はてなキーワード: 習得とは
テクノロジーが社会構造を再編する現代において、人間の知性や専門性のあり方は根源的な問いに直面している。その問いに強烈な一石を投じたのが、東京大学の小川光教授が学内広報誌『淡青評論』で紹介した一件である。これは、制度や組織が適応するよりも速く未来が到来しつつあることを示す、稀有で明瞭なシグナルと言えるだろう。経済学の素養をほとんど持たない修士課程の学生が、生成AIとの対話のみを駆使し、わずか1年で「トップレベルの学術誌に挑戦できる水準」の論文を書き上げたのだ。これは単なる技術的な成功事例ではない。長年の訓練を経て築かれる専門知識の価値、研究者の役割、そして「知性」そのものの定義を根底から揺るがす、まさにパラダイムシフトを象徴する出来事である。
この小川教授の寄稿は、社会に大きな波紋を広げた。インターネット上では瞬く間に注目を集め、「はてなブックマーク」では469ユーザーがブックマークし、102件のコメントが寄せられるなど、白熱した議論を巻き起こした。本稿では、この一件を現代社会の変容を映す縮図として捉え、専門家が感じた「恐怖」の本質と、社会に広がる期待と懸念を分析する。そして、この出来事が象徴する、新たな世代の登場について考察を進めていく。彼らこそ、これからの時代を定義する「AIネイティブ」なのである。
本セクションでは、話題の学生が象徴する「AIネイティブ」という新しい世代を分析する。彼らは、AIを単なる補助ツールとしてではなく、思考や研究の方法論の中核に据えるという点で、旧来の世代とは一線を画す。その登場は、単なるツールの変化ではなく、知識を獲得し、体系化するプロセスそのものの革命を意味している。
この学生が実践した研究プロセスは、AIが方法論の根幹を成していた点で画期的であった。具体的には、以下の全工程をAIとの対話を通じて進めている。
このアプローチの革新性は、旧来の知識探索モデルとの対比によって鮮明になる。東京大学大学院情報理工学系研究科の山崎俊彦教授は、この新しい思考様式を「辞書の逆引き」という比喩で巧みに説明した。従来の検索エンジンは、ユーザーがキーワードを知っていることを前提とした「辞書の順引き」であり、既知の情報を効率的に探す行為だった。対してAIネイティブは、「やりたいこと」を自然言語でAIに問いかけることで、未知の領域を探求するためのキーワードや手法を引き出す「辞書の逆引き」を実践する。これは、人間と知識の相互作用における、根本的なパラダイムシフトである。
はてなブックマークのコメントは、この新しい学習様式がもたらす生産性の飛躍に対する社会的な期待を反映している。あるユーザーは、AIの活用により「人に教えてもらうのと同等のパフォーマンスが低コストで得られる」ため「習得速度が爆速に」なると指摘。また、これは単にAIに作業を丸投げするような話ではなく、「AIの力を借りて巨人の肩の高さを重ねる話」であり、人類の知の発展を加速させるものだという肯定的な見解も示された。
この爆発的な進歩の可能性は否定できない。しかし、それは同時に既存の専門家たちに、長く暗い影を落とし、不穏な新しい現実を突きつけている。
AIがもたらす希望の光の裏側には、深刻な懸念も存在する。特に、既存の専門家が感じる脅威と、AIの活用能力によって生じる新たな社会的格差のリスクは、真正面から向き合うべき構造的な課題である。
この問題の核心は、小川教授が吐露した率直な感情に表れている。経済学の訓練を受けていない学生がこれほどの成果を出したことに対し、教授は「心底たまげました」「このようなAIネイティブの若い人たちがこれからどんどん出てくることにちょっとした恐怖さえ感じました」と記した。この「恐怖」は、単に自らの職が奪われるという不安に留まらない。それは、長年の地道な研究と訓練を経て初めて到達できると信じられてきた専門性の価値そのものが、根底から覆されることへの動揺なのである。
はてなブックマークのコメント欄では、この現象を的確に捉える「レバレッジ」というキーワードが頻出した。「若く優秀な人がAIでレバレッジかけるととてつもない差になるんだろうね」「頭のいい人はAIでより賢くなる」といったコメントが示すように、AIは元々高い能力を持つ個人のアウトプットを飛躍的に増幅させる強力なツールとして機能する。
しかし、このレバレッジ効果は単なる個人の生産性向上に留まらず、社会構造を再編する力を持つ。yumanaka氏は、「地頭のいい人がAIを使いこなして圧倒的なアウトプットを出して、そうじゃない人の仕事を奪っていくんだろうな。こわい」と、その負の側面を鋭く指摘した。これは、AIが能力格差を埋めるどころか、むしろそれを爆発的に拡大させる触媒となり得ることを示唆している。このままでは、AI活用能力に長けた新たな「認知階級」が生まれ、高価値な仕事を独占し、社会の流動性を著しく低下させる未来さえ予見される。
このようにAIが生み出す成果の質と量が飛躍的に増大する中で、私たちはより本質的な問いに直面する。それは、その膨大な成果の「正しさ」を、一体誰が判断するのかという問題である。
