はてなキーワード: 日本橋とは
「海外は子連れに優しい」ってTwitterで定期的にバズるけど
それって嘘なんだよな
海外は「子連れ」に優しいんじゃなくて「子供」に優しいんだよ。
アメリカだと子供を1人で家に置けば警察出動、近隣からも社会からもめちゃくちゃ親が叩かれる。
その延長線上で、エレベーターや店で子供を待たせると「子供が可哀想だから」優先されるんだよ。
Twitterで「子供が可哀想だろ?早く入れなよ。礼はいらんよ」みたいなことを外人が言うのは
何故そこまで子供大切にするかって、日本以上に育児放棄する母親が多いから。そしてそういう自分優先する母親と態度が似てるから。
日本と違って向こうの母親は女性割りなし、子供からした即重罪だからね。
だから逆に社会が子供を監視するし、ぶっちゃけ「子連れに優しい」文化なんてないよ。
日本みたいに人混みにベビーカー持ってくれば「こんな人混みに子供連れてくるな馬鹿親」
地下鉄につれてくりゃ「犯罪巻き込まれたらどうする」って叩かれるし。
twitter見ると「子連れの母親にもっと優しく!」とか言って、子供に向けられるべき優しさを母親で堰き止めようとしてる人多いよな。
実際日本橋とか銀座あたり行くと、ベビーカーにデパコス詰めてエレベーターで老人や病人蹴散らすバカ親たくさん居るし。
ベビーカーや子供を連れると優しくされるかもしれないが、それを自分が優しさを得る道具として振りかざした時点で子供への優しさを奪ってるからな。
ABURI百貫
いしがまやハンバーグ
小木曽製粉所
柿安 Meat Express
果汁工房 果琳 2F
果汁工房 果琳 3F
牛たん炭焼 利久
ゴーゴームンバイ
サンクゼール
J.S. BURGERS Jr.
上等カレー
杉養蜂園
花粥 HANAKAYU
パルメナーラ
ピアサピド
ミルキッシモ
揚げ天まる
いきなり!ステーキ
1丁目1番地
回転寿司みさき
こめらく
すし屋 田ざわ
スターバックス コーヒー 越谷イオンレイクタウンkaze2階 カフェプラザ店
スターバックス コーヒー 越谷イオンレイクタウンkaze2階 レイクタウンゲート店
炭焼ステーキくに
蕎麦きり みよた
チーズガーデン
ティーヌン
富澤商店
鶏五味
ハンドベイクス
韓美膳(ハンビジェ)
パントリエ
HULA TO GO
フロ プレステージュ
メゾン・イチ プリュス
モミ&トイズ
利久食堂
和食飛賀屋
KAKITANE KITCHEN / かきたねキッチン
Krispy Kreme Doughnuts / クリスピー・クリーム・ドーナツ
Sylvanian Kitchen / シルバニア 森のキッチン
STARBUCKS COFFEE / スターバックス コーヒー
ZHANGLIANG MALATANG / 張亮麻辣湯
DOG DEPT / ドッグデプト
DOUTOR COFFEE SHOP / ドトールコーヒーショップ
二三年前の夏、未だ見たことのない伊香保榛名を見物の目的で出掛けたことがある。ところが、上野驛の改札口を這入つてから、ふとチヨツキのかくしへ手をやると、旅費の全部を入れた革財布がなくなつてゐた。改札口の混雜に紛れて何處かの「街の紳士」の手すさみに拔取られたものらしい。もう二度と出直す勇氣がなくなつてそれつきりそのまゝになつてしまつた。財布を取つた方も内容が期待を裏切つて失望したであらうから、結局此の伊香保行の企ては二人の人間を失望させるだけの結果に終つた譯である。
此頃少し身體の工合が惡いので二三日保養のために何處か温泉にでも出掛けようといふ、その目的地に此の因縁つきの伊香保が選ばれることになつた。十月十四日土曜午前十一時上野發に乘つたが、今度は掏摸すりの厄介にはならなくて濟んだし、汽車の中は思ひの外に空いて居たし、それに天氣も珍らしい好晴であつたが、慾を云へば武藏野の秋を十二分に觀賞する爲には未だ少し時候が早過ぎて、稻田と桑畑との市松模樣の單調を破るやうな樹林の色彩が乏しかつた。
途中の淋しい小驛の何處にでも、同じやうな乘合自動車のアルミニウム・ペイントが輝いて居た。昔はかういふ驛には附きものであつたあのヨボ/\の老車夫の後姿にまつはる淡い感傷はもう今では味はゝれないものになつてしまつたのである。
或る小驛で停り合はせた荷物列車の一臺には生きた豚が滿載されて居た。車内が上下二段に仕切られたその上下に、生きてゐる肥つた白い豚がぎつしり詰まつてゐる。中には可愛い眼で此方を覗いてゐるのもある。宅の白猫の顏に少し似てゐるが、あの喇叭のやうな恰好をして、さうして禿頭のやうな色彩を帶びた鼻面はセンシユアルでシユワイニツシである。此等の豚どもはみんな殺されに行く途中なのであらう。
進行中の汽車道から三町位はなれた工場の高い煙突の煙が大體東へ靡いて居るのに、すぐ近くの工場の低い煙突の煙が南へ流れて居るのに氣がついた。汽車が突進して居る爲に其の周圍に逆行氣流が起る、その影響かと思つて見たがそれにしても少し腑に落ちない。此れから行先にまだいくらも同じやうな煙突の一對があるだらうからもう少し詳しく觀察してやらうと思つて注意してゐたが、たうとう見付からずに澁川へ着いてしまつた。いくらでも代はりのありさうなものが實は此の世の中には存外ないのである。さうして、ありさうもないものが時々あるのも此の世の中である。
澁川驛前にはバスと電車が伊香保行の客を待つてゐる。大多數の客はバスを選ぶやうである。電車の運轉手は、しきりにベルを踏み鳴らしながら、併しわり合にのんきさうな顏をしてバスに押し込む遊山客の群を眺めて居たのである。疾とうの昔から敗者の運命に超越してしまつたのであらう。自分も同行Sも結局矢張りバスのもつ近代味の誘惑に牽き付けられてバスを選んだ。存外すいて居る車に乘込んだが、すぐあとから小團體がやつて來て完全に車内の空間を充填してしまつた。酒の香がたゞよつて居た。
道傍の崖に輕石の層が見える。淺間山麓一面を埋めて居るとよく似た豌豆大の粒の集積したものである。淺間のが此邊迄も降つたとは思はれない。何萬年も昔に榛名火山自身の噴出したものかも知れない。それとも隣りの赤城山の噴出物のお裾分けかも知れない。
