はてなキーワード: 顧客とは
なんで夜10時頃の電車でも身動きとれないレベルで満員なんだよ
通勤特快みたいな名前のやつだったがこんな時間まで働いてる社畜が多いのか
5時とは言わんが7時位には帰れよ
しかも直ぐ横のやつが社内システムみたいのを見たり書き込んだりで普通に全部見えたんだが
あんな満員だと見ようとしてなくても身動き取れんし眼の前にすぐにスマホが来てるし目を閉じなければ見えるわ
あーなるほど顧客層ばっちり合ってたわけだ
ある種の共通仕様書テンプレみたいなものが作られて顧客の要望をその仕様書にうまいこと落とし込む能力を磨いたSEだかSIerだかコンサルだかがお金いっぱいもらえるようになるんじゃないの知らんけど
受験戦争乗り越えて大手企業入って、夜まで働いて金も能力も権力もある相手仕事するのに比べたら、楽すぎて何が大変なの?ってなるよね。
俺は風呂入ってる時も2コール以内に顧客対応できるようにしてるし、
深夜に起きるのなんて当たり前だし、朝早いのも当たり前だし、人に人格を否定されるのなんて当たり前だと思ってるよ。
朝5時に起きてジム行って1日の準備して、
ドロドロのスープみたいになるまで働いて帰宅0時以降、飲みや接待あったら朝帰りなのが「普通」だからね?
子育ての何が大変なの?
ねえ、何が大変なの?
答え、あるじゃん。
大体教科書通りにやりゃいいよね?
ミスっても「自分の身内」しか損しない時点で精神的疲労なんてないよね?
ねえ、何が大変なの?マジ。誰にも味方してもらえないなんて当たり前だよね?
仕事なら他人の育児が如何に上手く行かないようにするか考えてるやつと戦うのが当たり前だしさあ。
ガキは3人育てたけど「大変」とか思ったことないわ。
それが普通なんだよ?
そういう中で、ガキ育てるのなんて「笑顔」って報酬があるだけ大いにマシ。
何が大変なの?ねえ?ねえ?本当に何が大変なの?
日本における車齢の平均が10年程度らしいので今日から新車販売のすべてがEVになったとしても、単純計算で全て置き換わるのに10年かかる。
しかし、人間の振る舞いは杓子定規ではなく、色々なものに影響される。それを少し列挙してみたい。
つまり、EV増加率は最初は小さくても次第に傾きが増してていき、ある時点で急増するという構造を持っていると思う。スマホの普及のようにね。(これはネットワーク効果と呼ばれる)
10年後に幹線道路沿いの歩道で綺麗な空気で深呼吸できることを願っている。
返信しました (anond:20251105044843, anond:20251105043844)
こういった事は高校生の頃から言ってきたが、2026年はBYDが軽自動車を持ってくるし、国内メーカーも大衆車EVラインアップを出すので記念に書いてみました。
ウェブアプリ系の開発してるが、マジにカネより時間が大事なのでアホ顧客には二度とかかわりたくないっていう流れで二度とウチに話持ってくるなという案件はちょいちょいある。
で、大体そういう客はほかでもやらかしてるので業界では良い顔をされないので、ゴミみたいな会社が引き受けてゴミがゴミを相手に揉めて担当者が飛んだみたいな話を聞きながらほかの連中と酒を飲むのが楽しい。
安定した仕事があって、それをこなすという意味なら顧客の信頼獲得とか、社内の同僚のタスクにねじ込んでもらうという調整が不要なのでリモートで安定的なやり取りで済むのはそうなのかも。
逆に、なんか無理をねじ込んででもやってかないとみたいな局面では、対面で会うのは、双方がかけるコスト以上に障壁を取り払う効果が出るような気がするんだよなぁ。
休日出かけるとホモソの底辺みたいな父親が息子にぶつぶつ嫌味垂れてたり「そんなこと言ってっと引っ叩くぞ?」とか凄んでたりとにかく不細工で社会の底辺みたいな小汚い男が子供育てるのが害悪だとよくわかる。
娘連れてる底辺パパは小学校高学年くらいの娘からベタベタされてまんざらでもないみたいな顔してUFOキャッチャーに金吸い込まれまくってる。
娘は西松屋だかバースデイの型落ちみたいなボロボロな服や靴を着せられてる。ゲーセンに吸い込まれた金でいい服買ってあげればいいのに。
