものだったなと思いながら死ねるルートが、もう自分の中には無い気がするのです。
私はとにかく人と関わることが苦手なのです。人に自分のことを知られるのが嫌なのです。それは自分が何もない空っぽな人間だと伝わってしまうから。だったら自分の良くない部分は隠してしまおう、人に吐き出してもどうにもならずにただ自分が惨めに見えてしまうだけなら、閉じ込めてしまおうと考えてしまいます。他人が自分の話を聞いて、ああコイツはこうゆう人間なんだと解釈されてしまうのが嫌なのです。だから自分のことは多くは話しません。その分お互いを理解できるような人間もいません。そうして生きていくと、周りの人間にどんどん話されていきます。価値観の差、人生経験の差、そうして私にはより一層話せることが無くなってきます。心を開くことが難しくなってしまいます。どこまで行っても私は私自身のせいによって孤独なのです。
恋人もいたことがありません。学生時代、何度かチャンスはあったのですが相手が私のことを思っていることに嫌悪感を抱いてしまったり、やる気が一切出なくなって私から無理やり離れていってしまいました。私のことを思ってくれる人はもったいないくらいいい人でした。今でもあの時付き合っていればこんな人生にならなかったのかもと思う時はありますが、振り返ってみればどこをどう行っても当時の私には付き合うというルートはなかったように思えます。異性が苦手というわけではありません。異性と話すことはとても楽しいですし、苦手意識もありません。ただ、根本として人と関わることが苦手なのです。誰かと仲良くなりたいなんて気持ちがない私は、人脈を広げるようなことはしませんし、相手が仲良くなりたいと思っていても逃げてしまうのです。
じゃあ1人で生きていけばいい、人と関わらずに暮らしてればいいじゃないかと思うかもしれませんが、そうはいきません、人は1人では生きていけないと思うからです。人と関わりたくないと言いながら心のどこかで私を理解して欲しいと思っている、なんて話ではありません。私が人間として生きてきた以上、1人きりで生きていくのは不可能だと思っています。少なくとも、そちらに幸せはないのです。私は幸せになりたくて生きているのです。
前までは結婚することが幸せなのだと思っていました。子供なんていらないなんていう人をよく見ます。なんて視野の狭い人なんだと、子供に振り回されて、子供のために必死に働いて、自分のやりたいことができなくなって、でもそうやってがむしゃらに生きて歳をとっていくことが結局1番幸せなのだと信じていました。ただ最近私自身を見つめ直したときふと思ったのです、ほんとにそう上手くいくのかと。結婚することは一般的な人たちにとって最も大きな幸せな形であると思っています。ただ、それは私にも言えるのか。こんな人間が結婚したところで幸せな家庭は築けないのではないか、結局家族という形を作れたものの、孤独であるままなのではないかと。
ここからどう足掻こうが、もう幸せになれる道は残ってない気がするのです。人生を変えるような人に出会うことも恐らくないでしょうし、私ならそんな出会いすら見逃してしまうでしょう。
人と関わらずに生きてきた分、私にはいくつか熱狂的な趣味があります。その時間は、私の孤独を肯定してくれるものであり、生きる意味の大部分を占めています。ただ、それは孤独を加速させるだけなのです。好きなことでも人と関わりたいとは思いません。それに趣味なんていつか飽きていったり、体力的にキツくなっていくものでしょう。趣味だけを生きがいにするには、人生はあまりにも長過ぎます。
最近は酒をよく飲むようになりました。酔っている時はあまり嫌なことを考えずに済みます。大人がお酒を飲むのはこうゆうことだったんですね。ただ残りの長い年月を考えたときに、アルコールで自分を誤魔化し切れるのでしょうか。どこかでネジが狂ってしまわないのでしょうか。大人の方々、教えてください。