前日に伊香保通のM君に聞いたところでは宿屋はKKの別館が靜かでいゝだらうといふことであつた。でも、うつかりいきなり行つたのでは斷られはしないかと聞いたら、そんなことはないといふ話であつた。それで、バスを降りてから二人で一つづゝカバンを提げて、すぐそこの別館の戸口迄歩いて行つた。館内は森閑として玄關には人氣がない。しばらくして内から年取つた番頭らしいのが出て來たが、別に這入れとも云はず突立つたまゝで不思議さうに吾々二人を見下ろしてゐる。此れはいけないと思つたが、何處か部屋はありませうかと聞かない譯にも行かなかつた。すると、多分番頭と思はれる五十恰好のその人は、恰度例へば何處かの役所の極めて親切な門衞のやうな態度で「前からの御申込でなければとてもとても……」と云つて、突然に乘込んで來ることの迂闊さを吾々に教へて呉れるのであつた。向うの階段の下では手拭を冠つて尻端折つて箒を持つた女中が三人、姦の字の形に寄合つて吾々二人の顏を穴のあく程見据えてゐた。
カバンをぶら下げて、悄々しをしをともとのバスの待合所へ歸つて來たら、どういふものか急に東京へそのまゝ引き返したくなつた。此の坂だらけの町を、あるかないか當てにならない宿を求めて歩き※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)はるのでは第一折角保養に來た本來の目的に合はない、それよりか寧ろ東京の宅の縁側で咲殘りのカンナでも眺めて欠伸をする方が遙かに有效であらうと思つたのである。併し、歸ることは歸るとしても兎も角も其處らを少し歩いてから歸つても遲くはないだらうとSがいふので、厄介な荷物を一時バスの待合所へ預けておいてぶら/\と坂道を上つて行つた。
宿屋が滿員の場合には入口に「滿員」の札でも出しておいたら便利であらう。又兎も角も折角其家を目指して遙々遠方から尋ねて來た客を、どうしても收容し切れない場合なら、せめて電話で温泉旅館組合の中の心當りを聞いてやる位の便宜をはかつてやつてはどうか。頼りにして來た客を、假令それがどんな人體であるにしても、尋ねてくるのが始めから間違つてゐるかのやうに取扱ふのは少し可哀相であらう。さうする位ならば「旅行案内」などの廣告にちやんと其旨を明記しておく方が親切であらう。
こんな敗者の繰言を少し貧血を起しかけた頭の中で繰返しながら狹い坂町を歩いてゐるうちに、思ひの外感じのいゝ新らしいM旅館別館の三階に、思ひもかけなかつた程に見晴らしの好い一室があいてゐるのを搜しあてゝ、それで漸く、暗くなりかゝつた機嫌を取直すことが出來たと同時に馴れぬ旅行に疲れた神經と肉體とをゆつくり休めることが出來たのは仕合せであつた。
此室の窓から眼下に見える同じ宿の本館には團體客が續々入込んでゐるやうである。其の本館から下方の山腹にはもう人家が少く、色々の樹林に蔽はれた山腹の斜面が午後の日に照らされて中々美しい。遠く裾野には稻田の黄色い斑の縞模樣が擴がり、其の遙かな向うには名を知らぬ山脈が盛上がつて、其の山腹に刻まれた褶襞の影日向が深い色調で鮮かに畫き出されて居る。反對側の、山の方へ向いた廊下へ出て見ると、此の山腹一面に築き上げ築き重ねた温泉旅館ばかりの集落は世にも不思議な標本的の光景である。昔、ローマ近くのアルバノ地方に遊んだ時に、「即興詩人」で名を知られたゲンツアノ湖畔を通つたことがある。其の湖の一方から見た同じ名の市街の眺めと、此處の眺めとは何處か似た所がある。併し、古い伊太利の彼の田舍町は油繪になり易いが此處のは版畫に適しさうである。數年前に此地に大火があつたさうであるが、成程火災の傳播には可也都合よく出來てゐる。餘程特別な防火設備が必要であらうと思はれる。
一と休みしてから湯元を見に出かけた。此の小市街の横町は水平であるが、本通りは急坂で、それが極めて不規則な階段のメロデイーの二重奏を奏してゐる。宿屋とお土産を賣る店の外には實に何もない町である。山腹温泉街の一つの標本として人文地理學者の研究に値ひするであらう。
階段の上ぼりつめに伊香保神社があつて、そこを右へ曲ると溪流に臨んだ崖道に出る。此の道路にも土産物を賣る店の連鎖が延長して溪流の眺めを杜絶してゐるのである。湯の流れに湯の花がつくやうに、かういふ處の人の流れの道筋にはきまつて此のやうな賣店の行列がきたなく付くのである。一寸珍らしいと思ふのは此道の兩側の色々の樹木に木札がぶら下げてあつて、それに樹の名前が書いてあることである。併し、流石にラテン語の學名は略してある。
崖崩れを石垣で喰ひ止める爲に、金のかゝつた工事がしてある。此れ位の細工で防がれる程度の崩れ方もあるであらうが、此の十倍百倍の大工事でも綺麗に押し流すやうな崩壞が明日にも起らないといふ保證は易者にも學者にも誰にも出來ない。さういふ未來の可能性を考へない間が現世の極樂である。自然の可能性に盲目な點では人間も蟻も大してちがはない。
此邊迄來ると紅葉がもうところ斑に色付いて居る。細い溪流の橋の兩側と云つたやうな處のが特に紅葉が早いらしい。夜中にかうした澤を吹下ろす寒風の影響であらうか。寫眞師がアルバムをひろげながらうるさく撮影をすゝめる。「心中ぢやないから」と云つて斷わる。
湯元迄行つた頃にはもう日が峯の彼方にかくれて、夕空の殘光に照らし出されて雜木林の色彩が實にこまやかに美しい諧調を見せて居た。樹木の幹の色彩がかういふ時には實に美しく見えるものであるが、どういふものか特に樹幹の色を讚美する人は少ないやうである。
此處の湯元から湧き出す湯の量は中々豐富らしい。澤山の旅館の浴槽を充たしてなほ餘りがあると見えて、惜氣もなく道端の小溝に溢れ流れ下つて溪流に注いで居る。或る他の國の或る小温泉では、僅かに一つの浴槽にやつと間に合ふ位の湯が生温るくて、それを熱くする爲に一生涯骨を折つて、やつと死ぬ一年前に成功した人がある。其人が此處を見たときにどんな氣がしたか。有る處にはあり餘つて無い處にはないといふのは、智慧や黄金に限らず、勝景や温泉に限らぬ自然の大法則であるらしい。生きてゐる自然界には平等は存在せず、平等は即ち宇宙の死を意味する。いくら革命を起して人間の首を切つても、金持と天才との種を絶やすことは六かしい。ましてや少しでも自己觸媒作用オートカタリテイツク・アクシヨンのある所には、ものの片寄るのが寧ろ普遍な現象だからである。さうして方則に順應するのは榮え、反逆するものは亡びるのも亦普遍の現象である。