息子連れてる底辺パパは一様に、底辺SEみたいな顔と体型してる。コーディングの本質理解できないのでテスターしかやらせてもらえないプログラマーに片足突っ込んだ40歳SEみたいな顔。小太り。
娘連れてる底辺パパは底辺IT営業みたいな顔と体型してる。背が低くてパーマかけてる髪はツヤがない。太ブチメガネとガリガリな体型。自分を売ることばかり考えて本質的な顧客への問題解決が提案できず自社サービスのエンハンスにもついていけなくて孤立してる感じ。飲み会にはしがみつくように参加する。
先日、とある用事で外出した際に、早く着きすぎてしまったのでカフェで時間を潰していた。
そのカフェはオフィス街にあったので、客の多くはサラリーマンのようだった。ノートPCで仕事の資料を作っている人や(余談だが、これはコンプライアンス上望ましくないのでやめたほうがいいと思う)、同僚と雑談をしている人などに混じって、少し目立つ4人組がいた。入社5、6年目らしき会社員2名と、真新しいスーツを着た学生らしき人物が2名。漏れ聞こえてくる話の内容から察するに、先輩社員とインターン生ではないかと思われた。
先輩社員が会社のことについて話し、インターン生がそれを聞く。こういう光景は割とよく見るが、今回は少しだけ様子がおかしかった。2名いる先輩社員のうち熱弁をふるっているのは片方だけで、もう片方の社員は退屈そうにスマホをいじっている。インターン生2人は一見熱心に話を聞いているように見えるが、「そうなんですか」という合いの手にはどことなくぎこちなさがある。
しばらく話を盗み聞きしていると、なんとなくヘンな空気になっている理由がわかってきた。先輩社員がランチなどの時間を使ってインターン生相手に会社での生活を語ったりすることはどの会社でもよくやられていることだとは思うのだが、その時先輩社員がインターン生に語っていた話の内容は「会社の話」というよりほとんど「自分語り」だったのだ。「俺は〜」から始まる話が異様に多く、しかも他人にとってはすこぶるどうでもいい話で、はっきり言って友人には絶対にしたくないタイプだ。もう片方の先輩社員がずっとスマホをいじっているのは、そんな同僚の態度に飽々しているからだろう。しかしインターン生2人はそういう態度を取るわけにも行かず、熱心に話を聞く「振り」をするしかない。
僕はこの光景を見て、「いやったらしいなぁ」と思わずにはいられなかった。世の中には「逆らうことができない立場」というものがある。たとえば、部下は上司には逆らえない。飲食店の店員も客には逆らえない。この場合で言うと、インターン生は先輩社員には逆らえない。先輩社員の「自分語り」に対して、あからさまに興味がないという態度を取ることは許されず、どんなに話がつまらなくても「熱心に聞いている」振りをして「参考になりました」とお礼を述べなければならないのだ。絶対に殴り返してこない相手をせっせと殴る光景を見せつけられたような、そんな気持ちになった。
これと類似の事象は、たとえば飲み会の席で上司が部下に対して行う説教であるとか、飲食店の顧客が店員に対してつけるクレームであるとか、「立場の違い」が存在する至るところで発見できる。立場が上の者は、その立場の分だけ本来の実力よりも余分に力を持つことができる。そしてより一層罪深いように思えてしまうのは、こういった立場の違いによるバイアスの存在に無自覚で、それを自分の本当の実力だと勘違いしてしまっている人たちがいることだ。こういうのはものすごくみっともないし、かっこわるいと思う。
今回インターン生相手にずっと自分語りをしていた先輩社員も、同じことを同期との飲み会でやったらおそらく誰も真剣に相手をしてはくれないだろう。飲み会でいつも部下に説教をする上司も、家に帰って息子に同じことをしたら煙たがられるに違いない。立場の違いによって得た一時的な力を、自分の本当の実力だと勘違いするのはみっともないことだと思う。立場に差があるときこそ、謙虚さを忘れないでいたい。
* 「ダウンタウンが昔から苦手だった」論についての続きです
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これは彼らの責にはよらないところ、そして増田の嗜好による部分も大きかろうとは思うが、『ダウンタウンDX』などは端的につまらないとしか思えなかった。
