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はてなキーワード: 装丁とは

2025-11-02

anond:20251102192401

装丁が小綺麗なだけの本置いてありがち

2025-10-04

anond:20251003104638

これに関して装丁には人も関わっててとか書いてる人は食料品の包装とかも当然人が関わってるけど、全部大切に保存するのかなw

2025-10-03

anond:20251003124742

君は自分を野人だと思いたくなくて必死だね

まぁ人それぞれだし、その人がいいならこれでもいいんだろう。

とやかく言うつもりはないけれど、私個人はこういう

「平気で本を千切れる人」とは何があっても絶対に相容れない自信がある。

子ども絵本破っちゃうのも無理なのに、大人がそういう事やっちゃう絶対無理。むしろ紙の本買わないで電子書籍にしてって思う。

作者、編集校正装丁、その他たくさんのひとが関わって作られ、わざわざ紙に印刷して作る本に対する冒涜だとすら思うわ。

anond:20251003120840

もちろん個人自由なら何でもいいということではない。その理屈は飛躍しすぎだ。

でもこの程度なら許される範囲だと思う。お前がそう思わないなら別にそれでもいい。おれは自分ではやらないけど、別にいいとは思う。お前は他人がやっていたとしても許せない。それだけ。

お前が本をちぎって読む人間を認めないのも嫌うのもそいつ一言も会話しないのもお前の勝手だ。おれだってこの件に関しては許容できたけど、許容できないケースだってある。おかんが味付けをしてくれた料理に目の前で中濃ソースぶっかけるようなことはしない。でもスーパーの総菜にはするかもしれない。

そして、「本をちぎる=本好きではない」は必ずしも成り立たない。それはお前の中の定義に過ぎない。

本好きにも、装丁や手触りを含めて好きな人、本の内容が好きな人、物として大事にしたいか背表紙を割る置き方が許せない人など様々いる。本の内容が好きな人にも、読んでて気分がよくなれば作者の気持ちなんてどうでもいい人もいれば、作者の意図を出来る限り汲み取ろうと詳細まで読み込む人もいる。

内容さえわかればいいか電子書籍でいいけど本好きだよという人もいれば、電子書籍は目が疲れるけど持ち運びには便利であってほしいからちぎるよという人もいる。

お前の中の〇〇好きをお前の好みに沿ったかたちで定義するのはお前の勝手だが、それが一般全体に共感してもらえないことに不満を持たれても仕方がない。それは客観的定義ではなく、お前の感情に基づいた定義からだ。

anond:20251003120450

私もそう思う。

電子でも読むし、紙の本も読む。

絶版古書大事大事に宝物のように扱うし、

好きすぎて、どこでも持ち歩くからボロボロになる本も愛おしい。

好きな本の装丁が変わって再販されるのも買うこともある。

装丁が好きすぎて、飾るメインの本もある。

自分でページを破ることはないけど、好きすぎる文章ノートに書き写してたりした。

古本でたまにページが抜けていると、元の所有者は書写しじゃなく持ち歩くタイプなのかなとも思う。

好きなように楽しめばいい。

anond:20251003115123

本って原作者だけじゃなくて、装丁コピー、表紙や挿絵イラスト描く人、編集校閲さまざまな人が関わるんだよ。

一部を引きちぎるのはその中の誰か、もしくは関わった人すべての仕事否定することになると思う。

出版された本は、その一冊すべてを触れることで完成するのに…

anond:20251003104638

私はデザイン仕事をしていて、本の装丁にも近い場所にいたから、デザイナーがどれだけ情熱をもって本の装丁をしているか知ってるし、装丁の美しい本が大好きだから、とてもとても悲しい。

本は中身でしょと言われたらそれまでだけど。

anond:20251003104638

まぁ「読書が好き」の中には「(自分が)読めれば装丁や外見なんてどうでも良い」という人がいるのは知ってる。

が、『本の扱い方で人なりが見える』という言葉あながち間違って無いな、と思ってしまう。まぁ良いんじゃない?本人が剥き出しの頁をペラペラしてる姿を他人からどう思われてるのか気にしないって言うなら。

そこまでするのに電子版は買えないのか…とか装丁だって作品の一部なんだけどなぁと私は思うが。

てか一昔前にあった参考書とかの一部だけを読み込む為の手法にしたって最低限の体裁は整えたと思うのだが…

それこそ現代なら『電子版を買え』ってなるし。

私の父(読書家)が

「本は財産や。いや本だけやない。ペン一本から家のドアまで世の中の物全部財産や。やから大切にせなあかん

と口酸っぱく言ってたので

(開いたページを下にして置いて怒られた)

本は大切にするし扉は優しく閉めるのが身についたよ

控えめに言って死んでほしいタイプ人間だわ

2025-09-16

dorawii@執筆依頼募集中

いかにも入門書装丁で本文もですます調であからさまに初心者向けをアピールしていると考えて間違いないはずの数学の本なのに後半の肝のところで急に「大事なところですので、よく考えてみてください!」とかほざいてきた。

