はてなキーワード: 柴田元幸とは
才覚でナチスと共産主義の嵐を生きぬいた給仕のお話。経験から相手の本質を見抜き、最高のサービスをする、ってのは序盤だけで、あとは東欧諸国の悲惨な歴史の中で話が進む……はずなんだが、文章全体にユーモアが漂っていて、ナチス政権下でも結構いい思いをしていて、「歴史をこんな風に扱っていいのか?」とその大胆さに驚かされる。当事者だからいいのか? いや、そんなことはないのか? 最近は意外なことで炎上したり叩かれたりするので何もわからん(なんか、アジア人のふりをして小説を書いたらバズって、そのままアジア人のふりをする羽目になる、みたいなキャンセルカルチャーをネタにしたアメリカの風刺文学があった気がするんだが、思い出せない。キーワードで検索しても新しい価値観についていけないで炎上しちゃう六十代教授の出てくるアベル・カンタン「エタンプの預言者」という別の文学しか出てこない。で、pretending to be an Asianでググってやっと見つけた。R. F. KuangのYellowface」。洋書だった。たぶんどっかの文芸評論家が紹介してたんだろう)。
関係ないけど、ナチスが優秀な子孫を作るための女性たちのためのキャンプ、ヌーディストの楽園のような外見を持っていながら(いや、記憶違いかも)発想がそもそも家畜改良みたいで、恐ろしすぎて「これは露悪的なSFか?」ってなる。しかし、殺戮こそしていないものの、今では人権意識の高いとされる北欧諸国でも、かつては平気で障害者や異民族の断種が行われていたのだ。Whataboutismは建設的議論にとっては有害だが、人間の原始的感情に訴えかける強い説得力を持つ。「確かに俺も悪かったけど、お前にだけは言われたくねえよ」的なね。結局、政治は感情で動く。
話を戻せば、この作品は映画にもなっているらしい。というか、このエントリ全体で映像化された作品が結構あるらしいのだが、全然見ていない。
ポーランドとアフリカって接点があると普段はほとんど考えないのだけれど、きわめてよいルポタージュ。こうして独立してから何十年経つのに、アフリカ諸国とひとくくりにされがちな国々の個性を伝えてくれる。
しかし、出来事は基本的に救いがない。人類史の多くは悲惨の連続だが、アフリカで起きたことは桁の振れ幅が一つ違う。世界経済システムとの不幸すぎる出会いから五百年余り、まだ立ち直れていない大陸という印象を持った。とはいえ、暗澹たるルポタージュと言うわけでもなく、人々が村の中心の樹々に集まって生活するところや、市場の活気などは生命力にあふれ、まるでそこで暮らす人々の顔が浮かぶようだ。破綻した国家の状態は目を覆うようだが、そこから復興して何とかやっている人々の姿もある。……と、当時の日記に書いてあった。
ところで、ヘミングウェイはよくアフリカに狩猟に出掛けているけれども、それは所詮旅行者の目で、上っ面でしかないと批判しているのがこの本だった。そう思っていたのだが、日記を読み返すとそれはポール・セロー「ダーク・スター・サファリ」だった。著者はマラウイとウガンダで教鞭をとっていただけあって、アフリカに対して遠慮が無く極めて率直だ。時として情のこもった叱責や、人々へのまっすぐな好意も出る。きれいごとのないアフリカを知りたい人にオススメ。
遅延する電車、かつての豊かな文化と個性を失い広大なスラムと化したそれぞれの国の首都、高い失業率、飢餓、地元民のやる気を削ぐ支援、窃盗や強盗と犯人へのリンチ、放置されて本が残っていない図書館。親切な人や旧友もたくさん出てくるがいささか気が滅入ってくる。……と、当時の日記に書いてあった。
今はスマホも普及していてアフリカの様子も少なくとも都市部では大分違うと思う。ただし高野秀行は今でも地方の市場では窃盗が起きると犯人がリンチされると書いていた。
沈没事故で船を見捨てた船員が、延々と続く良心の呵責に苦しみもがいて生きる話だったはず。
試練に敗れ、卑怯者のレッテルを貼られた人物の独白を、別の語り手を通じて聞くという不思議な構成だけれど、緊迫感が良い。最後には西欧世界の手の届かないところに引っ込んでしまうんだけれど、これって著者の中で「闇の奥」をどのように発展させてここに至ったのだろう。「闇の奥」の内容をあまり覚えていないので困る。語り手が「闇の奥」と同一人物だと全然気づかなかった。やはり覚えていないのは心細い。これは、たとえ敵意ある世界から逃れても……、的な話なのだろうか。……と、日記に書いてあった。「黒檀」と違い、こちらは日記を読み返しても当時の気持ちはほとんどよみがえってこなかった。