薄い記憶頼りの記述になってしまうが、例示した番組はいくつかのミニコーナーによって構成されていたはずである。そのコーナーのどれをとっても昼間のワイドショー的なノリに過ぎないように思えてしまっていた。
もちろん、そうしたノリが好きな人も多いのだろうし、呼ばれたゲストが好きな回だけ見るという人も多かったのだろう。
「サナ活」が工作されているのではと訝しまれる(実際にムーブメントとしてあるか・工作なのかはここでは問わない。単に首相や皇族やへの支持まで「推し活」として括ることがあり得るものとして消化される)ほどの、この推し活大時代において、人生に一人とて「推し」がいたことがない。
だからなのか、自分の生活に関係しない、他者たる有名人の惚れた腫れた不倫などなどへの興味も昔からなかった。
もっとも、「昼のワイドショー」的な内容でこそあっても、話芸によって付加的なコンテンツ性が生まれるのだとの論はあるやもしれない。
それでもなお笑いどころがわからなかったし、そのわからなさが、世界から拒絶されるような感覚さえも覚え、しんどかった(斜に構える思春期真っ盛りより前は、「みんなとなるべく同じになろう」と素朴に思っては達成されないと寂しさを覚えるものではありませんでした?)。
「お決まり」としての叶姉妹の私服が高過ぎるオチは理解できるにしても、1時間尺の番組でこうした部分しか笑えないのなら、この時点ですでに「not for me」でもあった。
けれど、「not for me」の「用法」もなければ、彼らがスターすぎた当時、そんなことを言えない閉塞感がたしかにあったのだ。
ほかにも要因はあるかもしれないが、すぐに書き出せた「好きじゃない」理由はこのようなところである。
①で書いたとおり、かつての「天才的なネタ」を(知りたいと思えた上で)知った先に、その文脈ありきで見方が変わる可能性は否定しない。
だが、一視聴者として、①〜③の複合要因から長年にわたって苦々しく思ってきたのは事実だ。
そのなかで現れたのが文春砲であり、マスメディアへの露出停止だったのである。そりゃ、一言二言、「好きじゃなかった」くらい言いたくなる人が出てくるのもやむなしでしょうに。
こうした前提の上で、『DOWNTOWN+』の始動と、それ以上に、あまたの芸人の賞賛や出演、そして視聴者の熱い支持に、どんよりとした思いを抱いている。
「“ゴシップ”になんて負けないで」というのは言語道断であるからよそにするが、「その存在の偉大さにこそ比べてしまうので“あれば”、瑣末な問題だ」とでも言いたげな反応が、苦しい。
増田の個人性が高い①や③を、なんなら②までも措いてしまって、掛け値のない偉大な芸人だったとしよう。
だが、偉大であればこそ、勇退する判断をしてもよかったのではないかという問いは、問題なく成立するのではないか。
今ではびっくりするほど擁護論を聞かない島田紳助だが、引退間際のテレビ欄の染め上げっぷりはそれは凄まじかった。それでも引退し、はや14年が経つし、なおも動きはない。
素人たる視聴者からの(紳助への)支持と、プロたる芸人からの(松本への)支持は等価でないとは言いやすいかもしれないが、島田紳助のカムバックがもっと予見される状況かつ、SNSが今ほど発達している状態だったら、容易くそれだけが違いだとはいえないと思う。
※余談だが、増田は島田紳助ファンでも当然ない。むしろ『クイズ!ヘキサゴン!』などは大嫌いだったし、『行列のできる(法律)相談所』は長年の負の遺産だったと思っている。
日本の一時代を築いた、伝説の芸人ことダウンタウン・松本人志がいた。あとから出た芸人はあまねくダウンタウンの影響を大いに受けて育まれた。
バブル前後の国力成長期に飛ぶ鳥を落とす勢いで力を蓄えていった氏には、たしかに「しんどく」も映るのかもしれない。だが、しんどいのは「お笑い」以前に、人々の生活そのものなのではないか。
それに芸人当事者でいえば、「そこそこ」の暮らしができる芸人たちは、SNSによってかつてより増えているのではないか。「M-1グランプリ」の参加者数が毎年歴代最多を更新するような、成長産業ではないのか?
