はてなキーワード: 前略プロフとは
そもそも氷河期世代の大卒は上の世代と下の世代と比べてもそこまで貧しくなっていない。
https://gentosha-go.com/articles/-/46122?page=2
2019年:46.55万円/724.9万円、50.42万円/799.3万円
2021年:44.21万円/676.1万円、47.86万円/738.5万円
この社会階層は親世代のブルーカラーより圧倒的に貧しくなってる。
コンクリートから人へとか、製造業派遣の規制緩和とか、タクドラの規制緩和とかで。
一方で高卒層は20代のときにパソコン持ってないとかネット回線ないとか
またネットで発言する習慣がない(あってもバクサイや前略プロフ)
氷河期世代の大卒はまったくもって団結するインセンティブが無い。
今でも、毎日InstagramやTwitterを開くのと同じようにmixiやモバゲータウンを開いてしまう。
誰も日記など書いていないのにも関わらず。
マイミクの最終ログイン日は全員1週間以上前だし、足跡の一つも付かない。
自分はアラサーだが、教育方針上、小学生の頃から自分用のパソコンを買い与えられ
(これから先絶対必要な時代になるから小さいころから触れておいた方が良い、という考え方だった)
幼いころからインターネットに馴染みがあったのであらゆるSNSやネット上のコミュニティを経由してきた。
お絵描き掲示板みたいなものに始まり、魔法のiらんどやモバスペの個人サイト、
ネトゲだけどラグナロクオンラインとか、小規模のチャットやらも色々。
いわゆるそのコミュニティの常連になって、ネット上に友達を作るということを小学生の頃から続けてきた。
このあたりで知り合って、今でも連絡を取り合ったり、リアルで飲みに行ったりする友人も居る。
ネット上のコミュニティでゆるく仲良くなる独特の雰囲気が好きだ。
ただ今現在、InstagramやTwitterで同じことをやれば出会い厨認定されがちである。
俺が求めているのはオフパコではない。
顔の見えない、年齢も全然違う相手といきなりタメ口でどうでもいい雑談ができるスペースだ。
そうしているうちになんとなくコミュニティっぽくなってくるあの感じだ。
今では常連が集うタイプのこじんまりとした居酒屋とかバーに通っては
増田も好きだけど、匿名じゃなくてHNを使う絶妙な空気感のサービスがあったらいいのになと思う。
毎日見てしまうのは昔住んでいた街を訪れたとき、当時よく通った店の前を通ってみるような感覚だろうか。
以下は完全な主観と狭い範囲の経験談の産物であり、つまりver.0なので、追加・異論反論大歓迎
皆でこのリストの完成度を高めませんか
◆成長期
・note
◆成長著しかったけど失敗に終わった
◆今が全盛期
◆全盛期は過ぎた感
・東方
・なろう系
・爆サイ
民度の低さがよく指摘されるけど、似たような立ち位置のまちBBSを駆逐したのではないか
・食べログ
・ヤフオク
・ヤフコメ
◆落ち目
・ニコ生
◆衰退著しい
・5ch(旧2ch)
・はてな村
・スラド
◆(ほぼ)絶滅
megabbsとかthebbsとかいちごbbsとか、もう誰も覚えていないだろう
・mixi
(多分会社が存続できてるのはパズドラだかモンストだかのおかげ)
(これは当時友達がおらず、誰からもバトンが回ってこなかった逆恨みである)
・モバゲー
2021年 https://togetter.com/li/1694773
2018年 https://togetter.com/li/1297268
そもそも「URLが分かる」方が例外だろうし。そこで雑だけどURL(URI)が分かる可能性が高い、PCのインターネットってやつに親和性の高い例外的な時代を取り出してみるよ!
古い側は、1995年。Windows95だもん。この時に20代なら、影響を受けている可能性が高いと仮定するよ。
一方の新しい側は、2005年とするよ。一応目安はあるんです。
こんな証言もあるよ。
https://kakeru.me/other/snl-zenryakuprofile/
「私たちの間で前略プロフが流行っていたのは、mixiが流行りだすよりも前。約10年前の2005年頃~2007年頃、中学2年生の頃ですね。」
魔法のiらんどは、サービス開始こそ1999年だけど、2006年に企業名を株式会社魔法のiらんどに変更。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%94%E6%B3%95%E3%81%AEi%E3%82%89%E3%82%93%E3%81%A9
だから、2005年には携帯ネット接続がPCによるそれを凌駕していたと仮定して、この時期以降に高校生だったらPCより携帯が主になると仮定するよ。実際はもう少し前からこの状態だっただろうけどね。
というわけで、1966~1987年生まれの世代が、「PCのインターネット」のコア世代と勝手に推定してみる。もちろん雑な仮定だけどね!