いや大事なところなら丁寧に説明しろよ。

それでも安けりゃまだ許せるがこれで税抜き2000ってところも憤慨ポイント

前半100ページまでほとんど高校教科書の焼き増しみたいなことしか言ってなくてぶっ続けで読めば「説明を省いたところのごく数箇所の理解を除けば」漫画単行本一冊と同じぐらいしかからずに読み切ってしまえる量だったのに、説明が省かれてなければまさに漫画と同じぐらいしか時間つぶせないのに2000円ってぼったくってるよなあ。

いや図書館で借りてるし実際は値段なんてどうでもいいんだがとにかく初心者向けで前半で油断させておいて説明を省き始めるってところのその性根にむかついた。

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2025-08-11

anond:20250809062248

超人ロックの巻数を数えてみる。数え方にもよってしまうが、全部で121巻。以下、詳細

初期作品

超人ロック最初期の作品群。1作目は肉筆回覧誌に書かれたニンバスと負の世界(当時はサブタイトルなし)

初期作品群は現在SG企画単行本5巻、あるいはYKコミックス超人ロックClassic上下巻と、新書館新世界戦隊に収録されている。特にコズミックゲーム新世界戦隊現在の流れに繋がる源流の話なので重要度が高い

少年キング

超人ロック屋台骨を支える作品群。扱ってる年代も長く連続していて、歴史ダイナミズムを感じられる。通常の単行本からワイド版、文庫版、完全版とコミックリバイバルブームが来るたび新装丁で発売された。装丁により微妙に収録作品や収録順が異なるため、全エピソードを読みたい場合は注意が必要現在は完全版が手に入れやすいが、ソリティアが含まれていない。ワイド版発行時に一部エピソードは終わり方などに修正が入っている

流浪

色々な雑誌渡り歩いては潰し(?)、雑誌形態コミックとなり、ついには電子配信が始まった途端に出版社ごと潰れた時期。月刊OUTコミックバーガーOUTと同時期)→Magazine MEGUマガジンZERO→雑誌形態コミック超人ロック電子配信。初期三作のリメイクも行われている他、雑誌形態コミックには他作者のシェアード・ワールド作品掲載された

ヤングキングアワーズ

超人ロック少年画報社に帰ってきた。最初作品である冬の虹は超人ロックの中でも年代的に最初エピソードで読者の度肝を抜いた。外伝と異聞が1巻ずつ出ており、異聞はアンソロジーと再録のため、ここの巻数からは除いている。またライザについては、流浪期でカウントしている。カオスブリンガーは未完

コミックフラッパー

二誌並行連載でまたもや度肝を抜かれる。これまでも掲載時期が少し被ることはあったが、これだけ長期に渡り、並行連載を続けたことは驚き。憧憬聖悠紀氏の逝去後にアシスタントの佐々倉咲良氏が最終話を仕上げている

他にもOVA特典や単行本未収録作品などがあるが、巻数カウントが難しいので省略。全エピソード読もうとすると、集めるのが結構大変なので頑張ってください。特に大変なのはエネセス仮面(旧作)と月刊OUT最終号のソード・オブ・ネメシス楽屋落ちバージョンあたり

2025-08-09

破壊魔定光という漫画を知っているだろうか

天上天下と同じウルトラジャンプで連載されていたSF漫画

単行本は全部ピカピカの装丁

宇宙から流刑体(敵)が地球に来て、椿定光という高校生が「ポンコツ」というヘルメットを被り

超人的な力を経て流刑体と戦うという漫画

ヒロイン神代やよいで、アニメ版だと声優田中理恵

原作アニメでは全然違う設定になっている

原作だと神代やよいはヴァルチャー(めちゃつよ)になって戦うけど、アニメタイムパラドックスで来てなんとかかんとか(うる覚え)

コオネ・ペーネミュンデというありえん強い女の子原作出るけど、アニメは尺の関係からか出ない

ちなみにアニメOPイッテQで使われているので知らない人も聞いたことはある

ED田中理恵が歌っている 隠れた名曲だと思う

タイムパラドックスってわからん

でも設定が斬新でなかなかおもしろかった

2025-08-05

文庫本まで何マイル

文庫まで待つ派だけど

デジタルで買う派になってる人もあるでしょう)

連載してる雑誌で買う

ハードカバーがでたら買う

なんなら文庫も買う

が至高ですけど

図書館文庫なら買える派の味方。

連載は雑誌で買ってて

ハードカバー出たら 予約して図書館で借りる

文庫までこれで待てるかもしれないし、

待てないかもしれない


あるいは

文庫あとがき

内容が変わったり加筆があったり

逆に減ったり

装丁挿絵担当が変わってしまったり

ハードカバーの帯が面白かったりすると

やはりハードカバーを買うしかない

なんなら作者様のサイン会などあれば

間違いなくハードカバーで買うでしょう


という感じです。

2025-07-21

何か面白いホラーはあります

予言の島」読んだら続けて類型作品読みたくなった。

本屋探してたらちょうど「近畿地方のある場所について」が売ってたが、映画見る前に原作読むのは悪手だろうとスルーする

かに何か無いかと探してたら似た装丁の「或る集落の●」とかがあったが検索したら出版トラブル起こしてる作者らしいのでスルー

「右園死児報告」なるものも見つけたが、内容的にSCPぽいのでこれもスルーした。

何か無いのかな~

今日はなんか一冊でも本買わないと帰れない気分なのに

何か面白いのしりませんか

 