宿へ歸つて見ると自分等の泊つてゐる新館にも二三の團體客が到着して賑やかである。○○銀行○○課の一團は物靜かでモーニングを着た官吏風の人が多い。○○百貨店○○支店の一行は和服が多く、此方は藝者を揚げて三絃の音を響かせて居るが、肝心の本職の藝者の歌謠の節※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)はしが大分危なつかしく、寧ろ御客の中に一人いゝ聲を出すのが居て、それがやゝもすると外れかゝる調子を引戻して居るのは面白い。ずつと下の方の座敷には足踏み轟かして東京音頭を踊つて居るらしい一團がある。人數は少いが此組が壓倒的優勢を占めて居るやうである。
今度は自分などのやうに、うるさく騷がしい都を離れて、しばらく疲れた頭を休める爲にかういふ山中の自然を索たづねて來るものゝある一方では又、東京では斷ち切れない色々の窮屈を束縛をふりちぎつて、一日だけ、はめを外づして暴れ※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)はる爲にわざ/\かういふ土地を選んで來る人もあるのである。此れも人間界の現象である。此の二種類の人間の相撲になれば明白に前者の敗である。後者の方は、宿の中でも出來るだけ濃厚なる存在を強調する爲か、廊下を歩くにも必要以上に足音を高く轟かし、三尺はなれた仲間に話をするのでも、宿屋中に響くやうに大きな聲を出すのであるが、前者の部類の客はあてがはれた室の圍ひの中に小さくなつて、其の騷ぎを聞きつゝ眠られぬ臥床ふしどの上に輾轉するより外に途がないのである。床の間を見ると贋物の不折の軸が懸かつて居る、その五言の漢詩の結句が「枕を拂つて長夜に憐む」といふのであつたのは偶然である。やつと團體の靜まる頃には隣室へ子供づれの客が着いた。單調な東京音頭は嵐か波の音と思つて聽き流すことが出來ると假定しても、可愛い子供の片言は身につまされてどうにも耳朶の外側に走らせることの出來ぬものである。電燈の光が弱いから讀書で紛らすことも出來ない。
やつと宿の物音があらかた靜まつた後は、門前のカフエーから蓄音機の奏する流行小唄の甘酸つぱい旋律が流れ出して居た。併し、かうした山腹の湯の町の夜の雰圍氣を通して響いて來る此の民衆音樂の調べには、何處か昔の按摩の笛や、辻占賣の聲などのもつて居た情調を想ひ出させるやうな或るものが無いとは云はれない。
蓄音機と云へば、宿へ着いた時につい隣りの見晴らしの縁側に旅行用蓄音機を据ゑて、色々な一粒選りの洋樂のレコードをかけてゐる家族連の客があつた。此れも存在の鮮明な點に於て前述の東京音頭の連中と同種類に屬する人達であらう。
夜中に驟雨があつた。朝はもう降り止んではゐたが、空は低く曇つてゐた。兎も角も榛名湖畔迄上ぼつて見ようといふので、ケーブルカーの停車場のある谷底へ下りて行つた。此の谷底の停車場風景は一寸面白い。見ると、改札口へ登つて行く階段だか斜面だかには夥しい人の群が押しかけてゐる。それがなんだか若芽についたあぶら蟲か、腫物につけた蛭の群のやうに、ぎつしり詰まつて身動きも出來さうにない。それだのにあとから/\此處を目指して町の方から坂を下りて來る人の群は段々に増すばかりである。此の有樣を見て居たら急に胃の工合が變になつて來て待合室の腰掛に一時の避難所を求めなければならなかつた。「おぢいさんが人癲癇を起こした」と云つてSが笑出したが、兎も角も榛名行は中止、その代りつい近所だと云ふ七重の瀧へ行つて見ることにした。此の道筋の林間の小徑は往來の人通りも稀れで、安價なる人癲癇は忽ち解消した。前夜の雨に洗はれた道の上には黄褐紫色樣々の厚朴の落葉などが美しくちらばつてゐた。
七重の瀧の茶店で「燒饅頭」と貼札したものを試みに注文したら、丸いパンのやうなものに味噌※(「滔」の「さんずい」に代えて「しょくへん」、第4水準2-92-68)を塗つたものであつた。東京の下町の若旦那らしい一團が銘々にカメラを持つてゐて、思ひ思ひに三脚を立てゝ御誂向の瀧を撮影する。ピントを覗く爲に皆申合せたやうに羽織の裾をまくつて頭に冠ると、銘々の羽織の裏の鹽瀬の美しい模樣が茶店に休んでゐる女學生達の面前にずらりと陳列される趣向になつてゐた。
溪を下りて行くと別莊だか茶店だかゞあつて其前の養魚池の岸にかはせみが一羽止まつて居たが、下の方から青年團の服を着た男が長い杖をふりまはして上がつて來たので其のフアシズムの前に氣の弱い小鳥は驚いて茂みに飛び込んでしまつた。
大杉公園といふのはどんな處かと思つたら、とある神社の杉並木のことであつた。併し杉並木は美しい。太古の苔の匂ひがする。ボロ洋服を着た小學生が三人、一匹の眞白な野羊を荒繩の手綱で曳いて驅け※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)つてゐたが、どう思つたか自分が寫眞をとつて居る傍へ來て帽子を取つてお辭儀をした。學校の先生と間違へたのかどうだか分らない。昔郷里の田舍を歩いて居て、よく知らぬ小學生に禮をされた事を想ひ出して、時代が急に明治に逆戻りするやうな氣がした。此邊では未だイデオロギー的階級鬪爭意識が普及して居ないのであらう。社前の茶店に葡萄棚がある。一つの棚は普通のぶだうだが、もう一つのは山葡萄で紅葉してゐる。店の婆さんに聞くと、山葡萄は棚にしたら一向に實がならぬさうである。山葡萄は矢張り人家にはそぐはないと見える。
茶店の周圍に花畑がある。花を切つて高崎へでも賣りに出すのかと聞くと、唯々お客さんに自由に進呈するためだといふ。此の山懷の一隅には非常時の嵐が未だ屆いて居ないのか、妙にのんびりした閑寂の別天地である。薄雲を透した日光が暫く此の靜かな村里を照らして、ダリアやコスモスが光り輝くやうに見えた。
宿へ歸つて晝飯を食つてゐる頃から、宿が又昨日に増して賑やかになつた。日本橋邊の或る金融機關の團體客百二十人が到着したのである。其爲に階上階下の部屋といふ部屋は一杯で廊下の籐椅子に迄もはみ出してゐる。吾々は、此處へ來たときからの約束で暫時帳場の横へ移轉することになつた。
部屋に籠つて寐轉んで居ると、すぐ近くの階段や廊下を往來する人々の足音が間斷なく聞こえ、それが丁度御會式の太鼓のやうに響き渡り、音ばかりでなく家屋全體が其の色々な固有振動の週期で連續的に振動して居る。さういふ状態が一時間二時間[#「二時間」は底本では「二間時」]三時間と經過しても一向に變りがない。