この全集では最重要作品かもしれないのだが、実はこの作品だけ読めていない(だからこのエントリのタイトルは「理系が池澤夏樹の世界文学全集を全部読んだから五段階評価する」ではない)。何かで水俣病患者が苦しみながら「これを垂れ流した企業の連中にメチル水銀の汚染水を飲んでもらいたい」と心の底から呪っていたというのを読み、これほどの憎悪を自分の中に受け止めるだけのエネルギーが無いと感じたためだ。もしかしたら社員だけでなく、その家族にも呪詛を向けていたかもしれない。記憶にない。あるいは、これはどこにも書いていないのだが、本当はこうして水俣病にかからなかった全ての人に向いていたのかも。
こういうことを言うと結局自国中心主義なのかと言われるかもしれないが、それをはっきりと自覚したのが石黒達昌「或る一日」を読んだ時だ(伴名練が編集した短編集がある)。戦争か事故かはわからないが、強烈な放射能汚染で次々に子どもが死んでいく話で、読んでいて相当しんどかったのだが、特にきつかったのは名前が「美優」とか「翔」みたいに死んでいくのが現代の日本の子どもの(それとも自分と同世代の人間の?)名前だった点だ。おそらく「亀吉」や「トメ子」だともっと冷静に読めただろうし、「サッダーム」とか「ウルスラ」とかだったらかなり距離ができる。
僕がこうして世界文学を読めていたのも、他人の苦しみが言語と文化の壁によって希釈できているからでは、という疑念を僕に抱かせるに至った。
今にして振り返れば錚々たる作家ばかりだし、気に入った作家の(あるいは、ドナルド・バーセルミみたいによくわからなかった作家の)短編集を借りて読んだりもした(バーセルミは結局全然わからなかった)。一方で、後になって適当に手に取った本の作者だったと後で気づくこともあった。当たりはずれがあるのがアンソロジーの楽しみである。
フリオ・コルタサル「南部高速道路」は東日本大震災の際に、災害時にできるコミュニティに関連して話題になったが、震災を知らない世代にも刺さる普遍性があるコルタサルの作品の中で一番面白いものの一つ。金達寿「朴達の裁判」は前提となる知識をほとんど知らずに読んだのだが、したたかに生きる庶民の話で、吉四六ばなしとひがみ根性のない「阿Q正伝」を足して割らない印象を受けた。官憲に殴られて卑屈に笑ってみせても、決してへこたれることのない強さがある。アリステア・マクラウド「冬の犬」は悲しいけどいい。この人の作品は何を読んでもカナダ東部の寒さが伝わってくる。新潮クレスト・ブックスで出ているので是非読んでほしい。レイモンド・カーヴァー「ささやかだけれど、役にたつこと」はわざとらしいが嫌いじゃない。村上春樹訳だ。最近の村上春樹は一つの権威になっちゃってとうとう早稲田の名誉博士にまでなって、「俺たちの反体制な村上はどこに行っちまったんだ」みたいな気持ちになるが、翻訳は好きで、いまだに村上訳の本をたまに手に取る。それに、村上春樹の小説は男性中心的でときどきレイモンド・チャンドラーみたいにマッチョだとはいえ、「メンヘラ」という言葉が広まるはるか前にもかかわらず、メンタルの病気で苦しむ人の描写の解像度が、身近にたくさんいたんじゃないかってくらい極めて高い。彼の最大の美点だ。もっとも、今では精神を病んだ当事者の文学が出てきたので、「じゃあ当事者が書いた作品を超えるにはどうしたらいい?」ってのが次の文学の課題だ。ガーダ・アル=サンマーン「猫の首を刎ねる」は、フランスに移住したアラブ系の青年が、男にとって都合のいい女がどれほど魅力的かを語ってくる叔母の幻影に悩まされる話で(たとえば恋する女性がもう処女じゃないことに苦しむと、脳内の叔母が「かわいくて素直で恥じらいのある処女を紹介するよ」と延々と語る)、あまりに男の欲望むき出し、即物的で笑っちゃうところもあるんだけれど、その都合のいい幻を切って捨てることもできないあたりがリアルで生々しい。男性向け・女性向けのポルノをのぞき見ると、みんな都合のいいことばっかり望んでるよね(だがそれがいい)。
余談だが、自分は恋人の嫉妬深いので恋愛経験はあまり多くない方が好みだが、フォークナーを勧めてくれた友人は、むしろ経験が豊富なほうが面倒くさくなくていいと熱く語っていた。このあたりは好みの問題だ。
閑話休題、しかしこの叔母が独身だってのがミソで、「女の幸せは結婚だ」という社会の独身女性は、こうやって世話焼きおばちゃん的な立場でサバイブしてきたのだ、という指摘をどこかで読んだ。