もう、とにかくどうすればいいのかわからないのです。死にたいとは思いませんが、ある日急に殺されてしまうのが、この人生の最も綺麗なカタチな気がします。もう誰かを愛したり、幸せになるなんて道は残ってないから。でも不思議と、人生に後悔はないんです。もしもう一度過去に戻ったとしても、私はまた同じところに戻ってきます。こうなる以外になかった気がします。
もうすぐお盆ですね。皆さんは帰省とかするのでしょうか。私は趣味のひとつである海外旅行に行ってきます。海外って凄く開放的になれるんですよね。知らない人について行ったり、危なっかしい場所を歩き回ったり。私の命ってすごく軽いんです。今ならいつ終わっても特に困らない、泣く人も少ない。もしかしたら私は死を求めて旅をするのかもしれません。誰も知らない場所で、誰だかわからない人に殺されてしまう、そんな終わり方を望んでいる、一種の自傷行為なのかも。どこまで無気力で他人任せなのでしょうか。自分から行動すれば良いのにね。
最近家の床で土下座をするのにハマっています。土下座って人間の知能が作り出した最も無様な姿だと思うんです。恥もプライドも地位も捨ててただひれ伏す。誰かに謝っているわけではありません。自分の行いを反省してもいません。ただギブアップしているだけです。もういいよと、十分楽しんだと、そろそろ楽にして欲しいんですと。
私はこうしてたまに読み返したくもない心情をベラベラと打ち込むのですが、もしこの文章を読んでいた人がいたならごめんなさい。そろそろ酔いも覚めてきました。今思っていることが私の本心なのかは分からないですが、幸せに生きて欲しいです。人生っていうのはそうゆうもんだと思っているから。金とか地位とかそんなんじゃなくて、貪欲に幸せを求めて欲しい。これを理解できない人間が多い気がします。私はこのまま細々と暮らしていきます。器用貧乏なので、苦労はしないですが、あなたみたいにはなれない。残された選択肢の中をもがいていきます。ありがとうございました。失礼します。
会社にオリックスファンの後輩の女性がいる。彼女は毎朝キラキラした目で「昨日の試合見ました?」と話しかけてくる。私の日課はその女性からオリックスの選手がどうだとか、今後の試合はどこでやるとか、先週は仙台まで試合を見てきただとか、いわゆるオリックスの推し活話を聞かされるのだが、なぜそこまで「推し」の存在ができるのかよく分からない。
「◯◯選手のホームランすごかったですよ!あの瞬間会場が沸いて、私も思わず立ち上がって…」
彼女の目は輝き、声のトーンが上がる。その姿を見ていると、何かに熱中できる彼女が羨ましくもある。一方で「そんなに熱くなれるものって何だろう?」と不思議に思う自分がいる。
思えば私の人生で推しはいなかった。中学時代、周りの友達が嵐やKAT-TUNにハマってCDを集め、コンサートのチケットを必死に取ろうとしている横で、私は「ふーん、そうなんだ」と思っていた程度だ。
というか、もう少し主語を大きくすると物事にそこまでのめりこむ経験がなかったように思う。大学時代そこそこの体育会を続けていたりしたが、引退後はたまに後輩の応援に行くくらいでさっぱりである。「あの頃は青春だったなぁ」と懐かしむ程度で、OB会にも半分義務感で参加している。
長く続いている趣味も特になく、アニメもたまに見る、音楽も流行りをたまに聞く、スポーツもテレビでたまに見る、以上、という感じなのだ。「たまに」の連続。深くではなく、広く浅く。それが私の生き方だ。
冷静になって他の友人を見回すと、サッカーが好きで毎週見に行くとか、好きなアーティストのライブによく行くとか、車が好きでしょっちゅう整備しているとか、みんな何らかの推しやのめり込む趣味を持っていたのだ。SNSを見れば、推し活あるあるで盛り上がる投稿に「わかる〜!」とコメントが殺到している。世の中は「推し」のある人間で溢れているようだ。