自分が中高生の頃は皆個人ホームページやブログを持っていて、それがとても楽しかった
皆ブログだのホームページだの前略プロフだの、携帯でカチカチやってた
今はインスタやTwitterが主流で、ブログサービスに以前程の活気が無いし、個人ホームページなんて絶滅寸前
Twitterはアカウント持っていて、楽しいのは楽しいんだけど人が沢山居すぎて浅く広くって感じだなあと思う
テンプレートとかないし自分でアドレスを管理する必要も無いし、気軽に楽しめるのはとてもいいと思う
あの頃の文化に戻ってくれとは思わないけど、1日で良いからあの頃に戻って色んなホームページを見てみたい
そしてURLを色んなところに貼ったりして人を呼ぶあの感じが楽しかった
今よりもネットの扱い方に気をつける必要があったけど、凄く楽しかった
その頃自分が運営してたホームページなんて厨二病過ぎて今見たら多分失神するけど
GAFAの前に誰もいなかったわけじゃない。
みんなヤフーやイーベイやマイスペースやそして巨人マイクロソフトに勝ってきた。
ツイッターの前にはオルカットもいたし我が国にはなんといってもミクシィがいた。なんなら前略プロフもあった。
ユーチューブの前にユーチューブはなかったかもしれないがナップスターもウィニーも“著作権法”の前に倒れた。だがユーチューブは生き残った。
インスタグラムの前にはTumblrがいたし、TikTokの前にはvineがいた。LINEの前にはスカイプだっていた。
だが、みんな、このウィナー・テイクス・オールと言われる世界をひっくり返して、今日の覇権を得たのだ。
GAFAはじめ現行覇権サービスに不満を持つものは多い。ならばなぜ“GAFA”の次が出てこない。なぜ我々に選択肢は与えられないのだ。
徴用工の問題がネット上を駆け巡り、韓国非難が飛び交っている。
そんな情報をボーっと考えながら「そういや韓国人ってどんなイメージだっけ?」とふと思い、書きなぐってみた。
完全に私の主観であり、客観的データもなく、一度もググってもいない。
だから揚げ足取られまくりの文章だけど、「30歳前後の人はこんなイメージを韓国に持っているんだな」という
私が小学生の頃、冬のソナタが流行り、ペヨンジュンブームが起きた。
その時のブームは凄まじいもので、韓国=アジアの情愛の国というイメージが植えられたような気がするし、
冬のソナタ後も、韓国の恋愛ドラマはいくつも放映された(名前はほぼ憶えていないが。)
ぶっちゃけ、それまで現時点の日本人の韓国という国のイメージは「キムチ」でしかなかった。
隣国と言えば、中国だったし、ドラマでもアニメでも「~アル」というキャラクターはそこら中にいた。
インターネットもあったが、一般日本人の情報収集といえば、新聞とテレビのニュースだけで、
多分、アラサーが小学生、中学生位のころは、一番、対韓国の好印象が高かったのではないだろうか?
その時も水面下ではインターネットでネトウヨのような活動もあっただろうけれど、わざわざパソコンを開いて検索することもなく、
iモードという世界に閉じられた世界で僕らはモバゲー小説で王様ゲームを読み、チャリ走を爆走させた。
つまり、韓国のニュースは冬のソナタ以降、そこまで情報は入っていておらず、印象も「キムチ・情愛・観光」くらいのものだった。
iPhoneが爆発的に売れ、だれもが手のひらにインターネットを握っていた。古今東西、人はニュースが大好きであり、
ヤフーニュースを読む人も多かったが、今のインターネット同様、ちょっと横道にそれると、玉石混交の記事や、
特に2chまとめが大流行していた時で、PVを稼ぐために、煽情的で攻撃的なタイトルが氾濫しており、
・領土問題
などはその時、ネット上で広く知れ渡った。(真実かどうかは別問題。)
それと同時に「韓国人はレイプ魔だ」「韓国人は遺伝問題で感情が抑えられない」など本当かどうか全くわからない問題も広く流布した。
公には言わないけれど、その時から「反日・嫉妬・攻撃的」が韓国のイメージになってきたと思う。
表面を見ると、KポップとAKBが日本の音楽で圧倒的存在感だった。
ドラマでも昼間のおばさんしか見ない時間帯はチャングムの誓い?かよくわからない韓国ドラマが流れっぱなしだった。
放映料が安いとかもあるけれど、ある程度、数字がとれる人気ドラマだったのだろう。
当時の中学生女子は間違いなくAKBではなく、KARAが大好きであったし、Kポップをリスペクトしていた。
彼女らは現在は大学生だが、化粧も「なるべく素できれいに見えるメイク」ではなく、
韓国系の「肌を白く、唇を真っ赤にするメイク」が流行っている。
色々と文章がとっ散らかったが、
要はネットで情報を得る男性と、テレビで情報を得る女子中学生は韓国人に対するイメージが断絶されていたのだ。
しかし、今回の徴用工の問題では、どの紙面でもテレビでも「韓国の判断はありえない」という論調だ。
慰安婦問題や土地問題ですら、各局バラバラで玉虫色の報道しかしなかったのに、