目取真俊「面影と連れて」は一番面白かった。自分の中では生涯読んだ短編の中の上位十位に入っている。ウチナーグチの語りなのだけれど、ひたすらいじめられ続けて、抵抗もできずにいる女性が、皇太子暗殺事件の犯人と関係して不幸になって、そのまま死んでいくという虚無の話なのだけれど、心が深く動かされる。世間ではタフになれとか戦って抗えとか言うけれど、抵抗するすべを知らず、その体力も能力もなく抵抗できずにそのままの人だってたくさんいる。弱い人間が弱いまま幸せに生きて死んで行けるようになってほしい。
前項は南北アメリカ・アジア・アフリカが中心だったが、こちらはヨーロッパの作品が中心。こちらの巻はやや印象が薄い。
記憶に残っているのはサルマン・ラシュディ(ルシュディ)「無料のラジオ」で、人口対策で断種されてラジオをもらった男の話。どうもラシュディはこの政策に反対だったらしく、「真夜中の子供たち」でも断種・不妊手術を極めて否定的な舞台装置として扱っているし、実行したインディラ・ガンディーを始め、権力を持った女性に対してうっすらとした嫌悪を持っている気がする。「真夜中の子供たち」でもアパートの管理人の意地悪な姉妹とか出てきたし。
あとはミシェル・ウエルベック「ランサローテ」だけれど、ウエルベックはどの作品も人権意識の高まりをはじめとした社会の変化について行けない中年男性の悲哀と愚痴が基本にあって、どれを読んでも感想が大体一緒になる。前にも書いたが要約すると「俺は非モテだから思春期の頃には思いっきりセックスできなかったし、処女と金銭のやり取りなしでイチャラブできなかった。中年になって女を金で買えるようになったが、ちっとも楽しくない。子供も老人もみんな大っ嫌いだ、バーカ!」「こうなったのもぜーんぶヨーロッパ文明の進歩に見せかけた自滅のせいだ! みんなカルトに狂って不幸になっちまえ!」「人類は所詮性本能には抗えないサル並みの動物なので、あらゆる不幸はポストヒューマンに進化しないと解決しないんだよ! アヒヒヒヒ!」。これはひどい。もっとも、こういう反動的に見える作品にも賞をあげちゃうフランス文壇の度量の広さはすごいけどね。もしかしたら「セロトニン」はそこから一歩進んだかもしれないが読むのがめんどくさいし、これまた自分にとって輝きを(こんなものを読んでわざわざ憂鬱になりたいという暗黒の吸引力を?)失った作家だ。ウェルベックは悪くない。変わってしまったのは僕だ。
ところで、最後まで読んでみて見て思うのだけれど、このシリーズって表紙に毎回鳥が銀色で印刷されているんだけれど、これってすべてポーズが違うんだろうか。重複したりしていない?
以上。
あとは同じように読んだ人のブログ探して読んでみようっと。
完読総評! 池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 全冊 - ウラジーミルの微笑
池澤夏樹の世界文学全集は、何が読まれているのか? - ボヘミアの海岸線
余談だけど日本文学全集は第10巻「能・狂言/説経節/曾根崎心中/女殺油地獄/菅原伝授手習鑑/義経千本桜/仮名手本忠臣蔵」だけ読んだ。長いがめっちゃ面白い。
岡田利規「能・狂言」の訳がかなり砕けていて、特に狂言だとカタカナも多用している。「荷六駄」の「おーい太郎いる?/はーい。/あ、いたのね」には笑ってしまったが(たぶん「太郎冠者、あるか」「御前に」あたりが原文だと思う)、当時の日本人にはこう聞こえていたのだろう。現代語訳したのが演劇の人なので、声に出してそのまま演じられそうなのがいい。カタカナ言葉が今の日本語の生きた要素として使われていることがよくわかる。
同時に収録されている狂言には視覚障害者をおちょくるとんでもないネタもあるのだが、盲目であることが当時どのように受け止められていたかがわかる。江戸時代なんかだと視覚障害者は団体も作っていたみたいだし、ただの弱者ではない。だから、近江絵みたいに風刺の対象ともなっているんだろうか。
おしまい。
「笑える」とか「明るい」良書って、意外と難しいもんだよね。
自分内「ひとにおススメできる本リスト」も、「悲しい」「暗い」「つらい」「読むのに集中力がいる」本が多い。
なんとか、明るく気楽に読める面白いやつを絞り出してみた。
・ユーモアミステリ、もしくは希望のあるミステリ(『カササギ殺人事件』を読了済みのご母堂には今さらかもしれないが)
宮部みゆき『今夜は眠れない』『ステップファザー・ステップ』
・ユーモアエッセイ(エッセイはひとつひとつが短いので、よいかと)
・明るいノンフィクション(古本・模型・文楽の話だが、興味なくても大丈夫。自分もまったく興味ないが面白かった)
『今夜は眠れない』『田宮模型の仕事』以外は短編集だったりエッセイ集だったり、一話が短くて休み休み読むのにいいと思う。
あなたも無理しないでね!