そこでこれを機に自分に推し活ができない原因をなんとなく考えてみた。
よく言われる器用貧乏というものだ。最初からいろいろと何でも出来ちゃえば、そもそものめり込む動機もない。「これができないから頑張りたい」という原動力が生まれにくい。
しかし、これは自分に当てはまらないと感じる。大学時代のゼミでは「君は要点をつかむのが下手だね」と言われ続けた。職場でも「もう少し要領よくできないか」と上司に言われる。どちらかというと要領は悪いのでこれは当てはまらない。
そこで私は以下の3点が推し活ができない原因と考えた。
子供の頃、親が「うちは貧乏だから」という話をよく聞かされていたため、自然とお金がかかるものは避け、親におねだりすることは一切しなくなった。
小学4年生の時、クラスメイトがみんな持っていたデジモンのおもちゃが欲しくて、母に「友達みんな持ってるんだよね」と遠回しに伝えたことがある。すると母は「そういうのに流されるのはダメ。うちにはそんなお金ないからね」と言った。それ以来、欲しいものを口にすることはなくなった。
ただ、大人になってから気付いたが、別に貧乏ではなくむしろ裕福な方だったのだろうと思い、なぜあそこまで悔しがりながら辛抱強く我慢していたのか、たまに虚しくなる。実家の本棚を整理したら、母の「節約生活のすすめ」的な自己啓発本がずらりと並んでいた。あれは母の趣味だったのか…。
話はそれたが、推すためにも金がかかる。オリックスファンの後輩は、遠征費、グッズ代、チケット代など、月に3万円ほど「推し活」に使っているらしい。「それだけあれば…」と考えてしまう自分がいる。投資信託を増やすとか、老後資金に回すとか。
今は給与的に正直何不自由ないくらいにはサラリーマンをやれているので、なんてことはないのだが、なんとなくこの出費に意味はあるのか?と考え、結局手が伸びない。「楽しいから」という理由だけでお金を使うことに罪悪感がある。
推すきっかけには友人関係のなかで生まれてくるものもきっとあるはずだが、私は残念ながらあまり友達が多くない。大学の同級生とはほとんど連絡を取っておらず、職場の同僚とも飲み会以外で会うことはない。
推し活をしている人たちを見ていると、SNSで仲間を見つけたり、現地で知り合った人と交流したりと、コミュニティの中で推し活を深めているように見える。オリックスファンの後輩も「ファンクラブのLINEグループがあって、みんなで遠征計画立てるんですよ〜」と楽しそうに話していた。
私にはそういう「一緒に熱くなれる仲間」がいない。もし誰かに「このアーティストいいよね」と言っても、「へー」で終わりそうな気がする。推し活の楽しさの半分は共有体験にあるのかもしれない。
私は感受性不足な面がある。映画とかで泣いたり、結婚式とかで泣いたりする人、正直よく分からない。友人の結婚式で周りがハンカチで涙を拭いている中、私だけ「写真撮っとこう」と冷静にスマホを取り出していた。
感動する体験が少ないのかもしれない。オリックスファンの後輩は「初めて生で見た試合で、逆転サヨナラホームランが出て、その瞬間からファンになった」と言っていた。そういう「心震える瞬間」に出会ったことがあるだろうか。思い返しても特にない。
あるいは、感動する回路が弱いのかもしれない。何かを見て「すごい!」と思っても、すぐに「でもまあ、別に…」と打ち消してしまう。常に一歩引いて物事を見ている。
で、この3点が組み合わさるとどうなるか。
どれが初期のきっかけかはわからないが、3点が相互に連関しているように思う。
お金がない→人付き合いが悪くなる→推し活のきっかけも生まれにくくなる→感受性が育たない→人付き合いが悪くなる→…