これは私の記憶の中だと初めてだったと思う。
そのため、これから私の韓国人観がどう変わるのか、楽しみにしている。
ちなみに私の個人的考えだと、ここまで急激に対韓国のイメージが悪くなったののは、
だから、冬のソナタが大流行した時は、「日本人観+情熱」みたいなのが韓国のイメージであり、
しかし、インターネットを通じて、韓国の反日の実態を知ることになる。
文章やニュースだけなら「そういう国なんだ・・・」と思うだけだが、
日本の首相の首を切るパフォーマンスや韓国の子供への過度な反日教育を画像で見れるようになると、
「日本人観+情熱」なイメージを壮大に裏切ったため、イメージ悪化になったのだと思う。
考えてみれば、韓国は民主主義として近代化したのもごく最近だし、
私達が冬のソナタやKポップ、似た面影のイメージだけで、過度の期待を持ってしまったんだろう。
これからは韓国という国に過度に期待せず、絶望もせず、淡々と事実を積み重ねて、
その事実の塔を見上げて、「韓国というのはこのような国」と判断していきたい。
最近といってもおそらく2年くらい前から、家の近くに初恋の女の子が引っ越してきた。
彼女は社会人なので、通勤のために実家から通っている。僕の方は取りこぼした単位を拾う為に今期から真面目に1限に出席するようになって、そのおかげで朝の電車が同じになることがたまにある。今までは1限なんかにとてもじゃないけど出席することもなかったから、まさか1限に出ることで同じ電車のしかも同じ車両になることがあるなんて思いもしなかった。
確かに地元は一緒だったし、なんだったらどの辺に住んでいるのかも知っていたから、僕の最寄り駅にも自転車を使えば通えないこともない。彼女の大学が高田馬場から東西線で一駅のところだったから車両の一番後ろに乗ることを知っていて、僕の方は西武新宿で乗り換えて中央線に乗っているので、一号車に乗る。だから思いもしなかったっていうのはさすがに言いすぎかもしれない。ただ同じ車両になるというのはひどく窮屈だ。緊張しさえする。こちらとしては彼女の姿をこの目に収めておきたいのに、羞恥心が邪魔をしてしまう。職場が青山にあるというので大江戸線に乗りたいのだろう、彼女が中井で降りる気配を感じる。夏目漱石のこころをiPhoneにインストールしているkindleで読み直しているけど、様子が気になって内容がちっとも入ってこない。
こんなことになるなら、引っ越すとしても元の家から徒歩で15分くらいのところじゃなくて、もっとこう"シティ"な感じのところにしてくれたら良かったのに。パパが僕たちの地元を大変お気に召しているのだろうけど、大したもんはココにはない。ジョギング中の夫婦が「ヨーロッパに来たみたい」なんて言っていたのを聞いたことがあるけど、僕は地元に"ヨーロッパらしさ"を感じたことは一度もない。ヨーロッパらしいってしかもアフリカっぽいと同じレベル感なのがグッとくる。フランスもドイツもスイスもフィンランドも"ヨーロッパっぽい"のだろうか。
それにしたって彼女は気まずくないのだろうか。もしかしたら彼女の方は全く気にしていないどころか、僕なんかに微塵も興味を感じていないのかもしれないけど、それにしたって不都合だ。朝の通勤時間に小説やビジネス本を読むような彼女には東横線か、あるいは田園都市線がお似合いだと思う。青山の広告代理店でパリッとクリエイティブな仕事をしているのなら、意外と二子玉川や武蔵小杉なんかも良いかもしれない。トレンディがある。そんな彼女の住まいが閑静なローカル線の住宅街で僕の家から走って2分だなんて。
初恋の女の子が僕の通っている小学校に引っ越してきたのは4年生の時だ。
学芸会の準備で役を決める際に視聴覚室か何かに学年で集まる機会があって、僕はその時三組だったから、二組に転校してきたその子を見かけるのはそれがはじめてのことだった。僕は一目惚れをした。
控えめにいって、ものすごく可愛かった。もしかしたら可愛くないのかもしれないとかそういうことを思うことなんか一切ない。疑いのない可愛さ。とにかくものすごく可愛かったのだ。広末涼子のような清涼感にしかしどこか影のある、もしかしたら深田恭子かもしれないようなミステリアスさ、とまではいかないけど、こう、幸の薄そうな、アンニュイな佇まい。目が合っているようでどこか僕よりも遠くを見ているようなそういう雰囲気のある女の子。きっと心臓に包帯を巻いているに違いない。
そんな少女の横顔を偶然にもあの場で拝んでしまったその日から、僕の好みの女性のタイプが確立してしまった。確実に言える。初恋というのは実に恐ろしいものだ。