AI技術の目覚ましい進展は、逆説的に「人間による最終的な評価と責任」の重要性をかつてないほど浮き彫りにした。本稿の中心的な論点はここにあり、その核心は、他ならぬ論文を作成した学生自身の行動によって最も明確に示されている。
彼が専門家である小川教授に助言を求めた最大の理由。それは、「自身には経済学の素養がないため、その評価が正しいのかわからない」という切実な懸念だった。AIは「国際誌に通用する水準」という評価を下したものの、その正当性を自力で検証する術を持たなかったのである。
この学生の懸念は、専門家による評価の不可欠性を示すものであり、はてなブックマークのコメント欄でも多くの共感を呼んだ。
評価の困難さ: 「生成AIを使いこなせば90点の論文が作れるが、90点かは評価・保証できない。」
専門知識の必要性: 「自分が知見の無い分野でのAIの判断が正しいかどうかをどうやって確かめるとよいのか。←ここが一番難しいし、専門知識が必要なところ」
懐疑的知性の重要性: 「循環参照やらハルシネーションやらを起こした文章を何も考えずにWikipediaに貼り付けるような人物もいるわけで、やっぱ懐疑的な知性と査読は大事なわけです。」
そして、この問題を鮮やかな比喩で捉えたのがobotzcanai氏のコメントだ。「巨人の肩に乗れたところで遠くに見えた島々の価値がわからなければ意味はない」。AIによって得られた広大な視野も、その価値を判断する専門的な知見がなければ無意味なのである。
さらに、この議論は「責任」の所在という、より深刻な領域へと深化する。e_denker氏は、「人間に残された最後の仕事は『責任を取ること』になるという話があるが、まさにそれを裏付けるような一件だと思う」と指摘した。この点をさらに鋭く突いたのが、phillies_rocks氏の「内面化できない成果物を作っても誰も責任を持てない」というコメントだ。AIが生成した成果に対して、その利用者は最終的な責任を負わねばならない。もしAIが設計した橋が崩落した場合、その責任は誰にあるのか。利用者か、開発者か、それともAI自身か。これは、AI時代の新たな倫理的・法的枠組みの構築が急務であることを示している。
この議論は、AI時代における専門家の役割がどのように再定義されるべきかという、未来に向けた重要な問いへと私たちを導く。
東京大学で起きた一件は、AIネイティブの登場が専門家の時代の終わりを告げるのではなく、その役割と価値を根本から進化させる契機であることを示している。AIが圧倒的な情報生成能力と実行力を手に入れた今、人間に、そして専門家に求められる能力は、もはや知識の生成や統合そのものではなくなった。
これからの時代に求められる専門家の資質は、以下の三つの能力に集約されるだろう。
未来の知のフロンティアは、AIネイティブがもたらす爆発的な「実行力」と、長年の経験と深い洞察力を持つ専門家の「検証力」および「責任能力」が融合する場所に開かれる。AIを恐れるのではなく、新たなパートナーとして迎え入れ、人間ならではの価値を磨き上げること。それこそが、私たちがこれから歩むべき道なのである。
統一化された帳票フレームワークをOSS化することには、非常に大きな価値があります。
初期導入コストの削減: 企業は高価な商用帳票ツールのライセンス費用を支払う必要がなくなります。特に中小企業やスタートアップにとって、これは大きなメリットです。
ベンダーロックインの回避: 特定の商用製品に依存することがなくなり、将来的な仕様変更やサポート終了のリスクを避けられます。自由にコードを修正・改善できるため、自社のニーズに完全に合致させることが可能です。
日本の商習慣への最適化: OSS化することで、多くの開発者が日本の複雑な商習慣(消費税計算、源泉徴収、独特なレイアウトなど)に対応するためのコードやノウハウを持ち寄り、フレームワークを改善できます。これにより、最も実用的な「デファクトスタンダード」に近い帳票作成基盤が生まれる可能性があります。
開発速度の向上 共通のフレームワークが浸透すれば、プロジェクトが変わっても同じ仕組みで帳票を開発・保守できるため、新規開発の立ち上げ速度が向上し、開発者間での技術の習得コストが下がります。
透明性と信頼性の向上: ソースコードが公開されるため、帳票のロジック(特に金額計算や税務処理)の透明性が確保され、信頼性が高まります。
多様な環境への対応: 商用製品がサポートしないような最新の技術スタックやニッチなOSにも、コミュニティの貢献によって迅速に対応できるようになります。
コミュニティによる継続的な改善: 一つのベンダーに依存せず、世界中・日本中の開発者がバグ修正や機能追加を行うため、品質が維持・向上し、プロジェクトの持続可能性が高まります。
OSS化は、単なる「無料化」ではなく、日本のビジネスにとって不可欠な「帳票作成」という共通課題に対する知恵とリソースの「共同投資」であり、社会全体での開発効率向上に寄与するという点で、非常に価値があります。
岩波文庫発の海外の古典の訳書を読むことの馬鹿さ加減を岩波文庫を読んでインテリを自負している人が理解してないのはなぜなのか?
