はてなキーワード: マダムとは
* 出勤再開とオフィスの提供物: リモート生活が終わり出勤者が増加。オフィスにはウォーターサーバー、運が良ければコーヒーやスープのサービスがある。
* 筆者の状況:
* オフィスは水とインスタントコーヒー飲み放題。
* 筆者はコーヒーをブラックで飲みすぎた結果、体質的に合わなくなり、紅茶派に転向。
* 午後の「ホッと」を求めて:
* 当初は朝淹れた紅茶をタンブラーで持参(タンブラー利用への自己ツッコミあり)。
* 昼過ぎに紅茶がなくなり、寒い時期になり、ウォーターサーバーのお湯では物足りなくなる。
* 「お湯を飲んでもホッとはしない」。寒さによる鬱の小さな版として、**淹れたての紅茶による「ホッ」**を午後に求める。
* 別のコンビニで見つけたリプトンイエローラベルは「あまりのまずさ」に飲むのを断念。
* オフィスの近くの洋菓子店は、1pc 250円もするのに「鼻が曲がりそうなほど臭いフレーバードティーしかなかった」。
* 古のインターネットでの「にわか」批判を認識しつつも、ルピシア一択。
* 店舗でのモヤモヤ: 店員に「贈り物ですか?」と聞かれることへの違和感。紅茶好きは自分で選びたいため、プレゼントは「ナンセンス」だと考えている。
* マリアージュフレール: 「素敵なマダムがイケメンから紅茶を買うという体験を得るための店」(最近はそうでもない)。味が好きならルピシアのメルシーミルフォアで代替可能。
* ティーポンド: ストレートティーを買うには悪くないが、ブレンドは高価で、立地も不便。
* その他: フォートナム&メイソンはデパ地下で素通り、カルディのジャンナッツは「架空ブランド」。
* 個人経営の専門店: 昔のレビューで「ダージリンは高いのでやめたら?」と嫌味を言われた例から、斜に構えたイメージを持ち敬遠。
4. 100円均一での決定的な悲哀
* 茶葉の購入と百均への移動:
* オフィスに置く用のベルエポック(茶葉50g)を購入後、百均へ。
* (後悔: コスパの呪いでティーバッグで買うことに気づかなかった。)
* ティーバッグ用ではない、球体や深型のティーストレーナーを探すが見つからない。
* 紅茶用品: 昔ながらの取っ手付きの茶漉し一つのみ(「紅茶にも使える」程度)。
* 感情: 「しんみりと悲しい気持ちになった」。便利なグッズが並ぶ百均で、紅茶用品は昔ながらの「台所で眠っているような茶漉し」だけ。
* **「世の中の紅茶飲みは冷遇されている」**という主張。
* 自己認識と考察: 冷遇は我々紅茶飲み側の**「こだわりが強い」**ことの裏返しかもしれない。
* ルピシアで茶葉を買う、百均で茶漉しを買う、といったユーザーは想定されていない可能性。
* 汎用の茶器ではなく、特定の口径の茶漉しをハンズやAmazonで購入。
* ガラスでジャンピングを見る演出や、陶器にティーコジーといった「ほっこりした演出」は不要。
長いリモート生活が終わり、会社に毎日出勤する人も増えたことだろう。私もその一人である。
オフィスには大概ウォーターサーバーとかがあり、運がよければコーヒーやスープまで出てくるやつが置いてある。
残念ながらうちは水オンリーだが、インスタントコーヒーは飲み放題となっている。
コーヒーも好きなのだが、ストレートコーヒーにハマってブラックで飲みまくっていたら腹を下すようになってしまった。
しかも、淹れたてのやつだ。
タンブラーで紅茶飲むなと怒られそうだが、カップを持っていくほどではなかった。
だがそれは気温が高いうちだけだった。
朝淹れのお茶は、昼頃にはなくなる。
その後はウォーターサーバーの胡散臭い水素水とかを飲んでいたが、最近寒い。だから赤い栓から出るお湯を飲む。
でもなんか、違うのだ。
お湯を飲んでもホッとはしない。
人間は寒くなると鬱になるとか言うが、それの小さい版だ。ホッとしたい。
そして紅茶を求めてコンビニへ行ったが、下手するとティーバッグすら売っていない。
私ははしごをして別のコンビニへ行き、リプトンイエローラベルを手に入れたが、
あまりのまずさに飲むことを断念した。
また次の日も午後になってもお茶が飲みたくなり、
オフィスの近くにある洋菓子店を訪れたが、1pc250円はするくせに鼻が曲がりそうなほど臭いフレーバードティーしかなかった。
私は諦めてルピシアへ行った。
ルピシアなんかで紅茶を買うやつはにわかだ、と古のインターネットではよく叩かれてた気がするのだが、
茶園もののストレートティーは当時から評価されていた気がするし、私も買ってるが、
よく飲むのはベルエポックというタージリン系のブレンドティーだ。
背伸びをしてストレートティーを買いに行っているうちに福袋に入ってたかなんかで飲んで、これでいいやってなった。
ルピシアに行くと特徴的な声の店員が贈りものですか?お伺いしましょうか?みたいなことを言いながらやってくるが、
贈り物なんか買ったことはない。この駅ビルが新装開店した当初からずっとだ。
お茶をプレゼントするなんて多分ナンセンスだ。おそらくは紅茶好きは自分で選んだお茶を飲みたい。
というか、店のちょっと入り組んだところでストレートティーを物色してる客が贈り物を選んでいると思うか?
お前たちの顧客は入り口の一番目立つ棚にあるギフトボックスをスルーして、袋入りの茶葉を見ている客が、
誰かのためのプレゼントを迷っていると思うか?
というもやっとした気持ちはあるが、とりあえずルピシア一択だ。
マリアージュフレールは素敵なマダムがイケメンから紅茶を買うという体験を得るための店だと思っており、
あまり飲んだことはない。
今は垢抜けないモブの男、垢抜けないモブの女が店になんとなく立っているし、
制服も素敵なイエローのスーツでもなくなった気がする。店によるかもしれないが。
マルコポーロを飲んでいる自分ではなくマルコポーロの味が好きなら、
ティーポンドは清澄にできた当初、またハイソぶってる小綺麗な店ができたと思ったが、
ストレートティーを買うなら悪くない。ブレンドは高いので飲んだことない。店もターミナル駅にあるわけじゃないし。
フォートナム&メイソンなんかの大御所はデパ地下で素通りしたことしかないし、カルディにあるジャンナッツは架空ブランド。
ダージリンは高いのでやめたら?と嫌味を言われたと低評価をつけられているのを見たことがある。
でも個人店全般にそういう斜に構えたジジイがやっているイメージを持ったからわざわざ行こうとは思わない。
ここまで書いて、私自身もその嫌味なジジイじみていることに気がつく。もうすぐでこの日記は終わりにする。
それで、会社に置く用のベルエポック(袋入り茶葉50g)を買って、
百均に来た。よく考えたらティーバッグで買えばいいのだが、コスパの呪いにかかっているので気が付かなかった。
今やディスカウントショップの互換となった百円均一。日本国民の暮らしを支える一部になっていることは間違いない。
だってちょっとした茶器を買う店が思いつかないんだから。(よく考えたらあったけど)
ただの"茶漉し"ではなく、なんか球体になっててカップに鎮められるやつか、カップで直接淹れられる深いやつ。
でもなかった。
コーヒー用品は5種類くらいの素材の違うドリッパーやペーパーフィルターなどの小道具がたくさん。
紅茶用品といえば、昔ながらの取っ手付きの茶漉しだけ。紅茶用品というか、紅茶にも使えるって感じ。
それを百均で買ってどうする?
我が家にも長らく使わなくなったただの茶漉しくらいある。
インスタグラマーがバカの一つ覚えみたいにこれ欲しかった!って動画にして、
即完売するようなグッズが売りではなかったのか。
それが、こんな台所で眠っているような茶漉し。
私はしんみりと悲しい気持ちになった。
でも、それは違うかもしれない。
贈り物で紅茶なんてナンセンスと言うように、我々のこだわりが強いのかもしれない。
そんなユーザーはもはや想定されていないのかもしれない。
たしかに、ヴィンテージのポットに合う口径の茶漉しをハンズまで買いに行ったり、なくてAmazonで買ったりしていた。
発売当時に偶然見つけて以来、ずっと使っている。
我々がガラス製でジャンピングを見て喜ぶと思うか?陶器にティーコジーを着せていた頃もあった。
これさえあれば、2杯目もあったかいままだ。
このように、我々は気難しいのだ。
ちくしょう、サツだ! 奴らはいつもこうだ。張り込みには絶好の場所と見せかけて、俺のささやかな楽しみを台無しにしやがる。
窓の外、路地を挟んだ向かいのビル。そこから聞こえる、低い、忌々しい声。俺は震える手で、グラスに残ったチョコレートパフェの最後のクリームを掬い上げた。
この店を選んだのは失敗だった。街で一番古い、目立たない、最高の和風抹茶パフェを出す店。俺の秘密の逃避行にぴったりのはずだった。
無視だ。今、俺には重要なミッションがある。それは、ベリーパフェを食べ終えること。冷たいアイスと甘酸っぱいソースが、胸のざわめきを一時的に鎮めてくれる。
ふと見れば、店のマダムが心配そうな顔で俺を見ている。俺は力なく笑い、テーブルの上に置かれたメニューを指差した。
「マダム、プリンアラモードパフェと、それから、季節のフルーツパフェ、お願いします」
合計5杯。俺の人生の最後の晩餐が、こんなにも甘くて冷たいものになるとは。
扉が勢いよく開く音がした。サツだ。だが、間に合う。俺はカツンとスプーンをグラスに当てた。
「お前ら、待てよ。この最高の甘美を味わい尽くすまでは、俺を捕まえられねぇ」
テラス席に座って、風が髪をくすぐるのを感じながら一息ついてたら、ついウッカリ肘がテーブルに当たってカップがガシャーン!