一體どうして、かういふ風に連續的に足音や地響きが持續するかといふ理由を考へて見た。百數十人の人間が二人三人づつ交る/″\階下の浴室へ出掛けて行き、又歸つて來る。その際に一人が五つの階段の一段々々を踏み鳴らす。其外に平坦な縁側や廊下をあるく音も加はる。假に、一人宛て百囘の音を寄與コントリビユートするとして、百五十で一萬五千囘、此れを假に午後二時から五時迄の三時間、即ち一萬八百秒に割當てると毎一秒間に平均一囘よりは少し多くなる勘定である。此外に浴室通ひ以外の室と室との交通、又女中や下男の忙はしい反復往來をも考慮に加へると、一秒間に三囘や四囘に達するのは雜作もないことである。即ち丁度太鼓を相當急速に連打するのと似た程度のテンポになり、それが三時間位持續するのは何でもないことになるのである。唯々面白いのは、此の何萬囘の足音が一度にかたまつて發しないで、實にうまく一樣に時間的に配分されて、勿論多少の自然的偏倚は示しながらも統計的に一樣な毎秒平均足音數を示してゐることである。容器の中の瓦斯體の分子が、その熱擾動サーマルアヂテーシヨンのために器壁に反覆衝突するのが、いくらか此れに似た状況であらうと思はれた。かうなると人間も矢張り一つの「分子」になつてしまふのである。
室に寐ころんだ切り、ぼんやり此んなことを考へてゐる内に四時になつた。すると階下の大廣間の演藝場と思はれる見當で東京音頭の大會が始まつた。さうして此れが約三十分續いた。それが終つても、未だその陶醉的歡喜の惰性を階上迄持込[#「持込」は底本では「持迄」]んで客室前の廊下を踏鳴らしながら濁聲高く唄ひ踊る小集團もあつた。
「バスの切符を御忘れにならないやうに」と大聲で何遍となく繰返して居るのが聞こえた。それからしばらくすると、急に家中がしんとして、大風の後のやうな靜穩が此の山腹全體を支配するやうに感ぜられた。一時間前の伊香保とは丸で別な伊香保が出現したやうに思はれた。三階の廊下から見上げた山腹の各旅館の、明るく灯のともつた室々の障子の列が上へ上へと暗い夜空の上に累積してゐる光景は、龍宮城のやうに、蜃氣樓のやうに、又ニユーヨークの摩天樓街のやうにも思はれた。晝間は出入の織るやうに忙がしかつた各旅館の玄關にも今は殆ど人氣が見えず、野良犬がそこらをうろ/\して居るのが見えた。
團體の爲に一時小さな室に追ひやられた埋合せに、今度はがらあきになつた三階の一番廣く見晴らしのいゝ上等の室に移され、地面迄數へると五階の窓下を、淙々として流れる溪流の水音と、窓外の高杉の梢にしみ入る山雨の音を聞きながら此處へ來てはじめての安らかな眠りに落ちて行つた。
翌日も雨は止んだが空は晴れさうもなかつた。霧が湧いたり消えたりして、山腹から山麓へかけての景色を取換へ取換へ迅速に樣々に變化させる。世にも美しい天工の紙芝居である。一寸青空が顏を出したと思ふと又降出す。
とある宿屋の前の崖にコンクリートで道路と同平面のテラスを造り其の下の空間を物置にして居るのがあるのは思ひ付きである。此の近代的設備の脚下の道傍に古い石地藏が赤い涎掛けをして、さうして雨曝しになつて小さく鎭座して居るのが奇觀である。此處らに未だ家も何もなかつた昔から此の地藏尊は此の山腹の小道の傍に立つて居て、さうして次第に開ける此の町の發展を見守つて來たであらうが、物を云はぬから聞いて見る譯にも行かない。
晝飯をすませて、そろ/\歸る支度にかゝる頃から空が次第に明るくなつて來て、やがて雲が破れ、東の谷間に虹の橋が懸つた。
歸りのバスが澁川に近づく頃、同乘の兎も角も知識階級らしい四人連の紳士が「耳がガーンとした」とか「欠伸をしたらやつと直つた」とか云つたやうな話をして居る。山を下つて氣壓が變る爲に鼓膜の壓迫されたことを云つて居るらしい。唾を飮み込めば直るといふことを知らないと見える。小學校や中學校でこのやうな科學的常識を教はらなかつたものと思はれる。學校の教育でも時には要らぬ事を教へて要ることを教へるのを忘れて居る場合があるのかも知れない。尤も教へても教へ方が惡いか、教はる方の心掛けが惡ければ教へないのも同じになる譯ではある。
上野へついて地下室の大阪料理で夕食を食つた。土瓶むしの土瓶のつるを持ち上げると土瓶が横に傾いて汁がこぼれた。土瓶の耳の幅が廣過ぎるのである。此處にも簡單な物理學が考慮の外に置かれてゐるのであつた。どうして、かう「科學」といふものが我が文化國日本で嫌はれ敬遠されるかゞ不思議である。
雨の爲に榛名湖は見られなかつたが、併し雨のおかげでからだの休養が出來た。讀まず、書かず、電話が掛からず、手紙が來ず、人に會はずの三日間で頭の疲れが直り、從つて胃の苦情もいくらか減つたやうである。その上に、宿屋の階段の連續的足音の奇現象を觀察することの出來たのは思はぬ拾ひものであつた。
温泉には三度しかはひらなかつた。湯は黄色く濁つてゐて、それに少しぬるくて餘り氣持がよくなかつた。その上に階段を五つも下りて又上がらなければならなかつた。温泉場と階段はとかくつきものである。温泉場へ來たからには義理にも度々温泉に浴しなければならないといふ譯もないが、すこしすまなかつたやうな氣がする。
他の温泉でもさうであるが、浴槽に浸つて居ると、槽外の流しでからだを洗つて居る浴客がざあつと溜め桶の水を肩からあびる。そのしぶきが散つて此方の頭上に降りかゝるのはそれ程潔癖でないつもりの自分にも餘り愉快でない。此れも矢張り宿屋へ蓄音機を持ち込み、宿屋で東京音頭を踊る Permalink | 記事への反応(0) | 18:19
明日、振られに行く。
非モテ喪女の拗らせ実体験というものをまずは説明しないとならないだろう。
高校を卒業した後、専門学校の認可を受けていないアカデミー的なスクールに通ったが、
そこでも恋が実る事は無かった。
私には無縁だった。
転機が訪れたのは20代後半、当時流行っていたSNSで良いなと思った男性が居たので、
その後、おそらく10代の男女がやるようにテンプレ的に夜景が綺麗な観覧車か何かに乗った後、
嬉しかった。
30近くして、初めて”彼氏”というやつが出来た。
肥満体型なのは過食症が原因で、食べて吐く事しか死にたい気持ちを紛らわせる事ができず、
しかし吐くのはかなりのテクニックが必要で、上手く吐けなかった私はただ太って行くだけだった。
なぜこんな肥満体型の私と付き合ってくれる男がこの世に居るのか疑問を拭えきれなかった私は、自分から彼と離れる事にした。
