はてなキーワード: ミュージックとは
今から振り返ると、中学校の音楽の授業はあまり充実していなかったように思える。
学習指導要領が変わったのかアルトリコーダーは購入しなかった。小学校からの引き続きでソプラノリコーダーを使用(´・ω・`)
鑑賞したのもクラシックだと、ベートーヴェンの第九とシューベルトの『魔王』だけかな? そういえば、滝廉太郎も聴いて歌ったわー。ポップミュージックではビートルズを、そして歌舞伎の『勧進帳』を鑑賞した。
メインは合唱コンクールのための練習。コンクールといっても校内だけのヤツだから全然小規模。
ただ1年生のときに体育館の改修と重なったため、南浦和のさいたま市文化センターを貸し切って開催された。その後も同会場を引き続き使用。
今にして思えば、ボブ・ディランが立ったステージに自分も乗ったのかと感慨深いが、そんな校内のクラス対抗戦でわざわざ貸し切る必要はあったのかやっぱり疑問(๑•﹏•)
吹奏楽部の顧問が担任のクラスが毎年優勝を掻っ攫っていった。そのセンセが独自にカッコいい映える曲を用意したのが勝因。普通の中学生の合唱スキルなんてたかが知れているので、曲目で大体決まる。
長年ずっと好きで、いわゆる『推し』というものになってからもう結構経つ。
2人は名前を、田中雅功、髙田彪我と言って、スターダストプロモーションに所属している。大手も大手、超大手だ。
スタダのEBiDANという集団、Sakurashimeji以外のみんなが歌って踊るグループで、2人だけがギターを持って、2人きりで、もう11年活動している。朝ドラや月9で、知っている人は知っている、という感じな気がする。
しかし2人はエゴサが激しいから、読まれるものと思って、ちゃんと書こうと思う。
先の10月22日、2人はアルバムをリリースした。タイトルは、『唄うこと、謳うこと』。
12年目にして初めて、1曲目から12曲目まで全部、2人が全曲、2人で作った曲だけが入ったアルバムだ。
10周年で名前を『さくらしめじ』から『Sakurashimeji』に、肩書きを『フォークデュオ』から『ギターデュオ』に変え、明けて11周年にして、ようやくここからスタート。
最近の2人の様子を眺めていると、なんとなくそういう感じがする。
スターダストには、というか、アイドル事業には往々にしてリリースイベントというものが存在している。
フリーライブと称してスーパーや商業施設で歌い、歌い終わったら、握手だとかツーショだとかポストカードお渡し会だとか、そういう特典会をやる。
このリリースイベントツアー期間に入ると、スパンも時間もなかなかのものだから、それを成し遂げるアイドル側も、追いかけるファン側もなかなかの重労働である。
そしてSakurashimejiも、EBiDAN所属のアイドルの例に漏れずその特典会もやっていて、先日、全ての日程が終了した。
2人が小さい頃、初めてフリーライブをした埼玉県大宮市、アルシェ前。余談だがこの日は特典会が存在せず、ファンはみんな、ただ歌を聴くためだけに集まった。
2人の歌を聴くために訪れた人たちは上までたくさん居て、当時からアルシェにいる人にも祝ってもらえて、2人も幸せそうで、本当にうれしかった。
こういったアイドル事業には『リスニングキャンペーン』というものも存在している。再生回数○○回達成で報酬が○○。といったように、それは大抵の場合LINEミュージックで開催されている。
最近、そのLINEミュージックでよくアルバムの曲がランキングに入っているのを見て、うれしい!と思う。
そして同時に、数年前にリリースされた『Iroto-Ridori』という曲のころ、週替わりに実施されていたリスキャンが全然達成できなくて、悔しがらせたり、達成記念に撮ってくれてた動画を複数お蔵入りにさせてしまったことをよく思い出す。
近頃のLINEミュージックのランキングは、以前よりも顔ぶれが『常連』という感がある。
端的に言うと、本当に売れている曲しかのっていない。
だから単純にウィークリーランキングに入るのもすごく難しそうだと素人ながら感じるのだが、Sakurashimejiの先日の新曲、『ガラクタ』も、今回の新曲たちも複数ランキングに入っていてすごかった。
だから思う。あのとき、なんでできなかったんだろう、2人のなかに、あの失敗体験がなければ、と。最近よく思う。
あのリスキャンがなかったら、あのライブをもっと埋められていれば、せめてコロナ禍がなかったら。
いわゆるオタクは演者が思っているよりも演者のことを心配などしているため、本当にそう思っているのだ。
きっと2人は、こういう行き過ぎた想像のこと「変なこと言ってんなあ」とか「ステキな考察を、ね……」とか言って笑うと思うが、まあ心配性なのがオタクという生き物なので、許してほしい。ごめんね、気持ち悪くて。
どうしてこのことを最近頻繁に思い出すかというと、アルバム発売に際して公開される著名人からのコメントにちらほら『2人の中学生から大人になるまでの葛藤や煩悶』が見て取れたからだ。
ああ、やっぱり、あるんだ。と思った。
泣いて眠れない夜も、全部諦めたくなった日も、私たちの見えない場所で、2人はたくさん、悩んできたんだ、と改めて思った。
時々話してくれてはいたものの、創作物からはあまりそういうものを感じなかった。
多分これまでの楽曲では、常に前を向いて進む姿を見せてくれていたのだと思う。
歯を食いしばって、傷も涙もそのままに、前を向いて歩く。ファンのために。
それが少しずつ変わってきたのが今年だ。
去年までは明かさなかった、今までの話、昔の話、そういうものを聞かせてくれるようになったし、何よりもリリースする曲も変わってきた。
つらかった過去も悩みもいまだに自分の中に存在していて、今はまだ『在る』ままだけれど、どうにかこうにか生きている。そういう姿も見せてくれるようになった。
とはいえ、2人はそういう歌ひとつとっても、ファンのために書いている。
