はてなキーワード: 密輸とは
実際に2010年に尖閣沖の漁船衝突をきっかけに、中国側の対日レアアース輸出が事実上激減した時期がある。
その時に起きた現象をさっくり言うと
「中国が輸出禁止→日本国内のレアアース価格高騰→別の国のレアアースが採算ラインに→さらに価格高騰→中国のレアアース業者が謎に元気になる→なぜかレアアースがどこからともなく手に入る」
みたいなことが起きるので全然大丈夫。
考えてもみろ。ごく最近水産物を禁輸したのになぜか中国ではホタテが手に入ったりしてた。フェンタニルの原料も相変わらずアメリカに筒抜けだ。要するに中国の輸出入管理はそれなりにザルなのだ。
そして世界の総需要がそこまで急増しない以上、レアアース代の高騰も時間が経てば落ち着く。
その間にWTOに提訴したり他国の鉱山に出資したりを頑張ればよい。
ちなみに現在のレアアース全体の中国依存は6割くらいだといわれている。2010年当時は9割だったので中国から調達可能にもかかわらずかなり依存度は下がっており、新規の他国の鉱山についてもいくつも出資して開発を続けている。
レアアースの中には中国に100%依存している鉱物もあるが、それは密輸で対応するor加工済品を他国から調達する等で対応可能なのではなかろうか。いずれにしても経済が即死するわけではない。
世界中の子どもたちがマリオに熱狂し、大人たちがゼルダに夢中になる。その華やかな表舞台の裏で、任天堂が見せているのは“自由と進化を封じ込める支配国家”の姿だ。
任天堂は自らの発明を特許でがんじがらめにし、業界に高い“国境の壁”を築いてきた。十字キー、タッチ操作、二画面表示――どれも普遍的に利用できるべき技術だが、任天堂の支配下では“密輸”扱いされ、他社が使えばただちに制裁。
業界は「任天堂の許可なき発明」を試みることすらできず、まるで閉ざされた国家に生きる人民のように、自由を奪われてきた。
独裁国家がミサイルで隣国を威嚇するように、任天堂は訴訟を乱発してきた。標的となるのは大手だけでなく、力のない小規模メーカーまでもが容赦なく狙われる。
「特許侵害」という名目で撃ち込まれる訴状は、業界全体に恐怖を植え付け、挑戦を封じ込める抑止力となった。これは防衛ではなく、恫喝外交にほかならない。
北朝鮮が外からの文化を遮断するように、任天堂は“任天堂流”以外の発想を排除する。ユーザーが体験できるのは、任天堂が認めた範囲の娯楽だけ。業界全体の多様性や進化は犠牲にされ、外の世界から流れ込む新しい風は遮断され続けている。
結果、ゲーム業界は本来のポテンシャルを発揮できず、閉じた島国のように停滞を余儀なくされているのだ。
北朝鮮が“偉大なる指導者”を称えるように、任天堂もまたマリオやゼルダといった偶像を掲げ、ユーザーを信仰に近い熱狂へと導いてきた。
「任天堂こそ唯一無二」というプロパガンダはファンに深く浸透し、批判する声はかき消される。まるで国家が作り出す偶像崇拝のように、娯楽の独占は正当化されている。
歴史が示す通り、独裁国家は永遠ではない。ゲーム業界の北朝鮮たる任天堂も、いずれはその強権支配の代償を払う日が来る。
自由な発想と多様な競争を取り戻すためには、業界とユーザーが「任天堂の支配構造」を直視し、恐怖に屈せず立ち上がるしかない。
スイスの主な輸出品は高級時計と航空機用の精密機器、軍事機器だから大した問題にはならんと思う。
値上げすればいいだけだし。
逆に、アメリカで39%値上げがされるとしたら、すでに高級時計をもっているお金持ちは資産価値があがってニコニコだろうし。
もし高級時計の密輸をすれば39%を抜けるわけだから。違法な薬物を密輸するよりはるかに儲かるだろう。
日本もゴールドに消費税をかけるというアホな政策をしたものだから、消費税増税とともにゴールドの密輸額がどんどん増えている。
密輸できれば10%抜けるわけだしね。S高一回分ぐらいを抜けるわけだから、密輸団のテンションはダダ上がりだろう。
高級品は、持っているだけでは違法ではないわけだし、小さくて隠し易いわけだしね。