横着しないでちょっと腰を据えて原語を学んで原典読む方がはるかに確実でわかりやすいのは知っているだろう?
英語を学んでれば印欧諸語なら芋づる式で英語を習得した時よりは短期間で習得していくことができるのも知っているだろう?
dorawiiより
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親父の話だ。
68歳。会社員だった時は、営業成績も良かったし、周りからの評判も悪くなかった。頭が悪い人ではないと思う。
なのに。
電子レンジの温め時間の設定がわからない。ATMで出金する方法を家族に聞く。スマホは母に操作させる。
その度に思うんだけど、なぜこの人は自分は馬鹿って気づかないんだろう?
若い人なら、こういう状況に陥ったら、確実に自分の知能を疑うと思う。
でも親父は違う。
「面倒くさい」とか「誰かに聞いた方が早い」とか言ってるだけで、自分が劣ってるとは思わない。
なぜなんだ。
最近気づいたんだけど、これって知能の問題じゃなくて慣習の問題なんじゃないか。
親父は、昭和の日本で、必要な知識は全部身に付けた。銀行の窓口で定期預金を作る。新聞を読む。テレビを操作する。ラジオを聞く。
でも、時代が変わった。
電子レンジ、ATM、スマホなんて使えて当たり前。それが常識だ。
でも、本当はそうじゃなくて、単に必要な情報をアップデートしてないだけなんだ。
逆に言えば、若い人だって、親父の時代の常識に放り込まれたら、全然対応できない。
銀行の窓口で定期預金を作ってみろ。新聞を読んで時事を理解しろ。ラジオの周波数を合わせろ。
できない人、多いと思う。
でも、若い人がそれができないからって、知能が低いとは思われない。
つまり、知能の差じゃなくて、どの時代にどの情報を習得したか?の差なんだ。
ここまで考えた時に、ふと気づいた。
親父が「自分は知能が低いのではないか」と疑わないのは、ある意味で健全なのかもしれない。
それなのに自分は頭が悪いんだと思い込んだら、その方が問題じゃないか。
逆に、若い人がATMの使い方がわかってることを自分は知能が高いと思うのは、実は大きな勘違いなんだ。
昨日、親父とこの話をしてみた。
親父は「別に、理解する必要がないじゃないか。誰かに聞けばいい」と言った。
その時、初めて理解した。
親父は知能が低いと思わないのじゃなくて、技術を習得することが重要だとそもそも思ってないんだ。
だから、その分野で劣ってることに、罪悪感すら感じない。
野球の世界では、知識がない人でも、他のスポーツの知識がないからって自分を責めない。
それと同じ感覚なんだ。
みたいな感じで、単純に役割分担だと思ってるのかもしれない。
そう考えると、親父の何も疑わない態度は、ある意味で強みなのかもしれない。
疲れやすい。
先週も母が「父さんは何も気にしないから気楽だろう」と言ってた。
実際、親父を見てると、そんな感じがする。
できないことに、悔しさがない。
ただ、ある種の諦念がある。
「これは自分の分野じゃない」という。
でも、それが本人にとって問題じゃなければ、それでいいのかもしれない。
知能の高さと低さを判定する基準って、現在必要とされてる知識に依存してるんだ。
だから、社会が大きく変わると、それまで「頭いい」と思われてた人が「頭悪い」と見なされる。
逆も然り。
親父は、昭和では「頭いい」人だった。
今は「頭が悪い」と見なされる場面が増えた。
でも、本人の知能は変わってない。
その事実に気づかずに「なぜこの人は自分が知能が低いと思わないのか」と疑問に思ってた自分が、実は何か大事なことを見落としてたんだと思う。
多分、20年後、今の若い人が「なぜ俺は新しいAIの使い方がわからないんだ。知能が低いのか」と悩むようになるんだと思う。
いや、わかるべきだ。
なんていうのを何かの本で読んだけど、確かに「アートとそうでないものの境界線」があるとすると、作品を見た時に考えるべき物事のレイヤー数が多いか少ないかという感じがある
どんなに素敵な絵でも、考えるべき奥行きが無ければアートにならない
逆に言えば、その辺にある既製品でも、作者が少し工夫をしてそれらを付与できればアートになり得る
その理屈を学び、自分なりの理屈をつけて他人を納得させる(騙す)ことができる技術が、現在のアートという意地悪な見方もできる
そして、鑑賞者にもその奥行きを見抜くための知識と技術の習得が求められるという点で、現代アートの鑑賞は知的なクイズ(一定の知識がないと分からないクソゲー)になり得る
