はてなキーワード: 受験英語とは
自分の過去を振り返ると、完璧に話せるみたいな域にはほど遠いが、とりあえず受験英語で損しないレベルまでは勉強してきたつもりだ
他の科目に比べればそんなに苦痛でもなかった
あと、いろいろとアレなことを調べるのにも、日本語オンリーよりも英語圏のサイトを当たれる方が確実に強かった
高校の先生も「英語のエロ小説が読めるぞ」みたいなこと言ってたし
そうやって英語を覚えるごとに己の内なる世界が広がっていくのを実感できたわけ
当時もエキサイト翻訳なんかはあったけど、お粗末すぎてネットで笑いのネタになるぐらいだったしな
それが今どうだよ
界隈のスラングや変な略語みたいなのはさすがに無理だけど、あとは問題なく訳してくれる
そういう時代に生まれていたら、わざわざ勉強する気になるだろうか
仕事で使うとか研究に必要とか、そういう連中はいいんだよ、いつの時代も勝手にやるから
でも留学とか考えるほど実家が太くもない、その辺のガキンチョに英語学習のモチベーション持たすの、もう無理なんじゃないか
古文みたいなもんだよ
参考までに、うちには、2人の子供がいる。
長男は優しい。
めちゃくちゃに優しい。
いつも楽しそうにニコニコキャッキャしてる。
長男は、「したい」、「ほしい」、「食べたい」、という要求が満たされるかどうかしか興味がない。
したいことをするまでは絶対に引かないし、欲しいものを買って貰うまで粘り強くごねるし、食べたいものはずっと主張しつづける。
それを拒絶されても、それを理由に人を恨むことはしない。
何時間もかけて組み立てた玩具を次男に壊されても、もう一度組み上げようとするだけで、次男に怒りをぶつけたりしない。
と泣きじゃくっていたけれど、消えてしまったことを理解したら、プイっと切り替えてまた最初から始めた。
過ぎたことは過ぎたこととして受け止めて、恨みがヒトに向くことはない。
長男は次男に理由なく殴られたり、蹴られたりするのだけど、それでも別に怒らない。
自分の価値観が全て、自分の都合が全てで、パパやママの呼びかけには答えない。
次男も自閉症なので呼びかけに鈍いが、大声で叫べば流石に気づく。
都合がいい言葉(イオン行くよ!のような)は反応するので、聞こえてないわけではない。
一方で、長男は面白いものをみつけると、楽しくなると、パパやママ、弟を巻き込もうとする。
他人の興味関心を全く共感しないのに、自分の興味関心、楽しいと思うことは他人もそうと信じて疑わない。
3~4歳の頃は大変だった。
なにが大変かと言えば、その当時の彼は、一度決めたことは絶対にやり遂げる鉄の意思だった。
上で書いた
これの頂点が3~4歳のときだった。
散歩に行くと決めたら、どんな気温でも、弟が頭から血をだしていても、絶対にあきらめない。
今だったら、準備してからとか、少し気温が下がってからとか、弟をどうにかしてからとか、そのくらいの聞く耳があるけれど、3~4歳のときは、協調性ゼロ。
行くと決めたら、1人でだって出かける気満々で、私か妻のどちらかが羽交い絞めで取り押さえてる間に、もう一人が準備して、散歩に出発、という具合。
玩具が欲しいときは何時間でも粘られたし、ママじゃないと歯を磨かせてくれなかった。
長男はかなり遅かった。
もうすぐ7歳になるが、会話能力は2歳児以下だ。
長男の言語発達は、一言で言えば、受験英語の勉強っぽい学習をしてる。
「あつい、つめたい」
「はやい、おそい」
「ながい、みじかい」
と対義語を言い続けたり、色の名前や惑星の名前を列挙し続けた。
単語レベルでは英語も日本語もだいぶわかっていたようだけど、それでも喋りださなかった。
単語を知ってるのと英作文ができるのは違うのと似てると思った。
英会話も英作文も、とにかく挑戦し続けることが大事で、単語や文法をいくら覚えてもやらないとできないでしょ?