ただ、ゴールドは重たい。
その分、高級時計はそうじゃない。高級感を出すためにわざと少し箱を重くしてたとしても、大した重さではないはずだ。
韓国語の「돈주(ドンジュ)」は、特に北朝鮮の文脈で使われることが多く、「お金の主人」を意味し、1990年代以降の市場経済の拡大に伴って出現した新興富裕層や実業家を指します。これらの人々は、貿易、密輸、市場取引(特に「장마당」と呼ばれる闇市場)や不動産、運送、鉱業などで財を築いた個人やグループです。
돈주 - 나무위키
https://namu.wiki/w/%EB%8F%88%EC%A3%BC
돈주 - 위키백과, 우리 모두의 백과사전
https://ko.wikipedia.org/wiki/%EB%8F%88%EC%A3%BC
これは検察の持って行き方が下手だと思う。
通貨偽造罪ではなく、密輸罪(関税法違反)で起訴していたら勝てていたかもしれない。
AIが言うには
ご指摘の通り、「本人が偽札と知らなくて、それを普通のお金だと思って持ち込んだ」という状況で、密輸罪(関税法違反)が成立するのかどうかは非常に重要な点ですね。 この点について、もう少し詳しく説明します。 密輸罪(関税法違反)と「故意」 日本の刑法では、原則として犯罪の成立には「故意(こい)」が必要です。「故意」とは、「自分の行為が犯罪を構成する事実(構成要件)に該当することを認識・認容していること」を指します。 関税法違反の密輸罪も、原則として故意犯です。つまり、「輸入が禁止されている物品を輸入しようとしている」という認識が必要です。 しかし、この「認識」の程度については、裁判の場で争われることがあります。特に、麻薬などの薬物密輸事件では、「違法なものとは知らなかった」という弁解がよく行われます。 この場合、裁判所は以下の点を考慮して、「故意があったかどうか」を判断します。 認識の対象: 偽札の密輸の場合、「偽札であること」を具体的に知っていた必要までは、必ずしもないと考えられます。例えば、「違法なものが入っている」という漠然とした認識でも、故意が認められる可能性があります。 状況証拠: 偽札を隠蔽して持ち込んだか? 荷物の内容物について、誰かに「この中身は何か」と尋ねられたか? 持ち込みの目的や経緯は不自然ではないか? 偽札と知らなかった場合でも、有罪になる可能性 ご提示の事件に戻ると、たとえ本人が「偽札だと知らなかった」としても、密輸罪で有罪になる可能性は十分あります。 その根拠は以下の通りです。 輸入禁止物品の特殊性: 偽札は、一般的な商品とは異なり、そもそも輸入が全面的に禁止されている物品です。 このような物品を、正当な理由なく、申告せずに持ち込んだ場合、「何か違法なものを持ち込んでいる」という認識があったと推認されやすい傾向にあります。 回避の可能性: 偽札を持ち込んだ経緯が、例えば「誰かに頼まれて、中身を知らずに運んだだけ」だったとしても、それが「違法な薬物などが入っているかもしれない」という認識につながる状況であれば、故意が認められることがあります。 結論 まとめると、以下のようになります。 通貨偽造罪:「偽札だと知っていた」という明確な故意が不可欠。 密輸罪(関税法違反):「輸入禁止物品だと知っていた」という故意が必要。ただし、その認識の程度は、通貨偽造罪よりは緩やかに解釈される可能性がある。 したがって、今回のケースで、検察が最初から密輸罪で立件していた場合、以下の点が争点になったと考えられます。 本人が偽札だと知らなかったとしても、 「何か違法なものが入っている」という認識はなかったか? それを裏付ける客観的な証拠(運び方、報酬の有無、指示された経緯など)はなかったか? 無罪になった通貨偽造罪と比べると、密輸罪の方が有罪に持ち込める可能性が高かったと言えるでしょう。
https://anond.hatelabo.jp/20250727144129