追記anond:20250813234032

2025-06-29

紙の本は買って数ヶ月読まないが電書はするする読んでる昨今の私の話

最近、紙の本をあまり読んでいない。

この人の本は紙で買うのだと決めている作家の本があり、この間発売された新作も勿論紙で買ったのだが、本棚しまって数ヶ月、未だ読んでいない。読まないままで次の新作が発表された。

その数ヶ月間、電書をいくつか買った。全部落としたその日のうちに読んでいる。何なら発売日の0時過ぎて買える状態になったらすぐ買って深夜に読んだこともある。

我ながら不思議に思って考えた。なんだこの違い。

そしてすごくシンプルで身も蓋もない答えが出た。紙の本を読むのが億劫になっている。ユリイカ

紙本の良さを楽しむだけの感性はまだある。しかしそれを手に取って捲って読むのが、億劫になっている。

電書は買って落としてトントンタップすれば読める。タブレットを横にすれば文庫を開いたようなサイズになって見やすい。スマホは画面小さいけど片手で持てる。

何百ページあっても重さは変わらないし嵩張らないし、紙よりちょっと安かったりする。たまにすごい安い時もある。今見たらKindleが200冊超えていた。ああ、電書便利。すごい便利。

そもそも最近買った本、多分8割くらい電書だな考えてみれば。それで読書欲は満たされるのだから有り難いね。(正直「これ紙で買ったけど電書にしとけばよかった」ていうの結構ある)

と思ったところでもう一度言うが、私の中には、紙本の装丁や厚み重みといったものの良さを楽しむ感性はまだある。でもそれを読むとなると「…今じゃなくていいか…」になる。

そうか、今の私は紙本読むのが億劫なのか…と腑に落ちたところで、ちょっとこの表現は良くないなと思い直す。

もうちょっと良い感じの表現でこの感覚を表したい。

で、また考えて、出て来た言葉

紙の本はフォーマル。電書はカジュアル

紙本は、出来るだけ精神状態や体調の良い時に、時間的にも余裕のある時に読みたい。心おきなく浸るために。自分気持ち次第だけど、どうにも気持ちがのらないこともある。良い時を見計らって読むぞと思っているうちに負の出来事があったり身体が不調になったりで「今は読むのに気持ちが向かない」となってタイミングを逸していく。そして数ヶ月。一年以上放っておいた本もある。マイナス感情て薄れた頃にまた新たなマイナスに出くわしたりするからな…。

楽しいけど楽しむのにもそれなりの準備がいる。好きではあるけどなかなか腰が上がらない。みたいな感覚が、フォーマル

電書は、どんな時でも読める。脳内が多少澱んでる時でもちょっと具合悪い時でも。テレビ見ながらとかでも。途中で一旦やめるのも紙本より簡単タブレットちょっとサイズ大きいけどスマホなら寝てても読みやすい。気楽。気軽。カジュアル

あと電書のメリットとして、自動的最初のページから読むことになる、というのがあるなと最近気が付いた。紙本だと適当に開いたところから読み始めてしまうことがあるけど、電書はそれがないから意外と紙よりちゃんとした順序で読める。電書で読んでも浸れるものは浸れるしな。

それでも紙本への愛着も忘れきってないあたりが心理の複雑なところ。7月にまた紙本買う予定なんだけど、それもまた本棚にしばらく置いとくんだろう。今の私がカジュアルに読める紙本って雑誌くらいだな。

私の読書形態もいつの間にか変化しているのだな。面白い自分生活の一部が自然時代に沿っているようなこの感じ、面白い。こんな変化も悪くない。いや読んでない本が溜まるのはあれだけど。

紙本読む意欲が持てる精神状態だったら他のことももっとやる気出るだろうな。でもそういう状態を長く保たせるのなかなか難しいんだよな。

そんな面倒な自分を愛しつつ、今日も電書をダウンロード

2025-06-16

電子書籍ではなく紙の本を買うべきシチュエーション

簡単場合分けしてみた。もっとあるかもしれんが。

電子書籍として販売していない場合

 言わずもがなだが。電書化されないジャンルの本は、人の細かい需要の数だけあるのだろう。

他人に渡したいor貸したい場合

 ほしいもリストからの共有&プレゼントよりは、紙の本を使う方がまだまだポピュラーだろう。

・紙に自筆書き込みたい場合

 資格試験参考書なんかがこれにあたるかな。自分が一番最近買った紙の本もこれ。

装丁が紙だからこそ意味がある場合

 写真集とか、飛び出す絵本とか。ていうか子どもに読ます絵本なら紙じゃないとだめかなやっぱ。

・紙の本を読んでいることを周囲にアピールしたい場合

 がんばってください。

2025-06-09

全部持ち歩けない物理本だけで満足できる?