2人が2人の歌を作って、ファンはそれを聴いて、自分の歌だと感じて、救われたり、頑張ろうと思ったりする。
それが2人の創作活動で、多分きっと、生きる糧のようなものでもあるのだろう。
もっとも、普段はこういうことは考えるのみに留めている。2人はきっと感傷的になられるのも苦手だろうから。
2人は、そういう感傷も心情も全て歌にして、ファンに寄り添うことを第一に考えてくれているから。
だから一応、普段は我慢している。まあでも匿名なのであと少しだけ。
2人は高校生のとき、LINEライブ同接25万人だとかも達成していた。芸能活動なんて数が全てではないが、そこからは今、かなり減っている。
どんな気持ちだったんだろうと思う。
離れていくファン、離れていくスタッフ。身をもって感じる高校生ブランドみたいなもの。
実際インタビューやなんかで2人はたびたび『別れ』にも『出会い』にも触れているし、そういったことは、たくさん感じたんだろうなと思う。
別に、好きな対象がバズらない・売れないことに対して、ファンに義務があるとも負い目があるとは決して思わない。
しかし、雅功さんはもう一人きりでストリートライブやろうとか思わないで過ごせるのかな、だとか、彪我さんはもっと自信を持って、誰かに褒めてもらわなくても自分を好きでいられるのかな、だとか、最近はよく、そういうことを考えている。
そういえば、今回のアルバムには高校3年生のときにスターダストを退職された、2人を組ませたプロデューサーが参加していた。
私はいちファン、かつインタビューで明かしてくれている箇所を知っているのみだが、それでも彼らが泣きながらそのプロデューサーと離れたことや、「絶対にもう一度一緒に仕事をしたい」と言っていたことも覚えていたため、アルバムのブックレットのクレジットを見て、かなり泣いた。
2人が、ようやく出せた2人だけのアルバムで、かつての恩人をまた呼び戻す。その姿勢も有言実行も、本当に格好いいと思った。
前プロデューサーが携わった曲のタイトルは『スパイス』と『normal』だ。
前者の『スパイス』について、私はものすごく、『はじまるきせつ』を感じるなあと思っている。
この歌は上述のプロデューサーが在籍していた頃の歌で、曲調その他諸々、さくらしめじといえばこういう曲、といった感じのものだ。
だから、スパイスを聴くたび実は、「ディレクターってどこまで携わるものなのか知らないけど、この人とっては2人ってずっと妖精だったあの子どものままなんだ」と思って、部外者ながら勝手にじんわりとしている。
私は個人的に、彼の作る歌は幼少期の、『さくらしめじ』の影響というか、感性がそのまま残っていると思っているため、今回のスパイスも、ずっとそう思っている。
初めて聴いたときは2人からかつてのプロデューサーへの歌だと感じたけれど、聴けば聴くほど、2人が歌で対話しているような、はたまた、彼が経験してきた全く別の出来事が元であるような、不思議な感じがする。
素敵な歌。大好きだ。
後者の『normal』は、田中雅功さん作詞作曲のものだ。本人が「今までで作るのが一番きつかった」と語るこの歌は、彼曰く「心の柔らかいところ」で、聴いていても、それを痛切に感じる。
先にも少し触れたが、私は去年、雅功さんが「数年前彪我を連れずに一人でストリートライブをやったことがある」と話していたのを聞いて、すごく驚いたし、居ても立っても居られない心地になった。
夜、何かをぐるぐると考えていたら歌いに行かずにいられなくなったのかもしれないし、武者修行的なものだったのかもしれないし、単純にいっときの気分転換だったのかもしれないが、本当に、少し怖かった。
いつか、ファンの前から居なくなってしまう、そういうことも、考えたことがあるんじゃないかと思って。
normalは、そういうちょっとした不安への答えのような歌だった。
たしかに悩むこともある、人生なんてくだらないが、それでも、僕はそういう悩みも歌にして、皆さんの前から消えることはないですと、そう言ってくれているような気がした。だから、少し安心した。変な話だが。
これも大好き。2人の歌で嫌いなものなんて一つもないけれど。
彪我さんは今年、50周年までやりたいとよく言っていて、雅功さんもそれに、うれしそうに頷いている。
私はそれがすごくうれしくて、一生一緒にいてクレメンスと思っている。
7年前、東京。地下かどこかの喫茶店で、デザイナーのHさんと打ち合わせをした。
自分が企画した仮設の公園シリーズのデザイン制作物を依頼する場だった。
まだ若くてバカだった当時の自分は、「A3サイズで世界を変えよう」と笑いながら真剣に言ったのを覚えている。鼻息でストローの袋を吹き飛ばした気がする。
その後に作ったA3のフライヤーは、原稿の渡し方もイメージの共有もめちゃくちゃで、散々迷惑をかけた気しかしない…。でもHさんは最高の納品物をつくってくれた。
それからあちこちでHさんのデザインを目にするたびに(先日も実家近くの本屋で見かけた)、あの狭い喫茶店で口にした言葉を思い出す。
Hさんはあれから、マジでA3サイズで世界を少しずつ変えてってると思う。
「どうして“哲学対話”という名前を使うんですか?難しそうだとか、参加に身構える人もいるかもしれないのに」と尋ねた。
Nさんはいろいろ考えた末に、「なんか…ムカつくんすよね」と言った。
哲学と、対話という言葉の意味を新しく上書きするために、あえてこの名前を使うんだって話してくれた。
今の自分は、どうだろう。
「ムカつく」という言葉を聞いて、久しくその感覚を忘れていたかもしれないと気付いた。
どうせ何も変わらないと思って、絶望してたんだと気付く。ぜつぼうって、Zから始まる強い響きの言葉だけど、耳がキンとするほど静かで、うっすら気付きながら置き去りにして、気付けばゆっくり死んでいるような絶望もある。
思い出すと自分も「A3で世界を変えよう」と言ったあの頃、世界に対してムカついてた。