こんなサイクルが私の中で永遠に回っているのかもしれない。貧乏性のせいでお金を使わないから友達と一緒に推し活ができず、友達がいないから感動体験が生まれにくく、感動体験が少ないから「これにお金使おう!」という衝動も生まれない。
ただ、最近ふと思ったのは、「推し活ができないこと」自体が問題なのか?ということだ。別にみんながみんなのめり込める何かを持っているわけじゃないし、持っていなくてもそれはそれでいいんじゃないか。
でも、オリックスファンの後輩が試合後に「最高でした!」と目を輝かせて話すのを見ると、どこか羨ましくもある。何かに全力で打ち込む姿、心から楽しんでいる姿は、やっぱり美しい。
そんなことを考えながら、今日も私はオリックスファンの後輩の熱い推し活トークを聞くのだった。「それで、宮城選手がどうしたって?」
自分にとっての「推し」、いつか見つかるだろうか。それとも、推し活のない人生を歩み続けるのだろうか。どちらでもいいような気もするし、何か変わりたいような気もする。
そんな、どっちつかずの気持ちも、私らしいのかもしれない。
僕が「なんでもできるような人になりたい」って憧れは小さい頃から潜在意識のなかにあったのかも知れない。
幼少期によく遊んでいた友人が成績優秀、吹奏楽の部長を務め、絵が上手く、ゲームのセンスもある「なんでもできる人」だった。
対して僕は引きこもりの不登校、成績もそれほど高くなく、吹奏楽でも先生に怒られながら下手な楽器を鳴らし、絵も大して上手くなく、ゲームも彼にずっと負けていた。
何もできないドベだった。
とにかく彼に負けたくなく、僕は彼が手につけるものを追ってチャレンジしたが、結局、何も勝つことはできなかった。
僕は楽曲制作、映像制作、イラスト制作、グラフィックデザイン、プログラム、多岐にわたる技術を広く浅く習得し、のんびりと創作活動を行なっている。
彼に憧れていたものを手に入れた気はしていない。
原神はPCゲーマー目線だとよく出来てるんだけど、ソシャゲーマーがソシャゲ的遊び方をしようとするせいで文句言われてる感がいまだに強い
プラチナトロフィーと名刺取得の名誉のために20層到達をしたくなるんだけど、そこでナタキャラ所持検査だとか不満を垂れるユーザーが多発してる
でもその不満は妥当とは言い難く、そもそもソシャゲとはゲームの設計が違うんだから石の使いかたはキャラの幅広い確保を最優先で考えるべきなんだよね
こう言うとプレイスタイルは好き好きだろうと突っかかってくる人が必ずいるが、このべき論は高難度戦闘をゲームとして楽しむ気がある全ユーザーに該当する
シアターをはじめ最近の他のあらゆるイベントでも運営は「キャラ所持が何よりも重要ですよ」ってメッセージを発してる
そしてガチャシステムもコンスタントなキャラ確保がしやすい天井引き継ぎ式になっていて、逆に昔ながらのソシャゲのように新キャラの大半をスルーしていてもフェスガチャさえ逃さなければ大丈夫な遊び方とは異なる発想が求められる
そのへんの性質を理解して常識を切り替えていければ、ログボ課金と紀行の安い方と2倍石を買い切る程度の微課金でも新キャラの8割は取れるし、月額610+1220円の超微課金でも7割は取れる作りになってる、ゲームまじめにやって石掘ってればね
そうすれば理想のパーティはほぼ形になるし、無凸の星4武器でだいぶ雑な厳選の4人パーティでも今回の戦闘イベントくらいならフレンドバフも飯バフもなくても20層はギリギリ行けるくらいの調整になってる
ただ、ソシャゲ的偏愛主義で遊ぼうとして、最近のキャラを総スルーするような溜め込み癖ある人だと理想パーティが全然組めないってことになり途端にハードルが高くなる
そういう戦闘アトラクションを楽しむ方向とは逆のキャラ取得方針をとってるのに、特定キャラには廃課金してるから戦闘イベでも厚遇を受けられるはずと思って不満を感じる人はやはりソシャゲに毒されすぎだと思う
