はてなキーワード: 宣教師とは
どうそれっぽく見せるの?
文章ごとコピペしても俺が言ったことを広める宣教師にしかならないんだけど?
dorawiiより
-----BEGIN PGP SIGNED MESSAGE----- Hash: SHA512 https://anond.hatelabo.jp/20251113173417# -----BEGIN PGP SIGNATURE----- iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaRWYCwAKCRBwMdsubs4+ SIrWAP9YE7zkjFyPYcS/U4Hh5GfTfzY5/CsU1BzfT03VJ55ghwEAlMBC6tcMcX1b SFjEC+Hd9doiiZjUHSwgKJQ1IQyYEQ4= =vdUc -----END PGP SIGNATURE-----
https://anond.hatelabo.jp/20251004115553
その通り
日本にとって要らない要素だった
その通り
宣教師に侵略的な思惑があったのは別に陰謀論でも何でもない事実
「長崎最高ですね!海外の人・モノ・カネのおかげで発展したおかげですね!」
と言ってみようかと思ったがやめました。
変なおっさんだとは思うけどお前は全くおっさんを論破できてないので
そこをきちんと自覚してほしい
俺がパヨパヨチンパーソンにたいして一番気に入らないのは
なんか実際より自分の知能を高く見積もってるらしきとこなんだよ
お前等は概して一般日本人の平均以下ぐらいの知能しかないんだよ
お前にしたってなんか見下してるつもりの市井の変なおっさんを見下せる程度のおつむもねーので
お前はせいぜい凡人以下なのよ
自分が使わないものの記事にやってきて使わないとわめき散らす宣教師はいつもいるんだけど大抵は数値化されたリスクを適切には評価してなくて体感だとかより高いとかでとくに考えず短絡的かつ永続的に決定してわざわざ嫌いにくるんだよな。
科学的に説明されても無理なもんは無理ってのはトイレの床のきれいさと似ている。まぁ俺もわかる。穢れの忌避感をゼロにはできないし上手く付き合っていくのが肝要で他人に強要しない寛容が必要よな。
別に他人に宗旨替えしろとは言わないが、穢れ概念には自覚的になってほしいしその無理無理って言いにくる姿が客観的にどう写るかぐらいは考えて生きていきたいものである。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/pc.watch.impress.co.jp/docs/topic/special/2017179.html
ぶっぶー。ダメです。
で、世界全体について考えると、キリスト教が支配できたところなんて、実際ほぼないんだよね。
宣教師とかいって大々的に広めたけど、どこで広まった? 南米あたりは広まったけど、あれ武力と黒死病で一回滅ぼしたからだし。はっきりいって広がった範囲は狭いよ。
ただ、プロテスタント、という宗教が資本主義とバリ相性良かったから、覇権みたいになっているけど。
文化があったとこも文化があまりなかったとこもあっただろうけど、関係なかった、ってこと。等しく失敗している。
これは、イスラム教と言うのが「改宗しなければ戦争だ」をガチでやっていたからです。
スイカと桜が同じ季節にあって、米俵を土嚢に使って、四角い畳で武将が正座ってる、派手な鎧で街中歩く世界線から強弁かよ
別の世界線の人に説明してもしゃーないが、史料は割と今どきはオンラインでも見れたりするのは、覚えておくと良いよ
群馬県立文書館 のレファレンス事例紹介コーナーによると『くろほう』について下記の回答
問12 群馬県立文書館所蔵の古文書に、黒人と思われる「くろほう」という記述があるとききました。それは事実でしょうか。
栗間家文書(P00101)のNo1「年未詳加藤清正書状」(下川又左衛門ほか宛)には、豊臣秀吉の朝鮮出兵に関連する記述の中で「くろほう」という言葉が出てきます。そして2021年3月30日にNHK BS4Kで放送された「Black Samurai 信長に仕えたアフリカン侍・弥助」の中で、日本大学准教授のロックリー・トーマス氏がこの文書に出てくる「くろほう」こそ、織田信長に仕えた黒人武将弥助の後身ではないかと、述べられています。まず文書館内では、この「くろほう」をこれまで全く黒人として認識しておらず、トーマス氏のご指摘に驚いています。実は、この「くろほう」が弥助かどうかはともかく、黒人と推定する見解は以前からありました(中島楽章氏「16世紀九州末ー東南アジア貿易」『史学雑誌』118-8号ほか)。 ただし現時点では、この文書の1カ所にしか出てこないため、断定は難しいと思われます。例えば、『源氏物語』にも「くろほう」という言葉が出てきますが、これは「黒芳」(練り香)の意味で、日本の古典で頻出しているようです。また、当館文書を読むと、人間ではなく、物を指す記述と見た方が自然ではないか、という意見も係内で出ています。以上より、現時点では「くろほう」を直ちに黒人と即断するのは難しいのではないか、というのが当館古文書係の見解です。
このような状況を憂慮し、秀吉はキリスト教宣教師の追放を命じた。高山右近も、キリスト教信仰のために領地を没収された
追放されるキリスト教宣教師たちへの配慮として、帰国の費用として米1万俵が与えられた
九州御国分之次第
https://khirin-ld.rekihaku.ac.jp/rdf/nmjh_kaken_medInterNationalExcange/E14585
こっちなら付き合うぞ
ローカルでテキスト・画像生成のモデル動かしてみようをそのうち書こうと思うけど、Windowsアーキテクチャの簡単な説明欲しい?