要旨:香港という存在は「中華化」「冷戦」「経済発展」を経て「脱武装中産階級」に変質し、現在は“生存力”を失った国家なき中間層の集団になっている。そのため、中国共産党に対抗する実力もないまま衰退してゆく。真に生き延びるのは、暴力と慣習法を受け入れた“黒幫型コミュニティ”のみである。
主な論点:
中産階級は本質的に「賭け」に過ぎず、自身の行動が状況を変える力を持たない。
真に必要なのは暴力的闘争の能力だが、香港人はそれを歴史的に失っている。
香港の「愛国者」にも軍火走私(武器密輸)のような“実行力”が欠けている。
1940年以前の香港:広東系土豪、走私(密輸)、幇会が支配する“野蛮な”地域。教育水準も低かった。
抗日戦争〜1945年:中華民族という観念が国民党主導で香港に輸入され、赤華(共産)と白華(国民党)が対立。
冷戦初期〜1980年代:共産主義への恐怖から、走私勢力や民兵は“血汗工場”労働力へと再編され、中産階級が形成される。
1997年以降:共産党に近い黒幫(黒社会)が台頭。英米寄りの中間層は方向を失い、支配力を喪失。
「高収入・高家賃・英語使用」層は武力を持たず、また移民で脱出することしか考えていない。
民主化運動の主力だが、暴力闘争には向かず、共産党にとっては“鎮圧しやすい存在”。
結果的に、彼らの運動は西側の中産層からの共感は得られても、実際の変化を生み出せない。
経済的に下層の人々は、「攬炒」や火炎瓶を投げるような暴力的な手段に出やすい。
彼らは「粵人の暴力伝統」を受け継ぎつつあり、暴力的行動は文化的に根ざしている。
このような勢力こそが、生き残る香港の新しい“主流”となる可能性がある。
香港が金融・貿易港としての機能を失えば、政府は財政破綻し、警察も維持できなくなる。
治安維持は黒幫の役割になる。これは1920年代の状況への“逆戻り”。
結論:
香港中産階級(とその政治的運動)は「非暴力・高教養」ゆえに無力であり、国家や武装勢力の圧力に対して生存できない。一方、慣習法や暴力を受け入れた“部族的”黒幫型組織こそが、秩序と生存を担う新しい香港の姿である。
フェンタニル(Fentanyl)は、医療用に開発された強力な鎮痛薬であり、本来はがん性疼痛や術後の疼痛緩和など、限られた医療用途に用いられる合成オピオイドである。しかし、近年この物質が違法薬物として流通し始め、アメリカを中心に世界各国で深刻な社会問題となっている。
その危険性の本質は、「ごく微量で致死的」「他の薬物に混入しやすい」「高利潤かつ流通しやすい」という点にある。本記事では、なぜフェンタニルが人を死に至らしめるのか、その薬理的特徴、社会的背景、経済的利潤性の観点から詳しく解説する。
フェンタニルは、オピオイド系の合成麻薬であり、モルヒネの50〜100倍、ヘロインの30〜50倍の鎮痛作用を持つ。脳のオピオイド受容体に作用することで強力な鎮痛効果をもたらす一方、呼吸中枢を極めて強く抑制する。
1回の致死量はおよそ2mgとされ、これは米粒ほどの量である。使用量のわずかな誤差が、使用者にとって命取りになる。また、フェンタニルは速効性が高く、使用直後に呼吸抑制が始まり、数分以内に意識喪失や死亡に至るケースも多い。
このため、使用者本人が過剰摂取に気づかずに死亡する例が後を絶たず、「静かなる死」とも呼ばれる。さらに、依存性も非常に強く、反復使用の中で無意識のうちに致死量に近づいていく構造的な危険性がある。
| 薬物 | 致死性 | 依存性 | 呼吸抑制 | 主な中毒死原因 |
| ------ | -------- | -------- | ------------ | ---------------- |
| フェンタニル | ◎(即死レベル) | ◎ | ◎ | 呼吸停止 |
| ヘロイン | 高い | 高い | 強い | 呼吸抑制 |
| コカイン | 中程度 | 高い | なし | 心血管障害(心筋梗塞・脳卒中) |
| LSD | 低い | 低〜中 | なし | 精神症状による事故や自殺 |
フェンタニルは、非常に小さな摂取量で致死的な効果をもたらすという点において、他の薬物と一線を画している。