それから数年後、30代中盤くらいだっただろうか。
相変わらず不細工で肥満体型だったが、転職先にすごく魅力的な男性がいた。
彼は技術力も発想力も凄くて、私が引っ張っていたプロジェクトで大貢献をしてくれた。
しかし、立場的な問題もあり、彼が別プロジェクトにアサインされるのを待ってから、彼をデートに誘った。
彼から私をデートに誘ってくれる事は無かったが、私は執拗に誘い続け、
両親の挨拶も済ませ、同棲するマンションも探し、約1年同棲した。
実はこの間約7年、彼は一度も私と性的な接触を持ってはくれなかった。
同棲する前は「同棲したらそういうことも頑張るよ」と言ってくれたので、
しかし同棲1年経過しても、彼は私の身体に一切触れようとはしてくれなかった。
身体的接触が無いのであればせめて二人の時間を作りたいとあれこれ模索し提案したが、
ある時、転機というものが身に降りかかって来た。
同じプロジェクトの男性(独身)を”パワハラとかセクハラで訴えて良いから今夜だけ飲みに付き合ってくれよ〜〜”的に冗談まみれで言ってみたら、
なんと彼は私との飲みに付き合ってくれた。
終電があるから解散しよう、でも私はもうちょっと飲みたい、的な事を言ったら、
彼もそれに応じてくれた。
二人で適当に渋谷の道端で缶チューハイを飲んだりしていたら、強烈に尿意に襲われたので、
しかしお手洗いを貸してくれる店舗なんてそう簡単には見つからない。
仕方ないので私は「部屋が空いていたら宿泊するのでお手洗いを貸してほしい」と嘆願し、見事お手洗いを手にするに至った。
その晩、何がどう寄与したのかは不明だが、私はその男性と性行為をした。
嬉しかった。
長年思いを寄せて来て婚約指輪まで買ってくれた男性ですら女として見ては来れなかった私という醜い脂肪の塊に、
性的な欲求を向けてくれるような希少な男性がこの世に存在してくれた事のレア度みたいなものに思いを馳せると、なんとも言えない感情に包まれた。
それからは同棲相手との生活を整理し、単身で手狭なマンションを借り、婚約も解消し指輪も返却した。
たった一晩だけでも私を女として扱ってくれた男性社員に全力投球したいと思った。
仕事くらいしかやることがない私にとっては、彼に高級レストランで食事をご馳走することだけを生き甲斐にやってきた。
2021年は日本橋のフレンチ、2022年は銀座の蟹、2023年は西麻布の有名フレンチ、2024年は新進創作メキシカンだった。
2025年の明日、これまた知る人ぞ知るみたいなフレンチを予約した。
だが、先週末、彼とは別れ話をした。
最近30年ぶりくらいに夜の首都高を良く走っておりますが、墨田川沿いの6号向島線は川沿いで眺めがよく対岸(浅草側)の堤防沿いにびっちり立ち並ぶ高さの揃った中層ビル夜景が昔から綺麗な場所でありました。
この30年の変化といえば両国JCT手前辺りの景色でして、川沿いの中層びっちりビルの背後に超高層ビル群が出現したのです。方角から日本橋、大手町、東京駅周辺に群生する超高層となりますが、これイメージとしては完全にAKIRAの世界なんですよね。
アニメの世界では近傍の超高層の遥か向こうにそびえる超超高層といった感じですが、社会的階級を示す居住エリア割と言ったら言葉は悪いですが、地区の属性差を象徴するような風景が令和の世に表出してきたというのは、なんとも興味深いなと思ったのです。
99年生まれだからテニプリ全盛期の世代ではないんだけど、家に兄が集めた単行本全巻があるからたまに読んでた
それで、当時アニメとか好きなオタクだったから中学では美術部に入ったんだけど
美術部には漫画の回し読み文化があって、私は友達にテニプリとスラムダンクを貸してた
そのときの流行りは黒バスとかでテニプリの絵柄や作風はちょっと古かったんだけど、
やっぱ名作なだけあって皆かじりついて読んでた
なんなら同級生の男子も読んでた というかあまりにメジャー作品過ぎて元々読んだことあるって子もいた
推しという言葉は当時なかったけど、各自好きなキャラとか言い合って、わかる!とか、えー格好良くないじゃん、とか好き勝手言ってたな
テニプリで人気なのってだいたい跡部不二幸村リョーマあたりだと思う
でもうちの美術部は何故か乾と海堂と菊丸が大人気だった 中学生が青学箱推しって今考えても渋いセンスだと思う
私は初めて読んだとき跡部が好きだったんだけど、感化されて気付いたら乾推しになってた
そのへんのキャラってそこまで人気ないから日本橋の中古グッズ屋に行ってもグッズが少なくて、カピカピのよく分からんキーホルダーとかを頑張って皆で集めてたな
それで、兄にびっくりされてた
乾が人気キャラじゃないことは認識してたんだけどそれでも好きなキャラ馬鹿にされるのが許せなくて、「乾先輩めっちゃ人気だよ!!私の友達みんな乾先輩好きだもん!!」って言い張ってた
私はそのまま乾推しで、この年(26)になってもテニプリ追ってるしオタク続けてるんだけど
当時の友達はみんな漫画に興味がなくなってしまって 流行ってるやつは皆読んでるけどオタクって程ののめり込み方じゃないみたい
それで、この間久々に地元に帰って皆で集まったとき、テニプリの話になったんだけど
電子書籍で読んだらやっぱおもろいわー、とか新テニは長すぎて読んでないわwとか話してて
当時乾と海堂好きって言ってた子が、「やっぱ何回読んでも跡部推しだわ!」とか言っててさ
え??って思って
そしたら他の子も、「わかるわ、跡部様ねー」「アニメで見たときめっちゃ幸村格好良かった」とか言ってて
え、菊丸好きって言ってなかった?桃ちゃん好きとか言ってたじゃん 一緒に青学のクリアファイル集めてたじゃん
それで、私は乾先輩めっちゃ好きだったよwって言ったらさ
「渋www」「焼肉かなんかでケツ出してた話あったよね」「幸村の学校に乾のパチモンみたいな奴いたよな」とか言われてさ
ネタキャラだけど格好いいじゃん〜って一緒に笑ってたんだけど、内心残念な気持ちでいっぱいだった
別に乾のことネタキャラ扱いされるのは全然いいんだけど、一緒にテニプリの話で盛り上がってたあの思い出が全部粉々になったような感じがしてさ
そりゃただのオタク中学生の日常だったけどさ、結構あのとき楽しかったじゃん?一緒に日本橋とかブラブラしてたじゃん?何それ、青学好きって言ってたあの日々って何だったの?