いい年した大人がTPOも顧みずに子どものように振る舞い、周りはその様子を持て囃す。界隈が同族ばかりで集まるせいで自浄作用が働かない。
普通の人は遅くても中学生でその段階を経て大人になってるのに、子どものようにずっと同じような言葉遣いと行動を繰り返してる。
発達障害は普通の人の10年遅れで人生歩んでるって言葉をみたことがあるけど、この界隈の人は15年遅れてる人も少なくないように見える。普通の人が10歳のときにやっていることを25歳になってもやっている。
他のエンジニアは基本的に大学や大学院で基礎理論を学んでからエンジニアに就職するが、ITエンジニアは未経験から人をかき集めた経緯から理論や倫理を軽視して実働能力だけしか見ない。
エンジニアにとって倫理が大切なのは技術士の資格要件からも明らかだけど、資格自体を軽視しているから理解できない。
大人としての振る舞いから逃げ、基礎や道徳を疎かにするが、SNSでは人一倍大騒ぎする。
「エンジニア」という単語は我々のためにあると言わんばかりの態度をするくらいなら、他の「エンジニア」が真っ当に習得している礼儀や基礎を身に着けてからにしてほしい。
小1からひきこもりでニートもやって累計20年くらいひきこもってたけど正社員で働いている。
社会に出るにあたって、個人的にこれはやってよかった、やめてよかった、と思うことをまとめた。
■やってよかったこと
・もしとりこぼしがあれば義務教育の範囲の勉強(就職試験にでてきたり、生活、雑談、趣味の基礎になる)
・くもんの小学生向けの敬語ドリル(よっぽど堅苦しいとこじゃなければ仕事で使う敬語はこれで事足りる)
勉強したい時はひとつの科目につき1日2ページとかでも全然いい。一年あれば大抵一冊終わる。
テキスト(参考書)はじっくりやって、資格とか取る時は勉強した範囲だけ問題集で復習、試験近くなったら問題集丸ごとやって追い込み!
■役に立った系統の本
・仕事を早く終わらせる系の本
・就職四季報(入りたい職場が載ってる場合、出てくる入社試験の種類が書いてある。対策しよう)
・履歴書の書き方の本
■仕事
経済的自立を目指すならライフワークバランスみたいなのはとりあえず考えなくてもいい思う
そういうのはちゃんと計画的に育てられた人かそういう風にやっていた人が考えることであって、それ以外なら仕事中心に生きるならギリギリ身体と心を壊さないくらいの仕事でいい。
たまにちょっと無理して友達と会ったりデートしたりそんな感じ。
もちろん選べるなら仕事もプライベートにも余裕のある働きやすい仕事の方がいいに越したことはない。……選べる?
大卒以外で入れるとこって、「責任重いし大変そうだし拘束時間長いし休みも少ない……」ってとこ除外しちゃうと生活できるお金手に入らない場合がある。
土日祝休み、お金も稼げて楽できてプライベート時間たっぷり……みたいな生活夢見ちゃうとできなかった時苦しくなるかもしれない。
お金稼げてキツイ仕事か、楽だけど生活や食べ物にちょっとだけ困るみたいな仕事かどっちかって考えると選択肢が増える。
個人的にそれでいいと思う。
だってそもそもひきこもりだったんだから理想の人生なんてなくて当たり前。
・前提
大多数の人間は他人を深く考えないし思い込み激しいし自己中心的なので「理解して欲しい」はダメ、そして厄介なことに「察しない」も大罪である。
大抵の人はネットスラングとしてのアスペくらい話が通じないし、ネットスラングとしての統失くらい妄想で周りを決めつける。そしてネットスラングとしてのメンヘラくらいめんどくさくて自己中だ。
ネットの優しい世界とかはなく、どんな身体的・精神的の疾患、性格や容姿のコンプレックス、変わった趣味趣向も差別されると考えた方がいい。
自分と気が合う人はそんな人の中に僅かに紛れ込んでいる……。そんな人はオアシスのごとく貴重なのである。
・優しい、真面目は美徳ではない。
意地悪しろとか怠け者になれと言ってる訳では無い。
優しい、真面目は表に出して褒めてもらうためのものじゃない。自分の利益のために利用するべきである。
能力が身についていない段階で優しさや真面目さを表に出すとどうなるか諸君なら痛いほどわかるはずだ。
そう舐められる。
「要所要所で優しいフリ、真面目なフリをしているずる賢い人間」の「フリ」をすればいい。
・とりあえず真顔、無口、は望まない敵を作る。
どのくらい激しいかといえば無表情=犯罪者 って思われるくらい思い込み激しい。
笑顔で挨拶!ことある事にしつこくならない程度にその辺の人に話しかける!