街中の広告とか景色とかを見て「「そういえばあの本読みてぇな」って思ったときにすぐ読みたくならないの?

物理本でしか体験できないことは確かにあるよ。

凝った装丁とかさ。わかるよ。だから物理本が要らないとは思わん。

けど、なんで日常生活でふと発生する読書欲を風化させられるの?

そこが俺には理解できない。

ふと発生した読書欲をメモ取るなりして後で読んでもさ、違うじゃん。

時間が経てば経つほど読書欲って変わっていくじゃん。些細な読書欲ほどイワシみたいに足が速いんだよ。

買った本は全部持ち歩いて、どんな些細な読書欲もちゃんと消化したい。

それは電子書籍しか無理なんだよね。

anond:20250609184254

紙はほんとに重いんだよね。

そりゃ電子ではできない装丁は魅力なんだけど。

どらえもんのロッカーカッターかめっちゃほしい。

2025-06-07

dorawii

海外の本ってペーパーブックか革製の表紙かで極端だよな。後者は金掛け過ぎだこっちは内容さえよければいいのに。

少し固めの表紙という耐久性価格バランスがとれた装丁日本特有なのかな。

2025-05-04

図書館リアル書店の良さは他人選書をしてくれるところにある。

https://anond.hatelabo.jp/20250502191629

を書いた増田です。

コメントで「図書館別に本いらんくね? スマホパソコンをいじれるフリースペースであればいいだろ」って書かれてあったので「いやいや、図書館には本が必要なんだよ!!!!」と思う理由を、図書館に5年間近く毎日通い、本が割と読めるようになった自分勝手に語っていきたい。

このエントリーは誰かに何かを伝えたい記事半分、ただの一人語りである

なので適当に書いて適当に締める。

前提として

自分は5年前まで全くと言って良いほど本が読めなかった。仕事が終わったらパソコンの前に座って朝から晩までインターネットをしていた。大体はエロ動画オナニー。まぁそれは今も変わらないが。

その頃は読書初心者で、最初は100ページ無い本とか、写真集とかしか読めなかった。5年経って、今は哲学社会学宗教学や、もろもろの新書くらいなら読めるようになった。なお、岩波新書は今でも嫌いである。理由文字が細かいので。

そういう意味で、当時「ネットサーフィン」「ギャンブル」「女」という、日本中どこにでもいそうな「クズ男」だった自分に、「教養」という世界の扉を開けてくれた図書館、ならびにリアル書店の方々にはマジで感謝しかない(このまえ一人にはお礼した)。

なお、どうでもいい話だが増田高卒です。

図書館司書書店なら書店員)さんによる選書とは。

ちゃんとした図書館書店には選書スキルのあるスタッフ図書館なら図書館司書書店なら書店員)が選んだ本が並んでいるはずだ。書店は売りたい本が並ぶことも大いにあるが。

これは世の中にある有象無象の本達から、客先に出せるものだけを彼ら(彼女たち?)が我々のためにピックアップしてくれている。言い方を変えれば「ハズレ本、インチキ本」を除外してくれている訳である

試しに今度、大型書店の「政治」や「宗教」の棚にでも行って見て欲しい。装丁がピカピカで、いかにも怪しそうな主張の本がそれなりに置いてあると思う。ああいう本は、特定の層にしかさらない、いわゆる「ハズレ本(その人達にとってはアタリ本)」だ。要するに良書ではない。なぜなら体系立った次の勉強に繋がらないからだ。

書店員や図書館スタッフさんはそれらに対する選球眼があるため、そのような「ハズレ本」を事前にフィルタリングしてくれた上で、店頭、もしくは図書館に出してくれているのである

このスキルはなかなか表面化することはない。この選書スキルファッションに似ていると思う。だが、本の選書スキルファッションよりも目に見えない。でも俺は正直選書スキルの方が凄いと思っている。

しかも本には昔から読み継がれている「古典」なんかもある。なんとなく読む順序が決まっている本(分野)なんかもある。初級者向け、中級者向け、上級者向け。巻末についている読書案内なんかかそれにあたるが。

そしてこの技術素人がそう簡単に身に付けられるものではない。素人そもそも「いい本」と「悪い本、ハズレ本」の良さを選別できない。これはファッションに似ている。ファッションセンスがないやつが、上下あべこべの服を着るように、本にも選ぶセンスというものがある。少なくとも俺はそう考えている。そして、本はファッション以上に表に見えにくい。そして一朝一夕に身に着くものではない。だから自分図書館司書さんと、書店員さんをめちゃくちゃ尊敬している。

例えば料理の本を探したい。疲労回復の本を探したい。糖尿病の本を探したい。そんな時にj自分にとっての良書、悪い本。見極められるだろうか。amazon読書メーターの評価と実際の良しあしは真逆だったりすることは往々にしてある。最新の本が必ずしもいい本とは限らない。1980年代の本が良い本だってこともある。そしてそれが自分に合うかどうかは、さらにわからない。