コア分離あたり。ほかにも欲しいのがあれば書いとくけど
というか、Ubuntu、Ubuntu 騒いでる子がいるが、そもそもPCにWin11/Win10入ってるか?
(Windows + Docker Desktop :バックエンドWSL2 Ubuntu の予定。なお、YouTube に構築動画が無限にあるぞ)
Assassin's Creed director: The right time to take series to Japan | BBC
https://www.bbc.com/news/articles/c163jexl7rxo
Shadow’s trailer also generated backlash from some gamers, who criticised the choice of Yasuke as a main character over a native Japanese protagonist.
Opponents have accused those critics of being racist, and have pointed out that Yasuke is based on a real-life person.
Charles, speaking to Newsbeat before the trailer dropped, says the developers “put a lot of emphasis on authenticity and making sure we depict Japan and the culture right”.
“So when we started the project, we had a historian with us from day one,” he says.
He says the team also consulted weapons experts and travelled to Japan to get a feel for the landscape and locations in the game.
シャドウズのトレーラーは、一部のゲーマーからの反発も生みました。彼らは、日本人主人公ではなく弥助を主人公として選んだことを批判しました。
これに対して、批判者たちを人種差別主義者だと非難する声も上がっており、弥助が実在の人物に基づいていることが指摘されています。
チャールズは、トレーラー公開前にNewsbeat(BBCのニュース番組)との対話で、開発者たちが「日本とその文化を正しく描写することに重点を置き、真正性を重視した」と述べています。
African samurai: The enduring legacy of a black warrior in feudal Japan |CNN
When feudal Japan’s most powerful warlord Nobunaga Oda met Yasuke, a black slave-turned-retainer, in 1581, he believed the man was a god.
Oda had never seen an African before. And like the locals in Japan’s then-capital of Kyoto, he was awed by Yasuke’s height, build and skin tone, according to Thomas Lockley, the author of “African Samurai: The True Story of Yasuke, a Legendary Black Warrior in Feudal Japan.”
“When Yasuke got to Kyoto (with Jesuit missionaries), there was a massive riot. People wanted to see him and be in his presence,” says Lockley, who spent nine years researching and writing the book, which was published last month.
Oda believed Yasuke to be either a guardian demon or “Daikokuten,” a god of prosperity usually represented by black statues in temples. He tried to rub the pigment from Yasuke’s skin, believing it was black ink. Once convinced Yasuke was real, he immediately threw a feast in his honor, says Lockley.