たしかにあなた(がた)は、変え難い伝説の化身となった。それでもう、万事よいではないか。これ以上、なにを望むというのか。
もうきっと、メディアの構造上として、ダウンタウンの後釜は現れない。あなたが幻影を追っているとしばしば揶揄される、北野 武にこそあなたもなれずとも。それが時代の残酷さであり、甘やかさではないかと思う。
「課金しなくては見られない」、ゾーニング性のあるチャンネルに活動を絞っている以上、顧客でない外野がとやかく言えたもんじゃないとの反論もあるだろう。
だが、その反論こそ、「ダウンタウン・松本」の影響力の大きさを軽視したものではないだろうか。
増田はその影響力の大きさ強さを信じているからこそ、『DOWNTOWN+』を批判するのである。
※令和に青春を過ごす世代のために蛇足の補足をしておくと、増田がここで書いたゼロ年代半ば〜10年代初頭くらいは、リビングのテレビ(今はモニターの家も多いか)に、ネットは接続されていなかった。
そのため、『8時だョ!全員集合』ほどの影響力は失った(リアタイではないから一般論だが)、メディアの過渡期ではあるにせよ、今とは比べ物にならないほどの力がテレビにあった時代なのである。
「東海オンエア」? 話にならない。幼児から高齢者まで、真の「テレビスター」ならば、その名前を誰もが知っていた時代の話である。増田以上の世代なら、ヒカルよりも島田紳助とみのもんたのほうが知名度はよほど高いだろう。
当時までは、まさに「お茶の間」がその場に出現した時点(食後、リビングを行き交うような時間・空間のことだ)で、地上波(アナログ放送)が点いていないことのほうがイレギュラーだった。だから、つまらないと思うテレビ番組のことも、このくらいに知っていてもなんらおかしくはないのである。
先月「Slack断食」を30日やった。ぜんぶの通知を切って、午前は一切開かない。午後に2回だけまとめて見る。
先に結論を書く。
1日の「まとまった作業時間」は 平均54分 → 3時間18分 に増えた(タイマー計測)。
PRのリードタイム(着手→レビュー依頼)は 1.8日 → 0.9日 に短縮。
「なんとなく疲れてる」感が減って、帰宅後に本を開けるようになった。
もちろん職種やチーム文化による。あたりまえだけど緊急対応が常態の人には不向きだと思う。
■ルール
通知全消し:@channelもDMも。インシデントチャンネルのみON。
午前は断食:Slack/メールは開かない。タスクと資料だけ。
午後に2回だけチェック:13:00と16:30に各15分。返信はできるだけテンプレで短く。
チャンネル棚卸し:毎週金曜、読んでないチャンネルを抜ける or ダイジェストに。
「生産性改善の実験で、Slackは午後に2回まとめて確認します。緊急時は電話/Teamsを使ってください。返信は遅れますが、作業の完了は早くします。」
■Before/Afterで起きたこと
会議の数が減って質が上がった:アジェンダ無しの招待は「内容だけドキュメントにまとめてください」と返す運用にしたところ、約半数は文書上のやり取りだけで完結し、会議そのものが不要になった。
横取りタスクが減った:その場で拾わず、午後の確認まで寝かせると、他の誰かが解決していたケースが週に2回くらいのペースで発生した。(その誰かに工数をかけさせてるわけだが)
メンタルの凹凸が減る:通知に心拍を連結させない。午前は手を動かすだけの世界にできる。
情報の取りこぼしでの実害はゼロだった:重要なら午後のチェックで追いつけるし、本当に緊急なら電話が鳴った。