近年ではフェンタニルが他の違法薬物や偽造医薬品(OxyContin、Percocet、Xanaxなど)に混入される形で流通していることが問題となっている。外見上は合法の処方薬に酷似しており、ユーザーがフェンタニル入りであることに気づかないケースが多い。
これにより、本人が意図せず致死量を摂取して死亡する「非意図的中毒死」が急増している。違法薬物においては「どのような薬が届くか」を完全にコントロールすることは不可能であり、この構造そのものが致命的なリスクとなっている。
アメリカではフェンタニルを含む合成オピオイドによる中毒死が爆発的に増加している。以下はCDC(米国疾病予防管理センター)の統計を基にした概要である。
主な要因は、中国やメキシコからの違法フェンタニルの流入、SNSや暗号通貨を利用した密売の拡大、偽薬の氾濫などである。
これらの政策により一部地域では過剰摂取死が減少傾向にあるが、根本的な流通の遮断は未達成である。
フェンタニルの拡散を加速させている大きな要因に、「製造効率の高さ」「1回あたり使用量の少なさ」「高利潤性」がある。
| 薬物名 | 製造コスト(1g) | 1回使用量 | 使用回数(1gあたり) | 備考 |
| -------------- | ------------------ | ------------- | ------------------------- | ------ |
| フェンタニル | 数十〜数百円 | 約2mg | 約500回 | 合成容易・最強の利潤効率 |
| LSD | 数千円 | 100〜200μg | 約5,000〜10,000回 | 原料入手困難・高効率 |
| メタンフェタミン | 数百〜数千円 | 20〜50mg | 約20〜50回 | 合成しやすい |
| ヘロイン | 数千〜1万円 | 10〜20mg | 約50〜100回 | 精製に手間 |
| コカイン | 数千〜1万円 | 30〜100mg | 約10〜30回 | 農業依存性が高い |
フェンタニルは、違法薬物の中でも「最も効率よく稼げる麻薬」とされており、製造者・密売人にとって極めて魅力的である一方、使用者には極端なリスクをもたらす。
日本国内では、現時点でフェンタニルによる大量死は報告されていない。しかし医療用フェンタニルは普通に流通しており、盗用や転売、さらには海外からの密輸・混入のリスクは年々高まっている。
特にダークウェブやSNSを経由した薬物入手が若年層に広まりつつある中、アメリカと同様の事態が日本でも起こる可能性は十分に考えられる。早期の教育・啓発、テストキットの導入、ナロキソンの配備体制整備が急務である。
フェンタニルは、ただの強力な鎮痛薬ではない。それは、高い利潤性と即効性、そして誤差がそのまま死につながる構造を持った「現代の社会毒」と言える。使用者にとっては、1回の使用がそのまま命を奪うリスクをはらみ、社会全体にとっては中毒死の波を生む原因となる。
我々がこの問題に取り組むには、個人の「自己責任」だけでなく、政策・教育・医療のあらゆる側面から包括的に対応する必要がある。
種族:ハット族(Hutt)
かつて帝国に囚われ、監獄惑星ナラカIXに幽閉されていたハット族の長老。
脱出後、「銀河系の娑婆」と称する独自の解釈に基づいた哲学的なアンダーグラウンド帝国を築いた。
かつてのジャバが「快楽と暴力の象徴」だったのに対し、娑婆・ザ・ハットは「苦悩と悟りをもてあそぶ存在」。
表向きは密輸・奴隷売買・情報操作などの黒幕だが、その内面は「この世の苦しみに意味があるか?」を絶えず問い続けている。
身体には経文のような刺青。黒く濁った瞳と金色の装飾。頭には数珠のような触手をまとっている。常に香のような煙を漂わせている(麻薬的効果があり、会話相手の判断力を鈍らせる)。
彼の協力を得るには、彼自身の「業の試練」を超えなければならない。
銀河の反乱軍すら、彼の力を「最後の選択肢」として恐れている。
能力/特徴:
もちろんAIだよ、でへへ。
フランク・キャンパーという元ベトナム退役兵が1980年代に傭兵学校を設立しました、並木書房から日本人の参加ルポが出ていたと思いますがその詳細を教えてください
エコー・イン・ジャパン:フランク・キャンパー、並木書房、そして傭兵の呼び声に応えた日本人
ご質問の内容は、単なる書籍の問い合わせにとどまらず、1980年代の日本における特異な文化的モーメントを映し出す歴史的アーティファクトである。この時代、日本では軍事、特に傭兵や特殊部隊といったロマンチックかつ危険な世界への大衆的関心が急激に高まった 1。この熱狂は、落合信彦氏のような作家が手がけた「スーパードキュメント」と呼ばれるノンフィクションによって大きく煽られた。特に、氏の著作『傭兵部隊』はフランク・キャンパーを大きく取り上げ、後の日本人参加者を含む当時の若者たちに強烈なインスピレーションを与えたのである 1。
本報告書は、ご質問者が記憶されている「日本人の参加ルポ」と完全に一致する一冊の本は存在しないものの、その記憶がフランク・キャンパー、高橋和弘、毛利元貞といった人物、並木書房による出版物、そしてキャンパーの学校とその「後継」組織という、相互に関連し合う魅力的なネットワークを指し示していることを明らかにする。その全貌は、一個人の参加報告よりもはるかに複雑で、示唆に富むものである。
この現象を解き明かす上で、並木書房の役割は極めて重要である。同社は単に受動的な出版社ではなく、日本の市場に向けて「傭兵」や「サバイバル」といった特定のサブジャンルを積極的に開拓・形成した「キュレーター」であった。まず、1990年に高橋和弘訳によるフランク・キャンパー自身の著書『ザ・マーセナリー』と『ザ・ラープ』を出版し、日本におけるキャンパーのブランドを確立した 9。同年、その翻訳者である高橋自身の体験記『USサバイバル・スクール』を刊行 14。これは、確立されたキャンパーのブランドと翻訳者の信頼性を利用して、新たな日本のオリジナル作品を市場に投入する戦略であった。翌年には、キャンパーが象徴する世界に直接繋がるもう一人の日本人、毛利元貞の『傭兵修行』を出版した 15。この一連の流れは、海外の著名な人物を輸入してブランド化し、次にそのブランドに連なる国内の物語を発掘・出版することで、ニッチな市場全体を掌握するという、並木書房の意図的な戦略を示している。
1.1. 論争の的となった経歴:兵士、情報提供者、そして神話の創造者
フランク・キャンパーの公的なペルソナと、彼が設立した傭兵学校の信頼性の核となっていたのは、その軍歴であった。彼は自身をベトナム戦争に従軍した第4歩兵師団の長距離偵察パトロール(LRRP)隊員であると主張し、そのエリートとしての経歴を喧伝した 17。この物語は、後に日本で『ザ・ラープ 長距離偵察部隊』として翻訳・出版される自著『LRRP: The Professional』によって、さらに補強された 10。
しかし、1985年に公開された公式の軍記録は、彼が歩兵およびトラック運転手として訓練を受けたと記しており、その経歴に疑問を投げかけた 17。この矛盾は、1988年にキャンパー自身が上院小委員会の公聴会で証言したことにより、ある種の解決を見る。彼は、軍事情報部、CIA、ATF(アルコール・タバコ・火器及び爆発物取締局)、FBIとの「高度な機密指定を受けた経歴」を明らかにし、矛盾する記録は情報機関によるカバーストーリーであったと説明した 19。彼によれば、1970年から秘密情報提供者として活動し、アメリカ共産党(CPUSA)やアラバマ黒人解放戦線(Alabama Black Liberation Front)のような組織に潜入していたという 17。この兵士と情報提供者という二重のアイデンティティこそが、彼の行動を理解する上での鍵となる。
1.2. マーセナリー・スクール(1980年-1986年):準軍事的事業の実態