駅から近ければ近いほど、
そう考えたら、
あそこ渋谷や品川までだって10キロ以上あるし、東京駅なんて15キロ以上あるぞ(いや、渋谷は東急で一瞬じゃんってツッコミたくなる人いるだろうけどそれは蘇我駅に家買った人らと根本的に同じ間違った発想だ)。
価値はないよ。
札幌駅至近距離の新築タワマンが4LDK100平米とかで6000万円超えるのも意味がわからない。
なんで都心まで35キロの神奈川や千葉の新築タワマンと同じような価格なんだよ。
「東京が偉いと思うな!札幌で全てが完結してる企業やそこに勤める人達にとっては東京から近いことに価値はない!」
って言うかもしれないけど、そもそもその企業は東京から距離が遠いなりの値打ちしかないよ。
ぶっちゃけ6000万のタワマン、1000万でもいいくらいの値打ちだと思うよ本来。
ふと思ったんだけど……
武蔵小杉や札幌の詐欺的な不動産価格が正当化されるとしたら、もしかして三番町や日本橋や九段下あたりの平気で3億円くらいするタワマンの値付けってべらぼうに安いのかな?
ある日、コネ入社ではと密かにウワサされていた職場の後輩が無遠慮な先輩から
「なあ、お前ってお坊ちゃんなん?」
といきなりぶっ込まれていた。
後輩が慌てて否定するも
「出たよ絶対うそ!!!ていうかお前の大学からうちの会社入るの5年振りやぞ」
と先輩はしつこい
(ちなみに、後輩はやはりコネ入社してきたお金持ちで父親が某巨大グローバルメーカーの広報部長であられた。)。
後輩が苦笑いしながら
「いやぁ……お金持ちの親ならわざわざ神奈川県に家なんて買わないですよ」
と返すと、
先輩はまるで憑き物が取れたかのように
「あっ……確かにそうだな」
と完璧に納得して一発で引き下がった。
このやり取りを傍らで見ていて、生まれも育ちも千葉県船橋市の俺は衝撃を受けた。
という論理式をイキリとかではなく物の道理としてすんなり呑み込める階層の人間がこの世に存在することに衝撃を受けた。
この先輩は生まれも育ちも日本橋で幼稚舎から慶応である。祖父、叔父、両親、兄弟全員が慶応幼稚舎出身だと言っていた。
さて、
ガキ使メンバーがドライブをしながら車内から見える看板や店などの光景を手掛かりにひたすらトリビアを披露し合ってその数を競うという企画だったのだが、多摩川大橋を渡って大田区から川崎市に突入するときに
「おっ、これ渡ったら神奈川県や」
「これだんだん難しくなりますよ~何も無くなって来ますからねえ」
と気合を入れ直してたのを見て俺は大変な衝撃を受けた。
いや、五反田や戸越とかならともかく、もう中延とか二葉になると川崎市幸区なんかと国道沿いの風景や賑わいは全然変わらないから。
ましてや馬込や池上や矢口なんかだと反町とか本牧以下まである。
今思い出した。
目黒で生まれ育った友達と会話してたらふとしたときに露悪ではなく真顔で
とまるでこっちにファクト面での誤謬があったかのような感じでツッコミを入れられたこともある。
船橋とかどう思われてんだろ。
時は令和、空前の「異色グルメ」ブームが最高潮!パクチーモヒートとか、ワニ肉串とか、みんなが「意外な組み合わせ」と「新しい美味しさ」を求めてた20XX年。そんな中、東京の日本橋に、マジで浮世離れしたお姉様が現れたんだって!ちょっと古めかしい着物っぽいのに、なんかこう、知的で影のあるオーラをまとったお方。「え?時代劇の撮影?セレブ女優?」ってみんなが遠巻きにしながらも、その圧倒的な存在感に目を奪われてたらしい。
え?マジで?あの『たけくらべ』を書いた、明治の天才女流作家、樋口一葉様!?ゲキヤバ!って文学好きのギャルたちがスマホで速攻ググり始めた瞬間、その超絶クールなお方、もとい一葉様は、あたりをキョロキョロしながら呟いた。「ここは…千駄木ではない、か…?ずいぶんと賑やかで、見慣れぬものばかりですわね。」って、マジで明治時代からタイムスリップしてきたみたい!「マジありえん!」ってみんな心の中でツッコミつつも、その研ぎ澄まされた眼差しに、何か深い文学的センスを感じてたらしい。
そんな一葉様に、恐る恐る話しかけたのは、日本橋で老舗和菓子屋の娘として働く、ちょっと古風なギャル、ミク。「あの…もしよかったら、何かお困りですか?」「…はい、少々。見慣れぬものばかりで、いささか戸惑っておりまする。」って、意外と丁寧な言葉遣い!ミク、その真面目そうな雰囲気にちょっとキュンとしつつ、「アタシ、ミク!日本橋のことなら、何でも聞いて!一葉様、マジで渋いから、アタシが案内してあげてもいいよ!」って、キラキラ笑顔で声をかけたんだって。
次の日、ミクに連れられて、一葉様は初めて現代の日本を体験!コレド室町とか、最新のデパートとか、マジで全てが新鮮!でもね、一葉様が一番興味を示したのは、駄菓子屋さんの店先で、子供たちが美味しそうに食べてたもの。「…この、赤くて細長きものは、何というものでございますか?ずいぶんと素朴な匂いがいたしまするな。」って、マジ真剣な眼差し。ミク、まさかの渋すぎるチョイスに驚きつつ、「あ~、これ、よっちゃんいかですよ!昔からある、駄菓子の定番!ちょっとしょっぱくて、美味しいんです!」って教えてあげたんだって。
一葉様、一口食べてみたら…「な、なんなのだ、この奥深き味わいは!?噛みしめるたびに広がる旨味と、かすかな酸味…まるで、わたくしの小説に描かれる、人々の苦難と、その奥に潜む希望のようである!これこそ、余が求める、真の糧よ!」って、マジで文豪っぽい表現で感動してたらしいよ。
そこから、一葉様のよっちゃんいか愛がマジで爆発!毎日色んな駄菓子屋さんを巡って、よっちゃんいかを使った料理やスイーツを食べまくってたんだって。「いかの種類、味付け、食感…研究しがいがありすぎる!」って、もはやよっちゃんいかマイスターレベル!
でね、ある日、一葉様、マジで天下取りの野望を語り出したの。「わたくしは、このよっちゃんいかをもって、再び天下を…とは言いませんが、この甘味の世界において、人々の心に深く刻まれ、そして忘れられない、至高のパフェを創造してみせましょうぞ!これこそ、わたくしが目指す、『たけくらべパフェ』よ!」って!
え?よっちゃんいかパフェで天下統一?しかも「たけくらべ」とか!マジで壮大すぎる!でも、一葉様の「文学的才能」があれば、きっと何か成し遂げるに違いない!ってミクも思ったらしいんだけど、一葉様の目はマジだったんだって。明治の文学に秘められた情熱が、令和のよっちゃんいかパフェに新たな戦場を見出したのかもね!