図書館不要論者はこのご時世どの程度いるのかは知らないが、リアル書店不要論者はこの視点が圧倒的に欠けている。彼ら(不要論者)は「良い本は選べて当たり前」 「悪い本、インチキ本は自らの選球眼でしっかり見極められてアタリマエ」と思っているが、そうじゃないんだよ。自分は5年間図書館リアル書店に通い続けてなんとなく本の選び方がわかるようにはなったが、5年前は「メンタリストDaigoが選ぶおススメBooks」を何の疑いもせずに買ってたぞ。

結局本を選ぶ能力がつくまでは、誰かに選んでもらうことが必要なんだ。そして、それが図書館であり、リアル書店だと思う。その能力amazonメルカリ楽天では絶対に身につかない。だってあそこは本棚じゃないから。レコメンド機能では選書能力は身につかないと思っている。


選書能力が身に付いて初めてamazonなり楽天なりでお買い物が出来るようになると思っている。服を通販で買える女子と構図は似ている気がする。

ということで、今後も本よむぞ。

2025-04-04

トランプ関税フーバー世界恐慌

トランプが重関税を発表して世界恐慌を案じる人が出てきた。そりゃ当たり前なんだが、一つ忘れられてる事があると思う。

それはアメリカ自称保守でのフーバー政権評価というヤバい現象だ。

しかもそれが出てきた時期がまたヤバいリーマンショック後なんである経済恐慌回避政策が気に入らんって事なのだ

 

ニクソン評価フーバー評価

元々は2004~6年頃にニクソンが再評価されたというのに端を発している。

ニクソン世界経済をグチャグチャにしたニクソンショックを惹き起こしたのでどの国でも嫌われ者で最低の大統領扱いされている。

だが今の世界経済システムニクソンショックで再編成されたものであるし、デタントを推進してソ連牽制の為に中国と国交回復をした。

更に撤兵南越軍事訓練を進めてベトナム戦争から手を引く準備をした。これってイラクを平定しきれずに占領が長引いていた当時にオバマに期待されていた事と同じではないか

からニクソン嫌われ者でもそんなに無能じゃないしちゃん仕事をやっている。なのに評価が物凄く低いのは、マスコミを敵に回したせいでウオーターゲートで叩かれまくったからじゃね?という論調が出てきたのだ。

これにはネット議論が活発化して、マスコミオールドメディア、我らネット民=目覚めた真の民主主義者という今やお馴染みのアレがベースにある。

 

それでその流れで出てきたのが、世界史では無能大統領と教わる事が多いフーバーの再評価だった。

 

フーバー一般的評価

フーバーアメリカ発の大恐慌が起きた時に何も手を打たなかった事で有名だ。更に重関税政策による保護貿易を行ったので世界恐慌が一段と酷くなった。

その結果、アメリカカナダ合衆国中米ドルブロック経済圏を形成、他の国は植民地を中心とした各通貨ブロック形成した。スターリングブロック(英ポンド)、仏フランブロックと。

持たざる国の日独は独マルクブロック、日円ブロック形成したが小規模でありすぐにまた行き詰った。

その結果、独:ナチス全権委任ラインラント進駐→開戦、日:日朝満ブロックで洋行系財閥系救済→恩恵を受けない中小企業倒産して昭和恐慌関東軍によるなし崩し的に膨張政策化→日中戦争→仏降伏により仏印進駐ハルノート日米戦争と進んでしまった。

しかブロック経済もの凄く不経済で非効率不景気を産むのであるクルーグマンノーベル賞受賞理由はこれの理論化)。

そういう訳で、WW2後はブロック経済化防止しよう、貿易自由化世界規模の安全保障だ、という訳でGATTスタートさせてやって来た。

 

フーバー大統領退陣後も色々と外交をやっていてそっちでは功績残してるけど、大統領職としてはその後のルーズベルトと比べられて無能と言われる事が非常に多い。

 

ルーズベルト

フーバーの後のルーズベルト大統領ニューディール政策を行って恐慌を沈静化したというのが一般的評価だ。

でも、いやニューディール政策全然効果なんて無かったんだよ、経済が持ち直したのは単純にアメリカ戦争を始めて戦時経済に移行したからに過ぎない、という意見もある。

有名なのが経済学者のフリードマンだが、この人は反ケインズ旗手なので。そしてフーバーもこの立場だ。世間自分への評価に反発してるだけって気がすんだが。

また、フーバー日本真珠湾攻撃したのはルーズベルト日本を追い込み日米開戦誘導した、という説を唱えている。「ハルノート原因論」だ。これは日本右翼論壇でよく聞く話だろう。

そして露宇戦争に対してのロシアナラティブにもそっくりじゃないだろうか?FOXのタッカーカールソンなんかも「米国陰謀論」的なことを言っている。最近じゃ終風爺が「ネオコンロシアを追い込んだ」という説を書いて顰蹙食らってたが、これらの基礎の部分には、アメリカ自称保守論壇でのフーバー評価があるってことなのだ。