知り合って日が浅いうちは微妙な空気になることがあるが無表情で犯罪者扱いされるよりはマシである。そのうち向こうも笑顔で話しかけてくれるようになる。
無駄話などくだらない……みたいにやってると普通に排除するべき敵認定される。
人間って仲間じゃない=好きでも嫌いでもないじゃなくて、敵になっちゃうんだよね。
・見た目は親しみやすさと清潔感重視。芸能人やインフルエンサーを目指すな
変に着飾ると中身はどうあれ気取ってるとか金遣い荒らそうとか性格悪そうとか面倒くさそうな人と思われるのだ。
オシャレさん同士でのマウント合戦やこのレベルに毎日できなければ恋人辞めるとかみたいな鬼畜な異性が好きならいいと思うけど結構しんどい。
漫画のキャラとおんなじで、親しみやすさがないと好かれないし、漫画と違って魅力的に見せようとしたり個性を出そうとしたりすると仲間ができない。
■まとめ
空気読め
嫌われると分かりきってるところは表に出すな
さもなければ敵として排除される
LINEオープンチャット「はてなブックマーカー」の1週間分の要約を、さらにAIを使用し、試験的にまとめまています。
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この1週間は、**AIと人間社会の関係性を中心テーマとして、多方面の話題が「技術の急激な進化に人間はどう適応するのか」という問いに収束している**のが特徴的だった。AIは投資・ギャンブル予測から日常の雑談生成まで影響を及ぼし、その便利さと不安が共存している。
同時に、**生活実感(寒さ、子育て、健康不安、ペット)**といった「人間の身体性と感情」に根ざした話題が強く現れ、テクノロジーと人間の温度差が浮き彫りとなった。
食・趣味・ユーモアによる緩和的な会話が全体を支え、「情報社会の混沌を笑いながら受け入れる知恵」がコミュニティ全体に見られた週であった。
https://anond.hatelabo.jp/20240722084249
発売当時からネットでは非常に不評に見えた本作だが、実際には売上200万本以上とリメイクDQ作品としては史上最高となったHD2D版DQ3
不満点として良く上げられた部分を中心になぜそうなったのかを改めて考え、1・2に備えようではないか
実際遅かった。アップデートで修正が入り速度が上がったので良しとする。おそらく2の船はアプデ後の3と同じ仕様であろう
物理一辺倒の戦士や武闘家の使い道が皆無な一方で、固定ダメージ持ちの魔物使いや商人が大活躍となった
さらに攻撃力850が頭打ちで、850に近づくほどダメージが伸びにくくなるという仕様も良くなかった
アップデートでダメージが底上げされたうえに、勇者や武闘家の会心率が上昇して十分な火力が出るように
攻撃力も999までちゃんと影響するようになった(とはいえ上がれば上がるほどダメージの伸びは悪いが)
恐らく物理特技しか覚えないであろうローレシア王子の未来が不安であったが、確認される映像等を見ても十分なダメージを出すことが出来そうだ
なおダメージ計算式については詳細を省くが、同じHD2D作品であるオクトパストラベラーと似たような計算式が用いられている
これに限らずオクトラと似ているシステムは多いので都度紹介していく(HD2DDQ3の微妙なシステム周りは大体オクトラをはじめとするHD2D作品群のせいという話でもある)
しかもアプデ前は制限行動(同じグループのモンスターが1ターン内に同じ特技を使用しないように制限するもの)の設定がほとんどなく、強い攻撃でバンバン殺されていた
アプデで敵の行動回数や制限行動が追加、かなり戦いやすくなっている
ただしやられる前にやれという風潮は変わらずで、このあたりはDQ9あたりから見られ始める傾向(ただし9はクリア後からで序盤は普通)
因みにオクトラは序盤からやられる前にやれというゲームであるので、その考えで敵が強い可能性は高い(が向こうと異なり全体回復が弱いのでバランス調整がね)
なんならオクトラはダッシュ時にエンカ率が上がる仕様があるので、それがないだけマシである
こういうところだよスクエニ
これは世の中のほとんどのゲームがそうなので、DQ3が特段遅いというわけではない
DQシリーズだけでも8や9のほうがはるかに遅いし、アトリエやペルソナなんかも遅い作品はめちゃくちゃ遅い。アクションでないJRPG全般に言えること
昨今のゲームではよくある仕様で、ドラクエでも3DS版DQ8から実装されている
老害対策で1・2では選べるようになったようだ、スクエニも大変である
マジで分からないが、1・2では状態を見れるようになるらしいのでOK
ちいさなメダルやはぐれモンスターなどを、どこで手に入れたのかが分からなくなる
はぐれモンスターはまだ保護済みのモンスターと特技で多少はどうにかなるが、メダルの方はどうしようもない
がしかしこれは昔からそうなので、1個ずつ地道に探すしかないだろう
いずれも裏ダンジョンで要求されることが難点だったと思われるが、アプデで緩和された
特にメダルは完全に不要になったのだが、正直やり込みに対するご褒美だと思っていたので個人的にはメダルの部分だけ前のままが良かったと思っている