気分がいいまま過ごせるようになった:自分のペースで仕事ができるってなんてすばらしいんだろうか
■返信テンプレの一部
「この件、午後13時の確認タイムで内容見てから返答します。」
「緊急度を確認したいです。本日内/今週中/来週でも可のどれでしょう?」
「そのテーマ、週次定例で扱った方が良さそうです。議題に入れておきますね。」
「先にドキュメントに要件を書いてもらえますか。コメントで入ります。」
■ありそうな反論
Q. チームの透明性が下がらない?
A. 逆。会話をチャンネルに寄せ、要点はドキュメントに残す運用に寄ったので後追いが楽になった。
A. 「即レスの代わりに、確実なアウトプットを増やす」と宣言する。成果が見えれば、周囲は文句を言いづらい。
A. 顧客は早い返信より一貫した進捗を喜ぶ。進捗報告の定時化で満足度はむしろ上がった。
■失敗談(やらかし集)
全社アナウンスを見逃した:アナウンスのチャンネルだけはモバイルでプッシュ許可に。
午後の確認をサボると炎上:2回のチェックは絶対に守る。守れない日はカレンダーに明記。
DM地獄の温床:DMで来た要件はチャンネルへ移すを徹底。つーかDMしてくんな
■仕組み化のコツ
タイマーを回す:自分は25分集中、5分休憩の典型的ポモドーロタイマーがよかった。
午前の最初に「1行だけ日報」:今日やることを1行。終わったら結果を1行。長文にしない。
まとめ
通知って、“有益な情報”をくれるものに見えて、実は作業を中断させる“割り込み”として機能してることが多いなと感じた。
しかも厄介なのは、その割り込みを自分の意思で受け取ったように見えることだ。
実際には、誰かの都合で伝えたい割り込みを、こっちの集中を犠牲にして処理してるだけなのに。
Slackもメールも、見に行く時間を自分で決めるだけで世界が変わった気がする。試しに1日だけでもやってみてくれ。向き不向きは個人差あると思うのでどうなるかは知らん。
君は
・そんな絡みを嬉しく思わない、むしろ許せるはずもない層も当然いて
と述べているがそれはつまり
・そうではない層も当然いる
ということを表しているし
・喜ぶような層もいる
のではないか
実際に該当のパフォーマンスは当然だと受け取る人たちがいるのも明記されている
それを
・俺が嫌な思いをするんだからやめろ
ならともかく
・顧客様が嫌がるようなことをするな
と、敢えて目的語を大きくしているのはどうしてだろうか
別に君のような人間や同じように考える人間がいて今回のパフォーマンスに異議を唱えるのはいい
でもそれを「運営は客のことを考えてない」とするのは傲慢ではないか
・俺が望んだパフォーマンスではなかった
だけではないのか
まぁそれがわかっているから船を降りたんだろうけど
シャニマスのライブ上の演出について一部界隈で物議を醸している
シャニマスとはアイドルマスターシャイにカラーズというゲーム及びその関連コンテンツのこと
プレイヤーは「プロデューサー」となって主にアイドルを育成するコンテンツを楽しむ
「ファン」ではない独自の視点がもたらす体験がこのシリーズと他の二次元アイドルコンテンツとの最大の違いだと、個人的には思ってきた
で、問題になっているのは、このコンテンツのライブで行われた演出
先に開催されたシャニマス7.5thライブルアーのファイナル公演『螺旋』では
バンドマンたちもライブを盛り上げてくれたが、本題ではないのでここで触れるに留める
披露された曲の一つで、出演している女性アイドル(声優)と男性ダンサーの絡みがあったのだ
身を寄せ合ったり、膝に乗ったり
