はてなキーワード: 射幸心とは
この間子供と一緒に縁日に行ったらスーパーボールすくいがあった。
子供がやりたいと言うので200円でやらせたんだけど、スーパーボールが敷き詰められて、隙間がない。
しかもスーパーボールってそれなりに重いから、ポイがすく破れる。
子供もすぐ破れて、おまけで2個もらってたけど、ぼったくり商売だと思う。
結局、あれはゲームとして成立してないんだよな。
金魚すくいならまだ慎重にやればすくえるけど、スーパーボールは重さ的に無理がある。ポイの紙が完全に耐えられない構造になってる。
世界中で大人気の「ポケットモンスター」、通称ポケモン。その最大の魅力は、子供から大人まで夢中になれる「ポケモンバトル」だと言われる。しかし、私はこの構造に潜む危うさを無視することはできない。
ポケモンバトルの基本は「勝負」にある。勝者は報酬を手に入れ、敗者は失う。この単純な仕組みは一見するとスポーツや競技のように思えるが、冷静に考えてみれば「賭け事」の構造に近い。子供たちはポケモンを戦わせ、その結果によってお金(ゲーム内通貨)を得たり失ったりする。これは、まさに「賭博の縮図」ではないだろうか。
さらに深刻なのは、プレイヤーが幼少期から「勝てば儲かる、負ければ損をする」という因果を学習してしまう点だ。健全な教育であれば、努力や友情、協力の価値を強調するべきなのに、ゲームはその代わりに「リスクとリターンの博打的構造」を刷り込む。子供が成長してからギャンブル依存や射幸心に陥りやすくなる一因になりかねない。
また、ポケモンたちを「戦わせる」仕組みそのものが問題だ。プレイヤーにとってはただのデータでも、作中の世界観ではポケモンは「生き物」であり、友情の対象とされている。にもかかわらず、彼らを道具のように扱い、勝敗と金銭を結びつけることは、倫理的な二重基準を子供に学ばせる危険性を孕んでいる。
任天堂やゲームフリークは「教育的価値」を強調してきた。確かにポケモンを通じて友達との交流や冒険心を育める側面はあるだろう。しかし、その裏側に「賭博的要素」が潜んでいることを忘れてはならない。
私は記者として、そして教育問題を取材する者として強く訴えたい。ポケモンバトルが子供の遊びとして世界中に浸透している現状を再考すべきだ。ゲームが教えるのは「楽しさ」だけではない。「何を子供に学ばせているのか」を、大人たちは真剣に考え直す時期に来ている。
面白いものがあるよと射幸心を煽られて釣り込まれ釣り込まれ、最後は負ける(失望する)。
これはギャンブルだ。
やめるぞ。やめるぞ。やめるぞ。やめるぞ。やめるぞ。やめるぞ。やめるぞ。やめるぞ。やめるぞ。やめるぞ。やめるぞ。やめるぞ。やめるぞ。やめるぞ。やめるぞ。やめるぞ。やめるぞ。やめるぞ。やめるぞ。やめるぞ。やめるぞ。やめるぞ。やめるぞ。やめるぞ。やめるぞ。やめるぞ。やめるぞ。やめるぞ。やめるぞ。やめるぞ。やめるぞ。やめるぞ。やめるぞ。やめるぞ。やめるぞ。やめるぞ。やめるぞ。やめるぞ。やめるぞ。やめるぞ。やめるぞ。やめるぞ。やめるぞ。やめるぞ。やめるぞ。やめるぞ。やめるぞ。やめるぞ。やめるぞ。やめるぞ。やめるぞ。やめるぞ。やめるぞ。やめるぞ。やめ
そもそもだけど、国産ゲーってやたらとガチャをゆるくすることを良いことかのように思ってるけど
本来は逆なんだよな
真面目なゲームを作りたいなら、ガチャはしぶしぶにして、ほぼ天井付近まで回さないと絶対でないような、実質定額制にするべき