僕は地元の公立中学に進学することを決めていたし、彼女が日◯研かどこかの塾に通っていてそれで女子中学校を受験するというのは友達から聞いていたから、中学に上がったらこの思いも終わってしまうんだなと思っていた。金輪際のお別れになるんだろうなって思った。なんでかわからないけど、また会えることを期待したお別れであったり、悲しさのようなものを感じないまま中学生になった。今思えば、そういう感情が終わってしまうということが当時の僕にはよくわからなかったのだと思う。小学生の頃の僕たちはただ誰が好きだ誰と両思いだとかそういう秘密を"バクリョー会"と名付けたなんだかよくわからないグループでこっそり共有しあって、それでその子と廊下ですれ違うたびに肘で突き合うといった交友関係を楽しんでいただけだったのかもしれない。一度も話したことのないにも関わらず、これは初恋なんだって確実に言えるそれは小学校卒業と共にお別れしたかのように見えた。
僕もその当時ノリノリでプリクラをプロフィール写真に設定し、好きな異性のタイプのところに「幸薄い子」って書くくらいにはエンジョイしていた。
今でいうTwitterのようなタイムラインは「リアル」と呼ばれていて、幼稚園の同級生だったモデルの女の子は「りさのりある」とかいって人気を博していた。
「ぼくのりある」もささやかな人気を誇っていて、"ねっとりとした"自分語りとますだおかだの岡田のような芸風がウケて意外にもいろんな人に見てもらえていた。
ゲストブックというのが前略プロフの中の機能にあって、そこに知人がコメントを残すことが出来るようになっている。そのときに現れた nさんが話題になった。彼女は僕のゲストブック=足跡 にミルクキャラメルが欲しいと言った。
僕が高校にあまりいかず(行ってなかったことはしらないだろうけど)近くのコンビニでバイトをしていたことを彼女は知っていた。
彼女の言うミルクキャラメルがうちのお店にあるかどうかの話を聞かれて、多分あるとかいう適当な返信をしていたのを覚えている。そのうちみんなが僕とnさんのやりとりに興味を持つようになって、学校に行くと「あのn ってだれ!?ww」とか言われるようになった。
僕とnさんとのやりとりが130件を越えたあたりで、nさんはバイト先に来た。
僕は度肝を抜いた。まさかこんなことがあるのだろうか。あの女の子だった。
バイト中にも関わらず連絡先をその場で交換した。夜勤のお兄さんと一緒に夕勤に入っていたのだけど、事情を説明したら怒られなかった。むしろ茶化された。
そこから僕たちは小学校を卒業してから今までの4年弱を埋めるかのようにメールをした。
当時の携帯は文字数制限というのがあり、1万字を越えると入力ができなくなるのだけど、僕たちは文字数いっぱいになるメールを1時間半かけて50~100つのトピックを会話した。
たとえばニコ動が面白いとか、彼女は御三家クラスの女子校に通っていたので、自然とヲタい趣味を持ちやすいのだと思うけど(偏見)、時かけMADがあーだとか、あるいは東京事変だどうだとか、そういう話もした。彼女は軽音部で、家にはドラムセットが置いてあって、透明人間をコピーしたりしていたらしい。椎名林檎が好きな女の子だった。高校1年生にしては早熟しているという感想がある。
次第に僕達の仲は縮まっていき、バイトから上がって、電話がかかってきて。僕は彼女から気持ちを伝えられた。僕はそれには返事をしないままデートに誘った。
正直にいって、僕は彼女に対して劣等感があった。先程も言ったとおり、羞恥心なのだ。彼女は1時間半かかるメールをしながら、僕が必死に入力している時間に勉強をしていたのだ。大学入学に向けて自主的に勉強をしているような子だった。
僕は偏差値が50もない都立高校に進学して、あまつさえ学年ワースト10の人間だったから、そういう天上人の姿を目の当たりにして惨めな思いがした。
「勉強なんて、くだらない」
「どうせやったって役にたたない」
僕はみんなが僕と同じようにそう思っているに違いないと思っていたから、ボイコットと言えるような授業態度を取ることもあったし、それがきっかけで停学になることもあった。そういう人間なのだ。そういう貧困家庭で文化資本の微塵もない人間が彼女のような幸福に溢れる少女と関わるなんてこと、あってよかったのか。
僕は気持ちに応えたかった。けど、自分の無様な境遇を誰よりも理解していたからこそ、彼女の気持ちに応えることもなく、返信を止めてしまった。
「あの時いったこと、なかったことにしてください」
そういう経緯もあって、高校二年生にあがって、ひょんなことで自分も大学進学ができることを知ってから、たまらず勉強をしてみたくなった。
早大学院が家の近くにあって、その高校に幼馴染が進学していたこともあって、高校に行っていなかった時はもっぱら学院の子たちと遊ぶようになった。
もう一人、学院にいったバスケ部の友人が僕に言ったことがある。
「ココにはお前みたいなやつがいっぱいいるぞ!」
僕の居場所はきっとこっちなんだろうなって思った。
僕は変に尖っていたから、東大は無理だけど早慶ならやればイケると思っていた。だから学校で受けることになっている模試の志望校には早稲田の法学部と慶應の法学部を必ず書いた。当時の僕は文系最難関は法学部だと思っていた。偏差値は30台だった。
