はてなキーワード: 裸踊りとは
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.jiji.com/jc/article?k=2025050600306&g=soc
はてブでは子供にエロを見せる自由がどうとか不快な表現のあり方はどうとかいう話になっているがそもそも表現の自由なんて話になるレベルの話じゃねえだろ
インターネット広告に関係する連中が全員カスなのが問題としか思えん
言うまでもなく諸悪の根源
まあちゃんと悪意がある分他の連中よりはマシという見方もできるかもしれん
広告を募集してそれを皆様にお届けするお仕事をしていますが内容の確認は仕組み上できないんです←は?
できないじゃなくてそういうようにできる仕組みを作れって言ってんだよ
しかもこいつらは会社として運営して金を稼いでいる上に被害者顔をしているのがありえない
こいつらも被害者顔をするが実際に広告をユーザーに見せている直接的な加害者はお前ら
自分の店の一角を適当な団体に貸したら裸踊り始めて客から文句きたけどその団体が悪いんです!私は悪くありません!でもお金がもらえるので貸し続けます!って言ってまだ被害者のつもりでいるのが滑稽
そもそも自分のコンテンツに自分が責任を持てないコンテンツを挿入すること自体が異常であることを認識した方が良い
こんなカスの広告業界から距離を置くには広告ブロックをするのが一番
ただインターネットでこれを言うと突然「広告ブロックは万引き!」だとか言い始めるバカが湧く
この連中にはこれまで挙げた広告業界のカスどもも相当数含まれていると思うが本気でそう信じているバカもインターネットにはいる
それで金を稼げないんなら他の金の稼ぎ方を考えろ
高品質なコンテンツの維持には広告費が〜とかお花畑みたいなことを言い始める連中もいるが、インターネットコンテンツ企業の大半は逆の思考だからな
どうやってお前に広告を見せるためにコンテンツっぽいものを用意するかしか考えてないぞ
なお俺はエロ表現の自由戦士だから山田太郎の言うことには両手をあげて賛成している、インターネット広告関連の連中がこれだけカスなのに「エロ広告かどうかを判定する権力を持つことになった連中」がカスにならない理由なんてないからな
もし増田の言う通り女の起業家が性を売り物にしてイージーモード満喫してたらこんな訴えするわけがないんだわ。考えてもみろ
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セクハラ目的で女性起業家に目をかけたり女優遇する投資家が減る
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ってなるだろ
でこっから話進めて「セックスを強要する権力者」や「(電通みたいに)裸踊りを強要する権力者」とか"人の尊厳を踏み躙るような人間"が人の上に立てないように、ちゃんと捕まるように追い出すとどうなるか?
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・席が空く分昇進などのチャンスも増える
・権力使って性加害してる奴
・女がスタートアップに参入すると自分の仕事が立ちいかなくなる無能起業家
・自分に構ってくれない女を憎んで悪辣な強者男を肯定して自身の首を絞めてるアホ
いっぺん頭冷やそうな
なんかこういう「人間がAIに仕事奪われて無職になってもベーシックインカムがやってくるので大丈夫」みたいな事言ってる人いるけどそれも正直よく分かりません。 誰が言い始めた宗教なんだ? そのベーシックインカムの財源は何なん? AIの利益からですか?…— うみゆき@AI研究 (@umiyuki_ai) March 8, 2025
ベーシックインカムは来ない!お前は死ぬ!と言われてもではどうしろというのか
AIが代替できない仕事があるとしたら無職にはならないじゃん?