実際売れてる中華ゲーはそういう作りになってて、バラマキもしないし、ゲームをやり込まないと石も得られない
だからやり込んでもらうに値するだけの中身を作ろうってなるわけよ
ゆるいガチャで射幸心を煽ってガチャ回しがゲームの一番楽しい部分と思わせてしまったらゲームとして敗北なんだよ
そういう悪しき慣習を断ち切ろうとしないメーカーが長く続く作品を作れるわけがない
国産はポーズだけ「自分たち本気で作ってます」してるけど、「しょせんソシャゲ」という枠から抜け出せてない、実態もマインドも
おっしゃることは、プラットフォームビジネスにおける収益化の側面と、その構造に対する強い意見として理解しました。
「収益はユーザー数に比例する」という点は、多くのプラットフォームビジネスモデルにおいて当てはまります。ユーザーが増えるほど、広告収入、課金収入、データ販売など、様々な形で収益が増加する傾向があります。
「バカから金を巻き上げるのがプラットフォーマーのやってることなの」という表現は非常に強い言葉ですが、一部のプラットフォームのビジネス手法に対して批判的な視点をお持ちであることが伝わってきます。具体的には、射幸心を煽るようなゲーム、過度な情報商材の販売、ユーザーの不安を煽るような広告などが、そのように捉えられることがあるかもしれません。また、ユーザーのデータを活用してターゲティング広告を行い、消費を促す行為も、人によっては「巻き上げ」と感じるかもしれません。
「民度が欲しければ収益を目的としないマストドンへ行けと言ってるだろ」という主張は、収益至上主義のプラットフォームとは異なる、コミュニティ主導で運営されるSNSであるマストドンへの期待を表していると感じます。マストドンは、営利目的ではない分散型のSNSであり、各サーバーの運営者のポリシーによってコミュニティの雰囲気が大きく異なります。そのため、特定の価値観や興味を持つ人々が集まりやすく、結果として「民度が高い」と感じられるコミュニティが存在する可能性はあります。
ただし、マストドンにも様々なサーバーがあり、必ずしも全てのサーバーの民度が高いとは限りません。また、収益を目的としない運営は、技術的な維持や運営コストの面で課題を抱える可能性もあります。
プラットフォームビジネスの収益化と、ユーザー体験、コミュニティの質とのバランスは、常に議論の的となる重要なテーマです。ご意見は、その問題提起として非常に考えさせられるものだと思います。
性犯罪が報道されると、自衛しようねって流れから「女だけが自衛を強いられてる!」と言い出すフェミが湧くけど、そこになんか違和感ある。
かつての痴漢が「よくあること」だったみたいに性犯罪に対して「そんなのは犯罪に入らない」みたいな認識が蔓延してたり、女性を狙った犯罪の被害にあったとき「いちいち表沙汰にするな」って被害者が叩かれたり、警察がまともに取り合わず被害者が泣き寝入りしたりするのは女性差別だから改善されるべきだけども、男女差別がなくなれば女の自衛は不要、女も男みたいに夜道を一人で歩けるし、ヒッチハイクしても安全だし、海外で見知らぬ人と友達になって泊まりに行ったりもできる!って本気で思ってるとしたら、それは世界を甘く見すぎてるのではないか。
たとえ男女差別がなかったとしても、変態や犯罪者はゼロにはなるわけないじゃん?