ソシャゲみたいに金の力で突破する似非ゲームなら好きなキャラに一点投資してなんでもそのキャラでクリアできるっていう偏愛主義者を喜ばせる拝金接待ゲーになってるし、ソシャゲーマーがそういうゲームに親しんできた過程で「えこひいき」的嗜好スタイルが染み付いてるのは分かる
でも原神はちゃんと作られてるゲームなんだから、キャラの選り好みをしすぎて取得をスキップしたせいでナタキャラ固有ギミックやら反応縛りみたいなピンポイントな要求のある高難度イベントで詰まるってのは当たり前なんだよね
例えばタワーディフェンスゲーで、遠隔ユニットがいないと詰むステージに近接だけ配置してクソゲーって言う人がいたら、遠隔ユニットのプールもちゃんと増強しなよって思うよね
近接ユニットに廃課金したら遠隔ステージもゴリ押しできたとか自慢されても、それはネタ攻略であってゲーム的にナンセンスだと思うよね
それと同じことだと思うんだけど、ソシャゲに親しんできた人にとっては、高難度は解法が狭くて非理想パーティでゴリ押しするなら廃課金が必要なクソゲーという認識になってしまう
まあ実際25層とかは廃課金向けの難度なので、そのへんは課金ゲーとしての接待部分と理解できるとはいえ、20層までは戦闘ゲームとしてのキャラ取得の考え方を間違えてない長期ユーザーなら誰でも行けるはずなんだよ
ここに不満を抱くのであればゲーム認識の根本から違っていて、原神は総戦力で押し通すソシャゲじゃなくて中身はパズルゲーみたいなものと考えてほしい
アクションの腕やら装備厳選やら課金やらの依存度はイベ報酬コンプ目的ならそこまで高くなく、一方で合理的なパーティや適切な立ち回りを考えることの比重が遥かに高い
というのも凸や餅を取れば個人火力が20%、パーティ火力が10%くらいずつは上がるかもしれないが
そもそも凸餅に石を費やしたためにキャラ未所持が増えるということであればそれは悪手になる可能性が極めて高い
だって適した編成を組めているかどうかで、イベント等の戦闘ギミックを活用できるかどうかまで考えると10%20%どころじゃなく100%200%も変わってくるんだから
キャラというピースの所有価値の高さを認識してもらうためにあらゆる戦闘イベントが設計されていると言っても言い過ぎではないくらい
そういう理解にもとづいてコツコツキャラプールを増やしていれば大抵のステージギミックは労せず解ける知育ゲーの一環として設計されているわけよ
原神ユーザーはミニゲームを知育ゲーとよく言うが、実際には高難度戦闘コンテンツであっても知育ゲーなんだよ……
ともかく戦闘コンテンツに関してはパズルのピース集めが重要で、オープンワールド探索とシナリオを楽しみつつ戦闘ピースを整えていく盆栽ゲーと理解すべきで、こう書くと「ソシャゲそのものじゃん」と思えなくもないが、実感としてはまるで反対なんだ
知育バトルを突破するために、立ち回りは動画でも見て研究すればいいが、パーティ構築は石リソースを使って長期的に行うもんだから方針を致命的に間違えててピースのない状態では高難度挑戦はどうにもならない
反面、シナリオエンジョイくらいならどんな組み合わせでも問題ないようユルく作られてる、この落差が良心的である一方でゲーム認識に対する勘違いを修正できない人が多い原因でもあるね
キャラ収集の戦略をどうゲームに合わせるかって部分も立派なゲーム要素の一つだと思うんだけど、そこをゲームと見做さないでガン無視している人がソシャゲーマーに多いんだろう、ソシャゲの多くはそうだったし、金さえ払えばゲームが自分に合わせてくれるのがソシャゲだったからね
この状況をどうにかするには、ゲームとして遊びたいユーザーがゲームに反するリソース配分をしているのをやめさせなきゃならない