そんな絡みを嬉しく思わない、むしろ許せるはずもない層も当然いて
私は2日目の公演(2日間開催)を配信で視聴した
個人的に違和感があったのはステージで実際にそのパフォーマンスがあったときよりも
その後のMCで出演者が「膝に乗ったくらいでどうにもなりませんから」みたいなことを言ったときだ
はっきり言って、こんなことをしたら嫌がる層が客にいることなんて考えるまでもないことだし、MCで触れたということはしっかり認識していたということだ
そして案の定、こんなことになっている
やる必要なかっただろ
というのが第一印象
ここで私は、この件に関しても運営が悪いと思った
ユニークな文章で、こういう感情が冷笑の対象になることはわかっているが、嫌なものは嫌、と素直に綴られていて意外と好感が持てた
そのなかで、ブログの筆者が自身に寄せられた非難というか反論というかをいくつか挙げていたのだが
その中で個人的に気になったのが「K-POPではよくあるやつなので、K-POP系譜のシーズ(問題のステージを披露したユニット)なら当然でしょ」みたいなコメントだ
じゃあなんすか……
シャニマスさんはクソ高いチケット代払ってわざわざ現地や配信観に来るような自分たちの顧客が嫌がるってわかりきったことを、どっかの流行りをマネしたいってだけでやって炎上してるっていいたいんですか
…………やるんだよなぁ~~~~~~~!!!!
そう、個人的にわざわざ筆を執って匿名投稿にいたったのはのは他でもない、この感情なのだ
最近のシャニマスは、熱心に追いかけても客の方をまるで見ていない、と感じてしまっていたところにこの件はぶっ刺さったのである
そんなことよりバズりたそう
『Y/M Love letter』が普段と違う層に触れられたこととか
『SOS』のバズが忘れられないのだろうか
もう一度TikTokでバズりたい感じがしてならない
最近のストーリーは、有名文系私立を卒業して、大企業だからで入社して、文学部卒だからで配属された人がネットで集めた知識で書いてるんかなっていうくらいのペラペラ感
ライブもそう。シャニマスのためのライブじゃなくて、ライブイベントを開催するためのシャニマス。
ステージ用意したんで踊ってくださいよ、コンセプトは後付けでくらいの適当さ。
今回のツアー全体もそう
コンテンツの売りとしてさんざんっぱら「実在性」だの「リアリティ」だのと主張していたにもかかわらず
急にツアー各公演は並行世界で、ファイナルでそれが統合されてみたいなこといいだして
なんかそういうファンタジーも好きな人があれこれ考えてるのを眺めてるけど、だとして、だからなんだったの
……と、色々溢れてしまいましたが
要するに顧客の方を向いていないと思ってる
私自身、6周年まではほとんど全部のライブで現地に足を運んでいたが
今年はもう嫌になって在宅でいいかと思っていたところにコレだったのである
本当にもう無理かも
俺はもう船を降りるよ
円環とか螺旋とか言ってるし、いっそ宇宙の彼方へいってくれれば、目の端に移って煩わしいこともなさそうでたすかる
「炎上」という言葉に引っかかっている様子の言及があり、「なるほど、ちょっと言葉が強いか」と思ったので関連する表現を修正しました
ただ、問題が社会的な規模としてどれくらい大きいかとかは増田はあまり気にしていません。この増田は表題どおり個人的なことなので、「普段はSNSでもライブの感想も目につかないけど、今回はこの件が自分のところまで土解く状況になっている」くらいでも、問題が生じているということに主眼をおいています。