少し前、自分は臨時職員だった。アートと教育に関わる仕事。給料は月13万円。
でも求められる仕事の内容は変わらない。自分が足りないから倍以上頑張るしかないんだ。
「アーティストやクリエイターとつながっておくのが大事だ」と教わりつつも、飲み会に行くのが怖かった。行ってもバカにされるだけ、雑にいじられて否定されて、3000円払っていやな思いをするだけだと思ったから。
それでも「今日は違うかもしれない、大丈夫かもしれない」と信じてみる。
先にコンビニでおにぎりとホットスナックと缶ビールを胃に詰め込み、遅れて飲み会に顔を出す。結果「やっぱりカタパンはダメだな〜」と何かのきっかけでバカにされ、ヘラヘラしながら5000円払わされ、真っ暗な帰り道で涙がつっとこぼれそうになる。今思えばもっと自己開示すべきだったのかなって思う。でもあの時の自分は、自分を守るのに必死だった。
同じ部署の臨時職員同士で競わせられ、蹴落とし合う日々。毎日どんどん嫌な自分になる。
それは素晴らしいことで、自分は今日も帰れない。自分は常に欠けていて、仕事ができないからしょうがないんだ。自分も子どもを育ててみたいという気持ちをこんな手取りじゃ絶対無理だとグッと押し殺し、上司に嫌な感情を向けてしまう心に嫌気がさす。
「カタパンの説明は下手すぎる」「カタパンは才能がない」「カタパンは惜しいんだよな」「タレ(当時付き合っていた彼女)と結婚してさっさと仕事やめたら?」「カタパンのタレはメンヘラだよな」「それ俺が考えたことにして。そっちのほうが絶対うまくいくから」「カタパンが考えることは全て、もうすでに俺が考え終わったことだよ」「カタパンは、ソーシャル・ネットワーク(映画)の、ザッカーバーグじゃない方なんだよ。自分が考えたことも上司がうまいところを持っていく。そういうのってこの業界じゃ当たり前だから。」「カタパンはエモいからな〜」「カタパンは伸びしろがない」「泣くのはプロじゃないよ」「カタパンもう◯歳でしょ?いい加減大人になってほしいよね」
大学1年生のころ、そのアートセンターでやっていたノイズミュージックのライブを初めて聞いて衝撃を受けた。
退屈してて何もないと思っていた、都市ってつけるのがおこがましいくらいの地方都市で、爆音の圧に内臓が揺れる。初めて音に殺されるって思った。
こんなこと公共施設がやっていいんだ。そのアートセンターで働くことに憧れた。
そこには市民の有償ボランティア制度、サポートスタッフがあった。入りたいと思った。
でも1年生でサポートスタッフになっても、きっと自分は他の人に埋もれてしまうと思い、いろんなアルバイトを経験した。
3年生になって、ようやく少し自信を持って、サポートスタッフに登録する。
“カタパン”は、サポートスタッフを始めた初日、教育普及の職員に付けられたあだ名。
理由は、肩パンしても大丈夫そうなキャラだから。嫌なあだ名だったけど、あだ名を付けてもらえたことに喜んで、自分は否定しなかった。
ようやく入った憧れの施設では、地元の人やサポートスタッフを蛮人と呼んでる人もいた。
もちろん冗談で。冗談なんだから否定するのは粋じゃない。自分は一緒に笑った。
自分も笑われているのに。
どんなに嫌なことがあってもそのアートセンターに憧れたあの時の気持ちは捨てられないし、どこかで全員尊敬できたし、すごく優しい人もいる。
周りの誰も憎めずに、自分を責め続けた。心配してくれた人の言葉を、自分は大丈夫ですよとヘラヘラ聞き流した。
周りを変えることよりも自分を責めることの方が楽で、でもずるくて、いざ失敗したら周りのせいにしてた自分もいる。この文章だってそうかもしれない。
自分は自分のそういうところがめっちゃ嫌い。だからこの文章をここに書き残しておく。
ダサいことも、痛いことも、全部置いておく。
今は常勤職員になってしばらく経ち、生活も少し安定するようになった。チームが変わり、すごくいい仲間に恵まれて、痛みを感じることを言われることも少なくなった。安心できる場所をつくることが出来た。年下の後輩も入ってきて、それまでリーダーをやってくれてた同僚が抜けることになった。
常勤職員から、副専門職員になる試験を受けたら、普通に面接で落ちた。
付き合いの長い上司から、あなたに専門性はないですって諦められたみたいで悲しかった。
たしかに自分はまたヘラヘラして、自分の言いたいことを伝えられなかった。
伝えることを諦めてしまった。そんな自分が悔しくて、その夜電気を全部消して泣いた。
今の自分は、どうだろう。
昨日『104歳、哲代さんのひとり暮らし』という映画の感想を語り合う場所を開いた。これは一昨年の暮れから、だいたい毎月4回くらいやっている。休憩がてら立ち寄った人たちとお茶やジュース(ミルクティーが人気)を飲みながら、映画の印象に残った場面を話すうちに、みんなそれぞれ自分の過去をぽつりぽつりと思い出して語り始めたりする。昨日も15人くらい来てくれた。
コロナ禍の入院で、本当は会いたかった人を病院の窓から見送った話。
離れて暮らす娘の早産を電話で励ますことしかできず、悔しかった話。
祖母が隔離病棟で亡くなる直前、看護師がつないでくれたLINEビデオで声をかけたけど、触れられなかった話。
「哲代さんは明るくてすごい。私は後悔ばかりだ」と84歳の参加者が漏らすと、別の人が「いまからでもイメチェンできる!84歳、あと20年ある!」と励まして笑い合う。
飲み物を継ぎに別のグループへ。「職員さんですか?」と聞かれたので簡単に自己紹介し、「楽しく働いています」と答えると、一人の女性が「…仕事はつらいですよ。人生はつらいですよ。」と自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
彼女は三人の子どもを育てるために、大好きだった介護の仕事を諦めたそうだ。