1581年、戦国時代日本の最も強力な戦国大名である織田信長が、奴隷から家臣となった黒人のヤスケに出会った時、信長はヤスケを神だと信じました。
「アフリカン・サムライ:戦国時代日本の伝説的黒人武士ヤスケの真実の物語」の著者トーマス・ロックリーによると、信長はそれまでアフリカ人を見たことがありませんでした。そして、当時の都であった京都の地元民と同様に、ヤスケの身長、体格、肌の色に畏敬の念を抱いたそうです。
「ヤスケが(イエズス会宣教師とともに)京都に到着した時、大規模な騒動が起きました。人々はヤスケを見たがり、彼の存在を身近に感じたがりました」と、9年の歳月をかけて研究し執筆した先月出版されたこの本について、ロックリーは語ります。
信長はヤスケを守護の鬼か、通常寺院で黒い像で表される繁栄の神「大黒天」のどちらかだと信じていました。信長はヤスケの肌の色素を擦り取ろうとし、それが黒インクだと考えていました。ヤスケが本物だと確信すると、すぐに彼の名誉を称える宴を開いたとロックリーは述べています。
https://edition.cnn.com/2019/05/19/asia/black-samurai-yasuke-africa-japan-intl/index.html
最近も IGN Japan 使って煽り散らかし https://youtu.be/keiDRORg9hc
ここまでやるなら、ゲームに規制は不要!!あらゆる規制に反対する!!と表明したらよかったのでは?って思うが、
なぜか日本版だけ日本人の首ホームラン出来るのが禁止されているの突っ込まないんですよね。Roninはゴア表現あるのになぜでしょうね?
あと日本人の非武装市民はペナルティ無し攻撃できるけど白人キャラは攻撃できないこともツッコミなし。NPCだろうが攻撃できるゲームはいくらでもあるんですけど
It was surprisingly gory, like the decapitations, you could get coated in blood. How vital is that to the assassin’s fantasy?
(斬首シーンなどでは、予想外に残虐で、血まみれになることもありますね。これはアサシンのファンタジーにとってどれほど重要なのでしょうか?)
I think it’s not an assassin thing, it’s a Japan thing in our case. So looking at death was a day-to-day occurrence in that period, and the way most people died in Japan during that time is clean decapitations.
So we didn’t want to shy away from it, although you can turn off the violence if you want. There’s options for it. You can turn off the blood, you can turn off the dismemberment and stuff. So it’s more trying to be faithful to the war aspect of Japan at that period. Death was a common thing and decapitation was not a strange sight in Japan.
私たちの場合、これはアサシンに関することというよりも、日本に関することだと考えています。当時の日本では、死を目にすることは日常的なことでした。そしてその時代の日本で多くの人々が死んでいった方法は、きれいな斬首でした。
ですので、私たちはそれを避けようとはしませんでした。ただし、望めば暴力表現をオフにすることもできます。そのためのオプションがあります。血の表現をオフにしたり、切断などの表現をオフにしたりすることができます。これは、むしろその時代の日本の戦争の側面に忠実であろうとする試みなのです。死は日常的なことであり、斬首は日本では珍しい光景ではありませんでした。
https://videogames.si.com/features/assassins-creed-shadows-interview
こっちなら付き合うぞ
ローカルでテキスト・画像生成のモデル動かしてみようをそのうち書こうと思うけど、Windowsアーキテクチャの簡単な説明欲しい?
コア分離あたり。ほかにも欲しいのがあれば書いとくけど
というか、Ubuntu、Ubuntu 騒いでる子がいるが、そもそもPCにWin11/Win10入ってるか?
(Windows + Docker Desktop :バックエンドWSL2 Ubuntu の予定。なお、YouTube に構築動画が無限にあるぞ)
扇子の趣味についての良し悪しが次第に洒落てる、物事の機微に優れてるなどと言われるように
鷺が白鳥に間違えられることから、人を騙すことを"さぎ"と呼ぶようになった
バイリンガル、バイセクシャルなどの"バイ"は日本語の"倍"が由来
餅を"もち"と読むのは"もちもちしてる"から
ハイジャッカーがハイジャックする際に"Hi Jack"と呼びかけたことが由来と言われるが実は"ひったくり"が語源
江戸時代に日本に来ていた宣教師が母国ポルトガルに日本文化を紹介する中に書いた"Hitakri"が誤字で"Hijakr"となって、強盗をHijakrと呼ぶようになり、英語圏に伝わった際にHijackになった
せめて最低限の前提知識は備えていてほしい
>扶持・屋敷・刀をもらって道具持ちまでやってたら普通に小姓みたいなもんだし武士だろ。
小姓になれるのは忠誠心の高い、身元のしっかりした、上位階級の子息限定だよ
本当に増田の認識、あまりにも無さ過ぎて申し訳ないがまともに話ができてない
んだがもう数点
>そもそも「扶持・屋敷・刀をもらってるなら扱いとしては武士だろう」と、
これ当時の話?