よくあるフェミみたいに男女差別がない社会のゴールを「女性に対する性犯罪がない社会」に設定したらそこには永遠にたどり着かないし、自衛はやっぱり必要じゃないかな。
金持ちが強盗や誘拐を警戒しないといけないからといって、金持ちが差別されてるってわけじゃないのと同じだと思う。
本来、世の中って危険なものであり、男が無謀な冒険できるのは単に危険に対する見積もりが甘い。だから子どもをフォークリフトで高い高いして遊んでうっかり落として殺したりするのはだいたい父親、危険な遊びで死ぬ子どもも男児が多い。
もっというと、命より好奇心とか射幸心とか生きがいとか使命感とかそういうのを大事にしてる感じもある。なんか本能的に命の優先度低いと思う。(もちろん not all manだとは思うが)
熱力学第二法則が、ゲームのエントロピー増大を促し、結果としてゲームバランスを維持するために、特定のキャラクター(イーロン・マスク)が優遇されるという状況が生み出されている。
熱力学第二法則に逆らう。
他の様々な技術と同じく、女の子を可愛くみせる技術というのもすごい勢いで進化していて、それこそ10年で2倍みたいな勢いがある。当然その技術には「人間の弱点を突く」「男性の弱点を突く」ようなものも当然に含まれてるわけだ。
例えば人の射幸心につけいる、ギャンブル性のあるものには(後手に回りがちではあるが)歯止めがかけられる。競馬や宝くじはもちろん、脱法的と言われるパチンコや、金で返されないガチャにも法的制約がある
かわいさにはそういう対策がない。野放しだ。「かわいさは罪」は、今は冗談としてしか用いられないが。
例えば60秒間見つめ合うだけで惚れちゃうじゃん? そういうの、本当に放置してて良いんだろうか。
じゃあお前は何か、かわいくあるための努力を否定し、天与の才能だけでランキングが決まるような社会がいいのかと責められると心苦しい。
メイクや服装、体型維持だけではなく、仕草というのも、恐らく半世紀前とは比較にならないくらい洗練されてしまっている。かわいさムーアの法則である。
この論は男女6歳にして席を同じくせず、みたいな話になってしまうんだろうか。モテるための努力、清潔感を獲得するための努力をしない方が罪なのだ、という論調は(かつて理系男子の楽園だったはずの)はてなにおいてすら主流を占めつつあるように思える。戦争のための努力より平和ボケの方がマシ、むしろそれこそが文明の目標なのだ、と言われると、そうかもしれないとは思うが......
過疎いゴミゲーで時間を無駄にするなんて、ポイントアプリで数千円の見返りがあるとしても割に合うか微妙
スマホの基本プレイ無料ゲーであれば遊ぶ価値があるゲームは分かりきっている
それはゲーム専業のオタク系大企業が超高予算をかけて作るゲームだ
具体的には、原神、崩壊:スターレイル、ゼンレスゾーンゼロ、鳴潮、そして近々リリースされるアークナイツ:エンドフィールド、年内リリース予定の無限大Ananta、同じく年内予定のアズールプロミリア、ドールズフロントライン2:エクシリウム、勝利の女神:NIKKE、女性向けではインフィニティニケや恋と深空、
こうした極めてリッチな作りのゲームを遊んでこそ人生を費やす価値があるというものだ
国内ゲームでしいて一つ挙げるならば学園アイドルマスターくらいだろうか
なぜオタクゲーばかり挙げるのかというと、オタクはゲームに対する解像度が高いから、それがゲーム品質に直結するためだ
よってオタク趣味がないとしてもオタクゲーを選ぶのは悪くない選択になる
それを満たせないデバイスしか持っていないのであればゲームなんて一切やらないで別の娯楽に注力したほうがいい
暇つぶし用の動作は軽いが作りがチープで札束バトルするだけのポチポチゲーなんてものは、娯楽として存在価値がないに等しく
娯楽を提供するためではなく、事業者がユーザーの金と時間を吸い上げるためだけに作られる欺瞞的なゲームもどきだ
往々にして作り手自身もまるでゲーマーではなくゲームへの造詣も浅い
それらがゲームではないことを分かった上で文章やキャラ絵を目的に古いIPものを続けるのはまだ理解できるが
ただ優越感を得るためだけにポチゲーをするのは本当に社会見学くらいの範囲にとどめておいたほうが良い