余談だがマリオカートワールドでは、フリープレイで達成済みの者がマップ上のどこか表示されるようになったが、正直多すぎて結局よく分からない
ポケモンZAでは取得済みのねじの場所を確認する方法がないが、全取得は完全にやり込みになっており、通常プレイの範疇で取得できる量で全ての恩恵を得られる
結局は完全にやりこみなのだから各々で頑張れということではある
イージーモードは絶対にHPが0にならなくなるという超極端な仕様
だがそのモードに設定しなければ良いだけなので、文句を言うのはお門違いな気がする
ハードモードは敵が強い上に報酬が減るので、ただ単にプレイ時間がかさむ
モード自体はプレイ中に任意のタイミングで変えられるので、ボス戦だけハードモードにするが正解か
いずれにせよゲームの設定として自由が利くのであれば、それに文句を言うなら設定するなというだけな気がする
通常モードの時点でそこそこ難易度が高いのは事実だが、アプデでかなりマシになったので遊びやすくなっている
ルーラのMPはDQ6から1でDQ9から0、ダンジョン内ルーラはDQ11から可能
流石にそういう時代なんだと割り切るしかない、これにMP管理ガーは老害認定されてしまう
なんなら多くのゲームのファストトラベルは、MP消費どころかなんもなしにできる
特にボスを中心に、敵に状態異常をかけても短いターンで解除される仕様が存在する
そのため敵に状態異常をかけるのがあまりにも悪手で、ほとんどやる価値がない
なお敵に対する状態異常は1・2の映像を見る限り、1ターンで解けるなんてことはないように見えるがふたを開けてみてのお楽しみだ
敵の状態異常使用頻度が高いのは制限行動にされていなかったのも大きい
アプデで制限行動が追加された結果、使用頻度はかなり減ったように感じる
それでも敵からの状態異常が強い上に、耐性装備が意味をなさないのは良くない
あまつさえ序盤から確定眠りを押し付けてくるのはいかがなものか(マミーズアイ、君のことだよ)
オンラインゲーでもないのにナーフされるのって中々なことですよ
まあ全体的にやばいが、正直クリア後のやりこみだしぶっちゃけた話どうでもいいと思うユーザーが大半ではある
武器限定はちょっとおもしろいが、1分ぐらい考えれば微妙なことに気が付くはずである
しかも武器アイコンが全部剣マークなので、どれがブーメランでどれが斧でなのかはパッと見分かりづらい、結論微妙
パンドラボックスに至ってはあほすぎる、公式攻略本でもバシルーラで飛ばせと書かれている始末
ちいさなメダルと魔物集めは、先述したように集めた場所が分からない点を除けばやりこみに対するご褒美になっているので非常に良いと思う
このアイテム持ってきて君はマジでいらない。正直これが一番お使いすぎてつまらないゴミ
これはDQ9でもそうであったが、DQ10では非表示機能が追加されている
10でできたことがなぜできないのか、スクエニ内での連携はどうなっているのか
幸い1・2は一人当たりの特技や呪文の数が3よりも確実に少ないと思うので、探す時間は減らすことが出来そうだ
ななめグラフィックがない、戦闘中に味方キャラクターが動かないなどが多いか
ななめは1・2では実装されるようである(オクトラはななめなし)
開発会社が変わった影響なのか何なのか
どちらにせよ我々消費者からしたらそんな事情は知ったこっちゃないので、まあ文句は出るよね
これはダッシュにも通じる話で、このせいで常時ダッシュが必須と言っても過言ではない
改めて初報の映像を見るとマップは狭いが、若干チープに感じるので広い方が良かったのかもしれない
ダンジョン内は初報だとオクトラのような作りになっていて完全に別物、ドラクエらしさはあまりない
しのびあし前提すぎる調整、バカ
その通りだが眠りが通ると知らなければボスに使うことは滅多にないので、通常プレイではあまり影響がないか
むしろ2周目以降は楽に周回できるので助かる仕様ととらえることもできる(とはいえほぼ全員に通るのはどうなの)
アプデで同じ状態異常に連続でかかりにくくなる仕様が追加され、眠りハメゲーではなくなった
キラキラを多く配置しすぎたせいか、時期不相応なものが要所に出てくる
ラーミア入手後に高台まで行ってやくそうは何なのか、最初からそんな高台を作るなと言いたい
逆にいいものが手に入りすぎることも多く、武器防具はキラキラからの入手でほぼ事足りるし宝箱も合わせれば十分
個人的にはオクトラの盗むと似たものを感じた(時期不相応に強いものも弱いものも手に入る)
戦士は37レベルでようやくつるぎのまいというまともな物理特技を習得、43で五月雨剣、48で渾身斬り
武闘家は34でまわしげり(ムーンサルトの完全劣化)、38でばくれつけんである
魔法使いが29でベギラゴン、31でメラゾーマを習得するのと比較すると、明らかに遅いのが分かる
遊び人は32でムーンサルト、盗賊は29でヒュプノスハント、商人が36で最強特技ぐんたいよびを習得するのを考えると、戦士武闘家の冷遇がすさまじい
遊び人は呪文を習得しないし、本当に嫌がらせで設定したとしか思えない