「介護の仕事は給料が低くて、今はレジ打ちなんかをしています。でも、本当は働きたい」そう言うと、彼女の目から涙があふれた。
彼女にとっての“働く”は介護であり、レジ打ちはやらなきゃ立ち行かなくなる”仕事”。
彼女は泣きながら、どんな場面を、人を、思い出していたんだろう。
そのタオルがすごく大きくて「いっぱい泣けるね」とふざけて笑い合う。
尊敬する館長がしばらく前に亡くなった。
自分は、館長の本棚にあった「公共の役割とはなにか」という本をもらった。
館長から出された宿題みたいに、その問いのことをずっと考えている。
まだ宿題の途中だけど、今館長に聞かれたら、
公共文化施設とは、みんなで人間らしさを取り戻す場所って答えたいと思う。
人生は一人で抱えるには重すぎる。いつか自分の足で立つためには、みんなで少しずつ荷を下ろし、身軽になる必要もある。何かを得るだけでなく、重くなった気持ちも置いていける場所。そういう場所が、自分はあってほしい。
それは捨てていくんじゃなくて、きっと誰かが聞いている。
誰かが誰かを覚えていると信じられるから、新しい自分になっても安心して息が吸える。
小学生がうちの施設に社会見学に来たら「メディア・テクノロジーは人にものごとを伝えるワザ。コンピューターやインターネット、映像、照明、音響とかいろんなものがある。そう聞くと、電源が必要とか、新しくてシュッとしてるとか、固くて冷たいものを想像するかもしれないけど、いまみんなに話しているこの言葉だってメディア・テクノロジーのひとつ。僕らはつい最新のテクノロジーに注目しがちだけど、僕らが生まれるずっと前は、この”言葉”だって最新のテクノロジーで、思ってることを人に伝えられるのやべ〜!ってなってたはず。もし言葉が喋れなかったとしても指差しをしたり、狼煙を上げてここにマンモスがいるぞー!って伝えてた。でも当たり前に使えていると思ってるものも、使い方を間違えると怪我したりする。
このアートセンターでは、メディア・テクノロジーを改めて広く捉え直して、ありたい未来や可能性(こんな使い方出来たんだとか、こんなふうに伝えられるんだとか、こうなるとヤバそうとか)をみんなで考えて、みんなでつくっていくために、全員まだ答えを持ってない新しいアート作品をつくったり、紹介したり、それをみんなで見る場、話す場を開いてる」って伝えてる。ともにつくり、ともに学ぶ場なんだって。
例えば映画の上映に合わせておこなうお茶会みたいなイベントは、小さな場所の小さな営みで、”オリジナル”みたいに威張れることはしていない。たまたま映画を見に来た鑑賞者同士が、なんとなく休憩しに立ち寄って、お互いの話を聞きあえる場を開いているだけ。でも、そこに来る一人ひとりは、とても大きな人生を背負っている。
昨日立ち寄ってくれた年配の2人組。
少し背の低い女性が「耳がほとんど聞こえなくなった主人が、この映画は見たいって言ったんです。だから字幕がなくても今日は来ました」と穏やかな声で教えてくれた。
これを見たいと思うことと、一緒に見る人がいるのめっちゃいいですねと伝える。そしたら突然その人がパートナーの耳元に向かって、自分がさっき言ったことを大きな声で復唱してくれる。(この人、こんな大きな声が出るのか)と内心びっくりする。
男性は嬉しそうに「そうなんですよ」と言って笑った。言葉があってくれて、でっかい声で伝えようとしてくれて、ここに来てくれて、聞いてくれて、ほんとによかった。
その場を見ようともしない人ほど「効率が悪い」とか「KPI」とか「来てない人を納得させないと」とか「ソーシャルインパクトが大事」とか「経営的な戦略が必要」とかって、ティーチ(一方的に教える)よりラーニング(自分で学ぶ)が大事と言う同じ口で、一方的に教えてくれる。
いや、なんかそうなんかもしれんけど、うっせ〜〜〜。
簡単に人をモノのように扱える人ほど評価される世界は絶対間違ってる。
世界を変えるって、トランプみたいに自分勝手に世界を掻き回すことじゃ絶対にない。
世界を変えるって、ひとりひとりが自分の力を思い出して、取り戻すことじゃないんかい。
この前ポッドキャストの収録で話したひるねちゃんは「手元をみよう 手元をみよう」と、祈るみたいに2回言った。
「人の心に反射したその光こそが作品。作品が光ってるって言うより、あなたの心に反射したものが光ってるんだよ。エネルギーを飲み込まないで発散できる自分でいたいな」と言いながら、最後の語尾は震えてた。
心が諦めてしまうと簡単に、ブラックホールとかベンタブラック(99.9%の黒)みたいに、どんな光も吸収してしまう。
収録が終わってしばらく経ったある日ふと、本当に信じてることは信じてるなんて言わないのに、信じたいって思うことほど信じてるって口に出して言うのは不思議だなと思った。
言葉に日光を浴びせるように外気にさらすことで、いつかほんとに信じられるものに変わるかもしれないから、僕らは信じたいことを口に出すのかもしれない。
先週も大学を訪ねたら「アートは自分には縁がないもの」と学生が匿名チャットで教えてくれた。おい、誰がアートをその子に縁がないものにしてしまったんだ。関係ないものなんて、本当はなに一つないはずなのに。おい、誰がそんなふうにしてしまったんだ。
でも自分もアートに関わる仕事をしててそう感じさせたうちの一人でもあるかもしれないからそれはごめん!もう一度やり直したいからチャンスがほしい。そんな悲しいこと言わないでよ、寂しいじゃんって思う。
あームカつくな。ムカつくし、ムカつくという感情を思い出せたのが嬉しいな。
ムカつくの前には悲しいな、とか寂しいな、があるな。ムカつくのにも、悲しいなとか寂しいなを反射させる力が必要なんだな。
自分は小さな空間で、人が変わるまぶしい瞬間を何回も目にしてきた。
たしかに自分の文章はまだまだ分かりづらくて、曇った鏡みたいなものかもしれないけど、本当はもっともーーーーーっとすごい。まじ伝えきれね〜〜〜〜って思う。