僕が勉強に対してひどいコンプレックスを抱えていたのは、進学した環境へのミスマッチもあったけど、それよりも大きかったのはきっと彼女へのコンプレックスが勉強に向いていたからだと思っている。僕はそうやってここまでやってきたのだ。
幼馴染いわく、彼女はAO推薦で早稲田の国際政治学科に入学したと聞いた。
ものすごくモテるけど、性格が奇抜らしく、恋愛に発展することはそう多くなかったらしい。
彼女は3年生になって、イェール大学に1年間留学した。留学費用は親から借りて、社会人になった今、親に返しているって言っていた。
彼女はきっと大学でケインズやハイエクを勉強するような感じではなかっただろう。
きっとホロコーストに関心を持って西欧政治史を勉強していたのだろう。ハンナ・アーレントのようなそんなイメージがある。"アンシュルス"という響きが彼女を形容する。留学ではどんなことを学んだのだろう。
僕の方はどうだっただろう。
見えない格差に悩まされないことはなかったし、この断層をどうにかして上り詰めてやろうと思った。もしかしたら届かなかったかもしれないし、もしかしたら届いたかもしれない。
でも、ある種の上流に来て思った。僕は平面的な世界しか見ていなかった。ここには奥行きがあって、階層が同じになったように見えても、生きる世界が交わることがないのだと。
彼女の生きてきた歴史を僕が覗くことが出来ないことが、たまらない不安となる。彼女の見える世界と僕の見える世界はブラウン管に映るカサブランカと最新液晶で見る君の名はくらい違うに決まっている。
恵まれた家庭に生まれ、愛され、そうして社会になんの疑問を抱くことなく生きてきたのであれば、どうかそのまま幸せになってほしい。
社会人になって、通勤中にビジネス本を読んだり、コピーの勉強をする必要なんてきっとない。いつかきっと、おそらく今も付き合っているであろう彼氏や職場の人と結ばれて、2児の母になって、幸せになっていってほしい。
彼女が政治経済学部に進学したように、僕も政治経済学を学んできた。
彼女が広告代理店に就職したように、僕も卒業したらネット広告を生業とするだろう。
どこかで交わってもよかったはずの世界が、どんなに類似共通する点があっても交わることのないこの世界の片隅で僕はまことに勝手に息苦しさを感じている。
おそらく10月までに引っ越すことになるだろう。
僕が24年間生きてきた思い出深い地元を出た時、僕と彼女を結ぶ共通点がついに無くなる。
それは小学生のときにはわからなかった別れのような感情を僕に芽生えさせるのか。
あるいは僕の眼前を照らす原動力として、ずっとこころのどこかに仕舞われたまま生きていくことになるのだろうか。
国境の南、太陽の西という小説がある。あの主人公の気持ちが分かるような気がしてしまう。もし30歳とかそのくらいの年齢になって、島本さんのように現れてしまったら、僕はどうすれば良いのだろう。
一度空いた穴が塞がることはないのだろう。
「全然怖くないよ」
「もう5年以上実名でネットやってるけど不都合な目に遭ったことなんかないよ」
「隠してるとオタクっぽいよ」
などと周囲の陽キャ連中から言われるのだが、今も頑なにハンドルネームを使っている。
理由は簡単で、自分自身がその日新しく知り合った相手をとりあえず検索して情報を漁ってしまうクセがあって、
自分が「他人は自分に興味がない」の反証になってしまっているので、自分以外の他人も裏で同じことをしていても不思議でないと感じてしまうからだ。
覚えてさえいればとりあえず調べてしまうので、2度目に会う時にはTwitterから最近の動向を知っていたり、
うっかりmixiやFacebookのガードをゆるめている人だと職場や趣味、出身校、生い立ち、過去現在の交友関係、
前略プロフとかの黒歴史くさいものまで一通り知っているような状態になっていることがある。
別にストーカーになりたいわけでもなんでもなくて、新しく知って興味を持った芸能人や作家のWikiやブログを読んでみるのと同じノリなのだろう。
名前くらいしか埋まっていないプロフィールカードを渡されたからとりあえず簡単に埋まるところをもうちょっと埋めたい、というような感覚。
少し探せば簡単に埋められるかもしれないパズルのピースを放置しておくのが落ち着かないというか堪えられないというか、まあ何かそういう性分のようだ。
何かを知ってこちらからどうこうするということはないし、知っていることを伝えたりすることは基本的にない。
そんなこと言われたらキモチワルイということはわかる。というか自分が言われたらいやだ。
ただ趣味とかの情報は話題を投げるときにややそっち寄りの話題を選んだり、これが趣味ならこの辺りも興味あるのでは?とアタリをつけて話したりはする。
「趣味:スノボ」という人に「随分寒くなってきましたね」から入るぐらい遠くからアプローチしてるから不自然さはあまりない……と思いたい。