「あ゛あ゛あ゛あ゛!!」ってなるじゃん?
ところがだ、私が慌ててティッシュを探してるうちに、目の端に何かがチラチラ揺れてるのを感じたんだ。
見ると、床にこぼれた紅茶の水たまりの真ん中から、小さな光の粒がフワフワ集まってきて、気づけば全身キラッキラの小人みたいなやつが立ってた。
「あなた――飲んでいたのは金のコーヒーですか? 銀のコーヒーですか?」
おいおいおい、なんだこの展開は。金のコーヒー? 銀のコーヒー? 私は紅茶だよ、紅茶。
そいつはめちゃくちゃ不満そうに眉をひそめて、ちっちゃい腕を組んだ。
こっち見上げながら、こんなことを言いやがったんだ。
「魂の錆びを磨く術?」
問い返す私を、妖精は嘲笑うみたいにクルッと一回転してこう続けた。
「金のコーヒーは──希望を、銀のコーヒーは──絶望を、そして紅茶は──無邪気という幻想を宿すもの。だが無邪気は真実を映さぬ鏡。あなたの胸の奥で、何が渇望しているのかは、見せぬままだ!」
はあ!? 訳がわかんない。紅茶を飲んだだけなのに、なんで私の心を見透かされなきゃなんないのよ。
「だったらアンタ、私に何を望んでんのよ?」
妖精は少しだけ不敵に笑ってから、ひらりと空中で舞い上がり、テーブルの上に飛び移ってこう言った。
「それでも紅茶という虚飾を選んだあなたに告げる。今夜、月の影をすくい取る旅に出なさい。そして金と銀の杯を見つけし者のみが、本当の味を知るでしょう――」
――ああもう何言ってんのコイツは。旅になんて出ないっての!
シュワシュワした魔法の粉を振りかけるみたいに、妖精がキラキラと輝きながら飛び去っていくのを見届けたあと、私はポカンと口を開けたまま紅茶をすすった。
あれ?紅茶を手に持ってる?
隣のテーブルのマダムがこちらを一瞬見たが何事もなかったように視線を戻した。
なんだか胸の中をコポコポと紅茶の気泡みたいな疑問が浮かんで、気づけば誰もいないテラスには、こぼれた紅茶の水たまりだけがゆらゆら揺れていた。
やっぱり紅茶こぼれてるじゃん。
私は何食わぬ顔で、紅茶を最後まで飲み切って何食わぬ顔で店を出て、何食わぬ顔で歩き出した。
まあ、こんなこともあるか。と切り替えて現実に集中することにした。
でも自分でもわかってる心の何処かで思ってるんだ。
私はH(ものによってはG)の75。大きい方の分類なると思う。
なぜならこの大きさだと「大きくていいですね」「もっと華やかに」とか言ってくる店員ばっかりだから。「大きくいいわねぇ~」「どんなものを食べたのかしら?」「どうやって大きくしたの?」っていうマダム系定員が一番嫌。知るかよ。勝手にデカくなった。
ゴテゴテレースを勧めてくる、谷間を出すブラを勧めてくる、なんか見せる前提のデザインを選んでくる。
私は毎回それに「大きすぎても服は合わないので…」「胸に合わせたらデブっぽくなるので…」「谷間なんて蒸れるだけなんで」「というかレース系は肌荒れするので」「運動する時邪魔なので」って答えているけど「でも大きい方がいいですよ!「せっかくですし活かしましょう!」って言われる。
母に相談したところで「巨乳自慢」「贅沢な悩み」「ない人のことも考えろ」「デカくていいじゃん」しか言われない。きっとこれを見ている人も「どうせ自慢」としか言わないと思う。自慢の域はもう越えてんだよ。身長180cmじゃなくて2mはデカすぎんだよ。
ネットじゃ「モテていいじゃん」とか馬鹿がよ。体目当ての奴にモテて何が嬉しいんだよ。体目当てで喜ぶタイプじゃないんだ私は。
というか私はモテておりませんので、その理論は通用しません。彼氏いない歴年齢。その一点だけでモテるわけないじゃん。というか、体だけでモテたいとかキショすぎて無理。感情ってもんがあんだよ。繁華街を歩いていて、明らかに胸を見られるの嫌すぎんだよ。みんながみんな、私の体みてみて!したいわけじゃないんだから。
好きなデザインのブラはサイズないし、服だって胸に合わせりゃ他はダボダボだし、「モテるでしょw」ってキショイこというやつはいるし。
何事もほどほどが一番なんだよ。身長2mの人だって困ってんだろうが。いとこが2m近いが日常生活苦しんでんぞ。一緒だよ。
今回はいままでのブラがさすがに合わなくなったし、通販はフィット感が博打すぎるので試着と買いに行った。
担当の店員さんが巨乳だった。そういえば巨乳の店員さんは初めてだなと思い、「すっきりさせるやつがいい」とお願いした。ヒアリングのチェックにも『締まるライン』『ホールド力』に記入した。
でも「どーせ超フリフリの谷間&大きさ強調されるブラを持ってこられるかなぁ」と思っていた。
しかし、店員さんが持って来てくれたのは私が望んでいた通り引き締まるブラだった。
店員さん「これならダボッとした服を着なくていいです!」
試着した時に私が「すごい!ぼわっとした感じじゃない!小さくなった!」って感動すると「そうでしょうそうでしょう!これ、めっちゃシュッとしたラインになるんですよ!」って喜んでくれる。
強調したくないことをわかってくれたのか、ゴテゴレレースみたいのではなく、少ない中シンプルデザインを持って来てくれる。今まで出会った店員と全然違う!チップあげたい!
胸に合わせると着れる服がない、体にフィットするタイプだと上半身が膨らみ過ぎてデブになる、シャツはワンサイズ上になり袖丈があわない、運動する時くそ邪魔、うつ伏せは論外(マッサージ行けねぇ)、変な男に絡まれる…諸々の巨乳悩みを理解していた。
「これならスーツでも大丈夫」とか「ニットも安心して着れます」とか「抑えたいですよね。辛いですよね」とか「胸の形によって相性がありますから、合うのを徹底的に探しましょう」とか。
値段も「大きいと高くなっちゃいますよね…安いのもあるのでそちらも着てみましょう」と、本当に悩みに適したものを探してくれて2時間くらい試着も含めていっぱい探してくれた。汗びっしょりにさせてすみません。ありがとうございます。
結果、めちゃくちゃいいブラに出会えた。胸が強調されず、ダボッとした服にしなくてもよさげ。そして、揺れない!圧倒的なホールド力。しかも谷間ができずに蒸れも少ない。ワイヤーがあるけど感じない。
嬉しすぎて小躍りして帰宅しちゃった。
【追記】
同じ悩みの方がメーカを知りたい!ということで…。
1950年ごろからブラジャーを販売している日本のメーカーです。買ったのは重力に負けねぇブラ。
今回、無料診断ってのを利用した。どうやら専門カウンセラーだったので詳しかったのかも。
今まで、店舗にいた適当な店員さんにみてもらってたのがよくなかったのかもしれない。
あと、2時間なのは私がわがままなだけだったので…すみません…。ちゃんと文章以上に「神ですね!」「さすがですね!」ってお伝えしています!
良きブラライフを!