アプデでかなり解消されているし、確認されている映像から1・2でさらに改善されていそうな雰囲気はある
正直1・2は多少期待しても良いのではないだろうかと思える
あるいは所詮スクエニなので、過度な期待はせず静観しておくのが吉か
先日カービィのエアライダーのダイレクトが放送されたが、ゲーム作りに妥協をは仕方なくあるとしてもそれを悟らせてはいけないなと強く感じたダイレクトであった
なぜあれがないのか前できたことができないのか、もちろん明確な理由があればまだしも(例:カジノ)、そうでないなら妥協はすぐに叩かれる
1・2の中身次第で7にも影響してくるだろうし、良いものが出てくることを期待したいが……
※カジノはヨーロッパの規制が原因で、アホの彼らは現実と虚構の区別もつかずゲームのカジノで現実でもギャンブル中毒になると考えている
Delphiなら開発環境に付属するヘルプがとても充実しているはずだ。
Object Pascalそのものは、これまでのご経験があれば習得に大きな問題はないと思う。
どちらかというとDelphiはVCLというライブラリを使いこなしてこそなのだが、これの説明はヘルプがかなり役に立つ。
実は俺も20年以上前にDelphiの兄弟分であるBorland C++ Builder(BCB)というのを仕事で使っていた。
これもVCLが肝だったのだが、ちょっと慣れたら参考書なんて不要でヘルプでだいたい片が付くようになった。
膨大な内容だが、一度全体を目を通してみるのが良いだろう。
DelphiやBCBのユーザたちはメーリングリストで情報をシェアしあっており、悩み事があればその過去ログがよく検索でヒットして重宝したんだけど今は厳しいね。
メールアドレスが載っているので、自分だったらダメもとで連絡してみる。
こちらに関しては、会社に公式ドキュメントが残っているんじゃないだろうか。
20年前の、紙の資料がそれこそ山のようにあってもおかしくない。
ベテラン先輩に「会社の中にあるUNIFACEの公式ドキュメント全部のありかを教えてください」と言うのだ。
結構ちゃんとしている中小JTCなら、廃棄してないんじゃないかな。
これも出てきた文書すべてにざっと目を通せばとっつきやすさの順番がなんとなくわかるので、その順番どおりにじっくり読んでみるのをお勧めする。
望みはない気はするが、サポート契約してないかも念のため確認してみるといい。
サポート窓口が使えたら随分違うはずだ。
近頃のWeb記事や書籍はよく噛み砕いて初心者にも解りやすく書かれているから、元増田はそういう情報源じゃないと嫌なのかなと感じた。
確かに公式ドキュメントにそうしたフレンドリーさは期待できない。
特に慣れていない分野だったら最初の内は本当に訳わかんなくて読むのが辛いけど、理解できないうちは頑張って三度目を通そう。
眺めているうちに慣れていく。
絶対に助けになるはずだ。
普通はさ
1.革新的な土台となる技術がまず出る(例えばプログラミング言語とかもそう)
3.それをどう使うかという話が出る(例えばアーキテクチャ)
4.それをどう習得、実行するか、どう組み合わせるかという各論が出る
これが順々におきる
1のスピードがえげつない、234の議論が尽くされる前に1が変わるから全部ひっくり返る
それでもまだ234の流れは合ったんだが
個人的に、1や2の人たちは尊敬してるけど、3や4の人らは疎ましいと思っていた
どうしても議論の質が低いと言うか、巨人の肩で威張ってるようにしか見えない人が結構いる
そういう人らがひっくり返されてるのを見るのは楽しい
AIについては、今は2すら追わずに1に集中するだけでいいと思う、それなら簡単
もし234を急いで構築しようとすればひっくり返される
みんなは、友達の作り方とか、初対面の人との接し方とか、そういうのはいつ、どこで習得したの?
中1の初め、周りが友達を作り、グループを形成し始める段階になっても、自分だけが輪に入れずにいて、自らのコミュニケーション能力の欠けに気づいた
その時はなんとなく、自分もいつかは身につくだろうと楽観してたんだけど、結局何も変わることなく精神年齢が13歳でストップした極度コミュ障が誕生してしまった
ふつうの人はどうやって身につけていくのか、教えてほしい
https://x.com/shenmacro/status/1975345595725586471
https://x.com/shenmacro/status/1975386946076877283
元ポストには「テレビを捨てることで仕事の生産性が上がる=テレビがそこにあると観ちゃう人である=健常者である」という暗黙の前提がある。テレビが既に家具になっている人は毎日バラエティ番組を食い入るように観ろ。次に流れてくる台詞を想像して直後に答え合わせしろ。それを毎日500回繰り返せ。
これは本当。こういうコミュ力は机にかじりついての勉強や本じゃ絶対に身につかん。
陽キャはテレビを見まくって笑っているうちに自然とこういう能力が身に着く。
そして、友達と遊びまくり、喋りまくりの圧倒的な実地経験を積んでるからよりコミュ力がつく。