それでも自分も、反射できる自分でいたいと思うからこの文章を書き残しておく。
昨日の朝、映画を見る前、教育学部の授業に自分が働くアートセンターの紹介をしに行った。
朝一の貴重な40分をもらって全力でプレゼンしたあと、先生がブラインドトークのワークショップに参加させてくれた。
10人が3チーム、絵を見て言葉で伝えるチームと、その説明を聞いて絵を書くチーム、そのやり取りを観察するチームに分かれる。
5分間で出来上がった絵は、答えに近い人もいれば、まあまあ遠い人もいる。
その後のフィードバックの時間は、こう説明すれば良かった、こう質問すれば良かったなどの意見を交わす。
右から1/3の位置に〇〇があるみたいに数字を入れて伝えるとか、全体の雰囲気やテイスト(イラストなのか写実的なのかなど)を伝えてから具体的な描写を伝えるとか、一番大事なこと(なにを伝えたい絵なのか)に絞って伝えるとか、いろんなアイデアが出た。
どれもすごい大切だって思ったと同時に、自分はなんかもう、最強だな〜〜〜って思った。
最強って、いまめっちゃ強いとか、いまめっちゃ説明が上手とかじゃなくて、変われるってことだと思った。伝えようとしてる人がいて、聞こうとしてる人がいる。もうそれで十分じゃん。言葉が足りなきゃ付け足したら良いし、分かんなかったら聞けば良い、言い直したらいい。
ほんとは完璧なコミュニケーションなんてなくて、伝えたいとか聞きたいとか、それを諦めずに関わろうとし続ける限り、うちらはもっと強くなれる。もしかしてそれを教育と呼ぶのでは?!みたいなことに気づいて驚きながら言った。
みんないい姿勢で、まっすぐ聞いてくれた。おい、まぶしいな。ありがとう。
先生にお礼のメールを送る。あの子達が4年生になるのが楽しみですねって伝えた。ここには書かないけど、嬉しい返信が返ってきた。また会いたいな。学生も先生も全員サポスタに登録して欲しい。
同僚のNさんとサポスタ募集の打ち合わせしたら「うちらがやってることは、誰に見せても恥ずかしくないから本当はターゲットなんてない。ターゲットは全人類、死んでるやつも、これから生まれてくるやつも。ひとまず50億人全員サポスタに登録してもらおう。」って話してて爆笑しながら超グッと来た。絶対そうなった方がいいしやっぱ最高だなこの人って思った。
トランプも、ゼレンスキーも、オバマも、プーチンも、ネタニヤフも、オードリー・タンも、石破茂も、議員会館の地下で迷子になってる秘書も、海を渡ってきた難民も、夜勤明けでレジを打つコンビニ店員も、介護の夜勤でウトウトしてる人も、野良猫を拾ったけどなかなか懐かなくてすこし懐いてくれて安心したら実は腎臓病が進行してて休日は暴れる猫を連れて動物病院に通う新入社員も、推しのVtuberにスパチャしすぎて家計簿が真っ赤な人も、好きな人と一緒になれなくて家で一人で泣いている遠距離恋愛のカップルも、育休取りたくても言い出せない課長も、同性婚を夢見るカップルも、初めてステージに立つ前に鼓動が早くなってるドラァグクイーンも、卒論提出3時間前の大学5年生も、家の外に出る勇気が湧かないひきこもりも、声を出すと噛んじゃう吃音持ちも、白杖を持った視覚障がいランナーも、手話でコントをやる芸人も、補聴器の電池を切らしたおばあちゃんも、手足のないスケボー少年も、車いすで山道を攻める登山家も、PTSDに苦しむ帰還兵も、大学の講義室で聞いてない学生に向けて伝えることを諦めようとしてる教授も、モテることとサボることと遊ぶことと就活で頭がグチャグチャだったあの頃の自分みたいな大学3年生も、収容所で自由を夢見る政治犯も、その看守も、裁判で涙を流す加害者も、被害者も、サウナで “ととのい” を追い求める会社役員も、離島で保育士を探す町長も、推し色ジャージでライブに並ぶ中学生も、バイト代を全部ガチャに突っ込んだのに天井まで SSRが来ない高校生も、フィリピンのごみ山でタガログ語ラップを刻む子どもも、アマゾン流域で川と話すシャーマンも、北極で氷が割れる音を聴く魚も、火星着陸の夢を抱く在野の<
[B! 人生] 飯野賢治はいつ “クリエイター飯野賢治”を演じ始め、そして演じることをやめたのか?飯野賢治生誕55周年トークライブから見えたこと【飯野賢治とは何者だったのか】 | Game*Spark - 国内・海外ゲーム情報サイト https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.gamespark.jp/article/2025/10/11/158293.html
kuruse_haya 飯野賢治は当時のゲーム雑誌でのインタビュー記事が圧倒的に面白かったんだよね。ゲームは二流・三流なんだけど。だから、飯野賢治を語るには彼のゲーム作品ではなく当時のゲーム雑誌から語る必要があると思う
飯野賢治を理解するには当時のゲームメディアを知る必要がある。
90年代の日本は雑誌文化の最盛期( https://current.ndl.go.jp/ca1697 によれば1996年に1兆5,984億円。この年は『エネミー・ゼロ』の発売年だ)で、もちろんゲームの情報もゲーム雑誌から入手するのが主流だった。セガサターンに限っても、ソフトバンクの『セガサターンマガジン』、徳間書店の『サターンFAN』、毎日コミュニケーションズの『グレートサターンZ』、メディアワークスの『電撃セガEX』/『電撃セガサターン』、さらにCD-ROM付きのアスキー『TECHサターン』があった。
飯野はゲームのスタークリエイターであったが、まずなんといってもゲーム雑誌におけるスターであった。