解決策としては、課金やゲーム内取得も含めた石の獲得ペースが一定以下の人が武器ガチャや凸狙いのガチャを回そうとするときに、ストップをかけることがある程度有効だろう
「旅人さんの原石獲得ペースでは、未所持キャラの取得を優先したほうがゲーム体験が向上する見込みが高いです。それでも当祈願を行いますか?」みたいなモーダルを出すってことだな
けっこう押し付けがましいけどゲーム理解が足らなくてネガキャンに走る人が目立つんなら仕方ない
ガチャという形で課金額の自由とキャラプール構築に裁量を与えている一方で、運営が想定している「こう遊んでほしい」思惑はけっこう濃いメーカーだからある程度は思惑を前面に出して発信すべきだと思う
運営はお利口すぎて意図を主張してこなかったから余計に誤解や不満を招いてる側面があって、まあ不満垂らすユーザーは事前にどう言っても文句言うとは思うが
それでも何かしら主張をしておくことで、作り手の思惑を汲んであげて作品自体を愛して可能な範囲で余すことなく味わおうという模範的よくばりユーザーは器用貧乏ならぬ器用リッチなムーブができて温泉に浸かるような体験を得られる一方で
思惑に反したデータベース消費型の選り好みユーザーは、そんなにキャラばかり無凸で取っても器用貧乏で何もできなくなるだろうという旧式ソシャゲで刷り込まれた恐怖を乗り越えられないため
凸餅狙いという全キャラ所持余裕なペースの課金者が酔狂で費やすようなゲーム的コスパ悪い領域に身の丈を超えて踏み込みがちで、ますます自身のゲーム体験を毀損していくエクストリーム滝行体験に直面するループに陥っていく現状に歯止めはかかるだろう
言ってしまえば旧世代のソシャゲに慣れてしまった罰ともいえるが、そういう罰を与えて挽回の悔し追い課金を刺激しなくてももうこのメーカーはやっていけるはずだ
というかそもそも、復刻を全然してくれないから悔し追い課金がしたくてもできないんだ、ある意味商売としては健全だけどサービスとしては不合格だね
戦闘とは違うが、実質胡桃の伝説任務2章を見せておきながら胡桃ガチャ来てないとか商売ヘタクソかとツッコんでた配信者は無数に見た
もしこういう、時期を逸したことを後悔させる展開を意図的にやっていて、その感情を使って課金を煽るような商売っ気は出さないけども、箱推しファン勢へと向かわせロイヤリティ醸成ひいては根気強い長期ユーザー郡を形成する為にそうしているなら何とも言えないところだけど
まあ自分は初登場時にどのキャラも確保してる古参の典型的高ロイヤリティユーザーだから公平なことは言えないが、途中参加勢に歯がゆい思いをさせすぎだろうとは思う
是正するとしたらそこだ、ソシャゲみたいな期間限定ガチャの復刻インターバル縛りをなくして、一度実装したキャラは翌verの後半くらいにはもう復刻するくらいでいい
ゲーム性の面で新キャラ依存度の高い崩壊3rdでは実際そうしてるんだし、システム一新することを予告しさえすれば受け入れられるはずだ
というか、このゲーム設計なら、過去の全キャラの中から未所持を1キャラ選んで期間限定ガチャを自作できる券をver毎に1枚配るような方が望ましいな
全キャラ所持勢はその券が使えないかわりにグッズ応募券になるとかなら面白い、それくらいすればユーザーにも強いメッセージが伝わるだろう
理想としては、格闘ゲームとかの追加キャラみたいな感じで常時購入できるラインナップに加わる感じが最善だろうけど
このへんもついでに改める余地のあるところだね、欧米圏では買い切りオプションを用意しろって声も少なくないし、やるなら石を注ぎ込んで定価から減額する感じになるんだろうか
ただの器用貧乏のよくいる人だった
正式な肩書きは「営業職」だけど、実際には何でもやらされる。商品の梱包から客先への配達、資料作成、時にはオフィスの備品補充まで。誰かが「これ、誰がやる?」って言ったら、自然とみんなの目が俺に向く。それが面倒だから、俺が「やります」って言う。これが毎日のルーティンだ。