元増田です。忘れてたけどデュピクセントは冷蔵保存必須だから開業医と連携してるような小さい薬局だと取り扱いないかも。
俺はマダム先生から紹介状出してもらって近所の総合病院で診察、総合病院の隣の薬局で処方してもらってる。
いずれにせよ長年なかなか治らない人にはステロイド以外の治療はチャレンジする形あると思います。
姪っ子に直接言うより親(増田のきょうだい)にさりげなく話した方がいいかもです。本人が言われなくても一番気にしてるので…。
糖尿病のエントリーがあがってたけど、アトピーも最近新薬の進歩がすさまじいので書いておきたい。
ちなみにワイは幼児の頃発症、高校生くらいまではあまり問題なかったけど社会人になってから増悪、そこから10年くらい苦しんだけどデュピクセントという薬でほぼ完治した。デュピクセント治療前は三週間に一回くらい通院してたけど、今は半年に一回も行かないくらいで済んでます。
1、ステロイド
いろんなランクのを使ったけど、ひどい時はストロングでもほぼ効果なし。
全身常に赤いし、関節はひび割れ、顔のむくみもひどかった。多少の波はあったものの、10年くらいこの症状が続く。
身体的なつらさもあるが、何よりビジュアルがひどかったので今でも鏡や自分が写真に映るのを見るのが怖い。何より快復していかないと自分の中で諦めが先行してしまい、治療も投げやりになってく悪循環が続いた。
とはいえ軽度であればステロイドのプロアクティブ療法で十分なケースもあるので、ステロイド自体を軽視するのは避けたほうがいい。
ステロイドとは作用が異なる免疫抑制剤。かゆみを抑えるのだが、塗ったところがほてるという副作用がある。これで逆にむずむずしてしまったためやめてしまった。
3、コレクチム
2020年の新薬。炎症が起きるメカニズムを途中で阻害してくれる。
プロトピックのような副作用もなく割と効果があったように思うが、若干お高いのと、小さいチューブの薬剤を毎日全身に塗るわけにもいかないので根本的な解決には至らなかった。
4、デュピクセント
2018年の新薬。それこそ糖尿病のインスリン注射のように腹に自己注射する。多少の痛みはあるが、ふくよかな腹のおかげで毎回憂鬱になるような痛みではない。
2021年くらいに当時通っていた皮膚科のマダム先生に紹介されて試した。これまでの薬に比べてバカ高い(3割負担でも一本1万円以上。年々下がってはきている)が、効果は絶大だった。
投薬したその日の夜にはかゆみが落ち着き始め、数日すると表皮に人の色が徐々に戻っていった。さらに1-2ヶ月でどんどんひび割れなどのダメージが快復、1年程度でほぼ完治した。
今はヒルドイドで風呂上がりに顔を少し保湿する程度。ステロイドは一切使っていない。デュピクセント自体も病院の承認の下で月1本程度で収まっている(本来は2週間で1本)。
金はかかるものの、費用対効果と通院を減らすタイパを考えるとQOLの上がり方は他の薬とは比較にならない。
確定申告や高額医療費の制度を使えばある程度は負担も緩和できる。
さらにモイゼルトとかブイタマーといった新薬もここ2-3年で出てるけど、デュピクセントでほぼ治っているのでお世話になっていない。
ここではアトピーの話しかしていないが、慢性的な症状が続くタイプの病気も年々治療法や付き合い方が変わって気がついたらいい治療法が出てくることもあるので、専門医にかかるのは本当におすすめします。
春からここ4ヶ月ほど、仕事が山場を迎えてしまい、月金はほぼ24時前後の帰宅という状況だった。
で、まだまだあるものの、一山超えて休暇が取れそうだったので、この3連休に1つ足して4連休として、そのうちの3日を二泊三日の旅行に充てることにした。
自分はJREバンクに口座を持っており、どこかにビューーーン!の割引優待があるので、行き先はJR東日本に決めてもらう。
どこかにビューーーン!は自分で選んだ4候補の中から最終的にJR任せになるのだけど、東北、秋田、山形、上越、北陸のうち、上越・北陸の候補に当たりやすい配分になっているらしく、今まで2回して新潟・長野だった。
なので、今回も新青森、秋田、盛岡、上田の候補で応募したときに上田になるかもと思っていたが、果たしてそうだった。
まあでもこの候補も「どれが当たっても観光できそうだ」というところだったので、割引率とかは深く考えずに上田を楽しむことにした。
とはいえ、上田に関しては真田幸村と別所温泉くらいで自分的に刺さる「コレ」といった目標がなかなか出てこない。
長野の人は真面目だそうだが、新潟の「バスセンターのカレー」とか長岡の「松田ペットの謎看板」みたいな、ちょっと変な名所を面白がっていくようなところはあっても良いように思う。
まあともかく、1日目は上田城と柳町を見学、2日目は別所温泉、3日目は街ぶらしながらお土産選びでもしようとなった。
東京駅から新幹線に乗り、12時頃に上田駅に到着、7月の上田は低温サウナのような蒸し暑さだった。
現地の温度計を見ると36℃。
あまり動き回りたくもなくなるようなとんでもない暑さだけど、昼食は上田でとるつもりで駅弁も食べてなったので、当地の名物であるあんかけ焼きそばをたべに日昌亭に向かう。
さすが上田は山間の街である、遠景には緑の山が聳え立っている。
14:30ランチタイム終了の日昌亭に13:30に到着したのだが、住宅街の中にあるのに、店内は待合が5〜6組ほどいて、「暑すぎで街では人見かけなかったのに、みんなこんなに焼きそば食うために外に出てきたんか」という光景であった。
しばらくして席に着くと、あんかけ焼きそばが出てくる。
柔らかさを残しながら揚げ焼きにしたような麺に、野菜とチャーシューが乗った餡がオン。
味は一口食べて「めちゃくちゃうまい!!」という感じではないが、毎日食べても飽きそうにない優しい味であった。
ご当地焼きそばというのは結構面白いので、あったら食べるようにしている。
腹ごしらえもすんで上田城へ。
上田の駅に降りてから至る所で六文銭を見かけるので、上田の人たちにとって真田氏は大きな存在なのだなあと感じる。
あまり戦国マニアではないので、楽しみ方がわからなかったのだが、だいたい土足厳禁なことが多いやぐらに靴のまま気軽に上がれるのは良かった。
上田城は戦国時代、城の東に川が流れており、攻撃しずらい立地であるようだった。
上田城内は今は真田神社となっていたので参拝。別に勝負事をしているわけではないが、もしもの時、日本一の武士のご加護があるやもしれない。
日本家屋が並ぶ風流でこぢんまりとした通りなのだが、ここには日本酒ランキングサイトSAKE TIMEで3位に輝く信州亀齢の酒蔵がある。
あまり全国に流通しないそうで、安定して買うならここなのだそうだ。
お土産にカップ酒でもあれば買いたいところだったのだけど、カップ酒はやめてしまったそう。
自分で瓶を買うほど飲むタイプでもないので、ここは見学だけして帰ることにした。
お土産や兼観光センターのようなところで休んでいたら、見たことあるキャラクターの木彫りが。
そういえばという感じなのだが、上田は映画サマーウォーズの舞台となったところらしい。
映画で描かれている日本の夏の原風景のような田舎町ってこの辺りなんだな。
一旦、ホテルルートイン上田グランデにチェックインして、夕食は上田名物の美味だれ焼き鳥にすることにした。
にんにくと野菜と醤油ベースのタレにドボンと漬けて焼き鳥を食すもので、ネットで調べたら、うまい店は上田駅構内にあるとのこと。
ホテルも近いし良いじゃないかということで素直に上田電鉄脇の焼き鳥屋に。
五本串を頼んだのだが、美味だれという振りかぶったネーミング、駅ナカという立地でありながら、ちゃんとうまい。
上田の暑さで汗をかいたので、塩味がしっかり効いている鶏肉が舌に嬉しい。
さらにここでは地酒が飲めるので、先ほど見送った亀齢を飲むことに。
甘さがあってしっかりした味わいだけど、不思議と飲み飽きることがなく、優しくバランスの取れた味わいだった。
上田に行ったら是非飲んでみるべきだと思う。
日本酒ずきは買ってもいい。
この上田電鉄ホームもサマーウォーズにバッチリ描かれがれている。
ローカル線の車窓から見える青と緑の光景は「イメージの中の日本の田舎」という感じで、これが見れるなら上田に来るなら夏の方が面白いのかもしれない。
本当に暑いが。
多分43℃以上は確実にある。
あつい中で熱い温泉に浸かって結構タフだったので、日の出食堂で馬肉うどんを食べることに。
馬肉の味もしっかりしているし、卓上の七味唐辛子ともよく合う。
この別所温泉では外湯3つを制覇するつもりだったので、日の出食堂すぐ向かいの石湯に直行。
別所温泉をでて温泉町の方を歩いていくと、遠景の山の中に日本家屋の壁が1枚だけ起立しているような不思議な構造物が見えるのだが、これは常楽寺隣にある別所神社の神楽殿であり、ここから別所温泉の街を一望できる。
都会暮らしではなかなか見ない立派な藁葺き屋根の常楽寺を見た後は下山して、最後の外湯である大湯へ。
3つの外湯の中では最も大きく、内風呂と露天の2つの湯船があるのだが、果たしてここもしっかり熱湯なのだった。
炎天下で歩き回った上に熱湯に3連続で浸かるのは、かなりの荒業だったようで、筋トレしすぎた時みたく膝の力が抜けたような感じになってきた。
エネルギーの枯渇を感じたので、上田駅に戻ってガッツリしたものを食べて栄養補給をすべく、駅前の上田から揚げセンターへ。