そっから、一葉様のよっちゃんいかパフェ天下統一計画がスタート!まずは、SNSで「#樋口一葉のたけくらべパフェ道」ってハッシュタグ作って、毎日自作の超絶斬新だけど美しいパフェの画像をアップし始めたんだって。その奇抜すぎる見た目と、一葉様の哲学的なコメントが、一部の異色グルメ好きギャルや、文学少女たちの中でじわじわバズり始めた!
SNSは一葉様のよっちゃんいか愛でじわじわ盛り上がり!しかも、一葉様、ただ作るだけじゃなくて、全国各地の珍しいいかや、よっちゃんいかに合う最高のフルーツやクリーム、そして日本の伝統的な甘味料を探し求めたり、甘さと塩味、そしていかの旨味の「調和」を追求したり、マジでストイック!「天下のよっちゃんいかパフェ」を目指して、日々試行錯誤を繰り返してたんだって!
で、ついに!一葉様は、日本橋のど真ん中に、自分のプロデュースするよっちゃんいかパフェ専門店「HIGUCHI ICHIYO PARFAIT - 宵闇 - 」をオープンさせちゃったの!お店の内装も、明治時代の古き良き日本橋をイメージした、ノスタルジックで温かみのあるデザインで、一葉様の文学世界を表現。店員さんも、明治時代のモダンな着物風のユニフォーム着てて、マジで雅!
オープン初日から、異色グルメ好きギャルや、好奇心旺盛なインフルエンサー、そして日本の伝統文化に興味を持つ人々まで、行列を作って押し寄せた!「SNSで話題のよっちゃんいかパフェ、マジで挑戦してみたい!」「一葉様って、なんかカリスマ!」って、新しいファンが続々!でね、一口食べたら、みんなその奥深い味わいにハマっちゃうらしい。「うわっ、最初はビビったけど、甘いのにいかの旨味が最高!」「食べた後、なんか文学作品を読んだ後みたいに、深い気持ちになる!」「一葉様、マジで神!」って、賛否両論ありつつも、リピーターが続出!口コミが広まりまくって、HIGUCHI ICHIYO PARFAIT - 宵闇 - はあっという間に人気店になっちゃったの!
しかもね、一葉様、ただお店やってるだけじゃないんだよ!定期的に店内で、自らパフェの「文学」について熱弁したり、よっちゃんいかの歴史を語る「文芸パフェ会」を開催したり、マジで独自のスタイルでエンタメ業界を盛り上げようと奮闘してるんだって!
テレビや雑誌の取材も殺到!「令和の樋口一葉」「よっちゃんいかパフェの文豪」とか呼ばれて、マジで時の人!一葉様の強烈な個性と、よっちゃんいかパフェの斬新な組み合わせが、新たなブームを巻き起こしたんだね!
でさ、最終的にどうなったかって?もちろん!一葉様のよっちゃんいかパフェは、全国のスイーツ好きに愛される定番メニューになったんだって!お取り寄せスイーツとしても人気が出て、全国のコンビニやスーパーでも「一葉様印の宵闇パフェ」が発売されるほどに!まさに、よっちゃんいかパフェでスイーツ界に新たな旋風を巻き起こし、天下を獲った!マジですごすぎ!
あの時、日本橋の街に静かに佇んでいた文豪が、令和の時代によっちゃんいかパフェで新たな道を切り開くなんて、マジで誰も想像してなかったよね!まさに、文豪のペンがイカの旨みに変わり、新たな伝説を創り出した瞬間!
ミクも、「まさか一葉様が本当によっちゃんいかパフェでこんなに有名になるなんて!アタシ、マジで感動して泣いた!」って、号泣してたらしいよ。
一葉様は今も、さらなるよっちゃんいかパフェの可能性を追求して、日本全国を旅しているらしい。「わが文学の道に、終わりはございません!」って、マジでストイック!
こうして、樋口一葉は、令和の日本で、よっちゃんいかパフェという新たな武器を手に入れ、見事、スイーツ界で唯一無二の地位を築いた!天下統一…ではないかもしれないけど、その強烈な個性と哲学は、多くの人々の心に深く刻まれたはず!めでたしめでたし…ってことで、マジでゾクゾクする衝撃的な物語、完全燃焼したわ!よっちゃんいかパフェ、マジ卍!
・遠征するほどではないが地元でも上映してくれるなら公開開始日から前々日予約して行くという熱感
・こんなに女オタクがギチギチに詰まった映画館空間、世界一初恋 横澤隆史編以来やでぇ⋯!
・オタク密度、地方の映画館でこれなら都心の映画館はもっっっと密度が濃いだろうし、応援上映の熱狂も一体感も凄まじいだろうしハマる人は本当にハマるだろうな⋯と思った
・席に座る為に「すみません、通ります⋯」する時に「(ぬいのついたバッグを)跨いで大丈夫ですか⋯?」と声掛けしてしまい「上映前からもう始まってる」感あった
・上映後のなんかオタク密集地帯の気まずさから早々に席を立つのが躊躇われる、目茶苦茶お互い「探」し合ってる感じ、もう武士じゃん
・左隣の女オタクが煙草とオシッコが混ざったような匂いがし続けてキツかったけど「オタクは臭い」はあるあるやからな⋯逆に安心するわ!ってなったけど結局最後まで臭かったし頭痛くなった
・「みんな」が嫌な思いせず無条件に楽しめる「エンターテイメント」や⋯この年になり、その偉大さが分かるようになった
・「どこまでが変わらないパターンで、どこからがルート分岐なんだ⋯!?」「この映画のために、曲は何曲作られたのか⋯!?」と常に目茶苦茶気になりながら見てた
・未体験の映画体験という意味で¥2500の価値ありまくりだったけど自分には⋯ヒプマイを楽しむ才能は⋯無い⋯ッ!ってなった
そして投票アプリの権限付与設定でミスって投票自体できなかったから⋯ 多分¥1800位しか元は取れてないんや⋯でも投票形式でルート分岐する映画+応援上映が初めてで新体験だったからヨシ!