検索しているとたまに成りすまし被害に遭っているっぽい人がいたり、明らかにネットで見栄を張ってストレスを発散していらっしゃる方もいたりするので、
結局はネットから得た情報は自分の中で半信半疑のまま、次回以降少しずつ確認していく感じをひっそり楽しむだけではあるのだけれど、
やっぱり二度目ましてだとおもったら自分の趣味嗜好や性格、過去の発言を一通り把握されている、なんていう可能性はなるべく潰しておきたくて自分がネットで実名を使う気にはなれない。
南半球へ渡る。
21世紀!?よくわかんないけどなんかすごいんだな!?という思いでテレビを見ていた。
あと「いろぶん」っていう面白い文房具の紹介をしてるサイトがすきだった。
中学入学と同時にケータイを買ってもらう。直後にパケ死して3ヶ月ぐらい没収された。
すきなカップリングがあまりにも供給がなかったためにWordでホームページを作ろうとする。
(mixiは本当はだめだけどみんなやってた。友達に招待してもらって、一応15歳だか18歳っていう設定でやってた。)
たしかこの年に初めて「ネットで出会った人」と友達になる。オフ会にパンダ柄のニット帽を被って行った。
5年後ぐらいにめちゃくちゃバカにされた。
全然オタクがいなくてギャルとヤンキーばっかりで超びびってた。ナマモノ同人を知る。
FC2ホームページ上に自分のホームページを作る。フォレストページにケータイ用サイトも作った。(V系ナマモノ)
それとは別にmixi、前略プロフ、リアル(ケータイ用のブログのことね)、写メ日記をやってた。alfooとか、chip!とか。
みんな「だれでも見れるリアル」「10人ぐらいしか見れないリアル」「親友()しか見れないリアル」を持っていた。
初めて彼氏ができて、脱オタク脱バンギャして、「JK」をやってた。
mixiコミュを見て回って、リアルを更新して、プリクラ撮ったら前略を更新して、リアルを更新して、の繰り返し。
初めてセックスして、「なんか思ってたんと違う...」ってなる。BLはファンタジー。
とりあえず登録したけど全然面白さが分からなくてしばらく放置。
だんだんmixiの友達がTwitterに移っていってしまったので、わたしもモバツイでTwitter見てた。見るだけ。
センターの直前に「大丈夫だ、問題ない」のMADを頭がおかしくなるほど見てた。たぶん頭がおかしくなってた。
高校の卒業式の次の日が震災だった。布団の中でひたすらTwitterを見ていた。
(サーバーの下敷きになって死にそうみたいな某氏の自演って当日だったっけ?見た記憶あるよ)
Twitterすごい!って感動した。
たくさんの情報が自分から探さなくても自分の目に届くということは、わたしにとってすごくすごく新鮮なことだった。
入学式が1ヶ月伸びた。
その間に同じ大学に入学する人とmixiで知り合い、会って遊んで、Twitterで交流するようになった。
ある男の子にChromeやThunderbirdを教えてもらった。
まだdocomoにはiphoneがなかったのでガラケーをガラケーに機種変。(後でめちゃくちゃ後悔する。)
大学に入学して初めて自分のパソコンを持つ。MacBook Air。
Twitterばっかりやってた。デマもパクツイもまとめブログもRTしまくってた。
同じ教室にいた人をTwitterで見つけて(というかわたしが見つかって)、なんやかんやあって付き合う。
ギークだった。
その人に教えてもらってUSBメモリをUSBとは言わなくなったし、Wikipediaをウィキとは言わなくなった。
以来、お気に入りもお気に入られもほとんどないけどはてなは毎日見てるよ。すきだよ。
なにしてたかなぁ
どうでもいいことがめちゃくちゃにつらかった記憶がある。
プログラミングできない(Rubyの配列で躓いた)事とか、サービスやアプリを作れない自分は価値がないと思ってた。
つらい時はインターネットが見れなかった。
そういえばたまにやきとんオフ行ってた。
めちゃくちゃに精神を病んでた。
一度だけはてなブログに思いの丈をババババーッ!と書きなぐった。
それでちょっとだけ冷静になって、次第に元気になっていく。
Twitterで出会い厨したりした。得るものがなかった。(jizouさんではない)
色々あったし、今も色々あるけれど、生きててよかったー!って思うし、
こうして増田にこの記事を書いていることがとてもとても楽しいよ。
2011年頃と比べると全然Twitterに投稿しなくなった。けど見てはいる。
とうらぶ二次創作おいしいです!pixivも今年に入ってから使うようになったし、
もう10年近く昔。高校2年生のときから2年間、片思いをしていた。
自分の場合は、高校は別で、塾が一緒の女の子だった。一つ下の学年。
向こうにはずっと大学生の彼氏がいて、高校生の自分からすると「大学生って…反則だろ…」というかんじだった。
その子のミニブログを見ていると、彼氏との交際状況に関する情報を逐一得ることができた。