定型児は、
「みんながやってるからそれを真似る。」
という思考だから、言葉もとりあえず挑戦する。だから喋れるようになる。
自閉の長男は、
という発想。
喋れるようになるまで喋らないつもりだから、いつまでたっても喋れない。
私は今、楽しく生の英語を学びたくて、主言語が英語の人たちに混ざって某ゲームをやっている。
イディオムやスラングは理解できなかったり解釈を間違えてしまうことがあり、受験英語で聞いたことのない単語は単純に意味を知らず、という苦労があるから、アクティブに喋ることはできないけど、時間があるときにはちゃんと彼らに混ざって話したりもする。
私の所属するチームはアメリカ人がほとんど。アジア圏は数人で、ヨーロッパ系は大きめの国出身者が数人ずつ。
人数は多いチームだけど、時差があるから全員同じ時間帯にオンラインになることは少なく、話すときはせいぜい5、6人だ。
昨日の深夜、その中の一人が急に変なことを言い始めた。
彼は皆がアイテムの話をしている中割って入り、チームのリーダーを呼んだ。
「今まで俺が集めたアイテムを君に託すよ」と。
彼はロシア人だった。私のチームでは唯一の。
ロシア人がどれほど英語に長けているのかは知らないが、私と同じ仮定とするのなら、理解やアウトプットに時間がかかるからだろう。
私は彼の発言を聞き、最初はまた自分が英語の翻訳を間違えたか?と思って見守っていた。自分で時間を割いて集めたアイテムを全て人に託すなんて、考えられないからだ。
みんながあなたのアイテムをもらえるの!?俺にも分けて!と冗談っぽく返す中で彼はこう続けた。
そこでみんな状況を察したようだった。
でも、しんみりする空気はなく、いつ戻ってくる?あなたのアカウントがなくならないように保護しておくよ、と返した。アメリカ人の彼らからすれば、親や自分、周りが軍人だったり派遣されて帰って来られるのを見てきたからこその反応なのかもしれない。
彼はなかなか発言をしなかった。
また戻ってくるんだよね?と再度みんなが聞く。
私はもう言葉がなくなってしまって、画面のこちら側で息を呑むしかなかった。
今までの彼らとの会話でも、昔軍にいたとか、そちらの軍には守ってもらったとか、親が軍人でベースで産まれたとか、聞くことはあった。
でも、どこか遠い国の出来事として捉えていたんだろう。
顔を知らないとはいえ、昨日まで話していた人が戦地に行くことになるなんて、私は想像もしていなかった。いや、想像できていなかった、と言うべきかな。
アメリカ人たちは事の重大さを知り、口々に声をかけてあげた。
無事を祈ってる。あなたの気持ち分かるよ。またすぐに話そうね。
「俺もそれを望んでいるよ」
彼は最後に笑って言った。
ロシア人の彼もそうだけど、アメリカ人にとっても戦争は日常と隣り合わせで行われていること。私だって知っていたはずなのに、実際は全然知らなかったことを思い知らされた出来事だった。
今も書いているだけで涙が出てくる。
なんか逆に捻じ曲げられてるが日本語の参考書は日本人が論文や文学を読むのに特化してるのでそれやればできると言ってた人にそれはおかしいって話だぞ
Grammar In UseにはCEFRでAからCのバージョンまであるし無印は早稲田の受験英語より上のやつで新聞くらいは大体読めるレベル向けだからまるでおかしいよ
全く違う。
現代の英語教育は、英文学を原文で読むことなどを到達目標としていない。
一昔前の受験英語ならともかく、現代の英語教育で難解な文学や評論が題材とされることはまず無い。
高校生が到達すべき目標を設定して、「この程度の単語や文法が分かれば、このくらいの文章が読める」という分析をきちんと行っている。
一方、古典の教科書には「桐壺(源氏物語)」とか「鴻門之会(史記)」などが掲載されている。
それを読むための必要事項はほとんど解説されないし、それを頑張って読解しても何の役にも立たない。
平安時代の古文常識は江戸時代の古文を読むときには何の役にも立たないし、時代が異なれば使われる語彙も大きく異なる。漢文の場合はさらにひどく、ある作品で出てきた難熟語を覚えてもそれが他の作品の読解に役立つ局面はほとんど無い。