SFC時代まではゲーム雑誌でおなじみの人気クリエイターといえば、堀井雄二、糸井重里、さくまあきら、広井王子といったフリーランスの人が多く、ゲーム会社に所属しながら彼らと同等レベルで扱われるのは、宮本茂や坂口博信といった上澄みも上澄みの人間に限られていた。SFC時代までに岡田耕始と金子一馬が『ファミ通』に揃って登場した回数は2度しかない(それも他の人間を加えた座談会形式のものであった)。メガドライブ以前のセガハード専門誌を読むと驚かされるのだが、中裕司や鈴木裕クラスですら滅多に誌面には登場しない(PCエンジン専門誌だと割とハドソンの人が出てたりはするのだけれど)。
ゲーム雑誌においてゲームクリエイターの露出が広まったのはPS1時代というのは間違いないだろう。
――他に音楽業界の手法で言うと、クリエイターのクレジットをちゃんと出す流れも、丸山さんのときに生まれたものですよね。
川上氏:
当時は、みんなゲームクリエイターの名前は隠していましたからね。
丸山氏:
でもさ、レコードや映画はクレジットを作るのが当たり前だし、あれば頑張る気になるじゃない。それに名前を隠すのはそもそも不自然だし、親しみも湧かないでしょ。だいたい、高橋名人【※】みたいにプレイヤーのスターがいて、クリエイターがスターじゃないというのはヘンじゃない。だから、メーカーはみんな嫌がったけど、「名前を出した方がプロモーションしやすいよ」と説得したんだ。
※高橋名人
1959年生まれのゲーム関係者。本名は高橋利幸。ファミコン全盛期にハドソン(現・コナミデジタルエンタテインメント)所属のファミコン名人として一世を風靡した。ゲーム機のコントローラのボタンを1秒間に16回押す「16連射」が有名。
実際、これは有効なんだよ。だって、普通に紹介したら雑誌で2ページ程度しか取れない作品でも、クリエイターが登場して苦労話を喋って、カメラに向かってポーズでも取ってくれたら、もう5ページくらいに露出が増えるわけ。どんどん可能なことが増えていくんだよね。
――つまり、音楽プロモーションの「人を立てていく」手法を持ち込んだということですか?
丸山氏:
PS1では現在でいうところのインディーゲームのようにいろいろな変わったゲームが登場し、フロム・ソフトウェアをはじめとする聞いたこともない会社がゲームを出すようになり、そして専門誌ではページを埋めるために開発者のインタビューを大々的に載せるようになった。そうやってソニー・マガジンズの『ハイパープレイステーション』に頻繁に取り上げられていたクリエイターの一人が(セガサターン移籍前の)飯野賢治だった。
飯野賢治のなにが良かったか。まず見た目がインパクトある。ほかのゲーム開発者がいかにも会社組織に所属するサラリーマンやオタクのような風貌のなか、巨体かつ長髪で眼光が鋭い。そして話すことが面白い。しがらみなく同業他社のゲームに言及するし、『ファミ通』のクロスレビューのありかたも批判する。ゲーム雑誌なのにビョークや坂本龍一の話をずっとしてたりする。セガサターン移籍前なのになぜかセガサターン専門誌で連載記事を持ってたりする。FMラジオのMCもやっていたし、大阪ではピエール瀧と一緒にゲームバラエティ番組もやっていた(これ結構面白かった記憶あるんだけどネットで動画上がってるの観たことないな)。『ゲーム批評』にいたっては飯野賢治だけの別冊号を出した。あと飯野賢治の奥さんがゲーム雑誌に連載コラムを書いていた。
彼はトリックスターとして面白かったし、次々に新しいなにかを起こしてくれるという期待があった。勢いのある深夜ラジオのパーソナリティや、現代ならばSNSのインフルエンサーのような受容をされていたといえば伝わるだろうか。
飯野のゲーム雑誌への露出が極まっていたのが『リアルサウンド 〜風のリグレット〜』のときだった。映像のない音声だけのゲームである同作では、画面写真が使えないものだから、そのぶん誌面を文字で埋めるしかない。だから飯野がインタビューに登場する。ほかのゲームがせいぜいゲーム紹介記事1P+開発者インタビュー1Pという構成であったりするところを、『リアルサウンド』は飯野のインタビューが2Pまるまる載る。そしてそれが毎号続く。もはやハックと言っていいだろう。誌面埋めのために飯野のインタビューを取る→宣伝になるから飯野がインタビューに出る→読者ウケがいいからまたリアルサウンドの記事が載る、というサイクル。『セガサターンマガジン』は一時期は刊行ペースが週刊になっていたものだから、誌面を埋められる人材は重宝されまくった。
いま飯野賢治を振り返ろうとすると、どうしても成果物(ゲーム)をとっかかりにしてしまうが、あの時代における飯野賢治の受容を理解するには、それよりも当時の『ファミ通』、『ハイパープレイステーション』、『セガサターンマガジン』、『ゲーム批評』を読むほうがいいんじゃないのという話。
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参考までに1990年代のソフトバンクのセガハード専門誌からスタッフインタビューをリストアップしてみた。32ビット(64ビット級)時代になった途端に開発者が一気に表に出てくるようになったのがわかるだろう。
ファンタシースター ~千年紀の終りに~ - 小玉理恵子、津川一吉、西山彰則(セガ)
重田守(セガ)
●セガサターンマガジン 1996年12月27日号(エネミー・ゼロ表紙)
ファイターズメガミックス - 片桐大智、片岡洋、光吉猛修(セガ)
デイトナUSA CIRCUIT EDITION - 瀬上純、澤田朋伯(セガ)
ときめきメモリアルSelection藤崎詩織 - 流石野考(コナミ)
新世紀エヴァンゲリオン 2nd Impression - 小林正英、茂木幸樹(セガ)
御意見無用 - 池袋サラ、新宿ジャッキー、ブンブン丸、柏ジェフリー
EVE burst error - 藤田正人、野口征垣(シーズウェア)、鈴木達也(イマジニア)
電脳戦機バーチャロン - 亙重郎(セガ)
セガサターン用ワープロセット - 大鹿敏宏(光栄)、中村憲二(エルゴソフト)
サクラ大戦 - 田中公平、牧野幸文(セガ)、原太郎(ティーズミュージック)