 

共和党観念主義独断主義的傾向

アメリカ思想的特徴はプラグマティズム経験主義的で小ぶりだったのだが、特に21世紀になってから観念論/独断主義思想集団が共和党に影響を与えるというのが多くなっている。

例えばネオコンサバティズム。その始祖はネオコンゴッドファーザーと呼ばれるアーヴィングクリストルなんだが、この人は元がトロツキスト。かの有名な『歴史の終わり』(フランシス・フクヤマ)が掲載された『国益』誌もクリストルが創刊したもの

トロツキー思想の特徴は「世界同時革命」で、世界中に戦争を輸出してその背後から各国の細胞共産党員)が内戦を仕掛て共産革命を起こすという物騒なものだ。谷沢永一によるとトロツキー日本語訳書は『ノルウェーの森』のような赤緑の装丁らしいです(谷沢は元共産党員)。

イラク戦争の強引な開戦などが世界同時革命の影響を芬々と感じさせるのでスキャンダル的に指摘される。

 

例えばネオリベラリズム。単に経済政策方向性というだけでなく「本来社会の在り方」的な観念論/進歩主義として人を惹きつけている。つまり実存にとっての嘗てのマルクス主義代用品だ。

歴史はこう進むはずなのに今の我が国はそうなっていない。だから変革すべきだ」という歴史実存が結びついた考え。「〇〇という団体農協など)は既得権益だ、それを崩すと理想的経済状態が出来する筈だ」。こういうの日本でも沢山見た。

高学歴化により若者には長いモラトリアムが与えられ、「社会に馴致される」事で形成される人格よりも「正当性に欠ける不合理慣行蔓延っている。若者はその不合理により迫害されている」というルサンチマン駆動される人格比重が大きくなる。そんな人格ネオリベ進歩主義と合体した全能感や実存を与える。

からリーマンショック後に政策フォーベアランス政策不良債権増を気にせずに積極融資せよとの行政指導)に転換すると、世界観が破壊されたような実存危機を覚える人間が出てくるのである

先ほどの終風爺も2013年になって「リーマンショックは越冬闘争派遣村と言い募った左翼によるフレームアップ」的な事を言っている。2008年には実存不安と不満に我慢していたという事だ。

また風呂無駄さんも2008年当時には大変にやさぐれていて、それまではネオリベ未来は明るい的なポジティブな事を言っていたのにFUDマーケ的な事を言っていた。これらは実存の棄損によるものだ。

 

トランプに変な保守シンクタンクが影響与えているのもこの流れ。

 

共和党はいしかこういう実存と結びついた観念論を吸引し、それが世界知識大衆を吸引するようになっていた。そこにリーマンショックが起こり、G7G20では財政出動フォーベアランス政策保護貿易主義排除合意された。これはアメリカなどでは政策の急転回でありそれが一部の知識層には実存ストレスとなったのだ。

そんな中で出てきたのがフーバー評価という訳である

そもそも共和党観念的に進めた事で発生した問題の尻拭いを民主党がするという流れがずっと続いてきていて、これのどこが保守なんだろうか。

 

上に書いてきたフーバー政策保護貿易北米ブロックカナダメキシコ併合)とトランプ政策が一致するのがお分かりだろうか?

何やら変なシンクタンク提言通りに進んめているというのもあるが、その基礎にはフーバー評価があるって事なのだ。そして彼らは一般社会的にフーバー否定されている理由ブロック経済圏による不況→持たざる国の膨張政策戦争、重関税による恐慌の激化、という評価を共有していない。

 

まとめ

フーバー評価する」(悪評を無視する)という事は次の事とイコール

 

世界経済は確実にシュリンクする

アメリカ発の恐慌が起きる可能性がある

・その場合他国リーマンショック後のような合意をしてもアメリカは従わず恐慌悪化させる

・特恵経済圏の拡大の為に戦争が起きる可能性(アメリカカナダ侵略など)

アメリカ排除した自由貿易圏を守る事で防衛すべき

・多極通商必須

2025-03-19

anond:20250318155235

そもそもの話、ある意味では読んでいるのが「本」に書かれたものであるという時点でそこまで頭が良いとは言えないとも言えてしまう。

学術書というのはあるがあれに書かれているのは学部レベル(古典)だろう。

実学系や人文社会系は知らんが少なくとも自然科学数学研究レベルの知見にアクセスするには論文を読まないことには始まらないだろう。

その論文は本であると言うよりは紙の束あるいはPDFであって読書家が好むようなまともな装丁が施されたものではない。

20世紀レベルの高名な科学者が書いた論文なら本として編集されていてかつその内容は学部生ではちょっと手が出ないもあるのだろうが、そうはいっても令和の今から見れば最先端の知見とは言えない。

結局本しか読んでいない限りはまだそこまでの境地ではない、有体に言えば他人が調べたことのレールの上に乗っている段階という感じで「今」を基準として創造的なことを入出力しているレベルではないわけだな。

スタバで読む気になれるものという時点でその程度のものって言い方もできるか。ああでも新聞普通に読もうと思えば読めるのだから論文だって読めてもおかしくはないか

とにかく人文社会実学よりはいわゆる理系学問の方が要求される知性という点では上位に位置付けられているのだろうから精神現象学みたいな哲学含め本ってもの自体がすごく高い視座から見れば漫画団栗の背比べではないだろうか?