1980年、キャンパーはアラバマ州ドロマイト近郊で「マーセナリー・スクール」を開校した。当初、実地訓練はフロリダで行われていたが、原子力発電所付近での不法侵入容疑による逮捕後、拠点をアラバマ州ジェファーソン郡のウォリアー川沿いにある77エーカーの森林地帯に移した 17。
学校は『ソルジャー・オブ・フォーチュン』のような軍事雑誌で宣伝され、2週間のコース料金は350ドルから500ドルに設定されていた 17。訓練内容は、体力トレーニング、銃器の取り扱い、白兵戦、ナイフ格闘術、サバイバル技術、ランドナビゲーション(地図判読)、E&E(脱出と回避)、爆発物、ブービートラップの設置など、多岐にわたった 1。機密解除されたCIAの文書には、司令部であった「バンカー」の様子や、実弾が飛び交う中で行われた「ライブ・ファイア」演習の生々しい記述が残されている 22。
キャンパーは学校設立の理念として、米国政府のための情報収集と、将来的な協力者となりうる外国人の資質を見極めることの2点を挙げていた 21。これは彼が担っていた情報提供者としての役割と一致する。しかし、批評家たちからは、この学校は単なる「大規模なペイントボール・ゲーム」に過ぎないと揶揄されてもいた 17。
キャンパーの学校は、単に軍事技術を教える場にとどまらず、国際的なテロリズムや犯罪と深く結びついていた。
1984年から85年にかけて、4人のシーク教徒過激派がこの学校で訓練を受けた 17。キャンパーは彼らに武器や爆発物の使用法、暗殺技術を指導した 21。彼は、当時インドのラジブ・ガンジー首相の訪米に合わせた暗殺計画を阻止するため、FBIと協力しておとり捜査を進めていたと主張している 17。しかし、このおとり捜査の網をすり抜けた2人の訓練生が、キャンパーの学校から盗まれたとされる爆発物を使用し、1985年に329名の命を奪ったエア・インディア182便爆破事件を実行した 21。キャンパーは後に、容疑者全員を逮捕できなかったのは、自身が提供した情報が関係機関によって不適切に扱われたためだと非難した 21。
学校の終焉を決定づけたのは、1985年にキャンパーと3人の教官がカリフォルニア州の学校経営者から依頼を受け、元従業員の車に爆弾を仕掛けた事件であった 21。彼らは1986年5月に逮捕され、この逮捕がアラバマ州司法長官に、州の私立学校免許なしで運営されていた同校を閉鎖する法的根拠を与えた 17。キャンパーは有罪判決を受け、14年の懲役刑を宣告されたが、実際には5年半服役し、1991年12月に釈放された 17。
この一連の出来事は、マーセナリー・スクールが単に犯罪者が集う場であったという以上に、より複雑な本質を持っていたことを示唆している。キャンパーが公言していたように、この学校は米国政府のための情報収集を目的とした「ハニーポット(蜜の壺)」として構想され、運営されていた。その設計思想自体が、過激派や犯罪者を引き寄せるものであった。彼は実際に、ナイジェリアへの武器密輸計画やKKK関連のクーデター計画など、訓練生の違法行為を当局に通報し、逮捕に貢献している 17。シーク教徒の事件に関するFBIの宣誓供述書にも、アラバマ州の「信頼できる情報源」からの通報があったことが記されている 22。
しかし、このモデルは致命的な欠陥を抱えていた。エア・インディア機爆破事件は、この「ハニーポット」戦略が破綻した最悪の事例である。キャンパーが教えた技術は、彼が仕掛けたおとり捜査の網をすり抜けたテロリストによって、悲劇的な形で実行されてしまった。したがって、この学校の遺産は単なる犯罪の歴史ではなく、国家による情報収集活動が民間委託され、危険な個人を「育てる」ことと「罠にかける」ことの境界線が曖昧になった結果、大惨事を引き起こした高リスクな秘密工作の失敗例として記憶されるべきである。学校の存在そのものが、ある種の秘密工作の一環であり、その破綻は、その機能から直接的にもたらされた必然的な帰結であった。
2.1. 直接的な回答:高橋和弘の『U.S. Survival School』