じゃあ我々はどうすべきなのか
AIにお伺いを立ててみればベーシックインカムが確保できるように、AI企業に社会貢献の義務を課す法律を作るように働きかけるべきと言うことだ
専門商社の人が「AIはゴルフできないし相手のキャディバッグも持てないでしょ!焼酎薄めとか濃いめで作れないし、カラオケでタンバリンしないでしょ!負ける要素は一つとしてないです」と断言していて力強かった— pho (@ohp_pho) March 3, 2025
この意見は的を射ている
俺たちの裸踊りでもキレてくれると思う
在宅勤務になって週二回くらい裸踊りしてる(横)
神 食糞、尿イッキ飲み
九段 公開オナニー、ア○ルセックス、ビール浣腸(女ならマ○コでバナナ切り、「産卵」、人間燭台)
八段 路上で全裸全力疾走、ラップなしフェラ、全裸で擬似SM(女なら路上で全裸全力疾走、わかめ酒、女体盛り)
七段 ケツで生け花、きゅうり、花火挿入、ラップ有りフェラ、女の頭にちょんまげ(女なら野球拳で全裸になる、下着姿でザーメンぶっかけ)
六段 陰毛ファイヤー、男同士でディープキス、エリマキトカゲ、ケツにプリッツ挿入(女なら野球拳でパンツ一枚まで、公開フェラ)
五段 マジックで体に名前書いてお盆使わず裸踊り、路上でセミ、ちょんまげ(女ならトップレスでだっちゅーの、男と公開ディープキス)
四段 革靴でビールイッキ飲み
三段 取引先の前でお盆使って裸踊り、ウォッシュレット(女ならバニーガールのコスプレやハイレグで踊る、非公開売春、野球拳で下着まで)
某中古車販売店の恫喝LINEなんかを見ると、またこのパターンだなと思う。
あらゆる洗脳によって身近な人間が何人も姿を消していった増田なりに考えた洗脳についての話です。
洗脳と聞くと誰か特定のターゲットに行うものと思われがちだけど、実はそうでもなかったりする。
例えばカルト宗教を思い浮かべてもらえるとわかりやすいのだけど、来た人間全員を洗脳しようとは思ってはおらず、間口は広くしておいて洗脳に引っかかった人間だけが残るような仕組みになっている場合の方が多い。
つまり、「Aを洗脳しよう!」ではなくて、「A、B、C、D、E、Fにそれぞれ洗脳を試してみて、B、Eが洗脳に引っかかったから次はより強い洗脳を試そう。」といって絞り込んでいくような感じだ。
なので、洗脳というのは割りと結果論的な側面が強いパターンが多いよというか、むしろほとんどですよということをまず知ってもらいたい。
言い換えれば、誰にでも効果が期待できる洗脳を追い求めるよりも、洗脳にかかりやすい人を探したほうが早いよということ。
某中古車販売となんの関係があるの?と思うかもしれないけど、恫喝は典型的な洗脳の手段だと思ってください。
洗脳とは、簡単に言えば相手を自分の意のままに言うことを聞くようにすること。
逆を返すと、どのような状況であれ自分の意のままに言うことを聞くようになっていれば、それは洗脳が成功しているとも言える。
この違いは何かというと、そこに本人の納得は必要ないという点。
宗教のように心から相手を信頼してしまうパターンもあれば、自分は納得していないけど大きな借金があるから言うことを聞かざるを得ない状況というのも、等しく洗脳されている状況といえてしまうのだ。
手段や関係性はどうであれ言うことを聞く状況になってさえいれば、それは洗脳において成功と考えてなんの差支えもない。
恫喝というのは世間一般で考えればどう見ても間違ってる行動だ。
それによって離れる人間もいれば、自分が悪かったと受け入れる人間が出てくる。
さらに言えば、恫喝された他の人間の反応を見て自分も恫喝する側に回れば支配する側に回れると考える人間だっている。
一度くらいなら自分が悪かったと思ってこらえる人間がいるかも知れないが、それが当たり前に何度も続けば結局は残った人間は恫喝を受け入れた人間だけということになる。
つまりこの状況は、恫喝という非常識的な行為を繰り返すことによって、それでも言うことを聞く人間だけに絞り込めた状況と考えて差し支えがない。
そこに言うことを聞くようになった理由は必要ない。言うことを聞くという事実こそが重要なのだ。
洗脳する側にしてみれば言うことを聞く人間だけ残ればいいのだから、まともな判断力を持った人間はむしろ不要で、恫喝を受け入れた人間だけでなくそれを理解した上で利用する側に立った人間だって必要な人間だと言える。