ここでもやはり美味だれがバッチリかかった唐揚げ定食をいただいた。
最終日の3日目は特にやることがないが、お土産探しと、地元のスーパーなどを見学すべく街ブラ。
地元スーパーのツルヤはフロアがだだっ広く、キノコの種類が豊富。
お土産はというと、駅前の大正ロマン溢れる門構えのみすず飴本舗でみすずあられと、自分用にジャムをいくつか。
前回、長野に来たときにみすず飴は一度買ってきていたので、もう一品気の利いたものがないかと調べると、エトワールという洋菓子店のものが良いらしく、向かってみる。
店内に入ってリーフパイなどを物色していると、マダムがアロンディールというくるみとアーモンドの焼き菓子を激推ししてくる。
ちょっと圧倒されながら、そこまでいうならと購入。
マダム曰く「宣伝に余計なお金を使ってないのよ」ということらしく、なので知る人ぞ知るという感じなのかもしれない。
その後、地元の銭湯に入ってみたく、街を歩いていると、坂道でチャリの脇におっちゃんが警察に囲まれており、「転けたんかな」と思いながらそばを通りすぎるとおっちゃんが警察に囲まれながら「何みてんだメガネ、◯すぞ!」といきなり音を出すなど、不思議なアクシデントがあってちょっとびっくりした。
空が少し曇って暑さが和らぐ中、地元の銭湯で熱めの湯に浸かり、最後にあまりの美味さに駅ナカの美味だれ焼き鳥をリピートして新幹線に乗った。
出発前はどう楽しんだものかと思ったり、暑さにやられたりしたが、目に沁みるような夏の自然と、食べ物の旨さ、上田はなかなか良い街であった。
皆さんも機会があったら夏の日本の原風景を見に、ぜひ上田を訪れてみてはいかがでしょう。
以上となります。
ここへ来たのは初夏の頃で、鉄の格子の窓から病院の庭の小さい池に紅あかい睡蓮の花が咲いているのが見えましたが、それから三つき経ち、庭にコスモスが咲きはじめ、思いがけなく故郷の長兄が、ヒラメを連れて自分を引き取りにやって来て、父が先月末に胃潰瘍いかいようでなくなったこと、自分たちはもうお前の過去は問わぬ、生活の心配もかけないつもり、何もしなくていい、その代り、いろいろ未練もあるだろうがすぐに東京から離れて、田舎で療養生活をはじめてくれ、お前が東京でしでかした事の後仕末は、だいたい渋田がやってくれた筈だから、それは気にしないでいい、とれいの生真面目な緊張したような口調で言うのでした。
故郷の山河が眼前に見えるような気がして来て、自分は幽かにうなずきました。
まさに癈人。
父が死んだ事を知ってから、自分はいよいよ腑抜ふぬけたようになりました。父が、もういない、自分の胸中から一刻も離れなかったあの懐しくおそろしい存在が、もういない、自分の苦悩の壺がからっぽになったような気がしました。自分の苦悩の壺がやけに重かったのも、あの父のせいだったのではなかろうかとさえ思われました。まるで、張合いが抜けました。苦悩する能力をさえ失いました。
長兄は自分に対する約束を正確に実行してくれました。自分の生れて育った町から汽車で四、五時間、南下したところに、東北には珍らしいほど暖かい海辺の温泉地があって、その村はずれの、間数は五つもあるのですが、かなり古い家らしく壁は剥はげ落ち、柱は虫に食われ、ほとんど修理の仕様も無いほどの茅屋ぼうおくを買いとって自分に与え、六十に近いひどい赤毛の醜い女中をひとり附けてくれました。
それから三年と少し経ち、自分はその間にそのテツという老女中に数度へんな犯され方をして、時たま夫婦喧嘩げんかみたいな事をはじめ、胸の病気のほうは一進一退、痩せたりふとったり、血痰けったんが出たり、きのう、テツにカルモチンを買っておいで、と言って、村の薬屋にお使いにやったら、いつもの箱と違う形の箱のカルモチンを買って来て、べつに自分も気にとめず、寝る前に十錠のんでも一向に眠くならないので、おかしいなと思っているうちに、おなかの具合がへんになり急いで便所へ行ったら猛烈な下痢で、しかも、それから引続き三度も便所にかよったのでした。不審に堪えず、薬の箱をよく見ると、それはヘノモチンという下剤でした。
自分は仰向けに寝て、おなかに湯たんぽを載せながら、テツにこごとを言ってやろうと思いました。
と言いかけて、うふふふと笑ってしまいました。「癈人」は、どうやらこれは、喜劇名詞のようです。眠ろうとして下剤を飲み、しかも、その下剤の名前は、ヘノモチン。
ただ、一さいは過ぎて行きます。
自分がいままで阿鼻叫喚で生きて来た所謂「人間」の世界に於いて、たった一つ、真理らしく思われたのは、それだけでした。
ただ、一さいは過ぎて行きます。
自分はことし、二十七になります。白髪がめっきりふえたので、たいていの人から、四十以上に見られます。
[#改頁]
この手記を書き綴った狂人を、私は、直接には知らない。けれども、この手記に出て来る京橋のスタンド・バアのマダムともおぼしき人物を、私はちょっと知っているのである。小柄で、顔色のよくない、眼が細く吊つり上っていて、鼻の高い、美人というよりは、美青年といったほうがいいくらいの固い感じのひとであった。この手記には、どうやら、昭和五、六、七年、あの頃の東京の風景がおもに写されているように思われるが、私が、その京橋のスタンド・バアに、友人に連れられて二、三度、立ち寄り、ハイボールなど飲んだのは、れいの日本の「軍部」がそろそろ露骨にあばれはじめた昭和十年前後の事であったから、この手記を書いた男には、おめにかかる事が出来なかったわけである。
然るに、ことしの二月、私は千葉県船橋市に疎開している或る友人をたずねた。その友人は、私の大学時代の謂わば学友で、いまは某女子大の講師をしているのであるが、実は私はこの友人に私の身内の者の縁談を依頼していたので、その用事もあり、かたがた何か新鮮な海産物でも仕入れて私の家の者たちに食わせてやろうと思い、リュックサックを背負って船橋市へ出かけて行ったのである。
船橋市は、泥海に臨んだかなり大きいまちであった。新住民たるその友人の家は、その土地の人に所番地を告げてたずねても、なかなかわからないのである。寒い上に、リュックサックを背負った肩が痛くなり、私はレコードの提琴の音にひかれて、或る喫茶店のドアを押した。
そこのマダムに見覚えがあり、たずねてみたら、まさに、十年前のあの京橋の小さいバアのマダムであった。マダムも、私をすぐに思い出してくれた様子で、互いに大袈裟おおげさに驚き、笑い、それからこんな時のおきまりの、れいの、空襲で焼け出されたお互いの経験を問われもせぬのに、いかにも自慢らしく語り合い、
「いいえ、もうお婆さん。からだが、がたぴしです。あなたこそ、お若いわ」
「とんでもない、子供がもう三人もあるんだよ。きょうはそいつらのために買い出し」
などと、これもまた久し振りで逢った者同志のおきまりの挨拶を交し、それから、二人に共通の知人のその後の消息をたずね合ったりして、そのうちに、ふとマダムは口調を改め、あなたは葉ちゃんを知っていたかしら、と言う。それは知らない、と答えると、マダムは、奥へ行って、三冊のノートブックと、三葉の写真を持って来て私に手渡し、
と言った。
私は、ひとから押しつけられた材料でものを書けないたちなので、すぐにその場でかえそうかと思ったが、(三葉の写真、その奇怪さに就いては、はしがきにも書いて置いた)その写真に心をひかれ、とにかくノートをあずかる事にして、帰りにはまたここへ立ち寄りますが、何町何番地の何さん、女子大の先生をしているひとの家をご存じないか、と尋ねると、やはり新住民同志、知っていた。時たま、この喫茶店にもお見えになるという。すぐ近所であった。
その夜、友人とわずかなお酒を汲くみ交し、泊めてもらう事にして、私は朝まで一睡もせずに、れいのノートに読みふけった。
その手記に書かれてあるのは、昔の話ではあったが、しかし、現代の人たちが読んでも、かなりの興味を持つに違いない。下手に私の筆を加えるよりは、これはこのまま、どこかの雑誌社にたのんで発表してもらったほうが、なお、有意義な事のように思われた。
子供たちへの土産の海産物は、干物ひものだけ。私は、リュックサックを背負って友人の許もとを辞し、れいの喫茶店に立ち寄り、
「きのうは、どうも。ところで、……」
とすぐに切り出し、
「このノートは、しばらく貸していただけませんか」
「ええ、どうぞ」
「このひとは、まだ生きているのですか?」
「さあ、それが、さっぱりわからないんです。十年ほど前に、京橋のお店あてに、そのノートと写真の小包が送られて来て、差し出し人は葉ちゃんにきまっているのですが、その小包には、葉ちゃんの住所も、名前さえも書いていなかったんです。空襲の時、ほかのものにまぎれて、これも不思議にたすかって、私はこないだはじめて、全部読んでみて、……」
「泣きましたか?」
「いいえ、泣くというより、……だめね、人間も、ああなっては、もう駄目ね」
「それから十年、とすると、もう亡くなっているかも知れないね。これは、あなたへのお礼のつもりで送ってよこしたのでしょう。多少、誇張して書いているようなところもあるけど、しかし、あなたも、相当ひどい被害をこうむったようですね。もし、これが全部事実だったら、そうして僕がこのひとの友人だったら、やっぱり脳病院に連れて行きたくなったかも知れない」
「あのひとのお父さんが悪いのですよ」
何気なさそうに、そう言った。