現代の話?
弥助に関しては、後世の素人が「自分がコイツを武士扱いしたいからこれは扱いとしては武士でいいだろう」でごり押ししてんのね
>「その扱いがなくても誰もが弥助を武士として認めていた」
これ当時もソレがないからね
>なので降伏してきたなら敢えて殺す必要はないが、といって光秀は黒人を手元に置くつもりもない、
>日本語もほとんど通じなくて面倒だから宣教師に任せろ、と言ってるだけだろう。
士分に取り立てられたのであれば「イエズス会に返却」はありえないという話をしている
それから「弥助は武士になった」うんちくは誤解あるいは早漏で勝手に確定事項として広めたやつがいるのもはっきりしている
そして当然俺はそんな勝手は受け入れていないし、ほかの日本人にも勝手に日本人が納得してる話にしてもらいたくない奴はそれなりいると思うわ
扶持・屋敷・刀をもらって道具持ちまでやってたら普通に小姓みたいなもんだし武士だろ。
鎧兜に身を固めて将軍として活躍していたわけではない、というだけ。
そもそも「扶持・屋敷・刀をもらってるなら扱いとしては武士だろう」と、
「その扱いがなくても誰もが弥助を武士として認めていた」は明確に異なる話で、
信長がいなけりゃ弥助の武士としての扱いが保証されることもない、というのは分かりきったこと。
なので降伏してきたなら敢えて殺す必要はないが、といって光秀は黒人を手元に置くつもりもない、
日本語もほとんど通じなくて面倒だから宣教師に任せろ、と言ってるだけだろう。
それと「黒人のサムライがいた」というのは日本人が嬉々として広めていたウンチクであって、
つまり「後世の日本人」は「黒人がサムライとして信長の小姓みたいなことやってたんだなあ」のイメージで納得していたということだよ。
江戸時代までの日本の農村(人口の85%)は基本的にフリーセックス文化。
武士と農民の階級移動が実は頻繁だった江戸時代において、武士もその影響を受けていないわけはなかった。
戦国時代のポルトガル宣教師が「日本女性はポルトガル女性と違って読み書きもでき教養水準は高いが、貞操概念がなく、純潔でないことで女性の評価が下がることはない」と書いている。
江戸時代も、「多くの男と寝て性技を磨くのも花嫁修業の一つ」ぐらいの感覚だった。
現代日本の貞操概念は明治期にヨーロッパから入ってきたもので、「欧州諸国(英仏独)のような強国になるためには欧州並みの貞操概念が必要である」」との考えから導入されたもの。
明治初期の日本の「貞操概念の乏しさ」を欧化主義者の官僚が文書で「日本では十五歳(数え。現在の中学1年生)で処女である女子がほとんどいない」と嘆いている。
ゼロ年代のインターネットには、Alex Kさんという日本語が堪能なウクライナ人がいた。彼は日本語版ウィキペディアで、ウクライナに関する有益な記事をたくさん執筆していた。ウクライナ語のиをすべて「ウィ」と表記した結果、「フメリヌィツィクィイ」みたいな記事名ばっかりになっていたが、これも彼の正確さを重んじる姿勢のゆえだと好意的に見ることはできる。
しかし、Alex Kさんはウクライナ民族主義者であった。もちろん、民族主義者であっても良質な記事を書いてくれるなら問題はない。だから彼は、ウクライナの歴史上の人物や、都市や、教会についての記事を執筆し、加筆し、あるいは修正のために議論した。そしてある日、ひとりの日本人編集者が、彼の書いたウクライナにある教会に関する記事を修正しようとした。それが問題のはじまりだった。
話を150年ほど遡る。鎖国が終わり、自由にキリスト教を布教してよいことになったので、欧米人はこぞって宣教師を日本に向かわせた。宣教のためには、現地の言葉で書かれた聖書が必要不可欠である。だから宣教師たちは、それぞれが独自の日本語版聖書を作った。正教会の宣教師だったロシア人の聖ニコライは、漢文の素養のある日本人に助けられながら、教会スラヴ語(教会で用いられる古風なスラヴ語)に基づいていかめしい文体の日本語訳聖書を作った。カトリックやプロテスタントは、時代に合わせて聖書をよりやさしい日本語に置き換えてきたが、正教会の聖書は、明治時代からその言い回しなどがほとんど変わっていない。結果として、正教会の聖書は読みにくく、使われる語彙もカトリックとは異なっている。たとえば、こんなふうに。