電脳戦機バーチャロン - 亙重郎(セガ)
Digital Dance Mix Vol.1 - 安室奈美恵 鈴木裕(セガ)
●Dreamcast Magazine 1999年12月31日号(D2表紙)
シェンムー 一章 横須賀 - 松風雅也、安めぐみ、岡安啓司(セガ)
電脳戦機バーチャロン オラトリオ・タングラム - 小林健太郎(セガ)
スペースチャンネル5 - 水口哲也(セガ)
セガ ソフト7研 - 大場規勝、小玉理恵子、伊藤知行、瓜生貴士、大原徹、西山宗弘、松浦剛、西野陽
プロ野球チームで遊ぼう! - 瀬川隆哉、地宏之、加藤真樹、石原学(セガ)
ROOMMANIA #203 - 牧野幸文、佐々木朋子(セガ)
爆裂無敵バンガイオー - NON、MURATA(トレジャー)
【追記】
映画の感想とは関係ないんだけど、SiSメンバーが移籍したGANG PARADEは当時、すでにブレイクしていたBiSHと伝説的アイドルBiSの二期の下の下という扱いで、映画内のSiSメンバー加入後の合同ライブでも「一番下っ端だから最初に出てきた」と語られている。しかしその後に「この順位絶対にひっくり返す」と叫んでライブが始まる。
その後、BiS2期は結局あんまりハネることもなくひっそりと解散。
BiSHは大ブレイクの最中に解散が発表され、2023年に解散。
2025年、GANG PARADEは紆余曲折ありつつも活動中であり最終的に、全部ひっくり返した。
SiS加入組も2024年までは全員揃っており仰ぎ見るしかできなかったBiSHの最後を見送り
自然法則由来に基づく必然の連鎖としての事象から独立した魔法って、マジで存在する理由がなさすぎる
生き物に前世があるとすれば、それは今自分を構成している物質が他の生物なり何なりとして存在していた時をそう呼ぶのかもしれない
「今の自分」という存在を空間と時間軸で区切るのなら、一般的な見解としてその始まりは両親から生み出されたものとするのがメジャーっぽい
ただそれが無から湧き出るはずもなく、 彼らが食って取り入れたモノが再構成されたものなはずで
となると自分の前世はスーパーに並んだアジであり、自販機の缶コーヒーであり、あるいはマクドナルドのハンバーガーになるのかもしれない
少なくとも人間の前世が人間であることは考え難いし、火葬が主流の社会なら大半の人間の来世は植物になるのかもしれない
スピノザはこの世界そのものこそが神なんだとか抜かしてたらしいが、最近そういう考えが妙にしっくり来る
自由意志だの主体的な選択だのを信じようが信じまいが、グッドミュージックを聴いたりデリシャスフードを食ったりしてゴキゲンになれる実感がある事はまったく変わらんし
日本人は歌詞を重視しすぎているのではないかという批判は古くは1960年代から繰り返されてきたわけで。
ヒップホップではトラップミュージックの流行でKOHHこと千葉雄喜が大ヒット。
音楽的に気持ち良ければ歌ってる内容なんかどうでもええんやという基盤が築かれつつある。
全世界的に大ヒットしたAPT.が若者を中心に日本でもある程度のヒットを放ったが、
あれの良さは「歌詞が浅い」とか言ってるオッサン、オバサンには理解できないだろう。
日本でもVillage People 「マッチョ・マン」や、スキャットマン・ジョン「Scatman」が流行った時期もあるので、
意味はよく分からんけど曲がおもろいからええやんって心がないわけではないと思うのだが。
※Scatmanがめっちゃいい歌詞だってことくらいは俺も知っているが、
当時アレを聞いていた人でそれを意識していた人は限りなく少ないだろう
今日子供がステージに上がってしまうハプニングがあって公演時間などに影響が出たらしい
ミッキーのマジカルミュージックワールド初回公演 ミッキーたちが歌を作るところで黒いスクリーン降りてきている途中で子供がステージに走って駆け上り乱入🥲🥲🥲 ステージの機材などの動きはとまり、一時シス調。。。 昨日のバケパのBB最前でやられてたらと思うとゾッとする🥲
マジミュで検索すればわかるけどこの件で界隈の反応が完全に終わってる
あんまりこういうこと言っちゃダメかもだけど、年齢制限もっと上げた方がいいと思うんだよね……ショーの途中で大きな音、暗転になってずっと泣いてる子もいるからさ……。
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親は何やってるの?子供だけで来てるわけじゃないのに。ニコニコ見てたんだとしたら最悪😣
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頼むからシアター系は未就学児入場禁止にしてくれ ってこういうの見る度に思ってしまう💭 乱入までいかなくてもギャーギャー泣いてるのに外に連れ出さない親とかいるし
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マジミュ初回のゲスト乱入の件、詳細書いて下さってる方のポスト。 小さい子が駆け上がっていったらしい。シス調が必要になり各回の時間もずれることに。 自分の回に合わせてスケジュール組んでる人沢山いるし、そもそもこの公演を楽しみにしてた人もいるのに… 影響受けた方々が本当にかわいそう…
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最悪すぎ… 馬鹿が子供なんて育てるから、その子供も分別のつかないクソガキになるんだよ。 無理すぎる。 しかも初回公演。馬鹿はガキ連れて出歩くなよ。
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親も子供も最悪ですね…読んで想像したらめちゃ嫌な親と子供🥴 みんなに迷惑かけたのだからその日は退園してほしいレベルだわ…別の場所でも迷惑かけそ🤐 親何やってるの???