「私たちの知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも、……神様みたいないい子でした」
「牡丹ぼたんに、……蟻ありか?」
「わかった! 花にむら雲、……」
「月にむら雲だろう」
「そう、そう。花に風。風だ。花のアントは、風」
「まずいなあ、それは浪花節なにわぶしの文句じゃないか。おさとが知れるぜ」
「なおいけない。花のアントはね、……およそこの世で最も花らしくないもの、それをこそ挙げるべきだ」
「ついでに、女のシノニムは?」
「臓物」
「君は、どうも、詩ポエジイを知らんね。それじゃあ、臓物のアントは?」
「牛乳」
「これは、ちょっとうまいな。その調子でもう一つ。恥。オントのアント」
「堀木正雄は?」
この辺から二人だんだん笑えなくなって、焼酎の酔い特有の、あのガラスの破片が頭に充満しているような、陰鬱な気分になって来たのでした。
「生意気言うな。おれはまだお前のように、繩目の恥辱など受けた事が無えんだ」
ぎょっとしました。堀木は内心、自分を、真人間あつかいにしていなかったのだ、自分をただ、死にぞこないの、恥知らずの、阿呆のばけものの、謂いわば「生ける屍しかばね」としか解してくれず、そうして、彼の快楽のために、自分を利用できるところだけは利用する、それっきりの「交友」だったのだ、と思ったら、さすがにいい気持はしませんでしたが、しかしまた、堀木が自分をそのように見ているのも、もっともな話で、自分は昔から、人間の資格の無いみたいな子供だったのだ、やっぱり堀木にさえ軽蔑せられて至当なのかも知れない、と考え直し、
「罪。罪のアントニムは、何だろう。これは、むずかしいぞ」
と何気無さそうな表情を装って、言うのでした。
「法律さ」
堀木が平然とそう答えましたので、自分は堀木の顔を見直しました。近くのビルの明滅するネオンサインの赤い光を受けて、堀木の顔は、鬼刑事の如く威厳ありげに見えました。自分は、つくづく呆あきれかえり、
「罪ってのは、君、そんなものじゃないだろう」
罪の対義語が、法律とは! しかし、世間の人たちは、みんなそれくらいに簡単に考えて、澄まして暮しているのかも知れません。刑事のいないところにこそ罪がうごめいている、と。
「それじゃあ、なんだい、神か? お前には、どこかヤソ坊主くさいところがあるからな。いや味だぜ」
「まあそんなに、軽く片づけるなよ。も少し、二人で考えて見よう。これはでも、面白いテーマじゃないか。このテーマに対する答一つで、そのひとの全部がわかるような気がするのだ」
「まさか。……罪のアントは、善さ。善良なる市民。つまり、おれみたいなものさ」
「冗談は、よそうよ。しかし、善は悪のアントだ。罪のアントではない」
「悪と罪とは違うのかい?」
「違う、と思う。善悪の概念は人間が作ったものだ。人間が勝手に作った道徳の言葉だ」
「うるせえなあ。それじゃ、やっぱり、神だろう。神、神。なんでも、神にして置けば間違いない。腹がへったなあ」
「いま、したでヨシ子がそら豆を煮ている」
「ありがてえ。好物だ」
両手を頭のうしろに組んで、仰向あおむけにごろりと寝ました。
「そりゃそうさ、お前のように、罪人では無いんだから。おれは道楽はしても、女を死なせたり、女から金を巻き上げたりなんかはしねえよ」
死なせたのではない、巻き上げたのではない、と心の何処どこかで幽かな、けれども必死の抗議の声が起っても、しかし、また、いや自分が悪いのだとすぐに思いかえしてしまうこの習癖。
自分には、どうしても、正面切っての議論が出来ません。焼酎の陰鬱な酔いのために刻一刻、気持が険しくなって来るのを懸命に抑えて、ほとんど独りごとのようにして言いました。
「しかし、牢屋ろうやにいれられる事だけが罪じゃないんだ。罪のアントがわかれば、罪の実体もつかめるような気がするんだけど、……神、……救い、……愛、……光、……しかし、神にはサタンというアントがあるし、救いのアントは苦悩だろうし、愛には憎しみ、光には闇というアントがあり、善には悪、罪と祈り、罪と悔い、罪と告白、罪と、……嗚呼ああ、みんなシノニムだ、罪の対語は何だ」
「ツミの対語は、ミツさ。蜜みつの如く甘しだ。腹がへったなあ。何か食うものを持って来いよ」
「君が持って来たらいいじゃないか!」
ほとんど生れてはじめてと言っていいくらいの、烈しい怒りの声が出ました。
「ようし、それじゃ、したへ行って、ヨシちゃんと二人で罪を犯して来よう。議論より実地検分。罪のアントは、蜜豆、いや、そら豆か」
「罪と空腹、空腹とそら豆、いや、これはシノニムか」
罪と罰。ドストイエフスキイ。ちらとそれが、頭脳の片隅をかすめて通り、はっと思いました。もしも、あのドスト氏が、罪と罰をシノニムと考えず、アントニムとして置き並べたものとしたら? 罪と罰、絶対に相通ぜざるもの、氷炭相容あいいれざるもの。罪と罰をアントとして考えたドストの青みどろ、腐った池、乱麻の奥底の、……ああ、わかりかけた、いや、まだ、……などと頭脳に走馬燈がくるくる廻っていた時に、
「おい! とんだ、そら豆だ。来い!」
堀木の声も顔色も変っています。堀木は、たったいまふらふら起きてしたへ行った、かと思うとまた引返して来たのです。
「なんだ」
異様に殺気立ち、ふたり、屋上から二階へ降り、二階から、さらに階下の自分の部屋へ降りる階段の中途で堀木は立ち止り、
「見ろ!」
自分の部屋の上の小窓があいていて、そこから部屋の中が見えます。電気がついたままで、二匹の動物がいました。
自分は、ぐらぐら目まいしながら、これもまた人間の姿だ、これもまた人間の姿だ、おどろく事は無い、など劇はげしい呼吸と共に胸の中で呟つぶやき、ヨシ子を助ける事も忘れ、階段に立ちつくしていました。
堀木は、大きい咳せきばらいをしました。自分は、ひとり逃げるようにまた屋上に駈け上り、寝ころび、雨を含んだ夏の夜空を仰ぎ、そのとき自分を襲った感情は、怒りでも無く、嫌悪でも無く、また、悲しみでも無く、もの凄すさまじい恐怖でした。それも、墓地の幽霊などに対する恐怖ではなく、神社の杉木立で白衣の御神体に逢った時に感ずるかも知れないような、四の五の言わさぬ古代の荒々しい恐怖感でした。自分の若白髪は、その夜からはじまり、いよいよ、すべてに自信を失い、いよいよ、ひとを底知れず疑い、この世の営みに対する一さいの期待、よろこび、共鳴などから永遠にはなれるようになりました。実に、それは自分の生涯に於いて、決定的な事件でした。自分は、まっこうから眉間みけんを割られ、そうしてそれ以来その傷は、どんな人間にでも接近する毎に痛むのでした。
「同情はするが、しかし、お前もこれで、少しは思い知ったろう。もう、おれは、二度とここへは来ないよ。まるで、地獄だ。……でも、ヨシちゃんは、ゆるしてやれ。お前だって、どうせ、ろくな奴じゃないんだから。失敬するぜ」
気まずい場所に、永くとどまっているほど間まの抜けた堀木ではありませんでした。
自分は起き上って、ひとりで焼酎を飲み、それから、おいおい声を放って泣きました。いくらでも、いくらでも泣けるのでした。
いつのまにか、背後に、ヨシ子が、そら豆を山盛りにしたお皿を持ってぼんやり立っていました。
「なんにも、しないからって言って、……」
「いい。何も言うな。お前は、ひとを疑う事を知らなかったんだ。お坐り。豆を食べよう」
並んで坐って豆を食べました。嗚呼、信頼は罪なりや? 相手の男は、自分に漫画をかかせては、わずかなお金をもったい振って置いて行く三十歳前後の無学な小男の商人なのでした。
さすがにその商人は、その後やっては来ませんでしたが、自分には、どうしてだか、その商人に対する憎悪よりも、さいしょに見つけたすぐその時に大きい咳ばらいも何もせず、そのまま自分に知らせにまた屋上に引返して来た堀木に対する憎しみと怒りが、眠られぬ夜などにむらむら起って呻うめきました。
ゆるすも、ゆるさぬもありません。ヨシ子は信頼の天才なのです。ひとを疑う事を知らなかったのです。しかし、それゆえの悲惨。
神に問う。信頼は罪なりや。
ヨシ子が汚されたという事よりも、ヨシ子の信頼が汚されたという事が、自分にとってそののち永く、生きておられないほどの苦悩の種になりました。自分のような、いやらしくおどおどして、ひとの顔いろばかり伺い、人を信じる能力が、ひび割れてしまっているものにとって、ヨシ子の無垢むくの信頼心は、それこそ青葉の滝のようにすがすがしく思われていたのです。それが一夜で、黄色い汚水に変ってしまいました。見よ、ヨシ子は、その夜から自分の一顰いっぴん一笑にさえ気を遣うようになりました。
「おい」
と呼ぶと、ぴくっとして、もう眼のやり場に困っている様子です。どんなに自分が笑わせようとして、お道化を言っても、おろおろし、びくびくし、やたらに自分に敬語を遣うようになりました。