この点も、信仰の強い信者だけでは宗教が広がっていかないのと同じで、同じような手段を理解した上で行使できる宣教師も必要だということと非常に近しい。
なぜ恫喝を受け入れざるを得なかったのか、その部分を説得や集団心理などを利用して騙していくことを洗脳だと考えている人も多いだろう。
しかし、それが最初にいった洗脳に対する誤解が多い部分でもある。
そこを自分たちで説得するよりも、注文の多い料理店しかり、正常性バイアスで受け入れてしまう人間を探したほうが早いと言うのが現実だ。
それならば、まずは相手がどのような考えを持っているかを知るよりもさっさと恫喝してしまったほうが結果は早いのだ。
某中古車販売店で言えば、その点において用意したものと言えば高い報酬と人間的成長くらいであろう。
ただし、人間的成長は逆説的に行なえない側を幼稚とするものだったと思われるが。
それでも納得しない人間たちを説得するよりは、ついてきた人間だけを選んでいったほうが遥かに効率がよいのだ。
今回はたまたまトリガーになったわかりやすい例が恫喝だったが、増田自身は勝手にそれを裸踊り的儀式と呼んでいる。
しかし、洗脳されている人間にしてみればありとあらゆる理由をもって裸踊りをする自分を肯定できてしまう状況にある。
つまり裸踊り的儀式とは、洗脳の手段ではなく洗脳度合いの効果測定を目的としている。
はじめから裸踊りをさせるわけではなく、最初はもっと小さなことから行われる。
人前で大声を出すとか、駅前を掃除させるだとか、普通ならやらないようなことに何かと理由をつけてやらせてみるのだ。
それでもし言うことを聞くようであれば、次のステップへと進む。
離脱してしまえば仕方ないし、迷っているようであれば背中を押すような理由を用意する。
そうして少しずつ洗脳の効果測定をしては、思い通りに動く人間を選別していくことが洗脳の本質であると考えている。
そういう意味では、落ち葉掃除のために誰もが犯罪だとわかるような枯葉剤をまいてしまうという行動も、すっかり洗脳が浸透している状況だったとも言えよう。
裸踊りには、周囲から奇異の目を向けられることによる社会的孤立という副次効果もある。
社会的孤立によってその2つから遠ざけることができれば、より洗脳をしやすくなるのだから選ばない手はない。
つまりは、ここが洗脳から助け出せる最後の分水嶺だとも言える。
もし何か怪しい方向に進んでいる近しい人がいるならば、突然社会的孤立につながるような行動が増えたときは要注意だ。
それが公序良俗に反していないだけであって、誰もが最初はおかしいと思うようなことでも、いつかは望んでするようになるし人に勧めたりもするものだ。
一部の体育会系運動部が好んで行う人前での奇行なんかはまさにこれだ。
過去に体育会系大学出身の人材が就職に好まれたのも、すでに洗脳されやすい土壌が学生生活の中で作られていたことが理由であろう。
そして何もこの話は対岸の火事ではない。
むしろワンマン経営者の中小企業に多いし大手学習塾でも当たり前のように見られる。
それ自体を悪だとは言わないが、仮にこの裸踊り的儀式の兆候が見られたときはそれより先に進むべきかどうかは必死で悩むべきだろう。
人間が自分の意志だけですべてを決定できるとは思っていないが、誰かの欲を満たすための道具にされることを望んでいる人なんていないはずだからだ。
どんなことしたんだw 裸踊りとか?
今年何をやったのか、さっぱりと言うほどでもないがあまり思い出せないでいる。
今年の一番大きい出来事は転職であるが、さりとて転職前と後でやっていることはあまり変わらない。
なので、日記を書くのがいいのかも知れないが、しかし元来の飽き性のため日記の類が続いたことがない。
飽き性であるというか、誰にも見せないつもりの文章を書くのが私には難しい。
しかし、日常の記録である日記をインターネットの海にそのまま垂れ流すほど裸踊りができる人間でもない。
どうしたらいいのか。どうするのがいいのか。
今年何をやったのか思い出せないことに危機感を抱くが、そんなのは今までの人生と変わらんと割り切ってしまうのがいいのか。
分からない。
抱くとしたら、どうやって解決しているのだろうか?