http://anond.hatelabo.jp/20160904033715
選定基準は
・読みやすい
・有名で、他の本や映画に出てきがち
ド名作。読んでおくと伊坂幸太郎の『陽気なギャングが地球を回す』がもっと楽しい。
早く来てくれオーバーロード。
③永遠平和のために/啓蒙とは何か 他3編カント(訳:中山元)
「本邦初訳」作品。古典新訳文庫ならでは。イタリアっぽいユーモア。
エログロ。
『藤野先生』も『狂人日記』も入っていてお得。訳者の村上春樹と中国の関係についての研究も面白い。
誤訳が多いらしいが、すごく読みやすかった。他の訳では通読できなかったと思う。
訳者は元国際プラトン学会会長(2007~2010年)で、解説の量がすごい。
読んでおくと、あの映画とかあのミステリーとかのネタ元なので捗るはず。
⑩闇の奥 コンラッド(訳:黒原敏行)
『地獄の黙示録』の原作。個人的には「叡山の僧兵の大将」中野好夫の訳より好き。
―――
①グレート・ギャッツビー(村上春樹翻訳ライブラリー)フィッツジェラルド
村上春樹の訳が好き。
『英文の読み方(岩波新書)』など、英語の読み方の著作に定評のある行方昭夫の訳で。
野村萬斎が自ら演ずるために、河合祥一郎に新訳を依頼しただけあってとても読みやすい。
『月下の一群』の堀口大學の訳で。
⑨カフカ-ポケットマスターピース-01-集英社文庫ヘリテージシリーズ
小説家の多和田葉子の訳で。『変身』は先に別の訳を読んでおいた方が新鮮かも。
⑩マーク・トウェイン-ポケットマスターピース-06-集英社文庫ヘリテージシリーズ
はてな民ならハックルベリーは読んでおきたい。柴田元幸の訳で。
―――
東大の入学手続きの日、教養学部の教員のエッセイ集を購入した。載っていたエッセイの内容はほとんど忘れてしまったが、その中で妙に心に残っていた言葉がある。多分柴田元幸先生のエッセイだったと思うのだが
多分こんな感じの言葉だった。それから一年、東大生という自意識からも、教養学部の巨大さの中での孤独感からも抜け出せなかった僕は徐々に鬱々としていった。本郷にはなんとか進学できたものの、その直後に休学。十数年経った今でも鬱々とした気分は付いて回っている。
今でも時々考えることがあるが、あれは必要な回り道だったのだろうか。自分の生活を律することもできず、学校にもなかなか行けなかった僕は、学生時代をほとんど棒に振ってしまったようなものだった。特に教養学部前期課程という、その気になればなんぼでも学ぶことができたはずの一年半を棒に振ってしまったのは今でも悔しい。可能なら今からでも入り直して駒場で学びたい気分だ。
そのかわり、高校の頃にはほとんど見ないようにしてきた自分の内面と向き合う時間は得ることができた。(とは言っても一人悶々と発散する先のない遅すぎる反抗期に苦しんでいるだけだったのだけれど。)高校時代はほとんど「文系」の本などは読まなかった僕が、心理学の本をきっかけとして哲学や禅の本などに挑戦することもできた。(未だに自分の内面との折り合いはついていないが。)本郷では、学校に行けなかったが単位は必要だったので、教科書を死ぬ思いで読破した。ひょっとしたらこれが初めて本当に自分で勉強をした経験だったのかもしれない。(未だに文章を勝手読みしてはしょうもない勘違いをしたりするが。)
何が言いたいのか自分でもよく分からなくなってきた。なんでこんな話を書きたくなったのかもよく分からない。
あわわ小沢健二めっさ怖い。というか胸が痛い。リアルタイムではヒットシングルをいいなと思って聴くぐらいだったんだが、今あの頃のオザケン盛りと同い年くらいになって、懐古に走って聴いてみたら、このオザケンの歌詞の怖さはなんなんだと思った。
「夢で見た彼女と会ってfeel alright/誰かのちょっと待ってなんて知らない」「誰かにとって特別だった君を/マークはずす飛び込みでぼくはサッと奪いさる」
この歳になってみると寝取られ側に同情して辛いし、「誰か」という凡人が王子然とした人にしれっと奪われたあとの空白が怖い。
「長い階段をのぼり/生きる日々が続く/大きく深い川/君と僕は渡る」
何だ、これから長く流されそうな深みをくぐってかなくちゃならんのだな…人生にはもがくだけの力が要るな…。
「たぶんこのまま素敵な日々がずっと続くんだよ」
あー最後には言い切った!ひぃ怖い!ありえない事を言い切ってそれを嘘の予言みたいに希望にしてる!