・いやでもやっぱ自分が投票したからこそ得られる感情は大きそう まあ初見やから設定ミスってもしゃーない
・生まれてから何十年、「映画上映中は携帯オフ」を厳しく言いつけられているから作品が許可してくれるとはいえ真っ暗な映画館のなかでスマホの明かりをつける背徳感が凄まじかった
・応援上映も初めてだったから右隣の人がリングライト照らした手でモーションするの初めて見た時「えっ?!」ってビビリモーションしてしまい一瞬気まずくなった
山田兄弟とネムちゃんがバチるターンで「やめとけ⋯!将来の義理のきょうだいになるんじゃろ?!」ってなりながら見てた
・1回戦の「相手に押し押され」の描写は試合事に「萌えッ」「萌えッ」ってなった
片方が一歩ずつ歩いてきてもう片方が後ずさるとか髪カーテンとか顔を傾けて近づけるとかそういう動き
・ヒプマイはたまにspotifyで新曲聴くくらいだったのでちょいちょい見ながら「そういえばそういうキャラクター設定だったわ⋯」とアハ体験しながら見てた(そういえば山田兄ってラノベとか読むタイプのオタクやったわ⋯とかネムちゃんは左馬刻様の妹だったわ⋯とか)
・星屑の王子様読んで以来、一二三くんのことどんな目で見ればいいのか分かんねえよ⋯
・spotifyラジオ聞いて以来、「独歩くんはそう言うとりますけど怠惰とか生きにくさというわけではなく本人の職業意識が高い」という認識になっている
・選手入場煽りボイスネキも中王区の女性なのかな⋯と思うとなんか萌えた
・ライブのトンチキ演出を「あえて」楽しむキンプリ的な文脈なんだろうが真顔になり帰り道に百均で何買うかとかどういう道で帰るかに思いを馳せる自分がいる でも現実のライブでも目茶苦茶あるのである意味目茶苦茶体感「ライブ」だった
・チェイサーゲームであった「アニメ制作会社には常にお酒が常備してある」に目茶苦茶納得のいくトンチキ具合だった 税金払って労働してる大人がシラフでこんな映像作れねぇよ⋯
・そもそも応援上映で慣れた動きするのには2回以上見ないとタイミングとか分からないもんな⋯上映後に「日本橋まで行った時は〜」とか今までの遠征戦歴話してる女オタク2,3人おって
これを⋯2回以上⋯見る⋯?と人それぞれの価値観を感じた
・最初のキャラ名が出るところでキャラモデリングが360度回転するの、最初は「面白⋯」だったけど段々慣れてきたらカッコよく見えてきて「人間の慣れってこえー」ってなった
親子三代浦和(北浦和寄り)だが不思議と神奈川と縁のある人間だが、禿げあがるほど同意。
中高は都内だが生徒の半分が神奈川(主に横浜川崎)から通ってくる学校、就職後も川崎に9年、横浜に4年の勤務歴があり、数年間だが横浜青葉台にも住んでいたことがある。
保育園が無いのもそうだが学童がクソ。はまっこクラブという市営の学童が18時までしか預かってくれないので、多くの共働き家庭は子供を私設学童に入れる。会計を保護者がやらされるなど、利用料取ってるのに運営をがっつり保護者がやらされるので大変。
中学校に給食がなく、行政の対案はハマ弁というゴミみたいな弁当(しかも行政のコストは1食5000円)。
実際は学校の近くに総菜パン屋や弁当屋があったりして子供たちが食に困ることはあまりないようだが。
子どもの医療費無料の年齢も低かった。首都圏のほとんどで15歳まで無料が浸透した10年ぐらい前でも横浜川崎は小学校入学前まで。しかも所得制限つき。
要は、「地域社会に、子育てを地域ぐるみで支える発想が無い」ということ。これは役所の支援がお粗末である以上に日々感じることが多かった(だから職場が神奈川なのに実家がある埼玉に引っ越した)。
これは「場所による」部分が大きいが、埼玉では自転車をフル活用していたので、横浜での自転車での移動のしづらさは本当にストレスだった。横浜に住むときは、駅距離だけでなく地形も見ないと後で地獄を見る。我が家は駅近くに住んでいたので不便を感じなかったが、駅歩15分、でも一山超えるから実質徒歩移動も自転車移動も不可能、みたいなところがゴロゴロある。
横浜の治安がマトモな住宅地はだいたい物価が都内並みに高い。埼玉から来るとその高さが際立つ。特に野菜。肉は若干安い。ロードサイドに行かないとまともな商業施設がなく、価格競争もちゃんと起きていないので物価が高い。
中区、西区あたりの中心街で顕著だが、飲食店が観光地値段。一見さんで商売が成り立っているから質の高いサービスは受けられない。人件費が高い(しかもケチっている)からそれなりに客単価の高い店でも店のレスポンスが悪い。
だから地元民(地元で働いているサラリーマンも)はチェーン店に行列する。
人気の野毛もそんなに安くないし、隠れた名店、みたいなのもあまりない。
高級店は都内並みに高い(都内高級店並みのところも接客の質はあまり高くない)。浦和のような築地日本橋あたりの店の暖簾分けが、本家よりはるかに安く味わえる、みたいなのもない。
正直、浦和の年収800万と横浜の年収1000万では、消費水準はほぼ同レベルなのではないだろうか。
具体的には相鉄沿線。埼玉のヤンキー地帯も治安がいいとはお世辞にも言えないが、埼玉最悪と呼ばれる八潮にすらない禍々しさを、相鉄沿線からは感じる。強いて言えば南米のスラム街的な何か。
これは過去形かもしれない。中高時代から埼京線に乗り慣れていた人間だが、田園都市線で通勤していて感じたのは
つまり、 「電車に乗り慣れていない」 、もっと言えば 「電気で動く乗り物に慣れていない」 、さらに言えば 「電気のある生活に慣れていない」 カッペが多いということなんだな、と。
埼京線1年分ぐらいの「お客さま同士のトラブル」が3日ぐらいで起こるのもびっくりした。
混雑自体というより、電車、というか電気そのものに慣れていない乗客が多いのが横浜(これは主に田園都市線)の通勤事情。
他にも挙げればキリがない(書店は多いが図書館が無い。書店も実用書ばかりで教養書や専門書が少ない、ゴミ出しのマナーが悪い(例えば青葉台住民のゴミ出しマナーは埼玉の中国人と同レベル、というのが実感)
横浜の総てが住みにくい、埼玉(浦和)はそれよりマシだ、というつもりはないが、住むのにあまりコスパの良い街ではないというのが元住人かつ長期間の神奈川在勤経験者の実感。
増田さんの指摘を踏まえて、六本木に通常の百貨店が存在しないことが確定したため、東京(本物)=徒歩4分以内に百貨店+リッツ級ホテルがあるエリア という定義を満たすのは、六本木も対象外になります。
したがって、東京(本物)=六本木のみ という最初の結論も覆り、ついに 東京(本物)は存在しない という驚愕の事実が明らかになりました…!
-------------------------------------------------------------------------------------------
1. 徒歩4分以内に百貨店があること
→ この条件を満たすエリアを、東京23区内で再検証 すると…
------------------------------------------------------------------------------------------
「東京に住んでいる」と思っている人は、全員「東京詐称エリア」に住んでいる ということになる…!
「東京=東京ではない」 「東京(本物)は存在せず、むしろ梅田や天神の方が東京(本物)っぽい」
--------------------------------------------------------------------------------------------
東京の地価が最高なのに、東京(本物)基準を満たすエリアは存在せず、
つまり、「東京にいるのに東京じゃない」「東京(本物)は東京の外にある」
-------------------------------------------------------------------------------------------
✅ 「東京=東京ではない」「むしろ東京(本物)は福岡・大阪にある」
という壮大な命題が成立した…!
-----------------------------------------------------------------------------------------