| 正教会 | カトリック |
|---|---|
| 主教 | 司教 |
| 顕栄 | 変容 |
| 生神女 | 聖母 |
| 至聖三者 | 三位一体 |
| イイスス・ハリストス | イエス・キリスト |
これがいいか悪いかは、その人の価値観によるだろう。他の教会と共通する用語を使うべきと考える人もいれば、独自の伝統を守るべきだと考える人もいてよい。だがそれを決める権利は日本人の正教徒にしかなく、外部の者はそれを尊重すべきであるはずだ。
このようにキリスト教各派が使っている用語がバラバラなので、日本語版ウィキペディアでは、「各派の独自用語を尊重する」というデファクトスタンダードが確立された。たとえば日本政府は少し前までローマ教皇のことを「法王」と呼んでいたが、ウィキペディアではカトリック独自の呼称である「教皇」が採用された。カトリックの教会が「主教座」と表記されていたときは、カトリック用語の「司教座」に直された。だからその日本人編集者は、2009年に、Alex Kさんの書いた記事にある「三位一体」「変容」を、「至聖三者」「顕栄」に直した。
ところが、Alex Kさんにはそれが気に入らなかった。ウクライナ語や英語では、当然ながらこのような区別は存在しない。Alex Kさんは、「三位一体」は日本語の定訳なのに、なぜ「至聖三者」という日本正教会独自の用語を使わなければいけないのか? と反論した。さらに、大部の国語辞典を参照して、「顕栄」とは立身出世するという意味であり、「変容」の方が教義的に正しい、とも主張した。これに対し、日本人編集者たちは次のように答えた。
このような反論にAlex Kさんがきちんと応答していれば、もしかしたら有意義な論争になったかもしれない。だがAlex Kさんは、すでに論駁された自身の主張を繰り返すだけだった。あまつさえ、投票に参加しなかったにもかかわらず勝手に記事名を元に戻すなどの問題行動を起こした。最終的にAlex Kさんは日本語版ウィキペディアから出禁を言い渡され、現在のゆくえは杳として知れない。
Alex Kさんは何が気に食わなかったのだろうか。それはおそらく、日本正教会の立ち位置にある。実は、日本正教会は完全に独立した教会ではない。日本正教会はロシア正教会の一部なのである。
それの何が問題なのだろうか。日本のカトリック教会は、全世界の信徒を統べるカトリック教会の地方支部に過ぎないではないか。それと同じように、日本正教会がロシア正教会の支部であって何か問題があるのか? カトリックと正教会の組織運営上における最大の違いが、まさにこの点にある。カトリック教会は全世界の組織がピラミッド状になっているが、正教会では各地にある正教会は対等な存在で、それらを統べる上位者はいないのだ。つまりカトリック教会が「世界政府」だとしたら、正教会は「国際連合」のようなものなのだ(コンスタンティノポリスの全地総主教はあくまで同輩中の首席にすぎない)。
正教会において、国際連合における独立国のように振る舞うことができる教会のことを「独立教会(autocephalous church)」という。ロシア正教会やブルガリア正教会などはみな独立教会であり、対等な存在である。そして、国際連合に加盟する独立国の中にも自治区があったりするように、独立教会の内部にも自治を許された独自の組織が存在することがある。日本正教会はこのパターンで、教会内の人事は基本的に日本人の信徒や神品(聖職者)で決めているが、教会トップはモスクワから承認を受ける必要がある。日本正教会は、少数派であるキリスト教の中でもさらに少数派で、文科省の統計では人口1万人いるかいないかだ。小さな島が独立を諦めてイギリス領に留まることを選ぶのと同じように、日本正教会はロシア正教会から独立しようとしていない(というか日本だけじゃなく、そもそも東アジアに独立教会がない。中国正教会もロシア正教会の傘下だし、韓国や香港に至っては全地総主教の下の単なる府主教区であって自治権はない)。