「祈り/光/続きをもっと聞かして」
もうこれ希求っていうか縋ってるようだな…。
くるりの旅の理由(ハイウェイ)は最後には手放されるんだよな、「しばし別れる」をあの曲調で絶唱しているのがとても…そら恐ろしいです…。
「喜びをほかの誰かと分かりあう!/それだけがこの世の中を熱くする!」
そうだその通りだ!しかし「それだけが」と言われたら、「それ」ができねば人生厳しいのな。
「僕はあなたに逢えたことを/ずっと幸せに思うはず」
既に失ったものとして言ってて↓
「クリスマスが近づく場所で/元気に挨拶を交わしたい/爽やかな冬の酔いに任せて/力強く時に悲しく」
わあーカラ元気。やめて!
「嫌になるほど誰かを知ることは/二度とない気がしてる」「本当は分かってる/二度と戻らない美しい日にいると/そして静かに心は離れてゆくと」
うっわー、愛や恋の絶頂、只中にいながら未来の凋落を半ば悟っている、超斜陽感。
あれだ、フィッツジェラルドが30歳くらいはもう人生の下がり時なんだみたいな話書いてなかったっけ。そういえばオザケンって柴田元幸ゼミなんだったか。太陽の沈み際が眩しいように光り輝いてはいるのかもなあ。
あのとぼけたような切羽詰ったような声音で陽気なメロディー歌い上げたオザケン、紅白で「プラダの靴」を「きれいな靴」と言い換えた彼をこたつに足突っ込んで見ていた、そのときの自分は、痛い恋も知らない、ニキビの気になる「ふてくされてばかりの10代」であったのだし彼は盛りを迎えつつも「分別もついて歳をとり」どこかで悟って諦観してそれでも抗ってポップを時には自棄みたいに歌っていたんだろうか。理性的な人ではあると思うけどさ。
とまでオザケン妄想して、歌詞イコール本人っていうのも安易だ、普通に歌詞も引用だったらどうしよ、と思った、今からマイ・ロスト・シティでも引っ張り出して読み直そうかね…。でも引用だとしてもこれらのラインを書いて引用ちりばめた甘いメロディーで人口に膾炙させて片田舎のイモい中学生に歌わせて、そんで15年後に30間近の元中学生の心を動かしたっていうのは変わんないよなあ。
明るさと陰影にとんだオザケンの曲の中で、自分の怖かったとこだけ抜き出してコジツケてっていうのの恣意は承知、あーそうか分かった、自分の今の心性反映してんのかもな、誰かに、青春に代表されるような甘い年月が過ぎることは斜陽でありそれは眼をそらすべきでなく諦めとともに認めたうえで、それでも生きてけっていう言葉が、ほしくて、そんなラインだけ心に留めててさ。
http://www.msz.co.jp/news/topics/07296.html
キタキタキタ━━wヘ√レv━(∀☆(○=(゜∀。≡。∀゜)=○)☆∀)━wヘ√レv━━ヒャッヒャッヒャ!!!!
うおおおお!!!パワーズの邦訳三冊目がやあっっっと出版される!!!絶対買うぞ!お前らも買え!!しかも、翻訳は現(あら)・人(びと)・神(がみ) 柴田元幸センセーだああああ!!!まあ、若島センセも神だけど、『ガラティア2.2』はちょい読みづらかったもんね。でも『舞踏会に向かう三人の農夫』はマジ最強に面白かったからな〜。『黄金虫』も首を長くしてまってるぜ。うおおおおお!!!!!1000刷増刷しろ!!