別にそれが嫌いってわけじゃない。最初は「お前がいないと回らないよな!」とか言われるたびに嬉しかったし、やりがいも感じてた。でも最近、それがただの「便利屋」扱いだって気づいてしまった。
例えば、同僚が定時で帰っていく横で俺だけが残業してたり、誰かが「あの仕事やった?」って俺に確認してくるとき。「いや、それ俺の担当じゃないだろ?」って思っても、結局やっちゃうんだよな。断るのがめんどくさいっていうか、断った後の空気が嫌なんだ。
でも、一番堪えたのは先週の飲み会だ。
課長がビール片手に「〇〇(俺)はさ、本当、器用貧乏って感じだよな!」「みんな、あいつみたいに頑張れよ!」って笑いながら言ったんだ。その場では「ありがとうございます」としか言えなかったけど、帰り道でずっとモヤモヤしてた。
俺がいないと仕事が回らないって言われるけど、それって俺が全部抱え込んでるからじゃないのか?俺が「便利屋」でいる限り、みんな俺に頼りっぱなしで、自分たちは楽できる。俺が勝手に自分を追い込んで、勝手に消耗してるだけなんじゃないかって。
最近、少しだけ反抗してみた。雑用を振られたとき、初めて「それは担当の人に頼んでください」って言ったら、相手がすごく驚いた顔をしてた。でも、その一瞬だけだった。そのあと「わかった、じゃあお願い」って言われて、結局俺がやる羽目になった。
俺はこのままずっと「なんでも屋」として生きていくのか、それともいつか「断れる人」になれるのか。それを考えると、正直ちょっと怖い。
↑の中で手ごわいシミュレーションが完全スルーされていてカッとなって書いた。
1作品につき何人まで、みたいな縛りはとくに設けない。ただし増田はNintendo Switch以降のシリーズを遊んでいないため、それらのタイトルからは選出されていない。よって初期作品に偏っているのは容赦願いたい。近年の作品に詳しい人は自分で書いてくれ。増田もSwitch後継機で遊ぶ際の参考にさせてもらう。
また、リメイク作品(『新・暗黒竜』『Echoes』など)におけるユニット評価は選外としている。増田はスマートフォンゲーム『FEH』も微課金で遊んでいるが、こちらに実装されたユニット評価もこの10選における選評では加味していない。あくまでオリジナル作品における登場時の評価である。
なるべく未プレイの人がネタバレを踏まないように配慮したが、成長率とか専用武器に関しては多少触れている点を考慮の上で読んで欲しい。敵ユニット10選は選ぶのが難し過ぎて筆を折ったため、誰か頼む。
「ロードはこういうユニットです」「レイピアはこういう武器です」「最後にこんな専用武器を使います」を定型化した功績があまりにも大きい。
説得できる、必殺率の高い武器を所持している、踊り子系ユニットを守るといったお約束を確立したことに加え、子安系剣士というポジションも作り上げた。
初期作品においては皆大好きオグマ隊長ともクラスが差別化されておらず、ソドマス系ユニットと勇者系ユニットの個性が別れて行くのは後続の作品からの話になる。
血が重視されるユグドラル大陸においても、あまりに無法な性能を誇った風魔法「フォルセティ」を操る。
味方ユニットというよりフォルセティがおかしいのかも知れない。
サジマジバーツから続く不遇だった斧ユニットの時代を終わらせた新世代のスピード系斧ユニット。敵の攻撃に耐えて反撃で倒すのではなく避けて必殺で倒すところも革命的。
相棒のハルヴァンもなかなかの性能を誇ったが、やはり専用武器「プージ」のキルソード + 手斧と言える使い勝手のインパクトが大きかった。
GBA三部作1作目、加入する味方ユニットは全般的にそれまでの加賀ブレムに対するリスペクトを感じさせつつも、なぜか主人公の幼馴染として加入する魔王系ヒロイン。安いファイアーの魔導書で大半の敵ユニットを屠るぞ。