自分は、人妻の犯された物語の本を、いろいろ捜して読んでみました。けれども、ヨシ子ほど悲惨な犯され方をしている女は、ひとりも無いと思いました。どだい、これは、てんで物語にも何もなりません。あの小男の商人と、ヨシ子とのあいだに、少しでも恋に似た感情でもあったなら、自分の気持もかえってたすかるかも知れませんが、ただ、夏の一夜、ヨシ子が信頼して、そうして、それっきり、しかもそのために自分の眉間は、まっこうから割られ声が嗄れて若白髪がはじまり、ヨシ子は一生おろおろしなければならなくなったのです。たいていの物語は、その妻の「行為」を夫が許すかどうか、そこに重点を置いていたようでしたが、それは自分にとっては、そんなに苦しい大問題では無いように思われました。許す、許さぬ、そのような権利を留保している夫こそ幸いなる哉かな、とても許す事が出来ぬと思ったなら、何もそんなに大騒ぎせずとも、さっさと妻を離縁して、新しい妻を迎えたらどうだろう、それが出来なかったら、所謂いわゆる「許して」我慢するさ、いずれにしても夫の気持一つで四方八方がまるく収るだろうに、という気さえするのでした。つまり、そのような事件は、たしかに夫にとって大いなるショックであっても、しかし、それは「ショック」であって、いつまでも尽きること無く打ち返し打ち寄せる波と違い、権利のある夫の怒りでもってどうにでも処理できるトラブルのように自分には思われたのでした。けれども、自分たちの場合、夫に何の権利も無く、考えると何もかも自分がわるいような気がして来て、怒るどころか、おこごと一つも言えず、また、その妻は、その所有している稀まれな美質に依って犯されたのです。しかも、その美質は、夫のかねてあこがれの、無垢の信頼心というたまらなく可憐かれんなものなのでした。
無垢の信頼心は、罪なりや。
唯一のたのみの美質にさえ、疑惑を抱き、自分は、もはや何もかも、わけがわからなくなり、おもむくところは、ただアルコールだけになりました。自分の顔の表情は極度にいやしくなり、朝から焼酎を飲み、歯がぼろぼろに欠けて、漫画もほとんど猥画わいがに近いものを画くようになりました。いいえ、はっきり言います。自分はその頃から、春画のコピイをして密売しました。焼酎を買うお金がほしかったのです。いつも自分から視線をはずしておろおろしているヨシ子を見ると、こいつは全く警戒を知らぬ女だったから、あの商人といちどだけでは無かったのではなかろうか、また、堀木は? いや、或いは自分の知らない人とも? と疑惑は疑惑を生み、さりとて思い切ってそれを問い正す勇気も無く、れいの不安と恐怖にのたうち廻る思いで、ただ焼酎を飲んで酔っては、わずかに卑屈な誘導訊問じんもんみたいなものをおっかなびっくり試み、内心おろかしく一喜一憂し、うわべは、やたらにお道化て、そうして、それから、ヨシ子にいまわしい地獄の愛撫あいぶを加え、泥のように眠りこけるのでした。
その年の暮、自分は夜おそく泥酔して帰宅し、砂糖水を飲みたく、ヨシ子は眠っているようでしたから、自分でお勝手に行き砂糖壺を捜し出し、ふたを開けてみたら砂糖は何もはいってなくて、黒く細長い紙の小箱がはいっていました。何気なく手に取り、その箱にはられてあるレッテルを見て愕然がくぜんとしました。そのレッテルは、爪で半分以上も掻かきはがされていましたが、洋字の部分が残っていて、それにはっきり書かれていました。DIAL。
ジアール。自分はその頃もっぱら焼酎で、催眠剤を用いてはいませんでしたが、しかし、不眠は自分の持病のようなものでしたから、たいていの催眠剤にはお馴染なじみでした。ジアールのこの箱一つは、たしかに致死量以上の筈でした。まだ箱の封を切ってはいませんでしたが、しかし、いつかは、やる気でこんなところに、しかもレッテルを掻きはがしたりなどして隠していたのに違いありません。可哀想に、あの子にはレッテルの洋字が読めないので、爪で半分掻きはがして、これで大丈夫と思っていたのでしょう。(お前に罪は無い)
自分は、音を立てないようにそっとコップに水を満たし、それから、ゆっくり箱の封を切って、全部、一気に口の中にほうり、コップの水を落ちついて飲みほし、電燈を消してそのまま寝ました。
三昼夜、自分は死んだようになっていたそうです。医者は過失と見なして、警察にとどけるのを猶予してくれたそうです。覚醒かくせいしかけて、一ばんさきに呟いたうわごとは、うちへ帰る、という言葉だったそうです。うちとは、どこの事を差して言ったのか、当の自分にも、よくわかりませんが、とにかく、そう言って、ひどく泣いたそうです。
次第に霧がはれて、見ると、枕元にヒラメが、ひどく不機嫌な顔をして坐っていました。
「このまえも、年の暮の事でしてね、お互いもう、目が廻るくらいいそがしいのに、いつも、年の暮をねらって、こんな事をやられたひには、こっちの命がたまらない」
ヒラメの話の聞き手になっているのは、京橋のバアのマダムでした。
「マダム」
と自分は呼びました。
「うん、何? 気がついた?」
マダムは笑い顔を自分の顔の上にかぶせるようにして言いました。
自分は、ぽろぽろ涙を流し、
「ヨシ子とわかれさせて」
それから自分は、これもまた実に思いがけない滑稽とも阿呆らしいとも、形容に苦しむほどの失言をしました。
「僕は、女のいないところに行くんだ」
うわっはっは、とまず、ヒラメが大声を挙げて笑い、マダムもクスクス笑い出し、自分も涙を流しながら赤面の態ていになり、苦笑しました。
「うん、そのほうがいい」
「女のいないところに行ったほうがよい。女がいると、どうもいけない。女のいないところとは、いい思いつきです」
女のいないところ。しかし、この自分の阿呆くさいうわごとは、のちに到って、非常に陰惨に実現せられました。
ヨシ子は、何か、自分がヨシ子の身代りになって毒を飲んだとでも思い込んでいるらしく、以前よりも尚なおいっそう、自分に対して、おろおろして、自分が何を言っても笑わず、そうしてろくに口もきけないような有様なので、自分もアパートの部屋の中にいるのが、うっとうしく、つい外へ出て、相変らず安い酒をあおる事になるのでした。しかし、あのジアールの一件以来、自分のからだがめっきり痩やせ細って、手足がだるく、漫画の仕事も怠けがちになり、ヒラメがあの時、見舞いとして置いて行ったお金(ヒラメはそれを、渋田の志です、と言っていかにもご自身から出たお金のようにして差出しましたが、これも故郷の兄たちからのお金のようでした。自分もその頃には、ヒラメの家から逃げ出したあの時とちがって、ヒラメのそんなもったい振った芝居を、おぼろげながら見抜く事が出来るようになっていましたので、こちらもずるく、全く気づかぬ振りをして、神妙にそのお金のお礼をヒラメに向って申し上げたのでしたが、しかし、ヒラメたちが、なぜ、そんなややこしいカラクリをやらかすのか、わかるような、わからないような、どうしても自分には、へんな気がしてなりませんでした)そのお金で、思い切ってひとりで南伊豆の温泉に行ってみたりなどしましたが、とてもそんな悠長な温泉めぐりなど出来る柄がらではなく、ヨシ子を思えば侘わびしさ限りなく、宿の部屋から山を眺めるなどの落ちついた心境には甚だ遠く、ドテラにも着換えず、お湯にもはいらず、外へ飛び出しては薄汚い茶店みたいなところに飛び込んで、焼酎を、それこそ浴びるほど飲んで、からだ具合いを一そう悪くして帰京しただけの事でした。
東京に大雪の降った夜でした。自分は酔って銀座裏を、ここはお国を何百里、ここはお国を何百里、と小声で繰り返し繰り返し呟くように歌いながら、なおも降りつもる雪を靴先で蹴散けちらして歩いて、突然、吐きました。それは自分の最初の喀血かっけつでした。雪の上に、大きい日の丸の旗が出来ました。自分は、しばらくしゃがんで、それから、よごれていない個所の雪を両手で掬すくい取って、顔を洗いながら泣きました。
こうこは、どうこの細道じゃ?
こうこは、どうこの細道じゃ?
哀れな童女の歌声が、幻聴のように、かすかに遠くから聞えます。不幸。この世には、さまざまの不幸な人が、いや、不幸な人ばかり、と言っても過言ではないでしょうが、しかし、その人たちの不幸は、所謂世間に対して堂々と抗議が出来、また「世間」もその人たちの抗議を容易に理解し同情します。しかし、自分の不幸は、すべて自分の罪悪からなので、誰にも抗議の仕様が無いし、また口ごもりながら一言でも抗議めいた事を言いかけると、ヒラメならずとも世間の人たち全部、よくもまあそんな口がきけたものだと呆あきれかえるに違いないし、自分はいったい俗にいう「わがままもの」なのか、またはその反対に、気が弱すぎるのか、自分でもわけがわからないけれども、とにかく罪悪のかたまりらしいので、どこまでも自おのずからどんどん不幸になるばかりで、防ぎ止める具体策など無いのです。
自分は立って、取り敢えず何か適当な薬をと思い、近くの薬屋にはいって、そこの奥さんと顔を見合せ、瞬間、奥さんは、フラッシュを浴びたみたいに首をあげ眼を見はり、棒立ちになりました。しかし、その見はった眼には、驚愕の色も嫌悪の色も無く、ほとんど救いを求めるような、慕うような色があらわれているのでした。ああ、このひとも、きっと不幸な人なのだ、不幸な人は、ひとの不幸にも敏感なものなのだから、と思った時、ふと、その奥さんが松葉杖まつばづえをついて危かしく立っているのに気がつきました。駈け寄りたい思いを抑えて、なおもその奥さんと顔を見合せているうちに涙が出て来ました。すると、奥さんの大きい眼からも、涙がぽろぽろとあふれて出ました。
それっきり、一言も口をきかずに、自分はその薬屋から出て、よろめいてアパートに帰り、ヨシ子に塩水を作らせて飲み、黙って寝て、翌る日も、風邪気味だと嘘をついて一日一ぱい寝て、夜、自分の秘密の喀血がどうにも不安でたまらず、起きて、あの薬屋に行き、こんどは笑いながら、奥さんに、実に素直に今迄のからだ具合いを告白し、相談しました。
「お酒をおよしにならなければ」
自分たちは、肉身のようでした。