ご質問者が記憶されている「日本人の参加ルポ」に最も直接的に該当するのが、高橋和弘氏による著作である。高橋氏はアウトドアやサバイバル技術に造詣の深い日本のライター兼翻訳家であり、並木書房から出版されたキャンパーの著書の日本語訳も担当していた 9。
1990年、並木書房は彼のオリジナル著作『USサバイバル・スクール―極限の野外生存術』を出版した 14。この本こそが、ご質問の核心に触れる一次資料である。本書は、高橋氏自身がアメリカに渡り、8つの異なるサバイバルおよび軍事系スクールに参加した際の体験を綴った一人称のルポルタージュであり、その第3章が「傭兵学校―マーク・スクール(MS)」と題され、ユーザーが記憶する詳細な参加報告が記されている 14。
2.2. 決定的な繋がり:「マーク・スクール」と教官「ピート」
重要なのは、高橋氏が参加した「マーク・スクール(MS)」が、1986年に閉鎖されたキャンパーのアラバマの学校そのものではないという点である。調査によれば、この学校は、フランク・キャンパーの元アシスタント教官であった「ピート」という人物が新たに設立した「後継」の学校であったことが特定されている 2。この事実は、毛利元貞氏のWikipediaページの脚注において、高橋氏自身の著書『USサバイバル・スクール』を典拠として明記されている。「スペシャル・アサルト・スクール」とも呼ばれたこの後継学校は、ミシシッピ州に拠点を置いていた 2。
この事実関係を整理することで、ご質問者の記憶の謎が解ける。記憶は機能的には正しく、しかしキャンパーという著名な名前と、実際に日本人が報告した学校とを混同していたのである。その報告は、キャンパーの弟子が運営し、キャンパーを中心としたカタログを構築していた並木書房から出版された、「キャンパー・スタイル」の傭兵学校に関するものであった。つまり、ご質問者の記憶の核心は正しく、その背景には直接的な血脈が存在していた。1990年当時の読者にとって、キャンパー本人の学校と、その直系の後継者が運営する学校との区別は些細なものであり、体験の「精神」はキャンパーの遺産そのものの延長線上にあったのである。
この物語には、もう一人の重要な日本人が登場する。1964年生まれの毛利元貞氏である 2。彼もまた落合信彦の『傭兵部隊』に触発され、より実践的な経験を求めて自衛隊、そしてフランス外人部隊へと進んだが、いずれも脱走している 2。
彼の探求は、アメリカでピートが運営するミシシッピ州の「スペシャル・アサルト・スクール」へとたどり着く。しかし、彼は参加者としてではなく、その卓越した技能を認められ、同校の「教官」となった 2。1991年、並木書房は彼の体験をまとめた『傭兵修行―世界に冒険を求めて』を出版した 15。この本は、ジャーナリスト的な参加者として訪れた高橋氏の視点とは対照的に、組織のスタッフとして完全に内部に溶け込んだ日本人の視点から描かれた、ユニークで並行する報告となっている。
高橋氏と毛利氏の物語は、このアメリカのサブカルチャーに対する日本人の二つの異なる関与の形を象徴している。高橋氏は、体験し、記録することを目的とした「観察者・記録者」であり、その役割は本質的にジャーナリスティックであった 14。一方、毛利氏は、その世界を報告するだけでなく、自ら生きることを目指した「実践者・求道者」であり、その目標はプロフェッショナルになることであった 2。並木書房がほぼ同時期に両者の著作を出版したことは、同社が、体験談を読んで楽しみたい「 armchair enthusiast(安楽椅子探偵)」層(高橋の読者)と、自らもそうなりたいと夢見る層(毛利の読者)の両方を読者層として認識していたことを示唆している。二人の本は、日本の「傭兵ブーム」が内包するファンタジーの全スペクトラムに応えるものであった。
著者/翻訳者
年
関連性
Merc: The Professional
1990
キャンパー自身の傭兵としてのキャリアを語り、日本での彼のペルソナを確立した 9。
LRRP: The Professional
1990