(当時は前略プロフやリアルというものが全盛期で、誰でもミニブログを持っていた。「アダ名 高校名」とかですぐに見つかった。
そして炎上もへったくれもなかったので、本当にリアルな情報が赤裸々にインターネッツに晒されていたのだ)
彼氏は大学生。一人暮らしだし、バイクは持っているわお金は持っているわで、自分は到底勝てなかった。
自分の思い人は、フツーの女子高生だった。ギャルではない。当時でいうと「姫系」というカテゴリに属する女の子だった。
その子に、自分は何度か思いを伝えていた。その伝え方が増田に似ていて、すごく気持ちがわかる。
彼氏はいたが、何度か一緒にデート?のようなことをした。花火をみにいったりした。
彼氏がいるのに他の男に誘われて花火にいくとかビッチかよ…というかんじではなく、
その子は、自分のようなアプローチにどうしたらよいかわからず、断れば傷つけてしまうのではないか…というような心境で
一緒に時間を過ごしていてくれたように思う。優しい子だった。
何度か、といったけれど、実はきちんと覚えている。
高校2年生から浪人期間の2年の間、自分は3回、その子に告白した。
メールなどではなく、直接思いを伝えた。困った顔で「彼氏がいるから…」と断られた。当然だ。
「好きでいることを知っていて欲しい」というような言葉を、自分も彼女に言ったことがある。
自分の友達たちは、みんなこの経緯について共有しており、いまでも青春のトピックの一つになっている。
自分は地域の公民館的なところで勉強していたのだが、自分の好きな彼女も、同じ場所で勉強していた。
この期間は本当につらかった。
休憩がてら近くのマックに誘うと、一緒に時間を過ごしてくれる。
そうしてもやもやしているところで、彼女は秋に推薦で大学に合格した。
いま考えると血迷っているのだが、自分は彼女が入学予定の大学を第一志望大学にした。
というか、その大学以外受けなかった。いま考えると、ストーカーに近い感覚だし、相当ヤバいと思う。
ただ、当時は周りの友達たちもこの流れを楽しんでいて、ストーカーじみているとか、そんな感覚はなかった。
純粋に彼女が好きすぎて、自分がその大学を志望するのも自然だった。若いって凄い。
そして自分はその大学に合格し、彼女と同じ大学で新生活をスタートさせた。
彼女に大学を選んだ理由を聞かれ、素直に答えた。よく引かれなかったと思う。
新生活がスタートしてすぐ、彼女に告白された。すごくビックリした。
大学生活がはじまって準備することも多々ありドタバタしている最中だった。
好きな彼女と同じ大学やほーい!という気分より、新生活に慣れず慌ただしかった時期だった。
曰く、自分が好きだという気持ちが伝わったらしい。なによりこれだけ長い期間好きでいてくれることが嬉しい、みたいな。そんな話をされた気がする。
結論をいうと、自分はその子と2年ほど付き合って、いろいろあって別れてしまった。
でも、いままでで一番思い出に残っている恋愛だったし、いまは恋愛感情ないけれどすごく大切な人だ。
何がいいたいかというと、増田がんばれ!!!!ということだ。それを伝えたかったのに、ついつい自分語りしてしまった。ごめん。
「こんなに好きになったことはない」という気持ち、よくわかる。
彼女と別れたあと、他にも恋愛をしたけれど、それはそれで真摯に付き合ったが
好きでいつづけてアプローチしつづけることが正解ではないかもしれない。ちょっと見方が変わればストーカー感あるし。
ただ「こんなに好きになったことはない」という気持ちを大事にして欲しい。ツラいのを耐えてみてくれ、というかんじ。
彼女を好きでいることで自分の心が折れそうだから彼女を諦める、みたいなことはしないほうがいいと思う。
彼女と会って、まだ自分は好きであることを伝えて、いつでも受け入れ態勢は整ってるぜ!ってことは伝えておきなよ。
自分はあなたが好きだ→付き合って、ということを伝えるより、とにかく自分にとってあなたは大切な存在だ、ということを伝えるよう意識したらいいと思う。
負けるな増田。
毎日ごろごろしながらスマフォでTwitterやったり、2chのまとめブログをみている。そのうち見るのにも飽きて友達や取引先の担当者の名前を検索するようになった。ヲチが目的じゃなくて、元気にしてるのかな、みたいな感じで。時間はたっぷりあるし、医者からも何もするなと言われているので、覚えている名前を片っ端から検索した。
同姓同名は多いんだけど、本人がヒットすることはまずなかった。Facebookは大学の友達(しかも留学経験がある子ほど)が数人いたくらいで、取引先の担当者にいたってはゼロ。実名主義は根付きにくいなぁーなんて思ってたら、小学校高学年~高校1年くらいまで仲のよかった女の子が2chのコテハンになっていた。芋づる式にコテハンで検索。前略プロフとア○ーバブログが引っ掛かった。前略プロフはメンヘラのテンプレで、ブログは都内某所のデリヘルに勤めてる女の子の日常ブログって感じだった。
えっ…マジ?本人??