「いけません。私の主人も、テーベのくせに、菌を酒で殺すんだなんて言って、酒びたりになって、自分から寿命をちぢめました」
「不安でいけないんです。こわくて、とても、だめなんです」
奥さん(未亡人で、男の子がひとり、それは千葉だかどこだかの医大にはいって、間もなく父と同じ病いにかかり、休学入院中で、家には中風の舅しゅうとが寝ていて、奥さん自身は五歳の折、小児痲痺まひで片方の脚が全然だめなのでした)は、松葉杖をコトコトと突きながら、自分のためにあっちの棚、こっちの引出し、いろいろと薬品を取そろえてくれるのでした。
これは、造血剤。
これは、カルシウムの錠剤。胃腸をこわさないように、ジアスターゼ。
これは、何。これは、何、と五、六種の薬品の説明を愛情こめてしてくれたのですが、しかし、この不幸な奥さんの愛情もまた、自分にとって深すぎました。最後に奥さんが、これは、どうしても、なんとしてもお酒を飲みたくて、たまらなくなった時のお薬、と言って素早く紙に包んだ小箱。
酒よりは、害にならぬと奥さんも言い、自分もそれを信じて、また一つには、酒の酔いもさすがに不潔に感ぜられて来た矢先でもあったし、久し振りにアルコールというサタンからのがれる事
「騒がないで、早くおやすみなさいよ。それとも、ごはんをあがりますか?」
「酒なら飲むがね。水の流れと、人の身はあサ。人の流れと、いや、水の流れえと、水の身はあサ」
唄いながら、シヅ子に衣服をぬがせられ、シヅ子の胸に自分の額を押しつけて眠ってしまう、それが自分の日常でした。
してその翌日あくるひも同じ事を繰返して、
昨日きのうに異かわらぬ慣例しきたりに従えばよい。
即ち荒っぽい大きな歓楽よろこびを避よけてさえいれば、
自然また大きな悲哀かなしみもやって来こないのだ。
ゆくてを塞ふさぐ邪魔な石を
蟾蜍ひきがえるは廻って通る。
上田敏訳のギイ・シャルル・クロオとかいうひとの、こんな詩句を見つけた時、自分はひとりで顔を燃えるくらいに赤くしました。
蟾蜍。
(それが、自分だ。世間がゆるすも、ゆるさぬもない。葬むるも、葬むらぬもない。自分は、犬よりも猫よりも劣等な動物なのだ。蟾蜍。のそのそ動いているだけだ)
自分の飲酒は、次第に量がふえて来ました。高円寺駅附近だけでなく、新宿、銀座のほうにまで出かけて飲み、外泊する事さえあり、ただもう「慣例しきたり」に従わぬよう、バアで無頼漢の振りをしたり、片端からキスしたり、つまり、また、あの情死以前の、いや、あの頃よりさらに荒すさんで野卑な酒飲みになり、金に窮して、シヅ子の衣類を持ち出すほどになりました。
ここへ来て、あの破れた奴凧に苦笑してから一年以上経って、葉桜の頃、自分は、またもシヅ子の帯やら襦袢じゅばんやらをこっそり持ち出して質屋に行き、お金を作って銀座で飲み、二晩つづけて外泊して、三日目の晩、さすがに具合い悪い思いで、無意識に足音をしのばせて、アパートのシヅ子の部屋の前まで来ると、中から、シヅ子とシゲ子の会話が聞えます。
「なぜ、お酒を飲むの?」
「お父ちゃんはね、お酒を好きで飲んでいるのでは、ないんですよ。あんまりいいひとだから、だから、……」
「いいひとは、お酒を飲むの?」
「そうでもないけど、……」
「お父ちゃんは、きっと、びっくりするわね」
「そうねえ」
自分が、ドアを細くあけて中をのぞいて見ますと、白兎の子でした。ぴょんぴょん部屋中を、はね廻り、親子はそれを追っていました。
(幸福なんだ、この人たちは。自分という馬鹿者が、この二人のあいだにはいって、いまに二人を滅茶苦茶にするのだ。つつましい幸福。いい親子。幸福を、ああ、もし神様が、自分のような者の祈りでも聞いてくれるなら、いちどだけ、生涯にいちどだけでいい、祈る)
自分は、そこにうずくまって合掌したい気持でした。そっと、ドアを閉め、自分は、また銀座に行き、それっきり、そのアパートには帰りませんでした。
そうして、京橋のすぐ近くのスタンド・バアの二階に自分は、またも男めかけの形で、寝そべる事になりました。
世間。どうやら自分にも、それがぼんやりわかりかけて来たような気がしていました。個人と個人の争いで、しかも、その場の争いで、しかも、その場で勝てばいいのだ、人間は決して人間に服従しない、奴隷でさえ奴隷らしい卑屈なシッペがえしをするものだ、だから、人間にはその場の一本勝負にたよる他、生き伸びる工夫がつかぬのだ、大義名分らしいものを称となえていながら、努力の目標は必ず個人、個人を乗り越えてまた個人、世間の難解は、個人の難解、大洋オーシャンは世間でなくて、個人なのだ、と世の中という大海の幻影におびえる事から、多少解放せられて、以前ほど、あれこれと際限の無い心遣いする事なく、謂わば差し当っての必要に応じて、いくぶん図々しく振舞う事を覚えて来たのです。
「わかれて来た」
それだけ言って、それで充分、つまり一本勝負はきまって、その夜から、自分は乱暴にもそこの二階に泊り込む事になったのですが、しかし、おそろしい筈の「世間」は、自分に何の危害も加えませんでしたし、また自分も「世間」に対して何の弁明もしませんでした。マダムが、その気だったら、それですべてがいいのでした。
自分は、その店のお客のようでもあり、亭主のようでもあり、走り使いのようでもあり、親戚の者のようでもあり、はたから見て甚はなはだ得態えたいの知れない存在だった筈なのに、「世間」は少しもあやしまず、そうしてその店の常連たちも、自分を、葉ちゃん、葉ちゃんと呼んで、ひどく優しく扱い、そうしてお酒を飲ませてくれるのでした。
自分は世の中に対して、次第に用心しなくなりました。世の中というところは、そんなに、おそろしいところでは無い、と思うようになりました。つまり、これまでの自分の恐怖感は、春の風には百日咳ひゃくにちぜきの黴菌ばいきんが何十万、銭湯には、目のつぶれる黴菌が何十万、床屋には禿頭とくとう病の黴菌が何十万、省線の吊皮つりかわには疥癬かいせんの虫がうようよ、または、おさしみ、牛豚肉の生焼けには、さなだ虫の幼虫やら、ジストマやら、何やらの卵などが必ずひそんでいて、また、はだしで歩くと足の裏からガラスの小さい破片がはいって、その破片が体内を駈けめぐり眼玉を突いて失明させる事もあるとかいう謂わば「科学の迷信」におびやかされていたようなものなのでした。それは、たしかに何十万もの黴菌の浮び泳ぎうごめいているのは、「科学的」にも、正確な事でしょう。と同時に、その存在を完全に黙殺さえすれば、それは自分とみじんのつながりも無くなってたちまち消え失せる「科学の幽霊」に過ぎないのだという事をも、自分は知るようになったのです。お弁当箱に食べ残しのごはん三粒、千万人が一日に三粒ずつ食べ残しても既にそれは、米何俵をむだに捨てた事になる、とか、或いは、一日に鼻紙一枚の節約を千万人が行うならば、どれだけのパルプが浮くか、などという「科学的統計」に、自分は、どれだけおびやかされ、ごはんを一粒でも食べ残す度毎に、また鼻をかむ度毎に、山ほどの米、山ほどのパルプを空費するような錯覚に悩み、自分がいま重大な罪を犯しているみたいな暗い気持になったものですが、しかし、それこそ「科学の嘘」「統計の嘘」「数学の嘘」で、三粒のごはんは集められるものでなく、掛算割算の応用問題としても、まことに原始的で低能なテーマで、電気のついてない暗いお便所の、あの穴に人は何度にいちど片脚を踏みはずして落下させるか、または、省線電車の出入口と、プラットホームの縁へりとのあの隙間に、乗客の何人中の何人が足を落とし込むか、そんなプロバビリティを計算するのと同じ程度にばからしく、それは如何いかにも有り得る事のようでもありながら、お便所の穴をまたぎそこねて怪我をしたという例は、少しも聞かないし、そんな仮説を「科学的事実」として教え込まれ、それを全く現実として受取り、恐怖していた昨日までの自分をいとおしく思い、笑いたく思ったくらいに、自分は、世の中というものの実体を少しずつ知って来たというわけなのでした。
そうは言っても、やはり人間というものが、まだまだ、自分にはおそろしく、店のお客と逢うのにも、お酒をコップで一杯ぐいと飲んでからでなければいけませんでした。こわいもの見たさ。自分は、毎晩、それでもお店に出て、子供が、実は少しこわがっている小動物などを、かえって強くぎゅっと握ってしまうみたいに、店のお客に向って酔ってつたない芸術論を吹きかけるようにさえなりました。
漫画家。ああ、しかし、自分は、大きな歓楽よろこびも、また、大きな悲哀かなしみもない無名の漫画家。いかに大きな悲哀かなしみがあとでやって来てもいい、荒っぽい大きな歓楽よろこびが欲しいと内心あせってはいても、自分の現在のよろこびたるや、お客とむだ事を言い合い、お客の酒を飲む事だけでした。
京橋へ来て、こういうくだらない生活を既に一年ちかく続け、自分の漫画も、子供相手の雑誌だけでなく、駅売りの粗悪で卑猥ひわいな雑誌などにも載るようになり、自分は、上司幾太(情死、生きた)という、ふざけ切った匿名で、汚いはだかの絵など画き、それにたいていルバイヤットの詩句を插入そうにゅうしました。
涙を誘うものなんか かなぐりすてろ
まア一杯いこう 好いことばかり思出して
自みずからの作りし大それた罪に怯おびえ
よべ 酒充ちて我ハートは喜びに充ち
けさ さめて只ただに荒涼
いぶかし 一夜ひとよさの中
様変りたる此この気分よ
祟たたりなんて思うこと止やめてくれ
暗殺者の切尖きっさきに
何の正義か宿れるや?
いかなる叡智えいちの光ありや?