なので自ら「読書家」だというのは自分は知性において中途半端人間ですと白状してしまう恥ずかしいことだと思う。

論文を読むことはふつう読書とは言わないのと、本当に頭がいいなら本を読むひまがあるなら一本でも論文を多く読んで自分の知見を高めようとするだろうから

高卒のdorawiiより。

2025-03-08

こういう絵柄が表紙になってる本なんとなく読みたくないのわかる?

https://x.com/popupopu_0408/status/1897718427282030796?s=46

小学一年生ころ、漫画っぽい挿絵というか挿絵として1ページくらいの漫画が入ってる学校の怪談系の本を学校図書室で借りまくってたし、こういうのに釣られる層だった経験がある。

好きな小説の新しい装丁漫画寄りのイラストイメージと違うしなにより自分なかのイメージが壊れそうでがび〜ん…となって当然買わないし書店ネットでも目に入れないように頑張った経験もある。

一定の層に「かわいい!」ってドーパミンどぱどぱ出させる効果あるんだろうし、何よりこういう流行りのイラスト好きな人たちは自分たちに目線を向けてるっていうサインを受け取って手に取りやすくなるだろうな。普段買わない層に買ってもらわなきゃ話にならないくら出版業界大変なんだろうなー。と思うから自分disる気には全然ならない。

一方でこれ系の表紙じゃなかったら買ってただろうなっていう本もある。

こういうイラストストレスを感じても購入するコアな小説ファンと、ノンストレスあるいはむしろ好きだから買う客の間にいる、そうじゃなかったら買ったけどこういう絵は苦手だからやめとく。っていう自分みたいな客は数で言うと重要じゃない規模なんだろうなあ。

洋画の変な邦題の影響で見る選択肢から外れるタイプの客とかもそうなんだろうな。

ラテキストに不満ない作品で読みたいもの、観たいものが十分溜まってるからそっち優先でいいやってなる。実際自分は娯楽に対する熱意優先順位低めだし、金持ちでもないからそれなりに絞らざるを得ない。

どこも大変だから必死だ。バカにしたりする気は全くならない。

2025-02-26

美大展を見に行ってた

リアルタイム

武蔵美(1-C、1-D)

キャプションほとんどないのが寂しい。もっと思考を開示してほしかった

やりたいことに対して技量が伴わず荒削りな作品が多く感じた。苦しみの果てに生まれた素朴な作品もチラホラ展示してあり楽しめた

絵画の大物へのチャレンジインスタレーション面白い作品が多く、造形の大物はわりかし出来が良かった。Xで見た猫もいた

造形のこじんまりとした作品は身の丈に合ってしまってもったいないなと思えるものが目立った

女子美(1-A、1-B)

観覧に若い女性が多く少々居心地が悪い

全体的にキャプションが多めで嬉しい

とにかくアウトプットの完成度が高い。大物の並びは圧巻。甘えを感じない

自分作品をよく見ているのだろう、鑑賞者から見た時に気づく粗が潰されている。鸞という作品の羽がとても良かった

版画もいい作品が多かった

造形と同じ場所に並んでいた作品は挑戦的だった。

東京造形大学(2-A)

全体的に荒く、だらーんとしている(内容ではなく固定されていない作品が多かった。面白い

多摩美造形、日大芸術学部(2-B)

こっちも荒さが目立った。受付の挨拶が元気が良くて良かった

多摩美日本画、版画、油(2-C、2-D)