このキャラメイキングは好評だったのか、後続するシリーズでもサナキ様などやたら火力の高い赤魔ユニットが登場した。
GBA三部作2作目、主人公ユニットは3人登場し、剣士系ユニットかつ海外人気も高いリン、FEシリーズ王道と言えるエリウッドも捨て難いが、やはりシリーズ初のオレ様系主人公ポジションを確立したヘクトルを挙げたい。
そしてこれだけ優遇された主人公の性能があっても突破が難しい「ヘクハー」の存在よ。
GBA三部作3作目、のジェイガンポジション。何と言っても、今まで槍や斧を扱うおっさん系パラディンお助けユニットだったのが、最後まで使えるイケメン剣騎士になった。
『聖魔』からの選出は、エフラムやアメリアや優秀さんと結構迷ったが、何となくこの辺りから「成長するジェイガン」ポジが増えた気がしてゼトに。異論は認める。
ヘクトル→エフラムと続く戦闘民族系の主人公であることに加え、アイクは専用武器「ラグネル」による遠近対応、スキル「天空」で自己回復と隙の無い性能をしていた。
しかも『蒼炎』では歴代ロードに近しい顔つきだったのが、『暁』で突然ゴリラになってしまったインパクトも大きい。セネリオとの関係性とかとにかく語るところの多いユニット。
シリーズ復活作になった『覚醒』において、子世代の中心を担い、専用武器「ファルシオン」やスキル「天空」など、過去作品の要素をこれでもかと豪華欲張りセットで登場。
この辺からクラスチェンジの自由度が大幅にアップして、あまり性能で何かを語る感じではなくなってしまった気がしている。
FEシリーズとしては踊り子系ユニットから誰か1人は選ばないとね、と色々考えたらアクアが残ってしまった。こいつの力おかしいって。
説得役として重要だと思うけどペガサス三姉妹と役割被るよなぁと考えて選外。
シリーズお約束として登場する赤緑騎士ポジションだし重要ではある。
ペガサス三姉妹の概念を確立した重要性は言うまでもないが、誰を選ぶか問題に結論を出せなかった。増田はカチュア派だが絶対割れるでしょ。
こいつ本人も強すぎるし子世代は平民でもかなり強すぎる。ソドマス系ユニットは選ぶと多すぎるから選外。
器用貧乏万能ユニットだったマスターナイトから追い剥ぎ団のリーダーへ落ちぶれた主人公ユニットというインパクトは大きい。が一旦ここはセティを選出した。
ショタ系マージとして間違いなく優秀であるがセティ(フォルセティ)の壁が厚すぎる。
杖ゲーだった『トラキア』の中でも最重要ユニットだが杖ゲーブレムというバランスが後にも先にも特殊すぎる。
10選に弓ユニットを入れられなかったのだが1人選ぶとしたら増田はこの子。
烈火で再登場したインパクトは凄いのだが、ソドマス系ユニットばっかりになってしまうから泣く泣く削った。
踊り子系ユニットとマムクートのハイブリッドなのでユニークではある。
ぶっとばして差し上げます系ヒロイン。暁の2部終章は名マップ。
ハールの動く城はインパクトが強かった。が、あまり似た性能のユニットは後続シリーズに登場しなかったかなぁ。
ラグズ王族から1名入れるならこのユニットか? と思いつつ、参戦期間が短いのよ。
発売前はまるで主人公格の扱いだったのに性能的にも空気だった盗賊ユニット。
『覚醒』はFEシリーズの様々な要素を復活させた重要作で、『外伝』以来の村人ユニット。が、先駆者としては『聖魔』にアメリアなど超成長率の新人系ユニットが居るため選外とした。
きょうだいユニットは全員そつなく強いがこの人は別格。ただ広義のソドマス系ユニットと思うため選外に。
『外伝』リメイク『Echoes』で主人公アルムに突然生えてきたヤンデレ幼馴染ユニット。何それこわい。性能的に他の村人系ユニットほど尖っていた訳ではないが、フリーレンとかアーニャで後年注目を浴びる人が中の人だったと知った。