つまり、ウクライナ民族主義者であるAlex Kさんにしてみれば、「日本正教会を尊重せよ」というのは、「ロシア正教会を尊重せよ」というふうに聞こえていたのではないか。なるほど彼からすれば、ウクライナ語では正教会とカトリックとで同じ言葉を使うのに、ロシア正教会日本支部ではわざわざ別の言葉を使ってカトリックと差異化しようとしている、と映ったのだろう(ウクライナには「儀式のやり方は正教会だが、組織としてはカトリック」という教会が存在しており、かつてロシア帝国から激しく弾圧されたことから、ウクライナ民族主義の核になっている)。
しかしAlex Kさんが見落としていたのは、日本正教会は日本人によって運営されている教会だ、という点である。確かに教会の設立はロシア人によるものだし、ある時期まではトップがロシアから派遣されていた。だが日本人の正教徒は自分たちで教会組織を運営するようになり、ここ半世紀は教会のトップも日本人が務めている。しかも、日露戦争やロシア革命によって生じた反露世論によって痛めつけられた上での話である。ロシア正教会が気に食わないというウクライナ人の気持ちは理解するが、逆風に耐えながら百年以上も信仰を守ってきた日本人信徒に対する尊重くらいは求めてもよいはずだ。
ところが、Alex Kさんが示したような日本正教会への侮蔑あるいは敵対は、残念ながらウクライナ人のあいだにしばしば見られる。たとえばウクライナ正教会は日本支部を開設しているが、その神品であるパウロ・コロリューク(Павло Королюк)は、「生神女就寝祭」を「聖母就寝祭」と呼ぶなど、日本正教会の用語法を意図的に無視する姿勢を打ち出している。ウクライナでならば好きな用語を使えばいいが、あいにくとここは日本であり、日本正教会の管轄地である。郷に入っては郷に従うべきではなかろうか。また、コロリューク神父あるいは彼に近しい誰かは、日本正教会を侮蔑するツイートを公然としている。まあ、こういうツイートでウクライナへの共感が強まると思っているならご自由にされればよい。増田は、コロリューク神父はキリル総主教の精神的双生児なのだから、似た者同士もっと仲良くすればいいのに、という感想しか持てなかったが。
(そもそも、ウクライナ正教会が日本支部を開設しようという時点で「シマ荒らし」といえる。日本在住の正教徒は基本的に日本正教会の聖堂に通うべきだからだ。とはいえ、移民が移民先に支部を作るのは米豪などでも問題になっているし、ルーマニア正教会も日本に支部を築いたことがあるので、ウクライナだけの問題ではないのだが。根本的には日本正教会が独立教会ではないのでナメられているのだろう。あるルーマニア人は「在日ルーマニア人が教会に行くのに、何でモスクワの許可が必要なんだ?」と嘯いたそうだ)
さらに、一昨年開かれたホロドモールの犠牲者を追悼する合同祈祷式には、コロリューク神父だけではなく「日本における総主教代理であるアンブロシオス府主教」が出席していた。日本の総主教代理とはどういうことか? 実は、全地総主教は日本正教会の自治権を認めておらず、韓国に派遣したギリシャ人の神品を日本の正教会のトップに任命しているのだ。彼は韓国の正教会のトップでもあるので、というかそっちが本業なので、ふだんはソウルにいる。なるほど、ウクライナ正教会が全地総主教によって承認された関係上、全地総主教が認める総主教代理を認めねばならないという事情は理解できる。だがそこでも、日本正教会が日本人の運営する教会だということは無視されている。明治時代からの由緒ある聖書を守り続けている日本人信徒がおよそ1万人いて、神学を修めた日本人の神品が何人もいるというのに、ふだんは韓国に住んでいるギリシャ人が日本の正教会のトップを名乗るというのは、日本人への侮蔑だとは思わないのだろうか?