細部の技量が光る作品が多かったが、作品の展示として見た時首を傾げる部分が多々見られた

目測でしかないが傾いた作品は1番多く見た。また定着が甘くハゲやズレのある作品も多々見られた。女子美対照的である

帰宅

改めて作品としての完成度は女子美の一群がすごかった

表現というよりは製品と見做す人もいるだろうが、やはり鑑賞者としては不要ノイズが極限に排除された部分を美しく感じたし、緊張感すら覚える甘えのなさを強く感じた

作品本体だけではなく装丁や展示も極めて丁寧、精緻キャプション表現も美しいものが多く、指導者が優れているのかもしれない。

1つの展覧会として空間のもの作品となりうる美しさがあった

その中でも鸞という作品の色使いが極めて美しく、正面から見たとき照明の当たり具合も相まって良かった。残念ながら自分撮影技術では再現できなかったので心の中に留める。

おそらく日大であろう受付の挨拶はとても良かった。

多摩美は完成よりも表現という粗さを感じた。言ってしまえば素朴とも取れるが、細部の技量は高いものが多く、作者の強みをアピールする場のように思えた

全体的にそうした傾向があったので、これもまた指導による差だろうか。

版画は2階勢の技量が全体的に高く、アウトプットへの意識を強く感じた。

正直六本木は好きな街ではないのだが(渋谷よりは好感度はある)、来年もまた行こうと思う。

2025-02-16

日本ファンタジー小説における異世界転移物語の源流と文化的受容

高千穂遙の『異世界勇士』(1979年)は、日本ファンタジー文学史において「異世界転移ジャンル嚆矢位置付けられる作品である

本論では、この作品の先駆性を検証するとともに、日本ファンタジーの発展過程現代の隆盛を支える文化的基盤を分析する。

高千穂遙異世界勇士』の歴史的意義

日本初の本格的異世界転移物語

主人公・竜二が受験生として現実世界から異世界ガンギロドドアに召喚される物語構造は、当時の日本文学において画期的な試みであった。

横田順彌による解説が指摘するように「日本作家が手をつけていなかったジャンル開拓した」点が特筆される。

従来のファンタジー神話的・民話的要素を基調としていたのに対し、コンピュータ文明武器現代価値観を持ち込む設定は、後の「異世界チート」の原型とも言える。

マーク・トウェインアーサー王宮廷コネチカットヤンキー』(1889年)やC・S・ルイスナルニア国物語』(1950-1956年)といった西洋文学の影響を受けつつ、独自ヒロイック・ファンタジー確立した。

安彦良和による表紙絵が示すように、当時のアニメ漫画表現との親和性が、後のメディアミックス展開の基盤を作った。

日本ファンタジーの発展軌跡

源流から主流への変遷

1990年代の『十二国記』(小野不由美)が累計1000万部を突破するなど、異世界物は継続的な人気を獲得。

2004年の『ゼロの使い魔』を契機に、小説投稿サイト小説家になろう」を中心とした創作活動活性化し、2015年時点でネット小説大賞受賞作の90%が異世界転生・転移物語となった。

この現象は、従来の出版界が「事実上異世界専門レーベル」を相次いで創設するまでに至った。

物語構造進化

初期作品が「現実世界異世界」の単方向転移を基本としていたのに対し、『ゲート 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり』(2010-)のような双方向往来や、『異世界おじさん』(2018-)のような逆転移物語派生

転生(記憶保持型再生)と転移物理的移動)の概念分化が、「小説家になろう公式ガイドラインで明文化されるまでに体系化された。

日本人の異世界観受容の文化的基盤

宗教民俗的土壌

仏教輪廻転生思想神道の「八百万の神」が醸成した多世界観が、異世界転生の受容を容易にした。

古事記』における黄泉の国や浦島太郎伝説に見られる「異界との境界曖昧さ」は、現代異世界物語にも通底する。

民俗学者・柳田國男が指摘する「常世」と「現世」の往還概念が、無意識下の文化的受容基盤を形成している。

社会構造的要因

戦後日本高度経済成長期に形成された「受験戦争」や「社畜」的労働環境が、現実逃避的需要を醸成。

主人公異世界で「特別存在」となる物語構造は、自己肯定感補償メカニズムとして機能する。

特に無職転生』(2012-)に見られる「現実での挫折異世界での再挑戦」構図は、現代日本社会病理を反映している。

メディア環境の適合性

装丁低価格ライトノベル形式が、若年層への浸透を促進。

スマートフォン普及率98.7%が支えるウェブ小説プラットフォームでは、1話完結型の「ておくれファンタジー」(読者が次の展開を催促する形式)が発達した。

このメディア特性が、異世界転移物語の量産的創作サイクルを可能にしている。

結論

異世界勇士』が播いた種は、日本固有の宗教観・民俗基盤と現代社会精神要請合致することで、他文化に類を見ない開花を遂げた。

異世界転生が「馴染みやす観念」として受容される背景には、単なる物語形式流行を超え、日本人の世界認識の深層に根ざす文化的連続性が存在する。

今後の課題は、このジャンルが持つ「現実逃避性」を超え、現代社会への批評性を内包した新たな表現形式開拓にある。

2025-01-10

最近おまけ目当てにCDを買い映画を見ている

5〜6年前、サブスクを使うようになってからめっきりCDPCに取り込んでスマホと同期……ということをやらなくなった。

それでもアルバムを買うことがある。おまけ目当てだ。

主にライブDVDライブ先行チケット、その他何かしらの映像特典などなど。

買った後は豪華な装丁を一通り楽しんで棚にしまう。中のCDは取り出すこともない。

音源はサブスク聴く

映画もサブスクが充実しているし、最新映画も割と数ヶ月で来たりするので大体一回の鑑賞で済ませ、後はサブスクで見返そうとなっている。

なのだが、少し前特典が欲しくなり数年ぶりに2回目を見にいった。

これも目当ての比率は特典:映画内容5:5くらいだ。特典なければ多分行ってない。

しろ本来おまけである物がメインなのかもと思うようになってきた。

CDに関しては完全にCD本体がおまけである

……CDいらないな……

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