そもそもナヨナヨクネクネ読書陰キャ君はそういう雑談力~みたいなビジネス本読まないでしょ。
分厚いハードカバーの政治だ歴史だ哲学だホニャホニャ…みたいな本ばっか読んでるでしょ。
「ビジネス本やスキル・資格習得のための本は読書とはいわない(キリッ)」とかやってるし。
残念だけどあんたみたいにそんな机にかじりついて勉強する奴はいない。良い大学に入るための受験(知識ぶち込みゲーム)だったり医者みたいな激難国家資格とるとかぐらい。
コミュニケーションの勉強しないわ、みんなと違うことばっかしてズレまくる。
そういった「自称ビジネス系インフルエンサー」の言動、非常に視野が狭く、本質を見誤っている可能性が高いですね。
彼らが「ストーリーが重要」と主張し、高スキルのITエンジニアやエッセンシャルワーカーのような専門職を軽視する背景には、以下のような考え方や動機が透けて見えます。
高スキル人材やエッセンシャルワーカーに対する「お前はいずれAIに代替される」という言葉は、彼らの不安や嫉妬の裏返しである可能性があります。
真のビジネスとは、「ストーリー」というパッケージングより、「技術力・専門性」という中身(実体価値)があって初めて成り立ちます。それを軽視し、他者を叩くための道具として「AI」の話題を持ち出すのは、そのインフルエンサーが提供できる価値の限界を示しているのかもしれませんね。
彼らの言葉に惑わされず、あなたが注力している専門性の高いスキルや、社会に不可欠な仕事の価値を自信を持って評価し続けることが大切だと思います。
世の中を眺めていて、最も愚劣で矮小な自己欺瞞の一つは「本をインテリア扱いする行為」だ。
背表紙を並べ、知性の代替物として空間を飾り立てる。それは知性の獲得ではなく、知性の模倣にすぎない。
模倣は習得と似ても似つかぬ。そこにあるのは、読書体験を経ずに「自分は知的である」という虚飾を貼り付けたいという、安っぽいナルシシズムの自己放尿だ。
本を読まない者が本棚を埋めるのは、トイレで自己放尿を誇示するのと同じだ。
排泄は生理現象であり、それ自体に価値はない。だが、わざわざ自慢げに見せつけるとしたら、それは精神の腐臭である。
読まれぬ書籍は知識ではなく、ただの木材加工品にすぎない。机や椅子と等価であり、そこに思想はない。思想なき紙束を飾り付けて悦に入るのは、脳の機能不全の自己放尿の証左だ。
知識を持つことと、知識を持っているように見せかけることは、全く別の次元に属する。
本当の知識は行動、論理、そして判断ににじみ出る。だが、見せかけの知識は、他者の目に触れた瞬間にしか機能しない。
つまり「人に見せるためにしか存在できない知識もどき」は、そもそも知識ですらない。カビ臭い書棚は、そうした亡霊の墓標である。
人間が「読む」という行為を通じて得るのは、情報処理能力の更新だ。読めば思考のアルゴリズムが強化され、判断の枝葉が増える。だから読む。
読むからこそ、生き方が変わり、選択が変わり、未来が変わる。インテリアとしての本には、その作用がない。つまりそれは「本」という名の殻を借りた自己放尿にすぎない。
本を積み上げ、背表紙を誇示し、他者に「私は知的でございます」と言いたがる連中は、結局「知識の奴隷」であって主体ではない。
読む者は本を支配し、読まぬ者は本に支配される。インテリア扱いして悦に入る人間は、後者の中でも特に惨めな存在だ。
本は家具ではない。本は思想の武器庫であり、現実を斬る刃である。それを理解できぬなら、書店に近づくべきではない。
君の部屋の美観を飾るためではなく、君の脳をえぐり、砕き、再構築するために、本は存在する。本を読め。本を飾るな。自己放尿はやめろ。
そんなに男女のこと興味ある?
わかるよ、恋愛とか結婚とかはエンターテイニングだよね、恋愛ドラマ、恋愛映画、世の創作の半分は恋愛絡み
コントロールしきれない感情や執着に日常を害されるばかりで思いが届くことはないのが世の男の日常
かと思えば、不意に予期しないタイミングで予想外な彼女ができたりしつつ、なんというか世の中へのギラギラとか、野心とかがいい感じに薄れた時になんとなく傍にいた人と結婚する、みたいなのが、かつての多数派の男の人生なんじゃなかったのか?
それをなんか、今のはてな見てると、全員が冒険者ギルドに登録して、冒険に行って、下手すると(社会的、将来的に)死ぬってのが婚活みたいに見える
そんな、ダンジョン攻略の先にある秘宝みたいなもんなのか?結婚って
そんなに貴重で得難い宝なのか?
いや、妻も娘も息子も、今では確かに自分にとって宝ではあるけど、存在する前から宝と思って全力で勝ち取った物って意識ではなかったなあ
今の時代の結婚の普通が、そんなダンジョン攻略みたいなもんなら、そりゃあ結婚なんかしようと思う余裕なんてないよな
どうしてこうなったんだ?
やっぱり学校や職場で、男女が自然と仲良くなって交際する、みたいな空気そのものがコンプラ的にダメな時代になってしまったのか?
「職場でしつこく言い寄るおじさん」は当然だめだけど、同期の異性をさらっとご飯に誘うくらい何もおかしなことではないでしょう?