美うるわしくも怖おそろしきは浮世なれ
かよわき人の子は背負切れぬ荷をば負わされ
どうにもできない情慾の種子を植えつけられた許ばかりに
善だ悪だ罪だ罰だと呪のろわるるばかり
どうにもできない只まごつくばかり
抑え摧くだく力も意志も授けられぬ許りに
ヘッ 空むなしき夢を ありもしない幻を
エヘッ 酒を忘れたんで みんな虚仮こけの思案さ
どうだ 此涯はてもない大空を御覧よ
此中にポッチリ浮んだ点じゃい
此地球が何んで自転するのか分るもんか
自転 公転 反転も勝手ですわい
至る処ところに 至高の力を感じ
あらゆる国にあらゆる民族に
我は異端者なりとかや
みんな聖経をよみ違えてんのよ
生身いきみの喜びを禁じたり 酒を止めたり
けれども、その頃、自分に酒を止めよ、とすすめる処女がいました。
バアの向いの、小さい煙草屋の十七、八の娘でした。ヨシちゃんと言い、色の白い、八重歯のある子でした。自分が、煙草を買いに行くたびに、笑って忠告するのでした。
「なぜ、いけないんだ。どうして悪いんだ。あるだけの酒をのんで、人の子よ、憎悪を消せ消せ消せ、ってね、むかしペルシャのね、まあよそう、悲しみ疲れたるハートに希望を持ち来すは、ただ微醺びくんをもたらす玉杯なれ、ってね。わかるかい」
「わからない」
「してよ」
ちっとも悪びれず下唇を突き出すのです。
しかし、ヨシちゃんの表情には、あきらかに誰にも汚されていない処女のにおいがしていました。
としが明けて厳寒の夜、自分は酔って煙草を買いに出て、その煙草屋の前のマンホールに落ちて、ヨシちゃん、たすけてくれえ、と叫び、ヨシちゃんに引き上げられ、右腕の傷の手当を、ヨシちゃんにしてもらい、その時ヨシちゃんは、しみじみ、
「飲みすぎますわよ」
と笑わずに言いました。
自分は死ぬのは平気なんだけど、怪我をして出血してそうして不具者などになるのは、まっぴらごめんのほうですので、ヨシちゃんに腕の傷の手当をしてもらいながら、酒も、もういい加減によそうかしら、と思ったのです。
「やめる。あしたから、一滴も飲まない」
「ほんとう?」
「きっと、やめる。やめたら、ヨシちゃん、僕のお嫁になってくれるかい?」
「モチよ」
モチとは、「勿論」の略語でした。モボだの、モガだの、その頃いろんな略語がはやっていました。
「ヨシちゃん、ごめんね。飲んじゃった」
「あら、いやだ。酔った振りなんかして」
ハッとしました。酔いもさめた気持でした。
「いや、本当なんだ。本当に飲んだのだよ。酔った振りなんかしてるんじゃない」
てんで疑おうとしないのです。
「見ればわかりそうなものだ。きょうも、お昼から飲んだのだ。ゆるしてね」
「お芝居が、うまいのねえ」
「してよ」
「いや、僕には資格が無い。お嫁にもらうのもあきらめなくちゃならん。顔を見なさい、赤いだろう? 飲んだのだよ」
「それあ、夕陽が当っているからよ。かつごうたって、だめよ。きのう約束したんですもの。飲む筈が無いじゃないの。ゲンマンしたんですもの。飲んだなんて、ウソ、ウソ、ウソ」
薄暗い店の中に坐って微笑しているヨシちゃんの白い顔、ああ、よごれを知らぬヴァジニティは尊いものだ、自分は今まで、自分よりも若い処女と寝た事がない、結婚しよう、どんな大きな悲哀かなしみがそのために後からやって来てもよい、荒っぽいほどの大きな歓楽よろこびを、生涯にいちどでいい、処女性の美しさとは、それは馬鹿な詩人の甘い感傷の幻に過ぎぬと思っていたけれども、やはりこの世の中に生きて在るものだ、結婚して春になったら二人で自転車で青葉の滝を見に行こう、と、その場で決意し、所謂「一本勝負」で、その花を盗むのにためらう事をしませんでした。
そうして自分たちは、やがて結婚して、それに依って得た歓楽よろこびは、必ずしも大きくはありませんでしたが、その後に来た悲哀かなしみは、凄惨せいさんと言っても足りないくらい、実に想像を絶して、大きくやって来ました。自分にとって、「世の中」は、やはり底知れず、おそろしいところでした。決して、そんな一本勝負などで、何から何まできまってしまうような、なまやさしいところでも無かったのでした。
二
堀木と自分。
互いに軽蔑けいべつしながら附き合い、そうして互いに自みずからをくだらなくして行く、それがこの世の所謂「交友」というものの姿だとするなら、自分と堀木との間柄も、まさしく「交友」に違いありませんでした。
自分があの京橋のスタンド・バアのマダムの義侠心ぎきょうしんにすがり、(女のひとの義侠心なんて、言葉の奇妙な遣い方ですが、しかし、自分の経験に依ると、少くとも都会の男女の場合、男よりも女のほうが、その、義侠心とでもいうべきものをたっぷりと持っていました。男はたいてい、おっかなびっくりで、おていさいばかり飾り、そうして、ケチでした)あの煙草屋のヨシ子を内縁の妻にする事が出来て、そうして築地つきじ、隅田川の近く、木造の二階建ての小さいアパートの階下の一室を借り、ふたりで住み、酒は止めて、そろそろ自分の定った職業になりかけて来た漫画の仕事に精を出し、夕食後は二人で映画を見に出かけ、帰りには、喫茶店などにはいり、また、花の鉢を買ったりして、いや、それよりも自分をしんから信頼してくれているこの小さい花嫁の言葉を聞き、動作を見ているのが楽しく、これは自分もひょっとしたら、いまにだんだん人間らしいものになる事が出来て、悲惨な死に方などせずにすむのではなかろうかという甘い思いを幽かに胸にあたためはじめていた矢先に、堀木がまた自分の眼前に現われました。
「よう! 色魔。おや? これでも、いくらか分別くさい顔になりやがった。きょうは、高円寺女史からのお使者なんだがね」
と言いかけて、急に声をひそめ、お勝手でお茶の仕度をしているヨシ子のほうを顎あごでしゃくって、大丈夫かい? とたずねますので、
「かまわない。何を言ってもいい」
と自分は落ちついて答えました。
じっさい、ヨシ子は、信頼の天才と言いたいくらい、京橋のバアのマダムとの間はもとより、自分が鎌倉で起した事件を知らせてやっても、ツネ子との間を疑わず、それは自分が嘘がうまいからというわけでは無く、時には、あからさまな言い方をする事さえあったのに、ヨシ子には、それがみな冗談としか聞きとれぬ様子でした。
「相変らず、しょっていやがる。なに、たいした事じゃないがね、たまには、高円寺のほうへも遊びに来てくれっていう御伝言さ」
忘れかけると、怪鳥が羽ばたいてやって来て、記憶の傷口をその嘴くちばしで突き破ります。たちまち過去の恥と罪の記憶が、ありありと眼前に展開せられ、わあっと叫びたいほどの恐怖で、坐っておられなくなるのです。
「飲もうか」
と自分。
「よし」
と堀木。
自分と堀木。形は、ふたり似ていました。そっくりの人間のような気がする事もありました。もちろんそれは、安い酒をあちこち飲み歩いている時だけの事でしたが、とにかく、ふたり顔を合せると、みるみる同じ形の同じ毛並の犬に変り降雪のちまたを駈けめぐるという具合いになるのでした。
その日以来、自分たちは再び旧交をあたためたという形になり、京橋のあの小さいバアにも一緒に行き、そうして、とうとう、高円寺のシヅ子のアパートにもその泥酔の二匹の犬が訪問し、宿泊して帰るなどという事にさえなってしまったのです。
忘れも、しません。むし暑い夏の夜でした。堀木は日暮頃、よれよれの浴衣を着て築地の自分のアパートにやって来て、きょう或る必要があって夏服を質入したが、その質入が老母に知れるとまことに具合いが悪い、すぐ受け出したいから、とにかく金を貸してくれ、という事でした。あいにく自分のところにも、お金が無かったので、例に依って、ヨシ子に言いつけ、ヨシ子の衣類を質屋に持って行かせてお金を作り、堀木に貸しても、まだ少し余るのでその残金でヨシ子に焼酎しょうちゅうを買わせ、アパートの屋上に行き、隅田川から時たま幽かに吹いて来るどぶ臭い風を受けて、まことに薄汚い納涼の宴を張りました。
自分たちはその時、喜劇名詞、悲劇名詞の当てっこをはじめました。これは、自分の発明した遊戯で、名詞には、すべて男性名詞、女性名詞、中性名詞などの別があるけれども、それと同時に、喜劇名詞、悲劇名詞の区別があって然るべきだ、たとえば、汽船と汽車はいずれも悲劇名詞で、市電とバスは、いずれも喜劇名詞、なぜそうなのか、それのわからぬ者は芸術を談ずるに足らん、喜劇に一個でも悲劇名詞をさしはさんでいる劇作家は、既にそれだけで落第、悲劇の場合もまた然り、といったようなわけなのでした。
「薬は?」
「注射」
「トラ」
「よし、負けて置こう。しかし、君、薬や医者はね、あれで案外、コメ(喜劇コメディの略)なんだぜ。死は?」
「大出来。そうして、生はトラだなあ」
「ちがう。それも、コメ」
「いや、それでは、何でもかでも皆コメになってしまう。ではね、もう一つおたずねするが、漫画家は? よもや、コメとは言えませんでしょう?」
「なんだ、大トラは君のほうだぜ」
こんな、下手な駄洒落だじゃれみたいな事になってしまっては、つまらないのですけど、しかし自分たちはその遊戯を、世界のサロンにも嘗かつて存しなかった頗すこぶる気のきいたものだと得意がっていたのでした。
またもう一つ、これに似た遊戯を当時、自分は発明していました。それは、対義語アントニムの当てっこでした。黒のアント(対義語アントニムの略)は、白。けれども、白のアントは、赤。赤のアントは、黒。
「花のアントは?」
と自分が問うと、堀木は口を曲げて考え、
「いや、それはアントになっていない。むしろ、同義語シノニムだ。星と菫すみれだって、シノニムじゃないか。アントでない」
「わかった、それはね、蜂はちだ」
「ハチ?」
「牡丹ぼたんに、……蟻ありか?」