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被害にあったゲスト集団で訴えたらなんとかならないのかこういうの…
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怪我人いなかったのが不幸中の幸い… そんで親は?? 事故起きてからじゃ遅いんよ 自分の子供くらいちゃんと見てて欲しい
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こんなん自分の時にやられたら発狂する🥲課金してたらなおさら。 親何してんの?バカなの? ちゃんと子供見てろだし、おとなしく座ってみれない子にはショー見せるべきではないと思う。迷惑。
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親は何してたん? この日のために!って長いこと仕事頑張ったりやりくりしたりした人も居るだろうし、こういうの本当に迷惑だからクソガキのクソ親はちゃんとリード(子供用の)でも付けといて。
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いやもう内容関係無くシアターに小学生以下入れないでって本気で思ってしまう… ちびっ子にも楽しんで欲しいけど、最近じっと座って鑑賞出来る子が少な過ぎるし、親も普段どう育ててるのって話😔
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親が無理すぎる‼️クラブもキャラ降りありになってからこういうのめちゃくちゃ増えたけど、ほんっとにキャストが言ってること何一つ守れない子連れ多すぎる‼️背もたれに座らせる、立ったまま、キャラ降りてくると分かって端席でも無いのに詰める、通路飛び出ても放置‼️
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本当に3歳以下の子供連れは見れないようにしてほしい。途中で泣き出したり、歌い出したり、迷惑。
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これだから子供にはリード付けないといけないんだよ🤬🤬🤬🤬 リードさえあればグッと引っ張って止められるでしょ?? 自分の子供信用しすぎ!!!!!!!!
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明らかに親が悪いからもう罰金取ってもいいレベルで迷惑というか…その場にいたゲストほんと可哀想。 もしかしたらこれを見るために来た人とか課金した人とかその場にいたゲストこれから良い事起こりますように🍀
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子ども乱入は当たり前にやばいけど親も追いかけてステージ乱入してるの最悪すぎて二度とパークに来ないでほしい
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あのバレバレメッシュスクリーンそこそこの速度で降りてくるよね。 そこで乱入した子供害悪すぎるな。
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これ万が一、大道具や回転舞台、緞帳に当たったりしたら、しばらく対策できるまでマジミュ休演・場合によっては今後内容変更まであり得た事例。子供の自由主義を履き違える親増えたなと感じる。
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親の監督不行届なのほんまに酷いな。 大勢の人に迷惑かけることわかってないんだろうな……。 自分の子どもに責任持てないならリードつけるなりしてくれ、まじ迷惑。
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以上はほんの一部でと〜〜〜にかくその子と親に罰を与えろ、許すな、普段からガキはうるさくて邪魔、地獄、排除しろというおぞましい罵詈雑言がずらずら並んでる
でも、ディズニーランドだよ?
ウォルト・ディズニーが思い描いた子供と家族みんなで楽しめる夢のテーマパークだよ???
そこで子供が何かしたとして大人は大目に見るつもりで行くべきじゃないの?
パーク側だってトラブル対応で苦労こそすれこの親子に悪感情なんてないはず(パークの理念が生きてるなら)
なのにDオタは自分たちこそ主役で周りは迷惑をかけてくる障害とでも思ってるようでほんと唖然としてしまった
撮り鉄集団が通行人のせいで思い通りの写真が撮れなかった!!とキレて罵声を浴びせてるやつ
完っっっ全にあれと同じ光景じゃん…
CORI-
@CORI_IIDX
って感想が真っ先に出た
https://x.com/CORI_IIDX/status/1959274812834283613?t=y6n3GG9Up8aCUv0P33yPTw&s=19
これ見て思ったんだけどさ、3D空間で抽象的な物体がぐるぐるする感じの映像(例: https://youtu.be/z20TatIVbS4?si=sIedQ7mFC7hD-L1N)、音ゲーで何故かよくあるよね
個人的に気になってるのが、こういうのがボカロで流行る可能性があるかどうか
少し前のベノム、KING、グッバイ宣言辺りは、一枚絵の二次創作のしやすさで流行った。
で、今のオーバーライドとかメズマライザーは、Vtuberの勃興によってLive2Dもしくはそれに類する技術を持つ人が多くなったゆえに、二次創作されやすくなって流行った感ある。
その流れで言うと、ああいう3D空間ぐるぐる映像を何らかのきっかけで多くの人が作るようになれば、ボカロ界隈でも流行るのかなあ。でも思いつかんなあ、AIとか?