デリヘルという言葉を聞いて、漫画のデリバリーシンデレラくらいしか思い付かない。ブログを読んでみると、モザイクのない顔写真と乳首の黒さが生々しい生活感を感じるおっぱい丸出しの写真。すかさず彼女が働いてるデリヘルのウェブサイトを見る。女の子一覧でブログに書かれた源氏名を探す。あった。顔出し写真にスリーサイズ、OKとNG行為の表。間違いない、あの子だ。あの子デリヘルに勤めてるんだ。
そういえば彼女は高校3年生のとき、せっかくの進学校行ったのにいじめでやめちゃったんだっけ。中学のころ同人の世界にハマって毎日コピー用紙にハンター×ハンターのラクガキとしょうもない萌え語りした手紙書いて交換して成績悪くなって、私は頭が良くないから市内の南にある底辺不良高校しか行けないわ~って言いながら自転車に乗って下校してたあの頃が懐かし…くなんて全然ない。今、感じるのはあの頃の自分と今の自分が繋がってないような気がするモヤモヤだけだ。病気したからかな。そういえばあの子も学校やめて体調崩して絵の専門学校行ってるって母親から聞いたような気もする。R-15(笑)とか言って男キャラが男キャラのケツ舐めてるホモ小説書いて見せたらセックス経験もないのに書いてバッカじゃね?ってその子に言われたのを思い出した。当時14歳。14歳がwww15禁とかwwwありえねーしwwwっていう痛々しい勘違いを思い出す間もなくOK行為にAFって書いてあって混乱した。放尿にもOK。14歳のころ散々ヤベー変態!!ってキャアキャアしながら受のキャラに絵や小説内にさせてた行為を彼女はお客さんっていう知らない男の人からされている。
なんで?なんでその職業で働いてるの?きっとまだどんな職業にも就ける時代を一緒になって過ごしてきたけど、そのなかにはデリヘルも入ってたの?
コテハンと源氏名で色々ググったら、専門も1年くらいで辞めて地下アイドルやったりメイド喫茶で働いたり引きこもったり、色々してたらしいということがわかった。ブログも遡って見てみると、親戚の結婚式に行ったりお墓参りに行ったりはしてるらしいので両親や親戚に今の仕事は話してないんだろう。
因みに彼女が高校を辞めてからずっと連絡はとってない。ちょうど同じ頃に、友達に会うよりも初めてできた彼氏に会うことを優先してたからだ。我ながらクズである。まぁ浮気と三角関係の相手が彼女の友達という具合だったので彼女とは連絡しにくい状況にあったのもあるが。
あの頃に比べると、今はなんだかすごい遠くに来たような感じがする。病気もしたし、亡くなった人もいるし、ひどいいじめを受けたり、泣きながら仕事場から帰ったこともあった。中学・高校の頃は失業保険の受け取り方や年金と税金が腹立つほど高いことやお金がなくて病院に行けないことや仕事場で死にたくなる経験をすることがあるなんて思ってもみなかった。たぶん彼女も同じこと思ってたりするかな。
前略プロフで、子供はいらないけど結婚はしたいです☆って書いてあったけど、本当なんだろうか。やっぱ子供は2人欲しいな~って言ってたのを高校生のときに聞いたけど考えが変わったんだろうか。それより、ネットでおっぱい丸出しの顔出しを結婚相手とか相手の親御さんに知られて破談になったりしないんだろうか。っていうかデリヘルの仕事はどうするんだろう。ずっと続けていくには向かない職業(と勝手に思ってるんだけど)だろうから、何か事情があるんだろうか。
色々聞きたいこともあるけど、何だか怖くて連絡できないままだ。