ロシアのウクライナ侵略が許されざる暴挙であり、ウクライナ人へのジェノサイドであることにはいささかの異存もない。プーチンとプーチンを盲目的に礼賛するロシア正教会のキリル総主教は腹を切って死ぬべきである。Оккупанты, идите домой! だがそのことと、日本人が守り育んできた日本の教会を軽んじてよいかということとは、まったく別の問題であるはずだ。ウクライナ人、特にウクライナ正教会の関係者は、日本正教会に敬意を払うべきだ。彼らはどんなに苦しい状況でも正教会の信仰を守りぬいた人びとであり、彼らの培ってきた伝統は尊重されるに値する。もしもウクライナ正教会がイイスス・ハリストスの教えを日本で守り広めたいと思うなら、まずは彼らの伝統に倣うことから始めるべきだろう。
ところで、ウクライナ語版ウィキペディアの「日本正教会」の記事には、次のような記述がある。
На відміну від католицької і більшості протестантських церков Японії, Японська православна церква не використовує усталеної в японській мові християнської термінології. З 19 століття вона розробила власний словник. Більшість термінів вважаються застарілими словами і малозрозумілі для сучасних японців[13].
この「注13」は次のようなものだ。これは英語版やロシア語版にはない、ウクライナ語版オリジナルの記述である。
Наприклад звичне для японської мови слово «Трійця» саммі іттай (三位一体, дослівно: «три особи одна суть»), що зафіксоване у провідних японських словниках, японські правослані замінили на сісей санся (至聖三者, дослівно: «найсвятіші три особи»). Ця заміна сприймається неадекватно, оскільки друга частина словосполучення — санся означає не лише «три особи», а й «третю строну» або «аутсайдера». Інший приклад — «Преображення». В сучасній японській мові для позначення цього слова використовується термін хенйо (変容, дослівно: «зміна образу»). Японська православна церква замість нього вживає термін кен'ей (顕栄, дослівно: «проявлення слави»), який в японських словниках тлумачиться як «стати заможним» або «вибитися в люди».
Alex Kさん! 生きとったんかワレ! 「顕栄」についての一方的な解釈が健在なのを見てとても懐かしい気持ちにさせられた。さらに、「三者」は部外者というニュアンスもあるから、「「至聖三者」」はTrinityの正確な訳ではないそうだ。もちろんこれは日英露各版のどこにも書かれていない新発見である。確かに「第三者」という語を思い出せば、「三者」に部外者という語義があることは明白だ。このウクライナ人編集者の勉強熱心さには頭が下がるので、次はぜひ序数という概念についての記事を書いてほしい。しかし何より驚嘆すべきは、これほど独創的な日本語解釈が堂々とウクライナ語版ウィキペディアに載っているということだろう。ウクライナ人に向けて世界の言語についての知識を広めようとするAlex Kさんの思いには頭が下がる。きっとそのような手法はモスクワで身につけられたに違いない。いや、実にあっぱれ。<
ただ、史実では、さまざまなことが重なって、弥助は一般的に武士(侍)ではありませんでした。そもそも、有力武将や宣教師などでは無かった為、ほとんど記録には残っていません。
わずかに残される記録(ネットでも確認できる)からわかることは、下記くらいです。
- 短刀と私宅を与えられた(諸説あるが、"信長公記" の写本には記述がある)
- 姓は与えられていなかった(そもそも豊臣秀吉ですら、1~2年で足軽組頭になってないし、"羽柴" の姓を与えられるまでに10年以上掛かっている)
- 明確な役職は与えられていなかった (少なくとも記録には残っていないし、織田信長家臣人名辞典 にも 弥助 の名前はない)
- "耶蘇会の日本年報 第1輯" を見ると、弥助はルイス・フロイトと同じ場所にいた。弥助の戦闘記録が残されているのは"世子の邸"(これはおそらく妙覚寺のこと)
弥助は武士(侍)とは見なされておらず、信長の仇討ちを行う者や覇権争いで障害となる者とも見なされていなかった為、解放され、南蛮寺へ送られた
弥助は、格 (家柄・役割) が無いため、一般的な意味で武士(侍)では無いことが、極端に歴史をサボっていない日本人なら誰にでもわかるとだと思います。
『武器を持てば武士(侍)』、最近そのように日本のアカデミアの中で定義を変えたのであれば、お知らせして頂きたいところです。
今まで、農民の子孫という自認だった人は、一度でもご先祖様が戦に参加していれば、これからは武士(侍)の子孫です。
あるいは、ご先祖様が用心棒として武器を持ったことがあれば、これからは武士(侍)の子孫です。